感謝するという意識の真意は「すべてと一体化するため」の実践方法であることに気づいた日
今回のタイトルは、1964年のアメリカ映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のパクりですが、私が最も好きな娯楽映画のタイトルをつけたくなるほど感動的な「必然」がありました。
ところで、昨日の記事、
2015年08月07日
の中で、『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という本の内容のご紹介で、誤解されかねない流れがあったので、少し書いておきたいと思いますが、その中で、1985年に医学誌『ランセット』に発表された、ロンドン王立大学病院の医師たちによる論文で、下のような心理的傾向グループごとの 13年生存率の違いを記しました。
1. ガンへの闘争心を持ち続けた人たち(生存率約 80 %)
2. ガンであることを否定する人たち (生存率約 50 %)
3. ガンを消極的に受け入れた人たち (生存率約 30 %)
4. 無力・絶望に陥ってしまった人たち(生存率約 20 %)
この中の「最も生存率が高かったグループ」の説明の中に、グラフでは「闘争心」とあるので、そのままにしたのですが、「闘争心」だけでは、どうも「ガンを敵にする」というイメージがありまして、少なくとも、この『幸せはガンがくれた』という本の全体的な主旨とは大きく違うものですので、「ガンの際に、闘争心を持つことが良い」と伝わってしまったのでしたら、それは本意ではないことを記しておきたいと思います。
ガンは敵でも憎むものでもないです。
そして、この本の主旨は、
「ガンになった人が、ガンになったことを愛するようになった軌跡」
の例が多く書かれている本だと思っていただければいいのではないかと思います。
そして、読み進めるにつれて、この中に出てくる、ある女性の「体験」に、私は、頭を 50キロのハンマーで殴られたような衝撃を(死ぬわ)、まあ、死なない程度のハンマーで殴られたような衝撃を受けたのでした。
そして、そこから私は、コンクリートブロック 10個をロープで巻きつけられ、東京湾に投げ捨てられたかのような(死ぬわ)、まあ、とにかく、大変な「意識革命」を自分にもたらすことができるかもしれない目覚めの「淵」にいるかもしれないことを感じるようになることができたのです。
そのことを少し記したいと思います。
絶対的な「感謝」の心
この『幸せはガンがくれた』には感動的な記述が多いのですが、特に、最終章の「12章 ガンからの贈り物 − 料理教室の人たち」という章の感動度は相当なもので、そこを読むことだけでも価値があるかもしれません。
ガンを憎むとか愛するとか、そういう地平を飛び越えて、「ガンになったからこそ今の自分の幸せが掴めた」というような、ガンが治った後もなお、「ずっとガンに感謝し続けている人たち」がたくさん登場します。
「料理教室の人たち」の料理教室とは、東京世田谷にある「あなたと健康社」というところの料理教室で、調べますと、今でもありまして、戦後から自然食、玄米食などを推進してきた東城百合子さんという方が母体となっている料理教室のようです。
今はどうなのだかわからないですが、本の中では、この料理教室には、ガンなどの病気になった人たちが、食事改善のためにやって来るそうです。
東城百合子さんという方は、Google などで調べてみると、大変に高名な方のようです。
東城百合子さん(90歳)
そして、『幸せはガンがくれた』の中では、著者が料理教室に集っている中で、ガンが自然退縮した人たちに取材をするのですが、その中のひとりの方の言葉のあるフレーズに、私は驚いたのです。
それは、
「ガンの苦痛に感謝するようになるまで」
が語られているのでした。
その方は、沢本三枝子さんという、取材時 49歳の方で、その 15年前に、子宮ガンと診断され、その後、ガンを自然退縮させた方でした。
沢本さんは栄養士だったのですが、自らの経験から既存の栄養学に疑問を持っていたことと、「病気は医者が治すものではない」という信念を持っていたせいで、西洋医学の医療は最初から一切受けず、食事を玄米食に変えるなどをしたけれども、ガンは悪化するばかりでした。
そして、痛みは極限に達します。
沢本さんの言い方では、その痛さは、
「もう、ものすごい痛みでね、立っていられないくらいなの。猛烈な、生半可じゃない。買物に行くでしょ、買物かごを持っていても、痛みで落としてしまって、そのまま人の声が耳に入らないぐらいの痛さだった。でもね、ここで寝込んだら私は駄目になると思ったのよ」
というほどのものでしたが、おそらくは、ガンはかなり進行・悪化していたのかもしれません。
そんな日々を送っていた時に、沢本さんは、一人の肺ガンの患者と出会います。
その肺ガンの人は、病院から余命1年と宣告されたそうですが、その時に「治療に大事なのは心だ」とふいに思い、手術の前日に病院を脱出し、その後6年間、何事もなく生きているという人だそうですが、その肺ガンの人が、沢本さんに言った言葉によって彼女は変わることができたのです。
そして、私もまた、その言葉によって「変わることができるかもしれない」と今思っているのです。
ここからが抜粋です。
「幸せはガンがくれた」 12章 ガンからの贈り物 - 料理教室の人たち より
「その人が言うのよ。痛くてしょうがない時には、すべて受け入れるんだって。自分にすべて受けることだって言うの。『どう受けるのか分からないよ、こんな痛み。もうなんとかしてほしい』って言ったらね、『自分もものすごく苦しかった。だけど受けたよ、全部ね』って」
「それでも私は分からない。そしたら、『とにかく痛みがきた時は、ああ、ありがとう、と言うことだよ』って言うのよ。私は分からなくてね、この痛み、コンチクショウ、コンチクショウと思ってたからね。闘って、やっつけてやろうと」
「でも、ある日ね、その人の、増田さんっていうんだけど、増田さんの言葉を何回も何回も自分に言い聞かせていた時に思ったのよ。闘うのやめてみようって。やめて、負けるんだったら負けてもいいのかなあって。よーし、今この一時をね、感謝をもって痛みを受ければいいって思った」
「もちろんいろんな手当てはやりながらだけど、神様ありがとうって。私、別に宗教はないんだけど、この痛みは、きっと私を育てるためにくれたんだと。増田さんは、そのこと教えてくれたんだって分かったの。徐々によ、最初からいっぺんにじゃなくて」
「それから、変な言い方だけど、陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった。痛みが気持ちいいんだって、自分に言ってたの。そうしたら、ちょっと言葉で表せないくらいなんだけど、痛みが、単なる痛みじゃなくなったの。通りいっぺんじゃないのよ」
「どう言っていいんだか分からないけど、ともかく違うのよ、痛みが。だから徐々に徐々にね。あっ、今日も来たよ、ありがとう、ありがとうって。本当に心からね、それが思えた日に、スパッと抜けた、痛みが。本当に、見事に、スパッと抜けたのよ。その間がすごく長かったですけどね、やっぱり」
痛みを忘れて、すでに7年ほどになるという。
そして4年前、人間ドックで精密な検査を受けた。結果は、異常なし、であった。
ここまでです。
この中の
「闘うのやめてみようって。負けるんだったら負けてもいいのかなあって」
という言葉。
これが、私の中にスーッと入ってきて、涙が出そうになったのでした。
さらには、
「(痛みを)陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった」
というフレーズも、また、私が「具体的な表現として求めていた」ものなのです。
こういうような、たとえば、「苦痛に感謝する」というのは、文字で書くのは簡単です。
あるいは、私のように、不安神経症だったり、様々な恐怖症だったりするものなら、
「恐怖に感謝する」
「不安に感謝する」
とか、どんなことでもいいのですが、文字でだけで書くのなら簡単ですが、私の中に、感謝する対象に「苦痛」というのはなかったので、苦痛とどう付き合うかでわからなくなり始めていました。
それが、その沢本さんの言葉で翻然と悟ったわけです。
そういう意味では、この沢本さんは救世主みたいなもんですが、多くの人にとって、この言葉は救世主的な言葉として響くのではないでしょうか。
もちろん、このことを知ったからといって、実行することは、そう簡単なことではないし、沢本さんも、「だから徐々に徐々にね」と言っていますが、実際には、かなりの時間がかかったと思います。
しかし、釈迦やイエス・キリストでもない沢本さん、つまり、私たち同様の普通の人が、このような激しい悟りを得たという「事実」は勇気づけられる材料とはなりはしないでしょうか。
ところで、後に沢本さんは「なぜ自分はガンになったのか」を考えるうちに、自分の性格にその原因があることを自分で突き止めます。きまじめすぎる性格などがそうですが、そういう「性格」や「気質」、沢本さんは「心」と言っていますが、そういうところまで変えないと、病気は治せないもののようです。
気質や性格が変わることに時間がかかるのは当たり前ですので、沢本さんもずいぶんと時間がかかったと思われます。しかし、結果として、
「痛みに感謝する」
ところから始まり、結局、ガンは沢本さんの性格までを変え、そして、ガンになった後は、それまでギクシャクしていた家庭も旦那さんの性格も変わり、何もかも幸せになったらしいです。
つまり、この本に書かれてあるのは、
「ガンが自然に治ってめでたい」
という話ではなく、
「ガンになったおかげで、私は幸せに生きる方法を見つけた(ガンになっていなかったら、不幸なままだった)」
という、ものすごく積極的な人生を体験した人たちの証言集なんです。
で、そのような本の中にあった「痛みに感謝する」という模索は、私自身の今模索している生き方と非常にリンクすることに気づいて、まったく、もう本当に今、この本に感謝しています。
「恐怖に感謝する」
「不安に感謝する」
という考え方は、実際、私の中になかったのですよ。
「克服する」とか、神経症治療の森田正馬さんの提唱した(不安や恐怖に対しての)「あるがまま」ということばかりで。
もっと積極的な、「それに感謝する」という考えはなかった。
考えてみれば、不安も恐怖も自分の心の中で作りだしているものなのですから、「不安も恐怖も自分そのもの」だということを考えると、不安や恐怖や痛みに感謝することは不思議でも何でもないということもいえそうです。
それに、実際、私は、自分が持つ過度な「不安」と過度な「恐怖」こそが、自分をさまざまな創作に駆り立ててきたことも事実ですし、このようなブログの出発点も、まさに不安と恐怖そのものです。なので、本当の意味でも感謝しなければならない存在であることは知ってはいましたけれど、その「感謝」を形にしなければならない、ということをはっきりと教えられた感じです。
いずれにしても、この沢本さんの言葉・・・というより、この言葉が出ていたこの『幸せはガンがくれた』の著者の川竹文夫さんに感謝したいです。
もちろん、「破壊のための自分戦争」は、そっちはそっちで推し進めなければならないですが。
そして、ここに至って気づいたことは、感謝するという思想の本当の意味は「すべてと一体化する」ための実践方法のひとつだということでした。この意味は、つまりは、「感謝」と「この世の正体の把握」には密接な関係があるというようなことだと思うに至ったのです。
しかし、このことについては長くなりそうですので、別の時に書いてみたいと思います。
実はこの「苦痛に感謝する」という「現実的な輪郭」については、少し前の記事、
2015年07月29日
の「リアルバービー人形」アンバー・グスマンさんの、一種狂気とも思える「自分の肉体が萎縮していくすることに感謝して陶酔する」という概念に直面した時にも何かを感じたのです。
しかし、今回はっきりとそれが見えてきたというのか。
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