2015年06月12日



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音楽のある「世」に生まれて、何となくレッド・ツェッペリンの「限りなき戦い」に想いを馳せながらを「静寂の時代」を夢想してみる



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▲ レッド・ツェッペリンが設立したスワンソング・レコード社のロゴとなった元絵。19世紀の画家ウィリアム・リマーが 1869年に描いた、ギリシア神話のアポロの物語をテーマにした「夜」( Evening / The Fall of Day )という作品です。 feelnumb より。











今回の記事は、前置きで何となくバンドのレッド・ツェッペリンのことを書いていましたら、話が複雑化してきて、前置きのレベルの長さではなくなってしまいましたので、その内容だけにしました。


単なる音楽の話になって申し訳ないですが、ただ、途中に貼りましたレッド・ツェッペリンの「限りなき戦い」 432Hz 変換バージョンはとても耳に優しいと思いますので、お聴きいただれば幸いです。




あのアナグラムもマーケティングだったのかも


最近、下のような記事を見ました。


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レッド・ツェッペリンという英国のバンドとオカルトの関係を記事にしたものですが、このレッド・ツェッペリンは、全世界で3億枚のアルバムを売り上げた、世界で最も影響力の強かったロックバンドのひとつですが、何より、私自身が中学1年の時に聴いたツェッペリンの2枚目のアルバムの最初の1曲目に、それまでの人生(小学生でしたが)で最大の衝撃を受けて、音楽観が一変したという経験をしています(邦題で「胸いっぱいの愛を」という曲で、YouTube ではこちらです)。


この「胸いっぱいの愛を」を聴いた時の驚きの違和感は、おそらくは、ギターとベースとのチューニングを意図的に「微妙に」ずらしているように聞こえるところからきていたと思います。


その上、途中からは、テルミン( 20世紀初頭にロシアで発明された世界最初の電子楽器)は使われるわ、コンガのリズムは鳴り響くわ、ミックスは混沌としてくるわで、「何だかやりたい放題だなあ」と思った曲でした。


それにしても、ツェッペリンは、なぜか冒頭の記事のような「オカルトや黒魔術との関係」を書かれることが多いです。


In Deep の過去記事、



 2014年07月23日


も、そういう話を記事にしたものでした。


しかし、あの記事以降、考えたのは、それらも含めて、レッド・ツェッペリンの「イメージ戦略」にも多大な貢献を果たしたマネージャーのピーター・グラントという人の商業的手腕の一貫だったように思います。


peter grant


▲ 左からレッド・ツェッペリンのギタリストのジミー・ペイジ、中央がマネージャーのピーター・グラント、右がボーカルのロバート・プラント。Snipview



ピーター・グラント - Wikipedia には、彼が、ツェッペリンのマネージャーとして行った「革新的マネジメント」と「マーケティング手腕」などが書かれていますが、このようにあります。


極力メディア露出を控えると同時に乱痴気騒ぎやスキャンダルの噂を広めることにより、神秘的で危険なロックスターとしてのパブリックイメージを見事に創出し、ツェッペリンファンであることをあたかも危険で刺激的な秘密のクラブに属しているかのように演出して見せたことも、ピーターの功績であったといえるであろう。

これらのマーケティング戦略に、神秘性を高めるための黒魔術的なニュアンスを振りまくイメージ戦略なども入っていたのではないか、と考える方が妥当な気がします。


メンバーを徹底的に「神秘的な集団」とするイメージ戦略。


さきほどの、ツェッペリンの天国への階段の逆回転での「悪魔と666」…も、あるいは「わざと」だった可能性もあると思えてきています。





というのも、上で説明されている「天国の階段」が収録されたアルバム(タイトルなし)は、レッド・ツェッペリンの中で最も売れたアルバムで、全世界で 3700万枚以上売れています。


このアルバムは確かに、収録曲も非常に優れているのですが、それと共に、マネージャーのピーター・グラントは、他のバンドは決してやらないような、巧妙で非常に知的な「販売戦略」をとっています。


上に「タイトルなし」と書きましたが、このアルバムにはタイトルがない上に、


「ジャケットに文字をひとつも載せなかった」


のでした。


表にも裏にも内側にもどこにも。


さきほどの Wikipedia には、以下のような記載があります。



ジャケットに一切の文字の無いレッド・ツェッペリン4枚目のアルバム(便宜的に「IV」と表記する)発売の際、自殺行為であると大反対したレコード会社の重役達をなだめすかし、且つ、「IV」の発売を予めファンの間に提示しておくことで「名前が無い」ことを逆に話題に変えてみせ、商業的にマイナスであったものを見事にプラスに昇華している。


表ジャケットは、薪を背負った老人の絵画が壁にかけられた様子で、見開きのジャケット裏は、その壁の向こうの街が開発されている様子。


レッド・ツェッペリン4枚目のアルバム・ジャケット

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レッド・ツェッペリン4枚目のアルバムの内ジャケット

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内ジャケットは横向きになっていますが、タロットカードの9番のカード「隠者」です。


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文字がないというのは、つまり、バンド名も、アルバム名も、当然、メンバーの名前なども一切なく、メンバーの綴りは「オカルト的なマーク」で描かれました。


Zoso1.gif

・メンバーの4人の表記(左からペイジ、ジョーンズ、ボーナム、プラント)。



これらのほとんど(あるいはすべて)は、マネージャーのマーケティング戦略の一環で、また、「バンドのイメージ付け」作戦などでもあります。


そして、ツェッペリンはさらにどんどん有名になっていき、この名前のないアルバムは、当時のロックアルバムとしては考えられない、全世界で 3000万枚を超えるスーパーセールスを記録することになります。


アメリカだけで 2300万枚売れたそうですが、1971年当時のアメリカの人口は2億人程度でしたので、「アメリカでは 10人に1人が買っていた」ということになりそうです。


しかし、購買層は若者中心でしょうから、若者に限れば、数人に1人が買っていた、というようなことになっていたかもしれません。


いずれにしても、優れた音楽性と同時に、マネージャーの手腕で、レッド・ツェッペリンのアルバムはトータルで3億枚を売り上げることなるだけではなく、どんな大会場でのコンサートでも、チケットは1時間足らずで売り切れるという超人気状態を解散まで維持できていたのでした。


アルバムが3億枚が売れる、というのは、国によりレコードの価格は違うでしょうけれど、昔の日本では、LP というのは1枚 2500円くらいしましたから、レッド・ツェッペリンはアルバム売り上げだけでも、おそらくは全世界で 7000億円以上のセールスを計上していたと思われます。


今から 40年前の「 7000億円」という金銭表示の破壊力は、しかし、マイケル・ジャクソン(アルバム 10億枚を売り上げる)で完成した、音楽をビジネスへと完全に囲い込む「悪魔の囁き」にもなったと思いますけれど。





若い時に最も好きだった「限りなき戦い」を


あるいは・・・まあ、これは蛇足ですが、レッド・ツェッペリンが商業的にも音楽的にも成功した理由のひとつとして、もしかすると、「その活動時期が太陽活動とピッタリと一致していた」ということも今でなら言えるかもしれません。


レッド・ツェッペリンの活動時期は、1968年から 実質的には 1979年までとなっていますが、これは実は「サイクル20の太陽活動最大期から、次のサイクル21の太陽活動最大期」と一致することに気づいたんですよ。


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このレッド・ツェッペリンというバンドが、「黒点の数が最も多い年にデビュー」して、「黒点の数が最も多い時に活動を停止させていった」という奇妙な偶然が・・・そう、もちろんこんなことは単なる偶然ですが、それがわかります。


これからバンド・デビューなどを考えている方は、太陽活動最大期にデビューするといいかもしれませんね。まあ・・・次は 2026年あたりになりますが、今なら駆け込み OK かもしれません。


あるいは「次の太陽活動最大期は来ない」という可能性もありますけれど。


太陽の話はともかく、レッド・ツェッペリンのバンドの解散はドラマーの事故死によるものでしたが、ツェッペリンの周辺には確かに事故で亡くなる人なども多く、それが原因でオカルトと結びつけられていた面もありそうです。


しかし、レッド・ツェッペリンの音楽性からオカルトとの関係を見出しにくいのは、彼らの音楽は実際には、黒魔術系のような存在の「反対」にあるようなものが多く、「自由の概念」と「生きている人間の世界」ということを強く認識させられる音楽が多いためです。


実際、彼らがアルバムを作る際に使用した楽器は、ギター、ベース、ドラムというところから、マンドリン、バンジョー、ダルシマーといった生演奏楽器から、テルミン、シンセサイザーなど多岐に渡りました。


私は、特に、ツェッペリンでマンドリンが使われている曲が好きでした。

マンドリンが使われている曲はかなりの数に上ります。


jimmy-page-mandolin.jpg


▲ 今年 71歳になるレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジが自宅前でマンドリンを弾いている様子。bleakcinema.com



その中でも、レッド・ツェッペリンのすべての曲の中でも数少ない「マンドリンとアコースティックギターだけの演奏」で作られている「ザ・バトル・オブ・エバーモア( The Battle of Evermore )」という曲が、中学生の時に私に驚きをもたらしたと共に、その後もずっとツェッペリンの中で最も好きな曲です。


これは先ほどの4枚目の「タイトルのない」アルバムに収録されています。


邦題は「限りなき戦い」で、特に政治的な意味はないですが、「長く続く戦争」について歌っています。


下は途中から訳したものです。





レッド・ツェッペリン - 限りなき戦い (1971年)/ 途中から

戦争は繰り返し行われ
君に剣を取らせ、その剣を放たせる

空には善も悪もどちらも満ちているが
人間がそれを知ることは決してない

夜は長く、時間の連なりはゆっくりと過ぎる
朝日に眩んだ目で東からの来光を待つ

戦いでの痛みより
戦いを終えた後の悲しみは大きい

太鼓の音は城を揺るがし
指輪の生霊が黒い馬にまたがる

弓をかかげて歌うんだ
以前よりも真っ直ぐに弓を射るんだ

夜の炎は何の慰みにもならない
それは顔を冷たく照らすだけ

夜の闇の中で踊るんだ
朝日に向かって歌うんだ

魔法の呪文が金色で書かれている
均衡を取り戻すために

取り戻すんだ

ついに太陽は輝き
青い雲はちぎれ
闇のドラゴンから炎があがり
太陽の光が彼らの目をくらます





先日の In Deep の記事に載せました、シュタイナーの 1915年2月の『第一次世界大戦の霊的背景』という講演の「長い大きな戦い」の内容を少し思い出してしまいました。


この「限りなき戦い」は、432hz で聴くのにとても適した曲だということを知るに至りましたので、432Hz に変換したものを貼っておきます。


Led Zeppelin - Battle of Evermore ( 432Hz Convert )




これを初めて聴いたのも、私が中学1年の時で、まだ歌謡曲と普通のロックみたいなものしか知らない私は、「この世の中にはこんな曲もあるんだ」と感心した記憶があります。


まあ、この曲自体は、メンバーでふざけている時に偶然できたものらしいですが。



限りなき戦い - Wikipedia

レコーディング・エンジニアのアンディ・ジョーンズが次のような内容の証言をしている。

「ある夜、ヘッドリィ・グランジ(録音に使っていた古邸宅)の暖炉の周りでお茶を飲んでいたとき、ジョン・ポール・ジョーンズのマンドリンを手に取っていたずらしていたペイジが、突然リフを弾き始めた。自分はあわてて手持ちの機材でその演奏を録音した。するとプラントもそれに合わせていきなり歌い始めた。こうして何もない無の状態からあの曲が生まれたんだ」


夢のような話ですが、しかし、それが本当に偶然かどうかは別として、わりとこの世のいろいろは偶然にできたもののほうが良かったりすることは、よくあることのようにも思います。


そして、この曲は、オリジナル( 440Hz)と 432Hz 変換でものすごく違いを感じる曲のひとつです。


もう別の曲といってもいいほど感じ方が変わります。


432Hz にしますと、マンドリンの音がものすごくやわらかく響くようになるのです。

音質はいじっていないのに不思議ですが、確かにやわらかい響きに変わります。


432Hz を聴いた後、オリジナルの 440Hz を聴くと、キンキンした高音が耳につく曲となってしまって、「もう 440Hz のほうは聴けない」というほど変わります。


上の「限りなき戦い」は完全なアコースティック・ソングですが、レッド・ツェッペリンは、ハードロック・バンドとして人気を獲得したわけで、その本筋はハードロック・・・と言いたいところですが、私にとってはやや違う部分があります。


考えてみると、私の好きなツェッペリンの曲にはアコースティックが多いです。


私が若い頃、好きだった上位3は、


1番好きなのは、先ほどの「限りなき戦い」で、

2番目は「フレンズ」という曲( YouTube )、

3番目は「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」という曲( YouTube


というような感じで、これらは全部アコースティックです。


2番目の「フレンズ」は、中学生の時から長く友人でしたが、その後、いわゆる諜報員として海外に行ってしまったコバヤシくん(クレアの過去記事を参照して下さい)と、部屋でよくふたりで演奏したものでした。


3番目の「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー( Hats off to Harper )」という曲もやりたい放題の曲で、当時は「理解不能な曲」と言われていましたが、私は大好きで聴きまくってました。


これはイギリスでカリスマ的な支持を得ていた反抗的フォーク歌手のロイ・ハーパーという人に敬意を表した曲なのだそう。





音楽から静寂の世へ


それにしても、若い時にハードロック的な嗜好で聴いていた感が強かったレッド・ツェッペリンも、今は貴重な「 432Hz 適応音楽」のひとつとなったりしているというのは感慨深いです。


そして、そういう人々の多くは年老いてきていまして、リスナーだった私たちのほうも年老いてきていまして、静かにひとつのカルチャー世代が消えていくと。


では、次のカルチャーはどんなものになるかというと、それはもう「音楽」の方向ではなく、「静寂」の方向のカルチャーなのかもしれないと思ったり。


フランス映画『美しき緑の星』のラストは、宇宙人たちが「静寂の集会」というものをおこなっている場面で終わりますが、それは彼等が音楽の時代から静寂の時代に移行したからこそ、のようですが、いわゆる賢人たちには「静寂の重要性」ということを語る人も多いです。


確かに今の世の中は「音」が多すぎますからね。


特に、私の住んでいるあたりなど、空軍基地が近いせいで、


「静かに 528Hz の音叉でも聴こう」


と、チーンと慣らしていると、頭上をゴゴゴ…と軍用の自衛隊機が大音量を残して次々と飛んでいく日常だったりしますので、「明るい中での静寂の獲得」はなかなか難しいです。


まあしかし、現実として、私たちは「音と音楽のある世」に生まれてきたのだから、それを素直に楽しんで消えていくのもいいのかなと思ったりしています。