2015年05月19日



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毎年50兆円が医療費と介護費に消えていく国家の中で「地獄化し続ける老後」を天国化に導く方法は・・・(なかったりして)



既存の社会から離れたネットワークとは

先日の記事の中で、栃木で自給自足に近い生活をされている女性の方と、インドネシアで自給自足に近い生活をされている方のことを書いたのですが、インドネシアの方から、ご自宅を撮影した写真を送っていただきました。

こちらです。

ronboku.jpg


インドネシアのロンボク島というビーチリゾートで有名な島で、後ろに見えるのは、富士山と同じくらいの高さを誇るリンジャニ火山です。そのロンボク島の畑地帯にある場所ということで、まるで周囲は人がいないところらしく、近隣は数百メートルくらい離れたところに家が3軒あるのみとか。

まあ、こういうような、自給自足に近い生活をされている方々とか、他にも(都会などでも)いろいろな生き方をしている方なども含めて、学びたいことは多いです。

先日の講演会では、ヤスの備忘録のヤスさんが、

既存の社会ネットワークではない、個々人のネットワークを作ることの重要性

を話してらっしゃいました。

田舎で自給自足は無理でも、たとえば、社会が危うくなった時や「ディストピア型管理社会」になった時など、何らかの方法で、協力というのか共存というのか、そういうことをできるような人と人との結びつきを作っていくことは確かに大事な「時」に近づいている気はいたします。




老後を考えるとき

ま、その(田中角栄さん風)・・・ここで、またこの例えを取り上げるのもどうかと思いますが、前回の記事などでも書いたことがあります「異次元の存在から送られる声の内容」は、やたらと、

「真剣に老後を考えなさい」

と言うらしいのですね(妙に現実的な異次元存在ではあります)。

そりゃ確かに、私なんかも、そろそろ 50? 60? 120? と、自分の年齢も曖昧になるほどのトシとなってきているわけで、「すぐそこにある老後」ということも、わりと事実だったりします。

で、そんな私の場合、何か具体的な老後のビジョンがあるかというと、そもそも、これまでの人生に設計がほとんどなかった、行き当たりばったりの生き方だったわけですから、老後への明確なビジョンなどあるはずないのです。

高齢化問題として、現時点で漠然とではあっても、わかることとして、

現時点で、高齢者の比率は飽和状態

であること。

その中で、

介護が必要な高齢者の数も上限の限界の状態

そして、

その介護費用の負担は国のお金が基本

となっています、

その国の介護費用の負担の増え方は、以下のグラフのような早いペースで上昇し続けています。

kaigo-2012.gif
厚生労働省


同じペースで増えていくと、2020年頃を過ぎた頃には、介護費用が 20兆円を超える計算になりますが、介護人口はさらに増えていくとしか思えない現実がある以上、この計算もあながち間違ってはいないということになってしまいそうです。

ちなみに、韓国の 2012年の国家予算が 21兆円、ベルギーの国家予算が 20兆円ということから見ても、この 20兆円という金額は、ちょっとした主要国の国家の総予算と同じ規模です。

そして、日本では子どもが減り続けていますが、これは、「介護する側が減り続けている」ということですので、今後も、若い世代が担う負担は増え続けて、結局、社会全体が少しずつ疲弊していくという循環・・・。

さらにすごいのは「医療費」です。

最近、「薬」のことを書くことが多いですが、日本の医療費の増え方も、過去 50年で見てみますと、ものすごいです。2009年までのものですので、やや古いものですが、現状は変わらないか、さらに加速している気がします。

hospital-care-2009.gif
厚生労働省


昭和30年( 1955年)の日本の総医療費は 2388億円で、1人あたりの1年間の医療費は 2千700円でした(これは低い)。

それが、平成21年( 2009年)には、医療費全体で 36兆円となり、1人あたりの1年間の医療費は 28万円(これはすごい)となっています。

物価との換算などもあるとはいえ、数字だけでは 100倍を超える増加となっているようです。

ちなみに、2013年度で、医療費は約 40兆円になったことが、日本経済新聞の記事で報じられていましたので、今年あたりは 40兆円を超えそうです。

日本国民が、すぐに病院にかかったり、薬をもらうようになったのは、国民皆保険制度となった 1961年からのようですが、1961年は 昭和36年で、上のグラフを見ると、昭和50年くらいまでの上昇は緩やかなものだったことがわかります。

昭和50年代(1970年〜1980年代)から一気に加速しています。

このように一気に医療費が増加した理由も・・・推測できないでもないですが、とりあえず、事実として、このようなことになっていると。

それにしても、このジャンルで動く金額の大きなこと!

介護で約9兆円。

医療で約 40兆円。

orz…




医療の進歩と共に増え続ける病気

先日の記事で、「あと5年のうちに云々」というようなことを書きましたけれど、確かに、この「介護費」や「医療費」の観点から見ても、どうも5年すら危うい・・・。

しかし、問題は「お金がたくさんかかっている」ということではないです。

それも大きな問題ですが、それでも、これらの医療(薬や化学療法)が、高齢者たちの「心身の健全」を守っているのならば、それでも仕方ない面もありますが、現実には「逆の効果」となっていることが問題です。

そして、それは統計を見れば、事実としかいえないのです。

下は、さきほどの日本の医療費の推移と、死因別に見た死亡率の年次推移を重ねたものです(グラフは、過去記事にあります)。

医療費の推移と死亡率の推移
zouka-2009.gif


この中でも、ガンと肺炎の上昇の曲線は、医療費の増加とよく似ています。

医療費が増大したということは、単純に考えれば、

「患者の数が増えた」
「投薬などが増えた」
「新しくて高価な治療方法が増えた」


などによって起きているのだと思われますが、これが示すところは、つまり、

医療が高度になり、発達すればするほど、ガンや肺炎が増えてきた

ということが、どうしても示されてしまっているというような感じです。

残念ながら、このことは、お医者さんたちご自身も否定できないのではないでしょうか。

「薬を使わない医療」を提唱している新潟大学名誉教授の安保徹博士は、石原結實医師との対談をまとめた本の中で、自身の研修医時代を思い出し、そのことを語っています。

東北大学医学部を卒業し、「たくさんの患者さんたちを救って、世の中のために尽くそう」と、夢に満ちている時でした。しかし、その現実について、安保博士は以下のように述べています。

dr-abo.jpg
安保徹博士


安保徹 × 石原結實 対談より

でも、夢は無残に打ち砕かれました。

私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。

ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。

あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。

自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。



安保博士が、東北大学医学部を卒業されたのは 1972年のことですので、この研修医時代というのは、その頃のことだと思いますが、西洋医学のガン治療が、それから 40年間、ほとんど何も変わっていないというのはすごい。




厚生省も密かにプッシュする代替治療

この新潟大学名誉教授の安保博士は、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

という記事に書きましたが、

発がんは不利な内部状態を克服する解糖系への適応応答である。

ということを述べています。

これが正しければ、風邪は「回復過程である」(野口晴哉さんとかナイチンゲールとかの言葉)と同じく、「ガンも回復過程である」ということも、また言えるのかもしれません。

紀元前5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスは、

「人間は自ら治す力をもっている。真の医療とは自然治癒力を発揮させることであり、医者はこの自然治癒力が十分発揮される条件を覚えるだけである」

と述べたとされていますが、さらに突きつめれば、これも何度か記していることかもしれないですが、

「人間の体は基本的に完全にできている」

ということを信ずれば、ガンへの対応もいろいろとあるように思います。

ちなみに、実は、厚生労働省自身が、「補完代替医療」に関しての 40ページ以上の内容を持つガイドブックを出していたりすることをご存じですか。

厚生労働省 がんの補完代替医療ガイドブック

gan-hoan.gif


補完代替医療というのは、西洋医学での放射線や抗がん剤治療といったもの以外のことです。

たとえば、健康食品(プロポリス、アガリクス、漢方など)をはじめとして、厚生労働省のガイドブックには、下の表のように、ハーブやプロバイオティクスから、瞑想、ヨガ、アーユルペーダ、レイキ、ホメオパシー、アロマセラピーなど多くの項目にわたって、比較的丁寧な説明がされています。

gan-cam.gif

少なくとも、「ガンに対しての、西洋医学以外の治療法にはどのようなものがあるのだろう」ということを知りたいのなら、これを読めば大丈夫だと思います。

そして、その後に、興味があるものを詳しく調べる、ということで大丈夫なほど、丁寧に詳しく解説してくれているガイドブックです。

まあ、一応はお役所のものですので、「代替治療単独ではいけません。手術、放射線、抗がん剤治療と併用しましょう」と書いてありますが、しかし、この執念じみたレポートからは何かを感じます。

国としても、あまりにも膨らむガンの医療費などを考えると、「できれば、代替治療に興味を持ってほしい」と思っているのかもしれません。

それにしても、ガンの代替療法として、瞑想とか呼吸訓練法とか、あるいは、運動、レイキ、ヒーリングタッチ(手かざし)などが、厚生労働省のガイドラインに掲載されているのは、やや驚きました。個人的には、これらは全部効果がありそうな気がします。

私も含めて、今の時代は、いつかはガンになる可能性が高いですからね。

そういう時代に、このガイドラインを見ていると、「ガンになったら、どれを選ぼうか」と、何だかワクワクするような期待感を感じます。できれば、このガイドラインに、音叉療法と、ツボとか爪もみなども入れてほしいです。

しかし、どんな治療法や代替医療にしても、大事なのは「本来の強い人間の免疫システムの力を上げてあげる」ということだと思われます。安保博士は、以下のように「人間の体はパーフェクト」だと述べています。


人の体って自然の産物だから、あまり人為的なことをするより、多少何かあっても、自然にまかせて放っておいたほうがいいんです。

「万物、みな我に備わる」って孟子が言いましたけど、私たちの体の本来、それ自体で完結したパーフェクトな存在です。

それがさまざまな環境の中で揺らいだり、バランスを回復させたりしながら生きている。倒れそうになった起きあがりこぼしが、元に戻るようなものです。

安保徹×石原結實 体を温め免疫力を高めれば、病気は治るより)



ちなみに、現在の「薬漬け」状態について、医療側を非難するのは簡単ですけれど、私は自分の経験でいえば、「薬を求めて病院に行っていた私のような患者側の責任」も大きいと思っています。

私は、乳幼児の頃の小児ぜんそくの発作を薬で抑えていたために、つまり、「薬で生きのびたことができた」という経験のために、長い間・・・それこそ、つい最近まで、「薬があればダイジョブ」という価値観で生きたきた人間でした。

…薬漬け幼児だった私がその後の十数年経験した「免疫回復戦争」の地獄体験記
 2015年04月21日

という記事で書きましたが、その後、十数年にも渡り、後遺症と思しき症状に悩まされた後、二十代からは、パニック障害に対してのベンゾジアゼピン系抗不安剤の薬の服用なども始まり(これがまた効いたから厄介で)、人生のかなりの部分を「薬漬け」で生きました。

それだけに、切実に「薬は毒」という言葉の意味が体感としてわかります。




地獄化する老後

何だか「老後」ということを書いていまして、確かに「老後」などという言葉は、どうにも憂鬱な響きかもしれないですが、先に書きましたように、日本は相当厳しい形の人口比や国家予算構造になっていることも事実で、「お金持ちなら大丈夫」というような過去には通じた図式さえ、近い将来においては通じるのかどうなのか

最近、新郷由起さんという方が書かれた『老人たちの裏社会』という本が、ベストセラーになっているらしいのですが、そのレビュー的な、

『老人たちの裏社会』生き地獄化する余生
 現代ビジネス 2015.05.06

に、いろいろと書かれておりまして、たとえば、 60代以上の老人の「暴行の検挙数」が、1994年と比べて、2013年には 45倍増加の 3048人となったというような、「荒れた高齢者」の現状が書かれているのだそうですが、この著作の最終章の章タイトルは、

生き地獄化する余生

となっています。

現時点で、このような「生き地獄化」という言葉が当てはめられるような老後が、どこにでも転がっているのが現実のようです。そして、先ほどまで書きましたけれど、今後はこれがさらに加速する可能性が高かったりするわけです。

何というかこう・・・ディストピア的な社会が、どんどんと近づいているのは、多分間違いないです。

そういう意味で、「異次元の声」が言うところの「老後を真剣に考えなさい」というのは、結局は、共同体やネットワークなども含めた「自立」ということのように思います。

社会への依存をなるべく減らした生き方。

これに関しては、1人でもできる方はたくさんいるでしょうけれど、私のように無力な人間は1人では難しそうです。

中高年の方々は、周囲や身近な方々とどのようにお互い手助けしながら生きられるのかということを考えることも悪くないことのように思います。

やはり、高齢化するほど、孤立化しやすいですからね。

あくまでも一般論ですけど、ビジネスでの知り合いは友だちにはなりにくいですし、でも、トシをとると、ビジネス以外の知り合いがあまりいないことに気づいたり。それに、そもそも、大人になると「友だち」という関係になりにくいです。

年をとった時に「周囲に誰もいないことに気づく」という状況には簡単に陥りやすい気もします。

私も最近になって、少し先の未来のことを考え始めたばかりです。

なお、そのようなこともありますし、近いうちに SNS か掲示板か迷っていますが、何かコミュニケーションツールを設置しようと考えています。 SNS は何だかややこしいので、昔ながらの掲示板になる気がします。

具体的にはともかく、噴火とか、あと大きな地震などのことも云々ですが、皆さん頑張りましょう。