2015年06月15日



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自己「切断プログラム」発動のために:松果体ではなく「目」で見えないものを見ること



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素足の田植えの日

昨日( 6月14日)は、神奈川県の藤野のわりと山奥の田んぼの田植え会に参加させていただきました。渓谷近くのキャンプ場横ということで、子どもたちもそうですが、私たち大人も同心になった気分で遊んでいました。

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chiebukuro.yahoo


あ、違う。
童心に帰った気分で無邪気に過ごしていました。

農業を初めて2年目という真鍋さんは、性格ルックスともども、とても穏やかな感じの方で、田植え会のほうも穏やかに進みました。 In Deep を読んで下さっているという方もいらっしゃいまして、ほんの少しの時間でしたが、お話などもさせていだきました。

そういえば、私は写真とかの記録をあまり残さない人で、場所がとてもいいところでしたので、写真の1枚でも載せたいと思っていたのにすみません。

一緒に行った友人はスマホを持っているので、あとで聞きますと、

「息子が田んぼの前でお尻その他下半身を出している写真ならありますが」

とのことで、ちょっと載せられないようです。

それにしても、田植えは裸足でおこなったのですが、素足で泥の中に足を入れるのが、あんなに気持ちいいとは思いませんでした。うちの子どもも「気持ちいい」と、結構熱心に田植えをしていました。

当たり前といえば当たり前かもしれないですが、自然と直にふれるのは、やはりいいですね。

今は日本はかなりの地方でも、畑など直接土のある場所へ出ていかないと、道路はほとんどアスファルトで舗装されていて、建物もコンクリートだったりすることが多いですから、

「コンクリートの上を延々と移動して生活している」

という生活が日本人の基本の生活となりつつあります。

これはこれで便利な生活ですが、ここにワンクッション「土の上に立つ」とか「木や植物」とふれるなどが加わるだけでも、おそらくは、日本人の体と精神状態は今よりだいぶん良くなるように思います。

いずれにしても、昨日お会いできた皆様はありがとうございました。

ところで、先日の記事、

プレアデスの人たちへの宣戦布告
 2015年06月14日

という物騒なタイトルの記事では、『美しき緑の星』の冒頭シーンの「」の意味にふれてみたりしました。

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これに関して、「見ること」の意味について少しふれてみたいと思いました。




「見ることの意味」と「見る方法」

この話の前提としては、それこそ、自称プレアデスの人たちには、「私たちの見ているものの多くが事実でもなく、幻影かホログラフのように捏造されたもの」というような主張が存在するので、「私たちが日々、目でみているものの意味」を考えたくなるという部分があります。


『プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。



というような主張です。

上の抜粋は、

『美しき緑の星』の宇宙人たちは私たちの「何から何を」切断しているのか?
 2015年06月08日

に載せたものです。

さて、それはたとえば、具体的にはどのようなものによるのか、というのは、それはもう様々なものらしいですが、上と同じプレアデス本から抜粋いたします。

このように「宣戦布告」しながらも、その主張を大いに利用させていただくという主体性のなさが、私たちの特徴でもあります。




『プレアデス+かく語りき』第8章 究極の暴虐のおよばないところ より

あなた方の感情的な肉体を主食としている存在がいるということは前にもいいました。彼らにとってテレビがいかに巧妙な道具となっているか分かるでしょうか。

世界中で、何十億人という人間が、テレビで何かを見ては感情のジュースを大気圏に吐き出しています。あなた方を怒らせるために、戦争を作り出す必要はもうありません。映画を作ればよいのですから話は簡単です。

テレビを見る必要のある人たちは、彼ら自身の頭脳のなかにある豊かな情報源、そして、また、彼らのまわりにあって、いつでも入手できる情報源を活用していません。

まったくの話、もしあなた方が進化したいと願うのならば、新聞を読まないでください。ラジオを聞かないでください。テレビを見ないでください。

ある一定の期間、マスコミを完全にシャットアウトして、混乱、焦慮、ストレス、多忙、無用なさまざまな誘惑の周波数から自分を解放すれば、明確になり始めるでしょう。

そうすれば、あなた方自身の内部で進行していることに耳を傾けるとができ、この世界のなかで迷子になることなく、この世界をフルに生きることができるようになるでしょう。

あなた方は明確になるでしょう。






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▲ 映画『美しき緑の星』より、未来の地球の「復興前の混乱期」と呼ばれる描写。人々による電気製品や薬などのボイコット運動が始まるとされる時代。


また、こちらは出典はうまく書くことができないのですが、「ある存在」とでも言うのか、そういう人も、やはり、神を見る幻想や、神経症や精神病などが「作られている」ことを述べていましたが、これについては今回はふれません。




見えているものの中にある「見えないものと意志との関係」

さて、前回の記事でふれた「見る」ということについては、自称プレアデスの人たちも、映画『美しき緑の星』の人たちも、あまり語ってはくれません。

ところで、シュタイナーは、『いかにして高次の世界を認識するか』の中で、何度も「見ることの重要性」を述べています。

しかし、彼の言う「見る」ということについては、多くが、

見えないものを見る努力

という、やや難解な事柄について書かれます。

たとえば、「秘儀参入の初段階」というセクションには、

「植物の小さな種を目の前に置いて下さい」

というフレーズから始まる「秘儀参入の前段階の訓練」(本訓練ではない)として、植物の種をどのような心境で観察するか、ということについて、次のように述べています。

シュタイナーにかかると、たかが種を見る行為もおおごとであることがわかります。

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・アサガオの種。丸々太るアサガオの種子 より


シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』より

「植物の種の中には、将来、種から成長してくるものが、すでに隠された形で(植物全体の『力』として)存在している。人工的に本物そっくりに作られた種のなかには、この力は存在していない。しかし『私の目には』本物の種も、人工の種も、同じように見える。つまり本物の種には、それをまねて作られた人工の種のなかには存在していない何かが、『目に見えない形で』含まれているのである」

では、このような目に見えないものに感情と思考を向けてみて下さい、そして次のように考えて下さい。

「このような目に見えないものは、将来目に見える植物に変化する。そのとき私は目の前に、その形と色を見ることになるだろう」

そして、次のような思考の中に没頭して下さい。

「『目に見えないものが目に見えるものになる』。もし私が『思考する』ことができないならば、将来、目に見えるようになるものが、このように予感となって現れることはないだろう」



というように、難解ではありますが、

「目に見えないもの」と「目に見えるもの」と「思考」との関係

をどんなものを見る時にも大事にしなくてはならないというようなことを言っているのだと思います。

他にも、シュタイナーは多くの類例を挙げて、「目に見えないものと、目に見えるものの関係性に着目する」ことを述べています。

そして、シュタイナーは、同書籍の別の部分で、

霊的な真理を知る人は、日常生活において霊的なまなざしの前にかけられているヴェールを取り去らなければなりません。

という、「この世界は真実の上にヴェールがかけられている」とする、自称プレアデスの人などによる主張と同じようなことを、やはり幾度となく述べます。

また、

高次の秘密のなかに足を踏み入れるとき、私たちは、物質体の感覚によって生み出される幻影をとおして、通常の人間には隠されている事物を見ることになります。

と、「見えていなかったもの」も、訓練次第で、「見えるようになる」ということが書かれてあるのが、この『いかにして高次の世界を認識するか』という書籍ですが、ここでシュタイナーの語る「高次の世界を認識する道のり」は、異常に厳しくて遠いことも、この本からわかります。

シュタイナーは、安易な方法によって霊的な世界を認識する方法(そういうものもあるらしいです)危険性に関して多く述べています。

そのためか、シュタイナーのこの本で展開される「修行の方法」は、非常に険しい道です。「書籍の1章をクリアするのに 50年くらいかかる」(まあ、ゲームではないですが)人がいても不思議ではないです。

数十年間の人生程度では少し無理な感じで、何度かの世を経てはじめて近づけるか、あるいは、何百の世とか。

そういう意味で、このシュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』は、実践本としては、私たちにはあまり意味がないかもしれないですが、「この世の真実」を(興味本位でも)知るためには、いいものだとは思います。




自分自身で自分を探しなさい

さて、今回のタイトルの「自己切断プログラム発動のために」というのは、特に具体的なものを示そうと思ってのことではないです。

何というか、いろいろな人たちの主張や考え方の中で「表現上は整合性がありそうな部分」をいくつか掲示しながら、それらが積もり積もって、いつか、自分にも他の方々にも役に立つようなことがあればいいなと思ってのこと、という程度のものではあります。

そういえば、「役に立つ」といえば、自称プレアデスの人は、

あなた方のすべてが、アメリカ・インディアンの教えに触れることができるように意図することを勧めます。

と述べています。

この「アメリカ・インディアンの教え」に関しては、たしかに、普通の生活の中でも大事にしたい内容もあり、

2015年からの未来を考えるために知っておきたい 「アメリカ先住民の倫理の智恵」
 クレアなひととき 2015年01月11日

に載せたものを掲載しておきます。

この3番目に「自分自身で自分を探しなさい」とありますが、最近の私の考え方も、この考え方が芽生えてきているからかもしれません。




The Wisdom of The Native Americans

アメリカ先住民の智恵

1. 祈りのために太陽と共に立ち上がりなさい。1人で祈りなさい。何度も何度も祈りなさい。あなたが話しかける時だけ、大いなる精霊は聞いてくださる。

2. 行き先を見失った人々への寛容さが必要だ。魂を失った人々の無知、うぬぼれ、怒り、嫉妬と強欲。あなたは、彼らが道を見いだせるように祈りなさい。

3. 自分自身で自分を探しなさい。他の人々にあなたの行き先を作ることを許してはならない。その道はあなたの道であり、あなたひとりの道だ。他の人々があなたと一緒にその道を歩くことはできても、誰もその道をあなたのために歩くことはできない。

4.あなたの家の訪問客へのもてなしをおおいに考えなさい。 訪問客には最高の食事と最高の寝床を与えなさい。そして、彼らに対して最大の尊重と敬意を持って接しなさい。

5. あなたのものではないものを自分のものにしてはいけない。他の人々からも、集団からも、大自然からも、そして、文化からもだ。自分で得たものか与えられたものでなければ、それはあなたのものではない。

6. この地球にあるすべてのものを尊敬しなさい。人であろうと、植物であろうと。

7. 他の人たちの考え、希望、言葉を尊重しなさい。決して、その言葉を遮ったり、笑ったり、無礼な態度で接してはいけない。この世のひとりひとりのすべての人間が、その人自身の表現を持つ権利がある。

8. 他人について悪く言ってはいけない。ネガティブなエネルギーがあなたに戻ってくる時には、宇宙に放出されて増殖してかえってくる。

9. すべての人間は間違いを犯す。間違いを許しなさい。

10. 悲観的な考えが心と体と魂の病を引き起こす。楽観を学びなさい。

11. 大自然は私の「ため」にあるわけではない。私たちは「その一部」なのだ。大自然はあなたのこの世界の家族の一部だ。

12. 子どもたちは私たちの未来の種子だ。植物は子どもたちの心を愛し、子どもたちを知恵と人生の教訓で潤わせる。子どもたちが成長する時には、そのスペースを与える。

13. 他の人の心を傷つけることを避けるように。その痛みの毒はあなたにかえってくる。

14. いつでも誠実でいるように。正直であることは、その人が宇宙とひとつであるかどうかのテストなのだ。

15. 自分自身の均衡を保つこと。自己の精神的な均衡、魂的な均衡、感情の均衡、そして、肉体的な均衡。これらはすべて強く、純粋で、健康でなければならない。精神を強くするために身体を鍛えなさい。感情的な苦痛を癒やすために魂的に豊かに成長しなさい。

16. あなたがどのように在るか、あるいはどのように反応するかの意志決定を意識的に行いなさい。あなたの行動のすべてにあなたが責任を持ちなさい。

17. 他の人々のプライバシーと個人的な空間を尊重しなさい。他の人々の財産には決して触れてはいけない。特に、神聖で宗教的なものに関しては。他人のそのようなものに触れることは禁止されている。

18. まず最初に自分自身に対して真実でありなさい。あなた自身があなたを育み、助けられなければ、あなたが他人を育み、助けることはできないのだ。

19. 他の人々の宗教的な信念を尊重しなさい。あなたの信念を他の人々に押しつけてはならない。

20. あなたの幸運を他の人々と共有しなさい。慈愛と関わりなさい。