2015年06月18日



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本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だったことを思い出し、プレアデスの人やバーネット師の言葉からそれを発動する日を夢想する



1897年頃の日本の路上の花売り
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▲ 過去記事「日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景」より。






 



「地球は地球でやる」、あるいは「日本は日本でやる」ために私たちがするべきこと


最近は、日本について、やや悲観的なことを書くことがあります。

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフ…
 2015年01月30日

なぜ日本は「変」に? それを知るには150年前の日本を見てみるか、あるいは、シュタイナーの「唯物論に破壊される世界」という100年前の言葉を思い出してみるか
 2015年06月10日

という記事などがそうですが、今気づきますが、こういうネガティブな発想こそ、

私自身が、「情報を受け取るだけで、それを良くしようと考えていない」という証拠

となるものです。

我ながら、「いかに考えていないか」ということを思い知らされます。

前回の記事、

ついに登場した私の救世主に気づく:「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 …
 2015年06月17日

で、バーネット超大師(マグマ大使かよ)は、

「知っていることを すべて 忘れ、再創造しろ」

とおっしゃってくれているわけで、大師は数学や物理の話をしていたので、勉学のことのように思われるかもしれないですが、大師は「すべて」についてのことを語っているはずです。

日本・・・といえば、上にリンクしました「なぜ日本は「変」に?…」でもご紹介しました『逝きし世の面影』という、幕末から明治の日本を訪れた外国人たちが、日本という国の素晴らしさに感嘆している多数の事例が書かれている本の時代の日本。

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結構厚い本で、類例は夥しいですが、たとえば、1889年(明治22年)に、イギリス大使として来日したヒュー・フレーザーという人の奥さんだったメアリー・フレーザーさんという方は、日本に滞在していた時の心境などを数多く残していますが、たとえば、下は、彼女の日本滞在時のご自分の心境描写のいくつかです。

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・メアリー・フレーザー英国公使夫人




メアリー・フレーザー夫人の日記より

「ただただ、陽気な笑いの発作がこみ上げるばかりでした。涙を出さずにはおさまらない、喜ばしく、たわいない笑いでした。突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」

「道すがら刻一刻と新しい光景が開け、新たな疑問もわいてきて、今まで想像されたこともない詩情とか、ちょっとした新鮮な楽しみなどを日常のなかに開示してくれる」

「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間たちのなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」





100年ちょっと前は、日本という国は、ここに来た外国人たちを「徹底した愛と、肯定的な態度に導いてしまう」という、映画『美しき緑の星』の「切断プログラム」のような国だったのです。

「そこにいるだけで切断される」。そんな国。

そして、その土地に住んでいたのは、120年前でも、今と基本は変わらない日本人です。

「この国の下層の人々は・・・もっとも生き生きとして愉快な人々」という下りなどは、ピラミッド型の階級社会と比較すれば、「パラダイス」の観念以外の何ものでもないです。

「下層」かどうかはわからないですが、当時の労働者たちは下みたいな人たちでした。

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過去記事

これは「労働者の休日」と題された 1897年頃の写真ですけれど、何となく「あんたらは、平日もそんなんだろ」という気がする好きな写真の1枚です。

しかし、たった 100年ほど前までパラダイスだった国が、今はやや地獄に向けて傾きだしている感もあるのですけれど、それは「不可能性ばかり」を見ていたからです。

実際には「過去に同じような人が実現できていたことを取り戻す」ことなど、本来は簡単なはずです。ですので、日本はパラダイスに戻ることができると確信して話を続けます。

いずれにしても、昨日の記事のバーネット大師の言葉の本当の意味を理解するまで、私はどうも「不可能性」にとらわれすぎていたようです。

「どうにもならない」

「もうだめだ」

「どうすることもできない」


このあたりの観念が無意味なものだということについては、バーネット大師も、あるいは、中村天風さんなども、「不可能性や限界線を築くことの無意味さ」を言っているように思います。「すべては実現可能なこと」だと多くの人が言っているのですから、すべてのことは実現可能だと考える他はないようです

病気もそうです。

あるいは何でもそうです。

なので、

「たった1人の(ひとりひとりの)」の「行動ではなく」、「考え」だけで、「すべてを変えることは可能」

だと考えるようにすることにしました。

こう考えることは難しいですが、そう考えるようにしました。

それでも、やはり、個人の力で日本全体を変えることなどできない?

そんなあなたにプレアデス。

こちらの記事で、一方的に宣戦布告して以来、交戦中の自称プレアデスの人ですが(苦笑)、その方の言う話のひとつをご紹介しておきたいと思います。

相変わらずの上から口調ですが、内容は私たちが「地球は地球でやる」ために、大変に必要なことが書かれているような気がいたします。


プレアデス人の言葉 vs 地球人の言葉




『プレアデス+かく語りき』 第21章 三次元で進化することにコミットする より

私たちの観点からすると、あなた方は、皆、すべてを知っています。あなた方がしなければならないのは、あなたという存在のなかに貯蔵されている記憶を活性化することだけです。

あなた方のなかには、人生を体験するなかで呻き声をあげ、次のように悲鳴をあげているのが、私たちにも聞こえます。「ときには、助けてほしい」。それでは、あなた方が歩むことのできる道、絶対うまくいく公式を提案しましょう。

その公式はきわめて単純なものです。瞬間瞬間、毎日毎日、あなたが何を体験したいかを明確に、首尾一貫してデザインすることです。おそらく、あなたが望むことは誰か別な人の境界線、限界線を敷いた考えからすれば、不可能の範疇に属するかもしれません。

自分がいかなることにも値する存在であることを優雅に受け止めながら、あなた自身のなかに、何があなたを幸せをもたらしてくれるのかの答えを探してください。

あなたに上昇感を体験させ、接続感を感じさせ、生き生きと躍動させてくれるのは何でしょうか。あなたが人間の身体に入っているそのときに、地球に平和をもたらすどのような体験をあなたは望むのでしょうか。

それがどのようなものであれ、いまこの瞬間から、それを願いはじめてください。

何度も強調しますが、あなた方は肉体的な存在を超えた存在です。あなた方は数多くの現実に同時に存在し、数多くの指導霊に見守られています。

ですから、何を意図するかについてもっと明確になる必要があります。あなた方は何がほしいのですか。はっきりいってください。あなたが意図することが何であるか明確になってください。”私は意図する”という言葉にはものすごい力が秘められています。





この、自称プレアデスの人の言うことには、かつての地球人と似た内容を含むことに気づきます。

19世紀のセルビアの予言者、ミタール・タラビッチの言葉です。

その部分をご紹介します。

訳は、2010年02月19日のヤスの備忘録の記事から拝借しています。

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・ミタール・タラビッチ(1829 - 1899年)




ミハール・タラピッチの予言(部分)

人間は地中深くに井戸を堀り、彼らに光とスピードと動力を与える金を掘り出す。そして、地球は悲しみの涙を流すのだ。

なぜなら、地中ではなく地球の表面にこそ金と光が存在するからだ。地球は、自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。人々は畑で働くのではなく、正しい場所や間違った場所などあらゆる場所を掘削する。

だが、本物のエネルギー源は自らの周囲にある。

エネルギー源は「見えないの?あなたの周囲にある。私をとって」などと言うことはできない。長い年月がたってからやっと人間はこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになる。

このエネルギー源は人間の中にも存在しているが、それを発見し取り出すには長い歳月がかかる。だから人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。

彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

だが、人間が一度この気づきを得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。この本来の知識はあまりに単純なので、これをもっと早く発見しなかったことを後悔する。

人間は、何も知らないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことをする。

人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。

人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係のもとで見えなくなってしまう。だれも彼らを強制するわけではない。

人間は自分の自由意思からこうしたことを行うのだ。





ここまでです。

このミハール・タラビッチ(長いですので、以下「タラさん」とさせていただきます ← 軽いな)の予言のこの部分は、まさに「現在の社会」という感じがしないでもないのですが、ここにある、

このエネルギー源は人間の中にも存在している

というフレーズは、さきほどの自称プレアデスの方の言う、

あなた方は、皆、すべてを知っています。あなた方がしなければならないのは、あなたという存在のなかに貯蔵されている記憶を活性化することだけです。

というものと似たニュアンスを感じます。

そして、

人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

というのも、プレアデスの人が地球人にうながしていることと大体同じですが、それでも、この書き方では「地球の人間もいつかは気づく」ということのようです。

また、

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。

彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

というように、「本を通して多くのことを考える」ような人たち、まあ、つまり私のような人たちは、「人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害」になると言っています。

では、どうしたらいいかというと、前回の、バーネット師の

「学ぶな」

というひとことに行き着くわけですが、他にも、大師の、

「知っていることを「すべて」忘れ、再創造しろ」

「あなた方はみんな間違っている」

「既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけない」


という言葉は、そのまま今の私たちに対する「実践的な言葉」として響きます。




自分から「限界線」を取り除く努力

もちろん、私もそうですが、突然「学ぶことをすべてストップする」ことは難しいです。
しかし、生活の中で、「考える比率を増やす」ことはできるはずです。

また、私の場合は書くこと自体が考えることにつながっていますので、「書いている時に思考を停止させないように」したいと思っています。

多くの人びとが、学ぶことより考えることを重視するようになる。

みんな、お釈迦様のように、達磨大師のように、中村天風さんのように、とにかく考える。

この偉人たちもみんな同じ人間ですから、私たちがこのような人たちになれないということはないと思います。いや、誰でも同じようになれるはずです。

「人間のデキが最初から違う」というような考え方もあるかもしれないですが、バーネット大師は、「天才なんかいない(人間は最初から能力を振り分けられているのではない)」としています。

人間は、「もと」ではなく、「考えるか、考えないかで変化していく」と言っています。

進化といってもいいかもしれません。

私たちは「進化」するためにこの地にいるはずです。
生物学的な進化ではなく、存在としての進化です。

自称プレアデスの人は、地球人が「不可能だと最初から決めていることが多い」として、

おそらく、あなたが望むことは誰か別な人の境界線、限界線を敷いた考えからすれば、不可能の範疇に属するかもしれません。

と言っていますが、それに呼応するかのように、地球人であるアントニオ猪木師は、

「限界なんて言葉はこの世の中にはない、限界と言うから限界ができるんだ」 アントニオ猪木語録

と、限界線を引かない地球人がいることも示します。

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・アントニオ猪木師


私たちには不可能はないんだということを「考える」。

今は不幸にして戦争相手ですが(勝手に戦争にしてんだろ)、自称プレアデスの人が言うように、私たち、地球の人間は、

肉体的な存在を超えた存在

であり、

その行動に限界線はない

として、タラさんが言っていた

> 人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

という「その年月を越えた時」に、私たちはおそらく何かを得ることになるのでしょうけれど、それまで私たちは考えなければいけない。

マグマ大使・・・じゃないや、バーナンキ・・・じゃなくて、師匠の名前忘れちゃいましたけれど、彼が言うように、既存の考えからいかに抜け出すかが今は最も大事なことで、それが少しずつでもできれば、とりあえずは「日本」としておきますが、あるいは地球そのものの未来を肯定的に変化させられるのだと思います。

メアリー・フレーザー英国公使夫人が、120年前の日本の滞在で、

「突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」

というような「切断」を人に与えられる国にきっと戻ることができるはずです。