周波数と形の相似
・The Miracle of 528 Hz Solfeggio & Fibonacci Numbers
今朝、うちの子どもを起こすために何度か声をかけた後に、子どもが、何だか釈然としない、という様相で起きてきて、怪訝な顔をして周囲を見回しています。
子ども 「あ、そうか。今起きたのか」
わたし 「どしたの?」
子ども 「いや、さっき一度起きたのに、なんで起きているのに、起こされてるのかなと思ったら、そこで目がさめて、本当に起きたのは今だったって気づいた」
わたし 「ああ、夢の中で起きちゃったのね。大人になるとよくあるよ」
子ども 「おとうさんもある?」
わたし 「おとーさんはそんなもんじゃないよ。起きたと思ったら、それが夢の中だったことに気づいて、その後、道を歩いていて、『不思議な夢だったなあ』と考えていたら、そこでまた目がさめたこともある」
子ども 「2回とも夢の中だったの?」
わたし 「・・・と思ったら、また目覚めたりする」
子ども 「なんだかよくわからない」
わたし 「・・・と思ったら、それも夢だったりする・・・ことが大人になると、よくあるよ」
子ども 「ふーん」
この「夢の中で何度目覚めても、現実の目覚めに辿り着かない」というのは、最近は非常に減りましたけれど、以前はよくあることでした。
特に、金縛りというのとは違うと思いますが、「目覚めているのに体が動かない」時などに、つまり、「まぶたを開けることができない」と思ってジタバタしても、まったく体が動かず、しかし、そのうち、フッと体が動いて、目を開けることができるのですが、
「それもまだ夢」
という、この繰り返しが延々と続くことはよくありました。
疲れた時に多かった気がしますので、疲労とか睡眠の質とかが関係しているのだと思います。
ところで、先日の記事、
・「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
2015年05月25日
では、「他の星の人」の主張としての、この地球の支配構造について、少し書いたのですけれど、実は、その本でやや驚いたのは、そのことではなかったのでした。
「みずがめ座の時代」の概念を知ってから6年経ち
この「他の星の人」というのは、いわゆるプレアデスという星の人なんですが、私は、これまで、プレアデスだとかシリウスだとかの語感はどうにもスビリチュアル過ぎるイメージがあって、何となく近づかなかったですし、興味も湧いたことはあまりありませんでした。
何となく胡散臭い響きのほうが強い。
「大体、そんな遠いところから物理的に地球に来られないし」
とも思っていたのですが(プレアデス星団やその近辺の惑星は、地球から、光の速さで 400年以上かかる距離です)、これに関しては、最近考え方が変わりまして、例えば、過去記事の、
・多くの人類の松果体が破壊されようとしている現在に考える「多次元宇宙空間を理解する将来のために松果体を守るべき」時代
2015年02月22日
などでも書きましたが、
「この宇宙が、多次元宇宙やパラレル・ユニヴァース(平行宇宙)であるとした場合」
は、移動の問題はあまり重要ではなくなることに気づきました。
そして、宇宙が多次元であることや、あるいは無数の平行宇宙が存在していることについては、今では科学的な側面からも、ほとんど否定できなくなっている部分もあるわけで、今後、「宇宙人」とか野口晴哉さんといった概念を考える場合は(野口晴哉さんは関係ないだろ)、何よりも最初に、
「多次元宇宙」
ということを念頭に置いて、初めて遠い宇宙の存在との接触ということを考えることが可能になるのだと思われます。
それはともかくとして、昨日の記事で抜粋した本は、バーバラ・マーシニアックという人による『プレアデス+かく語りき―地球30万年の夜明け』という本でした。
英語の原題は「 BRINGERS OF THE DAWN 」(夜明けを運ぶ者たち)ですので、語感としてはかなり違う感じもあります。
それで、ザーッと読んでいたのですが、このような本の内容の真偽ということはともかくとして、
「ああ、この本を知るのはタイミング的には今でよかったんだなあ」
と思いました。
なぜかといいますと、この本の中には、
「音」(周波数)は世界のすべてを根本から変えられる
ことや、あるいは、以前たまにテーマにしていました、
男性性社会と女性性社会
についてもかなり長く書かれているのでした。
現在の男性主導型の地球が、今後どのようになっていくかを語っているのです。
このことは、以前の私はずいぶんとよく考えていたものでした。
私がこの「男性性社会と女性性社会」ということを唐突に考えるようになったのは、2011年3月11日の震災の直後でした。
最初に記事にしたのは、震災1週間後の、
・人類の大きな希望 : 女性「性」の文明
2011年03月19日
というものだったと記憶しています。
震災の被災者の方々の姿を拝見しているうちに、
「人間は宇宙の記憶から独立した優れた生き物だ」
ということに気づき、「人類は最強生命」論に突然傾きました。
結局、最近書いているような、野口晴哉さんとか、ヒポクラテスとか、ナイチンゲールや安保徹さんの言うような、「人間は完全な免疫能力を持っている」というようなことも、その「人間が最強である」部分であるわけで、4年前に書いていたことと、それらが結びついていることだとは今まで気づいていませんでした。
「そんなことに気づかないようでは少し困りますね」と野口晴哉さんに言われるかもしれないですが、人間最強生命論はともかく、「女性性の社会」というのは、たとえば、みずがめ座の時代という概念とも多少関係します。
この「みずがめ座の時代」というのは、いわゆる「ニューエイジ」という言葉と繋がっているそうなんですが、私は 2009年頃まで、どちらも聞いたことさえなかったのです。
2009年に、ウェブボットのクリフ・ハイのエッセイで初めて知りました。
・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(2):平衡を失ったこの魚座の世界のどこかにあるはずの「みずがめ座への意識」
2013年04月05日
という記事に抜粋したことがあります。
ALTA レポート 1109 パート1 巻末エッセイ
ウェブボット 2009年1月31日
さまざまな人類が住む宇宙はエネルギーの渦が幾重にも重なる円環として見える。当然、われわれの地球もこうした渦を巻くエネルギー場の一つだ。そのエネルギー場は、生命のあるもの、 また、生命のないものそれぞれの小さなエネルギーの渦が織りなす複雑な構造をなしている。
変容はこうした構造で起こる。
変容は人類が生存している宇宙全体で起こっていることだ。その視点からみると一つ一つの惑星は渦を巻くエネルギーの場であり、そこで変容が起こることは花弁が一つずつ分かれて分離するようなイメージでとらえることができる。
実際の変容の過程は、民衆がこれまでの社会の組織や権力に離反し反逆するという形で現われる。変容に抵抗する人々は多く存在する。
次の時代はみずがめ座の時代である。
この星座は水の星座である。したがって、どんなに抵抗する力が強くても、うお座の父権的な組織の崩壊は水と女性的なエネルギーを通して行われるはずだ。
ここには、
・現在の「父権的」な世の中のシステムは崩壊する
・そしてその崩壊は、「女性的なエネルギー」を通して行われる
というようなことが書かれてあります。
そして、私も、その頃から、そうなる時期はわからないながらも、おそらくは、地球は段階的に、女性「性」的なエネルギーが中心の社会となっていくのだろう、と考えていました。
ちなみに、ここでいう「女性性的なエネルギーが中心」というのは、間違っても、今の世の中でいう「女性がたくさん政治家になったり、会社の女性社長や女性役員が増えたり」といったことではなく、そういうこととは、まったく何の関係もないことで、むしろ全然真逆の話です。
「女性政治家や女性首相が増えたり、会社の女性社長や女性役員が増えたり」というのは、典型的な男性型エネルギーの社会の光景です。
「女性性的なエネルギー」というのは、そういう政治だとか企業だとかの概念自体を考えることのない新しい社会へのエネルギーの方向の話です。
でまあ、そのことについても、先ほどの『プレアデス 語りき』には、かなりのスペースを割いて書かれてあったのですね。
プレアデスの人の言うには、女性エネルギー(周波数)が中心の社会ということよりも、
「 5000年前に分裂させられてしまった男性と女性がふたたび統一される」
というような表現をしていました。
男性も女性も、その本来のお互いの意味を取り違えて(そう考えさせるように仕向けられてきた)、この数千年を生きてきていたようなんですね。
いずれにしても、男性「性」と女性「性」が理想的な統一を遂げるというような意味のことを言っていたのだと思います。
また、プレアデスの人は「性意識」、平たくいえば、セックスについても長く持論を述べています。
このプレアデスの人の言う「未来の男性と女性の姿」は大変に面白いものですので、もう少しいろいろと調べてから、記事にしたいと思っています。
さて、さきほど、
「ああ、この本を知るのはタイミング的には今でよかったんだなあ」
と書きましたが、何がいいタイミングだったかというと、「音(周波数)と世界」の関係について、長く語られているのです。私が「音と世界の関係」を知ったのは、つい最近のことです。
「世界は音で作られているのかもしれない」
と初めて思った、あるいは気づいたのは、『ウォーター・サウンド・イメージ』という本を読んだことによるものなのですが、それと同時に 432Hz 調律のことなど知ったりした頃に書きました、
・この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな春の夜
2015年03月22日
という記事の頃でした。
432Hz と 440Hz の音で水に出現する紋様
・Collective Evolution
この「音が世界を作る」ことが、『プレアデス かく語りき』には、明確に、それもかなりのスペースを割いて書かれてあるのでした。
これは、私が、音(周波数)が世界を作っているかもしれない、ということを知らなければ、話がまったくわからなかったはずですが、「音と世界の関係」が、今まで思っていたものとは違ったことが理解され始めた時だっただけに、このプレアデスの人の言葉はそれなりに納得できるものでした。
たとえば、その「今まで思っていたものとは違った」のは、
・世界ができて音(周波数)が生まれた
のではなく、
・音(周波数)があって世界が生まれた(かもしれない)
ということなどです。
「音」は世界も人間もすべてを変えられる
音に関しての記述は長いですが、下の引用だけでも、多少は、書かれてあることがわかるかと思います。ここには音が世界を形作ることだけではなく、周波数が、身体に影響を与えることも書かれてあります。
たとえば 432Hz の調律などを思い出すと、周波数と人間の身体の関係が非常に密接であることなども思い出せるかと思います。
『プレアデス かく語りき』 第18章 意識の交響曲 より
音が自らを絵に描くという表現も存在します。あなた方も手や身体を動かすとき、音の動きと音の言語を感じます。
音が自らを表現するのを感じることによって、音によるコミュニケーションの豊かさを感じ、すべてのものが、いかに多次元的であるかを感じるのです。音には独自の言語があり、独自のかたちがあります。
音は一定の周波数をもっていて、身体はそれを感じとります。身体は周波数の受容性に反応するように仕かけられています。ベートーベンやモーツァルトのような偉大な音楽家は、安定した性質の情報をもたらすようにコードされていました。
というのは、彼らは地球全体が大きな闇に覆われていたときに音のハーモニックスを受けとったからです。人類の心にある種の記憶を保っておくために、音の低い周波数がこれらの音楽家たちの心で翻訳されたのです。
音は進化するでしょう。
いま、人間はある波長に合わせて声を出すことによって音楽を出す楽器になることができます。人間は、フルート、ピアノ、ハープ、オーボエ、チューバになります。
人間はエネルギーが身体を使って、さまざまな音を出すことを許し、その音を自分でコントロールしたり、音域のコントロールをすることもありません。神が演奏し、人間は皆で一緒に演奏する交響曲を聞いている人々を観察すればよいのです。それはきわめて深遠な経験です。
これらのハーモニックスは、信じられないようなかたちで活用することが可能です。というのは、ハーモニックスは、数多くのことを進化させることができるからです。
とあり、それは人間をどの程度変化させるかというと、
あなたが音によって何を達成しようと意図するかが、もっとも大切なことになるでしょう。もしも、あなたが自分の意図に関して明確でないと、音は自らを包み込んで、本来の能力を超えて成長するという可能性があります。
音は、それ自体がもっている力によって、自分自身を倍にし、さらに四倍にもすることが可能です。音によって何を達成しようと意図するかがきわめて重要です。
のように、
> 自分自身を倍にし、さらに四倍にもする
というようなことが書かれてあったりしますが、何が4倍になるんでしょうか。
体重でしょうか(怖いわ)。
さらに、たとえば「訓練された音」で何ができるかというと、「何でもできる」ということも述べています。
例として、下のようなことを言っています。
原住民の踊り、ラトリング(早口で声を出すこと)、身を震わせたり、サークルを描いて移動する行為は、この波のエネルギーを作り出します。輪になって一緒に音を出したり、光の柱のまわりで音を出すと、あなた方は創造もできないようなことが可能なエネルギーの柱を作ることができます。
それは爆発を引き起こすこともでき、多くの現実を破壊したり、創造することができます。
このプレアデスの人の言葉を野口晴哉さんが聞いたら、「そんなに簡単に爆発を起こされては少し困りますね」と言う気もしました。
最近は、道を歩いていて、「振り返ると、そこに野口晴哉さんが立っていたらどうしよう」という強迫観念が消えません(形而上的な強迫観念かよ)。
野口晴哉さん(1911-1976年)
・野口晴哉公式サイト
ロシア宇宙主義の理想ととプレアデスの理想
それにしても、さらに思うのは、さきほどリンクしました過去記事「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(2)」の中に、アレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)などの、20世紀初頭のロシアの科学者たちが展開した哲学と自然科学を融合させたロシア宇宙主義について書いたことがあります。
そのロシア宇宙主義の概念の「地球の人間が目指す理想」が、プレアデスの人が言うところの「地球の人間の理想」と、よく似ていることに気づきます。
このロシア宇宙主義の科学者たちが到達を目指していた最終目標の中には、以下のようなものがありました。
・宇宙の現象と人類の感情の関係を物理的に把握すること
・精神的社会の意識での新しいタイプの社会組織を作ること
・生きている人間も死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっていることを把握すること
これを平易にあらわしますと、
・人間と宇宙がつながっていることを科学的に把握する
・新しい意識での人間社会を作る
・輪廻転生を科学的に把握する
ということになると思うのですが、これはプレアデスの人が言っている理想の地球の未来の光景とさほど変わらないような感じもしたのでした。
話が逸れてしまったかもしれないですが、プレアデスの人が、その真偽ともかくとして、「音の重要性」を熱く語っていたことがとても印象的でした。
ただ、あれなんですよ。
プレアデスの人は地球の人ではないですので、具体的な方法論への言及には乏しい面があります。
つまり、どうすれば具体的な音をそのように活用できるのか、ということです。
たとえば、音の調律を 440Hz ベースではなく、 432Hz ベースにする、とかそういう具体性、あるいは、どのような音色、音階、訓練、が必要かというような具体性については、あまり記されていない気もします。
この点において、宇宙人ではなく地球人であるシュタイナーは、もう少し具体的に「音の訓練」についてふれています。
ただ、シュタイナーの言うことは、宇宙人の言うことよりも難解ですが。
実は難解な音の意味
シュタイナーの本で、音楽と音楽教育について書かれた『音楽の本質と人間の音体験』という著作があります。
これはですね、少なくとも私が持っているシュタイナーの本の中で、最も難解で、もうまったくわからないものの筆頭となっています。
たとえば、ちょっと適当に書き出します。
シュタイナー『音楽の本質と人間の音体験』 音楽教育の基礎 より
事物をありのままに受け入れると、「精神生活に関する古い伝統を受け入れると、いたるところで、人間の七重の本性について語られているのが見出される」と、いうことができます。
身体と心魂と精神のそれぞれが、さらに三つの部分に細分され、その九分節から七分節が導き出されました。
一、 物質体
二、 生命体
三、 感受体 四、 感受魂
五、 悟性魂
七、 霊我 六、 意識魂
八、 生命霊
九、 霊人
六(意識魂)と七(霊我)は重なっており、三(感受体)と四(感受魂)は重なっています。こうして神智学では人間の七重の本性について語られているのです。
この本は、五度の時代にはけっして書かれなかったでしょう。五度の時代には、七つの音節のなかに惑星の数があり、十二の五度のなかに黄道十二宮の数があることによって、あらゆる霊的体験が与えられたからです。
人類進化は、ほかのなによりも音楽の生成のなかに明瞭に表現されています。ただ、概念を形成することは断念しなければなりません。既にいいましたように、概念によってはうまくいかないのです。
私には、この部分の、
> 人類進化は、ほかのなによりも音楽の生成のなかに明瞭に表現されています。
以外は、どこをどう読んでも、意味もわかりません。
つい、
「シュタイナー君、音楽の話をしたまえ、音楽の話を」
と言いたくなりますが、これが音楽の話なんですよ。
ただ、このシュタイナーの著作には、音階や年齢ごとの音楽教育について、細かく記されていて、人によっては役に立つものなのでしょう。
この優れた音楽教育の著述に、唯一の難点があるとすれば、「その内容がまるで理解できない」ということくらいでしょうか。
自力で辿り着くしかないという
まあしかし、結局、プレアデスの人の意見の示唆にしても、シュタイナーの難解な理論展開にしても「手助け」的なものではあっても、最終的には、自力で何とかしていかなければならないはずです。
その「強力な音のハーモニクス」を自分で生成するための手段も、あるいは、周波数を獲得する方法にしても、最後は自力で得なければならないのだと思います。
参考になるところでは、映画『美しき緑の星』の中で、唯一、「自力で覚醒」した人がいまして、その人などの変転は心の支えになりそうです。
その唯一の人は、「冷めた心」だった産婦人科医の奥さんです。
最初は、夫婦生活の心の営みが破綻した状態で登場し、産婦人科医の男性と、
医者 「どうして、僕と結婚したんだい?」
奥さん「お金のためだったわ」
というような絶望的な会話を交わしたりしていたような冷え切った人間関係と心の中で生きていた女性が、しだいに、自然の世界と、この地球の営みに「美しいもの」だけが見えてくる。
基本的には誰の援助もなく、「1人で」ランチの野菜の美しさに感動し、授乳している母ネコと子ネコたちの姿に感動し、どんどん彼女は変化していきます。場面はどれも大変に短いのでわかりにくいかもしれません。
そして、ついには冷えていた心が解け、旦那さんの産婦人科医を含めて、すべてを美しいものとして受け入れて、人生の再出発が始まるのです。
これを自力で達成した人は、映画では、彼女だけだと思います。
ラスト近く、捨て子の赤ちゃんを嬉しそうに抱きしめる彼女の姿が現れた時点で、この映画は完結したと思いました。
・美しき緑の星
そして、多分、この奥さんは、宇宙人などと出会わなくても、自力で覚醒する道の上にいたのだということを描きたかったようにも思います。そういう意味で、この奥さんのエピソードは、自力で覚醒した地球人という意味で、『美しき緑の星』の裏のメインストーリーです。
私たちが参考にできることとしては、この奥さんが最初に「目覚めた」、ランチの時を真似して、キャベツを眺めてみるとか・・・。
しかし、居酒屋で千切りのキャベツを眺めていると、店主に「食べもせずに、キャベツを眺められていては少し困りますね」と言われて、まさか背後に野口さんが! と思わず振り返ると・・・。
何だかよくわからない締めとなってしまいましたが、とにかく今回は「音」について再認識したことについて書かせていだきました。