2012年10月24日



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地球のコアの変化の報道の渦中で 《存在の空虚が世界への殺意を呼び込む》 という意味を確かめる



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▲ 若松孝二製作、大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』(1967年)より。これらの「無駄にまで男的な世界」の雰囲気は後の人気テレビアニメ「ルパン三世」のメイン脚本家となる大和屋監督のルパンの世界に引き継がれていきます。






 


最近、ポールシフト絡みの記事が多いのですが、今朝、米国の科学系ニュースを大量に配信する Ideas, Inventions And Innovations というサイトを見ていましたら、「人工衛星から目撃された地球のコアと磁場、そして重力の急速な変化」というタイトルのものがありました。

あまりに最近の流れとマッチしていたので、気になり、少し目を通してみますと、ドイツ地球科学研究センターという名前が出てきました。これは、過去記事の、

ドイツの科学研究法人が「急速なポールシフトと気候変動と超巨大火山の噴火が同時に発生していた」ことを証明
 2012年10月18日

に出てきた研究機関で、そのドイツ地球科学研究センターの共同研究チームが、今度は人工衛星で、今現在の地球に急速な変化が起きているということを確認して、それを「全米科学アカデミー紀要」に発表したというものです。

うーむ・・・。毎日のようにポールシフトだとか、大陸移動関係のニュースが報じられて、「ほんまかいな」という感じもします。

この「全米科学アカデミー紀要」というのは、米国科学アカデミーという世界最大規模の科学団体の発行する機関誌で、世界の科学専門誌として1位か2位の参照数を持つものです(Wikipedia では世界第2位とのこと)。

その記事を翻訳してご紹介しようと思ったのですが、私にはものすごく内容が難しくて、それほど長い記事でもないのですが、翻訳に時間がかかりそうで、今日は途中までで時間んがなくなってしまいました。加えて、最近ずっとこの関係の翻訳ばかりで、やや「ポールシフト疲れ」が出ていたこともあり、今回は全然関係ない記事を書かせていただきます。

明日には、「地球のコアと重力の関係」の記事の翻訳をアップできると思いますが、オリジナル記事は、


にありますので、興味のある方はどうぞ。


今回の記事は、先日亡くなった若松孝二という映画監督と関係する話ですが、最近の流れとは全然関係ないですので、興味のない方は飛ばされて下さい。

個人的にはこのことを、最近またよく考えています。



「自分の存在の意味」を 1960年代のピンク映画で再確認した日


先日、映画監督の若松孝二さんという方が亡くなったんですけれど、まあ、最近どんなことをしていたのかは私は知らないんですが、この若松孝二さんが、監督としてではなく、多分、はじめてプロデュースした作品があります。

1967年の『荒野のダッチワイフ』というピンク映画で、私は 1980年代くらいにビデオで見て、結構なショックを受けていたのですが、先日、若松監督が亡くなったニュースを見て、探したんですけれど、見つからない見つからない

やっとある中古ビデオ屋で 中古VHS が売られているのを発見して(高かったです)、数日前、20年ぶりくらいに見ました。 1990年代に再発されたビデオのようで、裏ジャケットに、切通理作という人が解説を書いていました。

その解説の最後のほうに次のようにあったのです。


『荒野のダッチワイフ』解説
 切通理作

大和屋竺のダッチワイフとは、現実に挫折した者がすがりつく対象ではなかった。現実の時間に戦いを挑んでいく人間にとっての《傷》を意識した断絶風景なのだ。

だが《傷》にこだわればこだわるほど、世界は風景化していき、自分以外の下界はよそよそしいものになっていく。すると最後には、《傷》にこだわる自分自身すら実在しているのかという疑問にかられる。

大和屋竺は己の《傷》を詠嘆しない。哀訴もしない。そこには、現実という時間と自分の意識に流れる時間との溝を、ただ見極め続けるという透き通った孤独がある。

大和屋竺は常に先鋭的で「新しい」存在なのだ。それは、彼が常に、存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込むという、根源的な問題を突きつけ続けているからである。



まあ、一応、「単なるピンク映画の解説」ではあるんですが、解説もとても良い内容で、特にこの最後の一文にある存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」というフレーズから、一瞬にして、私は過去の記憶から「自分の好きな様々なこと」に通じるひとつのことを想起したのでした。

そして、さらに「これは埴谷雄高さんが『死霊』を著しながらも、ご自分で気づかなかった" 目指すべく虚体 " の真実だ」と感じたのです。

いや、こんな難しい言い回しでは良くないんですよ。

つまり・・・。たとえば・・・・・・。

「動機がわからない殺人」

「我が子を虐待する人たち」

などの現実と「存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」というフレーズは、実は一致しているように思うのです。

もっと具体的にいうと、たとえば・・・今の世の中は「くるっている」、あるいは、「ややくるっている」と思う人はそれほど少なくないのではないでしょうか。

私もわりとそう思います。


では、(もし本当に最近になってから社会が狂ってきたとするのならば)なぜ社会はそうなってしまったのか


いろいろな現実的なことを言うたとえば評論家の人だとか権威筋の人たちはたくさんいると思いますが、「それで世の中がよくなったことがあったか?」と私は昔から考えます。

なんとなく世の中というのは、「夢や理想では変わらんよ」というような考え方がありますが、私は逆に思っています。


「夢や理想が先行した世の中じゃないと良くならない」


と私自身は子どもの頃から考えていて、今もそう思っています。



上の「存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」という中の「存在の空虚」も難しいですが、これは言いかえれば、


「どうしてわたしはこの世にいるのだろう?」


ということです。

今の多くの大人たち、何より、ほとんどの子どもたちは、その答えが見いだせていないように思います。


そして、私は確信していますが、

「どうしてわたしはこの世にいるのだろう?」

ということへの答えがない限り、この世は今よりもっともっと悪くなります。



今など話にならないくらいに悪くなります。

自分の人生の四十数年でもその過程を見てきました。

どんなことでも私は人より劣っていたので、常に「人の後ろから歩いていく人生」でしたので、世の中がよく見えました。


世の中は悪くなった。
このことを「それは違う!」と明確に否定できる人はどの程度いるでしょうか。


そして、それがどんな世の中であろうと、「どうしてわたしはこの世にいるのだろう?」ということへの答えが出ない限り、もっともっと、どんどん悪くなるはずです。



いずれにしても、「存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」というフレーズはすべて言い換えると、

「自分がこの世にいる理由がわからないのなら、この世を愛せない」

です。

今の世の中で、この世を愛せない人ばかりなのはそれが理由です。
私は多くを断言しませんが、これだけは断言できます。


どうすればいいのか?・・・ということは、私にはわからないですし、しかも、ここで具体的な方法論を書くのは、まるで「評論家」ですので、曖昧な方向性として、ひとつ抜粋しておきたいと思います。

それは、スイスの神学者カール・バルトさんという人についてふれている、Wikipedia の終末論というページからです。


神学での「終末」には、個人的な救済の完成と、世界的な救済の完成の2つの意味が存在する。

20世紀のスイスの神学者・カール・バルトも、主著『ロマ書』で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて…その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。…再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒が遅延しているのである」と言い、「終末は既に神によってもたらされている」という認識である。




という部分ですが、大事なのは、終末のほうの話ではなく、

個人的な救済の完成
世界的な救済の完成

というふたつの意味が存在するという意味です。

これは現代に反映させれば、世界の価値観や幸福の尺度(あるいは他の人たちの価値観や幸福の尺度)と自分のそれを対比させる必要はないということです。

自分の救済は自分でする、あるいは自分でしかできない。

つまり、「自分だけの価値観を持つことが、世界全体を殺さないための手段だ」ということを上の神学とかいうものの概念から思います。


というわけで、いろいろ長々と書いてしまいましたが、多分、この『荒野のダッチワイフ』という映画がレンタル店などに置いてあることはないでしょうし、中古でも手に入らないと思いますので、冒頭のオープニングを貼っておきます。

音楽はすべて、その後ジャズのトップミュージシャンとなる山下洋輔さんによるものです。


「荒野のダッチワイフ」 (1967年) オープニング・タイトル



製作:若松プロダクション
監督:大和屋竺
音楽:山下洋輔

--

ちなみに、この『荒野のダッチワイフ』の監督は、大和屋 竺(やまとや・あつし)さんという人なんですが、この人は後の『ルパン三世』テレビシリーズの第1シーズンと第2シーズンのメイン脚本家をつとめた人です。

この『荒野のダッチワイフ』の脚本も大和屋さん本人によるものですが、「ルパン三世」で最高傑作の誉れの高い「魔術師と呼ばれた男」を彷彿させるシーンがたくさん出てきます。


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▲ 『ルパン三世』第2話『魔術師と呼ばれた男』(1971年 / 脚本:大和屋 竺 )より。


なので、初期のルパン三世シリーズが好きな人なら、世界観は似ていますので、異常にシュールな点を除けば、『荒野のダッチワイフ』は必見だと思います。

ただ、手に入ればですが。


ちなみに、私は初回のルパンの放映を見ているんですよ。1971年という年代から逆算すると、8歳ですので、小学2年生だったということになりますかね。

最初のルパンは強烈に「大人の世界」のアニメで、子どもの私に大人の憧れを植え付けたのも、このルパンでした。

その時に見たルパンのシリーズで、もっとも強烈な印象として残っているのが、「脱獄のチャンスは一度」というものでした。その後、再放送で小学生の時に再び見てから 40年近く見ていないので、ちゃんとしたストーリーは覚えていないですが、「物語って面白い」と思ったものでした。

その後、10歳くらいからはほとんどテレビを見ない人になってしまったので(ラジオに没頭し始めた)、この頃が最後のテレビ時代。いい思い出です。

というわけで、本当に関係ない話ですみません。


ただ、しつこく書きますが、世の中は「自分の内に存在する夢と理想」で作られます。



  

2012年10月14日



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▲ 2010年のマックノート(C/2009 R1)彗星。パンスペルミア説では、彗星は重要な位置として見られます。
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(訳者注) 以前から「微生物の話」を書き出すと、すぐ風邪を引く傾向にあるんですが、最近の記事で微生物とかウイルスのことにふれていましたら、見事に風邪を引きました。

今回は、ロシアの科学者たちが「無機物から生命を作りだそうとする実験」を再び試しているというニュースがあり、それをご紹介しようと思うのですが、前提として書くことも多くなりそうで、ただでさえ頭が朦朧としている中、わかりにくくなるかもしれないですが、すみません。



すでに科学の世界の生命の起源の理論は塗り替えられつつある

もともと地球のいわゆる原始スープと呼ばれる古代の海から「偶然、生命が誕生した」という説を最初に唱えたのはロシア人(当時はソ連)科学者でしたので、今回の実験もタイトルに「蘇る」というニュアンスのロシア語が見える通り、ロシア科学界のリバイバル的な意味というような部分もあるのかもしれません。

本来なら取り上げるようなものでもないのですが、私が今回、この記事をご紹介しようと思った理由は、記事の中に下のような一節があったからです。


現在では、多くの科学者たちが生命は宇宙から地球にもたらされたという説を支持している。

地球の生命が宇宙からもたらされたとする説は、ノーベル化学賞を受賞したスウェーデンのスヴァンテ・アレニウス博士や、あるいは、ロシアの生物地球科学の創始者であるウラジーミル・ヴェルナツキー博士も、宇宙起源説を支持していた。



とあり、「すでに科学の世界での生命起源の理論の主流は宇宙起源となりつつある」ということが書かれてあるのでした。

「そうかあ・・・すでに生命は宇宙からもたらされたとするほうが主流なのかあと」と、感慨深く思ったことが、この記事をご紹介しようと思った最大の理由です。

先日の記事、

「良い時代と悪い時代」(3): 2013年の巨大彗星のこと。そして宇宙から地球に降り続ける生命のこと
 In Deep 2012年10月11日

でも、米国プリンストン大学の研究チームがバンスペルミア説の証拠となり得る論文を提出したというようなものをご紹介しました。

徐々にではあるけれど、私たち人類は生命の起源と進化に関しての「中枢」に近づけるような可能性も少しはあるのかもしれません。その「中枢」は見えない中枢のようには思いますけれど。


そして私にとっては、地球の生命が宇宙起源であるということが大事なのではなく、「生命は普遍的なものだ」ということが大事だと思っています。

つまり、「どこにでもある」と。

「どこにでも」ということは、宇宙全体のどこにでもあるということで、私たちのこの地球はそのような宇宙の中のひとつに過ぎない。

しかし、宇宙の中のひとつに過ぎない地球ではあっても、この地球の人間である私たちにとっては、この地球が唯一の地球であるということだとも思います。ちょっとわかりにくい書き方かもしれないですが、「あらゆる地球の住人たちは、その地球以外の地球を持たない」というような意味かもしれません。

そして、エメラルド・タブレットなどでも描かれる概念を拡大させれば、「個々の惑星と全体の宇宙は常に対等である」という概念だと私は思っています。

ところで、ロシアのニュースをご紹介する前に、そもそも、その「地球上で生命が生まれた」という説はどのようなものだったのかを簡単に記しておきます。




20世紀の生命起源説を席巻した「地球の原始スープの中から生命が生まれた」という説について


説明の抜粋等は、基本的に Wikipedia からの抜粋で統一しますが、難しい用語は平易にするか省略しました。

ちなみに、人類が、生命の起源ということを科学において言及しはじめたこと自体の歴史がそれほど長いものでありません。

「地球から生命が発生した」という説は、まず、ロシアのアレクサンドル・オパーリンという科学者が、1922年に『地球上における生命の起源』という本を発表し、そこから1950年代まで、生命の化学進化説という理論を展開させたことによります。

オパーリン博士はケンタッキー・フライドチキンのおじさんにも似た温厚な顔をした人で、私は顔は好きです。顔は好きなんですけど、このオパーリン博士の化学進化説が後の科学界を悩ませることになります。

oaprin.jpg

▲ アレクサンドル・オパーリン(1894 - 1980年)


オパーリン博士の説を簡単にまとめると下のようになるようです。



1. 原始地球の無機物から低分子の有機物が生じる。

2. 低分子の有機物がお互いに結びついて高分子の有機物を作る。

3. 地球の原始の海は上のような反応での「有機物の液体(スープ)」だった。

4. この「原始スープ」の中で、高分子の集合体(コアセルベート)が誕生した。

5. この集合体がアメーバのように結合と分離を繰り返した。

6. このような中で最初の生命が誕生し、優れた代謝系を有するものが生き残っていった。





というようなもののようです。


今改めて読んでみると、まだ遺伝子や生命の構造の解明が進む前の時代だったから受け入れられたものだったことがわかります。

というのも、地球の年齢は現在の科学ではおよそ 40億年程度とされていますが、その真偽はともかくとしても、この程度の年代だと上の繰り返しで生命が作られるにはあまりにも短いということがあります。

    
その時間で進化してきたわりには「あまりにも生命は複雑」なのです。

たとえば、下はフレッド・ホイル博士の『生命はどこからきたか』の中からの抜粋ですが、「生命の構造の複雑さ」ということをまず知る必要があります。

これは書かれてある意味自体、私自身もよくわからないので、その意味というより、「たった1種類の酵素を作ろうとしてもこのような膨大な数字となる」ということを知っておいてもいいのかと思うのでした。


『生命はどこからきたか』 第十四章 生命の起源と進化を考えるための基礎知識より

 三〇個の不変なアミノ酸を持ち、一〇〇個の結合部分からなる短いポリペプチド鎖でさえも、二〇の三〇乗、約一〇の三九乗回にもなる試みが行われて初めて機能を持つ酵素となる。三〇〇個の不変部分を持ち、一〇〇〇個の結合部分からなる酵素の場合は要求される試みの回数は二〇の三〇〇〇乗で与えられ、それは一の後に0が三九〇個も並ぶ数である。

 さらに、われわれはただ一種類の酵素だけを取り扱うのではなく、最もシンプルな有機体でさえ二〇〇〇種類、われわれのような複雑な生物では約一〇万もの酵素と関係しているという点でも超天文学的数である。



まあ、全然わからないのですが・・・要するに、簡単な酵素ひとつが「自然」にできるためには、「 1の後に 0が 390個も並ぶ数」の確率の中でアミノ酸が結合する必要があり、さらに、それが生命として機能するには、その奇跡的な確率をクリアした酵素が「数万個以上の単位」で存在しなければならない。

1の後に 0が 390個も並ぶ数の確率というのは、

390.png

という感じです。

上の壮絶な確率で「仮に」酵素や有機物が生まれたとしても、それはまだ単細胞生物などでさえないわけで、地球上でもっとも単純な構造のタイプの生物などでも、上の組合わせでの酵素が 2000個必要だとのこと。人間なら10万以上。

しかも「正しい配列」で。


もはや、確率で論ぜられる世界ではありません。


これでは仮に(あくまで仮に)、地球の上で有機物が発生したとしても、地球の歴史が仮に38億年なら、この年月では「生命どころか酵素ひとつできない」ことになります。というか、38兆年でも「偶然のレベル」では、酵素ひとつ作ることもできないと思います。

たとえば、下のは α-キモトリプシンという酵素の図です。

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▲ 『生命はどこからきたか』 第十四章 生命の起源と進化を考えるための基礎知識 の図より。


この図自体はいくら見ても私には何が何やらわからないですが、こんな酵素ひとつでもこんなに複雑な構造になっていて、少しでも違うと酵素として働かないのが生命というもので、そして、こういう酵素が何万と「正しく」集まってできているのが、人間を含む生命なのだということです。

生命は偶然の繰り返しで作られたというようなものではない、と考えざるを得ません。


科学的に考えるまでもなく、常識的な考え方として、地球上で無機物から有機物が偶然生まれ、それが偶然の連続で生命として進化して、それがさらに高度な生命として進化して現在の地球のあらゆる生物となっているという話は基本的に「無理な話」であることがわかります。


しかし、「生命の地球発生説」を続けます。

オパーリンの化学進化論を検証する実験をおこなったのが、ユーリー-ミラーの実験と呼ばれるもので、下に Wikipedia から抜粋します。


ユーリー-ミラーの実験

ユーリー-ミラーの実験は、 1953年にスタンリー・ミラーが、シカゴ大学の大学院生のときに行ったものである。地球において最初の生命が発生したとされる環境を再現することを目指し、そこで簡単な化学物質の組み合わせから、生物の素材となるような成分ができるかどうかを実験で確かめるものであった。


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▲ ユーリー-ミラーの実験の実験装置の概念図



そして、この実験で「アミノ酸の無生物的合成を確認した」ことにより、生命地球発祥説は、広く科学界に受け入れることになり、以降の科学と「教育」の世界でこの理論が広く取り入れられたのは書くまでもないことかと思います。

私たちも学校で「生命は地球で生まれた」と教えられてきたはずです。

もっとも、Wikiepdia にも、その後に、


現在では、多くの生命起源の研究者たちは、ユーリー-ミラーの実験を過去のものと考えている。



とあり、今では違うようですが、一般の認識としては、今でも「生命は地球で生まれたと考えている人」はわりと多いのではないかと思います。


なお、ホイル博士の著作には、ユーリー-ミラーの実験の「大きな間違い」が指摘されています。


『生命はどこからきたか』 第三章 尿素から有機スープへより

ユーリーとミラーにより用いられたメタンは天然に得られる気体ではあるが、それは生物由来のものなのである。アンモニアもウェーラーの実験においてそうであったように由来は疑わしい。行われたのは生物材料から出発して別の生物材料を作ったのであり、当時思われていたような印象的な結果からはほど遠いのである。



メタンそのものが生物由来だとすると、この実験そのもののテーマであった「無機物から有機物を作り出す」ということにおいて、根本から違ったものだったようです。

いずれにしても、いろいろな理論や実験の中で、地球の生命の起源を探る試みや思考は続けられていて、ともすると、それは「迷宮」に入り込むような世界なのかもしれないですが、きっと今後も興味深い方向に進むのだろうと思います。

というわけで、今回は、上に挙げた「生命の地球起源説(化学進化説)」が生まれた国でもあるロシアで、その理論をふたたび実験によって示してみようという試みの話です。

ニュースメディア「ロシアの声」ロシア語版からです。

ではここからです。



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2012年09月21日



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関係過去記事:







 


最近は暗いニュースや、どんよりした気分になるニュースが多かったですが、今回の「水星は他の惑星とまったく違う起源と組成を持っているかもしれない」というようなタイトルのニュースを見た時には、「うひょひょ」と、思わず、きんどーさん的な笑みがこぼれました。


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きんどーさんは顔や体型など本当に私と似ているのですが、そのことは今回は置いといて(永遠に置いとけ!)私は、9月というのは暑さから解放されるせいなのか、どうも「突然」というように宇宙の方向への興味が増大します。

最近・・・まあ、昨日もですが、寝ようとすると、一晩中、頭の中で「雨と宇宙線と微生物の関係」のことについての概念のようなものが鳴り響き、「おー、また秋の発狂シーズンがやってきたか」と思います。

確か昨年も、あるいは一昨年も、その前もそうだったと記憶しています。
この時には頭痛が付随します。

寝れば夢にジーサンが出て来て妙なことを呟き、眠らないと眠らないで頭の中が上のようなこと(雨と宇宙線と微生物の関係のようなこと)で埋め尽くされて発狂寸前になります。



ところで、この「雨」なんですけど、昨日半分眠った状態で、「ああ、そうか」と気づいたことがあります。実は雨に当たるだけで私たちは「おびただしい数の生命の洗礼を受けている」ということについてです。ちょっと書かせてください。




ほんの数秒、雨に当たるだけで、私たちは数億個とか数兆個の単位の「生命」を体に浴びている


まず「雨」というのは「そのたった一粒でさえも大量の生命(死骸や各種の有機物も含めて)」と考えるのが妥当みたいなんです。

まあ、「雨は生き物の死骸の塊である」とかを書くと何ともオカルトな感じなんですが、しかし、これは多分かなり事実で、その流れとして、まず「雨」というものがどうしてできるかという一般的な科学ですが、「晴れ,曇り,雨の日の違いは何?」というページから引用させていただくと、


雨雲になるための条件は?

雨は雲粒が成長して重力で落下してくる現象です。雲粒がどれだけ成長して雨滴になるのか。代表的な大きさで比べると、雲粒は10μmで、雨滴は1000μmですから、100倍の違いです。したがって、1個の雨粒は100万個の雲粒が集まって形成される計算になります。



ということで、雨は「雲粒」という、まあ水滴とか氷結とかチリみたいなものが、何百万個も集まって「一粒の雨粒」が作られるんですが、その場合に雨粒の中心となる「核(コア)」が必要のようなんですね。

要するに、いくら「粒」が集まっても、その中心となるものがないと雨にはならないのです。

その「中心となる物質が存在して」はじめて雨が作られはじめます。この中心となる物質は「氷晶核」というような言い方をされているみたいですが、上の「100万個」などの粒の中心となるものです。


ice-m01.jpg

雨の成因より。



しかし、この中心となり得る物質は何でもいいわけではないのです。

人工降雨などでは、ヨウ化銀という非常に特殊なものを使いますが、この中心となり得る物質については非常に興味深い事実があります

それは、たとえば、上の図を拝借した雨の成因というページの「雨粒への成長」というセクションにもサラリと書かれていますが、


高い空にはあまり氷晶核となるような物質はない。



という事実があるのです。

つまり、「地上に降る雨ができる高い空には、本来は雨の中心(氷晶核)となり得るような物質があまりないと考えられている」わけです。

でも、実際に雨は降る。

ということは・・・やはり、氷晶核となる物質はあるわけです。

それがないと雨は降らない。

つまり、「高い空にはあまり氷晶核となるような物質はない」のではなく、「わかっていない」というほうが妥当かと思われます。

これは「雲ができる仕組み」がいまだに現代の科学では明確には解明されていないのと同様に、雨についても非常にわかっていないということもあります。




さて・・・さてさてさて(うるせー)、しかし、この雨の中心となる「氷晶核」を最も効率よく作る物質は本当は知られているのです。

それは「有機物」です。

これは、フレッド・ホイル博士の著作『DNA は宇宙を流れる』の解説で、東京大学理学部物理学科卒の翻訳家でジャーナリストの小沢元彦さんという方が、注釈として以下の説明を書かれていますので、抜粋します。


一般には、風にのって運ばれた土壌および鉱物塵粒子などが氷晶核となると言われている。しかし、ほとんどの鉱物は氷晶核としては不活性であり(氷晶核として働かないということ)、例外的に、粘土類のケイ酸塩鉱物がマイナス18℃の大気中で氷晶を作ることが研究によって明らかになっている。なお、人工氷晶核として利用されるヨウ化銀はマイナス4℃でも活性を示す。

氷晶核として最も有効な形状は六万晶系の結晶であるが、表面構造の方がさらに重要であり、結晶構造は核の細かい表面構造を決める部分的要因であるにすぎないと言われている。ある種の複雑な有機物が高い温度で氷晶核として活性化する(たとえばステロイド化合物の場合、マイナス1℃)という事実は、人工降雨研究者の間ではよく知られている。



難しい言い回しなんですが、極めてぶっちゃけて要約すると、「無機物よりもバクテリアのような有機物のほうが氷晶核として有用である可能性がある」ということが言えそうなのです。


しかし、雨が作られるような高層の高い上空に有機物や、ましてバクテリアなどいるのか、というと「いるんです」。これはもう、フレッド・ホイル博士の著作からの受け売りで、抜粋ではなく箇条書きにしますが、


1982年、ケルフ・ジャヤウェーラ博士とパトリック・フラナガン博士というふたりの著名な科学者が、南極海上空7キロで、10種類のバクテリアと31種類の菌類の胞子を発見した。


ということに始まって、その後も高層大気の生物の研究は続いています。

In Deep の過去記事でも、

宇宙のバクテリアを用いての強力な発電実験に成功した英国の研究チーム
 In Deep 2012年02月29日

というニューカッスル大学の研究チームがアメリカ化学会の会報に発表した論文についての報道を紹介したことがありますが、これなど、

「上空 30キロメートルの成層圏で発見されるバクテリアが、生物電池に極めて適していることを発見した

というもので、上空 30キロというと、これはもはや地上から微生物が上昇できる高さではないと考える方が妥当な感じがします。なぜなら、その場所は「成層圏」と呼ばれる場所で、すでに「対流圏」という大気の流れの上にある場所なのです。



▲ 成層圏の位置。


対流圏を越えて、物質や微生物が「上に」上がっていくということは極めて難しいと思うのですが、でも、その高層大気には「たくさんの微生物」がいます。

それらの生物がどこから来たのかということに関しては、現在の科学界では「それは考えないようにしよう」という流れとなっていますので、まあ、どこから来たものでもいいです。宇宙からでも、他の次元でも、とりあえず何でもいいです。

でも、いる。


いずれにしても、雨の降ってくる高い上空には、「雨の核となるような無機物などの物質はほとんどない」けれども、「雨の核となり得る有機物やバクテリアで満ちている」と考えることにはあまり無理がないはずです。

ということは、つまり、

雨は何もかも生物で作られている

という可能性があります。

一粒の雨粒に100万単位での「チリ」(有機物か微生物)が集まっている雨に、「ちょっとでも濡れるだけで、私たちは何千億、何兆もの有機物で体を洗われている」という意味が、これで通じるのではないかと思います。

あと、少し上の話とは違うものですが、過去記事で、

インドの大学の研究で多種の微生物が雨と共に空から降っていることが判明
 In Deep 2010年10月31日

というものもありました。

いずれにしても、オカルトに見えるような話でも、道筋をつけて考えてみると、それはまったくオカルトではないことがわかることが多いです。

私はいわゆるオカルトには最近はほとんど何の興味もないですが、目に見えている現象の真実は、ますます「奇蹟」に見えています。


というわけで、また話が逸れましたけれど、今回の「水星」。

これは In Deep というより、私が「宇宙と人間の存在」というものを勉強する歴史の中での中枢に位置し続けたのが水星でした。これまでどんな感じで「水星」を取り上げたのかを少しご紹介してから、今回の翻訳に入ろうと思います。




この世は「水星」によって存在しているという中世神秘学の理論


最初は昨年の、

突如スポットを浴び始めた「水星」
 In Deep 2011年10月01日

という記事に遡りますが、エメラルド・タブレットと呼ばれる中世神秘学とアルケミーの「奥義」とされるものが描かれている図版には、

「太陽と月の仕事を完成させるのが水星」

という図式の絵が描かれています。
エメラルド・タブレットの下の部分です。



ここは説明としては、


2つの手の上には、7つの惑星が描かれている。

そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。

その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。
水星は男性と女性の両方の性質を持つのだ。
これも、別の方向としての、「逆にあるもの同士を結びつける」ことをあらわす。

太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステムだ。



というような説明となっています。

しかし、そんなオカルティズムだけでは、「だからどうした」と私も思っていたのですけれど、 NASA の探査機メッセンジャーの調査で、「水星は特別な惑星だ」ということがわかってきているのです。

それは「 水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない(2)」という記事にありますが、水星はそれまで、科学者たちから「死んだ惑星」と考えられていたのですが、そんなことはないことがわかってきたのでした。

しかも、水星には下の写真のように「色」がある。



▲ NASA の水星探査機メッセンジャーが送信してきた水星の写真。右のカラー写真は11種類の波長の違うフィルターから NASA が構築した「真実に近い色」の水星の疑似カラー写真。

そして、今回の記事は、アメリカの財団法人であるカーネギー研究所の科学者が、メッセンジャーのデータ解析の中で、「水星の組成は地球や月と全然違う」ということを示していたことを明らかにしています。

2012年という年は、人類科学史の中で、水星が動き始めた年だということは言えそうです。


ちなみに、前回の水星の記事の中でご紹介した、水星のデータ解析を発表したマサチューセッツ工科大学のマリア・ズベール博士も、今回のカーネギー研究所のシャショーナ・ウィーダー博士も共に「女性」なんです。だからどうしたというわけではないのですが、水星の真実に近づいた人物が「女性だった」ということには何となく思うところがあります。


本来なら今は水瓶座の時代のはずで、「女性性の世界」へ突入していく段階にあるはずなのに、それがまったく見えない男性性の様相ばかりの現在。


だからこそ「この世の存在の真実を知る水星」に世界で最初に迫ったふたりが女性だったということは、やはり意味があると私は思います。

kindo.png

(もういいって)


では、ここから記事です。
米国 CNN の報道です。






 



Mercury probe points to different origin for 1st planet
CNN (米国) 2012.09.18


水星探査機は、水星が他の惑星とは違う起源であることを示した


mercury-messenger-2012.jpg


NASA の水星探査機メッセンジャーから送られたX線データは、水星の表面のマグネシウムと硫黄のレベルを調査している。そして、そのデータからは、水星が他の惑星とまったく違った組成であることを示すと科学者たちは言う。

探査機メッセンジャーは、この1年6ヶ月のあいだ、水星からデータを送信し続けてきている。

そのX線のデータからは、水星の表面は、水星の北部にある火山噴火での岩の噴出を通し、地球や月などとは違った組成の平野であることを示す。

米国ワシントンにある財団法人カーネギー研究所のシャショーナ・ウィーダー博士は以下のように述べる。

「探査機メッセンジャーによる水星探査のミッションの前までは、科学者たちは、水星は月などと同じような惑星であるだろうと予測していました。しかし、水星の表面の低いレベルのカルシウムの量は、軽い素材が融解してできた月の表面とは、水星で起きたことは違うことを示します」。

「このデータは、酸素が極度に少ない水星のような環境で、水星に固着した前駆体としての物質の手がかりを私たちに与えてくれるものです」。

水星表面の硫黄濃度は、地球のおよそ 10倍におよぶと博士は言う。

そして、巨大な惑星を作るための鉄のコアが、水星の表面ではごくわずかしか見つからないという。

水星北部は火山が多い平野で、その地域は他の場所とは異なっている。そのクレーターからの年代分析は、現在の水星表面は10億年以上の年月があるという。

この研究成果は、科学専門誌「地球物理研究ジャーナル /Journal of Geophysical Research 」の最新号に掲載された。


水星の大きさは地球の約5パーセントで、太陽の周囲を 88日周期で回っている。

そして、その自転は非常にゆったくりとしていて、一周するのに地球での 58日分の時間がかかる。NASA によると、水星の表面気温は摂氏 425度に達する。




  

2012年09月12日



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昨日の記事「中国の次期最高指導者に身の上に起きたこと」で、山本七平さんの1973年の著作『ある異常体験者の偏見』の中の「フィリピン軍事法廷とシェークスピア劇に共に見られる扇動」の部分について抜粋すると書きましたので、その部分を抜粋いたします。

ところで、その前あたりの記事、

「ニセの化石」に占拠されつつある中国の博物館と古生物学会
 In Deep 2012年09月08日

の最初のほうに「富士山、クラカタウ火山、そして地球の人類史を牛耳る火山噴火」という見出しで火山のことについて少し書きました。

volcano-2012-01.jpg

▲ インドネシアのクラカタウ火山。最近、インドネシア当局は、警報レベルを上から2番目に引き上げました。日本語の報道もあります。






 


そのことに関して、読んでみたかった『西暦535年の大噴火』という本が昨日届きまして、いつものように適当に開いたところに目を通していましたら、535年のクラカタウ火山の噴火と関連して、当時の「日本」についても興味深い記述がたくさんありました。

詳しいことは、次に火山のことを書くときにご紹介しようと思いますが、イギリス人ジャーナリストのデヴィット・キースさんという人が書いたこの本は全部で 400ページ近くあり、その中で日本に関して書かれているのは十数ページなのですが(ヨーロッパ史に多くを費やしている)、その「東洋の悲劇」というセクションの冒頭はこのようなものでした。


「西暦535年の大噴火」デヴィット・キース著より。

「食は天下の本(もと)である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」(『日本書紀』)

日本の代表的な年代記『日本書紀』によると、宣化天皇は536年の詔の中にこのような言葉を残された。『日本書記』は全十二万語に及ぶ大著だが、このような記載はほかに一カ所もない。しかもこの文章が、ちょうど同じ時期に世界中に広まっていた天候異変とまったく同一の現象を記していることは、決して偶然ではない。

日本が国家として出現したのは、世界中の多くの国々と同様に、530年代の気象異変をきっかけとして各方面に変化が生じた六世紀のことだった。

アジア東部の異常気象は、いったいどのような政治・宗教的な大変化となって日本に現れたのだろうか。



と始まり、その時期に、中国、朝鮮半島、日本のすべてを同時に襲った歴史的な飢餓状態と、日本でその後に大流行した致死率の高い伝染病(症状から著者は「天然痘」の可能性が高いと指摘)の後に、中国からの仏教の伝来があり、日本の国家形成に大きな影響を与えたとしています。

私は中学高校とまったく勉強をしなかった(というより意識的に自分から勉強を排除していた)ので、その頃の日本の歴史もよく知らないですが、この「西暦535年の大噴火」には、下の表が出ていました。

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この535年の出来事がどんな自然現象だったのかというのは、実は現在でも確定しているわけではないのですが、「とにかく大きな自然個現象があった」ことは事実のようです。そしてそれはインドネシアのクラカタウ火山の噴火である可能性が高いようです。クラカタウ - Wikipedai には、535年のクラカタウの大規模についてこのようにあります。



535年の大規模な噴火はインドネシアの文明に歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらした。その痕跡は樹木の年輪や極地の火山灰の堆積のような物的なものから歴史文書に至るまで広範囲に亘っている。



とあり、次第に物的証拠も固まってきているようです。


ところで、上の表の一番下にある「日本の中国化」という文字を見た時、昨日のボイスオブロシアの日本語版の記事をふと思い出しました。

下はその記事の最後の部分。
元々の記事はロシア語のもので、書いたのもロシア人記者です。


中国共産党大会を前に日本は中国を助けた
VOR 2012.09.11

諸島付近の状況緊張化と新たな反日行動は、第18回中国共産党大会を目前に控えた現在、政治的観点からいって中国政府には非常に都合のいいものとなっている。

愛国主義的なうねりは社会をひとつにたばね、薄 熙来(はく きらい)とその妻に関するスキャンダルやそのほかの高官と子息のスキャンダルからは視線が逸れるだろう。

上手にプロパガンダを行なえば、愛国主義は大きな政治スキャンダルも中国の経済状況の悪化に関して今後起こりうる反政府行動も大して重要ではない現象になりえる。この意味で日本の尖閣諸島3島国有化は中国の利に働いたといえる。



そんなわけで、6世紀の頃から日本と中国の関係はあまり変わっていないようですが、ここから、山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』からの抜粋です。今の世の中で、繰り広げられる様々が「あるいは扇動かもしれない」ことがなんとなくおわかりかとも思います。

違うのかもしれません。
もちろん、どのように思うかは各人の判断ではあります。




『ある異常体験者の偏見』 アントニーの詐術  山本七平 1973年より。


原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。ということは、まず集団ヒステリーを起こす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。

この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私が説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが、……実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起きるのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁となったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果のもつ扇動=軍人的断言法の話法に進みたい。

まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。

市民の一人 名前は? 正直に言え!
シナ    シナだ。本名だ。
市民の一人 ブチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。
シナ    私は詩人のシナだ、別人だ。
市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、ヘボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ    ちがう。私はあの徒党のシナじゃない。
市民の一人 どうだっていい、名前がシナだ・・・やっちまえ、やっちまえ・・・


こんなことは芝居の世界でしか起こらないと人は思うかも知れない。……しかし、「お前は日本の軍人だな、ヤマモト! ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」、「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです! 憲兵ではありません」、「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起こったのである。

これについては後で後述するが、これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。新聞を見ると、形は変わっても、今でも全く同じ型のことが行われているように私は思う。

一体、どうやるとこういう現象が起こせるのか。扇動というと人は「ヤッチマエー」、「ヤッツケロー」、「タタキノメセー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは、「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の理論」ではない。

すなわち、結果であって原因ではないのである。ここまでくれば、もう先導者の任務は終わったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。というのは、扇動された者はあくまでも自分の意志で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気が一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。(中略)

従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。





そして、しばらく後にこのように続きます。

(ここから抜粋)




事実、事実、事実、事実とつなぎ、その間にたえず、「……でしょうか? ……でありましょうか? ……このことを考えてみましょう! ……たとえそう見えたとしても……ではないでしょうか?」ということばでつなぐ。

これをやっていくうちにしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨海地に達し、連鎖反応を起こして爆発する。……ヤッチマエー、ぶら下げろ−、土下座させろー、絞首台へひったてろー、……から、ツツコメ、ワーまで。






(抜粋ここまで)


私は上にあるシェークスピアの芝居の中にある「どうだっていい、同じ〇〇だ、やっちまえ」という台詞をこの10年くらいだけでも何度見てきたことか、と思います。

その人がいいとか悪いとかではなく、「どうだっていい、同じ〇〇だ」という事例。

同時多発テロのあとの西欧社会のイスラム教徒、領土問題などで利用される際の反〇〇運動(日本、中国、韓国など)、原発問題のあとの電力会社の社員に対して・・・ etc 。

世界中で無限に今も続く「どうだっていい、同じ〇〇だ」 のループ。

そして、上の七平さんの書いてる通りに、


扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。



確かに扇動された者の騒がしいこと!
扇動する側の見えないこと!

今まで何度も何度も繰り返されてきた同じような歴史は今の状態を見ている限りは今後も続きそうで、まあ、それが人間の歴史ということなんでしょうかねえ。

最近の私に漂う一種の絶望感も「生きている中で、何度この光景を見続けるのだろう」というようなことに疲れているということもありそうです。扇動されている人はそれに気づいていないので、仮に指摘をしても「むしろ怒って気勢が上がるだけ」ですので、指摘は意味をなさないです。

場合によって、「何十年も気づかない」。

この素地を植え付けるのが小学校から始まっていると思います。
あるいは、運動などの大会。

「なんで運動でも勉強でも争わないと(比較しないと)いけないのですか?」
「それが決まりだ」

という繰り返しを小さな頃から何千回も言われれば、そういう人間ができます。その先生もそういう教育を受けてきたので「気づいていない」だけで、悪気などはないはずですけれど。


それにしても、私はまったく本を読まない十代だったんですが、タイミングよく何冊かのいい本に当時出会ったと思います。小学生だったか中学生のときだったかに「あること」があって以来、私は本を読まなくなりました。なので、高校を出るまでに読んだ「まともな活字の本」で、全部を読破したものは記憶では5冊だけだと思います。

しかも、それらの本はすべて、レコードでいえばジャケ買い、つまり、本屋でタイトルとジャケットが気に入って、立ち読みしたら面白くて買ったものだけで、出会いはすべて偶然でした。私が「本を嫌いになった理由」は、昔のクレアの記事の「夢は夢のなかだけで見ればいい」という記事にちょっと書いています。

ちなみに、十代で読んだ他の4冊の本は、

私の中の日本軍』上下 山本七平
麻雀放浪記 青春篇』 阿佐田哲也  
食通にささげる本』  酒井美意子


でした。

『私の中の日本軍』は、今回の「ある異常体験者の偏見」と同じ山本七平さんの著作で上下二巻の大作です。

上の本のすべてがその後の私に、

「それを自分で考えたか?」
「自分で計算したか?」


ということを考えさせる方向に向けました。「麻雀放浪記」は恋愛に対しての考え方を。酒井美意子さんの本では「食べ物と人類の文明史の関係」についてを。

酒井美意子さんはもう亡くなられたようですが、ハクビ総合学院学長、京都きもの学院などの学長を兼任していた日本のマナー研究の第一人者だった人で、この『食通に捧げる本』は、私が「東京に行きたい」と思う原動力ともなった本です。

パンクとおいしい料理を求めて東京へ・・・
なんだか変な展開になってきました
ので、このあたりでやめておきます。



  

2012年09月03日



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▲ 何かが破裂したかのような動きを見せた 8月31日の太陽フレア。下に動画があります。






 



今回の記事をすべて書き終わった後に、この冒頭を書き直しているのですが、後半ものすごく長くなってしまいました。なので、太陽フレアの話題を先に持ってきました。


さて、昨日、ブラックホールに関しての下の記事を書きました。

発見された「 130億年前のブラックホール」が放つ矛盾
 In Deep 2012年09月02日

昨日は日曜日で、上の記事を書いた後、子どもとどこかに行こうと思ったのですが、昨日は久々の雨でした。それで図書館に行くことにしました。

歩いて10分くらいのところに市の図書館があり、結構広く、子どもの本もかなりあります。

その図書館の「小中学生向け科学コーナー」にあった本である科学的事実を知り、それなりの衝撃を受けたというか、「子どもの頃にそんなことを習うんだなあ」と、改めて勉強しなかった自分を認識したりした次第ですが、これは昨日の記事に対しての余談ですので、タイトルの「大出血のような太陽フレア」のほうを先に書きます。

ここからです。



大出血のような太陽の破裂


数日前の 8月31日に、太陽で久しぶりにある程度の大きさの太陽フレアが発生しました。何しろ、最近の太陽は、スペースウェザーで「 QUIET SUN (静かな太陽)」という記事が書かれるほど何にも起きない太陽活動最大期ということになっていて、8月31日のMクラスのフレアは久々のものでした。

NASA の太陽観測衛星ソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリー(SDO)が撮影したその際の写真が上に載せたものですが、この「色」は、本当の色ではなく、NASA の太陽観測衛星 はいろいろな波長で太陽を撮影していて、その中でのフレアの動きの見やすいものだと思われます。

NASA の太陽観測衛星の太陽の画像は、たとえば過去記事(「太陽が笑った」 より)のものですが、そのすべてを並べると、下のようにいろいろな色で表示されます。

smiley-face-on-the-sun-02.jpg

▲ 見える光の波長の部分が違うので、それぞれ微妙に違う表面の形となって見えます。


さて、その 8月31日の太陽フレアの姿を、スペースウェザーは「美しさ」の点を強調して書いていましたが、私は、何だか、太陽内の「不要物」を外に吐き出しているような、嘔吐や大出血のような姿に見えてしまい、それでご紹介しようと思った次第です。

その時の動画はスペースウェザーに公開されていますが、オリジナルは数秒で、爆発も「一瞬」ですので、こちらでスローモーションにした動画を貼っておきます。





これが紹介されていたスペースウェザーの記事の文章もご紹介しておきます。
タイトルは「壮麗な太陽フレア」というようなものでした。


MAGNIFICENT ERUPTION
Space Weather 2012.09.02

壮麗な太陽フレア


太陽の南東に巻き付いている磁気フィラメントから 8月31日に大きな太陽フレアが噴出した。このフレアは CME (太陽コロナの大規模な噴出)を伴った。

NASA のソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリーは、これまで撮影されたフレアの中でも、最も美しいもののひとつに数えられることができると思われるその太陽フレアの記録を撮影した。

このフレアは同時に CME を噴出させ、秒速 500キロメートルの速さで宇宙空間を進んでいる。 CME の発生の様子は下の GIF 動画にある。




この CME の雲は直接地球には向かっていないが、多少、地球に磁場での影響があると見られる。

アメリカ海洋大気庁(NOAA)の宇宙天気予報官によると 9月3日(日本時間9月2日)に磁気嵐が発生する確率は約 40パーセントだという。



ということで、この記事の「日本時間の 9月2日に磁場の影響が地球にある」という部分を読んでいて、ふと思ったことがあります。

私の家はベランダから富士山が見えるのですが、昨日の夜、「富士山の上空とその周辺が真っ赤」だったんですよ。

奥さんと子どもにいうと、「あ、ホントだ」と言ってしばらく見ていたので、私だけの錯覚というわけでもないようです。時間は夜の9時近くで、夕焼けとは関係ないし、もともとその方向で町の灯などで空が赤く光ることを見たことがないので、不思議に思っていました。

ちなみに、「何となく赤い」のではなく真っ赤。

大きな火事、花火大会、戦争、急に大都市ができた(こわいわ)、富士山の噴火、など何か理由はあるとは思うのですけど、今朝、ニュースを検索しても別に該当するようなものもなく、どういう現象だったのかなあと。

CME の磁場とか・・・やっぱり関係ないよなあ。

まあ、いずれにしても、そのような「太陽の大爆発」の様子でした。


ここから冒頭に書きました「物質は永遠」についての件です。



250年前に決着がついていた「この世の永遠性」


昨日、図書館に行き、子どもは子どもで自分で本を探していて、私も子どもコーナーの本などを見て歩いていると、「科学 かがく」と書かれたコーナーがありました。

その中に、

「原子の発見」 田中実 著

という本がありました。
「ちくま少年図書43 科学の本」とありますので、こども向けのもののようです。


「子どもコーナーだろ? 原子だと?」と思いつつも何となく手にし、目次を見た時に「うっ」と思いました。
そこには私が知りたいと思ったことがわかりやすく書かれている。

パッと開いたページのセクションのタイトルは、「分子の研究 - 生命は物質から作られる」で、そこを読んでみると、このようにありました(結局、子どもの本に紛れ込ませて借りてきたので、今、手元にあります





「ちくま少年図書 原子の発見」 131ページより。

生きているとはどういうことか。人間も動物も、そして、植物も生きている。生きているものと、生きていないものとは、どこがちがうのか。生きているものが死ぬとは、どういうことなのか。

生命という現象には、まだたくさんの解ききれない秘密がある。しかしそれは自然科学の力によって、しだいに解決されてゆくはずである。どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない。





「どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない」。

上ではじまる章は、そこに前後して、紀元前4世紀に、アリストテレスとデモクリトスが論争をしつつ、ふたりとも共通して、

ものは消えてなくならない。ものが変化して、なくなったように見えても、じつは別のものがそのかわりにできている

という認識を持っていることが長く書かれ、そして、「ラヴォアジエ」という人が登場します。このラヴォアジエという人の登場がひとつのクライマックスといえる感じなんですが・・・私はこの名前を知らなかったのであります。


「それにしても」

と立ち読みしながら思いました。

「これは最近の本ではないな。いつの本だろう」

と思って、奥付を見ると、発行は1979年と書かれてありましたが、しかし、著者の前書きを見ると、この本が最初に発行されたのは 1957年なのだそう。

つまり、50年以上前に「少年本」として発行されたもののようです。
1957年だと私はまだ生まれていない。

どうして、「最近の本ではないな」と思ったかというと、たとえば、上に抜粋したくだりの中も「生命という現象」という表現が出てくるのですが、生命存在に対して、今はこういう表現をする人はいないのではないでしょうか。

「生命の中の現象」とか「生命で起きる現象」だとか、そういうような書き方はあるかもしれないですが、「生命という現象」という書き方は「生命という存在自体を現象としてとらえている」ということだと思われます。

つまり、生命はその存在自体が、他の無機物などの科学現象などと比較できる「物質としての現象である」というニュアンスです。

今の時代だと(少なくとも子ども向けの本などでは)「生命は生命。物質は物質」というような区分に自然となるような感じがするのですが、しかし、50年前の科学界での「空気」のようなものは違ったのかもしれません。そして、この「生命という現象」という言い方は、そのまま、エメラルド・タブレットなど西洋神秘学からアルケミー(錬金術)などの中に漂う、

「万物は一者の適合により一者より来る」

ということに通じる概念だと私は思います。

中世の神秘主義などの根幹には、「生命はすべての宇宙に通じる現象と同じ現象」であり、つまり、人間を含めた生物の中で起きているすべての現象は科学での法則とすべて一致するはず、ということがあったと思います。

これは生命を軽視しているのではなく、真逆で、「生命と宇宙が同一である」ということのひとつの道筋となることだと思います。

つまり、私たち人間も宇宙と差は「まったく」ないということです。


ちなみに、著者の田中実さんという人は、この本が出る前の 1978年に亡くなっていて、現在は、ネット上にも同一人物の記述はないようで詳しいことはわからないですが、奥付からだと東京工業大学の教授だった人のようです。




「不滅」の物質は「生まれない」はずだという確信に至った子ども図書コーナーの午後


さて、ところで上の本で最も感銘したこととは何なのか、ということですが、それは、この世には『物質不滅の法則』というものがあるということでした。現在は「質量保存の法則」という名前になっているようですが、55年前のこの本には「物質不滅の法則」とあります。

その法則とは、Wikipedia の質量保存の法則によれば、


質量保存の法則は、「化学反応の前後で、それに関与する元素の種類と各々の物質量は変わらない」という自然科学における保存則である。



というもので、そして、このアリストテレスの時代から「ものは消えない」と考えられ続けてきたことを実験で証明したのが 18世紀の科学者ラヴォアジエという人だそう。

どうして「ものは消えない」ことに感銘を受けたというと、感覚的な話として、これは、

「宇宙の誕生は存在しなかった」ということに結びつく

からです。
なぜ、感覚的にそう思うか。

たとえば、ここで私の書いている意味とは違うとはいえ、Wikipedia の質量保存の法則の説明ページの最後は次の文章で締めくくられます。


なお、この宇宙全体の質量とエネルギーの総和はゼロである(位置エネルギーは重力ゼロの状態を基準点とするため、マイナスの値を取る)。



この「位置エネルギーは重力ゼロの状態〜」の部分は何のことかわからないですが、宇宙全体の質量の総和がゼロということは、

「宇宙では何も生まれてもいないし消えてもいない」

という概念に結びつき、

「宇宙では常に同じ物質群が形を変えて輪廻しているだけ」

という考え方もできます。

一定量の「輪廻」の中で、この世はまわっているという概念。

つまり、物質は永遠であると。

(※ このようなことが著作「原子の発見」に書かれているわけではなく、あくまで、その本の上のページを読んで私が思った概念です。つまり、このあたりからは科学の話ではなく、この先は「娯楽」の範疇です)


話を戻しますと、永遠というものは文字通り永遠なわけで「終わりがない」という意味だと思います。そして、そこから冷静に考えてみれば、消えないもの、つまり「永遠のもの」というものが「生まれる」? 終わりがないのに始まりだけがある? 

それは変なのではないかと。
終わりがあるものに対して始まりを考えるならともかく、「終わりがない」のなら「始まりもない」のでは? と。

この疑問は以前、 「DNA の寿命がほぼ永遠」ということを知って以来あったものでしたが、今回の物質不滅の法則(質量保存の法則)を知って、この考えはさらに強固になった気がします。

すなわち、やはり私は、


「宇宙はいまだかつて一度も誕生したことがない」


と確信します。

137億年前のビッグバンが正しいとか正しくないとか、そもそも、ビッグバンそのものについてとか、そういうことではないです。「宇宙は生まれたことがない」ということですので、ビッグバン理論がどうだこうだという話ではないです。

しかし、「宇宙は生まれていない」のに、現に確かに存在している。そして、存在しているから、科学の世界では「存在しているものには始まりがあったはずだ」という前提のもとに、始まりを探しはじめる。

2年くらい前に、

超弦理論学者から発表された「宇宙は永遠のサイクル」論
 In Deep 2010年11月29日

という報道をご紹介したことがありましたが、これにしても、「現在の宇宙は何兆年も前に二つの宇宙が衝突したことによって作られた」という話で、やはり始まりを探っている。

なんでも「最初」を探ろうとする。
このあたりは進化論も同じだと思います。
起源を探す。


しかし、実際には「起源」はあらゆる存在には「存在しない」ことなのだと最近は思います。この世に存在するのは「状態」だけだと思います。

つまり、今の人間でいえば、今の人間とその歴史の状態。
宇宙でいえば、今と宇宙の状態。

そして、「宇宙は成長もしないし、終わりもしない」。
何しろ始まりがないのですから終わらない。
「始まりがない」ことの証拠は終わりがないから。

循環、あるいは輪廻を繰り返すだけ。


「生まれもしない宇宙がどうして存在しているんだ?」


といわれると、そんなことは誰にもわからないのだと思います。

でも、「在る」。

それは過去記事から、旧約聖書やコーランの言葉を振り返っても何となくわかる気がします。コーランに至っては神(とされるもの)は「生みはしないし、生まれもしない」と明記されています。

そこを少し遡ってみます。




旧約聖書 出エジプト記 3章14節を思い出してみる


今年のはじめころ、こちらの過去記事を書く中で、旧約聖書の「出エジプト記」というものを知りました。

そこに「有って在るもの」という表現が出てきます。

これはモーセという人が「神」というような感じの存在から語られるシーンです。

ここは日本聖書協会の口語訳では以下のようになっています。


出エジプト記 / 3章 14節

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。


これはですね、はっきり言って「日本語として崩壊している」のですが、しかし、この「出エジプト記 / 3章 14節」というのは、日本語だけではなく、あらゆる言語で訳すのが難しい章だということを今回、調べ直して知りました。

「牧師の書斎」というサイトの出エジプト記3章14節についてというページを見ると、原語であるヘブル語(ヘブライ語)の時点で奇妙なのだそうです。

ehyeh.gif


とヘブル語で書くこの部分はこの牧師の方によると「この出エジプト3:14はまことに不思議なことばです。その一つに発音表記のことがあります」とあり、私にはよくわからないですが、不思議な文字か表現をしているようです。

そして、この部分は「旧約聖書中最も多く論じられてきた箇所のひとつです」ということだそうで、サイトによると、日本語と英語だけでも訳と出版元によって次のように違うようです。

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フランシスコ会訳の「わたしはある(エーイェ)ものである」あたりは、焼き鳥屋で泥酔して絶叫しているオヤジたちのようで、ヤバゲですが、これはどうしてこんなことになっちゃったのかと考えますと、最初に旧訳聖書を書いた人が意地悪だったというわけではなく、「もともと存在する存在である存在」という概念をうまく表現できなかったのではないですかね。

要するに上に書いた「永遠不滅のこの世」のことです。

「はじまりも終わりもないし、存在でもないもの」からの言葉を神の言葉として書きたかったのだけれど、どうしてもうまく表現できなくて、何だかわからない表現になってしまった・・・けど、「もういいや」と旧約聖書の作者たちが表現を放棄した姿のようにも見えます。


また、イスラム教のコーランにもマッカ啓示 4節 第112章「純正章」に、


言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。アッラーは、自存され、御産みなさらないし、御産れになられたのではない、かれに比べ得る、何ものもない。」



とあり、かれ(アッラー)は、「御産みなさらないし、御産れになられたのではない」と、生まれてもいないし、生みもしないことが明記されています。


そして、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭のセクションのフレーズには、


いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。



とあり、どうやら、神は誰も見たことも(今後見えることも)なさそうで、しかも「父のふところにいる独り子である神」が「神を示された」という非常に難解な表現となっていて、どうやら存在自体が危ういことにも気づきます。

話がどんどん逸れてきましたが、過去記事などで書いたことと、昨日、図書館の子どもコーナーで見つけた「物質不滅の法則」には、明らかに相関した関係があると感じます。

そんなわけで、ここまででも結構長くなっている気もするのですが、ラヴォアジエが 1774年に語った言葉が本に掲載されていますので、そこを抜粋して今回の記事をしめたいと思います。




ラヴォアジエ師が教えてくれる腐敗と燃焼と発酵の意味


ちなみに、ラヴォアジエという人はこういう人です。


アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipediaより。

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アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(1743年 - 1794年)はフランス、パリ出身の化学者である。「酸素の発見者」「近代化学の父」。

1774年、精密な定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという質量保存の法則を発見した。



ちなみに、彼はフランス革命で革命側に「処刑」されています。
その下りは、


フランス革命勃発後の1793年に徴税吏であること、徴税請負人の娘と結婚していたことなどを理由に投獄された。1794年5月8日の革命裁判所の審判で「水と有害物質をタバコに混入した」との(架空の)罪で死刑とされ、その日のうちに断頭台で処刑された。



とのこと。
断頭台とはつまりギロチンです。


以下は、そのラヴォアジエが 1774年に、物質不滅の法則(質量保存の法則)について記述したくだりです。途中のカッコは著者の田中実さんの補足です。

なお、少年向けということがあり、原文はひらがなが多いのですが、漢字にしたほうがわかりやすい単語などは漢字にしました。




「原子の世界」 132ページより ラヴォアジエの言葉

植物は空気・水・その他の生命のない世界から、有機物質をつくりあげるのに必要な物質をとりいれる。

動物は植物を食べて、じぶんのからだをつくる。またこのように、植物を食べてそだった動物を食べて、からだをつくる動物もある。動物のからだを形づくる物質は、もとをたどっていくと、空気と鉱物の世界からとりいれられたものである。

発酵・腐敗・燃焼は、動物や植物が、空気や鉱物の世界からかりてきたものを、もとにかえすことである。


(発酵と腐敗が、微生物のはたらきでおこることは、ラヴォアジエの時代にはまだわかっていなかった。しかし、かれのかんがえたことは正しい。もし動物の死骸、枯れた植物が、くさる【腐敗】ということがなかったら、地球は生物の死骸でうずまってしまう)


動物・植物・鉱物(空気もふくめて)の三つの世界のあいだで起こる、このように見事な物質の循環を、自分はどんなやりかたで起こさせているのだろうか。燃焼したり、発酵したり、腐敗したりする有機物質が、燃焼や発酵や腐敗をしない無機物質を材料として、自然界でつくられるのだろうか。これはいまのところ、深入りして研究できない問題だ。

しかし、生物が無機物質から作った有機物質は、燃えてもとの無機物質になり、また有機物は腐敗して無機物質となるのだから、生物のからだのなかで、無機物質から有機物質がつくられるのは、燃焼や腐敗とは逆のはたらきなのだろう。





この部分、特に「発酵・腐敗・燃焼は、動物や植物が、空気や鉱物の世界からかりてきたものを、もとにかえすことである」を読んで、私は図書館で、

ikkyu.jpg


という表情で突っ立っていましたら、横にいた小学生の女の子たちから不思議な顔で見られてしまう(子どもコーナーの本を読んで目を大きくしている不審な中年という構図)という失態をしでかしてしまいました。

今回はここまでです。
なんだか前後の結びつきがムチャクチャで、しかも長くなってすみません。



  

2012年09月02日



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▲ 過去記事「 宗教的科学信念の崩壊に向けて: 「宇宙最初」の「最初」の起点とは」より 130億年前の銀河団 CLG J02182-05102。いわゆるビッグバンの直後時期の銀河は現在までに多数見つかっていますが、今回見つかったのはブラックホールで「銀河と同時に成長を続けるブラックホールの存在」の発見の話です。






 



この夏は、宇宙でいろいろなものが観測されました。

その中で格別の感があるのが「 130億年前のブラックホール」です。

ところで、そもそもブラックホール(と呼ばれているもの)とは何なのか

報道(新聞やテレビでさえも)などでも「ブラックホール」という言葉は完全に定着していて、あたかも「確定した現象であり存在」として報道されたりしています。

今回の記事に興味を持ったのは、そこに私と同じような疑問のコメントがあったからです。その130億光年の場所のブラックホールの報道記事のコメントに下のようなものがありました。


「今の宇宙モデルでは、ブラックホールは、惑星や銀河より先に形成されるのですか? 誰か教えて下さい」


確かに、ビッグバンとされる130数億年前の「直後」にブラックホールがあるということは、このブラックホールは「他の惑星や銀河より先にできた」ということが考えられます。

(@_@) ?


さて、そもそもブラックホールとは何なのか。
私も実際には知りません。


私たちがブラックホールと呼んでいるものの正体は何なのか


Wikipedia から抜粋してみますが、気になる部分を赤字にしてあります。


ブラックホール - Wikipedia より。(赤字は私によるものです)

ブラックホール

ブラックホールとは、きわめて高密度で大質量で、きわめて強い重力のために物質だけでなく光さえも脱出できない天体のこと。きわめて強い重力のために光さえも抜け出せなくなった時空の領域、とされている

21世紀初頭現在、ブラック・ホールは仮説的存在であり、ブラックホール自体を直接観測することにはまだ成功していない。だが、宇宙の特定のエリアにおいて、ブラックホールが存在すると想定すれば、理論的に予想される物質の運動に相当する宇宙ジェットや、降着円盤やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すと理論的に予想されるX線は観測されていることから、ブラックホールが実際に存在することはほぼ確実だろうと多くの科学者から見なされている。



全編を通して、「仮定の表現」が使われていることを知ります。
この状況というのは、下の過去記事で取り上げた報道の表現と似ていることに気づきます。

科学者たちの「神」の意味
 In Deep 2012年07月05日

上の記事に、科学者たちがどうして現在の宇宙論にこれだけ固執するのかの推察を書いていますが、その理由は「科学者たちにとっての新しい神様」と関係することなのだと思います。その新しい神様は「計算」です。

そして、その計算ができるものだけが神の死者になることができる。
すなわち、「科学者こそ神の使いである」と。

有名な車椅子の博士もそのようなことを言っています。

神なんか出てこなくても計算だけで宇宙なんか描ける

と。


では、簡単な計算から今回の発見について考えてみようと思います。


まず、ブラックホール(と呼ばれているもの)は現在の理論では、どのように生まれるのか。

これも実際には、そもそもブラックホールの定義そのものがまだ確立していないですので、いろいろな意見があるようですが、Wikipedia からお借りしますと、次のようになります。


想定される誕生ブラックホール - Wikipedia より)

質量が太陽の約 30倍以上ある星の場合には、自己重力が中性子の核の縮退圧を凌駕するため、超新星爆発の後も核が重力崩壊を続ける。この段階ではもはや星の収縮を押しとどめるものは何も無いため、重力崩壊はどこまでも進む。こうしてシュバルツシルト面より小さく収縮した天体がブラックホールである。



つまり、「大きな星がその歴史を終えた最後のほうになる状態」がブラックホールということのようです。ちなみに、上に「質量が太陽の約 30倍以上ある星の場合」とありますが、私たちの太陽程度の大きさでは、上のような崩壊はないようですので、もっともっと大きな星でないとブラックホールにはなれません。

そして、その小さな星である私たちの太陽の歴史は少なくとも40億年以上とされていいます。

ところで、私たちの太陽は「どのようにしてできたと考えられているのか」というと、下のようなことになるようです。ここにも赤字を入れました。


太陽 - Wikipedia の「太陽の歴史と未来」より

太陽は過去の超新星の残骸である星間物質から作られた種族の星であり、太陽は超新星爆発で散らばった星間物質がふたたび集まって形成されたと考えられている。

その後、太陽は白色矮星となり、何十億年にもわたってゆっくりと冷えていき、123億年後には収縮も止まる。このシナリオは質量の小さな恒星の典型的な一生であり、恒星としての太陽は非常にありふれた星であると言える。



ということで、太陽は小さいので、超新星→ブラックホールとはならないものの、太陽でも、「その寿命を終えるには123億年かかる」とされているようです。ちなみに、宇宙の年齢は 137億年とされています。


では、超新星とは何か。
あるいは、「どんなものだとされている」のか。


超新星 - Wikipedia より。

超新星は、大質量の恒星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象である。



太陽が作られるための超新星というのは、前提として「大質量の恒星」というものが存在しなければならないことがわかりました。「大質量の恒星」というのは太陽などよりも大きな星のことだと思いますが、ではその「大きな星」はどのくらいの年齢とされているのか。

「星の寿命とされる時間を終えないと、ブラックホールはできない」と思われるからです。

また、赤字は私によります。


恒星の進化過程 - 恒星の寿命 より。

太陽では約100億年、太陽質量の半分の星では約2000億年、太陽質量の0.08倍の星ではなんと数兆年もの寿命があり、逆に太陽質量の2倍の星では20億年、10倍の星では3000〜4000万年、そして現在発見されている太陽質量の200倍の星では100万年程度となり、星の質量が重ければ重い程寿命が短く、つまり中心核が質量が重ければ重い程その重圧に対抗する為にエネルギーを使い果たしてしまうのです。



ということで、現在の宇宙モデルでは「大きな星ほど寿命が短い」ということになるようです。


では、「どうして星は大きくなるのか」。


宇宙の年表 - 宇宙の大規模構造の形成 - Wikipedia より。

ビッグバン理論における構造形成は階層的に、つまり小さい構造が作られてから大きい構造が作られる、というように進んでいる。



となり、「小さなものから大きなものになる」のがビッグバン理論のようです。
しかし一方で、「大きな星ほど寿命が短い」という。

このあたりで、何が何だかよくわかりませんが、しかしわからないまま進めます。

さて、ここまでをまとめますと、


・ブラックホールに至るまでには太陽より大きな星の存在が必要

・そのような星が作られてから崩壊するまでには「(数十〜数千)億年」が必要

・宇宙の年齢は137億歳とされている中で、「巨大なブラックホール」は、その宇宙の誕生のたった7億年後に見つかっている


という一連の流れは、物理を知らない私にとってはやはり矛盾に見えます。


何となくおかしいとは思うけれど、もし「本当におかしい」と、科学者たちの神様が消えてしまう。だから、「おかしい部分はあってはいけない」というところが今回ご紹介する記事の内容でもあります。



「この世は有限なのだから、無限の夢などあきらめなさい」と教わる人の一生はまだまだ続く


ちなみに、宇宙の年齢が 137億年と「決定」されたのは意外と最近で、2003年のことです。10年ほど前。NASA によるマイクロ波というものの観測によって確定したものです。

当時のニュースは、国立天文台・天文ニュースの文献が、アストロアーツに残っています。

» 宇宙年齢:「137億歳」とNASA研究グループが発表
国立天文台・天文ニュース 2003年2月28日

上の記事にはこのようにあります。


観測結果を理論計算をもとに解釈すると、宇宙は「普通」の物質が4パーセント、23パーセントが正体不明のダークマター(暗黒物質)、残り73パーセントがダークエナジー(暗黒エネルギー)によって構成されていることがわかりました。



ここにある「この世の 96パーセントは正体不明のものでできている」というのが現在の宇宙論で、その正体不明のものの正体は、実際には「計算という名の神様」です。





ビッグバン理論というのは細かいことを別にすれば「この世は限りがある」という理論。
つまり、「この世は無限ではない」というお話ではあります。

宇宙は有限である、と。

「はじまりと終わりがある」となっていて、そして、人の一生も有限、つまり「人は一度死ねばそれで終わり(繰り返したりはしない)」という「現行の価値観」に結びつきます。


「この世には無限のものなどないんだよ」と大人に教わりながら子どもたちは成長していき、子どもは早いうちからこの世の永遠の希望に見切りをつけて、永遠の失望の中に生きていく。

さらに、「持つ夢も有限じゃないといけません」という意味のことを常に言われます。

有限の夢とは、目的がハッキリしている夢という意味です。
曖昧ではなく、お金とか、地位とか、職業とか、そういうものです。

逆に「目的がハッキリしていない夢」というのは、今の世の中では嫌われがちです。「目的がハッキリしていない夢」というのは、たとえば、昨日のプッシーライオットの記事の途中などに書きましたような、「宇宙みたいに生きたい」とか、そのたぐい。

あるいは「無限の夢」というのもこの世にとっては邪魔なもの。

「無限の夢とは何か」というのは難しいですが、たとえば、「生きていること(あるいは存在していること)そのものに意味を見いだす」ことなどは無限の夢の根幹とはいえます。

しかし、ご承知のように今の世の中、「自分が存在していることだけに意味を見いだす」という考え方はあまり評価されません。


先生 「A君は何に興味がありますか?」
A君 「ぼくが存在していること」
先生 「では、A君の夢はなんですか」
A君 「存在し続けること」


これでは、あまり大人に好かれません。
(実際、かわいくない。笑)

無限の夢を持つ者は生きる価値なしという世の中。
少なくとも、私の生きてきた四十数年はそういう世の中でした。
そして、それはまだ続きそうです。



ちなみに、どうして科学者は「無限を嫌う」のか?

それは、無限は計算できないから、です。

無限には「0」という概念も「1」という概念も存在しないので、計算できません。




長くなりましたが、ブラックホールの記事はここからです。
デイリーギャラクシーの記事です。






 



Origins of Supermassive Black Holes --Formed 13 Billion Years Ago
Daily Galaxy 2012.09.01


130億年前に作られた超巨大ブラックホール


130billion-black-hole.jpg


この宇宙で最初の超巨大なブラックホールは「ビックバン」のすぐ後に形成されたようだ。

これは、2011年にチューリッヒ大学のルーチョ・マイヤー教授によっておこなわれた国際的な研究チームによる発表によれば、この超巨大なブラックホールは、130億年前に銀河の衝突の中で形成された。

今回の新しい調査結果は、重力と宇宙の起源の構造に関しての理論を理解するために重要なものとなるだろう。

チューリッヒ大学で理論物理学を教えるルーチョ・マイヤー教授と彼の研究チームは、130億年のものと見られる超巨大なブラックホールを発見した。

この130億年前という時期は宇宙開始のごく初期の段階だ。

科学専門誌『ネイチャー』に記述された記事で、研究チームは「ビッグバン」後の最初の10億年で、どのように銀河とブラックホールの形成がなされたのかをコンピュータ・シミュレーションによって説明している。

現在での宇宙理論では、宇宙の年齢は約 140億年とされている。

そして、この研究チームは、「銀河の形成」が当初から思われていたよりもずっと早くにできるということを発見した。

そして、それらの初期の段階の銀河がお互いに衝突して結合した時に、この宇宙で一番最初のブラックホールが生まれたことを研究チームのコンピュータ・シミュレーションは示した。

これまで 20年間以上にわたり、科学の世界では、銀河は段階的に成長すると仮定していた。すなわち、まず最初に重力によって引き合わうことにより小さな構造が形成され、その後、より大きな構造が作られていくという理論だ。

しかし、チューリッヒ大学の研究チームは、その理論を180度回転させたのだ。

「私たちの観測は、銀河や巨大なブラックホールのような巨大な構造が、宇宙の歴史の初期段階においても作られていたことを示します」と、マイヤー教授は言う。

さらに教授は、

「一見すると、この結果は、標準の宇宙モデルの『冷たい暗黒物質(cold dark mater)が銀河を形成する』という理論を否定するようにも見えます」。

と述べる。

しかし、教授によれば、この一見すると矛盾に思われるパラドックスは説明できるものだという。

「宇宙の材料が密集した地域の目に見える部分で、巨大な銀河が形成されるよりも、さらに速いスピードで重力崩壊が起こり、通常より早くブラックホールが作られたのだと考えられます。これで、銀河の形成過程から考えると段階的にはみえないブラックホールの形成を可能とします」。


巨大な銀河と巨大なブラックホールは早く形成される。そして、最も小さな銀河は、よりゆっくりと形成される。たとえば、マイヤー教授が発見した130億年前の銀河は、私たちの天の川銀河の 100倍の大きさがある。

NASA のハッブル宇宙望遠鏡での観測データでは、宇宙の年齢が 8億歳〜9億5000万年歳の時に、その時代に 200個のブラックホールがあることを確認した。


ハワイ大学の天文学の専門家であるエゼケル・トライスター博士はこう言う。

「これまで、初期の宇宙(130億年前など)の銀河にあるブラックホールがどのようなものか、まったくわからなかったのです。それどころか、そのようなものが存在しているのかどうかもわかりませんでした。しかし今、私たち科学者は、その時代にブラックホールが存在しているということを知ったのです」。


銀河とブラックホールが並行的に成長していくことは最近の観測でわかっているが、この関係が、初期の宇宙ですでに始まっていたことを示す。

ブラックホールを研究している物理学者たちは、最初の超巨大なブラックホールがどのように作られたのかをさらに探ろうとしている。





(訳者注) 訳していた初めて知ったのですが、現在の宇宙理論では「小さな銀河より大きな銀河のほうが早くできる」ことは説明できるのですね(苦笑)。

それなら、理論的に何の問題もなさそうです。
(銀河が)多い日も安心。

ところで、このオリジナル記事は上の倍くらい理論的な話と計算の説明が入るのですが、私には訳せない専門知識と計算方法ですので、興味のある方で専門知識のある方は原文の方をお読み下さることをおすすめいたします。



  

2012年08月27日



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jesus-001.jpg







 



数日前に、「世界最悪の修復」というようなタイトルでいろいろなところで報道されたスペインでのニュースはご存じの方が多いと思います。

下のようなものです。


【善意が生んだ悲劇】80代の女性が勝手にキリスト壁画の修復を試みる → 絵が下手すぎて顔が別人に
Livedoor News 2012.08.23

スペインのSanctuary of Mercy Churchという教会には、画家Elias Garcia Martinezが約100年以上前に描いた「Ecce Homo(この人物を見よ)」というイエス・キリストのフレスコ壁画があった。

しかしその壁画は湿気のせいで、18カ月前からぼろぼろ崩れ始め、徐々に元の姿を失いつつあった。地元に住む80代の一人の女性は、それを見て、あることを決心したそうだ。
 
壁画の劣化を、ただじっと見ているだけなんてできない。修復しよう!
 
すると彼女は、塗料と筆を手に、自らキリスト壁画修復作業を開始。教会の運営者の許可もないまま、彼女だけによる修復は着々と進められていった。そして彼女の修復がついに完了した時、それを見た人々は凍りついたという。

なぜなら彼女の絵が、恐ろしく下手だったから! 修復後の壁画には、元のイエス・キリストの姿はどこにもなく、そこにはまるで猿のような生き物が描かれていたとその壁画を見た人は言う。この修復を行った本人も、さすがに「これはダメだ!」と気づいたようで、文化事業を担当している市会議員に連絡をとった。


その「ビフォーアフター」が下です。

new-jesus-01.jpg

▲ 報道より、キリストの宗教画の修復前(左)と修復後。


これに対して「史上最悪の修復」とまで書いているメディアも多数ありました。

上のニュースを私は女性の友人に教えられたのですが、私は即座に、

これ、修復後のほうがいいじゃん。いい顔の人になってる

と思い、そして、「修復前の含みのある左脳顔から毒気が落ちて、まさに無垢そのもののキリスト像!」と私は絶賛しました。

しかし、私がどう思おうと、「このおばあさん、この地で死ぬまで白い目で見られるのかなあ」と思うと、暗澹とした気分になったものでした。

しかし!

事態は報道の翌日から意外な方向に発展していきます。

そして、最終的に、たった2日間で、世界に「下の写真のような世界」がいたるところに出現し始めたのです。


new-world.jpg


今回はその話です。

暗い話題が多い中、「新しいマリア様と新しいキリストがこの世に生まれた」ともいえる話題です。新しいマリア様は 80代ということで、ややヨボヨボなマリア様ですが、キリストをこの世に生んだという意味では、かつてのマリア様と遜色ないです。

今回の経過を報道から順を追って書きます。

上の写真の様々な「修正後」の写真は、今朝の英国のデイリーメールに数多く掲載されていましたので、それも翻訳してご紹介します。

まず、最初の報道の直後に何が起きたか?からです。




新しい神様を歓迎した世界


まず、下の現象が起きました。
AFP の報道から抜粋します。


「世界最悪」の修復キリスト画が大人気、訪問者が急増
AFP 2012年08月26日

「世界最悪の修復」でサルさながらに変貌してしまった102年前のキリストの肖像画を見ようと、スペイン北東部ボルハを訪れる人々が数百人規模に急増している。

この肖像画はスペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネスが1910年に描いたもので、ボルハ市内の教会の柱に直接描かれている。傷みが目立ち始めたため、年齢が 80代とされるセシリア・ヒメネスさんが善意で修復を試みたところ、オリジナルと似ても似つかないとして地元住民から苦情が殺到。静かな町だったボルハに、世界中のメディアの注目が一気に集まった。一部メディアはこれを史上最悪の修復と伝えた。

(中略)

8月25日には教会の外に、興味津々の訪問者の行列ができた。公共テレビ放送のインタビューに応じたある女性は、「以前の絵も大変素晴らしかったけれど、わたしは本当にこれ(修復後の肖像画)が気に入っています」と語った。

ボルハ市に原画を復元する計画を思いとどまるよう求めるオンライン嘆願書には、既に1万8000人もの署名が集まっている。




ということになりました。
要するに、すぐに、

・人々がこの絵を見るために教会に殺到し
・この絵を直さないでほしいという嘆願書が多数集まっている


とという流れとなりました。


new-02.jpg

▲ ボルハ市のその教会。奥にある絵がその現物です。写っている人はさっそく見に来た観光客。このように人々がこの教会に殺到し始め、あっという間に、「世界でも有数のキリスト教関係人気スポット」へと変貌しました。フランスのメディアより。


そして、それと同時にインターネットの世界では、様々な芸術作品に対しての「修復」が始まりました。

キリスト様の顔も修復されたのだから、古典芸術だってキリスト様を見習わなきゃ!とばかりに次々と、世界中の「修復家たち」、つまり第2第3のセシリア・ヒメネスさんが続々と今日も修復を続けています。

このことと、修復作品を英国のデイリーメールの記事からご紹介します。






 



After fresco is destroyed by old lady's restoration attempt, masterpieces of the art world are given an internet makeover
Daily Mail (英国) 2012.08.26


スペインのキリスト画が老婦人の修復によってダメにされた後、インターネットで次々と芸術上の傑作が変えられる


スペインの教会にある19世紀のフラスコ画が老婦人の修復によって、まったく「別の絵」と変わってしまったこと(下の写真)が報道された後、インターネット上ではジョーカーたちにより、次々と手を加えられた歴史的に有名な芸術作品がアップされている。

article-j-01.jpg


80歳のセシリア・ヒメネスさんによる上の「修復画」がインターネットの報道で取り上げられたその晩から、世界中で、様々な芸術作品を「修復」した作品が出現し始めた。


mona-01.jpg

▲ 「修復」されたモナリザ像。


そして、今や、モナリザからアンディ・ウォホールのマリリン・モンロー、そして、ムンクの「叫び」に至るまで、「修復」された作品がインターネット上に並べられている。


scream.jpg

▲ 「修復」されたムンクの「叫び」。


ついには、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作である「最後の晩餐」もご覧の通りに。

last-01.jpg


さらには、1490年から1491年にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた「聖母マリアの最も古い型」としての絵画といわれる「リッタの聖母」までも。

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▲ 「修復」されたリッタの聖母。


古典だけではなく、モダンアートの傑作とされるアンディ・ウォホールの有名なポップアート作品「マリリン・モンロー」は以下のように修復された。

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普通なら、今回のスペインで起きたような「修復事件」は、町の外では何の注目も集めないはずの出来事のはずだが、しかし、現実にはインターネットでこの出来事が取り上げられるや否や、この教会のドアの前には毎日たくさんの人が並び、絵を見る順番を待っている。

そして、ツィッター上に「フレスコのイエス」( Fresco Jesus )のアカウント名で始められた投稿者にはすでに 4000人のフォロワーがいる。






(訳者注) 上の中でも「最後の晩餐」は本当に楽しそうな最後の晩餐ですねえ(笑)。


この「フレスコ・イエス」の顔を見ていて、ふと、過去記事の、

夢で見た「3つめの太陽」と「笑う黒点」
 In Deep 2012年06月18日

に載せた今年6月17日の太陽の黒点群の写真を思い出しました。




いずれにしても、「誰が描いても八頭身でイケメンで長髪の白人のキリスト像」という、ほとんど信憑性のない中で伝わり続ける偶像のほうだけを重視するより、「楽しいほうが楽しい」とは思います。

ちなみに、「[地球の内なる太陽] Vol.1 - その意味」という過去記事に載せた、中世神秘学の象徴のひとつであるエメラルド・タブレットにあるラテン語の意味は上から、


1 言葉
2 思案
3 運動
4 視力
5 聴力
6 行動
7 性交
8 嗅覚
9 睡眠
10 怒り
11 味覚
12 笑い


となるとのことで、「言葉で始まり笑いで終わるのがこの世の真実」というのが、少なくとも、中世神秘学の価値観のひとつだったようです。




映画『薔薇の名前』のように、14世紀のカトリック修道院で「笑いを禁じていた」というような物語も何となくわかる気がします。

宇宙は「笑い」を人間の実態に必要なものとしていたからこそ、キリスト教はそれを排除しようとしたと。



消えていく「従来のキリスト」

最近、カナダのメディアで、「2005年以降、世界中で急速な勢いで減り続ける宗教信仰者(英語)」という記事がありました。

記事そのものは、タイトル通りで、カナダをはじめとして、世界中で宗教信仰者の数が減り続けているというものでした。宗教の種類は関係なく、ほぼすべての地域と宗教に於いて減っているというものです。

それ自体はまあ、そんなもんだろうなあと思うのですが、面白かったはのこの記事にあったコメントで、ほとんど全員が肯定的なコメントだったこことです。コメント欄は多分、英語圏のキリスト教などの人が多い感じなのですが、代表的なコメントを2つ挙げてみます。


「ゆっくりとだけど、私たちはいい方向に向かっているという気がする。そして、これによって(神と宗教の消失によって)この地球の多くの問題は消えると思う」。


「そのうち「キリストって誰よ?」って時代になるんじゃないの」


これらのコメントの意見が正しいとか正しくないではなく、既成の宗教が消えていくということに関して、(みんなではないでしょうけれど)多くの人々はごく普通にその流れの中にあるのかもと思ったりした次第でした。

まあ、少なくとも、今回のフレスコ・イエスには「変な権威」がない分、かなりの数の人々から純粋に愛されていることは事実だと思います。

宗教を越えて愛されるキリストが生まれた瞬間かも。



  

2012年08月07日



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最近は毎回のように記事の方向が混沌というのか、錯綜する傾向にあって、「何のテーマを記事を書いているのだかわからなくなる」というような展開になることがよくあります。

なので、今回は翻訳をちょっとお休みしまして、昨日の、

韓国で歴代最悪の猛暑によりアオコが大発生。そして、そこから知り得た「藻の窒素固定」能力と将来の農業
 In Deep 2012年08月06日

を書いているうちに、次第に自分の頭の中でその具体像が固まってきた「植物と人間の共生」についてのことを書いてみたいと思います。タイトルには「農業」と書きましたが、実際には農業に限らず、植物全般ということで良いと思います。長くなるかもしれませんが、基本的には In Deep の過去記事に出てきた話の繰り返しかもしれません。


最初にその「最強の農業テクノロジー」(あるいは植物との共生の方法)かもしれないと私が思っていることを書いておくと、それは、


・「植物の持つ本来の能力だけを使う」こと


だという単純なことかもしれないということが、ほぼ確信めいて思えています。

そして、これにより、


・肥料も要らない
・殺虫剤も農薬も要らない
・特別な施設も要らない


という条件で農作、あるいは植物を育てることは可能になるのではないかと思えてきたのです。


今回のことを思った最初は、このブログで4月にご紹介した以下の記事の内容でした。

驚異の植物の防衛力アップ法が米国の生物学者の研究により判明:その方法は「さわること」
 In Deep 2012年04月23日

上の記事は、

米国の大学の生物学者たちが「植物は人間に触られることにより強くなる」という事実とそのメカニズムを証明した。


というものでした。

これは植物ホルモンであるジャスモン酸エステルという植物の自己免疫能力の根幹を司る物質が「さわることによってその分泌システムを起動させる」ことが判明したというものでした。


私は結構な数の植物を育てていますが、この日以来、この「さわること」ということを自分で実践し続けていますが、それから4カ月経ったので、もう書いてもいいかと思いますが、さわることには「驚異的な効果」があると、断言してもいいと思います。

その効果としては、私感と事実を含めると、

・害虫がつかない
・植物が傷を自分で治す
・強く太く育つ


ということです。

これは何年か植物を育てている経験から見て、どれも非常に顕著です。

特に、もっとも顕著で、そして個人的にもありがたかったのが、「アブラムシがつかない」ことでした。

アブラムシや、そのたぐいの様々なムシは、花を育てていたり、園芸をしている方なら、宿命的に遭遇すると思います。

たとえば、一部のムシのつきやすい花には、季節になると、どうしてもそれが「沸くようについてしまう」ということがあります。なので、昨年までは殺虫剤などを使うこともあったのですが、やはり薬剤を使うのは何となく気分が良くないという部分はあります。

ところが、4月に上の記事を書いて、そのことを自分で実践し始めて以来、私は毎日、「すべての花」を(一日複数回)さわるようにしていたのですが、植物を育てて以来はじめて、(今のところ)「アブラムシの発生ゼロ」となっています。

さらにすごいのが、観葉植物などでも、何年も育てているものが、「今まで見たことのないような色とツヤ(輝き)」が出て来ているものが多くなっています。最初は感覚的な感じもしていたのですが、やはり毎日見ていると、ちょっと異常なほど葉が光っているものが多いです。葉がビカビカしてる。


PIR.png

▲ 3年くらい前に100円ショップで買ったミニ観葉。写真でうまく撮れないですが、最近になってから葉っぱが鏡のように光っています。


この「ジャスモン酸」という物質は、植物ホルモンとして古くから研究されてきたものだったようです。

そのことも少し書いておきます。







 


植物の「自己免疫システム」を制御するジャスモン酸


まず、どうして研究者たちが「農業科学」の中でジャスモン酸を研究してきたのかということについては、Wikipedia の冒頭にその答えがあります。


ジャスモン酸

ジャスモン酸は植物ホルモン様物質。果実の熟化や老化促進、休眠打破などを誘導する。また傷害などのストレスに対応して合成されることから、環境ストレスへの耐性誘導ホルモンとして知られている。



そして、1980年代から始められた研究により、ジャスモン酸は、植物にとって、以下のような効果があることがわかってきています。上記 Wikipedia によると、


・果実の熟化

・休眠打破 開芽が早くなったり、種子の発芽も促進する。

・落葉の促進

・ガム物質の蓄積 植物(樹木)が傷を負った時にガム状物質を生産して傷口を覆い、同時に組織内の二次代謝産物合成も活性化させる。これらは傷口からの雑菌の侵入を防ぐために機能している。

・茎の形成の誘導 茎の伸長を抑制し、塊茎形成を誘導する。

・傷害への対応 外敵による摂食などの傷害を受けた際に外敵に抵抗する遺伝子を発現させるシグナル物質としてはたらく。




まさに、植物を最強にする物質の様相を呈していますが、これは植物自身が体内に持っている物質であります。しかし、何もなければ「ジャスモン酸の分泌システムは起動しない」。

そして、わかったのが上記記事「驚異の植物の防衛力アップ法が米国の生物学者の研究により判明:その方法は「さわること」」のタイトルにある通りに、

「その分泌システムを起動させるトリガーはさわることだった」

ということです。

人間が植物をさわることにより、植物(種類によりいろいろでしょうが)が上にあげた機能の

・果実の熟化
・休眠打破
・落葉の促進
・ガム物質の蓄積
・茎の形成の誘導
・傷害への対応

を発現させるのです。

ちなみに、私は上のほうで「アブラムシがつかなくなった」と書きましたが、これは上の反応のうちの「傷害への対応」の項目にあたることで、


> 外敵による摂食などの傷害を受けた際に外敵に抵抗する遺伝子を発現させるシグナル物質としてはたらく。


と説明にはありますが、この「外敵に抵抗する遺伝子」というのが、In Deep の上記記事にある部分を抜粋しますと、次のようになります。


このジャスモン酸エステルは、植物を食べる昆虫に対しての防衛手段として重要な役割を演じている。たとえば、ジャスモン酸エステルの分泌レベルが上がると、植物は草を食べる動物の胃のむかつきを与える代謝物質の生産を増加させる。



つまり、さわられることで、この「ムシの胃を荒らす物質」を植物は自分の体の中に作ることができるのです。

多分、だから、アブラムシも来なかった。

「うー、胃が気持ち悪い」

とアブラムシたちは退散していく。


あと、アブラムシだけではなく、今年は外においてあるすべての植物の葉っぱにおいても、「何かに食べられた形跡がまったくない」です。

梅雨あたりですと、憎きナメクジ野郎なども出るのですが、そして、実際にこのあたりはナメクジが東京より多いんです。でも、ひとつも食べられませんでした。


その頃、つまり、6月頃に私は「ジャスモン酸すげえ」と実感していて、「植物をさわること」についての効果の絶大さを確信していました。

でも、やっぱり記事には書かなかったんです。

なんかこう・・・感覚的な話にとられそうじゃないですか。「植物は可愛がると、よく育つんですよ」とか言う素敵な西洋のオバサマみたいな感じがしたりして。


でも違います。

これは感情の問題ではなく、メカニズムの問題です。

それが証拠に、人間ではなく、たとえば植物はハエなどに止まられてもジャスモン酸の分泌システムが起動することがわかっています。誰であろうと、他者にさわられることによって、ジャスモン酸エステルの分泌のシステムが起動されます。

なので、「憎しみながらさわって」も結果としては同じだと思います。しかし、現実的にはやはり「愛情」という下地がないと毎日さわるということは確かに面倒なことかもしれないです。


そして、多分、植物に「愛情」というような感覚を持って接せられる存在は、やはり今のところ人間だけだと私は思います。


そして、人間は植物を愛でるだけではなく、「食べる」。


植物と人間の関係はそこにまで至ります。


特にですね・・・まあ、なんか急にぶっちゃけ口調になっちゃいますけど、日本人っていうのは、この「植物」に対しての視認性というのか、個別化というのか、とにかく、多分、世界で一番「食べ物である植物も見分けられる人たち」だとも思うのです。

たとえば、山菜などを、フキだ、ワラビだ、ウドだ、ゼンマイ、タラの芽だ、と似たような植物たちを丁寧に調理法をわけておいしく食べてきた。


世界で他にはおよそ誰も食べないようなゴボウや山芋みたいな「根っこ系」も、きちんとそれぞれに合う調理法を見いだして、そして、それを食べて生きてきた。

こういう食生活の歴史はすなわち、そのまま「植物をきちんと見て生きてきた」という、かつての日本人の歴史と直結すると思うのです。

そして、そうなると、昔の日本人はそりゃまあよく「植物をさわってただろう」と思います。


鑑賞としての植物栽培でも日本のその歴史は大変に古いと言われています。

過去記事の、

日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景
 In Deep 2011年09月17日

に下のような写真があります。



▲ 1897年頃の牡丹園。




▲ 1897年頃の路上の花売り。


この記事の他の写真にも、粗末な家なのにその前に花が生けてあったりする。ステイタスの象徴としての花ではなく、「自然と花と生きている」という光景を見せていた数少ない生活様式の国。


私たち日本人は、かつて誰よりも植物を愛していた生活をしていた民族だと私は思います。あと、海の幸も。


もうそんな時代に戻れないとしても、単純な話として、繰り返し書きますと、「さわるだけ」で、植物の、

・果実の熟化
・休眠打破
・落葉の促進
・ガム物質の蓄積
・茎の形成の誘導
・傷害への対応

の力を引き出すことができるということを改めて知っておきたいと思います。

他に何も必要ないのですから。

さわるだけなのですから。


さて、ここまでで長くなってしまいましたが、これだけでは「最強の植物との共生」ではないと思うのです。

それが昨日の記事の中に出て来た「窒素固定」という植物の力なのですが、難しいことはともかく、この窒素というものは、現在の肥料の要素の中で大事なものなのですが、考えようによっては、「肥料も必要ない」ということが、植物本来の力としてあるかもしれないということなのです。


一応、窒素というものの大事さについて、いくつかウェブから抜粋しておきます。


窒素と農業より。

窒素は、植物や動物のすべてのタンパク質の構成要素で、窒素がなければ生命は存在しない。植物を人間に有用な形で栽培する農業生産にとっても、窒素は不可欠な元素である。

窒素、リン酸、カリを肥料の三要素といい、特に作物が多量に必要とし、肥料として多く与えられるものである。窒素には植物を大きく成長させる作用があり、葉肥(はごえ)ともよばれる。




ところで、花を育てている方へのマメ知識というか、この「窒素」。

葉っぱを成長させる作用は強いのですが、「花芽を作らない」という性質があります。つまり、窒素を多く与えると、「花があまり咲かなくなってしまう」という植物が多いのです。肥料を与えれば与えるほど花が咲かなくなってしまうのです。

しかし、一般的な肥料には窒素は必ず入っていますので、花を咲かせるためでしたら、「窒素ゼロ」のものを併用する必要があります。販売されているものは、1種類くらいしかないはずで、ハイポネックスという会社で出しています。楽天のこちらなどにあります。


話がそれましたが、最近、この「肥料」の部分に関しても、どうも「肥料は不要な植物との共生の道筋」が存在していると思うようになっています。

今のところ、私は自分の家の植物をいじる程度ですので、「さわる」という方法論で何とかなっていますが、実際、来年あたりは昔の友だちあたりと「自給自足でもするかね」という話はいつも出ていて、もしその時に「何もない」というような状況の時、どのように農業と向かい合うかということには興味があります。

単なる理想ですが、もしかすると、

・太陽
・月
・宇宙線

と、そして

「人間がいればOK」というような「植物との共生」


というものは存在するのかもしれません。

結局、何だかわかりにくい記事となってまいましたが、この「自分の体内にある免疫の機能」というのは、植物だけではなく、人間を含めたあらゆる生命に備わっているものだと思っています。

それを見つけ出すのが最大の科学の道筋なのではないのかなとか。



  

2012年07月04日



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タイトルはまあどうでもいいです(笑)。これはまあ、日本語でもさんざん報道されているんですけど、7月4日に、欧州合同原子核研究所(CERN)から、ヒッグス粒子というものについて発表があるらしいんですよ。






 


たっくさんニュースになってます。
下のは、産経ニュース。


ヒッグス粒子 存在確実か 4日研究成果発表
msn産経ニュース 2012.07.03

すべての物質に重さ(質量)を与えている未知の素粒子「ヒッグス粒子」の最新の研究成果を日米欧の実験チームが4日、発表する。ヒッグス粒子が存在する確実な証拠が得られた可能性があり、「発見」と断定できる信頼度にどこまで迫れるか注目される。

発表するのは東大や高エネルギー加速器研究機構などが参加する日欧米の「アトラス」と、欧米中心の「CMS」の2チーム。実験施設があるスイスの欧州合同原子核研究所(CERN)で日本時間4日午後6時、統一見解を公表する。



このヒッグス粒子というのが何なのかは詳しいところが私にわかるわけもありませんが、ただ、私としては、

もし本当にヒッグス粒子が見つかったのなら、今の私の人生の一部はそこで終わる

ということは言えそうです。

このヒッグス粒子、詳しいことは上に書いたように全然わからないですが、その「重要性」は Wikipedia の下のあたりに書かれてあります。抜粋します。


ヒッグス粒子とは、素粒子に質量を与える理由を説明するヒッグス場理論からうまれた、理論上の粒子である。(中略)

ヒッグス粒子の存在が意味を持つのは、ビッグバン、真空の相転移から物質の存在までを説明する標準理論の重要な一部を構成するからである。もしヒッグス粒子の存在が否定された場合、標準理論(および宇宙論)は大幅な改訂を迫られることになる。



とあります。

この後半の部分ですね。

> (ヒッグス粒子が見つからなければ)ビッグバン理論と現在の宇宙論は大幅な改訂を迫られることになる。


というところが注目するところです。

これは、つまり、「ヒッグス粒子が見つかれば、ビッグバンがあった証拠となり、宇宙は有限であるという証拠になる」と言い換えられると思います。

ヒッグス粒子はビッグバン擁護の「最後(で唯一)の砦」だと言えそうです。


ご存じの方もいらっしゃるかもしれないですが、私のこの In Deep のテーマはいくつかありますが、その中の最も大きなもののひとつが、

ビッグバン理論が否定される日を夢見ている

ということがあります。

ビッグバン理論とは一言でいえば、


現在の私たちが生きている宇宙というものは、無限ではなく、有限の単なる時間軸に沿ったつまらない日常の経過に過ぎない。


という理論です。

多次元宇宙だとか、無限の命だとか、命の再生だとか、そんなものはビッグバン理論下では存在しません。

でまあ、私としては、そういう宇宙はつまらないと思うのです。

宇宙は無限であり、そうあってほしい。

ジョルダーノ・ブルーノが言っていた通りに、宇宙は人間自身と共に永遠に広がっているもので、「端もない」し、まして、「宇宙の始まりなどない」ということだと思っています。

下に書きますが、仏様なんかも大体同じこと言っていました。
宇宙は永遠で無限みたいなもんだと。


しかし、明日、CERN が「ヒッグス粒子が見つかりましたよ」と「確実な発表」をおこなった場合は、(私にとっての)この世は終わりです。

アルマゲドンです。

もちろん、他の方には何の関係もないことです。

私にとっては、です。


私が夢にまで思い浮かべていた「無限の宇宙、そして人類そのものが宇宙である」という思想は、それこそ「宇宙の果て」にまでふっ飛んで消えていきます。


そう。この「宇宙の果て」というような宇宙に有限の広がりを設けたのも、ビッグバンであり、そのために必要だったのが「ヒッグス粒子」という想像上の物質でした。

進化論も、ミッシングリンクという「中間物」がいまだに見つかっていないですが、ビッグバンにも証拠としての物質はなかったはずです。計算以外は。そして、ヒッグス粒子が見つかれば、その証拠となり、ビッグバンは「あった」ということになります。


ということはそれで私の宇宙(のひとつ)は終わりですので、このブログでも、今後はビッグバンに関しての記事は書かないことになると思います。


ちなみに、「極めて見つかる可能性が高まった」という発表ではダメで、私の宇宙が終わるには、「見つかった」という断定の発表が必要です。


まあ、しかし、これだけ注目を受け続けていて、そこで事前に通告した上で発表するというのですから、見つかったのかもしれないですね。

昨年12月の過去記事でご紹介した、

『神の粒子は存在しない』: CERN の発表
 In Deep 2011年12月01日

あたりではちょっとホッとしていたんですけどね。
上の記事では、CERN の物理学者のポーリーン・ギャグノン博士という人が「ヒッグス粒子は存在しない可能性がある」と言っていました。

しかし、その後、見つかったのかもしれません。

ヒッグス粒子が見つかったとなると、なるほど、世の中がつまらない理由もわかります。もともとこの宇宙には「無限」という夢が存在しないという証拠になるのですから。


というわけで、ちょっとした日記となってしまいました。
後で、今日の翻訳の記事は書きますね。

ところで、もう少し日記を。







 



宇宙は私たちの中にあると信じていたい


あまり関係ないですが、ミュンヘン大学の最近の科学研究の論文発表の中に「人間の体の中では1秒間に 2500万個の新しい細胞が作られている」というリリースがあり、いろいろと考えたりしました。

Neues aus der Welt der Mikrotubuli (ドイツ語)
 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン 2012.07.02


この「新しい細胞」を「自分の分身」と考えてみると、下のようになると考えたのです。


・1秒間で2500万の「新しい自分の分身」が増えている。

・ということは1分間で 15億の自分が増えている。

・1時間で900億の自分が増えている。

・とすると、一日では、2兆1600億の自分が増えている

・1年では788兆の新しい自分がこの世に解き放たれている


ということになるなあ、と。

もちろん、同時に細胞は次々と死んでいきますから、一方的に増えるわけではなく、生まれ変わるという形、あるいは、「再生」かもしれないですが、そういうように、ものすごいサイクルの中で私たちの体の中では「命の再生産」がおこなわれているようです。

この1年間の約800兆の新しい「自分」を自分が生きた年齢にかけると、一生というのは、ずいぶんと「命の再生産」をしていることに気づきます。

そして、以前、「宇宙は人類そのものかもしれない」という概念に関して何回かふれたことがありました。

最近では、

「宇宙は人間そのもの」という結論を夢想するとき
 In Deep 2012年03月19日

というものがありました。

上の記事に、フレッド・ホイル博士が、お釈迦様の言葉を引用している部分を抜粋した部分があります。





『生命はどこからきたか』 第十五章より

フレッド・ホイル 1995年

紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識が宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。






お釈迦様とフレッド・ホイルの「無限の宇宙の夢」もヒッグス粒子の発見によって消えてしまうと思います。

想像上の物質に消されてしまう世界のあらゆる宗教と信仰。

まあしかし、それもまた今の私の生きている宇宙であり、その時代であるということなのかもしれません。

そして、これも確かに夢かもしれません。
悪夢も夢ですから。


藤圭子は1970年に「夢は夜開く」をヒットさせます。

その歌詞は、


十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも
夢は夜ひらく



とありますが、これは「開かない」ということになりそうです。
歌のラストは、

一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく



で終わりますが、やはり「開かない」ということのようです。

それがヒッグス粒子なのです(どんな粒子だ)。


まあ、明日、もしヒッグス粒子が見つかったと発表がありましたら、お酒を飲んで、

ウィ〜、ヒッグス

と酔っ払うのもいいかと思います(オチかよ)。

そして、今生きている「有限の宇宙」での暮らし方などを考えてみたいと思います。


このブログで「ビッグバンへの疑念」について記事を書くのも今日で最後になるかもしれないですので、これまでの In Deep の「ビッグバンの否定」についての過去記事をリンクしておきます。

ちょっと多くなりましたが、上から新しい記事の順番で記事で並べてみました。




[現在の宇宙論]の関連記事:

「そこに暗黒物質は存在しなかった」:従来の宇宙論を否定する観測結果を欧州南天天文台が発表
2012年04月20日

世界的な科学者の素朴な疑問『どうして 110億年前の銀河がすでに完成した形なのか?』
2012年03月31日

惑星や銀河は「瞬間的にできるものなのかもしれない」と思った朝
2012年03月23日

ハッブル望遠鏡が撮影した光景が「現在の宇宙論と矛盾する」ことに揺れる天文学会
2012年03月04日

宗教的科学信念の崩壊に向けて: 「宇宙最初」の「最初」の起点とは
2011年10月23日



▲ 130億年前の銀河団 CLG J02182-05102。いわゆる「ビッグバン」直後の銀河は数多く見つかっていて、その中には私たちの天の川銀河の10倍の大きさを持つものもあります。


「新しい宇宙は絶えず作られ続けている」: マサチューセッツ工科大学の発表
2011年10月12日

超弦理論学者から発表された「宇宙は永遠のサイクル」論
2010年11月29日

ビッグバン理論では説明できない古い巨大な銀河が多数発見される
2010年11月26日



▲ 日米英国際研究チームが 2009年に発見した129億年前の銀河「ヒミコ」。




  

2012年07月03日



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前回の 記事で、米国の大規模停電によりコードレッド(非常事態)下で業務していた NASA は本日、通常業務(コードブルー)に戻りました。

今回はその NASA とも関係する話です。






 

月の色が気になってきた最近


私たちがよく目にする月の写真や、あるいは漠然とイメージする「月の色」というのは、下のような感じではないでしょうか。

1-moon-mono.jpeg


なんというのか、いつのまにやら「完全なモノクロとしての月」というイメージが私たちの中にはできあがっている感じがあります。

しかし、実際には月の色は下のような「感じ」のものだとされています。

これはオカルトだとか陰謀論だとか、そういうものとは関係なく、光の反射の問題の話です。

2-moon-color.jpg


上のカラーの月の写真は、普通の天文写真のサイト(Russell Croman Astrophotography)からのもので、色の差異は強調されていますが、このような色の差はあるようです。

このように月に色がついて見える理由については、一般的には「月に色があるから」ではなく、光の反射によって発生すると説明されています。

たとえば、「月の真実の色」と題されたページではそれに関して、以下のような科学的な説明がなされています。翻訳します。


The Moon's True Colors

月の真実の色

MoonTrueColors-Medium.jpg

月の表面の大部分に色はないが、表面の化学組成の違いがあるため、反射される光から生じるわずかな色の変化がある。右の写真は、その色の差異をデジタルで強化したもので、実際にここまでの色があるわけではない。

月面の白い高地の部分は、シリコン、カルシウム、そして、アルミニウムから成る鉱物からなっている。

外皮の隙間は溶岩が低地のクレーターに流れ、それは「月の海」を作り、その溶岩が冷やされた玄武岩は、鉄とチタンを豊富に含んでいる。それは赤く反射する。



という説明で、つまり、

月の表面には色はないが、光の反射により色があるように見える

ということのようです。

なので、モノクロの月で正しいと「されて」います。


考えてみれば、私なども生まれてからずっと「モノクロの月の写真」ばかり見続けてきたせいもあるのでしょうが、「月面に色はない」(白黒)と普通に信じていたりしたわけなのでした。


そんな中、先日、米国の BBS の見出しを眺めていましたら、「月の色の真実の映画」というのものがありましたので見てみましたら、アマチュア天文家が自分の望遠鏡で撮影した月面の映像を自主映画的に公開するというもののようでした。

映画は「 CELESTIAL 」というもので、予告編が YouTube にありますが、この映画を紹介するのが目的ではないですので、ご興味のある方は上のリンクからどうぞ。

その予告編から音楽とかキャッチを除いたものが下の映像です。




米国などでは、「月の真実」というとすぐに陰謀論と結びついてしまうのですが、私は陰謀論のほうには興味がなく、「月の色」に興味があります。


その理由については、わりと頻繁に月や太陽などのことについて書くことが多かったせいというのもありますし、それに加えて、最近の月の色についてのいろいろを見ていると、

月と水星は似た色をしているかもしれない

と思ったのです。
これは今回の月の話とは関係ない話になるのですけれど、少し書かせていただきます。







 


月と水星が似ていてもおかしくない理由とは


過去記事の、

水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない
 In Deep 2012年03月24日

の中で、NASA の水星探査機メッセンジャーが送信してきた水星の写真の解析により、水星はそれまで想像していた惑星とは違うということがわかりはじめてきたという記事をご紹介しました。

下の写真がその時のもので、右の色のついているものが NASA が「真実の色に近く」構築した疑似カラー写真です。




水星が、モノクロの「死んだ惑星」どころか、極めて色彩豊かな惑星であることがわかり始めています。

おもしろいのは、続いて書いた翻訳記事の中で、水星の写真を解析した米国マサチューセッツ工科大学のマリア・ズベール博士という人が、

「水星は月と似た星ではなかった」

と言っている点です。

これはどういう意味かというと、それまで、水星という惑星は月のように岩ばかりの「モノクロの星」、あるいは、「死んだ星」だとされてきたのですが、そうではなく、色彩豊かな「奇妙な星だ」ということがわかったというものでした。

これの何がおもしろいかというと、「もし月に色があるなら」ということでいうと、逆の意味で

「水星は月と似た星だった」

と言えるからです。「どちらも色彩豊かな星だ」という意味で。

どうしてこんなことが大事なのかというと、これは In Deep でたまに出てくる概念の流れで、一言で説明できることではないのですが、エメラルド・タブレットなど中世神秘学から東洋の思想に至るまで、どうも「水星というものの偉大さが際立っている」のです。

場合によっては、水星は、太陽よりも大きな存在であることが示されたりします。

過去記事としては、

突如スポットを浴び始めた「水星」(西洋神秘学では最重要惑星)
 In Deep 2011年10月01日

や、あるいは、

ヘビとウロボロスとケツァルコアトルと月と太陽をめぐる旧約聖書『創世記』への疑問のようなもの
 In Deep 2012年04月08日

という記事には、エメラルド・タブレットの図版の部分を拡大したものを掲載しています。




ここには、

> 薔薇十字の概念では、世界という存在は、「月と太陽の奇跡を水星が完成させる」ということになっているようです。


というキャプションがついています。「世界を完成させるのは水星」というのが中世オカルトの基本概念だと知るに至った次第です。


まあ、過去記事にそういうものがあったということで、今回は水星に関してはこれ以上深入りはしません。


いずれにしても、その水星のほうは色彩豊かでありそうなことがわかりつつあるのですが、「月」に関しては、 今ひとつわかりません。

NASA の写真、たとえば、アポロが月面着陸した時の月面の写真を見ても、なんだか色はなさそうだし・・・と思っていたのですが、その NASA の公開しているデータ自体に「月の色の真実が含まれている」ことを最近知りましたので、今回はそのことを書いてみたいと思います。



アポロ10号のデブリーフィング(状況報告書)と写真から見え隠れする月の色


アポロ10号というのは 1969年5月に打ち上げられた NASA の有人飛行機で、月面着陸のための最終リハーサルの飛行でした。

通常に公開されている写真を見てもなかなか美しいもので、Wikipedia にも何枚か写真が載せられています。

下の写真は、月面に向かう司令船「チャーリー・ブラウン」。この際のアポロ船には漫画スヌーピーからネーミングしていて、月面着立船(着陸はしていない)には「スヌーピー」と名付けられています。

Apollo_10_command_module.jpg


このアポロ10号のミッション後に作成された状況報告書が NASA のデーベースで公開されていて、 PDF ですのでどなたでもご覧になれます。下のリンクに現物があります。

Bellcomm Apollo 10 Photo Debriefing

appolo-10-1969.png

書類には 1969年6月12日の日付けが見えます。

この中に「 The lunar maria were described as brown (月の海たちは茶色)」から始まる、月の上空から見た「月の色」に関しての描写が比較的長く続きます。

その部分を以下に翻訳します。

「晴れの海」とか「静かの海」とかの名称は、月の海と呼ばれるそれぞれの盆地に付けられた名称です。


月の海々は、高い角度からは茶色に見える。そして、明暗の境界線のあたりでは、灰色がかった茶色に見える。

晴れの海にある斑点は、淡い茶色と淡黄色で構成されているようだ。これは、ダークブラウンの静かの海とは違う色の構成だ。月の高地の色は淡黄色だ。

黄褐色の偏光は、月の海の素材である茶色に由来すると思われる。新しいクレーターは、青白い白とジェットブラックのような真っ黒な色との組み合わせになっている。

今、私たちがいる暗い側の月面は、地球から照らされて、まるでクリスマスツリーのように見える。




これを読むと、月はモノクロというより、茶色や黄色が主体となっていて、そこに青や白や黒も見えるというもののようです。少なくとも、アポロ10号の乗務員が見た月は「モノクロではなかった」ことがうかがえます。

また、「月面はまるでクリスマスツリーのように見える」というのもいろいろと考えされられますが、このあたり、「地球から照らされて」という部分と合わせて、簡単に片付けるところでもなさそうですので、今回は、この問題にはふれずに月の色に絞って進めます。


それと、貴重な写真もあります
これもやはり NASA のデータベースにあるものなのですが、そこにあるアポロ17号の写真資料から月面の色がある程度、推察できます。



月面着陸した乗務員たちが見ていた「色」


アポロ17号といわれても、アポロ計画も11号以降となると、どれがどれだかよくわからないので、 Wikipedia を見てみます。


アポロ17号は、アメリカ航空宇宙局によるアポロ計画における第11番目の有人飛行ミッション、第6番目の月面着陸ミッションであり、アポロ計画最後のミッションである。



1972年におこなわれたこのミッションが最後の月面着陸ミッションとなってしまったようですが、このミッションが実に有益な資料を残してくれたのです。このアポロ17号ミッションの写真で「月面の本当の色」がわかったのですから。


NASA にはアポロ17号のミッションの記録と、撮影した写真を多分すべて公開しているサイトがあります。


APOLLO 17


上のサイトにこちらの写真があります。

nasa-a17-01.jpg


アポロ17号で月面に着陸したのは上記 Wikipedia によりますと、船長のユージン・サーナンと月着陸船操縦士のハリソン・シュミットの二人だったようです。このふたりが、今のところ「最後に月面に立った人類のふたり」ということになるようです。

上の写真がそのふたりのうちのどちらかわからないですが、月面着陸した人のヘルメットのガラス面に注目して下さい。そこに写っている周囲の光景についてです。


a-17-02.jpg


それほど説明は要らないと思うのですが、この地表の色はいわゆる茶色であり、モノクロではありません。

ちょっと調べてみると、この色に関しては様々に検証されていたようですが、アメリカ国旗の色、そして、飛行士の右肩にある NASA のロゴの色から、この色がかなり本物の色に近いことは間違いないと思われます。


nasa-logo.jpg

▲ 上の写真の飛行士の右肩にある NASA のロゴ。ほぼ実際の色と同じです。


このふたりの降り立った場所だけが「偶然、茶色だった」ということはあるかもしれないですが、しかし、「自然現象としての茶色」にはかなり重大な意味があるのかもしれません。

そういえば、過去記事の、

アームストロング船長の失敗
 In Deep 2012年04月05日

という記事で、やはり NASA のデータ資料室にある「アポロ11号で月面着陸した際のアームストロング船長の写真」に「変なものがうつっている」というものをご紹介したことがあります。

下の写真です。

a11-armstrong.jpg


上の写真の左上に下のようなものが写っています。



私にはこれが植物に見えたのですが、今回のアポロ17号の「茶色の大地」の写真と組み合わせて考えてみると、「月の表面の真実」というものに関して、少し今までと違ったものとなる可能性もあるのかもしれません。