2015年08月28日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




認知症や精神的苦痛の混沌から未来の地球を救うための「量子力学的な発想の転換」の必要性を「認識や意識の存在する場所」から考えてみる



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▲ 2015年07月23日の Epoch Times より。

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最近のニュースで思い出すふたりの祖父

私の母方の祖父は、北朝鮮の初代最高指導者の金日成と非常によく似ていた人で、父方の祖父は、山口組の六代目組長の司忍組長とよく似たコワモテの人でした。

金日成似の母方の祖父は、学歴はないながらも、炭鉱夫から市の助役にまで上り詰めたという自力型の出世街道を進んだ人で、このあたりも、やや北朝鮮の初代最高指導者と似た街道だったようです。

下のような絵を見ると、可愛がってくれたおじいちゃんを思い出します。

金日成主席の死を悲しむ人々のイラスト
sun10.jpg
北朝鮮資料館


そして、山口組六代目組長と似た父方の祖父もまた、若くしてテキヤの親分だったというあたりは、うまくできたものだと思います。

そんな二人の祖父の隔世遺伝を受けている私は、できれば、コワモテで生まれたかったのですが、この夏、北海道に帰った時、親戚のおじさんに、

「いやあ、(母方の)おじいちゃんとそっくりになってきたな」

と言われて、私は心の中で、

「だったら、年とったら、金日成になっちゃうじゃないか」

と思いながらも、それなりのファッションなどを今から用意しておいてもいいのかな、とも思い、老後の自分のイメージがだんだんと固まってきた感じもあります。

最近の北朝鮮の台風の被害(地球の記録に記事を書きました)とか、ニュースで山口組の混乱の報道を見まして、自分のおじいちゃんのことを思い出したのでした。

ちなみに、金日成じいちゃんは、30年くらい前、83歳で亡くなったのですけれど、糖尿病だったにもかかわらず、晩年まで酒もタバコもやめることもなく、しかし、他の病気もなく、ぼけることもなく、ある日突然倒れて、そのまま1週間後に病院で亡くなるという感じでした。

今思えば、わりと理想的な亡くなり方をしていました。

そういえば、山口組といえば、先日亡くなった俳優の加藤武さんは、映画『仁義なき戦い 代理戦争』(1973年)の中で、山口組舎弟と兄弟杯を交わすことになる打本会の組長の役をコミカルに演じていたことを思い出します。

この加藤武さんの亡くなり方も見事なものでした。

前日までピンピンしていて、86歳で スポーツジムで突然亡くなっています。産経ニュースに、加藤武さんと親しかったらしい早稲田大学の児玉竜一教授の言葉が載せられています。


スポーツジムのサウナで倒れられたことからも分かるように、直前まで元気そのもの、いつもの快活な大音声は健在だった。

代表を務めておられた文学座でも前日に例会へ顔を出され、9月から主演舞台が予定されていた。

特に、戦後70年のこの夏はインタビューや体験談にも引っ張りだこで、雑誌『演劇界』の8月号で戦中戦後の歌舞伎についてうかがった折も2時間半休みなし、まだまだ話し足りない感じだった。



> 9月から主演舞台が予定されていた。

とありますが、86歳での主演舞台というのはすごい。

ガーッと元気でいて、スッと亡くなったようです。

少し前に書きました「自立した人生(3)…」でご紹介した荘淑キさんという台湾の女性の医術家の方も、その直前まで元気でいられて、「スッ」と消えていくように亡くなっていった様子が伝えられていますが、私も、そして、できれば、みんなが、荘さんや加藤武さんのように、誰の手を煩わせることなく亡くなることができればいいなと思います。

ところで、スッと亡くなった場合でも、長く認知などに問題があった場合でも、あるいは、意識がない状態が続いた場合でも、

「正常な意識が、その人のどこかに存在し続けている」

と感じさせる記事を目にしました。

たとえば、重い認知症といいますと、「亡くなる最期まで、元気な時のような、きちんとした認識を示すことはない」と思われるのが普通かと思いますが、医学用語で「末期意識清明」という状態が存在します。

これは、

「亡くなる最期の最期に、突然、明晰な意識となる」

という状態が稀に観察されることがあるそうで、そのことを指します。

誰にでもあるものではないでしょうが、重度の精神病や重度の認知症で、もう何年も人とのコミュニケーションがとれていなかったような人が、死の直前に、「意識が普通だった頃と同じように家族と話し出す」という例についてのことです。

この「死亡する直前だけ」自分を取り戻すという事例が、多くはないですが、記録されています。

認知症を含む精神疾患で何年もコミュニケーションがなかった人が、死の直前だけ、「昔のその人のように明晰に話し、家族と最期の一時を過ごす」という例。

先日、「臨死研究のための国際協会( IANDS )」という医学者会議で、この末期意識清明について発表されたことについて、エポック・タイムズで記事になっていたのですが、その事例の中には、ある脳腫瘍の男性患者で、

「腫瘍が広がり、すでに正常な脳がない状態」なのに、突然、はっきりとした意識を取り戻して、家族にお礼と感謝を述べて、そして、静かに死んでいった記録も書かれています。

この時に担当していた医師は、その患者の会話は「脳を使ってのものではない」と考えるしかなかったことを述べています。

何しろ、もうその患者には「脳はない」のです。

でも、きちんと家族と会話し、お別れを告げて亡くなっていったのでした。

いったい、「意識」というのはどこにあるのだろうか・・・ということを改めて考えざるをえません。

漠然とはよく考えることはあります。

言葉だけなら、人間というのは「単なる生きる肉塊ではない」ことも理解します。

いろいろな説はありますが、たとえば、シュタイナーの主張なら、人間は、

・肉体
・感受体
・生命体
・自我


から成り立っていて、死ぬ時は、肉体、次に感受体というように亡くなっていくのですが、死んでもなお残る「自分」があり、それは、次の世につながっていくものとなるということになりますが、前世とか来世とかの話は別としても、「末期にだけおとずれる意識の清明状態」の事例を見ますと、たとえ、精神的な重い疾患でも、認知症でも、

明晰な意識はどこかに残っている

と考えるのが妥当で、だったら、「その場所」を探る試みというのは無駄なことではないのではないかという気もするのです。

今回は、そのエポック・タイムズの記事をご紹介しますが、根本的な意識のある場所は、少なくとも、上の例のように「脳」ではないです。





観点を変えれば、何かの打開策があるのかも

どうして、こんなことに興味を持つのかといいますと、最近、たとえば、

認知症大国・日本の彼岸(1) : 高齢者人口が若者人口の5倍に達する10年後は、減少した若者人口200万人を認知症人口がそっくり埋める構図に
 2015年08月14日

のような記事を書きましたけれど、日本ではこれから認知症の人々の数がとんでもない率で増加し続けることがほぼ確定していることについては、懸念というのか、日本の未来には「数人に一人の高齢者が認知症という、かつて見たことのない社会」が待ち受けていることを考えることがあります。

しかし、この末期の意識の明晰状態が「何らかの試みによって」その正常な意識を作用させることができるような概念があるならば、ほんの少しの「認知症への希望」というものが生まれ得るのではないかというような気がしたのです。

どんなに精神を痛めても、認知が悪化しても、

その人のどこかに正常な意識が持続している

という可能性を追求してみると、それは一種、スピリチュアル的なオカルト的な話とも近いものなのかもしれないですが、何かがありそうな気がするのです。

あと 10年で、日本の認知症患者の数は 700万人から 800万人になると予測されています。

そして、おそらく・・・ですが、その時に、介護保険はもはや機能していないようにも思うのです。

うちの奥さんも介護関係の資格を持っていて、そういう仕事をしていますが、多くの事業所は、今でも限界に近いところが多いようで、大手は次々と介護事業から撤退し始めていますし、今のように専門の介護が受けられる時期は、もうそんなに長くはないような気もします。

今のこの現状で、「どうなる、この社会・・・」と嘆いているより、考え方を転換すれば、どこかに何かがあるはずです。

たとえば、「死後の意識」については、

臨死体験についての史上最大規模の調査は「死後も意識は継続する」ことを示した
 2014年10月10日

という記事で、死後も意識が継続している「らしい」ことが、大規模研究で判明したことを紹介したことがあります。

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IB Times

あるいは、

量子物理学者が証明しようとする「死後の世界と来世」。そして「宇宙は人間の認識がなくては存在しない」こと
 2013年11月19日

という記事では、アメリカのウェイクフォレスト大学再生医療研究所のロバート・ランザという教授が、量子力学の概念で、「死はリアルには存在しない」というようなことを語っていることをご紹介していますが、この記事では、私たちが見ているものは、実は「単なる光の波長であり、実体ではない」ことに言及していて、私は以下のように書いています。


どうしてその音がそのように聞こえているのか、どうしてそのような肌触りを感じるのか、全部、その理由はわかっていません。

なぜかはわからなくとも、それらの感覚を感じながら、人間はこの世界を経験している。

つまり、光線とか波長とか振動とかの、存在しないようなものを体験している中で私たちは生きているということはある程度の事実だと言えそうです。

私たちの周囲の実態はほとんど「ない」。

そして、この宇宙はその全体がその「ない」もので作られている。

あるのは「人間による認識だけ」というのが、シュタイナーら中世神秘学の人々の考えであり、また、過去の偉大な宗教、例えばキリスト教やイスラム教や仏教、そして神道などの教えとも全体として、あるいは一部が一致していると思われます。



とあり、

>この世にあるのは、人間による認識だけかもしれない

と、私は書いています。

だとしたら、精神的な苦痛や、認知症というような現実も「作りだしている」可能性があるかもしれません。

何がそれらを作りだしているのか。

それは「私たちの今の世界での間違った宇宙の認識」であり、先ほどのロバート・ランザ教授の以下の言葉が答えとなっている気がします。


「空間と時間を物理的なものとして処理することによって、科学は世界を理解するための完全に間違った出発点を拾い上げてしまいました」 - ロバート・ランザ


やはり、私たち現代社会の人間の認識は、その根本が何か間違っているのだと思います。

その間違いの「根源」は何なのか。

どうすれば、それを是正できるのか。

そのことを必死で考えなければ、ただただ日本(あるいは世界)は混沌とした苦痛が膨張するだけの世界になってしまうような気もします。

世界への認識を変えることができれば、これらの苦痛を消滅させることができるのかもしれません。

まだ時間はあります。

考えて、考えれば・・・きっと、何かが(希望的観測では)。

長々といろいろ書いてしまいましたが、「末期意識清明」についての記事をご紹介します。



People With Severe Mental Disorders Mysteriously Become Clear-Headed Just Before Death
Epoch Times 2015.07.23


重度の精神障害を持つ人たちのうちの何人かは、不思議なことに、死を直前にした時に認識が明晰になる


統合失調症や、アルツハイマー病、および様々な深刻な精神機能障害を引き起こす条件を持つ人々は、ときに、死の直前になって、不可解ともいえるほどに、記憶と心の明瞭さを回復する。

その際には、彼らの心は驚くほど完全で、一貫性を示すように見える。実際には、彼らの脳の状態は、それまで以上に悪化しているのに、だ。

自分の名前さえ何年も忘れてしまっている患者たちが、死の直前になり、突然のように、家族を認識して、家族と、過去・現在・未来についての正常な会話を始めるのだ。

どうして、このようなことがしばしば発生するのかはまったくわかっていない。

例えば、医学博士のスコット・ヘイグ( Scott Haig )氏は、タイム誌に、若い脳腫瘍患者のディヴィッドさんについてを記している。腫瘍だらけの脳を持つ彼は、やはり、死ぬ直前に突如として、頭脳が明晰な状態に戻った。

ディヴィッドさんは、死の数週間前から話すことも動くこともできなかった。

ディヴィッドさんの脳を CT で検査した時には、ヘイグ博士によると、

「ほとんど脳は残っていない」

状態だった。

しかし、ディヴィッドさんは、彼が亡くなった晩、死の5分前に明晰な意識を取り戻し、家族にお別れの言葉を告げた。

ヘイグ博士は言う。

「それは、ディヴィッドさんが脳を使って発したお別れの言葉ではないのです。なぜなら、彼の脳はすでに破壊されていました。転移した腫瘍は、単純に脳を圧迫していたのではなく、脳を消し去っていたのです。転移は実際に組織を交換してしまっており、彼の脳はもうそこにはなかったのです」

「私の患者だったディヴィッドさんのあの言葉は…脳が働いたものではなく、単純に彼の「心」そのものでした。脳はすでに破壊されている中で、父親として最期の言葉を家族にかけたかった心……」

ヘイグ博士にとって、心が脳から離れて存在することは明らかだ。

あるいは、他の人々が、「末期意識清明」( terminal lucidity )として知られるこの現象の生理的な理由として考えられる可能性を見る。

2012年に、論文『末期意識清明:レビューと症例収集』をまとめた、バージニア大学とアイスランド大学の研究者たちは、末期意識清明の状態の人々の変化する生理学的状態は、ただひとつのメカニズムだけで説明することは難しいことを示す。

バージニア大学のマイケル・ナーム博士( Dr. Michael Nahm )他の論文の執筆者たちは、次のように述べている。

「現時点では、私たちは、末期意識清明の決定的なメカニズムを策定することはできないと思われます」

「確かに、異なる精神障害においての末期意識清明は、疾患の病因に応じて、異なるプロセスから生じる可能性があります。例えば、脳の慢性疾患患者における悪液質からと考えられる脳組織の収縮原因の場合は、占拠した頭蓋内病変による圧力が緩和されて、限られた脳機能の束の間の復帰を可能にすることがあります」

執筆者たちはまた、

「延命のサポートが打ち切られた患者の一部では、脳内の電気的活動(脳波活動)の原因不明の過渡な急増を明らかに示すことがあります。これは死の直前に、血圧を失う際に見られます。これらの患者は、認知機能の復帰に関しての臨床的証拠は報告されていないながら、これらの知見が示すことは、末期意識清明状態の神経科学は、伝統的に考えられてきたよりも複雑であるということです」

と指摘する。

末期意識清明は、19世紀の医学ではよく知られていたと研究者たちは言う。しかし、20世紀の医学文献にはそれらの症例はほとんど存在しない。

研究者たちは、過去 250年に書かれた医学文献に記載された 83例の末期意識清明を検討・分析した。

この研究は「心と脳」の関係をさらに理解することが期待された。

また、研究者たちは、末期意識清明を理解することが治療法を開発するうえで有用である可能性があるともいう。

例えば、オーストリアの医師ユリウス・ワーグナー・ヤウレック( Julius Wagner-Jauregg / 1857 - 1940年)は、精神錯乱の症状が、高熱の間に時として減少することを観察した。ヤウレックは、この知見から、麻痺性痴呆症(脳に影響を与える神経障害)に対しての発熱療法を開発し、ノーベル賞を受賞している。

ウィーン大学認知科学部の教授アレクサンダー・バクヤニー博士( Dr. Alexander Batthyany )は、この数年、末期意識清明を研究し続けている。

バクヤニー博士の最近の研究の結果が、2014年の「臨死研究のための国際協会( IANDS )」2014年の会議で発表された。

博士は 800人の介護担当者を調査したが、回答を得られたのは、そのうちの 32人だけだった。この 32人の介護担当者は、累積で 227人のアルツハイマー病や認知症の患者の世話をしていた。

これらの患者のうちの約 10パーセントが、突然、意識が明晰に戻ったという。

しかし、バクヤニー博士は、これらは自己回答であり、全体の回答数の少なさ( 800人中 32人)から、末期意識清明の事例が極めて少ないことを示すだろうことに注意を促す。

それにもかかわらず、末期意識清明を目撃したことは、介護者たちの一部に大きな影響をもたらしたという。

調査対象のひとりの介護者が以下のように言った。

「これ(末期意識清明)が起きた前は、私は自分で世話をしている人々を、まるで野菜のような・・・シニカルな感情で接していました。しかし、今はちがいます。私は、永遠に不滅の大事な人々をケアしていることを理解するようになりました」

以下は、バクヤニー博士、およびバージニア大学の研究者たちによって収集されたいくつかのケースだ。

末期意識清明の事例

「ほぼ失語症で、認知症の高齢者の女性で、もはや人々を認識していない…
ところが、ある日、予想外なことが起きる。彼女は、娘を呼び、娘にすべての感謝の心を告げた…
それから、彼女は、孫と電話で会話をし、優しさと暖かさを孫と交換し…
お別れの言葉を口にしたその後すぐに、彼女は亡くなった。」( IANDS 会議でのプレゼンテーションより)

ナーム博士と研究者たちは、1840年に書かれた医学文書の症例を挙げた。

「徘徊憂鬱」( wandering melancholy / melancholia errabunda )と診断された 30歳の女性が入院したが、その後まもなく、彼女は躁になった。4年間ものあいだ、彼女は心の混乱と、他人との非干渉の状態で生きていた。

彼女が病気で発熱したとき、彼女はその薬を服用することを激しく拒否した...

彼女の健康状態は急速に悪化していく。ところが、彼女の体に弱くなっていった時に、彼女の精神状態はきわめて改善した。

死の2日前に、彼女は完全に明晰になった。

彼女は知性と明快さを兼ね備えて会話をした

その会話の内容は、彼女のもともと受けていた教育の範疇を超えるようにさえ見えという。

彼女は、家族の生活について尋ね、涙と共に、かつて薬の服用に関しての自分の態度を後悔した。

彼女はその後まもなく死亡した。

ナーム博士によって再記述された別の症例は、A・マーシャル( A. Marshall )によって 1815年に書かれた著述『病気に起因する躁病と狂犬病の解剖学』( The Morbid Anatomy of the Brain in Mania and Hydrophobia )に書かれてある例からのものだ。

報告されたのは、自分自身の名前さえ覚えていないほどの記憶喪失に苦しみ、怒りと極めて暴力的な態度のひとりの患者の例だ。彼は、10年以上、深刻な病気に陥り続けて入院していた。

ところが、彼は急に穏やかになる。

彼が亡くなった前日、彼は突然、理性的になり、牧師と会いたいと言った。

彼は、牧師の話に聞き入り、そして、神が彼の魂に慈悲をもたらしいほしいという希望を表明した。

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