- ミレニアムの年を遠く過ぎた 2012年に振り返るハカイダーとウロボロスとケツァルコアトル
- かれの「神しゃま」は消えたのか、それともまだ消えていないのか
- フリーメイソンと高知に導かれて Google Earth 上で北緯 33度の旅をする
- 文字から見る「死」の意味(追記あり)
- 365日のうちで最も奇妙に思える「4月10日」に知った多次元宇宙の心理学
- さまざまな言語での「太陽」(日本語で「タイヨー」)の発音
- 地球は太陽そのもので、その太陽は4であり、かつ日本語の始まりを示すものかもしれない
- リアル「ムンクの叫び」の日常の中で方丈記とか薔薇十字の秘密とかを眺めて
- エメラルドタブレット(2): 1785年の「薔薇十字の秘密のシンボル」の冒頭に出てくる数字
- 般若の中で666に囲まれる富士山
【4と十字架をめぐる旅】 の記事一覧
2012年10月01日
ごめんなさい。
今回も、何の翻訳記事もない余談で、昨日の記事の続きといえば続きです。
前回の記事、
・太陽活動最大期に向かう太陽の顔は「悪魔の毒々」化を果たし
In Deep 2012年09月30日
を書いた後、この記事の中に出てくる「何かの感じ」と、In Deep の過去記事の「何か」がリンクしていると感じていたのですが、それがわからない。
読み返してみたりします。
「太陽フレア・・・悪魔の毒々モンスター・・・トロマ・エンターテイメント・・・ロイド・カウフマン・・・パンプキンヘッド・・・」
「ん?・・・パンプキンヘッド?」
ここで、1988年の米国映画『パンプキンヘッド』の出演者をアメリカの映画データベース IMDb で見てみます。
「あ! 主演がランス・ヘンリクセン!」と私は声をあげたのでした。
このランス・ヘンリクセンという役者さんの詳しいことはあとでふれるとして、いろいろな意味で好きな人のひとり。アメリカでは『ミレニアム』というテレビシリーズの主演としても有名です。
この「ミレニアム」は、Xファイルの製作者のクリス・カーターによって作られたドラマシリーズですけれど、そんなによく覚えていないので、Wikipedia を見てみます。
ああ、ウロボロス!
これは私が In Deep の記事の中ではじめて知った存在。
今年4月の、
・ヘビとウロボロスとケツァルコアトルと月と太陽をめぐる旧約聖書『創世記』への疑問のようなもの
In Deep 2012年04月08日
という記事で、「蛇」をあらわす英語の「スネーク」ではないほうの「サーペント ( Serpent )」という単語を調べていくうちにつき当たった存在でした。
辞書によると、この「サーペント ( Serpent )」という単語は、いくつかの意味があり、その中のひとつに、
というものがありました。
旧約聖書の『創世記』 第3章 1-7節に「主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった」から始まるセクションが存在します。
そして、『創世記』 第3章 14節では、
創世記 第3章 第3章 14節
主なる神はへびに言われた。
「おまえは、この事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で這いあるき、一生ちりを食べるであろう」。
主なる神はへびに言われた。
「おまえは、この事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で這いあるき、一生ちりを食べるであろう」。
と、ヘビは旧約聖書では大変にひどい言われ方をされるのですが、私は何だかヘビが不憫になり、いろいろと調べていく中で知った存在が、
「ヘビが永遠性の象徴として描かれていることが多い」
という歴史上の事実で、その中のひとつに「ウロボロス」というものがあったのでした。ウロボロスとは下のような概念の存在です。
Wikipedia の説明では、
ウロボロスは、古代の象徴の1つで、己の尾を噛んで環となったヘビもしくは竜を図案化したもの。
「死と再生」「不老不死」などの象徴とされる。そのヘビがみずからの尾を食べることで、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わった。
と記されています。
そして、アステカ神話の文化の神様であり、農耕の神様である「ケツァルコアトル」が「鳥とヘビの神様」であることを知ります。
▲ アステカ神話の神様、ケツァルコアトル。
ところで、上の記事には書いていないんですが、私が高校の時とても好きだった英国のバンドのアルバムのジャケットが「ケツァルコアトルの図版だった」ということを最近知りました。30年以上前のアルバムですが、この何十年間も「変な絵の書かれてあるアルバム」としか認識していなかったのですが、それがケツァルコアトルだったことを知ったのは、この数年の収穫でもあります。
▲ 1981年にリリースされたフライング・リザーズという英国のバンド(実際にはひとり)の「フォース・ウォール(4つ目の壁)」というアルバム。
私の当時のアルバム購入の基本は「ジャケ買い」といって、「ジャケットが気に入ったから買う」というスタイルで、アナログレコードの時代はすべてを通じてそれだけでした。ミュージシャンの名前などほとんど知らないで買うのが普通でした。
それでも、ジャケ買いした上のアルバムは本当にいいアルバムで、キング・クリムゾンというプログレバンドのギタリストや現代音楽界の人々などが参加した先鋭的なアルバムで、長らく愛聴していたものです。
このアルバムの中に収録されていたマイケル・ナイマンという現代音楽系の人たちの力を合わせて作った「ハンズ2テイク」というポップス曲は 30年前あたりのポップスとしては随一のものだと思っています。久しぶりにこの曲を思い出したこともあり YouTube を探すと、ありましたので、貼っておきます。
The Flying Lizards - Hands 2 Take (1981年)
今思えば、このアルバムのジャケットに描かれていたのは、「鳥とヘビの神様」であるケツァルコアトルだったのだなあと思います。
さて、話が逸れましたが、上の「ヘビとウロボロスとケツァルコアトルと月と太陽をめぐる旧約聖書『創世記』への疑問のようなもの」という記事では、ウロボロスとケツァルコアトルがヘビと関係しているというところまでで終わったのですが、今回はウロボロスに至った道がテレビドラマ「ミレニアム」であり、その主演のランス・ヘンリクセンだったということで、
「これはまだ何かありそうだなあ」
と思いましたので、書きながら考えてみます(考えてから書けよ!) ← いや、そういうことはしたことないのです。何でもかんでも書きながら進みます。
ランス・ヘンリクセンから先に進めなくなり
▲ 1986年の「エイリアン2」で、主人公リプリーを助けるアンドロイドのビショップ役のランス・ヘンリクセン。
ランス・ヘンリクセンは現在では結果的にアメリカでは有名俳優であるとはいえ、本当はもうちょっと早く有名になっていたはずの人でした。
何しろ、彼は「初代ターミネーターの主演」のはずだったんです。
このあたりは、日本語の Wikipedia などにも書いてありますので細かいところはともかく、「ターミネーター」の主役にほぼ決まっていたところに、当時すでに人気俳優だったアーノルド・シュワルツネッガーが「この役、オレがやりたい」と言いだしはじめて(笑)、それでまあ、アーノルド・シュワルツネッガーがターミネーターをやることになったという次第でした。
しかしまあ、アーノルド・シュワルツネッガーが主人公をやったからあれだけヒットしたわけで、ランス・ヘンリクセンだったらどうだったかというのは微妙です。
結局、ランス・ヘンリクセンはターミネーターでは脇役として登場しますが、そんなことはともかく、彼の言葉で私が大変によく覚えていることがあります。
もう20年以上前だと思いますが、映画雑誌か何かのインタビューで、
「あなたの演じてみたいキャラクターはなんですか?」
という問いに、ランス・ヘンリクセンが答えたのは、
「日本に、キカイダーって番組があるんだ。その中に『ハカイダー』ってキャラが出てくるんだけど、あれを演じたいね。それが夢だ」
でした(笑)。
▲ 『キカイダー』に登場するハカイダー。下手するとキカイダーより人気がありました。
しかし、ランス・ヘンリクセンがハカイダーを演じたいと願う気持ちとは別に、『エイリアン2』のアンドロイド役などでどんどん人気が高まり、ハカイダーどころではなくなり・・・多分今でもランスさんはハカイダーを演じていないと思います。今ではもう 70代後半ですから、そろそろハカイダーを演じるのも無理かと・・・。
それにしても、ランス・ヘンリクセンとウロボロスとケツァルコアトルあたりが全然つながってこないですね。
ちなみに、ランス・ヘンリクセンの代表作のひとつ、テレビドラマシリーズ『ミレニアム』のタイトル一覧を見てみると、邦題ベースでも、刺激的なものが多いです。
いくつかピックアップしてみますと、
第15話「洗礼 (Sacrament)」
第21話「主は来ませり (Maranatha)」
第31話「最期の審判 (Jose Chung's Doomsday Defense)」
第40話「受胎 (In Arcadia Ego)」
第41話「聖母 (Anamnesis)」
第42話「再来 (A Room with No View)」
第43話「サタン (Somehow, Satan Got Behind Me)」
第48話「洗脳 (Teotwawki)」
第62話「ダーウィンの目 (Darwin's Eye)」
うーん・・・つながりそうでつながらない。
まあ・・・・・・・個人的には、自分の人生で経験してきたすべてのこと、それは、見たもの、聞いたもの、読んだものを含めて、必ずそれらはすべてまとめてどこかのゴール(私個人のゴール)に通じているものだとは思うんですけど、そのあたりは今のところはわからないわけで。
少なくとも第1段階だと思われる「死ぬ」というあたりを経験しないとわからないのかも。
最近は記事が支離滅裂な方向に向かいやすいんですが、このままカオスの方向へと爆発し続けてしまうのか、あるいは収束してくれるのか。
そのあたりも「太陽」にかかっているのですかね。
そこでふと、「今日の太陽の顔」なんてのを見てみると、もう何が何やら。
2012年10月01日の太陽 / NASA
あー、この顔も何かっぽいけど、うまく形容できない。
でも何だかあからさまに「狂った顔」をしている感じもするのですが。
そういえば、私の住んでいる近くの「川越」という場所には、名物のお菓子があります。
▲ 有名だけれど、テレビの旅番組などでは紹介されたことはなさそうな銘菓。
毎日このお菓子を食べているというわけでもないのですが、どうも頭の状態がこのようになっていて、最近、何が何だかわからない記事が多くてすみません。
明日あたりからは少し立て直したいと思います。
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2012年09月26日
個人的な事情で、昨日今日と翻訳的な記事の更新をするのは無理そうなんですが、プライベートなことで申し訳ないですが、ちょっとそのことを書かせていただきます。
謎の激痛と高熱ごとに成長する中で
うちの子どもは年に一度くらい、原因のわからない激痛に見舞われることがあります。
痛みの出る場所はその時によってバラバラで、昨年は3月頃、あれは震災の数日前くらいだったと記憶していますが、最近ではそれが最後でした。その時には腹部だったのですが、比較的痛みに強い彼が絶叫するほどの痛みで、夜中でしたが夜間救急医療センターのようなところに電話をすると「すぐに救急車を呼んで下さい」と言われ、救急車で病院に運ばれました。
しかし、痛みは1時間ほどで消えていき、翌日にかけて精密検査もおこなったのですが、原因はわかりませんでした。同じようなことがその前にもあり、それは別の場所でしたが、その時も原因がわかりませんでした。
そして昨日もまたそれが起きてしまったんです。
どの場所かは具体的に書かないですが「顔の一部」です。本当に最近では初めて見るような痛がりぶりで、まだ夕方でしたが医療センターに電話をすると、後ろで絶叫している子どもの声を耳にしたせいか、「すぐに救急車を向かわせます」と言われ、救急車が来たのですが、その頃には子どもは少し落ち着いていて、救急隊員の人の一問一答にも答えられるようになっていました。
それでまあ、搬送はせずに、様子を見て、そして今朝になって病院に行き、検査をしたのですが、やはり原因はわかりませんでした。
生まれてからこの「原因不明の痛み」というのを何度かやっている彼ですが、ふだんは痛みにはかなり強いほうで、あの痛がりぶりはかなりの痛みだと思うのですが、「何なんだろうなあ」と正直思います。
それと小さな頃の「高熱」。
これもいつも「何の熱かわからない」ものでした。
うちの子どもは風邪などをひくことがほとんどなく、この数年はいわゆる病気になったことがないのですが、高熱が1年に1度くらい出ました。そして、熱はたいてい数時間で消えます。
そして、私たちが不思議だったのは、5歳くらいまで「高熱を出すたびに言葉を喋るようになっていった」ということがあったのでした。
以前書いたこともあるのですが、うちの子どもは一般的な成長と比較すると、発語を含めて約1年以上、言葉が遅れていました(幼児期の「1年以上発語が遅れる」というのは極めて希で全体の数パーセントもいません)。
しかし、「熱を出すたびにことばを話しだす」。
そのことは奥さんと「不思議だねえ」と言っていました。
この世には知恵熱という言葉がありますが、そういうたぐいなのかねえ、と話していました。
そして、もうひとつ、彼は5歳くらいまでは、熱を出している時にうわごとのように、「神様」のことを話すことがありました。
前回の記事、
・ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(2)
In Deep 2012年09月24日
での、デヴィッド・キース著『西暦535年の大噴火』からの抜粋の中に、日本の6世紀までの「神」についての文章があり、それはこんなものでした。
神=カミは、それ自体の姿形を持っていないと見なされていた。シャーマン(僧侶)から、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できるとされていたのである。
そして、霊たちは、細長い「器」の中に住みたがると一般に信じられていた。具体的には、魔法の杖、旗、長い石、木、特殊な目的の人形、そして生きている人間などである。そうした人間(霊媒)は女性であることが多く、その体と声に神々が乗り移るとされた。
これを読んだ時に、「なんか同じようなのを聞いたことがあるな」と思い出すと、それは In Deep の過去記事にも書いていたのですが、「子どものうわごと」でした。
・子どものかみさま
In Deep 2011年03月04日
という記事で、日付けを見ると、震災の1週間前あたりの記事です。
そこに子どもがその前の年の暮れにつぶやいたことばが書かれてありました。
当時は、「さしすせそ」が「しゃししゅしぇしょ」の発音になるというタラちゃん語だったですので、それに準じて書き出します。
40度近くの熱を出していた時、ふっと上半身を起こして
「幼稚園のしぇんしぇい(先生)は神しゃまは空の雲の上にいるっていうけどね・・・しょれ(それ)は違うんだよ。神しゃまは透明で、どこにでもいるの。あしょこ(あそこ)にもしょこ(そこ)にもいるの。雲の上にもいるけど、他にもどこにでもいるの。木にしぇみ(せみ)みたいに止まっていることもあるの。でも、透明だから誰にも見えない。でも、透明でもしょこ(そこ)にいるの。全部の空も砂も木も全部しゅべて(すべて)神しゃまなの」。
とハッキリとした声で話して、またすぐ倒れるように寝てしまいました。
朝には言ったことは本人は全部忘れていましたので、熱でうなされた寝ぼけ言葉だったことは間違いないのですが、「神様」というものが人間社会(あるいは日本の古代社会)に生まれたのもこんな感じだったのかなあとも思いました。
子どものうわごとから学んだ古代日本の精神文化の形成
古代は世界の国のシャーマンでも、幻覚剤や幻覚キノコなどを使って、幻影の世界に自分を突入させたり、場合によっては錯乱の世界に入ることがあったようですが、そういうような時は、そのシャーマンに「いわゆる霊的な力」とかがあるとかないに関わらず、熱でうなされたうちの子どもと同じように、「幻覚剤によって自分の頭(心)の中にもともとあるもの(概念やもともとある世界観)を噴出させる」ということはあったのだと思います。
言い方を変えれば、「実は誰でもシャーマンになれた」という可能性もあります。
▲ 古代の北米や南米の先住民族のシャーマンたちはキノコやサボテンなどの幻覚剤を使って、「過去や未来」にふれていたとされています。写真は北米のペヨーテというサボテン。
そして、そのシャーマンを信奉する人々にも、どこかに(たとえば眠っている時の夢とかも含めて)同じような「神」や「その概念」があって、自然とその「神性を共有できる」という環境になっていたのだと思います。
要するに、現在での宗教では教義や生き方は「学ばなければならない」ですが、「そんなことは学んだり教えられなくても、自然と共有できる神様と神性」だったのではないかと。上から押しつけられる宗教ではなく、「誰の心の中にでもある神様」。
それが日本の古代宗教の現実で、その後は「神道」みたいな言葉になりましたが、そういう禍々しい言葉になる前の話です。
だからこそ、日本に6世紀に仏教が入るまで、多分、数万年くらいのあいだ、日本人はうえのような「空も砂も木も全部すべて神しゃまなの」という感覚の中で生きられてきたのだと思うし、そしてその感覚は「地球と共生する」という意味では合理的な概念だとも思います。
なお、古代の日本にはアメリカ大陸のようなキノコやサボテンはなかったと思われますが、しかし、シャーマンは同じような「酩酊状態」に入る必要はあったはずで、日本でお酒が発達したのは、ペヨーテなどの幻覚サボテンなどがなかったことも大きかったのかも知れません。
縄文時代の超自然観というページには以下のようにあります。
酒や向精神薬、そして太鼓(リズムという意味)が使われていたという可能性が書かれた後に、
他界と交流する技法
■太鼓にしても酒にしても、意識の状態を変容させ、霊的な世界とコンタクトするために使われたということには変わりはない。またどちらも日本の土着信仰=神道の儀礼には欠かすことのできなかったものであり、弥生以降の文化との連続性を感じさせる。
■酒以外に、日本列島の自然条件で、意識状態を変容させる向精神薬として使用された可能性が考えられるのは、大麻、ベニテングタケ、シビレタケ、ワライタケなどのシロシビン系キノコ、そしてヒキガエルである。
とあります。
この中で「麻」とありますが、今でいう大麻に関しては、衣服と食事にも転用できたこともあり、古代日本では、かなり有用な野菜のひとつだったと考えられているようです。
同じページに下のような記述があります。
▲ 福井県立若狭民俗資料館にある福井県「鳥浜遺跡」前期の麻の出土品。
アサは縄文前期にはすでに縄や布として利用されていた。ただしそれが繊維材料ではなく向精神薬として用いられたかどうかはわからない。『魏志倭人伝』には弥生時代の西日本で酒が好まれる一方、麻の栽培が行われていたことが書かれているが、それが向精神薬として用いられていたという記述はない。しかしその後も大麻は神道の伝統の中では神聖な植物でありつづけた。
話が逸れましたが、以前はそんなうちの子どもでしたが、言葉を覚え、字なども覚えていき、そして「神しゃま」を「神さま」と発音できるようになっていくにつれて、徐々にそれらの「神性」は消えていきました。
この「神性の消失」というのはすばらしいことだと私は思っています。
震災の後、何度かふれたことのある「人間の最大の進化」であるところの「予言できない能力」、「未来も過去も見ることのできない能力」というものがどれほどものすごい高度な進化だったかというのは、どう説明しても、うまく説明することが私にはできなかったようで、今は書くのをやめています。
この「人類の神性の消失」こそが、宇宙が人類に求めた最大の進化であるということが、過去の中世などの神秘学のあらゆる部分に、あるいは聖書やコーランやブッダの言葉などのあらゆるところに満ちています。
そして、地球のすべての人間の価値観から「予知」とか「過去とか未来」とか、あるいは前世とか、転生とか、あるいはテレパシーとか、そのような価値観が「完全に消えた時」、それが人類の最後の進化に繋がるのだと思います。
なぜか。
それは宇宙の永遠性と関係のあることで、実は私たちは「一瞬にだけ生きている」という事実があり、それは「科学では時間という存在を定義できない」という科学上の世界とも関係します。
実は「一瞬の中にすべてがある」ということが現実なんです。
これは夢物語を言っているのではなく、物理学のひとつの結論だと思います。
参考までに、2011年8月9日号の日経サイエンスの翻訳記事がネット上にありますので、それを部分的に転載しておきます。
時間は実在するか?
クレイグ・カレンダー (カリフォルニア大学サンディエゴ校哲学科 教授)
時間は過去から現在、未来へととめどなく流れていく。過去は変えられず、未来は決まっていない。そして私たちは現在を生きている──それが私たちの「時間」についての日常感覚だ。
だがそうした日常的な「時間」は、現代物理学には存在しない。
物理の数式は「現在地」のない地図のようなもので、あなたが今いるのがどこかは教えてくれない。アインシュタインの相対性理論によれば、そもそも唯一かつ絶対的な「現在」というものはない。過去から未来にいたるあらゆる瞬間は、等しく実在している。
(中略)
相対性理論に軸足を置く限り、時間というのは単に、異なる物理系に起きる出来事の相関を記述するための発明品にすぎない。それはちょうど、お金のようなものだ。お金があるおかげで、私たちはコーヒー1杯を購うたびに何と物々交換するかを話し合わなくてすむ。だが別にお金自体に価値があるわけではない。
では、なぜこの世界に、時間というものが存在しているように見えるのだろう? そのヒントは、80年前に英国で行われた1つの実験にある。この実験によると、時間が存在しない静的な世界においても、その一部分で起きている出来事の関係性を記述すると、それはあたかも時間が存在するかのような振る舞いを示す。
私たちが日常的に時間を感じるのは、私たちが自分自身を世界から切り離して、物事を見ているせいなのだ。
ということで、つまり、時間というのは「人間の発明品」であり、「便宜上、あるようにして使っているもの」であることが厳然たる事実で、「時間」というものはどんなに誰が何と主張しても「存在しない」のです。
その事実のある中で、未来や過去を予見するという行為は「存在しない時間軸を見る」という一種「無理」なことだと思うのです。それはあまりにも形而上的な概念かとも思います。
しかし、時間軸は存在していないけれど、「状況は存在している」こともまた事実です。
では、どこに存在しているかというと、「科学」だけの話でいえば、全部同時に今の一瞬にすべて存在しているということになるようです。
まあ、そんなわけで、単なる日記となってしまいましたが、いくつか興味深い報道もありますので、明日以降ご紹介したいと思います。
そういえば、今朝、病院の初診の問診票のようなものに記入していた時、
「平成17年7月7日生まれ 満7歳」
と、見事に7が並んで、「パチンコ好きのオヤジたちに見せてやりたいなあ」と思った次第です。
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2012年08月29日
ロシアのプラウダには、「よく読まれている記事」のランキングが最初にあります。最近のプラウダの記事は、政治的な話が非常に多く、ランキングもそのようなものばかりなのですが、昨日そのランキングを見た時に「ん?」と思いました。
下がそのアクセスランキングです。
となっていて、2位以下は日本語にすると、
2 イランでの戦争という言葉
3 ロシアの潜水艦が米国に察知されずに米国沿岸で訓練
4 シリアへの攻撃から一歩引くオバマ
5 バラクとディヴィッドは悪魔のコンビ
3 ロシアの潜水艦が米国に察知されずに米国沿岸で訓練
4 シリアへの攻撃から一歩引くオバマ
5 バラクとディヴィッドは悪魔のコンビ
という感じの並びで、政治的かつ反米系の記事が並びます。
ちなみに、2位にある潜水艦の話は「ロシアの声」で、短い日本語の記事にもなっていますが、他の報道ではあまりふれられていないようですので、短くご紹介します。
見えない潜水艦
ロシアの声 2012.08.26
国際法に反することなく、ロシアの潜水艦が訓練の枠内で、提起された課題を米国沿岸で成功裏に遂行した。長距離巡航ミサイルを搭載したこの潜水艦は、ひと月、メキシコ湾水域を航行していたが、発見されたのは、潜水艦が水域を去った時だった。これは米国の政治ニュース専門サイトが、匿名の米国防総省高官の話として伝えたもの。
ロシアの多目的潜水艦プロジェクト971「シシューカ(カマスの意味)」は、今年の6月から7月にかけて数週間、米国沿岸をパトロールした。この潜水艦は、米国の海岸のすぐ近くを航行したが、米国の衛星もソナー・センサーも、これをとらえる事は出来なかった。彼らが潜水艦の存在にやっと気が付いたのは、「シシューカ(カマス)」がその「尾っぽ」を彼らに見せた時だった。
さて、このような政治的なニュースが並ぶ中、上のランキングの1位のニュースの見出しは、文字だけ読んでも意味がよくわからないのです。意味としては、「神秘主義と北緯 33度上での災い」というタイトルです。「?」と思って本文を読むと、それはフリーメイソンやイルミナティなどと関係する話で、一種の陰謀論に関してのものなのでした。
「33」という数はフリーメーソンと関係しているそうなのですが、世界中の「北緯33度」の場所で米国中心の災いが多いという話を歴史と共に書いてあります。
北緯33度というのは、下の図の中央のラインのあたりです。
北緯33度線は、日本を起点にすると、四国の高知、九州の長崎を通り、中国大陸を横断。その後、パキスタン、イラク、シリア、リビア、レバノンなどを通り、大西洋の上を通ってアメリカのサウスカロライナ州から、西のロサンゼルスのあたりに抜けて太平洋に至り、そこからまた四国に戻るラインです。
このあたりは、記事の一番下に、Google Earth での図を載せておきます。
途中、バミューダ海域なんてのも通過していて、なかなか興味深いです。
北緯 33度近辺に確かに存在する血の歴史
いずれにしても、ややオカルトがかった記事がプラウダで1位ということに興味が湧きました。読んでみましたら、意外に興味深いことが書かれてあり、さらにそれに付随して「私個人」に関しての今回の記事との「なくとなく興味深い関わり」があり、そういうこともあり、ご紹介しようと思います。
興味深いと思ったのは、以下の点などです。
・第二次大戦中に原爆が落とされた長崎の緯度と、その原爆を開発製造して核実験もおこなった米国ロスアラモス研究所の緯度は共に北緯33度で同じ。
・ここ数年、米国を中心にして波乱に巻き込まれている国や首都の多くが 33度線上にある(リビアのトリポリ、イラクのバクダッド、シリアのダマスカスなど)。
・19世紀のフランスの作家アレクサンドル・デュマは、フランス革命を参考に 200年後の現在の「国際軍」を忠実に再現した小説を書いた。
・ここ数年、米国を中心にして波乱に巻き込まれている国や首都の多くが 33度線上にある(リビアのトリポリ、イラクのバクダッド、シリアのダマスカスなど)。
・19世紀のフランスの作家アレクサンドル・デュマは、フランス革命を参考に 200年後の現在の「国際軍」を忠実に再現した小説を書いた。
というようなことです。
ただし、その後、私自身で Google Earth で検証してみましたら、ロスアラモス研究所そのものは北緯35度の位置です。かつて核実験場があったロスアラモスの砂漠全体を含めると、その中に33度線があるようです。
▲ 米国ニューメキシコ州にあったロスアラモスの跡地の現在。広島と長崎に落とされた原爆の核実験がここで 1945年に行われました。
私は今回、 Google Earth を使って、実際に「世界の北緯33度」を旅してみました。そして、それと共にわかった「自分と 北緯33度の関わり」についても今回はじめて知りましたが、全体的に娯楽的な内容が多いので、今回は、プラウダの記事の翻訳を先に載せます。
記事中に出てくる人物などで、上のフランスの作家のデュマなども含めて、私が初め知る名前の人も多かったので、最初に説明を抜粋しておきます。すべて Wikipedia からのものです。
パイク将軍(アルバート・パイク)アルバート・パイク(1809年 - 1891年)は、南北戦争時の南部連合の将軍。秘密結社フリーメイソンに所属していたと言われている。「メイソンの黒い教皇」とも呼ばれている。古代や東洋の神秘主義を研究して、構成員を増やした。
アレクサンドル・デュマ
アレクサンドル・デュマ(1802年 - 1870年)は、フランスの小説家。父は、黒人と白人が混血した、いわゆるクレオールである。父同様、黒人奴隷の子孫として人種差別を受けたデュマは、政治的には共和主義・自由主義の立場に立ち、社会改革にも取り組んだ。
フリーメーソン
フリーメーソンは、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社。現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人に上り、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに、200万人は米国のグランドロッジに所属している。
ここからプラウダの記事です。
The mysticism and curse of 33rd parallel
Pravda (ロシア) 2012.08.27
神秘主義と、北緯33度上の災い
これは一般に知ることは難しいことかもしれないが、確かに北緯 33度は、現代の社会の中で非常に大きな役割を演じている。
たとえば、そこにある地としては、ケネディ大統領暗殺の地ダラス(米国)だったり、「アラブの春」と呼ばれる状況が始まったトリポリ(リビア)だったり、また、バクダッド(イラク)、そして、ダマスカス(シリア)、カシミール(インド)、チベット、長崎(日本)が含まれる。これらはすべて北緯33度上にある。
これらは超自然的な力が 33という数字に重要性を与えている偶然の一致なのだろうか。
そこで、世界地図を見てみてほしい。
そして、パイク将軍(南北戦争時の南部連合の将軍)とグリーンノート(現在のドル紙幣)の国、つまり、アメリカから世界に向かって 33度線の重要性を確認してみてほしい。
アメリカはダラスから始まるが、世界地図で他の国の 33度線の上を見ていくと、リビアのトリポリが見つかる。この都市は「アラブの春」で知られる。
そして、 33度線にはイラクのバクダッドがある。古くはアラビア夜話のシャハラザードで知られた国だったが、その後、この国は大量破壊兵器のストーリーで知られることになった。
さらに中東では、最貧国のひとつであるシリアのダマスカスを見つけることができる。ダマスカスは、予言者イザヤによって破壊が語られた場所だ。今、このシリアで「問題」が起きていることはご存じかと思われる。
この「フリーメーソン的な旅」を続けると、あなたは「とても静かな」アフガニスタンとインドのカシミール地方に行き着く。どちらの地も局地的な戦争と紛争で知られている。さらにその先にはチベットがあり、日本の長崎へと至る。
知人のアメリカ人によると、北米大陸上の 33度線にアリゾナ州フェニックスがあることも重要なのだという。その人物によれば、フェニックスはレバノンや古代のフェニキア人と繋がっているのだという。
この「 33」の数字の意味は、フリーメーソンの階級の中で最も高い階層を示す。
これは 11と 22を足したものであり、そして、宇宙とスピリチュアルの王が満たされている「ダンテの神曲」の数でもある。
これらのすべては歴史の中の新しい世界秩序(New World Order)のキーナンバーだ。
アメリカの歴史の中でも非常に「神々しい大統領」として知られるジョージ・H・ブッシュが、石油メジャーと、そしてヨーロッパの社会党(フリーメーソンの上位階級にいたフランスのミッテラン元大統領が含まれる)と協力するという意向を示した後、西側の勢力は、戦争、戦争、また戦争という状態へ突入していったのだ。
それは、人権と民主主義という大きな大義名分の名のもとで、カダフィの処刑や、シリアの破壊、そしてバグダッドの占領も含まれる。さらには、イランも将来的に破壊される可能性もある。
ある人は「それは地獄の水(石油)を思い出す」と言う。
イルミナティの歴史。
たとえば、フランス革命は、非常に特定の政治と財政の意図と関係していた。
ここで、19世紀の偉大なフランスの作家アレクサンドル・デュマの言葉をきいてみよう。デュマは、他のどんな歴史家よりもフランス革命についてよく理解していた。
1848年の小説『ジョゼフ・バルサモ (Joseph Balsamo)』にデュマは以下の文を書いている。
「旧社会を破壊するためには 20年の歳月が必要だ。そして、新しい世界を作るためにも 20年の歳月が必要だ。それは永遠の 20秒でもある。それでも、あなたたちは『それでは長すぎる』と言う」。
デュマは、『ジョゼフ・バルサモ』で、フリーメーソンによる「人類を精算したいという欲求」を完全に解説したのだった。そして、それはブッシュ大統領が実際にその「精算」を始める 200年前に書かれたものだった。
小説は以下のように続く。
「国家の群れは巨大なひとつの軍隊を作り出す。その軍隊は、異なる時間に異なる地、異なる状況で生まれるが、しかし、その軍隊が作られた目的のために、同じ場所に到着しなければならない。彼らは、途中休止をしそうに見えても、実は絶え間なく進み続ける。彼らが撤退する時にも、その理由は敗退ではなく、他の理由のために撤退する。彼らは、立ちふさがる困難を打破するために、集合して強さを集結させる」。
こんな啓蒙思想を持つのは誰なのか?
最後に、北緯 33度には以下の事実がある。
第二次大戦で原爆が落とされた日本の長崎(県)もまた北緯33度線上にあるが、その長崎に落とした原爆を設計し、製造した米国のニューメキシコ州にあるロスアラモス国立研究所が核実験を行っていた砂漠の実験場も、同じ北緯33度線上にあるのだ。
この原爆は「北緯 33度線上を米国から日本へと運ばれた」のだった。
その時の米国の大統領はトルーマンだった。
最後に、デュマの小説から、その小説の登場人物の以下の台詞を抜粋して本稿を終える。
「私が覚醒した時、まだイルミナティだったのだが、その時、私は私自身が人類を超越した存在であることに気づいた。私は人類よりもむしろ神に近い存在だと気づいたのだ」。
ここまでです。
In Deep では過去、いろいろと「数字」について書いてきたことがありましたが、この「33」という数字を気にとめたことはありませんでした。
この「33」の意味については、海外ではいろいろと説明されているサイトがありました。機会がありましたら、この「33」という数字についてご紹介したいと思います。
ところで、「北緯33度」を調べている時に、ふいにある記述に行き当たりました。
四国・高知にある「北緯33度33分33秒」の場所から
「北緯33度」で調べていて最初に飛び込んできたのが下のサイトでした。
▲ 地球33番地公式サイトより。
「地球33番地ってなんだ?」とそのサイトを読んでみましたら、以下のようなことなのでした。
太字は原文のままです。
高知市に東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒というユニークな地点があります。ここを愛称「地球33番地」と名付け、昭和37年5月に高知ロータリークラブが 白いモニュメントを建設しました。
緯度、経度の度、分、秒の同じ数字が12個も並ぶ地点は、全世界の陸上ではわずか10カ所(インドネシア、ナイジェリア、ギニア、リビア、ボツワナ、オーストラリア、日本、以上各1カ所、ロシア3カ所)です。 しかしそのほとんどは砂漠や大平原に位置し、容易にアクセスできず、通常の手段で行けるのは「地球33番地」だけです。
ということです。
上にある「他の緯度、経度の度、分、秒の同じ数字が並ぶ」場所の、高知以外は 33度線上ではないですので、つまり、「33が並ぶ場所は世界で高知市だけにある」ということになります。
しかし、どうして私が「高知」に反応したのか。
これは非常に個人的な話なんですが、実は私には高知の血が流れているのです。
父方の私の祖父は北海道でテキヤの親分だったんですが(二十代で引退してカタギになったそうですが)、そのおじいちゃんは明治か大正時代、十代の時に、四国の高知から「一山当てに」当時開拓中だった北海道に出て来た人でした。
そのジイサンの実家がまさに高知で、しかも、この「33番地」のあたりのはず。
ちなみに、わたくしは「岡」という名字なんですが、これはその四国のジイサンのほうの名字で、この名字がどういう名字かといいますと。
というわけで、「岡の漢字が入っている人物を見たら、高知を疑え」と言われています(疑うことはないだろ)。そして、その人には「北緯 33度の血が流れている」可能性があります。
さて、私のことはともかく、こういう流れの中で、ふと「地球の正確な 33度線上」を知りたくなりました。 Google の地図ソフト「グーグルアース」 ( Google Earth )は、正確な経緯を示すことができますので、 Google Earth を使って、33度線度上を移動してみました。
どうでもいいですが、上のテキヤのおじいちゃんがヤクザを若くしてやめた理由は「恋愛」でした。恋した相手に「ヤクザをやめるか、私の前で腹を切って死ねば結婚してあげる」と言われて(笑。相手もすごい)、テキヤをやめる決心をしたのだそう。大正時代くらいの話だと思います。その結婚の末、11人の子どもが生まれ(いくら昔でも多い)、その末っ子が私の父親で、そこから生まれたのが私でした。
感じとして、私にはこの高知のジイサンの血が隔世遺伝でかなり強く漂っています。
やることが似てる。
Google Earth の33度線上の旅
北緯33度線のラインの入った地図を再度載せておきます。
それでは、日本から。
大ざっぱにいうと、日本 → 中国 → 中東 →アフリカ大陸北部 → (大西洋) → 米国 → (太平洋)ときて、また日本の四国に戻ります。
ちなみに、大西洋の 33度線にはバミューダ海域があり、オカルト気分が盛り上がります。
では、スタートします。
高知県・四万十(しまんと)
↓
高知県・小猿島
四国を出るのは、小猿島という小さな島のようです。
今回初めて知りました。
↓
大分県・大入島
大分県の沿岸の大入島という場所から北緯 33度は九州に入るようです。
↓
長崎県・御床島
ここで日本の陸地部分を出ます。
この「御床島」も初耳で、九州の中で下の「A」の場所です。
上の西に「五島」という島があります。
世界地図にザッと線を引くと韓国も入っているかと思ったのですが、地図で見ると、朝鮮半島上には 33度線はありません。次は中国大陸に入ります。
↓
中国・上海近郊
上海のかなり上を通っていきます。
途中、 33度線は中国大陸を横断していきますが、ほとんど町のないような場所を通っていくか、あるいは知らない地名ばかりでした。中国の次はパキスタンに入ります。
↓
パキスタン・イスラマバード
そして、上の記事にもありましたが、大量破壊兵器を理由に侵攻されたイラクに入ります。
↓
イラク・バクダッド
次がちょっと面白いと思ったのですが、北緯 33度線は、「エルサレムとベイルートのちょうど中間あたり」を通っていきます。その前に上の記事にあったシリアのダマスカスの領域を通ります。
↓
エルサレムとベイルートの中間
ちなみに、レバノンという場所はもともと、フェニキア人という人たちがいたところのようで、この「フェニキア」という言葉と、米国の「フェニックス」という地名が関係しているのだそう。
米国のフェニックスも 33度線上にあります。
↓
モロッコ・カサブランカ
映画『カサブランカ』が正しいのなら、ここは第2次大戦中、ドイツに占領されたヨーロッパからアメリカへ脱出する際の待避所となっていたようです。
↓
大西洋上のバミューダ諸島
飛行機が消えちゃうという伝説のある「バミューダトライアングル」の一端のバミューダ諸島は、見事に北緯 33度線上にあります。
そして、アメリカへ。
アメリカへはサウスカロライナ州というところから入ります。
↓
米国サウスカロライナ州
途中、テキサス州などを通過して、西はカリフォルニアから 33度線は抜けていきます。
↓
米国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊ソラーナ・ビーチ
そういえば、数日前から、このあたりで群発地震が続いています。
詳しくは、
・米国のカリフォルニアで突如始まった激しい群発地震
地球の記録 2012年08月27日
などにあります。
そして、太平洋を通って、 33度線はまた四国に戻ります。
上の地図で思うのは、仮に、プラウダの記者の書いている通りに、33度線上の場所に意味があって、それが「関係している」とすると、都市部だけで結べば、「世界」というより下の関係だけが浮かび上がります。
九州と四国 = 中東 = アメリカ
中東という括りは大ざっぱですが、上のイラク、シリア、イスラエル、ガザ地区、リビアなど近年話題になる場所を含んでいるということで、大ざっぱにしてみました。
「アメリカ」という括りも大ざっぱですが、しかし、33度線は「主要都市部を線にしてアメリカ合衆国を2つに分断している」ことがわかります。
上の地図の赤い線が33度線で、近辺には、象徴的な都市が多いという気もいたします。
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2012年04月30日
最近、北極の海底から「おびただしい量のメタンが噴出している」ということが NASA の調査で判明したことを知って、今後の地球の気象というのか気温というのか、そういうものが混沌化していきそうだなあと思って、そのことを書いていたのですが、その途中で、ちょっと全然関係ないことで気になることがありましたので、そのことを書いておきます。
気候の話と一緒に書くと、何が何だか訳がわからなくなりそうですので、北極のメタンの話を含めた話は後で書きます。その NASA のニュースリリースは、
・Study Finds Surprising Arctic Methane Emission Source
( NASA ジェット推進研究所ニュース 2012.04.22)
にあります。
これは今日か明日、別の記事でご紹介したいと思っています。
さて、今回の話というのは「死」の話です。
ゴリラの言っていることからふと気になる「死」の実相
ニュースでもななんでもないのですが、知り合いが「手話のできるゴリラの話」をしていたんですね。それは「優しい唄歌い」というブログで記事になっているんですが、
ココはメスのローランドゴリラ。
生後3ヶ月で病気にかかっている時に、
パターソン博士と出会い手話を教わりました。
そしてなんと1000語もの単語を習得したココは、
手話でパターソン博士と会話ができるようにまでなりました。
というようなことが書かれてあります。
まあ・・・私自身はこういう「動物との素敵な交流」には興味ないんですね。
「ああ、そうですか」
という程度の感想しか持たないのですが(笑)、記事の後ろのほうに、このゴリラが、気に入った猫が死んだ時の手話のことが書かれてあるのですね。博士が、
「ゴリラは死ぬと、どこに行くの?」
と、そのゴリラに手話で訊いたところ、ゴリラは、手話で、
「Comfortable hole bye」
と(手話で)答えたのだそうです。
Comfortable は、「快適な」、「安寧な」、「心地良い」とかそっちの意味。
hole は、「穴のような空間」のいろいろな意味。
bye バイバイのこと。
要するに、
「サヨナラして心地のいい穴に行く」
と。
まあしかし、こういうのは研究者の勝手な解釈が介入したりするものだしなあ、と思いつつも、そのブログの最後に作者の方が、
大自然の中で生きる動物達は、人が思うよりも、「死」を優しい存在であると認識しているのかもしれません。
と書かれていて、そこには、「死」と、死の文字にカギ括弧がしてあって、この「死」という漢字が妙に目についたのですね。
「そういや、死ってどういう漢字かを直視したことなかったかも」と、よく見てみました。
大きくして観察してみます。
うーむ・・・やはり、意味性が強いせいか、大きくすると迫力があります。
その構成を見てみました。
初めて気づきましたが、「死」という漢字は「一」と「タ」と「ヒ」で構成されていることがわかります。
「一」がどういう意味なのかわからないですが、数字の「一」というよりは、この「一」のラインの下に「タとヒがある」というように考えるほうが妥当なような感じもします。
「一」というライン、感覚的には、大地とか天とかか、あるいは「この世」とか、つまり普遍的な存在の「現実のライン」を指し示すと仮定すると、この世の縁の下の力持ちとして、「タ」と「ヒ」がいると。そんな感じを受けます。
では、「タ」と「ヒ」とは何なのか。
「タ」は、カタカナのタであった場合は「多い」の「多」のカタカナ化。
あるいは漢字だとした場合、朝と夕の「夕」というものがあります。
漢字の「夕」の由来は、漢字の成り立ちといサイトで見てみると、
夕 → 月の変形
書かれてありました。
下のような変遷だそうです。
ちなみに、その「漢字の成り立ち」ページでは「死」は、
歹 + 匕 → 人が倒れ骨だけになる
という非常に即物的な(苦笑)答えが書いてありましたが、それによると、「死」は「一」と「タ」と「ヒ」からできているのではなく、「歹と匕」が組み合わさった漢字だということのようです。
しかし、「人が倒れ骨だけになる」というだけの意味では、上に出てきたゴリラの死の世界である「気持ちのいい穴」という語感とずいぶんと意味が違う。
・・・どうも、これではない・・・という感じがしてきます。
ちなみに、「歹」というのは読めなかったので調べてみると、「ガツ」と読むようです。
Wikipedia - 歹部を見てみると、こうあります。
歹部(がつぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。歹の字は肉を削り取った後に残った骨を意味する。偏旁の意符としては死や傷害に関することを表す。
人の骨のことなんですね。
Wikipedia には、例字として、「歹」を使った漢字として次のようなものが挙げられています。
死・歿・殆・残・殊・殉・殖・殲
上の例を見てわかるのは、「歹」の上の「一」が右端まで延びているのは、「死」だけだということです。
つまり、他の漢字では部首として使われているのがわかりますが、「死」では、「歹」は部首ではない、というニュアンスが感じられます。
部首としての「歹」なら、「死」ではなく、下のような漢字になっていたはずです。
これは・・・・・・偽装ですね(笑)
「歹」という人間の骨の意味を持たせているかのようにさせて、死の実相を隠している感じを受けます。漢字は数多くあれど、部首の一部を勝手に延ばしていい漢字がそんなにたくさんあるとも思えません。やはり、最初に書いたように、「一」の下に「タ」と「ヒ」があると考えるのが妥当だと思います。
しかし、「タ」は、「多」か、「月」かどちらかだとしても、「ヒ」がわからないです。
それを調べてみました。
「ヒ」の解読
ヒは、カタカナの「ヒ」だけかと思っていたのですが、漢字のつくりとしての「匕」はあって、上の「漢字の成り立ち」では、次のようになっています。
しりもちついて倒れた人の姿
単に「倒れた」ではなく、「しりもちついて」というあたりが具体的ですが、しかし、これで、ますます「死 は 歹 + 匕 ではない」と確信できるように思います。
なぜなら、これでは死の意味が、「しりもちついて倒れて骨になる」というだけの意味になってしまう。いくら古代でも、人間の死の様相がそんな単純ではないことは(いや、むしろ古代であればあるほど)認識していたと思います。
そんなこともあり、漢字のつくりとしての「匕」は、死の「ヒ」ではないように感じます。
さて、この「ヒ」。
これが調べてみると、なかなか深いものです。
Wikipedia に ヒ(日) という項目がありました。
ヒ(日)
ヒ(日)は古代の神名や人名の語尾につけられる称号。天皇およびその伴造(ともがら)を表す天孫・天神系の称号として用いられた。地祇・国神系を意味するヌシと対照をなす称号である。「ヒ」はヒコやヒメの語源でもある。
うーむ・・・。
なかなか大げさなことになってきました。
天皇絡みとなってきましたね。
続けて、この「ヒ」が、新羅から伝わった際のこととして、次のようにあります。
解の古音は「日」の訓である。(中略)
解はハングルで 해と書き、hae(ヘ)と発音し「日、太陽」を意味する。
なるほど。
「解」という言葉と「太陽」という言葉は、同じ意味としての発祥だった気配が伺えます。
つまり、「太陽」というのは「解」のことのようです。
それをまとめて表現のするものが「ヒ」。日本では、歴代で八名の天皇の名前に「ヒ」がつけられているそうです(カミムスヒ、カチハヤヒ、イナヒ、ヒコオホヒヒなど)。
さて、ここでもう一度、「死」の漢字を大きくしてみてみる。
そして、ゴリラの言ったことを、こちらも大きく書いてみる。
Comfortable
hole
bye
気持ちのいい穴
バイバイする
うーん・・・。
まあ、これらの問題は、ちょっと調べて結論の出るようなものではないですが、最近の事故の報道だとか他にもいろいろな理由があって、「死とは何か」ということをもっともっと考えたいと思っています。
[追記]
読み返していて、ここまでのことを単純に考えてみると、
タ → 月(つき)
で、
ヒ → 太陽(ひ)
なら、「死」という文字は、大地、あるいはこの世(「一」)の下の月と太陽を示しているような気が・・・。
つまり、下のような漢字はないですが(多分)、これと同じ意味かと。
ここに、過去記事の「地球は太陽そのもので、その太陽は4であり、かつ日本語の始まりを示すものかもしれない」などに出てくる中世の月と太陽のシンボルを当てはめれば、下のようなものになります。
ちなみに、上の右の「〇」の中に点があるのが太陽のシンボルで、これは今でも星座や占星術のシンボルとして使われていると思います。
そして、このマークは、日本の古文字のホツマ文字では「ア」を意味するそう。
ホツマ文字の一覧はこちらです。
ホツマ文字には「月」と同じマークはないですが、個人的には下の「カ」のマークが陰陽を表しているっぽくて、月っぽく見えます。
ア・・・カ・・・・。
ちなみに、日本語で「アカ」で始まる代表的な言葉といえば・・・・・赤ちゃん?
あ、月(ホツマ文字で「カ」)が最初だから、アカではなく、カアか。
かあちゃん・・・・・。
「死」とは「大地の下の母ちゃん」のことである。
(笑)
うーむ・・・・・・。
ちょっと梶井基次郎的な混乱の様相を呈してきましたので、ここまでにしておきます。
いずれにしても、この「死」(し)は、私の「4と十字架をめぐる旅」の中の重要なテーマのひとつだと思っています。
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[4と十字架をめぐる旅]に関係する過去記事:
・地球は太陽そのもので、その太陽は4であり、かつ日本語の始まりを示すものかもしれない
2012年03月14日
・十字架がこの世にできた理由
2011年09月13日
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2012年04月10日
今回は、コラムのような雑記ですが、 4月10日と 10月4日というのは、私個人には結構なインパクトを持つ日ですので、メモしておこうかと。
4月10日の何が奇妙かというのは、なかなか厄介な感じの話となるのですが、たとえば、過去記事の、
・十字を描く古代インド数字「4」を巡る旅
2011年09月15日
の頃に「数字の4」ということに興味を持っていたことがあって、古い文字あたりまで遡ったりして見ていると、たとえば、現在使っているヨーロッパのアラビア数字は、アラビアのインド数字に由来されていることを知ります。
そして、その中で、「インド最古の数字」の表記に行き当たります。
それはブラーフミー数字というものなのですが、下のような表記となります。
「4」が、十字であり、また、漢字での10、つまり、「十」となっているということを知ります。また、同じ古代のインド文字体系のカローシュティー文字では、現在の4は「X」と記します。
なので、このあたりを簡単にまとめますと、
・アラビア数字の「4」は
4
・ブラーフミー数字(インド最古の文字)の「4」は
・カローシュティー数字(インドの古い文字)の「4」は
そして、上と「形」が似ているものとして、
・漢字の「10」が
十
・英語のエックスは
X
・ローマ数字の10(テン)は
X
というようなことになり、たとえば、今日の4月10日の「数字の部分だけ」を上の数字と入れ替えると、次のような組み合わせが次々と出てくるのです。
十月十日 (ブラーフミー数字の4と漢字の10)
X月十日 (カローシュティー数字の4と漢字の10)
十月X日 (ブラーフミー数字の4とローマ数字の10)
というような混乱甚だしい表記が可能な日なのです。
まあ、それを言い出すと、他の例でもいろいろとあるのでしょうが、しかし、4と10というのが様々な数字で一種の「特別扱いされている」ということは感じていました。
それは、そのふたつとエックスは数字の中央付近に十字架を内包しているからです。アラビア数字でと漢数字では他にあまりないと思います。
過去記事の「十字架がこの世にできた理由 (2011年09月13日)」という中では、もちろん私個人の単なる考えとしてのものですが、
・十字架はカオスの世界に秩序を導入するための現実的な手段
という推定を書いたことがあります。
それが本当かどうかは別として、そういうふうに考えると、今日4月10日という日は、すなわち、
十月十日 でもあり、
X月十日 でもあり、
十月X日 でもある
という今日は「カオスの是正日」とでも言いたい日であります(笑)。
10月4日もそうですけどね。
そういえば、以前ご紹介させていただいた female日記というブログの記事に、結構すごいことが出ていました。
そのことも少し書いておきたいです。
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2012年03月30日
(※)へプライ語での太陽の綴りを と書きましたが、 の間違いでした。直しておきます。(2012.04.04)
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桜の季節を迎えて、くるってくる私
今日は午前中から久しぶりに具合が悪くて、「もうお酒だな」と、昼前からウイスキーをあおっていて、その後も買い物で外に出てみると、ものすごく暖かくて気持ちいい。
風が強かったんですが、この春の風がまさに、個人的には1年のうちでもほんの少ししかない「自分に最適の気温の風」だったんです。この最適の幅は結構わがままで、「気温と湿度と風力」が一致しないと、ここまで気持ちよくは感じないので、とてもラッキーでした。
「春かあ・・・」
と、ほぼ陶然とした面持ちでボーッとアル中さながらに歩き続けていたんですが、しかし、同時に薄々と思い出すのが、毎年いつも調子が最も悪くなるのが「桜の季節」なんです。
初めてパニック障害になった時も、桜が満開の時でした。
25年くらい前のことです。
当時住んでいた東京の久我山という町に中学校があって、そこに大きな桜の木があったです。
▲ Google のストリートビューで見ると、今もありました。この桜が満開の季節の、特に夜には周囲の灯によって、この木の桜の花だけがボワーッと浮き上がるようになるんです。この桜の木が私が23歳にして初めて「桜ってこんなに美しいのか」と感じさせてくれた桜です。
夜、その下を通ると、桜の花が現実じゃないみたいに夜空に浮かび上がっている。
美しい・・・と思うその一方で、その時に自分は突然、自分を襲った訳のわからない病でどうしていいかわからなくなっている。
桜を眺めて、
「ああ、桜ってこんなにきれいなんだ・・・と知って死ねるのは嬉しいかも」
と思った23歳の春でした。
それまで(十代とか)桜なんてどうでもよかったですから。
まともに見たこともなかったです。
自分の死(自殺)が近いと感じると、世の中にあるいろいろな美しいものに急に目がいくということはあるのかもしれません。まあ、なんだかんだと私は結局今も生きていますが、その後、25年以上経って、
「生きるとか死ぬとかの差は何なのか」
とも思うようになりました。
それでも、あれ以来、「桜」という時期は気にしています。私を狂わせるのも桜。
でも、「この世に美しさが存在すること」を確認させてくれたのも桜。
Fuck であり 超ビューティフルである存在が桜なのだと思います。
というわけで(どんなわけだよ)、今日は調子が今イチの上に、ほぼ一日酔っ払っていましたので、翻訳などはできなかったんですが、最近調べていたことがあって、それは、
・他の言語で「太陽」ってどんな発音なんだろう
ということでした。
どうしてそんなことに興味があるのかというのは一言では説明できないですが、過去記事の、
にありますように、現在の米国での心理学会での調査で、「人間は赤ちゃんの頃から」、
・母音の「ア」と「オ」で大きな対象を見る
・母音の「イ」と「エ」で小さな対象を見る
ことがほぼ確実にわかってきました。
「母」(ハハ)という「ア」で埋め尽くされた日本語、あるいは、海外での「ママ」。あるいは、それを意味する様々な言葉。日本語ならおかーさん、おっかあ・・・。この母音「ア」と「オ」で埋め尽くされたところから、ひとりの人間の人生が始まるという事実。
「女性である母が最初の人間の大きな存在」だということが、少なくとも日本語にはありそうな気がするのです。
なので、「母」ということで思い出す「太陽」について、他の言語でどのように発声しているのだろうかと、以前、いくつかの言葉を調べてみたことがあったのですが、なかなかご紹介する機会がなかったですので、今回アップすることにしました。
発音はそれなりに調べたとはいえ、日本語で正確に発音を表記するのは難しいですので、便宜的なものだとお考え下さると幸いです。
まず、日本人に馴染みの日本語と英語は、
日本語 太陽 (タイヨー)
英語 Sun (サン)
です。
以下は地域別で。
カッコの中が発音です。
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2012年03月14日
今日は最初は、「1987年に発見された超新星と見られる天体がこの20年にわたって謎の変化を遂げている」というものを紹介するつもりでした。
これ自体もかなり興味深いものなのですが、その前に書いた前振りがものすごく長くなりまして、「超新星が宇宙に描き続ける奇妙なリング」は次の記事で本日中にアップします。
しかし、その様子はとにかく興味深いですので、記事の前ですが、超新星の様子を貼っておきます。 1994年から 2009年までの NASA のチャンドラー観測衛星の写真を連続で貼った動画にしてみました。1987A と名前がつけられている超新星のようです。
超新星 1987A の1994年から2009年までの変化(静止画の組み合わせ)
オリジナルの記事(英語)は、Astronomical Mystery: Tremendous Explosion And Appearance Of Odd Rings (天体の謎: 巨大な爆発と奇妙な形のリング)にあります。
巨大な天体(超新星爆発を見せるものは一般的には超巨大です)で、これだけの大規模な変化が 20年程度で起きていることも驚きですが、その「形」がすごい。最後はリングの中にウルトラマンの顔みたいなのが浮き出ている感じ。
今回は別のことを書きます。
ここからです。
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2012年03月13日
3月11日の夜中からなんだかとても調子が悪くなって、昨日はブログの更新をお休みしたんですが、今日もニュースを読むほど視力(視力というか視界がバラつく)が回復していないので、翻訳記事はご紹介できないです。
ただ、2、3、興味深いことがありましたので、メモとして記しておきたいと思います。
(私は文字を打つ時はあんまり何にも見ないんです←だから誤字が多くて)
11日の夜はいったん眠ったのですが、「眠っている間」から調子が悪く、夢の中でも倒れそうになっていて、目覚めると、1月に倒れた時のような感じで視界が流れて、物をちゃんと見られなかったり、体もフラついたりし始めたんですが、この症状の大部分がパニック障害によるものだとわかっているので、いろいろとなんとかやり過ごしておりました。
パニック障害の「体感の出方」というのは人によっていろいろですので、なんともいえないですが、神経的な病気ということで、「曖昧な症状の病気」と感じる方もあるかと思いますが、そうでもないです。漠然とした不調から始まっても、あっという間に、「立てない、見えない、聞こえない」というところにまで発展することも珍しくはないです。
視界がグニャグニャと曲がったりは結構ある症状かも(ムンクの『叫び』みたいな光景が実際に見える)。それで死ぬわけではないことは本人もわかっているのに、「どうにもならない」というのがつらいところなんですけどね。
簡単にいうと、「不安の輪廻」というのが病気の根幹で、その中で「不安が急速に肥大していく」という感じのものです。ちゃんとした統計はないと思いますが、感覚的には、日本でも数百万人は潜在的なその気質を持っている人がいると思われます。
まあ、それはともかく、そんなわけで、昨日はじっとしていました。
夜空で見た「並ぶ星」の意味
昨日は夕方頃に復活して、夜、買い物に近所まで赴いた帰り道、西の空に結構明るい星がほぼ平行に隣り合って並んで光っていました。かなり明るかったので、立ち止まって見ていました。
「あれはどの星なんだろうなあ」
と、相変わらず星の知識にとぼしい私はしばらく眺めて、「ま、いいや」と帰ったのですが、今朝のスペースウェザーを見ると、金星と木星だったようです。
スペースウェザーには下みたいなきれいな写真も掲載されていました。
そして、その時、「金星と木星が並んでいる光景というのは何かで見たなあ」・・・と思い起こしていましたら、それはエメラルド・タブレットに描かれていたものでした。
下は薔薇十字の秘密を表すメラルド・タブレットのマークです。
ちょっとこちらで彩色し直して明るい仕立てにしましたが、基本の色とデザインはそのままです。
この図の上の右のほうに上下でならんでいるマークが金星と木星です。
ちなみに、上には太陽と月があり、左側にあるのは、火星と土星。
先日の「神に怒りはないこと知る日々の中で」という記事に載せましたそれらの関係は、「薔薇十字の秘密のシンボル」という中世の本の中では下のようになっています。
ここでも、木星と金星は並んでおり、それを表す数字は「金星 5」、「木星 6」となっていました。
上の図で気づいたのは、世界そのものや、あるいは「存在そのもの」といってもいいような「7」があてられているのは「月」なのですね。中心である太陽が「4」。
この「月」と「太陽」のふたつの関係は過去記事の「[地球の内なる太陽] Vol.3 - ヘルメスのエメラルド版(エメラルド・タブレット)」によれば、
2つの手の上に、7つの惑星が描かれている。
そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。
太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステムだ。
とあります。
「方丈記」での世捨て人に憧れる年頃となって
ちょっと前の記事に書いたんですが、「方丈記」を読む羽目になったんですね。
夢とかで言われて。
でも、古語とか古文なんてまったく読めないので、最初の、「ゆく河の流れは絶えずして・・・」くらいで終わりにしておこうと思ったんですが、今の時代は素晴らしいもので、様々な方がネット上に現代語訳にしてアップしてくださっているのでした。
どの訳も味わい深いですが、今回は「古典に親しむ 方丈記」というものを読ませていただきました。
結論でいうと、「方丈記」はいいものだと思いました。
最初の下りは上のサイトの方の訳ではこのような感じでした。
ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。
これは、何となく言い換えれば、エメラルド・タブレットの内容とそんなに違わない「世の道理」というものを伝えているような感じを抱かせてくれます。
エメラルド・タブレットのニュートンの訳(1680年)の中には、こんな下りがあります。
唯一なるものの奇跡の実現にあたっては、下なるは上なるのごとし、上なるは下なるのごとし。
そして、万物は一者の適合により一者より来る。
あと、あまり関係ないですが、むかし住んでいたニシオギの飲み屋のアル中のオヤジは下のようなことを言っていたことがありました。
「まあね。なんでもね。巡りめぐってくるものだからね。エラいとかエラくないとかね、関係ないんだよ。結局はね、同じなんだよ」(本当に関係ないな)
まあ、ニシオギのオヤジはともかく、この「無常」、つまり、「常に同じ状態のものはない」という概念は、なんとなくとらえどころがないながらも、エメラルド・タブレットでは「それはたったひとつのものから来る」と言っています。
では、そのエメラルド・タブレットの語るところの、
> 万物は一者の適合により一者より来る。
の「一者」とは何なのか。
聖書では、この世の始まりを「ことば」としていますが、では、「ことばが一者」なのか。それとも、「小林が一茶」なのか(わかりにくいダジャレはやめろ)。
しかし、エメラルド・タブレットにはそれを感じない。ただ、「薔薇十字のシンボルの秘密」のほうには繰り返し、「ことば」という意味のラテン語が出てきます。とはいえ、そこでは「言葉が一者」という感じはないのです。
(「薔薇十字のシンボルの秘密」では根幹を「カオス」に置いていると感じます)
ところがですね、「方丈記」の冒頭を読んで、私はふとその対処を知るわけです。
それは「知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」という一節で、私には、意味はおろか、読むこともできないのですが、この現代語訳を様々なサイトから構築いたしますと、このようなものです。
生まれた人はいったいどこから来て、
死ぬ人はいったいどこへ去っていくのだろう。
そんなことは私にはわからない。
これでいいんじゃん、と刮目しましたね。
「私にはわからない」
と堂々と言うだけでいいのだと。
そんなわけで、方丈記を読んでちょっと楽しくなった私でした。
ちなみに、方丈記自体には火災、飢饉、地震などの話が数多く載っており、内容的にはわりと厳しいものです。
方丈記に出ている地震は、1185年に発生した「文治京都地震」(元暦の大地震)というもので、推定マグニチュード 7.4とされている地震ですが、京都の街がほぼ完全に壊滅した様子が描かれています。
古典に親しむより元暦の大地震の現代語訳。
そのさまは尋常ではなかった。山は崩れ、その土が河をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。
とりとめもなく書いてしまいましたが、明日からまた翻訳も再開させていただきます。
いろいろとご紹介したい報道はあるのです。
ところで、「方丈記」を読んだ時に、ついでに「徒然草」の現代語訳もちょっと読んでみたのですね。すると、「徒然草」のラストはおもしろい会話で終わっていることを初めて知りました。「新訳 もの狂おしくない『徒然草』」というサイトに全訳があるのですが、最後のセクションである「第243段 八つになりし年」は、『徒然草』の作者の子どもの時の思い出話で、
> 八才の時にわたしは父に「仏とはどんなものでございますか」と尋ねた。
から始まります。
そこから、「会話だけ」を取り出しました。
子 「仏とはどんなものでございますか」
父 「仏は人が悟りを開いてなるものだ」
子 「人はどのようにして悟りを開いて仏になるのでございますか」
父 「仏に教えを受けて仏になるのだ」
子 「それを教えた仏はだれが教えたのでございますか」
父 「それもまた、その先輩の仏の教えを受けて仏になったのさ」
子 「ではそもそも最初に教えた第一番目の仏はどんな仏でございますか」
ここまで会話がきたところで、吉田兼好のお父さんは、
「それは空から降ってきたか、地面からわいてきたのだろうな」
といって笑ったのだそうです。
テキトーな会話にこそ真実は結構含まれているものだと感じます。
それにしても、先日、昔からの知り合いと飲んでいた時にも言っていたのですが、「結局、オレは世捨て人を目指す方向で生きてきたのかなあ」という希望はないでもないです。上の『方丈記』の作者は読む限りは世捨て人だったようです。
私には子どもがいますので、その子どもの将来や方向性がつくころまで私は世は捨てられないでしょうけれど、その後は、「世捨て人」というような生き方を目指したいように思います。
まだ先でしょうけれど、できれば、数年内に。
[1年前の In Deep ]
(注)この昨年の3月12日から「震災後日記」が続きます。
2011年03月12日の記事
・東京の状況
・こどもたち
2011年03月13日の記事
・決意の涙: 東京 DAY3
タグ:ヘルメスのエメラルド板
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2012年03月09日
前記事:
エメラルド・タブレット 完全版(1)
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上の記事でエメラルド・タブレットを訳すと書いていたのですが、なかなか始まりません。まあ、私は神秘学の前提知識がないこともあり、かなり基本的なことも調べないといけないのですが、途中でどんどん横道にそれていくということが多いです。
過去記事の「[地球の内なる太陽] Vol.1 - その意味」の中に出てくる米国ウィスコンシン大学が所蔵する 1785年に発行された Geheime Figuren der Rosenkreuzer (薔薇十字の秘密のシンボル)というラテン語の古書があり、それの絵を見ていました。
そして、「どうも何だか物足りない」と思っていろいろと探してみると、ウィスコンシン大学がネットで公開しているのは、どうやら「薔薇十字団の秘密のシンボル」の内容の一部だったようで、今日、完全版を入手しました。
そこには下のような図なんかもあり、かなり興味深いものです。
これがあるのは、ドイツ語のサイトですが、「Die geheimen Figuren der Rosenkreuzer (薔薇十字の秘密のシンボル)」というページの一番下の Weblink というところからダウンロードできます。
PDF 書類で 50MB あります。
全部で約 100ページほどのものです。
この古書はラテン語なので正確に読むのは無理ですし、あと、私は「どんな文字でも筆記体みたいな西洋文字」のが読めないのですよ。
なので、図を眺めるのとゴシック文字で推察する程度なんですが、今回、この古書をここで取り上げたことには意味があります。
それはこの「薔薇十字の秘密」の最初の図説ページが「4」のマークで始まっていたからです。
錬金術の最初の図説に出てくる「4」
この「薔薇十字の秘密のシンボル」は 1785年から 1788年にかけて配布されたもので、後に、ルドルフ・シュタイナーが「封印されてきた薔薇十字の秘密のシンボルを解き明かすものだ」と述べたと上のサイトにはあります。
さて、この古書。
最初の図説が出てくるのは6ページ目なのですが、それがこれです。
ELOHIM (エロヒム)
IEHOVAH (エホバ)
の文字で始まるこのページ、4のマークが4つの円を作っていて、そして、その「4同士が手を結んでいる」。私はこれを見て「4同士が手を・・・」と思わず絶句しました。そして、「4という数字」としての意味よりも「その形」としてのシンボルであるということがさらに興味を引いたのです。
何のことだかわからない方が多いかと思われるのですが、私は昨年、日記ブログの「クレアなひととき」で、かなり長い間に渡って、「数字の4」のことについて考えていました。最初に「この世の基本数は4に違いない」という結論があって、それはどうしてかということを考える旅だったのですが、途中でわからなくなり止まったままです。
「この世の基本数は4かもしれない」というのは、昨年の秋に交差点の信号でボーッと風景を見つめていた時に突如思い至ったのですが、まあ、そのあたりのことは長くなりますので、関係リンクを記させていただくにとどめておきます。
今回の「薔薇十字の秘密のシンボル」は、その中にエメラルド・タブレットのことが書かれてあるものですが、その書の最初に「4」があるということにとても興味が湧きました。それで、上の図説の部分でわかる部分だけを日本語にして作り直してみようと思いました。
ラテン語ということもあり、「いい加減である」ということをご承知の上でご覧いただきたいです。
それが下のものです。
最初に
エロヒム
エホバ
とあり、これは旧約聖書などでの、いわゆる「主」とか「神」とか、そういうものを表しているものの表記のように思いますが、ここでどういう意味で使われているのかはわかりません。
そして、円の中は、
天空の要素
父と母
小宇宙
動物
大地と野菜
鉱山と鉱物
硫黄、水銀、塩
などとあって、これは「天空」と書きましたが、要するに「宇宙の要素」ということだと思います。曖昧な部分もありますが、わりと意味のはっきりとした記述のように感じます。
そして、それを囲む4つ。
これの組み合わせはよくわかりません。
ただ、右側の
カオス
普遍的な聖霊
世界中の魂
精子
は、「カオスと聖霊と魂と精子が同列」として書かれてあるということで興味深いです。
精子の動きがカオスであることは以前から感じていました。下のは顕微鏡で見た人間の精子ですが、これと「魂や聖霊」を同じグループにみなしているということも言えるのかもしれません。
このカオスな精子たちの動きに「秩序が生まれる」のはどうしてかということを考えると、何となく感慨深いものがあります。太陽と卵子の形が似ている道理も少しわかります。
▲ 月の夢と白血球の役割 (クレアなひととき 2011年09月05日)より。
いずれにしても、この「4の図」が最初にあったということは、少なくとも薔薇十字での考え方としては、「この4つによる世界が根本」というものがあるのかもしれません。
薔薇十字といえば、以前、クレアでいつもとてもわかりやすく西洋神秘学についてのコメントを下さっていた方がいて、彼は薔薇十字とシュタイナーの研究を続けている人ですが、最近、久しぶりにメールをいただきまして、そこにはこのようにありました。
それによると、薔薇十字的な解釈では、現代の秘儀には三つの段階があるのだそうです。
それは、
1. 聖杯
2. エメラルドタブレット
3. 賢者の石
と呼ばれているもので、
それぞれが、
1. アストラル体の変容
2. エーテル体の変容
3. 物質体の変容
を意味するのだそう。
さらに、彼は下のように記してくれていました。
このあたりは私には解説が無理ですので、そのまま転載させていただきます。
宇宙の思考を受け入れる杯としてアストラル体を新たな認識器官にする必要があります。またそれを自分のエーテル体(記憶)に書き込む必要があります。
そして最後に二酸化炭素を排除して自らの体をダイヤモンドにする必要があります。
いずれも鍵は、呼吸&血、です。
心臓はそのための脳に代わる新しい器官です。
とありました。
今回は、「4」という数字にふたたび衝撃を受けたということで記事にしましたが、エメラルドタブレットの実際の翻訳にはもう少し時間がかかるかもしれません。
タグ:薔薇十字の秘密
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2012年02月03日
本日書きました「米国メディアで相次ぐ「近く地球は小氷河期入りする」という記事」の追記というか、余談となります。そして、余談ではありますが、「形」マニアにはなかなか興味深いことかも。
上の記事で、「1月31日の Yahoo! の天気予報でのエラー表示」のことにふれたんですね。
下のこれです。
これを見た時に、「 999 か・・・。これが 666 なら何だかスゴそうだったのに」などという不埒なことを考えていたのですが、ふと、「これ、逆さにすれば 666 じゃん」と思い、逆さにしてみたんです。
それを見まして、「ああ、これは」と思ったので、そのことを書いておきます。
逆さにすると、この関東の地図はこうなるんです。
瞬間的に、「ああ、能面の般若だ、これ」と思いました。
その時に、「考えてみれば、なんでオレたちは、必ず北が上で南が下という図式だけで地形を覚えているんだ」ということにも思いはいたりました。つまり、私たちは地球を頭に思い浮かべる時に下のようには頭の中で地球の姿を思い浮かべないと思います。
これは地図を書くルールの問題を言っているのではなく、「私たちの頭の中のイメージの問題」を言っているのですが、少なくとも、私は今になるまで、「正位置以外での地球や日本の姿を想像したことがなかった」ということに気づきます。
しかし、このことは長くなるので今回はこれ以上ふれません。
そもそも、私は十代の頃、タロットが好きで、タロットの大基本である「正位置」と「逆位置」という概念を知っていて、さらには、最近は「存在の掟であるペア」という概念、つまり「陰と陽」にとてもこだわっていたのに、「地球の逆位置」を想定していなかったことに反省しました。
ともあれ、この「般若の顔の地図」では、富士山は、下の矢印の先あたりになると思うんですが、
「逆位置の地図」では、富士山は「般若の脳の部分」あたりのようです。
そこが「 666 」に囲まれていると。
だからどうしたという話ではないですが、ふと気づいたことでした。
般若とは
ちなみに、「般若」というと、私のような一般人は、上のような能面の般若しか思い浮かばないように思うのですが、「般若」という意味自体は違うようです。それも、今回調べて初めて知りました。
ただ、 Wikipedia などを読んでも、まったく私には理解できずに、とても難しい概念のようです。その最初の部分だけを抜粋しておきます。
般若(サンスクリット語: プラジュニャー、パーリ語:パンニャー)は、一般には智慧といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、諸法の実相である空と相応する智慧として強調されてきた。
その後に書かれてあることはまったくわからなく、やはり仏教用語は難しいなあと思います。
ところで、上に「サンスクリット語: プラジュニャー」とあり、このプラジュニャーという言葉で検索すると、プラジュニャー パーラミター フリダヤ スートラというブログ記事に突き当たり、そこに「管理人の解釈」として、このようにありました。抜粋です。
すべての現象には実体がないのだから、
生じることも滅することもない。
汚いとか綺麗ということもない。
増えたり減ったりすることもない。
物体もなく、精神や感覚もない、
目に映る世界もなければ、意識に映る世界もない。
悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。
老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。
苦しみの原因もなければ、苦しみを解決する方法もない。
悟れないし、悟りもない。
要するにな〜〜んにも、元々何も無いんだよ。
生じることも滅することもない。
汚いとか綺麗ということもない。
増えたり減ったりすることもない。
物体もなく、精神や感覚もない、
目に映る世界もなければ、意識に映る世界もない。
悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。
老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。
苦しみの原因もなければ、苦しみを解決する方法もない。
悟れないし、悟りもない。
要するにな〜〜んにも、元々何も無いんだよ。
これを読んで、「あー、オレの世界観と似てんなあ」と、つくづく思いました。
この「要するにな〜〜んにも、元々何もないんだよ」というのが、今の私の宇宙観ですが、「般若」ってそういうことなの?
うーん・・・わかんない。
まあ、いずれにしても、 Yahoo! の表示エラーから意外なことを知ることができたのでありました。
それと、「般若」というのは私にとって特別な響きがあることは確かなんですよ。
たまに書かせてもらうこともある作家の埴谷雄高さんなんですけど、この「埴谷雄高」というのはペンネームなんです。彼の本名は「般若 豊」なんです。はんにゃ・ゆたか。
すげー名前でしょう。
▲ 東京・吉祥寺にあった生前の埴谷さんの自宅の表札。ペンネーム「埴谷雄高」と、本名「般若 豊」が並んでいました。
その「般若」さんは生前に出演した NHK のインタビュー番組でこのように語っています。
文学の力はですね、結局は「お前は何か」ということを教えることですよ。「あなたとは、どういうことか」ということを分かったら、あなたは殺さない。
それを分かるということはですね、うんといろいろなことが分からないと分からないですよ。生きているアリを一匹つぶすということはどういうことかが分からないと、つぶしたときの感じも分からない。
イエスはね、魚を食べて、食べなきゃ生きられないということで食べた。
生きるってそういうことか? そんなことないわけですよ。生きる意味はあるかっていって問い詰められたら、生きる意味はないですよ、イエスは。
「おまえはどうして十字架にかかって死んだんだ」というのは、「おまえ、魚を食べないで死ねばいいじゃないか」と言われたのと同じことなんですよ。
それをイエスは答えなきゃならない。
こんなこと言ってるわけです。
「あなたとは、どういうことか」と。
この埴谷さんの本名が「般若」さんなんで、まあ、個人的に印象深いと。
下のがその言葉が入っているあたりだと思います。
いずれにしても、下のようなキーワードが一気に出てきた今日でした。
・富士山
・666
・般若
というわけで、余談、失礼いたしました。
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・聖書外典「ヨハネ行伝」・マタイによる福音書24章・ガンマ線バーストの解説
2011年01月23日
・決意の涙: 東京 DAY3
2011年03月13日 ※これは3月11日の震災の二日後の日記です。
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[1年前の In Deep ]
2011年02月03日の記事
・米国の雪による「建物崩壊カオス」が示す今後の私たちの生活
タグ:富士山
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