2015年07月06日



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植物が「緑色」であり続ける理由がわかった! そして人間の生活システムの完成は「植物との完全な共生」にあるのかもしれないことも



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vividscreen






 

植物が生存のためには「非効率的な色」をしている理由

今回書こうとしていることは、「植物が緑色である理由」と関係するものですが、このことは、前回の記事、

オランダの女性たちが発見した奇跡のエネルギー生成 : 生きた植物と生きた微生物と水のコラボレーションが生み出した驚異の発電法 - Plant-MFC
 2015年07月04日

を書いている時に、ふと思ったことです。

震災の2ヶ月後くらいに、

緑の意味
 2011年05月02日

という記事を書いたことがありますが、この記事は「なぜ植物は一律に緑なのか」という疑問についての記事でしたが、4年の歳月を経て、この答えがわかったかもしれません。

なお、この「植物はどうして緑色なのか」という疑問については、ほとんど形而上的な質問でもあり、わかっているのは、「緑色に見える理由」だけで、「緑色である理由」の答えはいまだにありません。

植物が緑であることの「謎」は、植物以外のすべての生物、たとえば、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫やそれに類するものから、微生物や細菌などに至るまで、あらゆる生物は種により様々な「色」を持っています。

花に止まる蝶
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kingofsmile


プランクトン
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coastalcare


しかし、地上の植物は、ほんのわずかな例外を除けば、その葉は緑色です。

地球上のあらゆる生物の中で、植物ほど、どの種類もすべてが同じ色を持っているというものはいないのです。

花の色や大きさ、葉や全体の形、 育つ環境や、生育のしくみなどは、植物ひとつひとつでまったく違うのに「葉が緑である」ことから外れた植物はほとんどいない。

ここには何か地球の創造と関係するような「大きな必然性」があるはずです。
偶然でこんなことになるわけがない。

まず、最初に、この問題の最も大きな壁であるひとつの事実、

「光と水で生きている植物にとって、実は、緑色という色は最も効率が悪い」

ということを少し考えてみます。

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緑色は植物の生存には最も適さない

まずは、4年前の記事でも抜粋しました、社団法人 日本技術士会 北陸本部のウェブサイトにあります「彼らはなぜ「緑色」を選んだのだろうか・・・???」というコラムから抜粋します。

これが、植物と携わっている人が、いつかは辿りつく究極の問いです。
少し長い抜粋ですが、これ以上は削ることができませんでした。


彼らはなぜ「緑色」を選んだのだろうか・・・???

ほとんどの植物の菓っぱは緑色をしている。そんなことはあまりにも当たり前すぎて、以前はな〜んも気にならなかった。毎日空気を吸いながら、空気の存在そのものを忘れてしまっているように。私がこの世に生まれるずっとずっとず〜と以前からそうだったはずだし、私が神に召された後もやっばりず〜とそうだろうと思う。(略)

植物の葉が緑なのは、「葉が緑色の光を反射あるいは透過し、他の色の光を吸収している」という理由による。

つまり、葉は緑色の光をあまり必要としないということである。光のエネルギーを取り入れて糖を生産(光合成)するのに、緑色の波長領域のエネルギーを捨てた……ことを意味している。

ところが……である。(私の記憶に間違いが無ければ、ここが重要!!)

地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがあるらしい。最強の緑色光を使えば、例え曇天の日でも光合成が可能となるんじゃないか? その方が明らかに効率的ではないか。

光のエネルギーを利用して光合成を行う植物が、最も強い光を吸収しないで捨てる。そういうメカニズムになっている植物たちって、一体なんでやねん!?!

なんでそんな非効率的で訳のわからん選択をするのだろう?

単に、神様の御戯れかな???

数億年も前に植物が誕生してから、ずっとずっと緑で来たのだろう。だから、緑であることが何か非常に重要な合理性を持っているはず。

そして植物たちが選択して来たその合理性は、強いエネルギーの光を捨てて相対的に低いエネルギー利用を選択することの意味を納得させるだけの説得力を持っているはずである。(どなたか、知っている人がいたら是非教えて下さい!!!)

植物たちと付き合いはじめてから35年もの時間が流れてしまいました。

その間、ほとんど毎日目にしている彼らが「緑色」であることに対し、ほとんど意識をしなかった。ところがある日、ふと気になり出すと多いに気になり、その疑問を捨てられなくなってしまう。

35年も見続けて来ながら、そんな基本的なことすら解っていなかったのだなあ〜と、かなり凹んでいます。彼らが緑である理由はいまだに解りませんが、自分の無知さ加減は身にしみて解りました。

願わくば、「なあ〜るほど!!!」と納得してから神に召されたいと思います。



このコラムを書かれた方は、植物と35年も付き合ってきた方だということのようですが、それから4年経っていますから、お元気なら、植物と付き合って 40年ということになりそうです。

この方の持つ疑問とは、「太陽の光と色の関係」と「色はどうして、その色に見えるか」ということから考えてくと、わかりやすいと思います。


色の発生の原理

太陽光がその物質に当たったときに、光は、

・反射する光
・吸収された光


とにわかれます。

light-color.jpg
生物史から、自然の摂理を読み解く


上の図にありますように、「目で見える色は、反射した太陽光」ということで、実は、私たちは物質の色を見ているのではなく、

「反射した光が目に入ったものを脳で感じているだけ」

だということになります。

たとえば、植物なら、その葉が緑色に見えるということは、植物が緑の光を「吸収しないで反射している」から緑に見えていることになるという理解でいいのではないかと思われます。

ところで、「見る」ことに関して、さらに言いますと、反射した光は意識しなくともこちらに向かってくるのですから、実は、

「物体を見ているというより、反射した光(電磁波)を脳が感じているだけ」

とも言えます。

これが「見る」という行為の実相ですが、さらに言いますと、これはちょっと別の話になってしまいますが、赤とか緑とか白とか様々な「色は存在する」と私たちは何となく思っていますが、実は、色は存在しません。

「どうしてその色をその色だと人間は感じるのか」は、これもまた永遠の謎

なのです。

下の図は色の分布で、図の下に「電波」とか「マイクロ波」とかが書かれてありますが、つまり、私たちは電波とかマイクロ波とかいう「波長に色を感じている」わけです。波長に色などはついているわけもないのに、私たちはそれを「色」と認識します。

光のスペクトル
spectrum.gif
光とは


電波にもマイクロ波にも赤外線にも紫外線にもX線にも当然、色はついていません。
しかし、それらの波長を私たちは「色」と感じている。

過去記事の、

…数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな春の夜
 2015年03月22日

など、この春くらいから私は、「形は音(周波数)から作られているのではないか」と思い始めていることについて何度か記したことがありますが、色に関しては、上記のように、曖昧なことではなく、「本当に存在しない」のです。

単なる波長をなぜ人間が「色」として感じるのかは、永遠の謎とされています。

しかしまあ、このことは今回のこととは違う問題ですので、「この世は、色も形も存在しない」ということについては、置いておきます。

さて、「存在している色」としての緑の話に戻ります。

上の図の「色のスペクトル」を見てみると、真ん中に緑色があることがわかると思います。
つまり、緑の光は「強い光」なのです。

先ほどの「日本技術士会 北陸本部」のコラムの中に、

地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがある

という下りがありましたが、太陽光の中で最も強い緑の光を、植物は「吸収していない」ことになるのです。

ここから考えますと、光合成で生きる植物にとって、自分の体が緑色であるということは、非常にエネルギー効率の悪いことになっているのです。緑色の光は強いものですので、これを吸収するほうが良いはずです。

そして、体の色としては「黒」がベストです。

しかし、植物はそれを選ばないで、最も非効率で不適切とさえいえる緑色で生きている。





エネルギーを与えるために

ここまで書いたことは、簡単に書きますと、

光で生きる植物が効率よく生きるためには、緑色ではないい方がいいのに、現実は植物はほぼすべてが緑

ということで、これは一種の永遠の謎とされています。

ちなみに、「人間の血はどうして赤いのか」も同じように謎といえば謎です。

面白いのは、色には「反対色(補色)」という概念がありまして、互いの色を引き立て合う効果があります。

反対色は、下の色相環といわれる図で「円の反対に位置するのが反対色」で、その色同士がお互いの色を引き立て合います。

color_wheel.gif
補色 - Wikipedia

これを見ますと、「赤の反対にあるのは緑」であることがおわかりかと思います。

人間の血の色である赤は、植物の色である緑を引き立て、植物の緑は人間の血の赤を引き立てるという構図になっているのでした。

話を戻しますが、地球の植物の多くが「光で生きている」のに、その生存のために最も効率のいいはずの緑の光を「拒絶する色」である緑であることを植物は選んだということになります。

エネルギー生成の観点からは、本来は「植物の色は黒に近いほうが理想的」です。

なぜ、植物は黒にならなかったのか。

植物という存在は完全なもので、進化上の間違いなどということがその歴史の中で起きるわけがない。

効率だけ考えるのなら、植物は緑色など選ばなかったはずです。
なので、「効率」以上の理由がそこにあるはずです。

いわゆる進化論というものがあるのだとすれば(そういうものはないですが、仮にということで)、植物の多くは、黒っぽくなったはずです。

その方向で進化していけば、森や草原に行くと下のような風景の地球になっていたということですね。

植物が光合成に対して効率のいい色だった場合の世界
black-forest-01.jpg


きわめて味気ない風景となってしまいますが、この方が緑よりはるかに効率的に光合成がおこなえるだけではなく、曇りの日が続いても、弱い光しか入らない場所でも「黒いボディの植物」なら、効率的に体内に光を取り込めるので、植物自体の生存には優れているはずです。

しかし、そうはなりませんでした。

多くの地球の森などの色と光景は下のようになっています。

現実の植物の色
nature-green.jpg
DR.ODD


私たちの多くは、このような緑を見て「美しい」と思えますが、なぜ、このような美しい光景を保って、あるいは「自らの生存条件を弱くまでして」植物は緑色の存在として長い年月を地球で生きてきたのか。

もっとも光合成の効率の悪い色を選んでまで、植物が緑であり続ける理由は何なのか。

前回の植物での発電の記事でご紹介したものの中に下の文章があります。
実はこの部分を読んで、今回のことに気づいたのでした。


プラント- e 社は、植物が光合成をする際に、その 70パーセントが使われていないことを発見した。

根を通って排出されるその廃棄物は C6H12O6 (グルコース)の化学構造を持っており、それが微生物によって分解され、二酸化炭素(CO 2)、プロトン(H+)と電子(e - )になる。



なーんと、植物は、光合成において 70パーセントもの「無駄」を作り出していた。

ただでさえ効率の悪い「緑色」の体をしている上に、70パーセントもの無駄を出しているなんてのは、やはり植物は不完全なものだった?

しかし、植物の意志はどうであれ、これで助かる存在があります


それは人間です。


植物が無駄にした廃棄物があるからこそ、人間はそこから「エネルギー(電気)」を取り出すことができます。

電気はこの地球上で人間だけが使うものです。

その源となるエネルギーが、植物という人間の身近で自然発生している。

しかも「あえて植物が無駄な光合成の効率をとる」ことによって、初めてそこに電気というエネルギーが発生する条件が生まれている。

そして、植物が、光合成を「効率悪く」おこなえばおこなうほど、電気転換の効率は良くなる。「効率悪い光合成のため」に最も適した色は何か?

それはおそらく「緑色」です。

そして、その理由が「植物は人間と共生するために存在しているから」だと思うに至ったのです。

先に結論的なことを書きますと、植物と人間の関係は、エネルギー生成の合理的な理由を含めて、

人間のいる場所の植物は緑色でなければいけないという原則がある

というもので、そして、あとは

人間は植物の緑を美しいものだと感じるという原則がある

こともそれと同じことだと確信しました。

この原理は先ほど書きました「なぜ人間が色を感じるのかはいまだにわかっていない」ことと、色の正体が「音(波長)」であることと関係していると思われますが、とりあえずは、上のふたつの「原則」が地球には存在しているという「理屈のない断定」でも構わないと思います。




植物と人間の一体性

植物の緑色という色は効率の悪い光合成のためには最適で、そして、「歴史の中で、いつかは人間がそこからエネルギーをとることができる」ことを植物か、あるいは「誰か」がその時を待っていた

先ほども書きましたが「色は基本的に単なる波長」で、そこに色はありません。しかし、私たち人間は、原初から「その波長の電磁波を、それぞれの色だと感じるように」作られている。

それらに加えて、様々な物体にある「色」で様々な感情を持つことができるようになっている。

空の色、雲の色、太陽の色、土の色、植物の色……。

私たちは植物の葉の色を緑色だと感じていますが、しかし、先ほど書きましたように、そこには何もないかもしれないのですが、そのことは別としても、ほとんどの人は「緑の植物がたくさんある光景を美しい」と思うはずです。

grass-green.jpg
magic4walls


特に、都市部などに住んでいて、緑と離れた生活をしていればいるほど、この傾向は強いような気がします。

「なぜ緑が多い光景を美しく感じるのか」というのも根源的な謎としか言いようがないですが、「これが地球の原則」だと思いこんでしまえば、それで十分なのだと思います。

結局、植物が緑である理由は、植物サイドのことだけを考えていては、その答えは出ないものだったということに気づいたわけで、

「植物と人間の関係」という括りを考える中で始めてわかる

のだと思います。

それが間違いであっても構いません。

地球のすべての生物(細菌と、非生物のウイルスを含む)や鉱物が人間の味方であることは間違いないですが、今回書いていることを考えると、植物はちがうと思うようになりました。

植物は、味方とか仲間とか、そういうものではなく、

「植物と人間は一体のもの」

だと確信できます。

水と空気と気温がある地球という大前提があれば、実は、人間は植物だけを生活の糧(食料、建物、道具、衣服、電気・・・)として生きていけることに気づきます。

もっと言えば、「植物由来以外のものは、実は人間の生活では必要ないのではないか」という気さえします。

まあ、鉱物とかはちょっと必要ですかね。
石とか金とか鉄とか。

動物や鳥や魚や爬虫類や両生類や虫や微生物などの生き物やウイルスたちは、「私たち」の環境を作ってくれているとても重要な存在です。

そして、この「私たち」というのは「植物と人間のこと」だと思います。

それに加えて、少し前に書いていた「健康関連」の記事などを思い出しますと、植物は私たち人間の「心身の健康」とも関連している気もします。食べたり薬にする方の話ではなく、植物の存在そのものの話としてです。




植物とリラックスと白血球の状態の関係

多くの人は、緑の自然を見たり、それにふれるときに、リラックスしたり、美しいと感じたりすると思います。緑を見て怒り出したり恐怖したりする人はそんなにはいないはずです。そして、植物でリラックスを感じるならば、植物とふれる時間が多ければ多いほど、そのリラックス状態は長時間に及ぶといえると思います。

これほど簡単に人の心をリラックスさせるものは(見るだけや、そこにいるだけで、のような)、他にあまりないような気がするのですが、過去記事の、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

などで、新潟大学名誉教授の安保徹さんという方を取り上げたことがあります。免疫学の権威である安保さんは、白血球中の顆粒球とリンパ球のバランスが崩れることで病気が発生するという説を確立しています。ガンもです。

安保さんの主張から考えますと、基本的には、緊張や感情が高ぶるような状態ばかりだと、白血球のバランスが崩れて病気が起きやすくなる(リラックスし過ぎるのも同様です)といってもいいかもしれません。これは、交感神経と副交感神経の働きとも関係することですが、詳しくは 日本自律神経免疫治療研究会のウェブサイトなどをご参照下さい。

緊張状態が過度に進むと、心だけではなく、実際に体の病気を引き起こすといってもいいのかもしれません。

そういう意味では、簡単に確実にリラックスできる「緑の中で過ごしたり、植物にふれること」そのものが健康法だと考えることに、それほど違和感はないように思います。

そして、実は「植物の健康」も人間が改善させてあげることができるのです。

過去記事の…これは自分で書いた記事の中で、最も自分の生活に役立っているもののひとつですが、

驚異の植物の防衛力アップ法が米国の生物学者の研究により判明:その方法は「さわること」
 2012年04月23日

という記事があります。

これは、米国ライス大学の生物学者たちが、植物が人間にさわられることで、「ジャスモン酸エステル」という植物のホルモンを多く分泌することを突き止め、そして、このジャスモン酸エステルこそが、植物を「強く美しくする」のです。

つまりは、

「植物は毎日さわるだけで強くなる」

のです。

下は「右」が毎日さわり続けた植物(ペンペン草)ですが、姿形が乱れることなく、茎も曲がらず、まっすぐ育っていることがわかります。また、ジャスモン酸エステルは虫の嫌う成分ですので、「さわればさわるほど、虫がつきにくくなる」とも言えます。

さわらない植物(左)と毎日さわり続けた植物(右)
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・Rice University


左のさわっていない方は、背丈こそ伸びていますが、茎も弱そうで、虫や病気にも弱いそうです。

私はこれをこの記事を書いた3年前からまめにおこなっていますが、今年は植物にアブラムシが、ほぼまったくつかない状態で春を乗り切りました。

人間が植物にふれると心身共に健康になるのと同じように、植物のほうにも人間にふれられると「健康になる」プログラムがあるのでした。

「植物は人間にふれられるために作られた」

とも言えるかもしれません。

このあたりにも植物と人間の「一体」を感じます。

人間が地球に存在する限り、植物は存在し続けるでしょうし、逆のこともいえるでしょう。

人間のいないところでは、おそらく「緑の」植物は育たない。

このことから、古代など、まだ人間が地球上にいない時に植物が繁栄していた時があるということに、やや違和感を感じてきました。

もしかすると、すべての時代において「人間」がいたのかもしれないと思えて仕方ないです。

それはともかく、植物は、発電法を含めた「エネルギーの人間との共有」をスムーズに行う意味で、緑「でなければならなかった」ということにもなり、また、植物の緑色は、人間が食べてその体を維持するすべての栄養素が含まれている意味も含むはずです。

植物の「人間との共存の中での完全性」を示す色が緑だったのでした。
植物が緑色以外であることは考えられないことなのです。

そして、今回のことで思ったのは、人間が植物と「完全に共生・共存」できた時に、地球の人間の生活システムが完成するのだという確信でした。