【人類の覚醒と真実】 の記事一覧

2013年06月23日



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「ヴォイニッチ手稿は真実のメッセージを持つ」という英国 BBC の報道



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▲ ヴォイニッチ手稿より。イラストは、大きくわけて、未知の植物、宇宙の図、そしてたくさんの女性たちが描かれてます。文字もイラストも、そのすべてにおいて、ヴォイニッチ手稿ひとつも解明されていません。






 


ヴォイニッチ手稿に関しての In Deep 内の関連記事

『ヴォイニッチ手稿を解読した』という人物の登場
 2011年12月06日

ヴォイニッチ手稿とアステカ文明のリンク(1)
 2014年02月09日

ヴォイニッチ手稿とアステカ文明のリンク(2)
 2014年02月10日





英国の研究者たちが続けているヴォイニッチ手稿の解読


ヴォイニッチ手稿というのは、1400年代のはじめ頃に記されたとされる謎の古書で、現在の地球に存在しない文字のようなテキストで記され、数多くの未知のものが描かれたイラストが添えられています。

人類や自然界の秘密や真実が隠されているかもしれない古書と呼ばれることもある一方で、今では「内容に意味がないデタラメの書」という説も強いです。

この古書に関しての一般的な説明を Wikipedia から抜粋しておきます。


14世紀から16世紀頃に作られたと考えられている古文書。全230ページからなり、未知の言語で書かれた文章と生物を思わせる様々な彩色された挿絵から構成されている。

文章に使用されている言語は、単なるデタラメではなく言語学的解析に照らし合わせ、何らかの言語として成立機能している傍証が得られているため、一種の暗号であると考えられているが内容は不明。

手稿には、記号システムが確認されている特殊な人工文字によって何かの詳細な説明らしき文章が多数並んでおり、ページの上部や左右にはかなり緻密な、植物や花の彩色画が描かれている。植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲に見える絵や、精子のように見える絵、複雑な給水配管のような絵、プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿し絵が多数描かれている。




この説明の中にある「複雑な給水配管のような絵」というあたりは、文字だけではわかりにくいと思いますが、たとえば、下のようなものです。

voi-sys1.jpg

▲ ヴォイニッチ手稿より。


植物のイラストがもっとも多いですが、上のように、女性たちが合理的な説明のつかない行動をしていることを示しているページも数十ページにわたり続きますので、ヴォイニッチ手稿の中で重要なテーマであることを感じます。イラストに男性は一切出てきません

人間で登場するのは女性だけで、あとは植物と宇宙の構造のような図。


昨日の英国の BBC の報道で、このヴォイニッチ手稿が取り上げられていることを見つけまして、そのタイトルが「ミステリアスなヴォイニッチ手稿は「真実のメッセージ」を持つ」というものだったのでした。

読んでみると、内容はタイトルとはちょっと違う感じで、ほんの少し研究が進んだけれど、相変わらずデタラメ仮説も根強いというものでしたが、しかし、英国ではいろいろな大学でかなり真剣にこのヴォイニッチ手稿の解読について取り組んでいるということを知り、いまだに多くの人の心を惹きつけるものではあるようです。


ヴォイニッチ手稿の解読に関しては、過去記事の、

『ヴォイニッチ手稿を解読した』という人物の登場
 2011年12月06日

という記事でもご紹介したことがあります。

このヴォイニッチ手稿は、インターネットで、ほぼ全部を閲覧することができますので、興味のある方はぜひご覧いただけるとよろしいかと思います。

Voynich Manuscript

に、ヴォイニッチ手稿を所蔵するイェール大学のバイネキー稀書図書館がデジタルカメラで撮影し公開したものを並べてくれているサイトがあります。






ちょっとした偶然

実は数日前に、ふだんそれほど交流しているというわけでもない方から久しぶりにメールをもらったんですが、その内容が、ヴォイニッチ手稿についてのものでした。

メールに BBS の過去ログの URL があったのですが、それを見てみると、日本でも、ヴォイニッチ手稿について真剣に考えている人たちが結構いらっしゃることを知ります。教えてもらったログは、こちらです。

宇宙の人類の関係とか、あるいは DNA やクローン技術と関係していることだとか、様々な人たちがいろいろと考えているようです。


また、女性しか出てこないことについては、全体性に関しての希望とも呼べる説の発見のメモというページに、


> ヴォイニッチ手稿の挿絵には見渡す限り人間の形をした者は全て「女性」である。
> なぜ女性なのかと言う点だが、人間が母親のお腹で初めて人間の形を成した時の性別は皆「女性」だからである。
> 男性への分化はその後に起こる。


というような抜粋があったりもしました。


そんなこともあり、ここ数日ヴォイニッチ手稿のことを考えていた時に、昨日 BBC の報道を偶然、目にしましたので、これは何かの縁だろうからご紹介しておいたほうがいいかなあ、と記事にした次第です。


ちなみに、今回のオリジナル記事はわりと長いものでしたので、余談はこのくらいにして、ここから本記事に入ります。



続きを読む



  

2013年04月22日



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今朝のロシアのプラウダに「地球に進化論でいうマクロ進化は一切存在しなかった」というような文で終わる記事がありまして、まあ、なんとなく力強かったので、その記事をご紹介します。


ただまあ・・・その前に書いておきたいことがあります


基本的に私個人は現在の時代の科学は、地球の歴史上でも珍しいほど「真実とは遠いところに位置する科学」となってしまったと感じています。この間のパンデミック関係の記事で、私は、


残念ながら、今の科学の世界は「根元」が間違った方向の上(ビッグバンといわゆる進化論)にありますが、やはり残念ながら、それはもう是正できないと私は思っています。

もはや時間が足りないと思います。




と書きましたが、その「時間が足りない」というあたりも含めて、雑文となりそうですが、少し前振りで書いておきます。明るい話ではないですが、正直な思いです。



どれだけ新しい発見が続き、研究が進んでも「根」が間違いなら先へは進めない


今日のロシアの声に下のような見出しの記事がありました。

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地上の生命は地球の誕生に遥かに先行していた
VOR 2013.04.22

リチャード・ゴードン、アレクセイ・シャロフ両氏は「ムラ」という法則を用いて計算を行った。素人には難解な法則である。たとえば次のように用いられる。コンピューターの発展の歴史を知ろうという場合、最先端のものの詳細な分析を元に過去向きに計算していけば、その誕生は1960年代であった、ということになる。最初のコンピューターが現実に誕生した年代と符号するのだ。

現在の生命の複雑さを元に過去向きに辿っていけば、生命はおよそ97億年前に起こったのでなければならない。地球はたかだか45億年前に生れている。



見出しを見た時には、「お?」と思ったのですが、読んでみると、「生命はおよそ 97億年前に起こった」という単なる有限宇宙論の延長であり、やっばり今の科学なんかに期待してはいけないと襟を再度正すのでした。


ロシアは過去記事の、

私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」
 2013年03月24日

などでもふれたチジェフスキー博士などのいた「ロシア宇宙主義」という下のような理念を持つすぐれた宇宙科学と理念を持っていたことがあるわけで、いつも多少の期待を抱いてしまうところではありますけれど。

ロシア宇宙主義の理念の中のひとつは下のような理念です。


地球上の生命現象は、宇宙の「物理的な現象」とつながっている。

神経節のように、ひとつひとつの生きた細胞は宇宙の情報に感応し、大宇宙はこの情報を細胞のひとつひとつに浸透させている。



というような。
他にもいろいろとありますけれど。



▲ ロシアのアレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)。


現在の・・・いわゆる科学といわれるものが、どうして今のように「奇妙なもの」となってしまったのかというのは、その理由のひとつに、


・真実の追求ではなく、名声をあげることが科学者の一義的な目的となってしまったから


ということはまあ・・・多少あるとは思います。

これを真っ向から否定できる科学者ご本人も少ないと思います。


あるいは、その土台となる科学界の「権威主義」と「階層的な科学組織」の力。

いつ頃からこれが始まったのかはよくわからないですが、西暦 1600年には、ジョルダーノ・ブルーノは「宇宙は無限だ」という自説を撤回しなかったために焼き殺されているわけで、少なくとも数百年前以上前からそういうものがあったようです。





上にも書きましたこちらの記事で、私は、


もはや時間が足りないと思います。



と書きましたが、この「時間が足りない」という感覚も、上の「権威主義」と「階層的な科学組織」の力と関係しています。


小さな問題ならともかく、進化論だとか現代宇宙モデル、あるいは、たとえば相対性理論のような「根本的な科学モデル」に修正が加えられるとした場合、それが下から上へと報告されて、上で決定されるまでの、報告、提出、会議、試験、判定、などの手間を考えると、何百年あっても、現在の「基本科学モデル」が別の方向に向かうには時間が足りないと思います。





アリストテレスの時代に変えられてしまったこの世

実際、この数十年は科学はその理念においては特に後退していて、アリストテレスの時代に「科学界で力のある人たち」が「地球と宇宙を切り離して」以降少しずつ後退した科学は、今とになり完全に「底」にまで行き着いたと考えてもいいように思います。

地球と宇宙が密接に結びついていることを科学の最大の基本として考えれば、いろいろな可能性はあったと思います。

たとえば、地震などを含めた災害についてさえも、かなり有効な解決方には近づけていた可能性はあります。

過去記事で、

3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
 2011年05月20日

というものをご紹介したことがありました。

NASA のゴダード宇宙飛行センターが公開したデータにより、「マグニチュード9の地震があった前日までに日本上空の赤外線量と電離層の電子量が増大したことがデータ上で確かめられた」という記事をご紹介したものでした。

下は上記の記事から「3月10日から3月12日までの赤外線のエネルギー量の変化」です。内容はここではふれませんので、詳細は記事をお読みいただくと幸いです。




これらの「巨大地震の前に高層大気でさまざまな変化が見られている」ということは、上のようなデータも含めて、たとえば、宇宙飛行士などの間でも「定説」として語られていたことを、やはり過去記事で書いたことがあります。

謎の「光る雲」がどんどん高度を落としてきている
 2012年06月26日

という記事の中盤にある「ロシアの宇宙飛行士たちが確信した「銀雲」と地球上の災害の関連」というセクションに記したことがあります。

そこに、ロシアの「ミール」という宇宙ステーションで 1994年から 1995年にかけて 438日におよぶ長期のスペース・ミッションをおこなったロシアのワレリー・ポリャコフという宇宙飛行士が帰還後に記した『地球を離れた2年間』という著作の中から「銀雲」という現象についての記述を抜粋したことがあります。



▲ ロシアのワレリー・ポリャコフ飛行士。



それからもうひとつ忘れられない現象がある。それは " 銀色の雲 " のことで、地上で起きる災害と関連があると言われている。

それは不思議な雲だ。銀色の雲という、まことにロマンチックの名前は、地表が円形になる地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空にしか現れないところからきている。

(中略)

その後、仕事の忙しさもあってこのエピソードは忘れられていた。ところがその晩、地上との定期無線交信のときに、アルメニアで大地震があり、膨大な数の犠牲者が出て、街は壊滅状態だという連絡があった。

(中略)

2回目のフライトの際には、ロケットが打ち上げられ、安定飛行状態にはいるやいなや、巨大な銀色の雲を目にし、不吉な感情に襲われた。管制センターとの無線交信によって、アメリカ合衆国のロサンジェルス市か、あるいはその近郊地域に大型の地震が発生し、大きな被害が出ているというニュースが伝えられた。



というもので、簡単にいえば、「地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空に銀色の雲が出ると必ず地球上で壊滅的な地震が起きる」ということを書いていました。


silver-clouds.jpg

▲ 宇宙からは銀雲はこのような感じで見えるものだそうです。


この記述は、変なオジサンが書いているものではなく、ソ連という国家が選び出した当時の世界最高峰クラスの科学者でもある宇宙飛行士が、「気になる現象」として強く書き留め続けていたことです。

地震との関連を、もっときちんと調査するのはおかしなことではなかったと思われます。地球上に衛星はいくらでも飛んでいるのですから。

あるいは、 311の東北の地震の際にその数日前から日本の上空で見られた「赤外線量と電離層の電子量が増大の現象」は、多くの人々が一種の驚きを持って見たデータにも関わらず、その後、本格的な研究の続報はあまり聞きません(おこなわれてはいるとは思いますけれど)。

どうしてあまり研究されないかというと、「地震は宇宙などとは関係ない」とみんな思っているからです。


地球は宇宙とは関係ないのだ、と今でも多くの人が思っている。



結局は今でも、地震というと地球の地面の下を調べることが中心というのが現状だと思います。その研究が無駄ではないにしても、「トリガーとは無縁」であることは研究者の方が最もわかってらっしゃることだと思います。

「今後 100年以内に起きる確率は・・・」

と言われても、私たちのような一般人はどうすれば? と思うしかない。


地面の下をいくら眺めていも、地震の発生に関しての根拠は「何百年経っても掴めないのではないか」という気もするのです。しかし、宇宙から地震を研究すれば、トリガーはかなり正確にわかったことだと思います。これは間違いないと思います。




でも・・・・・。やはりこれも今からではもう遅いです。



機器の用意の問題ではなく、上にも書きましたけれど、ガチガチに「学問の概念」が固められた科学会の牙城の中で、新しい理論が中心となる可能性などほとんどないでしょうし、そもそも、新しい理論が入り込むだけでも、何年も時間がかかる。いっぽうで、地球は現在、急速な勢いで変化を増していっている。


もう科学は間に合いません。


個人的には、数年もすれば今とは明らかに違う地球になっていると思っています。





それでも地球と宇宙はつながっている

ちなみに、「宇宙と地球がつながっている」という観念から科学を考える方法を取り入れていれば、病気についての理解にもずいぶんと役立ったはずです。

最近書いているパンデミックのこともそうですけれど、「宇宙から人間に直接病原菌が感染する」という、科学的に考えればわりと普通だと思われる考え方(古来からある考え方なので奇異ではないです)を、なぜ、「とんでもない考え方」とされてしまう風潮になったのか。

これも、アリストテレスの時代の「宇宙と地球の分断」以来、地球の科学界で続いている「地球のものは地球のもので、宇宙とは関係ない」という科学的信念と関係していると思います。

これは是正してほしいけれども・・・・しかしこれに関しても、やはりもう遅いです。




時は来てしまった・・・という感じでしょうか。




私は(なかなか難しいとはいえ)とにかく残る人生をできるだけ楽しく、あるいは充実させて生きていきたいと思っています。

今の心境ではそれはできないと思いますけれど、でも、そうしたいです。



というわけで、無駄話が長くなりすぎました。

ここから、先日のロシアのプラウダのサイエンス欄で見つけた記事を翻訳してご紹介いたします。





Fish DNA doesn’t support evolution of limbs
Pravda (ロシア) 2013.04.18

魚の DNA は人間の手足の進化とは結びつかない


49876.jpeg


かつては絶滅したと考えられていた魚類の断片から採取された DNA の調査結果は、科学者たちに新しい発見をもたらすかもしれない。これまで、この魚がネズミの手足へと成長していったといような進化の可能性が考えられていた。

このことは、魚類が間違って(遺伝子のミスコピーなどの意味)手足を獲得した証拠として進化論では歓迎されている意見だ。

しかし、彼ら魚の DNA から「手足となる可能性となるもの」が一切発見されなかったとしたら、これは興味深い発見ではないだろうか。今回採取された魚の断片からの DNA のメカニズムは、この「興味の引き金を弾くトリガー」となり得るかもしれない。

手足を形成する「トリガー」は、 DNA の中にもともと手足を形成する遺伝子が存在している場合にのみ、その萌芽となり得る。たとえば、手足のあるネズミの遺伝子にはそれがある。

仮に、魚にもこの遺伝子が存在しているのなら、それが何かの「間違い」で手足となる可能性はあるかもしれない。

しかし、「存在していない」のだ。

魚の DNA には足へと成長する遺伝子の存在は確認されない。

魚のヒレが足に進化している途中の、ヒレと足をそれぞれ持つように進化した魚を想像してみてほしい。



fish-devo.jpg

(訳者注)上の図は訳者による参考図です。


そんな形態のどこに「生存の優位性」があるというのだろう?

これではヒレも足もどちらも効率的に使うようなこときできない。
そもそも、一部がヒレで一部が足などという魚の化石はいまだかつて見つかったこともない。想像の産物以外では化石としても存在しない。

自然界のすべての本当の進化にはその限度がある。

遺伝子は、すべての種の中で、マイクロ進化(例えば、イヌやネコ、ウマ、ウシなどの生物学的な品種の変更など)の範囲では存在しても、生物学的な種のバリエーションを越えるようなマクロな(大きな)進化をサポートしたり、プログラムする能力を持たないと考えるのが妥当だ。

可能なのは、既存の遺伝子の形質の中での変形のみである。

つまり、イヌは遺伝子の変化によって品種が変化しても、それはイヌになる(遺伝子の変更で他の動物になることはない)。

進化論者たちは、何百年にわたって、環境の放射線等に起因する遺伝コードのランダムな変異の間違い(遺伝子のコピーミス)などによって、マクロ進化(生物種を越えた大きな進化)が起こると考えきた。

そして、自然淘汰により、全く新しい特性を持つ全く新しい遺伝子を生成するというようなことを本気で考えてきたのだ。

DNA と遺伝子の性質を冷静に考えてみてほしい。

そんなこと(コピーミスと自然淘汰により種を越えたマクロな進化)が起きることはロマンス小説の中、あるいはSFの世界くらいにしか存在しないとはお感じにならないだろうか。

マクロ進化のための主要な問題は、適者生存の問題だ。部分的に進化していった種が、たとえば、部分的に進化していった形や器官(外見や臓器など)を最初から機能させて生きていくことができるだろうか。

重要な臓器が進化している間に生存に適するように機能するだろうか。進化論者たちは、自然淘汰や適者生存の中で種が生き残る方法を説明するかもしれないが、生命そのものの形態と器官が生存に適さない可能性を彼らは説明しない。

異なる種の間での遺伝的および生物学的な類似性の中に、「共通祖先」という証拠は存在しない。

生物の多くの種の間には多くの優れた類似点が存在し、論理的に様々な種で、同様の目的のために同様の機能を設計し(違う生物でも、たとえば神経や器官や臓器を同じように使っているというような意味)、共通の遺伝子エンジニアがまるでいるかのような構造を持つことは確かだ。

それを認めた上で進化論を否定すると「神」が出てきてしまう。

なるほど、確かに遺伝情報は、情報の他の形態と同様に「偶然に起こる」というものではないし、また、異なる種の間の DNA や遺伝的な類似性が驚くべきものであることに、インテリジェンスデザイン(創造論的な意味)を感じることは確かだ。

たとえば、「ジャンク DNA 」という存在がある。

かつては DNA のうちの 90パーセント以上は「機能していないもの」と見なされていて、それがジャンク DNA (ゴミDNA )という語源にもなっているが、最新の研究では、ジャンク DNA はまったくジャンクではないことがわかり始めている。

DNA のすべては有用なものであることが示されはじめているのだ。最近のネイチャーなどの科学誌で発表されているな DNA に関する研究は、「コード化されていない DNA セグメント( "non-coding" segments of DNA )」が遺伝子発現の調節に不可欠であることを明らかにした。

これまで発見された化石のすべては、種として完全に形成されて機能していた。ヒトに関しても、「ヒト」と「ヒトではない」といういずれかしかなく、その途中はない。

地球の自然の中でマクロ進化は完全になかったと断言していい。





ここまでです。

上の記事に「ジャンク DNA 」という言葉が出てきますが、これに関して、ずいぶん以前に翻訳して何回かにわけて、記事にしたことがあります。

それをリンクしておきます。

ジャンクDNA解明への挑戦(第1回): 記憶媒体として機能しているDNA
 2011年06月11日

ジャンクDNA解明への挑戦(第2回): DNAは言語が具体化したものだった
 2011年06月12日

ジャンクDNA解明への挑戦(第3回):DNAは生物の直感力とテレパシーを支配している
 2011年06月13日

ジャンクDNA解明への挑戦(第4回): 人間の遺伝子の変異を促すものは何か?
 2011年06月16日


ところで、上の記事は強い口調でいろいろと書いていますが、ひとこと補足させていただきますと、つまり、

「人間は人間として進化していく」

ということだと。

記事の前振りで、私は現在の科学に諦めを持っているかのように書いていますが、それでも、人類そのものの大きな進化はあると考えています。

それがどのような形なのかは、予測はできても具体的にはわからないですが、遺伝子を直接変えることができるのは、ウイルスやファージなどの非生物的生物ですので、それらの関わりは人間の進化に大きく関係すると思います。



  

2013年04月09日



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「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために」前記事:
(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」
(2):平衡を失ったこの魚座の世界のどこかにあるはずの「みずがめ座への意識」







 


cosmic-ray_shower-002.jpg

▲ 地球が超高エネルギーの宇宙線のシャワーを浴びた時のイメージ図。


(注) 昨日の記事「21世紀のパンデミック(1): ウイルスが人を選ぶのか? 人がウイルスを選ぶのか?」の続きは、新たな動きや報道がありましたら、また記事にしたいと思います。







ビンカローズが異常に早い時期に咲いた「 4月10日イヴ」


今朝(4月9日)、冬越しさせた夏の花であるニチニチソウが花を咲かせていました。

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上の見だしには格好つけて、ビンカローズとか英語名で書いていますけれど、夏前になると、下のようにひとつ80円とかで売られているニチニチソウです。





花を咲かせたニチチニソウは、3年前から冬越しさせているもので、今年4年目の春ということになります。

2日くらい前につぼみをつけていたので、

「咲くつもりなのか? まだ4月のはじめだぞ」

と思いましたが、咲きました。

最近暖かい日もあったとはいえ、ほんの2週間くらい前までは、このあたりは朝方の気温などは氷点下近くまで下がっていましたし、かなり意外感があります。

下のは先月の状態。

vin-0206.jpg


葉はほとんど落ちていて、見るからに元気がないですが、昼は太陽に当てて、夜は寝室やトイレなど、もっとも気温の変化の少ない場所に置いたりしていました。



しかしどう思い起こしても、この1ヶ月くらいはこれらの花の開花温度というものにはほど遠い日々が続いていましたので、考え方の方向性としては、むしろ

「太陽活動が弱いんだろうなあ」

と思ったりしました。

「太陽活動が強い」ではなく「弱い」という方向です。


このあたり何となく複雑な話となるかもしれないですが、以前 In Deep で「宇宙帰りのサクラやアサガオの強い成長」の記事をご紹介したことがあります。


私たち人類も他のあらゆる生命たちも「宇宙線にコントロールされている可能性」を感じて
 2012年06月13日

という記事で、京都新聞と読売新聞の下のような記事を抜粋しました。

下は宇宙帰りのアサガオ。


宇宙アサガオ、異常早咲き
京都新聞 2012年06月13日

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宇宙空間を旅した種子から育った京都産業大付属高の「宇宙アサガオ」が、通常は夏至以降とされる開花時期より大幅に早く、10日に咲き始めたことが、12日に分かった。帰還2世代目は異常に多くの花をつけたことが確認されており、開花したのは3世代目にあたるアサガオ。同高は、宇宙放射線の影響を裏付ける事象だとみて、さらに研究を進める。

昨年、2世代目は1株当たり300個以上の花をつける突然変異が確認された。生物部顧問の教諭は、DNAの塩基配列が変わった可能性があると分析した。教諭は夏至前に開花した直接的な要因として、花芽をつくる植物ホルモンの異常が疑われるとみている。その上で、「宇宙放射線の影響があったと、より明確にできた」と話している。





もうひとつはサクラです。


宇宙帰りのサクラ異変…なぜか発芽・急成長
読売新聞 2011年02月21日

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国際宇宙ステーションで2008年11月から8か月半、保管した桜の種を、地上へ持ち帰って植えたところ、発芽しないはずの種が芽を出すなど、異変が相次いでいることがわかった。原因は不明だが、無重力で放射線の強い宇宙環境で、遺伝子の突然変異や、細胞が活性化したなどの見方もある。



それぞれ概略だけの抜粋ですが、どちらも、

「宇宙空間で浴びた宇宙線が原因なのではないか」

ということが書かれています。


宇宙線というのは要するに放射線のことなのですが、地球上で受ける宇宙線は地球大気圏に入った際に変化するので、私たちが地球上で浴びている宇宙線と宇宙空間での宇宙線は違うようです。

このあたりは、宇宙線に関して日本で最高峰の研究を誇る東大に代弁していただきます。東京大学宇宙線研究所のページからです。


宇宙線は地球に到達して大気中に飛び込み、空気中の酸素や窒素の原子核と核反応を起こします。地球大気に飛び込む前の宇宙線を「一次線宇宙線」とよび、大気に飛び込んで変化し新たに生まれた宇宙線を 「二次宇宙線」とよびます。

二次宇宙線は、ミューオン、ニュートリノ、電子、ガンマ線、中性子が主要な成分です。このうち電子やガンマ線は大気中で吸収されて減り、地中まで来るのはミューオンとニュートリノがほとんどです。




cosmicrays.png

名古屋大学理学研究科 F研 ミューオンラジオグラフィより。


つまり、私たちが通常浴びている宇宙線は、ミューオンというものとニュートリノというものですが、宇宙空間ではさらに電子、ガンマ線、中性子、そして、地球大気に飛び込む前の「一次線宇宙線」を浴びるわけで、上の宇宙帰りのアサガオなどの植物は宇宙線の影響で、DNA など何らかの内部の組成が変わったのではないかということです。





増加する宇宙線の中で生命は進化するのではないか? と思った瞬間


それで、どうして、うちの植物の話からそんな話に進んでいるかといいますと、今のうちのこのニチニチソウの咲き方は、時期として「異常に早い」のは確かです。

冬の間も、太陽の出ている時は頻繁に太陽光に当てていたとはいえ、温室栽培しているわけでもなく、特に多くの暖房を使う家でもない部屋に置いてあると考えると、数日暖かいというだけで「真夏の花が咲く」というのは早すぎる。

花の多くは、「気温」で開花をコントロールされているものが多いのですが、

「もしかすると」

という前提となりますけれど、気温と共に宇宙線も、植物の開花と成長の早さをコントロールしているのだとした場合、

地球に到達する宇宙線量が多ければ多いほど、植物たちの成長に違いが出てくるはず

だとは思うのです。
植物に影響があるということは他の生物も DNA で構成されているという意味では、違う形ではあっても、何らかの影響を受けるのではないかとも想います。


宇宙線の量が、植物や場合によっては他の生物の成長や DNA と関係するものだとした場合、まあ・・・仮定ですけど、植物の早咲きが頻発するようならば、「今は地上に到達している宇宙線の量が多い」ということが言えるのではないかと思われます。



そして、地上に到達する宇宙線の量が多い状態のためにはどのような条件が必要かというと、「太陽活動が弱いこと」なんです。


あまり面倒なことを書くつもりはないですが、 過去記事の「太陽に何が起きているのか」という記事の下の部分の原則があります。


一般的に、

太陽活動が活発になる・・・宇宙線の量が減る

太陽活動が弱まる・・・宇宙線の量が増える

となります。

1650-002.png

▲1960年前後から2005年くらいまでの「太陽黒点数の推移」。この期間でもっとも宇宙線量が多かった時と少なかった時を★で示しています。

これは、太陽活動が活発な場合は、太陽風などの要因で地球に到達する宇宙線の量は減るからです。太陽の磁場や諸々のものに宇宙線が遮られるためです。





過去の場合、太陽活動が弱くなっていくと、「あらかじめ予測されていた小氷河期の到来」などで書いていましたように、地球はゆっくりと寒冷化していったのですが、最近、太陽活動が定期的に弱くなっていくのは、単に氷河期などの「気温」の現象との結びつきというより、


太陽活動が弱まるのは、生物の進化と関係あるのでは


と考えるようになってきました。

上のほうに抜粋しましたように、宇宙線を大量に浴びたサクラやアサガオは、あきらかに「生命力がアップ」しているわけですが、つまりこのことです。これも DNA の進化の一種だと思います。

そして、植物だけではなく、他のあらゆる生命も、地球の大気圏内に入ってくる宇宙線の量が多くなると地球の生命は進化する、のではないかと(ただし、何十万分の1とかというわずかな確率で)。





大科学者の人生の時期との宇宙線量

今もし仮に本当に太陽活動が弱くなっているなら、これから生まれてくる子供たちは「進化」の時期の渦中に生まれる可能性があるのではないかというような話なんですが、たとえば、前回の太陽活動極小期間は、マウンダー極小期と呼ばれているものでした。

その期間は、

1645年から 1715年

くらいの 70年間くらいです。

この期間を見て、科学が好きな方なら何となく「この期間には見覚えがある」というような感じがしないでしょうか。

Wikipedia のある項目から抜粋します。


アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートン(1642年 - 1727年)は、イングランドの哲学者、自然哲学者、数学者。神学者。

ニュートン力学を確立し、古典力学や近代物理学の祖となった。古典力学は自然科学・工学・技術の分野の基礎となるものであり、近代科学文明の成立に影響を与えた。



近代現代科学の間違いなく親分のひとりであるニュートン。
こういう人物が地球に生まれなかったら、「地球の文明は止まった」と思います。

下はマウンダー極小期とニュートンの存命期間


   マウンダー極小期 1645年から1715年
アイザック・ニュートン 1642年から1727年



ある意味で「進化した人類」と言えるニュートンは、太陽活動が極端に弱い時期に生まれ、その中で育って、その中で死んでいったようです。

もちろん、他にもこの時期にはたくさんの人が生まれているでしょうが、前回の記事、


21世紀のパンデミック(1): ウイルスが人を選ぶのか? 人がウイルスを選ぶのか?
 2013年04月08日


で抜粋したフレッド・ホイル博士の文章の最後の一文。


個体の苦しみは、種の利益とは関係ない。問題になるのは、100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ。



ホイル博士は、ウイルスの流入によって、たとえとして、「 100万の1回くらいの進化が起きる」としているように、「進化」というのはそう簡単に起きるものではないと思われます。


しかし、18世紀にはすでに何億人の単位で世界人口はありましたので、当時、全世界で何百人か、あるいは何十人くらいの「進化した人々」がその時期に生まれていたように思います。

そして、ニュートンもそのひとりだったのだと思います。

ホイル博士は、過去記事の、


ビッグバン理論での宇宙の誕生より古い「 145億年前の星」が観測された報道を見た日に(2): 破局の回避という奇跡があるとすれば
 2013年03月09日


という記事で抜粋した『生命はどこから来たか』(1995年)で以下のように書いています。


突然大飛躍して科学が発展することもある。ニュートンの力学の飛躍的な進歩が、天体力学の発展、 19世紀の光と放射線の理論、そして現代の量子力学を導いてきた。



上に「突然大飛躍して」とあるように、そういう人物は突然出現します。
これは人類の進化も「突然である」と思っている私の概念とも関係している気がします。


しかも、ニュートンはイケメンですしね(笑)。

IsaacNewton-1689.jpg

▲ アイザック・ニュートン。


ちなみに、ニュートンは米国のプロレス団体 WWE のトップスターだったエッジというレスラーとよく似ています。この人もイケメンでした。

edge-01.jpg

▲ エッジ。最近引退したらしいです。


エッジの 1999年頃の「エッジ&クリスチャン」というタッグチームの話も書きたいですが、今はプロレスの話を書いている場合ではありません(だったら、最初から触れるなっつーの)。

いずれにしても、フレッド・ホイル博士などはニュートンの万有引力の法則のおかげで彗星の周期を発見したことに最大の科学上の讃辞を述べています。


また、過去記事では、オカルトベースかもしれませんが、エメラルド・タブレットの研究者としてのニュートンという一面もありました。

エメラルド・タブレット 完全版
 2012年03月03日


また、ヨーロッパで「産業革命」が始まった時期というのも、どうも太陽活動の弱い時期との重なりを感じます。産業革命の始まりのひとつは下の頃の時期です。


1733年ジョン・ケイが、織機の一部分である杼を改良した飛び杼を発明して織機が高速化された。



まあしかし、いずれにしても、こんなことを長々と書きました理由は、


これからの地球が太陽活動の極小期に入る可能性が高い


からです。

つまり、以前と同じように「地球を変える人物」が生まれてくる可能性の話です。

ちなみに、もうすでに生まれている私たちは全員ダメです


もちろん、突然、「地球の文明を変えるような人」が登場するかどうかはわかりませんし、その前に人類の多くが死に絶えてしまうという可能性だってあります。

しかし、私は過去記事の、

私たちが経験している現在の気候変動は次の数万年の人類史への扉かもしれない
 2012年07月13日

にも書いたことがありますが(記事の中盤の「次の新しい十数万年に向けて」というセクション)どれだけ人間が減っても、人類が「ゼロ」になることはないと私は確信しています。


それは地球が宇宙の中にあって、宇宙は人類を常に必要としているからです。


この「宇宙は人類を常に必要としている」というフレーズには違和感を感じる方も多いかと思いますが、私が 2011年の3月の震災の直後から気づき始めたひとつの概念で、自分では正しいと思っています。いちおう、関係したリンクを貼っておきます。

ほとんどが震災直後の「日記」で錯乱した内容ですが、読みやすいものを二つほどはっておきます。上の「宇宙は人類を常に必要としている」の概念が少しずつ出てきた時のものです。

新しい神話の神様たち
 2011年03月16日

アカシックレコードからの脱却と独立を果たした奇跡の生命
 2011年03月17日


いずれにしても、これから生まれる子供たちの中に「今後の地球を変える鍵」を握る子供たち、あるいは「その可能性を持つ」子供たちがいるはずです。私たちのように「進化できなかった人間」は新しい彼ら彼女たちに一歩引いて敬意を表して、でも普通に生きていけば、世界はそのうち変わる・・・可能性が・・・ほんのちょっと・・・あるのかもしれません。

このあたりは、やはり過去記事の「マザー・シプトンの四行詩」に、16世紀の予言者として名高いマザー・シプトンという方が、



千里眼をもつ子どもたち。

未来の子どもたちは上品に、控えめに振る舞います。
地球の新たな黄金時代の始まりです。



という詩を残しています。

ここにある「黄金時代」というものが「もし」来るのだかとすると、これから生まれてくる新しい価値観の新しい子供たちに想いを馳せて、古い価値観の私たちはどんどん早くいなくなっていくのもいいのかもしれません。


ところで、今回の一番上の見出しに「4月10日のイヴ」と書いて、その説明がなくて、何だかよくわからない感じになっていますが、ちょっと時間が尽きましたので、明日にでも書けるかもしれません。



  

2013年04月05日



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前回記事: 私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」






 


今回は日記的なもので終わりそうです。

今日のことを書こうと思ったのは、昨日、米国の科学系サイトの記事で、NGC 602という星団についての記事があったんです。記事の内容はどうでもいいのですが、そのNGC 602星団の写真が「天使が怒っている顔」にしか見えないんですよ。

下が現在の NGC 602 星団の写真。

ngc602_665.jpg


きれいな写真だけど、右を向いて睨んでいる天使にしか見えない。

アングルとしては下のイラストの天使の顔の方向でわかりやすいかと。

angel-01.gif



「なんでこんなに怒りばかりが目につく宇宙に生きるようになってしまったのだろう」。


まあ、そんなわけで、単なる雑文になりそうですけど、少し書きます。






今の感情はなぜかマイナスではないけれども


明るいニュースは相変わらずないんですけど、なぜか気分はすでに「ひとつの段階」を過ぎた感覚もありまして、特にマイナスの感情もない感じです。

昨年来ふたたび悪化し始めていたパニック障害と強い鬱に交互に苛まれるというような状態もかなり脱しまして・・・。完全じゃないですけど。


精神のほうさえ大丈夫なら、体調そのものは「生まれてからずっと悪い」のであまり関係ないです。

映画『フルメタルジャケット』のポスターは、主人公の被っているヘルメットが描かれたもので、下のものでした。Born to Kill (殺すために生まれた)と書かれてあります。

full-metal-jacket.jpg


これに照らし合わせれば、私などは「 Born to ill 」 (病気に向かって生まれてきた)というところで、小児ぜんそくを含む複数の病気を抱えたまま生まれて、両親は、「この子は3歳までは生きられないでしょう」と病院に行くたびに医者に言われたそうです。


それを私が聞いたのは大人になってからですが、その頃、私は親に、

本当はもう俺って3歳で死んでたのでは? 今の俺は別モンじゃないの?」と聞いたりしていましたが、私は別に冗談で言っていたというわけでもありませんでした。


でも、そんなエラソーなことを言っていても、日常の恐怖感は人よりはるかに大きい私。

数日前も、寝ている時に右目の中が痛くて夜中に飛び起きて、ゴミでも入ったかと思うのですが、洗っても変わらない。

しばらく症状を考えていました。

目の痛みの中には角膜の潰瘍などを含む、わりとあっさりとそのまま目が見えなくなってしまうものもありますし、私はもともと眼圧が高いんです。

なので、緑内障とかになるのは決定的な感じで、将来的にはいつか目は見えなくなると思うんですけれど、まだ見えるので、突然見えなくなるのが怖い。


なので、目の痛みを怖がったりする。


この「恐怖」という概念。

これが今の世の中の混乱を多くを引き起こしているわけで。

財産を失う恐怖とか病気で死ぬ恐怖とか、種類には数限りなくありますが、

恐怖の最も先には、

個人(本人)の死

がある


のはある程度は間違いないと思います。



ほぼすべての今の世界の人々は、「死」が怖い。


解決策はある?

あったかもしれないけど、100年前に消えたのです。

先日の、私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1)で取り上けた20世紀初頭のロシアの科学者であるチジェフスキー博士という人たちなどがいたの「ロシアの宇宙主義」には、こちらによると、以下のような最終目標があるのだそうです。

文章として続けて書くとわかりづらいですので、箇条書きにさせていただきます。


・宇宙の現象と人類の感情の関係を物理的に把握すること。

・精神的社会の意識での新しいタイプの社会組織を作ること。

・死を克服し、人間の肉体的な自然性を変容させること。

・宇宙のなかで不死の生命を永遠に作り出していくこと。

・生きている人間も死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっていることを把握すること。

eonet より。



というようなことが書かれてあります。

1920年代にこの学問は消えてしまい、その後、日本も含めた多くの世界を席巻した「西欧的思想」は上の逆でした。つまり、私たちもその親も、今の子どもたちもも教えられている価値観はすべて上の逆です。

すなわち、現在の人類の考え方と教育の方向性は、


・宇宙現象と人類の感情・・・・・は物理的に関係ない。

・精神的社会・・・・・なんて存在しない。

・死は・・・・・克服できない。

・宇宙のなかで不死の生命・・・・・なんて言ったら「キミ頭がおかしい」。

・死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっている・・・・・なんてことをテストの答案に書いたら「0点」。



今の私たちはそのような世界に住んでいます。


それでも、多くの人たちはそんなに絶望していない。

あるいは、そのように「数値」からは見えたりもします。なぜなら、いくら自殺者が多いといっても、「生きている人の数より自殺者のほうが多い社会」というわけでもない。



私は昔、今のような社会の中でのラブストーリーの脚本を書いたことがあります。毎年の自殺者が 300万人を越える世の中の話で、すでに自殺がタブーではなくなった世界。むしろ悲壮感のない社会の話でした。

その中であえて子どもを作る選択をした失語症の恋人同士の話でした。

まあ、映画にするつもりで書いて予算がなくて、そのままボツになりましたけれど、20年くらい前の私は「今のままいけば、そういう社会になる」と本気で思っていましたしね。









2009年のクリフ・ハイの警告


ウェブボットの主催者クリフ・ハイは昔のエッセイによく「みずがめ座の時代」のことを書いていました。

少し抜粋してみます。

ALTA レポート 1109 パート1 巻末エッセイ
2009年1月31日

さまざまな人類が住む宇宙はエネルギーの渦が幾重にも重なる円環として見える。当然、われわれの地球もこうした渦を巻くエネルギー場の一つだ。そのエネルギー場は、生命のあるもの、 また、生命のないものそれぞれの小さなエネルギーの渦が織りなす複雑な構造をなしている。

変容はこうした構造で起こる。

変容は人類が生存している宇宙全体で起こっていることだ。その視点からみると一つ一つの惑星は渦を巻くエネルギーの場であり、そこで変容が起こることは花弁が一つずつ分かれて分離するようなイメージでとらえることができる。

実際の変容の過程は、民衆がこれまでの社会の組織や権力に離反し反逆するという形で現われる。変容に抵抗する人々は多く存在する。

次の時代はみずがめ座の時代である。この星座は水の星座である。したがって、どんなに抵抗する力が強くても、うお座の父権的な組織の崩壊は水と女性的なエネルギーを通して行われるはずだ。




ALTA レポート 1109 パート6 巻末エッセイ
2009年2月14日

ロシアで盛んに行われている議論だが、いま太陽の放出するエネルギー量そのものは変化がないものの、太陽が形成する磁界である太陽圏は急速に縮小しつつあるという。

この縮小によって、地球は太陽圏の外部に出てしまい、その結果、地球に宇宙からの放射線が直に降る注ぐことになると考えられている。 その影響がどういうものであるかははっきりしないが、人類にとって決してよいものではないことだけは確かなようだ。

様々な「脅威」が指摘されている。
これらのうちどれが実際に起こるかはまだ分からない。

最後に一言付け加えたい。

われわれはいままさにみずがめ座の時代に突入しようとしているが、だからといっ て父性的なピラミッド型の権力システムが一気に崩壊し、フラットな女性原理に基づくシステムが台頭するかといえばそうではない。

うお座の時代が終焉する前に、うお座の特徴である階層的なシステムが勢力を盛り返すことだって十分にあり得るのだ。これには注意しなければならない。




クリフ・ハイは4年前に、確かに上のように警告していました。


うお座の特徴である階層的なシステムが勢力を盛り返すこと



を。


上にある、

階層的なシステム


これが私たちをイラつかせている元凶なんですが、一方で、一部の女性たちは確かにこの「階層的なシステム」に(表面的には追従しているように見えても)、実質的にこの社会から離脱していこうとしているようには見えるのです。


でも、具体的な部分がよくわからない。

そんなことどうでもいいじゃないか・・・とはいかないのです。
なぜなら、みずがめ座的な概念の中でないと、上のロシア宇宙主義の、




・宇宙の現象と人類の感情の関係を物理的に把握すること。

・精神的社会の意識での新しいタイプの社会組織を作ること。

・死を克服し、人間の肉体的な自然性を変容させること。

・宇宙のなかで不死の生命を永遠に作り出していくこと。

・生きている人間も死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっていることを把握すること。



はうまくいかない。

トップがいたり、誰かが誰かに教えたりするような社会ではダメなんです。



みずがめ座の時代とは、「完全なる自覚」という概念だと思うようになりました。



人に教えるものでもないし、教えてもらうものでもない。


誰も教えない。
教わらない。
そもそもそういう概念がない。


自覚という覚醒の中で生きていける社会。




それを・・・目指す・・・のは、なんかもう私には無理




でも、未来の人々には目指してほしいです。


100年後の世の中がどうなっているか・・・・・なんて普通に書きたいですが、違います。
そうではないです。

ハッキリ書けば、2015年に世界はどうなっているか


構造的に今と同じ社会なら私は生きていたくないですし、そもそも生きていないと思います。生きていたら自主的に死にます。


でも、普通に体のほうで死んでくれると思います。
体はちゃんとその人と時代の「宇宙との仲介」をするものだと思っています。


人類は宇宙から与えられていると考える人も多いですが、逆もあります。

宇宙も人類から与えられている。


その均衡が崩れた時、先日、クレアの日記に書きました、ホピ族の言語で言うところの「コヤニスカッツィ」という「常軌を逸し、混乱し、平衡を失った世界」になるのかもしれません。



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▲ 1982年のナレーションの一切ない「映像と音楽だけ」のドキュメンタリー映画『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』の冒頭に出てくる米国の先住民族フリーモント族(ホビ族)の壁画。



そして、私たち今の人類は大体 2000年くらい前からその「平衡を失った世界」に生きています。


そこから抜け出せる機会はあと3年しかないと私は思っています。人間はそれぞれが「自分自身に対しては神様でもある」のですから、まあ、私も神様として自分に言っておきたいです。


Good Luck !!


と。


ただの日記になってしまいました。

ニュースもたくさん溜まっていまして、明日はまたそれらに戻ります。



  

2013年04月03日



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▲ 14世紀のイタリアのカトリック修道院での連続殺人を軸に、中世の修道院の異常な日常を描いた痛快娯楽作品『薔薇の名前』(1987年)の台詞より。左が若き日のクリスチャン・スレーター、右がすでに老いている主人公のショーン・コネリー。字幕は彼らの台詞ではなく、殺人事件の犯人である修道院の書司によるもので、これが「連続殺人の理由」でもあります。






 

さらば、アリストテレス


先日ひさしぶりに映画『薔薇の名前』を見ていました。中世の暗黒時代に修道院で起きる殺人事件をめぐる映画なのですが、その陰惨な描写と、だからこそ脳に焼き付くイメージを提供してくれる今の娯楽映画では絶滅してしまった系統の映画のひとつです。


まあしかし、この映画の内容そのものはともかく、最終的にこの映画で殺人を引き起こしていた要因のひとつが、紀元前の哲学者アリストテレスの記した『詩学』の第二部「再現する対象の差異について」をめぐるストーリーであることがラストで明らかになっていきます。

喜劇と悲劇を論じたくだりらしいです。

それを見ながら、

「アリストテレスってこっちの(文学や娯楽の)理論では優れた人だったんだなあ」

と改めて知りました。

そして「こっちの理論」という言い方には「あっちの理論はダメ」という含みもあります。


何しろ、アリストテレスは、死後2300年を経つ今でもなお私たち「生命は宇宙からやって来た」と考える人たちにとっての「障壁」となっている人であり、私がケンシロウなら、アリストテレスは宿敵「ラオウ」に相当します。


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たとえば、過去記事(こちらなど)に何度も出てくる以下のくだり、


彗星や火球の衝突の話は、プラトンの時代には全く普通の話であった。しかし、哲学者アリストテレスからは地球が彗星には関係なく安全だと考えられるようになった。アリストテレスは彗星や隕石を天体とはせず、大気現象だとした。西洋思想では地球は宇宙から切り離されてしまったのである。


フレッド・ホイル著『生命はどこから来たか』より。



にあるように、アリストテレスは、彗星と地球との関係性というものをこの2000年以上にわたって、わかりにくくさせてしまった元凶でした。

彗星 - Wikipedia には、



古代ギリシアの時代から長い間、彗星は大気圏内の現象だと考えられてきたが、16世紀になって、宇宙空間にあることが証明された。



とありますが、ずいぶんと長い間、彗星は宇宙での現象ではなく、地球の大気圏内の現象だと考えられていたということがわかります。

大気圏内の現象というのは、たとえば、虹や雷とか、過去記事の、


地球の上空では光のフラッシュが永遠に続いていて、私たちはその下にいる
 2012年07月15日


などでご紹介したことのある、スプライトやジェット、エルブスというような名称の「光の現象」がありますが、彗星もそういうもののひとつだとずっと考えられてきたのです。

地球の上空の 30キロか ら100キロくらいの高層大気には「まだ解明されていないけれど、見える光の現象」は数多くあり、下の表がその一部です。



▲ スプライト、ジェット、エルブスの想像図。電気と科学の広場より。


しかし、彗星はこれらとは違い、「宇宙で起きている現象」だということが、今から400年くらい前にようやくわかってきて、現在はさらに観測も進化しました。





賢者でもあったアリストテレス


そのように、地球の現象に関しては、困った存在であったアリストテレスなわけですが、しかし、いっぽうでアリストテレスという人は、『薔薇の名前』を見て知るように、当時の敬虔な修道士をして、

神を笑うことを許されれば、世界はカオスに戻ってしまう

と思わせしめ、笑いの存在そのものを怖れされるほど「大衆文化における笑いの重要性」を紀元前に記していたというスゴイ人物であることも知ります。

今でいえば複数の肩書きを持っているような人物、たとえば「風俗評論家」と「天文物理学者」のふたつの肩書きを持っていたとして、アリストテレスという人は天文物理学者としては今イチだったけれど、風俗評論のほうでは右に出るものがいないというような人だったようです。

笑いを人間の生活の中で重要だと考えていたアリストテレスなら、「アリスト、照れるッス」というようなダジャレも言っていたかもしれません (>_<) 。




関係ないですけれど、紀元前の哲学者は同時に格闘技にも精通していた人も多く、プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)などは、そもそもその名前が Wikipedia によれば、


祖父の名にちなんで「アリストクレス」と命名されたが、体格が立派で肩幅が広かったため、レスリングの師匠であるアルゴスのアリストンに「プラトン」と呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。



というように、「レスリングの師匠」を持っていたりしたわけで、当時は哲学も格闘も政治も同じ土俵にあったようです。

絵画と写真を比べても、現代の格闘との相関関係は何となくわかります。

まずは「決めのポーズ」が似てきます。


プラトン(紀元前の哲学者)

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▲ イタリアの画家ラファエロが 1510年に描いた「アテナイの学堂」に登場するプラトン。



ストーンコールド・スティーブ・オースティン(米国の元プロレスラー)

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▲ アメリカのプロレス団体 WWF が主催した 1999年の「キング・オブ・ザ・リング」に登場するストーンコールド・スティーブ・オースティン。



私はプラトンもオースティンも好きですが、やはり好きな人というのはルックスもある程度は似てくるものだということを実感します。


えーと・・・・・で、何の話でしたっけ?
ブロレスの未来でしたっけ?

ああ、彗星だ!

そうです。
彗星の話です。





彗星の正体


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▲ クロアチアのパジンで1997年3月29日に撮影されたヘール・ボップ彗星。 Wikipedia より。


先に、フレッド・ホイル博士の『生命はどこから来たか』の部分を抜粋しましたが、この『生命はどこから来たか』の第1章は「彗星の正体」というタイトルで、この章の冒頭にもアリストテレスの名前が登場します。

抜粋します。


夜空に突如として出現する彗星は、いつの時代も人々の注目を集めてきた。彗星が出現するたびに、人々は同じ問いを発してきた。

「彗星の正体は何なのか?」

ギリシャの哲学者アリストテレスは、彗星は「大気と天界のあいだの摩擦によって起こる現象」で、疫病などの厄災の前兆であると考えていた。これに対し、ローマ人の哲学者セネカは、

いつの日か、彗星が天のどのあたりを運行しているのか、なぜ他の惑星と比較して、かくも特徴的な軌道に従って天空を横切るのか説明し、彗星の大きさや性質についてわれわれに教えてくれるような人物が現れるだろう。


と書き残しているから、彼が彗星を地球のはるか彼方を行ったり来たりする天体だと考えていたことが分かる。

けれども、アリストテレスに関する研究がさかんだった中世には、彗星を大気の中で起きる虹や雷のような気象現象の一種だと考えるのが一般的になってしまい、彗星を凶兆と見なす考え方も、つい最近まで人々のあいだに根深く浸透していた。



とあります。

上にある「彗星を凶兆と見なす考え方」がホイル博士の死後も続いていたことは、一昨年のエレニン彗星などのことを思い出すとわかります。意味なく人々に嫌われたまま消えていった可哀想なエレニン彗星についての過去記事は下などにあります。

エレニン彗星は 9月11日に太陽フレアの中でほぼ完全に消滅
 2011年09月17日



▲ エレニン彗星が崩壊・消滅した光景。過去記事「消滅したエレニン彗星:そして、彗星の存在の意味」より。


ちなみに、アリストテレスの2000年にも続く呪縛を破るキッカケとなったのが、我らがヒーローのイケメン科学者ニュートンの発見した「万有引力の法則」を適用できる科学者たちが出現してからだったようです。『生命はどこから来たか』では、上のあとに以下のように続きます。


彗星の研究が「科学」と呼べる域に達したのは、 17世紀のエドモンド・ハレーの研究からだった。彼は、彗星に関する古い記録をあさっては、友人アイザック・ニュートンが発見した万有引力の法則を適用して軌道を計算し、ついに、 1531年と 1607年に出現した三つの彗星の軌道が酷似していることを発見した。



これが、宇宙の中で彗星が「軌道を持って周回しているのではないか」ということに気づいた人物がこの世に現れた瞬間です。

ニュートンとハレーというふたりの科学者によって、世界は少し前進したかのように見えました。

しかし、それから 400年。

彗星が宇宙での現象であることがわかったということを除いては、実はこの頃からそれほど解明は進んでいないと言えます。

上に何度か引用したWikipedia にも、


彗星の性質などには、未だに不明な点も多く、彗星の核に探査機が送り込まれるなど、現在でも大きな関心が寄せられ、研究が活発に続けられている。



と、ハレー博士からの発見からの進歩は遅いことが伺えます。

しかし、実際には科学の進歩というのはじっくりと進むものではありませんでした。
いろいろな突破口が「突然発見(あるいは、発明)される」ものでした。


この 2013年から 2014年にかけて、私は先日の記事などで、


今年か来年に人類(つまり私たち)の「観念の変転」がなければ、すべての人類はすべてこの宇宙から消え去るのではないかと私は考えます。これは死ぬとか絶滅とか人類滅亡ではなく、存在そのものが消え去るということです。

宇宙史の中で「人間の存在はなかったこと」になる。



というようなことを書いておりましたけれど、この「観念の変転が起きるため」には、やはり曖昧な思想だけでは苦しく感じます。

その「観念の変転」を促す科学的な大きな発見、あるいは、発明などが必要かとも思います。

しかし、そのことはまた改めて書こうと思います。




ロシアで話題の虫はエイリアンなのか、地元に出現した新しい種なのか


さて、ここまでさんざん映画とプロレスについて語ってきたわけですけれど(そうだったのかよ)、今回は昨日見た奇妙な報道とその動画を貼っておきます。

今年2月に隕石が爆発したロシアのウラル地方の話題で、そこで正体のわからない虫たちが「雪を食べている」というもので、地元では「隕石が運んできた宇宙の虫では」というような話となっているというものです。

cha.jpg

▲ その記事より。


実際には、十数メートル程度の隕石では、大気圏を突破した後の摩擦熱により、隕石に生物が付着していたとしても生き残る可能性はありません。

ただし、「彗星」の場合は違う可能性もあるかもしれないですが。

彗星の核は基本的に氷で、しかも大気圏に突入するまでは絶対零度に近い低温であるので、爆発による分子的な破壊を免れれば、あるいは地上に到達できる可能性もあるのかもしれません。

それでは、ここからロシアの声の記事です。





「チェリャビンスク隕石で飛来した」雪を食べる虫
VOR 2013.04.02





ロシアの冬の風物詩、雪が、異星の生命に食べつくされようとしている。 Runet上に、チェリャビンスクで撮影された不思議な生物の映像が登場した。チェリャビンスク隕石衝突から1ヶ月経ってから現われだしたマッチの頭より小さなこの昆虫は、雪の中を這い回り、雪を食べる。それと時節を合わせてウラル地方当局は、地上の雪の量が劇的に減少している、と発表した。

学者の間でも意見が分かれている。チェリャビンスク生物学大学教授で生物学博士のゲオルギー・ベロノシュキン氏は、「隕石の中には、星間飛行を生き延びた地球外生物が含まれていたのかもしれない。地球で思いがけないご馳走にありついた、すなわち氷の状態の水に。そういうことかもしれない」と語っている。

しかし、別の学者グループは激憤している。地球外「摂雪」生物飛来説は投機的デマであり、映し出されているのは「ユキノミ」あるいは「ユキトビムシ」に過ぎない、と。






ここまでです。

参考までにですが、2月にロシアのウラル地方で爆発した「隕石」は、隕石ではなく「彗星」だったかもしれないとする報道は、当時、ありました。

日本の報道から抜粋しておきます。
産経新聞のものです。


彗星だった? 露の隕石、水分検出
msn 産経 2013年02月19日

ロシア南部チェリャビンスク州に落下した隕石について、露専門家は、落下時に軌道上で大量の水分が検出されたことから、落下したのは隕石ではなく「彗星」の可能性があると明らかにした。

国営ロシア通信によると、隕石の降下時に、ロシアの気象衛星が軌道上で水の分子を大量に検出していたことが判明。2月19日、会見した応用地球物理大学のラプシン学長は「宇宙からの物体は、氷をたくさん含んだ彗星だった可能性がある」と述べた。今後、詳しく調査するという。



パンスペルミア説から見れば、「隕石」と「彗星」は意味が違うもので、岩の固まりに過ぎない隕石には生命が付着することはあっても、大気圏の通過の際に摩擦熱ですべて死滅するはずで、隕石から生命が地球にもたらされるという可能性はほんどないように思います。

しかし「彗星」は核が超低温の氷ですので、大気圏通過の際の摩擦熱をかなり緩和する作用はあります。数百度の温度に数秒耐えられるような細菌(大腸菌は耐えられる)のような生物なら、大気圏突破の可能性はゼロではないかもしれません。

クマムシのように、1ミリ程度の生物でも、かなり強いものも地球には存在します。

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▲ 過去記事「人類がついに最強多細胞生物クマムシとの対話を始める」より。


クマムシで注目すべきは「マイナス273度」という、ほぼ絶対零度の気温でも生きていられることです。つまり、「マイナス273度」というのは宇宙空間の基本的な気温で、しかも、「真空でも死なない」ため、クマムシは、地球よりも宇宙に適しています。

私は3年前にこのクマムシを知った時、その脅威の生態に驚き、それからあらためて生命に着目し始めました。植物に興味を持ち、育て始めたのもその頃からです。



  

2013年03月27日



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しかし、実は私たちが「宇宙の消滅」を怖がる必要はない理由

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Is Time Disappearing from the Universe? より。






 


今から1ヶ月くらい前の「ロシアの声」日本語版に下のような記事が出ていたことがあります。


「神の粒子」は宇宙を殺す
ロシアの声 2013.02.20

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欧州原子核研究機構(CERN)が正式にその発見を公表したことで大きな注目を集めた「神の粒子」とも呼ばれるヒッグス粒子は、宇宙にカタストロフィー的な「破滅」を運命付けた。宇宙は石鹸の泡のようにはじけて壊れるというのだ。

米国の物理理論学者、ジョゼフ・リッケン氏はこうしたシナリオを発表した。これは今日最も普及している宇宙の無限拡大理論を否定するものでもある。宇宙が滅びる原因は最近ヒッグス粒子の重さが変化したことにある。ヒッグス粒子は原子核の成分であるプロトンの126倍の重さ。これはつまり、宇宙は安定しておらず、「はじける」恐れがあるということを意味する。

ただし宇宙がはじけるとしても、物理学者らの計算では、それは100億年後より前になることはなく、光の速さで起きるため「誰も何も感じない」という。



記事に出てくるジョゼフ・リッケン( Joseph Lykken )博士という人は、記事に出ていませんが、実はフェルミ国立大型加速器研究所の理論物理学者で、さらには、大型ハドロン衝突型加速器( LHC )の研究者の一員なんですよ。

どちらかというと、ヒッグス粒子探査の中枢的な人物のひとりなんです。

実は当時、このリッケン博士のインタビューのような記事を翻訳してご紹介しようとしていたんですが、途中に出てくる科学の理論が全然わからなくてあきらめたのでした。

ただ、リッケン博士は言った言葉は上のような感じのものではなく、下のような言葉でした。Daily Galaxyの 2013年02月19日の記事からのものです。


「私たちが生きているこの宇宙は本質的に不安定なものかもしれないのです。そして、この宇宙はこれから何十億年後のどこかのある地点で消滅してしまうのかもしれません。

今回の計算では今から何十億年後とはいえ、この宇宙にカタストロフが確実に訪れることを示しています」。






そもそも何の話なのかを復習してみました

これまで何度かヒッグス粒子のことについて書いたことがありましたが、どうして、科学の世界ではこの発見に対して心血を注いでいるのかということを感情面では書いたことがありますが、実際の話としては書いたことがありませんでした。


簡単に書くと、その理由は、「質量を持つはずのない素粒子が実際には質量を持っている」という矛盾を解決してくれる(その可能性を与える)存在だからなのだそうです。

素粒子というのは Wikipedia から抜粋いたしますと、



素粒子とは、物質を構成する最小の単位のことである。



というものでさらに、



最小の単位であるということは、それより小さな存在がないということであり、したがって内部構造を持たず空間的な大きさを持たない。




「内部構造を持たず空間的な大きさを持たない」とは、重さも大きさもあってはいけない・・・というか、「素粒子とは重さも大きさもないはずのものだ」と。


しかし、素粒子は実際には質量を持っているのです。このあまりにも大きな科学の矛盾が現在の科学界には存在しているのです。しかも、あまりにも根本的な矛盾が(物理のすべてに関係する矛盾)。

proton-1.png

▲ 素粒子の質量の表。キッズ・サイエンティスト [ヒッグス粒子と質量]より。


上の表は、「キッズ・サイエンティスト」という少年少女のための科学サイトですが、それでも全然理解できない私も情けないですが、このページは「キッズ・サイエンティスト [ヒッグス粒子と質量]」から「素粒子」というものを少し抜粋してみます。


現在の素粒子像「標準模型」

物質はクォークとレプトンからできています。

クォークもレプトンも6種類みつかっており、それ以上はなさそうです

proton-2.png


それらの物質粒子の間に働く力には

・強い力
・電磁力
・弱い力
・重力

の4種類があります。

これらの力を伝える媒介粒子として、8種のグルーオン(強い力)、光子(電磁力)、3種のウィークボゾン(弱い相互作用)があります。


proton-3.png


(中略)


素粒子の質量

ところが、標準模型が原理として用いているゲージ場理論が成り立つには、すべての素粒子の質量が厳密にゼロでなくてはなりません。

ところが表(上の「素粒子の質量の表」)に示すように、クォークやレプトンは質量をもつことが実験からわかっています。

この矛盾は、現在の宇宙が「ヒッグズ場」の中に浸っていると仮定すると解くことができます。標準理論では、ビッグバン直後には、全ての素粒子が、何の抵抗を受けることもなく真空中を自由に運動できていたと考えます。つまり、全ての素粒子に質量がなかった時代です。しかし、ビッグバンから、10-13秒過ぎたころに、真空の相転移が起こり、真空がヒッグス粒子の場で満たされてしまったと考えられます。



これが科学者たちが「ヒッグス粒子を探し求めてきた理由」です。

つまり、ヒッグス粒子がみつからない限り、「素粒子が質量を持つ」という現代の物理学の最大の矛盾が永遠に矛盾のままとなってしまうのです。

もちろん、ビッグバン理論も崩壊します。



まあ、そういう中で、先日、下のようなニュースが世界中を駆けめぐりました。


ヒッグス粒子発見、ほぼ確実に

ナショナルジオグラフィック ニュース 2013.03.18


欧州原子核研究機構(CERN)が、2012年に発見した「ヒッグスらしき」粒子は、本当に長らく見つかっていなかったヒッグス粒子であるとの確信をこれまで以上に深めたと発表した。

長らく見つかっていなかった粒子の発見が間違いだった確率は「今や天文学的に低くなりつつある」と、スタンフォード大学の実験物理学者でアトラス実験に参加するティム・バークロウ氏は述べる。




以前までの私は感情的に書いていた部分もあるヒッグス粒子ですが、素粒子のことをほんの少しだけ知ってから、そういう感情の問題ではないことに気づきました。これは「この世の終わりと関係したニュースなのだ」ということがわかってきたのです。


最近たまに「終末」のことを書きますが、上のニュースなどを見ながら、なんとなく「その終末時計がまたひとつ進んだなあ」とぼんやりと思います。


もう私にとっては、科学者たちの喜びなどはどうでもよくなっています。

あるいは、そもそも「存在しない宇宙の中でノーベル賞をもらっても仕方ない」でしょうし、科学者もそんなに嬉しくないかもしれません。

でも、「矛盾は解ける」。





宇宙を物理的に崩壊させる可能性を示すヒッグス粒子

「チクタク・・・チクタク・・・時計が進んでいくなあ・・・」などと思っていましたら、数日前のビジネスラインというメディアに下のような記事が出ていました。これはインドの PTI という新聞メディアからの記事を引用したもののようで、今日は同じ記事が米国のヤフーニュースにも出ていました。

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‘God particle’ could spell doom for the Universe より。

最初は、この記事をご紹介しようと思ったんですが、でも実際、私のような科学音痴が読んでもよくわかんないんですよ。


ただ、わかったことは、ヒッグス粒子の発見が示すものは、



宇宙は非常に不安定な構造である



ということのようです。

それと、あとは上のリッケン博士が言っていたように、時期はわからないながらも、「宇宙はいつかは崩壊する」ということがその記事にも書かれてあります。

あっという間に消えてしまうような。



「ビッグバンのあった世界」に行けば、終末は怖くない(私は行かないけれど)


「宇宙の消滅」だとか「宇宙のカタストロフ」などというと、恐ろしい感じがすると思いますが、「恐ろしくないことを示すため」に最初に、ロシアの声の記事を載せたのです。

そこにはこう書かれてあります。



光の速さで起きるため「誰も何も感じない」という。



そう。

宇宙の崩壊が光の速さで起きるのならば、「終わった」ことすらわからないわけです。

doom-2015.png


上のような感じですかね。
適当な図ですが。



光速での崩壊というのは、「何も感じない」どころか、何か起きたことを認識することさえできないもののはずです。


なので、別にヒッグス粒子の確定によって、宇宙の崩壊が確定したからといって、とりたてて騒ぐようなことでもないと思います。

そういう意味では私たち人類はいい科学者に恵まれたのだと思います。「苦痛のまったくない宇宙の終わり」を見つけてくれたのですから。




ただですね(笑)。

相変わらずですけど、私はヒッグス粒子なんて信じているわけないじゃん・・・ということはちゃんと書いておきますね。



ビッグバンとか、成長する宇宙とか、ブラックホールとか、暗黒物質とか、暗黒エネルギーとか馬鹿馬鹿しい。


それらの馬鹿馬鹿しさが、大人になって、ほんの少しわかってきたことだけでも、私は人生に次第に悔いがなくなってきています。



先日の、

私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」
 2013年03月24日

の中に書きました「質量保存の法則」という科学の鉄則から考えれば、



「宇宙はいまだかつて一度も誕生したことがない」




ということはこれからも何度も何度も何度も書くつもりでもあります。


ただし、今までとやや形成が逆転しそうな部分としては、

ビッグバンで始まった宇宙の終わりには苦痛が「ない」

ですが、

ビッグバンのない宇宙には「苦痛が存在する」

ということだと思います。

つまり、私の信じる宇宙には「苦痛が存在する」という意味です。


それでも私は苦痛は苦痛として受け止めながら、これからも「ビッグバンのない宇宙」のほうで生きていきたいと思っています。苦しいほうの宇宙で。


しかし一方で、ヒッグス粒子の発見とビッグバン理論の完成によって、この宇宙に「苦痛のない終わり」をもたらしてくれた科学者の方々には感謝します。

私はそちらの世界にはいきませんが、そちらの世界は安寧があります。



おめでとうございます。



ところで、次回なんですけど、ちょっと具体的な話として、今、世界中で起きている「地割れ」とかそのあたりの地殻変動の話を書きたいと思います。

私の生きている世界には苦痛が多いです。




  

2013年03月24日



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「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために」関係記事:
(2):平衡を失ったこの魚座の世界のどこかにあるはずの「みずがめ座への意識」

(3):急激に増加する宇宙線の中で「突然」進化する人類






 


チジェフスキー博士とミタール・タラビッチの予言の共通点とは


土日とかの祝日あたりは、わりと「抽象的なこと」を書くことが多いのですが、今回もそうなりそうですけれど、ただ、メインのテーマは決まっていて、昨晩、ミタール・タラビッチの予言をもう一度、自分で訳していました。

今回のメインはそのことになると思います。

その前に今回は最初に書いておきたいことがふたつありまして、そのひとつは昨日の記事の、

良い時代と悪い時代(5): 米国で話題になっている巨大小惑星の地球への衝突の可能性を考えてみました
 2013年03月23日

の途中に書きました、1900年代の始め頃に活躍したロシアの科学者であるチジェフスキーという人の著作『ロシアの宇宙精神』というものの一部を抜粋いたしました。


チジェフスキーは 1920年代のはじめに、地球上の生命現象が宇宙の物理的な現象とつながっていることを明らかにした。

敏感な神経節と同じように、ひとつひとつの生きた細胞は「宇宙の情報」に感応するのであり、「大宇宙」はこの情報を細胞のひとつひとつに浸透させているのである。

eonet より。



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▲ 20世紀初頭に「黒点と人間の精神活動」の研究をはじめとして、「地球上の生命現象が宇宙の物理的な現象とつながっている」ことを発表したロシアのアレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)。過去記事「太陽と宇宙線と人類の関係の中で浮かび上がる 1900年代ロシア宇宙主義の科学」より。


上に大きく書きました「地球上の生命現象が宇宙の物理的な現象とつながっていることを明らかにした」ことに関してのうちのひとつは、たとえば、黒点活動と地球上での社会活動の間に明らかな関係性があることを発見したのもチジェフスキー博士でした。



▲ 過去記事「最近のカオスな太陽データから考えるいろいろなこと」より、チジェフスキー博士が1920年代にまとめた「太陽黒点と戦争や社会暴動の推移の変化の一致」を現したグラフ。下の太い線のほうが太陽の黒点数で、上の細い線は世界で起きた軍事と政治暴動の数。オリジナルの論文は、こちらにあります。



そして、チジェフスキー博士の言葉には、もうひとつ大変素晴らしい言葉があるのです。それは、著作『ロシアの宇宙精神』の中の「上昇進化」という章にあるもので、それは


生きた物質、生命の宇宙的な性質、そして生物圏が精神圏へ移行するという問題に取り組んだ創造的な思考は、生命の生み出した最高のものである人間の課題について考えようとする思想伝統につながっている。



というフレーズです。

「神が生み出した」という表現でもなく、「宇宙が生み出した」でもなく、「生命が生み出した最高の存在」。

それが人間だと。


私は意味はわからずとも、このフレーズに大変感動しました。


最初に「書きたいことがふたつある」としたのですが、もうひとつは、お知り合いからメールをいただきまして、そのことで少し考えてしまいました。




我々は永遠に消える可能性を持つのだろうか?


お知り合いからもらったメールの内容は、先日の、

4月にアメリカに巨大な小惑星が直撃する?
 2013年03月21日

という記事の中に、余談的に書いたことで下の部分についてのことでした。


今年か来年に人類(つまり私たち)の「観念の変転」がなければ、すべての人類はすべてこの宇宙から消え去るのではないかと私は考えます。これは死ぬとか絶滅とか人類滅亡ではなく、存在そのものが消え去るということです。

宇宙史の中で「人間の存在はなかったこと」になる。

このあたりは、中世の神秘学とか人智学とかにお詳しい方のほうが意味がわかるかもしれません。私はそのあたりの知識はないので、単に個人的な感覚的な話であり、あとは、例によって何年も何年も夢に出て来る「夢のジジイのお告げ」ですので、気にせんといて下さい。



というくだりでしたけれども、メールをくださった方は、この中の

> 宇宙史の中で「人間の存在はなかったこと」になる

という部分についての懸念というのか、いろいろな思いがあったようです。


どうしてかというと、たとえば、多くの日本人の方は「魂」などの存在をある程度信じていると思います。

つまり、肉体は消えても魂は永遠に残るというような。
あるいは、肉体の以前から魂(のようなもの)はあるというような概念のことです。


私が上の記事で書いたことは、「それら(魂のようなもの)もなかったことになる」ということで、そこにいろいろと問題がありそうなのですが、まだその方にメールのご返信はしていません。どうしてかというと、これは大変に複雑な問題だからです。

昨年の9月頃に、

大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら「物質は永遠」という法則を子ども科学本で知った日
 2012年09月03日

というものを書いたことがありました。

大変に長い記事で、無駄な部分が多いですので、読まれる必要はないですが、その中に、18世紀の「近代化学の父」と呼ばれるフランスの科学者であるラヴォアジエという人が登場します。

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▲ アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(1743 - 1794年)。


この人が提唱した「質量保存の法則」というものが、

「この世のすべてを物語っている」

と私は思ったのです。

この「質量保存の法則」は、1980年代くらいまでは、『物質不滅の法則』と呼ばれていて、つまり、非常に簡単な言い方をすれば、


・この世の物質は消えない(形を変えるだけ)
・宇宙全体の質量とエネルギーの総和はゼロである



という化学の鉄則です。

ということは、「この世の物質は消えないだけではなく、この世の物質は生まれてもいない」としか私には思えないわけです。


そして、その日のうちに上の「物質不滅の法則」から出た私個人の結論は、



「宇宙はいまだかつて一度も誕生したことがない」



というものでした。

なので、話を戻しますと、肉体も物質も「魂」さえも生まれたことはないということになるわけで、そういうこともあり、


・私たちが今、このように存在しているということはどういうことか

・この私たちの存在が宇宙からなかったことになるとはどういうことか


ということを簡単に「これはこういうことなのです」と人に説明することは難しいのです。ですから、メールのご返信もできずにいます。何しろ、自分でもよくわからないんですから。


たまに書く「夢に出てくるジジイ」の話はウソではなく、実際たまにですけど出てきて、なんか言います。でも、それも私はよく理解しません。


結局ここまで抽象的な話となってしまいましたが、チジェフスキー博士とミタール・タラビッチの言葉は共に私に感動を与えたということでも共通しています。

ここからタラビッチの話にうつろうと思います。





タラビッチについて

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▲ 現存する唯一のものと思われるミタール・タラビッチ( 1829 - 1899年)の写真。


私がミタール・タラビッチという人の存在を知ったのは3年くらい前でした。このミタール・タラビッチという人は 19世紀のセルビアの予言者なんですが、今でもセルビアでは有名な人で、「一家に一冊、タラビッチの予言本」というようなことになっているようです。

生まれた家も記念館として保存されています。


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▲ セルビアのクレムナにあるタラビッチの住んでいた家。今はクレムナの観光地となっています。右に見える彫像の座っているほうががタラビッチ。forum srbija より。


私は今回、このタラビッチの予言の中から、すでに過ぎ去った時間と思われるできごとの多くを割愛し、さらに、タラビッチの故郷であるセルビアの話も多くを省き、そして、文章全体を少しやわらかく読みやすくしてみました。

なお、「〇〇は何々だと思われる」といったような解釈はいたしませんので(読む人の想像力が失われるため)、各自でお考えいただれば幸いです。

それでは、ここからです。





Prophecy from Kremna - Mitar Tarabich

クレムナの予言 ミタール・タラビッチ


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父よ、ふたつの大きな戦争の後、世界が平和になり人々が豊かに暮らすようになると、それがすべて幻想であることがはっきりするだろう。

なぜなら、人々は神を忘れ、人間の知性のみを崇拝するようになるからだ。
しかし、神の意志からみると人間の知性などはとるにたらないものだ。
神が海なら、人間の知性など一滴の海水にもならない。

人間はさまざまなイメージが見える箱のような装置を作る。このイメージの箱は、向こう側の世界にとても近いところにある。それは、髪の毛と頭皮との距離くらいに接近している。

このイメージ装置のおかげで人々は世界中で起こっていることを見ることができるようになる。

人間は地中深くに井戸を堀り、彼らに光とスピードと動力を与える黄金を掘り出す。

そして、地球は悲しみの涙を流すのだ。

なぜなら、地中ではなく地球の表面にこそ光と黄金が存在するからだ。
地球は、自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。

人々は畑で働くことをやめ、あらゆる場所を掘削する。

だが、本物のエネルギー源は地中ではなく自らの周囲にあるのだ。そのエネルギー源は人間に話しかけてくれるわけではないので、人間がこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになるまでには大変な時間がかかる。

そして実はこのエネルギー源は人間の中にも存在しているのだ。

しかし、人間がそれを発見し取り出す術を獲得するには長い歳月がかかる。なので人間は自分自身の本来の姿を知ることなく長い年月を生きることになる。

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを知り、考え、そして自分たちが何でもできると思い込んでしまう。これらの人間の存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障壁になる。

だが、人間が一度この「人間の真の姿への気づき」を得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。

この人間の本来の姿の真の知識はあまりにも単純なことで、なぜこんなことをもっと早く発見しなかったのかと後悔するだろう。

それまで、人間は、何も知りもしないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことをおこなうだろう。

東洋に賢者が現れる。

この人物の偉大な教えは海を越え、国境を越えて世界に広がる。しかし、人々はこの真実の教えを虚偽と決めてしまい、長い間信じることはない。

人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。
もっと悪いものにのっとられるのだ。

その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

ここ(セルビア)でも世界の他の地域と同様だ。人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係の中で見えなくなってしまう。

しかも、これは誰かから強制されてこのようになるわけではないのだ。
人間は自分の自由意思からこうしたことを行うのだ。

世界中で奇妙な伝染病が蔓延する。だれもその治療法は分からない。

知識のあると言う者たちが「私には高い知識があるのでこの治療法は分かっている」と言い張るが、実は誰も何も知らない。人々はいくら考えても正しい治療法を見つけることはできない。

だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。

人間は月や他の星に旅行する。
そこでは生命が存在しない砂漠を発見するだけである。

しかし、おお神よ、許したまえ。
その人間たちは自分たちが神よりも全知全能であると信じているのです。

その星には神が創造した静けさだけがある。
そして、人は神の美と力をそこに見るだろう。

月や星では人々は馬車のようなものを運転する。彼らは生物を探すが、われわれと似た生物が見つかることはない。生命はそこに存在しているが、彼らはそれが生命であることを理解しないし、知ることもない。

他の星に行ったものたちは、その時代の常識的な考えとして神をまったく信じていないが、地球に戻ってきたあと、

「みなさんは神の存在を疑っているだろうが、私の行ってきた星に行ってごらんなさい。誰しもそこに神の意志と力を見ることになる」

と言うだろう。

知識が増大するにつれて、この世の人間たちは互いを愛したり心配したりすることはなくなる。
彼ら相互の憎しみはあまりに大きく、彼らは自分の親戚のことよりも、自分たちのもっている所有物や小物のことを気にかける。

人々は、自分の隣人の人間よりも、自分がもっているいろいろな機械や装置のほうを信頼する。

北方の国の国民で、愛と慈悲を人々に説いてまわる小男が現れる。
しかし、彼の周囲には多くの偽善者がいる。

こうした偽善者は誰も人間の真の偉大さとはなにかを知ろうとはしない。だが、この北方の小男の書いた文章と話した言葉は残るので、人々は自分たちがいかに自己欺瞞に陥っていたのか気づくようになる。

その時代には、多くの数字が書かれた本を読んだり、あるいは書いたりする者たちが、もっともよく物事を知っていると考えられる。これらの教育のある者たちは、自分の人生を計算に基づいて送ろうとし、数値の命ずるままに行動する。

こうした人々の中にも悪人と善人が存在する。

悪人は悪行を平気で行う。たとえば、空気や水、そして河川や土地を汚染し、このため人々はさまざまな病気で死ぬようになる。

善人で賢いものたちは、数字から導かれた努力にはなんの価値もなく、それはただ世界を破壊するだけであることを悟るようになり、数字に答えを見いだすのではなく、瞑想を通して真実を発見しようとする。

人は瞑想すると神の知恵に近付いていく。

しかし、時はすでに遅い。悪意をもつものたちが全世界を荒らし回っており、巨大な数の人々が死に始めるからである。

人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。

人々は十字が三つ並んだ山を探す。

その中では人々は生きていくことができる。
その中に逃げ込んだものたちは、自分も家族も救うことができる。

しかし、それも長くは続かない。

なぜなら、次にものすごい飢饉が世界を襲うからだ。

この飢饉は通常の飢饉ではない。
町や村には十分に食べ物がある、だが、それらは汚染されている。
飢えた人々はそれを食べるが、食べると死んでしまう。

怒りくるったものたちによる攻撃が始まる。
戦争が始まるのだ。

この戦争を戦う者たちは、科学者に命じて奇妙な大砲の弾を作らせる。それが爆発すると、人を殺すのではなく、まるで人間や動物に呪いをかけるようになる。その呪いで人々は戦うかわりに眠りに眠りこむ。

世界の果てにあり、大海原に囲まれてヨーロッパほどの大きさの国だけが何の問題もなく平和に生き残ることができるだろう。この国では大砲の弾はひとつも爆発しない。

三つの十字のある山に逃げ込んだ者たちだけが避難場所を見つけ、愛と幸福に満たされ、豊かに暮らすことができる。

そして、その後はもう戦争は起こらない。







ここまでですが、上の中で、特に私が印象深かったのが、


> その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。


など、他にもありますが、上のような「 20世紀以降の現代の私たちの生活が幻想であり、真実からは遠い」ということを100年以上前のセルビア人は知っていたようです。

私たちは今そのことをようやく気づきつつあるのかもしれません。

でも、やはり「少し遅かったかもしれない」という思いも相変わらず強いです。
--






  

2013年03月09日



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前記事: ビッグバン理論での宇宙の誕生より古い 145億年前の星が観測された報道を見た日に

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▲ つい先日の 2013年2月13日に NASA が公開した水星探査機メッセンジャーが撮影した最新の水星の画像。青くて美しい星。神秘学では「最大の意味」を持つ惑星です(太陽よりも存在が大きい)。Space.com より。






 


上の写真は特に本題とは関係ないですけれど、やっぱり水星ってキレイな惑星だったと思いましたもので。水星に関しては結構前になりますけれど、過去記事の、

水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない
 2012年03月24日

に、中世の薔薇十字団が記した『薔薇十字の秘密のシンボル』(1785年)という200年以上前の印刷物では、「水星が大変重要」だということが繰り返し出てきていまして、そのページで『薔薇十字の秘密のシンボル』の中の下のようなイラストを載せました。

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「妊娠と出産(ひとつの人間が形成されるということ)の構造」のようですが、母体のような頭上の一番上にあるのが「水星のマーク」なんです。その下に太陽とか、いろいろと連なっています。

ちなみに、水星のシンボルの下にある下のマークは、神秘学や占星術では太陽のシンボルです。



そして、一方でこれは、日本の古文字のホツマ文字(ホツマツタエ、ヲシデ文字)というものの「ア」と同じなのだそうです(参考記事: 地球は太陽そのもので、その太陽は4であり、かつ日本語の始まりを示すものかもしれない)。





まあ、神秘学はともかく、人間は誰でも子どもとして生まれてきます。それは、前回の記事で書きましたフレッド・ホイル博士の著作『生命はどこから来たか』の第1章の冒頭の文章である、


> われわれは皆、許しを請うことなくこの未知の世界に生まれてくる。


というように、この地球の上に「現れ」ます。

その『生命はどこから来たか』の第1章を部分的に抜粋する前に、前回は疲れてしまって終わりましたが、今回はその抜粋をいたします。

ところで、「子ども」と関係することといえば、やや嬉しいニュースもありました。

悪い話ではないと思いますので、ちょっと書いておきます。






震災後2年目で「放射能による異常がまったくなかった」ことが判明した福島の子どもたち


私の奥さんの姉夫婦は福島に住んでいて、震災の被害も受けたのですが、昨日その関連でお姉さんの話になった時に、私はふと一昨日のニュースを思い出しました。


わたし 「そういえば、福島、よかったじゃん」
奥さん 「何が?」
わたし 「前に言った通りだったよ」
奥さん 「何?」
わたし 「福島の子どもたち、甲状腺の検査で全国平均よりむしろ異常が少なかったって」
奥さん 「そうなの?」
わたし 「昨日の朝日新聞に出てたよ。テレビのニュースでやってない?」
奥さん 「知らない」
わたし 「チェルノブイリもそうだったけど、子どもは大丈夫」



そのニュースは、3月8日の朝日新聞のものです。
下に抜粋しておきます。
全文はリンク先をお読み下さい。


子どもの甲状腺「福島、他県と同様」 環境省が検査結果
朝日新聞 2013.03.08

環境省は8日、長崎や山梨、青森の子ども約4300人を対象に行った甲状腺検査で、6割に袋状の嚢胞(のうほう)やしこりが見つかったと発表した。東京電力福島第一原発事故の被曝の影響を探るために、福島県が進める子どもの甲状腺検査結果と比較するのを目的に調べていた。福島では4割に嚢胞などが見つかっている。

福島県は事故当時18歳以下の子ども約36万人を対象に、甲状腺の超音波検査を行っている。1月までに約13万3千人が検査を受け、41・2%に2センチ以下の嚢胞や5ミリ以下のしこり(結節)が見つかった。

子どもの甲状腺をこれほど高性能の超音波機器で網羅的に調べた前例がなく、4割という割合が大きいのか、被曝の影響があるのか判断が難しい。このため、環境省は福島県外の長崎市と甲府市、青森県弘前市の3〜18歳の子ども4365人を対象に、同じ性能の超音波機械を使い、同じ判定基準で検査をした。

この結果、2センチ以下の嚢胞や5ミリ以下の結節のあった子どもが56・6%、それ以上の大きさの嚢胞などがあった子は1%(福島は0・6%)いた。環境省の桐生康生放射線健康管理担当参事官は「福島も他県もほぼ同様の結果と考えている」と話す。

長瀧重信・長崎大名誉教授は「超音波検査の性能が上がり、嚢胞などが見つかりやすくなった。福島が異常な状態ではないとわかった。ただし今回の調査では、福島の被曝の影響の有無は判断できず、長期間の追跡調査が必要だ。地域性もあるため、福島県で事故後に生まれた子への検査との比較が必要だ」と話す。



何だかわかりにくいと思いますが、上のニュースのポイントを簡単に書きますと、

・全国の子どもたちを対象に前例のない大規模な甲状腺の検査をおこなった。

・全国平均では子どもたちの6割に甲状腺の嚢胞やしこりが見つかった。

・それに対し、福島の子どもは4割だけに見つかり全国平均より甲状腺の異常が少なかった。


というニュースです。

上の記事の長崎大の名誉教授の方が言う、「福島が異常な状態ではないとわかった」に集約されている話です。

ちなみに、上の私と奥さんの会話にある、私の会話の、


> 「前に言った通りだったよ」


とあるのは、わかりにくいかと思いますが、過去に、チェルノブイリの長期間の子どもたちの追跡調査に関しての WHO の資料をご紹介したことがありまして、そのことと関係しています。

WHO の大規模な調査結果として、「チェルノブイリでは子どもたちへの放射能の甲状腺への悪影響はまったくなかった」という結論に達したという資料です。

20年近くかけて大規模な調査を継続して実施したもので、内容的に完全に信用できる資料です。

チェルノブイリの資料で、私が「大事なこと」だと思ったのは、


「悪い影響が少なかった」


のではなく


「悪い影響はまったくなかった」

ということだと思って、ちょうど1年くらい前ですが、下の記事にその資料を訳しています。興味のある方はお読みください。


セシウムは14歳以下の子どもの甲状腺ガンと「関係ない」ことが示される WHO の2006年調査論文
 2012年03月06日


詳しいところは上の記事を読んでいただければわかると思いますが、下のチェルノブイリの追跡調査のグラフでもわかると思います。



▲ 上のうちの「青くて太い線」が1986年から2002年までの「14歳までの子ども」の甲状腺ガンの推移のグラフです。子供に関しては、むしろ甲状腺が平均より減っています。


なので、そのデータの資料を全文読んで、私は上の記事に下のように書きました。


・事故の頃に生まれた赤ちゃんは甲状腺ガンについて安心して下さい。

・14歳までの子どもは甲状腺ガンについて安心して下さい。


と書きましたが、少なくとも現在はそのようになっています。
だから、これからも安心していいと思います。


しつこいようですが、14歳までの子供に関しては、「放射能による被害はまったくありません」と断言できると思います。今後もです。


というより、チェルノブイリのグラフを見る限り、震災の原発事故当時の子どもたちは「甲状腺に関してはますます健康になっていく」と思います。今回の福島の子供たちの検査にしても、「全国の子供たちの平均よりはるかに異常が少なかった」というデータが出ています。


ただし、上のグラフでわかる通り、子どもだけです。
大人はセシウムの影響を受けていることが見てとれます。


いずれにしても、子供は大丈夫です。

なので、震災の時に現場周辺で生まれた赤ちゃんをお持ちの方は、ますます安心してほしいと思います。それどころか、データ上では、多分、その子はこれから他の地域の子どもたちより健康に育つと思います。


いや・・・・・・・もしかしたら、本当の意味での「新しい健康な人間」というものの登場の始まりかもしれません。

どうして、こんなことを言うかというと、もうすぐ桜のシーズンですけれど、以前、「宇宙で放射能を浴びた植物が驚異的な発育をしている」という新聞のニュースをご紹介したことがあります。

だいぶん前のことですので、また載せておきます。
過去記事の、

私たち人類も他のあらゆる生命たちも「宇宙線にコントロールされている可能性」を感じて
 2012年06月13日

に載せたものです。

桜とアサガオの別の記事ですが、それぞれ長いですので、冒頭部分だけを抜粋いたします。上の過去記事に全文掲載しておりますので、興味のある方はお読みいただけると幸いです。


宇宙アサガオ、異常早咲き 京産大付属高の3世代目
京都新聞 2012年06月13日

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宇宙空間を旅した種子から育った、京都産業大付属高の「宇宙アサガオ」が、通常は夏至以降とされる開花時期より大幅に早く、10日に咲き始めたことが、12日に分かった。

帰還2世代目は異常に多くの花をつけたことが確認されており、開花したのは3世代目にあたるアサガオ。今月10日から2日間、同高と船橋市の種子から育った計5株に一つずつ花が咲いた。

市販種は12日現在、花芽すらついていない。





宇宙帰りのサクラ異変…なぜか発芽・急成長
読売新聞 2011年02月21日

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地上350キロメートルの国際宇宙ステーションで2008年11月から8か月半、保管した桜の種を地上へ持ち帰って植えたところ、発芽しないはずの種が芽を出すなど、異変が相次いでいることがわかった。

宇宙を旅した桜の種のうち岐阜市の誓願桜(せいがんざくら)は、樹齢1200年と言われるヤマザクラの一種で、地元の保存会などがまいても種は発芽しなかった。保存会が種265粒を宇宙に送り、248粒をまいたところ、昨年春に2粒が発芽した。

岡山県では、通常は1年に50センチ程度しか伸びない真庭市の醍醐桜10本が、昨年春に発芽して、今は90センチ以上。うち1本は160センチを超えた。



これは、宇宙で大量の放射線を浴びた植物たちが「ものすごく活性化した」というニュースで、桜の種などは「地球上ではすでに死んでいた」ようなものが宇宙から帰ってきた後に「発芽した」というものです。

特に、アサガオの記事で注目したいのは「開花したのは3世代目にあたる」という部分です。

「3世代目」ということは、遺伝子が変化して、それが次世代に続いているということになり、その時だけの話ではなく、「遺伝子が変化した」ということだと思います。

強いアサガオが生まれた。
強い桜が生まれた。
それはもう以前とは違う生命で、その後もその優良な遺伝子が続く
というような。

大げさにいえば、映画『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドのような「新しい生命」が誕生したというニュースだと思います。

もちろん、植物と人間を同列にするつもりはないですが、「放射能に関しては、具体的な悪いニュースを見たことがない」ということは事実です。





繰り返し思う「新しい日本の聖地」の子どもたち

私は震災後、何度か「新しい時代の新しい人間は、東北から生まれるのかもしれない」と書いたことがありまして、その時は感傷的な意味で書いていたのですが、現実にもあり得るかもしれないと今は思います。


すなわち新しい日本人。

新しい子どもたち。

ほんのわずかな「破局」を回避できる可能性を持つ存在である「新しい子ども」たち。


上の「聖地」という表現は大げさかもしれないですが、震災後、過去何度かそのタイトルで雑文を書いていますが、そのうちの下の記事をリンクしておきます。感傷的な文章ですが、今でもこの時の思いが私の中で続いています。

わたしの神話はずっと続いている
 2011年10月24日


また前振りが大きくなりましたが、しかし、「子どもについての話」という意味では、今回ご紹介するフレッド・ホイル博士の文章は、意味は同じです。

地球を破局から救うとすると、「その主人公は子ども」なのですが、その子どもたちの前にはだかっているのが私たち「邪魔な大人」・・・というか、その「大人の作ったシステム」です。

というわけで、ここからホイル博士の『生命はどこから来たか』の第一章から文章を抜粋します。

省略した部分には注釈を入れてあります。
改行を適時入れていますが、実際の改行部分は文頭に一文字開いている部分です。

また、書籍では数字は漢数字が使われますが、横書きに馴染まないということもあり、英数字にしています。たとえば、「十九世紀」というのを「19世紀」というように書いています。

ここからです。





『生命はどこから来たか』(1995年)
フレッド・ホイル、チャンドラ・ウィクラマシンゲ共著。
訳: 大島泰郎 東京工業大学名誉教授


第一章 人間社会は真実から遠ざかる傾向をもつ



われわれは皆、許しを請うことなくこの未知の世界に生まれてくる。生まれて数ヶ月もすると、目も見え、自らの足で立つこともでき、やがて話し始め、ついには言語の壁をも突破する。初めは何の手がかりもないのに他人の話していることを理解し、自分自身でも話すようになるのである。

われわれは、これらすべてのことを自然のうちに学ぶのである。しかし、唯一残念なことは、この時期において子供たちは、周りの大人たちに世の中の状況の偽りのない真実を、流暢に語る手段を身につけていないことである。そのため、大人たちは適切な双方向の会話ができればやがて誤解に気づくだろうという幻想を抱いたまま生き続けることになる。

不幸にも、偏見のない見解を伝達することができるようになる頃には、教育という過程により偏見のなさを失ってしまうのである。

言うまでもなく教育はもちろん良い一面を持っていて、多くの正しい知識を与えてくれる。それは数学という抽象的な学問から、ギリシャ・ローマ文明で使われていた、馬を窒息させずに馬から労働力を得るための首輪を作る正しい方法にまで及ぶ。教育のおかげで、教えられる知識が正しいものでありさえすれば、知識は後退することもない。

しかしわれわれが知識と思っていることが、実は幻想にすぎなくなったときに問題が生じる。そうなると教育は、世代から世代へと幻想を伝えるということになってしまう。いつのまにか悪化の一途をたどることになる。幻想であるという自覚は世代を追うごとにより軽くなり、次第に幻想に対する信念は増大していくのである。

数学者が言うように、教育制度が間違った信念の拡がりに対してチェック機能を持たないとしたら、間違った信念はだんだん深く確立していき、破局は動かしがたい教義のようになるだろう。

すべての民族、すべての文化が遅かれ早かれ衰退の道をたどるのはこういうところに原因がある。教義の重みは、社会構造を崩壊に至らしめるまでどんどん増していくのである。

この点においては、過去のどの時期よりも現在は悪化している。なぜなら、高い教育レベルの過程は現在約 25年間も続くのである。 25歳といえば、優秀な生徒なら博士の学位を取得する年齢である。子供時代の内面的な独創性を回復するには遅すぎ、またあまりにも永く子供たちは精神的な監獄に閉じ込められてきたため、そこから逃れるには遅すぎる年齢である。

19世紀には、男子は14歳かそれよりも若くして学校を出て、世界中でかなり有名になることも比較的容易であった。


(編者注: このあと、18世紀の英国で、まったく学歴のないジョージ・ステファンスという人物が英国に長距離鉄道を通した話が続きますが、そこは略します)


西暦 700年頃の馬の首輪の発明は、ギリシャ・ローマの大文明以来の大進歩であったが、それはジョージ・ステファンスのように、全然学校に通わなかったある若者によって発明されたことは疑いない。

これらをすべて今日とは関係のない古い歴史の一つの挿話にすぎない、と言いたくなるかもしれない。昔は大きな幻想に取り憑かれていて、現代はその幻想から逃れることができたのだと一般には思われているが、しかし、どうも本当のところはその逆であるようである。ずっと永い間あやまった状況にあり続けると人間は思い違いをするようである。

幻想に深く根ざしているような問題や状況とは何かを指摘するのは難しくない。およそ起源に関する議論において、注意深さや謙虚さは当然のことであるが、いま問題なのは知的な傲慢の洪水である。今日では、毎週のように宇宙はビッグバンによりできたという記事を目にする。ビッグバンによってできたかもしれないではなくて、ビッグバンでできたのだと疑いなく信じている。詳細に描かれた絵に、どのようにして、あらゆる宇宙の事物が、過去のある決定的瞬間に起こった爆発のなかで圧縮されていたか描かれている。

しかし真実は、われわれはそのことを知らないということである。

われわれが言えることはある種のビッグバンが起こったとすれば、いわゆる軽い元素が現在の宇宙には多量に存在しているという観測結果と、たまたま一致するということがあるかもしれないが、別の説明も可能である。そのほか二つのことがビッグバンを支持する事実とされている。しかしそのうちのひとつは、ビッグバンによらなくても簡単に説明され得る。

もう一方の事実(宇宙の背景マイクロ波)は、最近ビッグバンの考え方と矛盾するような性質を持つことがわかってきた。

これは説が発展しようとしている時なら、大問題ではないが、この説は真実であり、反駁することはできないことは間違いないと読者に太鼓判を押す、生半可な解説者が氾濫しているところまで達した学説にとっては大問題である。


(編者注: ここからビッグバンと膨張宇宙論から始まる科学の複雑な話が展開しますが、今回、抜粋しようと思うのは、「子供と学問と真実」についての理想ですので、ビッグバンと膨張宇宙論に関しての話は割愛します)


先に述べたように、ある分野の科学的知識は確かなものである。確かな知識からまだ未解決課題へと進むと、事情は違ってくる。教条的な意見や教義が顔を出す。科学者は真の科学者であることをやめ、事実より教義を取り上げ、こうして創造主義者と同じ思考をとるようになる。

われわれの考えは、地球上の生命の起源と進化に関する進化論者の見解は、創造論者と同じくらい全く間違っている。創造論者の誤りは明白だが。進化論者の誤りはわかりにくく、特に学校で学ぶ子供たちの目から真実を隠していると思う。科学の進歩の方法は確実な知識を外へ押し広げていくことである。注意深い研究により、最前線が次第に広げられていくならこの方法はうまくいく。

しかし、突然大飛躍して科学が発展することもある。ニュートンの力学の飛躍的な進歩が、天体力学の発展、 19世紀の光と放射線の理論、そして現代の量子力学を導いてきた。

これらの進展に貢献した科学者各人の称賛に値する業績は偉大であり、その名は永く刻まれるようになっている。科学者たちが大進展の主役になりたいと野心を持つのは当然である。ある者はその才能により成功し、ある者は幸運に恵まれ、さらにある者はけしからんことに作り話で成功を収めた。そのやり方は、何もないのに大進展があったかのように振る舞うのである。

このようなニセの効果がうまくいくには、一人の孤立した科学者ではなく、科学者の陰謀団のほうがよい。声を揃えることで、陰謀団は各々の科学者の口を封じ、科学雑誌に発表される論文の内容に圧力を加え、ついには反対意見を一掃してしまうことができる。

こんなことは全くの作り話ではうまくいかない。初めには、ゲームでいうところの「ツキ」があったに違いない。すなわち初めには、事実は陰謀団の言う理屈に合っているかのように見える必要がある。

陰謀はのちにその理論に合わない事実がわかってきたときに現れ、科学雑誌を自由に操ることを通して慎重にこの事実を葬り去ってしまう。さらに陰謀団の理論が、教育課程に侵入し、常に難しい試験の連続に追い立てられ、自らを失っている数多くの生徒たちに教え込まれると教義は確立してくる。

学会は誤った知識の領域を持つことになり、その損失はもとより、その周辺領域すべての進歩を阻害してしまう。このことが同時に、多方面に影響し、人間社会の衰退、そして最終的には破滅へと導くのである。





引用はここまでです。

私は科学の真偽自体は何ともわからないですが、漠然と持つ、「破局」の意味は大体、このホイル博士の言うことと同じようなことだと感じています。

科学だけではなく、「価値観」という言葉も、上の文章の最後のほうに当てはめるとわかりやすいのではないでしょうか。



  

2013年01月29日



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▲ 「ラーの眼」(あるいはホルスの眼)と呼ばれる古代エジプトのシンボル。古代エジプトの神「ホルス」の右目は太陽を、左目は月を象徴していたとか。過去記事「2008年、なぜ世界中の海軍は海賊征伐の目的でアデン湾に向かったのか」より。






 

天の川銀河の星の「光」をナビとして使っていたフンコロガシ

昨日くらいに、「フンコロガシが銀河の光を道しるべにしていた」という科学報道があって、翻訳してご紹介しようと思っていたのですが、今朝になり日本語の報道でもいくつか目にしましたので、そちらのリンクを貼っておきます。

フンコロガシ、天の川を道しるべにまっすぐ移動 研究
 AFP 通信 2013.01.28


フンコロガシは天の川の光を頼りにまっすぐにふんを転がすという研究結果が、米科学誌カレント・バイオロジーに発表された。

南アフリカのウィットウォータースランド大学の生物学研究チームは、地元のプラネタリウムで夜の空を再現し、フンコロガシの行動を観察した。その結果、脳は小さく、視力は弱いフンコロガシが、天の川の星々の光を頼りにまっすぐ進み、ふんを奪い合うライバルのいる場所に円を描いて戻らないように移動していることが分かった。



というものです。
海外では、天の川銀河の写真とフンコロガシを対比させた写真などを使った記事などがいくつかありました。


dun.jpg

▲ 米国の科学サイト Sci-News より。


どうして、このニュースに興味を持ったのかというと、これが「光の感知」に関しての話だったからです。


もっというと、個人的にはこの話は「松果体」に行き着きます。


今回のフンコロガシの話と松果体が直接関係あるということではないですけれど、「宇宙の光を追い求める地球の生物の器官」という意味でそこに行き着くというような感じです。

光の「松果体と光の関係」に興味を持ったのは、2年ほど前、米国の大学の日本人科学者が、「目を持たない魚が松果体で光を見ていることを突き止めた」という記事を書いた時でした。

しかも、曖昧に光を感知しているのではなく、この魚たちは「光を直接感じとっている」のです。つまり、「松果体で直接光を見ている」という意味のことで、かなり衝撃的な発表だったと今でも思います。

記事は、クレアの「ペアである自分(2) 宇宙の場所」に載せたものです。

少し抜粋しておきます。


Blind Fish Sees With the Pineal Gland

目を持たない魚たちは松果体で見ていた

mexico-fish.jpg


メキシコの淡水に住む熱帯淡水魚には2つの種族に属するものがいる。

ひとつは、陸地の川に住んでいる目を持つ種類。もうひとつは、洞窟の中に住んでいるもので、こちらの種類は目を持たない。

この目のないメキシコの淡水魚は、眼原基(目の前段階のもの)自体は、胚として成長するが、その眼原基は幼生の時にウロコで覆われることにより退化してしまうために、器官としての目にはならない。

そのため、彼らは目を持っていない。

これまで、目を持たないこの魚は光を感じ取ることはできないと思われてきたが、メリーランド大学の研究者たちが2008年に「ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・バイオロジー」紙に発表した研究論文によれば、「別の方法で見ている」ことが明らかとなった。

この魚の目は機能していないが、脳の中央近くにある松ぼっくりの形をした内分泌腺の「松果体」で光を検出していることがわかったのだ。松果体は皮膚の奥深くにある器官であるにも関わらず、この器官で光を感知できているという。

この松果体は、いくつかの脊椎動物では「第3の目」としての器官として知られているという。



記事は、以下、実験の具体的な方法が記されている部分ですので、割愛しました。


ここに出てくる「松果体」。
人間では下の位置にあります。



▲ 松果体は、医学的な意味では、メラトニンというホルモンを作り出すことに関与していること以外の役割はほとんど不明です。


上に出てくるメキシコの目のない魚では、「想像上」ではなく、「現実としての光」を松果体で見ていることがわかったのですが、この報道で私が思ったのは、「・・・ということは、松果体を持つほぼすべての動物は本来、このメキシコの魚と同じ能力を潜在的に持っているのだろうなあ」ということでした。

なぜなら、脊椎動物というのは、大体において、「器官の役割は似たようなもの」だからです。

通常の地上に住んでいる多くの脊椎動物は、人間も含めて、目や耳や口の役割は、基本的な機能としては同じような感じだと思います。もちろん、わかっていない動物たちの機能は多くあるわけですけれど、共通している部分が多いことも事実です。


「目」に関しては、地中深くなど暗闇にすむもので、目で光を感知できない場所で生きているような動物の多くは、「目」ではなく「松果体」で光を捕らえているのだと思いますが、実はそれは「目の代用ではないかもしれない」ことも、上の実験でわかっているのです。


つまり、「目がないから、代わりに、松果体が発達したのではない」ようなのです。

というより、「光の探知に関しては目より松果体のほうが役割が大きい」ことが上のメキシコの魚の実験でわかっています。

上の実験では、実はその後、目や松果体を取り除いたりする、やや残酷な実験となっていくのですが、その結果は驚くべきものでした。


両眼を取り除かれた陸地の魚と洞窟の魚は両方が従来と同様の振舞いを示したが、松果体が取り除かれた魚では、約10パーセントの魚しか影への反応をしなかった。



つまり、目がある魚も、主に松果体を使って光を見ていた、ということがわかったわけです。

普通に考えると、「目がある」と「目がない」というのは表面的な大きな違いに見えますが、少なくとも上のメキシコの魚に関しては、光を探知する機能としては、「ほとんど違いはない」ということがわかったのです。



「太陽神の眼」は「人間の第3の眼」の象徴なのか?

その「光を見る」松果体の構造。上にその場所の簡単な位置の図を載せましたが、さらに、詳細な図としては以下のようになります。

pituitary_pineal_glands_ja.JPG

松果体 - Wikipedia より。



さて、今回の記事は「フンコロガシ」で始まる記事だったのに、冒頭には下の「ラーの眼(ホルスの眼)」と言われている図を載せましたが、その理由がこのあたりから始まります。


ra-eye.jpeg


米国の BBS 記事に下の図が掲載されていました。

脳は模型です。

日本語はこちらで入れていて、名称には間違いがあるかもしれないですが、大体のところです。

third-eye.jpg


さらに、下の図も。
こちらは脳全体との対比となっています。


eye-3.png


記事そのものは、報道ではなく、松果体に関しての一般的な「神秘的意味」というものをまとめたもので、特にご紹介はしませんが、下のリンクです。

Secrets Of The Third Eye, The Eye Of Horus, Beyond The Illuminati
(第三の眼の秘密、ホルスの眼、イルミナティを超えて)


このタイトルにある「イルミナティを超えて」というのは何のことかよくわからなく、また本文のほうでも特にふれられていないのですが、画像検索などをしていると、どうも、この「ホルスの眼」のイメージは、イルミナティなどと絡んで、「悪い象徴」として語る派というものが存在するようです。

何かこう、下のような図案の概念と同一視しているのかもしれません。

ilm.jpeg

▲ 陰謀論の引き合いとして出されることが多い「眼」のマーク。これはドル紙幣の裏。



しかし、まあ・・・それを言い出すと、眼のマークは全部、陰謀というようなことになりかねなくて、つげ義春の「ねじ式」なんかもヤバくなりそう。

tsuge.jpg

▲ 漫画家、つげ義春の代表作『ねじ式』(1968年)より。クラゲに腕を刺されて病院を探すけれど、その町には眼科しかない。



まあ、「なんでもかんでもやっちまえ!」のフレーズというのはこの世の常でありまして、この「眼」の話も、昨年の過去記事の「殺され続ける詩人シナ」でふれました、シェークスピアの舞台劇『シーザー』の中のも、「どうだっていい、名前が同じだ・・・やっちまえ、やっちまえ」というフレーズを思い出します。



まあ、それはともかく、Wikipedia の「松果体」には、「松果体の哲学や象徴としての意味」についての記述もあります。

それを抜粋しておきます。


松果体 - 哲学との関連

デカルトは、この世界には物質と精神という根本的に異なる二つの実体があるとし、その両者が松果体を通じて相互作用するとした。デカルトは松果体の研究に時間を費やし、そこを「魂のありか」と呼んだ。

松果体は眠っている器官であり、目覚めるとテレパシーが使えるようになると信じる人もいる。

「松果体の目」という観念は、フランスの作家ジョルジュ・バタイユの哲学でも重要なものである。批評家ドゥニ・オリエは、バタイユは「松果体の目」の概念を西洋の合理性における盲点への参照として使っていると論じている。



上のジョルジュ・バタイユというフランスの作家なんですけれど、私は読んだこと自体がないのですが、私が若かった頃には、日本のパンクスたちの間で絶大な人気を誇っていました。

バタイユの文学作品のタイトルをバンド名としているものもたくさんありました(当時のパンクスには、文学が好きな少年少女が多かったようです)。

日本だけでもバンド名として使われたバタイユの作品タイトルとしては、

『太陽肛門』
『マダム・エドワルダ』
『ラスコー』


などがあります。

butti.jpg

▲ 晩年のジョルジュ・バタイユ。




バタイユにとっての松果体

また、今回調べていてはじめて知ったのですが、太陽の誘惑というサイトによりますと、ジョルジュ・バタイユには、『松果体の眼』という松果体そのものの名前が使われるような未完の作品があるらしいです。

ここでは「松果線」と訳されていますが、松果体のことです。

その内容は上のページから抜粋しますと、


『松果腺の眼』。未完に終わったこの幻想的テキストは、この時期のバタイユの探求の痕をいちばんよく見せているように思われる。

題名からすると、『大陽肛門』での火山の主題を展開しようとして発想されたようだが、火山のイメージはこの著作では背景に後退し、関心は松果腺の眼というやはり奇怪な幻想へと移ってゆく。

松果腺の眼とは何か。

人間の頭蓋の上部には一個の分泌腺があって、松果腺と呼ばれているが、この分泌腺の作用はよく解明されていず、ある生理学者たちは、〈眼球となるはずだったが、発展しなかった〉ものと考えている、とバタイユは書く。この未発達に終わった眼は、肛門に発端を持っている、と彼は考える。

前述のように猿はエネルギーを集約し発散させる突出した肛門を持っているが、この肛門のありように変化が起こるのだ。猿は森から出て、後足で歩行を始め、直立の度合いを高める。するとこの肛門は両足の間に引き込まれてゆく。こうして人間が成立するとき、肛門は尻の奥に隠されてしまう。

肛門のこの隠蔽は太陽との直結性の隠蔽であり、この隠蔽によって人間は自律的な存在となるのだ。

しかしながら、肛門のこの隠蔽は、それで平穏に完了するのではない。

内部に貯め込まれたエネルギーは、新たな出口を求める。それは直立に向かう人間の動きに従って、上方に向けて集中され、まさに太陽との直接的な関係を回復しようとして、頭頂に開口部を求める。

こうして頭蓋に大陽に向かう眼球が生じようとする。
それは、水平方向に働き、対象を捉え、有用な世界を組織してゆく眼ではなく、垂直方向にのみ作用し、大陽を見るためだけの眼である。

それが松果腺の眼だ。

太陽から火山を経て肛門へ受け渡されたエネルギーは、異様な眼を作り出すことで再び太陽へ回帰しようとする、とバタイユは論じる。




もう・・・何が何だか私には理解できないですが(苦笑)、多分、ラストの部分から考えると、バタイユは、

「松果体の役割は、太陽から火山を経て肛門へ受け渡されたエネルギーを、松果体を通して再び太陽へ回帰させること」

と考えたように読めなくもないです。

なるほど、「松果体は光を見る機能」を持つことが上のメキシコの魚の実験などでわかっているわけで、太陽を探し出す機能としては一理あります。

ちなみに、上の他のページの他の部分によれば、バタイユがこの『松果体の眼』という小説を思いついたのは、「動物園でサルのお尻が赤くなっているのを見たとき」だったとか(笑)。



しかし、上のページを読んでいると、若者たちがバタイユに憧れた理由もわかるような「ソソる文言」が並んでいます。上のページでバタイユの著作に出てくるフレーズ・・・たとえば・・・、

・「死にゆく私」と「死にゆく神」の間

・人間の自己としての存在を意識することを超えてしまう「完全な超越性」

・残酷と汚辱のなかで、神でも虚無でもなく破局となって最後に現れるのはただ物体である世界


のようなフレーズ。
どうもソソる感じですね。

若い時の私はこういう難しいことにまったく興味がなかったですが、今ならちょっと興味あるかもしれません。


さて、フンコロガシから始まって、なんだかわからない展開となってしまいましたが、「未来の人類の進化」のひとつには、この「松果体の働きの再活性化」というものがあるのではないか、とは昔から言われていることのようではあります。

そういえば、今回の話はフンコロガシと共に、「ホルスの眼」から始まりましたが、バタイユの最初の作品といえる『眼球譚』(1928年)の表紙には下のようなものもありました。

histoire.jpeg

▲ 1967年出版の『眼球譚』の表紙。


さて・・・こんなに長くなっていますが、実は今回のこの部分は「余談」として書き始めたことなのでした。フンコロガシの記事が日本語の記事となっていましたので、今回は、別の記事をご紹介するつもりで書き始めたら、もう何が何だかわからない展開となってしまいました。

その話題は松果体などとはまったく関係のない「飢え」と「カニバリズム」に関係する話で、最近の報道からいろいろと思うことがありました。

次回で書きたいと思います。



  

2013年01月21日



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andromeda-dwarf-galaxy.jpg

▲ 現代の宇宙モデルでは説明のつかない矮小銀河が周回していることがわかったアンドロメダ銀河。地球からの距離は、250万光年程度。






 


現代の宇宙モデル理論の矛盾が早いピッチで噴出し続ける2013年


今年、2013年になってから、宇宙に関しての下の2つの記事を記させていただきました。









どちらも、現代までの天文学や宇宙物理学などでの「宇宙モデル」という概念が崩壊・・・とまでは言わないまでも、説明が難しい事態が観測されているということに関してのものでした。

今回ご紹介するものも同じようなタイプの記事で、米国のメディア「クリスチャン・サイエンスモニター」にとても興味深い記事が載っていました。

それは「アンドロメダ銀河の周囲に現代の宇宙モデルでは説明のできない宇宙構造が見つかった」というものです。今年 1月3 日の「ネイチャー」誌に発表されたものだそう。

このクリスチャン・サイエンスモニターという媒体は、その紙名から宗教的なものとおもわれがちなのですが、一般紙です。そのあたりについては、昨年、このクリスチャン・サイエンスモニター紙から記事をご紹介した、


宇宙空間に「強烈な匂い」が漂っていることを知った日
 2012年07月24日


の中でもふれましたが、キリスト教系新宗教の創始者が創刊(1908年)したためにこのタイトルとなったようです。

ところで、上の「宇宙の匂い」のことは自分でも最近忘れていましたが、そうそう、「宇宙空間ってところには強烈な匂いが満ちている」のですよ。しかも、ステーキっぽいような、金属のような形容のしづらい匂いで。

don-02.jpg

▲ 国際宇宙ステーションで6ヶ月のミッションを終えて地球に帰還した NASA のドン・ペティット宇宙飛行士のインタビューに字幕をつけたもの。「宇宙はどなんな匂いですか?」と質問された時のものです。NASA のYouTube のリンクはこちらです。



今回のアンドロメダ銀河に関しての記事は、私には「どうして奇妙なのか」はよく理解できないですので、あまり余計なことを書かずに翻訳に入ろうと思います。

翻訳の前に、今回の記事に出てくる、アンドロメダ銀河、局部銀河群、についての一般的な説明を Wikiepdia から抜粋しておきます。


アンドロメダ銀河

地球から約239万光年の距離に位置し、およそ1兆個の恒星から成る渦巻銀河である。直径22〜26万光年で、直径8〜10万光年である我々の銀河系(天の川銀河)よりも大きく、局部銀河群で最大の銀河。

また、肉眼で見える最も遠い物体である。




局部銀河群

局部銀河群は、太陽系の所属する天の川銀河が所属する銀河群である。局部銀河群には銀河系を含め、大小およそ40以上の銀河の所属が確認されている。

最も大きい銀河はアンドロメダ銀河で、その重力にひかれて多くの銀河がアンドロメダ銀河周辺に存在する。



ということですが、今回アンドロメダ銀河の周囲で見つかった宇宙構造は「規定外のもの」だったようです。

では、ここからです。





What's going on around Andromeda? Curious structure puzzles scientists
Christian Science Monitor (米国) 2013.01.04


アンドロメダ銀河の周辺で何が起きているのか? 奇妙な構造が科学者たちを困惑させている


科学者たちの研究グループが、アンドロメダ銀河の軌道上の非常に狭いリング上で 13の矮小銀河を発見した。これは、現在の宇宙モデルにはまったく適合しないことであり、科学者たちは当惑している。

それらの 13の矮小銀河は、アンドロメダ銀河の周囲のリング上を、まるで、ゲームをプレイするように宇宙的スケールで動いている。これらを現在の天文学での宇宙モデルでの「銀河の進化」に関する理論で説明することは非常に難しいのだそうだ。

現在の理論にならえば、数十億程度の星からなる小さな銀河は、ランダムにアンドロメダ銀河の周囲に配置されているべきなのだ。

しかし、それらの矮小銀河は、アンドロメダ銀河の周囲を3万光年の厚さで幅が 100万光年の軌道を描き回っている。比較として、アンドロメダ銀河の直系は 22万光年だと見積もられている。

カリフォルニア大学の天文学の研究者であるマイケル・リッチ( Michael Rich )博士によると、「私たちの銀河系を含め、これらのリングは、局部銀河群と呼ばれており、宇宙での最大の宇宙構造を示す代表的なものです」なのだという。

リッチ博士の研究グループは 2013年1月3日に『ネイチャー』にこの観測について発表した。

「局部銀河群」は、1000万光年の幅を持ち、54以上の銀河から構成されている。

現在の天文物理学での銀河進化の理論では、この、アンドロメダ銀河の周囲に現れているようなリングが出現することは考えられないという。

加えると、現在の天文学では、私たちの銀河系(天の川銀河)とアンドロメダ銀河は、約 45億年後に衝突すると思われている。このふたつの銀河の距離は、わずか 250万光年まで近づいている。

リッチ博士は以下のように述べる。

「このアンドロメダ周囲の宇宙構造に関しての明確な説明は今の私たちにはありません」。

フェルミ国立加速器研究所の天文学者クリス・ストートン(Chris Stoughton )博士は、これらの構造を理解することは、宇宙の「暗黒物質」の謎の解明にも関係するかもしれないと述べる。

暗黒物質とは、成長する銀河の繭(まゆ)を形成する足場を提供したとされる。しかし、暗黒物質は光線を発しないので存在を直接見つけることができない。天文学者たちは、暗黒物質を重力の影響からその存在を推測してきた。





(訳者注) 余談になりますが、過去の In Deep の記事にも「アンドロメダ」という言葉は出てくるのですが、それは、作家の埴谷雄高さんのことについて書いた時のものでした。

翻訳も終わりましたし、少し書かせていただこうかと思います。
上の記事の内容とは関係のない話ですが。




アンドロメダ兄弟を探して


過去記事の、

「宇宙は人間そのもの」という結論を夢想するとき
 2012年03月19日

という記事で、NHK が 1995年1月13日に「 ETV特集」という当時のテレビ番組で、5日間連続で放映した「「埴谷雄高独白 死霊の世界」」の中からの埴谷さんの言葉を抜粋しています。

haniwa.jpeg

▲ 「埴谷雄高独白 死霊の世界」の中の埴谷雄高さん。手に持っているのは、ハンガリーの「トカイ」というワイン。数ヶ月にわたるインタビューの間、いつでもこのトカイワインを飲み続けていました。


この「「埴谷雄高独白 死霊の世界」」を見たのは 1995年ですから、もう18年前のことのようですけれど、当時も今以上にテレビを見ない生活だったんですが、偶然、他の人の部屋のテレビで流れていたものでした。そして、友人にビデオに録画をしてもらって、その後何度も見ました。

その時まで、この「埴谷雄高」という老人が誰なのかも知らなかったし、「死霊(しれい)」なんていう小説の存在も知りませんでした。


番組の5回目の最終回に「アンドロメダの自分の兄弟」についての話が出てきます。
再度、文字と映像を抜粋しておきます。

埴谷さんの言っているアンドロメダ関係の数値は約20年前のもので、今と違いますが、そこは下の埴谷さんの言葉そのもので、「天文学もだんだん数値も変わってきて」という通りですので、適度に読まれて下さい。


「埴谷雄高独白 死霊の世界」第5回より
NHK ETV特集 1995年1月13日

アンドロメダはですね、我々の銀河から 150万光年と言われていたわけですけど、でも今はですね、まあ、天文学もインチキでね、だんだん数値も変わってきて、今では 210万光年ぐらいだといわれているわけです。

だいたい、銀河もアンドロメダも直径は 10万光年ということになっているんですよ。遠くから見ると双子星雲で、非常に遠くから見ると同じようなものが二つ並んでいるわけです。

僕の病気が治った時に表に出てみると、アンドロメダが見えるわけです。

そうするとですね、 昔はこれは 150万光年ということで、直径 10万光年ということだったんですけど、15回繰り返していけば向こうに到着するわけですよ。今は 21回ということになったわけだけれども、それでも 21回でも、地球と月よりもこっちのほうが近いんですよ。

地球と月は、地球の直径を30何回繰り返さないと、到達できない。

だから、地球と月よりもアンドロメダと銀河のほうが近い兄弟。

ということで、僕の兄弟はアンドロメダにいる。

「X(エックス)埴谷」というのがここにいて、僕が見ている時は向こうからも見ていると。僕が見ていると向こうからも同じように見ている。「宇宙の鏡」と同じで、僕が見ているということは、向こうからも見ているわけだ。

「あっ、あそこの向こうの兄弟、あいつが考えている、いつ会えるかな」というようなことですよ。



下のは、その映像です。




それで、上の In Deep の記事では、そこからスエデンボルグという 18世紀の人の話へ飛びまして、当時の私の結論として、埴谷さんの「夢」をかなえるたったひとつの考え方というものは、


> 宇宙の状態はひとりの人間の内部の状態と同じ


と考えることではないのかなあと思った次第でした。

現代物理学モデルが崩壊・・・。いや、崩壊という悪い言い方ではなくとも、現代宇宙モデルが見直しの方向に来ている中で、今後の「宇宙と私たち人間の関係」というものも、また個人個人で考えていくことが大事かなとも思います。

個人個人というのが大事で、統一した意見なんて要らないのですよ。

そんものはクソで。

なぜかというと、統一した意見なんかができあがると、またも子どもたちが学校で「教わる羽目」になる。

統一した意見以外は禁じられる。

だから、どこまでも意見はバラバラでいいと今も思います。


上に書いたスデンボルグの著作の内容の抜粋も一応しておきます。
何が書かれてあるのか今でもよくわからないですが。


『宇宙間の諸地球』 星天の諸々の地球
イマヌエル・スエデンボルグ 1758年


自然界の空間と距離とは、引いては進行は、その起源と第一原因においては、内部の状態の変化であって、天使たちや霊たちにあっては、それはこの変化に応じて現れ、かくて彼らはこの変化により一つの所から他の所へと、また一つの地球から他の地球へと、実に宇宙の端にある地球へすらも明らかに移されることができることを知られよ。

人間もまたそのように、その身体は依然その同じ場所に止まりつつも、その霊は移されることができるのである。人間の霊はそのように移ることができることを感覚的な人間は理解することはできない。なぜなら、そのような人たちは空間と時間の中にいて、その運動をその空間と時間に従って測るからである。



やっばりよくわからないですけれど、埴谷さんにしても、スエデンボルグにしても、フレッド・ホイルさんにしても、これだけ長い期間、繰り返し、自分の頭の中に出てくるのですから、何か重要なこと(私にとってということ)はあるのでしょうねえ。