・Galaxy Dynamics
安保徹さんの絶対的な肯定的態度に感嘆し
この記事は、
・悪憎むなかれ、病気憎むなかれ、地震憎むなかれ・・すべての自然災害は必要だから地球に存在する
2015年08月01日
の続きということになりますが、その記事では、新潟大学名誉教授の安保徹さんの『人が病気になるたった2つの原因』という本の中にある、安保さんの理念である、
「ガンを含めたすべての病気は、身体内部での適応現象であり、必要があるから起きている」
という「ガンもまた悪ではない」としている意見などから、ふと思ったことを書きました。
その安保さんの本の「おわりに」という最終章に、前回の記事に通じる「この世の正体」に気づかされた部分がありましたので、その部分をご紹介したいと思います。
ところで、前回の記事で、
> その中にある安保さんの「圧倒的な肯定的姿勢」にやや驚きながらも、
と書いたのですが、その部分は、たとえば以下のような記述です。
安保徹『人が病気になるたった2つの原因』 ガンは「ありふれた病気」より
顕微鏡で観察すると、ガンがとてもまじめに、一生懸命に分裂しているのがわかります。いろいろな先入観をはずしてありのままに見れば、その働きはけなげで、とても悪い存在には思えません。
そして、そのページには下のイラストが。
・安保徹『人が病気になるたった2つの原因』
ガン細胞も、これまで人間に「なんて真面目なのだろう」とか、「なんて、けなげなのだろう」というような積極的な評価をされたことはなかったのではないかとも思え、ガン細胞たちの努力も報われる感じがしたものでした。
この安保さんの本を読みますと、ガンというものは、悪いどころか、人間のために必死で働いている存在であることがわかります。
では、この本の「おわりに」をご紹介します。
ちなみに、安保さんが今のご自身の理論を得たのは、もちろん長年の研究の基礎があってこそですが、究極的な結論に行き着いたのは、「ある日の夜の突然の気づき」によるものだったようです。
安保徹『人が病気になるたった2つの原因』 おわりに
湯たんぽで起こった体の変化から気づいたこと より
本書でご紹介したような新しい生命論理に気づくきっかけとなったのは、忘れもしない、2008年1月10日の深夜のことです。
寒い夜のことでしたから布団をたくさんかけ、湯たんぽをして眠っていました。普段ならばぐっすり朝まで眠れるのですが、この日はどういうわけか、ふと夜中に目をさましてしまいました。
ぼんやりした状態でふと湯たんぽを置いていた皮膚の一帯を見ると、とても薄くなっているのに気づきました。また、それだけではなく股間もあまり元気がありません。
おそらく、普段ならば見過ごしてしまうようなことだったでしょう。
ただ、私はこの現象がとても気になり、眠れないまま体の変化の理由について考えていくうち、大きな気づきを得ることができたのです。
(ここから、ミトコンドリア系と解糖系という2つの人間のエネルギー生成のシステムの身体への作用について書かれていますが、省略いたします)
この現象だけ切り取ると、解糖系の働きは悪者になってしまいますが、果たしてそんなとらえ方でいいのだろうか?
いや、解糖系を悪者にしてしまえば、そもそもガンになることも悪いということになってしまう。しかし、私たちの体で起こることはすべて必然であり、そこには必ず生命の智恵がある。
私がこれまで見出してきた生命観に立てば、細胞をガン化すらさせる解糖系の働きにも何か深い意味が隠されているのではないか − 私はそのとき始めて、ガンも一つの適応現象であることに気づいたのです。
それは感動に満ちた、とても深い気づきでした。
(略)
忘れてはならないのは、それ(ガンを含めた病気)が適応現象であったということ。すなわち、必要であったからこそ生じたのです。
この深い気づきを得ることで、私たちは本当のバランス感覚が手に入れられます。生きることの素晴らしさ、あるいは、プラスとマイナス、陰と陽で成り立っているこの世界の本質を肌で感じられるようになるでしょう。
そして、その気づきは、自分自身の生き方に反映させていけるものです。
誰かに教えてもらう、誰かに治してもらうというこれまでの不自由な生き方から脱却し、自分の人生を切り開いていける知恵にもなります。
ここまでです。
ここで、安保さんは、
> 陰と陽で成り立っているこの世界の本質を肌で感じられるようになるでしょう。
というように、「陰と陽で成り立っているこの世界の本質」と表現されています。
これを読みました時に、「そうそう、そうなんだよ」と呟いてしまいました。
そんなことは当たり前のことのように感じられるかもしれないですが、この「陰と陽」という概念が「真理の原則」であり、「絶対的真理」だと感じると、とらえ方も少しちがってくるのではないでしょうか。
おそらくは、もともと存在していないこの世の中を存在、あるいは維持させている「根幹」は、陰と陽のような「2つのまったく性質が相反する存在」だと、ふと思ったのです。
それが常に同居してこそ「存在」は維持される。
安保さんは医学者ですから、身体と健康のことを語っているのですが、同時に、安保さんの言葉と概念は、「人間の体は完全なものだが、その完全性は、相反するふたつの働きが常にお互いを支え合っているから存在する」ということで、これを知りますと、「人間の体と宇宙の存在が同じシステムで動いているかもしれない」ことがわかるのです。
バランスで維持されている。
陰と陽、プラスとマイナス、生と死、雄と雌、そして、「善と悪」・・・。
人間の体が、「2つの異なる働きを持つシステムが、完全なバランスを持って働いているとき」に、人は健康でいられるわけで、バランスが崩れた時に病気になります。
他のさまざまな存在についても、それは同じなのだと思います。
安保さんの理論の「体内の相反するふたつの働き」には、
・エネルギー生成における「解糖系とミトコンドリア系」
・白血球内の「顆粒球とリンパ球」
・自律神経の「交感神経と副交感神経」
などがありますが、それぞれが適正な働きの比率があり、それが崩れた時に「病気」になります。そして、病気になることで、そのバランスを正そうとするわけです。
「病気とは、バランスの崩れた人の体の内部で起きる、その人のバランスを治すための適応症状であり、敵でも悪いものでもない」というのが安保さんの理論の根幹です。
「解糖系とミトコンドリア系」という概念は少し難しいですが、安保さんの理論の根幹でもありますので、湯島清水坂クリニックのページから抜粋しておきたいと思います。
解糖系とミトコンドリア系
エネルギ―を得るには、2つの系統があります。1つは解糖系で、もう1つがミトコンドリア系です。
解糖系は、酸素を使わず、糖質を分解してエネルギ―をつくり出します。ミトコンドリア系は、酸素を使って、食事で得られた糖や脂肪、たんぱく質や解糖系で生まれたピルビン酸を材料にエネルギ―をつくり出します。(略)
ストレスによって交感神経の緊張が持続すると、血管が収縮して低体温になり、解糖系のエネルギ―が主体となってきます。低体温、低酸素、高血糖の状態です。ガンや糖尿病の状態であるといえます。
このうちの「解糖系の」というのは、
・低酸素
・低体温
の状態となり、ガンの状態をおしすすめるものですが、健康関連の話はともかくとして、私がこの安保さんの「おわりに」を読んだ時に得た気づき、すなわち、「人間は体内でバランスによって、常に完ぺきな状態を保とうとしている」ということを知ったことから思ったことは、大変に大きなものでした。
ただ、それと共に、私たちは、下のグラフのように、「ガンの死者数が異常に増え続けている原因」について、もっと真剣に考える必要があると思っています。これは、これからの、私や皆様も含めての、「自己防衛」とも関係するからです。
人口10万人に対しての死亡率
・厚生労働省 人口動態統計
この数十年の、この急激な死者数の増加の原因は、大体のところは推測できますが、今後、このガンの死者数がさらにアップするなら、その推測は正しいことになるかもしれないですが、それは私のような素人が書いても、信憑性がないですので、書けません。
それは「なぜガンが人を死に至らしめるような状態になるのか」という「作用」と関係しています。
どなたか、著名なお医者様などが書いて下さるといいのですが。
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善も悪を創りだしている自分とペアの自分
昔、クレアなひとときで、
・ペアである自分
クレアなひととき 2011年01月28日
という一連の記事を書いたことがあります。
ペアである「自分」とありますが、
「自分」
というものの正体は、量子力学などの新しい物理学と、かつての神秘思想が交錯する今の時代となってしまえば、きわめて不安定で、たとえば、「人間によって観測されるまでは、この世の現実は存在しない」という記事などで書きましたような、
存在そのものは「瞬間瞬間に自分たちが生み出し続けている意志」から創られる
というような難しい問題もあるわけですが、あるいは、シュタイナーの言うような「人間という存在」は、
・肉体
・生命体(エーテル体)
・感受体(アストラル体)
・自我
の4つから成っていたり、16世紀の医師であり錬金術師だったパラケルスス(1493 - 1541年)の言う「人間という存在」は、
・身体(地上界 / 目に見える世界)
・精気(天上界 / 目に見える世界)
・魂(霊的世界 / 目に見えない世界)
という3つからできていると主張したりということで、今の普通の科学が言うところの「ひとつの肉体の人間」という単純なものではない、ということがあったり、とにかくややこしく考えればキリがないのですが、今ひとつここで、
「たったひとつの自分」というものがある
という概念で考えてみた時に、先ほどの宇宙真理、すなわち、「すべてがペアからなっている」ということから考えると、
「たったひとつの自分」では成り立たない
ということを知ります。
すなわち、「ペアである自分」という概念は正しかったわけですが、しかし、
ペアはどこに?
という問題が出てきます。
今、その記事を読み返しますと、その記述にやや納得する面もありました。
ペアである自分(2) 宇宙の場所
クレアなひととき 2011年01月28日
「現実の宇宙に対応した宇宙はそれぞれの自分の体内に、観念的ではなく、現実に存在しており、そして、自分自身も[自分のペア]も、その体内の中にある宇宙にいる。外に広がっている宇宙の姿は、自分の体内の中に存在する宇宙が投影されて、見えたり認識しているもの」
これを書いた4年前に気づいていなかったことは、体内や、あるいは宇宙のペアの存在は「互いにちがう性質を持っていなければならない」ということです。
ですので、ペアである自分は、自分の中で、陰と陽のように、あるいは、ミトコンドリア系と解糖系のように「お互いに相反する性質を持って」存在している。
自分の中にある、自分と相反する性質の存在。
ここを自覚することに、私たちが生きている世界に、
「善」
と
「悪」
の概念や性質がどのように生成されるかのヒントがありそうです。
たとえば、当然ながら、私もそうですが、人には「善」と「悪」の両方の面があります。
なお、その前段階として、私はもともと、何を善として、何を悪にするかという「基準」がわからなかったのですが、自称プレアデス姐さんの言葉などから、
善悪の基準に置くことは「愛」
であるということで問題ないように思います。
自称プレアデス姐さんは、この世の基本はすべて周波数だと主張していて、たとえば、「愛の周波数」といものがあり、それが人間に作用するか、というようなことを本の中で述べていますが、今回書いていますのは。そのようなややこしいこととはまた別の話です。
とにかく、基準は愛、という部分はとても納得したのです。
そんなわけで、
・「愛」に則っている思考・行動なら善。
・「愛」に則っていない思考・行動なら悪。
ということになりそうです。
そして、「ペアである自分」は、「自分自身」が善悪どちらに傾いても、必ずサポート(あるいは影響)し続けているということなのかもしれないです。
体内の、たとえば、ミトコンドリア系と解糖系のバランスが崩れれば病気になりますし、電池のプラスとマイナスの「どちらかが力を拡大」するようなことがあると、電気として機能しないはずです。
それと同じで、自分と「ペアである自分」の善悪は、本来のその働きでバランスがとられているはずです。
「自分という存在は、その存在すべてが相反する2つの働きによって支えられている」
と。まあ、そういう仕組みではないかもしれないですが、とりあえず、そう考えてみます。
それを自分の生活の中に生かしてみる。
たとえば、丁寧に自分に問いかける。
不安や恐怖、罪悪感がある時なら、その反対の作用がどこからか出てくるはずのように思います。
そして、逆にいえば、愛に満ちた人物になった時にも、常にもうひとりの自分は「悪」を語り続けてくると思います。
小説『エクソシスト』で、エクソシストのメリン神父が、
「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」
というところがありますが、
> 悪からでさえ、善が生じてくる
のではなく、
悪からだからこそ、善が生じてくる
という、「悪を生み出せるものは善だけだし、善を生み出せるものも悪だけ」ということになりそうで、これを体の反応のようにあらわしてみますと、「悪は善に対して、善は悪に対しての適応症状」だというのが正しそうです。
・映画『エクソシスト』
あるいは、日月神示の、
第21巻 空の巻 第八帖
悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ
なども、「善と悪が、相反しながらのみ存在できるもの、あるいは一体であるもの」だということだとも理解できるかしもれません。
何だか、よくわからないことを長々と書いてしまいましたが、今回ご紹介しました安保さんの記述は、実生活上のこととしても励ましになります。
すなわち、
誰かに教えてもらう、誰かに治してもらうというこれまでの不自由な生き方から脱却し、自分の人生を切り開いていける知恵にもなります。
という部分です。
病気は他人(医師など)に治してもらうという考え方を変えて、薬も病院も基本的には必要ない生活を獲得できれば、これから世の中がどんなことになったとしても、それほどおそろしくはなく、むしろ混乱する先の社会が楽しみになってくるはずです。