2015年10月02日



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世界大学ランキングの日本の大学の順位の急落からさえも思う「もう詰め込み教育から子どもたちを解放させて、遊ばせてやれ!」…の想いは強まるばかり



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▲ ピンク・フロイドの「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール (1979年)」プロモーションビデオより。仮面をつけられ、均一の表情にされた子どもたちがベルトコンベアで運ばれていく様子。




ランキングが重要なのではなくとも、そこは「若者」がいる場所だから

昨日、世界大学ランキングというものの報道をやっていて、日本の順位の急落ぶりが報じられていました。



世界大学ランキング 東大 アジア首位から転落
NHK 2015.10.01

イギリスの教育専門誌がことしの世界の大学ランキングを発表し、日本の大学は、東京大学がシンガポールと中国の大学に抜かれて5年ぶりにアジアの首位から転落し、ほかの上位4校も順位を大きく下げました。

アジアで見ますと、東京大学が去年の23位から43位と大きく順位を下げて、5年ぶりにアジアの首位から転落し、シンガポール国立大学と中国の北京大学に抜かれました。

また、去年59位だった京都大学が、ことしは88位となったほか、去年、上位200校に入っていた東京工業大学や大阪大学、それに東北大学は、圏外に姿を消し、日本の大学にとっては厳しい結果となりました。




ということで、記事のタイトルは「アジア首位から転落」ということになっていますが、それよりも、多くの日本の大学がランキングから姿を消し、そして、なんだかんだと日本のトップの大学である東京大学のランキングが、「世界全体の中で」相当な急落をしたということが目立ちます。

世界大学ランキングというのは、いろいろな国のいろいろな機関によって発表されますが、この世界大学ランキングは、タイム誌の、タイムズ・ハイアー・エデュケーション( Times Higher Education )というところが発表した世界大学ランキングです。

下のリンクがそのページです。


World University Rankings 2015-16


見ますと、43位の東京大学の上は、中国の北京大学になっていました。


beijing-tokyo.gif
The Times Higher Education World University Rankings


このタイムズ・ハイアー・エデュケーションでのランキングの直近 10年の東大の推移は、以下のようになっています。


東京大学の世界ランキング

2005年 16位
2006年 19位
2007年 17位
2008年 19位
2009年 22位
2010年 26位
2011年 30位
2012年 27位
2013年 23位
2014年 23位
2015年 43位


ちなみに、京都大学は 10年前の 2015年が 31位で、今年は「 88位」です。

大学ランキングに特に興味があるわけではないですが、100位以内に入った日本の大学が2つだけというのは、何だかあまりにもあれですので、500位までの日本の大学を見てみました。

なお、このランキングは、200位を超えると「201-250位」というような大ざっぱな括り方となります。

500位までですと、ほとんどの主要国の大学がランクアップされてきますが、日本の大学の結果は、


東北大学 201-250位
東京工科大学 201-250位
大阪大学 251-300位
名古屋大学 301-350位
北海道大学 401-500位
九州大学 401-500位
東京医科歯科大学 401-500位
筑波大学 401-500位



だけでした。


ちなみに、日本の大学の数は文部科学省によれば、775校とのこと。

そのうちで、世界ランキングで 10位以内に入ったのは2校、500位以内でも、たった 10校というのは、関係者には厳しい感じかもしれません。

ちなみに、安倍総理大臣は、2012年の「成長戦略第2弾スピーチ」というもので、以下のように述べていました。


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「今後10年で、世界大学ランキングトップ100に10校ランクインを目指します。同時に、グローバルリーダーを育成できる高等学校も、作ってまいります」

首相官邸ホームページより


途中経過はなかなか厳しいことになっていますが、それにしても、どうして、この 10年間で、日本のランキングは、ほぼ一貫して落ち続けて、そして今年になって特に激しい急落をしたのか・・・とは思います。

上の NHK の報道では「東大がアジア首位転落」とありますが、ここだけを読みますと、「アジアの周辺国の大学が軒並みランキングを上げているから、相対的に、日本が落ちた」ような印象もありますが、そうでもないようです。

たとえば、韓国の大学もランキングが急落しています。


世界大学ランキング、韓日の主要大学がともに急落
中央日報 2015.10.02

『THE世界大学ランキング』で、ソウル大学など韓国の主要大学のランクが大きく落ちたことが分かった。

THEが公開したことしの世界大学ランキングによると、ソウル大学は86位を記録して昨年50位から大きく下落した。POSTEC(浦項工科大学)も昨年66位から116位に落ちたほか、52位だったKAIST(韓国科学技術院)は148位と大きく順位を下げた。


あるいは、台湾も過去10年最低レベルにまで落ちています。


世界大学ランキング 台湾大が12年来で最低水準の167位
フォーカス台湾 2015.10.01

英国の教育専門誌、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は9月30日、2015〜2016年版の世界大学ランキングを発表した。台湾大学は前年の155位から大幅に順位を落とし167位。12年来で最低水準となった。


まあ、他の国のことはともかく、なぜ、日本はこのように、どんどんとランキングが下がっているのか。

ちなみに、これは「大学のランキング」というものに価値があると思ってのことではないです。

問題は、大学というところにいるのは「その国の若者」であるということなんです。日本の大学すべてにおいてランキングが下がっていることを見ても(そして、それが中途半端ではなく、激しく下がっている)ここに見られるような「若者の変化」は、これはおそらく確実に、大学という範囲を超えて、

日本の若者全体の問題かもしれない

とも思うのです。

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余裕がない上に自発的にも生きられない子どもたちの環境

結論的なことから言えば、このあたりのこともまた、過去記事の、


シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本
 2015年04月16日


などに書いたことのある「詰め込み教育の極限」が進んでいることが、多少なりとも関係あるとは思います。

「通塾率」という、どのくらいの子どもたちが塾に通っているかの推移を示したグラフを見ますと、特に「小学生」の通塾率が飛躍的に上がり始めたのは 1990年代からで、2000年代に高止まりします。


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大学に入る年齢の人たちが小学校に入った頃の年代を考えますと、日本の大学の世界ランクがどんどん下がってきたこの 10年間と、その時代の大学生たちが小学生時代に塾に入った時代と合致していることもわかります。

言い換えれば、「塾に通う小学生の増加と、日本の大学の世界ランキングが落ち始めることに相関性がある」ということが何となくわかります。


塾が頭を悪くする?

・・・とまあ、私はそう思っていますが、それはそれとして、私たちの小学生の頃の田舎では、「小学生が塾に通う」なんてのは狂気の沙汰以外のなにものでもなかったわけですが、今では小学生でも、地域によって半数などが通っている。

私は今でも、小学生を塾に通わすなどは狂気だと思っていますし、あるいは、小学校の授業なんて午前中だけで十分だと思っています。(先生の方にも時間的余裕ができますし)。

私は、子どもというのは遊べば遊ぶほど、その遊びの中で脳も鍛えられるし、感性も鍛えられると信じていますので、これだけで、みんなが飛躍的に頭が良くなるはずです(「成績が良くなる」のではなく、文字通り「頭が良くなる」という意味です)


それなのに、たとえば、私の住んでいる地域の小学校ですと、小学2年生からは1週間のほとんどが6時間授業で、家に戻るのは夕方の4時頃です。

もう今の季節ですと、午後5時近くになると暗くなり始めるので、外で遊ぶこともなかなかできず、それに、まあ、こんなご時世ですと、「暗い中でも子どもに外で遊んでほしい」と思う親もあまりいないでしょうし、必然、帰ってくると、部屋でひとりで遊ぶしかない子がほとんどだと思います。

実際、夕方の町に出ても、歩いている子どもはあまり見かけません。

それに加えて、結構な量の宿題が出され(学校で授業があるのに、どうして宿題が必要なのか昔から不思議です)、ここに塾やら習い事をしている子どもとなりますと、朝起きてから夕飯までが「ほとんど勉強だけ」の毎日


人類史の十数万年の中で、こんな暮らしをしていた日本人は今の数十年間だけだと思います。


異常な光景だとも思います。

そして、何より、そんな環境で毎日を過ごして、勉強を好きになるわけがないです。

あるいは、「考えること」が嫌いになる

人間で最も大事な「考えること」を嫌いになるというのは、人類文明にとっても結構こわいことです。

子どもの頃の詰め込みは、多くの人たちが考えている以上に、社会を荒廃させていると思います。





子どもは何をするべきか

少し前に読んだ中で「切ない気分」になったニュースとして、以下のものがありました。



「友達とあそぶ」に飢える子供たち
産経ニュース 2015.08.31

子供たちの願いは「何をしたいか」ではなく「誰としたいか」−。


全国の小学生に、放課後や夏休みに「何をしたいか」と聞いたところ、4人に1人が「友達と」「みんなで」という言葉を最も多く回答していたことがNPO法人の調査でわかった。

調査は子供たちの放課後の活動を支援する「放課後NPOアフタースクール」が昨年6月〜今年5月、全国の児童約1000人を対象に実施。計1029人が回答した。

「放課後などにやりたいこと」として、最も人気があったのはサッカーで86人。2位ドッジボール(65人)、3位鬼ごっこ(50人)など4位まで外遊びが占め、「やりたいことがない」が5位、ゲームは6位で、塾は一票もなかった。

一方、質問にはあげていなかったものの、回答中で目立ったのは「何を」するかではなく「誰と」するかという希望。4人に1人が「『友達と』海に行きたい」「『クラスみんなで』思い切り遊びたい」など、「誰」の部分を明確に回答し、中でも「友達と」が圧倒的に多かったという。

調査結果の背景について、同法人の平岩国泰代表理事は、「子供は友達と想定外の約束をせず、親が子供の予定を作る傾向にある。いまの子供は(習い事などで)月曜〜金曜まで予定がびっしりだ」と、子供の「多忙」を指摘。

これに伴い、子供同士で遊びを生み出す創造性や喧嘩を解決する人間関係調整力といった「コミュニケーション能力も低下してきているのではないか」と警告する。




私の小学校時代を思い出しますと、ここに書いてある通り、子どもの時は、「何がしたいか」ではなく、「友だちとしたい」と思って行動していたことが思い出されます。特に男の子にその傾向が強かったのかもしれないですが。

学校から帰ったら、すぐ外に出てウロウロして、近所の友だちの家に行って、遊べたらそのまま遊ぶ。

あるいは、数人で虫取り(という名の「虫の大虐殺」)をしたり、草原を歩いたり(という名の「自然の大破壊」)、やることはもう何でもよいのですよ。「誰かとしたい」と。

そして、こういう「誰かと何かをしたい」というのは、遠い古来からの人間の子どもたちに共通した気持ちだったのではないでしょうか。

今の世の中は、その「昔からの気持ち」が最も削がれた時代となっていると思います。別の言い方をすれば、「本来の人間の子どもの生き方ではない時代」といっていもいいかと思います。

子どもたちの健全性が失われやすい原因もこのあたりにあるような気もします。

昔はどこもかしこも、子どもたちがウロウロと歩き回って、「遊ぶ相手」を探していました。

でも、今は表をウロウロとすることも時間的にできない、あるいは、そういうのも何だか危うい世の中になってしまっていますが、やっぱり良くないと思います。

上の記事で、NPO の代表の人が、

> 子供同士で遊びを生み出す創造性や喧嘩を解決する人間関係調整力といった「コミュニケーション能力も低下してきているのではないか」

と「創造性」とか「コミュニケーション能力」などに関して言及していますが、そういうものが低下した人々の社会といいうのも、少し先の日本にとって良くはない思うのです。


ここで大学ランキングに話を戻せば、日本人の学力がどんどん低下し続けているのは、詰め込み教育から始まって、


子どもたちが本来の人間の生き方をしていないので、体も頭も含めて何もかもおかしな状態


となっていることが関係していることは、おそらく間違いないと思います。

遊びの中からの発想「こそ」が、人に想像力を与え、あらゆる発想の根幹となるはずです。

縄文時代の日本人から戦前頃までの日本人の子どもたちは、みーんな、ムチャクチャ遊び続けていたであろうことが想像できます。「素晴らしい日本の文明や発想」は、そこから生まれてきたはずです。

昔からある名だたる大企業などにしても、それを興した人たちにガリ勉の人など聞いたことがありません。宿題を真面目にやって塾に通っていた偉人など聞いたこともありません。

日本の小学生が「学校+宿題+塾」スタイルの子どもたちの急増という「超詰め込み時代」に入ったのは 1990年代のことで、たった 20年間ですが、そのたった 20年で、日本の国力がどのくらい落ちたか

国力なんてものはどうでもいいですが、日本人そのものの質と気力がどれくらい落ちたか。

シュタイナーは、詰め込み教育は、その社会を破壊するほどの害悪を持っていると講演で強く述べていました。





戦後の方式の教育なんて必要ない

今回のことを書いていて、ふと思い出すことがありました。

私が北海道から東京に出てきたのは 1982年頃ですが、東京で喫茶店か何かに入った時に、そこにあるモニターで流れていたのは、英国のロックバンド、ピンクフロイドの大ヒット曲『アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール』という曲のプロモーションビデオでした。

学校システムそのものを否定した歌で、この歌の入ったアルバムは、世界で 3000万枚以上売れて、2枚組のアルバムとしては、いまだに世界一の売り上げを誇っています。

そのプロモでは、子どもたちは、国家のために生産を続ける部品としての理由でのみ社会のシステムに組み込まれる様子が描かれます。


『アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール』プロモより

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そして、教師に従順に従うように調教された子どもたちは、最後は「挽肉となって、食料となるために自分で挽肉マシンに飛び込む」という内容のプロモでした。

この歌の歌詞は、一部ですが、こんな内容です。


アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(1981年)

教育なんて必要ない
思想管理なんて必要ない
教室で陰湿な説教なんて聞きたくないんだ
教師よ、子どもたちを放っておいてくれ

聞いてるか、教師たちよ!
お前たちの生徒を放っておけと言っているのだ!
所詮、すべては壁の中のレンガに過ぎない
お前たち教師もそのレンガに過ぎない






プロモは、最後に「突然、真実に目覚めた子どもたち」が、学校を破壊し、社会を破壊する光景で終わります。


riot-wall.jpg



この歌は今から 36年も前のものですが、その後も同じような状態で主要国の教育は続いているのかもしれないですが、他の国はともかく、日本人の本質は詰め込みや管理教育のようなところにはないと確信しています。


日本人は本来もっと自由だし、放っておいても十分に賢明で頭のいい人たちで、必要なものは、いつでも自分たち自身で学んでいける大変に優秀な民族だと思います。


日本は、不必要な勉強で、自分の国の運命の首を絞めていると本当に思います。


ピンク・フロイドのプロモのように破壊はしなくてもいいですが、日本の子どもたちが、


ある日、突然、真理に目覚める時


を私は待っています。

そして、それは誰に導かれるのでもなく、子どもたちが自身で気づかなければならないはずです。

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