- 太陽から出ている周波数は「人間の DNA を修復する528Hz」だった
- 人間は本来「全員」が、ブッダやイエス・キリスト、あるいは神々のような精神状態を獲得できることを再認識させてくれたアメリカの「直感治療」医師
- オカ氏の異常な愛情 または私は如何にして心配するのをやめて恐怖を愛するようになったか
- ガンから復帰した坂本龍一さんを始めとする賢人たちが表明する「ガンへの感謝」を見て、何でもかんでも感謝してみる試みを実践しようかと
- 善と悪の正体 : それは人間や宇宙の反応と同じ「ペアである一体」であり、善悪どちらの働きも共に相互をサポートする
- 悪憎むなかれ、病気憎むなかれ、地震憎むなかれ ・・・ すべての自然災害は必要だから地球に存在する
- 「私はいかにして病気を愛するようになったか」 : 筋ジストロフィーに対しての米国のリアルバービー女性の超越した肯定的態度と全語録
- なぜ男性は存在するのか? という生物学界の大きな疑問がついに解決 : オスの存在には「種の絶滅を防ぐメカニズム」があることが英国の研究で判明する
- 「肯定的記憶」の役割 : ノーベル賞受賞学者・利根川進 MIT 教授が発表した「幸せな記憶を呼び起こすことがうつ病を好転させる」こと
- 「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録
【人類の覚醒と真実】 の記事一覧
2015年09月10日
太陽と人間の間にある「原則」を知る
今年の春頃、
・すべての「星」が音を作りだしているかもしれない。そして、太陽も常に歌を歌っている。しかしその周波数は 528ヘルツ? それとも?
2015年03月25日
という記事を書いたことがあります。
「 528Hz の周波数」というのは、たとえば、「 5000年前から「ソルフェジオ周波数」を駆使していたかもしれない古代人…」という記事などで書いたことがありますが、特定の周波数には、人に対して、特定の作用があるというようなことが言われています。解釈は様々ですが、一例として、
・ 396 Hz・・・トラウマ・恐怖からの解放
・ 417 Hz・・・変容の促進
・ 528 Hz・・・DNA の修復
・ 741 Hz・・・表現力の向上
・ 852 Hz・・・直感力の覚醒
というようなものがあり、528Hz の周波数には、DNA の修復、すなわち「人の身体を癒やす」力があるということがいわれています。
このことが、どの程度正しいのかどうかは別として、私はこのことを知って以来、 528Hz の音叉を常用していて、今は2つ持っています。
下は私の持っている音叉のうちのひとつです。
・Amazon
それでまあ、最初にリンクした記事では、宇宙の星たちが、それぞれ独自の「音」を放っているということを知ると同時に、太陽も常に「音」、あるいは周波数を出していることを書きました。
太陽の音は、米国スタンフォード大学のソーラーセンターのウェブサイトにあります。
音そのものは、下のリンク先にあります。
https://soundcloud.com/okaindeep/solar-sound-stanford-solar-center
これは、太陽の音そのものを録音したというわけではなく、NASA の太陽観測衛星 SOHO に取り付けられたマイケルソン・ドップラー・イメージャー( MDI )という装置で太陽の表面の音の圧力波を記録し、それをスタンフォード大学の天文学者たちが、振動を再現したものです。
それで、私は、リンクしました記事の中で、
過去記事「…太陽も常に歌を歌っている。しかしその周波数は 528ヘルツ? それとも?」より
上の太陽の音ですが、ミキサーで 528Hz など、いくつかの周波数と太陽の音を重ね合わせてみましたが、太陽の音は 528Hz や 432Hz ではありませんでした。
では、何ヘルツかというと、私は調べる器具を持たないですので、わからないのです。
音楽などされている方で、そういう器具がある方なら調べられるかもしれません。
と書きまして、自分の耳で聴いた分には、太陽の音が人間の DNA を修復するといわれている 528Hz ではないと思ったのですね。
そうしましたら、最近、職業上で「周波数と親しんでいる」と思われる方が、「太陽の周波数は 528Hz 」だと喝破されてらっしゃったのです。
これは、私のお知り合いから「そういうふうに書いているブログがありましたよ」と教えていただき、見てみますと、どうやら、書かれた方は、音叉のプロの方のようなんですが、その Shoko さんという方が書かれた、
・528Hz は「太陽の周波数」…?
という記事に以下のように書かれていたのでした。
「528Hz は「太陽の周波数」…?」より
記事を読むと 太陽の周波数は528Hzではないようだ…と
結論づけられていますし
たしかにページ内の音源をチューナーと聴き比べても
528Hzに近くはあったけど 微妙でした
でもリンクされていたソーラーセンターの音源とチューナーを聴きくらべると
ほぼ528Hz!か 528Hzと協和する周波数だったんです
わたしは職業柄 聴いた音をセント値で聴きわけられます
in Deepさんは、太陽の周波数を528Hzと明言されていませんが…
528Hzは「太陽の周波数」…です!
とのことなんです。
セント値というのは、音程の表示法の単位で、音を非常に細かく単位別にしたもので、それを聞き分けられる方から聞くと、太陽の音は 528Hz ということのようなのです。
これが事実であるとするならば、
地球に住む私たち人間は、「太陽の下にいるだけで、常に DNA が癒やされ続けている」
という、「常に身体が修復されている世界」に住んでいるというようなことにもなるのかもしれません。
そういえば、上のブログの方は、
それにしても 先人たちは
どうして528Hzが 太陽の周波数とわかったのかしら?
と書かれていましたが、これは、人間のいる地球の「原則」なのだと思います。
法理といってもいいのかもしれないですが、人間のいるところには、常に 528Hz の周波数に満ちていて、光があり、植物があるという原則。
夏頃に書きました、
・植物が「緑色」であり続ける理由がわかった! そして人間の生活システムの完成は「植物との完全な共生」にあるのかもしれないことも
2015年07月06日
という記事では、いろいろと書きましたけれど、最終的には、「植物が緑である理由は」は、基本的には「人間のいる地球の原則」だということに翻然と気づいたのでした。
多くの植物は、太陽の光で生きているわけで、植物に関しては、太陽の存在が、明確に「命」と直結しているのですが、私たち人間も同じかもしれないと思うようになりました。
私たち人間も、太陽の「光」と「 528Hz の周波数」で支配されて生きていると。
そういう意味では、人間と植物はやはり同じだと。
支配されているというのは、いい表現ではないかもしれなないですが、DNA というのか、命というのか、そんなものを太陽が握っているというような気がします。
そして、古代から、日食はむしろ「不吉なもの」とされていた理由も、たとえば、皆既日食などの場合、「皆既日食が起きた瞬間、地球に届く 528Hz の周波数が途切れる」というようなこともあるのかなあと。
いずれにしても、昼の地球は太陽が牛耳り、夜の地球は月が牛耳る。
太陽と月とどちらが人間に健やかに作用するかを考えますと、なるべく太陽が出ている時に生活することは正しそうで、つまり、早寝早起きは正しいですね。
というわけで、今回の件で、早寝早起きの重要性を再確認した次第でした(そんな結論かよ)。
しかし、本当にずいぶんと太陽を見ていないですね。
いつまで雨の日が続くのでしょう(150日間 )。
いずれにしても、太陽の周波数を 528Hz と確認していただいた Shoko さんに感謝いたします。
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人類の覚醒と真実
2015年08月21日
医者の役目とは
最近は、病気やガンについて、「治療に対しては、自立する態度が重要」というようなことで、
・自立した人生(3): 無視され続けたガンの自然退縮に見る「病気を治せるのは自分だけ」という真実と「言葉の重要性」
2015年08月07日
・オカ氏の異常な愛情 または私は如何にして心配するのをやめて恐怖を愛するようになったか
2015年08月08日
などで、ガンの自然退縮について、『幸せはガンがくれた』などの本や、いくつかの例などで書いてみたり、
病気に感謝する
という概念について記したりしました。
その他の記事もそうですが、私がいろいろと読んだり、書いていたことは、「患者が自分自身で自分を治していく」ことについてのものだったのですが、アメリカのエポック・タイムズにあった冒頭の記事を読んでいて、目からウルグアイが落ちてくるような(落ちてくるものが巨大化してるぞ)、そのような感覚を得たのでありました。
冒頭のクランツというアメリカ人医師は、自分のコロラド大学医学部での医療経験の中で、「医学的に説明のつかない奇跡的な回復を見せる患者たち」をたくさん見ているうちに、今までの自分の西洋医学の方法に疑問を感じ始め、そして、ついに「直感」を診断と、治療の選択に使うようになったのでした。
そして、何に私が気づかされたかといいますと、私はこれまで、「病気は自分で治すもの」ということだけを考えていて、それはおおむね間違っていないと思うのですが、
「その力を促す能力を医師も持つべきだ」
ということをこの医師は述べているのですね。
つまり、医者の役割は「患者が、精神的気づきと内面の平静さの獲得するための良きガイド」であるというようなことを言いたいのではないかと思ったのです。
人間は誰でも神の智恵に近づくことができる
クランツ博士は、記事の中で、
「老子、孔子、ブッダ、イエスのような、過去の医大な思想家であり精神的ガイドたちが示唆した精神の状態に到達することは、誰にでも可能なのです」
と言っていて、つまり、誰であろうと、ブッダやイエス・キリストが到達した精神的内部状態に「なることができる」と考えているようです。
これに関しては、たとえば、『幸せはガンがくれた』に出てくるガンの自然退縮の人たちの中にも、明らかな「悟り」を得ている人たちがいることを見てもわかります。
ちなみに、悟りの基本とは「立派になる」ことなんかじゃなく、
「生きていることを幸せだと心から思える」
「すべてのものに感謝する心を持てる」
「他人と生きるものすべての幸せを願うことができる」
という状態になることだと私は思っています。
この中でも、特に、「他人の幸せを心から願う」ことが悟りの最も重要な部分だと思っています。
実際、お釈迦様も以下のようなことを言っていたようです。
たとえば、『幸せはガンがくれた』に出てきた、ガンの自然退縮者の片山紀子さんという方の心境など、悟り以外のなにものでもないです。
『幸せはガンがくれた』 片山紀子さんの話より
「今の私は、ボケッとして、のんびりして、自分の、一本一本の手足を、確実に自分のものにして……こうやって、なんにもしないで、ひととき、ひとときをじっくり楽しみながら……もう私はガンになったのだから、こうあるべきとか、こうしなければとか、もうそういう考え方しなくてもいいのよって」
「今はなんか、やっぱりみんな幸せでいてもらいたいと、なんでもいいから幸せでいてもらいたいと、それはすごく思います」
この片山さんは、お釈迦様が言う「世の中で一番成熟した人」に、「病気になったおかげで」なることができたことがわかります。このように、誰であろうと「最も成熟した人間(境地に達した人間)」になることは、決して難しいことではないはずです。
ただし、クランツ博士は、
「しかし、現代の人々はそこに到達できるということを知らない」
というように言ってもいて、
あらゆる人間は、お釈迦様やイエス・キリストなどと同じ内部状態になることができることを、「私たちは知らない」
としています。
私は、このことが、人類の歴史の中で「隠され続けてきた」最大のことのひとつだと思っています。
人類は誰でも、基本的に神々と同等の存在になることができる、すぐれた可能性を持っていることを私たちは常に「教えられてこなかった」という経緯があり、それは今でも進行していますが、しかし、これからは(時間はかかっても)きっと変わっていくと思っています。
ところで、このクランツ博士は、治療に「直感を使う」として、「直感」という言葉を使っていますが、この「直感」という言葉は、少し前の、
・科学と「心」を一体化させる取り組みは「すべてを示すことのできる未来の科学」への新しいコペルニクス的大転換を導くか
2015年07月30日
の中で、ウィリアム・H・カウツ博士という科学者による「直感と科学の融合」について、ご紹介したことがありました。
その記事で言う「直感」とは下のようなものです。
「直感とは何か? それは、人が直接的に知見を得るためにある人間の能力です。その場合、通常の意味での合理性や感覚、あるいは記憶を使わずに得るのです」
しかし、やはり、先の賢人もおおい考えて考えて辿りついたと思われる「正しい内部状態」を獲得していない状態での「直感」より、ある程度正しい内部状態を獲得した「直感」の方がいいとは思います。
そして、そのためには、ある程度、訓練というか、日々のいろいろなことは必要だと思います。
瞑想の重要性にようやく気づきまして
正しい内部状態の獲得の方法のひとつは、今回の記事の医師も言っていますが、基本的に「瞑想」のようです。
実は、私は、つい先日、来日していた中国の有名な気功師の方(母親の知り合いなので会えたのですが)から、「毎日の瞑想」を強く勧められました。
その方によれば、私の内部状態として、非常に希有な見識を持っているのに、内部状態を自分でコントロールできていないから、健康も心身状態もバラバラになっているそうで、自分のことを自身で支配することができれば、内部統制が生まれて、非常に良い状態になるはずだ・・・というようなことを言われたのですね。
さらに、
「あなたは、人生において、師や先生を絶対に作らない人のようだから、自分ひとりでやるしかない」
とも言われました。
まったく、その通りで、自分に対しての師とか先生などは、今までもないし、今後の人生でも絶対にないほど私は「先生」という存在も言葉も嫌いなのです。なので、何でも自分で考えてやるしかないのですね。
瞑想の方法は特に、形でどうのこうのではなく、リラックスできる姿勢でおこなえば良いそうなんですが、
「よく言われるような無念無想なんて無理だと思うのですが」
と私が言うと、
「そんなふうになる必要なんてないです。次々とイメージが出てきたなら、そのままにしておけばいい。これはたとえば、パソコンで不要なファイルをゴミ箱に捨てるような、内部の清掃みたいなものだから、とにかく、出てくるイメージや感情はすべてそのままにしておく」
ということで良いのだそうです。
まあ、もちろん、瞑想の方法や考え方はいろいろとあるでしょうから、各自のご存じの方法でいいのだと思いますが、少しずつでも、生活に瞑想を取り入れることは、自立した人生を歩む上で悪くはないと思います。
そういえば、セルビアの予言者、ミタール・タラビッチも「人は瞑想すると神の知恵に近付いていく」と言っていたことを思い出しました。(過去記事)
ただ、どのような「内部状態」が理想かということに関しては曖昧で、その参考までに、過去記事、
・人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
2014年05月12日
の中に、ルドルフ・シュタイナーが、『いかにして高次の世界を認識するか』に記した、いくつかの項目が、もしかすると、何かの意味を持つかもしれませんので、記しておきます。
神秘学の学徒になるための条件
第一の条件
「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」
第二の条件
「自分自身を生命全体の一部分と感じること」
第三の条件
「私の行動だけではなく、私の思考と感情も、同様に世界に対して重要な意味をもっている」と考えることができる境地にまで上昇しなくてはならない。
第四の条件
「人間の真の本質は外見にではなく、内面にある」
第五の条件
「一度自分で決めたことは、確固とした態度で守り通す」
第六の条件
「自分に与えられるすべてのものに対する感謝の感情を育てる」
第七の条件
「つねにこれらの条件が求められるとおりに、人生を理解する」
十二弁の蓮華の育成のための「六つの条件」
第一の条件
「自分自身の思考の流れを支配すること」
第二の条件
「思考の場合とまったく同じような首尾一貫性を、行為においても保持すること」
第三の条件
「粘り強さの育成」
第四の条件
「人間や、ほかの存在や、さまざまな事実に対する寛大な態度(寛容さ)」
第五の条件
「人生のさまざまな現象に対するとらわれない態度」
第六の条件
「ある種の人生の均衡状態(平静さ)を捕獲すること」
こうやって読み直していますと、
「自分に与えられるすべてのものに対する感謝の感情を育てる」
とか、
「ある種の人生の平静さを捕獲すること」
など、シュタイナーが述べていたことは、病気の自己治癒とも関係した概念であることに気づきます。また、ここにある「内的な静寂」が病気の奇跡的な回復と関係していることも、今回の記事に出ています。
「病気の治療の考え方」というのは、独立した概念ではなく、すべての生き方の中に通じている共通の考え方であるのかもしれません。すべては同じ考えを貫いて生きていくということでいいのかもしれないですね。
それでは、エポック・タイムズの記事をご紹介します。
Doctor Talks ‘Miracle’ Recoveries, Using Intuition
Epoch Times 2015.08.14
直感を使っての「奇蹟」の回復を医師が語る
医学博士ラリー・クランツ氏( Larry Krantz )は、過去、多くの難病の患者たちが「医学的に説明のつかない」回復を示したことを見続けてきた。
例えば、転移性のガンを持っていたクランツ博士のある女性患者について、博士は、その患者は、ずいぶん以前に亡くなっているだろうと思っていた。
その女性患者に対して、クランツ博士はひとりの腫瘍専門の治療医を紹介し、その医師のもとで治療を受けることを勧めたが、彼女はその治療を拒否し、治療を受けないことを決めたのだった。
そのこともあり、博士は、彼女の余命はさほど長くないと考えていた。
しかし、数年後の今でも彼女は元気なままなのだ。
「このような、私たち医師からすれば、心底驚かされるようなケースを、すべての医師たちが経験したことがあると思います。その患者の人々は、医学的に説明がつかないにも関わらず、状態が良くなっていくのです。そのすべての回復の事例は、医学的に説明がまったくつかないものであり、驚くべきことです」と、クランツ博士は述べる。
博士は、それらの多くの例を見ている中で、明るく、肯定的で、前向きのな態度を持つ患者たちの方が、否定的な態度を示す患者たちより優れた回復傾向があることに気づいたという。
この数年間の数々の研究は、ストレスが身体に害を与えることを示している。
博士は、同様の「何か」がそこで働いていると言う。
また、博士は最近、「内的な静寂」が、患者を回復させると信じている。
これらはまた、医師たちが自分の患者を、より支援する方法を理解するのに役立つことがある。
なぜ、医師は患者の内的な平和を見出し、そして直感の智恵に耳を傾けなければならないかということを、クランツ博士は患者たちとの長い時間の中で気づき始めていた。
そして、博士は徐々に、自分の気づいた考えがほぼ確実であることに気づき、博士は、自分の直感の智恵を信じることを学んだのだ。
博士はそれまで、患者の症状を、目に見える事実に基づいての判断と治療をおこなっていたが、博士には、いつも「何か違う」という感覚がつきまとっていた。
そして、博士は徐々に自分の心を変化させていき、それまでの考え方を消し、博士は直感に耳を傾けるようにした。
そうすると、目に見えるものだけで行っていた診断や治療と非常に異なった診断や治療が出現し、そして、それらの診断と治療は、いつも正しいものだった。
「私は、私たちの持つ直感を医療訓練と知性の組合せによる医療ツールとして使うことに意味があると考えています」と、クランツ博士は語る。
博士は、未来の医療へと導く可能性を持つものとして、過去の英知を振り返る。
「老子、孔子、ブッダ、イエスのような、過去の医大な思想家であり精神的な案内人たちが示唆した精神の状態に到達することは、誰にでも可能なのです。しかし、現代の人々は、皆がそこに到達できるということを知らないのです」
博士は、過去の智恵が示した「内部状態」を獲得することが、患者と医師を助けると述べる。
クランツ博士は、自己実現についての著名な心理学者アブラハム・マズロー( Abraham Maslow )氏の同様のアイデアを参照している。
この考え方によると、人は、外の世界の衝突や要求により、方向を見失ってしまっているが、外部世界ではなく、「内部」に焦点を当てることの重要性を指摘する。
古代中国では、医師と人々が社会を通して瞑想を行うことは一般的だった。
中国の医学博士には、現在でも、診断や治療を直感を使用して素晴らしい成果を上げている人たちがいると言われている。これらの能力は、彼らが内側を成長させることによっての結果としての能力だと考えられている。
クランツ博士は、自分が経験したことを本に記すことを決意するまで、コロラド大学医学部の医師であり、臨床助教授だった。
博士が書いた本のタイトルは『奇妙な奇蹟( Strange Miracles )』だ。
博士は「医師たちが正常の域を超えた能力を引き出すことができ、それにより奇跡的な治癒をもたらすことができる世界」に生きることはどんな感じなのだろうと想像する。
博士は著書に、
「ひとりの医師として、私は、人類が進化し、隠された能力の領域を見出した時のことを思って、しばしば感嘆する」
と記している。
「かつてはそんなことは不可能だと思われたが、今はそれが実現に向かっているのだ。私は、もはや、ものごとに”可能・不可能”という区別をつけないだろう」
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人類の覚醒と真実
2015年08月08日
感謝するという意識の真意は「すべてと一体化するため」の実践方法であることに気づいた日
今回のタイトルは、1964年のアメリカ映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のパクりですが、私が最も好きな娯楽映画のタイトルをつけたくなるほど感動的な「必然」がありました。
ところで、昨日の記事、
2015年08月07日
の中で、『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という本の内容のご紹介で、誤解されかねない流れがあったので、少し書いておきたいと思いますが、その中で、1985年に医学誌『ランセット』に発表された、ロンドン王立大学病院の医師たちによる論文で、下のような心理的傾向グループごとの 13年生存率の違いを記しました。
1. ガンへの闘争心を持ち続けた人たち(生存率約 80 %)
2. ガンであることを否定する人たち (生存率約 50 %)
3. ガンを消極的に受け入れた人たち (生存率約 30 %)
4. 無力・絶望に陥ってしまった人たち(生存率約 20 %)
この中の「最も生存率が高かったグループ」の説明の中に、グラフでは「闘争心」とあるので、そのままにしたのですが、「闘争心」だけでは、どうも「ガンを敵にする」というイメージがありまして、少なくとも、この『幸せはガンがくれた』という本の全体的な主旨とは大きく違うものですので、「ガンの際に、闘争心を持つことが良い」と伝わってしまったのでしたら、それは本意ではないことを記しておきたいと思います。
ガンは敵でも憎むものでもないです。
そして、この本の主旨は、
「ガンになった人が、ガンになったことを愛するようになった軌跡」
の例が多く書かれている本だと思っていただければいいのではないかと思います。
そして、読み進めるにつれて、この中に出てくる、ある女性の「体験」に、私は、頭を 50キロのハンマーで殴られたような衝撃を(死ぬわ)、まあ、死なない程度のハンマーで殴られたような衝撃を受けたのでした。
そして、そこから私は、コンクリートブロック 10個をロープで巻きつけられ、東京湾に投げ捨てられたかのような(死ぬわ)、まあ、とにかく、大変な「意識革命」を自分にもたらすことができるかもしれない目覚めの「淵」にいるかもしれないことを感じるようになることができたのです。
そのことを少し記したいと思います。
絶対的な「感謝」の心
この『幸せはガンがくれた』には感動的な記述が多いのですが、特に、最終章の「12章 ガンからの贈り物 − 料理教室の人たち」という章の感動度は相当なもので、そこを読むことだけでも価値があるかもしれません。
ガンを憎むとか愛するとか、そういう地平を飛び越えて、「ガンになったからこそ今の自分の幸せが掴めた」というような、ガンが治った後もなお、「ずっとガンに感謝し続けている人たち」がたくさん登場します。
「料理教室の人たち」の料理教室とは、東京世田谷にある「あなたと健康社」というところの料理教室で、調べますと、今でもありまして、戦後から自然食、玄米食などを推進してきた東城百合子さんという方が母体となっている料理教室のようです。
今はどうなのだかわからないですが、本の中では、この料理教室には、ガンなどの病気になった人たちが、食事改善のためにやって来るそうです。
東城百合子さんという方は、Google などで調べてみると、大変に高名な方のようです。
東城百合子さん(90歳)
そして、『幸せはガンがくれた』の中では、著者が料理教室に集っている中で、ガンが自然退縮した人たちに取材をするのですが、その中のひとりの方の言葉のあるフレーズに、私は驚いたのです。
それは、
「ガンの苦痛に感謝するようになるまで」
が語られているのでした。
その方は、沢本三枝子さんという、取材時 49歳の方で、その 15年前に、子宮ガンと診断され、その後、ガンを自然退縮させた方でした。
沢本さんは栄養士だったのですが、自らの経験から既存の栄養学に疑問を持っていたことと、「病気は医者が治すものではない」という信念を持っていたせいで、西洋医学の医療は最初から一切受けず、食事を玄米食に変えるなどをしたけれども、ガンは悪化するばかりでした。
そして、痛みは極限に達します。
沢本さんの言い方では、その痛さは、
「もう、ものすごい痛みでね、立っていられないくらいなの。猛烈な、生半可じゃない。買物に行くでしょ、買物かごを持っていても、痛みで落としてしまって、そのまま人の声が耳に入らないぐらいの痛さだった。でもね、ここで寝込んだら私は駄目になると思ったのよ」
というほどのものでしたが、おそらくは、ガンはかなり進行・悪化していたのかもしれません。
そんな日々を送っていた時に、沢本さんは、一人の肺ガンの患者と出会います。
その肺ガンの人は、病院から余命1年と宣告されたそうですが、その時に「治療に大事なのは心だ」とふいに思い、手術の前日に病院を脱出し、その後6年間、何事もなく生きているという人だそうですが、その肺ガンの人が、沢本さんに言った言葉によって彼女は変わることができたのです。
そして、私もまた、その言葉によって「変わることができるかもしれない」と今思っているのです。
ここからが抜粋です。
「幸せはガンがくれた」 12章 ガンからの贈り物 - 料理教室の人たち より
「その人が言うのよ。痛くてしょうがない時には、すべて受け入れるんだって。自分にすべて受けることだって言うの。『どう受けるのか分からないよ、こんな痛み。もうなんとかしてほしい』って言ったらね、『自分もものすごく苦しかった。だけど受けたよ、全部ね』って」
「それでも私は分からない。そしたら、『とにかく痛みがきた時は、ああ、ありがとう、と言うことだよ』って言うのよ。私は分からなくてね、この痛み、コンチクショウ、コンチクショウと思ってたからね。闘って、やっつけてやろうと」
「でも、ある日ね、その人の、増田さんっていうんだけど、増田さんの言葉を何回も何回も自分に言い聞かせていた時に思ったのよ。闘うのやめてみようって。やめて、負けるんだったら負けてもいいのかなあって。よーし、今この一時をね、感謝をもって痛みを受ければいいって思った」
「もちろんいろんな手当てはやりながらだけど、神様ありがとうって。私、別に宗教はないんだけど、この痛みは、きっと私を育てるためにくれたんだと。増田さんは、そのこと教えてくれたんだって分かったの。徐々によ、最初からいっぺんにじゃなくて」
「それから、変な言い方だけど、陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった。痛みが気持ちいいんだって、自分に言ってたの。そうしたら、ちょっと言葉で表せないくらいなんだけど、痛みが、単なる痛みじゃなくなったの。通りいっぺんじゃないのよ」
「どう言っていいんだか分からないけど、ともかく違うのよ、痛みが。だから徐々に徐々にね。あっ、今日も来たよ、ありがとう、ありがとうって。本当に心からね、それが思えた日に、スパッと抜けた、痛みが。本当に、見事に、スパッと抜けたのよ。その間がすごく長かったですけどね、やっぱり」
痛みを忘れて、すでに7年ほどになるという。
そして4年前、人間ドックで精密な検査を受けた。結果は、異常なし、であった。
ここまでです。
この中の
「闘うのやめてみようって。負けるんだったら負けてもいいのかなあって」
という言葉。
これが、私の中にスーッと入ってきて、涙が出そうになったのでした。
さらには、
「(痛みを)陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった」
というフレーズも、また、私が「具体的な表現として求めていた」ものなのです。
こういうような、たとえば、「苦痛に感謝する」というのは、文字で書くのは簡単です。
あるいは、私のように、不安神経症だったり、様々な恐怖症だったりするものなら、
「恐怖に感謝する」
「不安に感謝する」
とか、どんなことでもいいのですが、文字でだけで書くのなら簡単ですが、私の中に、感謝する対象に「苦痛」というのはなかったので、苦痛とどう付き合うかでわからなくなり始めていました。
それが、その沢本さんの言葉で翻然と悟ったわけです。
そういう意味では、この沢本さんは救世主みたいなもんですが、多くの人にとって、この言葉は救世主的な言葉として響くのではないでしょうか。
もちろん、このことを知ったからといって、実行することは、そう簡単なことではないし、沢本さんも、「だから徐々に徐々にね」と言っていますが、実際には、かなりの時間がかかったと思います。
しかし、釈迦やイエス・キリストでもない沢本さん、つまり、私たち同様の普通の人が、このような激しい悟りを得たという「事実」は勇気づけられる材料とはなりはしないでしょうか。
ところで、後に沢本さんは「なぜ自分はガンになったのか」を考えるうちに、自分の性格にその原因があることを自分で突き止めます。きまじめすぎる性格などがそうですが、そういう「性格」や「気質」、沢本さんは「心」と言っていますが、そういうところまで変えないと、病気は治せないもののようです。
気質や性格が変わることに時間がかかるのは当たり前ですので、沢本さんもずいぶんと時間がかかったと思われます。しかし、結果として、
「痛みに感謝する」
ところから始まり、結局、ガンは沢本さんの性格までを変え、そして、ガンになった後は、それまでギクシャクしていた家庭も旦那さんの性格も変わり、何もかも幸せになったらしいです。
つまり、この本に書かれてあるのは、
「ガンが自然に治ってめでたい」
という話ではなく、
「ガンになったおかげで、私は幸せに生きる方法を見つけた(ガンになっていなかったら、不幸なままだった)」
という、ものすごく積極的な人生を体験した人たちの証言集なんです。
で、そのような本の中にあった「痛みに感謝する」という模索は、私自身の今模索している生き方と非常にリンクすることに気づいて、まったく、もう本当に今、この本に感謝しています。
「恐怖に感謝する」
「不安に感謝する」
という考え方は、実際、私の中になかったのですよ。
「克服する」とか、神経症治療の森田正馬さんの提唱した(不安や恐怖に対しての)「あるがまま」ということばかりで。
もっと積極的な、「それに感謝する」という考えはなかった。
考えてみれば、不安も恐怖も自分の心の中で作りだしているものなのですから、「不安も恐怖も自分そのもの」だということを考えると、不安や恐怖や痛みに感謝することは不思議でも何でもないということもいえそうです。
それに、実際、私は、自分が持つ過度な「不安」と過度な「恐怖」こそが、自分をさまざまな創作に駆り立ててきたことも事実ですし、このようなブログの出発点も、まさに不安と恐怖そのものです。なので、本当の意味でも感謝しなければならない存在であることは知ってはいましたけれど、その「感謝」を形にしなければならない、ということをはっきりと教えられた感じです。
いずれにしても、この沢本さんの言葉・・・というより、この言葉が出ていたこの『幸せはガンがくれた』の著者の川竹文夫さんに感謝したいです。
もちろん、「破壊のための自分戦争」は、そっちはそっちで推し進めなければならないですが。
そして、ここに至って気づいたことは、感謝するという思想の本当の意味は「すべてと一体化する」ための実践方法のひとつだということでした。この意味は、つまりは、「感謝」と「この世の正体の把握」には密接な関係があるというようなことだと思うに至ったのです。
しかし、このことについては長くなりそうですので、別の時に書いてみたいと思います。
実はこの「苦痛に感謝する」という「現実的な輪郭」については、少し前の記事、
2015年07月29日
の「リアルバービー人形」アンバー・グスマンさんの、一種狂気とも思える「自分の肉体が萎縮していくすることに感謝して陶酔する」という概念に直面した時にも何かを感じたのです。
しかし、今回はっきりとそれが見えてきたというのか。
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苦痛もまた必要だから起きている
考えてみれば、西洋医学が「苦痛(症状)だけ消せば、病気自体は治らなくても、それでいい」というものになってしまったのは、その根底に、今の私たち人間社会が、
「苦痛はとにかく悪いもの」と考えている
ことと、それに加えて、
「この世に偶然はなく、起きることはすべて必然」
という摂理を忘れているからかもしれないとは思います。
実際には、苦痛は多くの場合(おそらくは全部)、体の回復を示しているもので、悪いものではありません。
「起きることは全部が必然」というのは、たとえば、先ほどの料理教室の章に出てくる別の女性のお言葉に下のようなものがありました。冒頭に「先生」とあるのは、東城百合子さんのことです。
『幸せはガンがくれた』より
「先生がおっしゃった言葉で、私にとって決定的だったのは、偶然ということはあり得ない。全部必然だって、必然で世の中すべて動いているというふうにおっしゃったのです」
「私はそれまで、できたら、ガンになったのは偶然、たまたまだったんだと思いたかったわけです。でも先生は、必然だとおっしゃる。ということは、必然ということは、私にとって、ガンはすごく必要で起きたことだったのです」
「そう思った時に、やっぱり病気の捉え方が百八十度転換しました。必然で起きたことならば、ここから、私は何かを学べということなんだなって」
ちなみに、この女性もまた、ガンになった原因に「自分の性質」があることに気づきます。
というのも、この女性は、ガンになる前からずっと、添加物の入った食品は避けて、肉は一切食べず、当然、タバコも吸わない、という「健康に徹底的に気をつかった生活」をするような真面目な人でした。
なので、ご自分がガンになった時、「なぜ私が?」と思ったそうですが、そのガチガチに凝り固まった生き方に問題があったと気づくのです。
どんな健康法も「思い詰めたように」行うと、むしろストレスになって良くない面はありそうです。安保徹さんも著作の中で、徹底した自然食の実践者やマクロビオティックの人たちが次々とガンになっていくことを書いていましたし、先日の記事の坂本龍一さんも、マクロビオティックの実践者であり、過去にはヴィーガン(完全菜食主義)だったこともあったそうです。
良い食事=健康、というだけのことではないようです。
話が逸れましたが、この料理教室にいる安永和代さんという方の話の内容は、あまりにも何もかも良い方に転がってしまって、何もいえなくなるほどです。
この方の場合は、旦那さんが工場を経営していたのですが、経営もままならず、夫婦関係もギスギスし、いつも家族はイライラしていて、ついに旦那さんはガンになってしまい、工場も手放すはめになります。
普通の想定下ですと、「不幸への転落の図式そのもの」ですが、その後のこのご夫婦は・・・。
『幸せはガンがくれた』より
「私、あの時、主人が病気して本当によかったと思いました。ああ、これで、生まれ変われるって。だから今はね、私、主人を子育てしている気持ちでいるんですよ」
「だから絶えずこう、スキンシップして。勤めに出る時もですね、私、毎日玄関に出ていって『肇さん、行ってらっしゃい』って、こうするんですよ、こう、ね」
恋人が、ひしと抱き合うように、和代さんは、毎朝の儀式を再現してみせる。
「『肇さん、行ってらっしゃい』と言うと、この人、『うん』としか言わない。『うん、じゃないでしょう』と私が言うと、『和代、ありがとう』って、そして出ていくんですよ。本当に幸せですよ。病気する前だったら、「うるさい」って叱られますよ」
「夜、帰ってくる時は、バス停で待ち合わせて、横浜からずっと歩いて帰るのです。手をつないで、夜空を見ながら。そうしますと、ご近所の人が、『あ、安永さん、本当に手つないで歩いてる』なんて」
「主人は『俺の人生、ずいぶんと変わった』って言うから、『よかったじゃないの、よかったよかった』って、ずっと手をつないでね」
ここまでです。
まあ・・・何歳のご夫婦か知らないですが( 50歳くらいのようです)、ここまで、のろけられると「ああ、そうですか!」と言い放ちたくもなりますが、このように、ガンになったからこそ幸せを得られた人ばかりの描写を見ていますと、ガンになる、ということは「悪い方の必然ではなく、良い方の必然」なのかもしれないとさえ思えてきます。
同じ本からの抜粋だらけになってしまいましたが、「病気」というものが、実は人間生活にとって「非常に積極的な存在」であるかもしれないということを知ることができたと同時に、今回知り得た「苦痛に感謝する」という概念は、自分自身をも変えることができるかもしれないという希望に結びつきます。
この「痛みへの感謝」のことを語っていた沢本さんは、以下のようなことも言っていました。
「変われるのよ、人は。変わろうと思えばね、変われる」
なんというか・・・今回の記事を読まれた方は・・・というと僭越ですが、つまり、沢本さんの言葉を実践しようと思えるのなら、読まれたすべての方が、ガンになっても治るでしょうし(どんな治療法を選択しても)、そもそも大きな病気にはならないのではないかとさえ思えます。
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人類の覚醒と真実
2015年08月04日
日本のガン死亡率の推移と抗ガン剤イレッサの投与数の推移
・イレッサ販売金額の推移、知っておきたいがんの知識
さりげなくガンから復帰していた坂本龍一さんを見て
最近、ガンに関係する記事が多く、前回の記事なども、読み返してみると何の話かよくわからないですけれど、まあ、ガンの話から始まっていました。
音楽家の坂本龍一さんが、中咽頭ガンで休業したのは昨年7月のことでしたでしょうか。
坂本龍一さんは、ここ 20年くらいの音楽活動はあまり知らないのですが、私が高校生の時に、その後の私自身の音楽観に大きな影響を与えた人物であるだけに、元気に乗り切ってほしいと思っていました。
そうしましたら、昨日、
咽頭がんの坂本龍一「万が一にも疑いもしなかった」
日刊スポーツ 2015.08.03
中咽頭がんを患い療養中の音楽家坂本龍一(63)が、映画「母と暮せば」(山田洋次監督、12月12日公開)の音楽を担当し活動を再開するにあたって、現在の心境を明かした。
という報道がありました。
どうやら、ずいぶんと良くなったか、あるいは、かなり治ってきてらっしゃるようです。
フェイスブックに投稿された写真を見ても、お元気に見えます。
極端なやせ方もしていないようです。
・坂本龍一 FaceBook
どのような治療をしていたのかは明らかにされていませんが、坂本さんは確かアメリカのニューヨークに住んでらっしゃると思いましたので、それもよかったのかもしれません。
アメリカは日本とは違い、三大療法から代替医療へとシフトし始めて以来、毎年 3000人くらいずつ、ガン死亡者が減り続けています。
・アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…
2015年05月29日
という記事で取り上げたことがありましたが、現在のアメリカでは、ガン患者のほぼ全員( 97%)が、三大療法(手術・抗ガン剤・放射線治療)「以外」の代替療法を試みていて、効果も大きく出ているようです。
アメリカでおこなわれている主な代替医療は、
・マッサージ療法
・バイオフィードバック(体内活動の状態を測定し、その情報を音や形などで示す)
・催眠療法
・イメージ療法(患者の想像力を使った療法)
・クリスタル療法(パワーストーンを使った療法)
・キレーション療法(キレート剤を点滴して行う解毒治療)
・マグネット療法(磁気療法?)
・サプリメント利用
・音楽療法
・瞑想、ヨガ
などで、また、アメリカでは、ガンになった人たちに納豆などの日本食や、菜食への「食生活の転換」がさかんにすすめられています。
アメリカ以外でも、たとえば、カナダでは、
・ガン患者の 22%に対して何の治療もしない(無治療がもっともガンが治りやすいことが、カナダの研究でわかったため)
・抗ガン剤治療は、全体の 5%のみ
というようになっていて、カナダでは、三大療法は次第に消滅していく方向にあるようにも見えます。
欧米の医学界が、三大療法からどんどん離れていっているわけですが、しかし、これでは、製薬会社等も大変になってしまうわけで、それで今は「アジア」がターゲットになっているのかもしれません。
その中でも、日本人は特に薬が大好きですから、とても大きなマーケットになっています。
たとえば、冒頭にグラフを載せた抗ガン剤イレッサの売り上げを見ますと「日本が最大のマーケット」であることは明白で、全世界の半分から半分以上のシェアを示します。下の数字を見る限り、日本という国は、驚異的な抗ガン剤の売り上げがある国であることは事実のようです。
イレッサの日本と全世界の売り上げ比率(単位:億円)
・イレッサ販売金額の推移
そして、冒頭のグラフが示しますように、抗ガン剤の投与数が上がれば上がるほど、ガンでの死亡者数は増えているという図式もまた明らかであることもおわかりかと思います。
「感謝」の概念
それはともかくとして、上の坂本龍一さんの復帰の記事で、とても印象に残る言葉を坂本さんが言っていたのですね。
「陳腐に聞こえるかもしれませんが、病気は天=自然から与えられた気づきへの徴だと思い、感謝しています」
安保徹さんの「ガンに感謝する人ほどガンが自然退縮してゆく」という主張がふと思い起こされます。
・自立した人生(1) - 薬と病院と介護から脱却して、「ガンを自然治癒できる力」を持たないと未来を生きることはできない
2015年07月24日
という記事では、全身ガンだった樹木希林さんが、いつの間にやらガンを治癒していたことにふれましたが、樹木希林さんも、
「ガンは有難い病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから」
というように、ガンとの共存の中で、ガンへの感謝の言葉も多かったようです。
ふと、Google で「ガン 感謝」で検索してみましたら、いくつか興味深いものが出てきます。
検索されたものからいくつか抜粋してみます。
最初は、我志普願さんという方の『ガン感謝!』というタイトルの著作でした。
説明には以下のようにありました。
内容紹介
2009年、末期がんで、余命3カ月の宣告を受けた著者が、いつしか開き直り、感謝の日々を歩き始める。
その結果、抗がん剤を使わず完治。
難病克服の最先端医療から「常識」を外れた自然の法則に沿う治療、対策の道のりを伝えた貴重な一冊。
この我志普願さんは「ガン感謝!~余命3ヶ月の末期ガンを抗がん剤使わず副作用なしで完治!」というブログも書かれているようです。
次に目に止まったのは、日本ホメオパシー医学協会のひとつのページでした。
「癌の10ヶ条」というものが書かれています。
それぞれ、その内容も書かれているのですが、ここでは、見出しだけを載せます。
癌の10ヶ条
1 癌がある事を全面的に受け入れる事
2 癌があるからといって恐れない事
3 癌患部に手をあて癌に感謝をする事。癌は全身の腐敗を食い止めるために犠牲になってくれた細胞
4 癌の患部の痛みは体があなたに助けを求めている姿。自分の体に自分がいじめてしまった事を謝ろう
5 食べたい物を食べ美味しくいただく事。
6 自分らしく生きる事。そのためには、抑圧してきたことを全部解放する事。感情を出してわがままになる事。止めてきた症状を出す事。
7 やりたかった事、自分が喜ぶ事をどんどんやる事
8 もう自分を虐めない事。この世的価値観から霊性的価値観に変えていく事。
9 癌はあるが生きている事に感謝し、今までの生き方を変え、小さな事にも喜びを持って生きる事
10 信仰心を持ち、神仏、先祖に畏敬の念を持ち、毎朝祝詞と般若心経を唱えよう
とあり、ここの中の「3」に「ガンに感謝する」ことが出ています。
その本文を抜粋します。
3 癌患部に手をあて癌に感謝をする事。癌は全身の腐敗を食い止めるために犠牲になってくれた細胞
最初は理解できなくても、まず癌患部に手を当てて癌に感謝をする事。血液が汚れ、ドロドロで酸性、甘くなっている状態では、カンジダが蔓延っていく。
癌はこの血液の腐敗であるカンジダを食い止めるために、無酸素状態で生きられる原始細胞となり、老廃物や異物を一カ所に集め老廃物の分解を集中的に行っているありがたいものである。
癌以外の細胞ではカンジダによる身体の腐敗を食い止められない。
癌はあなたに生きていてほしくて一部の細胞が癌になって守ってくれているのである。癌は何も悪くない。腹の底から感謝したら物凄い自己治癒力が出てくる。そしたら癌は治る。
この、
> 癌はあなたに生きていてほしくて一部の細胞が癌になって守ってくれているのである。
という下りは、前回の記事での安保徹さんの「気づき」で得た「ガンは不利な内部状況を克服するための適応状態(体を治すためにガンはできる)」と内容的には同じことで、また、このように「ガンが悪い血液を濾過してくれている」というような意見はわりとよく見ます。
とにかく、この
ガンは悪いものではなく、実際には体を守ってくれている
という前提を心の底から信じれば、いかなる形であっても「ガン細胞を攻撃する」という療法は良くないこともわかります。つまり、抗ガン剤も放射線治療も「ガンを攻撃する」という主要な目的がある時点で、すでに間違っているということになりそうです。
ガンへの正しい応対は、「自然退縮を目指す」という方向以外に正しい向き合い方はないのではないかという気がしてきます。
もちろん、三大療法によってガンが退縮することもあるでしょうし、三大療法を受けなかったのに、ガンが自然退縮しない場合もあるでしょうけれど、大事なことは「治った治らない」ではなく(そりゃ治ったほうがいいですが)、
自分の意志で治す方法を選択して、それは絶対に良いと信じる
ことだと思います。
もちろん、それでも治癒しない場合もあるでしょうけれど、「永遠に生きられる人間などいない」のですから、「最もいい人生を選択するのは自分だけ」だということを強く思える人生は素晴らしいし、その「人生の経験」そのものが大事なのではないでしょうか。
ガンの自然退縮については、川竹文夫さんという方が書かれた『幸せはガンがくれた―心が治した12人の記録』という、ガンを自然退縮させた人たちの記録が書かれてあるようなのですが、持っているわけではないですので、詳しい内容はわかりません。
少し探しましたら、こちらのサイトに内容の一部が箇条書きのように掲載されていました。
「どんな状態が起きても、それを感謝の気持ちに変えること。あらゆることをみんな感謝に変えること。感謝ほど全身の緊張を緩めるものはないんだから。感謝して・・・生きていることを感謝して、全身の細胞の緊張をみんな緩めていれば、病気なんかにはならない」
というようなことが書かれてあります。
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積極的な言葉は「治癒」そのもの
古代ギリシャの医師ヒポクラテス( 紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろ)は、
「病気を治す上で大切なことは、まず言葉である」
と言っていたそうで、希望を与える言葉が症状を改善し、絶望を感じさせる言葉は、悪化させるという意味のようです。
ヒポクラテス(ショーン・コネリー似)
・近代医学の興隆
そういう意味では、今の医者や医療番組などで言われることの多い「そのままでは大変なことになりますよ」的な言い方は良くないかもしれなですね。
これは、関東医療クリニック院長の松本光正医師も著書の中で言っています。
これは、今では普通になった「本人へのガンの告知」についてのことなどについて述べています。
松本光正医師
私が「真実を伝える医療」に懐疑的なのは、「はじめに」でも触れた中村天風の影響がある。
日本では昔から「言霊(ことだま)」の存在が信じられてきた。声に出した言葉は現実に影響を与え、発した言葉の良し悪しによって吉事や凶事が起きるとされていた。
言葉の持つ力は侮れない。天風の教えの一つに、「常に積極的な言葉を使いなさい。消極的な言葉は、決して口に出してはならない」というのがある。(略)
つまり、「痛い」「もうダメだ」などのネガティブな言葉は自己暗示にかかり、現実に影響を及ぼすのである。
天風はよく、「丸い卵も切りようで四角、ものも言いようで角が立つ」と言っていた。否定的な言葉は、口にだしたそばから自分を傷つけたり、相手の気分を害したりし、言葉通りの悪い状況をもたらしてしまうからである。
これは医者と患者にも言えることだ。医者のネガティブな一言が、どれだけ患者の心に動揺を与え、体に悪影響を及ぼすかわからない。
患者の血圧が高い時、医者のよく言う、「このままほっておくと、大変なことになりますよ」は、その最たるものだと思う。
ガンでも他の病気でも、肯定的で積極的な態度と、感謝が状態を良くするのだということはありそうで、そして、大事なのは、
その感謝の心と肯定的な言葉に「言葉にして出す」
ことのようですね。
自分たちを取り囲む「すべて」は自分たちで瞬間瞬間を創りだしているということが事実だとすれば、確かにこれはとても有効な感じがします。
肯定的な言葉が、肯定的な未来を創り出すというシンプルな概念で、こう書くと単純すぎて、馬鹿みたいですが(笑)、でも、確かにそうなのだと考えざるを得ない部分はあります。
そんなわけで、坂本龍一さんの「ガンへの感謝の言葉」を聞きまして、さらに「ガンの正体」への確信が進んだ気がします。
確信できるのは、ガンは悪者ではない、ということです。
西洋医学はそのことに気づくまで前進しなければなりません。
ところで、私が坂本龍一さんの音楽を知ったのは、高校1年か2年の頃、 1979年にレコード屋で、イエロー・マジック・オーケストラのセカンド・アルバムをジャケ買い(その音楽家が誰かは知らなくとも、ジャケットが気に入ったから買うというレコードの選び方)をしたのがキッカケでした。
下のジャケットのレコードで、このアルバムは結局は 1980年のオリコン1位になるほどヒットすることになりますが、私は当時、イエロー・マジック・オーケストラは知らなかったんですが、このジャケットを見て「かっちょええ」と即買いしました。
・ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
その後、1980年に、坂本龍一さんは「 B-2 ユニット」というソロアルバムを発表するのですが、この中に収録されていた Riot In Lagos (ラゴスの暴動)と Not The 6 O'clock News という2つの曲に大変な衝撃を受けたのでした(同じ人は多かったようです)。
この曲とこのアルバムから受けた影響は計り知れないです。
坂本龍一 - Riot In Lagos (1980年)
そんなわけで、そのように、一時は私の音楽的心の師でもあった坂本さんが、どのようにガンを治していったのかは明らかにはされていませんけれど、このように「いつの間にかガンが治って再登場する人たち」が増えていけばいいですね。
ガン → 病院 → 終わり
という話ばかりが増えるのでは、なんだか気が滅入ります。
もっとも、先ほども書きましたけれど、いつかは誰でも必ず亡くなるわけで、「長生きすることが目的」なのではなく、「積極的な生き方をする」ことが人生の目標なのだと最近思います。
その生き方が結果的にいい社会を創造するのだと。
そのためには、訳がわからなくとも、何にでもかんにでも感謝してみるという生活に挑んでみるというのもいいかなと思ったりしました。
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人類の覚醒と真実
2015年08月02日
・Galaxy Dynamics
安保徹さんの絶対的な肯定的態度に感嘆し
この記事は、
・悪憎むなかれ、病気憎むなかれ、地震憎むなかれ・・すべての自然災害は必要だから地球に存在する
2015年08月01日
の続きということになりますが、その記事では、新潟大学名誉教授の安保徹さんの『人が病気になるたった2つの原因』という本の中にある、安保さんの理念である、
「ガンを含めたすべての病気は、身体内部での適応現象であり、必要があるから起きている」
という「ガンもまた悪ではない」としている意見などから、ふと思ったことを書きました。
その安保さんの本の「おわりに」という最終章に、前回の記事に通じる「この世の正体」に気づかされた部分がありましたので、その部分をご紹介したいと思います。
ところで、前回の記事で、
> その中にある安保さんの「圧倒的な肯定的姿勢」にやや驚きながらも、
と書いたのですが、その部分は、たとえば以下のような記述です。
安保徹『人が病気になるたった2つの原因』 ガンは「ありふれた病気」より
顕微鏡で観察すると、ガンがとてもまじめに、一生懸命に分裂しているのがわかります。いろいろな先入観をはずしてありのままに見れば、その働きはけなげで、とても悪い存在には思えません。
そして、そのページには下のイラストが。
・安保徹『人が病気になるたった2つの原因』
ガン細胞も、これまで人間に「なんて真面目なのだろう」とか、「なんて、けなげなのだろう」というような積極的な評価をされたことはなかったのではないかとも思え、ガン細胞たちの努力も報われる感じがしたものでした。
この安保さんの本を読みますと、ガンというものは、悪いどころか、人間のために必死で働いている存在であることがわかります。
では、この本の「おわりに」をご紹介します。
ちなみに、安保さんが今のご自身の理論を得たのは、もちろん長年の研究の基礎があってこそですが、究極的な結論に行き着いたのは、「ある日の夜の突然の気づき」によるものだったようです。
安保徹『人が病気になるたった2つの原因』 おわりに
湯たんぽで起こった体の変化から気づいたこと より
本書でご紹介したような新しい生命論理に気づくきっかけとなったのは、忘れもしない、2008年1月10日の深夜のことです。
寒い夜のことでしたから布団をたくさんかけ、湯たんぽをして眠っていました。普段ならばぐっすり朝まで眠れるのですが、この日はどういうわけか、ふと夜中に目をさましてしまいました。
ぼんやりした状態でふと湯たんぽを置いていた皮膚の一帯を見ると、とても薄くなっているのに気づきました。また、それだけではなく股間もあまり元気がありません。
おそらく、普段ならば見過ごしてしまうようなことだったでしょう。
ただ、私はこの現象がとても気になり、眠れないまま体の変化の理由について考えていくうち、大きな気づきを得ることができたのです。
(ここから、ミトコンドリア系と解糖系という2つの人間のエネルギー生成のシステムの身体への作用について書かれていますが、省略いたします)
この現象だけ切り取ると、解糖系の働きは悪者になってしまいますが、果たしてそんなとらえ方でいいのだろうか?
いや、解糖系を悪者にしてしまえば、そもそもガンになることも悪いということになってしまう。しかし、私たちの体で起こることはすべて必然であり、そこには必ず生命の智恵がある。
私がこれまで見出してきた生命観に立てば、細胞をガン化すらさせる解糖系の働きにも何か深い意味が隠されているのではないか − 私はそのとき始めて、ガンも一つの適応現象であることに気づいたのです。
それは感動に満ちた、とても深い気づきでした。
(略)
忘れてはならないのは、それ(ガンを含めた病気)が適応現象であったということ。すなわち、必要であったからこそ生じたのです。
この深い気づきを得ることで、私たちは本当のバランス感覚が手に入れられます。生きることの素晴らしさ、あるいは、プラスとマイナス、陰と陽で成り立っているこの世界の本質を肌で感じられるようになるでしょう。
そして、その気づきは、自分自身の生き方に反映させていけるものです。
誰かに教えてもらう、誰かに治してもらうというこれまでの不自由な生き方から脱却し、自分の人生を切り開いていける知恵にもなります。
ここまでです。
ここで、安保さんは、
> 陰と陽で成り立っているこの世界の本質を肌で感じられるようになるでしょう。
というように、「陰と陽で成り立っているこの世界の本質」と表現されています。
これを読みました時に、「そうそう、そうなんだよ」と呟いてしまいました。
そんなことは当たり前のことのように感じられるかもしれないですが、この「陰と陽」という概念が「真理の原則」であり、「絶対的真理」だと感じると、とらえ方も少しちがってくるのではないでしょうか。
おそらくは、もともと存在していないこの世の中を存在、あるいは維持させている「根幹」は、陰と陽のような「2つのまったく性質が相反する存在」だと、ふと思ったのです。
それが常に同居してこそ「存在」は維持される。
安保さんは医学者ですから、身体と健康のことを語っているのですが、同時に、安保さんの言葉と概念は、「人間の体は完全なものだが、その完全性は、相反するふたつの働きが常にお互いを支え合っているから存在する」ということで、これを知りますと、「人間の体と宇宙の存在が同じシステムで動いているかもしれない」ことがわかるのです。
バランスで維持されている。
陰と陽、プラスとマイナス、生と死、雄と雌、そして、「善と悪」・・・。
人間の体が、「2つの異なる働きを持つシステムが、完全なバランスを持って働いているとき」に、人は健康でいられるわけで、バランスが崩れた時に病気になります。
他のさまざまな存在についても、それは同じなのだと思います。
安保さんの理論の「体内の相反するふたつの働き」には、
・エネルギー生成における「解糖系とミトコンドリア系」
・白血球内の「顆粒球とリンパ球」
・自律神経の「交感神経と副交感神経」
などがありますが、それぞれが適正な働きの比率があり、それが崩れた時に「病気」になります。そして、病気になることで、そのバランスを正そうとするわけです。
「病気とは、バランスの崩れた人の体の内部で起きる、その人のバランスを治すための適応症状であり、敵でも悪いものでもない」というのが安保さんの理論の根幹です。
「解糖系とミトコンドリア系」という概念は少し難しいですが、安保さんの理論の根幹でもありますので、湯島清水坂クリニックのページから抜粋しておきたいと思います。
解糖系とミトコンドリア系
エネルギ―を得るには、2つの系統があります。1つは解糖系で、もう1つがミトコンドリア系です。
解糖系は、酸素を使わず、糖質を分解してエネルギ―をつくり出します。ミトコンドリア系は、酸素を使って、食事で得られた糖や脂肪、たんぱく質や解糖系で生まれたピルビン酸を材料にエネルギ―をつくり出します。(略)
ストレスによって交感神経の緊張が持続すると、血管が収縮して低体温になり、解糖系のエネルギ―が主体となってきます。低体温、低酸素、高血糖の状態です。ガンや糖尿病の状態であるといえます。
このうちの「解糖系の」というのは、
・低酸素
・低体温
の状態となり、ガンの状態をおしすすめるものですが、健康関連の話はともかくとして、私がこの安保さんの「おわりに」を読んだ時に得た気づき、すなわち、「人間は体内でバランスによって、常に完ぺきな状態を保とうとしている」ということを知ったことから思ったことは、大変に大きなものでした。
ただ、それと共に、私たちは、下のグラフのように、「ガンの死者数が異常に増え続けている原因」について、もっと真剣に考える必要があると思っています。これは、これからの、私や皆様も含めての、「自己防衛」とも関係するからです。
人口10万人に対しての死亡率
・厚生労働省 人口動態統計
この数十年の、この急激な死者数の増加の原因は、大体のところは推測できますが、今後、このガンの死者数がさらにアップするなら、その推測は正しいことになるかもしれないですが、それは私のような素人が書いても、信憑性がないですので、書けません。
それは「なぜガンが人を死に至らしめるような状態になるのか」という「作用」と関係しています。
どなたか、著名なお医者様などが書いて下さるといいのですが。
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善も悪を創りだしている自分とペアの自分
昔、クレアなひとときで、
・ペアである自分
クレアなひととき 2011年01月28日
という一連の記事を書いたことがあります。
ペアである「自分」とありますが、
「自分」
というものの正体は、量子力学などの新しい物理学と、かつての神秘思想が交錯する今の時代となってしまえば、きわめて不安定で、たとえば、「人間によって観測されるまでは、この世の現実は存在しない」という記事などで書きましたような、
存在そのものは「瞬間瞬間に自分たちが生み出し続けている意志」から創られる
というような難しい問題もあるわけですが、あるいは、シュタイナーの言うような「人間という存在」は、
・肉体
・生命体(エーテル体)
・感受体(アストラル体)
・自我
の4つから成っていたり、16世紀の医師であり錬金術師だったパラケルスス(1493 - 1541年)の言う「人間という存在」は、
・身体(地上界 / 目に見える世界)
・精気(天上界 / 目に見える世界)
・魂(霊的世界 / 目に見えない世界)
という3つからできていると主張したりということで、今の普通の科学が言うところの「ひとつの肉体の人間」という単純なものではない、ということがあったり、とにかくややこしく考えればキリがないのですが、今ひとつここで、
「たったひとつの自分」というものがある
という概念で考えてみた時に、先ほどの宇宙真理、すなわち、「すべてがペアからなっている」ということから考えると、
「たったひとつの自分」では成り立たない
ということを知ります。
すなわち、「ペアである自分」という概念は正しかったわけですが、しかし、
ペアはどこに?
という問題が出てきます。
今、その記事を読み返しますと、その記述にやや納得する面もありました。
ペアである自分(2) 宇宙の場所
クレアなひととき 2011年01月28日
「現実の宇宙に対応した宇宙はそれぞれの自分の体内に、観念的ではなく、現実に存在しており、そして、自分自身も[自分のペア]も、その体内の中にある宇宙にいる。外に広がっている宇宙の姿は、自分の体内の中に存在する宇宙が投影されて、見えたり認識しているもの」
これを書いた4年前に気づいていなかったことは、体内や、あるいは宇宙のペアの存在は「互いにちがう性質を持っていなければならない」ということです。
ですので、ペアである自分は、自分の中で、陰と陽のように、あるいは、ミトコンドリア系と解糖系のように「お互いに相反する性質を持って」存在している。
自分の中にある、自分と相反する性質の存在。
ここを自覚することに、私たちが生きている世界に、
「善」
と
「悪」
の概念や性質がどのように生成されるかのヒントがありそうです。
たとえば、当然ながら、私もそうですが、人には「善」と「悪」の両方の面があります。
なお、その前段階として、私はもともと、何を善として、何を悪にするかという「基準」がわからなかったのですが、自称プレアデス姐さんの言葉などから、
善悪の基準に置くことは「愛」
であるということで問題ないように思います。
自称プレアデス姐さんは、この世の基本はすべて周波数だと主張していて、たとえば、「愛の周波数」といものがあり、それが人間に作用するか、というようなことを本の中で述べていますが、今回書いていますのは。そのようなややこしいこととはまた別の話です。
とにかく、基準は愛、という部分はとても納得したのです。
そんなわけで、
・「愛」に則っている思考・行動なら善。
・「愛」に則っていない思考・行動なら悪。
ということになりそうです。
そして、「ペアである自分」は、「自分自身」が善悪どちらに傾いても、必ずサポート(あるいは影響)し続けているということなのかもしれないです。
体内の、たとえば、ミトコンドリア系と解糖系のバランスが崩れれば病気になりますし、電池のプラスとマイナスの「どちらかが力を拡大」するようなことがあると、電気として機能しないはずです。
それと同じで、自分と「ペアである自分」の善悪は、本来のその働きでバランスがとられているはずです。
「自分という存在は、その存在すべてが相反する2つの働きによって支えられている」
と。まあ、そういう仕組みではないかもしれないですが、とりあえず、そう考えてみます。
それを自分の生活の中に生かしてみる。
たとえば、丁寧に自分に問いかける。
不安や恐怖、罪悪感がある時なら、その反対の作用がどこからか出てくるはずのように思います。
そして、逆にいえば、愛に満ちた人物になった時にも、常にもうひとりの自分は「悪」を語り続けてくると思います。
小説『エクソシスト』で、エクソシストのメリン神父が、
「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」
というところがありますが、
> 悪からでさえ、善が生じてくる
のではなく、
悪からだからこそ、善が生じてくる
という、「悪を生み出せるものは善だけだし、善を生み出せるものも悪だけ」ということになりそうで、これを体の反応のようにあらわしてみますと、「悪は善に対して、善は悪に対しての適応症状」だというのが正しそうです。
・映画『エクソシスト』
あるいは、日月神示の、
第21巻 空の巻 第八帖
悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ
なども、「善と悪が、相反しながらのみ存在できるもの、あるいは一体であるもの」だということだとも理解できるかしもれません。
何だか、よくわからないことを長々と書いてしまいましたが、今回ご紹介しました安保さんの記述は、実生活上のこととしても励ましになります。
すなわち、
誰かに教えてもらう、誰かに治してもらうというこれまでの不自由な生き方から脱却し、自分の人生を切り開いていける知恵にもなります。
という部分です。
病気は他人(医師など)に治してもらうという考え方を変えて、薬も病院も基本的には必要ない生活を獲得できれば、これから世の中がどんなことになったとしても、それほどおそろしくはなく、むしろ混乱する先の社会が楽しみになってくるはずです。
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人類の覚醒と真実
2015年08月01日
高層大気の電子の急激な変化
今日、あるデータの乱れを見ました。
高層上空で アメリカ海洋大気庁( NOAA )の衛星 GOES (ゴーズ)というのが「電子フラックス」というものを常時測定しているのですね。
「フラックス( flux )」というのは、流れというような意味ですので、電子の流れを測定しているというような感じですかね。
この「高層の電子の変化」が過去に何と関係していたかというと、過去記事、
・衝撃のデータ: 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
2011年05月20日
・ネパール大地震での上層大気圏に変化から見る「地震の原因は宇宙にある」こと…
2015年05月03日
などで記しましたように、高層大気の電子の変化は、「大地震」と関係してきた歴史があります。
これはそれこそ、前回の記事
の翻訳記事の中にあります、
1980年代になり、人工衛星が、大地震が発生する前に高層大気で起きるいくつかのこのような前兆事象を検出したのだ。
近年では、NASA の科学者を含む研究者たちは、人工衛星や他の手段で、電離層の電子や赤外線変化などの地震の前兆を探査すすために、いくつかのモニタリングプログラムを稼動させている。
という、これそのものなのですが、高層大気の電子数が極端に変化した後には、地震(大地震)が起きやすいということはデータ的に確定してきているようです。
2010年のハイチ地震、2011年の東北の震災でも上空の電子数と赤外線の変化が測定されています。
その高層大気の電子数が 7月31日から 8月1日にかけて、下のような動きを見せていたのです。
2015年7月29日から8月1日までの電子フラックスの変化
・GOES ELECTRON FLUX
これがどういうことを意味しているかはわからないですが、わかるのは急変していることです。
過去の例と当てはめてみますと、たとえば、今年 4月25日にネパールでマグニチュード8クラスの大地震が起きた2週間ほど前に、上と非常によく似た電子数の乱れが測定されています。
2015年4月8日から4月11日までの電子フラックスの変化
まあ、全然直前ではないことと、この NOAA の人工衛星 GOES は、基本的にアメリカの上空(2カ所)で活動している静止衛星で、ネパールとは地理的に関係ないですので、この 4月10日の電子の変化と、ネパールの地震は関係ないでしょうけれど(ネパール大地震発生時にはチベット上空での電子数の変化が記録されています)、グラフの「形が似ている」ということに注目した次第です。
いずれにしても、8月1日直前に「高層大気の電子が乱れていた」という状況がありました。
現在までに「地震の予測」として、唯一明確な前兆といえるのが、この「高層大気の状態の変化」であるわけですので、地震が起きても不思議ではないと思います。ただ、どこで起きるのかわかるわけではないですし、これを示したのは、別に地震の予測とかそういうものが目的ではないです。
予測などしなくとも、大地震はいつかは必ずどこかで起きます。
自分のいるあたりで起きたのなら、それはそれで仕方ないですし、とにかく、地震は「起きるためにある」のだから、起きて当然なんです。
地震も噴火も必要だから地球に存在する
まして、過去記事、
・シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
2015年05月27日
で、シュタイナーが、
「地質的に、地球の頂点は日本です」
と言っているように、地球の地質的活動の増大は、シュタイナーの言うことを参考にすれば、「日本から全体に伝わっていく」ということになりそうです。
シュタイナーが描いた地球
そして、この数ヶ月でいろいろと学んだこと、たとえば、
人間の体の働きには無駄なものはひとつもない
ということ、あるいは、
この宇宙には無駄なものはひとつもない
というところから、私たちは「災害を除外していた」ということに気づいたのです。
災害にどんな必要があるのか、ということは別として、それがわからなくとも、地球の大きな原則として、
すべての事物と現象は人間に必要があるから存在している
ということになり、地震も噴火も他のさまざまな現象も、すべては「必要だから起きる」と考える以外の選択がないことに気づいたのです。
死者と負傷者を出し、多くの家屋が破壊される地震や火山噴火のどこに必要性があるのか。
それはわかりません。
しかし、「原則」というのは、すべてが含まれなければならない。そこからひとつでも除外できるようなものなら、それは「原則」ではなくなります。
というか、もし、地震や噴火が「無駄なもの」ならば、「宇宙は完全なもの」だという原則が崩れます。
宗教の神を信じてらっしゃるなら、それは「神が無駄なものをお作りになった」ということになり、「全能の神」という原則が崩れます。
宇宙や宗教を信じていても、「この世にイヤなものがひとつでもあったのなら」その信念を自ら崩壊させていることになるのです。
だから、どんなにそれが肯定的に考えることが厳しく感じられるものであっても、「宇宙の完全なメカニズムのひとつ」だと考える他はないのです。
災害対策にはガン対策を適用できる
ちなみにですね。
大地震に対抗する手段というののは、ものすごく単純で、
・よけいな不安や恐怖を持たない心
・身体の健康(暑さ・寒さ・空腹に耐えられる)
・事実を明晰に考えられる理性(客観的な判断と行動)
だと思います。
そういう意味では、地震のためにも「自立した人生(1)」という記事に書きました、ケリー・ターナー博士の「ガンが自然治癒する9つの条件」の中の、
・直感に従う
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ
などは、日頃の心の持ちようとして体得したいところです。
そして、新潟大学名誉教授の安保徹さんが、「ガンを愛した人にガンの自然治癒が起きる」という言葉を参考にさせてもらえば、
「地震を愛した人が、地震で助かる、あるいは地震から良い作用を受けられる」
と(苦笑)。
でも、少なくとも、私はそう思うようにしようと思います。
地震はこの 100年単位でも増加していますが、今後さらに激しくなると思われるのは、最近、急激に火山の噴火が増えていることとも考えとしては関係します。
この1週間くらいだけでも、20以上の火山が新たに噴火するか、活動の兆候を見せているようで、まあ、日本の火山もいくつか含まれているんですが、何だか、すごい勢いです。
5つの火山が同時に噴火しているインドネシア
▲ 「インドネシアで5つの火山が同時に噴火」より。写真の山は、ラウン山というインドネシアの火山です。
火山の噴火、あるいは、「噴火へのスタンバイ」をしている状態の火山がこれほどまでに急激に増えているということは、地質全体としての「新たな大きな活動期」に入ったと考えて問題はない気もします。
噴火の最大の「意味」は、
・カルデラ破局噴火の報道で「地球には同じ系統の文明を継続させないメカニズムがある」ことに気づき…
2014年10月25日
という記事に、
日本だけでも数千年〜1万数千年に1度は、どこかで破局噴火が起こり、その場合には、日本列島の全部ではないにしても、基本的に「命も文明もリセットされる」ことになります。
これらの太陽や火山の存在が示すことは、
「地球はひとつの場所で1万数千年以上同じ文明が存続できないようになっている」
ということを示すものなのかもしれないとも思います。
それは決して火山の周辺の局地的なものに限られるわけではなく、たとえば、上のほうに書きましたイエローストーンのシミュレーションの破局噴火のシミュレーションで、
> 地球の年平均気温は10度下がり、その寒冷気候は6年から10年間続くとされている。
とあるように、広い範囲で農業の存続も難しいような状況となるようなことが何年も続くわけです。
と書きましたように、巨大なカルデラ破局噴火には、「局所的、全体的を含めて、文明のリセットをする」役割があると思われます。
新しい文明の創造のための「破壊」のステージに起きることです。
より良い文明が作られるために。
ちなみに、大量絶滅を引き起こすレベルの巨大彗星の衝突の意味は、
・ポールシフト、巨大火山の噴火、そして大彗星の衝突のそれぞれが同時に起きる可能性を考えてみる
2012年10月19日
という記事に、フレッド・ホイル博士の著作からの見識で、
「地球の生命体系に新しい遺伝の嵐を起こすため」
にあることがわかりました。
今の地球が多くの哺乳類で溢れているのは、6500万年に衝突した彗星のおかげであることが、哺乳類の進化図ではっきりとわかります。
哺乳類の化石記録から進化の道筋を逆に辿った図
・フレッド・ホイル『 DNA は宇宙を流れる』
噴火も、巨大彗星の地球への衝突も、「より良い新しい地球を作るために起きるダイナミックな現象」だということがわかります。
どんなことであっても、
すべての存在と現象は「必要だから存在し、必要だから起きる」
ということを最近は確信していますが、その確信をさらに深める記述に出会いました。
先日、新潟大学名誉教授の安保徹さんの『人が病気になるたった2つの原因』という本を目にしまして、それを購入して、パラパラと何となく読んでいました。
その中にある安保さんの「圧倒的な肯定的姿勢」にやや驚きながらも、そこに、
この世の存在にはすべて意味がある
ということにまで考えを及ぼさせてくれる記述があったのです。
そして、また、そのことは、
・ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係…
2014年07月26日
など、わりとよく書かせていただくこともあった、
「悪とは何か」
ということへの回答にもなっています。
今回はちょっと長くなってしまいましたので、次あたりにその安保さんの記述は掲載させていただくとして、
「宇宙にも人間にも無駄な存在や働きはひとつもない」
ということを、どれだけ自分に浸透させられるかが、今後の地球を生きるための「真のサバイバル」だと確信しています。
そんなことを自分に浸透させることなんてできないかもしれないですが、これができないと、まだ出発点にも立っていないということになりそうです。
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人類の覚醒と真実
2015年07月29日
(注)実は最初に投稿した時には、いろいろと書いてあったのですが、ブログのシステムの調子が良くないようで、投稿の内容の文字の訂正を繰り返しているうちに、こちらのミスも加わり、保存内容が消えてしまったりしてしまいました。
それで、とりあえず、翻訳した記事の内容をアップしておきます。
私自身は大変に感銘した、その奇跡的な「肯定的思考への変換」を成し遂げたアンバー・グスマンさんの思考を他の方々はどう思われるかと思いましたし、ぜひ、このデイリーメールの記事を読んでいただきたいのです。
自分が病気になった時。
しかも、それが治療法がない難病だった場合。
どのような態度をとることができるか。
そのアンバーさんについて書いた英国デイリーメールの記事をご紹介しておきたいと思います。
なお、記事中に、ヴァレリア・ルキャノヴァさんと、アナタスタシア・シャパギナさん、そして、ヴィーナス・アンジェリックさんという3人の女性の名前が出てきますが、この方々は、世界的に有名な「生きたバービー人形」と呼ばれる人々で、それぞれ、下のような方々です。
ヴァレリア・ルキャノヴァさん(ウクライナ)
・Valeria Lukyanova
アナタスタシア・シャパギナさん(ウクライナ)
・Anatastasiya Shpagina
ヴィーナス・アンジェリックさん(イギリス)
・Venus Angelic
ちなみに、今回のタイトルは、「全語録」となっていますが、デイリーメールの言葉を載せたもので、「全」も何もないのですが、やはり私が感銘を受けました、ジェイコブ・バーネットさんの記事に対応した言葉となっています。
ここから記事です。
'Human Barbie' who suffers from muscular dystrophy says she 'loves' the symptoms of her incurable condition because they make her look and act like a 'real' doll
Daily Mail 2015.07.28
筋ジストロフィーを患っている「リアル・バービー」は、彼女の不治状態の症状に対して、それが彼女の外観を形作り、「本当の人形」のように作用するから「病気を愛している」と語る
衰弱性疾患に罹患している女性が、彼女自身がどのように自分の症状を愛することができるように学習したかを述べた。
それは、彼女がその病気にかかったことよって、自分を「リアル・バービー人形」のように見せることができると気づいたことによるものだった。
カリフォルニア州に住む 28歳のアンバー・グスマン( Amber Guzman )は3年前、次第に筋肉が弱まっていく筋ジストロフィーだと診断された。
筋ジストロフィーには、現在、治療法がないため、筋力の弱い彼女は、まるで人形のように、人から運ばれなければ移動できない。
また、彼女は、この障害により食べ物を飲み込むことができないため、それにより、彼女は華奢なバービーのような骨格となってしまった。
しかし、アンバーは、自分がそのような衰弱状態となっていることを気にしてはいないという − なぜなら、彼女は、自分がバービー人形と比較されることを愛するようになったからだ。
そして、彼女の動作と人形のように話す様子は、ソーシャルメディア上で多くのファンの絶賛を浴びており、彼女は毎週、何千ものファンレターを受け取っている。
「ヴァレリア・ルキャノヴァとアナタスタシア・シャパギナは、おふたりともまるで生きている人形のような驚くべきメイクアップをするわ」と、アンバーは、世界的に有名な2人の人間バービー人形について語る。
「でも、本当の生きた人形は私。ルックスだけではなく、私は肉体的にもまるで人形なんですもの。人形は動くことも自分ではせず、周囲に手助けしてもらう。私の毎日の生活と同じだわ」
「私が筋ジストロフィーであるおかげで、私は、立ち上がる時や椅子に座る時も、いつも手助けが必要なの。人形がそうされているように」
「そして、筋ジストロフィーは、私を骨と皮の状態に作り替えたの。そのおかけで、多くの人々が私のことをバービー人形と呼んでくれる」
「私は生きている人形と比較されることが大好き。そのことによって私は、今の私そのものを感じることができて、そして、私が人間であるという事実に幸せを感じるのです。私が生きた人形であり続けること自体が、常に私を救ってきたのよ」
成長にしたがって、アンバーの天使のような顔は、常に美しい人形と比較された。
「私がまだとても若かった頃、周囲の人々は私を人形といつも比較していたわ。両親は、そんな幼い私をモデル業界に入れたの」
モデルであると共に、アーティストでもあるアンバーは説明する。
「その頃は、ショッピングモールを歩いているだけで、人々は立ち止まって私を見たわ。そして、『人形のような女の子』( dolly girl )とよく声をかけられた」
「私もまた、バービー人形が好きで、母はさまざまなバージョンのバービー人形を買ってくれた」
「私は、小さな頃からアートを手がけていて、いつも想像力の中にいたの」
「高校生の頃にメイクアップを始めて、そして、私はメイクアップと恋に落ちたの。私は、顔に描くことは、紙に絵を描くのと同じだと気づいたのよ。そして、メイクアップに対してのスキルを自分が持っていることを発見したの」
「私がメイクアップをして学校に行った時、普段なら真っ先に私に絡んでくるような、いじめっ子が、私のところに来て、いじめはせず『なんて美しいの』と言ったの。そのことはメイクアップの持つパワーを私に示した。私はこれまで美容整形手術を受けたことは一度もないのよ」
18歳の時、アンバーは夫と出会い、彼と一緒に引っ越した。
しかし、このアンバーにとって幸せな時が始まった頃、彼女は腕と脚が弱ってきていることを感じ始めていたのだった。
「夫と出会えた頃は、私の人生の中で本当に幸せな日々だった。でも、同時に、私は、私の体の中で何かが進行していることに気づき始めていた」と彼女は言う。
「私はいつも重りつきのボディスーツを着ているように感じていた。関節は弱くなり、腕と脚の上に、いつも重いウエイトを持っているみたいだった」
「そして、移動するためには常に助けを必要とするようになった。ベッド、座席、さらには、トイレから出るためにも、他人の手を借りなければならなくなっていった。そのうち、次第に、歩くことが難しくなってきたの。今の私は、歩く時は、誰かに片方の腕を支えてもらって、片方の手には杖を持った状態でしか歩けないのよ」
「丘を登ったり、階段を上がることは、日常生活の中で最も難しいことのひとつになってしまった。それと、私は飲み込むことができないので、ものを食べることができないの」
「医者にかかってから、私に何が起きているかを見出すためのプロセスは長かった」
アンバーの状態は悪化し続け、最終的に筋生検をした後、2012年11月に、彼女は筋ジストロフィーと診断された。
「担当医が私の病名を口にした時、最初は、長く悩んでいた病気の正体がやっとわかったことには安心したけれど、同時に、筋ジストロフィーという診断は、私にとっての死刑宣告に聞こえた」と彼女は振り返る。
「医師は、筋ジストロフィー患者で、少数ではあっても、病気と共に長く生きのびることがあると私に言ったけれど、でも、私はおびえていた」
しかし、アンバーは、病気の正体が明らかになると共に、自分を生きたバービー人形に変換させていくことにより、この病気を正面から見つめることを開始するにいたるのだ。
「病気を宣告されてから後のある日、突然、私の中で何かが弾けたの。そして、私は人生を変えることにした」と彼女は説明した。
「その時に私は気づいたの。私がかかったこの筋ジストロフィーという病気は、私をリアル・ドールにしてしまえる可能性があることに」
「自分で、より多く移動することができないという日が何日も続くことによって、時として、おかしくなったり、他人にあたったり、イライラしたこともあった」
「でも、生きているすべての時間が他人による手助けが必要だという、まるで、人形のような状態の自分自身を、きちんと見つめ続けることは、動揺や悲しみから私自身を救う助けとなってくれたの。私は私自身を、生きている人形への変換として見続けている」
「それと、筋ジストロフィーのためにものを食べられないため、私はとても痩せて見える。多くの人々が、私を人形のよう、とか、バービーそっくりと言ってくれるような体系」
アンバーは、オンラインで自分自身の姿を世界中に披露することを決心し、バービー姿の写真やビデオをアップし始めた。
最初のビデオをアップロードした8ヶ月以内に、アンバーは、ソーシャルネットワーク上で1万のフォロワーを獲得し、毎週ファンレターを受け取っている。
「私は、かつらやコンタクトをして、人形の姿( Dolly style )で着飾り、オンラインへのビデオの投稿を始めたの」
「すぐに、私に触発され、とても影響を受けたといって書き込んでくれた人ががいたわ。私は今、2つのファッション会社とスポンサー契約をしているの」
「私は、筋ジストロフィー患者の人々の意識を高めるためにも自分の動画を使ってる。そして、筋ジストロフィー以外でも、重大な病気の診断をされた人たちで、それでも、人生を生きていく人たちのためにもビデオを使っているの」
「筋ジストロフィー患者の人たちは、私から、彼ら患者が生き続けることの意味をインスパイアされたと言ってくれたわ。そして、肉体的な問題が何で、自分自身を幸せにすることとは何かを考えることを示してくれたとも言ってくれた」
そして、アンバーは、彼女の筋ジストロフィーが、彼女をこの世で最高の生きたバービー人形にしてくれるであろうことを確信している。
彼女は、他のリビングドールたちに言及した。
「世界の他の生きたバービー人形たちの多くは、とても愛らしいけれど、そんなに優しくなれない人たちもいますし。ヴァレリア・ルキャノヴァとアナタスタシア・シャパギナは、とても美しく、とても優しい生きた人形だけれど、ヴィーナス・アンジェリックはちょっと無礼かな」
「でも、考えられるあらゆる面から私が真の生きた人形。私のような存在はこの世にない」
ここまでです。
下は今の彼女の姿がうつっている動画です。
Human Barbie Amber who suffers from muscular dystrophy
「突然、私の中で何かが弾けたの。そして、私は人生を変えることにした」という時が「転換の瞬間」だったようですけど、ひとりの人間の「絶望」が「希望」に変わったのが瞬間的な出来事だったということを知ることができます。
「衰弱することに喜びを見出す」という彼女の考え方を「狂気」のように考える方もあるかもしれないですが、しかし、筋ジストロフィーのような病気であるからこそ、「絶望には何の利点もない」とも思うのです。
彼女の病状は、記事の限りは深刻にも見えますが、それでも、これだけ病気を肯定的に受け取っていれば、治るということまでは言えないまでも(あり得ないことでもないとも思いますが)、ある一定のところで症状も維持できて、かなりの年齢まで生きられるとかだといいですけどね。
いや、きっとそうなります。
病気を心底、肯定的にとらえられた人がその病気にやられてしまうというのは何だかおかしいですし。
どんな病気も、あるいは症状も、大変つらく感じることが多いもので、なかなか「病気を愛したり」「症状を好きになったり」といったことはできないものであることは理解できます。
私自身も、いくつか持つ症状に対して、そういう気分に心からなれるかというと、なかなか難しいものです。
でも、どんなことに対しても、肯定的になったほうがいいのではなく、「ならなければいけない」のだと思います。特に、これからの時代はそうです。
これは自分に対しての命令であり、生きる上での義務でもありそうです。
絶望から希望へと大きな思考の変転を遂げたアンバーさんは新たな心の師かもしれません。
今回は、ブログシステムの都合などもあり、最初に書いた私のいろいろな意見や気持ちの部分が吹っ飛んでしまいましたが、むしろ、アンバーさんの記事だけを目立たせられて良かったと思います。
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人類の覚醒と真実
2015年07月19日
▲ 2015年5月のネイチャーより。
女性「性」の意味
震災直後から、どういうわけか、ふいに「女性性」というものが頭に浮かぶことが多くなり、ブログでも「女性性社会の獲得」ということがひとつのテーマにもなっている感があります。
そして、この「女性性の社会」という概念は、前回の記事、
・ギリシャ暴動の意味:彼らは自分自身と世界を「カイロスの地球」に戻す責任を果たせるか…
2015年07月17日
の内容と強くリンクすることに気づきます。
その記事で、私は以下のようなことを書いています。
「ギリシャ暴動の意味…」より
先に書きました、民主主義や、貨幣制度や、西洋医学、競技スポーツ、神話、あるいは、哲学もギリシャが発祥っぽいですが、そういうものは、人間本来の生活には不要なはずです。
この記事では、これらを「精神的な文明」では不要なものとして書きましたが、過去記事を読み返してみますと、2011年の震災1週間後くらいに書きました、
・人類の大きな希望 : 女性「性」の文明
2011年03月19日
という記事には以下のように書かれています。
「人類の大きな希望 : 女性「性」の文明」より
「男性"性"」の社会とは要するに今です。
この2000年くらいの世の中の中心的なシステムの全部です。
政治とか法律とか宗教とか市場とか学校などの存在する現在のシステム全部です。
つまり、「女性"性"」のもとではそれらは存在し得ない。
と書いていて、さらに、
「人類の大きな希望 : 女性「性」の文明」より
「カオス」と「無制御」という2つの概念は、実は「女性性」です。
その反対の男性性は、「制御」と「秩序」が大好きで、たとえば、「階級」というのも秩序から生まれており、金銭的なものを含む区別と差別というのも、秩序から生まれています。
そういう意味ではこの 2000年くらいの地球は「秩序」から作られていたことがわかります。
なんとなくいい響きのある「秩序で構成された世界」。
しかし、実際は今の世の中はどうだろうかという話ではあるのです。
「カオス」と「無制御」というのは、それらをすべて取り去る概念です。
階級、差別、無意味な価値観、法律、組織といったようなものはすべて「男性性」である秩序や制御から生まれていて、反対の「カオス」と「無制御」からこそ、その反対のものが生まれるものだと私は思っています。
「法律などなくても平安に過ごせる」というのが本来の人類の姿のはずですが、それがどうしてできていないのか。あるいは、いつかはそうなれるのか。
としていて、人間本来の生活には、
・法律
・制度化された秩序
・階級
・学校(教師)
・制度化された治安
・貨幣
とか、他にもいろいろありますれれど、そういうものは本来は必要ないはずです。
さきほどの 2011年の記事は、
> いつかはそうなれるのか。
で終わっていますが、2015年の前回の記事では、
「そうなれる」
としていて、4年越しの回答となっています。
こう比べてみますと、「精神的な文明」というのは、「女性性の文明」と同じような意味ということもいえそうで(「女性の文明」ではないです)、これはつまり、今の時期は、
破壊という男性性のターンから創造という女性性のターンへの橋渡し
のうちの、今は前半戦にいることになりそうです。
まあ、そして、今までの In Deep というのは、非常に「男性に冷たいブログ」であったわけで、「男性不利」の記事を数多く書いてきました(今後も男性には冷たいままだと思いますが。いや、絶対に冷たくする ← そんな決意をしてどうする)。
その最たるものとして、「人類の男性の滅亡の可能性」をご紹介したこともありました。
・「確定的な未来」を想起する驚異的な2つの科学的資料から思うこれからの太陽と地球と女性(そして消えるかもしれない男性)
2014年04月10日
という記事では、科学的な側面と科学的ではない側面から、男性の「絶滅」について書いています。
▲ 男性のY染色体の消滅についての 2009年5月21日の英国テレグラフの記事。
また、「処女懐胎」のことについて、つまり「女性の単独妊娠」についても、
・米国女性200人のうちの1人は「処女懐胎」しているという調査結果に思う「進むY染色体の終末時計」
2013年12月19日
などでふれることがありました。
しかし、そもそもが「オスとメスの生殖によって増えていく」という構図は、生物学的にいえば、そして、仮に進化論というものがあるとすれば(そんなものはないですが、一応あると仮定しまして)おかしいのです。
たとえば、一般的な生物学の見地から見れば、無性生殖、つまり、メスの単独によって子孫がつくられていく方が有性生殖より効率的なんです。
「有性生殖と無性生殖の比較」というページの比較で、いかに無性生殖(メス単独で種を増やすことができる)の方が「効率」がいいかということがわかります。
有性生殖と無性生殖の比較
有性生殖 = 増殖の能率が悪い ×
・雄と雌が出会わないと子をつくれない。
・卵(卵細胞)や精子(精細胞)などの生殖細胞をつくる必要がある。
無性生殖 = 増殖の能率がよい ○
・1個体で子をつくれる。
・体の一部が分離して子ができるので、わざわざ生殖細胞をつくる必要がない。
そういう意味では「すべての生物はメスだけでよかった」し、その方が「繁殖の効率がいい」という点から、科学者たちは、
「なぜオスが進化の中で生き残ったのか」という謎
と直面し続けていた歴史があります。
合理的な考え方からだと、オスは不要なのです。
なぜ、男性と女性という「性別」が存在するのか。
男性・・・。
そして、女性・・・。
・チャイナ - Wikipedia
そして、つい最近、この2つの性が存在する合理的な理由がわかったのですね。
それが冒頭のネイチャーに掲載された論文で、研究はもイギリスのイースト・アングリア大学の研究者たちによって、実に 10年に渡っておこなわれたという執念の研究です。
一言でいえば、
オスは、遺伝子を強くする役割を持っている
のです。
そのメカニズムは、オスたちが、メスをめぐって競争する時に、性選択というものがおこなわれて、競争の中でおこなわれる性選択は、長期にわたってその集団の遺伝子を良質に強く保つのだそうです。
実験は、コクヌストモドキという虫・・・まあ、これは、いわゆる穀物なんかにつく「害虫」とされている下のような輪郭の虫ですが、それの 50世代などの長い期間の観察でおこなわれたものです。
e-c-c.co.jp
それで、最も大事なのは、
「メスをめぐって、オスが競い合うこと」
なんだそうです。
競争のない環境では、コクヌストモドキは 10世代目で「絶滅」したそうです。
これは人間にも当てはまるとすれば、女性をめぐって、男子たちが競うことは、遺伝子的に「人間という種が絶滅しないため」にはとても良いことになるようです。
まあしかし・・・最近は社会も変わりました。
「恋人はいますか?」への回答(20〜30代の独身男女)
・ITMedia ビジネス
上のは 2012年の調査ですが、20〜30代の独身男性は 80パーセント近くが「恋人がいない」となっています。
それで、少子化の現在、ただでさえ、若い人の実数が少ないことに加えて、
「恋人欲しくない」4割弱=未婚若者に調査−少子化白書
時事通信 2015.006.22
政府は22日午前の閣議で、2015年版の「少子化社会対策白書」を決定した。内閣府が20歳代と30歳代の男女を対象に実施した結婚に関する意識調査の結果を紹介。未婚で恋人がいない男女に恋人が欲しいかを尋ねたところ、「欲しい」は60.8%、「欲しくない」は37・6%だった。
欲しくない理由を複数回答で聞いたところ、男女全体で最も多かったのは「恋愛が面倒だから」46.2%で、「自分の趣味に力を入れたい」45.1%、「仕事や勉強に力を入れたい」32.9%と続いた。
> 全体で最も多かったのは「恋愛が面倒だから」46.2%
これでは、「女性をめぐって、男性が競争する」どころの話ではないようで、なかなかいろいろと複雑な世の中になっております。
私などの世代の若い時はみんなギラギラしていましたけどね。
20〜30年くらいで、恋愛環境は大きく変わってしまったようです。
私の父方のじいちゃんは、テキヤだったんですが、良家のお嬢さんを好きで好きで仕方なくなってしまい、その家の前に行き、土下座をして、
「好きで好きだたまらないんだ。オレの嫁になってくれ」
と頭を下げたところ、お嬢さん(後の父方のおばあちゃん)は、
「誰がヤクザもんなんかと一緒になるかい!」
と一蹴(こちらも強い)。
じい 「結婚してくれないのなら、ここで腹を切る!」
ばあ 「おお、上等だ。カタギになるか腹を切れば結婚しちゃるわ」
じい 「腹を切ったら、結婚してくれるんだな?」
ばあ 「やれるもんならやってみな」
じい 「よし、腹切るぞ」
子分 「親分、よしなさい」
じい 「止めるな!」
子分 「大体、腹切ったら死ぬんだから結婚もなんもないでしょ」
じい 「ありゃ?」
と、ここで我に返ったじいちゃんは、結局、カタギになって、結婚してもらったのだそうです。
まあ、これだけの大恋愛だったのが理由かどうか知らないですが、子どもも作りに作りまして、うちの父親は 8人だか9人きょうだいの末っ子ということになっています。
いろんな人に聞きましても、実は昔の男性の方が、やたらと大恋愛をしていた感じなんですよね。
だから、今の高齢者たちは、そもそも遺伝子が強いのだと思うのですよ。
もともとが強いので、これだけ薬漬けになったり、自立できなくなったりしても、長く「生きてはいる」ということになっているのだと思います。
それはともかく、「女性をめぐる競争が遺伝子を強くする」という説がすべてにおいて説明できるものならば、今の時代などで生まれてくる子どもたちは、あまり遺伝子が強くないということもあるのかもしれません。
あるいは、過去記事、
・「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフと、それと同じ曲線を描くいくつかの統計
2015年01月30日
など、何度か現代の子どもたちの「妙な弱さ」について書いたことがありますが、そういうことも関係しているの「かも」しれません。
日本における児童生徒のぜんそく被患率の推移
・エコチル調査
しかし、こういう意味から見ますと、「革命」(3)という記事に書きました、エドゥアルド・スエンソンという幕末の日本に滞在したデンマークの軍人が、「日本には、悪習らしい悪習は2つしかない」として、その悪習として、
「すぐに酒に手をだすことと、あまりに女好きなことである」
としていましたが、これらも悪習ではなく、遺伝子的には良いことなのかもしれません。
こう考えると、
「強い人間を作る方法」
というのも、それほど難しいことではないことがわかります。
というわけで、そのネイチャーの論文を報道した記事をご紹介します。
「性」は種の絶滅を防ぐ役目を持つ
最近の科学誌ネイチャーに発表された重要な研究は、生殖のためのオス同士の競争が子孫の遺伝的健康を向上させること、そして、性選択が、有害な遺伝子変異を除去するためのフィルタとして作用することを述べている。
この作用により、その種の集団は長く繁栄し、長期的に絶滅を避けることができるのだ。
英国イースト・アングリア大学( UEA )のチームによれば、性選択は、オスが生殖のために競争した後にメスを獲得した時に動作するという。
「オス」と「メス」という2つの異なる雌雄の存在が、これらのプロセスを促進している。
UEA 生物学校のマット・ゲージ( Matt Gage )教授は、「これは、次の世代に自分の遺伝子を再現するための最終的な決定であり、広範で非常に強力な進化の力といえます」と言う。
性選択の役割を明らかにするために、チームは、実験室の制御された条件の下で 10年以上にわたり、コクヌストモドキを観察し続けた。
その結果、集団間の生存力の唯一の違いは、それぞれの成虫の生殖段階における性選択の強さのみだったことがわかったのだ。
90匹のオスが、わずか10匹のメスと生殖のために激しい競争をおこなった集団は、これらの条件の下での生殖の7年後、約 50世代を経て、チームは、これらの集団の根底にある遺伝子的な健康と健全を見出した。
強い性選択を経験した集団は、高い適応度を維持し、近親交配に直面しても、絶滅から復活した。
しかし、性選択が「弱い」か「まったくない」選択を経験した集団は、近親交配の後、より急速な健康の低下を示し、すべてが 10世代までに絶滅した。
これは、性選択が、健康と集団の持続性のために重要であることを示すものだ。
これまで、生物学者は、長い間、生殖の効率化の観点から進化の選択について「オスの存在の理由」について理解できないでいた。効率化の点で、オスという存在が、精子の提供という以上に何が必要かが不可解だとされていたのだ。
今回の研究の結果は「生物が子孫を長く残すための重要なメカニズム」として性別が存在すると理解することができ、なぜ、性が存在するのかという長年の謎の説明となる。
性選択は、種の絶滅を防ぐためのメカニズムなのだ。
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人類の覚醒と真実
2015年06月30日
▲ 2015年06月17日の米国マサチューセッツ工科大学 MIT News より。
ノーベル賞受賞者が導いた「肯定的記憶」の働き
最近になって、以前よりもさらに「肯定的な思考」と「肯定的な言葉」の重要性を感じている次第ですが、少し前に読んだ記事で、
肯定的な記憶や言葉が、人間の精神状態を現実的に良い方向に支配する
という可能性を示唆するものがありましたので、ご紹介したいと思います。
米国マサチューセッツ工科大学( MIT )の教授であると同時に、さまざまな研究所の所長でもあり、また、1987年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞している日本の科学者、利根川進さんが、
「幸せな記憶が、うつ症状を改善させる」
ことを研究により明らかにしたというものです。
これは、曖昧な話ではなく、記事中に、
繰り返し(楽しい)記憶を活性化すると、海馬の中にある歯状回( Dentate Gyrus )と呼ばれる部位の一部に新しい脳細胞の形成を引き起こす
とありますように、幸せな記憶は、「新しい脳細胞の形成」を引き起こすのです。
この実験はマウスでのものなのですが、脳の海馬の中にある「歯状回」という部位に、物理的に、つまり強制的に「過去の楽しい記憶」をインプットすることで、そのマウスたちは、うつ症状が改善したというものです。
アメリカの医学系報道ではかなりの扱いですので、相当大きな発見のようです。
歯状回
・actioforma.net
さて、このような「脳に物理的な介入をする」という、この方法そのものについては、今の私は、人工的な医療行為は基本的には好ましくはないと思っているのでアレですが、今回の記事から知ったことは、この方法のことではなく、その根底にあるものです。
つまり、
「幸せな記憶を呼び戻すことで、曖昧にではなく、うつ症状が完全に改善するこことがほぼ明らかになった」という事実
は、病院での治療や投薬といったものではなく、「うつ病患者の方々ご本人と、周囲の人たちが自ら治療者となることができる」という明るい兆しが見えることについてです。
今回の研究者のひとりによりますと、うつ病の人は「肯定的な記憶を呼び戻すことを阻害されている」のだそうです。
つまり、うつ病になってしまうと、楽しい記憶はあっても、その記憶自体を引き出しにくい。
だったら、本人もですが、周囲などが「強制的に楽しい記憶を呼び起こそうと努力するだけで、うつ病はかなり改善させられる可能性がある」ということのようにも思います。
そして何よりも大事なことは、今回の論文の主筆の科学者も、
「ポジティブな記憶を与えた場合、彼らをうつ病から防ぐことにもなる」
ということも言っているように、うつ病になっていない人でも、
日頃から幸せな記憶、楽しい記憶、肯定的な記憶を呼び起こすことと、肯定的な想いを抱くことは、うつ病の予防にもなる可能性がある
ということだと思います。
つまり、昨日の、
・日本式ファイト・クラブ:この世こそ極楽であることに感謝し、激動でも素晴らしい時代を死ぬまで生きる
2015年06月29日
に書きましたように、
実際の現実の状況に左右されてネガティブになることには意味がない
というように、どんなにネガティブな状況下でも、肯定的な記憶と思考と言葉で向きあうようにすれば、「マインドまでやられることはない」ということがわかります。
この宇宙は、あるいは神は、人間の身体に強力な自己免疫力を持たせたと同時に、その精神にも強力なバリアを持たせていたことに気づきます。
誰にでも多かれ少なかれある
「幸せな記憶」
「楽しい記憶」
「ポジティブな記憶」
それらは、風邪ウイルスが私たちの身体を守ってくれるように、私たちの精神を守ってくれているのですから、それらの肯定的な記憶を大事に、いつでも肯定的な記憶を引き出せるようにすることも重要だと思います。
記憶の種類は何でも構わないと思います。
そして、ここから思うことは、
「肯定的な言葉を発することも、おそらくは異常に重要」
だということです。
肯定的な記憶が人をうつ病から遠ざけるのだとすれば、肯定的な言葉を周囲に出すことで、少なくとも自分の周囲のメンタルも多少は健全でいられるかもしれない。
周囲がメンタル的に健全で肯定的ならば、そこから自分に戻ってくる言葉も、それほどネガティブなものにはならないのではないかと思います。
つまり、自分が周囲に放つ「言葉」は、結局、自分のいる環境と、そして自分自身に戻ってくるものであり、それだけに、できるだけ肯定的な「言葉」を出すようにするのは、一種の究極のサバイバルのような気もします。
最新の脳科学は「記憶は作り替えることができる」
ところで、今回の MIT のニュースリリース記事の中には、気になる部分もあります。
下のような記述があるのです。
最近、彼ら研究者たちは、そのエングラム(定の記憶を保存する脳細胞のクラスター)に「偽の記憶」を植えつけることができることを示した。
そして彼らは、特定の記憶の感情的な関連付けを「ポジティブからネガティブ」へと切り替えること、あるいは「ネガティブからポジティブ」へと切り替えることができることも示した。
何と、今の脳科学では、
・ニセの記憶を植えつけることができる
・記憶を「ポジティブなものからネガティブなもの」へと変えることができる
のです!
これ・・・脳に直接介入しない方法でおこなうことができれば(たとえば、光とか周波数とか)、自分では記憶だと思っているその記憶そのものが「実際とは違うもの」である可能性などもあるのかもしれません。
目に見えるものはホログラフ(ニセモノ)で、記憶もニセモノだとしたら、何を信じればいいのやら・・・。
と、ここで大事なのは、それが事実だろうと、ニセモノだろうと、「肯定的にのぞむ」ということかもしれません。風景も記憶もニセモノでも、考えること、あるいは自我はニセモノではないです。
考えている「今」だけは真実なのだから、たとえ、周囲のすべてがニセモノであっても、自分で「幸せな記憶」を呼び起こすことはできるはずです。もし、幸せな記憶がないのであれば、「作ってしまえばいい」かもしれません。ニセモノ 対 ニセモノですよ。
こちらには考えることのできる自我があります。
肯定的な記憶なんて、簡単にひょいっと創造してしまえばいいです。
今回のマサチューセッツ工科大学のプレスリリース記事は、かなり長いですので、あまりいろいろと余計なことを書かないで、本文に入ろうかと思います。
ただ、その前に、中村天風さんの下の肯定的態度についての言葉を掲げておきます。
中村天風『運命を拓く』より
習慣として、何でもいいから、感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。この心がけが、宿命統制にすこぶる効果があるということがわかるなら、宿命統制ということがさほど困難でないと悟れることと思う。
まことに、真理こそ絶対である。
そこで、感謝と歓喜の心で人生を活きるのには、宇宙霊の心を、自己の心となさねばならない。宇宙霊の心は、絶対積極であり、真と善と美のみである。
感謝と歓喜に満ちた善き言葉と行為は、人生の花園に善き幸福という実を結ぶ種子である。
だから、常に最高の運命を招くべく、いかなるときにも、すべてを感謝と歓喜に振りかえるよう、積極的な態度を、心を命じて活きるようにしよう。これが宇宙法則に従順に従うことになり、またそうするなら、宇宙法則も当然、我々によき運命を与えてくれるに決まっている。
それでは、ここから本文記事です。
そして、実験で苦労されたマウスたちにも感謝したいと思います。
Recalling happier memories can reverse depression
MIT News 2015.06.17
より幸せな記憶を呼び戻すことで、うつ病を改善させられる
マサチューセッツ工科大学( MIT )の科学者たちは、うつ病の患者に対して、発症前に形成された幸せな記憶を再活性化させることにより、マウスのうつ病の症状を治すことができることを示した。
これは、人工的に「肯定的な思い出」を再活性化することにより、従来の抗うつ剤に代わるものを提供することができる可能性がある。
6月18日に発行された科学誌ネイチャーに記載された知見は、この、うつ病患者が楽しい体験を思い出すことが推奨される心理療法を成功させることが可能であることについての説明を提供している。
研究者たちは、記憶が保存されている脳細胞の操作による、うつ病治療の新しい方法を提案する。
また、既存のほとんどの抗うつ剤は、脳全体へ影響するための副作用があるが、研究者たちは、この新しい方法の治療は副作用がほとんどないと確信している。
マサチューセッツ工科大学の教授であり、理化学研究所脳科学総合研究センターの代表を務める利根川進教授は、以下のように述べる。
「脳の中のうまく機能していない記憶回路の部位を特定、あるいは、その部位を活性化させることは有益な結果をもたらすでしょう。この方法は、脳内のどこにでも薬物機能してしまう薬物療法ではない、脳回路の特定の部位をターゲットにした新しい医療技術が開発される可能性があるのです」
これと同じ干渉をヒトに対しておこなうことは現段階では不可能だが、「この種の分析は、特定の疾患を対象として、その場所に関する情報を提供します」と、利根川教授は述べる。
今回の論文の主筆は、大学院生スティーブ・ラミレス氏だ。
記憶のコントロール
2012年に、利根川教授、ラミレス氏と同僚たちは、特定の記憶を保存する脳細胞のクラスターを特定し、それを再活性化できることを報告した。脳細胞のクラスターは、エングラム( engram / 記憶痕跡)と呼ばれる。
最近、彼ら研究者たちは、そのエングラムに「偽の記憶」を植えつけることができることを示した。
そして彼らは、特定の記憶の感情的な関連付けを「ポジティブからネガティブ」へと切り替えること、あるいは「ネガティブからポジティブ」へと切り替えることができることも示した。
彼らの最新の研究では、既存の記憶を再活性化する能力を、うつ病を治療するために利用できる可能性を発見しようとしていた。
これを行うために、研究者たちは、マウスに初めて「楽しい体験」を浴びせた。
すべてのマウスはオスで、このオスをメスと遊ばせて楽しい記憶をつくった。
この間、記憶痕跡をエンコードした海馬中の細胞を、青色の光に応答して神経細胞を活性化する光感受性タンパク質で標識した。
ポジティブな記憶を形成した後、研究者たちは、マウスを慢性的なストレスにさらすことによって、マウスにおいて、うつ様症状を誘導した。
これらのマウスは、困難な状況に直面したときに簡単にあきらめてしまい、楽しむことができないというような、人間のうつ病とよく似た症状を示した。
しかし、そのマウスたちに、過去の楽しい記憶を持つニューロンを最活性化することで、うつの症状を改善させることを見出した。
これらのマウスは、それまで、長い間うつ状態であったことなどはなかったように振る舞ったが、それは楽しい記憶が活性化されている間の時間と比例した。
別の組の実験では、研究者たちは、マウスが抑うつ行動のためのテストを受ける前に、5日間、一日2回、15分間、ポジティブな記憶を再活性化することによって、より長時間の症状が改善することが見出された。
繰り返し記憶を活性化すると、海馬の中にある歯状回( Dentate Gyrus )と呼ばれる部位の一部に新しい脳細胞の形成を引き起こすことを研究者たちは発見した。
「脳の力を活用する」
主筆のラミレス氏は言う。
「うつ病に苦しむ人々は、脳内に肯定的な経験の記憶を持ってはいるのですが、それらを呼び戻すために必要な脳の部分が壊れているのです。私たちがマウスの実験で行ったことは、その回路を迂回して、強制的に楽しい記憶へとジャンプさせるということでした」
「私たちは脳の力を利用し、脳自身の中から、そのポジティブな記憶の活性化を強制的におこなったわけですが、あなた方は、人に対して、強制的ではなく自然にポジティブな記憶を与えた場合、彼らをうつ病から防ぐことにもなると考えられます」
利根川教授は、今回の研究は、一部のうつ病患者の心理療法の方法について、科学的な説明を与えることができることを示唆していると述べる。
「うつ状態は、肯定的な経験を呼び起こすことを抑制しています。精神科医は、心理療法で、肯定的な記憶を上書きしようとしているのです」
同時に、この調査結果は、うつ病治療の新しい方法を開発する可能性のアプローチを提供すると研究者たちは語る。
科学者たちが特定の脳の回路を刺激するための、脳内への器具等の挿入を必要としない方法を開発することができれば、光遺伝学を使用して、今回の研究と同様の効果を得ることができるかもしれない。
これが達成する一つとしては、脳の特定の部分に電気刺激を送り、脳ペースメーカーの注入を必要とする深部脳刺激の、より標的化した形態となり得る。
深部脳刺激は、パーキンソン病、うつ病、強迫性障害などを治療するために、ときどき用いられる。
今回の研究は、理研脳科学総合研究センター、ハワード・ヒューズ医学研究所、および JPB財団 によって資金を供給されている。
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人類の覚醒と真実
2015年06月17日
・Your Neural Network
団欒中の覚醒
私は自分の人生で、好きな人はたくさんいても、「尊敬する」という人は基本的にいない、というか、そういう対象を作らないように生きてきましたが(自由が好きな人間が「自分からこの世の自由と平等性を否定してどうする」という感じのことです)、ちょっと尊敬したくなる人物が意外なところから出現したことに気づきました。
昨日の記事、
・「私たちは何か大きなものの上にいる」:地球とすべての宇宙と接続を持つ可能性がある巨大な「プラズマの輪」の存在が証明される
2015年06月16日
で、世界的な講演会の主催グループ TED で 2012年に講演した ジェイコブ・バーネットさんという、当時 13歳の少年の話を少し書きました。
昨日の記事を書いた時は、この講演会の動画は、パソコンでかなり適当に見ただけだったのですが、昨日の夜、もう一度見ようと、家族で食事をしている時にテレビ画面に写し、大きな画面で、今度はすべての言葉をちゃんと見ていたのですね。
そうしましたところ、彼は、私たち人類の「進化」と「未来の人類社会の理想」に関与する、きわめて重大なことを言っていることに気づいたのです。
もちろん、ジェイコブさん本人はそんなことに気づいていないかもしれません。
しかし、彼が講演会で、物理の歴史を語る際に引き合いに出した、ニュートンやアインシュタイン、そして、ジェイコブさん自身に共通してあったこと、つまり、
学ぶことをやめて、考えだし創りだしたときから、すべては新しくなった
という言葉と、その概念。
「学ぶこと」は人間を発展させない
「考えること」こそが人間の進化を進める
というふたつのこと。
最近の In Deep を読まれていた方なら少しおわかりかもしれないですが、最近の私は以前にもまして、本などで「学ぶばかり」でした。
しかし、現実には、学んでいる時は考えることが止まってしまうのです(本の内容を考えることは「考えている」状態ではないです。基本的に自由な考えではない=ゼロからの発想が止まっている状態ですので)。
たとえば、私にしても「恐怖」がどうのこうの、「不安」がどうだの「対峙」がどうだの言っていますが、本を読んで学ぼうとしたりしている。そのような態度では少し困りますね、とジェイソンさんは言っているわけです。
いや、実は、この「学ぶことの弊害」と「考えることが大事」なことは、ずいぶん若い時から体感的にはわかっていたのです。学ぶことを続けていると、人間は自由に考えられなくなる。
たとえば、賢人たちはどうして悟りに辿り着いたかと・・・。
お釈迦様は本などで学び続けた?
達磨大師は知識を学び続けた?
中村天風さんは学校で学び続けた?
否。
彼らが悟りに導くまでにしたことは「考えること」だけだと思われます。
ここに「私たちが大きく勘違いしている」明白な真理が見えないでしょうか。
あるいは、「勘違いさせられ続けてきた」と言い換えてもいいです。
それがまさか、偶然知ったこのアメリカの当時 13歳の少年のビデオの言葉で悟らされるとは!
そして、ジェイソンさん・・・いや、バーネット師は以下のことを講演の最後の方で強く語ります。
「ニュートンもアインシュタインも(自分も)天才ではない。天才なんていない。学ぶことをやめて、考えて、創り出してこそ成し遂げられる」
人類は飛躍的に進化することができる
実はこれに関しては、バーネット師匠の言葉で知るに至った、
人類が内在している能力に関する秘密
と、そして、未来の人類の在り方ということを絡めて、
人類が「劇的に進化」して、「劇的に能力を上げる方法」
について、いろいろなことを書きたいのですが、今回はそんなことより、このバーネット師の講演会の言葉を全部書き出すことにしました。
いいところだけを抜き出してもいいのですが、私が「いいところ」と思う場所と、他の方々や、あるいは師匠が「いいところ」と思うところは違う可能性があるからです。
20分近くの講演ですので、確かに大変ですし、相当長くなるかもしれないですので、読む方々も大変だとは思うのですが、一部のジョークなど以外は、すべてを書き写すことにしました。
私にとっては、写経みたいなものです。
くどいようですが、(あくまで私の考えでは)ここには、人類が、プレアデスの人など比較にならないほど飛躍的に進化する道が穏やかに示唆されています。
たとえば、講演の最後の3分間ほどで「まとめ」のようなことを述べていますが、この部分だけでも「人類全員が果てしない能力を獲得する方法」がさりげなくが示されていることがおわかりになるのではないでしょうか。
これは単に、自閉症から数学・物理学者になった少年の話ではなく、2歳で「切断」されて覚醒した本人からの福音と思えます。
師匠本人はそのことに気づいていないと思われますが。
少なくとも、これは私のショック体験で、師匠の講演を聞いた後に「恐怖と不安の正体」に少し近づいた自分を感じます。
ちなみに、バーネット師匠の記事を教えて下さったのは、私の講演会の打ち上げに来ていただいていた、栃木で自給自足をされている女性(農作業中、マムシに噛まれて救急搬送された経験あり)でした。この方が教えて下さらなければ、多分、知らないままだったと思います。
さかのぼれば、講演会に、あるいは打ち上げに、この方が来て下さっていなければ、私は今回のショック体験をできずに、スルーしていた可能性が高いです。
いや、さかのぼれば、出版の話がなければ・・・いや、あの人と出会っていなければ・・・それなら、あの方と知り合っていなければ・・・いや、あのことがなければ、あのことがあったから・・・いや、私が生まれていなければ・・・。
まあ、カルマは尽きませんが、ありがたいことだと思います。
これ以上、私がうだうだと何かを書いても仕方ないですので、書きたいことは今度にしまして、早速内容を書き写します。
師匠のギャグは、ややわかりにくいところもありますが、基本的にはそのまま訳して載せています。
語感や雰囲気などを出すために YouTube の訳とは微妙に違います。
ここからです。
Forget what you know | Jacob Barnett | TEDxTeen
知っていることを忘れなさい
ジェイコブ・バーネット TED 講演会
・ジェイコブ・バーネット師匠
ハーイ、ジェイコブ・バーネットです。
楽しんでる?
ぼくは今日、「知っていることなんて今すぐ忘れてしまえ」ということを言うためにここに来ているんです。
まず、みんながわからなければならないことは、たとえば、みんなは宿題をするよね?
宿題はやらなきゃならないことだと思ってる。
宿題をちゃんとやっていれば、良い成績がもらえ、素敵なご褒美がもらえる。
ちょっとしたお小遣いとか、いいものがもらえると思っていないかい?
それは間違いなんだ!
「みんなは間違っている」というのが、ぼくの言いたいことなんです。
うまく行かせようと思ったら、すべて自分独自の見方をしなきゃならない。
どういうことかというと、考える時には、既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけないってことなんですよ。
ものを見る時には、美術でも歴史でも音楽でも何でもいいけれど、自分にしかできない見方をする。
ここで、ぼくの数学の見方をお見せしましょう。
たとえば、これは 32 で、回転は、足し算、引き算、かけ算などを表しています。
さて、今日、ぼくがここに立っている理由は、量子力学の話をするためです。
今日やることは、シュレーディンガー方程式を、時間に対して不変な要素に分解して、それを格子と、その中の1個の粒子という、境界条件に対して解くということです。
じゃあ始めます!
講義ノートがあるので回してほしいんですが、2列にわけるので、どなたか取りに来ていただけますか?
ちょっと待って下さい。その前に、ひとつ言っておきたいことがあるので。
(と言って、その講義ノートをすべて放り投げる)
(笑)
ぼくは皆さんを量子力学でビビらせに来たわけじゃないんです。
もっと簡単なことを考えましょう。
「円」というものがわかる人は、どのくらいいますか?
では、なぜ、円は重要なのでしょうか。
クッキーの形だからでしょうか?
スケボーの車輪の形でもありますね。
何より重要なのは、Xbox 360 に命を吹き込む形だからですよね(笑)。
学校では円についてどう習うでしょうか。
π・r 2乗とか、丸いとか・・・他にありますか?
まあ、それくらいだよね(笑)。
円について、ちよっとおもしろいことをお教えしましょう。
ジョンソンの定理っていいます。
定理っていうより、数学者のものの見方です。
ジョンソンが言ったのは、3つの同じ大きさの円を重ね合わせて、6本の青い線が … 円を青で描いたとしてですが、6本の線が1点で交わるようにしたとき、円が交わる他の3点は、同じ大きさの円の上にあるということです。
これはπ・r 2乗とは違う新しいことです。
なぜなら、ジョンソンは、「円はπ・r 2乗で丸い。それで終わり」というようには考えずに、数学を作ったわけです。彼独自の見方をして、そうしたんです。
ここにいるみんながみんな数学の才能に恵まれているわけではないことは知っているので(笑)、もっとおもしろい話をしましょう。
中高生以上の皆さんなら、アイザック・ニュートンを知っていると思います。
あの、プリズムとかで、何かやった人です。
ニュートンは 1965年に、ケンブリッジ大学にいました。
歴史が得意な人は知っているでしょうが、ペストの流行のため、ケンブリッジ大学は閉鎖されました。
ニュートンは学ぶことができなくなったのです。
学ぶのをやめて、おそらく寮に閉じこもり、飼い猫と一緒にペストから逃げていたのでしょう。
学ぶことはできなくとも、考えることをやめたくはありませんでした。
それで、ニュートンは天体物理の問題を考えることにしました。
特に、地球を回る月の軌道を計算したかったんだと思います。
ニュートンがやったのは、この問題を解くために微積分を作り、運動の3法則を見つけ、万有引力の法則を見つけ、法則を検証するために、反射望遠鏡と光学を作り、そういったものすごいことを「学べなかった2年の間に」やったんです。
当時、ニュートンが学べなかったのは、ぼくらみんなにとって、とてもいいことだったのです。
学ぶことをやめたことで、自分で考え始め、新しい科学を作ったんです
よかったですよね。
そのおかげで、あの物理学理論があるんですから(笑)。
ニュートンは学者になったり、オールAを取ったり、成績優秀者リストに載ったり、教授のお気に入りになることはできたかもしれないですが、もし、あの時に、学ぶことを「やめなければ」何も創ることはなかったでしょう。
理論を新しく生み出すときに、ニュートンは自分で考え始め、独自の見方で物事を見る必要があったんです。
最初に自己紹介をやらなかったので、ぼくの自己紹介をきちんとしておきたいと思います。
11年前(2歳のとき)、ぼくは自閉症と診断されました。
ぼくは物事に極端に集中してしまうため、周囲からぼくは何も考えていないように見えたようです。
だから、ぼくは、「ここに光が反射しているから、光源は上。そして、ぼくの影はここだから、光はあっちから来る」と思って見上げると、その通りという感じだったんですね(笑)。
そんなことで、周囲は、ぼくは学ぶことができない子どもだと思ったんです。
じっと空を見上げ続けているだけで、ぼくが何もしていないように見えたので、みんなは、ぼくが何も学ばず、何も考えず、何も話さず、靴紐も結ばず・・・あ、それは当たっているかも。いつもサンダルだから(笑)。
(バーネット師はいつもビーチサンダルのようです。この日の講演会でも)
でも、ぼくはその頃、大きな本屋に行って教科書を買い、本のデータからケプラーの法則を導いたんです。ぼくが何も学びも考えもしないと思われていた時にです。
他の人から見たら、ぼくは芳しくなくて、普通の2〜4歳の子どもがするような、フィンガーペイントだとか、お話とかをやらなかったんです。
それで彼らがやったのは、僕に特殊教育をほどこすということでしたが、それはものすごく特殊でした。何しろ何も教えなかったんですから(笑)。
それで、ぼくは学ぶのをやめなければなりませんでした。
特殊教育のために、学ぶ方法がなかったんです。
そんなわけで、ぼくは何も学ぶことができませんでした。
でも、その時に、影の付き方だとか、そんなことを考えるようになり、それが今、天体物理学とか物理学とか数学が好きな理由だと思います。
学ぶのをやめたことが、今日のぼくがある理由なんです。
じゃあ、重力の話をしましょう。
ニュートンの後に何があったのかというと、ニュートンの後 200年くらいすると、物理学者がニュートンによる軌道をチェックするのに十分な実験技術が発展しました。
ニュートンの予想によれば、水星の軌道は長円です。科学者は「楕円」と言っていますけれど、しかし、望遠鏡を向けてみると、それは違うことがわかりました。
これです(左はニュートンによる水星の軌道。右が正しいらしいです)。
まあ、科学者の方なら、この絵がすごい誇張だってわかるでしょうけれども。
いずれにしても、何と! ニュートンは正しくなかったのです。
史上最高の物理学者であり、最高の頭脳が間違ってたんです。
彼は間違った!(笑)
だから別の人間が必要になるわけです。
ニュートンがやったようなことをやる人間が。
知っていることを「すべて」忘れ、すべてを創り直すのです。
「再創造」です。
その人物が、アルバート・アインシュタインです。
アルバート・アインシュタインも行き詰まりました。
あまりうまくいってなかったんです。
アインシュタインはユダヤ人で、ナチスが台頭する前のドイツで大学の職を得られませんでした。それで、彼は特許事務所で働いたのです。理論物理とは関係のない仕事です。
あのアインシュタインがです!
それで、アインシュタインには突如として考える時間がたくさんできたのです。
学ぶことをやめなければなりませんでしたが、考える時間は、たっぷりとあったのです。
それで彼がやったことは・・・彼は思考実験が好きで、あらゆる違う考え方を試したんです。
アインシュタインは想像してみました。
自分が2人の友だちとトランポリンの上にいて・・・うーん・・・アインシュタインに友だち2人は多すぎますかね(笑)。
アインシュタインは1人の友だちと一緒に、トランポリンの上でテニスかなんかして遊んでいたんだと思います。
何しろ物理学者ですから、運動神経がそんなに良くなくて(笑)、テニスボールを掴み損ねて、ボールが周辺にゴロゴロ転がったとします。
これを見て、アインシュタインは叫びます。
「摩擦がなければ、これが重力だ!」と。
「これが重力なんだ!」と気づいたんです。
それで、とてもクレージーな動きを予想したんです(下の図)。
そのクレージーな動きは、別のクレージーなことと一致したんです。
アインシュタインは独自の見方、独自の考え方をすることによって、問題を解いたんです。
学ぶことをやめて、考えることを始め、創り始めたんです。
ぼくの昔の話に戻りましょう。
ぼくは周囲からは芳しく見えなくて、隅に放っておかれたという話でした。
3年前のことですが、サボりたい数学の授業があったので、そうできるようにするためやることにしたのは、代数と三角法と、その他、中高で習う数学と大学1年の解析を、すべて2週間で勉強してしまうということです。
そうしたら、あとはサボっていられますから。
10歳の時でした(笑)。
当時、大学への願書が受理されました。これも 10歳の時でした。
それで面接試験を受けに行かなければなりませんでした。大学に入るのに必要なんです。
面接を受けに行ったとき、駐車場に払うための硬貨をたくさん持っていたのですが、それを何と、面接官の部屋で床に全部ぶちまけてしまいました。
このことで、ぼくは常識を欠いているという印象を持たれて、入学は丸々1学期保留されることになったのです。
それで、ぼくは学ぶことをやめなければなりませんでした。
それで何をしたか。
学ぶのをやめて、テレビゲームで遊んでいたのか?
違う!
ぼくは「形」について考え始めたのです。
そのとき、ぼくは、天体物理学のある問題について考えていました。
当時、天体物理にとても興味があったんです。
もちろん、今も興味があります。
次の2週間、いろいろな形について考え、その問題について考え、そうしたら問題が解けたのです。
天体物理の問題を解いたわけですが、それは基本的に、アインシュタインやニュートンに起きていたのと同じことです(学ぶことができなくなり、考えるようになったこと)。
まだ発表していないので、正確にどういう問題なのかは言いませんけれど、論文が出たら、それとわかるでしょう。
ぼくは、そういった問題を考えるのに、量販店で売られている 500枚組の安い紙を使っていましたが、考えているのが、多次元の話だったので、紙がすぐ足りなくなるのです。
紙を切らすと、ホワイトボードに移動しましたが、ホワイトボードなんて、すぐにいっぱいです。
それで今度は家の窓に移動しました。
それからぼくはマジックリンと戦うことになります。あの邪悪なマジックリンに、ぼくの数式が消されてしまいます。
そのうち、ぼくが公園とかに遊びに行かないで、窓に変な図形ばかり描いていることに、両親が気づきました。
ぼくがやろうとしていたことは、基本的に反証です。
ニュートンみたくはなりたくないですので。
100年も経ってから、間違いを証明されるなんてごめんです。
それで窓に行って、反証しようとしたんですが、できませんでした。
その後、両親は、ぼくが公園に行くべきだと考えて、プリンストン大学から誰か呼んできて、ぼくに対しての「反証」をしてもらうことになったのですが、ぼくのやっていることはどうやら正しそうだということになって、両親の計画はうまくいきませんでした。
公園はナシになりました(笑)。
ぼくは、学ぶことをやめなければならなかったことによって考え始め、問題を解いたんです。
その後、微積分のビデオを制作することにしたんです。微積分を学びたいというような変人も3人くらいはいるかもしれないし(笑)。
それで作ったんですが、12歳で微積分のビデオを作っているということで注目され始めました。
最初に取り上げたのは、インディアナポリス・スター紙で、一面で取り上げられました。写真が出ていますが、この時、ぼくはサンドイッチを食べていました(笑)。
おいしかったです。
それ以来、ぼくの微積分のビデオが大人気になりました。そもそも微積分のビデオが人気になるなんて誰が思ったでしょうかね(笑)。
外国語にも翻訳されました。それから、フォックステレビの人から連絡があって、その人の窓に書くことができることになりました。フォックステレビは窓がすごく広くて良かったですね(笑)。
それから、いろいろな変な人が家に訪ねてくるようになりました(笑)。
これは CBS 60 ミニッツのモーリー・セーファーです。
写真をよく見ると、ぼくは今と同じサンダルを履いていますね(笑)。
まとめみたいなことをしましょう。
アインシュタインやジョンソンやニュートンといった、ぼくがこの講演で取り上げてきた人たちは、みんな天才だったんでしょうか?
それが彼らを特別にしていたものなのか?
天才だったからできたのでしょうか?
それはちがう!
絶対に!
天才だからじゃないんです!
この人たちはみんな「学ぶところから考えるところ」へと、そして「創るところ」へと変化を辿っているんです。
メディアはそれを単に天才だと言っていますけれど。
まあ、彼らの IQ が比較的高かったのは確かでしょうけれど、しかし IQ が高くても、こういったことが何もできない人たちもたくさんいて、例えば、ただ円周率を 20万桁とか覚えて、それでおしまいとか。
なぜ他の数字を覚えないのか疑問です。たとえば、今ぼくが着ている黄金比(φ)などを(笑)。
ぼくは、そもそも、このようなところに立つことを期待されていませんでした。
言葉を話すようにはならないと言われていましたから。
あの時のセラピストたちがどこかでこれを見たら卒倒すると思いますよ(笑)。
ぼくは、話せないと思われ、学べないと思われていましたが、今日ここに立っています。そして、何百人ものニューヨークの人を前に話しています。
今日の話から皆さんに持ち帰ってほしいことは何か?
皆さんにやっていただきたいことは、次の 24時間、まあ、土曜日ですが学校があったりとか、いろいろとある人もいるでしょうが、次の 24時間は、学ばないで下さい!
これから 24時間、学ぶことを禁止します。
その代わりにやってほしいのは、何かの分野に・・・皆さんは何か好きなことがありますよね? ここで少し話しただけのぼくは、皆さんが何に興味あるのかわからないですが、みんな何か好きなことがあって、それが何かは、自分でわかっていることでしょう。
その分野について学ぶかわりに、その分野について考えてほしいのです。
その分野の学生になる代わりに、「分野そのもの」になってほしいのです。
音楽でも建築でも科学でも何でもいいです。
その分野について考えてほしい。
そうすれば、あなたは何かを創り出すことができるかもしれないのです。
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人類の覚醒と真実