2012年06月15日



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太平洋に何が起きているのか: 日本でのこと。南米のこと。そして地球のこと



昨日の In Deep の記事、

大阪湾の異常? を注視する世界中のネットユーザーたち

の内容は、真偽はわからないままですが、大阪湾の海の色が黄色く変色していたというような話などが広まっていたことが海外などで紹介されていたということをご紹介したものでした。

その前提として、千葉県の漁港であまりにも多い数のイワシの大量死が発生していたということがあり、少し太平洋に対しての懸念というような感じのものがあったという部分はあります。






 



そんな中、今朝、ニュースの見出しを見ていましたら、「神奈川県で魚の大量死」というものがありました。NHK のサイトでしたので、テレビニュースでも放映されていたのだと思います。

テレビ系の報道サイトはすぐにウェブ上の記事が削除されますので、抜粋しておきます。


神奈川 海岸でイワシ大量死
NHK 2012年06月15日

kanagawa-01.jpg

14日午後、神奈川県三浦市の入り江でカタクチイワシとみられるおよそ1万匹のイワシが死んでいるのが見つかり、神奈川県は、一度に大量の魚が入り込み、酸欠を起こしたとみて原因を調べています。

14日午後、三浦市南下浦町松輪の入り江で大量のイワシが死んでいるのを、清掃に当たっていた財団法人の職員が見つけました。三浦市と神奈川県の職員が調べたところ、カタクチイワシとみられるおよそ1万匹のイワシが、縦およそ25メートル、横およそ8メートルにわたって岩場に打ち上げられて死んでいました。

イワシは死後数日ほどたっていて、現場の状況などから、小さい入り江に大量のイワシが一度に入り込んだため、酸欠を起こしたとみられるということです。神奈川県はイワシが死んだ詳しい原因を調べるとともに、15日以降、回収作業を行うことにしています。



昨日の記事と合わせて、最近、太平洋側で起きている(かもしれない)ことを地図でまとめてみました。

japan-pacific-june.png

大阪湾の場合は「太平洋」といっていいのかどうかよくわからないのですが、まあ、便宜上、入れてみました。


太平洋は広いですので、日本だけ眺めていてもよくわからないところもありますので、この1ヶ月程度の間に太平洋全体ではどんなことが起きていたのかの地図も作ってみました。

下の図が個人的に印象に残った、この1ヶ月程度の間の報道を地図に書き出してみたものです。

map-pacific.jpg

日本では報道されていないものも多いですので、いちおう、報道をひとつずつ左上のほうからご紹介しておきます。ここからです。






 


太平洋をめぐるいろいろな現象


ハワイ島の群発地震

これは、ハワイのニュースメディア「ビッグアイランド」で6月5日に報道されたものです。オリジナル記事は、ハワイの火山周辺で群発地震が激増(英語)というものでした。

下の図は、6月1日から6月5日までの USGS (アメリカ地質調査所)の地震データです。

0605quakes.jpg


確かに多いと思いますが、ただ、最大でマグニチュード3.6程度ですので、地震そのものとしては大したものではないのですが、火山と関係しているのなら、懸念もあるというようなことになりそうです。

ハワイは「太平洋の中心」であるので、その動きはわりと大事だと個人的には思っています。



クリル島の群発地震

クリル諸島というのは、いわゆる北方領土の先あたりの一体を言いますが、ロシア非常事態省極東地域センターが6月14日に伝えたところでは、サハリン州沿岸とカムチャツカにかけて、連続して地震が発生したそうで、やや群発の様相を呈しているようです。ロシアの声で報道されています。



異変が続くチリとペルーの海岸

ペルーのイルカとペリカンの大量死については、過去記事で何度か取り上げましたので、ご参照ください。

800頭以上の死亡したイルカが漂着したペルー北部で、今度は推計1,500羽以上のペリカンの大量死
 In Deep 2012年05月01日

ペルー続報: 政府により立ち入り禁止となったペルーのイルカ大量死現場周辺の海岸
 In Deep 2012年05月09日


その周辺での異変がその後も続いていることが頻繁に報じられています。

ペルーのリマ市周辺の沿岸には、5月25日に無数の甲殻類の死骸が漂着しました。

甲殻類というのは、エビ、カニ、オキアミ、フジツボ、ミジンコなどを含む海洋生物のグループのことで、それらが大量に海岸に打ち寄せられ、リマの海岸がカニやエビの死体で真っ赤に染まりました。

lima.jpg

▲ 5月26日の米国 Yahoo! ニュースの Thousands of crustaceans wash up dead off the coast of Lima(リマ市の海岸に大量の甲殻類の死骸が打ち上げられる) より。


同じ南米のチリの海岸では、2000羽を越える鳥が死んでいるのが発見されました。

Thousands of birds found dead on Chile beaches
(チリの海岸で鳥の大量死)
 AFP 2012.05.12

chile-bird-deaths.jpg


あと、パプアニューギニアのマナム火山という火山や、マリアナ諸島のパガン火山が噴火したり、その兆しを見せたりしています。



海流と地球。そして、地球と宇宙

さて、地震や火山はともかくとして(太平洋沿岸ではもともと多い)、「日本とペルー(あるいはチリ)」という、太平洋をはさんで、ほぼ対岸にある場所で、かつて見られなかったほどの大規模な大量死が起きているという現実があります。

私は今回の日本の魚の大量死を直近の地震などと関連して考えることはありません。大阪湾の色などは少し不気味な感じはしますが、大量死に関しては太平洋、あるいは「海」全体の問題とも関係あるように感ています(だからといって、「大きな地震が起きない」という話でもないです。そんなことは誰にもわかりません)。


かつて私は、海流のことをずっと調べていたことがありました。

結局、私には何もわかりませんでしたが、ただ、ひとつわかったことといえば、「世界の海はすべてがつながっている」ということでした。

下の図は、地球の海の主な海流です。

circle-01.jpg

ここに、さらにそれぞれの沿岸などの海域の小さな海流が存在するわけですが、上の海流だけ見ていると、海流はそれぞれの場所だけで回っているように見えるかもしれないですが、地球の海には最も大きな「海の循環サイクル」が存在します。

その地球規模の海の循環を「熱塩循環」とか、あるいは「海洋大循環」とか呼びますが、呼び方はともかく、海流は地球の海のすべてをまわって、地球の気候や海の生態系の存在に寄与していると考えられます。

下の図がその大まかな循環の概念の図ですが、不明な部分も多いです。

circle-02.jpg


太平洋では、ハワイ島のところでグルッと回っています。

いずれにしても、こういう循環が存在するために、地球で「人間が住める気候」が存在すると考えられています。この循環がなければ、たとえば、北欧やイギリスなどのヨーロッパは寒くて人間の住める場所ではなくなるはずですし、そもそも、魚の回遊や生態系というものが今とは違うものになるように思います。

日本が、肉食がなかった古来から豊かな魚介類の食生活に恵まれたのも、このことと関係があります。


そして、海洋生物の大規模な大量死の原因にはこのような海の循環が「乱れる」というようなこともあるのではないかと昔から考えています。プランクトンなどから始まる海の食物連鎖は、どこかが崩れると全体が崩れる可能性が大きいからです。


一方で、過去には宏観現象として、魚の大量死などが地震などに結びついた例も数多くあります。

この「宏観現象」の具体例としては、日本大学文理学部と静岡県地震対策課がまとめた「安政東海地震の前兆現象」という論文があります。

上記リンクでダウンロードできますが、あるいは今度ご紹介しようかとも思います。
とても興味深いものです。


しかし、それはともかく、よく考えてみれば、地震が起きるシステムと魚の泳いでいる海の状態とは関係ないはずなのに、どうしてそういうこと(関連した宏観現象)が起きるのかということが、昔からの疑問でしたが、ここに答えというか、そのキッカケを与える概念のひとつが、私が以前から考えていて、たまに書くこともある、

・地球の現象をつかさどっているほぼすべての原因は宇宙からのもの(あるいは宇宙線)にあるからではないか

ということがあります。

宇宙線の仕組みが解明していない以上、これ以上どこまで書いても単なるオカルトですので、今回はここまでにしておきますが、


・地震や噴火のトリガーは何なのか
・雲ができるシステムは何か
・海流はどうして存在するのか?


といった既知、あるいは現在解明が進んでいる科学から始まって、その先の、


・宇宙線と人間の感情には関係があるのか
・宇宙線と生命に関係はあるのか


といったようなことを考えみると、「関係はあるかもなあ」とも思います。

生物の死なども含めて関係あるというような意味ですが、しかし、パンスペルミア説を含めて、この宇宙線の問題も、強く主張すればするほど空しい気分になるのが今の世の中であるようにも思いますので、最近の私は、特別に何かのニュースなどがある時以外はあまりふれなくなっていますが、しかし、私自身の考え方は、この3年くらいまったく変わっていないどころか、最近はさらに強くそのことを思います。


さらに最近は、「地球=人類=太陽」という関係性の中で、「一方的な存在というものはない」とも考えていて、その三者はお互いに影響して存在している。

その影響の循環の中で、たとえば、地球の中では「海流」といったような熱循環システムにより、人間は多様な「地域」を持つことができ、宇宙レベルから見れば、その地球の循環の基となる作用は、太陽と宇宙線のコンビネーションによってなされている。

しかし、その宇宙と太陽は何によって成立しているかというと、それは「人間の存在に依存している」と思っています。事象を認識する能力を持つ人類がいない場合、太陽の作用、宇宙の作用も存在しません。目で見て、耳で聞いて、鼻で匂って、肌で感じて、舌で味わうことで宇宙は存在しています。


つまり、「地球=人類=太陽」は共に同じ・・・というか、上も下もない関係であると思います。


これはエメラルド・タブレットの「上なるものは下なるもののごとし」という概念とまったく同じ意味となることですが、このあたりは面倒な話ですので、また別の機会に改めて最近思うことを書いてみたいと思います。

上に書いた、

・地震や噴火のトリガーは何なのか
・雲ができるシステムは何か
・海流はどうして存在するのか?>

のあたりのことを書いた過去記事をリンクして今回はここまでとさせていただきます。

新しい太平洋の状況につきましては、また何か新しい報告を目にしましたらお知らせしたいと思います。

確かに異変は異変ですので、気にならないといえばウソになります。



  

2012年05月30日



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前記事: マザー・シプトンの四行詩(前編)
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16世紀の女性予言者と言われたマザー・シプトンの四行詩の後半です。

今回のくだりは、いわゆる「怖ろしい描写」が多いんですが、しかし読んでみると、これまでの多くの「予言」といわれるものの中に出てくる描写と大変に内容が似ており、つまり、なんとなく「慣れた未来描写」だとはいえそうです。

火山噴火、大地震、海面の上昇、大戦争、飢餓、未曾有の伝染病、などのフレーズが次から次へと出てきますが、「それらはすでに知っております」と言いたくなるほど、他の様々な予言で繰り返し出てくるフレーズで、むしろ「やっと出てきた」という安堵感さえあります。


あんまり関係ない話ですが、最近の私は、実際にはこの世というのは、個人レベルでは「世界は常に終わり続けている」というように考えていて、あるいは「終わっていない人の世界も個人レベルではいつか終わる」というのも事実です。

これは「死ぬ」という意味とは関係ないことで、生きていようが死んでいようが、文字通り、「その人の世界が終わる」というような意味です。

ちょっとややこしい話になりそうですので、これ以上は書かないですが、予言で語られる「典型的な世界の終末」以上に、私たち個人個人の人間の「宇宙」は「多様な終末の様相」を持っているのかもしれなくて、そのあたり、人間の多様性に感心します。


関係ないですが一昨日(月曜日)の関東の悪天候はものすごかったです。

豪雨ではなく、「豪ひょう」。

マンションの廊下一面に氷が散らばるという光景は多分初めて見たと思います。ひょうの大きさは1センチ程度だと思うのですが、周囲全体が銃弾を撃ち込まれたような音が響き渡っていました。

試しに、

「このくらいの大きさのひょうって当たると痛いのかな?」

と、外で当たってみましたが(笑)、不思議と痛くはなかったです。
ひょうはそれほどの高度から降ってくるものではないのかもしれません。


では、ここから四行詩の後編です。

mothershipton.jpg

▲ マザー・シプトン(1488 - 1561年)。



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2012年05月29日



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記事後編: マザー・シプトンの四行詩(後編)
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(訳者注) 最近、体調・・・といっても起因しているのは精神的なものなんですが、優れない日がわりとあったせいもあり、5月は記事を更新できない日も多かったです。

まあ、そういう個人的なことを含めて、社会全体としても「何となく」ですけど、マインド的に混沌としているような感じもしないでもないです。

それも、あまりいい方向ではない混沌というのか。

そんな中で、ふと思い出したのが、過去記事の、

極東ロシアで発見された「白いシャチ」から浮かび上がるエスキモーの予言
 2012年04月24日

などでもちょっとふれた、16世紀の英国の予言者と呼ばれる女性であるマザー・シプトンと呼ばれる人の四行詩の内容でした。

mothershipton.jpg

▲ マザー・シプトン(1488 - 1561年)。


彼女の四行詩の特徴は「曖昧ではない」ということがあります。

「鉄の船が水に浮かび、人が空を飛ぶ」とか「計画される大戦争」とか「馬のない馬車」とか、そういうような表現が続きます。

とはいえ、年代が書かれているというものでもないですので、予言というより、あくまで「詩」としてのご紹介ですが、興味深いことは確かですので翻訳してみました。


500年前に生きた、まだ電気もパソコンも AKB48もなかった時代のマザーシプトンが見た「未来の世界」はどんなものだったのか。


相当長いものですので、2回に分けます。

なお、「〇〇」は「××」を表していると考えられるというような注釈はつけません。詩というのは、それが予言詩であろうと何であろうと読む人それぞれの感性で解釈するものだと思います。

それでは、ここからです。



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2012年05月13日



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昨日、

またも旅立ち?: エジソンとシュタイナーからみた教育のこと

という雑談を書きまして、読み返してみると、なんだか私がシュタイナー教育を賞賛しているようにとらえられると困ると感じたので追記しておきますと、Wikipedia にあった「7歳ごとに」という部分が気に入ったということで、他に対しての評価は含まれません。


教育の理論だけではないですが、どんなことでも自分の意見で何を根幹とすべきなのかというと、それは単に「自分自身の持つ理想」でいいのだと思っています。「自分の理想を自分の意志とする」。これだけで十分だと思います。なので、どれだけすぐれた理論でも、他の人が作り出した理論にどっぷりハマるのはあまり好きではないのです。


たとえば、自分が、


・自分はどんな世の中に生きたいか。
・子どもがいるなら、その人にはどのような未来に生きてほしいか。



そういうような個人の理想を軸に考えれば、それでいいのだと思います。


そして、今はまだ有限宇宙論(ビッグバン理論)の中で憂鬱な「有限の存在」という中に生きている私たちですが、そのうち、現在の宇宙論は消えるか、修正されると私は信じています。

それは今でも観測結果のいくつかが表していますが、とりあえず、

・暗黒物質の否定
・宇宙線の発生源がついに突き止められない
・140億年以前の多数の銀河の発見


が重なれば、修正を余儀なくされると思います。

つまり「宇宙は無限だった」と。

そうなれば、「私たちの存在も無限」だという概念に到達できるのではないかと考えています。


なお、以下はあくまで私個人の考えですので、科学的には無視されていいことですが、今の私は宇宙の基本は下の点だと考えています。


・星も太陽系も銀河にも始まりはなかった。つまり、宇宙が形成された時期というものは存在しない。


それと共に、「宇宙は成長していない」ということもあります。

今も昔もずっと同じ。
あるいは、「今も昔も」という時間軸自体が存在しない。

そういう感じだと思います。

学問的には、これをどういうのか知りませんが、昔、フレッド・ホイル博士のことを書いてある部分に定常宇宙論というものを見たことがあります。


定常宇宙論とは、1948年にフレッド・ホイル、トーマス・ゴールド、ヘルマン・ボンディらによって提唱された宇宙論のモデルであり、無からの物質の創生により、任意の空間の質量は常に一定に保たれ、宇宙の基本的な構造は時間によって変化する事はない、とするものである。

2005年現在、ビッグバン理論が有力と考えられることが多く、支持する多くの科学者らから(ビッグバン理論が)「標準的宇宙論モデル」と呼ばれており、このような立場からは定常宇宙論は「非標準的宇宙論」のひとつと見なされている。



とのことです。

ちなみに、私の考えはこの「定常宇宙論」とも違いますけれど。
定常宇宙論でも、星や銀河は形成を繰り返すわけですけど、「それさえもない」と思っています。

余談が長くなってしまいましたが、昨日の「教育」についての続きを書こうと思っていたのでした。
ここから書きます。



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2012年04月24日



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wo-top.jpg

昨日、ロシアの「極東オルカプロジェクト」(オルカはシャチのこと)というシャチの生態調査と保護などをしている団体が、ニュースリリースを発表しまして、その内容は「カムチャッカ半島の白いシャチの姿が明らかに」と題されたものでした。

wo-01.jpg


上の写真はリリースされたものの中のものですが、こちらにすべての写真があります。

この白いシャチというのがこのカムチャッカの周辺にいることは、以前から知られていて、2009年とか2011年などには写真撮影されていたそうですが、今回、今までで最も多くの撮影や観察ができたことが報告されています。

まあ・・・ニュースとしては、それだけの話なんですが(苦笑)、どうして、多くのニュースのタイトルの見出しの中から「シャチ」という言葉に反応したかというと、ちょうど、昨日、お酒を飲みながら何となく見ていたページが、

Eskimo Woman Prophecies
(エスキモー女性の予言)

というページでした。

そのエスキモーの女性は下のイラストの女性のようです。

eskimowoman.jpg

1877年11月5日に生まれたということが書かれてある以外は、名前も書いていないですし、予言といっても、いつ頃言ったものなのかもわからないのですが、その内容というより、彼女の予言が、


・シャチから教えてもらったもの


となっていることが印象的だったのです。

イメージとしては、下の写真のように彼女の夢(?)にシャチが現れて、語るのだそう。

orca-01.jpg


上の英語ページでは、このエスキモーの女性は、

- 第一次世界大戦が始まる日付
- ケネディ大統領の暗殺
- ファティマの聖母マリアの外見

などを予測したとされていますが、まあ、予言の当たる当たらないは今の私にはあまり興味がなく、ただ、興味があるのは、「概念の横のつながり」なんです。

たとえば、古代神話というものが、どこの国のどんなものでも、似通ったものであるというような意味での「横のつながり」のことです。時間軸を外して考えると「これらの共通認識の中に世界が存在する可能性があるのかもしれない」ということに、なかなかエキサイティングな感覚を覚えたりする最近だったりします。


この「横のつながり」は各種の予言にも確かに言えるような気がして、たとえば「未来の病気」。


19世紀のセルビアの予言者だったミタール・タラビッチは、下のように言っています。訳は、ヤスの備忘録からのものです。


世界中で奇妙な伝染病が蔓延する。だれもその治療法は分からない。だが、みな「私は高い教育があり、頭がいいから治療法は分かっている」と言い張るが、だれもなにも知ってはいない。人々は考えるに考えるが、正しい治療法を見つけることはできない。だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。


tarabich.jpg

セルビアの観光ページにあった写真。多分、ミタール・タラビッチの生家で、この彫像のどちらかがタラビッチのようです。座ってる方ですかね。タラビッチの生家はセルビアで観光地になっている模様。


そして、16世紀のイギリスの女性予言者のマザー・シプトンという人。この方は 1561年に亡くなった後、1641年になってから、四行詩の形での彼女の予言が収められた本が発行されています。

mothershipton2.jpg

▲ マザー・シプトン(1488 - 1561年)と思われる人物画。Mother Shipton's Propheciesより。


この人の四行詩はノストラダムスなどと違って、具体的に書かれていることと、あと、怖ろしいことを書いているわりには「あまり怖い感じがしない」という特徴がありそうです。機会があればご紹介したいですけれど。

そのマザー・シプトンの四行詩の中にこういうものがあります。


彼らの危険な行為から生まれた種が繁殖し
悪寒、そして数多くの死者をだす
科学者たちは治療法を見つけることができない
ハンセン病よりはるかに悪い病気



こういう、「将来、悪い病気が流行して多くの人が亡くなる」という予言はとても多いのですが、マザー・シプトンのものには、「彼らの危険な行為から生まれた種」と、やや人為的なニュアンスを感じるものがあります。


そしてここで、最初に書いたエスキモーの女性の「シャチから教えられた予言」なんですが、彼女は、タラビッチの言う、

だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである

に呼応するようなニュアンスの言葉を残しています。


外国の名前をもつ医者が、多くの病気を治すことができる治療法を作り出すために、わすれな草のような植物を使います。

それから人はガンや風邪で死ぬことがなくなります。

また、男性を愛してしまう男性がかかり消耗して死んでしまう病気の治療法が開発されます。




まあ、いずれにしても、このような「時代も地域も違う予言の横のつながり」ということには興味があって、最近たまにいろいろな人の予言を読んだりしています。


冒頭がシャチの話でしたので、そのエスキモーの女性の方の予言を翻訳して載せておきます。

言った年代はわかりません。

「ロシアが再び共産主義に戻る」と言っているので、ソ連が崩壊した 1991年以降かとも思いましたが、それだと、1877年生まれの彼女は、115歳とかの年齢になってしまうことになるので、どうも違うような気もしますが、年代は不明のままですが、とりあえず掲載しておきます。



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2012年04月13日



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(訳者注) 数日前から、海外では「死海の水位が下がり続けている」ことに関してのことがわりと多く報じられています。死海というのは、アラビア半島北西部に位置する塩の湖で、西側にイスラエルがあります。

その死海が枯渇し続けているということ事態は今に始まったことではないのですが、ここ数日でわりとニュースで目につくことに気づきます。


dseavanish2.jpg

▲ 1972年から2011年までの衛星から撮影した死海の写真。黒い部分が深い部分で、青い部分は水深の浅い部分。つまり、青い色がどんどん増えているのは、水深が浅くなっていきていることを示しているようです。


日本語などではまったく見ない報道で、どうして、海外ではこのことにこんなに反応するのかということについて、メッセージ・トゥ・イーグルというサイトの記事を見て、その理由が何となくわかりました。この「死海」は「聖書」と深く関係がある場所みたいなのです。


メッセージ・トゥ・イーグルによれば、聖書の「エゼキエル書」という中の47章に、「死海が枯渇しない限り時間はある」と書かれている下りがあるのだそうです。

日本聖書協会の訳によると、このような下りです。



エゼキエル書 47章 8-10節

彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。

川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。

漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる」。






さて、この「死海」。

私はおおまかな場所以外はまったく知りませんので、そのあたり少し調べていると、いろいろとおもしろいこともわかります。

まず、死海の伝説についてですが、Wikipedia にはこのようにあります。


旧約聖書のソドムとゴモラは神が硫黄の火で燃やしたと伝えられるが、一方での廃墟は死海南部の湖底に沈んだとも信じられている。



そもそも、この「ソドムとゴモラ」とは何なのか。

かつてない姿を見せ始めた『天地創造の柱』と呼ばれる星雲」という記事で、1966年の日本映画『サンダ対ガイラ』というのを思い出したことがありますが、ソドムとゴモラもやはり怪獣?・・・と思って、とりあえず、Wikipedia のソドムとゴモラを見てみますと、こうありました。


ソドムとゴモラは、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市。



あ、町の名前なんだ!

なぜその町が天からの硫黄と火によって滅ぼされたのかというと、続く説明では、こうあります。


古来、『創世記』19章前半、の内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。



そういえば、私が中学生くらいの時、パゾリーニというイタリアの映画監督の『ソドムの市』(原作は、マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』)という性に関しての乱れた映画がありましたが、あれの名前の由来はこれなのかな。

また、「ソドム」という名は新約聖書の上にも出てきたエゼキエル書にも少し書かれています。



聖書 エゼキエル書 16章 49-50節

お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。

彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。





こっちでは「お前の妹ソドム」といっているので、都市じゃなくて、人なんですね。

それにしても、上の旧約聖書にしても、下のエゼキエル書にしても「滅ぼされるほどの罪か?」という疑念がわいてしまうのですけどね。

「彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った」とか立派に言っているのがだれだか知らないけれど、どうも、このテのエラソーなこと言う「存在」には結構、ストレートに腹が立ったりする人生。

現実的な苦痛なんてのは、一方向から見てわかるわけねーだろ。・・・と、聖書を編纂した人にはまあ言いたいですが、それはともかく、どうにも最近、聖書の周辺に、日々矛盾というのか、懸念が増え続けます。


先日の「ヘビとウロボロスとケツァルコアトルと月と太陽をめぐる旧約聖書『創世記』への疑問のようなもの」という記事にも旧約聖書のことが出てくるんですが、どうも・・・。


アダムとイブの禁断の実の話にしても、ゴジラとモスラ・・・じゃねえや、ソドムとゴモラの話にしても、性の乱れだけで、その都市を硫黄と火で滅ぼしちゃうというあたりとか(乱れていない人だっていただろうに多分、一緒に滅ぼされている)、どうも釈然としない部分が今回もあるんですが、しかしですね、その「釈然としない部分」というものも、もしかすると真実かもしれないというあたりも、今回の「死海」を調べている中で少しわかったんです。

すなわち、「死海文書」の存在です。



死海文書の公開は昨年から始まっていた

そもそも、死海文書というのは私は、その名前を聞いたことがあるくらいで、どんなものかわからないんですよ。なので、こちらから、説明を抜粋します。


死海文書は、1947年から1956年にかけて、イスラエルの死海北西の要塞都市クムランの近くの11箇所の洞窟で発見された、ヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本の集まりである。

文書は、ヘブライ語のほかにアラム語・ギリシア語で、紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれている。この時代に書かれたものとしては事実上唯一のユダヤ教聖書の文書であり、聖書本文の内容が写本を通して劣化されることなく比較的正確に伝えられてきた歴史を証明するものとして、貴重な資料であるとみなされる。




上には、

> 聖書本文の内容が写本を通して劣化されることなく比較的正確に伝えられてきた歴史を証明するもの


という表現があります。
このような表現が存在するのはどうしてか?

それはつまり、「聖書」というものがこの長い歴史の中で、その内容をどんどん変えられて、内容を歪められてきているのではないかという懸念が存在し続けていたからではないでしょうか。

ちなみに、「陰謀説」も存在するようで、Wikipedia にはこのようにあります。


1990年代に、バチカンが文書の公表を差し止めているという疑惑が発表された。
(中略)

いくつかの主要な文書が数十年間に亘って意図的に隠されていると主張した。

死海文書は聖書の歴史にとって重要なものだと頻繁に書かれるため、「死海文書の作者は地球外生命だ」といった、様々な陰謀説がささやかれる。




少なくとも、2000年近く「手つかずの状態」で聖書やその周辺の内容が残されているものであることは事実のようで、これが完全に公開されれば、何か今、私などが抱いている「漠然とした聖書への懸念」も解けるのかもしれないです。

「伝えること」に関しては、悪意はなくとも、たとえば、伝言ゲームでも人の耳から他の人の耳へ情報が伝達されるたびに内容は変わっていくわけで、写本にもそういう部分はあるのかもしれません。

死海文書の公開について、Wikipedia の文書の最後はこのようになっています。


なお、バチカンではこれらの書を異端として未だ認めていない。

2010年10月19日、イスラエル考古学庁がGoogleとの共同により死海文書の全てをデジタル撮影し、インターネット上で公開する計画を発表した。2011年9月26日には「イザヤ書」ほか5つの文書が公開された。



つまり、つい最近、公開が始まったようです。


さて、今回は、実は「死海は12万年前に完全に枯渇していた」ことがわかったというニュースのご紹介です。つまり、その頃は、死海には水がまったくなかったようです。




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2012年03月31日



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▲ アメリカ人画家ヘレン・ハイドさんが 120年くらい前に書いた江戸の子どもたち。孔雀みたいなのを見ています。


少し前に、1897年頃の日本の風景が、日本人自らによって描写され彩色された絵が収められた書の編纂をしていた英国のジョン・ライランズ図書館でそれが完成したことを記事にしまして、その翌日、それらの写真や海外のいくつかをご紹介しました。

120年前の日本の光景に見る「私の中のパラダイス」
 2012年03月28日

という記事です。


それを書いた後に、ふいに、昨年の震災の後に書いた「どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない (2011年04月14日)」という記事を思い出しました。

その記事の最後に、フェリックス・レガメというフランス人画家のことを書きました。レガメは、1876年に、日本に到着して以来、日本の自然や建築物よりも、「そこで生活する日本人の日常の姿」に心から感銘し、それをたくさん絵に残しました。


220-regamey.jpg

▲ フェリックス・レガメ( Félix Régamey / 1844年 - 1907年)。誕生日が私と同じ8月7日。はじめて日本に来たのは 1876年。

19世紀の終わりに彼が書いた『日本素描紀行』という中にはこのような記述があります。


『日本素描紀行』より。

私は、午後三時から始めた貧しい人々の住む地域の散策から戻って来た。魚屋や八百屋の店先は、夕食のため、たいへん賑わっている。この時刻の盛んな活気は、やがて人気のない街の静けさに移っていくのだろう。

私は、深く感動して、頭をかしげて戻る。

たった今見たすべてのことに、心の奥底まで動かされ、あの誠実な人たちと、手まねでしか話せなかったことが、たいへんもどかしい。

彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らない。





▲ レガメの描いた東京・浅草の様子。1870年代の終わり。杖を持っている人は目の見えない人かもしれません。でも、みんなで一緒。


そのフェリックス・レガメという人はフランス人ですが、アメリカで絵を学び、また、アメリカで絵を教えました。

そのレガメに絵を学んだ生徒の一人に、ヘレン・ハイド( Helen Hyde )というアメリカ人女性がいました。彼女はアメリカで絵を学んだ後、1899年にはじめて日本にやってきます。そして、日本人画家に従事します。「浮世絵を愛したアメリカ人女性版画家、Helen Hyde 」という記事によると、狩野友信という日本画家に従事したようです。


今日はそのヘレン・ハイドさんが 19世紀末の日本で描いた絵のいくつかをご紹介したいと思います。男性だったフェリックス・レガメと違い、ヘレンさんは「親子」や、「子ども」の絵をたくさん描いています。

多くは、海外のブログ「Helen Hyde: A Student Of Felix Regamey」からのものです。

フェリックス・レガメもそうでしたが、このヘレン・ハイドさんも「120年以上前の日本の光景、特にその人々をどれだけ愛していたか」が伝わります。

彼らにとって当時の日本はまさに「夢の国」でした。
その後のたった100年で失われた日本の姿です。

それでは、ここからです。

すべて年代や場所の説明はありませんので、絵だけの紹介です。
キャプションは私の勝手な感想です。


helen.jpeg

▲ ヘレン・ハイドさん( 1868年 - 1919年)。




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タグ:日本



  

2012年03月28日



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▲ 115年前の長崎の諏訪公園(1897年頃)。池の噴水を眺める女性たち。
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昨日の「金星と月が木星が並んだ翌日に再び現れた120年前の日本人」という記事を書いている時に、そこで取り上げました過去記事の、

日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景
2011年09月17日

を眺めていて、そこでは紹介しきれなかった他の写真もご紹介しておこうと思いました。オリジナルは「Japan, Described and Illustrated by the Japanese"Edition De Luxe" Volumes I-X, 1897-1898 (日本自ら描写した1897年から1898年の日本の姿)」という英語のサイトにあります。

すべてが 1897年前後のもので、今から 115年くらい前の日本の風景です。

ここからです。
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2012年03月11日



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今日は翻訳記事をご紹介する時間がどうしてもとれませんでした。

しかし、 3月11日ということで記事をアップしたいと思いました。2011年の3月11日からの日々は、私にとっても、今までとは(精神的な意味で)違う日々の始まりでした。あの頃の東北の人々の姿を見る中で私は変わることができたのでした。

昨年の震災後の記事の、

もはや神も大地も怒らない (2011.04.08)

に書かれてある私の心情は今でもそのままです。

今、地震や噴火などの自然災害に対しての恐怖は私にはまったくありません。
昨年、そういう感情は自然と消えました。

何か起きたら対処する。
対処できないものなら「それまで」。

交通事故とか殺人事件とか経済のこととか、今でも「こわいこと」自体はたくさんありますけど、「地球のこと」への恐怖は消えました。

そういえば、上の記事のタイトルは「もはや神も大地も怒らない」というものでしたが、先日の記事「エメラルドタブレット(2)」の内容に関して、ちょっと調べていた時に、日月神示の一節が検索されたんですが、そのフレーズがこんなものでした。

扶桑の巻の第八帖というところにあるもので、


神に怒りはないのであるぞ。
天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん。



というものでした。

ここには「取り違い」という言葉が出てくるので、少なくとも書かれた頃の人々が「天変地異を神の怒りと思っていた」という雰囲気というのか、全体の感じがあったのだと思われます。そして、それはもしかすると、今でもそういうように思っている人はいるのかもしれないですし、私も3月11日までは何となくそのように考えていました。

しかし、もう今はまったく思っていません。そういう意味ではこの1年は「天変地異は神の怒り」だということは完全な勘違いだということを学ぶ期間だったと思います。 In Deep でご紹介してきた様々な宇宙科学、物理学、聖書やオカルトのすべてがそこに向かっていました。



人類が獲得した、宇宙も羨む「偉大な無能」

こういう言い方をしていいかどうかはわからないのですが、「地球」を「人間の体」と対応させてみれば、たとえば人は毎日のように排泄をしたりします。

時には嘔吐したりする。

そして、地球では内部から吹き出ることによる噴火があったり、内部での何らかの物理的現象による地震があったりする。

これらが同じだという意味ではなく、エメラルド・タブレットにあるように、「ひとつの現象はすべての現象に通じる」ということを信じれば、たとえば人間に起きることが(現象的なイメージとして)地球や宇宙に起きないということもないかなあということです。

エメラルド・タブレットのその部分はいろんな訳がありますが、この部分です。


万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、
万物はこの唯一なるものから適応によって生じる。



人間は毎日のように髪の毛が抜けたり、古い皮膚は落ちる。
そして、地球では毎日噴火があり、毎日地震が起きる。

人間の中では、毎日、おびただしい数の細胞が死んでいる。
地球の上でも大小の生命が消えていく。

しかし、その細胞の中にある DNA は死なないで存在し続けている

この「死んでいくように見えて、実は永遠のサイクルの中にある」という現象が、地球とか、あるいは宇宙とかにもあるはずだという確信の話です。これは実証のしようがない単なる個人的な確信であるわけで、他の方がそう考えるようなものではありません。私はそう考えているというだけの話です。


それにしても、私は相変わらず不勉強な人間のせいで、日月神示の全体は存じないのですが、上のフレーズに興味を持って、いくつか見てみると、なるほど、今まで勉強してきた聖書などのフレーズと通じるものがあり、ここにもまた「ひとつはすべてに通じる」という概念を見たりします。

特に、「いいフレーズだなあ」と思ったのは下の部分などです。

白銀の巻というところにある、


人間は皆、かみかかっているのであるぞ。かみかかっていないもの一人も居らんのぢゃ。かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。



とか、黒鉄の巻というところにある、


言葉は神であるが、人間でもあるぞ。



震災以降の記事では、「何の能力もない普通の人間の存在」というものがどれだけものすごいものかということをずいぶんと書いていました。

未来を予知出来ない能力を獲得したことによって「明日を生きる楽しみ」を勝ち得た人類。人の心を読めないからこそ、毎日毎日、ワクワクドキドキしながら人生や恋愛ができるようになった人類。


私がずーっと思っていた「無能である人類が等しく持つ驚異の実相」が、上の日月神示の「人間は皆、かみかかっているのであるぞ」の「」に現れていると思います。

今ここにいる私や、そこにいるあなたのような「きわめて無能な人たち」はすべて宇宙から見れば「神がかっている」。


なお、「言葉は神であるが、人間でもあるぞ」という概念に関しては、ヨハネによる福音書の冒頭の「はじめにことばがあった」というものとの関連で今後も出てくることになると思います。

どうしてこれが大事なことか。

それは、「はじめ」と「終わり」という概念の問題に突入していくからです。

たとえば、ずっと人々が唱えてきた「終末」という問題。
地球の終わりとか人類の終わりとか、そういう言葉には「終わり」という概念が含まれます。

「終わり」の対極の意味は「はじまり」ですが、どんなものにでも対極は存在します。つまり、終末を語るには「はじまり」にも言及する必要があると思うのですが、聖書や仏典やコーランや、あるいは日月神示など、そういうものに書かれてあることが「正しい」のなら、

「はじめはことば」

であることが提示されていて、また、

「言葉は神であるが、人間でもある」

のなら、はじまりの対極にある「終わり」に存在するものは何なのか
それを知りたいように思います(推定では「終わり」という概念はこの世にないと思っています)


何だか話の方向性が無分別になってきましたので、ここまでにしておきます。

ところで、先日の記事に書いた 1785年の「薔薇十字の秘密のシンボル」関係のことを少し書いておきます。ここには興味深いイラストがたくさんあります。


薔薇十字のシンボルでの数字の意味

たとえば、その「薔薇十字の秘密のシンボル」の中には下のようなイラストがあります。
日本語はこちらで入れたものです。

89-sun.jpg


太陽に「4」の数字が当てられている、ということがわかります。前後の本文は読めないのですが、このイラストを見ても「4」の中心性というものが何となくイメージできます。

「7」に関しては、どうやらこの西洋神秘学の世界では「全部」ということになっているようにイラストでは見られます。「全部」というのは、つまり「7以上がない。7がすべてである」というような意味です。

そう考えると、「4」の意味もちょっとわかります。

つまり、1から7で完結する概念は下のようなことになると思います。

1234567


この真ん中は・・・。


1234567


となるわけで、7から作られている世界では中心が4になるということに初めて気づいたのでした。

あと、数字関係のイラストで興味を持ったのがこちら。

7-666.jpg


「7」と「666」が同居している図です。

この「666」という数字は「薔薇十字の秘密のシンボル」の中には何度もイラストで描かれますが、イラストだけの感覚でいえば、よく言われているような「悪魔的なイメージ」というものはなく、上の図にあるように「7の対極」として描かれているというように感じます。

つまり、「世界そのものである7」が存在するためには対極の「666」が存在する必要があるというような雰囲気が伝わります。実際はわかんないですけどね。

さて、これから鴨何とかさんの「方丈記」の冒頭でも読んでみます(夢指令)。
古文ほとんど読めないんですけれど。
タグ:日月神示



  

2012年03月06日



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(訳者注) 今まで放射能のことはあまり書かなかったんです。どちらの考え方にしても、本人たちの思いこみが強い場合が多くて、場合によっては人を傷つけてしまう。そういうことも昨年経験しました。

私自身は震災後、いくつかのデータを眺めていて、放射能の害というのがどうしてもわからず、それ以来、個人的にはまったく恐怖に思ったことも脅威に思ったこともなく、最初、半信半疑だった奥さんにも説明して、うちは昨年4月頃からは飲み物も食べ物も行く場所もまったく気にしたことはないです。何でも食べますしどこでも行きます。

科学データというのは(ちゃんと読めば)わりと正直なんですが、周囲の状況はそうでもなく、ニュースや口コミなどの不安情報を信じる傾向も強く、私は次第にそのことについて話さなくなりました。私は気にしなくても、他の人が気にすることに介入することもないかなと。あるいは、時間と共に落ち着くだろうとも考えていました。

しかし、もはやそうも言っていられないのかもしれないと思いました。

というのも、「福島から避難の子供、保育園入園拒否される」という新聞記事を昨日知ったのです。

これを見てさすがに暗澹とした気分になりました。

もう「それぞれの考えでいい」とも言っていられないと。
子どもが無知の犠牲になるのはやはりよくない。

それと同時に、上のニュースを読んで何かこう急に、日本人という存在に対して冷めてしまいました。「なんで、オレは日本人がどうだこうだ言ってたんだろう?」と急に過去に熱く日本人を語っていた自分が馬鹿馬鹿しくなりました。

上のような日本人がいるということは、日本人に意味があると考えていた私はどうやら間違っていたようです。

しかし、私のことはともかく、実際に上のように、東北の子どもたちとか、あるいはそこから移転していく子どもたちはこれからもいるわけで、その子たちがまた何か言われるのはたまったものではないですので、それに関してのひとつのデータなどを載せておきます。


これはチェルノブイリ原発事故20年後に WHO (世界保健機構)が、ベラルーシでガンに関して疫学調査をした際のデータです。この関係と期間のデータは少なく、かなり貴重なものといえるかもしれません。

全文英語ですが、調査書そのものは PDF 書類で、

Cancer consequences of the Chernobyl accident: 20 years on
 チェルノブイリ事故から20年:ガンの経緯

にあります

データでは因果関係がわからないものが多いですが、「はっきりしているデータ」もあり、その中のひとつが、

セシウム 137と子ども甲状腺ガンの発生には関係が「ない」

というものです。

先にグラフをおいておきますが、これです。

s137.png


日本語は私が入れたものです。

ベラルーシでの小児の甲状腺ガンは事故4年後の 1989年頃から増加していますが、1995年くらいにピークとなった後は下がり続けて、事故の 16年後に事故以前の水準か、あるいはそれ以下の水準に戻っています。

Wikipedia によれば、セシウム 137の半減期(物質の影響がなくなる期間)は 30年となっています。

半減期から考えて、上のグラフでの小児ガン発生のグラフと、セシウムに相関関係はないことがわかります。

なので、上のデータから言えることは、


・事故の頃に生まれた赤ちゃんは甲状腺ガンについて安心して下さい。

・14歳までの子どもは甲状腺ガンについて安心して下さい。



という2点です。
データからはまったくセシウムとの関連の問題点は見当たりません。

このデータでは、14歳以上では増加の様子が見てとれるので、14歳以上の大人のことは知りませんし、他の病気のことも知りません。

とにかく、これは、赤ちゃんとか幼稚園児とかの14歳以下の子どもは甲状腺ガンについて、何の問題もないというデータです。

なお、 WHO の論文を読む限り、チェルノブイリ事故後の短期間の間に甲状腺ガンが増えた理由は、事故直後のヨウ素によるものではないかと思われます。ヨウ素の半減期は 8日です。


あと、これを取り上げた理由として、私は読んでいないですが、雑誌で福島の子どもの甲状腺ガンの話が取り上げられていたそうで、もし、その記事がセシウム等の放射能との関連で書かれているのなら、それは間違いかもしれないからです。

そしてそのことで、上の移転した福島の子どもの例のように「幼稚園に来るな」とか、「公園で遊ぶな」とかの、人々の単なる無知から来る害を子どもたちが受けるのはかわいそうだからです。

なお、繰り返しになりますが、上のデータは「セシウムと子どもの甲状腺ガン」だけに関してのもので、「35歳以上の人」とか、あるいは「他の病気」等との因果は表していません。


というか、本当は仮に「放射能というものに害があっても」、上みたいなこと(幼稚園に来るな、とか、公園に来るな、とか)を言うことは頭がおかしいと思います。


あーあ、日本人かあ・・・。

超ガッカリした昨日今日でしたが、逆にいえば、今後、日本人としてではなく単なる人類としてモノを考えるキッカケになったということで、いい経験だったと思います。

それでは、下はその調査資料の序文の翻訳です。

(ここから)
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