2015年07月08日



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毒の効用 : 植物毒もまた人間文明の手助けをしてきた…ことを書いているうちに、話がローン・ガンメンにまで逸れてしまって申し訳ありません



『健康全書』 (1474年)に描かれたマンドラゴラ
Mandragora-Tacuinum-Sanitatis.jpg
▲ 毒草であり、薬草としても用いられてきたマンドラゴラ(マンドレイク)。伝承の世界では、魔法薬、錬金術、呪術、媚薬、不老不死の薬として使われたともされています。写真の絵は、マンドレイク - Wikipedia より。






 




毒という漢字は「 生 + 母 」

前回の、

植物が「緑色」であり続ける理由がわかった! そして人間の生活システムの完成は「植物との完全な共生」にあるのかもしれないことも
 2015年07月06日

を読まれた方が、掲示板に「植物全般に毒があること」に言及されていまして、確かに植物は種類によりますが、多かれ少なかれ、毒性があります。

私は「なるほど、人間と一体のものが、人間を害する毒を持つってのもアレかねえ」などと思って、ぼんやりと「毒」という漢字を見つめていましたら、毒という漢字は、

生 + 母

という構成をもつ漢字であることがわかりました。

ちょっと調べてみますと、Google ブックスにありました『大人の漢字教室』という本では、この「生」は、語源的に見れば、「生まれる」、つまり誕生のことを意味すると書かれていまして、さらには、「生」という漢字は、

土 + doku-kanji.gif

とわけられるそうで、土は土のことで、もうひとつの「 doku-kanji.gif 」は、「芽を出した植物を象形で書いたもの」なのだそう。

つまり、「毒」の上の部分は、植物が土から芽を出して「生まれる」ことを意味して、その下に「母」という字があるという構成になっていることがわかります。

「母」というのは、母親のことだと思っていましたが、漢字の語源的には「母」という漢字は「お母さんのおっぱい」を意味するのだそう。

お母さんのおっぱいは、赤ちゃんが育つための唯一の栄養ですので、漢字の構成としては、

「毒」という漢字は、生まれたばかりの植物が育つための唯一の栄養源を意味する

ということになりそうです。

次の瞬間、

「植物の毒はおそらく自然良能だ!」

と、まだ何の根拠もないのに「そうだと断定する気持ち」が湧いてきて、そのまま私の中に定着しました。

とはいえ、根拠なく断定したことを、そのまま書くというわけにもいかず、「植物の毒と人間の関係」を少し調べてみることにしました。

すると、それは、毒の歴史 - Wikipedia の1行目の記述におおむね表されていることを知ります。

その1行とは次の文章でした。

毒の歴史では、毒に関連する歴史を記述する。今日から紀元前4500年にまで遡ることができる。


毒の歴史の年代は、まさに「現代に直接関係する人類の文明史の年代」とリンクしているといえそうです。

ここで、文明 - Wikipedia を見てみます。


文明のゆるやかな成立

新石器時代の狩猟採集から、原始的な農業を経て、村、町、都市へとゆっくりと発展して、文明が成立していくため、文明が一気に成立するわけではなく、文明に至る階段を登ることになる。

例えば、シュメール文明は最古の文明の一つだが、BC5300年頃のウバイド文明から、ウルク期のBC3200年の文字の発明まで2000年を要している。

原始的農業を経て灌漑技術を生み出し、都市を構成し、冶金技術も生まれ、神官階級が文字を生み出し、歴史時代が始まる



植物毒の歴史の年代を考えますと、どうやら「毒」は、人類の文明史と寄り添って人間と関わってきたらしい雰囲気があります。毒は古代では、ほとんどが植物から採取されています。




植物毒の歴史と人類文明史とのリンク

ここで、先ほどの「毒の歴史 - Wikipedia 」に戻ります。


毒の歴史 - 概要

毒は武器や、毒そのものの解毒、そして薬など様々な目的で用いられ、毒性学(トキシコロジー)やその他さまざまの学問において飛躍的な進化を遂げてきた。

発見されたのは太古の昔であり、原始においても文明化ののちにも獲物や敵を素早く確実に倒すための道具として使用された。



その後、使われる毒は、植物毒から化学合成された毒へと変化して現代に至っています。薬も植物から化学合成に変化しました。現代の毒は、今の社会では少し困った部分があるとはいえ、良い悪いという価値判断は別としても、人間の技術進歩を示すものではあります。

そして、植物毒の歴史の流れの中に、薬と毒の知識と技術の発達があります。良くも悪くも、植物の毒が人間の技術へ刺激を与えたといってもいいかと思います。

ちなみに、自然の毒は強いものは大変にすさまじいもので、化学的に合成した毒などでは全然かなわない部分があるようです。これについて、たとえば、日本薬科大学の船山信次教授は、以下のように述べています。


毒と薬は表裏一体。身近に存在する自然界の毒

船山 「毒」は”怖い””恐ろしい”といったイメージが強いかもしれませんが、実は非常に身近な存在です。

そもそも「毒」というのは、人間の都合で命名したに過ぎません。生体に何らかの作用を及ぼす化合物の中で、私たちに芳しくない影響を与えるものを「毒」、都合の良い働きをする場合を「薬」と呼んでいるだけです。つまり、毒と薬は表裏一体で、これを私は「薬毒同源」と唱えています。

──「毒にも薬にもなる」というような表現には、そうした由来があるのですね。毒にはどのような種類があるのですか。

船山 まず、自然界由来のものと、人工物に分けられます。植物、動物、微生物などの毒が自然界由来で、農薬や、サリンのような毒ガスなどが人工物に分類されます。そして、自然界由来の「毒」の方が、圧倒的に種類が多く、一般に、毒性も強いのです。

──それは意外ですね。ニュースなどで聞く「メタミドホス」に代表される人工的な毒の方が、「毒」の中心だと思っていました。

船山 例えば、「ボツリヌストキシン」という微生物の毒がありますが、これは1gで約5500万人もの命を危うくしてしまう程の威力があります。一方、有名な人工物の毒である青酸カリウムは、フグの毒の約1000分の1の毒性しかありません。これ以外にも、強い毒性を持った自然の毒は数多くあります。



このように、自然の力は、毒においても人間の作り出すもの超えている例が多いことがわかります。おそらく、どんなに頑張っても、人間が「ボツリヌストキシン」(ボツリヌス中毒を起こす菌)と同程度の毒性を作り出すことは無理でしょう。

しかし、自然はすごいですが、しかし、人間の自然利用のすごさはそれを上回っていまして、この超猛毒のボツリヌストキシンは、Wikipedia によりますと、

ボツリヌストキシンは、医療用医薬品としては、 2010年現在、83ヵ国で様々な疾患に用いられている。

というように、薬で使われている他、美容整形では、「ボツリヌス・トキシン注入法」というものが、プチ小顔やプチしわとり、「お顔の若返り」などで使われているというあたり、猛毒もなす術がないようです。(「ボツリヌストキシン」で画像検索すると、ほとんどが美容関係)

ところで、船山教授は「薬毒同源」という言葉を使っています。

これは多くの過去の賢人たちも言っていることで、偉大なる医師ともいわれ、また魔術師ともいわれ、後世のホメオパシーにも着想を与えたパラケルスス(1493 - 1541年)は、

「すべての物質は毒である。毒でないものは何もない。摂取量によって毒にも薬にもなる 」

と言っていたことが、経済産業省のこちらの資料に書かれてあります。

パラケルススは植物学者でもありましたが、この「すべての物質は毒」というフレーズはなかなかすごいですが、確かに、そういうものなのかもしれません。

たとえば、トリカブトは毒草として有名ですが、『毒のある植物』という本には、トリカブトに関して、古代や中世では、「猛毒を説明する」場合と、「薬としての説明」されているものがそれぞれが記載されています。

また、アイヌがトリカブトの毒を用いて生活の糧としての道具としていたり、中国では戦争に使われていたことなども知ります。


『毒のある植物』より

トリカブト矢毒

洋の東西を問わず、毒草としてこれほど世界に広く知れわたっているものはないでしょう。アイヌ民族は熊や鯨を獲る毒矢に利用しており、また古く漢代の中国では毒矢用に調整したエキスを「射罔(しゃもう)」と称して、戦争に用いています。

インドのトリカブト「ビシュ」は中世アラビアでは有名で、11世紀のアラビア医師イサ・ベン・アリは、「インドにある三種のトリカブトの一種は最悪で、この毒を体に塗るだけで肉が破れ、毒蛇の毒より速く体内に入り相手を殺すことができる。また、この毒汁は矢尻にも塗られ、それで射られたものは必ず死んでしまう」と記しています。

また一方では古代インド人や中国人たちはこの毒を積極的に薬として開発しています。矢毒になる毒を古代から薬として用いたのは、このトリカブトが唯一のものでしょう。

『神農本草経』には、新陳代謝機能のおとろえた状態を元気にする薬として、手足の関節の麻痺、疼痛の治療、代謝機能失調の回復、虚弱体質者の腹痛、下痢など、内臓器官が弱った結果おこる症状の復活などを目的として用いています。

ただ毒性がきわめて強いため、中国ではトリカブトの毒性を減じるため種々の修治(加工)が工夫されています。



こういう「猛毒を医療に転用する」ためには、大変な思考と労力と、そして、犠牲もあったでしょうけれど、これらは、人類史に「新しい技術」を生み出し、「医療」を進歩させ・・・というように、植物は毒の面でも人類をサポートしていることがわかります。




植物、戦争、文明

先日の植物発電についての記事、

オランダの女性たちが発見した奇跡のエネルギー生成 : 生きた植物と生きた微生物と水のコラボレーションが生み出した驚異の発電法 - Plant-MFC
 2015年07月04日

に私は、

植物は、自分から排出される廃棄物が発電に使えることが「人間に発見されるのを待っていた」ように思えます。

と書きましたが、トリカブトや、あらゆる「毒草」も同じように、「人間に毒(=薬)として発見される時を待っていた」ように感じます。

植物発電のこともそうですが、植物の隠された「本態」が明らかになるたびに、少し人類の文明は進む、ということを繰り返してきたよにう思います。

衣服の歴史も植物利用の歴史ですし(本来、人間の衣服には「世界と人間の結びつきを表すものとして」大変重要な意味があったことをシュタイナーは述べています)、何でも植物が関与しているように思えます。

その中で、植物毒の場合は具体的にその役割を上げますと、先ほど漢の時代の中国で「戦争にトリカブトの毒を使った」ことが書かれてありますが、毒は人間社会に対して、

・戦争
・暗殺(政治の劇的変換)


などに大いに使われていくと同時に、

・医療
・薬学
・美容


の発展にも大きく貢献したということになりそうです。

ところで、「戦争」は、否定的な側面が強調されやすいですし、実際に否定的なものかもしれないですが、「戦争が医学を発展させてきた」ことは残念ながら事実で、近現代のほとんどの戦争はそうだったと思います。

たとえば、看護師の始祖といえるナイチンゲールが後世に残る看護書を示せたのも、クリミア戦争(1853-1856年)で従軍看護師として、兵士たちの看護に当たっている中で見出していったことです。

ここに、医療のひとつのパラドックスがあって、それは、

「怪我人や病人の存在がなければ、医療は進まない」

ということです。

たとえば、クリミア戦争では、病院で夥しい兵士たちが負傷で亡くなっていく中で、ナイチンゲールは「看護の気づき」を得たのでしょうし、そのナイチンゲールの看護への姿勢は、その後、百数十年続く看護の基礎となっています。

今、私たちが緊急医療などで命を助けられている背景には、過去の膨大な負傷者、病気の人、そして膨大な死者がいます。その上に現代の快適な生活システムが存在しているということを思い出します。

また、戦争は統計学をはじめとする数々の学問を生み出し、通信技術、輸送技術をはじめとする様々なテクノロジーを飛躍的に発展させてきました。

生活に本当に必要かどうかは別として、現代社会で私たちが使っているさまざまなもの、ジェット機、レーダー、緊急医療システムなどは、戦争から生まれたものだそうです。私たちが日々使っているインターネットも、多少それと関係します。

道徳的な観点や理性の面からは、戦争は否定的で悲劇的な存在であることも事実であっても、現実は理性とは逆であることも事実のようです。

しかし、これを逆に考えれば・・・。

戦争から生まれたような技術は、本来の人間の生活には必要のないものかもしれない」

とも思いますが。

最近の私は、理想的で、最も進んだ人間の生活は、植物との直接的にふれる生活だと思っていますので、それを突きつめれば、ジェット機だとか車だとかレーダーだとかテレビだとか、あるいは、インターネットさえも必要かどうかは微妙なところではあります。

植物の話から、何だかわからないですが、戦争に及んできてしまいましたが、しかし、植物は「提供する側」ではあっても、植物は人間に「これを使って何々をしなさい」と命令するわけではなく、考えるのは人間の役割です。意志と自我は人間にあります。

気づいて、そして考える。

人間の生活に必要なものを何でも提供してくれる植物を、私たちがどのように社会で利用するのかは、私たちが考えることです。よい社会にするのも、そうでない社会にするのも、私たちの役割です。

ふと、ここで、

「いつか賢明な人々が現れて、この車が全人類の利益にかなう使い方を見つけてくれる日を待っている」

というフレーズを思いました。

これは、かつてのアメリカのテレビドラマ『ローン・ガンメン』の中の台詞の中の「車」を「植物」に置き換えたものです。




いつか賢明な人々が現れて、全人類の利益にかなう使い方を見つけてくれる日

話が逸れますけれど、先日、うちの奥さんと下のような会話をしました。

奥 「ローン・ガンメンがまた見たくて、中古ビデオ買っちゃった」
私 「え? ローン・ガンメン、ビデオないじゃん」
奥 「Xファイル外伝で、2作品だけ入っているのがあるって知ったの」

「ローン・ガンメン」は、ご存じない方のほうが多いかもしれないですが、2001年にアメリカで放映されていたドラマで、もともとはXファイルの登場人物の、いわゆる「スピンオフもの」として放映されたものですが、視聴率が悪く、シーズン1(13話)で打ち切りとなり、日本では一度だけ衛星か何かで放映されただけで、基本的にビデオも DVD も出ていないという一種の幻のドラマです。

日本では Wikipedia 項目さえないです。

まあ、下の冴えない中年男性3人が主人公ですから、仕方ない面もありそうですが。

Lone-Gunmen-the-lone-gunmen.jpg
・Lone Gunmen

しかし、内容的にはどれも大変おもしろいもので、「ローン・ガンメン」という新聞を発行している上の3人(と2人の関係者)が、アメリカ政府の陰謀、石油メジャーや大企業の陰謀に立ち向かう様子をギャグ・テイストで描いているものです。全体の7割をギャグが占める一種難解な「陰謀論モノ」といえます。

ちなみに、ローン・ガンメンは、第1話の「パイロット」というストーリーが、


アメリカ政府が「民間航空機を遠隔操作して、ニューヨークの世界貿易センタービルに意図的に衝突させること」を企てている情報をローン・ガンメンのメンバーが知ることとなり、それをハッキングで阻止する。


というストーリーでした。
同時多発テロの半年前に放映された回です。

pilot-no1.jpg
・Lone Gunmen


要するに、911とまったく同じようなことがドラマで展開されていたのです。
ちがうのは、ドラマでは阻止されて、911では阻止されなかったことです。

アメリカ政府がそんなことを行う理由は、ドラマによれば、


旅客機テロを中東の反米国家や反米勢力が行ったこととしてでっち上げ、戦争を煽り、武器の売り上げを上げるため。


と説明されていました。

ドラマが放映された半年後にドラマと同じようなことがニューヨークで起きます。

現実に起きたことが、あまりにもドラマの内容と似ていたために話題になったこともありますが、それでも日本で当時 13本の吹き替え版をフルで見た人はあまりいなかったのではないかと思います。

その数少ないフルで見たひとりが私なのでした(笑)。

とっても偶然の話で、奥さんの女性の友だちが偶然、衛星で放映されていたローン・ガンメンの第1話を録画していて、見たら面白かったらしく、奥さんに「見るといいよ」と貸してくれたのです。

ふたりで見ていて、

「ああ、これは面白いね」

と結局、13話全部を見たのでした。

しかしそれ以来、十数年見られる機会もなく、「そのうち DVD でも出るでしょ」と言っていたのですが、 DVD もビデオも出ない。

そうしましたら、つい最近、先ほど書きましたようなことで、十数年ぶりに見ることがでたきのでした。

どうして、ローン・ガンメンの話などを書いているかといいますと、このビデオに入っていたうちの1本がとても私の好きな話で、そのドラマの中のナレーションがそれが先ほど書きました「いつか賢明な人々が現れて…全人類の利益にかなう使い方を見つけてくれる日を待っている」というフレーズを思わせるものだったからです。

「夢のプラン( Dream Plan )」というタイトルのその回のストーリーは、ローン・ガンメンのメンバーのひとりが、政府に情報公開を求める中で、ある資料を手に入れ、


1970年代のアメリカで、石油を使わずに、水だけを燃料として走る水力自動車が開発されていたが、水で走る自動車の登場を快く思わない石油メジャーはその車と技術を封殺しようとし、それ以来、破壊されるのを避けるために、どこかに車は隠されている。


ということを知ります。

そして、あらゆるハッキング技術を使って、その「フリーエネルギー自動車」の場所を探し出すのですが、それを作った今は亡き科学者のおこなったことは、ローン・ガンメンが考えていたこととはまったく違うことだったのです。

博士は「この夢の自動車は世に出してはいけない」と、自ら封印していたのです。
そして、娘さんに自分の意志を伝えます。

ローン・ガンメンと娘さんにこのような会話がなされます。

娘さん 「これは壊さなくてはならないのよ」
ローン 「何を言い出すんだ」
娘さん 「それが父の望みよ。父は自分では壊すことはできなかったけど、これ(夢の自動車)は存在すべきじゃない」
ローン 「どうしてだ? ガソリン要らずの無公害カーがどうして存在してはいけないんだ? 世界の経済にも寄与する」
娘さん 「ええ、すごいでしょうね。でも、その結果、開発ブームが巻き起こる。」
ローン 「ああ、それは当然だろう」
娘さん 「そして、車に乗る人が増え、車で行くところもどんどんと建てられる。そうなれば、消費だって増えるわ。もっと木が伐採され、道が作られる。道の舗装に何を使う?……石油よ」

まだ会話は続くのですが、夢の車として開発した無公害自動車が、むしろ石油の使用を増やし、さらに自然を破壊するものになるかもしれないとして、開発した博士は自らこの車を封印したのです。

そして、ストーリーでは、実は、石油メジャーこそが、この「夢の車」を探し続けていたのです。石油メジャーは「石油の使用量をさらに増やすため」と、「夢の車を収益のもうひとつの柱とするため」に、この水力自動車を大々的に売り出すことを目論んでいたのでした。

このストーリーを見て、私は、

「物事は一方向からだけ見ていてはわからないものだよなあ」

と納得した記憶があります。

まあ、最後はハッピーエンドで、

「いつか賢明な人々が現れて、この車が全人類の利益にかなう使い方を見つけてくれる日を待っている」

というナレーションが入り終わるのですが、「植物と人間と戦争」のことを書いていて、ふと、このフレーズを思い出したのでした。

下がそのシーンです。

ローン・ガンメン - ドリームプラン ラストシーン



うーん、見事に話が逸れてしまいました。

ここまで話が逸れると、ここから植物の話に戻るのは難しそうですが、今回の話の主軸は「植物の毒もまた人間と寄り添って存在している」ということでした。

そして、植物を利用する私たちは、それをどのように利用するのが正しいのかを、これから考えなければならないのだろうなあと。