【地球という場所の真実】 の記事一覧

2015年06月24日



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宇宙にも地球にも「虹の現象」が広がっている。そして、その虹はイスラエルの伝説では「地獄の釜」の象徴でもあり



今日( 6月24日)、NASA が、下のような写真を発表しました。

2015年6月24日に発表されたコンパス座の「宇宙の虹」
Circinus-NASA.jpg
・NASA NASA’s Chandra Captures X-Ray Echoes Pinpointing Distant Neutron Star


これは、コンパス座という全天で4番目に小さな星座で起きていることで、NASA のプレスリリースは、これが起きた原理として、「中性子星が超新星爆発を起こし、そのフレアによって宇宙空間に広がった粒子にX線が反射したもの」としています。

発生原理はともかく、かくも見事に宇宙空間に「虹」が現れたというのは印象的でした。






 



宇宙に出現した巨大な虹の示すことは?

この前の日曜日( 6月21日)、夕方、電車で新宿へと向かっている車内から、久しぶりに大きな虹を見まして、しかもそれは「フッと出現して、わりとすぐに間に消える」という虹で、それが印象的だったこともあり、虹のことについては気にかけていました。

その少し前の 6月17日には、オーストラリアのシドニーで、非常にクリアな「二重の虹」が出たことが報じられていました。

シドニー 2015年6月17日
double-rainbow-sydney.jpg
strangesounds.org


二重の虹そのものは特別に珍しいものではないですが、ものすごくよく出るというものでもないです。

さらに、 6月9日には、タイのバンコクで「空が虹色に染まる」というような見出しの報道がされていました。

バンコク 2015年6月9日
fire-rainbow-bangkok-.jpg
TNN


このバンコクの現象は、彩雲(さいうん)と呼ばれるもので、頻繁に空を見上げていれば、かなりよく目にするものですが、しかし、ここまで広範囲に染まって見えることは、そう頻繁にはなさそうです。

むかし、

虹という「地獄の門」の彼方に
 2012年11月20日

という記事で、

イスラエルには、「虹が地獄の釜と関係する」という伝説がある

ということを知ったことを記したことがあります。

イスラエルの伝説では、

「虹が見えればその下は地獄の釜」

ということで、少なくとも、かの地においては、虹はそれほど縁起のいいものではないということを知り、そういう価値観の場所もあるのだなあと。

ちなみに、この話に行き着いた話の途中には、イスラエルの天気予報で、「晴れ、ときどき虹」という天気予報があったことなどもあるのでした。

下がその時の天気予報です。

下段の真ん中は 2012年11月20日を指し、そこが「虹」の予報となっています。

israel-weather-2012-11-20.gif


もちろん、イスラエルの天気予報でも普通では「虹」なんて予報はなくて、この時だけの特別な予報でした。

上の 2012年11月20日あたりは、今振り返ると、イスラエルのガザ攻撃が激しくなっていた時だったようです。

gaza-2012-11.jpg
シリアニュ−ス 2012年11月20日


停戦への合意に至ったのは 2012年11月23日でした。

まあ、イスラエルの「虹が見えればその下は地獄の釜」という伝説が正しいのかどうかはわからないですが、この1週間は、やたらと「虹とふれた時期」で、そして、宇宙には巨大な虹。

漠然と、

「虹の期間に入ったのだなあ」

というような気がしたのでした。

ちなみに、「虹」という漢字は「虫偏」なんですが、この「虫」というのは、古代中国では「ヘビ」のことを表していたのだそう。ちなみに、虫の本来の漢字は、ヘビが3つの「蟲」となります。

古代中国では、虹は、「天に住む大蛇や竜」が作り出すものと考えられていたそうで、虹という現象を「ヘビや龍系の現象」としてとらえられていたようです。




「いっさいは空(くう)」

ところで、さきほどリンクしました過去記事、「虹という地獄の門の彼方に」には、旧約聖書の「コヘレトの言葉(伝道の書)」というものから引用していまして、このコヘレトの言葉というものを忘れていましたが、これを読みますと、最近の記事などでたびたび触れます、

「この世は存在しない」

ということを強く主張している下りがみられることに今となって気づきました。


コヘレトの言葉(伝道の書) 第1章2-11節

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。



空を「そら」と読むと大変難解なことになりますが、「くう」と読めば、

空の空、空の空、いっさいは空である

という言葉はいろいろと響きます。



大も小も、その源は

ちなみに、冒頭の「宇宙の虹」を撮影したのは NASA のチャンドラX線観測衛星という人工衛星で、打ち上げられて以来、さまざまな「宇宙の姿」を撮影し続けてきました。

今回、チャンドラ衛星がこれまで撮影してきた宇宙の写真を少し見ていまして、

「宇宙も周波数っぽい」

という感じがしたのでした。

前回の記事、

世界は振動からできている:微細な震えの積み重ねからできている「日常の隠された風景」が MITの研究者による新しいビデオ解析で明らかに
 2015年06月23日

の途中くらいに、「音(周波数)が水面に描く模様」と「微生物の形」が何となく似ていることにちょっとふれたのですが、この世にある「小さなもの」と「大きなもの」のうちで、微生物は小さなもののほうです。

この小さなものも、さらに小さくなって、ウイルスあたりになりますと、「音の紋様」と区別することが難しい場合もあります。

たとえば、下はどちらかが「音によって水に描かれた紋様」で、どちらかが「ウイルス」です。
モノクロにした、これらを一瞬で判別できるでしょうか。

helpes-virus.jpg
Herpes Simplex Virus Gallery


22hz-image.jpg
watersoundimages.com


パッと見る分には、もうどちらがどちらやら。

これは上が「単純ヘルペス・ウイルス」で、下は「 22Hz の周波数が水に描く紋様」です。

それにしても、この点に注意して、ウイルスを見ていると、ウイルスの形というのは「音そのもの」というようなものが多いです。

まるで、ウォーター・サウンド・イメージをそのまま見ているかのよう。

下はいくつかのウイルスで、それぞれ3Dレンダリングをしたり、再描写イラストなどですが、実に美しいものが多いです。

インフルエンザ・ウイルス
influenza-virus-3d.jpg
how stuff works


手足口病を起こすウイルス
foot-mouth.gif
guardian


シミアン・ウイルス40(人猿共通感染ウイルス)
Symian-virus.jpg
wikimedia


見れば見るほど、ウイルスってのは、「周波数でパッと出来ちゃった感の強い存在」であることがわかります。

宇宙のどこかで「パッと」出来て、パンスペルミア説のように、そこから宇宙の各所へ飛散していけば、宇宙で(地球で)次から次へと新しい病気が登場するのも不思議ではない気さえします。

まあしかし、最近知り得た「症状も発熱も自然良能である」という観点から見れば、これらのウイルスも、たとえば、風邪を起こすウイルスを考えてみても、

「ウイルスは人間のために存在する」

ということになりそうで、そして、さらにいえば、過去記事「ウイルスが人を選ぶのか? 人がウイルスを選ぶのか?」という記事などでも記しましたが、フレッド・ホイル博士は生前、

「ウイルスが人間に入りこむのではなく、人間自身が自らに取り込むウイルスを選んでいる」

という説を持っていましたが、そのこととも関係しそうです。

なぜか人間がウイルスを選んで取り込むのかというと「ウイルスを取り込むことによって、人類自身を進化させるために」ということをホイル博士は述べていました。

しかし、とはいっても、感染して病となり苦しむような厄介でしかないようなものを、なぜ、人類は自ら取り込むようなメカニズムを持っているのか。

それに関しては、フレッド・ホイル博士は、ややクールですが、『生命(DNA)は宇宙を流れる』の中で下のように述べています。


フレッド・ホイル著『 DNA は宇宙を流れる』より

こういう考えはどうも腑に落ちないと思われる方もあるだろう。ウイルスに感染した人は苦しい目にあうから、どうしても「ウイルス=悪者」という先入観を持ってしまうからだ。

けれども、個体の苦しみは、種の利益とは関係ない。問題になるのは、100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ。



要するに「人類全体の進化のため」にウイルスを取り込むというメカニズムが存在すると、ホイル博士は述べているようです。

この「人間が自らウイルスを取り込んでいる」といいうホイル博士の主張を知ったのはずいぶん以前ですが、やはり、「でも、風邪にしても、苦しむことがわかっていてウイルスを取り込むことに何の意味が?」と思い続けていた疑問を解いてくれたのが、野口晴哉さんだったんですね。

過去記事の、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれない…
 2015年04月21日

に書きましたが、

「風邪を引くことそのものが治療行為」

という野口さんの言葉によって、すべての疑問が解けてきたのでした。

ホイル博士の言うように、人類の進化のためという側面はあるかもしれないですが、もっと日常的に私たち人間は「ウイルスを利用させてもらって健康を維持している」と。

この地球にあるすべてのものが人間のために存在している、という説がありますけれど、そういう意見も補強してくれるものだと思います。

あるいは多くの宗教などにある、「この世が神の造られたものならば、神は無駄なものなどお造りになるはずがないのだから、この世に無駄なものなどあり得ない」というようなことの答えの一部にもなるかもしれません。

微生物からウイルスに話が逸れて、えらいことになってしまいましたが、冒頭の虹を撮影した NASA のチャンドラ人工衛星の話に戻ります。




どれだけ大きくなっても基本は同じ

さて、ここまで「周波数が創り出す紋様と似た小さなもの」のことを書いてきましたが、チャンドラ衛星などが撮影する対象は星座だったり、銀河だったりという、とても「大きな」ものです。

そして、チャンドラ衛星が過去に撮影した宇宙の写真を見ますと、「大」も「小」も関係ないことが何となくわかります。

それは、前回の記事で、この世は「小さな振動が重ね合わさり、大きな振動を描き出す」ということがわかってきていることを書きましたが、それはどこまで大きくなっても、おそらくは同じなのだと思います。

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
water-sound-images-mono.jpg
・『ウォーター・サウンド・イメージ


超新星爆発の残骸 E0102-72.3
E0102-72-3.jpg
WIRED


銀河
milkey-way-340.jpg
銀河


話がいろいろと逸れてしまいましたが、基本的には

「どうやら虹の期間がやってきたかもしれない」

という話でした。

虹は良い象徴なのか悪い象徴なのか。
まあしかし、虹も周波数そのものではあります。



  

2015年06月23日



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Hidden-World-top.gif
Vice






 


超否定的な態度の末から生まれるかもしれない新しい宇宙

さきほど、昨日の記事「「革命」(1)」を読んでいて、「うーん・・・」と唸っていました。

というのも、昨日の午前中は風邪でまだ結構ボーッとしていて、その時に書いたせいなのか、何を書いたか内容をあんまり覚えていないんですよ。

それで読み直したりしていましたが、まあ・・・これは「勢い」ですね。

その勢いの源はどこにあるかというと、何ともわからないです。
得体の知れないものですね。

まあしかし、源はわからないとはいえ、私は格別、心の弱い人間ですから、いつもそこからの脱肛、じゃくて、脱皮を求めて生きているという部分はあります。

掲示板を見ましたら、

自分は子どもの頃から、臆病で
心の闇の暗がりに、いないはずの鬼を見て恐れてばかり。
空に輝く星や、虫の声に目を向ければ
暗闇も楽しんで、朝がくるまで安らかに眠れるのに。
いないはずの鬼もいると思い込むことで
その時から存在してしまう。

と書き込まれてくださっている方がいらっしゃいまして、「ああ、私の子どもの頃も同じだったなあ」と、つくづく思いました。

私も、かなり小さな時から、暗闇の中には魔物しか見ないタイプで、そこにいる星や鳥たちの姿は魔物に消されるタイプでした。

「肯定的態度」という言葉がありますが、逆ですね。

否定。

この世に対しての徹底した否定的態度。
もともと、私はそこが出発点となっています。

エジソンは「1+1=2」だと教師に主張して怒られましたが、私は、「1+1は?」と訊かれたら、「否」と、回答そのものを拒否するタイプでした。

この「全否定」という態度は、前回の記事で書きました埴谷雄高さんも似ていて、長編小説『死霊』(しれい)は、

「AはAではない」(私は私ではないし、これはこれではない)

という「自動律(同一律)の全否定」から始まるもので、小説そのものの出発点が否定です。

その埴谷さんの目指しているものは「存在の革命」という言葉で表されるもので、埴谷さんは、自分のやりたい(やりたかった)ことを次のように表現しています。




NHK教育 ETV特集 埴谷雄高 独白「死霊」の世界(1995年) より

埴谷 全部基本の基本からひっくり変えそうとしているわけですけれども、それがうまくいくかどうかそんなことはわかりません。ただ、気迫としては社会革命にも通じるようなものをここではやっているわけです。

存在の革命は、社会革命も除いてはいないわけですよ。ただし、その社会革命家のインチキもいろいろ弾劾しているわけですよ。ただ、弾劾するほうが多くて大変なんですよ。

いま少しわかってきたということは、なんとか言っておかないと駄目だということです。偶然、ソビエトの崩壊の場合は僕が生きている間にあった。

この『死霊』は、僕が死んでから出るアンドロメダの兄弟がやってくれるかどうか分かりませんけれども、だれかにもう少しやってもらいたいですね。

無限の夢想から、無限の夢からこうなりたいと思う無限の夢、夢想から今度は新しい宇宙が生まれるということですね。ただし、うまくいけばの話で、それこそアンドロメダの向こうからだれかがやってきて、それがうまくいけばですよ。






自分はとにかく全否定して、すべて(の既存の概念)を破壊する」ので、次にやる人は、そのゼロのところから、

「無限の夢想から新しい宇宙が生まれる」

というところまでやってほしいと。

そのように言って、埴谷さんは、この放送の2年後に 87歳で亡くなっています。

で、この「次にやる人」なんですけどね、

「それは全員」

ということが、前回の「革命」というタイトルの記事だったのだと思います。

「ひとりひとりが自在に考えること自体が革命そのものだ」と。

というわけで、何となく無意識的に書いた記事を読んで、いろいろと思ったのでありました。

今回は、冒頭の科学ニュースをご紹介したいと思います。
多少、最近のいくつかの記事と関連する部分もあるかもしれないです。




世界が周波数からできているのなら

3月に、

宇宙の創造…ひも理論…432Hz…528Hz…ライアー…:数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな春の夜
 2015年03月22日

という記事を書いて以来、

周波数、あるいは音がこの世を作っているのではないか

ということを思っていました。

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
water-sound-0623.jpg
・『ウォーター・サウンド・イメージ


何だか、微生物くらいなら周波数で一発で生まれてきそうな(そりゃ無理そうですが)。
それでもその気配を漂わせる微生物たち。

さまざまな海中のプランクトン
plankton-001.jpg
オーストラリア博物館


それで、最近では、プレアデスなどという大層な存在までも絡んできまして、

プレアデスという場所の人も「世界は音によって完全に変えることができる」と言っていたことから改めて思う「周波数と世界の関係」
 2015年05月26日

のタイトルにありますように、周波数で「すべて」を変えられるというような主張もあるわけです。

「すべて」というのなら、それはすべてのはずで、つまり、「意志や自我や精神も周波数なのかもしれない」ということも考えられないわけではないような気がするのです。

それなら、「良い周波数は個人からでも発せられるはず」というような話になりますと、前回の記事「革命(1)」などとも通じる話になってしまうのですが・・・ああ、そうか、全然意識していませんでしたけれど、

世界は周波数からできている

というのと、

考えることの重要性

というのは、ここらで結びつくような、結びつかないような・・・。

思考はおそらくは何らかの周波数を伴っていそうなわけで、こう考えると、

「雰囲気」

などというものがどうして出現するかとか、どうして生じるのかよくわからない「感情の共有性」というものも理解できるのかもしれないという気もします。

おそらくですが、

ひとりが良い感情(周波数を)も持つことは、全体に広がっていく可能性がある

ということなのかもしれません。

もちろん、「悪い感情(周波数)」も同じだと思われます。

このあたりも「考えること自体が革命になる」という、まあ、やや無意識に書きました説の補強に・・・なっているのかいないのか。

そろそろ今回の記事にいきますが、これは、マサチューセッツ工科大学のふたりの教授が、ビデオ解析の新しい方法で、


この世は、ふだんは私たちには感じることもない、目で見ることもできない微細な振動、あるいは、ゆらぎで構成されていることを視覚化することに成功した。


というものです。



この世は無数の小さな「揺れ」の重なりで構成されている

記事のタイトルは、「新しいアルゴリズムが、通常では感知できない動きの隠された世界を明らかに」というもので、「アルゴリズム」というような言葉が出てきて、これはよくわからないのですが、国立情報学院研究所の「アルゴリズムってなんでしょか」というページでわかりやすく解説されています。


「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行うときの「計算方法」のことなんですが、広く考えれば、何か物事を行うときの「やり方」のことだと言っていいでしょう。

その「やり方」を工夫して、より良いやり方を見つけよう、というのが、アルゴリズムの研究です。同じ計算を行うんだったら、いい方法でやればより速く計算できますね、ということです。



という、つまり、何かについての「やり方」ということのようです。

ですので、ビデオ解析「新しいやり方」を取り入れたことにより、「見えない世界」が見えてきた、ということになりそうです。

翻訳の前に一応どんな感じのことを言っているのということを写真と動画で示しておきますと、たとえば、下は、マサチューセッツ工科大学の教授たちによる、「ダイナミック・ビデオモーション倍率」という手法の説明の一部です。

何かの料金所のようなごく普通の風景ですが、ゲートは普通に見ると揺れてはいません。

DVMAG-original-1n.gif
YouTube


これが私たちが普通に見る光景です。
それをいろいろと解析したり分離したりします。

magnified-foreground-01.gif


いろいろと説明がありますが、細かいところはともかく、普通の風景の中にあるこの料金所のゲートは、現実の世界は、下のように、とんでもない微細な「揺れ」の繰り返しを続けていて、そして、これこそが現実の風景のようなのです。



この世にある、おそらくは「何もかも」が、このように小さな揺れによって成り立っていて、それが大きな動きの根底にあるということのようです。

ここから記事です。

例によって、科学記事は間違いが多いと思います。
そのあたり勘案されまして、お読みいただければ幸いです。




A New Algorithm Reveals the Hidden World of Imperceptible Motion
Vice 2015.06.21

新しいアルゴリズムが通常では感知できない動きの「隠された世界」を明らかに

Algorithm.jpg


世界は、感じることも、見ることもできない動きに満ちている。

その感じることも見ることもできない動きとは「微細な震えと振動」だ。

それらは、より大きな摂動(惑星などがその引力によって他の惑星などの運動を乱すこと)に飲み込まれる。これらの微細な震えや振動は大きな力によって消されるのではなく、視界から隠されている。

この意味するところは、これらの震えや振動を理論的に取得して、観測可能にすることができるということでもある。

しかし、これは非常に難しい仕事で、同時に優れた信号処理の問題ともいえる。

もう何年もの間、マサチューセッツ工科大学( MIT )のウィリアム・フリーマン( William Freeman )教授と、フリード・デュランド( Frédo Durand )教授の2人は、それぞれビデオ処理のアルゴリズムを熱心に研究してきた。

両教授のビデオ処理では、非常に大きな動きから、構造物の最も小さい動きを分離することができる。

アルゴリズムに手を加え、人間の波動を見ることができるようにした上に、防音ガラスを通って運ばれた振動から人間の音声の内容を再構築することを可能とした。

しかし、これらには仮定上の制限があり、それは、すべての動きが、多くて一般的な動きより、むしろ小さな動きであることだ。

大きなものの一部である小さな動きは、分離することが困難だ。

両教授の最新のアルゴリズムは、『大運動の存在下でのビデオ倍率( Video Magnification in Presence of Large Motions )』というタイトルの論文の中で、ボストンでおこなわれた「コンピュータ・ヴィジョンとパターン認識会議( Computer Vision and Pattern Recognition conference )」において発表された。

その大まかな概要は次の通りだ。


世界は肉眼で見ることが困難な小さな時間変動でいっぱいだ。

皮膚の色の変化は血液循環として生じ、構造物はいつの間にか風に揺れ、人間の頭はそれぞれの心拍数でぐらつく。

これらに気づくには、通常は変動が小さすぎるが、このような変動は、計算拡大することにより、小さな動きの魅惑的で意味のある「世界」を明らかにすることができる。

現在のビデオ倍率アプローチを前提とすると、目的の物体は非常に小さな動きを持っている。しかし、多くの興味深いディフォーメーション(変形)がその内部で起きており、または、より大きな動きによってディフォーメーションが発生する。

たとえば、私たちは大きな身体運動を行うと、私たちの肌は微妙に変形する。
料金所のゲートは、大きな回転運動に加えて小さな振動を示す。マイクロサッカード(無意識の眼球運動)は、しばしば大きな眼球運動と組み合わされる。

また、ビデオや物体は、標準映像拡大技法では、対象の動きに加えて、手の震えが増幅される。

大きな動きが含まれているビデオに適用される場合、現在の倍率技術では、ハロー(光輪)や波紋のような大きな成果物をもたらし、この場合、小さな動きは大きな運動とその成果物の陰に隠れされているので、見ることが難しい。

フリーマン教授とデュランド教授のこの方法は、ダイナミック・ビデオモーション倍率( Dynamic Video Motion Magnification )の略で DVMAG と呼ばれる。

この方法により、ユーザは、ビデオ内の関心のある特定の領域を選択することができる他、別の層にシーンを分解することができる。




  

2015年06月16日



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クレオなひととき - 天文物理学の歴史的発見をした人物は

先日、下のような見出しのニュースを見つけました。

electric-sun-earth-connection-top.gif

▲ 2015年06月15日の The Watchers より。

この「太陽と地球の電気的な接続が確認される」という見出しは何とも目立つものではありますが、記事をよく読むと、2週間ほど前、オーストラリアの普通の学生さんが「天文物理学上の世紀の発見」を発表しまして、その発見に対しての独自解釈というようなもののようです。

この記事の基となった、オーストラリアの学生さんによる「世紀の発見」というのは、下のように報じられたものです。

plasma-tube-earth.gif
news.com.au


地球が「巨大なプラズマのチューブの上に浮いている」、あるいは、そのプラズマに「包まれている」というような状態であることが証明され、そして、このチューブは外宇宙とつながっていると考えられるのです。

このプラズマのチューブの高層大気のイメージは下のようなものです。

tube-02.jpg
CAASTRO


このニュースはとても興味深いものですので、最初にご紹介しておきたいと思います。
オーストラリアのメディア news.com.au の記事です。

ちなみに、発見したクレオ・ロイさんというのは女性です。彼女は普通の学生さんなんですが、その学生さんが「 60年来、天文物理会が証明できなかったことを証明した」という点にもニュース性があります。

ここからです。






 




Aussie student proves existence of plasma tubes floating above Earth
news.com.au 2015.05.02

オーストラリアの学生が地球上空に浮くプラズマ・チューブの存在を証明

オーストラリアで、目には見えない、巨大で移動するプラズマチューブが、地球の上空を埋め尽くしていることが発見された。

当初は天体物理学会内での懐疑的な見方があった所見だが、オーストラリア・シドニー大学の学生クレオ・ロイ(23歳)さんが、この現象が存在することを証明した。

ロイさんは西オーストラリアの奥地で電波望遠鏡を使用し、3Dで宇宙空間を表示することで、地球の大気が、これらの筒状の複雑で不思議な形状のプラズマ構造で埋められていることを証明したのだ。


tube-image-001.jpg


tube-image-002.jpg
CAASTRO


大気によって作られたこれらの多層管は太陽光によってイオン化されている。

全天天体物理学オーストラリア研究会議センター( CAASTRO )に所属するロイさんは、

「 60年以上もの間、科学者たちは、これらの構造が存在していることを確信してきたのです。しかし、今回がそれをイメージングした最初となり、私たちはこれらが本当に存在することの視覚的証拠を提供しました」

と述べる。

「私たちは、地上 600キロ程の上部電離層を測定しました。それらはプラズマ圏に上向きに連なっているように見えます。これは、中性大気(電離していなくて電気的に中性の大気)が終わるくらいの場所で、そこから宇宙空間のプラズマに移行しています」

「高密度プラズマのストライプと、低密度プラズマのストライプと交差する場所で、私たちは上空に印象的なパターンを見ます。このパターンがゆっくりと地球の磁力線に美しく整列します」


tube-image-003.jpg


そして、ロイさんはこう言った。

「私たちは、何か大きな上にいるのかもしれないと気付かされるのです」



Cleo-Loi-01.jpg
・クレオ・ロイ( Cleo Loi )さん。


マーチソン・ワイドフィールド・アレイ( Murchison Widefield Array / MWA )という遠隔望遠鏡を使用したことが、ロイさんが画期的な発見をするキッカケとなった。

この望遠鏡は、南天全体を覆う大規模探査を行い、3Dの表示することができる非常にエキサイティングで画期的な技術を持つ。


マーチソン・ワイドフィールド・アレイ( MWA )
MWA.jpg


ロイさんは、この研究は最初、望遠鏡の画像の欠陥を指摘されて受理されなかったことを私たちに話した。

「彼らは、このタイプ(マーチソン・ワイドフィールド・アレイ)の望遠鏡画像を見たことがなく、データを見たこともありませんでした」と、ロイさんは言う。

「多くの人たちは、これが単に撮影上に問題があり、このようなエキサイティングな事象は存在しないと確信しているようでしたが、それは私が単なる学生だったことも関係しているかもしれないと思い、不思議な気持ちになりました。しかし、私は観測に慎重でしたし、そこで何かが起きていることを確信していました。」

「電離層内のイオン化のパターンは非常に構造化されていることがわかり、これらは地球の磁場と整列している管状の構造の中を流れます。それらのチューブはその後、自らの調和で移動するのです」

ロイさんは、漂流するプラズマチューブは、天文データ、特に衛星ベースのナビゲーションシステムのデータを歪める可能性があると述べる。これはまた、我々が銀河や星、ガス雲の挙動を再評価しなければならないことも意味しているかもしれない。

CAASTRO の科学者で、シドニー大学物理校のマーフィー博士( Dr Murphy )は、以下のように述べている。

「今回のクレオの偉大な功績は、これを発見したということだけではありません。科学界の他のジャンルの人々にこのプラズマ・チューブの存在を確信させたということが偉大なのです。特別な科学背景を持たない一般の学生がこのような発見をしたということは、何とも印象的な成果であると言えます」





という記事です。

このように、最初のうちは、このクレオさんのデータは、彼女がこの分野の専門家でもない単なる学生さんだったこともあるのかもしれないですが、あまり相手にされなかったようなんですが、最新鋭の望遠鏡の使用によって、クレオさんの歴史的な発見は、陽の目を見ることになったのです。

この発見は、

地球は、宇宙から延びている(あるいは広がっている)と考えられる「プラズマのチューブ」の上に乗っかっていることがわかった

ということで、プラズマ・チューブがどこまで広がっているか、あるいは、どこから始まっているかということはわからないにしても、

地球が、外宇宙と直接的な(物理的な)接続を持っている

ことがひとつ明らかになったわけで、クレオさんの発見は考えている以上に大きなものだと思います。

専門家ほど固定観念に縛られていない人の方がいろいろと発見するのかもしれませんね。

精神的な宇宙と共に、「物理的な宇宙の姿」というのも、この数年は飛躍的に変化していて、たった数年前の宇宙の「標準形」とはずいぶんと違ったものになってきている感じがあります。

銀河のイメージなんてのも何だか昔とは違うものになってきていたり。

milky-center.gif

▲ NASA のフェルミ線望遠鏡の観測により明らかとなった天の川銀河の中心の構造。過去記事「天の川銀河の中央から「太陽の 400万倍のエネルギー」の超巨大フレアが…」より。


このプラズマチューブの記事とは全然関係ないことですけど、クレオさんのような一種の天才を見まして、あるニュースというか、記事を思い出しました。




「何も学んではいけません。 自分の興味のある分野について考えてください」

その記事は、

アインシュタイン以上のIQを持つ、自閉症の少年のスピーチ。「大切なのは学びじゃない」
 Tabi Labo

というものです。

TED という世界的講演会をおこなう団体があります。

TED (カンファレンス) - Wikipedia

カナダのバンクーバーで、毎年大規模な世界的講演会を主催している非営利団体のこと。

TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう。

というもので、さまざまな著名人の世界的講演会も行われます。

そして、先ほどの記事は、この TED で 2012年に講演をおこなった、ジェイコブ・バーネットさんという「 13歳の少年」の講演内容について訳されています。

ジェイコブ・バーネットさんは下の方で、 13歳ですので、まあ少年です。

Jacob-Barnett-TED.jpg
YouTube


ジェイコブさんは、2歳の時に医師から「自閉症」と診断され、特別養育クラスに入れられました。本人の講演会の言葉ではこうなります。


ジェイコブ・バーネット TED での講演会より

僕は約11年前、自閉症と診断されました。細かいことへのこだわりが強く、何も考えていないように見えたのです。

まわりの人から、僕は一生学習できないし、考えることもできないし、靴ひもを結ぶことすらできないと言われたのです。

でも、その年に本屋で教科書を買い、そこに載っていたデータからケプラーの法則について考えていました。




2歳くらいからケプラーの法則を考えていることからわかるように、医師の診断はどうであれ、数学や物理に異常な興味を持っていたようで、結局、ジェイコブさんは 10歳で大学に合格。

その 10歳の時にジェイコブさんはどんな毎日だったかというと、


ジェイコブ・バーネット TED での講演会より

僕はある天体物理学の問題に取り組みました。しばらく後に、その答えを導き出したのですが、まだ発表されていないので、どんな問題だったかはお話しできませんが論文が発表されたら分かるでしょう。

その時僕はたくさんのことを考えていたので、オフィス用品店で買った500枚の紙は、すぐに使い切ってしまいました。紙が無くなったので、次はホワイトボードに書きました。でも、それもすぐに埋まってしまいました。なので、窓に書くことにしました。

僕の方程式は窓拭き洗剤に消されるところでしたが…(笑)。


そして、ジェイコブさんは。その後、

「微分積分をしたい人のために、分かりやすく説明したビデオ」

というものを作成( 12歳の時)します。

これが 200万人に視聴されるという大ヒットとなり、しかも、それを作ったのが 12歳の少年だとわかり、有名になったのだそう。まあしかし、12歳とはいえ、大学(プリンストン大学)2年生ですし、それほど不思議なことではないでしょうが。

それでまあ、こういう天才肌の人は時代に何人かはいますので、そのこと自体はいいのですが、ジェイコブさんが講演で最後のほうに言っていた言葉に深く納得しまして、私は先日、同じことを自分の子どもに言ったのです。

下がジェイコブさんの発言です。


ジェイコブ・バーネット TED での講演会より

さて、ここから皆さんにやってほしいことがあります。

今から24時間、何も学んではいけません。そのかわりに何をしてほしいかというと、自分の興味のある分野について考えてください。その分野の生徒になる代わりに、自分でその分野を発掘してほしいのです。

それが音楽であろうと、建築、科学と何であろうと考えてほしいのです。この24時間でもあなたが何か、新しいものを創造できるかもしれませんよ。ありがとうございました。



この講演の言葉から「ありがとうございました」を除いた部分を、子どもに言ってみると、

「うーん・・・考えたことなかったけど・・・音楽かなあ」

など、とても曖昧ながら、少し考えていました。

何も学んではいけません。 代わりに何をしてほしいかというと、自分の興味のある分野について考えてください。

というのは、本当なら、小学校で先生方から子どもたちに言ってあげてほしい言葉ですけど、それは確かに難しいですので、親がたまに言っていげるのもいいかと思います。

なお、このジェイコブさんの講演会の様子は、日本語字幕つきで YouTube にあります。

Forget what you know | Jacob Barnett | TEDxTeen

字幕は、画面の右下の「字幕ボタン」を押すと表示されます。
赤く囲んだ部分です。

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視聴数も多いです。

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心魂と学習

ジェイコブさんはここで、過去記事、

シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本…
 2015年04月16日

の中でご紹介した、シュタイナーの言う「学習の内容と自分自身との興味のリンクがなければ、それは身につかない」という意味のことと、本質的に同じことを言っています。

特に小さな時は、できれば人は、興味のあることだけを考えるべきだとは思います。その学習の内容が、いかに素晴らしいものであっても、「興味のないこと」を詰め込まれた場合、それは本質的にその人の中に入っていかない。

このことは、受験を経験してから数十年経った方なら、何となく実感できるのではないでしょうか。「受験で覚えたことのほとんどを覚えていない」と(全員がそうだというわけではないですが)。

シュタイナーの『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている、その部分を掲載しておきます。


シュタイナーの 1912年の神智学協会会員に向けての講演より

小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう。

詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。

その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。

人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。



ジェイコブさんが幼児の時に考え続けていたような、ケプラーの法則とか微分積分とか、そんな大層な話でなくとも、日常の些細なことで十分でしょうけれど、「なるべくなら、子どもたちは興味のあることを中心に考えたりおこなったりする」ことが大事なことのように思います。

今回は、オーストラリアのクレオさんと、アメリカのジェイソンさんという2人の「発見者」のことを書きましたが、その上で、クレオさんの発見した、

「地球を取り巻く宇宙の構造の真実」

は、私たちの物理的な宇宙認識がまたひとつ変化する大きな発見でした。



  

2015年06月14日



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映画の内容とリンクしない『美しき緑の星』の最初の場面
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自分の人生は常に「自死の試行」みたいなものだった

今日、田んぼに行かせていただくのですが、一緒に行くのは、かつて、劇団のようなものを、たまに名前の出てくるジローさん共々、初期の頃から一緒にやっていたヨシハラさんという男性で、今四十代の彼が十代の時からの知り合いです。

「暴走する若者」を演じさせると非常に迫力のある人でしたが、今は私同様、相当な子煩悩(親バカ=バカ親)の父親となっています。

それにしても、この彼との出会い方も「そんな出会い方があるかよ」というような不思議性を持つものでしたが、それだけに気が合って、若いときから中年になるまで、遊ぶのも一緒によく遊びました。

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・田植えに一緒に行く人の30年前の舞台。ナイフは本物なので怖かったです。


淡々と「劇団のようなもの」と書いていますけれど、興味本位で入った人たちは、私たちのその団体の本番のあまりにも無茶さに、多くの人たちは2度と戻りませんでした。

それはそうだなと思います。

何しろ、この劇団のようなものがやっていたこと自体が、「まるで自死を目指している無謀な集団」のようなものだった面もあるからです。

もともとが、この劇団のようなものは、私自身の「神への挑戦」でした。

「殺せるものなら殺してみやがれ」

という「宇宙への挑戦状」と、その信念から始めたものだったのですから、自分が生き残れるかどうかの試みだったともいえます。

しかし、とりあえず、このセルフ23 という「生存実験プログラム」では、私をはじめ、全員が生き残り、それどころか、とても生きている実感を体験できる楽しい青春時代を過ごすことができました。




宇宙の消滅プログラムと寄り添って30年

ちなみに、この「殺せるものなら殺してみやがれ」というのは、私が 21歳の時に決心した「神と呼ばれるもの」への宣言でした。

宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか?
 2011年05月10日

という記事は、震災の後に、

宇宙は自身の自死プログラムを自分の計画そのものに組み入れている

ということに気づいた時に書いたもので、自死というのは、つまり「消滅」のことですが、宇宙の存在の有無を作用しているのは人間かもしれないという考えに基づいています。

これは、最近、

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

という記事を書かせていただいたことがありましたが、量子論などの科学的な面で認識されてきている面はありますけれど、科学はどうでもいいのです。

それを知らなくても、たとえば、何の科学も知らない二十代の私が、「宇宙との関係は、やるかやられるかだ!」と明確に頭にそのヴィジョンを描くという「宇宙への強い認識が宇宙の存在を大きくも小さくもする」というような体験をしています。

しかし、その時点では「否定的な感情」から成立していたのですけれど、これは 2011年の震災以降、少しずつ、「宇宙に同情的」な心境に変化してきました。

さきほどリンクした記事で、私は下のように書いています。


記事『宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか?』( 2011年05月10日)より

「このまま何もせずにいれば、いつかはその宇宙の自殺プログラムというものは多分、作動するんだろうなあ」。

そうは思います。

その場合、どうするか。

まず、

「宇宙の自殺は、人類存在にとっては、さほど脅威なわけではないはずで、放っておくという選択がひとつ」

つまり、「勝手に消滅しろ」という選択。

なんとなく「宇宙の消滅」というのは人類にとっても一大事に思えるかもしれないですが、「そうでもない」ということは理詰めで説明できるはずです。なので、放っておく(消滅するままにしておく)という選択も一応成り立つように思います。

もうひとつが、「それ(宇宙の消滅)を止めてみる」という選択。

しかし、私は考えたんですが、私には「そのプログラムを止めてみる」気が今はあまりないのですよ。以前何度か書いていますが、私は若い頃に神経症とパニック障害に苦しむだけ苦しんでいる中で、宇宙を模した紙に、

「殺せるものなら殺してみやがれ」

と書いて、そこにナイフを刺し、その方向の生き方を決意したことがあります。

つまり、いまだに宇宙とは対立関係が続いている・・・と、自分では思っていたのですよ。

しかし、今となってみると、どうも「自分と宇宙の立場は思ってきたものとは違うのかも」と今、感じます。

「宇宙の計画に消滅ブログラムが含まれている」というのは何とも悲しい話で、誰もが「万能の宇宙」と呼んでいる存在そのものが、最初から自分の計画とプログラムに疑心暗鬼だったのか自信がなかったのかはわからないですが、「最初から」自分が消滅するための自殺プログラムも同時に埋め込んでいる。

このことに関しては多くの方々にもわかっていただきたいと思います。宇宙は相当に悲しい気持ちを併せ持つ存在として誕生した可能性を感じます。

それも、その消滅プログラムは「人間」の中に入っているはず。



これは、当時、どこまで意識していたかわからないすですが、

「人間が宇宙の認識をやめれば、宇宙は消える」

ということを書いていたのだと思われます。

地球と人間の輪廻転生は永遠ですが、宇宙が消えれば、その永遠性が消えるのかどうかは曖昧ですが、多分、消えるのでしょう。

となると、善は消えますが、悪も消える。

喜びは消えますが、悲しみも消える。

さて・・・。

何だかあれですが、今回のタイトルは「プレアデス人への宣戦布告」などというものになっていますが、まあ、最近、いろいろとご縁がありまして、今まで読んだことのないプレアデス関係の本などを読んだりする機会に恵まれました。

あるいは・・・書き方が難しいのですが、ストレートに書けば、比較的親しい方の関係で、プレアデスの人とおぼしき人と関係を持っているという感じの方がいらっしゃるのですね。

さらにいえば、最近よく話題にするフランス映画『美しき緑の星』ですけれど、これはもう、私はずいぶんと見ているのですが、それらを含めて、今回のタイトルに行き着きました。

「宣戦布告」というのは、単に大げさですが、なぜ、そんな物言いとなったのか。


その人々がみんな、地球の人間を「下」に見ているからです。

見下している。

否定的な態度を露骨にしている。


なるほど、その人たちは、優れた文明、優れた自然との調和、優れた知性と優れた愛の観念などを持っているのかもしれない。

・・・だったら、それを持っていない地球人を下に見てもいいと?

プレアデスの人たちの言葉について書かれた多くの書籍、あるいは、映画『美しき緑の星』の冒頭の中で繰り返し語られる「地球の人間の否定」。

ひどい場面に至っては、集会の場面で、

宇宙人の男性 「(地球の人間は)パソコンばかりいじっているので、脳が萎縮しているんだ」
宇宙人の女性 「もとからでしょう」
群衆     「うひゃひゃひゃ」

と、地球人が、あからさまに差別的な笑い種にされているシーンもあります。


そりゃ、確かに今の地球は良くないかもしれないけれど、どうして上から目線?


そんな中で、少しずつ、

「地球は地球でやる」

という思いを強くしていった次第です。

ダメならダメでいいです。

地球の進展が何百万年か停滞するかもしれないけれど、それもまた、地球の永遠の歴史の中では大した問題ではないと思われます。

これは、鎖国を夢見る私が、

「日本は日本でやる」

と思い続ける概念と少し似たものかもしれません。

ところで、勘違いされるとあれなのですが、『美しき緑の星』は、解釈が難しいだけで、もちろんいい映画なのです。




どうも謎の『美しき緑の森』のオープニング

なんだかんだと、『美しき緑の星』は、十数回見ているのですが、この映画は、先ほど書きましたように、地球人に対しての「否定的態度」が過度なのですけれど、それでも、そこから想うのは、むしろ、「地球人は自分でしなさい」というメッセージが含まれているのかもしれないな、ということです。

ちなみに、この『美しき緑の星』で、もっとも奇妙な部分がどこにあるかおわかりでしょうか。

普通、映画のオープニングシーンというのは、その映画のストーリーに何らかの関わりを持つか、象徴的な意味で関係する、というのが普通です。

ところが、この映画のオープニングは、

・何かの動物の眼のアップ
・狼のような動物の眼のアップ
・水が流れる
・少女のような人間の眼のアップ
・木の葉が風に揺れる
・馬のような動物の眼のアップ
・少年のような人間の眼のアップ


などが繰り返されるシーンで始まりますが、この中の「動物の眼のアップ」は、本編のストーリーにはまったく出てきません。

そもそも、動物自体がストーリーにほとんど出てこない上に、「眼」について語られることは(医師の奥さんが「自然を見て覚醒する」場面の他は)ないです。

なぜ、動物の「眼」の接写で映画が始まるのかは、最後まで見てもまったくわからないのです。

『美しき緑の星』のオープニングシーン

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この映画は、単なる出来損ないであるのでなければ(単に出来損ないの作品である可能性は十分にあります)、おそらくは、「眼」、あるいは「見ること」について何かを語ろうとしていた。

でも、やめた・・・ということのようです。

本編には「眼」の話など出ません。

「眼」の意味。

見る、ことの意味。

松果体とか、そういう話の前に「眼で見る」こと。

話がよくわからないほうに来ましたが、地球が精神的に崩壊することは、宇宙全体に対して強い影響があるのかもしれなくて、それで、プレアデスの人もそうですけれど、いろいろと干渉してくれているのかもしれないですが、大丈夫。

自爆するなら自爆する。

私の「殺せるものなら殺してみやがれ」モードは継続中で、そして、この自死プログラムはこれまで否定的ではなく肯定的に推移してきました。

なので、地球は大丈夫。
助けは不要。
自力で再生できます。

私たちも(他の宇宙の人類と同様に)この宇宙を意識で形成しているメンバーであることは間違いないわけで、その地がどれだけ地獄であっても、他からの干渉で変化する意味はないと思われます。

今の地球の生活は、「一生が戦い」のような感じに思えることもあるかもしれないですが、先日の記事に書きましたように、「限りなき戦い」のように続く戦いもそれはそれでよいです。

遠い未来に、とんでもなく良い来世を私たちは自力で獲得すると確信していれば、それでよいのだと思います。



  

2015年06月08日



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水素原子の原子軌道のイメージ
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水素原子の原子軌道

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
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・『 ウォーター・サウンド・イメージ






 



「切断」という名称にした意味

最近話題にさせていただくことの多いフランス映画『美しき緑の恐怖』・・・うーん惜しい。『美しきあなたはパトリシア』、うーん、もうタイトルはどうでもいいですが、この『美しき緑の星』(合ってる合ってる)、私は5回くらい見ているんですよ。

最近はパソコンの動画もテレビで見られますので、大画面で何度か見ているのですが、この映画は、説明的なところでは丁寧ではない部分があります。平たく言うと「ストーリーラインが破綻している」と考えられる部分がわりとありまして、一度見ただけでは何だかよくわからない面もあります。

もっともわかりにくいのは、「切断(弱)」の説明が一瞬しか出てこない点です。

途中から出てくる「切断(強)」をされた人間が、たちまちのうちに変化してしまうのは、まあ何となくわかるのですが、宇宙人ミラさんが地球に来たばかりの時に、彼女と出会った人々が(少し遅れて)みんな変化していってしまうあたりが最初はよくわかりませんでした。

そうしましたら、最初に見たとき、「数秒のシーン」をちゃんと見ていなかったのですね。

その、ほんの数秒のシーンを見逃すか、ボーッと見ていると、その後も多分わからないままになると思います。

ミラさんが地球に来る前に、他の宇宙人の人から地球での行動のレクチャーを受けている場面です。

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・映画『美しき緑の星


この、

「弱は人と会うだけで働く」

という2秒くらいの台詞を見逃すと、パリの街の前半の描写は、何がなんだかわからないことになるかと思われます。

この一瞬の説明だけでパリの街全域で起きる騒動を代弁するというのは、なかなか大胆ですが、そういう「説明をあまりしない」部分がとても多い映画です。

そもそも、

「切断」

というネーミングは何ぞや。

宇宙人のミラさんから「切断プログラム」を受けた地球人は、その全員が、自然と人間に対する愛に目覚め、あらゆるものの中から「肯定的な要素」を見つけ、否定的な感情が消えて、人生が「開いて」いきます。

要するに、新しい人間性(あるいは正しい人間性)に「目覚める」のです。

ということなら、覚醒へと導く方法に「切断」という名前がつけられているのはどうしてなのか。

「覚醒プログラム」でも「慈愛光線プログラム」でも「人と自然を愛して世の中を肯定的に見てもらおうプログラム」でも、何だかそういうようなもののほうが、映画としては、わかりやすいと思います。

なのに、愛を導く方法の名前が「切断」プログラム。

最初は、日本語の訳の問題なのかと思いましたが、聞いていると、フランス語ですが、ディスコネクト( disconnect )と聞こえます。

英語の方のディスコネクトの意味は、


disconnect - weblio 英和辞典

1a〈…の〉接続を断つ,〈…を〉断ち切る,離す.

b〈…の〉電源を切る; 〈電話などを〉切る.

c〈…を〉〔…から〕断ち切る,切り離す〈from〉.



とありまして、「切断」くらいの日本語になるのは妥当であることがわかります。

では、何から何を切断しているのか?
あるいは、何から何が切断されると私たちは「目覚める」のか。

考え方のひとつとして、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

という記事でご紹介いたしました、『プレアデス+かく語りき―地球30万年の夜明け』という本に載せられている、やはり宇宙人グループの一人であるプレアデスの人と自称されている方が言っていた以下のフレーズを思い出します。


『プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。

それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。



要するに、この方向の考え方が現実にあるとした場合、

人間をコントロールしている否定的な周波数(それは現実に見えるホログラムを作り出している)などを「切断」する。

という考え方です。

自称プレアデスの人は、私たち地球人間に対して、


目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。

あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。



と言っていて、私たちが見ている現実は、おそらくは「ウソが多い」ということを言いたいようです。

下の女性は、上の人と同じプレアデスの人だということらしい「自称グループ」の一員のようでして、英語で Semijase という方です。日本語表記では、セムヤーセとか、セミヤーゼとか、セムジャーゼとか、いろいろあるようです。

semjase.jpg
semjase.net


『美しき緑の星』で地球にやってきたミラさんとはだいぶん印象が違う感じです。

パリにやってきた宇宙人ミラさん
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・『美しき緑の星』

この後、ミラさんは「踏まないようにしなくちゃ」と否定的な見解を述べますが、私たち地球人にはもっとエライ人がいます。過去記事、

『美しき緑の星』で描かれる「どんなものにも良い部分を見いだす」という完全な肯定的な態度について考えてみる
 2015年05月21日

という記事でご紹介しました「野口体操」の創始者である野口三千三(みちぞう)大師(ここは大師と呼ばせていただきます)は、著作『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論』の中で、

野口三千三『原初生命体としての人間』より

いずれにしても、私は、大便そのものが、生きもの特有の親しみのある大変よい香りをもっていることや、柔軟性に富み、なめらかでボリュウムのある線や形、そして動きの美しいものである、ということを強調したい。

という絶対的肯定の態度、すべてのものへの愛、を教えて下さっているのであります。

まあ、便の話はともかくとして、プレアデスの人だと自称されている方々が言うような、

現在の地球は悪い周波数でコントロールされている

というようなものを「切断」してくれる、という考え方は、何となくあるかなあ、とは思いました。

その他となると何だろう。

何を切断すれば、人間は目覚めるでしょうか。




存在の学問、量子力学

たとえば、先日の、

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

という記事では、

この世は人間が認識してはじめて存在する。

という、かなりのおおごとが実験で証明されたことをご紹介しました。

「認識」というのは複雑で、見たり聞いたり感じたり知ったり思ったりすることだけではないですが、単純な例えとして、上の記事の内容は、

inai-inai.gif
・キャラクターは『いないいないばあ』より


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というような記事でした(そんな記事だったのかよ)。

いずれにしましても、上の記事では、原子以外の「形や質量を持った存在」(あるいは、おそらくは音や匂いや感覚なども)は、人間の認識によって形作られているという可能性を示したものですが、しかし、そこまで話が拡大しなくとも、たとえば、その次の段階なのかもしれないですが、

数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を…
 2015年03月22日

という記事などから、たびたび書いています音と世界の関係、つまり「大戸屋がこの世を作り上げているのかもしれない」・・・ああ、大戸屋じゃないや、

「音がこの世を作り上げているのかもしれない」

という概念と結びつくようにも思います。

ここには、「周波数」という概念が関係します。

そして、周波数の「それぞれの持つゆらぎ」のようなものこそ、この世界の形や音や、あるいは、人間の器官や精神や健康に至るまで司っているのではないかということは、つい最近になって初めて思ったのですが、思っていたことではあります。

しかし、私は、

「宇宙って真空だから、音も揺らぎもないよなあ」

と思っていたのです。

つまり、この「音が世界を作っている」というのは、古典物理学での真空(エネルギーがない)である宇宙では通用しないんだよなあ・・・と、しょんぼりとお酒を飲んでいるうちに元気になりました(どっちだよ)。

ところがです。

それこそ、先日の記事「「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」…」で、ご紹介しました早稲田大学名誉教授の並木美喜雄さんの『量子力学入門』という著作をその後購入しまして、これがまた全体的にとても難しい本で、私に普通に読めるようなものでもなく、適当なところをめくったりしていたのですが、そこに面白いことが書いてあるのを見つけたのでした。


並木美喜雄著『量子力学入門』より

古典論(量子力学を含まない物理学)の最低エネルギー状態ではすべての電磁振動は消滅する。この状態を電磁場に関する古典論の真空という。

量子論でも、最低エネルギー状態を真空と呼ぶが、それはゼロではないゼロ点振動をもち、大層騒がしい真空である。

そのゼロ点振動「真空電磁場の揺らぎ」、または単に真空の揺らぎという。

真空の揺らぎは大きな物理的効果を持つ。(略)

現代素粒子物理学は真空にもっと複雑な物質性を与えつつある。また、現代宇宙論は真空の揺らぎが宇宙の創造・発展に重要な影響を与えたらしいと推測している。



なんと、量子力学では、真空であることは「何もない状態とは見なしていない」ということで、そこには「ゆらぎが存在する」ようなのです。




真空の中から「突然出現する」原子たち

これについて調べようとしましたら「無 - Wikipedia 」などという項目が検索されました。「無」なんていう Wikipedia 項目を読むのはこれが初めてです。

そして、その中に以下の記述がありました。


無 - Wikipedia より

古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。

このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。




> 何もないはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現する

これを読んで、思わず「ひぃぃ」と叫んでしまった私ですが、いずれにしても、真空であるということは、少なくとも量子力学の世界では、「ものの出現と存在」については関係ないもののようです。

それにしてもこの並木美喜雄さんの『量子力学入門』。

完全な科学本で、内容のほとんどを私には理解できないのですが、たとえば、その目次。
第1章のタイトルが、

プロローグ − 「存在」とは何か?

で、最終章第10章が、

エピローグ − 再び「存在」について

というように、量子力学という学問が「存在の学問」であることを思わせてくれる雰囲気があります。

そして、この本は帯が下のようになっています。

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ここにも「波なのか? 粒子なのか?」とあり、「波」と「粒子」の二重性を持っているということは、何だかやはり大変なことのようで、この『量子力学入門』のテーマとなっているようです。

ちなみに、先ほどの「無 - Wikipedia 」には、以下のような記述もありました。


古典物理学の法則が通用する範囲は、宇宙の大きさからせいぜい原子や分子の大きさのレベルまでである。原子内または原子間では古典物理学の法則は破れており、現象の正確な記述ができない。

光は本質的に量子的な振る舞いを示すため、古典物理学では電磁波をうまく扱うことができない。量子論と違って、古典物理学は完全な決定論である。



> 原子内または原子間では古典物理学の法則は破れており

とあり、原子がこの世を作る最小単位で、かつ基本の単位だとした場合、「それが通用しない物理学」というのが古典物理学、つまり量子力学を含まない物理学ということで、それが今でも主流というのはどうなんでしょうかね。

原子を説明できないのでは、宇宙を説明できないのでは、と思ってしまいました。

ただ、「量子論と違って、古典物理学は完全な決定論」とされていて、この決定論とは、Wikipedia によれば、

あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。

とあり、つまり、量子力学は「そうではない」ということになります。

となると、決定論ではない量子力学(たとえば、人間が認識してから物質が確定するなどの概念)での宇宙は、古来からの物理学のような因果律がないため、「きわめて自由な宇宙」を描けてしまう可能性があります。

それは楽しいことではあっても、やや混乱を招くことではあるかもしれません。

いや!

このような古い概念からの「切断」こそが大事なのかもしれません。

こんなことにこだわるのも、私たち地球人は宇宙人などの力によるものではなく、自力で「覚醒」を果たさなければならないと思うからです。多くの宗教や哲学同様に、新しい科学の概念もその一助になるのではないかと思います(量子力学は難しいですが)。

切断の話から何だかえらいことになってしまいましたが、確かに『美しき緑の星』には謎の部分を含めて、考える部分が多いのは確かです。



  

2015年05月21日



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▲ 映画『美しき緑の星』より。食事中に突然キャベツの美しさに気づき、陶然と見続ける女性。






 



難しい「肯定的」な態度の実践

最近たまに話題にいたしますフランス映画『美しき緑の星』を見てから、そこに描かれる「肯定的態度」(どんなことからも、その良い面を見ようという心身的態度)に感心したところがありまして、以前よりも、この「肯定的態度」に関心を持っています。

以前から薄々とは思っていたのですが、あるいは、この「肯定的態度」というのは、理想的な人間社会にとって、わりと大事なことではないかとも思ったりもしています。

何だかんだいっても、今の社会は「否定的態度」が良しとされるもの(科学でも政治でも、批判や討論こそが真実へのルートだとしている点や、他も様々の点)ではあり、それはそれで刺激的ではありますけれど、やっぱり「疲れ」が出てきています。

そして、できれば、子どもたちの世代には、こういうネガティブ攻撃が人生の勝敗を決めていくような社会で生きては欲しくないというような希望もあります。

私自身、若い時から、批判や非難の世界は得意ではないです。

かといって、たとえば、サンマの塩焼きにイチゴジャムとイカの塩辛とコンデンスミルクをかけた料理が出されたら、少し否定的な気持ちにはなるでしょうけれど、さてしかし、「そういう時にも肯定的な態度になれるか」ということなんです。

料理屋で、サンマの塩焼きにイチゴジャムとイカの塩辛とコンデンスミルクをかけた料理が出されても、です。

どう考えても否定的な感情しか出ないようなものを「肯定的に」捉える。

肯定・・・肯定・・・肯定ペンギン(うわッ)。

こういう下らないギャグともいえぬ駄洒落に対しても、人は肯定的な態度でいられるのか。
それとも、ここに至っては「もう許さん!」と怒ってもいいのか(いいと思う)。

難しいところですが、先日の記事、

陸地では数千万羽のニワトリが死に、海では「デッドゾーン」の中であらゆる海洋生物が死に続けるアメリカで
 2015年05月20日

の最後の方に、干ばつに見舞われているアメリカのカリフォルニア州で、自然環境に水とエサが不足していることにより、ネズミが家屋を襲っているという報道をご紹介しました。

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CBS


そして、ここに以下のように書きました。


ほしいものは消えていき、あまり喜ばしくないものは増えていく・・・いやいや、ここは、シュタイナーのいう、あるいは、フランス映画『美しき緑の星』で表現される「肯定的な態度の重要性」を思い出すべきかもしれません。

あらゆるものを肯定的な面から見てみる。

「ああ、ネズミさん、何と美しい歯なんでしょう」

「さあ、ネズミさん、どんどん襲ってください」


うーん・・・。

やはり、こう素直には思えないなあ。



と書いたのですが、書いた後に、「たとえば、こういうことについて肯定的に考えることができるとすれば、どんなことだろうか」などと考えました。

「ネズミ・・・ねえ。・・・・・そういえば、『トムとジェリー』のジェリーってネズミだな」

なぜかわからないですが、私が小学校の頃(昭和40年代)の北海道では、夕方のテレビで、毎日のように『トムとジェリー』が(何年もの間)再放送されていて、「真ん中アニメ」と呼ばれるものを含めて、ほとんど全部を見ていて・・・というか、それぞれを何十回も見ていて、そして、幼い頃、そのシュールで残酷な世界を心から楽しんだ記憶があります

後に、モンティ・バイソンとかのスラップスティック(即興ではないドタバタ)とか、あるいは、極端なバイオレンス映画などを好きになったのも、トムとジェリーの影響が大きいと思います。

それはともかく、『トムとジェリー』には、ネズミのキャラクターとしては、ジェリーの他に、捨てネズミ(話によっては従姉妹として登場)の「ニブルス」という小さなネズミがいて、彼らが同時に出てくるエピソードは数多くありますが、それなどを思い出すと、ネズミは確かにかわいい。

それなどを先ほどのニュースに当てはめますと・・・。


rodents-002.gif


うん、これならかわいいし、肯定的に受け取れます。

(それは問題の解決ではなくて、単なる問題のすり替えだろ)


そうか、これじゃダメですか・・・。

この方法論のダメさを、たとえとして書いてみますと、たとえば、シュタイナーの『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に記されている「肯定的な態度」のひとつとして、イエス・キリストが弟子たちに見せた以下の態度があります。


イエスが弟子とともに歩いているとき、彼らは道端に腐敗した犬の死体を見ました。弟子たちはみな、嫌な光景から目を背けました。ただ、イエス・キリストだけが立ち止まって、感慨深く、その犬を見つめました。そして、「なんて美しい歯だろう」と言いました。


この、イエスが腐敗した犬そのものを見つめて、

「なんて美しい歯だろう」

と言ったことと照らし合わせますと、私が上でおこなった『トムとジェリー』置換法は、死んだ犬を見つけた時に、その犬を直視しないで、「その上にキレイなシーツをかぶせ」た後に

「なんてきれいなシーツだろう」

と言うような、物の本質を見えなくしてしまう方法です。
これではダメですね。

ついでに、そこにエッセンシャルオイルをふりかけて、

「なんていい香りだろう」

と、どんどん物の本質を隠していって、ついには、灯油をかけて犬の死体を燃やして、

「なんて暖かい火だろう」

と、どんどん最初の対象を消していき、燃えてすべてが消えた後に、

「なんて何もないのだろう」

と言って去って行くということになるのです(どうなるというのだ)。

こういう誤った方法は少し困りますね(野口晴哉さん風)。

話が何だか変になってきていますが、対象を直視しなければいけない以上、「好きになれないモノに対しての、完全な肯定的な態度」というのは簡単なことではないともいえます。

そういえば、最近、「圧倒的な肯定的態度」に接することがありました。




野口師の「圧倒的」肯定的態度

先日、本が届きました。

もはや届く本のほとんどを読み切れていない状態になっていて、最近は本が届いた時には、

「なんて滑らかな材質の表紙だろう」

というように、表紙と表紙デザインを見るだけで満足することも増えてきました(ちゃんと読めよ)。

そして、価格なども見て、

「なんてリーズナブルな値段だろう」

と満足して、そのまま読まずに本棚に行くことも増えてきました。

そして、本棚を見回して、

「なんと未読の本が多いのだろう」

と感嘆して、1日が終わります。
そして、ポストにはまた何か本が届いています。

未読の本に対しての肯定的な態度はともかく、この日届いたのは『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論』という本でした。

これは実は、注文した直後に気づいたのですが、「間違って買っちゃった」のでした。

「野口…」と見て、整体の野口晴哉さんの本かと思って、注文した直後に、野口三千三(みちぞう)さんという方の本であることに気づいたのでした。

それにしても、『原初生命体としての人間』という大仰なタイトル。

この野口三千三さんという方は、本のタイトルにもありますように、「野口体操」というものを作り出した方のようなんですね。

野口三千三( 1914 - 1998年)
noguchi-michizou.jpg
野口体操 公式ホームページ

東京芸術大学の教授でもあった方のようで、その「野口体操の理念」は、Wikipedia に以下のようにあります。


野口体操 - Wikipedia

野口体操は野口三千三が指導を開始した健康法、トレーニング法。「人間の潜在的に持っている可能性を最大限に発揮できる状態を準備すること」を目的とする。

野口の身体イメージは

生きている人間のからだは、皮膚という伸び縮み自由な大小無数の穴が開いている袋の中に液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいる

というものである。野口の考えでは、合理的な運動は「重さ」と「はずみ」を活かすことで行える。そのためには無駄な力みを捨てて脱力の感覚を磨くことが肝要であるとしている。



ということなんだそうですが、

> 無駄な力みを捨てて脱力の感覚を磨く

というのは、つまり「見た目にはブラ〜ン、ダラ〜ンとした状態」となるようなんですが、演劇などの肉体訓練では、この「脱力の訓練」はよく行われます。緊張以上に脱力が大事と言われていたような気がします。

しかし、この、バッと見には「単にブラ〜ン、ダラ〜ンとしているようにしか見えない」という地点に至るまでの理論的構築は並大抵のものではなかったことが、この『原初生命体としての人間』のはしがき(はじめに)を読むだけでもわかります。

たとえば、野口さんにとって、「体操とは何か」ということに関して、以下のような記述があります。「体操ねえ」と侮っているとアセります。


『原初生命体としての人間』(1972年)はしがきより

素粒子や素領域の研究が、宇宙の根源を探る手がかりになることを疑う者は少ない。が、一人の人間の中身を探ることが、宇宙を探る手がかりとなることを信ずる者が何人いるだろうか。

私は、自分自身の生身のからだの動きを手がかりに、今ここで直接、体験するからだの中身の変化の実感によって、人間(=自分)とは何かを探検する営みを、体操と呼んでいる。

自分というまるごと全体の生きものが、そっくりそのまま実験研究室(アトリエ)であり、研究材料(素材)であり、研究者(制作者)である、というあり方である。

「自分自身という存在にとってからだとは何か」ということに、無性に興味をもち、それを探検する営みに、あえてこだわって生きてきた私は、今、次のように言い直してみる。

「自分の中にある、大自然から分けあたえられた自然の力により、自分の中にある、大自然から分けあたえられた自然の材料によって、自分という自然の中に、自然としての新しい自分を創造する、そのような営みを体操と呼ぶ」



というように、

> 自分という自然の中に、自然としての新しい自分を創造する、そのような営みを体操と呼ぶ

とまで言われては、「ははあ、恐れいりましたッ」と頭を下げざるを得ません。
体操をここまで表現できるのはすごい。

この本はですね、見出しなどを見ていてもですね、「ヒトの乳房はなぜそこに二つあるのか」とか、「丹田・子宮から新しい脚が生まれる」とか、「ことばの誕生で得たもの・失ったもの」など、いろいろな面でおおごとになっていることがわかります。

これはもう、「野口さん」とか呼んではいけないですね。

「師」がふさわしい。

野口師。

私は「先生」という言葉があまり好きではないので、この「師」という言葉は助かります。やや位が高い方には、本当によく合います。

また、ジャイアント馬場師、松田聖子師、おすぎ師とピーコ師などのように、どのような敬称がいいのかわかりにくい方にもよく合います。

さて、その野口さんの(いきなり忘れてるぞ)、野口師の著作の中に、

「見事なほどの肯定的態度」

の記述があるのを目にしたのです。

ちょっと尾籠な話とも関係するのですが、「便」の話です。
いや、これを「尾籠」とかいっているあたりで良くないわけですが、とりあえず、その部分をお読み下さい。


野口三千三『原初生命体としての人間』 息と「生き」 より

大便の臭いについていうならば、どうして、大便の臭いをひとつの括弧でくくって「悪臭」と決めつけてしまわなければならないのか。

いま新しく先入観なしに、ほんとうにそんなに悪臭であるのかを確かめてみる必要があるのではないか。

(略)

いずれにしても、私は、大便そのものが、生きもの特有の親しみのある大変よい香りをもっていることや、柔軟性に富み、なめらかでボリュウムのある線や形、そして動きの美しいものである、ということを強調したい。

今すぐ他の人に共感されるとは思っていないが、なぜそんなに不潔で嫌なものだと憎まれなければならないのであろうか。

私は、私の中からすんなり素直に新しく生まれでたものに対して、ほほえましくて可愛らしく思い、暖かい愛情を感ずるのだが、そしてこれを変態的感覚とは思っていないのだが・・・、どうであろうか。



恐れいりましたッ。

この圧倒的な肯定的態度。

「便」も、人間社会でここまで褒められたことはあまりないのではないでしょうか。ジャパネットたかたの創設社長が商品を褒めるがごとき、対象への賞賛と愛情。

ベン・・・といえば、ディストピア映画の傑作、1987年の映画『バトルランナー』で、主演のアーノルド・シュワルツネッガー師が演じる人物は、ベン・リチャーズという名であることを思い出しました。 ・・・と、これを書いていて、

「なんて意味のないことを書いているんだろう」

と、意味のなさに感嘆しますが、いずれにしても、野口師のような、一種悟った人物から飛び出す肯定的態度に感嘆した次第であります。

running-man-1987.jpg

▲ 映画『バトルランナー』(原題: The Running Man )より。この映画のディストピア世界観は、私自身の舞台美術に大きく影響しました。




肯定的態度の実践として

やや違うかもしれないですが、「肯定的であるべき」ということについては、同じ野口さんでもある日本最初の整体師の野口晴哉さんも著作『風邪の効用 』の中で、「観念の方向性」ということで、何度もふれています。

その部分とは、たとえば、以下のような記述です。

ちなみに、野口晴哉さんのほうは、何となく自分と似ている部分が多くあるように感じていまして、「さん」というように記させていただいています。


野口晴哉『風邪の効用』より

観念はヒョッとした時に確立してしまう。空想が確立するというが、本当は未来の方向が確立するのです。

子供が何かし損ねた時に、「お前はなんて頭が悪いの」と言う。そうすると「ああそうだ」と思ってしまう。「頭が悪いから試験に落ちたのよ、しっかり勉強しなさい」と親は言う。

けれども、すでに頭が悪いと方向づけてしまって、だからしっかり勉強しろと意志の努力を強いるのは、人間の心の構造を知らない人である。

人間は自分のごく小さな動作でも、一旦空想に方向づけられてしまうと、意志では訂正できないのです。だから「頭が悪い」と方向づけて、「しっかり勉強しろ」と言うと、成績が落ちるとか、机に向かうと居眠りばかりするとか、そのうち勉強が嫌いになるというようになっていくわけです。

親は発奮させるつもりで「馬鹿だ」と言うのだけれども、その「馬鹿だ」と言われたことで子供が空想して思い浮かべることは、「俺は馬鹿か、俺の頭のはたらきは悪い、しかし、いくら考えたって、親父が悪いのに俺が良いわけがない、おふくろだって鈍いのだから俺が良いわけない」とか、それを自分で確認してしまう。

もうそうなると、今度はしっかり勉強しようとしても、努力するほど逆になってしまう。



これは、昭和37年( 1962年)に書かれたものですが、それから 53年後の今年、このことがわりと正しいことが、国立青少年教育振興機構という国の機関の調査で明らかになっています。

5月2日の朝日新聞からです。


親「もっと頑張れ」→子の生活力向上せず 調査結果発表
朝日新聞 2015.05.02

「もっと頑張りなさい」と保護者が子どもを叱って励ましても、自立した生活を営む力は向上しない――。そんな結果を国立青少年教育振興機構が発表した。

調査は2012年9〜10月、全国の公立校の小学4〜6年生、中学2年、高校2年と、小4〜小6の保護者を対象に実施。子ども約1万7千人、保護者約7800人から回答を得た。

「自分と違う意見や考えを受け入れる」「ナイフや包丁でリンゴの皮をむく」「上手に気分転換する」などを「生活力」と位置づけて、体験活動や保護者の関わりとの関係を見た。

その結果、小4〜小6では「よく『もっと頑張りなさい』と言う」など、保護者が叱咤激励する度合いが高くても、生活力に違いは見られなかった。

一方、保護者が自分の体験を話したり、「山や森、川や海など自然の中で遊ぶ」といった自然体験や家の手伝い、読書などをしたりする子どもほど生活力が高かったという。



これは要するに、少なくとも小学生の子どものさまざまな能力を伸ばすためには、「やりなさい」とか「頑張りなさい」という言葉にはまったく効果がなく、そうではなく、

・自然の中で遊ぶ
・親が自分の体験を子どもに言う
・家事や読書をする


などが最も子どもの基本的な能力を伸ばすことだということだと思います。

もちろん、他にもいろいろとあるでしょうけれど、野村さんの言うことも、国立青少年教育振興機構の調査も、一種の「肯定的態度の生活の中での実践」という意味では示唆的な気がします。

この調査では生活力のことを言っていて、勉強のことにはふれていませんが、同じだと思います。

1ヶ月くらい前に書きました、

シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本…
 2015年04月16日

という記事では、「子どもに対しての詰め込み勉強は、あらゆる方向に悪い作用を及ぼす」ということについて書きました。

その悪い影響は、むしろ大人になってから出るものだと思われます。

記事では、シュタイナーの講演の内容の一部を抜粋しました。


シュタイナーの 1912年の神智学協会会員に向けての講演より

小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう。詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。

心魂が詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。

その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。

人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。


シュタイナーはいつも難しい言い方をしますが、これは簡単に書きますと、

「心底から興味のないことを無理矢理教え込んでも、身につかない」

ということだと思います。

これは、たとえば、受験を経験したすべての方々が「今」を思い返してみると、わかるかと思いますが、受験で無理矢理覚えた項目は忘れていることが多いのではないでしょうか。

今回の話は「肯定的態度」ということから始まったことですが、生活全般において、これらのことを思い出すことは無意味なことではないと思います。

やはり、『美しき緑の星』を見てから、いろいろと思うところはあるようで、細かく自分を変えようとしているようです。

最近は電柱に抱きついて(やめろ)。

映画によって、私も多少、『切断』されたのかもしれません。



掲示板

少し前の記事で少し書きました掲示板を設置しました。

Deep BBS

よくある掲示板ですが、フリーのものではなく、簡単なセキュリティはあるものだとは思います。使い勝手次第では別のものにするかもしれません。

まったく関係のない方が検索などで訪問されても、内容的に訳が分からないかもしれないですので、パスワード認証にしています。パスワードは indeep (半角)です。

何かの際に活用されるようなことがあればいいなと思います。



  

2015年05月14日



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angels-trumpet.jpg
Strange Sounds






 


報告される「音」の代表的なタイプを最初に提示しておきますので、今回の記事の内容のために、ご参考いただければと思います。これが本当なのかフェイクなのかはわかりませんが、報告される音はこれと同じタイプのものが多いです。

テキサス 2013年





増加し続ける「空に響く謎の音」

3年くらい前に、

世界中で響き渡る音から「ヨハネの黙示録」の天使のラッパを考える
 2012年02月21日

という記事を書いたことがあります。

その 2012年頃は、「空から奇妙な音が聞こえる」という報告が、YouTube などに数多く寄せられ、アメリカやカナダ、あるいはヨーロッパなどでは、一般ニュースでも取り上げるほどの騒ぎとなっていました。

tv-strange-noise.gif
YouTube

tv-noise-02.gif
YouTube


動画投稿サイトでも、ちょっとした「ブーム」となっていた感じがあります。

そのブームに便乗して、フェイク(にせもの)動画も数多く投稿されたりしていたのですが、しかし、世界中の報道などを見ますと、「多数の人が同時に聴いていた」という例が数多くあり、実際の発生件数はわからないながらも、「奇妙な音は実際に鳴っている」と考えざるを得ない部分があります。

たとえば、2011年には、アメリカで、大リーグ中継のテレビの中で、試合中の野球場に「奇妙な音が響き渡る」ということが放映されてしまったりしました。

字幕を入れられなかったのですが、実況とアナウンサーは、野球の実況をしながらも、「この音が不思議でたまらない」いった様子で、音についてコメントし続けています。

2011年 アメリカの大リーグ中継



2011年頃から、そういう「音」に関しての話題があったのですが、この「音」の報告が、今年の4月から5月にかけて、非常に増えているのです。

下は、奇妙な音の報告を継続的におこなっているサイト「ストレンジ・サウンド ( Strange Sound ) 」に掲載されているものです。




2015年 4月から 5月に報告された奇妙な音

2015年05月05日 米国 - ケンタッキー州の上空で奇妙な音(動画
2015年05月05日 カナダ - 上空から奇妙な音(動画
2015年05月05日 北アイルランド - ベルファストでノイズにより住民たちが当惑(動画
2015年04月29日 アイスランド - 奇妙なトランペット・サウンドが空から聞こえる(動画
2015年04月28日 米国 - ウィスコンシン州で奇妙なノイズ(動画
2015年04月25日 カナダ - サスカチュワン州で異音(動画
2015年04月21日 アルゼンチン - サルタで原因不明のノイズ(動画
2015年04月15日 米国 - サンフランシスコでノイズ(動画
2015年04月07日 米国 - ニュージャージー州ジャージーシティで奇妙なサウンド(動画
2015年04月05日 米国 - コロラド州で奇妙な轟音(動画
2015年04月05日 ロシア - 奇妙な音(動画
2015年04月04日 チリ - プエルトモントで奇妙なノイズ(動画
2015年04月04日 日本 - 上空から奇妙な音(動画
2015年04月04日 ドイツ - 奇妙な音(動画
2015年04月02日 アメリカ - デトロイトで奇妙な音(動画





統計は 2009年から取られていますが、今年の3月くらいまでは、月に1〜3ほどの報告数だったのが、4月に入ってから、上のように急速に増加しています。

もちろん、これらはひとつの例で、YouTube を見ますと、おびただしい「音」に関しての動画があります。その中には、フェイクも多く混じっているものと思いますが、すべてがフェイクというのも、また無理がありそうです。

今年に入ってからの Youtube への投稿数の大体の概要としましては、検索のフィルタで、「今年」に条件を絞り、以下のようなキーワードで、件数を割り出してみますと、

・strange sounds in the sky (空の奇妙な音)で検索 → 約 4万5,000件
・strange noise in the sky (空の奇妙なノイズ)で検索 → 約 13万件
・apocalyptic sounds (終末の音)で検索 → 約 4万8000件


というように、今年だけでも、相当の本数の「奇妙な音」に関しての投稿がなされていることがわかります。

そして実は、日本でも非常に投稿数が増えていまして、たとえば、YouTube で、キーワード「アポカリプティックサウンド」などで検索しますと、それなりの数の動画が表示されると思います。

2013年も 2014年も、奇妙な音の報告はずっと継続してはいたのですが、何だか、ここに来て急激に報告が増加したというような感じになっているのですね。




自然世界は「音そのもの」だから

これらの「音」の原因については、いろいろな説や可能性が報じられたことがありますが、決定的な原因の解明といえるものはないのが実際です。

風の音、飛行機の音、機械や工事の音、など、考えられるものはいくつもあったとしても、たとえば、草原でも山の中でも住宅地でも、等しく「同じタイプの音」が聞こえるという原因を追求するのは簡単ではないような気がします。

ただ、私個人としては、これらの「音」が、一種の管楽器系統(ラッパの種類)の音と似ていることなどから、「管楽器は風の制御で音を作り出す」というところに何かいろいろと考えられるところがありそうなのですが…。

ちなみに、過去記事で、私は以下のように書いています。


世界中で響き渡る音から「ヨハネの黙示録」の天使のラッパを考える(3)より

人類史で「管楽器」というものが開発されていった経緯などを考えてみても、それは「自然現象を日常の娯楽に転換していく(風の音を音楽にする)」という試みでもあったわけで、私自身が金管楽器をやっていたという事実と共に、世界で聞こえている(かもしれない)奇妙な音が、その管楽器の性質を持っているということに、なんとなく奇妙な感覚になっています。

ちなみに、上にも書きましたが、管楽器のコアは「風」です。

風と人間の技術が作り出したものです。

そして、弦楽器(ピアノも含む)のコアは「物質(弦)の緊張」の物理です。



ちょっと話がそれるかもしれないですが、「音」というものは、もともと自然界に存在していたもので、それを楽器として、あるいは、「音楽」へと転用したのは、人間の発想と技術であり、そこには、人間の「音への強い想い」というものが存在していたと思われます。

自然の音を自分たちの手にしたいという想い。

そのためには、人間が「自然の音の発生の仕組み」を把握しなければなりません。

どのくらい前に、人はそれをなし得ていたかといいますと、大阪教育大学のウェブサイト内の「音のはじまり」というページには、以下のように書かれています。


■日本

縄文時代 BC.5000では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して作られたものがあった。声をあげるのがおもでそのあいまにごく簡素な楽器が奏でられたのだった。今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴、双口土器及び象形土製品等がある。



というように、7000年前から、人間は(ここでは日本人)自然の原理が「音」に転用できることに気づいて、そして、その技術を体得し、石や土を楽器にしていたことがわかります。

> 今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴

とありますが、笛は、「物質によって風を制御する」ことによって音が出ます。
鈴は、物質そのものの性質を利用して音を出します。

それぞれが、自然の性質を人間が把握して、音を獲得したものといえます。

まあ、この楽器というものも、過去記事「シュタイナーが「愚か者」扱いされた100年前も、あるいはパラケルススが医学界から追放された500年前も西洋医学の問題は現在と同じだった」の中に、シュタイナーの楽器論を掲載したことがありますが、シュタイナーに言わせますと、楽器というものは、


シュタイナー『音楽の本質と人間の音体験』より

人間の音楽的発展は、そもそもどのようなものでしょうか。霊的なものの体験から発するものです。音楽のなかに霊的なものが現存することから発するのです。霊的なものは失われ、人間は音の形象を保つのです。

のちに人間は音を、霊的なものの名残としての言葉と結び付け、かつてイマジネーションとして有した楽器を物質的素材から作ります。楽器はすべて霊的世界から取って来られたものです。

楽器を作るとき人間は、もはや霊的なものが見えなくなったことによって空になった場所を満たしたのです。その空の場所に楽器を据えたのです。



という大変なことになるのですが、動機はこんな大層なものだったかどうかはわかりませんが、ともかく、人間は、自然の現象の中から「音を抽出して、自分たちで、楽器からその音を作り出す」という、非常に偉大なことをおこなってきました。

もっとも、やはり過去記事の、

宇宙の創造…ひも理論…432Hz…528Hz…ライアー…:数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに…
 2015年03月22日

などで書きましたように、

この世界そのものが音である。

という概念からは、「音」こそ、この自然世界そのものでもあるとも言えるのかもしれません。

ちょっと変な展開になりましたが、何が言いたいのかというと、

「この自然世界では、どんな音でも鳴る可能性がある」

ということです。

しかし、それと同時に、「以前鳴っていなかったような音が世界中で数多く鳴っている」という状況は、おそらくは、「自然世界の何らかの変化を示しているのかもしれない」というように考えることは不自然でもないかもしれません。

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地球の何が変化しているのか

かつて、アゼルバイジャン出身の、エルチン・カリロフ博士( Dr.Prof. Elchin Khalilov )という科学者が、音の原因として、

・地震や火山噴火など一般的に考えられる原因としての音
・太陽活動による磁場が高層大気に影響して発生する「音の重力波」
・地球内部のエネルギー活動が新しい局面に入った


というものを挙げていたことがあります。
下の記事でご紹介しました。

世界中での異常な音は「地球内部の新しいエネルギー活動の始まり」という学説
 2012年02月08日

特に、カリロフ博士は、「地球の内部やコアの活動が新しい局面に入った」ということを主張していたのですが、動画を見ておわかりのように、報告されている多くの音は「空から聞こえている」ということがあります。

また、この音には不思議な特長があって、

「指向性が掴みにくい」

ということがあります。

つまり、「どこから聞こえているのかが、よくわからない」ということです。過去記事「世界中で響き渡る音から「ヨハネの黙示録」の天使のラッパを考える(2)」で、2012年 1月に、アメリカのミシシッピー州で音を聴いた人へのインタビューを翻訳していますが、以下のような下りがあります。


問い:音はどこから聞こえていたと認識されていましたか?

「すべての方向から聞こえているように感じたんです。どの方向を見回しても、その方向から聞こえているという方向がわからないのです。すべての方向から同じ強さで聞こえる」

問い:そのラッパの音は上(空)からも聞こえましたか?

「はい。しかし、上からだけではないのです、四方八方から聞こえるのです。左右上下全部から聞こえるのです。私は音に関してはかなり分析できる人間です。なので、その音に関しても方向などを把握しようとしましたが、やはり私の周囲すべてから聞こえることを感じました。音量自体はものすごく大音量だったというわけではありません」


また、この人は、あまりオカルトを信じる人ではないそうなんですが、

「私自身は、今、人類は新しい人類への進化の途中だと考えてるんです。なので、それが起きると本当に思っていますよ」

というようなことも言っていました。




天使の7つのラッパ

これらの音のことを、日本語で「アポカリプティック・サウンド」(終末の音)と呼ぶ人たちもいるように、世界的に、「終末的な意味合い」と照らし合わされるようなことも多いです。

そのイメージ的な根拠とされることが多いのが、聖書『ヨハネの黙示録』の、第8章から第 11章まで描かれる「天使の7つのラッパ」です。




第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける

第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ

第三のラッパ:ニガヨモギという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ

第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる

第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる

第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。生き残った人間は相変わらず悪霊、金、銀、銅、石の偶像を拝んだ

第七のラッパ:この世の国はわれらの主、メシアのものとなった。天の神殿が開かれ、契約の箱が見える。


ヨハネの黙示録 - Wikipedia より。




しかし、まあ、これらと照らし合わせたとしましても、今の地球では、実際には

「まだどれも起きていない」

という現実があります。

第1のラッパの、

> 地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける

ということも、ストレートな解釈では、どうイメージしても起きているとは思えないです。

森林火災は確かに多いですけれど、いくらなんでも「3分の1」ということはなさそう。

要するに、「第一のラッパもまだ鳴っていない」と考えるのが妥当なようなのです。

結局、終末的なイメージで考えるより、「自然の音の傾向が変わる」ということは、何らかの地球での自然上での変化の兆しなのではないかと思う部分はあります。

さきほども書きましたけれど、自然もはもともと「音」を持っていて、さまざまな現象がさまざまな音を生み出します。

雷の音……風の音……水の音……。無限に音源が存在する地球ですが、そこには「規則」があります。

風が吹いた時に、水が流れる音はしてはいけないはずです。

つまり、「本来存在しないような地球のメカニズムで鳴るような音は地球では鳴り得ない」はずです。

しかし、それが現実として鳴っているのだとすれば、あるいは、それが急激に増えているというのなら、やはり「何かが変化している」ということのようにも思います。

いろいろな意味で、今の時代が何らかの大きさ変化の中にいるであろうことは感じるのですけれど、それらのことと「音」が関係しているかどうかはともかくとして、変化は必ずしも「終末的」であるわけではないとも思います。

仮にそれが何かの終末的な出来事に結び付いても、悪からは善が生まれます。



  

2015年05月03日



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shaka-01.jpg


5月に入って、私の住む地域は天気も晴れ上がり、穏やかなゴールデンウィークとなっています。

このような清々しい中の話題といいますと、どうしても「病気」と「恐怖」ということになりそうです(そうなのかよ)。

実は、最近読んだ本の中に、神経症がひどかった時代の自分と似た体験をしている方の談話を読みまして、「そういやあ、こんなことあったなあ」と思い出しまして、ちょっと記しておきたいなあと。

その前に、先日のネパールでの大きな地震について、NASA の記録で知ったことがあります。
そして、その記録は、

「やっぱり、地震には上(宇宙)からの影響がありそう」

という考えをさらに深めるもののようにも思いましたので、ちょっとふれておきたいと思います。




ネパール地震でも 3.11 と同じ「電離層の変化」が記録

4年前の、

衝撃のデータ: 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
 2011年05月20日

という記事で、


マグニチュード9の地震があった前日までに、日本上空の赤外線量と電離層の電子量が増大したことがデータ上で確かめられた。


という米国マサチューセッツ工科大学「テクノロジー・レビュー」の 2011年5月18日の記事を翻訳してご紹介したことがあります。

下の図は、2011年3月5日から 3月12日までの日本列島上空の赤外線のエネルギー量の変化ですが、地震発生前日の 3月10日に、赤外線のエネルギー量が異常な増え方をしていたことがわかります。

2011年3月5日から3月12日までの赤外線のエネルギー量の変化
311-electron-1b.gif
MIT

この赤外線の放出は、地震直前にピークに達しました。

地震発生3日前ほどは震源地周辺での「電子数」も異常な増加を示しました。

また、2010年1月にハイチで発生したマグニチュード7の地震の前にも、衛星によって、超低周波無線信号の大きな増加を示していたことがわかっています。

つまり、最近のデータが示すことは、

巨大地震が起きる「前」に、「高層上空」に変化が見られる。

ということになりそうです。

しかも、3.11 の場合は、「地震の後」ではなく「前」です。

そして、今回のネパール大地震でも、チベット自治区に設置されている GPS 受信機が「電子数の急激な上昇」を記録しました。

報告したのは NASA です。

nepal-0425.gif
NASA


今回の地震の場合は、地震後の変化を示していますが、やはり高層大気に変化が現れていたことになります。

ただ、この現象に関しては、たとえば、マサチューセッツ工科大学などの見解は、「上から」の影響ではありません。さきほどの記事から抜粋すれば、


これらの観測は 「地圏 −大気圏−電離圏結合 ( Lithosphere-Atmosphere-Ionosphere Coupling )」と呼ばれる考え方と一致している。

この考え方は、地震の前日は、断層の大きなストレスがラドンの大量の放出を引き起こすという考えだ。



ということで、地震直前に「断層から放出したラドン」が、高層大気に影響を与えているのではないか、という考え方です。

しかし、私は「地震は上(宇宙)からの影響がトリガーとなっている」と考えています。

理由はいろいろとありますが、過去記事の、

コラム・地震のトリガーについて
 2011年05月21日

に書きましたように、「地震」という現象は爆発的な自然現象で、このような爆発的な反応現象には、トリガーとなる化学的な刺激が必要だという考え方があります。

それについては、「太陽活動と地震・噴火の活動に関しての2つの考え方」という記事に、東京工業大学大学院教授の丸山茂徳さんが、

地震のトリガーが「宇宙線」である可能性

について述べているこを書きましたが、丸山教授は、

「地震の起きるシステムは今まで「力学的」として語られていたが、そうではなく、問題はあくまでトリガー(引き金)であり、つまり、地震は化学的(ケミカル)な反応現象」

だと述べています。

そして、地震ほど巨大な現象のトリガーとなりうるためには、

・非常に高エネルギーであること
・地球の内部に干渉できること


であることが必要だとすると、高エネルギーの上に、どんなものでも通過していく宇宙線以外は考えられないということのようです。

さらに、「地震の原因が上(宇宙)から来ている」とする理由のひとつとして、

3月11日の地震は宇宙空間に近い高層大気にも影響を及ぼしていた
 2011年08月10日

という記事に書きましたように、3.11の地震の際には、上空 80キロメートルから 1,000キロメートルくらいの「超高層大気領域」という場所でも変化が観測されていたことがわかっています。

超高層大気領域というのは下のように、「要するに宇宙空間」です。

upper-1000.jpg
JAXA

そして、2011年3月11日の赤外線の変化を見てもわかる通り、上空の変化は、地震発生の「後」に記録されたものではありません。地震発生より「前」から記録されています。

上空の電子数と赤外線エネルギーの変化は地震の前から記録されていたのですから、普通に考えれば、「地震によって変化した」のではないというようには思うのですが。

さらに、巨大地震の前には、宇宙空間そのもので変化が起きる事例もあります。

謎の「光る雲」がどんどん高度を落としてきている
 2012年06月26日

という記事で書きましたが、

銀雲

と呼ばれる、宇宙空間で見られる銀色の雲のことがあり、宇宙飛行士たちの間で、「この銀雲が現れると、地球で大きな地震が起きる」ことが語り伝えられていました。

宇宙ステーション「ミール」で長期のミッションをおこなったロシア人宇宙飛行士のワレリー・ポリャコフさんが、その銀雲を見るたびに、地上で壊滅的な地震が起きたことを「忘れられない現象」として著作『地球を離れた2年間』に記しています。

まあ、地震の前に、地下からのラドンの放出はあるのかもしれないですが、それがあったとしても、それが超高層大気圏や、あるいは、宇宙空間そのものにまで上昇するというのは、どうも考えにくいことのような気もしまして(地球には物質を高層大気に上昇させる力は基本的にないため)、素直に、

地震の前には、宇宙からの何らかのエネルギーが地球に影響を与える

と考えるほうが妥当のように思います。

そして、この考え方から研究を進めれば、巨大な地震に限定すれば、予知に近いことができる可能性も感じます。

現在は、衛星や GPS により、地球の多くの地域の上空の電子数の変化や、赤外線エネルギーの変化を記録できると思いますので、3.11のように「極端な数値の変化」があれば、それは、「危険な可能性がある」というような。

まあ、そんな単純な話ではないかもしれないですが、最近の記録的な大地震では、多くが「高層上空での変化」が記録されているということは事実ですので、何か予防的な見識につながればいいですね。

というわけで、地震の話を書かせていただきましたが、連休中でもありますし、あまり堅い話題だけでも重いですので、「苦悩と絶望と恐怖」の話題でも軽く書かせていただこうかと思います(その話題の方が重いって)。




人が「物質の統覚と認識」を失うとき

先日の、

「恐怖からの解放」についてのメモ
 2015年04月29日

という記事で、日本の神経症治療法であり、人生の再教育法でもある森田療法を生み出した、森田正馬博士のことに少しふれました。

私自身が、若い頃(からの)神経症で、二十代の頃に森田療法に関しての本を読みまして、少し気が楽になったことがあるのでした。ただし、私自身は森田療法を受けたことはありません。

そのことについて、日付けを見ると、ちょうど1年ほど前の、

パニック障害 30年目の年に思い出す森田正馬の「あるがまま」と谷口雅春の「さとり」のリンク
 2014年05月07日

という記事に、発症するまでの経緯みたいなものを書いたことがあります。

しかし、私の神経症の多才な症状の具体的なことについては、わかりいいものではないですので、書いても仕方ないと思っている面もありまして書いてはいません。

しかし、最近読んだ本の中に、私と比較的よく似た症例の方の談話がありました。

本は、森田正馬博士が、月に1度、患者たちと話し合った会での問答の記録が収められた『自覚と悟りへの道―神経質に悩む人のために』というもので、この本をまとめた水谷啓二さんという方の前書きには以下のようにあります。

水谷さんも森田療法を受けていた患者でした。


『自覚と悟りへの道』まえがきより

森田博士の家では、月に1回「形外会」という会合が開かれ、みんなが自分のありのままをさらけ出して話し合い、博士の批評をもとめることにしていたが、それに出席することが私どもにとっては何よりの楽しみであった。

当時東大の学生であり、博士の家に下宿させていだいた私は、記録係として会場に小さな机をもち出し、座談の内容を筆記し、あとで清書して博士のお手許に届けるのが役目であった。(略)

私どもはその当時から、この記録は遠く後世に残るにちがいないし、また残すべきものであると信じて、できるだけくわしい記録をとるのに努力した。



この水谷さんという方は、その後、「生活の発見会」という森田療法の非医学者による診療所を創設したそうですが、生活の発見会によりますと、


1956年(昭和31年)共同通信社の記者だった水谷啓二が、自宅を解放し主催したのが啓心会(啓心寮と啓心会診療所)で、これが発見会の母体となりました。


ということのようで、水谷さんご本人は 1970年に亡くなったそうです。

その水谷さんが記録して後世に残してくれた、この『自覚と悟りへの道』にある、森田博士や患者の言葉の記録は、まさに水谷さんが書かれているように「この記録は遠く後世に残るにちがいないし、また残すべきものである」といえるものです。

この本の中には数多くの患者(この患者たちは退院後に森田博士のような医師を目指す人が多かったようで、後に多くの精神科医を輩出し、また、多くの著名人が出ました)の方の話が出ていますが、患者の中に、倉田百三さんという方がいました。

この人の語っているところが、私の体験と似ていまして、一種ほろ苦い青春時代を思い出してしまいました。

倉田百三さんというのは、倉田百三 - Wikipedia によりますと、大正、昭和初期に活躍した日本の劇作家、評論家だそうです。

その倉田百三さんもまた神経症を患い、森田博士のもとで入院治療を受けていたようで、『自覚と悟りへの道』の中でも、かなりのページを割いて、倉田さんと森田博士の問答が書かれています。

非常に長いものですが、その中のほんの一部を抜粋してみます。

私も同じような苦痛の中にいたことがありました。
いや、今でも基本的にはそのころと同じなのかもしれません。

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・倉田百三( 1891 - 1943年)



『自覚と悟りへの道』より倉田百三氏の言葉より


私がある対象を見ている時、ふとその対象が動くように感じました。そんなはずはないと思って注視すると、だんだんはっきりと動き出します。

これは! と思って、その動くのを止めようとすると、ますますひどく動き出して、ぐるぐる廻りをはじめました。またか! と私は頭を抱えて苦しみました。ふと、私は、この廻るのが対象でなくて、眼そのものであったらどうだろう、と思いました。すると、とつぜんおそるべき観念が念頭にうかびました。

「もし、眼が眼自身を見たらどうであろう」

私は慄然とし、その瞬間つぎのような推理をしてしまったのです。

「われわれが眠ることができるためには、まぶたをとじなければならない。もし、まぶたがないならば、眼はいやでも物を見ないわけにはゆかないだろう。では、ひとみは、なぜまぶたを見ないのであろうか」

すると、まぶたの裏が見えるのです。見まいとしても、これは見ないわけにはゆきません。もうのがれる道はない! 私は永久に、不断に、何ものかを見ていなければならないのです。したがって眠ることができません。




ここにあるような、

> まぶたの裏が見えることが怖くて眠ることができない

などというのは、何とも異常に響くかもしれませんが、体の部位は様々でも、こういう「思考の矛盾」は神経症者ではごく普通のことだと思います。

それで、倉田さんはその後、不眠は治るのですが、不眠が治った後に「新たな症状」が出始めます。

これが私の経験と何となく似ているのでした。

抜粋を続けます。



『自覚と悟りへの道』より倉田百三氏の言葉より


私は藤沢の家に帰って、病父の枕頭に座っていました。父は眠っていました。そのとき私は思いました。

「私はもう大丈夫であろうか、あの障害はどうなったのだろう」

すると、部屋のふすまの模様が、以前のように動くように見え出しました。気のせいだと思ってもう一度見ると、ますます動いて見えるのです。心を静めて、理性と意志の力でそれが静止していることを信じようとするのですが、ダメです。そうすればするほど、動きは激しくなるばかりです。また強迫観念だ!

それからは、あらゆる対象が動揺し、回転し出しました。世界にただの一つも静止しているものがないのです。土地も畳も波のように動揺します。机上のあらゆる物体、インクつぼからペン軸にいたるまで、みんな動くのです。

本を開けばあらゆる活字が動揺し、回転します。目をつむれば目の内部が動揺し、回転するのが見えるのです。それは、堪えがたいものでありました。

しかしもはや、それを避けようとする気はありません。ただ、あらゆる物象が回転するまで堪えられる日のくるのを、待つばかりでありますが、その日はなかなかやってきません。じっさい、世の中のあらゆるものがぐるぐるまわるまで堪えられるようになるということは、想像できないことでありました。

のちには、その回転が不規則運動になってきました。エジプトの彫刻をのせてある台が、不意に回転をやめたかと思うと、あらぬ方向に動き出しました。ハッと思うつぎの瞬間には、思いもよらない方向に動転します。運命に意志があって、とくに私を憎んでいるのではないか、とさえ思いました。




ここまでです。

この中の、

> 土地も畳も波のように動揺します。

というのも、わりと神経症にはポピュラーじゃないでしょうかね。私も普通にありました。
道路や風景がグネ〜と曲がって見えたりとか。

絵画に「叫び」とかありますけど、あんな世界ですね。あれ描いた人は多分神経症です。

あと、

> 運命に意志があって、とくに私を憎んでいるのではないか、とさえ思いました。

というのは、私もそうでしたけれど、神経症の方は、苦しい時に多くの方が思うことではないでしょうかね。

だから、みんなではないでしょうけれど、神経症の人とか、あるいは何らかのメンタルの問題がある人は、どこかの時点で「神」とか「この世」を考えることが多くなる気がします。

そして、名前は神でも何でもいいですが、まずは「恨んで」、「憎んで」、「罵倒する」というようなところから始まりやすいと思います。私もそうでした。

自分でも自分に起きている症状が異常なことは十分わかっていて、しかも、正気を失っているならまだしも、「完全に理性的」な中でこのようなことを経験しなければならないというのは相当つらいことです。

まあ・・・しかしですね。

少し前に、

ブラック・フラミンゴが現れた地球。そして、数百万人の「ベンゾジアゼピン依存症」が作られている日本(私も危なかったのです)
 2015年04月12日

で書かせていただきました、ベンゾジアゼピン系の精神薬

上の記事では、実際に長く飲んでいた私の体験を含めて、この薬の問題点を書いたのですが、しかしですね・・・これが例えば、倉田さんみたいな重い症状の人でも、

「効く時は一発で効いてしまう」

ことがあるのです(あまり効かないことも当然あります)。

私がそうでした。
しかし、だからこそ、やめられなくなってしまうのです。

医者というより「薬が私を治してくれた」という事実は、強い暗示に変化していき、「薬=救世主」という想いがどんどん自分の中に定着していきます。

そのこともあり、ベンゾジアゼピン系の薬が劇的に効いた人であればあるほど、なかなかやめることができないという悪い循環に陥ります。

しかし、最初は劇的に効いていたベンゾジアゼピン薬も、そのうち効かなくなってくるのですよ。

森田博士の時代は、ベンゾジアゼピン系の薬はありませんでしたが、しかし、どんな薬でも、森田博士は「薬の効果は一時的で、生涯にわたり神経症を完治させる役には立たない」と言っていますので、どんな薬でも、「とん服」以上の役割を持たせてはいけないと今は思います。

この「薬」というのは「物質」であるわけですが、病気を薬などで治すことについて、谷口雅春さんは、『生命の実相 (第1巻)』 (1962年)の中で、「薬(物質)」によって、病気が治ったという暗示を受けることが、人間の完全性を損なうとして、

物質的方法によって病気が治ったということから出発して、生命は物質によって生かしも殺しもできるものなのだという誤れる暗示を受けることになり、自己の生命の霊妙さの自覚が失われてしまう

と述べています。

まあ、薬の話はともかく、倉田百三さんは先ほどのように苦しい状態に陥ったわけですけれど、Wikipedia の経歴を見ますと、



1927年(昭和2年)、神経症を患い、森田正馬の治療を受ける。

1933年(昭和8年)、この頃より親鸞研究を通して日本主義に傾き、日本主義団体の国民協会結成に携わり、機関紙の編集長となる。



とあり、あれほどひどい症状であったにも関わらず、発症後から数年後には活動を再開していたようで、また、倉田さんの著書一覧を見ますと、1932年に『神経質者の天国 - 治らずに治つた私の体験』という本を記していますので、森田療法で「治った」ようです。

それにしても、森田博士は、倉田さんをはじめとして、患者の人たちにどのような答えを返しているのか、とお思いの方もいらっしゃるかと思います。つまり、「どうやって悟りの境地に導いているのか」と。

実は、森田博士は「普通のこと」を言うだけなのです。

倉田百三さんの長い言葉の後に、森田博士の長い回答があります。
そのほんの一部を抜粋します。

morita-02.jpg
・森田正馬( 1874 - 1938年)


森田博士から倉田百三氏への言葉より

まぶたの裏側が見えて苦しいという強迫観念も、その出発点がすでに間違っております。倉田さんは、眠ることができるためには、”まぶたをとじなければならない”といいますが、私どもは眼にゴミが入ると反射的にマタタキをし、眠くなれば自然にまぶたがたれます。

それは私どもの身体にそなわった自然の機能でありまして、”眠るために”というような目的意識があってすることではありません。また、かりにまぶたの裏をみつめていたとしても、疲れてくれば自然に眠るのであります。



こういう、何とも当たり前のことを淡々と語るわけですが、神経症者は、この「当たり前のこと」が、日常の思想から欠落していることがよくあるのです。それは、その人の持つ見識や知識とは関係ありません。

談話の後半では、森田博士は以下のように言います。


森田博士から倉田百三氏への言葉より

強迫観念から解脱するのに大切なことは、”自然に服従し、境遇に従順である”ことであります。

私どものいろいろな気分は、おこるべき原因があっておこるものでありますから、それをどうすることもできません。それが心の自然であってみれば、抵抗しないで受け入れてゆくよりほかはありません。それが、”自然に服従する”ということであります。

また強迫観念の苦しさのために、会社や学校を休んだり、やめたりしてはいけません。強迫観念は、禅でいうところの ”顚倒夢想(てんどうむそう)”の世界に迷いこんだものでありますから、それを現実の世界にひきもどすには、それぞれの人の置かれた境遇にしたがい、毎日の仕事あるいは勉強に全力をつくすことが必要であります。



ここに唐突に、「顚倒夢想」などという言葉が出てきます。




顛倒夢想と涅槃

これは、般若心経の中の、

遠離一切顛倒夢想 究境涅槃(おんりいっさい てんどうむそう くきょうねはん)

という一節にあるもののようで、お釈迦様が言った言葉のようです。

上の意味は、

「顛倒夢想がすべて消えたら苦の全く起こり得ない涅槃の心境になれる」

というようなことだそう。

逆にいうと、この「顛倒夢想」がある限りは、その人に「苦が沸き起こる」と。

で、この「顛倒夢想」とはどんな意味なのかといいますと、こちらのサイトによりますと、

顛倒夢想
宇宙から観て自分にとって、為(ため)に成るのに嫌い(悪い)、また、為にならずダメに成るのに好き(良い)と感じて、それが完全な固定観念になっている勘違いの感覚。

言い換えると、建設的なのに嫌い、破壊的なのに好きと感じる感覚で、全くの無自覚。良いと信じて知らない内に自分に不幸を導く、本人には全く無自覚な心の癖。

普通平均200〜300個、人によっては400〜500個位抱えている。

とのこと。

要するに、「自分では正しいと思って、行い続けているけれど、それは真理から見れば正しくない」というような「真理とは逆の考え」のことですかね。

お釈迦様は、その「真理とは逆の考え」がすべて消えたら苦の全く起こり得ない「涅槃」の心境になれると。

現代社会の多くの人々が持つ、「理由のない恐怖」とか「迷信を怖れる気持ち」とか、「とらわれ」とか、多くのものが、この「顛倒夢想」と同じものだと考えてもいいのだと思います。

そして、この「間違った思い込み」をひとつずつ捨て去ることが大事だと。

まあ、お釈迦様はそう言いますけれど、普通の人でも何百と持っている「真理とは逆の考え」をそう簡単に全部消すことはなかなかできなそうではあります。

ところで、「涅槃」という言葉も気軽に使ってますけど、どんな意味でしたっけ?

涅槃は、サンスクリット後で「ニルヴァーナ」であるということくらいしか知らないことに気づきました。


涅槃 - Wikipedia

涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。しかし、ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり、すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である。

その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。



難しいのう・・・。

最初に地震のことを書いたりしていて、何だか長くなってしまいました。

本当は、この、苦痛や恐怖の問題として、シュタイナーの 1912年の講演『運命にどう向きあうか』の中に、「苦とは何か」というようなことが述べられていて、その内容をご紹介しようと思っていたのですが、後日にさせていただきます。この講演は、『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』という本に収められています。

ただ、その講演から、


私たちは内的および外的な苦痛によって、自分の不完全さを取り除き、自分を完全にしていける


という部分は書いておたきいと思います。

どうやら、シュタイナーは、

「苦痛というものは、人間から不完全さを取り除き、完全になるためのもの」

と定義しているようです。

ちなみに、シュタイナーは、「私たちが前世から持ち越してきた不完全さが、苦痛を求めたのです」とも言っていますが、この主張から見れば、「人間の不完全さ」というものは、次に、また次に、と伝わっていくものらしいですので、どこかの世で「完全」に近づく努力をしなければ、この苦痛の輪廻は消えないものなのかもしれません。

まあ、森田博士は前世の話など興味はなかったかもしれないですが、森田博士の説く「悟り」は、その「完全」に近づくための手段の示唆でもあるのかもしれないと感じた次第でもあります。



  

2015年04月06日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





数日前、下のような「南極大陸で観測史上最高気温か」というような報道が、ほとんどの報道メディアでいっせいに報じられたことは、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。

antarctic-175-top.gif

▲ 2015年4月2日の CNN 南極大陸で観測史上最高気温か 17.5度を記録より。


さて、下はその1年4ヶ月ほど前の 2013年12月の英国ガーディアンの報道です。

こちらも「南極の気温」に関しての報道です。

antarctic-minus-90.gif

▲ 2015年12月10日の Guardian Coldest temperature ever recorded on Earth in Antarctica: -94.7C より。


どちらの報道が正しいとか正しくないとかの話ではないのですが、単純に上のふたつの報道を見比べますと、

「南極って、1年半で 100度以上も気温が上がったのか!」

と、つい思ってしまうような印象があるかと思います。

そういう意味も含めて、どうも違和感を感じざるを得ません。

そして、記事を冷静に読むと、カラクリというのか、「南極で観測史上最高気温」報道は、「方向性の意志」を持っている記事であることが見えてきました。

今回の南極の記事に、やはり同じような違和感をもたれた方もいらっしゃるのではないかとも思いまして、今回はそのことを書こうと思いますが、その前に、別の気象現象で、カラクリとはいいえないものの「考えていた状況と違った」ものがあります。

それは「カリフォルニアの歴史的な干ばつと深刻な水不足」です。

先に、そのことを書いておきたいと思います。




カリフォルニアの「世紀の大干ばつ」の本当の原因

california-pray-01.jpg

THP より。下に「 1 THESS. 5:17」とあるのは、新約聖書『テサロニケの信徒への手紙一』 の 5章 17節のことのようです。その節のフレーズは、「絶えず祈りなさい」です。


カリフォルニアの干ばつは 2013年頃から「過去最悪」と言われ続けていましたが、2014年も今年 2015年も「過去最悪」という表現がされています。

最近の報道では「カリフォルニアの水はあと1年で枯渇する」ということも言われています。


「水は残り1年分」NASA警告 米カリフォルニア州の干ばつ深刻
日本経済新聞 2015.03.20

全米最大の人口を抱えるカリフォルニア州で水不足が深刻さを増している。今年で4年目に入った干ばつは、野菜や果物、アーモンドの主要産地である同州の農家を直撃。米航空宇宙局(NASA)は「州内の水源に残された水はあと1年分」と警告する。非常事態を宣言した州政府による水の利用制限が強化される中、海水を飲み水に変える技術に注目が集まっている。


その後、非常事態宣言の下で、節水に関しての行政命令が発令されています。

カリフォルニア州は、アップル、グーグル、フェイスブックなどの巨大 IT 企業が集まるシリコンバレーを有していますが、IT 企業とはいっても、動かしているのは「人間」ですので、カリフォルニアが「飲む水がまったくなくなってしまうような場所」になれば、何らかの影響もあるかもしれません。

それ以上に、

産経新聞の記事によれば、このカリフォルニアという場所は、

> 野菜と果物の全米収穫量の約半分がカリフォルニア州で生産されている

という場所でもあり、カリフォルニアはワインの輸出でも有名で、それらの価格の高騰を含め、今後急速に悪い影響が出始める可能性があります。

さて、この結構大変な状況となっているカリフォルニアの干ばつですが、私も、そして多分、多くの人々も、異常気象、あるいは気候変動のために起きたというように思われているように思います。

たとえば、昨年 12月の「来たるべき地球のかたち」の記事で、アメリカ地球物理学連合( AUG )の科学者たちの研究についての記事を載せています。その記事のタイトルは、

カリフォルニアの干ばつは過去1200年で最悪であることがアメリカ地球物理学連合の調査で判明
 2014年12月18日

というもので、翻訳した記事の中には以下のような部分があります。

最新の研究データによれば、カリフォルニア州は、過去数世紀で最悪の干ばつに陥っていることがわかった。

気温の影響について研究しているアメリカ地球物理学連合( AUG )の科学者たちは、降水量などの低さや、その他の状況と照らし合わせて、この干ばつが、過去 1,200 年で最悪のものであることを見出した。

研究者たちは、カシの木の年輪などから、過去の降雨、河川や貯水地の状態などを計算した。

これだけ読むと、

「何と激しい地球の変化!」

とか、

「まさに荒れ狂う地球の姿!」

などのように思えてしまうかもしれないですが、実際はそうではなく、

カリフォルニアの水不足は「人災」であることがハッキリした

のです。

この「ハッキリした」というのは、そのような報道があったわけではなく、データ上で、それが比較的明らかになったということです。報道はなぜかほとんどありません。

そのデータは、アメリカ海洋大気庁( NOAA )にある「降水量」の公式データです。

NOAA には、クライメート・アト・グランス( Climate at a Glance / ひとめでわかる気候) というデータページがあり、1895年から 2014年までの気温や降雨量などについて、アメリカのすべての州についての「 NOAA が保管する気候データ」を検索できます。

そして、1895年から 2014年までの 119年間のカリフォルニアの「降水量」のデータを調べてみますと、意外なことがわかります。

カリフォルニアで水不足が最もひどかった 2014年の降水量は「平年よりさほど低くはなかった」

のです。

数値でいうと、平年より 2.46インチ(約 6.3センチ)少ないだけで、率でいうと、「平均の降水量より11%少なかっただけ」でした。

下のグラフは、その推移を示したもので、これを見ると、2014年より降水量の少ない年がたくさんあったことがわかります。


1895年から2014年までのカリフォルニア州の降水量
precipitation-california.gif
sunshinehours

その前年の 2013年は確かに記録的に雨が少なかったですが、カリフォルニアの干ばつはそれ以前から始まっています

そして、2010年頃からの降水量は普通か、普通より多かったことがわかります。少なくとも、アメリカ建国史上最悪の水不足のような状態になるほどの降水量不足ではなかったのです。

では、一体何がこの歴史的な水不足の原因なのか?

これは下のグラフが表していることが、ひとつの大きな原因であることは間違いないと思われます。

1900年から 2013年までのカリフォルニア州の人口の推移
population-california.gif
Orange County Register

何とカリフォルニアの人口は、約 110年間で 30倍近くにまで増えたのです。

アメリカ全体でも人口は増えていますが、1900年のアメリカの人口は 7621万人で、現在は 3億2000万人ほどすので、4倍ほどの増加です。

ここから見ますと、カリフォルニアの人口の増加はすさまじいものです。

人間は何よりも水がないと生きていけない生物です。

それに加えて、カリフォルニアは水を大量に使う農業や工場なども多いことなどを考えますと、この現在の状況になることは「かなり以前から予測できていたもの」だと考えられます。

そして、もうひとつの原因は、水不足が起きることは予測できていたであろうに、「大きなダムが 1982年以来建設されていない」のだそう。

こうなりますと、カリフォルニアには、必ずいつかは深刻な水不足がやってきていたということになります。

人口の増加のグラフを見ますと、人口 3000万人を越えた 2000年より以前から対策をとっていれば、こんなひどいことにはならなかったと思われます(今から対策しても多分もう遅いです)。

陰謀論とかではないですけど、何となく「意図的に起こされてしまった水不足」という感じも受けないではないです。

あまり関係ないですが、カリフォルニアでの海岸には、「飢餓に陥って」いる状態のアシカの子どもたちが次々と打ち上げられています。

カリフォルニアに打ち上げられたアシカの子どもの数が1800頭に達する
 2015年03月25日


さて、このカリフォルニアのことを先に書きましたのは、報道の傾向に「南極の最高気温の話」と、やや似た部分があることを感じたからです。

例えば、カリフォルニアの干ばつの報道も、気候変動や地球温暖化などの面が強調されて報道されていますが、降水量のグラフを見る限り、この 100年間でどちらかに向かう「方向や傾向」というものは特にはなく、「雨の多い年があったり、雨の少ない年もあったり」というだけのことです。

確かに今は、世界中で、気候そのものがおかしいことは確かですが、何もかも「気候変動」という言葉に含めてしまうのはどんなものかなと。




南極「最高気温」のカラクリ

数日前の、南極の過去最高気温報道も、例えば、下のような見出しで報じられることもありました。


南極で過去最高気温を観測か 17.5度、温暖化の影響も
日本経済新聞 2015.04.03

南極大陸の半島部分で、南極としては過去最高の可能性がある気温17.5度が観測されていたことが分かった。英紙ガーディアンなどが報じた。

これまでの最高気温は1961年に同じ地点で観測した17.1度とされている。今回の観測気温が正式に確認されれば、地球温暖化の影響を示すとの見方が出そうだ。



「温暖化」という言葉が出てきます。

この最高気温を観測したとされる基地は、エスペランザ基地というアルゼンチンが管理する南極基地ですが、場所は下の位置にあります。

エスペランザ基地の場所
esperanza-base.gif
Esperanza Base, Antarctica

地図でおわかりのように、この基地は、南極点よりアルゼンチンに近い場所にありで、実際、ここは南極圏ではありません

先ほどの日経新聞にも、


エスペランサ基地は南米大陸に向かって突き出た半島の先端部分にあり、南極圏の外に位置することから、同基地の気温を「南極の気温」とみなすのが妥当かどうか議論の余地もあると同紙は伝えている。


とあり、ここは「南極基地」という名の基地ではあるけれど、「南極圏にある基地ではない」ということです。

それを「南極」と言葉で一括りにしてタイトルで見てしまうと、まるで南極の中心点で 17.5度の気温が記録されたかのような錯覚をもたらします。

しかし、その最高気温が記録されたとされる 3月 24日のエスペランザ基地の気温を見てみますと、確かに高い気温が記録されていたことがわかります。

エスペランザ基地の2015年3月24日の気温
esperanza-1.gif
Esperanza Base

ただ、上の気温の推移で少しだけ奇妙に思うのは、唐突に 10度以上も気温が上がっているところです。

気温の推移を見ると、この時期の南極は1日のうちでそんなに大きく気温の変動がないことが多いように感じられます。たとえば、下のような日が多いです。

esperanza-2.gif

もちろん、例外はあるのでしょうけれど、この日、確かにこのあたりで「何かがあった」のかもしれません。

地球ではいろいろなことがあるわけで、たとえば、2012年には、グリーンランドの氷床が4日ですべて溶けてしまったという出来事がありました。

メルトダウンの序章? : 「たった4日間でほぼすべて溶けて消えた」グリーンランドの氷床
 2012年07月26日

グリーンランドの2012年7月8日から7月12日の間の氷床の変化
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・NASA


エスペランザ基地の周辺で 3月24日に何か特殊なことがあったのか、あるいは、通常の気温変化として、17度を記録したのかはわからないですが、報道を見ていると、

「南極全体の気温が少しずつ上がっている」というようなイメージを抱かせる

ものが多く、それは違うということを書いておきたかったのだと思います。

現実には南極は今も普通に寒いです。

たとえば、南極高原中央部のドームAと呼ばれる場所の今日( 4月6日)の気温は下のようになっていました。

南極ドームAの気温
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Weather Underground




南極の海氷面積は過去最大クラス

というより、南極の気温そのものについては、実際にはそんなに大きく変化しているわけではないということも下のグラフを見ると言えそうです。

antarctic-kion.gif
Not A Lot of People Know That


しかし、気温以上に、南極の現在のもうひとつの事実として、

「海氷面積が過去最大レベルで推移し続けている」

ということがあります。

昨年の9月に「南極の海氷面積が記録的なレベルに達し、過去最大面積を更新中」という記事で、南極の海氷面積が記録的なものとなっている報道をご紹介したことがあります。

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▲ 2014年9月14日のオーストラリア ABC ニュースより。


それは現在も継続中で、3月の南極の海氷量は観測史上2番目で、過去最大に近づきました。

sea-ice-03.gif
Not A Lot of People Know That


そんなわけで、気温や天候に関しての報道の場合、どうにも「誘導的な要素」が含まれているものもあるとは感じますので、いろいろな報道を冷静に見る必要があると感じています。もちろん、気温や天気のことだけではなく、すべてのジャンルの報道に言えることだとも思います。

何をどこに導こうとしているのかはともかく、かつてないほど、多くの報道には「方向性がつけられている」ように感じます。あるいは、「報道されないものはされない」ことも多くなっているのかもしれません。

ところで、「水」と関連して、4月6日の毎日新聞の「水危機:アジア太平洋地域…アフリカ下回る水量 水害顕著」という記事の中に、


アジア太平洋地域では、この40年余りに自然災害で約200万人が亡くなっているが、その93%が豪雨や台風、干ばつなど水関連の災害だった。


という下りがありまして、アジア太平洋地域では、「 40年間で自然災害で 200万人が亡くなっている」という事実を知るのでした。

そして、そのほとんどが水関係の災害だそう。

ということは・・・次の 40年間でも、同じように、あるいはそらに多くの同じような事象が起きるということになるのだなあと改めて思った次第でした。



  

2015年04月02日



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casacastruzzo






 

散歩の途中で見かけた冊子

今年2月に長いこと、めまいに見舞われていたのですけれど、これは結構いい機会だったんですね。

それまであまり真剣に調べなかった「めまいというものの本質」を知ることができたり、あるいは、「首」というものの重要性や、「人間本来の生活とはどんなものだったのか」というようなことも考えさせてくれることになりました。

「人間本来の生活」というのは大げさですが、要するに、本来の人間は動く生き物だということで、最近の私は動かなすぎだったということはあります。

東京の西荻窪にいた頃は散歩が好きで、長い時には3時間くらい散歩していました。

西荻窪から吉祥寺のあたりは、「些細なカオス」がいたるところに散らばっていて、毎日散歩しても飽きなかったのですけど、ところが、所沢に越してきてから、どうも散歩をしていなかったのですね。

理由は明白で、「散歩しても見るものがない」のです(苦笑)。

しかし、ちょっとしたキッカケで最近、また散歩を始めています。

それは3月の始め頃、隣の駅にある脳神経外科の先生と話していた時からでした。

めまいの相談に行っているのに、

「毎日、ラジオ体操をして、散歩してみて下さい」

と言われたのです。

それは冗談ではなく、それでめまいが改善した人がいくらでもいると言うのです。それで、ラジオ体操を1日2回始めましたら、数日でめまいが引いていって、それから散歩も少しずつおこなうようになりました。

ちなみに、この脳神経外科の先生から、私は「行動」ということに対して、大変感銘を受けさせていただいた人であり、名医なのかどうかは私にはわからないですが、とても好きな先生のひとりです。

それは、昨年はじめて行った際に、つまり初診の時なんですが、私が診察室に入った時に、その先生は、「よろしくお願いいたします」と言って椅子から立ち上がって、手を前に置いて、深々と私にお辞儀をしたのです。

私は、患者に対して「立ち上がってお辞儀をしたお医者さん」を見たことがありませんでした。多分、初診の患者さんには皆さんにやっているのだと思いますが、これは意識していても、なかなかできるものではないと思います。

その姿を見まして、「お辞儀っていいものだなあ」と再認識しまして、私もお辞儀をする時はきちんとしよう、と、その体験から心がけています。

まあ、そんなわけで、最近は散歩を2日に1度くらいはしているのですが、「何も見るものがない」と思っていた風景も、よく見ればいろいろとあるものです。

今日は、近所に何本かある桜の木を見ようと歩いていました。

もうこのあたりでは、満開を少し過ぎたくらいの感じで、見事な桜の姿があちこちで見られます。

でも、意外と桜の木を眺めている人っていないもので、そんなこともあり、本当はボケーッと突っ立って見続けたいのですが、それもかなわず、「歩いていたら、こんな所に桜が」というような演技をしながら、桜を見て帰ってきたのですが、近所の本屋さんの外の雑誌が並べてあるコーナーがふと目に入りました。

ふだんは、その本屋の棚を見るということはないのですが、何となく目にしたところにあったのは、健康系の冊子でした。『爽快』とか、あっち系の健康雑誌のムックだと思うのですが、『免疫を高めると病気は勝手に治る』というものでした。

別に立ち読みをするでもなく、しかも、そんなに安い本ではないのですが、何となくそのまま買ってしまったのでした。

「なんでオレはこんなもん買ってるんだろ」

と思っていましたが、最近の「健康調べ癖」が影響していたのかもしれません。




「薬をやめなさい」という西洋医学の方向があったのですね

これは、新潟大学名誉教授の安保徹さんという方が監修されていて、日本自律神経免疫治療研究会に所属の医師の方々が執筆されているもので、つまり、完全な「西洋医学の本」なのですが、ちょっと読みますと、この本の主旨は、

「すべての薬をやめること」

の方向で書かれているものだったのです。

いろいろな記事があるのですが、その中に、高木智司さんという神経内科が専門のお医者さんが書かれた、「なぜ、薬は体に悪いのか? マクロファージとアセチルコリンに注目したら、その理由が判明」という記事があり、それを読みまして、はじめて私は、

基本的にすべての薬は人間の自己治癒力を弱めている

ことを知ったのでした。

今回は、その部分を抜粋してご紹介したいと思います。

決してわかりやすい記述ではないのですが、そこには、人間が本来持っている自己免疫力が「薬によって破壊されるシステム」が、書かれています。

これを、簡単に私の言葉で書きますと、

西洋医学の薬の作用は、「症状を出している原因の経路を遮断する」という方向にあり、これは確かに症状に効果はあっても、人間の自己免疫を促すシステムも「遮断」してしまう。

と理解しています。

本当に目からウナギが落ちるような(恐いわ)、いや、目からウサギが落ちるというか(もっと恐いわ)、まあ何が落ちてきてもいいんですが、西洋薬の「原因の遮断」という方向が、「自己免疫能力の遮断」と結びついていたということを知ったことは相当自分の人生に影響を与えそうです。

なお、専門用語がたくさん出てきます。

その中でも、理解しておかないとわかりにくいものを Wikipedia などからの説明で記しておきたいと思います。

アセチルコリン

アセチルコリンは神経伝達物質である。副交感神経や運動神経の末端から放出され、神経刺激を伝える。

抗アセチルコリン薬(抗コリン薬)

アセチルコリンがアセチルコリン受容体に結合するのを阻害する薬物のことである。抗コリン作動薬とも呼ばれる。この抗コリン作用によって副交感神経が抑制される。

この抗アセチルコリン薬が、人間の自己免疫システムの妨害をしているという主旨ですが、抗アセチルコリン薬というのが、どのくらいの薬の範囲にわたっているかといいますと、まず、抗ヒスタミン薬、つまり、

・かぜ薬全般
・花粉症などのアレルギーの諸症状を緩和する薬
・睡眠改善薬
・乗り物酔いの薬


さらに、

・多くの抗うつ剤(三環系抗うつ剤)、
・不安症やパニック障害等に処方される精神安定薬の多く(ベンゾジアゼピン系)
・胃腸鎮痙薬
・抗精神病薬
・パーキンソン病の薬


と、非常に多くの薬が、この抗アセチルコリン薬といえるわけで、これらが「人間の自己免疫能力を低下させる」のだそうです。

簡単にいえば、「かぜを治すためにかぜ薬を飲んでいること自体が、かぜの治りを遅くしている」と言ってもいいのかもしれないのです。

あと、マクロファージも記しておきます。

マクロファージ

マクロファージは白血球の1種。生体内をアメーバ様運動する遊走性の食細胞で、死んだ細胞やその破片、体内に生じた変性物質や侵入した細菌などの異物を捕食して消化し、清掃屋の役割を果たす。とくに、外傷や炎症の際に活発である。また抗原提示細胞でもある。

免疫系の一部を担い、免疫機能の中心的役割を担っている。

本来は、人間の体はこのマクロファージの働きで、ほとんどの病気は「自己免疫で治癒していく」のが、薬によって妨げられているというのです。

つまり、「薬を飲めば飲むほど、人間の免疫能力は落ち、病気は深刻化していく」ということです。

確かに、現在の日本や主要国の現状、つまり、高齢者で薬を服用していない人はほとんどいないというような現状を見ますと、現在の「不健全な高齢化社会」になってしまった理由がわかる気がします。

その高木智司医師の文章の一部を抜粋します。

実際には非常に長いものですが、


私たちの情報伝達システムは生命の存続を基盤に、いっさいの隙なく設計されています。生命の存続に最も重要な自然治癒力は、マクロファージとアセチルコリンという、動物進化を支えた絶対的な力で守られています。


ということを前提にして、後半部分を抜粋してみたいと思います。

太字の部分は、実際に本の中でも強調されていた部分です。




なぜ、薬は体に悪いのか? マクロファージとアセチルコリンに注目したら、その理由が判明 より
高木智司

西洋薬はアセチルコリンの作用を阻害するから治せない

マクロファージとアセチルコリンに注目してわかったのが、現代医学の根本的な矛盾でした。それも単純明快な話です。西洋薬の大部分が、神経伝達によって最終的にアセチルコリンの作用を阻害するから、病気が治らないのです。

しかも、アセチルコリンの働きは実に多様です。細胞膜の重要な成分として膜の機能を調整しているし、脳では体の日内リズムの形成や記憶、感情などを司る働きもしています。

アメリカには、「抗アセチルコリン剤を継続的に服用している高齢者の8割に、軽度の認知障害が認められる」との報告があります。これは、弊害のひとつに過ぎません。抗アセチルコリン剤の常用は老化を促進し、脂肪肝、腎臓の壊死、動脈硬化、脳出血、うつ病、統合失調症、発達障害などの発症リスクを高める事実を知るべきでしょう

そして、さらなる危険をはらんでいるのが、医学の行き詰まりを打開する新薬として注目される、分子標的治療薬です。それも、分子標的薬の多くがマクロファージの働きを阻害する目的で開発されているからです。

その理由は、マクロファージが血管を新生し、炎症やガンの成長を促進し、病状を重くするからだそうですが、それは大いに疑問です。

マクロファージが免疫細胞として処理しているのは、主に老廃物や、古くなった細胞です。炎症は代謝の亢進反応ですから、老廃物がふえますし、ガン細胞も新陳代謝を繰り返しながら成長します。

ですから、マクロファージが集まってくるのは当然ですし、そのマクロファージが血管を作るのも、老廃物や老化したガン細胞の処理能力を高めるためでしょう。

このように、マクロファージが引き起こす反応にはすべて意味があります。しかも、それらはすべて自分の分身、さらにいえば自分自身を守るための反応だからこそ、間違いはありえなかったのです。その大原則を理解してほしいと思います。





ここまでです。

ところで、これを書かれた高木医師は神経内科が専門ですので、他のページの記事に「抗うつ剤」のことについて書いていまして、そこにはこのようにありました。


抗うつ剤は、まだ使われ始めて 20年ほどの歴史しかないため、未解明な点が多い薬です。最も心配なのは、副作用。例えば、未成年では自殺リスクが2倍に高まり、暴力性は平均 8.4倍高まるとされています。自動車事故の危険性が 70%高まるという報告もあります。

薬をやめようとすると、めまいや知覚障害といった、離脱症状が現れるため、薬漬けになる人が少なくありません。さらに問題なのは、抗うつ剤の危険性が、医師にすら十分に認知されていない点です。

近年では、専門外の医師が、深く考えずに抗うつ剤を処方することもあります。



と書かれていましたが、

> 暴力性は平均 8.4倍高まる

これは驚きましたね。

「ほんまかいな」と思い、調べてみましたら、「抗うつ剤が原因の暴力と自殺についてのアメリカ食品医薬品局( FDA )の報告」というタイトルの記事がありました。

fda-Antidepressants.gif
Violence and Suicide Caused by Antidepressants Report to the FDA

今から、11年前にこんな報告があったのですね。

そして、それ以来、さらに爆発的に伸び続けている抗うつ剤市場。

抗うつ剤市場規模の推移
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シーマ・サイエンスジャーナル ai Report2011 抗うつ剤

2004年からだけでも、抗うつ剤の市場規模は倍にはなっています。
何だかもう・・・ダメだなこりゃ。

しかし、私は上の「薬が自己免疫を低下させる」という文章を読んで、本当に腑に落ちた部分があるのです。

私は若い時にパニック障害で、結構な期間、薬を飲んでいました。

それは上にもあるベンゾジアゼピン系といわれるもので、不安神経症やパニック障害の人たちに最も多く処方される「定番」の薬です(私が服用していたのはレキソタンという薬)。

その一覧は、ベンゾジアゼピンの一覧にありますが、多分、この中のどれかを服用した経験のある方は非常に多いと思います。普通の内科でも処方されることも多いです。

これが「抗アセチルコリン薬」だと、今回初めて知ったのですが、確かに薬を服用していた時には、まずはカゼを引きやすい。

そして、原因不明の体調不良が多い、などをたくさん経験しました。
今の年齢で原因不明の体調不良ならわかりますが、その頃はまだ 20代前半ですからね。

そして、30代の前半には、深刻な原因不明の微熱と体調不良に数ヶ月ほど陥ったこともありますが、今思うと、あれも・・・。

もちろん、すべての薬が抗アセチルコリン薬ではないですので、タイトルの「すべての」という表現は間違っていますが、「ほとんど」とは言えると思います。

そして、この高木医師の書いていることは、この本の監修でもある「日本自律神経免疫治療研究会」に所属している医師たちの共通認識だと思われます。

薬漬けは良くないよなあ・・・と、何となくは誰でも思っているわけですけれど、具体的な論拠を知らなかったですので、「それでも薬は効くこともあるし」というようなとらえ方をしていました。

しかし、どんな薬でも、長期的な服用は「必ず悪い方向に行く」ということがわかった気がします。

もちろん、緊急に服用しなければならないような薬はともかく、「薬を飲む機会を減らしていく」ということは大事なことなんだと始めて理論的に知ることができました。