【日本の未来】 の記事一覧

2015年06月18日



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本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だったことを思い出し、プレアデスの人やバーネット師の言葉からそれを発動する日を夢想する



1897年頃の日本の路上の花売り
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▲ 過去記事「日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景」より。






 



「地球は地球でやる」、あるいは「日本は日本でやる」ために私たちがするべきこと


最近は、日本について、やや悲観的なことを書くことがあります。

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフ…
 2015年01月30日

なぜ日本は「変」に? それを知るには150年前の日本を見てみるか、あるいは、シュタイナーの「唯物論に破壊される世界」という100年前の言葉を思い出してみるか
 2015年06月10日

という記事などがそうですが、今気づきますが、こういうネガティブな発想こそ、

私自身が、「情報を受け取るだけで、それを良くしようと考えていない」という証拠

となるものです。

我ながら、「いかに考えていないか」ということを思い知らされます。

前回の記事、

ついに登場した私の救世主に気づく:「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 …
 2015年06月17日

で、バーネット超大師(マグマ大使かよ)は、

「知っていることを すべて 忘れ、再創造しろ」

とおっしゃってくれているわけで、大師は数学や物理の話をしていたので、勉学のことのように思われるかもしれないですが、大師は「すべて」についてのことを語っているはずです。

日本・・・といえば、上にリンクしました「なぜ日本は「変」に?…」でもご紹介しました『逝きし世の面影』という、幕末から明治の日本を訪れた外国人たちが、日本という国の素晴らしさに感嘆している多数の事例が書かれている本の時代の日本。

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結構厚い本で、類例は夥しいですが、たとえば、1889年(明治22年)に、イギリス大使として来日したヒュー・フレーザーという人の奥さんだったメアリー・フレーザーさんという方は、日本に滞在していた時の心境などを数多く残していますが、たとえば、下は、彼女の日本滞在時のご自分の心境描写のいくつかです。

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・メアリー・フレーザー英国公使夫人




メアリー・フレーザー夫人の日記より

「ただただ、陽気な笑いの発作がこみ上げるばかりでした。涙を出さずにはおさまらない、喜ばしく、たわいない笑いでした。突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」

「道すがら刻一刻と新しい光景が開け、新たな疑問もわいてきて、今まで想像されたこともない詩情とか、ちょっとした新鮮な楽しみなどを日常のなかに開示してくれる」

「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間たちのなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」





100年ちょっと前は、日本という国は、ここに来た外国人たちを「徹底した愛と、肯定的な態度に導いてしまう」という、映画『美しき緑の星』の「切断プログラム」のような国だったのです。

「そこにいるだけで切断される」。そんな国。

そして、その土地に住んでいたのは、120年前でも、今と基本は変わらない日本人です。

「この国の下層の人々は・・・もっとも生き生きとして愉快な人々」という下りなどは、ピラミッド型の階級社会と比較すれば、「パラダイス」の観念以外の何ものでもないです。

「下層」かどうかはわからないですが、当時の労働者たちは下みたいな人たちでした。

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過去記事

これは「労働者の休日」と題された 1897年頃の写真ですけれど、何となく「あんたらは、平日もそんなんだろ」という気がする好きな写真の1枚です。

しかし、たった 100年ほど前までパラダイスだった国が、今はやや地獄に向けて傾きだしている感もあるのですけれど、それは「不可能性ばかり」を見ていたからです。

実際には「過去に同じような人が実現できていたことを取り戻す」ことなど、本来は簡単なはずです。ですので、日本はパラダイスに戻ることができると確信して話を続けます。

いずれにしても、昨日の記事のバーネット大師の言葉の本当の意味を理解するまで、私はどうも「不可能性」にとらわれすぎていたようです。

「どうにもならない」

「もうだめだ」

「どうすることもできない」


このあたりの観念が無意味なものだということについては、バーネット大師も、あるいは、中村天風さんなども、「不可能性や限界線を築くことの無意味さ」を言っているように思います。「すべては実現可能なこと」だと多くの人が言っているのですから、すべてのことは実現可能だと考える他はないようです

病気もそうです。

あるいは何でもそうです。

なので、

「たった1人の(ひとりひとりの)」の「行動ではなく」、「考え」だけで、「すべてを変えることは可能」

だと考えるようにすることにしました。

こう考えることは難しいですが、そう考えるようにしました。

それでも、やはり、個人の力で日本全体を変えることなどできない?

そんなあなたにプレアデス。

こちらの記事で、一方的に宣戦布告して以来、交戦中の自称プレアデスの人ですが(苦笑)、その方の言う話のひとつをご紹介しておきたいと思います。

相変わらずの上から口調ですが、内容は私たちが「地球は地球でやる」ために、大変に必要なことが書かれているような気がいたします。


プレアデス人の言葉 vs 地球人の言葉




『プレアデス+かく語りき』 第21章 三次元で進化することにコミットする より

私たちの観点からすると、あなた方は、皆、すべてを知っています。あなた方がしなければならないのは、あなたという存在のなかに貯蔵されている記憶を活性化することだけです。

あなた方のなかには、人生を体験するなかで呻き声をあげ、次のように悲鳴をあげているのが、私たちにも聞こえます。「ときには、助けてほしい」。それでは、あなた方が歩むことのできる道、絶対うまくいく公式を提案しましょう。

その公式はきわめて単純なものです。瞬間瞬間、毎日毎日、あなたが何を体験したいかを明確に、首尾一貫してデザインすることです。おそらく、あなたが望むことは誰か別な人の境界線、限界線を敷いた考えからすれば、不可能の範疇に属するかもしれません。

自分がいかなることにも値する存在であることを優雅に受け止めながら、あなた自身のなかに、何があなたを幸せをもたらしてくれるのかの答えを探してください。

あなたに上昇感を体験させ、接続感を感じさせ、生き生きと躍動させてくれるのは何でしょうか。あなたが人間の身体に入っているそのときに、地球に平和をもたらすどのような体験をあなたは望むのでしょうか。

それがどのようなものであれ、いまこの瞬間から、それを願いはじめてください。

何度も強調しますが、あなた方は肉体的な存在を超えた存在です。あなた方は数多くの現実に同時に存在し、数多くの指導霊に見守られています。

ですから、何を意図するかについてもっと明確になる必要があります。あなた方は何がほしいのですか。はっきりいってください。あなたが意図することが何であるか明確になってください。”私は意図する”という言葉にはものすごい力が秘められています。





この、自称プレアデスの人の言うことには、かつての地球人と似た内容を含むことに気づきます。

19世紀のセルビアの予言者、ミタール・タラビッチの言葉です。

その部分をご紹介します。

訳は、2010年02月19日のヤスの備忘録の記事から拝借しています。

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・ミタール・タラビッチ(1829 - 1899年)




ミハール・タラピッチの予言(部分)

人間は地中深くに井戸を堀り、彼らに光とスピードと動力を与える金を掘り出す。そして、地球は悲しみの涙を流すのだ。

なぜなら、地中ではなく地球の表面にこそ金と光が存在するからだ。地球は、自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。人々は畑で働くのではなく、正しい場所や間違った場所などあらゆる場所を掘削する。

だが、本物のエネルギー源は自らの周囲にある。

エネルギー源は「見えないの?あなたの周囲にある。私をとって」などと言うことはできない。長い年月がたってからやっと人間はこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになる。

このエネルギー源は人間の中にも存在しているが、それを発見し取り出すには長い歳月がかかる。だから人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。

彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

だが、人間が一度この気づきを得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。この本来の知識はあまりに単純なので、これをもっと早く発見しなかったことを後悔する。

人間は、何も知らないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことをする。

人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。

人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係のもとで見えなくなってしまう。だれも彼らを強制するわけではない。

人間は自分の自由意思からこうしたことを行うのだ。





ここまでです。

このミハール・タラビッチ(長いですので、以下「タラさん」とさせていただきます ← 軽いな)の予言のこの部分は、まさに「現在の社会」という感じがしないでもないのですが、ここにある、

このエネルギー源は人間の中にも存在している

というフレーズは、さきほどの自称プレアデスの方の言う、

あなた方は、皆、すべてを知っています。あなた方がしなければならないのは、あなたという存在のなかに貯蔵されている記憶を活性化することだけです。

というものと似たニュアンスを感じます。

そして、

人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

というのも、プレアデスの人が地球人にうながしていることと大体同じですが、それでも、この書き方では「地球の人間もいつかは気づく」ということのようです。

また、

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。

彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

というように、「本を通して多くのことを考える」ような人たち、まあ、つまり私のような人たちは、「人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害」になると言っています。

では、どうしたらいいかというと、前回の、バーネット師の

「学ぶな」

というひとことに行き着くわけですが、他にも、大師の、

「知っていることを「すべて」忘れ、再創造しろ」

「あなた方はみんな間違っている」

「既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけない」


という言葉は、そのまま今の私たちに対する「実践的な言葉」として響きます。




自分から「限界線」を取り除く努力

もちろん、私もそうですが、突然「学ぶことをすべてストップする」ことは難しいです。
しかし、生活の中で、「考える比率を増やす」ことはできるはずです。

また、私の場合は書くこと自体が考えることにつながっていますので、「書いている時に思考を停止させないように」したいと思っています。

多くの人びとが、学ぶことより考えることを重視するようになる。

みんな、お釈迦様のように、達磨大師のように、中村天風さんのように、とにかく考える。

この偉人たちもみんな同じ人間ですから、私たちがこのような人たちになれないということはないと思います。いや、誰でも同じようになれるはずです。

「人間のデキが最初から違う」というような考え方もあるかもしれないですが、バーネット大師は、「天才なんかいない(人間は最初から能力を振り分けられているのではない)」としています。

人間は、「もと」ではなく、「考えるか、考えないかで変化していく」と言っています。

進化といってもいいかもしれません。

私たちは「進化」するためにこの地にいるはずです。
生物学的な進化ではなく、存在としての進化です。

自称プレアデスの人は、地球人が「不可能だと最初から決めていることが多い」として、

おそらく、あなたが望むことは誰か別な人の境界線、限界線を敷いた考えからすれば、不可能の範疇に属するかもしれません。

と言っていますが、それに呼応するかのように、地球人であるアントニオ猪木師は、

「限界なんて言葉はこの世の中にはない、限界と言うから限界ができるんだ」 アントニオ猪木語録

と、限界線を引かない地球人がいることも示します。

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・アントニオ猪木師


私たちには不可能はないんだということを「考える」。

今は不幸にして戦争相手ですが(勝手に戦争にしてんだろ)、自称プレアデスの人が言うように、私たち、地球の人間は、

肉体的な存在を超えた存在

であり、

その行動に限界線はない

として、タラさんが言っていた

> 人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

という「その年月を越えた時」に、私たちはおそらく何かを得ることになるのでしょうけれど、それまで私たちは考えなければいけない。

マグマ大使・・・じゃないや、バーナンキ・・・じゃなくて、師匠の名前忘れちゃいましたけれど、彼が言うように、既存の考えからいかに抜け出すかが今は最も大事なことで、それが少しずつでもできれば、とりあえずは「日本」としておきますが、あるいは地球そのものの未来を肯定的に変化させられるのだと思います。

メアリー・フレーザー英国公使夫人が、120年前の日本の滞在で、

「突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」

というような「切断」を人に与えられる国にきっと戻ることができるはずです。



  

2015年06月10日



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1897年の京都の嵐山の写真
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▲ 過去記事「日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景」より。






 



この20年で急速に異常度が増す日本

昨晩、食事の準備などの時に、うちの奥さんが、

「最近、ヘンな犯罪多いね」

と言います。

 「まあでも、ここ何年もずっとそうだけど」
 「ヘンな人も増えている気がする」
 「それも何年も同じ気がする」
 「最近は特にそう思う」
 「まあ、確かに、30年 40年前はこんなにヘンじゃなかったかも」


というような会話をしていましたが、確かに、昔から、変だったりする人はいたでしょうし、異常だったりする事件はあったでしょうけれど、今は何だかそれが日常的になっているかなあと、奥さんの言葉を聞いて改めて思います。

数字を見る限りは、実際に特に、この 10年 20年は何だかおかしいです。


10年で48倍!急増する「高齢者の暴力事件」
IRORIO 2014.10.01

65歳以上の高齢者犯罪の検挙数は、ここ10年で、傷害は9倍、暴行はなんと48倍にも増加しているという。

他の世代と比べて極めて高い増加率で、平成11年までは横ばいだったものの、その後一気に急増。しかし、その原因は不明で、警察庁も調査に乗り出しているのだとか。

また、検挙される高齢者の3分の2が初犯で、これまで犯罪に縁がなかった人が高齢になって事件を起こすことが多いそうだ。



この記事に、

> しかし、その原因は不明で

とありますが、他の異常な数字も、おそらくは明確な理由を見出しにくい部分はあるかと思います。

過去記事の、

私たち人間は太古の昔から「数十億の守護細胞」にガンから守られている…
 2015年05月22日

に載せたグラフなども、この 10年 20年の説明のつかない「異常」を示しているように思います。

配偶者からの暴力に関する相談件数の推移
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内閣府男女共同参画局


児童虐待相談対応件数の推移
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児童虐待相談対応件数


これらのグラフを載せました記事で、岩井寛さんという医師が口述筆記により書き上げた、「コトダマの記録」といってもいい『森田療法』という著作の内容をご紹介しました。

そこで岩井医師は、現代の日本の社会について、

「人間は、大きく自由を失いつつある」

と記しています。

「現代」といっても、これが書かれたのは今から 30年ほど前ですので、その時代で、すでに岩井さんは「社会が硬直している」と感じていたようです。


岩井寛『森田療法』より

”人間はこうでなくてはいけない”というような”自己規制”にがんじがらめにされている人が多いが、もっとおおらかに、自由に行動することが許されているはずである。

人生はたかだか七十年か八十年であり、そのなかで窒息するような生き方をするよりも、自由に空気を吸うことが許され、自由に行動することが許されると考えたほうが、人間の本質にそっているはずである。



そして、自分に対する「ゆるし」が拡大されればされるほど、他者に対する「ゆるし」も拡大され、人に対しての「寛容性」も増すはずだと岩井さんは言っています。

この「他の人や、自分とは違う価値観に対しての寛容性」が広がることは、あらゆる「差別」や「排除」や「敵対」といったものも減らしていけることにつながると思われます。しかし現実には、最近の世界は、この「差別や排除や敵対」というものが、むしろ拡大している部分が目につきます。

シュタイナーは、第一次世界大戦下の 1915年 2月の講演『第一次世界大戦の霊的背景』の中で、以下のようなことを述べています。

今から 100年前に言ったことですが、100年後に生きる私たちにはちょっと絶望的な響きも含まれています。

なお、シュタイナーによれば、今(具体的な年代の括りはわかりません)は「第五文明期」(ポスト・アトランティス時代と位置づけられているそう)ということです。これは、『天地の未来―地震・火山・戦争』という著作に収録されています。

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・ルドルフ・シュタイナー( 1861 - 1925年)




1915年2月の講演『第一次世界大戦の霊的背景』より

ポスト・アトランティス時代の第六文明期における課題は、精神を自分のなかではなく、周囲に漂うものとして認識すること、精神を元素界のなかで認識することです。

第六文明期の課題は、物質的周囲における精神認識を用意することです。それは、精神を純粋に元素的な生命において認識する古い先祖返り的な力が蓄えられていないと、達成困難になります。

しかし、激しい戦いが生じるでしょう。

白人は、精神をますます深く自らの存在のなかに受け取る途上にいます。黄色人種は、精神が身体から離れていた時代、精神が人体の外に探究された時代を保っています。

そのため、白人がさまざまな地域の有色人類と激しく戦うことで、第五文明期から第六文明気への移行がなされます。

白人と有色人類とのあいだでなされるこの戦いに先行するものが、白人と有色人類とのあいだの大きな戦いの決着がつくまで歴史を動かしていくでしょう。






この他に、この講演で、シュタイナーは、「ゲルマン世界とスラブ世界の戦い」のことを述べている他「東洋が第六文明期の生成に果たす役割」も述べていて、そのくだりは大変長くて、うまく抜粋できないですが、その軸はどうやら、

東洋が西洋文化を拒絶し始める

ところにあるようです。

基本的に、シュタイナーは、アジアを含む東洋などの人々は、過去の精神性の強い人類の「記憶」が保たれていると考えていたようで(おごった書き方をすれば、それは過去の日本人には顕著だと私は思っています)、過去記事の、

「頂点の日本」から何が始まる? 地震に関する奇妙なことが続く中で読むシュタイナーの「弥勒の世界の到来」では、地球が助かるかどうかは私たちの「進化」次第だと
 2015年06月02日

などでご紹介しました「弥勒の世界」というような概念や、お釈迦様の説法、あるいは、インドのヨガの思想なども長く述べています。

いずれにしても、シュタイナーは 100年前に、その後の社会として、「あらゆる対立と戦いの中で次の時代に進んでいく」というようなことを述べていたということになるようで、確かに、この 100年間は現在も含めて、まったく激しい対立と争いの中を歴史は進んでいます。

ただし、同時にシュタイナーは、これらの混乱を、

「外的な幻影に捉われた混乱」

としていて、このことに「気づけば」無駄な混乱は収まるとも言っていますが、その兆しはどうにもまだのようです。

あるいは、さきほどの岩井寛さんの言葉にある「ゆるし」というものが、周囲に対して適用できればいいのかもしれないですが、「ゆるし」なんてのも、自分に対しても他人に対しても、むしろ薄くなってきているような気もしないではないです。

そして、日本に関しては、記事の最初のほうに挙げました「この 10年 20年のさまざまな異常」というものの原因とか解消とかを考えないと、第六文明も何もあったものではなく、「みんなが異常な精神状態で、異常な行いばかり」の文明に突き進むなことになってしまいかねない面も感じます。




なぜ日本の神経症と精神疾患は増えたか

そういえば、さきほどの岩井寛さんは、精神科、特に「神経症」を専門としていた医師でらっしゃいましたが、シュタイナーの講演で、その「神経症」についてふれられているものがあります。

神智学の門前にて』にある、1905年頃の講演だと思うのですが、その中に、

「これから、神経症と精神病が激しく増加する」

と述べていたくだりがありました。

そして、その原因は「唯物論」だと断言しています。

まあ、私自身が神経症であり、長く薬を飲んでいたわけですが、過去記事、

…数百万人の「ベンゾジアゼピン依存症」が作られている日本(私も危なかったのです)
 2015年04月12日

という記事にも書きましたが、神経症や不安症などに「必ず」処方される、ベンゾジアゼピン系と言われる薬をはじめとした精神系の薬の投与量は、うなぎ登りに増え続けています。

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向精神薬の売り上げ


上は 2006年までのものですが、その後も増え続けています。しかし、問題は、このこともまた「この 10年 20年での話」ということのほうでして、たとえば、さきほどの岩井寛さんが「日本は自由を失っている」と書かれた 30年前には、それでもまだ「多くの人が精神系の薬剤とは無縁だった」こともわかります。

私は、このシュタイナーの「唯物論が悪い」という主張は正しいと感じるのですが、抜粋してみます。

ここで「神経質」と書かれているのが、現代の神経症です。




シュタイナー『神智学の門前にて』人間の生活におけるカルマの法則の働き より

今日、百年前にはほとんど知られていなかった病気が広まっている。知られていないことはなかったとしても、広まってはいなかった病気である。神経質(神経症)である。

この独特な病気は、18世紀の唯物論的な世界観の結果である。唯物論的な思考習慣なしには、神経質はけっして生じなかったであろう。

もし、唯物論がまだ何十年もつづくなら、唯物論は民族の健康に破壊的な働きかけをするだろうということを、秘密の導師は知っている。

もし、唯物論的な思考習慣が抑止されないなら、やがて人間は神経質になるだけではなく、子どもも震えながら生まれてくるようになる。

子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。

特に精神病が非常な早さで広まる。狂気の流行病が、何十年か先に現れるだろう。精神病の流行によって、人類の進化は妨害されようとしている。

このような未来の世界像ゆえに、人類の隠れた導師たち、叡智のマイスターたちは、霊的な叡智を一般の人類に注ぎ込まねばならない必要性に迫られているのである。





この中の、

> 子どもも震えながら生まれてくるようになる。

> 子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。


という世界は、まるで現代の日本のようで、多少切なくなります。

「震えながら生まれてくるようになる」というのとは違うことですけれど、

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフと、それと同じ曲線を描くいくつかの統計
 2015年01月30日

では、日本の子どもや赤ちゃんに関する、やや暗いデータを載せていますが、この10年 20年は、世界の中でも、子どもに関するデータでは日本の悪化が著しいです。




逝きし世の面影

思えば、日本という国は、

「世界でもっとも唯物論とか西洋的価値観とは長く離れて生きてきた民族のひとつ」

だったように思います。

そういえば、ずいぶん前の記事ですが、震災後1ヶ月くらいの時に書きました、

どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない
 2011年04月14日

という記事で、『逝きし世の面影』という本をご紹介したことがありました。

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これは、逝きし世の面影というサイトから説明を借りれば、


この本の内容をひとくちに言えば、「幕末・維新の時代に訪れた外国人が見た古きよき日本の姿」と言うことができます。しかし、それは単に近代化される前の遅れた社会に見られる素朴さということではなく、世界的にも著しく文化の発達した国家、国民が作り上げた希有な文明と呼ぶべきものなのです。

当時の日本の社会が、いかに世界の目から見て異質のものであり、また汚れのない美しいものであったかが忍ばれる内容となっています。

その文明は、明治維新後の西欧化の荒波によって、いまや完全に崩壊させられ、まさに過去の幻影となってしまいましたが、私たちはこの国がかつて有していた素晴らしい社会の姿を胸に焼き付けておく必要があります。



というものです。

あるいは、このような概念は、当時、日本を訪れた多くの外国人たちの感想にも現れています。

1860年に、通商条約の締結のために来日した当時のプロシアという国の使節団の人物は報告書に、日本人についてこう書いています。

「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」

先ほどの『逝きし世の面影』のAmazon のレビュー には以下のような書き込みがあります。


日本は先進国の仲間入りを果たし、国際的には一流の国になったが、果たして欧米の尺度で動いている今日のこのシステムを今後も続けていくことが、日本人にとって幸せなのか、考えさせられてしまう。


また、私はさきほどの記事でこのように書いています。


その後の 100年で日本の状況はかなり変わってしまった。最近の日本と日本人が「どうみても健康で幸福な民族」かどうかは、かなり微妙で、それだけに今の時期は考えてみるいい機会なのではないかとも思います。


震災後に感じた、この「西洋文明化の違和感」は、消えていません。

100年、あるいは 150年以上前の日本の感覚に戻れるなら戻る・・・。

そして、このことは、西洋人であるシュタイナーの 100年前の言葉によって、それが曖昧な願望のレベルではなく、私たち、あるいは私たちの一部は、積極的に唯物論的思考と西洋的価値観から脱却していくことが必要なのかもしれないと今は観念します。

西洋文明と西洋的な価値観が雪崩を打って流入してして百数十年。

もはや、日本人は限界に見えます。

ところで、先ほどリンクしました過去記事「どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない」のタイトルの由来は、1876年(明治9年)と1899年の二度、日本に来日したフランスの画家のレガメという人が「日本と日本人への思い」を書いた『日本素描紀行』という著作にあるもので、今回の締めは、その抜粋をご紹介したいと思います。

140年前の日本の姿です。


レガメ「日本素描紀行」(1876年)より

私は、午後三時から始めた貧しい人々の住む地域の散策から戻って来た。魚屋や八百屋の店先は、夕食のため、たいへん賑わっている。この時刻の盛んな活気は、やがて人気のない街の静けさに移っていくのだろう。

私は、深く感動して、頭をかしげて戻る。たった今見たすべてのことに、心の奥底まで動かされ、あの誠実な人たちと、手まねでしか話せなかったことが、たいへんもどかしい。

勇気があって機嫌よくというのが、陽気で仕事熱心なこのすばらしい人々のモットーであるらしい。

女性たちは慎ましく優しく、子供たちは楽しげで、皮肉のかげりのない健康な笑い声をあげ、必要なときには注意深い。すべての人が、日中は、家の中でと同じように通りでも生活をしている。

彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らない。





  

2015年06月02日



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・『薔薇十字の秘密のシンボル』(1758年)より






 


「頂点は日本」だから・・・

先日の 5月30日のマグニチュード 8.1 という、わりと壊滅的なエネルギーだった小笠原沖の地震ですけれど、私は昔から「震源の深さ」に興味があったこともあり、震源の深さが 500キロメートル以上(正確には 682キロメートル)というのを見た時に、

「この規模の地震で、この深さは珍しいのでは?」

と思いましたが、翌日の産経新聞に以下のような記事がありました。


【小笠原で震度5強】震源を682キロに修正、気象庁「M8クラスで世界最深の地震」
産経新聞 2013.05.31

小笠原諸島の母島(東京都)と神奈川県二宮町で震度5強を観測した地震で気象庁は31日、地震の規模を示すマグニチュード(M)を8・5から8・1に、震源の深さも約590キロから682キロに、それぞれ修正した。

気象庁によると、1900年以降のM8以上では、世界最深の地震だとしている。




深さ 682キロメートルの地震というのは、あまり見ないもので、まして、マグニチュード8というような規模の地震がこのような深い場所で起きたということに対しては、むしろ「不思議」な感じを持っています。

おそらくは、多くの地震の専門家の方々も、こういう地震の存在(深いところでの大地震)は、想像もしていなかったことなのではないでしょうか。

このような「震源の深い地震」というと、南太平洋のフィジー周辺の海域は、深い地震が多いところですが、そのフィジーで今、「謎の震動」が起きています。

これは、

地球で最も震源の深い地震が起きやすい南太平洋のフィジーが「謎の揺れ」に見舞われている
 2015年06月01日

という記事を書きまして、その中にアメリカ地質調査所( USGS )の最近のデータを載せていますが、理由はわからないですが、フィジーでは、震源の深い地震が頻繁に起きます。

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USGS

しかし、今回の日本のマグニチュード8の地震は、これらよりもはるかに深く、そして、このような震源の深さで起きた地震としては、記録に残る中では最大の規模だったのです。

もちろん、地震は震源が浅くなればなるほど、震度は大きくなる(地表へのエネルギーの影響が増大する)傾向にありますから、もし、この地震が地下 10キロメートル以内などで起きていたら、それはそれは大惨事になっていたわけで、深い地震で助かったことは事実です。

こんな規模の地震が浅い震源で起きていたら、関東から九州までの広い範囲が、大きな津波に見舞われていたでしょうし。


しかし・・・ですね。


今回の地震での深刻な被害はあまりなかったとはいえ、こんな深いところでマグニチュード8クラスの地震が起きたということはプレートや地質状況全体に対しての影響はないのだろうかと、どうしても思ってしまいます。

図で見ると、今回の地震が日本の周辺にどういう力と影響を与えたかがわかるような気がします。下の図は、読売新聞の英語メディア Japan Times のものです。

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・Japan Times Depth of quake caused widespread shaking


こう・・・何というのか、

「深いところから、地表に向けての広範囲にグッとエネルギーを加えられた」

というようなイメージには見えないでしょうか。

何らかの親分が、「もっと頑張りなさい」と、プレートにエネルギーを注ぎ込んだような雰囲気を感じてしまいます。

これは、日本に対してだけのことで書いているのではなく、つい最近の、

シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
 2015年05月27日

に書きましたように、どういう意味かはよくわからなくても、

「頂点は日本です」

「地震と火山の話」の時に、シュタイナーは言っているのです。

シュタイナーが1906年の講演で書いた図
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Anthro Med Library

上の記事で、私は、


この『天地の未来』で示される日本の位置の意味というのは、次のどちらかなのかもしれません。

1. 日本での地震や噴火などの自然災害が世界に影響を与える
2. 世界中の地震や火山噴火が日本に影響を与える



というようなことを書きましたが、自分にとっては非常に不思議な 5月30日の「震源の深さ680キロメートルの場所でのマグニチュード8の地震」という象徴的な出来事が気になっています。

このシュタイナーの「頂点は日本です」という講演は、シュタイナーの災害と戦争に関しての講演を収録した『天地の未来―地震・火山・戦争』という著作に収められているのですが、これが今、Amazon でも事実上、購入できないような高値( 6月2日時点で最も安い古本で1万8千円)となっていて、そのうち安くなるとは思いますが、この本には、

「人間社会と自然災害の関係」

ということや、

「地震で亡くなった人間の死後と再生」

のこと、あるいは、

「戦争で亡くなった人たちの死後と再生」

のことなど、正しいかどうかは別として、いろいろな意味で興味深いことがたくさん書かれていますので、再版していただれればと思います。

そして、5月30日のマグニチュード8の日本の地震以来ということではないのでしょうけれど、

「世界中で急に地震が増え始めている」

という雰囲気もあるのです。

「雰囲気」と書いたのは、報道でやたらと目につくだけで、きちんとデータをとったわけではないからです。

また、日本で地震のあった 5月30日には、オーストラリアで「地震の公式データが翌日削除された」というようなことも話題になったりしています。

これは、

消された地震:M8.1の地震が日本で起きた30分後にオーストラリアで発生したM4.0の地震データが翌日インターネット上からすべて消滅
 2015年06月02日

に書きましたが、なかなか興味深い出来事ですので、よろしければお読みいただければ幸いです。

au-earthquake.gif


まあ・・・「何かいろいろと変な感じ」はあります。

雰囲気のことはともかく、先日の異常な深さでの強い地震は、おそらくは、日本列島の全体に何らかの力を加えたかもしれず、そして、シュタイナー曰く「地質的に頂点である日本」の影響は、全世界に及ぶ可能性も考えてしまうというような感じです。

今日も、

「ウオーキングなんてやってる場合じゃないかな」

と、ウォーキングをしながら考えていたのですが、明日も歩きます。
そして、飲んで食べて寝ます(日常かよ)。




シュタイナーが語る「弥勒の世界の到来」

上のほうで、シュタイナーが自然災害と人間社会、そして、「地球の未来」についての講演を収録した『天地の未来』が、とんでもない価格になっていて、入手が難しくなっていると書きましたが、この本の最後のほうのセクションに、

弥勒の世界の到来

というセクションがあります。

今回はそこをご紹介させていただこうかと思います。
このセクションはこのような時代に読んでおきたいセクションだと思うからです。

タイトルには「弥勒」とありますが、シュタイナーはドイツ語で講演をしていたと思いますので、マイトレーヤ( Maitreya )というように言っていたように思うのですが、Wikipedia には、シュタイナーの提唱する神智学でのマイトレーヤの意味が載っています。


マイトレーヤ (神智学) - Wikipedia

マイトレーヤと言う名は彼の師が与えた名であり、「幸いなる者」や「喜びと幸せをもたらす者」を意味する。

彼は日本において弥勒菩薩、仏教においてマイトレーヤというブッダ、キリスト教においてキリスト、ユダヤ教においてメシア、ヒンドゥー教においてカルキというアヴァターラ、イスラム教においてマフディーというイマームとして知られている。



シュタイナーはこの講演で、仏陀とかキリストなどの名前を出しますが、上ような意味であり、宗教的な意味での仏陀とかキリスト、という意味ではないようです。

このセクションは、最初は、仏陀の話から始まります。

最近の記事の、

日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないかと思いつつ、それもまた仏陀の言う幻想かもしれないし
 2015年05月31日

に書きました、お釈迦様の悟りの認識、つまり、

世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。

を述べた後に、シュタイナーは西洋での精神科学、つまり「キリスト」の話に移行していきます。

今回は、この「弥勒の世界の到来」の最終章「エーテル視力」と題されたセクションを抜粋しようと思います。

少し長い抜粋となるかもしれませんが、ご紹介します。

なお、文中で気にするところとしましては、

> いま人間は、キリストを見ることを学ぶべきです。

というようにあり、シュタイナーは「キリストを学ぶ」と言っているのではなく、

「キリストを見ること」を学ぶ

と言っている複雑な部分に注意したいと思いました。

また、やはり文中に、

> 「私ではなく、私のなかのキリスト」と言うことのできる人々が、植物の力を組み合わせることができるようになるでしょう。

とあり、これはイメージとして難しいですが、過去記事、

1785年の「薔薇十字の秘密のシンボル」の冒頭に出てくる数字
 2012年03月09日

などでご紹介したことがある 1758年に発行された『薔薇十字の秘密のシンボル』( Geheime Figuren der Rosenkreuzer )の中にある下のイラストのイメージでとらえると、何となく雰囲気だけでも掴めるような気もしないでもないような。

『薔薇十字の秘密のシンボル』より
christ-001.jpg


gott-001.gif


この『薔薇十字の秘密のシンボル』は、米国ウィスコンシン大学が所蔵していますが、下のリンクから、ドイツ語サイトですが、どなたでもダウンロードできます。

Die geheimen Figuren der Rosenkreuzer

このページの一番下の Weblinks からダウンロードできます。

ros-7.gif


なお、この講演の中で、シュタイナーは希望的なことだけを言っているわけではありません。

講演は、人類がなすべきこと(進化)をなさなかった場合は、

> 地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう。

で締めくくられています。

このシュタイナーの講演から 110年が経ちますが、人類は進化できていますでしょうか。

それでは、ここからです。



『天地の未来』 弥勒の世界の到来 より

エーテル視力

キリストは絶えず私たちの周囲にいる、と言われてきました。「私は世界の終わりまで、いつも君たちとともにいる」と、キリストは言っています。いま人間は、キリストを見ることを学ぶべきです。

そして、私たちが見えるものは真実ある、と信じるのです。このようなことが 20世紀中に始まり、これから2千年のあいだに多くのの人びとがこのような体験をするでしょう。

たとえば、「私たちは地球をどう見るか」と問いましょう。科学は地球を、カント=ラプラス理論(注/1755年に発表された「太陽系の生成」などについての「星雲説」と呼ばれる説)などによって、機械的・物理的・化学的に叙述しています。

いま、私たちはこの領域で見解の転換を迎えようとしています。地球は単に鉱物的な力ではなく、植物的な力、つまりエーテル的な力に由来するという見解が登場するでしょう。

植物は地球を中心に向け、上部は太陽と関係しています。この力が、地球を地球たらしめています。重力は二次的なものです。

石炭がかつて植物であったように、植物は鉱物以前に存在していました。この事実はまもなく発見されるでしょう。

植物が地球に形態と実体を与えています。その実体から鉱物的な地面が発生します。この教えは、ゲーテの植物形態学に端を発します。しかし、彼の教えは理解されませんでした。

人間は次第にエーテルを見るようになっていきます。エーテルは植物に特有のものです。植物界の成長力を、人間は自分のうちに受け取るようになるでしょう。そうすると、いまキリストを見ることを妨げている力から人間は解放されます。精神科学は、そのために協力します。

しかし、物質からエーテルへの上昇は人間の内面と関係しないと思っている限り、このようなことは不可能です。

実験室では、人間が道徳的に高いか低いかは、どちらでもいいことです。しかし、エーテル力を扱うときは、そうではありません。道徳的な要素が、製造品のなかに入っていきます。人間がいまのままにとどまっていると、この能力を発展させるのは不可能です。まず、実験台が祭壇にならねばなりません。

ゲーテは子どものころ、自然の産物で集めて作った小さな祭壇の上に置いた香蝋燭に集光レンズを使って日の出の光で点火しました。

まもなく、「私ではなく、私のなかのキリスト」と言うことのできる人々が、植物の力を組み合わせることができるようになるでしょう。いま人々は、鉱物的な力を組み合わせています。

人間の内部は、外界と相互作用をします。外的なものは、私たちの目が澄んでいるか濁っているかによって、姿を変えます。

20世紀のうちに、そしてこれから2千年後のあいだに、人々はキリストのエーテル形姿を見るにいたるでしょう。人々はエーテル地球を見るようになるでしょう。エーテル地球から植物界は生じました。

人間の善良な内面とは異なった影響を周囲におよぼすということも、人々は認識するでしょう。このエーテル的な科学を司るのは、およそ3千年後に下生して成仏する弥勒菩薩です。

弥勒という名は、「善良な志操の仏」という意味です。弥勒仏は人間に、善良な志操の意味を明らかにします。そうして、人間は自分がどの方向に行くべきかを知るべきでしょう。

抽象的な理想の代わりに、前進する進化に相応する具体的な理想が現れるでしょう。

そのようなことが達成されなかったら、地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう。



  

2015年05月31日



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▲ 2015年05月25日の英国テレグラフより。タイトルの下のリードは「人と機械の融合は、生物学における最大の進化になるとユヴァル・ノア・ハラリ教授は主張する」です。






 


人間は「不完全な存在だから補う」という科学思考

上の記事は、特に今回の記事の本題ではないのですが、「将来の人間はロボット化により人類史で最大の進化を遂げるだろう」という主張の科学者の記事で、

「ああ、何ともディストピアな話だなあ」

と感じいった次第です。

また、これを言っているのが、イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学のユヴァル・ノア・ハラリ教授( Professor Yuval Noah Harari )という方なんですが、英語表記のミドルネームが、ノアの方舟の「ノア」( Noah )と同じだったりする方というのもなかなかでして、また、イスラエルの方ながら、

「人と機械の融合は、生物学における最大の進化になるはずです」

というだけではなく、上の記事では、

「私たち人類のこの数世紀を見ていると、人間は、より強くなり、人間はもはや神の補助を必要としていないように見えます。今、私たちは ”神を必要としない” と言えることでしょう。必要なのは、技術だけです」

という、場合によっては、とんでもなく罰当たりなことを言ったりしているわけですが、ヘブライ大学あたりの最先端の科学教授がこのような見解だと、「ああもう何でもアリなんだなあ」という気もいたします。

人の体をロボット化して強化していくのが、人類最大の進化・・・という発想。

これはですね。

もう、野口晴哉さんとか、ヒポクラテスたちとか、まあシュタイナーとかでもいいですけれど、彼らの霊に教えてあげたいですね。

こういう「人体補完の発想」というのは、人間の体は不完全だから・・・というところに立脚しているもので、たとえば、人間の臓器や各器官を「機械と置き換えて強化する」という方向は、人間の持つ完ぺき性に対しての反逆であるわけで、宗教を持つ人なら、神への反逆でもあるはずです。

この完ぺきな人間を作り出したのは、おそらくは、人によって神と呼んでいるもののような存在(か非存在)なのでしょうから。

まあ、ノア教授は、「今、私たちは、神を必要としない、と言えるでしょう」とおっしゃっているわけですので、「神はもはやいらない」と述べることは自覚の上なんでしょうけれど、この「人間にはたくさん欠けているものがあるから、科学で補っていく」という考え方は、科学と、そして医学の凋落であって、先日の、

アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…
 2015年05月29日

という記事など、最近はよく書きます日本での病気の異常な増殖ぶりや、異常な死亡率の増加なども、同じ発想から来ているものだと思います。

現代医学は人間の体を信用していない。

今の医学は、

「人間には、自己治癒力なんてものはないから、抗ガン剤でガン細胞を殺してあげないと、人間は助からない」

という考え方となっていて、でも、その抗ガン剤が「他の細胞にどのようなダメージを与えるか」は、あまり考えない。(人間の細胞にダメージを与えるのは、単なるかぜ薬でも降圧剤でも抗うつ剤でも大体はどんな薬でも同じです)

そのような治療の結果は、書くまでもないと思います。

多くが生還できない。

下のグラフは何度も何度も載せました。

dr-08.gif
厚生労働省


今の世の中では、「ガンだから死ぬのは仕方ない」というような雰囲気がありますが、それは違います。「ガンだから死ぬのではなく、他の何かが原因で死んでしまう」と考えるのが妥当で、そうでないと、死亡率がどんどん改善している他の国との話の整合性がつきません。

少なくとも、ガンに関しては、死亡率がこんなに増加し続けているのは、先進国では日本だけです。

たとえば、今年1月に中国のメディアで下のような報道がありました。


日本のガン死亡率、先進国中で最高に
Japanese.china.org.cn 2014.09.17

米国のがんの年間死亡者数は約57万5000人、日本は約36万5000人となっている。10万人当たりのがんの死亡率を見ると、日本は米国の1.6倍だ。

日本は先進国のうち、がん患者・死亡者が増加を続ける唯一の国になっている。
日本新華僑報が伝えた。

がんが1981年に脳卒中に代わり、日本人最大の死因になってから30年間で、日本のがんの死亡者数は二倍以上に増加している。

先進国は先進的な検査機器と技術を持ち、多くの早期がんを発見できるはずで、患者数が増加するのも理解できる。

しかし先進国は同時に先進的な治療機器と技術を持っており、がんの死亡率を下げられるはずだ。先進国の中でも、日本は「医療技術ナンバーワン」と言える。それでは、なぜ日本のがんの死亡率はこれほど高いのだろうか?



とあり、記事はこの後、日本人の食生活の変化などを上げていますが、日本のガンの増え方は、そのようなことだけで説明できるものではないです。

たとえば、他のわりと身近な国と比べてみても、ガンだけではなく、日本の病気での死亡率が飛び抜けていることが数値でわかります。比較的最近のデータがとりやすい、日本とアメリカと韓国で比較してみます。

下は、韓国、アメリカ、日本の「人口 10万人に対しての死亡率上位5位」です。

2014-kr-5.gif
韓国 Yonhap News


2011-us-5.gif
横浜市衛生研究所


jp-2012-5.gif
厚生労働省 人口動態統計


日本も韓国も死因の1位はガンで、アメリカでもガンは死因の2位ですが、10万人中のガンでの死亡率は、

韓国 149人
米国 185人
日本 286人


と、日本のガンの死亡率は、韓国の倍近くにまでなっているのです。

さきほどの中国のメディア「日本新華僑報」が、

> 先進国の中でも、日本は「医療技術ナンバーワン」と言える。

という国の数値がこれです。

日本で2位の心疾患は、10万人中の死亡率は、

韓国 157人
米国 191人
日本 157人


となっていて、脳血管疾患にしても、10万人中の死亡率は、

韓国 50人
米国 41人
日本 97人


と、日本は、韓国やアメリカの倍程度となっています。

本当に、「日本は医療技術ナンバーワン国家」といえるのかどうなのか・・・と思ってしまっても仕方のない結果ともいえなくはないようなことになってしまってはいます。

おそらくは、ガンに関しては、日本は、「世界で最も高い死亡率を誇っている」と考えていいかと思います。

日本は、

・高度な医療技術
・最先端の高価な薬剤
・最先端の高度な機器での治療


用意して、ついに「世界で最もガンで人が死ぬ国」となってしまった

これがモンティ・パイソンのエピソードなら(似たようなものはありました)笑っていれば済む話ですが、どうにも笑い飛ばせるようなことでもないかもしれないですし。




弥勒の世の到来

少し前に、

シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
 2015年05月27日

という記事で、神秘学での地理上で、日本は地球の頂点に位置するということを書きました。

しかし、そんな日本も、現状としては、病気で(あるいは、薬と治療で)次々と死んでいく上に、若い人も少なく、健全な人も少なく、そして、結構厳しい管理社会だったりもして、ふと気づけば、むかしの映画で描かれた「ディストピア社会」そのもののようにも見えます。

「頂点は頂点かもしれないけれど・・・」

何だか、ディストピアの象徴としての頂点ともなってしまいかねないような寂しさを感じます。

今日は時間のことなどがあり、あまり長い記事を書けないのですが、上のシュタイナーが「日本は頂点です」と書いていた著作『天地の未来―地震・火山・戦争』の最後の方に、「弥勒の世の到来」というセクションがあります。

この言葉を、シュタイナーがドイツ語でどのように表記していたのかはわからないですが、本には「弥勒の世の到来」という章があります。

ここでは、「仏陀の思想」など、東洋的な精神科学のアプローチに多くふれています。

シュタイナーは、他のいろいろな書籍でも、アジア的な精神科学へのアプローチと、西洋的な精神科学へのアプローチのちがいについて、よく述べていまして、シュタイナーが、アジア的なものへも強い情熱、あるいは敬意をもっていたことが、その発言からわかります。

その「弥勒の世の到来」というセクションで、仏陀が悟りを開いた時の境地を語ったところがありますので、ご紹介したいと思います。

お釈迦様は、

「世界は幻影である」

と明確に悟ったようで、これは、直接は関係はないかもしれなくとも、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

の中に、プレアデスという星の人間だと主張する人の言葉として出てきた下の概念も彷彿とさせるところはあります。


プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入します。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。

それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。



私たちの見ているもの、聞いているもの、においを感じているもの、触っているもの、風や風景や人々・・・の一体何がリアルで何がリアルでないのか・・・。

そして、たとえば「ガンで病院に行くとほとんど助からない」のも、これは幻影なのか現実なのか。

お釈迦様は「幻想だ」と言いますが。



シュタイナー『天地の未来』より

仏陀に由来する精神の流れと、キリスト衝動に由来する精神の流れとのあいだには大きな差異があります。対立している、と言っているのではありません。どのように関連すると両者が実り豊かでありうるか、洞察する必要があります。

双方の流れが、将来、共同しなければなりません。そして、キリスト教は精神科学によって実り豊かにされねばなりません。

キリスト教には最初、輪廻の教えが欠けている必要がありました。輪廻の教えはキリスト秘教のなかには含まれていましたが、ある理由から、キリスト公教には受け入れられませんでした。

それに対して、輪廻の教えは仏教の基本原則の一つであり、「苦集滅道」の教えと結び付いています。キリスト教は、苦を克服することを課題としています。

双方の流れの課題だと使命を認識すると、相違をはっきりと見ることができます。仏陀とパウロを考察すると、私たちは主要な相違に気づきます。

ゴータマ仏陀は菩提樹の下で悟ったとき、


世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。
この領域へと人間を運び込むのは、存在への渇愛である。
この渇愛から解脱すると、人間はもはや受肉する必要がない。

という認識に達しました。

「偉大な仏陀は、どのようにこの教えを説くに至ったのか」と問うことができます。人類の進化の歩みを考察すると、答えが出てきます。






  

2015年05月27日



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japon-map3.gif
kanpai.fr






 

神秘学での「日本の地理的な位置」

先日の記事、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

では、宇宙の人の主張としてですが、「地球は恐怖によってのコントロール下にある」というようなことを書きまして、その人たちの言うところには、宇宙には

> 人間の恐怖心を食べ物にしている

という、何だか形而上的な存在がいるようなんですが、それについて以下のように記されています。

プレアデス+かく語りき』より

地球において、恐怖の周波数が減少しはじめると、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大されることになります。

彼らは、地球上で感情的な混乱を宣伝し、拡大するためのさまざまな装置を地球に埋め込んであります。感情的な混乱は彼らのところに送られ、それによって彼らは滋養を与えられます。

というような仕組みになっていることを宇宙の人は語ります。

「恐怖を拡散するためのネタ」は、いくらでもあるでしょうが、地震や火山噴火などの自然災害に関しての喧伝も、ある意味、「恐怖の喧伝」となり得るものなのかとも思います。

最近は、ちょうど、ルドルフ・シュタイナーの『天地の未来 ― 地震・火山・戦争』という、災害や戦争と、人間や悪魔などの関係などについて書かれてある本を、途中まで読んでいるところでした。

それで、読んでいる途中に、シュタイナーの主張では、

「日本は、地球の頂点に位置する」

という記述があり、そういう発想があったことを知りませんでしたので、ご紹介したいと思います。

まあ、そういう記述があったからどうしたと言われればそれまでなのですが、シュタイナーの本を読んでいて、これまで「日本」という単語さえ出てきたのを見たことがなかったのに、いきなり「頂点」とか言われて、少しビックリしたのでした。

これは、シュタイナーが「地球の本当の形」について述べている時に出てきた言葉ですが、シュタイナーは、

「地球は、球体ではなく、四面体だ」

と言っていて、このあたり、ややこしい面もありますので、図で少し解説しておきたいと思います。

四面体というのは、一般的には下のような形をいいます。

4mentai.gif
正四面体


シュタイナーによると、「これらの三角形の平面をいくらか湾曲させ」たものが、地球の形であるようです。

以下は講演の際にシュタイナーが書いたとされる黒板での説明の実物か、あるいは、図を再現したものだと思われます。

中央に描かれているのが、シュタイナーの言う地球となります。

chesta-drawing.jpg
Anthro Med Library


上で書かれている文字を日本語にしますと、以下のようになります。

japan-top.gif
Wellspring


地球で日本が頂点に位置する、ということについては、その部分だけを抜粋しても、よくわからないと思いますので、ちょっと長くなりますが、少し前から抜粋します。

また、実際には書籍に図はないですが、適度に図を添えました。



シュタイナーの 1906年の講演『地震の深層』より


地球は球体であり、球体として形成された、と言われています。しかし、地球が球体であるというのは正しくありません。地球は実際には、本来どのようなものか、説明しようと思います。

地球が球体だというのは空想にすぎません。
地球の形態を正しく思い描きましょう。四面体と呼ばれている形態です。

三角形が四つあります。底辺に三角形があり、さらに三つ三角形があって、ピラミッド形になっています。三角形が四つ境を接しているのが四面体です。

さて、これらの三角形の平面をいくらか湾曲させる、と考えてみてください。そうすると、やや異なってきます。丸くなりますが、まだ固定していません。直線だった三角形の辺は丸くなります。こうして、丸くなった四面体ができます。

このように丸くなった四面体が、私たちの地球なのです。これは、ある程度まで確認できることです。地球四面体の縁を見出すこともできます。地球を平面図で描いてみましょう。

北米・南米があり、その中間に中米があります。そしてアフリカがあり、ヨーロッパがあります。小アジア、ギリシア、イタリア、スペイン、フランス、つまりヨーロッパです。上にはスカンディナヴィア、イギリスがあります。それからアジアです。

下に南極があります。南極のまわりには、たくさんの火山があります。上に北極があります。私たちは線を引くことができます。メキシコ南西部のコリマ山のあるアメリカ中央部から発して、アンデス山脈を通って、南極にいたる線です。地球の縁は丸くなっています。

d-3.gif
Wellspring


つぎに、南極からアフリカを通って、コーカサスの火山にいたる線があります。それからスイスを通り、ライン川を越えていく線です。これらの線は三角形に見えます。この三角形が、四角形の底面に相当します。

四面体の底面をことを考えてみてください。私たちは、どのようにして頂点にいたるでしょうか。地球の反対側に行かなければなりません。そうすると、頂点は日本です。

japan2.gif


四面体の底面の角に中央アメリカ、南極、コーカサスがあります。そして、頂点に日本があります。
このように地球を思い描くと、宇宙のなかの湾曲したピラミッドのようです。

頂点は日本です。

底面には、アフリカ、南米、太平洋の南部全体があります。このような湾曲した四面体、一種のピラミッドとして、地球は宇宙のなかに存在しています。これが地球のもともとの形です。




とあり、さらに続けて、シュタイナーは、


四面体を形成するこれらの線をたどって追っていくと、これらの線に沿って火山があるのが分かります。

チリなどにある南米の火山、南極の周囲にある火山について、みんさんは良く聞くことがあるでしょう。コーカサスには巨大な火山があります。

『ヨーロッパには火山は多くない。しかし、かつて火山があり、それが死火山になったことを、いたるところで証明できる』と、いうことができます。シュレジエンの北からブレスアウへ向かうと、奇妙な弧峰があります。

今日の人々は、この山を恐れています。この山の岩石を調べると、死火山があります。さきほどは底面のみを描きました。いたるところに、日本に向かう線があります。これらの線に沿って、地表に火山があります。

重要な火山を描いていくと、地球の形態ができあがる、ということができます。火山が線をなしており、それらの線が地球が四面体であることを示しています。



と述べていて、特に、

> いたるところに、日本に向かう線があります。これらの線に沿って、地表に火山があります。

という表現は、何だか、「日本は火山の王様」みたいな感じもしないでもない雰囲気もあります。




将来的に地球が分断する場所に引かれた地球の縁のライン

シュタイナーが「地球の縁」と呼んで、線を引いている場所で面白いのは、「重要な火山を描いていくと、地球の形態ができあがる」と言っていることで、確かに、世界の火山の分布を見ますと、シュタイナーの言う地球四面体の縁の部分と合致している場所も多いです。

volcao-map.gif
内閣府 防災情報のページ

上のページには、


世界には約1500の活火山があるといわれており、そのほとんどが環太平洋地帯に分布しています。日本には世界の活火山の約1割があり、世界有数の火山国といえます。


とあり、確かにほとんどの活火山はニュージーランドから始まり、インドネシア、日本、カムチャッカ、千島列島(クリル)、アラスカ、アメリカ西部、南米の西側に連なる環太平洋地帯に集中していますが、ヨーロッパにもわりと火山があることがわかります。

あと、アフリカが意外に多いのですが、アフリカの右側に火山が集中している場所があります。

africa-volcano.gif

シュタイナーの描く「地球の縁」は、このアフリカの火山集中地域を通っているのですが、このことがちょっと驚いたところでもあります。

ここは、大地溝帯という、

将来的に分断されると地質学的に考えられている場所

なのです。

大地溝帯 - Wikipedia

大地溝帯は、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35 - 100km、総延長は7,000kmにのぼる。

今のままで行けば、数十万 - 数百万年後には大地溝帯でアフリカ大陸が分裂すると予想されている。

過去記事の、

イスラエル・ガリラヤ湖が震源となる連続した地震の発生で気づいた「地球上の大陸の分断」の始まる地点
 2013年10月23日

などに書いたことがありますが、この大地溝帯は、アフリカ南部から、中東のイスラエルまで続く巨大な断層で、仮に地球が大きく変化する時には、「ここで地球が分かれる」というニュアンスを持っていると理解しています。

ここに、シュタイナーの「地球の縁」としての線が引かれていることは面白いと思います。

great-lift.gif


大地溝帯でアフリカ大陸が分断される、という学説は、知る限りでは、2005年から 2010年までの研究の間に判明したことではないかと記憶しているのですが、1906年の時点で、シュタイナーがこの大地溝帯が「文字通り地球の縁になるかもしれない」ことを知っていたのかどうか。

非常に見にくい図ですが、地震の分布図(赤で塗られた場所)と、気温の平年差(赤いほど平年より高い)の図の上に、シュタイナーの描く四面体の地球の「縁」を線として書き込んだものがあります。

シュタイナーは「日本が地球の頂点」と述べていますが、他の三角形の頂点の場所を示してみました。

hotcold-world-1.gif
anthromed.org

シュタイナーの地球モデルだと、

・日本
・ギリシャ
・米国


などが、それぞれ「角」ということになりそうです。

この『天地の未来』で示される日本の位置の意味というのは、次のどちらかなのかもしれません。

1. 日本での地震や噴火などの自然災害が世界に影響を与える
2. 世界中の地震や火山噴火が日本に影響を与える


どちらにしても、どうやら日本は「地球の変化を示す頂点」という象徴性を持つのかもしれません。




地震予知は地球のカルマに介入する悪しき事

ところで、シュタイナーは「予知」について、どう考えているのか。

つまり、地震予知とか、そういうものです。

これについては、シュタイナーは完全に「否定」しています。
予測できないということではなく、

「予測していはいけない」

として、たとえば、下のようなことも述べています。


『天地の未来』より

人間がこのような出来事を処理しようとすると、いかに恐ろしい方法で地球全体のカルマに介入することになるか、よく考えてください。

恐ろしい形で反応が生じるでしょう。例外的に、秘儀に参入した者が地震を予知したとき、自分のため、もしくは自分に近い者たちのために、その知識を用いることはできるでしょう。

しかし、その秘儀参入者たちは事態を知りつつ没するにちがいありません。

何千年・何百万年をとおして人類のカルマのなかに存在してきたことがらは、短期間で廃しされたり、無力にされたりしないからです。



地震予知というのは、特殊な能力でそれができる人も「してはいけない」し、それをした人は、「予測できても、地震にやられる」ということになるようです。

そんな感じで、シュタイナーの本に唐突に出てきた「日本」は、神秘学での地質学での、地球の頂点に位置していることを知ったのでした。




33の意味

ところで、この『天地の未来』の最初に、訳者の西川隆範さんの序文があるのですが、その内容には以下のようなことが書かれてありました。

「 33 」という数と関係することです。
過去記事の 33 度については、こちらのリンクからどうぞ。


『未来の地球』諸言より

中世ドイツの神秘哲学者アグリッパ・フォン・ネッテスハイムが作成した「大天使カレンダー」によると、1879年にミカエルの時代が始まる。

人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーは、

「天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた」(『ヨハネ黙示録十二章』)

という事件が起こったのはこの年だ、と述べている。

人間の一生は月のリズム(約18年半)に従って変化を遂げていき、社会は太陽のリズム(33年)に従って展開していく。

1879年から 33年が二度めぐったとき、広島、長崎に原爆が落とされ、それからまた 33年が二度めぐったとき、福島の原発事故が発生した。



その後、いろいろとな記述がありますが、序文のラストは以下のように締めくくられています。


1998年( 666 × 3 )に悪魔的存在が地上に誕生し、21世紀前半中にも活動を開始する、とシュタイナー学派は見ている。他方、本書でシュタイナーも語っているが、紀元前 3101年に始まった暗黒時代(カリユガ)の第一期が 1899年に終了し、精神世界への見通しが明るくなってきている。

幾多の困難が今後もやってくるだろうが、全体的には世界は精神化へ向かっている。物欲の時代は終わり、心魂浄化の時代が始まっている。時代の流れを促進するか、物質に固執して混迷を深めるか、個人個人の生活が岐路に立っている。

私たちはいま、比類なき美しい自然に鎮座なさっている神々にふさわしい国土をあらためて築いていく時期を迎えたのではないだろうか。



カリユガというのは、ヒンドゥー教の概念のようで、要するに「悪と破壊の時代」のことを指すようで、カリ・ユガ - Wikipedia によれば、紀元前3102年1月23日より始まった「悪徳の時代」とされ、現在はこの時代の中にいるとされているようです。

それにしても、色々な立場から、たとえば地球とか自然災害などを見ますと、まったく違う側面がいろいろとあって、どちらが正しい正しくないということではなく、様々な価値観が膨らんでいくようで、なかかな楽しいものです。



  

2015年05月19日



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既存の社会から離れたネットワークとは

先日の記事の中で、栃木で自給自足に近い生活をされている女性の方と、インドネシアで自給自足に近い生活をされている方のことを書いたのですが、インドネシアの方から、ご自宅を撮影した写真を送っていただきました。

こちらです。

ronboku.jpg


インドネシアのロンボク島というビーチリゾートで有名な島で、後ろに見えるのは、富士山と同じくらいの高さを誇るリンジャニ火山です。そのロンボク島の畑地帯にある場所ということで、まるで周囲は人がいないところらしく、近隣は数百メートルくらい離れたところに家が3軒あるのみとか。

まあ、こういうような、自給自足に近い生活をされている方々とか、他にも(都会などでも)いろいろな生き方をしている方なども含めて、学びたいことは多いです。

先日の講演会では、ヤスの備忘録のヤスさんが、

既存の社会ネットワークではない、個々人のネットワークを作ることの重要性

を話してらっしゃいました。

田舎で自給自足は無理でも、たとえば、社会が危うくなった時や「ディストピア型管理社会」になった時など、何らかの方法で、協力というのか共存というのか、そういうことをできるような人と人との結びつきを作っていくことは確かに大事な「時」に近づいている気はいたします。




老後を考えるとき

ま、その(田中角栄さん風)・・・ここで、またこの例えを取り上げるのもどうかと思いますが、前回の記事などでも書いたことがあります「異次元の存在から送られる声の内容」は、やたらと、

「真剣に老後を考えなさい」

と言うらしいのですね(妙に現実的な異次元存在ではあります)。

そりゃ確かに、私なんかも、そろそろ 50? 60? 120? と、自分の年齢も曖昧になるほどのトシとなってきているわけで、「すぐそこにある老後」ということも、わりと事実だったりします。

で、そんな私の場合、何か具体的な老後のビジョンがあるかというと、そもそも、これまでの人生に設計がほとんどなかった、行き当たりばったりの生き方だったわけですから、老後への明確なビジョンなどあるはずないのです。

高齢化問題として、現時点で漠然とではあっても、わかることとして、

現時点で、高齢者の比率は飽和状態

であること。

その中で、

介護が必要な高齢者の数も上限の限界の状態

そして、

その介護費用の負担は国のお金が基本

となっています、

その国の介護費用の負担の増え方は、以下のグラフのような早いペースで上昇し続けています。

kaigo-2012.gif
厚生労働省


同じペースで増えていくと、2020年頃を過ぎた頃には、介護費用が 20兆円を超える計算になりますが、介護人口はさらに増えていくとしか思えない現実がある以上、この計算もあながち間違ってはいないということになってしまいそうです。

ちなみに、韓国の 2012年の国家予算が 21兆円、ベルギーの国家予算が 20兆円ということから見ても、この 20兆円という金額は、ちょっとした主要国の国家の総予算と同じ規模です。

そして、日本では子どもが減り続けていますが、これは、「介護する側が減り続けている」ということですので、今後も、若い世代が担う負担は増え続けて、結局、社会全体が少しずつ疲弊していくという循環・・・。

さらにすごいのは「医療費」です。

最近、「薬」のことを書くことが多いですが、日本の医療費の増え方も、過去 50年で見てみますと、ものすごいです。2009年までのものですので、やや古いものですが、現状は変わらないか、さらに加速している気がします。

hospital-care-2009.gif
厚生労働省


昭和30年( 1955年)の日本の総医療費は 2388億円で、1人あたりの1年間の医療費は 2千700円でした(これは低い)。

それが、平成21年( 2009年)には、医療費全体で 36兆円となり、1人あたりの1年間の医療費は 28万円(これはすごい)となっています。

物価との換算などもあるとはいえ、数字だけでは 100倍を超える増加となっているようです。

ちなみに、2013年度で、医療費は約 40兆円になったことが、日本経済新聞の記事で報じられていましたので、今年あたりは 40兆円を超えそうです。

日本国民が、すぐに病院にかかったり、薬をもらうようになったのは、国民皆保険制度となった 1961年からのようですが、1961年は 昭和36年で、上のグラフを見ると、昭和50年くらいまでの上昇は緩やかなものだったことがわかります。

昭和50年代(1970年〜1980年代)から一気に加速しています。

このように一気に医療費が増加した理由も・・・推測できないでもないですが、とりあえず、事実として、このようなことになっていると。

それにしても、このジャンルで動く金額の大きなこと!

介護で約9兆円。

医療で約 40兆円。

orz…




医療の進歩と共に増え続ける病気

先日の記事で、「あと5年のうちに云々」というようなことを書きましたけれど、確かに、この「介護費」や「医療費」の観点から見ても、どうも5年すら危うい・・・。

しかし、問題は「お金がたくさんかかっている」ということではないです。

それも大きな問題ですが、それでも、これらの医療(薬や化学療法)が、高齢者たちの「心身の健全」を守っているのならば、それでも仕方ない面もありますが、現実には「逆の効果」となっていることが問題です。

そして、それは統計を見れば、事実としかいえないのです。

下は、さきほどの日本の医療費の推移と、死因別に見た死亡率の年次推移を重ねたものです(グラフは、過去記事にあります)。

医療費の推移と死亡率の推移
zouka-2009.gif


この中でも、ガンと肺炎の上昇の曲線は、医療費の増加とよく似ています。

医療費が増大したということは、単純に考えれば、

「患者の数が増えた」
「投薬などが増えた」
「新しくて高価な治療方法が増えた」


などによって起きているのだと思われますが、これが示すところは、つまり、

医療が高度になり、発達すればするほど、ガンや肺炎が増えてきた

ということが、どうしても示されてしまっているというような感じです。

残念ながら、このことは、お医者さんたちご自身も否定できないのではないでしょうか。

「薬を使わない医療」を提唱している新潟大学名誉教授の安保徹博士は、石原結實医師との対談をまとめた本の中で、自身の研修医時代を思い出し、そのことを語っています。

東北大学医学部を卒業し、「たくさんの患者さんたちを救って、世の中のために尽くそう」と、夢に満ちている時でした。しかし、その現実について、安保博士は以下のように述べています。

dr-abo.jpg
安保徹博士


安保徹 × 石原結實 対談より

でも、夢は無残に打ち砕かれました。

私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。

ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。

あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。

自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。



安保博士が、東北大学医学部を卒業されたのは 1972年のことですので、この研修医時代というのは、その頃のことだと思いますが、西洋医学のガン治療が、それから 40年間、ほとんど何も変わっていないというのはすごい。




厚生省も密かにプッシュする代替治療

この新潟大学名誉教授の安保博士は、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

という記事に書きましたが、

発がんは不利な内部状態を克服する解糖系への適応応答である。

ということを述べています。

これが正しければ、風邪は「回復過程である」(野口晴哉さんとかナイチンゲールとかの言葉)と同じく、「ガンも回復過程である」ということも、また言えるのかもしれません。

紀元前5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスは、

「人間は自ら治す力をもっている。真の医療とは自然治癒力を発揮させることであり、医者はこの自然治癒力が十分発揮される条件を覚えるだけである」

と述べたとされていますが、さらに突きつめれば、これも何度か記していることかもしれないですが、

「人間の体は基本的に完全にできている」

ということを信ずれば、ガンへの対応もいろいろとあるように思います。

ちなみに、実は、厚生労働省自身が、「補完代替医療」に関しての 40ページ以上の内容を持つガイドブックを出していたりすることをご存じですか。

厚生労働省 がんの補完代替医療ガイドブック

gan-hoan.gif


補完代替医療というのは、西洋医学での放射線や抗がん剤治療といったもの以外のことです。

たとえば、健康食品(プロポリス、アガリクス、漢方など)をはじめとして、厚生労働省のガイドブックには、下の表のように、ハーブやプロバイオティクスから、瞑想、ヨガ、アーユルペーダ、レイキ、ホメオパシー、アロマセラピーなど多くの項目にわたって、比較的丁寧な説明がされています。

gan-cam.gif

少なくとも、「ガンに対しての、西洋医学以外の治療法にはどのようなものがあるのだろう」ということを知りたいのなら、これを読めば大丈夫だと思います。

そして、その後に、興味があるものを詳しく調べる、ということで大丈夫なほど、丁寧に詳しく解説してくれているガイドブックです。

まあ、一応はお役所のものですので、「代替治療単独ではいけません。手術、放射線、抗がん剤治療と併用しましょう」と書いてありますが、しかし、この執念じみたレポートからは何かを感じます。

国としても、あまりにも膨らむガンの医療費などを考えると、「できれば、代替治療に興味を持ってほしい」と思っているのかもしれません。

それにしても、ガンの代替療法として、瞑想とか呼吸訓練法とか、あるいは、運動、レイキ、ヒーリングタッチ(手かざし)などが、厚生労働省のガイドラインに掲載されているのは、やや驚きました。個人的には、これらは全部効果がありそうな気がします。

私も含めて、今の時代は、いつかはガンになる可能性が高いですからね。

そういう時代に、このガイドラインを見ていると、「ガンになったら、どれを選ぼうか」と、何だかワクワクするような期待感を感じます。できれば、このガイドラインに、音叉療法と、ツボとか爪もみなども入れてほしいです。

しかし、どんな治療法や代替医療にしても、大事なのは「本来の強い人間の免疫システムの力を上げてあげる」ということだと思われます。安保博士は、以下のように「人間の体はパーフェクト」だと述べています。


人の体って自然の産物だから、あまり人為的なことをするより、多少何かあっても、自然にまかせて放っておいたほうがいいんです。

「万物、みな我に備わる」って孟子が言いましたけど、私たちの体の本来、それ自体で完結したパーフェクトな存在です。

それがさまざまな環境の中で揺らいだり、バランスを回復させたりしながら生きている。倒れそうになった起きあがりこぼしが、元に戻るようなものです。

安保徹×石原結實 体を温め免疫力を高めれば、病気は治るより)



ちなみに、現在の「薬漬け」状態について、医療側を非難するのは簡単ですけれど、私は自分の経験でいえば、「薬を求めて病院に行っていた私のような患者側の責任」も大きいと思っています。

私は、乳幼児の頃の小児ぜんそくの発作を薬で抑えていたために、つまり、「薬で生きのびたことができた」という経験のために、長い間・・・それこそ、つい最近まで、「薬があればダイジョブ」という価値観で生きたきた人間でした。

…薬漬け幼児だった私がその後の十数年経験した「免疫回復戦争」の地獄体験記
 2015年04月21日

という記事で書きましたが、その後、十数年にも渡り、後遺症と思しき症状に悩まされた後、二十代からは、パニック障害に対してのベンゾジアゼピン系抗不安剤の薬の服用なども始まり(これがまた効いたから厄介で)、人生のかなりの部分を「薬漬け」で生きました。

それだけに、切実に「薬は毒」という言葉の意味が体感としてわかります。




地獄化する老後

何だか「老後」ということを書いていまして、確かに「老後」などという言葉は、どうにも憂鬱な響きかもしれないですが、先に書きましたように、日本は相当厳しい形の人口比や国家予算構造になっていることも事実で、「お金持ちなら大丈夫」というような過去には通じた図式さえ、近い将来においては通じるのかどうなのか

最近、新郷由起さんという方が書かれた『老人たちの裏社会』という本が、ベストセラーになっているらしいのですが、そのレビュー的な、

『老人たちの裏社会』生き地獄化する余生
 現代ビジネス 2015.05.06

に、いろいろと書かれておりまして、たとえば、 60代以上の老人の「暴行の検挙数」が、1994年と比べて、2013年には 45倍増加の 3048人となったというような、「荒れた高齢者」の現状が書かれているのだそうですが、この著作の最終章の章タイトルは、

生き地獄化する余生

となっています。

現時点で、このような「生き地獄化」という言葉が当てはめられるような老後が、どこにでも転がっているのが現実のようです。そして、先ほどまで書きましたけれど、今後はこれがさらに加速する可能性が高かったりするわけです。

何というかこう・・・ディストピア的な社会が、どんどんと近づいているのは、多分間違いないです。

そういう意味で、「異次元の声」が言うところの「老後を真剣に考えなさい」というのは、結局は、共同体やネットワークなども含めた「自立」ということのように思います。

社会への依存をなるべく減らした生き方。

これに関しては、1人でもできる方はたくさんいるでしょうけれど、私のように無力な人間は1人では難しそうです。

中高年の方々は、周囲や身近な方々とどのようにお互い手助けしながら生きられるのかということを考えることも悪くないことのように思います。

やはり、高齢化するほど、孤立化しやすいですからね。

あくまでも一般論ですけど、ビジネスでの知り合いは友だちにはなりにくいですし、でも、トシをとると、ビジネス以外の知り合いがあまりいないことに気づいたり。それに、そもそも、大人になると「友だち」という関係になりにくいです。

年をとった時に「周囲に誰もいないことに気づく」という状況には簡単に陥りやすい気もします。

私も最近になって、少し先の未来のことを考え始めたばかりです。

なお、そのようなこともありますし、近いうちに SNS か掲示板か迷っていますが、何かコミュニケーションツールを設置しようと考えています。 SNS は何だかややこしいので、昔ながらの掲示板になる気がします。

具体的にはともかく、噴火とか、あと大きな地震などのことも云々ですが、皆さん頑張りましょう。



  

2015年02月25日



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▲ 過去記事「ソルフェジオ周波数 528Hz に石灰化した松果体を正常に戻す可能性がある?…」より、1968年のジョン・レノンのテレビ・インタビューでの「この社会は、狂った目的を実現するために、狂った人間たちによって動かされている」と語っている場面より。






 


前回の記事「閑話休題 スピリチュアルとは何か」で書きました「めまい」なんですけど、過去のことなどと照らし合わせて、それと発症前後の状況などと合わせますと、推定の域を越えて、前庭神経炎というものか、それに類するものであると思われます。

まだ外を歩けるような状態じゃなくて、病院なんかも行けるわけではないし、そもそも内耳系のめまいに対しての治療法は存在しませんので(ほとんど効かない薬は存在しますが)行く気もないですが、どちらかというと、ふらふら病院に歩いてく途中で車にはねられてしまうというようなシナリオのほうが現実味がありますので、ちゃんと歩けるまでは家で安静にしているしかなさそうです。




「いい子たち」の心の奥

そんなわけで、今回の記事も時事と外れると思いますけど、最近の流れとやや関係するものとなりそうです。上にもリンクしましたスピリチュアルとは何かという記事で、私は、「精神的な部分では第三者に依存しないことが大事」というようなことを書きまして、「なぜか」ということについてなんですけれど、第三者にべったりと精神的に依存してしまうことは、単にその人にとって「危険」だと思われるからです。

そもそも、その第三者の人物が、あなたにとって有益なことをもたらすのか、あるいはそうではないのかは実際には一見でわかるわけもないですし、この世には「いろいろな」人がいます

この世は、決して「善の方向」だけを向いている人たちだけによってできているわけではないです。

仮に何か「悪い影響」を他者に与えるものだった場合、時にそれは、未来に対して、その影響を受けた人物が非常に悪い方向へと進む可能性もあるからです。

単に社会的な問題だけではなく、たとえば、それこそスピリチュアルな言葉で「例え」としていえば、「霊的」という言葉を用いましても、それは取り返しのつかない低い場所へと引きずり込まれてしまうというようなことも例えとして出してもいいかもしれません。

まあしかし、そのあたりのことは詳しくはないですので、社会的な方向に話を戻します。


ところで・・・一見関係ないことかもしれないと思われるかもしれませんが、最近の、特に若い世代の人たち。

あるいは、その最近の若い人たちの「態度や素行」。

これは全体として見れば、(本質的にはともかく、表面的には)昔よりはるかに「いい子である」と感じることが、少なくとも私にはあります。

この、

「いい子たちの集団」

は、一見すると、穏やかでいい社会のようにも見えますけれど、それは社会全体にとっては、決していいことだけだとはいえない気はするのです。

今から6年ほど前の 2009年9月15日に配信された未来予測プロジェクトのウェブボットには、「影の支配勢力の攻撃の方法」というようなことが書かれているのですが、それはいわゆる、スピリチュアルやニューエイジ思想を源流とした選民意識を流布することによって「他者への差別意識」を植え付けることについて書かれています。

これは、たとえば、エイリアンの存在などのストーリーを元にした「選民思想」を人々に流布して、それに乗ってくる人たちへの洗脳の危険性について書かれてあるものですが、その全体は後で抜粋しますが、その中に下のようなくだりがあります。


自分が特別だと感じたがっている人間がこの情報に触れると、簡単に洗脳されてしまう。そして自分の友人をもそれに引き入れようとする。(略)

育ちがよく、疑うことを知らず、そしてより大きな現実を批判的に吟味する訓練を受けていないものはこの選民思想の餌食となる。そしてウィルスが広まるように、この思想を信じたものは自ら率先してこの思想を広めるようになる。



ここにある、

> 育ちがよく、疑うことを知らず、そしてより大きな現実を批判的に吟味する訓練を受けていないもの

というのは、たとえば、今の世の中に溢れる「一方方向の正義感」を持つ人たちの存在などを思い浮かばせてくれます。犯罪などを含めて、何かメディアが「悪い」という方向に決めたもの、あるいは思想や行動については、

〇〇はすべてダメ

という方向に進みやすい傾向はありそうで、あるいは逆にメディアなどが「良い」と決めた方向は、されを比較的素直に受けいれやすいとか。

しかし、こういうどちらの方向にもストレートな思考というのは裏返すと、「あまり考えてから結論を出していない」とも言える部分はあるのかもしれなくて、そして、その原因はやはり、子どもたちの心の中が、小さな頃から余裕のないギリギリの状態になっているからかもと思います。

いろいろと余裕がない場合、自分で考えるよりも、時代の雰囲気だとかメディアから発信された価値観に従ったほうが楽です。

今の子どもたちの生活には本当に余裕がないように見えます。

毎日、学校に行く上に、その上に塾も宿題もあるという狂気の日々。

「遊び」というものがどれだけ後の人生に有益なものとなっていくのかを知る時間も余裕もない(大人から見れば、どれだけ下らないと思える遊びでも)。

こうなってくると、本当なら、「鬱憤」を晴らす場所がないと、気持ち的に行き詰まっても不思議ではないと思うのですけど、それでも、表面上はいい子だったりする。

この「表面上は」というのがコワイ感じはしますね。

最近に限らないですが、比較的若い人たちによる犯罪の種類が変わってしまったあたりにも、それは現れているのかもしれません。クレアでは懐古日記などをたまに書きますけれど、こちらの音楽記事で私は下のように書いています。


社会が良い社会であれば、(反抗文化が存在しないことは)それは穏やかでとてもいいことなのだと思いますが、今の社会の場合はどうなのかなとも思います。もう、私たちは変革のキッカケを失ってしまったかもしれないわけで、これも民意だとすれば、仕方のないことなのかもしれません。


40年くらい前の若い世代の様相は今とはまるで違ったように思います。もちろん、当時のほうが全体としては「悪い」のですけど、少なくとも私などは幼児期から少年時代まで、

・大人を信じない
・きれいごとを信じない
・自分が優れているなどとは考えない(常に自己否定)


というように思って生きていた部分はあります。

疑いやすくて、自分の良さも他人の良さも認めない……(苦笑)という、最低の若者群像ですが、ただ唯一良かったのは、そういう私たちが、仮に「きみは実は〇〇の遺伝子を引き継いだ優れた人類なんだよ」という「選民思想」を与えられたとしても、

「オレ馬鹿だし、そんなわけないべや(笑)」

と相手にしないで生きていけたという部分はあります。
まあ、本当に馬鹿でしたし、今も馬鹿ですし。

ところで、上の「ないべや」という語尾はかつての北海道弁なんですが、こういうのも今は消えているみたいですね。

昨年だったか、北海道に帰省した際に、ひとりで散歩していましたら、電気関係の工事のようなことをしている若者たちが、昼休みなのでしょうか、道路に腰掛けて、弁当を食べながら会話をしていたのですね。

何となくその会話を聞いていると、この何十年間で若い世代の話言葉が変わったことがわかりました。そこで5人くらいの若者たちは、たとえばですけど、

少年1 「それはさあ、お前の言い方に問題があるのかもよ」
少年2 「そうかもしれないけど、あの子の言い方も結構ひどいんだよ」


というような、とても優しい感じの標準語で語り合っているのを見て、「へえ、方言って完全に駆逐されたんだなあ」と、やや驚いた記憶があります。

これが 40年前の私たちの世代でしたら、下のようになります。

少年1 「おま、それはお前の言い方悪いべ」
少年2 「そーかもしれんが、むこうもなまらひどいべや」


こんな感じだったかもしれません。「なまら」というのは、「とても」ということで、当時北海道の言葉に大変頻繁に登場したものでした。

しかし、若い世代で方言が消えていっているのは、関西などを除けば、比較的、日本全国で共通のようで、どこの出身の人に聞いても「今はあんまりないです」と言います。

えーと、方言はどうでもいいのですが、その前の、今の子どもや若い世代の器質、考え方、あるいは物に対しての「考えるより時代の空気に従う」というような立場に関しては、ここ1ヶ月〜2ヶ月くらいのデータ記事の数々、たとえば、

日本の未来 : 子どもに関しての、そして、高齢者に関しての統計データから受けた衝撃
 2015年01月28日

などとも関係していることだと私は思っています。

そして、それは、

私たちを含む多くの人類の松果体はフッ素による石灰化により、すでに「永遠の機能停止」に陥っているかもしれない
 2015年02月03日

などの問題とも関係しているのかもしれません。

このあたりは詳細は今回は書かないですけど、多くのデータは、現在の子どもや若い世代、あるいは、高齢者の人々も含めて、つまり「脳に変化が起きている」ことを示します。

要するに、またフッ素のことと関係するのですが、少しだけデータを振り返ってみます。




脳を壊しているものは何なのか

アメリカのハーバード大学の研究者たちが、2012年の夏、アメリカ政府機関の学会誌エンビロンメンタル・ヘルス・パースペクティブ( Environmental Health Perspective )に発表した論文の内容の一部が、出雲市の倉塚歯科医院のサイトに掲載されています。

そこには、ハーバード大学の研究者たちの見解として、

「我々の研究は、フッ素が子どもの神経の発達に悪影響を及ぼす可能性を支持する」

ことや、

「フッ素が高い地域の子どもたちは、そうでない地域に住む子どもたちに比べ、かなりIQが低い」

という、「脳の発達との明らかな関係」を発表しています。

そして、同じ年、アメリカ環境保護局( EPA )も、フッ素が「発達神経毒性を示す実質的証拠がある化学物質だ」と発表。

さらに、研究チームの神経毒学者であるフィリス・マレニクス博士( Dr. Phyllis Mulenix )は、フッ素の毒性を依頼された際、当初は、「子どもに使用されているような安全な物質の検査に意味があるわけがない」として検査を拒否したのですが、しかし、指示通りに検査してみると、


安全とされる適量のフッ素を投与しただけで神経細胞から、他の神経毒が引き起こすような多動性障害、記憶障害、知能障害の典型的な画像パターンが観測された


のでした。

その他の多くの研究(国家的研究も含む)によって、

フッ素が脳の機能を阻害する。

ということが、わりと古くから明らかにされています。

1997年にマレニクス博士がフッ素と脳について語ったインタビュー記事
Phyllis-Mulenix.gif
Fluoridealert.org

しかし、それでも、アメリカのフッ素の水道添加率は上昇していて、また、日本でも、水道水には添加されていませんが、学校などの公共施設での子どもたちへのフッ素の強制塗布は拡大しています。

もちろん「強制」と名付けられているわけではないですが、学校などで集団でおこなう場合は、子ども個人で拒否することは事実上あり得ないと思われるので、そういう意味でです。

日本むし歯予防フッ素推進会議による「集団フッ化物洗口の実施状況の推移」などによる統計ですと、1983年にフッ化物で洗口を受けた子ども数が 10数万人程度だったのに対して、2010年には「 78万人」近くの子どもたちがフッ化物で洗口を受けています。

fhomecare.gif
集団フッ化物洗口実態調査よりグラフ化


どのくらいの量で問題が起きるかということについては、さきほどのフィリス・マレニクス博士はかなり微量でも、としていますが、具体的な量としては、以下のようなるようです。

宮城県にある「かくたこども&アレルギークリニック」の角田和彦医師のウェブサイトにあります 2005年7月の「コリンエステラーゼを阻害するフッ素(歯へのフッ素塗布)」によりますと、たとえば、フッ素入りの日常品として最も身近な「歯磨き粉」については、

dental-fl.png

とありまして、「 5グラムの歯磨き粉で、体重 10kgの子どもの中毒量」とあります。

まあ、5グラムというのは結構な量で、ホテルなどの備品にある小さな歯磨き粉で3グラムとかそのくらいですので、一度に歯磨き粉を5グラムも使うことはないでしょうけれど、脳の中でも特に松果体は、フッ素、カルシウムなどを蓄積しやすいですので、飲み込んでしまったものが日々蓄積すれば、5グラムは、わりと「すぐ」かもしれません。

特に、幼児になればなるほど「歯磨き粉を飲み込むこと」が多いですので、せめて小さなお子さんには、それが入っていないものを使うようにしたほうがいいかもしれない可能性はあります。

以前、うちの奥さんにそんなような話をした時、その時はそれほど興味なさそうに聞いていましたが、翌日、洗面所にフッ素の入っていない子ども用歯磨き粉が置いてあったりしました。

うちの奥さん曰く、「確かに子ども用でフッ素入ってないのほとんどなかった。これくらいだった」と買ってきたのが下のものでした。これは他の成分に関して良いのか悪いのかはわからないですが、フッ素に関してはまったく入っていないです。

packs.jpg
Amazon


というわけで、何だかまたも、フッ素の話を書いてしまいましたが、フッ素だけを攻撃したいわけではなく、事実として、

・従順でいい子が増えている

・脳が攻撃されているかもしれない日常


というふたつの要素が今の社会にあるかもしれないと考えますと、それが導く近い未来というものがどんなものかと思ったりした次第です。

というわけで、最初のほうに抜粋しました、2009年のウェブボットのその部分を抜粋いたします。
翻訳は、ヤスの備忘録のヤスさんによるものです。




Change in luanguage precede changes in behavior

ウェブボット「来たるべき未来の形」より抜粋
2009年9月15日配信


影の支配勢力は国民を分断し、相互の不和を拡大する思想の刷り込みを行う。この思想は専門家が注意深く考案したもので、ニューエイジ系の考え方も取り入れており、よくできている。

この思想は、分断して統治するという影の支配勢力の典型的な手法に基づいており、すでにインターネットのさまざまなサイトから発信されている。

まず分離と分断の技法は「われわれは特殊である」という思想の宣揚から始まる。

彼らはその原則を自分たちに適用し、自分たちにこそ統治する権利のある特殊な集団として民衆から自分たちを分離する。この思想は、少なくとも魚座の時代の始まりから存在していたものだ。

そして次に、影の支配勢力の核となる集団を、血統による純粋性を根拠に外の集団から分離する。

彼らは最近このような分離を維持することに難しさを感じているので、分離と分断を外部に対して徹底しながら、影の支配勢力のインナーサークルを拡大しようとしている。

影の支配勢力は最近、裏のネットワークを使い、人類の15%はエイリアンのDNAをもっているとするニューエイジ系の考え方を抑圧しようとした。だが、この考えはエイリアンのDNAをもつ15%の人類は特殊であるという意味で、分離と分断の思想を強化する方向に作用する。

エイリアンのDNAをもつ15%の人類は、マインドコントロールにはひっかからず、またエイリアンとコンタクトできるテレパシーの能力があるので特殊だという。

だが、この特殊性はシオニストの選民思想へと通じるものがある。シオニストの選民思想は、人間と人間とを分断し、相互の闘争を引き起こす。

影の支配勢力は、複雑な神経言語学的プログラミングの方法を駆使して、エイリアンのDNAをもつこの15%の人類を自分たちの仲間に引き入れようと画策する。

彼らはそのとき、この15%の人類はわれわれと同じDNAをもつ選民なので、人間性を裏切るような行為を行っても構わないと彼らにアプローチする。

このとき、他の人間たちを原始的な動物にたとえることもする。

まず、この選民思想はインターネットのトンデモ系情報を流している有名なサイトから広まる。この選民思想を信じた人間は、自分こそこの15%に属する選民であると思い込むようになる。

それはまったく何の根拠もない思い込みにしかすぎないのだが、彼らはそれを信じることで自分たちの集団には属さない人々を下等な人間として見下すようになる。最初は蔑視だけだが、次第にエスカレートし、他の人間に対して残虐な行為を 行うようになる。

これにより、人間相互の分断と敵対関係は強まる。

選民思想がこのような形で悪用されるとのデータはすでに存在していた。

ところで、エイリアンのDNAをもつ15%の人類はマインドコントロールされないことが一つの特徴であるとされる。しかし、この情報を見るものは、自分こそがこの15%であると、いわば覚醒した感覚に襲われてしまうのだ。

影の支配勢力はこのようにして彼らを自分たちの側へと引き入れるが、もちろん影の支配勢力は彼らよりも多くエイリアンのDNAをもつものとして自分たちの優越性を誇示する。このような新しい血統の概念の導入で、古くから行われてきた「分断と統治」の手法がアップデートされるのである。

影の支配勢力はこの選民思想を、ターゲットとなる集団に流布するために特殊なネットワークを使って広める。

自分が特別だと感じたがっている人間がこの情報に触れると、簡単に洗脳されてしまう。そして自分の友人をもそれに引き入れようとする。

実際にエイリアンのDNAをもつ人間が存在するのかどうかはどうでもよいことである。これは影の支配勢力が、民衆を統治するための戦術として生み出した選民思想にしかすぎないのだ。

影の支配勢力は自分たちが民衆を統治する神権をもっていると信じ込んでいるが、この神権の正当性を主張する根拠がエイリアンのDNAに変わっただけなのだ。

これは遺伝子工学の時代に考案された神権の新しい概念である。

育ちがよく、疑うことを知らず、そしてより大きな現実を批判的に吟味する訓練を受けていないものはこの選民思想の餌食となる。そしてウィルスが広まるように、この思想を信じたものは自ら率先してこの思想を広めるようになる。




  

2015年02月01日



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へその緒から287種類の汚染物質が検出された2005年のアメリカの調査

つい先日の、

日本の未来 : 子どもに関しての、そして、高齢者に関しての統計データから受けた衝撃
 2015年01月28日

という記事で、日本の子どもたち(大人たちもですが)の健康異常に関して、この 30年間ほどの間に、グラフが急激な上昇曲線を描いていることなどを書きました。






 


それはたとえば、日本の下のようなデータです。

文部科学省の資料の特別支援学校の在籍児童生徒数をグラフ化したもの
kids-1989-2013.gif
大久保賢一准教授 twtrland


日本における先天異常発生頻度の推移
dna-baby-03.gif
エコチル調査


こういうさまざまなことについての原因はわからないにしても、翌々日に書きました、

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないかと」と思わせる日本をめぐる様々な統計グラフや、それと同じ曲線を描くいくつかの統計
 2015年01月30日

という記事では「食品」との関係も少しはありそうな感じについて書いたのですが、その後、やや古いデータですが、カナダのエンバイロンメンタル・ワーキング・グループ( Environmental Working Group )という研究団体が、2005年におこなった調査で、「赤ちゃんたちはお腹にいる時点で、すでに病んでいる状態かもしれない。」ことを示すデータが得られました。

それは、

アメリカの赤ちゃんの「へその緒」から 287種類の化学物質が検出された

というものでした。

訳された文章が「体内汚染:新生児の汚染物質 臍帯血中の化学物質、汚染物質、及び農薬のベンチマーク調査」にあり、そこには検出された科学物質の一部も掲載されています。

そこから、少し文章を抜粋しますと、


エンバイロンメンタル・ワーキング(EWG)が実施した調査で、二つの主要な研究所の研究者らは、アメリカの病院で2004年8月と9月に生まれた10人の赤ちゃんの臍帯中に平均200種類の産業化学物質と汚染物質を検出した。テストの結果この赤ちゃんのグループから合計287種類の化学物質が見出された。

臍帯を切った後に赤十字が収集したこれら10人の赤ちゃんの臍帯血には農薬、消費者製品成分、及び燃焼石炭やガソリン、ゴミからの排出物が含まれていた。

臍帯血から検出した287種類の化学物質のうち、180種類がヒト又は動物に発がん性があり、217種類が脳や神経系に有毒で、208種が動物テストで先天異常又は発達異常を引き起こすことが知られている。



とあり、母胎と赤ちゃんを結ぶへその緒から、

> 217種類が脳や神経系に有毒で、208種が動物テストで先天異常又は発達異常を引き起こすことが知られている

というような汚染物質が検出されたということでは、確かに、生まれてからの子どもたちの環境以前の問題として、「多くの赤ちゃんが、すでにお腹の中で汚染物質にさらされて成長している」ということも言えなくもなさそうです。

上の論文からもう少し抜粋します。


胎児期又は幼児期での化学物質曝露は、成長してから後の曝露に比べて劇的に有害となることがある。多くの科学的証拠が、子ども達は体内汚染物質により増幅されたリスクに直面するということを示している。

子ども達の脆弱性は、急速な成長と不完全な防御系に起因する。

・発達中の子どもの化学物質曝露は大人に比べて体重当り大きい。
・未成熟な”血液脳関門”は化学物質を通過させて発達中の脳に大きな化学物質曝露を与える。
・赤ちゃんの器官とシステムは急速に発達しており、したがって、しばしば化学物質曝露による損傷に対しより脆弱である。

この調査では、赤十字の国家臍帯血自主的収集プログラムに参加している母親から2004年夏季に生まれた10人の赤ちゃんが任意に選ばれた。

両親が化学産業で働いていたり、胎内での化学物質曝露により障害を持ったことが分かっている赤ちゃんは選ばれなかった。それにもかかわらず、それぞれの赤ちゃんは広範囲の汚染物質をもって生まれていた。



ということで、調査対象は「普通の生活」をしていたと考えられるお母さんたちの赤ちゃんたちで、また、

> 赤十字の国家臍帯血自主的収集プログラムに参加している母親

ということから考えても、日常の生活で「ある程度、環境などに気をつけて生活しているお母さんたち」だったような気もします。

それでこの結果ということは、へその緒の汚染、すなわち、胎内の汚染というのは、普通に生活しているだけでも相当進んでいるという可能性も感じます。

これは、アメリカだけでの問題ではなく、日本などを含めた「先進的な生活」をしているすべての国の問題だとも思います。

それにしても、むしろ思うのは、赤ちゃん(あるいは人間)の強靱さです。

287種類という途方もない種類の汚染物質の存在する環境の中で育って、それでも健康に生まれる赤ちゃんたちがたくさんいることは、赤ちゃんたちが「胎内でのサバイバル」を繰り広げているのだということも、また感じます。

検出された汚染物質の中には、「脳」と関係するものも多いです。

また、それらは、「日常生活」と密接なところから発生するもののようです。

論文から抜粋しますと、

パーフルオロケミカルズ((PFCs)
テフロン、スコッチガード、繊維及びカーペット保護、食品包装容器などの製造における活性剤又は分解物質。がん、先天性異常、その他多くに関連。

ポリ臭化ジフェニルエーテル類(PBDEs)
家具、コンピュータ、テレビなどの難燃剤。食物連鎖中及びヒトの組織中に蓄積。脳の発達と甲状腺に有害影響。

など、「脳」と関係があるとされている汚染物質は、

・テフロン(テフロン加工のフライパンなど)
・スコッチガード(防水剤)
・繊維、カーペット保護
・食品包装容器
・家具、コンピュータ、テレビなどの難燃剤


などにあるような「現代の生活ではあまりにも日常的なもの」に含まれているわけで、普通に暮らしていて、これらから逃げられる方法というのはないほど日常的なものです。

特に「食品包装容器」なんてのは、現代生活では、ほぼ毎日接しているものだと思われます。

そういえば、「口に入れるもの」ということで、最近、さらに少し気になることをお知り合いから聞きました。

それは歯磨き粉などに多く添加されている「フッ素」のことです。

なお、ここでは、フッ素を最初から悪いものと断じるつもりはないです。
現状を書くだけですので、ご判断は各自にお任せします。




フッ素のこと

上にもリンクいたしました先日の記事では、子どもたちに「何かが起きている」ことは、日本だけの問題ではなく、アメリカでも、過去 30年で、自閉症の子どもの数が約 50倍の増加を示していることなども書きました。

aut-us-2009b.gif


この上のグラフの急激な上昇ぶりはすさまじいものがありますが、これと比較的、似たような曲線を描くグラフがあります。

それは「アメリカのフッ素化合物の水道水や歯磨き粉への添加の推移」のグラフです。

fluorine-data-2005.png
fluoridation.com


アメリカでは、1950年代から水道水へのフッ素添加を始めて、1960年代に一気に広がります。

アメリカの水道水へのフッ素の添加状況(2000年)
us-fluorine.gif
oregondental.org

東部のほうは緑色で、80-100%の地域でフッ素が添加されているようです。

そして、1970年代からは、歯磨き粉にフッ素の添加が始まり、それは現在も続いています。

これらは、歯科衛生の観点からの水道水への添加だと思われますが、先ほどのグラフで注目するのは、「虫歯の減少」が、「フッ素の登場」とそれほどリンクしていないことです。

虫歯の数はもっと以前から、穏やかに減少し続けています。


それはともかく、この「フッ素」が、人体に有害「かもしれない」ことは、ずいぶんと議論されていたようですが、私はあまり知りませんでした。

そもそも、かつては、フッ素なんてもの自体に興味がなかったですが、スタンリー・キューブリック監督の 1964年の映画『博士の異常な愛情』の中の登場人物に、精神に異常をきたし、ソ連への核攻撃を命じたアメリカ空軍の将軍が、部下に延々と「フッ素の陰謀説」を説くシーンがあり、それで興味を持ったことがあったくらいです。

ripper-001.jpg

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▲ 映画『博士の異常な愛情』より。


このフッ素については、「それ自体が毒である」ことは知られていて、例えば、 フッ素 - Wikipedia で、フッ素研究の歴史を読みますと、歴代のフッ素研究者たちが、自らの研究でフッ素の毒素で死亡している(因果関係のわからない死もあります)記述が多く出てきます。


アイルランドのクノックス兄弟は実験中に中毒になり、1人は3年間寝たきりになってしまう。ベルギーのPaulin Louyetとフランスのジェローム・ニクレも相次いで死亡する。(略)

フッ素単離の功績から、1906年のノーベル化学賞はモアッサンが獲得した。翌年、モアッサンは急死しているが、フッ素単離と急死との関係は不明である。


という「死の研究の歴史」を持つフッ素のわけですが、こういうものが、なぜ、アメリカでは水道水に添加され、日本を含む多くの国で、歯磨き粉などの歯科系のケア商品に添加されることとなったのか。

アメリカの水道水にフッ素が添加されるようになった理由は、よくわからないですが、歯磨き粉と同様に、「歯科衛生の観点」なのかもしれません。

日本では、水道水にフッ素は加えられていないですが、歯科の分野では多く使われています。

今の歯磨き粉のほとんどが「虫歯予防」という観点からフッ素が添加されていると思われます。

その理由とされていることを具体的に書きますと、

フッ素が歯の結晶構造に取り込まれることにより「フロールアパタイト」という固い物質になり、虫歯を予防する。

となっています。

しかし、「フッ素に歯を虫歯から守る機能はない」という研究論文も多く出されていて、たとえば、明海大学の筧光夫教授の「生体アパタイト結晶形成機構とフッ素イオンの影響」では、難しい内容ですが、実験によれば、フッ素が固い物質となることはなく、また、歯の結晶構造に欠損ができやすくなることなどで、

フッ素の使用による歯質強化はない

としています。

kakei.jpg


また、フッ素治療をおこなわないとしているフレンズ歯科クリニックの、「当院でフッ素を使わない理由とは?」というページにも、かなり詳しくフッ素について書かれています。

このようなフッ素がなぜこれほど世界中に広まったのかはわからないですが、THINKER の記事には、


1950年代、アメリカで水道水へのフッ素化合物添加の是非をめぐる一大論争が科学者の間で起きました。そのとき低濃度のフッ素の安全性を訴えたフッ素支持派の筆頭者はハロルド・ホッジ博士でした。ホッジ博士とは、広島に投下した原子爆弾を開発した 「マンハッタン・プロジェクト」の中心的人物であり


という記述もあり、これらが真実だとすれば、なかなか厄介な歴史を含んでいるということもありそうです。

なお、上の記事には


これまで長年にわたり世界中で、虫歯予防のためにフッ素を水道水に添加しようという運動が推進されてきたのをご存じですか。

そのため、現在、世界で約60カ国、4億5千万人ほどの人々がこのフッ素を添加した水道水を常飲しています。



とあり、これも本当なら、かなりのものですが、少なくとも日本では水道水には、フッ素は添加されていません。

ただまあ……。

日本にも下のようなデータはあります。

学校等における公衆衛生的フッ素化物洗口の推移
fluorine-japan.gif
・日本むし歯予防フッ素推進会議


日本でのフッ素添加の歯磨き製品の推移
teeth-paste.jpg
White Family dental-site


うーむ、上のふたつのグラフの曲線も何かと似ている気が・・・。

いずれにしても、フッ素が有害か無害かの結論は出ていないとはいえ、実質的には、フッ素を口内に入れる機会は、子ども、あるいは大人にも増えています。

そういえば、うちの子どもは小さい頃から歯磨き粉を嫌い、小学生になる今でも使っていませんが、甘いものを食べるわりには、虫歯が多いということはないです。




フッ素が松果体を破壊するという1997年の実験

これまで、「松果体の重要性」については、たまに書くことがありました。

最近も、

日月神示の「額で見る」の意味 : 生物学的に「目と松果体」は細胞レベルで元は同じものであり、語義通りの「第3の目」であることを知った日
 2015年01月22日

で、松果体は「細胞レベルでも、眼と同じ構造」であることなどについて、ふれたことがあります。

何より、人類が「進化していくため」には、松果体の役割はとても重要なものだと思われます。

その松果体ですが、「フッ素が松果体を破壊する」というようなことが言われています。

破壊というか、これは、1997年に、英国のジェニファー・ルーク博士という人の実験によって、

フッ素は脳の松果体に高濃度に蓄積される

ということが明らかになったものです。

さきほども書きましたように、フッ素自体は毒素ですので、人体のどの部分であっても、それが高濃度に蓄積するということは、良いことではないはずです。

これについては、島根県出雲市にある倉橋歯科医院の「フッ素は松果体に蓄積され、さまざまな悪影響を及ぼします」というページに、歯科医のお医者様自身の記述があります。


1997年に発表された英国のジェニファー・ルーク博士の研究で、フッ素は脳の松果体に高濃度に蓄積されるということが明らかになりました。松果体は脳の中心にありますが、血液脳関門に守られていない血流の非常に多い器官です。

松果体の中には歯や骨と同じように石灰化した粒子があるのですが、博士はこの粒子の中にフッ素が高濃度(約9000ppm)に蓄積することを発見したのです。

そして、フッ素に曝露された実験動物のメラトニン産生が低下する結果として、動物が早熟化することも見出しました。



また、このページでは、

・2012年にアメリカの政府機関の学術誌に掲載された、ハーバード大学の研究者による「フッ素が子どもの神経の発達に悪影響を及ぼす可能性」

・ベルギー政府は、2002年に、フッ素の過剰使用が骨粗しょう症のリスクを増加するとして、フッ素サプリメントを販売禁止

・フッ素がアレルギーを悪化させること


など、他にいろいろと書かれてありますので、興味のある方は上のリンクからお読みください。

そういうような意見がある中での現状の歯科的な観点からのフッ素の使用については、岩見沢歯科委員会のサイトには以下のようにあります。

わが国では、1949年、厚生・文部両省から「弗化ソーダ局所塗布実施要領」、1966年には厚生省医務局歯科衛生課から、「弗化物歯面塗布実施塗布」が出され、その普及が図られてきました。

歯科疾患実態調査によれば1〜15歳未満のフッ化物歯面塗布を受けたことのある者の割合は平成17年の調査では総数で59.2%に達しています。

また、アメリカでは、

最近、米国歯科医師会は、飲料水中のフッ素濃度が0.3 ppm以下の通常の地域に住んでいる3〜6歳児に対して、自然の飲料水や食物からのフッ素量に加えて、1日0.5 mgのフッ素をフッ化物錠剤などによって投与することを奨めています。

とあり、アメリカでは、飲料水に加えて、さらに追加で子どもたちにフッ素錠剤を飲用させるというようなことになっているようです。

うーん。

この「人類から松果体が破壊された時」ということについては、また別の機会にきちんと考えてみたいと思いますが、松果体まで絡んできますと、単なる環境汚染的な問題というより、どことなく、終末的な意味合いを感じてしまいます。

いずれにしても、現代の社会では、赤ちゃんたちはお腹の中ですでに汚染物質と戦いながら育ち、そして、生まれてからも、様々な「有害か無害かの判断はできないにしても、有害っぽい」多くの物質の中で成長していくようです。

確かに、これでは「健全な心身で一生を過ごす」ということが、いかに難しいかがわかる気もします。

ただ、287種類の汚染物質も、フッ素添加の歴史などもそうですが、あまりに問題の根本が深すぎて、しかも、複雑に結び合っていて、簡単に解決する問題ではなさそうです。



  

2015年01月30日



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出生時の体重が 2500グラム未満の乳児の割合の各国比較(2013年)
baby-tt-japan.gif
Viewpoint






 



「どうして日本はこうなった?」への思いは続く

先々週くらいの、

「フランシスコ法王が第三次世界大戦の開始を宣言」という報道よりも中国の食品安全監査報告のヤバさが気になる昨今
 2015年01月19日

という記事で、CNN の「中国の食品の安全性があまりにもひどい理由」というタイトルの記事を紹介する他に、中国の食品事情の問題などを少し書きました。

そして、つい先日、

日本の未来 : 子どもに関しての、そして、高齢者に関しての統計データから受けた衝撃
 2015年01月28日

という記事では、教育関係の施設で目にした冊子の数値に衝撃を受けまして、いくつかのグラフを載せました。

そこには、日本の子どもの数そのものが、この30年くらいで「半減」しているのに対して、特別支援対象の子どもたちは増加していることが示されています。

また、「通級」という学校制度があります。

これは、普通に小学校に通うことに問題はないけれど、発声や耳の聞こえ方などにやや問題がある児童、あるいは、ADHD (注意欠陥・多動性障害)などの子どもなどが、週に一度、教室に通って指導を受けるというものです。

こちらの数も、この 20年間で5〜7倍くらいの急激な増え方をしています。

tsuukyuu.gif
舞田敏彦 Twitter


こういうことだけではなく、後でふれますが、日本において、子どもたちのアトピーや食品アレルギーの増加、ぜんそくが増加している、などの原因は決してひとつやふたつの単純なものではないでしょうけれど、「ある現象が急激に増えていく」ということには、何らかの原因はあるはずです。

2009年に、環境省が「子どもの健康と環境に関する10万人全国調査」というものをおこなったそうですが、そこでは、「子どもの健康に関連した不安が提示された因子」などに関して、「一般の人々へのアンケート」と、「専門家へのアンケート」をおこないました。

その結果は、一般の方へのアンケートでは、「1位 農薬」、「2位 食品添加物」、「3位 電磁波」などから始まるものですが、ここでは、専門家のアンケートの順位を取り上げてみます。

子どもの健康に関連した不安が提示された因子

1位 内分泌かく乱物質(環境ホルモン)
2位 ダイオキシン・PCB類
3位 POPs(残留性有機汚染物質)
4位 農薬
5位 水銀
6位 殺虫剤
6位 タバコ
6位 クロム
6位 ヒ素
6位 鉛


そして、この専門家たちが、提示された不安要因によって、子どもの健康に影響があると考えている項目が下のようになります。

不安が提示された子どもの健康影響

1位 アトピー
2位 注意欠陥・多動性障害
3位 低出生体重
4位 早産
5位 ぜんそく
5位 死産
5位 自閉症
5位 先天奇形
5位 生殖器異常
10位 食物アレルギー
10位 発達障害
10位 泌尿器異常


となっています。

まあ、専門家の発言といっても、上に並べられた疾患や状態について、因果関係が明確になっているものは多くないはずです。なので、「そのように考えている専門家たちがいる」という認識を越えるものではないとは思います。

とはいえ、上の様々な疾患や状態の中には、「子どもの総数が減っている中でも、増え続けている」ものが多いことも事実です。

日本における児童生徒のぜんそく被患率の推移
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エコチル調査

私自身、小学2年(昭和40年代)まで小児ぜんそくでしたけれど、上のグラフで昭和53年(1978年)から、子どものぜんそく罹患率が 30数年のうちに小学生で4倍ほどにも達したことがわかります。


日本における先天異常発生頻度の推移
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エコチル調査

このグラフでは、染色体異常で生まれる赤ちゃんの率が 30年間で倍増していることがわかります。

不安が提示された子どもの健康影響の3位に「低出生体重」とありますが、今回の冒頭に載せましたのは、世界各国の「低体重で生まれる赤ちゃん」の率を比較したもので、これを見ると、世界で、低体重の赤ちゃんが生まれる率が最も高い国が日本であることが示されています。

このグラフが掲載されていた Viewpoint の記事には、


過去30年間で低体重児の割合が日本はほぼ倍増した。これは先進国の中で特異な現象という。


とあり、特異な現象として捉えられているようです。

その増加数については、1970年からのグラフがあります。

1970年から 2002年までの低体重児の数の推移
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赤ちゃん通信


ちなみに、日本の出生数の減少は今さら取り上げることではないでしょうが、グラフで見ますと、ある時点から「一方的に減少し続けている」ことがわかります。

1900年から 2011年までの日本の出生率の推移
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20世紀以降の日仏の出生数の推移


生まれた赤ちゃんの総数は 1975年の 190万人から 100万人へと、ほぼ半減。
昨年 2014年の出生数は 100万1000人となりまして、1899年以来最低となっています。

・とにかく、子どもの数はさらに減り続けている。

・しかし、その状況の中で、何らかの問題を抱える子どもの数は増えている。


というのが現実で、その傾向が止まる気配も今のところありません。

どうしてこのようなことになってしまったのか、とは誰でも思うとこでしょうけれど、しかし、誰にもその理由は一概には言えないはずです。

そこで、「似たようなカーブを描く、日本に関しての他のグラフを見てみる」というのはどうかと思いました。

それぞれに何の関係もないように見えても、同じ曲線を描いているもの同士なら、何かの関連が思い浮かぶかもしれない。それで、「似たように急増しているようなグラフ」をいくつか見てみました。




日本で増えてきたもの

ところで、「日本人の食」のデータを見ていると、1950年代から「急激に変化」したものがあります。

それは「動物性脂肪の摂取量」です。
少し古いデータですが、ものすごい急カーブのグラフを描いていることがわかります。そして、これは現在に至るまでも、さほど変化はないはずです。

日本人の栄養摂取の推移
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佐野内科ハートクリニック


この 1955年くらいから、日本人はコメを食べなくなって、肉をたくさん食べるようになった、という図式がおわかりになるかと思います。

現在に至るまで続く、これだけの「激しい肉食化」は、どこまで時代を遡っても、日本人の歴史の中で初めての「状態」かと思われます。

しかし、肉食が増えているからといって、カロリー摂取が増えているわけではないです。
下は、厚生労働省の「国民健康・栄養調査」をグラフ化したものです。

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そして、日本人がかつての4倍くらいの肉を食べる生活が定着し始めた 1960年代頃から急速に摂取しなくなっているものが、「植物繊維」です。

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大塚製薬


このような食生活の変化の中で、肉食とばかり関係しているものではないでしょうが、偶然にも、日本人の肉食が激しくなった 1955年頃から急速に増えたのが、「ガンによる死亡者」です。

日本の全ガンでの死亡者数の推移
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東京都健康安全研究センター年報


そして、日本は食糧自給率が低いわけで、肉にしろ野菜にしろ海産物にしろ、食料の多くを輸入に頼っていますが、「急増したの輸入先はどこか」というと、やはり、中国ということになります。

china-2007-food.jpg
All About 中国輸入食品のシェア、20年で約2.3倍に

上のデータはやや古いですので、現在に至るまで変化はあるでしょうけれど、拡大の方向には変わりはないかと思われます。

その中国からの輸入食品の内訳(2007年)は、財務省の貿易統計によりますと、上位3位は、

・魚介類 35.0%
・果実野菜 32.1%
・肉類 13.8%


となっていて、これだけの量が輸入されているとしますと、魚にしても野菜にしても、あるいは、肉にしても、自分では買わなくとも、外食などを含む何らかで、どこかで必ず中国産の食品を口にする生活をしていることになりそうです。

そういえば、中国の食品といえば、現在の中国のトップである習近平国家主席の昔のテレビでの発言を思い出しました。




習近平国家主席の14年前の言葉

上にもリンクしましたが、少し前の、中国の食品安全監査報告の記事の中で、中国人ジャーナリストによって記された『中国の危ない食品―中国食品安全現状調査』という本のことを書きました。

この本の中に、習近平国家主席が、今から 14年前に福建省のトップ(省官)になった際に、中国中央テレビで、食の安全についてインタビューを受けた時の習近平国家主席の言葉が載せられていました。

抜粋します。


中国の危ない食品―中国食品安全現状調査より


2001年8月22日、中国中央テレビの司会者、王が福建省長に就任して間もない習近平(2007年に上海市長)を「食品汚染」についてインタビューした番組の中だった。

当時、最年少の省官だった習近平は、1月27日にテレビに向かって率直にこう語っていたのだ。

「私が福建省に着いて最初にしたのは、ちゃんとしたレストランを見つけることでした。正直な話、今、ものを食べたり飲んだりすることはじつに煩わしいことです。コメを食べるときには有毒米かどうか心配し、野菜を食べるときは残留農薬を心配しなければならないんですからね」

司会者は、福建省の肉赤身化剤の問題は、現在どうなっているのかと訊いた。

「この薬品は、当初、科学的な研究を広めるもののひとつとして使われたそうです。私の友人に画家がいるんですが、彼は豚のレバー料理が大好きで、酒の肴はきまって豚レバーでした。ところがあるとき、絵筆を握る手が震えだし、描けなくなったというのです。病院で診察してもらった結果、肉赤身化剤、つまりは塩酸クレンブテロールが原因だとわかりました。その後、豚レバーを食べるのをやめたら、よくなったそうです。肉赤身化剤は非常に危険なものだと思います」



Xi-Jinping.jpg

▲ 福建省の省官に就任する前の1999年、福建省を視察する習主席(左)。 sina.com より。パッと見は、蛭子能収さんですね。


今から 14年前には、後の中国国家主席自身が、自分の国について、「正直な話、今、ものを食べたり飲んだりすることはじつに煩わしいことです」と述べていたことが印象的です。

ちなみに、文中に出てくる「肉赤身化剤」は、動物の見た目をよくして、肉の赤身の見た目をよくする「塩酸クレンブテロール」という薬剤で、気管支系の薬ですが、副作用がきつく、量によってはストレートに人体に有毒な物質です。

豚肉の筋肉をよく見せるということは、「筋肉増強剤」としての副作用もあり、過去に「中国で食事をしたスポーツ選手がドーピング検査で陽性となる」という事件が相次いだことがあります。

下のニュースはそのひとつです。


「中国の豚肉、2度と食べない」…残留成分でドイツ選手が出場禁止
サーチナ 2010.10.27

ドイツ卓球協会と同国のアンチ・ドーピング協会はこのほど、ドーピングの疑いで8月末にオフチャロフ選手(22歳)に科した「2年間、出場禁止」の処分を解除すると発表した。食事に由来する誤摂取と判断したため。中国国内で食べた豚肉に薬物が残留していたとされる。オフチャロフ選手は、「もう中国で、肉を食べる勇気はない」と述べた。チャイナネットが報じた。(略)

中国では、豚の飼料にクレンブテロールを入れる場合がある。禁止されてはいるが、豚が興奮して歩きまわるために赤身部分が多くなり、高値で出荷できるからだ。浙江省では2008年11月、大量にクレンブテロールを含む豚肉が社員食堂の昼食に使われ、70人に手足のしびれ、動悸、嘔吐などの中毒症状が発生する事件があった。




2001年の習近平省官は「肉赤身化剤」が「塩酸クレンブテロール」という薬品であることに言及していて、当局は、当時より食品汚染の知識について豊富であったことがわかります。

それから十数年経って、食品汚染の状況はほとんど改善されていないために、上のようなニュースや、先の CNN のような記事となるわけですが。

『中国の危ない食品―中国食品安全現状調査』の中には、農民の言葉として、

「(飼育場に、見た目のいい豚と、ふつうの豚の2種類がいて)見た目にいいのは肉赤身化剤を食わせたヤツですよ。肉の色つやがいいんで、もっぱらマチの人たちに売るため。ふつうの豚は自分たちで食べるものです」

という証言もあり、「見た目の良いほうが毒」となっていたりしまして、なかなか中国国内の食品問題も複雑なようです。




他に増えているものは

中国の食材で、話が逸れてしまった感もありますが、しかし、中国からの食材輸入の増加と、先に挙げました、日本の子どもたちの問題の増加と、いくつか同調しているような点もあります。

あと、子どもたちの問題と同じような曲線を描くものでは、「水」なんかもありそうです。

下のグラフは、日本の水道の浄水場での「塩素」の投入量の推移を示したものです。

mizu3.png


日本のガン患者の数の拡大のグラフとも似ています。

上のグラフは、「水とアトピー」というサイトの、「日本の水道水について 塩素濃度は世界一」というページにあるものです。

そのページには、


日本の水道水は、微生物の力で水を浄化する「緩速濾過方式」で、戦前はほとんど塩素は使われていませんでした。

これが転換するのが、戦後占領期です。

当時の占領軍GHQが、日本の方式を遅れた「野蛮なもの」とみなして、占領軍の飲料用水用に「塩素」投入を命じたところから始まります。



という記述があります。

そして、真偽は何とも言えないですが、浄水の塩素の増加と、アトピー性皮膚炎が急増していく時期が一致しているということが書かれています。基本的には、アトピー性皮膚炎の原因は正確にはわかっていないですが、上のような考え方もあることをはじめて知りました。

まあ、しかし、世界と比べても、「水道の水をそのまま飲める」ということ自体は、他の国にはほとんどないことでもありまして、塩素を完全な悪者にするというのは良くないかもしれないですが、その程度が激しいということのようです。他の先進諸国の5〜15倍ほどの塩素量だそう。


思いつくままにグラフを眺めていましたら、何だか少し長くなってきましたので、今回はこのあたりまでとしておきたいと思いますが、いろいろ見ていますと、やはり「口から入るもの」の要因は大きいような気はします。

・日本人の食べるものの種類が変化した
・日本人が自分の国や地域の食物をあまり食べていない


ということなどと、病気などを含む様々な疾患とは関係しているように見える部分はあります。

何にしても、最初のほうに載せましたガン死亡者の 100年間での飛躍的な上昇を見ましても、私たちが「病気の時代」に生きていることは確かなようで、そして、今のままだと、この状態はさらに拡大していくとしか思えないです。

私たち自身はもういいとして、次の、つまり、子どもたちの世代…まあ、そういう時代が存在するかどうかはわからないですが、将来に存在するならば、今のような負のループを少しずつでも断ち切らないと、旧約聖書の出エジプト記にある、

「すべての初子を撃つ」

というような厄災、つまり「この世から子どもがいなくなる」というようなことに見舞われてしまいかねない気もします。巨大な自然災害や、ペストやスペインかぜのような世界的な感染症の流行、あるいは戦争で多くの人びとの命が奪われたことは人類史では何度もあったでしょうが、今のような「理由はよくわからないけれど、赤ちゃんが生まれにくくなっていたり、かつてはなかったほど、新しい病気が増えている(ガンも歴史で見れば新しい病気です)」という時代はなかったような気がします。

そして、日本の食糧自給率はご存じのとおり、主要国最下位のままです。

食糧自給率
food-japan.gif
農林水産省 食料自給率とは

農家さんたちはどんどん高齢化している現状でもあって……うーん……日本の子どもたちの将来は、どのあたりに希望を探れば良いですかね。



  

2015年01月28日



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mt-fuji-flower.jpg
Reddit






 

理由はどこにあるのか

昨日、教育関係の施設に行く用事がありまして、待ち時間のようなものが生じ、何となく待合室のようなところにある冊子などをぺらぺらとめくって読んでいたりしました。

教育関係や福祉関係の冊子が並んでいる中で、「全国心身障害児福祉財団」全国難聴児を持つ親の会という会が発行されている『べる』という季刊誌を読んでいましたら、そこに、少なくとも、その具体的な数値を今まで知らなかった私には非常にショッキングなデータが出ていました。

それは、2006年(平成18年)から 2013年(平成25年)までの、「日本の小中学生全体の数の推移」とその中での「特別支援教育対象の小中学生の数の推移」を示したものでした。

待ち時間でしたので、それをメモしたものが下の数値です。
現物は表組みで示されていました。




我が国の子どもの人数(小学生・中学生)

義務教育段階の児童生徒(小中学生の総数)
2006年  1086 万人 
2007年  1082 万人 (前年比 マイナス 4 万人)
2008年  1079 万人 (前年比 マイナス 3 万人)
2009年  1074 万人 (前年比 マイナス 5 万人)
2010年  1063 万人 (前年比 マイナス 11 万人)
2011年  1055 万人 (前年比 マイナス 8 万人)
2012年  1040 万人 (前年比 マイナス 15 万人)
2013年  1030 万人 (前年比 マイナス 10 万人)





となっていて、2006年から 2013年まで、小中学生の総数は 56万人の減少となりました。

そして、もうひとつの統計が下となります。




特別支援教育対象の児童生徒
2006年  22.0 万人(1.86% ← 全児童に占める割合)
2007年  22.0 万人(2.00%) (前年比 プラス 2万人)
2008年  23.0 万人(2.13%) (前年比 プラス 1万人)
2009年  25.1 万人(2.34%) (前年比 プラス 2.1万人)
2010年  27.0 万人(2.54%) (前年比 ブラス 1.9万人)
2011年  28.5 万人(2.71%) (前年比 ブラス 1.5万人)
2012年  30.2 万人(2.90%) (前年比 ブラス 1.7万人)
2013年  32.0 万人(3.10%) (前年比 ブラス 1.8万人)





数字の羅列でわかりにくいかもしれないですが、2006年から 2013年までの8年間で、小中学生の数は 56万人減少したのに対して、「特別支援教育の対象の小中学生の数は 12万人増加した」ということです。全体の子ども人口と真逆の動きとなっています。

小中学生全体の数が、この8年間、1度も前年を上回ったことがないというのは、少子化という現実からわかるとしても、「特別支援教育の対象の子どもの数」に関しては、これと逆に、

すべての年で前年を上回り続けている

のです。

したがって、全体の子どもの数に対しての、特別支援対象の児童生徒の率も毎年上がっているということになります。

2006年には特別支援教育の対象だった児童生徒は、全体の 1.86%だったのが、2013年には 3.1%を占めるまでに増加しています。現在では、約 30人に 1人の子どもが特別支援教育の対象となっているということになるという計算だと思います。

なお、ここでの特別支援教育は、後でグラフで示しますが、そのほとんどが知的な障がいを持つ子どもたちのことを意味します。

「それ以前はどうだったんだろう」

と、家に戻った後に、ネットで調べてみましたら、この傾向は、この 20年から 30年くらいのあいだ、ずっと続いていたことを知りました。

文部科学省などにも多くのデータがありますけれど、下の畿央大学教育学部の大久保賢一准教授の twtrland のグラフがわかりやすいかと思います。

文部科学省の資料の特別支援学校数と在籍児童生徒数をグラフ化したもの
kids-1989-2013.gif


2007年のところで一端、切れているのは、その年に「学校教育法」が大きく改訂されたことによってのものだと思います。学校教育法 - Wikipedia によりますと、


2007年には、前年の教育基本法改正を受けて、大きな改正があった。小学校と中学校などについて、義務教育を行う学校との位置づけが明示され、盲学校・聾学校・養護学校は特別支援学校に一本化された。長らく特殊学級は「75条学級」と呼ばれてきたが、75条ではなくなった。


とあります。

いずれにしましても、特に 1995年以降くらいは、上のグラフで緑で示される知的障がいを持つ児童生徒の数が、毎年増え続けていて、一度も「前年より低かった年はない」ことがわかります。

もっとわかりやすいグラフとして、下のようなものもありました。

toku-01.jpg
朝日新聞


結果として、今から 20年前くらいまでは、全国で約 5万人ほどの数だった特別支援教育の対象の子どもの数が、2013年には 12万人と倍増、あるいはそれ以上の数となっているのです。

そして、子ども全体の数は、これはグラフを見るまでもないでしょうけれど、1981年頃から一直線に下がり続けています。下は小学生の数ですが、中学生の数の推移もほぼ同じです。

shougaku-20140915.gif

▲ 2014年9月16日の Garbage NEWS より。


上の記事では「半世紀前からほぼ半減した小学生数」という見出しがついていますが、1981年に 1200万人ほどいた小学生が、2014年には 660万人と、文字通り半減しています。

日本のように1億人以上の人口のある国において、たった 30年で、子どもの数が「半分になった」というのは、冷静に考えれば、脅威的なことにも思えます。

そんな異常なほどの少子化の中で、障がいを持つ子どもの数のほうは増え続けているという現実を、私は今回初めて知りました。

大ざっぱに書けば、この 20〜30年のあいだで、「小中学生全体の数は半減」して、「特別支援教育の対象の小中学生は倍増」したということになります。

「なぜ日本はこんなことになっている?」

と、さすがに思わざるを得ない事態に陥っていることに初めて気づき、ショックを受けた次第です。

いや、「日本」と書きましたが、アメリカでも、子どもに関して大変な状況になっていることが以前から知られています。

下のグラフは、アメリカ疾病予防管理センター( CDC )による 2010年までの、アメリカの自閉症の子どもの率の推移の統計グラフです。

aut-us-2009.gif
What is Causing the Increase in Autism Prevalence?


1975年には、アメリカの自閉症の子どもの数は、子どもの総数の「 5000分の 1」の率だったものが、2009年には、「 100人に 1人」となっていて、約 50倍の増加を示しています。

アメリカの場合も 1990年代中盤くらいから急激に上昇しているような感じを受けます。

アメリカの子ども(14歳より下)の人口は、アメリカ国勢調査のグラフから見ますと、大ざっぱに約 3000万人くらいのようです。

そのうちの 100人に 1人。

実数としても、かなりのものになりそうです。

日本にしても、アメリカにしても、このようなことになっている原因は様々に言われてはいても、どの原因だとしても、グラフの上昇の度合いがあまりに急激であることと、何より、今後を考える上のこととして、日本もアメリカも「率が減る気配がない」ことは重いと感じます。




高齢者の中の介護人口も

グラフといえば、日本では「少子高齢化」という言葉がよく使われますけれど、日本の「高齢化」という言葉に含まれる人々の中には、元気のいい高齢者もいらっしゃれば、病気、あるいは、「介護される高齢の方」もいらっしゃるわけですけれど、こちらのグラフも上のいくつかのグラフ同様に、「急激に上昇」しています。

下のグラフは、「介護が必要な人は 10年間で倍増。要介護認定者数の推移」という記事にあるグラフです。

kaigo-2012.gif


ぱっと見ると、緩やかな曲線に見えますが、介護が必要な高齢者は「過去 12年間で約 300万人も増えている」のです。そして、この介護が必要な高齢者の方々の数も「今後、減るということはまず考えられない」ということがいえると思われます。

現在、約 550万人いらっしゃる介護の必要な方々には、やはり、同じ程度の人数の「介護する人」が必要で、つまり、「介護される側と、介護に携わる人」の数だけで、1千万人単位に近い数の人々が、そのために日々の時間と行動を費やしている・・・という社会。

この問題については、「これからどうなるんだ、この問題は」と私はいつも思いますが、どなたでもそのように思っているのではないでしょうかね。

しかし、解決策が見当たるとも思えず。

ちなみに、この「高齢の問題」に関しても、アメリカはものすごいグラフを描きます。

理由はわからないですが、アメリカは、とにかくアルツハイマーが多いのです。

神経系疾患(アルツハイマー病など)による死亡者の推移と国際比較
compare-alz.gif
アルツハイマー病 知識が欠落していく病気

上はアメリカ人の男性のデータですが、女性もほぼ同じです。

また、上は死亡数で、患者数となりますと、認知症・アルツハイマー病の基礎知識というページによりますと、アメリカのアルツハイマー病患者は 500万人いるとのことで、アメリカの死亡原因の第6位となっています。

日本では、こちらのサイトによりますと、推定 100万人。

どちらの国でもすさまじい数ですが、人口比からは、アメリカが突出して多い感じはします。


しかし、他の国はともかくとして、日本。


高齢者の問題も重いですが、子どもたちに何が起きているのかということは、本当に思いますね。

どうして、こんなことになっているのかと。

まあ、原因は私が考えたところでわかるはずもないですけれど、それでも、人口の純増が続いているアメリカは、まだ先のことを考える余裕もあるのかもしれないですけれど、日本はどうなんですかね。

「なんか積んでるのでは……」

という言葉が何となく脳内でリフレインしたり。




日本が持つ最高位と最下位

ちなみに、WHO が 2012年に 191カ国で統計した「子供(15歳以下)高齢者(60歳以上)の人口の割合ランキング・国別順位」というデータがあります。

これは、

・国の人口に対しての子どもの比率
・国の人口に対しての高齢者の比率
・年齢の中央値(高いほど少子高齢化ということ)


の3つの項目についてのランキングなのですが、これは日本は見事です。
1位と 191位(最下位)しかないからです。

まず、60歳以上の高齢者の人口の比率。

over-60.gif
(単位は%)

単独の1位です。

そして、年齢の中央値。
高ければ高いほど、その国が高齢化していることを示します。

age-japan.gif
(単位は%)

こちらも、単独の1位です。

そして、上のデータによって、日本が「世界最高の高齢者国家」であることが、あらためて確認されます。

次に、15歳以下の子どもの数。

under-15.gif
(単位は%)

こちらは、ドイツ、カタールと並んで、191カ国中の 191位の最下位。

いつのまにか、日本はこんなすさまじい年齢構成の国家となっていのです。

ちなみに、上位にはアフリカ諸国が多いのですが、これは「子どもが多くて健全」ということではなく、「大人の多くがエイズで死んでしまうから」だと思われます。

それにしても、高齢化は東アジア諸国の方が圧倒的に深刻かと思っていましたけれど、ランキングを見ると、60歳以上の比率が多い国は、上から、

日本
イタリア
サンマリノ
ドイツ
フィンランド
スウェーデン
ブルガリア
ギリシャ
ポルトガル
オーストリア
ベルギー


と、軒並みヨーロッパの国で、その他のヨーロッパ諸国も、ほとんど上位にあります。

そして、「子どもの率が少ない国」も、日本の上にはヨーロッパの国々が並んでいて、どうやら、あまり私たちが知らないだけで、ヨーロッパの少子高齢化も実は結構深刻なことになっているのかもしれません。

まあしかし、他の国の心配はともかく、日本は本当にどうなっちゃうんだろうかと。

そして、最初に書きました特別支援の児童生徒のことなどを含めて、やはり、「どうしてこんなことになってしまったのだろう?」と、昨日はしばらく考えていました。

現世人類の歴史が 16万年くらいだとすると、その間に現在みたいな状態は多分なかったはずで、まさに現代社会は、現世人類にとっても「未知の領域」といえる時代なのかもしれません。