2015年08月07日



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自立した人生(3): 無視され続けたガンの自然退縮に見る「病気を治せるのは自分だけ」という真実と「言葉の重要性」




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ルドルフ・シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』
「神秘学の訓練のための条件」より


第1の条件は、「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」というものです。

確かに私たちは、はじめのうちは、みずからの健康状態を自分で決定することはできないかもしれません。しかし誰でも体と霊の健康を促進するように努めることは可能です。

健全な認識は健全な人間のなかからのみ、生じます。健康でないからという理由で、ある人が神秘学の訓練から排除されることはありません。しかし神秘学の訓練では、学徒は、少なくとも健全に生活する意志をもつように求められるのです。

私たちは、自分自身の体と霊の健康を促進するという点において、可能な限り自立しなくてはなりません。



上のシュタイナーの言葉の中に、

> みずからの健康状態を自分で決定する

とあります。

先日の、

ガンから復帰した坂本龍一さんを始めとする賢人たちが表明する「ガンへの感謝」を見て、何でもかんでも感謝してみる試みを実践しようかと
 2015年08月04日

という記事で、川竹文夫さんという方が書かれた『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という、ガンの自然退縮について調べられた本があることをご紹介したのですが、その時はまだ読んでいませんでした。

その後、古本で見つけまして、パラパラと読んでいましたら、この本は大変に素晴らしい内容であると共に、先ほどの「みずからの健康状態を自分で決定する」ということが、たとえば日々の具体的な生活の中でどういうことかも知ることができます。

その一方で、「日本のガン治療シーンを覆い尽くす暗いシステム」のことにも気づかざるを得ません。




無視され続ける「ガンの自然退縮」例

どういうことかといいますと、まず、この『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という著作の第一版は 1995年に出版されていた、つまり今から 20年前です。

さらに、この川竹文夫さんという方の著者経歴を抜粋しますと、


1946年、徳島県生まれ。NHK 文化番組部を経て、現職。1990年、腎臓ガンを発病。その体験をきっかけに、ガンの自然退縮や生還者の取材を始める。

1993年、NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』を制作。

自らの心の力によって絶望から生還し、真の健康と新しい人生を築いたガン患者たちの喜びに満ちた証言は、多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。



となっています。

「現職」というのは、現在やってらっしゃるガン治療に関しての NPO の代表の職のことですが、

> 多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。

という番組は、今は多分見ることはできません。

この NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』は、1993年に放映されたものらしいですので、一応、NHK アーカイブで検索してみましたが、まあ、ないです。

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NHK アーカイブ

「存在しないもの」とされているようです。

先ほど書きました「暗いシステム」というのは以下の現実と関係するようなことです・・・。


・この著者は NHK の番組制作職員だった
・番組は「ガンの自然退縮の事実を描いた」番組だった
・そして、実際に、その NHK で作られた「ガンの自然退縮」の番組はガン患者たちの希望となっていた
・NHK の番組は苦しんでいる人たちに「何らかの啓蒙」を促す役割があってほしい・・・
・けれど、この番組から「20年」経ち、この世のガン治療は、さらに三大療法が主流となり、そして、その結果の下のようなガンの死者数。


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厚生労働省 人口動態統計


ということになっているのです。

「メディア」とは一体何か、と、ふと思います。

いや別に、この番組自体が取り上げられることはなくとも、他の番組でもいいのですが、「現実にガンの自然退縮」の人たちは数多くいるのに、なぜ、それをメジャーメディアは封殺するような態度で臨んでいるのか

そして、いまだに一般人も著名人も含めて、三大療法で次々とガンで亡くなっている人が増えていることは事実なのに、少しも顧みられないのはなぜなのか。

「何だか、ガンの自然退縮の話題ってまるで《放送タブー》みたいなもんじゃないか」

と思います。

しかし、現実としては、ガンの自然退縮は、その 20年以上前から、なんら特別なことではなかったことが当時のアメリカの心理学者の研究でわかります。

これも、『幸せはガンがくれた』の中にある記述です。


川竹文夫『幸せはガンがくれた』より

自然退縮の400人

アメリカの著名な心理学者エルマー・グリーンは、ほかの二人の学者が医学文献の中から集めた4百例の自然退縮を分析、その生還に共通する要素を探り当てようとした。

結果はどうであったか……。

「全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。ある人は、人参ジュースが、ガンを殺すと思い続けていましたし、ある人は、グレープフルーツジュースが、また別な人は、高山での生活が、ガンを殺してくれると信じていたんです」

「4千個のパンが、ガンを殺すと信じた人もいます。もちろん、4千個のパンに、ガンを殺す力はありませんがね。しかし、もしあなたが、心からそう信じることができるなら、きっと、そうなるに違いありません。パンでガンを殺すことができるのです」

「深く信じる心は、脳の中の視床下部を通じて免疫機能を左右し、高めます。病気に対する態度を変え、心を変え、感情を変えるなら、身体の免疫システムは、必ずそれに反応するのです」

「いいですか……。4百人が、それぞれに試みた方法は、実に様々でした。結局、一番大切なことは、どんな方法を試みるかということよりも、何かをどこまで信じられるかということなんです。信仰で治ることがあるのも、そのためなのです」

ガンはまさに、心の病。心で治すものだと言うのである。



それぞれの方法についてはともかく、当時、アメリカには、400例などの自然退縮のデータベースが存在していたことがわかります。

しかし、これらの例は、アメリカ医学界でどのように扱われていたかというと、アメリカの医学博士ケリー・ターナーさんの『がんが自然に治る生き方』を紹介しているプレジデントの記事の冒頭に以下のようにあります。

「寛解」は、この場合、「自然退縮」と同義でも構わないと思います。


「治った」人の1000件以上の医学論文

寛解症例の研究に着手してまず驚いたのは、1000件超の医学論文において、2種類の人々がほぼ黙殺されていたことでした。

一つは、劇的に寛解した患者本人の一群です。大多数の論文では、患者自身が劇的な寛解の原因をどう考えているかについて一切言及していませんでした。(略)

医学論文で黙殺されていたもう一群は、代替療法の治療者たちです。

がんからの劇的な寛解は、当然のことながらほとんどの場合、現代医療では打つ手がなくなった患者に起きています。

それなのに、西洋医学外の治療者や代替療法の治療者たちががん治療にどう取り組んできたのかを誰も調べてきませんでした。この事実にわたしは驚きました。



ということで、つまり、おそらく数千などにのぼると思われる「自然退縮の例」は、

「なかったこと」

にされたまま今に至ります。

今の日本の医学界もそうだと思います。

そして、日本で 20年以上も前に、NHK で(3回連続)放映された後、果たして新聞でもテレビでも、メジャーメディアが本気でそのことに取り組んできたことがあったでしょうか。

もう少し、すべてにおいて、何というか「良心」のメカニズムが働いていれば、何かがすこしはちがったような気はするのです。


しかし、一方で、これからの地球を生きる私たちはそんな過去のことにとらわれていては仕方ないです。


これまでの 20年が同じだったのなら「今後も同じ」と考えて、つまり、

「自分から積極的に智惠を掴み取らないと、流される」

というようなことになるのかもしれません。
少なくとも、ガンや病気に関しては。


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積極的心理状態の壮絶な効果

冒頭のシュタイナーの言葉には、

> 可能な限り自立しなくてはなりません。

と、「自立」とありますが、その後に「しなければなりません」とあるように、こういうこともボーッと、ぼんやりしていては流されます。

先日の記事で、「自分戦争」などという言葉を使いましたが、私だけではなく、誰でも必要なことだと思います。

自分の中にある「無知をよしとする要素」とは戦わなければならないと思います。

「戦う」というのは、積極性の極地でもあります。

たとえば、1985年に医学誌『ランセット』に、ロンドン王立大学病院のふたりの医師によって発表された論文に以下のグラフがあります。

ガン告知を受けた乳ガン患者の、その際の「それぞれの心理的反応」と、その後の 13年間の生存率を示したものです。

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・『幸せはガンがくれた』


この研究では、ガン患者の心理的反応を下の4つのグループにわけています。



1. 告知後、ガンと徹底的に闘う気持ちを持ち続けた人たちのグループ
2. 事実がどうであれ、あくまで自分はガンではないと思い込んでいる人たち
3. 自分がガンになったという事実を仕方なく受け入れているが、なんら積極的な態度をとらない人たち
4. ガンになったという事実に対して、無力感に陥り、絶望してしまった人たち




わりと明らかな生存率のちがいが出ていることがわかりますが、しかし、ここで考えたいのは、「闘う」という、日本語的な意味のニュアンスのほうではなく、さきほどのアメリカの心理学者の研究での結論である、

> 全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。

という言葉や、あと、ケリー・ターナー博士は、

> 治療法は自分で決める

とあったように、「闘う」というより、「病気に積極的に関わる」ということが大事なのだと思います。

医者の言いなりとか、そういうような「受身」にならない。

あるいは「考えない」というのも良くないと思います。

それが、放射線治療であれ、人参ジュースであれ、サプリメントであれ、音楽療法であれ、4千個のパンでガンを殺すとかいう、どうにもよくわからない治療法にしろ、治っている人たちは「治ることを確信している」ということです。

ところが、今の医療では、患者は医者から、「〇〇治療を受けないと、大変なことになりますよ」と脅され、自然と患者は、

> 無力感に陥り、絶望してしまう

ということになっている場合が多いのではないでしょうか。
この時点で、生存率がグッと下がるのは、先ほどのグラフにある通りです。

そして、そういうように意志が弱くなっている中で、

治療法を医者に丸投げしてしまう

ということで漫然と抗ガン剤を飲まされ、漫然と放射線治療を受ける。

これでは治らないと思います。

とにかく、ガンに限りませんが、「1にも2にも希望・肯定的・積極的」ということがどれだけ大事かということについて、先ほどの『幸せはガンがくれた』から、ひとつエピソードをご紹介したいと思います。

この話は、「ことば」の重要性を示しています。




台湾の荘博士の奇跡的な言葉

取材時に 78歳だった坂本やす子さんという方は、その 40年前の三十代の時にガンと宣告されたのですが、その後、ガンが自然退縮して 40年が経っています。

この坂本さんという方はいろいろと苦労した方のようで、病院では手術を勧められたのですが、経済的に手術や病院の治療は無理で、もうほとんど諦めて、毎日、自暴自棄になって生きていたのだそう。

ある日、荘淑キ(実際は漢字です)という、台湾で有名な若き女性医学者が東京で健康診断を行うことを新聞で知ります。しかし、坂本さんにはお金はなく、「とにかく頼むしかない」と荘博士のところに行くと、診察してもらえたのだそうです。

坂本さんご本人による、その時の感想です。


『幸せはガンがくれた』より

「『治りますよ』って言うんですよ。きれいな女の先生が、私の目の前で『治りますよ』って言うでしょ。もう、その時の言葉のありがたいことと言ったら、もうそこで救われた感じがしたわね、私は」

「『先生、私の病気治りますか』って、聞いたら、『治りますよ』ってね、また優しく言うんだね。それで、じき先生はアメリカに行かなければならないっておっしゃったの。それで、『先生がアメリカに行く前に、私の病気治りますかしら』と言ったら、また『治りますよ』って、優しい顔で微笑んでくださって、もう本当に嬉しくて……」

「あの荘先生の優しい眼差しというものは、病めるもの、心の病めるものには、ほんっとうっに、救いだったね。救いそのものだった」

「優しい言葉でもって『治りますよ』って言われた時には、ここでしか自分は救われないという気持ちだったね」

「あの一言で治ったんだね。あの一言で、もう、治るーって思っちゃったのね。先生の言うことさえ聞いていりゃ絶対治るーって、信じた」



それで本当にガンは治っちゃったそうです。

何だか妙に私はこのくだりに感動してしまいました。

この坂本さんの場合は、「治療法への確信ではなく」、荘博士の「言葉」とご本人への絶対的な信頼感、そして何よりも「治りますよ」というストレートに肯定的な言葉も良かったのだと思います。

この点において、坂本さんに「治ると確信させた」ようです。

著作の中では、その荘博士にもインタビューしていますが、なんと、荘博士、40年前の日本での出来事も、坂本さんの名前もおぼえていました。


荘博士の言葉

「ガンは別に恐いものではないのです。自分で作ったものなのですから、自分で治せます。そうでしょ。それが、自然治癒力というものですね。ですから、ガンを作りたくないと決心すれば治ります」

「坂本さんには、そういうことを話したと思います。ただね、その頃は私、日本語があまりできませんでしたので、細かいことを言うよりも ”治りますよ” と言ってました」



ちなみに、これらのこと(荘先生が言葉で坂本さんを治した)のは今から 60年くらい前の話ですよ。

なんだか、すべてが良いほうに転がっている。「日本語があまりできない」というのも、この場合、良い方に転んでしまっています。

「この荘さんってのは、ただ者ではないのでは」

と思い、調べますと、台湾では大変に有名な方のようで、検索しますと、数多くヒットします。

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無齢的養生智惠


「ご健在なんだろうか」

と、台湾の Wikipedia を見ますと、今年 2015年2月4日に、96歳で亡くなられたようです。

そして、私は Wikipedia での、彼女の「最期」にショックを受けたのでした。


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2015年2月4日、荘淑キは、台湾の桃園市 龍潭区で昼食を食べた後、椅子に座って休憩していた時に、突然、息が止まり、安らかに死去した。享年 96歳。


どうやら、荘さんは普通に暮らしている中で「スッと消えるように亡くなった」ようなんです。

なんという理想的な最期・・・。

「これぞ健康に生きて健康に死ぬという、人類の手本みたいな生き方だ」

と、やや感嘆していましたが、この方は、日本との関わりも強い方のようで、下のような女性自身の記事がありました。見出しの「女医」というのが、荘さんです。


美智子さま “交流33年” 女医が明かす「極秘相談」
女性自身 2011.12.27

「美智子さまの女官から母にお手紙をいただいたのは、震災の直後でした。手紙には美智子さまのご体調のことが綴られていたのです。膝のお痛みや、手のしびれなどを切々と訴えられていたそうで……」

そう語るのは、荘安子さん。 美智子さまと長年の交流がある台湾の女性医師・荘淑キ(そう しゅくき)さんのお嬢さんだ。震災直後の3月、荘淑キさんのもとに、美智子さまの体調改善のアドバイスを求める手紙が送られてきたという。

美智子さまと荘淑キさんの交流は33年前にさかのぼる。’78年、皇太子妃だった美智子さまが、荘さんを東宮御所に呼ばれたのだ。

当時、健康を損なわれ、体重が激減していた美智子さまは、荘さんの著書も読まれ、彼女に助言を求められた。

さらに‘93年に美智子さまが失声症になられたときにも御所から連絡があり、荘さんはすぐに駆けつけ、ストレス軽減の方法を提案している。



というように、美智子さまの健康をも長く受け持たれていたそう。

うーん・・・いろんな人がいますねえ。

私自身は、そういう医学者等に出会ったことはないですが、ガンの自然退縮を経験した人、あるいは荘さんのような優れた人など「そういう人が現実にいた」というだけで、何と生きることに希望が出ることか。

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2015年08月06日



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若者たちと対話するハイデマリーさん(緑の服の女性)
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Living without Money



主要国ではおそらく「ほぼ、たったひとり」の生き方をするドイツ人女性

何となく今日は調子が普通とはちがうなと思っていましたら、どうやら風邪らしきものを引いたようで、風邪ならお風呂と 40度くらいのお風呂に何度か入ったり、あと、首の後ろをカイロで温めたりして過ごしています。

暑い日の日中の風呂上がりはなかなか気持ちいいです。

なんだかんだと、1週間だか続いている猛暑日も、日中は冷房なしで乗り切り、さらにほぼ毎日1時間歩いていましたが、やっぱり体もどこか疲れていたのかもしれないですね。

そんなわけで、今日はそんなにいろいろと書けないかもしれないのですけれど、ある日本語記事を読みまして、私はこの人のことを知らなかっただけに、とても驚きまして、ぜひご紹介したいと思いました。

それは、「お金をまったく持たずに20年生活してきた」女性の話です。

この話のものすごいところは、

農村部での自給自足とかの方向ではなく、通常の都市生活をお金なしでおこなっている

ということです。

私を含め、多くの人びとが、「そんなことは不可能だ」と思ってしまうことを体現しているのです。

これこそが「人間存在の強さの勝利」であり、「人間には不可能という概念はない」ということを示す最高のひとつの現実の例だと思います。

先にその記事を載せておきたいと思います。

少し長い記事ですが、省略する部分があまりありませんでしたので、ほぼ全体の抜粋となります。

ここからです。



金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性
大紀元 2015.07.30

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・ハイデマリーさん


現代の都市社会において、お金も財産も持たずに普通に生活している人がいる。

こう言われても、すぐには信じ難いと思う人が大多数だろう。

少ない収入をやりくりして必死に生活している人からすれば、金銭がなければ一日だって生きられないと考えるのが普通だからだ。

しかし、お金を一切持たずに20年近く都市で生活してきた人がいる。今年74歳になる、ハイデマリー・シュヴェルマー(Heidimarie Schwermer)さんというドイツ人の女性だ。


幼少期の辛い経験

1942年、ハイデマリーさんは東プロイセンでコーヒー工場を経営する裕福な家庭の三番目の子供として生まれた。

二人の兄とともに家政婦の世話を受け、2歳まで何不自由ない暮らしをしていたが、第二次世界大戦の戦火は彼女の郷里にも広がった。父が軍隊に召集されると財産はすべて没収され、母は子供たちを連れて逃亡生活を始めた。

裕福な家庭の子供から、逃げ回る貧乏人へ―この大きな落差によって、幼い彼女の心の中に金銭に対する不気味な影が刻まれたのである。


20年間金銭なしの生活

成長したハイデマリーさんは、小学校の教師になった。ドイツでは、教職は安定的な収入を得られる職業だ。しかし、彼女は15年間の教師生活に自ら終止符を打ち、心理療法士に転職した。

1996年、54歳になったハイデマリーさんは人生の大きな転機を迎えた。

それは、ラジオから流れてきたニュースを偶然耳にしたことがきっかけだった。

「カナダで、ある会社が突然倒産し、失業した人たちが相互扶助によって生活する仕組みを作った。皆がそれぞれの技能を生かして互いに助け合い、物々交換の形で必要なものを得るため、お金がなくても生活を営むことが可能となっている」。

このニュースを聞き、ハイデマリーさんは自分も金銭を持たない生活に挑戦してみようと思い立ったという。

当時の彼女は離婚して独り身。二人の娘もすでに家庭を持っていたため、生活様式を自由に選択できる状況にあった。

ハイデマリーさんは高収入の職を辞し、個人財産をすべて処分した。お金は一銭残らず他人に与えて、家も財産もない生活を始めたのだ。

家事や庭仕事など住み込みの労働をする代わりに食糧と生活必需品を得て、「金銭は一切もらわない」というルールを作った。

フランス語を教える代わりに携帯電話カードを入手し、店の掃除をする報酬として果物と野菜をもらい、眼鏡屋さんが飼っている猫の世話をして眼鏡をもらい、旅行へ行く友達の家の留守番をすることで暫く住む場所を確保した。

心理療法士の経験を生かしてカウンセリングも時々行ったが、「金銭をもらわない」という原則は常に守った。

最初は、お金を持たずに生きていけるかどうかを試すため、一年間だけ実践してみるつもりだった。しかし、いざ始めてみると、金銭の束縛のない状態はとても気楽で、かえって充実した生活を送ることができると実感した。

この生活を止めたくなくなったハイデマリーさんは以後20年近くずっと、金銭を一切持たずに生きてきたのである。


大金を手にしても他人に配る

ハイデマリーさんのこの挑戦は出版社に注目され、一冊の本に纏められて出版された。すると大きな反響を呼び、彼女は一躍有名人となった。

外国の出版社からも翻訳本が出版され、テレビに頻繁に出演し、講演の要請もあちこちから入った。しかしハイデマリーさんは、こうした状況下においても「報酬を金銭でもらわない」という原則を守り続けた。

例外として手にした多額の原稿料はすべて、街で出会った人やシングルマザーに配ったのである。

有名になったこの機会にお金をたくさん稼ぎ、必要としている人達に配ろうと考えたこともあったというハイデマリーさん。しかし、そんなことをしてもあまり意味がないとすぐに気付いた。

「そういった行動は焼け石に水で、問題の根本的な解決にはなりません。たとえ一時的にお金を手にしても人々は永遠に満足せず、求め続けるのです。社会構造そのものを工夫すべきなのです」と話す。

彼女は、金銭に左右されない価値の体系を見つけたいのだ。


金銭の奴隷にはならない

健康保険に加入していないハイデマリーさんは、身体には普段から特別に気を配っている。

数年前、自転車で転んで尾骨を傷つけた際は、起き上がるのが大変なほどの痛みに襲われても病院の世話にはならず、暫く休養して自然に良くなるのを待った。

「3週間ベッドに横たわっていましたが、少しも不安は感じませんでした。鎮痛剤も一切使わず、痛みが消えるまでゆっくり待ちました。この経験によって、根気よく待つということを学ぶことができ、今思い返してみると誇らしい感じすらするのです」。

当時を振り返って、彼女はこう話す。

「一部の人には、私の生き方は挑戦的だと思われるかもしれません。しかし一方で、私が一つの提案をしたと受け止めている人もいると思います。この10年以上の経験から、お金を持たずに生活することは実行可能なことであり、しかもとても快適であると、私は断言できます」。

「多くの人が常に不安や恐怖を感じながら生きていますが、私は、恐怖や不安というものを、自分の身体の中で生きている別の生命であると見なしています。別の生命だから、必ずしも自分に必要な部分ではない…そう感じる時、恐怖は自ずと離れていきます」。

「私は知っています。神様が私達を導いてくださっていることを。だから恐れる必要は全くないのです。真剣に、ただ真剣に、人間の生きる目的を体得しようとすれば、すべてがうまくいきます。お金を手に入れてもいつか消えてなくなるかもしれません。人は、金銭の奴隷になる必要はないのです」

お金がいくらあっても、不満や不安を感じる人は少なくない。一方で、金銭を一切持たなくても、充実した日々を過ごしている人がいる。金銭に執着して人生の目標を見失っている人は、ハイデマリーさんが実践している生活様式を参考にするといいだろう。




ここまでです。

もう、この方の言うことは、最近の In Deep のカテゴリー「革命」の記事や、それ以前から書くことのあった、

不安や恐怖といった感情は不要で無駄なものだ

ということや、

すべてを肯定的にとらえること

ということすべてが彼女の言葉の中にあらわれていると思われませんか?

> お金を持たずに生活することは実行可能なことであり、しかもとても快適

> 私は、恐怖や不安というものを、自分の身体の中で生きている別の生命であると見なしています。別の生命だから、必ずしも自分に必要な部分ではない…そう感じる時、恐怖は自ずと離れていきます

> 私は知っています。神様が私達を導いてくださっていることを。

> 真剣に、ただ真剣に、人間の生きる目的を体得しようとすれば、すべてがうまくいきます

> 人は、金銭の奴隷になる必要はないのです


ここまで私たちに勇気を与えてくれる言葉はそうないです。
しかも、実践が伴っているのですから。

そして、大事なことは、このハイデマリーさんが「お金を使わない生活をしているからすごい」のではなく(もちろん、そのこと自体は大変に素晴らしいことですが)、

自分の《考え》だけで、自分に《革命》を起こした

という点です。

学んで起こしたことではないです。

そして、自分だけの革命は、結果的に周囲に影響を及ぼしています。

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Living without Money


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未来の地球への革命実践は女性から始まる

おそらく、主要国などで「完全にお金を使わない生活」をしている人は、もしかすると、彼女の他に現在「一人もいない」かもしれません。

それほど、現在の「普通の文明」には貨幣制度が強力に組み込まれています。

しかも、特にヨーロッパの貨幣制度の歴史は古いわけで、そこから「ひとりで抜け出す」なんて…。
私も「そんなことは不可能だ」と思っていましたもの。

彼女はそれをなしえて、20年間も楽しく生きている。

これはまごうことなき革命であり、そして、彼女の行動を見て、

「やはり革命は自分の心の中でだけ起きるものだ」

という確信を強くします。

そして、こちらの記事に書きました、野口晴哉さんの言葉も思い出します。


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世界が広くとも、
一人一人の覚悟がきまれば、
そのようになる。
今、実現しなくとも、
いつかは必ずそうなる。




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世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の世界の中心はあくまでも自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。



タイトルに「自分戦争」というように書きましたが、春くらいからのこの数ヶ月間、私の中では常に「戦争」が起きています

その戦争の相手は、ハイデマリーさんが上で、

「私は、恐怖や不安というものを、自分の身体の中で生きている別の生命であると見なしています」

といっているものといえるかもしれないですし、またちがうかもしれないですが、とにかく、

「自分という存在と戦えるのは自分だけ」

だということに気づいてから、激しい戦争が続いています。

多くは内部(心の)戦争ですけれど、内部だけではなく、今はだいぶいいですけれど、体のいろいろな症状があった時は、顔と丹田に入れうる限り力を入れて、口をギリギリさせながら記事を書いていたことなんかもありました。

しかし、今は In Deep の記事を書いていると、まるでご褒美のように「次に知りたいと思っていた何かの知恵が転がってくる」ということも続いています。

だから書いています、というか、書いていられます。

中村天風さんも野口晴哉さんもシュタイナーも、プレアデスの姐さんも、映画『美しき緑の星』も、こちらの記事に書きました「学ぶのをやめなさい」という大きな指示をくれた、ジェイコブ・バーネットさんも、こちらの記事の消耗生疾患のリアルバービーさんも、オランダの植物発電の話も、「薬をやめなさい」という革命的な示唆をくれた安保徹さんの主張も、すべて、それまで知らないことばかりでした。

しかも、それらは、「知らないまま生き続けていたら、人生ちょっとアレだったかもしれない」という人物たちやその知恵ばかりなのです。

これらを知るキッカケになったのは、今年2月に見舞われた歩行できなくなるほどの「めまい」でした。

それは本当に厳しいもので、しかし、そんなに厳しいものだったからこそ、私は、たぶん初めて「自分の体と真剣に向きあうことができた」ようです。

ですから、本当にこのめまいにも感謝するしかないのです。

話をハイデマリーさんに戻しますと、今の私に「お金を持たない生活」をする気はありません。
子どもがいる生活にそれを持ち込むことはするつもりはないです。

しかし、ハイデマリーさんの行動を見ていれば、

「やろうと思えば、お金のない生活、お金のない世界はいつでもできるんだ」

という、未来に対しての、とんでもない肯定的な光景が思い浮かべられるではないのでしょうか。

それにしても、このハイデマリーさんも女性。

精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に
 2015年07月22日

という記事でご紹介したミニ氷河期に至る理論の基礎を見出したのも、物理学者のヘレン・ポポワ博士というロシア人女性でした。

オランダの植物発電をビジネスとして確立したプラント-e 社の CEO もマージョレイン・ヘルダーさんという女性でした。こちらの記事で書きました。ガンの自然退縮の研究をおこなっている医学博士のケリー・ターナーさんも女性でした。

未来の地球に役立つ実践(本などでの知識ではなく)は、女性から始まっているのですかね。

そういえば、昔のウェブボットでは、次の地球の文化の形成は、みずがめ座的な、つまり女性的な力によって行われることが何度も何度も書かれていました。

たとえば、下のようなものです。


ALTA レポート 来たるべき未来の形
ウェブボット 2009年6月17日配信

地球的な規模の広域自給自足経済圏(SOC 自己組織化集団)の形成が一気に進む。この最初のものは女性を中核とした共同体である。

彼らは、自分たちの家族の健康の維持と食料の確保の必要からそのようなコミュニティーを形成する。そして、彼らは自分たちのやり方が新しい経済システムを作る方法であることを自覚するようになる。



予測というより、クリフ・ハイの希望に近いものだったのかもしれませんが、最近の地球で起きているさまざまなことの流れを見ていると、女性たちの「考え」が、未来の地球へ直接的につながるような気がします。

そして、それらを糧としながらも、私の中の「自分戦争」は続きます。

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2015年07月26日



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生きる理由を考える必要のない健全な社会があった

前回の記事、

自立した人生(1) - 薬と病院と介護から脱却して、「ガンを自然治癒できる力」を持たないと未来を生きることはできない
 2015年07月24日

の中に、アメリカの医学博士で、ガンの自然治癒の研究者であるケリー・ターナーさん( Dr. Kelly Turner )の著書『がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』の中にある「ガンの自然治癒を体験した人々に共通してある9つの実践事項」として、

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ


があることがわかった、ということをご紹介したのですが、この中の最後にある、

「どうしても生きたい理由」を持つ

ということについて、ふと思うことがありました。

「どうしても生きたい理由」を持つ、というのは別の言い方をすれば、

「自分の生きている理由は何なのか」を考える。

ということになりそうな気がするのですが、これを読んだ時に、

「自分が生きている理由を考えなければ、その意味が見いだせないという今の時代はやっばりちょっとアレかもしれないなあ」

と思いました。

どういうことかというと、たとえば、少し前の記事、

「革命」(3) - 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
 2015年07月12日

の中に、1877年(明治 10年)から何度か日本に滞在したエドワード・S・モースというアメリカの動物学者による、当時の日本では、

「子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」

という記述が、『逝きし世の面影』に書かれていることをご紹介しました。

朝から晩まで、ということは、当時の日本の子どもたちは「ずっと幸せだった」と、モースさんは申すわけです。

明治時代半ばの子どもたち
meiji-children.jpg
kawaiimog.exblog.jp


朝から晩まで、正月から大晦日まで「生きている間ずーっと幸せ」なら、「生きている理由など考える必要はない」ということになります。

なぜかというと、

生きているだけで幸せなら「生きること自体が生きている理由」になり得るから

です。

ケリー・ターナーさんに、

「どうしても生きたい理由は?」

と尋ねられたら、

「生きること」
「どういうこと?」
「生きているだけで幸せだから」


という問答にもなり、何だか禅問答のようですが、一種の真理だと思います。

そして、ここから導き出されるのは理想論ではなく、実際の生活に応用できる「生活の術」であるということになると思われ、つまり、江戸・明治の時代の子どもたちのように、

私たち自身も、日々を「生きているだけで幸せを感じる方向」に傾ける

ということです。

それだけで、ケリー・ターナーさんの著作の9つの実践要項のうちの、

・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・「どうしても生きたい理由」を持つ


などはクリアできることになるようにも思います。

これは、ケリー・ターナーさんの9つの実践項目と照らし合わせますと、「生きているだけで幸せを感じる」という生き方自体が、「自分で病気やガンも治せる体」を作ることになるということも言えなくもなさそうです。





自分が変われば世界は変わる

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中村天風さんはこの「すべてを幸せの方向から考える」ことを繰り返し繰り返し述べていて、何よりも、それが一義的なことだとしていました。


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中村天風『運命を拓く』より

忘れてはならない私の厳重な注意は、

「できるだけ平素、幸福の方面から人生を考えよ」

ということである。(略)

人が何といおうと、

「俺は幸福だ!」

憂いことがあったら、

「ああ、楽しい!」

悲しいことがあったら、

「ああ、嬉しい!」

こうして心を張り替えてみなさい。



しかし、天風さんはこう言うものの、これが簡単ではないことは明白です。

私などは、先日、醤油を床にぶちまけてしまっったことがあって、

「わああ! もうダメだ! ひぃぃ!」(落ちつけ)

とうろたえていたのですが、天風さんの言葉を思い出して、

「嬉しいッ! 嬉ぴぃぃぃぃぃぃぃ!!! ヽ(≧∀≦)ノ」(どっちにしても落ちつけ)

と言ってはみたものの、幸せな気分にはなれず、積極的思考というのは難しいものだと思いました。

まあしかし、野口晴哉さんが、


haruchika-s1.jpg

世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。


過去記事


とおっしゃっていたように、まずは自分自身(各自ひとりひとり)が、

「生きている時すべてを幸せだと感じる」

ことができれば、世界はそれと連動して同じになっていくことは、賢人たちの言葉や、最近の量子論などからも間違いないと思われます。

最近ふれることも多い、

「現実は存在していない」

ということと、

「現実は自分で作り出している」

という概念から考えますと、中村天風さんの言う「積極的な思考」は、とても大事だと思います。

実践するのはとても難しいというだけのことで、不可能ということもないでしょうし。

このことを長々と書いてしまいましたが、前回の記事から続く「自立した人生」という意味において、この「肯定的で積極的な思考と態度」というのは、何よりも最初に必要なものだと思います。

そもそも、そうすれば、マイナスイメージとしての「病気」とか「不安」は薄らいでいくでしょうし、何より、

「世の中がどんなことになろうと、心へは影響は受けない」

ということです。

経済混乱、国家破綻、自然災害、戦争、紛争、巨大小惑星の衝突、日本沈没……何が起きても、どうということもない・・・という心境になれる「かも」しれないです。

あるいは、どれにも、「幸福なこと」になる要素が含まれているのかもしれないですし。




幸せな破綻

先日、ロシアのプラウダの英語版を見ていましたら、下のような記事がありました。

IMF-Japan-debt.gif

▲ 2015年07月24日のプラウダより。


内容はおおまか下のようなものです。


IMF: Japanese debt to increase threefold

IMF:3倍に増加する日本の借金

国際通貨基金( IMF )は、日本の債務が 2030年までに現在の3倍になると警告している。

年次評価で、IMFの専門家は、世界で3番目に大きな経済規模を持つ日本は、スタグフレーションと金融混乱に直面する可能性があると指摘した。また、IMF は日本政府に対して、支出を削減し、余分な予算を制限するように呼びかけた。

日本の公的債務は、最寄りの5年間で、対 GDP 比 250%に達する可能性がある。安倍晋三首相によってもたらされた新しい構造改革中に、これらのリスクが発生する可能性がある。



これは 7月24日の報道なのですが、不思議なのは、日本語の報道で見かけないことで、あるいは、プラウダのの思い違いかなにかなのかもしれないですが。

まあ、IMF にいろいろと言われる筋合いはないかもしれないですが、ただ、現在( 2013年)の日本は、日経ビジネスの記事「日本国「債務超過」490兆円、資産の多くは売却困難」によりますと、

負債合計 1143兆円
債務超過  490兆円


という、やや天文学的な数値に近づいている状態となっています。
「債務超過」というのは、借金が資産を上回っているということです。

どちらもすさまじい数字ですが、毎年、負債は 20〜30兆円ずつ増えていますので、単純に計算して、2030年頃には、3倍ということはなくとも、国の負債の合計が 1500兆円を越えていることは間違いなさそうです。

そして、「負債の対 GDP 比率」でも、日本は、1999年以来、単独でぶっちぎりの過剰負債国です。
下は財務省ウェブサイトのものです。

debt-gdp-rate.gif
財務省 債務残高の国際比較(対GDP比)


現在にしても、これでやっていける理由は、経済オンチの私にはよくわからないですが、しかし、日本は着実に、私たちを「薬漬けと対症療法地獄から解放してくれる唯一の道」とも言える「国家破綻」という希望に満ちた方向へ進んでいるように見えます。

そう考えると、何ともありがたいことではないですか。

希望を持って生きていれば、こんな想像もしていなかったような素晴らしいことが起こり得るんです。




暴走は続くよ

最近の医療はさらに暴走気味の傾向を深めていて、薬にしても、最近は、分子標的薬という、分子をターゲットにしたものが大きく台頭しているのですが、これらの薬は、「基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由…」という記事に、高木智司医師の書かれた文章を抜粋しましたが、人間にとって最も重要な免疫システムのひとつである白血球の「マクロファージ」の働きを阻害する目的で開発されているようなのです。


高木智司「西洋薬はアセチルコリンの作用を阻害するから治せない」より

さらなる危険をはらんでいるのが、医学の行き詰まりを打開する新薬として注目される、分子標的治療薬です。それも、分子標的薬の多くがマクロファージの働きを阻害する目的で開発されているからです。

その理由は、マクロファージが血管を新生し、炎症やガンの成長を促進し、病状を重くするからだそうですが、それは大いに疑問です。

マクロファージが免疫細胞として処理しているのは、主に老廃物や、古くなった細胞です。炎症は代謝の亢進反応ですから、老廃物がふえますし、ガン細胞も新陳代謝を繰り返しながら成長します。

ですから、マクロファージが集まってくるのは当然ですし、そのマクロファージが血管を作るのも、老廃物や老化したガン細胞の処理能力を高めるためでしょう。

このように、マクロファージが引き起こす反応にはすべて意味があります。しかも、それらはすべて自分の分身、さらにいえば自分自身を守るための反応だからこそ、間違いはありえなかったのです。



マクロファージというのは「血液中のさまざまな異物を食べてくれる」もので、人間の免疫機能の中心的役割を担っています。

そのマクロファージの働きが阻害されるということは、仮にガン細胞が抑えられたとしても、それと共に、

脳を含む身体全体の細胞組織の再生が抑えられている状態

となる可能性があるわけで、人間の持つ免疫力が根本から機能しなくなってしまいかねないおそれもあると思われ、数々の重篤な副作用(新たな病気の発症)が予想されます。

こういう薬が積極的に使われている現代の医療を見ますと、私たちは、ますます薬に対して敏感でいなければならないと思います(というか、病院に「さえ」行かなければ、薬とは無縁でいられます)。

あるいは、やはり最近のニュースですが、「ガンの超早期発見」というおそろしい響きの報道もありました。


血液1滴、3分でがんが見つかる画期的検査法!超早期発見が可能に
Infoseek 2015.07.07

「血液1滴を使い、3分以内にがんの有無を診断できる」方法が発表されました。それも、1年以内の臨床応用を目指しているといい、大いに注目されています。(略)

通常、CT検査では5ミリ程度のがんまでは発見が可能。ところが、今回の検査は1ミリ程度のがんでも発見できるといい、まさに超早期発見です。



ほとんど組織化していないようなガンを見つけて(1ミリなどの大きさなら、非常に多くの人に見つかると思います)「超早期にガン治療が開始される」・・・ガンでおかされてもいない体に抗ガン剤や放射線が使われるかもしれない・・・。

子どもの頃に、映画『エクソシスト』の予告をテレビで見た時のような戦慄を感じます。

あるいは、『悪魔のいけにえ』を(映画の話はいいわ)。 

ちなみに、「ガン」は、上の記事のような小さなものなら、ほとんどの人にあるものだと思われます。

たとえば、東京の湯島清水坂クリニックのウェブサイトの「ガンはすべての人にできている」というページには以下のようにあります。


湯島清水坂クリニック「ガンはすべての人にできている」より

生まれたばかりの赤ちゃんでも、微小なガンはできています。その意味では、すべての人が「ガン患者」といっていいでしょう。

しかし、ガンが検診で発見される大きさ(精度にもよりますが、数ミリから1センチほど)になるまでには、年単位、あるいは数十年単位の時間がかかります。

一般的には、ガン検診(その後の精密検査を含みます)で発見されて、はじめて「ガン患者」となるのです。



このページの最後には下のように記されています。


繰り返し言いますが、「ガンは患者さん自身でしか治せません」
ガンだけでなく、すべての生活習慣病もまったく同じです。
生活習慣病は、「患者さん自身しか治せない病気」なのです。



この、

> 「ガンは患者さん自身でしか治せません」

という言葉は力強い言葉だと思います。

考えれてみれば、日本が「薬漬け大国」になってしまった責任は、私たちにもあります。

「調子が悪いと、すぐに医者に治療を丸投げする」

という態度があまりにも普通になっていた気がします。

「まずは自分で治そうと考える」ことを怠り過ぎていたと思います。

何より、ほんの数ヶ月前までの私がそうでした。
ちょっと熱が出たり、頭痛があれば、薬。
何となく調子が悪いと、すぐ病院。

よくこの年齢まで生きていられたものです。

極論ですし、いいお医者さんもいることを承知で、誰もかれもが、「お医者さんは何もしてくれないから、病気も不調もすべて自分で治さなければならない」と思い込む方がいいのかもしれません。

話がそれましたが、先ほどの「超早期発見」に話を戻しますと、「誰にでもガンがある」のならば、

「超早期検査で、どんどんガンを発見できる」

ということになりそうで、まだ体が何でもない時点から抗ガン剤やら放射線治療が応用される例もありそうで、つまり、まだ健康な全身の細胞が「どんどん機能を阻害されて、身体は免疫を失っていく」という・・・何ともこう、やや刺激的な近未来の日本の姿です。

これらを阻止できるのは、医療保険制度の崩壊か、国家の破綻かどちらかだけだと思われます。

そういう意味で、今の日本は自浄作用として、破綻というまったく正しい方向に進んでいるのだと考えざるを得ません。

ありがたいことだと思います。

歴代の政治家および現行の政治家の方々に感謝したいと思います(皮肉ではなく本気の感謝です)。




日頃から行っていることを書こうと思っていたのに脱線して

うーん、本当は今回は、私が4月頃から

・薬を飲まない生活
・病院に行かない生活


のためにやっていて、ある程度、効果があったような健康法のようなことを書こうかと思っていたのですが、それは、まとめて書ける時に書きます。

ただ、4月から毎日おこなっていることを箇条書きすれば、

・歩く(1時間くらい)
・ラジオ体操
・ジャックナイフ・ストレッチ
・ふくらはぎマッサージ(参考リンク
・顔もみ(参考リンク
・つむじ押し(参考リンク
・毎日入浴
・朝食抜き
・昼食は完全菜食

などです。

顔もみなどは、上の参考リンクだけでは不十分な点もありますので、お知りになりたい場合は、安保徹さん監修の健康ムック本『免疫を高めると病気は勝手に治る 2015年版』に詳しく出ています。

私がこういうことに興味を持ったのは、歩いている時に、このムック本の表紙が目に飛び込んできて、無意識に買ってしまったという偶然によるものでした。こんな健康ムック本なんて、生まれてから買ったことがなかったです。

上にあるうちで、「ジャックナイフ・ストレッチ」というのは、下のようなストレッチですが、腰痛などのある方には抜群に効果があります。軽い腰痛なら、すぐ治ります。

jacknife.gif
karada-aging.jp

わかりにくければ、YouTube に動画もあります。

この即効性を体感したい場合は、やる前に前屈で、自分がどのくらい下に手がいくかをチェックして、その後、ジャックナイフ・ストレッチをしてから、ふたたび前屈をすると、先ほどよりはるかに曲がるようになっていることがわかります。

その他としては、「体温を上げる」ことを試みています。

すべての病気の原因のひとつとして、「低体温」があることが最近では広く言われていますが、これは事実のようです。今の人は子どもも大人も体温が低く、これが、さまざまな病気の原因になっている可能性があります。

これを読まれている方も、体温が 36度以下でしたら、体温を上げることを一次的な健康対策としてされるといいと思います。

Google などで 体温を上げる で検索すると、いろいろなページもありますし、体温と人体について本などでお知りになりたいのでしたら、たとえば、安保徹さんの『人が病気になるたった2つの原因 低酸素・低体温の体質を変えて健康長寿』など、体温に関しての本がいくつかあります。

猛暑といわれる最近、私の住む場所の気温も今は 36度だか 37度だからしく、気温も絶好調ですが、今年の私はどういうことか暑さが平気で、部屋の中では、うちわ1本で快適に過ごせています。

暑さに対してはどうやら平気です。

だけど犬にはとっても弱いんですけどね。

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2015年07月24日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





earthsunrisetest02.jpg

気づくと少し変わっていた生活

今年の春頃は、いろいろと自分にとって有益なことを知る機会が多く、例えば、

健康ブームの中でガンが増え続ける理由 : 世界でもダントツの「薬」消費国である日本…
 2015年04月10日

という記事など、健康に関しての記事を書き始めた頃から、「薬をよく飲んでいた自分」のことや、「まるで体を動かしていなかった自分」のことなどを思い、自分は実は真剣に健康に向きあっていなかったことに気づき、毎日の体操と1〜2時間のウォーキング、そして、マッサージなど、いろいろなことを試したりしているうちに、確かにいろいろと良くなることに気づきます。

4月からですから、まだ3ヶ月ですが、はっきりと効果の出た点としては、

・血圧の上が 160から 120以下に下がった
・高眼圧が治った
・胃の調子が悪い日がほとんどなくなった
・便通がない日がなくなった
・体がだるい日がなくなった
・気分の落ち込み(抑鬱)がなくなった
・やせた
・肩こりが消えた
・頭痛が消えた


などがあります。

あとは、長年の命題の、

・めまい完治

までは「あと一歩」という感じです。

何より、

・薬を飲まなくなった
・病院に行かなくなった


というのが大きいです。

3ヶ月くらいやって、健康に効果のあったと考えられるものをご紹介したいと思いますが、どんなことをしているのかを今回全部書くのは無理ですので、「その(2)」ということで、今度書かせていただこうと思います。

そういえば、それと共に、4月頃より「食事の傾向」も唐突に大きく変わりました。

基本的には、「極端に野菜中心にする」という生活になっています。

これは、現代医学や栄養学の見地からそうしたのではなく、実は、シュタイナーの本を読んでからなのです。

人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』という中に、シュタイナーの 1909年の講演が収められていて、そこに「菜食のメカニズム」が述べられていまして、それを読んだ翌日あたりから、自然と、菜食傾向(あくまで傾向で、出たものは何でも食べます)になっています。



シュタイナーの1909年の講演『何をたべるとよいか』より

菜食にすると、体内に摂取された植物は人体に多くのことを要求します。菜食は、脂肪分の多いものではありえません。

人体は自分で脂肪を製造する能力を有しており、「脂肪でないものから脂肪を作る」ように要求されるのです。

つまり、菜食にすると、人間は内的に活動を展開しなければならず、脂肪の製造に必要なものを使い尽くすよう、内的に努力しなければなりません。動物性脂肪を摂取すると、そのような活動が省かれます。

唯物論者は、「努力なしに、たくさんの脂肪を得られるなら、それは人間にとってよいことだ」と、言います。精神的な立場からは、「内的活動こそ、内的な生命本来の展開だ」と、見なくてはなりません。

自分で脂肪をとり出す力を呼び起こす必要があるとき、その内的活動のなかで、自我とアストラル体(感受体)が肉体とエーテル体(生命体)に対して主導権を持ちます。

動物性脂肪を摂るなら、その結果、自分で脂肪を作り出す労力は節約できます。しかし、菜食にして、みずから活動する機会を得るなら、人間は自由になり、自分の身体の主人になります。




ここまでです。

結局、「野菜から動物性脂肪を作るのは大変なので、内的活動が活溌になる」というような。

ちょうど、これを読んだ頃、「薬が良くない」ということを知ったり、今なお奮闘中ですが、めまいなど、体調不調のことなどを考えているうちに、シュタイナーが述べているような、

「自分の身体に対しての自由を獲得したい」

と思ったのです。

ちなみに、シュタイナーは「菜食が良い」と言っているのではなく、こういうメカニズムがあります、と言っているだけで、逆に「現在の物質的世界を楽しみたい場合は、肉食がいい」ようです。私はもう物質社会は十分に楽しんだ、ということもあり、菜食傾向でもいいのかなと。

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健康でありたい理由

ところで、「なぜ健康が重要か」ということに関しては、長生きするためとか、そういうことではなく、

「自立して生きること」が、これからの世の中でとても大切だから

です。

自立というのは、国が破綻して年金などが出なくとも、健康保険制度などがなくなっても、あるいは一人きりになっても生きられる、というような意味です。

日本の少子化は書くまでもないでしょうけれど、今の日本の人口のバランスは、

・60歳以上の高齢者の割合は 30%
・15歳以下の若者の割合は   13%


という極端にいびつな構造になっている上に、現在の日本で使われるお金のうち、

・医療費 約40兆円
・介護費 約9兆円


という「異常」。

現在、日本の要介護者数は 600万人で、15年間で400万人増え、その数は3倍になっています。

仮にこのペースが維持されれば、2030年には、要介護者が 1,000万人に達する。

そこで質問です。


介護制度が維持できると思いますか?


あるいは、


要介護者が減り続ける理由が見当たりますか?


英国フィナンシャル・タイムズを買収するという派手なことをしました、日本経済新聞の記事、

意外に短い「健康寿命」 50代早期退職の現実味
 日本経済新聞 2015.07.24

には、定年後の「セカンドライフ」が書かれているのですが、そこには、最初から「介護される計画が含まれている」のでした。

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・日本経済新聞


赤で囲んだ「要介護期間」と書かれてある部分が「最初から人生計画に想定されて」いる。

いつから、日本人の人生はそんなことになった・・・。

に対しての答えは、薬に関しての過去のいくつかの記事にもありますが、

薬を毎日飲む高齢者が増えすぎている

ことにあると思われます。

西洋薬の多くは、「体内で働かなければならない様々な機能」を「阻害」することで症状を抑えますが、体中のすべての細胞に等しく効果があるので、「脳細胞にも影響は及んでいる」はずなのです。

緊急時に数日間など薬を使うのはともかく、何ヶ月も何年も、場合によっては、よく医師が口にする、

「この薬は一生飲まなければなりません」

というようなことをすれば、ガンも増えて、認知症も増えるのは当たり前のことだと思います。

現行の健康保健制度が破綻でもしない限り、この連鎖は止まらないと思います(そういう意味では、国家の制度破綻と「破壊」は、私たちが健康を取り戻せる絶好の機会です)。

とにかく、私たちは、

・薬を飲まなくてもいい生活
・病院に行かなくてもいい生活
・介護を受けなくてもいい生活


これを目指さないといけないところに来ています。

それをなさない限り、霊的生活も、次元の上昇もあったものではないです。

おそらく、そんなに遠くない未来には、もう介護制度も、あるいは、健康保険制度そのものも破綻しているかもしれませんが、その日を肯定的に待ち続ける。


ちなみに、現在の日本人がどれだけ「現代医療」に「依存」しているかを端的に表したものとして、矢野経済研究所の「健診・人間ドック市場に関する調査結果 2013」があります。

2007年から2011年の健康診断・人間ドックの受診者数
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・矢野経済研究所

【調査結果サマリー】

2011 年度は特定健診、任意健診いずれも受診者増、延べ総受診者数は 1 億 800 万人

健診・人間ドックの延べ総受診者数は 2009 年度 1 億 590 万人であったが、2011 年度には 1 億 800 万人まで増加した。

健康診断と人間ドックの総受診者数は何と1億人越え!

さまざまな検査が重複しているのでしょうが、強制的な健診の様相がはっきりします。

そして、新潟大学医学部名誉教授の安保徹さんと、東洋医学からの視点で治療を考える石原結實医師の対談本の『病気が逃げ出す生き方』には、


人間ドックは 2006年には 290万人が受けましたが、異常なしと診断された人は 11%しかいなかった。医療費や医者数がどれだけ増えようが、病人は減らないという自体に陥っているのです。


と書かれてあり、人間ドックや健康診断に「行けば、病気と診断される」という循環が出来上がっていて、さらに日本人を薬依存、病院依存にしています。

これでは、ガンや認知症が減る道理がないです。

ちなみに私は、特に理由はないですが、面倒なので 20年くらい健康診断を受けたことがないです。

ところで、今の日本人の死因のトップはガンですが、ふと、樹木希林さんと、アメリカの医学博士の著作の関連について思いました。




ガンを自然治癒させるには

いつだったか「全身ガン転移」宣言をしていた樹木希林さんが、やはりいつの間にか「すっかり治っていた」ことを最近知ったのですが、全身転移ガンを知らされてからガンと向きあった際の樹木希林さんの「心情」を知りまして、

「ああ、まったくこれだなあ」

と思いました。

樹木希林が全身がんを克服した治療法から学ぶことというページには下のようにあります。


がんを肯定的にとらえる樹木希林の発言

「私の考えでは、がんで死ぬっていちばんいいと思うんです。用意ができるじゃないですか。それぐらいの感じで生きています」

「ガンは有難い病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから」

「がんに感謝よね。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、主人の 内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかったかもしれないし」



まあ、内田裕也さんのことを理解する必要があるかどうかは別として、何と樹木希林さんは、抗ガン剤治療と並んで、もっとも良くないと考えられる「放射線治療」をおこなっていたのですが、「望む態度」がちがったようです。樹木希林さんは下のような態度でガンの治療にあたっていったそうです。


樹木希林さんは当初、がんの手術に関しても、「先生のやりやすいほうで」というようなことで、医者に委ねていた感があります。

しかし、その後、がんに関して、勉強をしだしたといいます。そして知識を深めていくと、がんを自分が治すんだという、心構えに変化していきました。

「自分に合う医者や治療法、本などを、本気で探すことが大事。自分を知る勉強だと思います。自分の体のことですから、少し医者を疑うくらいの気持ちで良い治療法を探すことが大切。」

そして、全身にがんが移転したことを知ったのちに、樹木希林さんが選んだ治療は放射線治療でした。

そうして放射線を照射する場所に関しても、医者任せではなく、樹木希林自身が医者に対して、「ここから、ここまで」と命令したといいます。



というものだったようです。

この一連の樹木希林さんの態度のうち、

・ガンに感謝する

・治療法を自分で決める


ということは、ガンを自然治癒させた人たちに共通していることで、安保徹さんなども、

「ガンを自然治癒した人は、みなさん、ガンにかかって良かったって、ガンに感謝するんですよね」

と、何かの対談(思い出せないです)でおっしゃっていました。

アメリカでも日本でも、ムチャクチャ売れているガンの治療に関しての本がありまして、それは、アメリカの医学博士のケリー・ターナー博士( Dr. Kelly Turner )という方が書きました『がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』という本です。

ケリー・ターナー博士
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Dr. Kelly Turner


ターナー博士もまたお美しい方ですが、「ガンの自然治癒」が医学界でその存在が放置されていることに気づき、日本を含む世界 10カ国(アメリカ、中国、日本、ニュージーランド、タイ、インド、英国、ザンビア、ジンバブエ、ブラジル)で自然治癒でガンが寛解した人と、その治療者のインタビューをおこなったのでした。

そして、ガンの自然治癒を体験した人々には

9つの共通する実践事項

があったことを見出したのでした。

それは、以下の9つです。

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ


順序は関係ないです。

どれが重要とかではなく、ガンが自然治癒した人たちは、その「ほぼ全員」が、程度の差はあれ、この「すべて」を持っていたというのです。

さきほどの樹木希林さんは、自然治癒ではないですが、おそらくは、9つを持っていたと考えられます。

放射線治療という、一見、非常に良くないと思われる治療法を選択した樹木希林さんも、

・治療法は自分で決める
・より前向きに生きる


など、自主的で積極的な態度で臨んだことで、クリアに至ったのだと思います。

あるいは、樹木希林さんは放射線により治癒したのではなく、「自然治癒」だったのかもしれません。

いずれにしても、ターナー博士の「ガンの自然治癒における9つの鉄則」を見た時に、私は「これはガンにだけ当てはまるのではなく、すべてに当てはまる」と思いました。

つまり、上のうちの、

・抜本的に食事を変える
・直感に従う
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ


などは、生活の上で、日常的に意識して生きていてよいことだと思うのです。

あるいは、どんな病気の際にもこの態度でいいような気がいたします。




そして、ガンは病気でさえない

ここまで書いたことは「治癒」の観点から見たガンですが、そもそも、ガンは病気なのかどうかということもあります。

以前、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

という記事を書きましたが、免疫学の権威でもある安保さんは講演の中で、

発がんは不利な内部状態を克服する解糖系への適応応答である

と言っていました。

つまり、「ガンは体を守る反応だ」と。

一般的には、ガンは、「遺伝子の失敗」のようなことがいわれますが、安保さんの一貫した主張として、

「人間の体は間違わない」

という至高の理念があります。

さらに、さきほどの『病気が逃げ出す生き方』の中で、石原医師は、以下のことを述べています。


「病気が逃げ出す生き方」より

(私たちの体は)常に長生きしよう、治そうとする自然治癒能力が働いています。それと同じように、ガンも体にとって、何かよいことをしている反応ではないかと思うのです。

つまり、ガンは人間の他の自然治癒反応と同様に、血中の老廃物を1カ所に集めて、血液を浄化しようといる装置だと思っているわけです。

これについては、自然医学界の権威である森下敬一博士が、今から 40年も前からずっと「ガンは血液をきれいにする浄化装置だ」ということを主張してこられました。私もこの意見に賛成です。

面白いことに、ガン細胞と白血球にはそれぞれ共通点があります。まず一つに、人間の体の中を自由に動き回ることができるのは、このガン細胞と白血球だけということです。

それと二つ目には、両者ともに活性酸素をたくさん放出し、相手を弱らせて貪食するという働きがあること。



ちなみに、安保さんと石原医師のふたりの意見を総合すると、病気というのは、

・過食
・ストレス
・低体温
・血液のよごれ


が、ほぼすべての原因のようで、この中でも安保さんは、「低体温」と「ストレス」が、きわめて強い病気の要素だとしています。

西洋薬のよくないところは、ここにも絡んできまして、ほとんどの西洋薬は、

・体温を下げる
・交感神経を優位にする(ストレス)


などがあると思われるので、

薬を常用すればするほど病気に近づく

という真理が見えてくるのではないでしょうか。

いずれにしても、この急速な変化の中で、「自立」に向かう時間はそんなにないかもしれないですが、でも、「自立」は難しいことではないです。

「どうすれば健康でいられるか」

という「考え」と、

「あらゆる症状は治る過程であることを信じ込む」(参考記事:病気の本質

ことで、「病気」という概念は次第に遠いものとなっていくと私は思っています。

症状が出ているということは「何かが治っている途中」なんです。

熱が出ることも下痢になることも、めまいも鼻水も咳もいいことなんです。

私がこんなことを思うように至ったのも、「厳しいめまい」に悩まされてのことでしたが、それがなければ、「健康」なんて考えなかった。

そういう意味で、どれだけ、めまいに感謝していることか。

そして、先ほどのように、ガンもまた自然良能であることはどうやら確実で、それなら、それなりの対応をすれば少しもコワイものではないし、医者も必要ないはずです。

まずは健康面で「自立」する。

そして、健康な身体と意識のままで、どこかの時点でぼっくりと死ぬ。

それができる時に未来は訪れるはずです。

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2015年07月12日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





前記事のようなもの:
「革命」(1)
資本主義の崩壊と、この文明の崩壊は《「破壊」は「創造」に対しての愛》という観点から私たち人間にとって「最も幸せなこと」だと確信してみる

--

京都・三条通りの旅館に宿泊した子どもたち(1897年)
deluxe_120a.jpg
Japan, Described and Illustrated by the Japanese

参考資料:120年前の日本

『逝きし世の面影』第十章「子どもの楽園」より

エドウィン・アーノルドは 1899年(明治 22年)来日して、娘とともに麻布に家を借り、1年2ヶ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。

japan-father.gif「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。(略) 従って、俥屋(くるまや)はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などはこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っ只中ではしゃぎまわるのだ。この日本の子どもたちは、優しく控え目な振る舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズのよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」

子どもたちが馬や乗り物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。

「日本ほど子どもが、下層社会の子どもさえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子どもたちが結構家族全体の暴君になっている」。

モースは言う。「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」



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冒頭にリンクさせていただきました2つの記事では、「考えること」により自分が変わることにより「世界が変わる」ということについて書いたりしていましたが、考えることとは別に「行動」でも簡単に社会を変えられることがあります。

これは理想論ではなく、かつての日本で完全に実現されていたことですので、とても簡単です。

そのことは、冒頭の、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』の抜粋部分と関係します。




社会の最も健全な状態を百数十年前の日本に見る

先日、クレアなひとときに、

子どもの生命の取捨の選択は、それ自体が否定されるわけではなく、女性自身が賢明に考えること
 2015年07月10日

という記事で、1970年代のイギリスのセックス・ピストルズというバンドの、ジョン・ライドンという人が、ふだんはクールで、わりと冷静な彼が、「赤ちゃんの不幸や、赤ちゃんの無慈悲な死」と関係した話になると、「感情をむき出しにして怒りを露わにする」ことについて書きました。

まあ、その内容はいろいろとアレですので、興味のある方は上記の記事をお読みいただければ幸いですが、ジョン・ライドンのその傾向を考えていて、彼はきわめて健全な思想体系をしていることにふと気づいたのです。

彼の根にある思考とは、おそらく間違いなく、

「子どもと赤ちゃんの幸福と生命をこの世の最上位のものと考える」

ということです。

もっと簡単に書けば、「生活や人生の中で、何よりも子どもを愛することを最優先とする」ということで、そして、これが先に書きました、

> 「行動」でも、できること

です。

これだけです。

江戸時代の日本の庶民の生活と価値観が素晴らしいものだったことは否めないですが、それをなしえていた理由がわかったのです。

残念ながら、現代の日本の社会は、「何もかも差し置いても、子どもへの愛をすべてとする社会」には少しも見えません。

日本が変わってしまったのは、近代化だとか、唯物論的価値観とかもありますが、そういうことだけが理由ではないです。「江戸の庶民が、子どもたちへの愛情がすべて」である生活をしていたことが、『逝きし世の面影』の「子どもの楽園」という章には、非常に長く書かれていますが、これが当時の日本を輝かせていた「ほぼすべての理由」だと思います

冒頭の抜粋部分で、モースという人の言葉の、

「子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」

という部分・・・。

もうずいぶんと前になるのですが、私は、東京のタレント養成所みたいなところで、小学校低学年の子どもたちのいくつかのクラスで演技指導を担当していたことがありました。その時、毎回、何らかの質問を子どもたちにして答えてもらうということをしていたのですが、ある日、

「毎日、みなさんは楽しいですか?」

と質問したら、わりと多くが、

「別に・・・」

というタイプのものだったことに、何となく残念感をおぼえたことがあります。

少なくとも、江戸時代の子どもたちの「子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」というものとは差があります。

しかし、彼らの毎日の生活を聞いてみると、それも仕方なく、多くの子どもたちは、

学校 → 塾や習い事(親が車で送る) → 帰宅(車) → 勉強など → 就寝

という生活を毎日繰り返していて、中には「週に8つの習い事をしている」という狂気の生活をさせられている子どもなどもいます。親の考えもいろいろとあるのでしょうが、やはりこれは狂気の沙汰です。

確かに、この生活サイクルをずーっと何年も続けていて、

「毎日楽しいです」

と言えるほうがおかしいです。

養成所には、そういう「毎日の習い事で生活を埋め尽くされている」子どもたちが多いことに気づいて、精神的に私の方が落ち込んでしまい、それから少しして、そこをやめました。

デンマークの軍人で、幕末の日本に滞在し、明治政府から勲二等瑞宝章などを受勲した、エドゥアルド・スエンソンという人が書いた『江戸幕末滞在記』には、幕末の日本の子どもたちの様子が下のように書かれています。

「どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており、魅せられるほど愛らしく、日本人の成長をこの段階で止められないのが惜しまれる」

edo-taizaiki.jpg
・スエンソン。『江戸幕末滞在記』より。


ちなみに、このスエンソンという人は、日本とヨーロッパを結ぶ日本最初の海底ケーブルを敷設したという方でももあり、大変な親日家で、日本の風景と日本人が大好きだったようなんですが、そんなスエンソンが、

「日本には、悪習らしい悪習は2つしかない」

と言っていて、「日本人には(デンマーク人から見れば)悪習と感じられることが2つだけある」というんですが、それは何だと思われますか?

それは、


edo-t2.jpg

「すぐに酒に手をだすことと、あまりに女好きなことである」


でした(笑)。

これは、男性に対してということなんだと思いますが、このあたりはあまり変わらないかもしれないですね。

後者はともかく、前者は私がそのタイプで、とにかく、すぐお酒。

これは昔の日本人はさらにすごかったようですが、私などが 120年前に生きていれば、下のような生活をしていたことは間違いないと思われます。

120年前の「すぐ酒に手を出す」人たち
osaan-3.jpg
日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景


あと、スエンソンによれば、当時の日本人は男女を問わず、超ヘビースモーカーだったようです。

まあしかし、今の若い人は、特に若い男性は、お酒はあまり呑まないですし、草食系なんて言葉もあって、スエンソンが「日本人はあまりに女好きである」と嘆いたようなこともあまりなくなってきているようです。





死ぬほど愛されて育った子どもは、将来きっと同じように子に接する

まあ、少し問題はあったようですが、それでも、かつての「楽しい日本人たち」によって保たれていた「当時の素晴らしい日本」は、どのように出現したかということがかなり明白になってきます。

それは、単に「子どもを大事にする社会だったから」ということに尽きます。

そこから派生して、あのような情緒ある民衆の社会が「誕生」したことを理解したのです。

少しご説明が必要かと思いますが、たとえば、大事なこととして、

「大人はみんな子どもだった」

ということがあります。

社会は大人によって作られても、「その大人たちも、みんな子どもだった」ということです。

そして、「将来、大人になる」当時のその子どもたちは、スエンソンの言うように、

「どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており」

というのなら、その数年後、十数年後には、そのような「生きる喜びに輝いている」子どもたちが「社会の中心となっていく」のです。

「生きる喜びに輝いている子どもたち」が大人になり築き上げる社会が良くなるか悪くなるか・・・というと、「悪くなる道理がない」です。

こういう社会が良くなるのは、ある意味当然であって、江戸自体の大衆の社会が素晴らしかったのは、そのためであることに疑う余地はありません。

このメカニズムから、社会を変えるには、「考えること」以外の行動でしなければならないこと、「徹底して子どもたちのための社会にする」ということだけです。

そうするためには、いかなる社会的制度も不要ですし、議論も設備も不要で、必要なのはただひたすら「大人ひとりひとりが子どもたちを愛する」という行動だけです。そして、これは形の上だとか、中途半端なものではダメで、子どもたちのためなら、あらゆることを犠牲にしても、徹底的に、無条件に、子どもたちへの愛だけを考える。

制度や議論はむしろ愛を後退させます。

江戸時代の大衆の子どもたちへの態度を見ていますと、人間社会のすべての基礎は、大人ひとりひとりが、赤ちゃんたちと子どもたちをどれだけ愛せるかにかかっていると思います。

『逝きし世の面影』から、もう少し抜粋します。

いろいろな人の名前が出てきますが、説明は省略させていただきます。
皆さん、幕末に来日したり、滞在していた外国人の方々です。


『逝きし世の面影』より

japan-father-baby1.gif
・赤ちゃんをあやす父親の様子。


「日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、また非常におとなしくて無邪気な子どもを持っていることに、他の何よりも大いに尊敬したくなってくる」とグリフィスは述べる。

そして、モースもまた述べる。「日本の子どもほど行儀がよくて親切な子どもはいない。また、日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子どもに尽くす母親はいない」。

グリフィスは横浜に上陸して初めて日本の子どもを見たとき、「何とかわいい子ども。まるまると肥え、ばら色の肌、きらきらした眼」という感想を持った。

「子どもは大勢いるが、明るく朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束をふりまいたようだ。彼らと親しくなると、とても魅力的で、長所ばかりで欠点がほとんどないのに気づく」というのはパーマーである。

モラスエによると、日本の子どもは「世界で一等可愛い子ども」だった。



当時の日本の子どもたちが、

> 長所ばかりで欠点がほとんどない

という「スーパー人間」のように外国人に見えていたほど健全で健康だった理由は、冒頭に引用した文章で、モースという人が申す、

> 世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。

という「大人たちが子どもたちを徹底して大事にした社会」ということが前提となっていたと思われます。

自分の子どもに対してだけではなく、社会全体が「子どもを宝物だと認識するシステム」が、誰から命じられたわけでもなく、「自然にできていた」ということが『逝きし世の面影』でわかるのです。

「自然にできていた」のなら、子どもを宝物だと認識することが日本人の「自然な状態」だといって差し支えないはずです。

この『逝きし世の面影』の第十章「子どもの楽園」という章は、本当に泣けます。

私たち日本人が、近代化や合理化と引き換えにして失った最大のものは「子どもたちへの絶対的な愛情」だったことがわかってしまったのです。

当時の日本の大人たちの子どもへの愛情は、それはどの外国人から見ても、「他のどんな国とも比較できないほど強いもの」と、それに応ずるかのような健全さを持った子どもたちで町は満ち溢れていた。

これで悪い国になる道理がないです。

社会を形作るのは大人で、その大人になるのは、かつての子どもなのですから。

当時の子どもたちへの徹底した愛が基盤となっている社会を復活させない限り、日本は、フルメタルジャケット風にいえば、「クソ地獄にとどまる」ことになるのだと思われます。

そして、ここが大事なのですが、「死ぬほど愛されて育った人間が大人になって、自分が親になった時、子どもにどう接するだろうか」というと、絶対ではないだろうにしても、おそらくは、「自分がされたように、徹底的に子どもを愛する」方向に傾く可能性の法が強いのではないかと予想できます。

そして、その子どもまた・・・次の子もまた・・・ということで、

その社会では一代だけではなく、永続的にこの「愛情の連鎖」が未来にまで続くことなのです。

さらには、冒頭の『逝きし世の面影』にあります、

「子どもたちは、大人からだいじにされることに慣れている」

ということも大事です。

「大人から大事にされる」というのは、「人が人を大事にする」ということに他ならないわけで、こういう子どもたちが大人になった時に、「他人に対して、どのように振る舞うか」が決定されると思います。

学校だとか道徳だとかが人と人との関係を教えなくとも、

普通に「人が人を大事にする社会」がそこに現れる

と考えるのは不自然ではありません。

これは理想論ではないです。

現実、120年前までは日本はそういう社会だったのですから。




支配階級が犠牲となり、庶民だけが輝ける国

いろいろ当時の日本について書きましたけれど、江戸時代などは、このような健全な社会と人生を獲得していたのは、あくまで「庶民だけ」で、武士などの上位階級はそうではなかったようです。

江戸末期に来日し、長く滞在したオランドの外交官ドンケル・クルティウスは、1854年に以下のように書いています。

「公職についていない者はかなり自由な生活を楽しんでいますが、支配層に属する日本人はひどい拘束に耐えて暮らしています。ヨーロッパでは国の主権者は国家最高位にある公僕とみなされていますが、日本では掟の奴隷の頭とさえ呼ばれているのです」

「公職についていない者」というのは庶民のことですので、簡単に書きますと、

・庶民や労働者たちは自由に楽しく暮らしている
・武士たちはひどい拘束に耐えて暮らしている


ということで、江戸時代は、私たちの一般的な想像とはちがい、武士が時代の犠牲者として、ひたすら苦しんでいたといえそうです。

また、当時の庶民たちは、他の権威、たとえば僧侶とか宗教に対してもまったく尊敬の念を持ちませんでした。


『逝きし世の面影』より

1871年に来日したヒューブナー。「私はこの国の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿らしいと答えるのだ」。

バードは1878(明治11)年の東北地方縦断の際、久保田(現秋田)の師範学校を見学したが、校長と教頭に対して生徒たちが宗教について教えられているかどうか尋ねると、二人は「あからさまな軽蔑を示して笑った」。

「われわれには宗教はありません。あなたがた教養のおありの方々は、宗教は偽りだとご存じのはずです」というのが教頭の答だった。

リンダウは、「宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である」と言う。日本には数多くの寺社があるにもかかわらずそうなのである。

僧侶は「いかなる尊敬も受けていない」。仏教と神道の区別もはっきりしない。民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」。しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。



当時の日本人の庶民たち姿がおぼろげながらわかってきます。

それは、

・武士や僧侶などの、あらゆる権威や上位階級をほとんど気にしない。
・子どもたちへの無条件の愛を第一義的に生きている。
・庶民の中では身分による生活の楽しみの差が存在しない。


というもので、それに加えて、庶民たちは「死も恐れていなかった」という、非常に「強い人たち」であったことがわかります。「死を恐れない」ことに関しては、

日本式ファイト・クラブ:この世こそ極楽であることに感謝し、激動でも素晴らしい時代を死ぬまで生きる
 2015年06月29日

に、やはり、『逝きし世の面影』から抜粋したことがあります。


彼らにはいつでも死ぬ用意があった。侍の話ではない。ふつうの庶民がそうだったのである。

カッテンディーケは言う。「日本人の死を恐れないことは別格である。むろん日本人とて、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ」。



私自身も階級とか権威とかは気にしたことがないのですが、もっと大事なことは「権威とか支配階級という存在自体を忘れてしまう」ことかもしれません。そして、江戸の庶民たちのように「死をおそれない」ようになるためのことを「考え」続けることも。

ところで、今回出てきた「日本人の特性」ですが、中国の歴史書『三国志』の中に出てくる今から大体 1700年前の日本の様子が書かれた「魏志倭人伝」を見ても何となく似ているんですよね。

みんな酒が大好きだったり、集会では父子・男女の区別がないような「平等な社会」というようなところとか、身分の高い人にもそれほど敬意を示さないとか(あと、どうやら男性は、無類の女性好きだったフシもうかがえます)。

その前の時代、たとえば、縄文時代とかもそある程度は同じようなものだったような感じもしますので、日本人というのは、明治時代くらいまでの「この数万年」はずーっと同じような価値観で生きてきて、

「戦後に強制的に価値観を変えることになった」

ということのような気がします。

数万年に対して、たった 70年ですよ。

その数万年も続いたかもしれない価値観こそが日本人に合っているならば、それを「本来の日本人の価値観ではない方向」に強制的に変えられれば、そりゃ日本人がおかしくなっても仕方ないです。

そして、明治までの価値観こそが、日本で何万年も続いた価値観なら、そちらの方が日本人には合っているという気もしますし、戻るのは意外と簡単だったりして

いや、簡単ですし、日本は戻る。

絶対に戻ります。

100円賭けてもいい(安ッ)。

それはともかく、「小さな者たちへの無条件の愛」が、革命的「行動」のすべての最上にあります。

社会を子どもたちに返還する」ということがなされる日が日本の転換点となりそうです。子どもの数は少なくなりましたが、『逝きし世の面影』のような日本に戻すことのできるチャンスはまだあるはずです。

そして、その劇的な変換(回帰)がおこなわれるためには、今の日本のシステムか文明そのものが終焉する必要があります。なので、これは「愛」の話ですが、ゆるい話ではなく、ある程度の決意が必要な厳しい話でもあります。

そして、その日はそう遠くない日にやって来ます。

なお、今回の「子どもたちへの無条件の愛」については、セックス・ビストルズの「ボディーズ」という曲の歌詞を訳していて気づいたことでした。日本の未来への道筋への啓示をくれたジョン・ライドンに感謝します。

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2015年07月09日



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前記事のようなもの:
「革命」(1)

 2015年06月22日



希望の年に考えるべきこと

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最近、あることを毎日するようになって、少しわかったことがあります。

「あること」というのは、大したことではないのですが、日本最初のヨガ行者であった中村天風さんが、ご自身でも毎日していて、また、人々に指導していたという方法で、観念何とか…とかいう、まあ、名前は忘れましたけれど、名前はいいです。

要は「潜在意識を改革する」というような目的のもので、やってみると、思ったよりも効果的な感じですので、書いておきたいと思います。

その前に、今回書くことは、この時代、この世に生きている私たちは、今、非常に幸福な局面に差し掛かっているということについて書きたいと思っています。

たとえば、現在、株式市場や為替市場、商品市場などの金融市場が動揺しています。

短期間でどうなるものではないかもしれないですが、結果的に時間がかかったとしても、この動揺は末期的な動揺、あるいは「最後の動揺」になるはずです。

今後、国債市場も本格的に動揺し始めると、それがひとつの「幸福への転換点」となると思います。

映画『ファイト・クラブ』の主人公が命を賭けてまで達成しようとした、夢の出来事「金融という概念の消滅」への第一歩。あるいはその次への第一歩。

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・肯定的映画『ファイト・クラブ』(1999年)


今の資本主義は、かつて、大恐慌とかリーマンショックとか、いろいろと乗り切ってきましたが、今回の段階はいろいろとちがうものとなるでしょう・・・いや、あとで書きますが、こういう「〇〇でしょう」という消極的な考え方が、私たち人間社会の停滞を招いていました。

「この世は私たち自身が作っている」ということを考えますと、すべては「断定」でなければならないのだと思います。

「金融は消滅する!」

「自然と植物に囲まれた真の人間の生活の時代が来る!」

「新しい地球の時代が始まる!」


強く強く思い、考える

そして、その次に、どんなことが起きても、通常「否定的」とされることが起きても、起きるすべてのことは不幸なことなのではなく、「次の地球の時代」に向かう最も幸せな道なのだということを思い、考える

もちろん、反対に、「今の地球のままでいたい」と思うのならば、それを強く思う。どちらがいいかなんてのは、人それぞれでちがうわけですから「こう考えなさい」という方向はひとつもありません。

この世界は、あるいはこの宇宙はひとつのように見えて、まったくひとつではないのですから、いかようにも人それぞれの「確信した宇宙」を選択できるはずです。

いずれにしても、行動より何万倍も強い「思う」「考える」ということを主体にして生きる。

そして、何年何十年かかるかはわかりませんが、今のすべてのシステムの崩壊という「歓喜の時代」がやってきます。

なぜ、随所に「幸福」とか「歓喜」と入れているのかというと、たとえば私などは、この世の中で、「ひとつのこと」を勘違いして生きていたのです。

その「ひとつのこと」とは、

「破壊」は「誕生に対しての愛」と同義である

ということです。

このことを考えることを私たちは阻害されていたために、私たち人間は、新しい地球を創造できない状態に陥っているように見えます。

しかし、この「破壊が愛であること」は後で書きます。

いずれにしても、今のシステムの崩壊が連鎖的に起きていくはずです。

今のシステムといっても、まあ、いろいろとありますが、たとえば「民主主義」という言葉に代表されるシステムは「不潔」です。「民(人間)がこの世の主体なのは当然のこと」なのに、それが「主義」などと上から目線で制度化されていることは不自然なことです。

もっといえば、すべての「主義」は不潔に感じます。

人間本来の生活に「主義」という言葉は似合いません。

たとえば、朝起きて野菜を作って、昼ごはんを食べて、運動して、また野菜を作って、夜ご飯を食べて眠る・・・という人間らしく、最も進んだ文明の生活に「主義」が必要かどうかということです。

あるいは、そういう生活に株式だとか商品先物市場だとかが必要かどうか。

必要ないものだと思います。

本来の人間の生活に必要のないものが、完全に崩壊・消滅しなければ、地球は、次の高度な文明に進むことはできません。

・・・というようなことを思うことの「断定的信念」の重要性について今回書こうと思っておりますが、まずは冒頭に書きました中村天風さんの「意識の変化訓練」について少し書きます。

実際の生活に役立つと思います。




潜在意識への働きかけを日常にする

これは天風さんの本に出ていたわけではなく、ネットで偶然知ったのですが、中村天風さんは、不安や恐怖、あるいは、克服したい何らかを自分の潜在意識の中にたたき込むための方法として、

就寝する前に鏡を見て、自分に命令する

という方法を人々に教え、ご自身も毎日されていたそうです。

具体的には、まず、鏡で自分の顔の眉間のあたり(松果体のある位置)を強く見て、あるいは睨んで、たとえば、〇〇ということを恐れたくない時は、鏡の中の自分の松果体のあるあたりに向かって、

「お前は〇〇を恐れない!」

と「本気」で強く命じます。

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家康くん「天下取り」宣言


強迫観念などの強い方なら、

「お前は〇〇を気にしなくなる!」

などでもいいと思います。

ポイントは、

・1回にひとつの項目を1度だけ命じる
・命令したことが現実化するまで、同じ命令を続ける


ということで、つまり、1回に同じことを何度も言ったり、あるいは、いろいろな種類の命令を言ったりしてはダメだということのようです。あくまでも「ひとつが現実化するまでは、それだけにする」ということです。

そして、大事なのは次で、眠る前に上のように命じた後、次は、起きた直後に、昨夜の命令の「結果」を自分に「断定」するのです。

たとえば、上の「お前は〇〇を恐れない!」に対しては、

「お前は〇〇を恐れなくなった」

と、結果を断じるのです。
そうなっていなくても断じるのです。

これを、実際に「〇〇を恐れなくなる」まで続けるというものです。

天風さんは、眠る前と起きた直後にこれを行うというようにしていましたが、日々の、どの局面でも、鏡があるならやって構わない気がします。ただし、その間でも、現実化するまでは「命令はひとつだけ」を徹底した方がいいようです。

さて、ここまでは「こういう方法があります」というだけの話でしたが、この方法を知った時に、私が気づいたことは、この方法には私たちが今まで気づかなかった「2つの特徴」があることです。

それは、

自分に対して命じている

ことと、

「お願いします」口調ではない

ということです。

中村天風さんのこの方法は、

「神様、お願いします」というような他力本願では何もかなわないことを明らかにしている

一方で、

人間は、「自分に対して自分が命令できる存在」である

ことも明らかにしています。

ちなみに、このことから思ったのは、神社などで頭を下げて、「お願いいたします」というのも、単なる行事としてならともかく、本気ならやめた方がいいと思います。

私は昔から、神社でお祈りやお願いをするという意味が分からず、震災後、特にわからなくなってしまい、神社などでは祈りもお願いごともしませんが、あながち間違った行動でもないかもしれません。

そして、神社で頭を下げることは、自分自身の存在を低くするような気がします。

頭を下げている対象の高い低いはともかく、特定の場所やモノを信仰の対象にすればするほど、人間自身の霊性が下がるような気がします。

おそらくですが、宗教的な彫像や宗教的な建物(寺院や教会など)も含めて「偶像崇拝」はすべて洗脳か、あるいは誤った喧伝のように思います。

なぜなら、どの宗教でもその聖典の時点では偶像崇拝を禁じているのに、どの宗教もその教えに反した偶像崇拝になっているのはおかしい。どこかで何かのネジが逆に回された結果のように思います。




破壊は愛であるということ

この天風さんの方法で、さらに大事なことは、この方法が自分に対して「お前」という上から目線で呼ぶことが推奨されていて、まあ、女性の場合は自分に「お前」は不自然感もあるでしょうので、「あなた」とかでいいのでしょうけれど、とにかく、「自分に命じる」こと。

これは、その具体的な願望が成就しなくても、常に自分が自分の潜在意識に命じているという繰り返しをおこなうことで、「信念」が鍛えられる実感をわりとすぐに覚えると思います。

そして、その中で私は、ふと、「私自身の信念は何だったのか」に気づいたのです。

あるいは、最近書くことの多かった「肯定的態度」の終着点的なひとつに気づいたのです。

それは、

私は破壊のために生まれてきた

ことと

今の文明の崩壊はこの世の人類にとって、とてつもない「幸せの極地」だという確信

です。

「創造」というものがどのように生まれるかということを、今一度考えみていただきたいのです。

創造のために必要なもの・・・というより、創造の「母」は何か、というと、

創造の母は、破壊

であることに、疑いはないはずです。

赤ちゃんが生まれる前には、一般的には男女の生殖行為があり、そして、一般的には、その場合は男女間の「愛」が介在しています。

その「愛」が赤ちゃん、つまり「次の人間」の誕生につながります。

創造が赤ちゃんならば、破壊は「愛」に相当することがおわかりでしょうか。

破壊は、愛

だという「確信」が生まれます。

「愛」以外の言葉で、当てはまる例えも対象も思い浮かびません。

「破壊というものは悪」だと私たちは何となく思い続けてきましたけれど、これは簡単にいえば、洗脳だと思います。

なぜなら、「破壊は悪」という概念は、人生の永遠性を否定するものだからです。

具体的にいえば、輪廻転生を否定するものだからです。

私たちが最も考えるべきではない観点にあるものだからです。

輪廻転生をベースとして、人生は永遠だと考えますと、創造と現状維持だけでは、どこかで停滞するか行き詰まってしまうことは明白だと思います。

聖書『ヨハネの黙示録』21章05節に、

「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」

という言葉がありますが、このような「すべてのものを新たに」というフレーズから私たちは「創造しか考えない」傾向があります。

しかし、冷静に考えてみれば、すべてを新しくするには、「破壊」がすべての前提となることに思い至ると思います。破壊が既存の存在を打ち消して、やっと、「創造」という赤ちゃんが生まれる

私たちはこの人生の中で、「破壊を悪と見るように教育されてきた」ということは言えると思います。破壊を賞賛する価値観を学んだのは、私の場合は、学校ではなく、十代の頃から親しんだパンクや、気のふれた映画からでした。

そして、拡大して解釈すると、

悪と善は平等である

と「考えること」さえ私たちは阻害されてきた。

「悪という悪いこと」が存在するということと「善という良いこと」が存在するという考え方も洗脳だと思います。悪と善は、植物と人間の関係と同じで、形の違いはあっても基本的に同質のものです。

なぜなら、たったひとつの宇宙の真理というのか、神様というのか、そのあたりの表現はどのようなものでもいいのですが、その「唯一」の存在は「善」そのものであるわけで、そこから考えると、本来は悪いという意味の悪はなく、それでは「どこで嫌悪するような悪が発生しているか」というと、それぞれの「自分の中」だと思います。

これは、恐怖感や不安感と一緒で、「悪」も自分の中で一生懸命作られる。

そして、ついには、

「悪魔は恐ろしい」

とかの考えに至る。

もともとなかったものが次々と人間に「創造」される。

しかし、悪と善は同じなのですから、仮に「悪」が自分の中に生まれても、それを怖がるほうがどうかしているようにも思います。それはつまり善なのですから。

悪は自分の(頭か心かはわかりませんが)中で作られている「自分だけの創造品」なのですから、むしろ悪は嬉しく愛でる対象かと思います。

過去記事の、

ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係…
 2014年07月26日

などで書きましたけれど、小説エクソシストのメリン神父は「悪と善の平等性」に気づいていた気配もありますが、神父という職業上、彼は悪魔払いを継続して、悪魔に殺されてしまう。

映画エクソシストのメリン神父の役を、中村天風さんにやってもらっていれば、映画のような深刻な悪魔払いにはならず、

「宇宙には真善美しか存在しないので、悪魔は存在できません」

といった瞬間に、リーガンの中にいる悪魔も「悪魔って何だっけ」ということになり、混乱して渋々とリーガンから出ていき、1980年にスウェーデン人女優と結婚し、二児を儲けるが、1996年に離婚することになります(難解な悪魔の人生かよ)。




自分が変われば世界が変わる(世界は自分だから)

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悪魔の複雑な人生はともかくとして、この「悪と善の平等性」を含めて、私たちが、今の人生の中の教育や喧伝の価値観の中で、もっとも封印され続けてきた知見は、

・人間の持つ力の偉大さ
・人間と植物、動物、鉱物との真の関係


などのように思います。

特に、全世界においては過去数百年、日本においては過去 100年くらいの間は「人間の持つ力の偉大さ」を、私たちに気づかれないようにした教育と喧伝が続けられてきたと思われます。

その洗脳と喧伝をおこなったのが誰かなどわかるはずもないですし、そんな存在には興味を持つべきではありません。

私たちが「現実」に気づけば、その存在自体のすること自体に意味がなくなるわけですから。どんなことでも相手が悪いのではなく、この宇宙の仕組みは「責任も義務も自分にある」ということを強く自覚することです。

自称プレアデスの人などが言うには、この地球には「所有者」(いわゆる神々というようなもの)がいて、その存在たちが、人間にフェイクの世界を見せる一方で、「人間の偉大性」の知見を阻止しているとのことですが、そんな神々のことを私たちは気にすることはないです。

もはや、そんな存在はどうでもいい。
放っておけばいい。

存在を無視すれば、その存在は消えます。

私たちが気にするべきは「たったひとつのだけの神(と呼ばれるもの。呼び方は何でもいいです)」で十分です。

自称プレアデスの人たちも、こまごまとした神々の存在を気にしすぎていて、そんな態度では、あまり肯定的な存在にはなれないよとアドバイスしたいですが、連絡の取りようもないですので、自称プレアデスの人たちも放っておくしかないです。

しかし、この自称プレアデスの人が言うことには、見習うべき点もあります。

たとえば、

「自分以外の何も信用しないこと」

と自称プレアデスの人は何度も言っていますが、これは、特に今の多くの地球の人びとにはとても大事な概念だと思います。

なぜなら、私も含めて、今の多くの人たちが「学ぶ」ばかりだからです、
完全な「自分のオリジナリティの中だけで自分とは何かを考える」時間が少ない。

自称プレアデスの人の言葉を少し抜粋してみます。

ちなみに、最近の私は、過去記事、

ついに登場した私の救世主に気づく:「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録
 2015年06月17日

で書きました、まさにそのバーネットさんの講演で「学ぶのをやめなさい」と師に言われて以来、あまり本を読まなくなりました。

ちょうど鬼のように本を購入していた時期ですので、購入して読み切れていない本が山積みになったままなのですが、たまに適当なところを開いて、数行読むというのがほとんどになりました。

不思議なことに、確かにバーネットさんの言うように「学ぶのをやめる」と、次々といろいろな知識を得ることができることに気づきます。

今は本に関しては、ちょっと時間がある時に、積まれている本から適当に一冊手にして、適当にパッと開いて、1ページくらい読むという感じです。

ちなみに、この時、本を開くときに「自分が適当にパッと開いたところには、絶対に、今の自分に役に立つことが書かれてある」と「確信しながら」開くと、必ず自分に有益な情報に辿りつきます。

これは、よろしければ、ぜひやってみて下さい。

本を開く前に、そこに自分に役に立つことが絶対に書かれてあると「本気で」考えるのです。多分その時に適当に開いたページに知りたい情報が書かれています。

どんなことでも、「確信」は大事だと最近思います。

ちなみに、先日の「植物が緑の理由」の記事にしても、植物が緑である理由も最初は、ふと「根拠のない確信」を思いついただけで、そこから植物について学ぶのをやめて、自分の中にあるものだけで後付けで理論を組み立てました。

葉緑素だの遺伝子だのをいくら調べて学んでみても、植物が緑である理由に辿りつくわけもないですので、このことを考えたのが、バーネットさんから教えを受けた後だったのは時期的にラッキーだったと思います。

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さて、では、自称プレアデスの人の言葉からの抜粋です。


プレアデス+地球をひらく鍵』より

地球では、神や女神を疑うのは失礼であるとされています。子供が大人のいうことを疑うのが失礼であると見なされるのと同じことですが。

「子供は見られるだけの存在で、意見を聞く必要はない」というわけです。

神々の子供として、あなた方はこれと同じ劣悪な位置づけを自分に与え、年長者は絶対に正しいという原則を採用しています。

すべてのことを疑って見ることを私たちは推薦します。

私たちが言うことをふくめての話です。

なぜなら、あなた方は疑問を持つ権利があるだけではなく、義務があるのです。あなたが主権者となり、あなた自身の身体を所有し、あなたの好きな現実を実現する鍵はこれです。




この自称プレアデスの人は「自分のことも信じるな」と言ってくれているので、ご好意に甘えて、私はこの自称プレアデス人の言うことをまったく信用しないことにしました。

ということは、このプレアデス人の言葉が書かれている本(そして、他のすべての本も)、その記述に感心したり感動したり気に入ったりする部分は、すべて自分の責任においての選択となるということになります。

つまり、いわば、このプレアデス人の言葉が書かれている本(そして、他のすべての本)は「すでに自分の書いた本と同じ意味になっている」ことがわかります。

どんな本でも、気に入った部分があるならば、それは、その人が「選択」としたものである限り、その世界は、あなたや私自身のものですので、つまりは、自分たちで記したものと同じと考えていいのだと思います。

ついでに、先ほどの自称プレアデス人(もはや信用度ゼロ)の記述の少し前にある記述もよいものですので、抜粋します。これは私が「よい」と感じたものですが、そんな私と、その意見を絶対に信用してはいけません。選択することと「疑問を持つ」権利と義務は各自にあります。

自称プレアデス人(信用度ゼロ)と私(信用度ゼロ)が書いたものではなく、読んでいるあなたが書いたものだと考えるといいのかもしれません。


『プレアデス+地球をひらく鍵』(信用度ゼロ)より

あなた方は現実を自分でつくり出しているのですから、どんな現実をつくるか注意する必要があります。また、自分がいろいろと考えるとき、いくつぐらいの次元に自分を存在させるのかも監視する必要があります。

ただぶらぶらして何かが起きるのを待っているふりをしている自分をどうにかしなければなりません。

さまざまな考えが次から次へとあなたの頭のなかを駆けぬけ、あらゆる情報がもたらされますが、そうしているあいだにも常に現実を創作していることに気づいていません。

あなた方は自分自身の信念を自分に隠しています。
あなたの力を自分に隠しています。

思い出してください。人間という種全体がテレビと教育体制によって、自分自身の無力さを信じるようにプログラムされているのです。

自分の現実を自分で創作するのはめずらしいことで、それ以外の場合はそんなことはできないし、ある種の状況にあっては自分ではどうにもならない、と考えたりする罠にはまり込まないでください。



私はこの中の、

> ただ、ぶらぶらして何かが起きるのを待っているふりをしている自分

という言葉に打たれたのでした。

これはまさに今までの私の姿そのものであります。

そして、バーナンキ・・・じゃないや、えーと・・・。

ジェイコブ・バーネット(1998年 - )
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…ジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録


このバーネットさんからの教えを得るまでは、

「行動しないと始まらない」という「洗脳」

に強く浸かっていたんですね。

しかし、この世を変えるのは、「考えること」、あるいは「強い信念を持つこと」だということに気づけば、そこからは早いです。

「必ずこの世は変わる」と確信する。

「自分が変われば世界は変わる」という信念を持つ。

あるいは信念はそんな大層なことではなくとも、何でもいいのだと思います。

「私は必ずチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の名前をソラで言えるようになる」

でも何でもいいんです。
確信が確信だと認識できれば。

ほら、もうソラで言えます。

チュ……(だめじゃん)。

そして、実現しなかったら、また確信して自分に命じればいいだけです。




自分の人生を強く肯定する

自称プレアデス人は、テレビと教育体制を批判していますが、テレビなんてのも本と同じで「自分がテレビをつけた瞬間には絶対に自分に有益な情報が流れている」と考えていれば、テレビも有益なツールになります。

私は若い頃からの習慣で、基本的にテレビを見ない生活をしていましたが、最近は、うちの子どもが見る番組などを一緒に見ています。

うちの子どもは、NHK教育の『すイエんサー』とか、NHK の『ためしてガッテン』とか、日テレの『ザ! 鉄腕! DASH!!』あたりが好きで、どれも大変に生活上の参考になりますし、ついでに最近は TOKIO の山口達也師のファンになったりもしていて、NHK 教育で夜7時からやっている『Rの法則』という山口師が司会の番組も毎日見ています。これも子どものお気に入りです。

この『Rの法則』のお陰で、7時のニュースなどという暗い番組を見ないで済んでいることも効果大です。7時のニュースは最後の天気予報だけ見ると、とても美しい天気予報士の方の姿を見られたりして、一挙両得であります(なんか日本語の使い方がちがうぞ)。

山口達也師の偉大さは語りきれない部分がありますが、それはともかく、「必ず〇〇となる」と確信する際に考えなければならないのは、私も含めた、皆さんそれぞれの人生を「強烈に肯定する」ことだと思っています。

まずは「過去」。これを否定的に捉えていては、未来への確信はあやふやなものになります。

ですので、

「自分の人生はここまで非常に素晴らしかった」

と「過去を確信する」。

いや、これは私自身に置き換えてみれば、最近はいろんな賢人たちの言葉などを知ったり、植物の意味を知ったりと、いろいろと嬉しいことがあるわけですけれど、ここに至る自分の人生での出来事の「すべて」が今に至る道の中で有効だったということに気づきます。

無駄な出来事や無駄な日々というものは「ひとつ」もなかった。

病気がちな子どもで生まれたことも、学校制度に馴染めなかったことも、神経症やパニック障害になっていたことも、何もかも無駄ではなかったし、中学でパンクと出会い、東京では演劇と出会ったりして、その中で出会ったバカ友たちや気の狂ったアートの数々も、すべてが今に結びつくものだと気づきます。

何年間かの間、毎日、一日中ギャンブルをして過ごしていた時期もありましたし、放浪みたないことや、女の子のいる飲み屋にハマりまくっていたことなども、すべてが今に結びつくものだと思います。

特に、飲み屋の女の子たちの言葉からは多くを学びました。
私の人生の中で、彼女たちは集合体として最大の先生のひとりだったと思います。

もうそういう所に飲みに行くこともなくなっちゃいましたけど、素晴らしい記憶として残っています。

こんな人生をまとめたような書き方をしていると「今がゴールなのか」というような感じに伝わってしまいかねないですが、「今がゴールか」というと、人生の永遠性を考えると、ゴールという概念はウソであることに気づきます。「何かにゴールがある」という概念は洗脳です。

ここまで読み返しますと、混沌とした感じですが、とにかく、

「世界を変えるには、世界に働きかけるのではなく、自分に働きかける」

という原則を「確信する」ことが大事なのだと思います。

過去記事、

過去同様の美しき日本の未来を実現することは「必ずできる」ことを野口晴哉さんの言葉で確信する
 2015年06月20日

で書きました、野口晴哉さんの言葉、


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世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の世界の中心はあくまでも自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。



は象徴的な言葉ではなく、この宇宙の「物理的原則」だと思います。

この世は、野口さんのこの言葉のように創造されて運営されている、ということを「強く」確信するのです。

基本は「そう考える」だけですので、そういう意味では、自分の表面上の生活を変える必要は少しもないですし、人と意見を交わす必要も、議論する必要もないです。

あるいは、こんな私のようにベラベラと書いたり喋ったりするのも無意味ですが、私の場合、書いている時しかあんまり考えないので、書くことが「信念ボケ防止」になっているようです。

ふだんは相変わらず何も考えていません。

雨が降り続けているので、本当はもっと歩きたいです。
運動、運動、また運動。

締めに中村天風さんの言葉を記しておきたいと思います。
戦後の講演を収めた『運命を拓く』からの抜粋です。



座右箴言

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私はもはや何事をも恐れまい。それはこの世界ならびに人生には、いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう宇宙真理ができているからである。否、この真理を正しく信念して努力するならば、必ず何事といえども成就する。

だから今日からはいかなることがあっても、また、いかなることに対しても、かりにも消極的な否定的な言動を夢にも口にするまい、また行うまい。

そしていつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。

同時に、常に心をして思考せしむることは、”人の強さ”と”真”と”善”と”美”のみであるよう心がけよう。

たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。否、一切の苦しみをも、なお、楽しみとなすの強さを心にもたせよう。宇宙霊と直接結ぶものは心である以上、その結び目は断然汚すまいことを、厳かに自分自身に約束しよう。

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2015年06月22日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





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今日は風邪でまだ療養中というか、「風邪の経過を今ふたたびきちんと感じてみる」ということに没頭しようと思っていますが、ふと気づいた「あること」がありますので、書いておきたいと思います。

ややおおげさなタイトルをつけていますが、それほどおおげさな話ではないです。


「革命の意味」に翻然と気づき

最近の記事の流れ、例えば、

「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

に記しました概念である「この世は、人間が認識してはじめて存在する」ということ、あるいは、そこから導かれます、

この世も自分も基本的には存在しない

ことが前提となる話です。

その後書きました、

「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録
 2015年06月17日

では 13歳の少年バーネットさんが述べました、

考えることがすべての《創造》の始まり

であることをご紹介していますが、そのふたつの記事から辿ることのできる結論のようなことについてを書きたいと思っています。

ジェイコブ・バーネット(1998年 - )
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YouTube


あるいは、前回の記事に書きました、野口晴哉さんの言葉


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世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。



などを、ひとつの流れとして考えてみますと、「革命」という概念が、この一連の流れの中に隠されていることがわかります。

あるいはこの流れは、中村天風さんの以下の言葉がある程度代弁しているのかもしれません。下は中村天風さんの講演集『運命を拓く』の最初の章からです。

中村天風(1876 - 1968年)
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天風会


中村天風『運命を拓く』 朝旦偈辞(ちょうたんげじ) より

どんなことがあっても忘れてはならないのは、心というものは、万物を生み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプと同様である、ということである。パイプに穴が開いていたら、洩れてしまう。だから、そっぽを向いていたら何もならない。

今まで気付かずにいたかもしれないけれども、人生の一切は、健康であろうと運命であろうと、肉体も、心も、また環境も、すべてが人の心によって創られているものである。



ここで天風さんが言う「すべてが人の心によって創られている」という「すべて」とは、言葉の通り、「すべて」であると解釈して構わないと思われ、つまり「個人の運命だけではなく、世界全部が人の心によって創られる」ということになるように思います。

ここから辿りつく「本当の革命というものの正体」は、かなり単純なことであることにも気づきます。

革命とは「ひとりひとりが考えること」

であり、それがすべてだと思うのです。

どんなことを考えるかは自由でしょうし、あるいは「自由でなければいけない」のかもしれません。
考える内容は何でもいいのですが、大事なのは「自分の考えに基づいたものである」ことです。
それが最も大事なことだと思います。

学ぶことは大事かもしれないですが、人から学んで習得したことだけを考え続ける限りは、そのことを探究はできても、「完全に新しいもの」は出てこないとバーネットさんは語ります。




一日に5分でも10分でも「真剣に」考える

私たちは日頃、いろいろと考えているようでも、実際には、現代社会では「独自に」考えている時間はそれほどではなく、あるいは、真面目にいろいろなことを考えている人になればなるほど、「学ぶことに気を取られて」考える時間を削られている傾向もあるかもしれません。

あるいは、開いた時間を積極的に娯楽や読書やテレビなどに費やしている方は、それらに身を投じている時間は、「自発的に考えている時間ではない」ということにもなります。

もちろん、娯楽や本やテレビをすべて止めるなどという馬鹿げたことを勧めているわけではないです。そして、そんな必要もないわけで、することは、1日に 5分でも 10分でも、ほんの少し「考える時間」を当てるだけで何かが劇的に変わるはずです。

つまり、


《革命の準備》

毎日の生活の中に「ほんの少しだけ考える時間を作る」



ということになります。

これはある意味、真理だと思われます。
他の「方法」はどう考えても思いつきません。

あらゆる行動も、言動も、革命の意味としては「考えること」以上のものではないと考えられます。

そして、この「革命の準備」が何ヶ月に及ぼうと、何年、何十年に及ぼうと、それは構わないのだと思います。かのニュートンでさえ、「科学の革命」を果たすことはできても、この世の真理には到達できませんでした。

晩年、ニュートンは以下のように述べています。

「私は時折、普通よりすべすべした小石や奇麗な貝殻を見つけて子供のように夢中になってきたけれど、私の目の前には依然として真理の大海が発見されずに横たわっていた」( Wikipedia

晩年のニュートン( 1642 - 1727年)
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THP


仮に、「真理に辿りついた時に、革命の準備が終わる」のだとすれば、ニュートンでさえ準備までで終わったのですから、人生が「革命の準備だけで終わる」のは、ごく普通のことだと思います。人生は基本的には繰り返しますので、あまり気にする必要はないはずです。

なお、考える時には、「理論的に考えて考えて考え抜く」ということが大事な気がします。

徹底した理詰め。

整合性と科学と「常識」を考えの基準として、非常識やオカルトの考えを排除する。

もちろん、考える時以外に、娯楽としてオカルトやスピリチュアルと親しむことには罪はないかもしれないですが、娯楽以上にはあまり必要のないことにも思います。

多くの書や賢人たちの言葉は、迷信や非常識にふれないように教えていたことを、少なくとも「考える時には」思い出すべきです。



旧約聖書『申命記』 18章9-14節

あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。

あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。

これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。

あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。

あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。





そして、考える時には、「考えが次々と変転することは望ましくない」ということもあります。

ひとつのことを考えている時は、それ以外の考えが入り込まないようにしたほうが良いはずです。
参考として、『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている 1909年のシュタイナーの講演から抜粋します。


シュタイナーの1909年の講演『実践的な思考方法』より

人間が半時間、横になって休憩するとき、たいてい思考を戯れに任せることになります。そうすると、何百、何千という考えが紡ぎ出されます。

あるいは、人生の心配事に関わり合っている人がいるとします。その心配事は意識のなかに忍び込み、その人はその心配事に煩わされます。そうなると、決して正しい時に正しいことを思いつけません。正しい時に正しいことを思いつきたいなら、つぎのように行わなくてはなりません。

半時間休息できるとき、

「自分自身が選んだ対象を、意識のなかに置くことにしよう。以前に体験したこと、例えば二年前に散歩の途中で経験したことについて考えてみよう。当時体験したことを、自分の意志によって思考の対象として、それについて五分間考えてみよう。その五分間は、他のことを一切考えない。思考の対象を、自分で選ぶのだ」

と、思わなくてはなりません。



このように、考えることについては何でもいいようです。

要は、思考の対象を選ぶことによって、「自分の意志を自分で支えることを体得する」ことを学習すれば、最初はその個人の理想に対して、そして、それはついには、社会の理想に結びついていくものだとも考えられます。

もちろん、自分や社会を理想的にしたいのなら、考えることについては、理詰めであると同時に「肯定的」でなければならないことは明白です。中村天風さんは、この宇宙の基本には「美と真と善しかない」とおっしゃっていますが(悪や憎など、それ以外を創り出すのは宇宙霊ではないもの)、それをベースに考えれば、悲しみとか憎しみとかの感情を入り込ませることは無用のようです。

これらの4つのこと、つまり、

1. 独自で考えること
2. 肯定的な方向に考えること
3. 常識的な視点から理詰めで考えること
4. ひとつの考えに集中すること


があれば、その内容はどんなものでもいいと思われます。

1日のうちに考える時間を、ほんの少し設ける。
これだけのことで、個人も世の中も良くなるはずです。

「この世はそんな簡単なものではない」と思われるかもしれないですが、智恵者たちの言葉や、量子力学などから見れば、この世のメカニズムはそのようなものであるというように考えるのが自然です。

野口晴哉さんの、

世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。

という言葉は例えではなく、現実とはそういうことなのだと述べていると感じます。




「存在の革命」への答え

20年くらい前、当時はまったくテレビを見ない生活だったんですが、偶然、夜、NHK教育をつけた際、作家の埴谷雄高さんが 50年間に渡り書き続け、ついに未完で終わった長編小説『死霊』(しれい)に関しての特別番組を5夜連続で放映していたところに出くわしたことがあります。

当時、うちはテレビを録画できませんでしたので、録画できる友人に電話して、放送を録画してもらいました。その中で、埴谷さんは、この『死霊』という小説の最終目的は「存在の革命」だとおっしゃっていました。

埴谷さんは若い時に政治運動をおこなっていて、その経験から「社会革命ではだめだ」という考えになっていきます。

埴谷雄高(1909年 - 1997年)
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NHK教育 ETV特集 埴谷雄高 独白「死霊」の世界(1995年) より

埴谷 それは社会革命だけでは駄目だと思ったからです。マルクス主義と共産党というのは、社会だけ革命すればよいと思った。しかし、それでは駄目だということがよく分かった。

存在の革命、存在自体に向かって「畜生、お前、こういうもんじゃだめだ」というふうにやらなければならないと。人間が食物連鎖で物を食べる以上、そういうものを全部克服しなければ駄目です。食物連鎖も、イワシならイワシが人間に食べられて、恨みがこもっている目で見ている。

そのイワシの恨みもちゃんと受け止めておいて書かなきゃ駄目なんですよ。それを全部超えないと。これは大変なんです。

『死霊』のなかで、三輪与志(よし)というのは、タコを噛んだときに初めて食べるのをやめるんですよ。初めて生き物を噛んだ実感がタコを噛んだときに出た。そして手を自分で握ってみるんですよ。

これは要するに、悪い時代に僕は生まれちゃったんですよ、あなた。

(記者)悪い時代に生まれたというのはどういうことですか?

埴谷 あたかも社会革命ができるかのごとき時代に生まれあわせたということです。社会革命だけでは駄目だと思ったら、存在まで革命しなくちゃならないということになった。

とてもそんなことはできないですよ。できないけれども、文学ならやれると思ったのが運の尽きですよ。文学ならやれると思ったから。





上の埴谷さんの言葉は、NHK から出版された『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』に収録されています。

埴谷さんは、「現実にはそんなことはできない」とおっしゃっていましたが、冷静に考えれば、

「存在の革命はできる」

ということに気づいた次第で、埴谷さんのこの独白に衝撃を受けて以来、20年を経て、「存在の革命」への答えのようなものが示すことができたことは嬉しいです。

ちなみに、タイトルに(1)という番号をつけていますが、連続してこのことを書くという意味ではないです。あるいは、「革命」というタイトルの連番は(1)で終わりかもしれません。

それでは、風邪の経過を観察するために休息します。

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