2015年07月03日



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大量死の時代に生きる意味 : 鳥のいない地球をもたらすのは磁場の変化なのか、それとも、それは人間と地球の変化の兆しなのか。そもそも大量「死」とは何か



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WIRED







 


続く同種類だけの大量死の中で

今年は1月の、

動物の大量死のリンクから思う現在の「異常の真実」から改めて松果体の意味を考えている時…
 2015年01月21日

という記事や、4月の、

途方もない「大量死の時代」の進行が加速していた : 2015年最初の4ヶ月だけで270件…
 2015年04月30日

などの記事以来、何度か動物の大量死について書いたりしていました。

正確な比較をしたわけではあませんが、とにかく、今年はここ数年の中でも突出して大量死報道が多い年のように思えます。

そして、

…地球では今日も粛々と「1種類ずつの大量死」が続いている
 2015年05月28日

という記事では、「ひとつの種類の大量死が多い」ことなどにもふれています。

たとえば、魚などの大量死の場合、海が汚染されていたり、海水温の異常や何らかの海の異常があるのならば、その海域にすむ、もっと多くの種類の海洋生物が影響を受けるような気がするのですが、1種類だけの魚が大量死する。

あるいは海だけではなく、1種類の鳥、ミツバチ、コウモリ、ヒトデ、アシカ、クラゲ、カメ、クジラ、だけが大量死する。

ウイルスなどの病気であるならば、確かに1種類だけの大量死はあり得るのかもしれませんが、こちらの記事でご紹介しました、アメリカ西海岸の1種類のウミドリの大量死(原因不明の餓死)や、ハクガンだけの大量死(原因不明)、チリのミズナギドリ1種類の大量死(原因不明)など、今ひとつ理解しにくいものが多いです。



「死」とは何?

そういえば、自称宇宙人の方の言葉が書かれてあるとされている『プレアデス+地球をひらく鍵』という本の中に、以下のような下りがあったことを思い出しました。


『プレアデス+地球をひらく鍵』より

地球が変化していくにつれて、地球に住む動物の多くはこの惑星を離れていくことになるでしょう。

人が苦しみを体験していくなかで、地球上の波動はきわめて異なったものとなるでしょう。すべての人々の内部に集合的な苦しみが溜まっており、あなた方を解毒するには、これらの苦しみを表面に出さなければなりません。



これは「地球が変化していくにつれて、地球に住む動物の多くはこの惑星を離れていくことになるでしょう」という部分と前後のつながりがよくわからなく(唐突にこのフレーズが現れます)、長く抜粋しても意味がなさそうなので、短く抜粋していますが、理由はわからないながら、

> 地球が変化していくにつれて、地球に住む動物の多くはこの惑星を離れていくことになるでしょう。

と、この方は言っています。

そして、この「地球の変化」というのは、つまり「人間の変化」ということと密接に関係しているもののようですが、そうだとするのなら、今、私たち人間と地球は共に変化しているという時なのかもしれません。

だったら、地球の動物はもっともっと、どんどん大量死した方がいいということ?

いや、これはふざけて書いているわけでもなく、大量死というのは文字通り大量の「死」のわけですが、「死とは何か」ということについて、人生の中できちんと考えずに生きてきたことにふと気づいたのです。

このことが私たちが江戸の日本人のようになれない最大のポイントだとも思うのですが、それはともかく、これまで思考のローテーションとして、

「大量死は悲劇」という側面しか見てこなかった自分

に気づきます。

この「大量死は悲劇」という考え方は、「自分で考え出したもの」というより、小さな頃からの教育などの価値観の中で育ったもので、あくまで与えられた価値観であり、自分で考えて考えて出した結論ではないはずです。

大量死が良いとか悪いとかいう以前に、「大量死の価値観について、自分でちゃんと考えたことがなかった」ということが自分の問題であることに気づいたといってもいいです。

こういうような「自分で考えたこともないのに、その価値観を当然だと思っている」ことは、私などの場合、他にもたくさんありそうです。

ところで、先ほどの自称宇宙人の文章の続きには、「人間の死」について書かれてあります。

そこを抜粋します。

自称プレアデス人は、死に悪い観念を持っていないようです。


『プレアデス+地球をひらく鍵』より

地球の変化は、死と同じことであると考えられています。地球に住むあなた方は死についてほとんど何も知りません。これから訪れるさまざまな転換は、死について学ぶ素晴らしい機会を提供してくれるでしょう。

人が死ぬと、何かよくないことが起きたと考える人もいます。何かが失敗したとか、何か間違ったことが起きてしまったように見えるわけです。

私たちには、これとはまったく正反対に見えます。

地球を離れていく人たちが、これまでもっていなかった、新しいものの見方を身につけて去っていくのがわかるからです。

彼らがそのような贈り物をもって地球を去ることで、はっきりした目的意識を放射することによって、あなた方の多くが心を開き、あなたが何の目的でこの地球にきているのかを悟らせているのです。



本ではさらに長く「死」について語っています。

この「死に対して特別の悪感情を抱かない」というあたりは、やや意味は違うかもしれないですが、

日本式ファイト・クラブ:この世こそ極楽であることに感謝し…
 2015年06月29日

などでも抜粋しました、江戸・明治期の日本人の死生観の形成の根幹にも通じる可能性のあるものなのかもしれません。

おそらくは、江戸・明治までの日本人は現在ほど唯物論的(宇宙のすべての存在と現象の根源を「物質で説明する」世界観)ではなかったのだと思います。

「死の概念」を肯定的に受け入れるには、唯物論的な考え方をしている限り、何千年経っても、それを獲得することはできないでしょうけれど、「生命の本質(おそらく物資として存在しない)」だとか、「物質の正体(おそらく物質は存在しない)」だとかを考えに考える先に、やっと、「死の概念」さえも肯定的に受け入れることができるのかもしれません。

まあ、実際よくわからないことですけれども。

私自身、「この世には何も存在しない」ということを現実的に、あるいは客観的に理解することはできませんが、しかし、そちらが真理であることは、ほとんど明白であろうという確信があります。

中村天風さんの言葉の、


tenpu-face-s1.jpg

人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、実は形の見えない気の中にあるのである。


などを読み返しましても、天風さんのおっしゃるように「形の見えない気の中に生命がある」のだとしたら、「形の見えない」ものが死ぬことはあり得ない

一方で、肉体は確かに死を迎えるかもしれないですが、物質不滅の法則(質量保存の法則)から考えると、肉体も永遠に循環していると想像できます。

こう考えると、「終わり」としてのイメージが強い「死」という概念には、実はどこにも「終わり」という言葉をつける部分がない気もしてきます。

死は何を終わりに導くものなのか。

あるいは、終わりとは関係ないのか。

このあたりがわかれば、「死の概念」に対して、否定的な側面ばかりではない観念を持つことができるのかもしれません。

まあ、先ほどの自称宇宙人の方は、「これから訪れるさまざまな転換は、死について学ぶ素晴らしい機会を提供してくれるでしょう」と言ってくださっているわけで、これから、そういう機会にどんどん恵まれてくるのかもしれません。

それに伴って周囲では大量死がさらに増えるのかもしれないですが、粛々とその意味を考えるのも悪くない気がします。

今日は、アメリカのアイダホ州で起きた鳥の大量死について書こうと思っていたのですが、少し話がそれてしまいました。



鳥が消える日

米国アイダホ州の南西部で、道路に沿って死亡した鳥が延々と広がっている光景が、YouTube にアップされていました。

idaho-birds-01.jpg
Strange! Dozens of Dead Birds in Southwest Idaho, 6-27-15


あまり気持ちのいいものではないかもしれませんが、下はその動画を短くしたものです。




アメリカでは、 2010年の大晦日から 2011年の新年にかけても、アーカンソー州で「空から雨あられと鳥が落ちてきた」という出来事がありました。

こちらの記事に、クリスチャン・サイエンス・モニターの報道を訳したものを載せたことがあります。


2011年1月4日の米国クリスチャン・サイエンス・モニターより

アーカンソーの新年は不気味な喧噪と共に始まった。

3,000羽にも及ぶブラックバード、ムクドリモドキ、ムクドリなどが、まるでヒッチコックの映画のように空から降り注いできたのだ。

アーカンソー州の鳥類学者カレン・ロー氏は以下のように述べる。

「今回の事件は地元の人々のトラウマになってしまっていいます。こんなことが大晦日に起きたこと、そして、あまりにも多くの人々が、鳥たちが空から落ちてくる光景を目撃してしまったんです。ショックを受けている人が多いです」。



こういう出来事があり、「 2011年はどういう年になるのだろう」などと思っていましたが、この 2011年は、アメリカよりも日本が大変なことになる年となってしまいました。

この 2010年から 2011年という年も、今年ほどではないですが、大量死報道の多い時でした。特に「鳥」関係が多かったです。

多くが原因不明でしたが、それらを多少まとめました、

鳥と魚の大量死をめぐる報道より(3) 世界に拡大する大量死と磁場変動説
 2011年01月06日

という記事の中で「各地で鳥が落下しているのは、磁場の異変が原因ではないか」というものをご紹介したことがありました。

その記事によりますと、鳥というのは、生きる上(移動する上)では、顔のいわゆる「目」はそれほど重要ではないようで、鳥は、

・くちばしの細胞で磁場を感知する
・光受容体細胞の中にあるたんぱく質(クリプトクロム)で磁場を「見て」いる


という二つの機能で、磁場と密接な関係を持っているのだそうです。

そして、鳥の移動はほぼ完全に磁場によってなされていると考えられます。

つまり、地球の磁場が正常な状態でなければ、鳥は地球上で移動しにくくなる(移動できなければ、鳥はおそらく生きていけません)ということが言えるのかもしれません。

さきほどのアイダホの鳥の大量死の原因はわからないですが、その現場では、「まだ生きてはいるけれど、飛び立つことも歩くこともができない鳥たち」が、多く見られます。

idaho-bird-002.jpg


鳥の命は「移動」と同義なのかもしれません。

磁場に生存をゆだねているのは鳥だけではなく、 WIRED の「鳥は量子もつれで磁場を見る」という記事には、

鳥類に限らず、一部の哺乳類や魚類、爬虫類、さらには甲殻類や昆虫も含む多くの生物は、地球の磁場の方向を感知して移動の手がかりとしている。

とありまして、地球上の多くの生き物たちが磁場を移動の目印としていることがわかります。

磁場に大きな変化があれば、あるいは「磁場が消えれば」(地球の磁極が反転する時にはその可能性があるそうです)、多くの動物たちは地球で生きることは難しくなるのかもしれません。

過去記事の、

急速に消えていく地球の磁場 : 地球の「磁場の反転」は今すぐにでも起きる可能性を示唆する欧州宇宙機関( ESA )の科学者の言葉
 2014年07月15日

など、たびたび書いたことがありますが、この数年、非常に急激な磁場の変化が起きていることが確認されています。

そして、下の図でわかるように、特に、南北アメリカ大陸の磁場が異常に弱くなっていることがわかります。

欧州宇宙機関のSWARM衛星が観測した2014年6月までの半年間の磁場の変化
magnetic-2014-jun3.gif
Livescience


また、地球の磁場そのものが、観測が開始されてからの130年間くらい、ずっと弱くなり続けています。

1880年から2000年までの地球の地磁気の強度の変化
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5月に、英国のガーディアンで、「ヨーロッパで、鳥類の3分の1が絶滅の脅威にさらされている」という内容の報道がありました。

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▲ 2015年5月15日の英国ガーディアンより。


このガーディアンの記事によると、この調査は、ヨーロッパの都市部ではなく、地方、つまり「自然の多く残っている場所」でおこなわれたもので、その結果として、ヨーロッパでは、

・鳩は、1980年代から 90パーセントの減少
・ひばりとホオジロの数は、ほぼ半減
・10分の 1の野生ミツバチが絶滅
・鳥類の生息地の 77パーセントの環境が悪化
・ヨーロッパの鳥類の半分に危機
・ヨーロッパの動物の4分の3が危機


というようなことになっていて、これが自然が多く残る田舎での話ですので、都市部を含めて考えますと、なかなか厳しいことになっているのかもしれません。

同じような調査として、「日本のスズメの数が 50年で 10分の 1に激減」というものがありました。
過去記事にあります。

suzume-decline-2010.jpg
東京新聞


スズメの減少に関しては、ヨーロッパでも同じで、6年前のクレアなひとときの「スズメのこと。ナラが消滅していること」という記事で、2006年のインディペンデントの報道をご紹介したことがあり、それによれば、イギリスでも、過去 15年間でスズメの数が 90%減っているそうです。

そのインディペンデントの記事は約 10年前のものですから、今はどうなっているのか。

いろいろな動物が消滅していってはいますが、何となく、「鳥は目立って減っている」というようなことも言えるのかもしれません。

鳥がいなくなる世界・・・なんてのは寂しいですが、「地球の変化」という言葉と共に、この現象をもう少し眺め続けたいと思っています。

しかし、自分の周囲だけに関していえば、今年は鳥が多いです。

私の家の周囲は単なる住宅街ですが、なぜか鳥がとても多く、私の部屋も窓を開けると、一日中、鳥の声が聞こえます。

今年は特にツバメが多くて、周辺の建物でも、たくさんの巣でツバメの子どもたちが育っています。もうじき、電線の上でツバメの子どもたちが飛ぶ練習を始める姿を見られると思います。

そういう環境に住んでいますので、以前よりは鳥に思い入れはあるのですけどね。
仕方ないことは仕方ないのでしょうかね。