2015年06月06日



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《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認



宇宙は、自身の存在を認識してくれる「人間の登場」を待ち続ける

Reality-Doesnt-Exist23.gif
NDTV






 

この世は人間が認識するまでは存在しない

今回ご紹介するニュースは最近の中でも、個人的に非常に大きなものです。

とても簡単に書けば、

1970年代に量子物理学者によって予測されていた説が、実験で証明された

というもので、その予測されていた説とは、

この世は、人間に観測(認識)されるまで存在しない

というものです。

つまり、「そのあたりにあるすべても宇宙も何もかもが、人間が認識してはじめて存在する」ということが証明された実験ということになります。

(何も存在しないという書き方は正しくなく、「原子はある」のですが、いわゆる私たちの生活での、一般的な認識での「存在」という意味にとらえていただくと幸いです)

この実験結果の論文が掲載されたのは、科学誌ネイチャーのオンライン版です。

Wheelers-delayed-choice-gedanken-experiment.gif
・nature Wheeler's delayed-choice gedanken experiment with a single atom


ただ、上のネイチャーの論文タイトルの「単一原子とホイーラーの遅延選択思考実験(ゲダンケン・エクスペリメント)」というのを見ただけでもおわかりのように、今回は内容は本当に難しくて、これを紹介していた報道記事をご紹介しようと思うのですが、何度読んでも意味があまりわかりません。

本当は昨日、今回の記事をアップするつもりでしたが、翻訳が全然できなくて今にいたります。

まあ、一応翻訳したという程度で、内容はおそらくは、物理学的にはまったく間違っていると思いますが、その内容を理解するために、いくつか読みましたサイトをまずご紹介したいと思います。

まず、今回の実験の名称は、すでに 1978年に理論付けされていまして、

「ホイーラーの遅延選択実験」

という、ジョン・ホイーラーという物理学者が提唱したものです。

このジョン・ホイーラーという人は、


ジョン・ホイーラー - Wikipedia

アルベルト・アインシュタインの共同研究者として、統一場理論の構築に取り組んだ。そして、一般相対性理論、量子重力理論の理論研究で多くの足跡を残した。

1960年代には、中性子星と重力崩壊の理論的分析を行ない、相対論的天体物理学の先駆者となった。

宇宙の波動関数を記述するホイーラー・ドウィット方程式は、量子重力研究の先駆的成果の一つである。また、ワームホール(1957年)や、ブラックホール(1967年)の命名者でもある。




と、いろいろとしていた方のようですが、この経歴を見る限り、量子学の足がかりを作った一人であるようです。

ジョン・ホイーラー( 1911年 - 2008年)
John-Wheeler.jpg
John Wheeler's Interview


そして、この物理学者が 1978年に「この実験で、あることが証明されるはずだ」と予測した実験が「ホイーラーの遅延選択実験」というもので、この実験で証明されることは、

「この世は人間に記録(観測)されるまでは存在しない」

ということだというのです。

これに関しては、ホィーラーの遅延選択実験というページに、理論物理学者で、早稲田大学名誉教授の並木美喜さんという方が記した『量子力学入門<』という書籍の内容が記されています。

実験の内容そのものに関しては、その説明にあります以下の記述のようなもので、とにかく、さっぱりわかりません。


da-db.gif

実験(a)では、M1によって二つに分けられた光パルスが通路AとBを通って別々に検出器DAとDBに導かれる。平均光子数一個(以下)のパルスごとの実験だから、DAが光子を検出すれば、DBが光子を捕捉することはない。

という例を見ましてもわかるように、私たちにはまったくわからないといっていいものです。

ですので、実験の内容については省略しまして、その実験の結果として、その後、どんなことが導かれたかということを、並木美喜さんの記述から抜粋させていただきます。


並木美喜著『量子力学入門』(1992年)より

実験の方は1986年頃アメリカとドイツで実行され、ホィーラーの予想通りの結果が出た。

そこで彼は強調する。「”記録”されるまでは”現象”はない」と。

”現象”を「粒子」と「波動」に局限するかぎり、おそらくは彼は正しいだろう。だが、「現象」という言葉を最大限に拡張解釈し、何段階か飛躍してこの言明を言い換えればどうなるか?

あるいは「宇宙は人間の登場と人間による認知を待っていた」という断言すら生まれるかも知れない。

なぜならば、宇宙という「現象」は人間が観測して≪記録≫するまでは存在しないのだから!

この断言を許すと、人間は森羅万象を決定する最高位の存在になってしまう。

話としては大層面白い。決定論的な古典的自然観とはあまりにも違う。

宇宙は人間に合わせて、または人間のためにできているという考えを「人間原理」ということにすれば、これは「人間原理」の極端な姿だ。

読者の皆さんはどのように受け取られるだろうか?



このように、並木名誉教授の文体は、「自分で書きながら、その内容に驚いている」ことを感じさせるものです。

確かに、上の文章にあります様々な記述、

> 宇宙は人間の登場と人間による認知を待っていた

> 人間は森羅万象を決定する最高位の存在になってしまう

> 宇宙は人間に合わせて、または人間のためにできている


という考え方は、現在の自然科学とは相容れないものがあるかもしれません。

しかし、これは、このブログで、過去何度も出てきた概念でもあります。
だからこそ、大きなニュースでもあります。




宇宙は人間の登場を待っていた

かつて、何度か引用させていただいた私宛てのメールがあります。

中世の薔薇十字の理論の実践者であり、また、シュタイナーの研究者でもあった「ねるさん」という方が、 2011年 3月 11日の震災の直後に私に送ってくれたメールです。

それらのことは、過去記事、

量子物理学者が証明しようとする「死後の世界と来世」。そして「宇宙は人間の認識がなくては存在しない」こと
 2013年11月19日

の中など、過去何度か引用させていただきましたが、再度引用させていただきます。

まさに、今回の実験で証明されたことそのものの概念が書かれています。
最初に掲載したのは震災6日後の「人類が獲得した「予知できない」能力」という記事でした。



現代人の知性とその可能性

人間の知性はいまや他の存在たちにとっての希望です。
自然のなかに生きていた神々はもういません。

自然は、もはや自動的に運行する機械に過ぎないのです。科学によって自然を観察しても生命は見つかりません。自分を探してのぞき込んでも、見つかるのはただの影にすぎません。

今や人類はそれ以前とは異なります。神々は人類に運命を委ねたからです。宇宙の知性は、ある時期から人間の側に移行しました。以前のように自然を探すことによって見いだせるのは死んでしまった法則だけです。

人間は、自分が宇宙の意志であるという事実を自覚するとき、やっと宇宙と自分自身の本当の姿を見つけます。それは神々が与えてくれるものではなく、人間の判断行為の中にのみ見いだされるものです。

宇宙は最終的な結論として人間を選びました。

この奇跡の只中にいる人間自身がこのことに気づいていません。空に輝く物質的な太陽とおなじ力が人間の内部にも働いているという事実をです。自分自身の知性がこれから大きく変容する可能性があることに人間は気づかなければなりません。宇宙の命運が掛かっていることを知らなくてはなりません。

過去の光は人間の内部に移行しました。自分の思考が宇宙の意志であることを自覚すると、想像をはるかに超えた数の存在たちが闇から救出されます。動物たちは大気圏の外から人類を見守ってくれます。植物たちはこの地上で人類を助けてくれます。鉱物たちは自らを思考の材料として提供してくれるはずです。

だから宇宙に生きる全ての存在たちのために、人間は、今、行動しなければなりません。




ここまでです。

2011年の震災直後は、私も考えが大きく変化した時でした。

震災3日目に書きました、

決意の涙 : 東京 DAY3
 2011年03月13日

という記事に、圧倒される自然災害を目の当たりにして、私は以下のようなことを書いています。


2011年03月13日の In Deep 記事より

宇宙がどのように生まれたのかは今はわかっていませんが、中世の神秘学などの言葉を借りると、順番としては、

・ことば
・存在
・認識


というように来たように思います。

今、私たちが「宇宙」とか「存在」と考えているものは、実は我々が認識しているために存在しています。

これは難しい話ではないのですよ。

・見ないと見えない
・聞かないと聞こえない


というようにいくと、

・認識しないと存在しない

という流れにはなるように思います。

埴谷雄高さんが言っていた「存在の革命」という言葉を、私なりに究極的な革命として、書けば、

・認識の否定

というものがあると思います。

とても間違ったことであることはわかりますが、ただ単に「宇宙の圧倒」に我々がいつまでも引きずられているわけにはいかない。



ということを書いていまして、今このように読み返してみるとわかりづらいですが、これは何を書いているかといいますと、

私たち人間は宇宙の存在を消すこともできる

ということに震災直後に気づいたことを、やんわり遠回しに書いています。

3.11の理由を宇宙が明確にしない限り、私たちは宇宙の存在を消し去ることができると。

地球も宇宙も消えて、意識と言葉(あるいは音)だけがこの世に残る。

創世のやり直し。

その後も、この 2011年は、「この世は存在しているのかいないのか」ということについて考えることが多かったです。

DNAの存在から見れば「私たちは実際には存在していない」かもしれない
 2011年06月14日

という記事、あるいは、クレアなひとときでも、

覚醒とは何か(2) 意志のある場所とその消滅
 クレアなひととき 2011年11月01日

覚醒とは何か(3) 人類に芽生えたかすかな希望[同一の存在の可能性に向けて]
 クレアなひととき 2011年11月02日

などで、繰り返し、

「宇宙に対しての人類の認識」が、「宇宙が存在するため」の唯一の拠り所かもしれない

ということを書いています。

この 2011年の頃は、何というのか無意識で記事を書いている時も多くて、読み返すまでは覚えていないようなものが多いのですが、少なくとも、そのようなことをどこかで思い続けていたようです。

あるいは、ごく最近の記事、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

などで、自称プレアデスの人が言う、


目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。


という内容は、私たちの宇宙に対しての感覚的な把握が、目、耳、鼻、口、感触の「以外」にもあることを示していて、人間と宇宙の関わりについては、人間の方から積極的に変化させることができることを現してもいるような気もします。

最近、書くことのある「肯定的な態度」にしても、それをおこなうのは自分自身であって、つまり、

「自分が変わって、初めて、周囲の風景が変わる」

ということを端的に物語っている気もします。

あるいは、考え方次第で、この世はとても美しいものでもあるし、あるいは、そうではないものであるということも、たとえば、フランス映画『美しき緑の星』などで語られていることでもあります。

この世のすべては不変に見えても、現実としては、人間の感情や認識で、どんどんと変化する

それまで何も感じなかった対象がどんどん変化する。

まあ、 In Deep というブログそのものが、「この世は存在するのか」ということを、ひとつのテーマとして持っているものでもあります。

30年目のエレキな春 : 精神圏へ移行する人類の覚醒後の姿を夢想させてくれた『弥次喜多 In Deep 』と作者への感謝
 2014年04月28日

という記事に書いたことがありますが、ブログの In Deep というタイトルは、しりあがり寿さんの痛快形而上アクション時代劇ギャグ漫画(どんなジャンルだ)である『弥次喜多 in DEEP』の印象からいただいたものです。

この漫画では、生きている弥次さん喜多さんが創造神へと変化し、ついには宇宙へと変化していく長い過程を経た後、ある一人の少年が、

「宇宙って存在しないのではないのか」

ということに気づき、それどころか、

「この世には実は何も存在していないのではないのか」

ということにも気づいてしまい、それでも少年は前へと歩いていくところで物語は終わります。

yajikita-in-deep2.gif

▲ この世には何も存在していないことに気づいた「千年ムスコ」という名前の少年。これに対して、「存在しない宇宙の象徴となっている弥次さん喜多さん」は少年に「そうだ」という旨を述べます。


そんなわけで、この「宇宙は存在しない」ということについては、自分自身の信念は強いままなのですが、今回のように、科学的実験で証明されるというのは、それはそれでひとつの大きなことだと思った次第です。

ここから報道記事ですが、先ほども書きましたように、実験内容はよくわかりませんですが、なるべく自分自身で理解しやすいように、かなり直訳とは遠いものとなっていますので、翻訳内容は参考程度にお考えいただけると幸いです。

特に、後半は自分で書いていても、何語を書いているのかわからないほどでした。




Quantum Experiment Confirms Reality Doesn't Exist Until Measured
NDTV 2015.06.02


観測されるまで現実は存在しないことを量子実験が確認


オーストラリアの科学者たちが、量子物理学での予測を証明するための有名なある実験を行い、その実験は成功した。

その予測とは「観測されるまで、現実は存在しない」というものだ。

オーストラリア国立大学( ANU )の物理学者たちは、ジョン・ホイーラーの遅延選択思考実験と呼ばれる実験を行った。それは粒子のように動く、あるいは、波動のように動く選択権を与えられている移動物体に関しての実験だ。

ホイーラーの実験は、その後、どの時点で物体が「それが波動か粒子か」を決定しているのかを問う。

常識的には、私たちがそれを観測する方法がどのようなものであろうと、その物体が波動のようなものか、粒子のようなものかということは、それぞれ最初から物体として独立していて、測定法と、その物体が何かということは無関係だといえる。

ところが、量子物理学者たちは、あなたたちが、その物体を波動の挙動(干渉)、として観測するか、あるいは、粒子の挙動(無干渉)として観測するかによって、その最終的な実際の観測記録が違ってくると予測してきた。

そして、この予測について、オーストラリア国立大学のチームが実験で証明することに成功したのだ。

オーストラリア国立大学の物理学工学研究所のアンドリュー・トラスコット( Andrew Truscott )准教授は、

「この実験は観測がすべてであることを証明しました。量子レベルでは、あなたがそれを見ていないのなら、それは存在しない、ということになります」

と述べる。

この実験の結果は、非常に小さなものに支配されているとする量子理論の妥当性を確認することになる。そして、この理論は、 LED 、レーザーおよびコンピュータチップ等の多くのテクノロジーの開発を可能にしてきたと研究者たちは言う。

オーストラリア国立大学のチームが成功した今回の実験は、ホイーラーがこの実験を提唱した 1978年には、実験を行うことがほぼ不可能と思われていた。

トラスコット准教授のチームの実験は、最初に「ボース=アインシュタイン凝縮」として知られる停止状態の中で、ヘリウム原子の集合体によって物体が補足され、それらは、最後の単一の原子が残るまで排出された。

単一の原子は、その後、対向伝搬レーザー光を介して落下した。これは、固体の格子が光を散乱するのと同じ方法での格子パターンを形成した。

その軌跡を再結合するために第二の光格子をランダムに加えると、これは、建設的に、あるいは、破壊的な干渉へとつながった。

第二の光格子が加えられなかった場合には、干渉は観察されなかった。それは、あたかも、原子が一つの軌跡のみを選択したかのようだった。しかし、原子が交差点を通過した後、格子が追加されたかどうかを決定する唯一の乱数が生成されたのだ。

トラスコット准教授は、「原子は特定の軌跡を取り、あるいは、将来の記録が原子の軌跡に影響を与えることを受け入れた、ということになります」と語る。

「原子は、AからBへと旅をしたのではないのです。彼らは、その旅の最後に、それらが波動か、あるいは粒子か、どちらかの振る舞いが観測された時に、初めて彼らに、それが波動か、あるいは粒子かという存在がもたらされたのです」と准教授は述べた。

この実験結果は、科学誌ネイチャーに掲載されている。





(訳者注)ここまです。本当に途中からは読んでもまったくわからなくてすみません(苦笑)。

要するに、後半に書かれてあることは、

原子は、観測された結果があった時に、はじめてその物質の特性が決まる

ということだと思います。

ということは、物質は「観測されるまでは特性がない(つまり、存在しない)」ということになることを、この実験は導いたようです。

しかし、今の社会(唯物論的な理論で構築されている社会)で、私たちはこのような見解を信じることは難しいです。

それが変換するためには、シュタイナーが「唯物論的な認識から精神的な人類へと進化しなければならない」と述べていたようなことや、あるいは、チジェフスキー博士が言うように(過去記事「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために…」)

「人間が精神圏へ移行する」

というような未来があったとする場合、私たちの宇宙への認識もまた変化して、その場合、それはもう想像も絶する素晴らしい宇宙が出現しそうな気もします。

自由な人間の認識に基づいた「変幻自在な宇宙」です。

そして、これが弥勒の世界というものかもしれないということにも気づきます。