2015年06月08日



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『美しき緑の星』の宇宙人たちは私たちの「何から何を」切断しているのか? そして「無の中から突如出現する原子」の光景を想像し



水素原子の原子軌道のイメージ
atom-kidou.jpg
水素原子の原子軌道

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
water-sound-0608.jpg
・『 ウォーター・サウンド・イメージ






 



「切断」という名称にした意味

最近話題にさせていただくことの多いフランス映画『美しき緑の恐怖』・・・うーん惜しい。『美しきあなたはパトリシア』、うーん、もうタイトルはどうでもいいですが、この『美しき緑の星』(合ってる合ってる)、私は5回くらい見ているんですよ。

最近はパソコンの動画もテレビで見られますので、大画面で何度か見ているのですが、この映画は、説明的なところでは丁寧ではない部分があります。平たく言うと「ストーリーラインが破綻している」と考えられる部分がわりとありまして、一度見ただけでは何だかよくわからない面もあります。

もっともわかりにくいのは、「切断(弱)」の説明が一瞬しか出てこない点です。

途中から出てくる「切断(強)」をされた人間が、たちまちのうちに変化してしまうのは、まあ何となくわかるのですが、宇宙人ミラさんが地球に来たばかりの時に、彼女と出会った人々が(少し遅れて)みんな変化していってしまうあたりが最初はよくわかりませんでした。

そうしましたら、最初に見たとき、「数秒のシーン」をちゃんと見ていなかったのですね。

その、ほんの数秒のシーンを見逃すか、ボーッと見ていると、その後も多分わからないままになると思います。

ミラさんが地球に来る前に、他の宇宙人の人から地球での行動のレクチャーを受けている場面です。

disconnect-001.jpg


disconnect-002.jpg
・映画『美しき緑の星


この、

「弱は人と会うだけで働く」

という2秒くらいの台詞を見逃すと、パリの街の前半の描写は、何がなんだかわからないことになるかと思われます。

この一瞬の説明だけでパリの街全域で起きる騒動を代弁するというのは、なかなか大胆ですが、そういう「説明をあまりしない」部分がとても多い映画です。

そもそも、

「切断」

というネーミングは何ぞや。

宇宙人のミラさんから「切断プログラム」を受けた地球人は、その全員が、自然と人間に対する愛に目覚め、あらゆるものの中から「肯定的な要素」を見つけ、否定的な感情が消えて、人生が「開いて」いきます。

要するに、新しい人間性(あるいは正しい人間性)に「目覚める」のです。

ということなら、覚醒へと導く方法に「切断」という名前がつけられているのはどうしてなのか。

「覚醒プログラム」でも「慈愛光線プログラム」でも「人と自然を愛して世の中を肯定的に見てもらおうプログラム」でも、何だかそういうようなもののほうが、映画としては、わかりやすいと思います。

なのに、愛を導く方法の名前が「切断」プログラム。

最初は、日本語の訳の問題なのかと思いましたが、聞いていると、フランス語ですが、ディスコネクト( disconnect )と聞こえます。

英語の方のディスコネクトの意味は、


disconnect - weblio 英和辞典

1a〈…の〉接続を断つ,〈…を〉断ち切る,離す.

b〈…の〉電源を切る; 〈電話などを〉切る.

c〈…を〉〔…から〕断ち切る,切り離す〈from〉.



とありまして、「切断」くらいの日本語になるのは妥当であることがわかります。

では、何から何を切断しているのか?
あるいは、何から何が切断されると私たちは「目覚める」のか。

考え方のひとつとして、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

という記事でご紹介いたしました、『プレアデス+かく語りき―地球30万年の夜明け』という本に載せられている、やはり宇宙人グループの一人であるプレアデスの人と自称されている方が言っていた以下のフレーズを思い出します。


『プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。

それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。



要するに、この方向の考え方が現実にあるとした場合、

人間をコントロールしている否定的な周波数(それは現実に見えるホログラムを作り出している)などを「切断」する。

という考え方です。

自称プレアデスの人は、私たち地球人間に対して、


目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。

あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。



と言っていて、私たちが見ている現実は、おそらくは「ウソが多い」ということを言いたいようです。

下の女性は、上の人と同じプレアデスの人だということらしい「自称グループ」の一員のようでして、英語で Semijase という方です。日本語表記では、セムヤーセとか、セミヤーゼとか、セムジャーゼとか、いろいろあるようです。

semjase.jpg
semjase.net


『美しき緑の星』で地球にやってきたミラさんとはだいぶん印象が違う感じです。

パリにやってきた宇宙人ミラさん
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・『美しき緑の星』

この後、ミラさんは「踏まないようにしなくちゃ」と否定的な見解を述べますが、私たち地球人にはもっとエライ人がいます。過去記事、

『美しき緑の星』で描かれる「どんなものにも良い部分を見いだす」という完全な肯定的な態度について考えてみる
 2015年05月21日

という記事でご紹介しました「野口体操」の創始者である野口三千三(みちぞう)大師(ここは大師と呼ばせていただきます)は、著作『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論』の中で、

野口三千三『原初生命体としての人間』より

いずれにしても、私は、大便そのものが、生きもの特有の親しみのある大変よい香りをもっていることや、柔軟性に富み、なめらかでボリュウムのある線や形、そして動きの美しいものである、ということを強調したい。

という絶対的肯定の態度、すべてのものへの愛、を教えて下さっているのであります。

まあ、便の話はともかくとして、プレアデスの人だと自称されている方々が言うような、

現在の地球は悪い周波数でコントロールされている

というようなものを「切断」してくれる、という考え方は、何となくあるかなあ、とは思いました。

その他となると何だろう。

何を切断すれば、人間は目覚めるでしょうか。




存在の学問、量子力学

たとえば、先日の、

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

という記事では、

この世は人間が認識してはじめて存在する。

という、かなりのおおごとが実験で証明されたことをご紹介しました。

「認識」というのは複雑で、見たり聞いたり感じたり知ったり思ったりすることだけではないですが、単純な例えとして、上の記事の内容は、

inai-inai.gif
・キャラクターは『いないいないばあ』より


baa.gif


というような記事でした(そんな記事だったのかよ)。

いずれにしましても、上の記事では、原子以外の「形や質量を持った存在」(あるいは、おそらくは音や匂いや感覚なども)は、人間の認識によって形作られているという可能性を示したものですが、しかし、そこまで話が拡大しなくとも、たとえば、その次の段階なのかもしれないですが、

数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を…
 2015年03月22日

という記事などから、たびたび書いています音と世界の関係、つまり「大戸屋がこの世を作り上げているのかもしれない」・・・ああ、大戸屋じゃないや、

「音がこの世を作り上げているのかもしれない」

という概念と結びつくようにも思います。

ここには、「周波数」という概念が関係します。

そして、周波数の「それぞれの持つゆらぎ」のようなものこそ、この世界の形や音や、あるいは、人間の器官や精神や健康に至るまで司っているのではないかということは、つい最近になって初めて思ったのですが、思っていたことではあります。

しかし、私は、

「宇宙って真空だから、音も揺らぎもないよなあ」

と思っていたのです。

つまり、この「音が世界を作っている」というのは、古典物理学での真空(エネルギーがない)である宇宙では通用しないんだよなあ・・・と、しょんぼりとお酒を飲んでいるうちに元気になりました(どっちだよ)。

ところがです。

それこそ、先日の記事「「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」…」で、ご紹介しました早稲田大学名誉教授の並木美喜雄さんの『量子力学入門』という著作をその後購入しまして、これがまた全体的にとても難しい本で、私に普通に読めるようなものでもなく、適当なところをめくったりしていたのですが、そこに面白いことが書いてあるのを見つけたのでした。


並木美喜雄著『量子力学入門』より

古典論(量子力学を含まない物理学)の最低エネルギー状態ではすべての電磁振動は消滅する。この状態を電磁場に関する古典論の真空という。

量子論でも、最低エネルギー状態を真空と呼ぶが、それはゼロではないゼロ点振動をもち、大層騒がしい真空である。

そのゼロ点振動「真空電磁場の揺らぎ」、または単に真空の揺らぎという。

真空の揺らぎは大きな物理的効果を持つ。(略)

現代素粒子物理学は真空にもっと複雑な物質性を与えつつある。また、現代宇宙論は真空の揺らぎが宇宙の創造・発展に重要な影響を与えたらしいと推測している。



なんと、量子力学では、真空であることは「何もない状態とは見なしていない」ということで、そこには「ゆらぎが存在する」ようなのです。




真空の中から「突然出現する」原子たち

これについて調べようとしましたら「無 - Wikipedia 」などという項目が検索されました。「無」なんていう Wikipedia 項目を読むのはこれが初めてです。

そして、その中に以下の記述がありました。


無 - Wikipedia より

古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。

このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。




> 何もないはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現する

これを読んで、思わず「ひぃぃ」と叫んでしまった私ですが、いずれにしても、真空であるということは、少なくとも量子力学の世界では、「ものの出現と存在」については関係ないもののようです。

それにしてもこの並木美喜雄さんの『量子力学入門』。

完全な科学本で、内容のほとんどを私には理解できないのですが、たとえば、その目次。
第1章のタイトルが、

プロローグ − 「存在」とは何か?

で、最終章第10章が、

エピローグ − 再び「存在」について

というように、量子力学という学問が「存在の学問」であることを思わせてくれる雰囲気があります。

そして、この本は帯が下のようになっています。

atom-01.jpg


ここにも「波なのか? 粒子なのか?」とあり、「波」と「粒子」の二重性を持っているということは、何だかやはり大変なことのようで、この『量子力学入門』のテーマとなっているようです。

ちなみに、先ほどの「無 - Wikipedia 」には、以下のような記述もありました。


古典物理学の法則が通用する範囲は、宇宙の大きさからせいぜい原子や分子の大きさのレベルまでである。原子内または原子間では古典物理学の法則は破れており、現象の正確な記述ができない。

光は本質的に量子的な振る舞いを示すため、古典物理学では電磁波をうまく扱うことができない。量子論と違って、古典物理学は完全な決定論である。



> 原子内または原子間では古典物理学の法則は破れており

とあり、原子がこの世を作る最小単位で、かつ基本の単位だとした場合、「それが通用しない物理学」というのが古典物理学、つまり量子力学を含まない物理学ということで、それが今でも主流というのはどうなんでしょうかね。

原子を説明できないのでは、宇宙を説明できないのでは、と思ってしまいました。

ただ、「量子論と違って、古典物理学は完全な決定論」とされていて、この決定論とは、Wikipedia によれば、

あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。

とあり、つまり、量子力学は「そうではない」ということになります。

となると、決定論ではない量子力学(たとえば、人間が認識してから物質が確定するなどの概念)での宇宙は、古来からの物理学のような因果律がないため、「きわめて自由な宇宙」を描けてしまう可能性があります。

それは楽しいことではあっても、やや混乱を招くことではあるかもしれません。

いや!

このような古い概念からの「切断」こそが大事なのかもしれません。

こんなことにこだわるのも、私たち地球人は宇宙人などの力によるものではなく、自力で「覚醒」を果たさなければならないと思うからです。多くの宗教や哲学同様に、新しい科学の概念もその一助になるのではないかと思います(量子力学は難しいですが)。

切断の話から何だかえらいことになってしまいましたが、確かに『美しき緑の星』には謎の部分を含めて、考える部分が多いのは確かです。