2014年01月14日



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空からは火球や謎の飛行物体。そして、地底からは何が来る?



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▲ 2014年1月11日午後7時過ぎに神奈川県の広範囲で目撃された火球。 SonotaCo Network Japan Forum より。






 


空には火球や謎の飛行物体が次々と光を描き

前回の記事、

爆発的に増えている地球付近を通過する小惑星。そして、スロースリップが発生し続ける太平洋
 2014年01月12日

では、何となく増えているように見える(「何となく」でもないですが)、最近の地球近辺の小惑星の活動について記しましたが、その記事を書いた前日の 1月 11日に、神奈川県で、かなり大きな火球が目撃されていたことを知りました。

それが冒頭の写真です。

これは動画も撮影されていまして、時間を遅くしたものが下のものです。

2014年1月11日の火球




火球が通過した場所は、下の黄色い線の部分。

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SonotaCo Network Japan Forum より。


なんというか・・・このあたりの海域というのは、最近はこう・・・賑やかというか、前回の記事でとりあげました 1月 10日に発表された房総沖のスロー地震(スロースリップ)の場所だとかもそうですけど、昨年の小笠原諸島の新しい島も含めて、このあたりの太平洋一帯は最近ざわざわとした感じではあります。

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▲ 防災科学技術研究所のプレスリリースより房総沖のスロー地震の場所。

また、1月6日には、神戸や大阪などから下のような火球が撮影されていました。


2014年1月6日20:06:45 出現の小爆発火球

mt-20140106-osaka.jpg

SonotaCo Network Japan Forum より。



火球じゃないですけど、つい最近では、山形県の校長先生が、学校を撮影していたら「何か写った」ということでニュースになったりとか。下は 1月 12日の毎日新聞からの一部抜粋です。

写真の丸はこちらで入れたものです。




謎の物体:「UFOか?」山形の小学校長が撮影
毎日新聞 2014.01.12

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山形県川西町玉庭で今月7日、青空に浮かぶ謎の物体が撮影され、「UFO(未確認飛行物体)か?」と話題になっている。

撮影したのは町立玉庭小学校長、小林孝さん(57)。7日午前11時40分ごろ、校舎から補修工事予定の体育館を撮影したところ、後方の山の上に奇妙な物体が浮かんでいるのが写っていた。

小林さんは「軒下から撮ったので雨だれかと思ったが、違った。レンズの汚れでもなかった」と振り返る。付近は撮影時は晴天だった。6日夜、ドイツ北部のブレーメン空港に謎の飛行物体が出現し、一部の航空機が欠航する騒ぎがあったばかり。






上の「ドイツ云々」というのは、下の報道だと思います。ドイツのメディアです。

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▲ 2014年1月7日のドイツ RP より。


これは、ドイツ北部にあるブレーメンの空港で、空港の管制レーダーが謎の飛行物体をとらえたために一部の航空便が欠航したという騒ぎの報道です。

このドイツの飛行物体の特徴は、報道から抜粋しますと、


2014年 1月 6日日午後 6時ごろ、管制レーダーが「強い光を放つ正体不明の物体」を確認。管制官はこの物体との交信できなかったため、警察に通報。

物体はまぶしい光を放ちながら、午後 9時ごろまでの間に空港や市中心部付近を移動し、やがて雲間に消えた。警察もヘリコプターで捜索したが、手掛かりはつかめなかった。

住民たちは「黄色い光だった」「光はそれほど大きくない」などと証言し、無人機やヘリなどの説も出ているが、ヘリ特有の旋回音は聞こえなかったという。ブレーメン警察は「何者かが航空交通を妨害した容疑で捜査中」と談話を発表した。




という出来事だったそうで、下のような光が約3時間と比較的長くブレーメンの上空を飛んでいたために、警察などを含め、わりと多くの目撃例があったようです。

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▲ ブレーメンの Radio Bremen より。


いろいろ飛んだり落ちてきている最近ですが、火球にしても謎の飛行物体にしても、小さなうちは実害ないですが、大きくなってくると、なかなかいろいろとありそうです。


しかし・・・「地球の内なる太陽」というカテゴリー記事で以前よく書いていましたれど、最近は、空から来るものより、「下から来るもの」への興味が個人的にはあるという部分はあります。

特にいわゆる「悪い存在たち」(具体的な意味ではなく)は。






そして地底の現実は?

そういえば、先日、下のような記事を見かけました。

etu-3.gif

Exopolitics Institute News より。


英国のふたつの大学の研究発表論文の紹介記事で、これは「 ET ライフ」というような見出しになっていますが、いわゆる映画に出て来るようなエイリアンの話ではなく、単純に「生命」の話ですが、見出しに惹かれた部分はあります。


昨年の夏に、

エドワード・スノーデン氏かく語りき : 「地球の地下マントルには現生人類よりさらに知的な生命が存在している」
 2013年07月10日

というような記事を書いたりしたこともありますけれど、そこに下のような、一種のとんでもない感じのくだりが出てきます。


「最も信頼性がある不可解な目撃例は、海底から熱せられた水が噴出する亀裂(熱水噴出孔)から海底を出た後に、直接太陽の軌道に入っていくことが目撃された車両だ」。


上の意味はあまりわからないですけど、ふと思い出したのが、昨年公開されたアメリカ映画『パシフィック・リム』の冒頭のナレーションでした。

『パシフィック・リム』は日本の過去の特撮作品オタクのアメリカ人が作り上げた「怪獣映画」で、日本の特撮の世界を大規模なレベルで再度構築したような映画です。

この映画を見た時には非常に感服したと同時に、

「どうして、日本の作品へのオマージュを日本人がおこなうことができなかったのだろう」

と、ウルトラセブンと仮面ライダー1号あたりの世代の私としては、嬉しくもありつつ、「それができなかった日本人のひとり」として、やや寂しい気持ちにもなりました。

それはともかく、この映画は、「怪獣」という名前の怪獣たちの攻撃から地球を守るために環太平洋諸国( Pacific Rim )が一丸となって、イェーガーというロボット群を作り何年間も戦い続けるという話です。日本語発の Kaiju (怪獣)という単語と、ドイツ語のイェーガーという文字が並んだオープニングから始まり、暗転中の主人公のナレーションで始まります。

kaiju.jpg

▲ パシフィック・リム(2013年)のオープニング。


そのナレーションは以下のようなものです。


俺はガキの頃
不安や孤独を感じた時、よく星を見上げた
“エイリアンはいるのかな?”と

俺は間違った方向を見ていた

地球外生命体が現れたのは太平洋の底からだった
海底のプレートが崩落し別次元への扉が開いた

それは時空の裂け目だった


映画では海獣は海底の裂け目から現れるのですが、その裂け目は地底に通じているのではなく、「異なる宇宙」へと繋がっていて、そのゲートが海底にあるというような設定となっているようです。下の図の「上の宇宙と下の宇宙との戦い」というような話であるようです。

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まあ、それにしてもこの映画。怪獣の Kaiju (カイジュウ)は、ややハリウッド版ゴジラを感じさせる風貌で、あまり日本っぽくなのですが、主人公が乗るロボットは、ほぼ鉄人28号かジャイアントロボの世界。

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▲ 左/鉄人28号(横山光輝作/1956年より)。右/ジャイアント・ロボ(横山光輝作/1967年より)。


ちなみに、この映画、役名のある女性はひとりだけで、それは日本人(演じるのは菊地凛子さん)なんですが、女性の「記憶のフラッシュバックの中に出てくる少女時代の自分」を演じている小役の女の子があまりにも演技が上手で、驚きました。

廃墟と化した東京足立区にあると思われる竹の塚ファイナンス前で、泣きながら怪獣から逃げる小役さんの姿が、私などは「この子がかわいそうだ・・・」と涙ぐんでしまったほどの熱演でした。テレビドラマを見ないので知らなかったですけれど、芦田愛菜さんという小役さんらしいです。


えーと・・・何の話からこうなった・・・?


ああそうか、火球とか、 UFO とかの話題が多い中、「地球の中からの何らか」というもののことを考えていて、つい話がそれてしまった次第です。

今回は上の英国の大学の論文の記事の概要を記しておきたいと思います。

これは、基本的には「地球の話」ではなく、要するに他の惑星をすべて含めて、「どんな惑星でも過酷な地表ではなく、地下に生命が繁栄している可能性」を主張している論文のようです。

個人的には、それは理にも適っているとは思います。この地球でも、何億年の間に生き残り続けて現在までいる生物の多くは、地表の環境の大変動の影響をあまり受けなかった深海などにいるものが多く、地下の研究はそれほど進んでいないですが、生物によっては地表よりも安定した生活圏を長く保ち続けることができるような気はします。

なお、文中に出てくるゴルディロックス・ゾーンというのは、一般的に「ハビタブル・ゾーン( habitable zone )」といわれるものと同義のようで、 Wikipedia の説明では、宇宙の中で生命が誕生するのに適した環境と考えられている天文学上の領域のことです。




New study claims ET life can exist inside planets with inhospitable surfaces
Exo News 2014.01.10


新しい研究では、地球外生命は過酷な地表の地下内部に存在している可能性を主張する


スコットランドのアバディーン大学とセント・アンドルーズ大学の科学者たちは、科学誌プラネタリー・アンド・スペースサイエンス( Planetary and Space Science )に発表した論文で、地球外生命がこれまで考えられていたよりもはるかに多くの惑星に分布していると結論付けた。

その論文は、「深い地下の生物圏のための生命居住可能領域 ( Circumstellar habitable zones for deep terrestrial biospheres )」というタイトルで、惑星上に存在するゴルディロックス・ゾーン( Goldilocks Zone )の再定義を試みている。

科学者たちは、地球の地下の様々な深さでの水の中に生命を見いだすことができ、そして、それらが地球の地下に多く繁殖していることを発見した。惑星に関しての知見はその発見から導き出されたものだ。

我々の太陽系内の惑星は、惑星の地表に液体としての水が存在するにはあまりにも気温が低い惑星が多いが、地表ではなく、液体の水が豊富に存在し得る地下に生命が存在している可能性が高いという。

これらの科学者の知見は、地球外生命が存在すると考えられている思考に革命を起こすかもしれない。地球外の生命を見つけ得る場所について、たとえば、金星などの非常に地表が高温の惑星、あるいは逆に水が凍結してしまうような極寒の惑星には生命の存在はあり得ないというような考え方が、これまでの惑星科学での一般認識だった。しかし、惑星の地下にその過酷な環境は適用されない。

現在、ゴルディロックス・ゾーン(ハビタブル・ゾーン)は、液体の水が沸騰または凍結することなく、地球上の表面に存在することができ得る空間での領域として定義されている。

しかし、たとえば、地表の下へ行くほど、惑星はその地下中心で発生する内部発熱により温度が上昇する。この場合、地表が凍結するような温度であっても、地下内部には豊富に水があり得ることになる。

これは、「生命居住可能領域」に関しての科学者たちの考えに新しい考察を促すことにもなる。





いずれにしても、(現状では)行くことさえ難しい他の惑星の話よりも、自分たちの足下に思いを馳せることは「非常に近い場所にある異なる宇宙」への思想の近道かもしれないということを再度思ってみたり。

異なる宇宙のひとつは自分の内部に。

そして、何でも対(つい)であるこの世界では、もうひとつの異なる宇宙がどこかにあるはず。それが空なのか地下なのかはまだわかりませんけれど。



  

2013年07月10日



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Phantoms and Monsters より。






 


最近の私にとっては、「そもそも実在しているのだろうか」という想いさえ抱かせる元 NSA (アメリカ国家安全保障局)のエドワード・スノーデンさんですが、彼自身にまつわる話にはそれほど興味はなく、最近ネットで目にした「スノーデンさんの証言」だというものの中に、

「地球の内部に知的に高等な生命が住んでいる」

というようなものがあったということに興味を持っています。

実際には、そもそも、このスノーデンさんの証言の存在の真偽さえ不明としか言いようがないのですが、「地球の内部への興味」に関する記事もしばらく書いていないですので、そのことを紹介していた記事を翻訳してみたいと思います。

記事の前に、「地球の中のこと」についての過去記事を少し振り返ってみたいと思います。



地球の内部は謎だらけ

たとえば、昔から「地球空洞説」というようなものは存在して、あるいは小説やファンタジーの世界でも古くから語られてきていたようです。

小説で代表的なものは、フランスのジュール・ヴェルヌという人が 1864年に書いた『地底旅行』というもの。これは地球の中心にある空洞へ旅行する話で、その内容は、Wikipedia では下のように説明されています。


3人は数十日をかけて南東へ 1400km 、下へ 140km 進んで大空洞に到達する。「オーロラのような電気現象」で照らされたこの大洞窟には、海があり、キノコの森が繁茂し、地上では絶滅したはずの古生物たちが闊歩していた。



▲ 小説のイラスト。登場人物たちが地球の中心で見た巨大キノコの森。



というようなものです。

さらに遡ると、17世紀のアタナシウス・キルヒャーというドイツの科学者が『地下世界』という地質学の本を 1664年に出版していますが、これが非常に魅力的な図に満ちた科学書なのです。

このことは過去記事の、


17世紀の科学書「地下世界」に描かれる地球の内部
 2011年09月28日


でふれています。


そして、時は過ぎ、20世紀。

人間は宇宙へと赴き、「地球を宇宙から見る」ことができるようになります。

そういう中で、いくつかの「なんとなく不思議な写真」といったものが、 NASA などの写真データの中に見受けられるようになります。

これは簡単にいうと、北極に大きな穴が開いているのではないかというようなことさえ思わせるようなものです。


下のそれぞれの写真は、過去記事「歴史の中での地球中心の謎(前編)」からのものです。



▲ 1969年にアポロ11号が撮影した地球の写真





▲ 同じく 1969年にアポロ11号が撮影した地球の写真





▲ 1968年に気象衛星 ESSA-7 が写した写真。

米国海軍少将バード提督のエピソード

そんな中で輝く話が、1926年5月9日に航空機による初の北極点到達を成し遂げた米国の英雄であったリチャード・バード海軍少将に関係する逸話です。それは「地下世界とのコンタクト」のストーリーでした。



▲ リチャード・イヴリン・バード(1888年10月25日 – 1957年3月11日)。アメリカ合衆国の探検家。海軍少将。


バード提督の死後、アメリカの哲学者レイモンド・バーナードによって記された『空洞地球 - 史上最大の地埋学的発見』に、バード少将のもうひとつの大冒険「地下世界との接触」が描写されます。『空洞地球』には以下のように書かれています。


バードは、地下で千年以上に渡って存在し続けてきた巨大な地下世界の代表者とコンタクトした。

地下世界の住人は姿はほとんど人間と似ているものの、地上の人間よりも外観的にも内面的にも美しいという印象を持った。地下世界では戦争がなく、新しいエネルギー源を持っており、食料や光に困ることはない。

地下世界の人々は地上の人々と何度かコンタクトを取ろうとしたにも関わらず、全て拒絶された。もし、いつか地上の世界の人々が自滅するような事があった場合にのみ、手を差し伸べる事を決め、地上との接触を絶った。



という、あくまで「話」ですが、存在します。

このバード少将の自筆だとされるその時の日記については、過去記事の、

米国海軍少将バード提督のすばらしき北極旅行日誌
 2012年06月02日

に記していますので、よろしければお読みいただければ幸いです。

私はわりと好きなんですよ。
このバード少将の表情が。

この人自身が、多少卓越した感覚を持っている人だったのではないのかなあというような、単なる直感ですけど、そう思うところはあります。




古代から現在に続く地球空洞説

ここまで書いた中世から現在への流れというのは、「地下には別の世界があり、その入り口は北極のあたりにあるのではないか」という感じの流れです。

今でもこのことについては、よく目にすることがあり、「地球内部に隠されているかもしれないパラレルワールドへ」という過去記事では、ロシアのプラウダに載せられていた地球空洞説の歴史についてご紹介しました。

そこから歴史について抜粋しますと、下のような感じらしいです。


地球内部に隠されたパラレルワールド より


古代ギリシャの神話では、タタール人(ロシアの民族のひとつ)についての不吉な地下社会の伝説が語られている。

紀元前 500年頃の古代ギリシアの自然哲学者アナクサゴラスは、空気球とエーテルの雲によって囲まれる平らな地球のモデルを提唱している。

1818年に、アメリカ陸軍の大尉だったジョン・クリーブス・シムズは「同心円と極地の空洞帯」という著作で「地球空洞説」を唱えた。地球は厚さ1300キロメートルの地殻で、各々の両極に直径2300キロメートルの開口部を持つ五層の同心球であり、地表の海はそのまま裏側にまで続いているという考えを提唱した。

アメリカの医師だったサイラス・ティードは、1869年に、凹面地球モデルという概念である「空洞宇宙起源論」を提唱した。

これより先に、イギリスの天文学者であるエドモンド・ハレーは、1692年に地球空洞説を発表しており、「地球内部は明るく、居住可能である」としている。




というような感じで、古代ギリシャの時代から続いた話は、ついに今回、話題の渦中の人物であるエドワード・スノーデンさんにまで及んだということになるようです。

今回ご紹介する元記事は、ロシアのクロニクルに掲載されていたものですが、それを短くまとめた米国のブログの記事をご紹介します。

なお、スノーデンさんによると、知的な生命が存在するのは「マントル」だということが記されているとのことです。マントルの位置は下の図がわかりやすいかと思われます。

mantle.jpeg

▲ 学研ホームページ「学研サイエンスキッズ」より。

それでは、ここからです。





Snowden Reveals Documents: 'More Intelligent Homo Sapiens Exist Underground'
Phantoms and Monsters 203.07.10

地球の地下に、さらに知的な現生人類(ホモ・サピエンス)が存在することを記した文書をスノーデンが明らかに

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アメリカ国家安全保障局( NSA )の監視文書の情報をリークした人物として知られることになったエドワード・スノーデンはベネズエラへの亡命を許可された。そのスノーデンは、安全な場所で、とても衝撃的で世界を揺るがすような政府の秘密文書を私たちと共有する意志を示した。

次のようにスノーデンは証言した。

「政府の最高首脳陣たちは UFO が何であるのかを知りません。公式の話として UFO が単なる気象用バルーンや自然現象であるという可能性については否定されています。どちらかというと、これらは、私たち自身を超えた知性によって導かれているかのように UFO について述べているように感じる文書です」。

「結局、最も信頼性がある不可解な目撃例は、熱水噴出孔(海底で地熱で熱せられた水が噴出する亀裂)から海底を出た後に、直接太陽の軌道に入っていくことが目撃された車両です……」。

「弾道ミサイル追跡システムと深海のソナーは国家機密として保持されているために、科学者たちはそのデータにアクセスすることはできません。しかし、 DARPA (アメリカ国防高等研究計画局)の関係者たちのほとんどは、地球のマントルに、ホモ・サピエンス(現生人類)よりもさらに知的な人類種が存在していることを確信しています」。

「このことについては、その場所(マントル)が、数十億年の期間、多かれ少なかれ安定し続けていた地球での唯一の場所であるということを考えることがわかりやすいかと思います。長く安定している場所に住むということは理にかなっています。それらの種は特殊環境生物として、私たちとは異なる気温の下で生きているのかもしれないですが、加速度的に知性を繁栄し、発展することができたのです」。

「大統領は、彼らの活動について毎日ブリーフィングを受けています。彼らの遙かに進んだテクノロジーは、どんな戦争であっても私たち人間にはほとんど生き残る可能性はないとアナリストは信じています」。

「彼らの視点から私たち(人間)への一般的な感情は蟻(アリ)ですので、彼らが私たちに共感したり、あるいは、私たちとコミュニケーションをしようとする可能性はありません。現在の非常事態計画は、さらなる攻撃を阻むという望みの中で、希望のない敵を「あざむく」ために深い洞窟で核兵器を爆発させることです」。





地球の内部に関しての In Deep の関連記事

米国海軍少将バード提督のすばらしき北極旅行日誌
 2012年06月02日

17世紀の科学書「地下世界」に描かれる地球の内部
 2011年09月28日




  

2012年12月25日



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(注) 今回の記事の基本は 2011年07月17日に書いたものなのですが、最近、過去の記事の整理をしておりまして、その中で、この記事のもともとのタイトルや、あるいは内容を変えて、編集し直してアップしようと思いました。

これを書いた頃は、まだ In Deep に地球の内なる太陽というカテゴリーもまだなかった頃で、その後、「地球の内部」ということについて興味を持っていったという歴史もあり、そのこともあり、書き足して再掲いたします。

過去記事も気づいてみると、1700記事を越えていて、忘れていたり、気づいていないものも多いと思います。2012年を越えていく今、少し読み直したりもしてみたいと思っています。


2012年12月25日






スタンフォード大学で計算された「ビッグバンで作られた宇宙は10の1016乗個」という概念から発展していく「地球と宇宙の真実」


プラウダの過去記事のタイトルを眺めていて見つけたものなんですが、記事のタイトルは「地球内部に隠されているパラレルワールド」というもので、実は記事そのものはパラレルワールドの話というより、「地球空洞説の歴史」に関してのコラム記事なんですが、この記事をご紹介しようと思ったのは、記事の冒頭に、最近、アメリカのスタンフォード大学の物理学者たちが、

 ・ ビッグバンの際に作られた宇宙の数は「 10の 1016乗」だと計算した

ということが書かれていたことが目に止まったということがあります。

10の1016乗の宇宙という数の単位。

10-2020.png


これはスゴイ。

しかし、スゴイにしても、どのくらいの数になるのか全然わかりません

まず、なんとか計算できる範囲では、「10の 10乗」あたり。
この 10の 10乗で 10 000 000 000(100億)となるようです。
計算できるあたりはこのへんまで。

次の単位の 10の100乗は、すでに私たちの計算機では計算できません。

調べてみると、「グーゴル」という「10の100乗」をあらわす単位みたいなのがあるそうで、そのページに表記されていました。

下のが、「10の100乗」です。
一列では収まらないので、二列になっています。


googol-1.png
googol-2.png


さて、10の100乗の時点で、すでにこんなことになっているので、10の1000乗とかになると、もう想像の範囲を大きく越えているのですが、しかし、これは、先月あたりにいくつか記した過去記事、



などでもふれた、「無数の宇宙」という概念と似た感覚を受けます。宇宙というのは、「複数の宇宙」という感覚よりも、「無数」という概念が一番合うのかもしれません。



というわけで、ここから本記事です。

ちなみに、このプラウダの記事を書いた人のの持つ「パラレルワールド」に対しての概念は、私たちとは若干違うかもしれません。

というのも、この記事の話の中心は結局は「地球空洞説」の話となっていくので、「地球内部の別の文明」という話を書いているうようで、次元自体が違うということではないようです。

パラレルワールドは「地球内部」というような「限定した概念があるものではない」ということがありそうな気がいたしますが、まあしかし、定義はなんであれ、どちらも楽しい話です。



続きを読む



  

2012年12月12日



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▲ 19世紀の科学者コレシャン・ユニティが提唱した「地球の実相」の地球儀。「大地が中心から外側にある」という宇宙論を1899年に提唱しました。もちろん今ではこの地球儀は使われていません。






 


我々が現実だと思っている現実は「本当にリアルなのか」が様々に研究されている


今朝、面白いニュースを見かけたので、ご紹介します。それは、「私たち人類はコンピュータ・シミュレーションの中に生きているかもしれない」という仮説で、なんともバカバカしい話と思われるかもしれないですが、どうもそうでもないようなのです。

「コンピュータ」という言葉を別にすれば、これは紀元前の哲学者プラトンから続くひとつの「概念的な仮説」なのだそう。


たとえば「宇宙は投影されているホログラフに過ぎない」という学説は決して変なレベルではなく、現在、研究が続けられています。

下の記事は、2010年11月の WIRED からの抜粋です。


「宇宙ホログラム説」、超高精度の時計で検証へ
WIRED NEWS 2010.11.04

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われわれの体験する3次元宇宙は、2次元における情報をホログラムのように投影したものかもしれない――「宇宙のホログラフィック原理」を検証する実験が、フェルミ研究所で行なわれようとしている。

この仮説「宇宙のホログラフィック原理」を検証するべく、100万ドル(8000万円)を投じた実験が行なわれようとしている。米国イリノイ州にある米フェルミ国立加速器研究所で実験設備が建設中であり、来年中に、世界最高精度の「時計」を2台用いた実験が行なわれる予定だ。



というようなことになっていて、「この世は、本当にリアルなのか?」ということは、かなり大きな科学レベルでの研究課題ともなっています。


まあ、そういう前例もあるので、今回のような、「この世はコンピュータ・シミュレーションで、私たちはその中に生きているのではないか」というようなことが、大学での国際研究チームによっての調査が開始されてもそれほど驚かないのですが、ただ、こういう話が肥大していくと、

じゃあ、そういう宇宙の中に生きている私たちって何?

という自分たちの存在のとらえ方さえ考えざるを得なくなる部分はあるかもしれないです。


ところで、この記事を読んで、ふと以前知った「地球のもうひとつの説」ということを思い出しました。いわゆる「地球空洞説」というものは、多くの方がご存じかと思いますが、19世紀のおわりに「 Cellular Cosmology 」という地球論があったのです。



19世紀にあった、地球の周りが「皮のような大地」で包まれている「細胞宇宙生成論」


この「 Cellular Cosmology 」という英語に関しては、いくら探しても日本語訳がないですので、便宜上、「細胞型宇宙生成論」ということにしておきたいと思います。

コレシャン・ユニティ( Koreshan Unity )という19世紀の米国の科学者が唱えたものです。


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▲ コレシャン・ユニティ。



cell-earth.jpg

▲ コレシャン・ユニティが描いた地球の内部の図。


彼の唱えた地球の様相は・・・実は私にはその意味がなんだかよくわからないのですが、地球空洞説のように「地球の中心には太陽があり、その周囲を「大地の皮革が回っている」というようなことなのでしょうか。


でも、これは「地球空洞説」と「ホログラフ宇宙論」を合わせたもののような感じとも言えそうな気がします


これは今でもわかりやすい模型を作っている信奉者(?)の人がいて、下の模型などがそうです。

bild2g.jpg


これをふたつ合わせると、「球」になるわけですが、その中心に太陽がある」というようなことになるらしいです。


通常の地球空洞説についての過去記事は、

米国海軍少将バード提督のすばらしき北極旅行日誌
 2012年06月02日



▲ 1947年に「北極の地下の文明」と接触した記録を残したアメリカ合衆国の海軍少将リチャード・バード提督。



17世紀の科学書「地下世界」に描かれる地球の内部
 2011年09月28日



▲ 17世紀の科学者、アタナシウス・キルヒャー が描いた『地下世界』。


などがあります。

というわけで、ここまでは前振りでしたが、ここから本記事です。なお、本記事の中に「ポストヒューマン」という単語が何度か出てきますので、その説明を Wikipedia から抜粋しておきます。


ポストヒューマン

ポストヒューマンは、仮説上の未来の種であり、「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」ものとされる。

ポストヒューマンの形態として、人間と人工知能の共生、意識のアップロード、サイボーグなども考えられる。例えば、分子ナノテクノロジーによって人間の器官を再設計したり、遺伝子工学、精神薬理学、延命技術、ブレイン・マシン・インターフェース、向知性薬などの技術を適用することも考えられる。



とのこと。
では、ここからです。





"We May be Living in a Massive Computer-Generated Universe" --Physicists Say Its Reality Can Now Be Tested
Daily Galaxy 2012.12.11


「我々は巨大なコンピュータが創り出した宇宙の中に住んでいるのかもしれない」: 物理学者たちがその現実性をテスト中


sim-world.jpg


かつて、プラトンからデカルトまで、偉大な哲学者たちは、「この世に見えている光景は邪悪な悪魔が作りだしたものだ」と推測していた歴史がある。

そして今、最新の科学の世界でも、物理学者たちは「この世界がコンピュータが創り出している世界で、我々はその世界に住んでいるのかもしれない」という考えを思い浮かべることがある。

プラトンは、「現実というのは洞穴の中の影以上のものではないかもしれない」とし、そして、人類はそれが影だと気づくことなく、洞穴を出発せずにいると言った。

さらに最近では、英国のオックスフォード大学の哲学教授、ニック・ボストロム( Nick Bostrom )氏は、2003年に発表した論文の中で、「現在の人類が、コンピュータ・シミュレーションの中において生きている可能性」についての概念を発表している。

その論文で、ニック博士は、下の3つの可能性の中の少なくとも「ひとつ」は真実であるだろうと述べた。

1. 人類種は、未来の人類(ポストヒューマン)」のステージに達する前に絶滅しそうなこと


2. そして、どんなポストヒューマンの文明でも、非常に進化した文明のシミュレーションを数多く作り出せることはないように思える。私たちは、ほぼ間違いなくコンピュータシミュレーションの中に生きている。


3. 私たちが、現在シミュレーションの中で生きている場合に限り、ある日、「祖先の文明は間違っていた」と思えるポストヒューマンになる可能性がある。


下の図の赤い円錐の表面は、特殊相対性理論でのエネルギーと運動量の関係を示している。これはアルバート・アインシュタインによる空間と時間に関しての基本的な理論だ。

そして、この結果は「私たちの世界がシミュレーションでないならば」期待できる結果だ。


red-1.jpg


そして、上の図で青のフラットな表面は、エネルギーと運動量の関係で、こちらのほうのシミュレーションは「宇宙が、根底にある立法格子である」場合のものだ。

現在の科学での、コンピューターにおける限界と傾向として、研究者たちが最初にシミュレーションをおこなうことができる期間は数十年程度だということがある。

しかし現在、ワシントン大学の物理学者たちのチームは、これらの思想に整合性があるかどうかを見ることができる可能性のあるテストを提出した。

科学者たちは最もパワフルなスーパーコンピュータを使って、その世界の手がかりを得ようとしている。

現在では、100兆分の 1メートルのスケールで、格子の量子クロモ力学と呼ばれている技術を使用して、宇宙を支配する基本的な「大きな」物理法則から、原子核より少し多い程度の非常に「小さな」法則までをもシミュレーションすることができる。

最終的には、より強力なシミュレーションにより、細胞の人間分子のスケールでさえモデル化することができるようになる。

しかし、私たち人類がコンピュータシミュレーションで生きていることを示すことになる物理過程に対する制約というものを理解するには、「宇宙の大きさをシミュレートすることができるような」コンピューティングパワーが必要で、その成長のために何世代もかかると思われる。

この秋、ドイツのボン大学の論物理学者シラス・ベアネ( Silas Beane )博士の研究チームは、このシミュレーション仮説をテストする方法を開発したと述べた。

プラトンが、私たちの感覚は客観的な現実の唯一の弱い反映を提供している、ということを示唆してから 2000年間経つ。今、科学者たちは、格子ゲージ理論的なレベルで、プラトン以来の仮説を再現する試みを行う。

科学者の中には、「そこにはたとえば、アインシュタインの特殊相対性理論の法則に違反するいくつかの法則レベルもあります」と言う。

かつて、カール・セーガンは、

「それまでにない驚くべき主張に対しては、やはりそれまでにない驚くべき証拠が必要なのだ」

と述べている。






  

2012年09月24日



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前回記事: ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(1)






 


クラカタウ火山噴火の翌年の西暦 536年から「仏教の伝来」と時を同じくして疫病の嵐に見舞われた日本の厄災


昨年の震災の直後、「日本から消えた外国人」のことをよく書いていました。過去記事の「鎖国の気配 (2011年04月04日)」というものなどには、当時住んでいた東京の吉祥寺で夜の街を牛耳っていた中国人たちが一斉にいなくなったことが書かれてあります。

これは私の田舎である北海道などでも同じでした。あまりご存じのない方のほうが多いでしょうが、2010年頃までには、実は北海道の観光地は「日本人観光客はマイノリティ」となっていました。数もそうですし、日本人の観光客よりはるかに「お金をたくさん使う」東アジアからの観光客の人たちが、ここ数年は実質的に北海道観光を支配していました。

先日、「個人的に発令したい海外からの退避勧告」なんていう物騒なタイトルの記事を書きましたが、ほんの1年半ほど前に他の国から退避勧告が出されていたのは、この日本でした。



▲ 震災後3日目の 2011年3月16日頃の報道。「日本人の吉祥寺で」より。


最近ふたたび、日本と周辺国の一部の関係は「まるでお互いの退避勧告」が出ているかのような状態となっています。

今朝のエポックタイムスの記事では、中国では、「国交正常化40周年」を記念して、今年5万人以上の中国人観光客を日本に送る予定でしたが、中国全土にある 5500の旅行代理店にキャンセルするよう通達したそうです。

ep-0924.jpg

▲ エポックタイムスの記事。見出しは「中国と日本の緊張がエスカレートする中、旅行者と航空便が犠牲に」。


まあ・・・これらのことは複雑な問題ですので、特に感想はないですが、あの2011年の春の「気分」をちょっと思い出しました。


余談はともかく、昨日の記事の続きです。



日本の歴史は「6世紀以前と6世紀以降」だと言える理由


これは過去記事の、

西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録
 In Deep 2012年09月20日

と関係した記事でもあります。

『西暦535年の大噴火』という本からの抜粋ですが、「日本は6世紀を境にして何もかも変わってしまった」ということが記されている迫力のある文章です。「古代日本の精神的な滅亡」とも関係します。

5世紀から6世紀、アジアの周辺国が次々と「仏教国」となっていく中、150年以上にわたり仏教国となることを拒み続けていた日本が、それまでの「カミ」を捨てて、仏教国となっていった経緯、その理由の中に潜む「西暦536年から始まった天然痘の大流行」に関しての記載です。


インドネシアのクラカタウ火山の大噴火は西暦535年だったとされていますが、日本に「異変」が起きたのはその翌年からでした。

そして、それ以前には何もかもうまくいっていたという記載が『日本書記』にあります。下は、日本書記の西暦 535年に記された部分です。つまり「クラカタウ火山の噴火の前の日本の情景」といってもいいかと思います(まあ、日本の一部の地域の話ではありますが)。


「このところ毎年穀物がよく実って、辺境に憂いもない。万民は生業に安んじ飢餓もない。天皇の仁慈は全土に拡がり、天子を誉める声は天地に充満した。内外平穏で国家は富み栄え、わたしの喜びは大変大きい。人びとに酒を賜り、五日間盛大な宴を催し、天下こぞって歓びをかわすがよい」(『日本書記』)




その後、日本は次第に下のような状況に陥ります。


「疱瘡で死ぬ者が国に満ちた。その瘡を病む者が『体が焼かれ、打たれるように苦しい』といっては泣き叫びながら死んでいった。(中略)死体は腐乱して名前もわかりません。ただ衣の色を見て、そのむくろを引き取っています」(『日本書記』)



その頃の日本の様子です。

それでは、ここからです。
うまく省略できない部分が多く、長い抜粋となりそうです。






 


西暦 536年から始まった日本の出来事

デヴィッド・キース著『西暦535年の大噴火』 第7章 東洋の悲劇より


百済は(西暦五三〇年代の)百五十年前から仏教国だったが、これより以前に日本の朝廷に布教団を派遣しようとした記録は残っていない。朝鮮の大半と中国の多くの地域、つまり日本の隣国の大半は、少なくとも百五十年以上前から仏教を、部分的にせよ信奉していたのだから、日本だけがその先例に倣っていなかったことになる。大陸志向の蘇我一族ですら、思い切った行動には出ていなかったのだ。

だが、五三〇年代に前代未聞の状況が生じた。アジア東部の全域が飢饉に苦しみ、三年前の新羅同様、日本でも多くの人びとが、「事態を正常に戻すには、きわめて強力な魔術なり神の助けが必要だ」と感じたに相違ない。

だが、「まさにこのようなときに」伝統的な神々を信奉せず、外国の神を崇拝するのはとりわけ賢明なことではないと考える人たちもいた。軍事・警察を司る物部氏と、祭祀を担当していた中臣氏は、天皇にきっぱりと警告した。

『日本書記』によると、「わが帝の天下に王としておいでになるのは、常に天地社社(あまつやしろくにつやしろ)の百八十神(ももあまりやそがみ)を、春夏秋冬にお祀りされることが仕事であります。いま初めて蕃神(あたしくにのかみ)(仏)を拝むことになると、おそらく国つ神の怒りを受けることになるでしょう」と進言した。

そこで天皇は妥協案を用意した。仏教導入に大賛成の蘇我氏だけは「試しに」外国の神を崇拝してもよい、ということにしたのである。

『日本書記』によれば、蘇我氏の筆頭だった宿禰(すくね)は「ひざまずき、(仏像を)受けて喜んだ。・・・・・家に安置し、・・・・・家を清めて寺とした」だがその後、異常事態が起こった。ひどい伝染病(おそらく天然痘)が日本で発生したのである。多くの人びとが亡くなった。日本では何世代も前から天然痘が流行したことはなかったので、免疫もほとんどなかったちに違いない。

「国に疫病がはやり、人民に若死にする者が多かった。それが長く続いて、手だてがなかった」と『日本書記』には書いてある。

伝染病が流行した地域は、おそらく人口密度の高い地域だったのだろう。そうした地域では、人口の六割が死亡したと推定される。まずインフルエンザに似た徴候が現れ(高熱、腰痛、頭痛)、次にしばしば咳と下痢の症状が出る。次いで、猩紅熱にも似た発疹が現れる。患者は体を焼かれるような、あるいは、絶えず熱湯でやけどをさせられているような感じになる。『日本書記』はのちに、患者たちがこう言ったと記している。

「体が焼かれる・・・・・ように苦しい」

その後、発疹に変化が現れる。そして発疹は顔面を中心に始まって、体の下のほうへ広がっていく。とくに多く出現するのは手足だ。そして皮膚に無数の水疱が現れ、最後には、直径七 - 八ミリという大きめの膿疱になる。

患者の五パーセントは、内出血のため数日で死亡した。別の五パーセントは発疹が広がり、熱が四十度まで上がった。もっとも、患者の大半は天然痘で死ぬことはなく、結局は肺炎と敗血症でおのおの三割が亡くなったものと思われる。天然痘ウイルスが鼻腔、口腔、目の保護粘膜を剥ぎ取ったあと、二番手のバクテリアが侵入したのだ。

とくに被害に大きかった地域では、住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割だけだったと思われる。以上のような状況では、「天皇が仏教崇拝を許したことが伝染病流行の原因」と見なされても不思議はない。

仏教反対派はもちろん、日本の神々が怒ったのだと主張した。そうした神々は、現在の神道が信奉している神々と同一であり、主に五つに分類されていた。自然の中に住んでいる神(木や、薄くて背の高い石、山などに住んでいる)、特殊な技能・技術に関連する神、特定の一族を守り特定の共同体を敵視する神、以前は人間だった神(先祖の一部を含む)、そして特定の高貴な神々(太陽神、日本列島を形作ったと言われている二柱の神々など)、以上である。

神=カミは、それ自体の姿形を持っていないと見なされていた。シャーマン(僧侶)から、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できるとされていたのである。

そして、霊たちは、細長い「器」の中に住みたがると一般に信じられていた。具体的には、魔法の杖、旗、長い石、木、特殊な目的の人形、そして生きている人間などである。そうした人間(霊媒)は女性であることが多く、その体と声に神々が乗り移るとされた。

天皇は稀有な男性霊媒とされ、その体は、神聖な祖先である太陽の女神が永遠に「借りている」とされた。こうして天皇は、神性の入るところ、神性の媒体とされた。

天然痘が猛威を振るうと、物部氏と中臣氏は、蘇我氏から仏像を奪い取るよう天皇に嘆願したと『日本書記』にはある。

「あのとき、臣の意見を用いられなくて、この病死を招きました。いま元に返されたら、きっとよいことがあるでしょう。仏を早く投げ捨てて、後の福を願うべきです」

天皇は同意するしかなかった。だがある意味では、仏像は本当に伝染病の元凶だった。なぜなら、この病気は、蘇我氏が熱中していた「外国の品々」の中に入って朝鮮からやってきたからである。

『日本書記』によると、「天皇は『申すようにせよ』と言われた。役人は仏像を難波の堀江に流し捨てた。また蘇我氏の寺に火をつけ、あますところなく焼いた」

仏教と天然痘をめぐって、日本国内は意見が大きく割れたに違いない。五三〇年代に起こったさまざまな出来事は、国内に政争を招き、その後の百年の日本史をじかに左右し、この国の将来を形作った。






ここまでです。

まだまだ続くのですが、「6世紀の日本の出来事のその始まり」は以上の部分でも何となくおわかりかと思います。

そして、6世紀の日本では上のような「病気の流行」と、「朝鮮からの仏教の伝来」のふたつの出来事で、以後、100年に渡る混乱に突入していきます。

そして、西暦 590年に「仏教推進派が勝利」し、「日本国家の孤立と伝統を求めた一派」は敗北します。つまり、以後、日本は「古代のカミ」を捨てて、外国の神様(仏)を国の第1の神様として国家作りがスタートします。

その後、次々と中国、そして朝鮮から宗教、政治、経済、行政、芸術などが日本に大量に導入されて、日本は「変わっていく」のでした。



それにしても、イギリス人の書いた文章で、「当時の神道を知る」あたりは、私も十分に「日本人失格」ですが、上の文章にある神道の以下の部分は興味深いです。


> シャーマンから、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できる


このあたりの成り行きというのは、ホント何もかも似ているなあと思います。

新訳聖書の「ヨハネによる福音書1章」の冒頭、

初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。

この言は、初めに神と共にあった。

万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。



あるいは、コーランの「雌牛章 117節」の、

かれが一事を決められ、それに「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。


まあ・・・あるいは最もこういう部分を適切に語っていたのが中世の「焼かれた科学者たち」だったのかもしれません、1600年に異端として火刑にされたジョルダーノ・ブルーノという人は『無限、宇宙および諸世界について』という本の中で、「物体」についてこのように書いています。


元来その全体を構成しているところの目に見えぬもとの物体なるものを考えてみますと、それらはある所ではそこへ流れこみ、ある所では外へ流れ出ながら、広大無辺の空間を通じて変遷を繰り返しているものだからです。

これらの元素は、あるいはそれも神の摂理のおかげなのでしょうが、現実には新しい物体を作り上げることもなく、古くからの物体を解体することもせぬのですが、少なくともそうしようと思えばできる能力をもっているのです。



何だか難しい言い方ですが、要するに「物には実体はないけれど、(「神」とブルーノが呼んでいるものの摂理で)物ができたり消えたりするようになっている」と。


ちなみに、今回抜粋した『西暦535年の大噴火』の「東洋の悲劇」の章は下の文言で締めくくられています。


仏教はある意味では、(中国や朝鮮の)こうした変化を日本に導入するさいの単なる口実に過ぎなかった。言い方を変えれば、危険な贈り物だった。

五三〇年代に気象異変と伝染病をきっかけとして始まった動きは、ここに完了した。日本の七世紀初頭は、六世紀初頭とはまったく様相を異にしていた。古代日本は消え去り、近代日本の原型が生まれたのだ。今日の日本という国の起源ははるか昔の、悲劇の六世紀にあったのだ。




それにしても、この1000年後にも今度は「鎖国」という形で、日本の神様だけを囲う形にした日本の政策が「富士山の噴火の時代だった」というのも何だか感慨深いものがあります。まあ、時期は同じではないですけど、このあたりは、以前、

あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(2) 「鎖国」と「富士山大噴火」を生み出した前回マウンダー極小期
 2011年11月09日

などに書いてあります。

ところで、今回の「日本の感染症の流行と火山の噴火の関係」については、また別の記事として書きます。



  

2012年06月02日



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海外のブログ見るともなしに見ていましたら、「リチャード・バードの日記」というものがありました。






 


リチャード・バード。

この人はどういう人かということは、公式にはたとえば、Wikipedia の以下の説明でおわかりになると思われます。


リチャード・イヴリン・バード(1888年10月25日 – 1957年3月11日)は、アメリカ合衆国の探検家。海軍少将。

経歴

1926年5月9日に航空機による初の北極点到達を成し遂げる。(中略)また、1929年11月28日から29日にかけて、南極大陸ロス氷原のリトル・アメリカ基地から南極点までの往復と初の南極点上空飛行に成功した。

この南北両極への飛行成功により、国民的英雄となった。




ということで、日本で言えば植村直己さんのような感じのアメリカの冒険ヒーローのひとりです。

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▲ リチャード・バード。アメリカ海軍での最終階級は海軍少将。米国の歴史的な英雄のひとり。

しかし、上の公式プロフィールとは別に、下のようなプロフィールも語られ続けている人でもあるのです。

下の抜粋は 1964年にアメリカの哲学者であるレイモンド・バーナードという人によって書かれた『空洞地球 - 史上最大の地埋学的発見』という本のもので、その著作には、バード少将が、北極で、地球内部へ通じる穴を発見したとあり、そして、その本には下のようにあるそうです。


バードはその後、地下で千年以上に渡って存在し続けてきた巨大な地下世界の代表者とコンタクトした。地下世界の住人は姿はほとんど人間と似ているものの、地上の人間よりも外観的にも、内面的にも美しいという印象を持っていた。

地下世界では戦争がなく、新しいエネルギー源を持っており、食料や光に困ることはない。地下世界の人々は地上世界の人々と何度かコンタクトを取ろうとしたにも関わらず、全て拒絶され、その度に彼らの航空機は撃墜された。もし、いつか地上世界の人々が自滅するような事があった場合にのみ、手を差し伸べる事を決め、地上との接触を絶った。

地底人はバード氏に彼らの文明の全てを見せ、パイロットと共に再び、飛行機に乗って穴を通り、地上までエスコートした。



国民的ヒーローである冒険家である一方で、唐突なこの話の展開。

つまり、バード少将という人は、「地球の内部を旅行し、それを記録した唯一の現代の人物」とされているのです。

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今回、米国のブログに、そのバード少将の飛行日誌のログの一部が掲載されていましたのでご紹介します。

ちなみに、北極ではないですが、バード少将の「南極の探検」に関しては『バード南極探検誌』という本人による著作が出版されていて、まあ内容はわからないですけれど、日本語版も 1956年に出版されているようです。

この本は、もちろん読んだことはないですし、今後も私には読めないと思われます。

その理由は、たとえば、Amazon にある『バード南極探検誌』。値段に注目してください。

byrd-book-amazon.jpg

17,980円の古本は買えないって・・・。

まあ、いずれにしても、バード少将が北極、あるいは他の地域で見たものの正体の真偽性についてはよくわからないのですけれど、でも、バード少将自体の人格には問題はなく、また彼の奥さんもバード少将の死後に、「地球内部の世界」についてバード少将が語ったことを口にしていたという記録があるそうです。

ちなみに、その後、バード少将は、南米ジャングルの探検で見つけた深さ1000メートルほどもある大穴の中でも文明を見つけて、そこで「地下の人たちと1年間ほど共に生活した」のだそう


しかし、下の日誌を読むと「地球内部に関しての日誌は、非公開日誌とする」とあり、わりと神経質になっていたようです。

まあ、下のログの話が本当かどうかはわからないですけれど、幻覚とか作り話とか、もちろん、書類そのものが偽造というのも含めて、そのあたりは解釈は様々ですので、読む方のご想像にお任せいたします。


ちなみに、過去記事で、何度か「地球内部」の話にふれたことがありますので、その関係リンクを翻訳記事の下にはっておきます。

ここから、バード少将の北極探検日誌です。






 


Archive: Admiral Byrd's Most Excellent Adventure
Phantoms and Monsters 2012.06.01


バード提督の最も素晴らしい冒険


byrd1.jpg


リチャード・バード提督の探検日誌(1947年2月〜3月)より


(この地球内部に関しての日誌は、秘密扱いとする)


これは、北極上空からの飛行探査をおこなった時の日誌だ。

私は、この日誌を秘密扱いとし、また、公表するにしても無記名でなければならない。
その理由は、1947年2月19日の私の北極探検で体験した内容と関係する。

今は私が体験した事実を、万人に納得してもらうような合理性と共に説明することは難しいが、しかし、いつの日か、きっとこれらのことが合理的に説明され、真実が明らかとなる日がくることだと思う。

それまでは私はこの書類を公開することはできない。

なので、この日誌が人の目に触れることはないと思うが、しかし、探検家としての義務として私は、記録を残す。

私は、今の世の中の強欲と貪欲と搾取の連続に我慢できなくなっている。なので、真実を隠し続けるのも難しいかもしれない。


byrd4.JPG

(訳者注)▲ 上の図はブログのオリジナル記事のこの位地にあったものですが、いわゆる地球空洞説の参考図で、バード少将の日誌とは関係ありません。

--

フライト・ログ / 北極ベースキャンプ / 1947年2月19日

06時00分 飛行のためのすべての準備が終了した。

06時20分 滑走路を走行中。

07時30分 無線チェック。すべて順調だ。

07時40分 右のエンジンから若干の軽油の流出が発生。

08時00分 高度 2321フィート(約 700メートル)に到達。強い乱気流に遭遇。

09時10分 眼下に広がる雪と氷が多少黄色がかっていて、線形のパターンが散りばめられている。コースを変えて観測してみると、眼下の氷と雪の色のパターンが赤みがかった、あるいは、紫の色であることがわかる。この地域の上空を二度旋回して元のコースに戻る。氷と雪の色に関しての情報を伝達するために再び位地のチェックを行う。

09時10分頃から、全員のコンパスがグルグルと回り始め、位地の計測ができなくなった。太陽コンパスを使うと良いようだ。これで、操縦はうまくいくようになったが、しかし風景に問題がある。なんと眼下に氷がないのだ。

09時15分 山のようなものが見えてきた。

09時49分 この山への飛行時間を記録する。この山は幻覚ではない。これまでわからなかった非常に狭い範囲でできている山のようである。

09時55分 高度 2950フィート(約 880メートル)。再び強い乱気流に遭遇。

10時00分 私たちは小さな山脈の上で交差して飛行している。山脈の向こう側に中心部を走っている小さな川か、あるいは水流のようなものが見える。

緑色が見える。・・・緑?

緑の谷が見える。いや、北極のここに緑があってはいけない。それは異常だ。明らかにおかしい。この場所に雪と氷以外があってはいけない。しかし、左カジの方向に、山の斜面に大きな森が見えるのだ。飛行機のナビ(コンパス)は、グルグルと回り続けており、ジャイロスコープは前後に振動している。

10時05分 高度を1400フィート(約 400メートル)に下げ左折する。谷を調べるつもりだ。

この緑は、コケ、あるいは堅いタイプの植物に見える。そして、ここは光が何か他と違う。太陽はすでに見えない。

私たちはさらに高度を変え、左折していった。そして、私たちは、眼下に大きな動物のようなものを目にしたのだ。

これはゾウのような形だろうか。
いや、むしろマンモスのように見える。

信じられない・・・。

でも、今、私たちの眼下にその光景があるのだ。

高度を 1000フィート(300メートル)まで下げる。さらにその動物を観察するために、双眼鏡を手にする。

双眼鏡で確認すると、それは確かにマンモスのような形をしている。

これをベースキャンプに報告しなければ。


10時30分 私たちはこの緑の丘の上をさらに旋回している。なんと、飛行機の外の気温は 23度を示している! ナビやコンパスは通常に戻った。しかし、困ったことに無線がきかないのだ。従って、ベースキャンプに連絡を取ることができない。

11時30分 眼下は水平な土地のようだが、私たちはそこに「都市」のようなものを見つけた!

そんな馬鹿な!

この都市のような場所での飛行機のようなものは、私たちのものと比べて、妙に軽くて、浮力があるように見える。

ベースキャンプに報告をしたいが、無線が反応を拒否する。

なんてことだ!(原文は「 My GOD !!! 」)

なんて奇妙な飛行機なんだろう。翼は奇妙な形をしていて、そして、ディスクのようなシェイプをして、ボディは輝いている。

飛行機がものすごいスピードで近づいてきた!

ボディに模様がある。
あれは・・・一種のスワスティカだ。



--
(訳者注) スワスティカ ( swastika )とは、日本語でいう「まんじ」、あるいは「鉤十字」のことです。

swastika.jpeg

以前、この「スワスティカの歴史」について記事にしようと思ったことがあるので、この単語を知っていました。実はこのシンボルの歴史は、世界的に見ても極めて古くて広範囲のようです。それに関しては、そのうち記事にできたらするかもしれません。バード少将の北極日誌の続きに戻ります。

--

11時30分 これは素晴らしい!
しかし、私たちは何という場所にいるのだ。 

そして、そこで起きたこと!
なんと操縦桿がきかなくなったのだ。いくら操縦桿を引いても、何の反応もしないのである。

しかし、飛行機は飛んでいる。
何か、罠のようなものにでもかかったかのような感じだ。

11時35分 無線から小さな音が出た。そこから、ゲルマン語系のアクセントでの英語で下のメッセージが流れた。


『私たちの領域へようこそ、提督。私たちは7分ちょうどであなたがたを着陸させます。リラックスしてください』。


そして、私たちの飛行機のエンジンは止まった。

飛行機は何かの制御の下にあるようで、回転している。
飛行機自体の操縦桿は一切効かない。



11時40分 無線から別のメッセージが流れる。そして、私たちの飛行機は着陸のプロセスに入った。飛行機はわずかに振動したが、まるで目に見えないエレベーターにでも乗っているかのように降下を開始したのだ。

着陸にはほんのわずかな衝撃があっただけで、飛行機は着地した。

数人の男性が飛行機のほうに歩いてきた。
彼らはブロンドの髪を持ち、背が高い。

彼らの向こうに、虹色で脈動しているかのように見える光る都市が見える。

私には何が起きているのか正直わからない。
しかし、とりあえず彼らは武器もなく、危険はないようだ。

彼らは貨物ドアを開けるように指示したので、私たちは応じた。

(公開されているログはここまで)





訳していてとても面白かったんですが、しかし、最後のほうの『私たちの領域へようこそ、提督』あたりは、思わず「ホンマかいな」と思わざるを得ない部分もないではないですが、まあしかし、続く「地下都市の描写」と思われる、

 > 虹色で脈動しているかのように見える光る都市

というのは確かに魅力的なフレーズです。

とらえ方はさまざまでしょうが、このバード少将の話が単なる作り話として終わらなかった理由は、多分、「バード少将の人柄」にもあるように思います。

もちろん、「少将という地位」も信頼性の向上に関係しているかもしれません。当時の米軍も、少将というのは、上から3つ目のほぼトップに近い階級であり、誰でもなれるようなものでは決してありません。

特に米軍は実力昇級主義の部分が強いので、少将になる素養というものは必要だと思います。


ちなみに、第二次大戦までの旧日本軍では、陸軍士官学校を出た人しか将官にはなれないという不文律が存在しました。正確にいうと、どれだけ軍歴をあげても努力しても、士官学校からの人物でないと、「少佐」まででした。

ちなみに、大まかに軍の階級は上から、

将官として「大将・中将・少将」

で、その下に

佐官として「大佐・中佐・少佐」

となります。さらに下にいくと、

尉官として「大尉・中尉・少尉」

となります。
当時の日本は士官学校を出ていれば、何の軍歴もなくとも、二十代前半でこの「尉官」からスタートしました。

学歴(士官学校卒)のない普通の若者は、少尉からさらに8段階下の「二等兵」からのスタートでした。

二等兵は、英語では「プライベート」。これは、映画「プライベート・ライアン」(ライアン二等兵)のプライベートですが、米国では、このような下級兵士から将官にまで上り詰めた人たちが存在するのに対して、戦時中の日本では「ひとりもいなかった」という違いがあります。

つまり、日本は戦前の軍事国家の時のほうが今よりも「学歴社会」だったんです。これに関しては現在よりも厳密でした。

要するに、よく「名将〇〇」とか「軍神〇〇」とか言われるような戦前の軍人さんは、少なくとも第2次大戦当時の人々に関しては、単なるエリートだったということです。今でいえば、東大卒の省庁のエリートだとか、そんな感じです。そういう人の「記録」だけが後生に残ります。

いっぽうで、命をどれだけ捧げても絶対に「その人の言葉など後生に残らない」のが軍部の 99パーセントを占める学歴(士官学校歴)のない若者たちでした。

まあ、全然関係ない話になってしまいましたが、バード少将が自分の経験した(かもしれない)ことを、かたくなに秘密にしたことにはこのような「少将は立派な人だ」という当時の米国の価値観も関係しているかもしれません。変なことを言ってはいけない立場だったと思います。

それにしても、地球内部の話は興味深いです。



  

2012年05月24日



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米国のニュース投稿サイトのコメント欄で、最近としては最も多いコメントでの議論が続けられている「動画」があります。

コメント欄がある投稿サイトは、

Enormous Object Near The Sun! What Is It?
太陽の近くの巨大な物体は何だ?


です。

その動画を短く編集したものを載せておきます。
最初は、中国の動画投稿サイトに投稿されたものです。

多分、日食の観測用に用意したフィルターを通して見た際のものだと思います。




写真でも説明しておきまますと、



・太陽を、

suns-1.jpg



・日食などの観測用フィルターを通して見てみると、

suns-2.jpg



・太陽の横に何か写っている。

suns-3.jpg




という流れです。

この動画に関して、投稿サイトのコメント欄が賑わっている理由は、大まかにはひとつで、


「これはレンズフレアか、そうではないのか」


ということです。

レンズフレアというのは、照明など強い光源に対して、カメラを向けて撮影した場合に、光源の周囲に光が分散して写る下のようなもので、カメラなどの撮影で誰しも経験するものです。

lense-flare.jpg


今回の中国の「ふたつの太陽」がレンズフレアかどうかというのは微妙で、見ただけではわからないですが、過去、 In Deep では、読者の方から送っていただいたものも含めて、数多くの「二つの太陽」を掲載してきました。

それらをご紹介しておきます。

なお、太陽がふたつ以上見える光学現象に「幻日 (げんじつ)」というものがあります。これは空中の氷晶による現象で、幻日は太陽から約22度離れて見えるという特徴があります。



この特徴から大きくはずれたものは、幻日ではない可能性があるということにもなるのかもしれません。



続きを読む



  

2012年04月08日



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昨日の記事の「正体不明の「ヘビの軍団」に襲われているナミビアの村」のオリジナル記事はアフリカのナミビアの報道メディアからのものでした。そのナミビアの公用語は英語で、報道も英語でした。そして、その記事の「見知らぬヘビの群れからの被害を受けるナミビアの村」という意味のタイトルは、

Namibia: 'Strange Serpents' Plague Tubuses

でした。

ヘビの英語として思い浮かべる「スネーク ( Snake )」ではなく、「サーペント ( Serpent )」という単語で表されていました。

私はこのタイトルの Serpent という単語を知らなかったんですよ。

それでこちらの英和辞典を見たんですね。

すると、




1 蛇 (snake)
2 悪魔;サタン〈《聖書》創世記3:1-5;黙示録20:2〉(Satan)
3 陰険な人, 狡猾な人, 悪意のある人
4 蛇花火
5 セルパン:蛇の形をした木管楽器
6 《天文》へび(蛇)座(Serpens)





とある。

この中の「2」の聖書の創世記に出てくるというのが気になりました。

というのも、ナミビアのヘビの記事の前の日の記事である、

地球と太陽の組成はまったく違うものというオーストラリア国立大学の研究発表

にも、調べている途中で創世記が出てきました。

それは、旧約聖書「創世記」の第1章 16-18節の部分。


神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。



という部分でした。

しかし、先日知ったのは、地球から見る「夜の月」と「昼の太陽」は同じ大きさだということ。これはどういうことなのかなあとずっと引っかかっていたところに、また旧約聖書の話が出てきた。

今年になってからの In Deep には「旧約聖書絡み」の話題が多いんですが、とりあえず、その「ヘビ」の出ている創世記の部分を記しておこうと思います。

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創世記に描かれるヘビ( Serpent )

旧約聖書より




創世記 第3章 1-7節

主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。

へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。





と、ここまでです。

「ははあ」と思いました。

これはあの有名なアダムとイブが禁断の果実かなんかを食べて、突然、チンチンと女性のそれが丸出しであることが恥ずかしくなるくだりですね。これがそんなに悪いことだとも思えないのですが、このあとの創世記 3章 14節では、神はヘビにひどいことを言います。




創世記 第3章 第3章 14節

主なる神はへびに言われた。

「おまえは、この事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で這いあるき、一生ちりを食べるであろう」。





どういうわけだか、神は怒って、ヘビをこの世で最も呪われる生き物とした、と。


さすがにこれを読んで、私は、「チンチンと女性のそれを隠す気になる実を食べさせただけで、どうしてそんなに怒る?」と、その神に聞きたい気分になったのですが、いずれにしても、創世記においてヘビは「この世で最も呪われる生き物」とされる宣告を受けるわけです。

しかし、この後の世界では、「ヘビ」は他に例えるもののない崇高な生き物として、次々と世界各地の古代神話に登場することになるのです。このことは後で書きます。






旧約聖書とその後の世界観

それにしても、どうも次々と矛盾というのか疑問の思いがわいてきます。

上にも書きましたが、創世記には、


神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。


とあります。
しかし、地球から見る限り、「太陽が大きくて、月が小さい」という概念はどうも釈然としない。


たとえば、最近たまに出てくる18世紀の『薔薇十字の秘密のシンボル』という本の中でも、「太陽が月より大きく描かれている部分」はありません。

薔薇十字の秘密のシンボルは旧約聖書より後に書かれているものであって、天文学を含めた科学的な観測については、進んでいたはずです。それでも、シンボルとして「太陽が大きくて、月が小さい」ということは、少なくともシンボルやイラストでは書かれてはいない。

その「薔薇十字の秘密のシンボル」の中から抜き出したものです。月と太陽が同じイラスト内に出てくる場合は必ず下のように「対等」に描かれます

sun-moon-02.jpg

▲ 下の「逆三角」の中にある「 Fons miraculorum 」のラテン語の意味は「奇跡の源」というような感じだと思います。多分、「月と太陽の力によって起きている奇跡」について描かれているのだとは思いますが、それ以上はわかりません。



あるいは、何より中世神秘学の象徴ともいえる「エメラルド・タブレット」のシンボルでも、月と太陽は(大きさも)対等な関係であることが示されています。

sun-moon-sui.jpg

▲ エメラルドタブレットの上部のイラスト。薔薇十字の概念では、世界という存在は、「月と太陽の奇跡を水星が完成させる」ということになっているようです。


しかし、創世記の「大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた」には大きさとしての比較級が入っている。なんとなく対等ではない感じがする。

この「旧約聖書と、その後の神話や神秘学などとの間に生じる矛盾のようなこと」がヘビのくだりにも見られるのです。


創世記ではヘビは「この世で最も呪われる生き物」とされているにもかかわらず、その後のいろいろな国の古代神話では「死と再生を表す永遠の象徴」として、尊い存在として登場するのです。

これは、Wikipedia の「ヘビ」を読んでいて知ったことですが、そのことについて少し書いてみたいと思います。

その古代神話に出てくるものの名前はいろいろですが、ここでは、ウロボロスというものを中心にとして書いてみます。



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2012年04月02日



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その隠された「月たち」は1年ごとに太陽と地球の軌道上を行き来している。


(訳者注) アメリカのマサチューセッツ工科大学が昨年12月に発表した、「地球はもうひとつの隠された月を持つ」という記事をご紹介したことがあります。

「地球は隠された月を持つ」という MIT の発表
 2011年12月23日

このことに関して、ハワイ大学の研究チームが、スーパーコンピュータを使って「地球のもうひとつの月」のシミュレーションをおこなった結果に関しての記事が数日前の英国デイリーメールに出ていました。図説付きでわかりやすく記事にしていましたので、ご紹介したいと思いますが、これは驚くべきもので、箇条書きにしますと、


・地球のその小さな月(ミニ・ムーン)の数はひとつではない。
・ひとつの月が1年間、地球の周囲を旋回する。
・そして、その後はその月は太陽の軌道に移動して「太陽の衛星」となる。



というような感じです。

言い換えれば、「何個もの月が地球の軌道と、太陽の軌道上を1年ごとに交代で周回しているのかもしれない」という可能性についての話です。


ところで、「月」に関して、最近は科学の世界でもいろいろな疑念や懸念がでています。その中のひとつは「そもそも、どうして月が存在するのか」という疑問です。そのことについて最初に少しふれておきたいと思います。



月はどうして存在しているのか?

今の科学や、あるいは「学校」などで私たちが学んきた「月の正体」については次のようなものでした。

今でも小学校などで教えているタイプのものは、下のものだと思います。
学研の科学なぜなぜ110番の「月はいつどうやってできたの」からの抜粋です。


今から、およそ46億年前に、地球や火星など、太陽系の星たちが誕生しました。
(中略)
この大昔の地球に、いつもにくらべてかなり大きな微惑星が、ぶつかったのです。地球の一部分は、けずり取られ、ふたつに分かれてしまいました。その地球からとび出した部分が地球のまわりをまわるようになりました。これが月のはじまりです。

月と地球はもともとは同じ星だったのです。



moon-1.png



要するに、月は地球にぶつかって飛び出した破片のようなものだと。月というのは「地球の残骸」として存在しているということが現在、「すべての日本人の子どもたちが教えられていること」だと思います。


もちろん、実際には科学上ではいくつもの可能性が考えられてきたようで、宇宙航空研究開発機構( JAXA )の「もっと知りたい! 「月」ってナンだ!?」というページの「まだまだわからない月の謎」という部分には下の図が示されています。

moon-02.jpg


すなわち、

・地球の一部がちぎれて月になった。

・まったく違うところで生まれた月が地球の重力に捕らえられた。

・太陽系ができたときに、地球と一緒に生まれた。

・地球に星がぶつかり、そのかけらが集まって固まり、月ができた。



という4つの学説が主流のようです。

そして、そこにこうあります。


今のところ、巨大衝突説がもっとも有力だと考えられています。しかし、そのような衝突の跡は月や地球の地形に残っていません。また、アポロ計画で持ち帰られた月の石は、月のほんのわずかな部分のため、月全体の組成もまだわかっていないのです。



それにしても、それならどうして、教科書に「月については何もわかっていません」と明記しないのか。

このたぐいの「推定」と「憶測」がどれだけ後の人々の人類生活を「暗いもの」としてしまったか。


宇宙は無限ではなく、有限」とし、
月は地球の欠片が回っているもの」とし、
生き物は無機物が適当に組み合わさって生まれた偶然の産物」とし、
人間はサルから進化した」とし、そして、
宇宙なんて計算で全部わかる」とし、結果として、科学は子どもたちに夢を与えるどころか、どんどん子どもが持つ「無限への夢」を打ち砕く。


地球とか宇宙とか人類なんてそんなつまらないものだったのかあ」と子どもたちは学校教育の中で「必ず」思っています。


こういうことへの何とも言えない一種の苛立ちは確かに感じます。

しかし、それほど遠くない未来に、誰かが、あるいは集団が、適切な宇宙観と科学理念をこの世にもたらしてくれると私は思っています。

その頃に今の私たちはこの世にいないでしょうが、人類は永遠に続くわけですし、どれだけ時間がかかってもいいですので、真実とか何とかそういう難しい言葉ではなく、「人類が生きていることが楽しい意味」ということに向けてこの世が進むといいなと思います。

ところで、この「月の成り立ち」についても、先日の米国の科学系サイトで取り上げられていましたので、今度ご紹介したいと思います。

Puzzle Of The Moon's Origin: Giant Collision May Not Have Formed Moon
月の発祥の謎: 地球との衝突で月ができたわけではない

という記事です。

これは上のほうの子ども科学記事にある「月と地球はもともとは同じ星だった」ということではないという可能性が極めて高くなっているという記事です。


さて、それでは今回の本題の地球の「もうひとつの月」についての記事です。



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2012年03月19日



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andromeda.jpg

▲ 作家の埴谷雄高さんが「自分のもうひとりの存在がいる」と考え続けたアンドロメダ銀河。




文字の中で続く永遠のサイクル

先日の「「人間は最初 宇宙線だった」:埴谷雄高さんの1994年の言葉」という記事の続きみたいなものですが、昨日、お酒を飲みながら、スエデンボルグの「宇宙間の諸地球」(1785年)をパラパラと2、3ページめくって読んでいましたら、埴谷雄高さんが自分の小説「死霊」の中に書いたくだりとほとんど同じ概念の思想が出ていることに気づきました。

それは、「時間と空間はコミュニケーションと関係しない」という概念です。

私はこのことについては、宇宙の問題を考えながら自分なりに考えていたことがありましたが、「光の速さ」という物理の法則の下では、「時間と距離」は関係してしまうという限界をいつも感じていました。


埴谷さんは小説『死霊』で「そういう時間や重力の括りがない世界」を描こうとするために、物理や天文学もずいぶんと学習していたようですが、それでも死ぬまでに合理的な解決は得られなかったように思います。

そこで、スエデンボルグの書いたひとつのフレーズが目に入り、「これはそういうことを書いているんだろうな」と思ったので、後のために書いておこうと思いました。スエデンボルグの書いたことが解決になっているという意味ではなく、彼が「書いていた」というとことは、「そのことを考えていた」ということではあり、多分、他の人たも含めた多くの人たちが、この「時間と重力」からの脱却というものを目指していたことがわかります。

まず、『死霊の世界』から埴谷さんの言葉を短く引用します。

質問者に小説「死霊」の主人公(三輪与志)について訊かれての中の言葉。

(ここから)



三輪与志の革命というのは、うーんと離れたところにあるんですよ。しかも、うーんと離れて、ある意味でいうと、何百億光年か離れていても一瞬のうちにやってくると。(中略)

思索、想像力は何ものよりも強い。普通は何十万光年、光も何十億光年かかるところから、思ったらすぐやってくる。現実を無視していると。非現実の世界が書かれているわけですよ。




(ここまで)

そして、NHK の番組でも最後のほうの埴谷さんの言葉となったのが下のくだり。

かつては YouTube 上にも番組の動画あったのですが、現在はなくなってしまいましたので、文字として起こしました。

(ここから)



「埴谷雄高独白 死霊の世界」第5回より
NHK ETV特集 1995年1月13日

アンドロメダはですね、(我々の銀河から) 150万光年と言われていたわけですけど、でも今はですね、まあ、天文学もインチキでね、だんだん数値も変わってきて、今では 210万光年ぐらいだといわれているわけです。

だいたい、銀河もアンドロメダも直径は 10万光年ということになっているんですよ。遠くから見ると双子星雲で、非常に遠くから見ると同じようなものが二つ並んでいるわけです。

僕の病気が治った時に表に出てみると、アンドロメダが見えるわけです。

そうするとですね、 昔はこれは 150万光年ということで、直径 10万光年ということだったんですけど、15回繰り返していけば向こうに到着するわけですよ。今は 21回ということになったわけだけれども、それでも 21回でも、地球と月よりもこっちのほうが近いんですよ。

地球と月は、地球の直径を30何回繰り返さないと、到達できない。

だから、地球と月よりもアンドロメダと銀河のほうが近い兄弟。

ということで、僕の兄弟はアンドロメダにいる。

「X(エックス)埴谷」というのがここにいて、僕が見ている時は向こうからも見ていると。僕が見ていると向こうからも同じように見ている。「宇宙の鏡」と同じで、僕が見ているということは、向こうからも見ているわけだ。

「あっ、あそこの向こうの兄弟、あいつが考えている、いつ会えるかな」というようなことですよ。




(ここまで)

これは上と下と共に共通するのは、「自分の描いている状況と物理の法則は矛盾するけれど、でも、その矛盾も含めて必ず正しいはずだ」という埴谷さんの意志が見てとれます。


私はかつてこの解決策として、「人間の中の宇宙」ということを In Deep などで書いていたのですが、最近の薔薇十字関係の記事、

神に怒りはないこと知る日々の中で

というようなものにもそれはあらわれているような感じもしますし、あるいは、先日、メールをくれた female日記 というブログを書いている方の「地球=太陽」という概念をさらに進めて、

地球 = 太陽 = 人間

ということにまで進んで考えていくと、実は、その後に、


人間 = 宇宙


という到達点にいくことがさほど無理なことでもないことが見えます。


そして、上の埴谷さんの「200万光年離れたもうひとりの自分とリアルタイムで交流する」という想いを遂げるには、それしか、もう選択肢はない気がするのです(物理の法則では 200万光年先にいる相手とのコミュニケーションは、どんな方法でも最短で 200万年かかる)。

つまり、

「人間は宇宙そのものである」

という結論を先にここに据えた上で、「それはどのように考えていけばいいのか」ということにしたいと思います。ダメだったら前言撤回ということで(苦笑)。


「結論先にあり」ですが、埴谷さんの願いはこれによってしか叶えられませんし、私の日々見る「ペアである自分」の解決策もこれしかないようです。


さて、そういう中の解決的な考えのひとつに、実証的ではないですが、スエデンボルグが『宇宙間の諸地球』の中で書いたことばがあります。

というか、私、今でもスエデンボルグの著作はこれしか持っていないし、これしか知らないのです(2年くらい前に、時間つぶしのために古本屋を眺めていた時にタイトルに惹かれて誰だか知らずに買いました)。

『宇宙間の諸地球』が書かれたのは 1758年のようですが、持っている本の奥付を見ると、日本で最初に発行されたのは、昭和33年(1958年)のことのようです。日本で出版されたのは、オリジナルが書かれてからちょうど 200年後のことだったようです。


はっきり言って、書かれてあることは難解で、あまりわからないのですが、多分、スエデンボルグはここで「宇宙の状態はひとりの人間の内部の状態と同一」と言いたいのだと感じます。なので、距離や重力は関係ない。というか、宇宙にはそれは存在しないと。

ここから抜粋します。

(ここから)



『宇宙間の諸地球』 星天の諸々の地球
イマヌエル・スエデンボルグ 1758年

自然界の空間と距離とは、引いては進行は、その起源と第一原因においては、内部の状態の変化であって、天使たちや霊たちにあっては、それはこの変化に応じて現れ、かくて彼らはこの変化により一つの所から他の所へと、また一つの地球から他の地球へと、実に宇宙の端にある地球へすらも明らかに移されることができることを知られよ。

人間もまたそのように、その身体は依然その同じ場所に止まりつつも、その霊は移されることができるのである。人間の霊はそのように移ることができることを感覚的な人間は理解することはできない。なぜなら、そのような人たちは空間と時間の中にいて、その運動をその空間と時間に従って測るからである。




(ここまで)


実はこの後のくだりで、スエデンボルグはとても興味深いことを書いています。

それはブルーノなども言う「たくさんの地球、たくさんの太陽」という概念のことで、そのこと自体は多くの人たちが言っていることなのですが、その言い回しが、お釈迦様(ブッダ)の言葉とほぼ同じだったのです。

スエデンボルグのそのくだりは、書き出すには長いですので、今度機会があれば書きますが、対応するお釈迦様の言葉というのは、何度か抜粋したことがあります。

下のくだりです。
フレッド・ホイル博士の著作「生命はどこからきたか」 第十五章の中に出てくるものです。

こちらの記事から転載します。

(ここから)



『生命はどこからきたか』
フレッド・ホイル 1995年

紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識が宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。




(ここまで)


この中の生命と意識が宇宙の構造に全体として結びついていてという部分。これは、上の埴谷さんの「X埴谷というのがアンドロメダにいて、僕が見ている時は向こうからも見ている」を実現できる道筋のひとつだと思います。

フレッド・ホイル博士はこういう信念で科学を進めたせいで、科学界から「焼かれ」ましたが、焼かれた「神々の死体」に感謝している私のような人はたくさんいます。



何だか長くなってしまいましたが、

「宇宙=人間」

という結論を夢想した日の記録でありました。