2015年05月07日



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病気の本質 : ナイチンゲールの「病気とは治る過程である」が見せる江戸時代の医学とのシンクロニシティ



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▲ クリミア戦争で兵舎病院で負傷者たちを看護するナイチンゲール。Wikipedia より。









病気の本質


最近、いろいろと本を読んだりしている中で、多くの人たちが言うことが、「大体同じ方向にある」ことを知ります。


それは、「病気も健康もどちらも自然の働きである」というようなことと関係しているのですが、最近、ナイチンゲールという看護の始祖が自著に書いていた内容を知りました。


そこにある一節が、日本最初の整体師である野口晴哉さんや、あるいは、生涯にわたり医学の研究も続けていたシュタイナーや、あるいは、中村天風や森田正馬博士や、他にもいろいろな方がいますが、その方々の言っていたこととほとんど同じであることに気づいたのでした。


ナイチンゲールは、『<看護覚え書』( 1860年)の中で、あとで、ちゃんと抜粋いたしますが、


「病気というものは、回復過程である」


としていて、病気は自然の法則(彼女は「神の法則」と言っています)であるから、看護というのは、


「自然による回復過程の邪魔をしないこと」


だと述べているのです。


これはまさに、



 2015年04月22日


という記事などでふれた、野口晴哉さんの『風邪の効用』( 1962年)にある、


病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。

という概念と同じです。


「良能」という言葉は「生まれながらに持っているすぐれた能力」(コトバンク)ということですので、野口さんは、「病気になることは、人間が生まれながらに持っている自然の優れた能力である」と言っていることになります。


ナイチンゲールの場合は、その 100年前に同じことを言っているのでした。


野口晴哉さんの『風邪の効用』によって、はじめて私は、「風邪は体を治しているかもしれない」ということに気づいたのですけれど、「病気全体」となると、なかなか壮観です。


風邪については、実は、若い時から自分で何度もそのこと(風邪を引くたびに体が強くなっていく)を経験しているのに、野口さんの本を読むまで、そのことに気づいていなかったのでした。


病弱だった私自身が、「病気は悪い」という観念だけでグリグリになっていた。


ところで、この「ナイチンゲール」という人について、私は何となく勘違いしていまして、彼女のことにふれておきたいと思います。





ナイチンゲールという人の「天性」


この「ナイチンゲール」という人については、子どものころに、多分誰でも読まされるような「伝記」みたいなので知った記憶はあります。


しかし、それよりも男の子たちの間では「ナイチンゲールは無いチン・・・」で始まる駄洒落のほうが印象深いものかもしれませんし、あるいは、「ナイチンゲールは内藤陳ゲ・・・」というような駄洒落を言って、理解できない周囲の子どもたちから糾弾を受ける子どもたちもいました。


そもそも、ナイチンゲールの伝記の内容を、よくは覚えていなくて、「最初の看護師さん?」くらいの印象しかなかったのですが、ナイチンゲール - Wikipedia を見ますと、


東京都出身。プロレタリア文学作家内藤辰雄を父に持つ。7-8歳の頃には高円寺駅の前でゴザを敷き、父と共に読み古しの本の叩き売りをしていた。

高円寺? ああ、これは、内藤陳 - Wikipedia でした。


こういう間違いをそのままにしておくのは少し困りますね(野口晴哉さん風)。


さて、ナイチンゲールですが、1853年に始まるクリミア戦争で、英国軍に看護師として従軍し、そこでの活躍により有名になるのですが、何となくあるイメージ「白衣の天使」というようなイメージとは少し違い、Wikipedia によれば、ナイチンゲールという人は、



超人的な仕事ぶりと必要であれば相手が誰であろうと直言を厭わない果敢な姿勢により、交渉相手となる陸軍・政府関係者はナイチンゲールに敬意を示し、また恐れもした。

オールド・バーリントン通りにあったナイチンゲールの住居兼事務所は関係者の間で敬意と揶揄の双方の意味を込めて「小陸軍省」とあだ名された。


というような人だったようです。


そして、実際、彼女の手腕は、具体的な数値として達せられます(ナイチンゲールは、イギリスにおける統計学の基礎を築いた人でもあります)。たとえば、まだ細菌学が確立していなかった時代なのに、「感染症対策」において、他に類を見ない抜群の効果のある看護対策をとっていたこともわかります。


ナイチンゲールが従軍する前の 1855年までは、兵舎病院での死亡率は 42パーセントに達していたそうなのですが、



新陸軍省は、ナイチンゲールの報告どおり、病院内を衛生的に保つことを命令した。この命令の実施により、2月に約42%まで跳ね上がっていた死亡率は4月に14.5%、5月に5%になったことが後に判明した。

兵舎病院での死者は、大多数が傷ではなく、病院内の不衛生(蔓延する感染症)によるものだったと後に推測された。


この「死亡率を 42パーセントから、3ヶ月間で 5パーセントにまで減らす」というのは、看護の領域というより、これこそ医学だと思います。


というか、その時のお医者さんは何をしていたのかということにもなりますが。


「医学に最も必要なのは愛だけれども、そこに知恵と技術が伴わないと、人を助けることはできない」と言っていたのはシュタイナーですが・・・というか、誤った引用になると良くないですので、抜粋します。



1907年のシュタイナーの講演「病気と治療」より

だれかが脚を折って道路に倒れているとき、愛情に満ちた人々がその人のまわりに立っていても、その人を助けることはできません。

しかし、骨折の治療法を知っている医者がやってきて、知恵によって同情を行為へと移すことができると、骨を折った人は助けられます。

ものごとを認識し、何かをできる能力を持った賢者であることが、人を助けるために必要な基盤なのです。

かつて賢明な存在者たちが知恵を注ぎだしたので、世界には常に知恵が存在しています。知恵は頂点にいたると、すべてを包括する愛になります。愛が未来の世界で、私たちを照らすことでしょう。

知恵は愛の母なのです。知恵に満ちた精神は、偉大な治療家です。ですから、キリストつまり愛は、聖霊つまり治療する霊から生まれたのです。


最後のほうは、キリストなどという単語も出てきて、大変な展開となっていますが、いずれにしても、「愛に満ちているだけでは治せない」ということを言っていると思います。


ナイチンゲールは、「衛生と感染症の関しての知恵があった」ので、英国軍兵舎病院の死亡率を 42パーセントから 5パーセントに下げることができたということなんでしょうけれど、それにしても、まだ、微生物学が確定していなかった 1855年に、なぜナイチンゲールが、「衛生の方法」ということを知り得ていたのかは、なかなかの謎です。


微生物学の歴史 - Wikipedia を見てみますと、


1857年 - ルイ・パスツールが「すべての発酵過程は微生物活動に基づくものである」ということを発表した。

1876年 - ロベルト・コッホによって炭疽の原因となる細菌(炭疽菌)が分離され、その病原性が証明された。

とあり、ナイチンゲールが英国陸軍省に兵舎病院の衛生改善を申し出た 1855年頃は「感染症が細菌から起きる」という観念は一般的ではなかったと考えるのが妥当です。衛生状態をよくすることが死亡率の低下につながるという概念も一般的ではなかったように思います。


また、医者にもその概念がなかったから、医者は死亡率を下げられなかったとも考えられます。しかし、ナイチンゲールは気づいた、と。


いろいろと立派な人はこの世にいますけれど、偉人としてあげられる人たちには、何らかの「天性」があるのかもしれないですね。


ただ、ナイチンゲールは、晩年は苦しかったようです。



37歳(1857年)の時に心臓発作で倒れてしまい、その後は慢性疲労症候群に由来すると考えられる虚脱状態に悩まされた。死去するまでの約50年間はほとんどベッドの上で過ごし、本の原稿や手紙を書くことが活動の柱となった。


さて、そのナイチンゲールの『看護覚え書』からです。





ナイチンゲール『看護覚え書』( 1860年)より

およそ病気というものは、その経過のいずれの期間においても、多かれ少なかれ回復過程であり、それは必ずしも苦しみを伴わない。

つまり病気とは、何週間、何ヶ月、時には何年も前から起こっていながら気づかれなかった病変あるいは、衰弱の過程を修復しようとする自然の努力のあらわれであり、その病気の結末は、病気に先行する過程が進行している間にすでに決定されている。

自然によってすすめられる病気という回復過程は、「新鮮な空気、陽光、暖かさ、静けさ、 清潔さ、食事を与える際の規則正しさや世話」が欠けることによって、「妨害され」、その結果「痛みや苦痛、あるいは過程そのものの中断」 がおこる。

看護としてなすべきことは、自然によってすすめられる回復過程を邪魔している要素を取り除くことである。

自然による回復過程の「邪魔をしないこと」、それは回復を促す自然のはたらきに従うということを意味する。自然のはたらきに従うということは、自然法則、われわれの身体と、 神がそれをおかれたこの世界との関係について神が定めた法則に従うことを意味する。





ここまでです。


ちなみに、


> 自然によってすすめられる回復過程を邪魔している要素


とありますが、現代で当てはまる最大のものが「薬」だと私は考えます。


ナイチンゲールは、つまり、「回復過程=症状を無理に抑えてはいけない」と言っているわけですが、現代医学はその逆の方向にあります。




「病気」に関してのナイチンゲールから後藤艮山までの系譜


看護師の始祖であるナイチンゲールは、


> 病気とは、衰弱の過程を修復しようとする自然の努力のあらわれ


であると言っています。


そして、日本の整体の始祖である野口晴哉さんは以下のように語っています。



野口晴哉『風邪の効用』( 1962年)より

病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。

新陳代謝して生きている人間に建設と破壊が行われるのは当然ですから、建設作業だけを自然良能視しようとするというのは、破壊を恐れ、毀(こぼ)れた体のまま無事を保とうと考える臆病な人間です。

生命を保つためには自然のはたらきを活かすことの方が、人智をつくすより以上のことであるということを考えてみるべきでしょう。


シュタイナーも、1928年の講演で、ほぼ同じことを述べています。



シュタイナーの 1928年のイギリスでの講演『病気と治療』より

今日、すでに人間は、医学においての認識の限界にいたっています。「病気とは、何なのか」という問いに、今日の科学的認識は、どのようなものでしょうか。

それは頭の先から足の先まで、自然のプロセスです。

では病気のとき、肝臓、腎臓、頭、心臓で生じるプロセスはどのようなものでしょうか。自然のプロセスです。健康なプロセスは自然のプロセスです。病気のプロセスも自然のプロセスです。


また、江戸時代の医者に、後藤艮山(こんざん)という人がいたそうなのですが、この人は、


「瞑眩せざれば病は癒えず」


と言っていたそう。


瞑眩(めんげん)というのは、一般的な意味では「めまい」となりますが、日本や中国の医学では、「好転反応」のことだそうで、つまり、熱が出たり、発疹ができることです。


また、今では「毒出しの際の反応」という意味でも使われているようです。


後藤艮山の「瞑眩せざれば病は癒えず」というのは、つまり、高熱や症状があれば、病は治るという意味でよいのだと思われます。


と、ここで、これは、ナイチンゲールの「病気は回復である」と同じ意味であることに気づきます。


まあしかし、この「瞑眩」という言葉、めまいそのものの意味でもあるわけで、私も、相変わらずめまいはそのままなんですが、これも「回復である」というようにとらえるのがいいのでしょうかね。


野口晴哉さんは、「健康も病気もどちらも自然良能である」と言っていましたが、森田療法の森田正馬博士も『神経質の本態と療法』の中で、


頭痛、眩暈も、必ず起こるべくして起こる弥陀(みだ)の配剤であれば、煩悶、恐怖も必ずあるべくしてある自然法則の支配によるものである。

と言っています。


「自然に従う必要性」を、森田博士は強く述べます。


あるいは、ジャイアント馬場師も以下のように言っています。


「成り行きと言うと無責任なイメージを持つけど、これほど強いものはない。つまり、自然の流れに逆らわずに正直に生きるってこと」Naver


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ついに、稀代の看護師であったナイチンゲールから、稀代のプロレスラーであったジャイアント馬場という「二大師」がつながったようです。


ちなみに、江戸時代の後藤艮山のことを知ったのは、免疫療法をおこなっていた福田稔医師(昨年亡くなられました)の以下のブログででした。「熱は最高の治療者」であることがここでも書かれます。



高熱は急激に治癒力を上げる最強の反応
薬のいらない人生 2015.03.19

「瞑眩(メンゲン)せざれば病は癒えず」これは江戸時代の名医・後藤艮山が残した言葉であり、私の座右の銘の一つです。

一般に好転反応と呼ばれることの多い瞑眩は、血流が回復する際に生じる、毒だし反応を示します。体内にたまった毒が排泄される過程にでは、多かれ少なかれ発熱、湿疹などの不快な症状を伴います。

しかし、そこを乗り越え、体が浄化されないと、持ち前の治癒力(免疫力)を発揮できません。瞑眩が起こらなければ、病気は治らないのです。

体は、毒出しを助ける治療を求めています。しかし、体に備わる治癒力を軽視してきた現代医学には、瞑眩という概念はありません。

そこで、湿疹や発熱などの瞑眩を悪者として不要な治療をくり返し、逆に体の毒を増やして、治るはずの病気を治らなくしているわけです。

今、私たちに必要なのは、こうした過剰な医療からの自律です。


この福田稔医師は「医学は薬からの脱却が必要」ということを強く主張していた方で、亡くなったことは残念ですが、今は同じような主張を持つお医者さんがわりとたくさんいることも最近知りまして、それが全体のムーブメントになるかどうかはわからないですが、少しずつでも変わればいいと思います。


ナイチンゲールさんの言っていた「病気は回復である」という概念を無視して、「とにかく症状を消せばいい」と走ってきた西洋医学の結末は、下のグラフでも一目瞭然だと思います。


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このグラフが示す事実の意味を考える時期ではないでしょうか。


医療技術は日々進んでいるのに、病人と病死が増え続けている」という意味をです。


このグラフは、今の医学が「基本的には病気を治していない」ことをよく示していると思いますし、そしておそらくは、「現代の医学がむしろ病気を増やしている面もある」ことは、先月の、



 2015年04月10日


などでも書きましたように、ある程度は間違いのないところのようにも思います。


なお、私は「治療しないのがいい」とは、まったく思っていません。


最近は、「病気は放置するのがいい」というような主張もあるらしいのですが、今回の記事に出てきたナイチンゲールやシュタイナー、野口晴哉さんたちのように「治療」を一生懸命考えていた人たちを見ますと、「治療」は大事なことだと思います。


現代の西洋医学には、その「根本」に過ちにも似た考え方がありそうで、そこを修正することができれば、日本には素晴らしい設備と、高度な医療技術と、あるいは人により残っている「医道」の精神が、きっとあるのですから、治療をとんでもなく良い方向に軌道を変えられる可能性はあるのではないでしょうかね。


今、上のグラフを下向きに変えられるかどうか、ギリギリのところにいるような気がしています。