2015年06月20日



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過去同様の美しき日本の未来を実現することは「必ずできる」ことを野口晴哉さんの言葉で確信する



着物を洗濯する女性たち(1897年 / 箱根村)
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Japan, Described and Illustrated by the Japanese






 



久しぶりに風邪を引きまして

実に軽いものなんですが、ひさしぶりに風邪を引きましたところ、夢枕に野口晴哉さんが現れ、こちらを見ています。

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・野口晴哉(1911年 - 1976年)

そして、

「風邪を引きましたね」

と言った後に、空中で爆発して消えました(どんな派手な消え方だよ)。

4月に、野口晴哉さんの『風邪の効用』という本を読んで、初めて、「風邪をひくということは、人間に備えられた偉大な治癒メカニズムである」ことを知り、

「風邪の症状は、人体の日常的で最大の治療者」

という認識を初めて得て、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれない…
 2015年04月21日

などの記事を書きました。

しかし、それ以来、自分自身が風邪を引く機会に恵まれませんでした。

というより、最近は本当に風邪を引かなくなっていたのですが、『風邪の効用』には以下のようにあります。


風邪をひかない人は身体が鈍くなっている人です。 身体が鈍くなると病気や異常なども感じなくなり自分は健康だと思っている。 そういう人は得てして大病で突然倒れるというようになるそうです 。


と、野口さんに脅されていたこともあり、「風邪を引きたいなあ」と思っていたので、風邪を引いたことは嬉しいのですけれど、ただ、熱が出てくれません。

風邪を引く場合は、熱が出ることが最も大事なことであるようなんです。

ガンの自然療法をしているドイツ医科大学のイセルス教授という方などは、

「世界には二人の名医がいる。それは食欲不振と発熱だ」

とまで言っていて(渡部昇一・石原結實共著『東洋の智恵は長寿の智恵』より)、熱をしばらく出していない私はアセるわけでした。しかし、いろいろと発熱を促したのですが、熱には至りませんでした。

ところで、先ほど、野口晴哉さんで検索していましたら、野口さんの語録を「ツイート」しているページを見つけまして、もちろん、亡くなったご本人がされているわけではないでしょうが、それは、

野口晴哉bot

というページです。

そこを眺めていましたら、先日の記事、

本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だったことを思い出し…
 2015年06月18日

という記事に書きました

不可能に思える未来像でも、ひとりひとりが「考える」ことで実現できる

という概念に近いことが語られている言葉がたくさんあることに気づきました。

いくつか抜粋してみたいと思います。


野口晴哉さん語録


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世界が広くとも、
一人一人の覚悟がきまれば、
そのようになる。
今、実現しなくとも、
いつかは必ずそうなる。




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自分でつくった観念のため、不可能なことだと決めてしまってはならない。
一箇のパンを百人で食べても余ることは、百箇のパンを一人で食べてしまうことより実現し易い。




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世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の世界の中心はあくまでも自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。



それにしても、野口晴哉さんは、他にも、いろいろなことをおっしゃっています。


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電球を割って光源を探しているのが
今までの病理学と解剖学だ。
しかし、体は影、実在してはいない。
無いものが病んでいる訳が無い。
体にこだわっていてはいのちは見えない。
いのちは体にあるのではない。



というように、

「体というものは存在していないのだから、ないものが病むはずがない」

ということを言っていて、このことについては、拡大していけば、

日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないかと思いつつ、それもまた仏陀の言う幻想かもしれないし
 2015年05月31日

という記事に書きました、お釈迦様の至った見解である、


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世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。



や、あるいは、「人間によって観測されるまでは、この世の現実は存在しない」という記事に書きました量子力学などにも通じるものなのかもしれません。

それらの境地は、なかなか体得はできませんけれども。

あとは、教育についても、野口さんは、


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人間の価値は、その自発的行動にある。
教育の目標は、自発性を養うことにある。
自発の行為だけが、人間の自然の動きである。



と、「まったく、そうなんだよなあ」と納得させられることを述べられています。

今の教育は全般としてこの逆(基本が詰め込み教育なので、子どもたちの自発性が養われない)ですから、なかなか健やかな心身の状態になりにくいような気はして、「ああ、困ったことだなあ」と思ったりしていたのですが、しかし、このような否定的な考え方も、野口さんに言わせれば、


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希望せよ 実現してもしなくても希望しつづけよ
活力の源泉として必ず働く



というように、肯定的な態度を、各所で勧めています。

勧めています、というより、「肯定的であること以外に真実はない」ということを述べています。

整体の大師である野口さんと共に、格闘の大師といえるアントニオ猪木師も、


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不安だらけの人生だから
ちょっと足を止めて自然に語りかけてみる
「元気ですかーっ!」
自然は何も言わないけれど
ただ優しく微笑みかえしてくれた
元気が一番
今日もサンタモニカの一日が始まる

アントニオ猪木語録



と、なぜサンタモニカなのかは今ひとつわからないですが、肯定的な態度を勧めてらっしゃいます。

そして、このアントニオ猪木師が「自然が、ただ優しく微笑みかえしてくれた」という状態を体感できたことは、猪木師が肯定的態度を獲得していることを、野口さんの言葉から知ることができます。


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この世にどんなことが起ころうと、どんな時にもいつも楽々悠々息しつづけよう。
そしてこの心ができた瞬間から、小鳥は楽しくさえずり、花は嬉しそうに咲き、風は爽やかに吹きすぎる。



ここに、日本の整体のチャンピオンと、日本のプロレスのチャンピオンが精神的タッグを組むという歴史的な快挙を見せるのであります。




かつて、世界で最も人々が自由だった日本という国

最近たまに引用させていただく『逝きし世の面影』という本の中に、江戸末期から明治中期くらいの日本が、外国人から見て、どれだけ自由な国だったかということを示すものがいくつも語られています。

1820年から 1829年まで、出島のオランダ商館に勤務していたフィッセルという人は、著書に以下のように書いているそうです。


フィッセルの著作より

日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も享受していないと普通想像されている。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。

専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない。

自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。

勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している。

日本では、上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。



また、日本や東洋の宗教や美術を研究したエミール・ギメという人は、当時の日本について、

「なぜ主人があんなに醜く、召使いがこれほど美しいのか」

と記していたり、他の多くの外国人たちの言葉からも、当時の日本は、身分の高い人たちではなく、

身分が低い人たちや庶民が生き生きとして輝いていた国

であったことがはっきりとわかります。

これは先日の記事に書きました、メアリー・フレーザー英国大使夫人の、

「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間たちのなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」

という言葉からも伺えます。

そして、人の数としては、今も昔も圧倒的に上流階級より「大衆」が多いわけで、つまり、人口の大多数である大衆の人たちが豊かに生き生きと暮らしていたのですから、国全体が生き生きとしていたのも、ある意味では当然なのかもしれません。

そして、ここには、

「ひとりひとりの考え方」で、その国全体の方向付けができあがる

という意味が含まれていることにも気づきます。

『逝きし世の面影』には、「子どもの楽園」という章があるのですが、このように、当時の日本は「子どもにとって楽園のような国」だったことや、当時の日本での「女性の存在感の大きさ」について語られているように、もう、本当にいい国だったようです。

当時、日本にやって来た多くの外国人(というか、白人)たちは、日本の大衆の生き生きとした様子に、一様に感動し、また、「奴隷という言葉のない国」の在り方に驚きました。

だったのなら、本来なら、当時の日本人の生き方と考え方のほうこそ、当時の彼ら白人たちの文化のほうに伝えるべきだったのが、それが本末転倒となって現在に至ってしまっています。

これはネイティブ・アメリカンの文明と西洋文明の関係など、世界中のあらゆる文明に言えることだとは思いますが、つまり、

「西洋の文明と価値観が、東洋に伝わってしまった」という、間違いが起きた

ということに今となって気づくという感じですかね。

私はそれが明治維新の頃かと思っていましたが、実際には、その転機は「戦後」だったようです。




和服のこと

掲示板で、「着物」についての歓談のスレッドがありますが、それを最初に書いた方によりますと、


最近沢村貞子さん(明治41年-平成8年)の随筆を出版されているだけ全部読んで思ったのは、第二次世界大戦が終わる頃までは、江戸らしさは残っていたということです。

もちろん、鹿鳴館で貴婦人がドレスを着たり、大正デモクラシーの頃は女学生が袴にブーツで闊歩したりしていましたが、庶民はふだんは着物を着ていましたし、日本髪も今ほど特別な髪型ではなかったのです。



とのことです。

確かに、考えてみますと、戦後ずいぶんと経ちました私が子どもの頃でも、つまり、昭和 40年代くらいでも、母方も父方もお祖母ちゃんたちは普段着は着物や割烹着でした。お祖母ちゃんたちの洋服姿は、多分見たことがないです。

その世代がいなくなったあたりから、着物文化は途絶したのかもしれません。

着物を着たからどうだということではないでしょうけれど、「服装」はその民族を語る上で、ある程度は大事ですしね。

シュタイナーは、1924年2月13日に、

「なぜ服を着るか」

というタイトルの講演をおこなっています。

そして、シュタイナーは、その講演で服飾は本来、「民族の集団的心魂」を表していると語っています(『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されています)。

それはともかく、今は、全世界が、ほぼ洋服というような感じですし。

ちなみに、私は 10年くらい前から、家の中では寒い冬以外は、甚平や作務衣などの和服で過ごしていて、夜はほぼ毎日、和服です。

なので、夜、お酒を飲む時は下のような感じになっています。

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日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景

そして、この格好のまま寝ます。

また、あまり関係ないかもしれないですが、私は椅子とテーブルの生活ができず、この数十年、ずっと床に座る生活です。食事はちゃぶ台、パソコンも座卓です。床に座る生活は、洋服より和服が楽なんです。

実際、これらの生活に慣れると、部屋で洋服で過ごすのは難しいです。

本当は近場の外出などは甚平か作務衣にしたいのですが、今住んでいるあたりでは、和服で外出している男性をほとんど見ません。

かつて住んでいた西荻窪は、若者もご老人も結構、和服で歩いていたので、甚平や浴衣で歩くことに、それほど違和感のない街でした。

下のは、検索して出てきました、西荻窪のかつて私の住んでところからすぐのところにあった民家を改装したカフェです。このあたりには、下のようなお若い和服の女性も和服の男性もわりといました。

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着物ライフ愉しみまくり♪

先ほど書きましたような、シュタイナーが言う「服飾は「民族の集団的心魂」を表している」ということがある程度正しいのだとすれば、第二次世界大戦が終わるまで長く続いた「和服時代」と、上に書きましたような「世界で最も生き生きとした国だった日本」との関係も、完全に無関係とは言えない気も少しだけします。

もし、よろしければ、過去記事で何度か取り上げました「 120年前の日本」の写真のすべてが、

Japan, Described and Illustrated by the Japanese
(日本人によって撮影され彩色された日本)

というページにありますので、ご覧いただければと思います。

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どの写真も、被写体の多くが庶民ですが、きわめて穏やかな顔立ちを見ることができると思います。

今の写真撮影でありがちな「カメラを向けられた時に作る恣意的な笑顔」などもなく(白人文化のように、笑顔を強迫する文明は実は戦闘的だと思います)、淡々としていて、穏やかとしか言いようのない表情を見て取れるのではないでしょうか。

おそらくは気持ちの安定は、「見かけ」にも影響するのだと思います。

そして、私たちがこの時代に回帰することは、野口さんの言葉をお借りしなくとも、決して不可能ではないはずです。

まずは、ひとりひとりが「必ずそうなる」と心底思うことからすべてが始まるはずです。