2015年05月22日



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私たち人間は太古の昔から「数十億の守護細胞」にガンから守られている。そして、岩井寛さんの言葉による「魂の口述筆記」に治癒される日々



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Fight Cancer With Immunotherapy



魂の叫びで治癒が「開始」されたような

私は気質的に強迫観念的な部分が強く、これは簡単に書けば、「〇〇恐怖症」というものに陥りやすかったり、不安障害とか過剰なトラウマに「とらわれ」やすいタイプといっていいかもしれません。

人生の中で、調子の好不調の「波」のようなものはあるにしても、気質は一貫して変わらないものだと思っていましたが、最近、少し変化しつつある自分に気づいています。

キッカケはかなり明白で、半月くらい前でしたか、また本なんですが、医学博士の岩井寛さんという方が、今から 30年ほど前に書かれた『森田療法』という本をパラパラと読んだ頃から、急速に「変化の兆し」が現れています。

これは、先月の終わり頃に書きました、

「恐怖からの解放」についてのメモ
 2015年04月29日

などでも記しました、私が今の「世」の中でおこなわなければならないこととして、

「生まれた時から持つ根源的な恐怖と対峙して、これを消し去る」

ということに少し近づけるかもしれないということとも関係しています。

何十年もウダウダグダグダと停滞していたことに関して、まったくの急転直下の様相ではありますけれど、もちろん、「兆し」だけであって、まだまだではあるのですが。

この『森田療法』という本は、タイトル通り、神経症治療の森田療法に関しての本で、最初の方は理論的な記述が延々と続く、学術本にも近い新書なのですが、特徴としまして、言葉のひとつひとつが異常に胸の中に突き刺さってきます。

この著者の岩井寛さんという方は、この本を書き終えた翌月にガンで死去されるのですが、実は、書いている時に、すでに、目も見えず、耳も聞こえず、動くこともできない状態であり、すべては「口述筆記」で書かれたものでした。

このあたり、うまく書けないですので、Amazon の書評から載せさせていただきます。

私も大体において、同じような感想です。


魂の書

新書本にありがちな平板な概説書かと思い大して期待せずに読み始めたが、さにあらず、筆者の魂のこもった壮絶な書だった。

筆者は、末期癌の病床で視力をも含む体の機能の過半を失いながら、自己の生きる意味を追求するため、口述筆記によって本書を執筆した。

たとえ不安や恐怖に押しつぶされそうになっても、たとえ絶体絶命の状況に置かれても、それを「あるがまま」に受け入れ、自己実現のために一歩でも踏み出していく、そうした森田療法の精神を本書の執筆それ自体により筆者は具現化して見せたのである。

本書の中で紹介される幾多のエピソードは、筆者の人生の記録そのものである。数度の流産経験を経てやっと授かった我が子が、生後間もなくして死亡する。その際、悲しみに満ち溢れつつ、筆者は赤ん坊の死顔を夢中でスケッチブックに描きとめた。傍目には異常とも思えるこの筆者の行動もまた、筆者流に解釈した森田療法の実践であった。

これほど読み手の心を揺さぶる新書本を私は他に知らない。魂の書である。



この著者の最期がどのような状態だったかは、本書の「おわりに」の最後の部分を読むとわかります。


岩井寛『森田療法』おわりに − 生と死を見つめて

現在の筆者はといえば、昨年九月に手術をし、年が明けて二月に、二週間ばかり退院をしたのも束の間のこと、化学療法のために再び入院することになった。

そして、腫瘍が身体中に転移して神経を圧迫し、下半身がまったく動かない状態でいる。つまり、知覚の他に行動の自由さえもぎ取られてしまったといってもよい。

だが、筆者はこのような状態にあってもなお、口述筆記を行っている。

まだ筆者の人間としての知性は覚醒の状態にある。疼痛がいつ筆者の言葉を奪ってしまうか、癌細胞の転移がいつ筆者の脳細胞をめちゃくちゃに破壊してしまうか、それはわからない。

しかし筆者は、自分が可能な限り、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、身体が動かなくても、”人間としての自由”を守り通してゆきたいのである。(1986年4月)



この翌月、岩井さんは死去されます。

ちなみに、一応書いておきますが、死に際しても書き続けたからすごいのではなく、単純に「内容がすごくいい」のです。

しかし、この著作が、筆者の魂の書であることは事実であるとしても、「どうして、こんなに体の中にまで文字が沁みていくのだろう」と考えました。

死に際して書かれた本はこの世に数多くありますが、そのすべてが人に死ぬほどの感銘を与えるというわけではありません。ところが、この本からはストレートに神経症(質)の人たちの心の中に飛び込んでくるものが多々あるのです。

いろいろと考えてみたのですが、この本が、

口述筆記

だということは大きいのかなという気はしました。

普通、本というのものは、作者が「頭で考えたこと」を「文字として書き写す」という流れになると思います。途中に「言葉」は介入しないはずです。

要するに、書く内容について、「その文字を口にしながら」書くという人は普通はいないと思われます(まあ、いるかもしれませんが)。

ところが、この岩井さんは、すでに目は見えない、耳もほとんど聞こえない。

・音や視覚の感覚を受けることができない
・体が動かない


という絶望的な状況にいたわけですが、しかし、音も光も受けることはできなくとも、口は動く。

つまり、「ことば」は残っていたのです。

そして、自分の頭の中から、そのまま言葉として口から出たものが記録された。

この本は、「言葉の記録」であり、「コトダマの記録」といってもいいものなのかもしれません。

発売から 30年近くを経て、今でも Amazon の「ストレス・心の病気」カテゴリで、ときに1位であり続けていることも、そのせいなのかなと思います。

というか、長く神経症をやっていたのに、29年間もこの本のことを知らなかった私がひどい。まあ、ギリギリで知ることができてよかったです。

神経症、特に「〇〇恐怖症」的な傾向に陥りやすい方には、「聖書」だと思いますが、そういう気質のない方には、何だかわからない本かもしれません。

なお、最初のほうは難しい理論が続きますので、後半の「神経症の治し方」など、興味のありそうなところから読むほうがいいかもしれません。そのほうが引き込まれる部分があるように思います。

さて、この本の内容のことで長くなりましたが、この岩井寛さんの『森田療法』をご紹介しようと思ったのは、この中に、最近話題としています「肯定的態度」と結びつく場所が各所に出て来るのです。

そして、

「肯定的態度に向かうための現実的な方法」

が書かれていることがあります。

もちろん、岩井さんがそのような「肯定的」というようなことを意識して書いた(述べた)ものではなく、自然とその方向に向かっていたということになります。

フランス映画『美しき緑の星』の中などでも随所で示される「肯定的態度」の基本は、私は「他者に対しての寛容性」だと思っていますが、そこに近いことが、岩井さんの著書に様々に書かれています。

その中のひとつをご紹介します。

この部分も、岩井さんの「口から出た言葉」の記録です。


岩井寛『森田療法』「ゆるし」から「あるがまま」に より

「ゆるし」は、自分自身に向けられると同時に、他者にも向けられる。”人間はこうでなくてはいけない”というような”自己規制”にがんじがらめにされている人が多いが、もっとおおらかに、自由に行動することが許されているはずである。

人生はたかだか七十年か八十年であり、そのなかで窒息するような生き方をするよりも、自由に空気を吸うことが許され、自由に行動することが許されると考えたほうが、人間の本質にそっているはずである。

わずか数千年の歴史の間に、人間は自分たちを縛る法律や規則にがんじがらめにされ、さらに、現代では新しいテクノロジーに束縛され、大きく自由を失いつつある。

それぞれの人間が互いに支障なく生きるために、さまざまな制約が必要になるとしても、心の自由はもっと豊かに広げてよいはずである。

そのためには自分に対する「ゆるし」が必要であって、さまざまな物事に行動を通して賭けてみたり、いろいろなアバンチュールに身を挺してみたらよい。

また、自分に対する「ゆるし」が拡大されればされるほど、他者に対する「ゆるし」も拡大されるのであり、つまらないことにいちいちめくじらを立てたり、やたらに人の行動に気をつかったりすることなく、おおらかな目で人を見やり、人の行動をより豊かに許したらよい。

このような「ゆるし」の人間関係においては、両者の思考範囲や活動範囲は、より豊かに拡がるのであって、そこに暖かい人間としての連帯関係が生まれてくる。



これは、今から 30年くらい前に書かれたものですが、私個人が思い返す部分では、その時代のほうが、少なくとも今よりはずっと自由だったと思います。

それでも、岩井さんの感じ方では、その 30年ほど前の時代は、

> 人間は、大きく自由を失いつつある

ということだったようで、岩井さんが 30年後の今の日本を見たら、さらに驚くのではないのでしょうかね。

確かに、30年前より街もきれいになりましたし、あるいは 30年前より殺人事件等も大幅に減っていて、数字だけ見れば「どんどん平和になっている」といえなくもないです。

1947年から2010年までの殺人事件の数の推移
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年次統計


しかし、殺人は減っていても、人々の心の中は・・・。

配偶者からの暴力に関する相談件数の推移
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内閣府男女共同参画局


児童虐待相談対応件数の推移
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児童虐待相談対応件数


データの数字だけ見てどうこう言えるものではないかもしれないですが、それでもあまり健全な状態とはいえないかもしれない現状もあるのかもしれません。

こういう「配偶者間の暴力」にしてもそうですが、

他者に対する「ゆるし」

あるいは、

他者に対しての寛容性

ということと直接関係していることのようにも思えます。

あるいは、上のグラフのような状態の関係の中では難しいことかもしれないですが、

相手の良いところを努力して見つける

ということとか。

いや、確かに、人間関係がこじれた相手に「良いところを見つける」のは難しいかもしれませんが、「相手をゆるす」ということだけで、かなり違うとは思うのですが。

結局、自由でない社会は、寛容性のとぼしい、ゆるしのとぼしい社会になりやすい、ということはいえるのかもしれません。あるいは、その逆で、寛容性のとぼしい社会では、人々は自由になりにくい。

まあ、難しいことをどうのこうのと言うつもりはないですが、30年くらい前と比べましても、「ますます世の中が窮屈な感じになっている」ような気はしています。

ところで、この『森田療法』の岩井寛さんも、ガンで亡くなったわけですが、やはりお医者様でした。「おわりに」にある記述、

昨年九月に手術をし、年が明けて二月に、二週間ばかり退院をしたのも束の間のこと、化学療法のために再び入院することになった。

というのを見ましても、30年前のこととはいえ、医師でもこの「化学療法の呪縛」から逃れられないことに対しての「切なさ」ということについては、少し前に書きました、

「老いることには意味がある」ことを考えつつも…
 2015年05月13日

で、91歳で血液がんとなった元医師の話などがありますが、多くの立派な医者の方々も「3大療法」や「化学療法」を選択し、自らの体にある「ガンと戦う力」に目を向けない傾向にあるように思います。

まずは、お医者さんたち自らが「自分の体を信じる」という方向に進めば、現代医学の根本的な観念の変化にもつながる可能性はあると思うのですが・・・。

私は、このような「おびただしいガンの時代」であるからこそ、「人間が持つガンへの攻撃力」を信じる時代だと考えるようになりました。




ガンなどない時代から私たちはガンと戦える体を持っていた

最近・・・それも 5月19日のことですから、本当にごく最近、YouTune にアップされ、大きな反響を得ている動画があります。

アップしたのは、英国ケンブリッジ大学で、そのタイトルは、

キラーT細胞(細胞傷害性T細胞):ガンの刺客(Killer T Cell: The Cancer Assassin

というもので、白血球のリンパ球の中にある「キラーT細胞」といわれる、ガン細胞を攻撃してくれる細胞の動きが、特殊な撮影方法によって明らかになったものです。

キラーT細胞の役割は、簡単にいえば、

ウイルスに感染した細胞やガン細胞を認識し、その細胞を殺す

ことにあります。

人間の免疫システムの多くは、血液中の白血球にありますが、その中の「リンパ球」と呼ばれるものの一部に、このキラーT細胞があります。

人間の体の中では、毎日、ガン細胞が生まれていますが、同時に、これらキラーT細胞や、ナチュラルキラー細胞と呼ばれる細胞の働きによって、「そのガン細胞たちは毎日毎日殺されている」のです。

たとえば、キラーT細胞は、私たちの体内に数十億という単位で存在していて、全身のいたる場所で「守護」として働いています。

下の動画は、ケンブリッジ大学の動画の一部です。



私たちの体内では、自分で意識せずとも、このように、毎日、「細胞が、体の中でガン細胞と戦っている」のでした。

なので、体の免疫や体温(高いほどいいです)が正常であるならば、ガンは、細胞以上の組織になることはできないというのが人間の体の基本的なメカニズムのようです。

おもしろいと思うのは、大昔の、たとえば縄文時代や弥生時代とか、それ以前の人間にはあまりガンがなかったと思われるのですが、そんな時代の人間でも、白血球の組成は同じだったはずです。

つまり、大昔から、人間は、その後の時代の「過剰にガンが多い時代に対抗する体内のシステム」を持っていたということになりそうです。

おそらくは、化学物質も発ガン物質もほとんどなく、また、ガンという病気そのものもあまりなかったのではないのかと思われる縄文時代とか弥生時代の人間の体内にも、「ガンと戦うキラーT細胞」はあったはずで、ここから考えますと、

「人間はこの地球に登場して以来、その体はガンの時代を生き抜けるように設計されていた」

という驚異に気づきます。

今のような、過剰なストレス、過剰な化学物質の時代の中でもサバイバルすることのできるためのシステムを、自然ばかりの中で生きていた人間も、すでに体に備えていたわけです。

なので、よほどの環境の激変でなければ、自然に従って生きている限り、人間はそうそう滅びるものではないものなのだと思います。

ただし、

> 自然に従って生きている限り

ということが、現代社会では難しいこともまた事実なのかもしれません。

ストレス、生活時間のサイクルの問題、様々な物質、食べ物の問題、そして、薬。

ガンが劇的に増えている原因は、これらのすべてが作用し合っているのかもしれません。そして、ガンになってしまった場合は、本人の希望次第でしょうが、「抗ガン剤治療」なども始まり、「人間の体の自然」はさらに乱されると理解してもいいのかと思われます。




人間の持つ免疫を思うと、うかつに薬には手が出ないかも

キラーT細胞だけではないですが、免疫として働いてくれている細胞も、やはり「細胞」ですので、人間の細胞の働きを弱くするものを体に入れると、免疫細胞も弱くなり、ガンへの抵抗力も弱くなると考えても構わないようにも思います。

西洋薬に関していえば、わりとどんな薬に関しても、細胞の働きを弱めてしまう作用はあるようにも思いますが、たとえば降圧剤に関しては、松本光正医師の『高血圧はほっとくのが一番』に以下のようにあります。


松本光正『高血圧はほっとくのが一番』より

免疫細胞は、体に入ってきたウイルスなどをやっつけてくれる。それだけでなく、体内に出現したガンや、ガンに発展しそうな異常細胞を見つけて、それを消し去ってくれる。

カルシウム拮抗剤は免疫を弱めてしまう。そのため、普通なら摘み取っていたガンの芽を放置してしまうのだ。

1993年の茨城県の調査によると、降圧剤を飲んでいる人は、飲んでいないに比べて、ガンによる死亡危険度が 1.14倍、しかも、男性に限ると 1.3倍大きいという結果が出ている。



また、「薬を使わない神経科医」として知られる心神診療室院長の高木智司医師は、健康冊子の中で、抗アセチルコリン剤(かぜ薬をはじめとして大部分の薬)が、体に良くない理由として、以下のように記しています。


西洋薬の大部分が、神経伝達によって最終的にアセチルコリンの作用を阻害するから、病気が治らないのです。

しかも、アセチルコリンの働きは実に多様です。細胞膜の重要な成分として膜の機能を調整しているし、脳では体の日内リズムの形成や記憶、感情などを司る働きもしています。

アメリカには、「抗アセチルコリン剤を継続的に服用している高齢者の8割に、軽度の認知障害が認められる」との報告があります。これは、弊害のひとつに過ぎません。抗アセチルコリン剤の常用は老化を促進し、脂肪肝、腎臓の壊死、動脈硬化、脳出血、うつ病、統合失調症、発達障害などの発症リスクを高める事実を知るべきでしょう。



ここに、

> (アセチルコリンは)細胞膜の重要な成分として膜の機能を調整している

という記述があります。

西洋薬(抗コリン剤)のほとんどは、このアセチルコリンの作用を阻害するので、「たくさん飲めば飲むほど、飲む期間が長期に渡れば渡るほど」、体はガンへの抵抗力を弱くする可能性があるのだと思われます。

ちなみに、今年1月には、

抗コリン薬3年超服用で認知症1.5倍
 m3 2015.01.30

という医学ニュースもありました。

記事の中に、

> この抗コリン作用は基本的に末梢神経のものですが、脳への作用も皆無ではありません。

とあり、つまり、抗コリン剤は、脳細胞へのダメージも含め、さまざまな細胞に影響を与えることがわかります。抗コリン剤とは特別な薬ではなく、かぜ薬とか鼻炎薬、花粉症の薬から、めまいの薬、抗不安剤、抗うつ剤など、日常的な薬です。

ものすごく簡単に書けば、

・かぜ薬を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・鼻炎の薬を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・抗不安剤を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・抗うつ剤を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・睡眠薬を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく


etc… etc…

zzz… zzz… (眠ってどうする)


あ、いや、とにかく、薬があまり良くない理由のひとつとして、上のようなことが言えると思えてきています。

いずれにしても、ケンブリッジ大学の動画にあるように、私たちの多くの細胞が、基本的に、私たちを守るように働いています。

その守護者の大きさは下のようなものです。

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Cambridge University

ガンを攻撃する細胞は、こんな小さなものですが、これが昼夜、自分たちを守ってくれている。

そして、キラーT細胞たちが守り切れないほど体のバランスが崩れた時に、人はガンになりますが、それでも、その「ガン組織化する」という発症過程さえも、過去記事の、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

にありますように、「発がんは不利な内部状態を克服するための適応応答」だという安保徹博士の意見を知ったりし、ガンもまた「回復過程としての体の反応」だということを知るにいたります。

もちろん、何をどうしても、人間はいつかは死んでしまいます。

それは仕方ないことですが、やはり、どうも私などもそうですが、「人間」という存在の実相をあまりにも軽視して生きていたようで、その真実はすさまじく強いものであることがわかります。

守護者たちのために私たち本体の方ができることは、適切に食べて、適切に運動をして、適切に楽んでストレスを過度にためない(これは大変に重要だと思います)ことだけのような気もします。

そして、自分の体を信じてみることこそが健康を保つための最大のポイントではないのだろうかと最近やっと気づきました。