2012年12月01日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




インド軍が対峙するものは何か?: 印中国境の UFO 目撃地帯は「北緯 33度線上」だった







india-china_border.jpg

▲ インド中国の国境地点。左の制服の男性は中国の国境警備兵で、右の華やかな衣装の人は、インド・チベット国境警察隊。格好は楽しそうですが、このあたりはインドの最重要防衛地点のひとつで、精鋭です。
--


最初に、最近の記事の絡みで「やや残念な追加報告」をしておきたいと思います。



NASA ジェット推進研究所を巡る「世界中の超唖然」

先日、

NASA が 12月7日前後に行うと思われる「火星の生命についての歴史的発見」の報道を見て
 2012年11月25日

という記事を書きました。

火星で、「歴史的な発見があったかもしれない」ということを示唆する NASA のスタッフの発言についてのものです。単純にいうと、生命か有機化合物が見つかったということを「匂わす」ようなものでした。

このニュースはまたたく間に世界中に広まり、米国の WIRED が「火星の土に有機物か:「歴史的な分析結果」発表へ」という記事を掲載した他、世界中の宇宙関係、ミステリー関係のサイトやブログで取り上げられたものでした。

私も上のように紹介しているわけで。

そんな中でリリースされた、一昨日 11月29日の NASA ジェット推進研究所のニュース。
ジェット推進研究所は、キュリオシティなど火星探査を統括しています。

jpl-11-29.jpg

▲ NASA ジェット推進研究所のトップページより。赤い線を引いた前後をご紹介しています。



Update Set in San Francisco About Curiosity Mars Rover
NASA JPL 2012.11.29

アメリカ地球物理学連合のサンフランシスコでの秋季会合に向けて

12月3日から開催されるアメリカ地球物理学連合の会合で、キュリオシティに関しての報告がなされる。

ところで、現在出回っている噂について、その噂が間違っているということを記しておきたい。現段階では、キュリオシティが採取した土壌からは有機化合物が検出されたという証拠は出ていない。



そして、これに前後しておこなわれたというインタビューでは、VOR によると、前回、「歴史的な」と発言したジェット推進研究所のキュリオシティ責任者のジョン・グロッツィナー博士 ( John Grotziner )は、以下のように言ったとのことです。


「歴史的」というのは誤解に基づくものであり、「歴史的」とされたのはこのプロジェクト自体だという。しかし、取材した記者たちは最近採取されたサンプルが「歴史的」だと誤って理解して今回の騒動となった。



これを読んで、「やりおった・・・」と思ったのは私だけではないはず。

グロッツィナー博士は、「あれはさあ・・・キュリオシティ計画そのものが歴史的なものだと言っただけだよ」と述べたわけです(笑)。


まあ、記者の誤解にせよ何にせよ、上のグロッツィナー博士の発言はまさに「全世界」で報道されたわけで、どうやら・・・こういう書き方はよくないとは思うのですが、あえて書かせていただけば、私も含めて「宣伝に使われてしまった」ようです。前回の「歴史的発見」の報道以来、 NASA のジェット推進研究所へのアクセスは急増していたはず。何しろ、「12月3日から始まるアメリカ物理学会の会議の後に正式に発表する」と言っていたのですから。


天罰として、「桃太郎侍」などをNASA ジェット推進所に派遣したい気持ちもありますが、いずれにしても、「火星には何もないことが再度確認されたという報道があった」ということを一応書いておかないと、前回の記事を取り上げた私の責任もありますので、記しておきました。


さて、それでは次の話題です。


momo.jpg


いや・・・桃太郎侍は今回はいいです。
次の話題にいきます。


というか、こちらが本題になると思います。

続きを読む



  

2012年11月29日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。






事態を重視したインド軍が、インドの各国家機関に調査を依頼

india-ufo-01.jpg

▲ インド・チベット国境警察 ( ITBP ) によって撮影された写真。インド軍の報告では、最近目撃された飛行物体は、すべて発光しているのだそう。


事態が拡大してきた「インド中国の国境でのミステリー」

インドのラダックという中国との国境に近い場所で、「おびただしい数の正体のわからない飛行物体が目撃されている」というニュースを最初に見たのは、11月のはじめ頃でした。

しかし、それを最初に伝えたインドの報道などを見た時には、興味はありながらも様子見をしていた感じではありました。

わりと日々、このニュース関連はチェックしたのですが、騒動は拡大の兆しを見せています。報道もインド国内にとどまらず、米国のハフィントン・ポストや、インターナショナル・ビジネス・タイムスなども取り上げていて、思ったよりも事態が拡大している感じが漂ってきています。

この事件がインドでどのくらい「オオゴト」になっているかというと、翻訳記事にもありますが、インド宇宙研究機関( ISRO )、インド国防研究開発機構(DRDO)、インド国立技術研究機構(NTRO)などが調査を行い、その結果「いかなる調査でも飛行体を識別(認識)できず」ということになり、ついにインド天文台の天文学者も招聘されて解明に当たっているという「国家的調査」となっています。

調査規模としては国家戦争と準じるくらいのオオゴトにも見えます。


多くの記事では、選択としては下の二つとなっていて、それは、


・中国の新型の無人偵察機

・宇宙からの、いわゆる UFO



というようになっています。

現時点では、自然現象である可能性は「ほぼゼロ」だそう。

また、「中国の無人偵察機」という可能性も現在までのインド軍の解析では否定されています。

今回は、インターナショナル・ビジネス・タイムスの記事をご紹介しますが、この目撃された発光体の数は 数ヶ月で100を越えているそうです。

また、大紀元の報道に以下のようにあることにも興味を持ちました。


地球の「経脈」と超常現象
大紀元 2012.11.29

インド・タイムズ紙11月6日の報道によると、中国とインド国境に駐留している第14軍団が過去3カ月間に100件以上の未確認飛行物体(UFO)を目撃したという。

部隊の報告によれば、中国とインド国境地域の中国側に、時々黄色の不明飛行物体が地平線から昇り、空中で3〜5時間ぐらい飛んでから消えていった。インド政府は、これらの不明飛行物体は中国の偵察機や衛星ではないと表明している。

しかし現在、軍隊を含めて国防機構及び民間研究機構の研究で、いずれもこれら発光する飛行物体の正体は確認できなかった。軍隊は、移動可能の地面レーダーシステムとスペクトル分析機器を使ってこれらの正体不明の飛行物体を観測したが、肉眼で見えているのに測定することができなかった。そこで、これらの飛行物体は金属製ではないと分かったという。



とあり、この中に

> 軍隊は、移動可能の地面レーダーシステムとスペクトル分析機器を使ってこれらの正体不明の飛行物体を観測したが、肉眼で見えているのに測定することができなかった


この「肉眼で見えているのに測定できない」というところに興味を持ったのです。

もっとも、軍事偵察マシンというのは「敵に感知されないように開発される」のが普通なので、そうそう簡単に敵のレーダーシステムで見つかるようではいけないものなので、認識されないこと自体は不思議なことではないのかもしれないですが、普通の偵察マシンの場合は、「見えないように飛びながら、感知もされない」のが普通なんです。

相手に見えるように飛んでいるのに、レーダーでは感知できない」というような偵察マシンは聞いたことがないです。

しかも、1度だけではなく何百回も

また、上の記事に「これらの飛行物体は金属製ではないと分かった」とありますが、金属を使わない偵察機というのも(多分ですが)存在しないと思います。

いっぽうで、米国のハフィントン・ポストでは、この出来事を紹介すると同時に、「最近 UFO 写真ではないかと報道されたものの写真」を数十枚掲載していました。違うとわかったものもありますし、今でも何かわからないものもあるようです。

それも多少面白かったですので、何枚かご紹介しておきます。

すべてご覧になりたい方は、

100 UFOs On India-China Border Cause Official Concern

にあります。

写真のキャプションはすべてそこにある翻訳で、私の感想ではありません。


・レンズフレア

flare.jpg

▲ グーグルマップに写った画像。2008年にアリゾナ州で撮影。レンズフレアと思われる。



・気象現象

phenomenon.jpg

▲ 2006年に撮影された「スプライト」という空の発光現象。かつては、よく UFO と間違われたが、現在は高層大気の現象として確認されている。


・南極の飛行物体

antarctic_ufo.jpg

▲ 2012年 8月に南極にあるドイツ観測基地の上空で撮影された飛行物体。観測気球ではないという。




などです。

最後の南極のエクストレム棚氷にあるドイツ基地の写真に関しては、他に下のような写真もあり、いろいろなものが写真に撮影されています。まあ、ドイツですしね(関係あるのか?)。

雲のようなものと、黒い球体

gearman-antarctic-01.jpg


黒い太陽?

gearman-antarctic-02.jpg

UFO Hovers Over Scientific Lab In Antartica Jan 31, 2012 Video. より。


それと、上の「気象現象」という中のキャプションにある「スプライト」という光の現象については、過去に取り上げたことがありました。本当に「一瞬」しか光らない現象なので、つい最近まで科学では「存在自体が科学的に否定されていたけれど、実際に存在した」という自然現象です。



▲ 高層大気で存在が確認されている様々な「光」の現象の想像図。東北大学の福西研究室による。


下のリンクに過去記事があります。

地球の上空では光のフラッシュが永遠に続いていて、私たちはその下にいる
 2012年07月15日

空の赤い妖精「スプライト」
 2011年08月29日


さて、そんなわけで地球の現象というものはいろいろなものがあるわけで、自然現象での発光現象も「現象」ですし。軍事兵器などでも現象は現象です。昨年あたりから、私は「何もかも現象だよなあ」というような想いもありまして、今ではオカルト的なことを特に強調して考えることもないですが、こういうものの出現比率も確かに多くなっているようです。

では、インターナショナル・ビジネス・タイムスより。



続きを読む



  

2012年11月20日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





「虹」を越えると何が?


1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』で、ジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方に」は、地球に大衆曲という概念が生まれた中でも、最大のポピュラーソングだと思います。実際、2001年には、全米レコード協会が選んだ「20世紀の名曲」の第1位となっています。

下のがその劇中シーンです。
モノクロですが、映画は、主人公のドロシーが「オズの国」に飛ばされてからカラーの場面となります。


虹の彼方に(1939年)




上で歌っている主人公のジュディ・ガーランドは、この映画の主役に抜擢された後、映画会社 MGM から「ドロシーのイメージとしては太りすぎなので、ダイエットをしろ」ときつく命じられ、まだ 13歳だったのですが、そのために「覚醒剤」を使用して、以後、常習者となります。映画『オズの魔法使い』の弾けるような元気な演技もその薬理作用のためという側面もありました。

ジュディ・ガーランドはその後も、薬物中毒と神経症がどんどん悪化して、彼女は人生の最後も睡眠薬の過剰服用(オーバードーズ)により死亡しています。

なので、『オズの魔法使』は夢を語る映画である一方で、「ジュディ・ガーランドという個人の地獄の門」を開いた映画だとも言えます。

ちなみに、ジュディ・ガーランドは「性」にも異常なほど奔放だったといわれています。上の「虹の彼方に」は、今でも米国では「同性愛解放運動の象徴の曲」として流されるのだとか。


さて、しかし、この映画のことは本題ではないのですが、上の中の「虹と地獄」という部分が関係します。


昨日、


「お前たちは自らの手で地獄の門を開いたのだ」: かつてない大規模サイバー攻撃を受けるイスラエル
 2012年11月19日


という記事を書きました。

知り合いで、イスラエルに住んでらっしゃる日本人の女性の方がいます。
その方からメールがあって、一緒にとても興味深いファイルが送られてきました。

興味深いというか「妙なもの」です。

下の図はイスラエルの「11月18日から21日までの天気予報」だそうで、ヘブライ語ですが、この図に直接日本語を入れると雰囲気も壊れるので、そのまま載せてあります。

israel-weather-2012-11-20.png


上の太陽マークの「晴れ」が11月18日だと思います。

さて、そして、下段に並ぶお天気アイコンの真ん中は、11月20日のイスラエルの天気の予報です。このアイコンが示すものは・・・。


曇りときどき・・・・虹?

どう見ても「曇りときどき虹」というアイコンに見えます。
イスラエルでも、ふだんはこんな表示はないそうです。

表示ミスかとも思いますが、表示ミスというには完全な図柄となっているわけで、「不思議」に思います。

そして、私はそのメールで初めて以下のことを知りました。


・「虹というのは地獄の釜」と関係があるという伝説が、少なくともイスラエルなどではある。つまり、「虹が見えればその下は地獄のお釜」だということ。

・虹は龍を例えている。



そういう神話というか伝説を聞くと、イスラエルの天気予報に「虹」が表示されていたというのは何とも意味深い感じはします。

もちろん、これは、だからといって、11月20日に何かあるとかそういうようなことを書きたいわけではなく、とにかく「何だか不思議な感じ」がしたのです。

ちなみに、今回のことで私は、初めて気づいたのですが「虹」って漢字はムシ編。

「虫と工」

漢字の意味としては「虹は虫の作りもの」ということなのでしょうかね。

虹と似ている漢字としては「アブ(虻)」なんてのも似ている。
蛇もムシ編でちょっと似ている。


ところで、この「虫」についてもちょっといろいろとあります。



ムシの問題

シンクロというかなんというのか、数日前に、私は「見たことのない虫が手につく」という夢を見たんですけど、まあ、虫の夢は体調の悪い時とか、眠っている時に具合の悪い時がある時なんかに見るものなので、それほど気にしていなかったんですけど、そのイスラエルの方も、「変な虫が手につく夢を見た」と書かれていて、さらに、最近、「虫」というキーワードではいろいろと思い出すことがあるんです。


まあ・・その・・・非常にオカルトっぽい話で申し訳ないんですけど、昨日のイスラエルの記事の報道を知った理由・・・。

パソコンに向かっていましたら、モニターにアリみたいな虫がいたんですよ。アリというか、羽のない羽虫みたいな。過去記事の「来ているのは「宇宙人」じゃない: 世界各地から届く「考えられないほどの悪天候」の報道を見て」の一番最後に、北海道の小樽で妙な羽虫が大発生しているということを書きましたが、あの虫から羽をとったみたいなやつです。

それがパソコンのモニタの画面上にいたんですね。

まあ、私の部屋にはかなりの植物があるので、土から虫が出てくる可能性はあると思うんですけど、とにかく、モニタの画面上にいたので、その虫を手で払おうとしたあたりに表示されていたブラウザ上にあったニュースのリンクから、イスラエル関係のニュースに行き着いたんです。

ふと「虫の知らせ」なんていう言葉を思い出し、それで記事にしたというような側面はあります。ちなみに、払おうとした虫は払えずに、どこにいったのかもわからないままでした。その後出ていません。

そういうオカルト筋の話のひとつとして、

地獄の釜が開くと、虫が出てくる

というような話のたとえはあります。


あと、昨日の記事で最近のこととして書いた「聖書に存在しない死後の生命という概念」のことを少し書かせていただきます。



街角の宗教おばあさんから考えさせられた「生命」の実際


昨年まで長く住んでいた東京杉並区の西荻窪という街にも、様々な新宗教の支局がありました。杉並区は若者が多いせいか、昔から「ターゲット地域」だったようです。

そして、越してきた所沢の奥地なのですが、この街にも多くの新宗教の支局があり、街で人々がチラシを配ったりしています。ただ、杉並区と違うのは「立っているほうも、声をかけられるほうもご老人」というところが違います。

今年の夏などは 35度を越えるような日々が続いたのですが、炎天下の中に立つご老人たちの姿を見て、「大丈夫ですか?」ときいたこともありました。

そして今は「寒い季節」。
今度は寒風の中を街角で看板のようなものを持ったり、チラシを持って高齢者が立っている。

なので、チラシなどを「どうぞ」と言われると断るのが申し訳なく、「ああ、どうもどうも、ご苦労さんです」ともらうのですが、一昨日もらったのは、「ものみの塔」という冊子を発行している宗教団体のもので、本誌ではなく、三つ折りにした紙一枚のチラシでした。

いつもならこういうものは見えないところで捨てるので、まともに読んだことはないのですが、捨てようとしてその表紙のタイトルを見た時、「あ、これ読んでみよう」とポケットに入れて持ち帰ったのです。そのチラシの表紙は下のものでした。

satan.jpg


「実際に世界を支配しているのは誰ですか」と大きく書かれてあります。

私は「うーん・・・宇宙線か、あるいは地球上ではウイルスかなあ」などと考えながら帰りましたが、家に帰って読むと、要するに「この世はサタンが支配している」という内容だったのですが、飛ばし読みしていると、途中、下のようなセクションがありました。


邪悪な霊者たちがそのために用いる一つの方法は、死後の生命という考えを促進することです。

しかし神の言葉は、死者には意識がないことをはっきり示しています。(創世記 2:17 、3:19。エゼキエル 18:4。 詩編 146:3、4。伝道の書 9:5 、 10)

ですから、邪悪な霊者は死者の声をまねて、霊媒による仲介や目に見えない領域からの「声」を使い、その人の親族や友人に話をすることがあります。その「声」は死別した人を装いますが、実はそれは悪霊なのです。

ですから、そのような「声」が聞こえても、欺かれてはなりません。その声が何を語っても、それを退けてください。

霊の領域に対する好奇心に駆られて、邪悪な霊者たちとかかわりを持つようになってはいけません。どれほど面白く、またどれだけ刺激的に思えても、心霊術に関連したあらゆる行為に抵抗してください。



と書かれてありました。

内容の真偽はともかく、この冊子にある引用は聖書からなのですが、すべてに「出典」とその章が記載されており、それが実際がどうかをインターネットで調べることができました。

上には、

創世記 2:17 、3:19
エゼキエル 18:4
詩編 146:3、4
伝道の書 9:5 、10


とありますので、日本聖書協会のホームページで、それぞれの段落を調べてみたのです。「伝道の書」というのは聖書の「コヘレトの言葉」というものだそう。

以下、その結果です。


創世記 / 2章 16-7節

主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」



創世記 / 3章 19節

お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。



エゼキエル書 / 18章 4節

すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。



詩編 / 146編 3-4節

君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。



伝道の書 / 9章 5-6節

生きているものは、少なくとも知っている/自分はやがて死ぬ、ということを。
しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく/彼らの名は忘れられる。



まあ、創世記あたりのほうのは、「人は死ぬ」ということが書かれてあるだけの感じもして、上のチラシにある「神の言葉は、死者には意識がないことをはっきり示しています」というようニュアンスは感じられないですが、下のほうの「詩編」の、

霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。


とか、「伝道の書」にある、

しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく/彼らの名は忘れられる。


あたりは聖書から、「死」というものに対しての、一種の「突き放した感じ」を受けます。

つまり、なんとなく私たちが持つキリスト教などのイメージ・・・たとえば、適当ですが、「死んだら天国に行くんだよ」というようなイメージとは違った感じがあるということです。

「伝道の書」にあることは、「人間は死んだら単に土になる。他に何もない」というようなことなわけです。


それにしても、この聖書の「コヘレトの言葉」(伝道の書)というのは、その冒頭がなかなか考えさせられる文章で始まります。

下は第1章の前半部分です。伝道の書より。



伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。

日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。

川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。

前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。




これを読んでいて、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から始まる『方丈記』を思い出してしまいました。

方丈記の訳と全文はこちらのページにあります。

最近知りましたが、方丈記には、震災後の今の日本を彷彿とさせるようなことも書かかれているのです。「元暦の大地震」(文治地震)という 1185年の大地震の描写があるのですが、その最後に以下のようにあります。現代語訳です。


「方丈記」より

その(大地震の)直後には、だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。




「歴史も人心も繰り返すなあ・・・」としみじみと思います。



そういえば、昨日のこちらは天候は曇りだったんですが、雲間から少し太陽が見えたんですね。ベランダからそれを見ていると、

「ああ、こういう状況でも太陽って3つにも4つにも見えるのだなあ」

と思いました。
下の写真がその時のものです。

sun-3-1.jpg


これだと何だかわからないと思いますので、下のは太陽のあたりを拡大したものです。

sun-4.jpg

雲の後ろに太陽があるのですが、いくつか見える光源のうちどれが太陽かわかりますか?
実は私は「どれが太陽か分からなかった」のです。


このいくつか並んでいる中で実際の太陽の大きさの光は両端の丸くらいのもので、ふだんの太陽の位置から考えると、右端の光が太陽だと思うのですが、左のほうがよく光っている気もする。光が雲に反射しているという原理はわかるのですが、「本体よりも明るく見えるのかなあ」と思ったりしていました。

そして、ずっと見ていると他の小さな光源も太陽に見えてきて、次第にどれが太陽だか全然わからなくなってきて、ちょっとこわくなったので見るのをやめました。


そんなわけで、書きたい日記を脈絡なく長々と書いてしまいました。

下の絵は、子どもの箱などを整理していたら出てきた絵です。本人は「いつ描いたか覚えていない」というのでずいぶん以前のもののようですが、文字が書かれてあるので、小学校に入ってからのもののはずです。


「じゆうちゃう」、あるいは「じゆうちゅう」

free.jpg


こういうのもちゃんと見ていてあげればよかったと思いますね。

次は普通に記事を更新いたします。



  

2012年10月24日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





kou-01.jpg

▲ 若松孝二製作、大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』(1967年)より。これらの「無駄にまで男的な世界」の雰囲気は後の人気テレビアニメ「ルパン三世」のメイン脚本家となる大和屋監督のルパンの世界に引き継がれていきます。






 


最近、ポールシフト絡みの記事が多いのですが、今朝、米国の科学系ニュースを大量に配信する Ideas, Inventions And Innovations というサイトを見ていましたら、「人工衛星から目撃された地球のコアと磁場、そして重力の急速な変化」というタイトルのものがありました。

あまりに最近の流れとマッチしていたので、気になり、少し目を通してみますと、ドイツ地球科学研究センターという名前が出てきました。これは、過去記事の、

ドイツの科学研究法人が「急速なポールシフトと気候変動と超巨大火山の噴火が同時に発生していた」ことを証明
 2012年10月18日

に出てきた研究機関で、そのドイツ地球科学研究センターの共同研究チームが、今度は人工衛星で、今現在の地球に急速な変化が起きているということを確認して、それを「全米科学アカデミー紀要」に発表したというものです。

うーむ・・・。毎日のようにポールシフトだとか、大陸移動関係のニュースが報じられて、「ほんまかいな」という感じもします。

この「全米科学アカデミー紀要」というのは、米国科学アカデミーという世界最大規模の科学団体の発行する機関誌で、世界の科学専門誌として1位か2位の参照数を持つものです(Wikipedia では世界第2位とのこと)。

その記事を翻訳してご紹介しようと思ったのですが、私にはものすごく内容が難しくて、それほど長い記事でもないのですが、翻訳に時間がかかりそうで、今日は途中までで時間んがなくなってしまいました。加えて、最近ずっとこの関係の翻訳ばかりで、やや「ポールシフト疲れ」が出ていたこともあり、今回は全然関係ない記事を書かせていただきます。

明日には、「地球のコアと重力の関係」の記事の翻訳をアップできると思いますが、オリジナル記事は、


にありますので、興味のある方はどうぞ。


今回の記事は、先日亡くなった若松孝二という映画監督と関係する話ですが、最近の流れとは全然関係ないですので、興味のない方は飛ばされて下さい。

個人的にはこのことを、最近またよく考えています。



「自分の存在の意味」を 1960年代のピンク映画で再確認した日


先日、映画監督の若松孝二さんという方が亡くなったんですけれど、まあ、最近どんなことをしていたのかは私は知らないんですが、この若松孝二さんが、監督としてではなく、多分、はじめてプロデュースした作品があります。

1967年の『荒野のダッチワイフ』というピンク映画で、私は 1980年代くらいにビデオで見て、結構なショックを受けていたのですが、先日、若松監督が亡くなったニュースを見て、探したんですけれど、見つからない見つからない

やっとある中古ビデオ屋で 中古VHS が売られているのを発見して(高かったです)、数日前、20年ぶりくらいに見ました。 1990年代に再発されたビデオのようで、裏ジャケットに、切通理作という人が解説を書いていました。

その解説の最後のほうに次のようにあったのです。


『荒野のダッチワイフ』解説
 切通理作

大和屋竺のダッチワイフとは、現実に挫折した者がすがりつく対象ではなかった。現実の時間に戦いを挑んでいく人間にとっての《傷》を意識した断絶風景なのだ。

だが《傷》にこだわればこだわるほど、世界は風景化していき、自分以外の下界はよそよそしいものになっていく。すると最後には、《傷》にこだわる自分自身すら実在しているのかという疑問にかられる。

大和屋竺は己の《傷》を詠嘆しない。哀訴もしない。そこには、現実という時間と自分の意識に流れる時間との溝を、ただ見極め続けるという透き通った孤独がある。

大和屋竺は常に先鋭的で「新しい」存在なのだ。それは、彼が常に、存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込むという、根源的な問題を突きつけ続けているからである。



まあ、一応、「単なるピンク映画の解説」ではあるんですが、解説もとても良い内容で、特にこの最後の一文にある存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」というフレーズから、一瞬にして、私は過去の記憶から「自分の好きな様々なこと」に通じるひとつのことを想起したのでした。

そして、さらに「これは埴谷雄高さんが『死霊』を著しながらも、ご自分で気づかなかった" 目指すべく虚体 " の真実だ」と感じたのです。

いや、こんな難しい言い回しでは良くないんですよ。

つまり・・・。たとえば・・・・・・。

「動機がわからない殺人」

「我が子を虐待する人たち」

などの現実と「存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」というフレーズは、実は一致しているように思うのです。

もっと具体的にいうと、たとえば・・・今の世の中は「くるっている」、あるいは、「ややくるっている」と思う人はそれほど少なくないのではないでしょうか。

私もわりとそう思います。


では、(もし本当に最近になってから社会が狂ってきたとするのならば)なぜ社会はそうなってしまったのか


いろいろな現実的なことを言うたとえば評論家の人だとか権威筋の人たちはたくさんいると思いますが、「それで世の中がよくなったことがあったか?」と私は昔から考えます。

なんとなく世の中というのは、「夢や理想では変わらんよ」というような考え方がありますが、私は逆に思っています。


「夢や理想が先行した世の中じゃないと良くならない」


と私自身は子どもの頃から考えていて、今もそう思っています。



上の「存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」という中の「存在の空虚」も難しいですが、これは言いかえれば、


「どうしてわたしはこの世にいるのだろう?」


ということです。

今の多くの大人たち、何より、ほとんどの子どもたちは、その答えが見いだせていないように思います。


そして、私は確信していますが、

「どうしてわたしはこの世にいるのだろう?」

ということへの答えがない限り、この世は今よりもっともっと悪くなります。



今など話にならないくらいに悪くなります。

自分の人生の四十数年でもその過程を見てきました。

どんなことでも私は人より劣っていたので、常に「人の後ろから歩いていく人生」でしたので、世の中がよく見えました。


世の中は悪くなった。
このことを「それは違う!」と明確に否定できる人はどの程度いるでしょうか。


そして、それがどんな世の中であろうと、「どうしてわたしはこの世にいるのだろう?」ということへの答えが出ない限り、もっともっと、どんどん悪くなるはずです。



いずれにしても、「存在の空虚こそが世界への殺意を呼び込む」というフレーズはすべて言い換えると、

「自分がこの世にいる理由がわからないのなら、この世を愛せない」

です。

今の世の中で、この世を愛せない人ばかりなのはそれが理由です。
私は多くを断言しませんが、これだけは断言できます。


どうすればいいのか?・・・ということは、私にはわからないですし、しかも、ここで具体的な方法論を書くのは、まるで「評論家」ですので、曖昧な方向性として、ひとつ抜粋しておきたいと思います。

それは、スイスの神学者カール・バルトさんという人についてふれている、Wikipedia の終末論というページからです。


神学での「終末」には、個人的な救済の完成と、世界的な救済の完成の2つの意味が存在する。

20世紀のスイスの神学者・カール・バルトも、主著『ロマ書』で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて…その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。…再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒が遅延しているのである」と言い、「終末は既に神によってもたらされている」という認識である。




という部分ですが、大事なのは、終末のほうの話ではなく、

個人的な救済の完成
世界的な救済の完成

というふたつの意味が存在するという意味です。

これは現代に反映させれば、世界の価値観や幸福の尺度(あるいは他の人たちの価値観や幸福の尺度)と自分のそれを対比させる必要はないということです。

自分の救済は自分でする、あるいは自分でしかできない。

つまり、「自分だけの価値観を持つことが、世界全体を殺さないための手段だ」ということを上の神学とかいうものの概念から思います。


というわけで、いろいろ長々と書いてしまいましたが、多分、この『荒野のダッチワイフ』という映画がレンタル店などに置いてあることはないでしょうし、中古でも手に入らないと思いますので、冒頭のオープニングを貼っておきます。

音楽はすべて、その後ジャズのトップミュージシャンとなる山下洋輔さんによるものです。


「荒野のダッチワイフ」 (1967年) オープニング・タイトル



製作:若松プロダクション
監督:大和屋竺
音楽:山下洋輔

--

ちなみに、この『荒野のダッチワイフ』の監督は、大和屋 竺(やまとや・あつし)さんという人なんですが、この人は後の『ルパン三世』テレビシリーズの第1シーズンと第2シーズンのメイン脚本家をつとめた人です。

この『荒野のダッチワイフ』の脚本も大和屋さん本人によるものですが、「ルパン三世」で最高傑作の誉れの高い「魔術師と呼ばれた男」を彷彿させるシーンがたくさん出てきます。


lupin-3.jpeg

▲ 『ルパン三世』第2話『魔術師と呼ばれた男』(1971年 / 脚本:大和屋 竺 )より。


なので、初期のルパン三世シリーズが好きな人なら、世界観は似ていますので、異常にシュールな点を除けば、『荒野のダッチワイフ』は必見だと思います。

ただ、手に入ればですが。


ちなみに、私は初回のルパンの放映を見ているんですよ。1971年という年代から逆算すると、8歳ですので、小学2年生だったということになりますかね。

最初のルパンは強烈に「大人の世界」のアニメで、子どもの私に大人の憧れを植え付けたのも、このルパンでした。

その時に見たルパンのシリーズで、もっとも強烈な印象として残っているのが、「脱獄のチャンスは一度」というものでした。その後、再放送で小学生の時に再び見てから 40年近く見ていないので、ちゃんとしたストーリーは覚えていないですが、「物語って面白い」と思ったものでした。

その後、10歳くらいからはほとんどテレビを見ない人になってしまったので(ラジオに没頭し始めた)、この頃が最後のテレビ時代。いい思い出です。

というわけで、本当に関係ない話ですみません。


ただ、しつこく書きますが、世の中は「自分の内に存在する夢と理想」で作られます。



  

2012年10月14日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





mcnaught.jpg

▲ 2010年のマックノート(C/2009 R1)彗星。パンスペルミア説では、彗星は重要な位置として見られます。
--


(訳者注) 以前から「微生物の話」を書き出すと、すぐ風邪を引く傾向にあるんですが、最近の記事で微生物とかウイルスのことにふれていましたら、見事に風邪を引きました。

今回は、ロシアの科学者たちが「無機物から生命を作りだそうとする実験」を再び試しているというニュースがあり、それをご紹介しようと思うのですが、前提として書くことも多くなりそうで、ただでさえ頭が朦朧としている中、わかりにくくなるかもしれないですが、すみません。



すでに科学の世界の生命の起源の理論は塗り替えられつつある

もともと地球のいわゆる原始スープと呼ばれる古代の海から「偶然、生命が誕生した」という説を最初に唱えたのはロシア人(当時はソ連)科学者でしたので、今回の実験もタイトルに「蘇る」というニュアンスのロシア語が見える通り、ロシア科学界のリバイバル的な意味というような部分もあるのかもしれません。

本来なら取り上げるようなものでもないのですが、私が今回、この記事をご紹介しようと思った理由は、記事の中に下のような一節があったからです。


現在では、多くの科学者たちが生命は宇宙から地球にもたらされたという説を支持している。

地球の生命が宇宙からもたらされたとする説は、ノーベル化学賞を受賞したスウェーデンのスヴァンテ・アレニウス博士や、あるいは、ロシアの生物地球科学の創始者であるウラジーミル・ヴェルナツキー博士も、宇宙起源説を支持していた。



とあり、「すでに科学の世界での生命起源の理論の主流は宇宙起源となりつつある」ということが書かれてあるのでした。

「そうかあ・・・すでに生命は宇宙からもたらされたとするほうが主流なのかあと」と、感慨深く思ったことが、この記事をご紹介しようと思った最大の理由です。

先日の記事、

「良い時代と悪い時代」(3): 2013年の巨大彗星のこと。そして宇宙から地球に降り続ける生命のこと
 In Deep 2012年10月11日

でも、米国プリンストン大学の研究チームがバンスペルミア説の証拠となり得る論文を提出したというようなものをご紹介しました。

徐々にではあるけれど、私たち人類は生命の起源と進化に関しての「中枢」に近づけるような可能性も少しはあるのかもしれません。その「中枢」は見えない中枢のようには思いますけれど。


そして私にとっては、地球の生命が宇宙起源であるということが大事なのではなく、「生命は普遍的なものだ」ということが大事だと思っています。

つまり、「どこにでもある」と。

「どこにでも」ということは、宇宙全体のどこにでもあるということで、私たちのこの地球はそのような宇宙の中のひとつに過ぎない。

しかし、宇宙の中のひとつに過ぎない地球ではあっても、この地球の人間である私たちにとっては、この地球が唯一の地球であるということだとも思います。ちょっとわかりにくい書き方かもしれないですが、「あらゆる地球の住人たちは、その地球以外の地球を持たない」というような意味かもしれません。

そして、エメラルド・タブレットなどでも描かれる概念を拡大させれば、「個々の惑星と全体の宇宙は常に対等である」という概念だと私は思っています。

ところで、ロシアのニュースをご紹介する前に、そもそも、その「地球上で生命が生まれた」という説はどのようなものだったのかを簡単に記しておきます。




20世紀の生命起源説を席巻した「地球の原始スープの中から生命が生まれた」という説について


説明の抜粋等は、基本的に Wikipedia からの抜粋で統一しますが、難しい用語は平易にするか省略しました。

ちなみに、人類が、生命の起源ということを科学において言及しはじめたこと自体の歴史がそれほど長いものでありません。

「地球から生命が発生した」という説は、まず、ロシアのアレクサンドル・オパーリンという科学者が、1922年に『地球上における生命の起源』という本を発表し、そこから1950年代まで、生命の化学進化説という理論を展開させたことによります。

オパーリン博士はケンタッキー・フライドチキンのおじさんにも似た温厚な顔をした人で、私は顔は好きです。顔は好きなんですけど、このオパーリン博士の化学進化説が後の科学界を悩ませることになります。

oaprin.jpg

▲ アレクサンドル・オパーリン(1894 - 1980年)


オパーリン博士の説を簡単にまとめると下のようになるようです。



1. 原始地球の無機物から低分子の有機物が生じる。

2. 低分子の有機物がお互いに結びついて高分子の有機物を作る。

3. 地球の原始の海は上のような反応での「有機物の液体(スープ)」だった。

4. この「原始スープ」の中で、高分子の集合体(コアセルベート)が誕生した。

5. この集合体がアメーバのように結合と分離を繰り返した。

6. このような中で最初の生命が誕生し、優れた代謝系を有するものが生き残っていった。





というようなもののようです。


今改めて読んでみると、まだ遺伝子や生命の構造の解明が進む前の時代だったから受け入れられたものだったことがわかります。

というのも、地球の年齢は現在の科学ではおよそ 40億年程度とされていますが、その真偽はともかくとしても、この程度の年代だと上の繰り返しで生命が作られるにはあまりにも短いということがあります。

    
その時間で進化してきたわりには「あまりにも生命は複雑」なのです。

たとえば、下はフレッド・ホイル博士の『生命はどこからきたか』の中からの抜粋ですが、「生命の構造の複雑さ」ということをまず知る必要があります。

これは書かれてある意味自体、私自身もよくわからないので、その意味というより、「たった1種類の酵素を作ろうとしてもこのような膨大な数字となる」ということを知っておいてもいいのかと思うのでした。


『生命はどこからきたか』 第十四章 生命の起源と進化を考えるための基礎知識より

 三〇個の不変なアミノ酸を持ち、一〇〇個の結合部分からなる短いポリペプチド鎖でさえも、二〇の三〇乗、約一〇の三九乗回にもなる試みが行われて初めて機能を持つ酵素となる。三〇〇個の不変部分を持ち、一〇〇〇個の結合部分からなる酵素の場合は要求される試みの回数は二〇の三〇〇〇乗で与えられ、それは一の後に0が三九〇個も並ぶ数である。

 さらに、われわれはただ一種類の酵素だけを取り扱うのではなく、最もシンプルな有機体でさえ二〇〇〇種類、われわれのような複雑な生物では約一〇万もの酵素と関係しているという点でも超天文学的数である。



まあ、全然わからないのですが・・・要するに、簡単な酵素ひとつが「自然」にできるためには、「 1の後に 0が 390個も並ぶ数」の確率の中でアミノ酸が結合する必要があり、さらに、それが生命として機能するには、その奇跡的な確率をクリアした酵素が「数万個以上の単位」で存在しなければならない。

1の後に 0が 390個も並ぶ数の確率というのは、

390.png

という感じです。

上の壮絶な確率で「仮に」酵素や有機物が生まれたとしても、それはまだ単細胞生物などでさえないわけで、地球上でもっとも単純な構造のタイプの生物などでも、上の組合わせでの酵素が 2000個必要だとのこと。人間なら10万以上。

しかも「正しい配列」で。


もはや、確率で論ぜられる世界ではありません。


これでは仮に(あくまで仮に)、地球の上で有機物が発生したとしても、地球の歴史が仮に38億年なら、この年月では「生命どころか酵素ひとつできない」ことになります。というか、38兆年でも「偶然のレベル」では、酵素ひとつ作ることもできないと思います。

たとえば、下のは α-キモトリプシンという酵素の図です。

amino-3.jpg

▲ 『生命はどこからきたか』 第十四章 生命の起源と進化を考えるための基礎知識 の図より。


この図自体はいくら見ても私には何が何やらわからないですが、こんな酵素ひとつでもこんなに複雑な構造になっていて、少しでも違うと酵素として働かないのが生命というもので、そして、こういう酵素が何万と「正しく」集まってできているのが、人間を含む生命なのだということです。

生命は偶然の繰り返しで作られたというようなものではない、と考えざるを得ません。


科学的に考えるまでもなく、常識的な考え方として、地球上で無機物から有機物が偶然生まれ、それが偶然の連続で生命として進化して、それがさらに高度な生命として進化して現在の地球のあらゆる生物となっているという話は基本的に「無理な話」であることがわかります。


しかし、「生命の地球発生説」を続けます。

オパーリンの化学進化論を検証する実験をおこなったのが、ユーリー-ミラーの実験と呼ばれるもので、下に Wikipedia から抜粋します。


ユーリー-ミラーの実験

ユーリー-ミラーの実験は、 1953年にスタンリー・ミラーが、シカゴ大学の大学院生のときに行ったものである。地球において最初の生命が発生したとされる環境を再現することを目指し、そこで簡単な化学物質の組み合わせから、生物の素材となるような成分ができるかどうかを実験で確かめるものであった。


400px-Miller-Urey_experiment_JP.png

▲ ユーリー-ミラーの実験の実験装置の概念図



そして、この実験で「アミノ酸の無生物的合成を確認した」ことにより、生命地球発祥説は、広く科学界に受け入れることになり、以降の科学と「教育」の世界でこの理論が広く取り入れられたのは書くまでもないことかと思います。

私たちも学校で「生命は地球で生まれた」と教えられてきたはずです。

もっとも、Wikiepdia にも、その後に、


現在では、多くの生命起源の研究者たちは、ユーリー-ミラーの実験を過去のものと考えている。



とあり、今では違うようですが、一般の認識としては、今でも「生命は地球で生まれたと考えている人」はわりと多いのではないかと思います。


なお、ホイル博士の著作には、ユーリー-ミラーの実験の「大きな間違い」が指摘されています。


『生命はどこからきたか』 第三章 尿素から有機スープへより

ユーリーとミラーにより用いられたメタンは天然に得られる気体ではあるが、それは生物由来のものなのである。アンモニアもウェーラーの実験においてそうであったように由来は疑わしい。行われたのは生物材料から出発して別の生物材料を作ったのであり、当時思われていたような印象的な結果からはほど遠いのである。



メタンそのものが生物由来だとすると、この実験そのもののテーマであった「無機物から有機物を作り出す」ということにおいて、根本から違ったものだったようです。

いずれにしても、いろいろな理論や実験の中で、地球の生命の起源を探る試みや思考は続けられていて、ともすると、それは「迷宮」に入り込むような世界なのかもしれないですが、きっと今後も興味深い方向に進むのだろうと思います。

というわけで、今回は、上に挙げた「生命の地球起源説(化学進化説)」が生まれた国でもあるロシアで、その理論をふたたび実験によって示してみようという試みの話です。

ニュースメディア「ロシアの声」ロシア語版からです。

ではここからです。



続きを読む



  

2012年09月21日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





関係過去記事:







 


最近は暗いニュースや、どんよりした気分になるニュースが多かったですが、今回の「水星は他の惑星とまったく違う起源と組成を持っているかもしれない」というようなタイトルのニュースを見た時には、「うひょひょ」と、思わず、きんどーさん的な笑みがこぼれました。


kindo.png


きんどーさんは顔や体型など本当に私と似ているのですが、そのことは今回は置いといて(永遠に置いとけ!)私は、9月というのは暑さから解放されるせいなのか、どうも「突然」というように宇宙の方向への興味が増大します。

最近・・・まあ、昨日もですが、寝ようとすると、一晩中、頭の中で「雨と宇宙線と微生物の関係」のことについての概念のようなものが鳴り響き、「おー、また秋の発狂シーズンがやってきたか」と思います。

確か昨年も、あるいは一昨年も、その前もそうだったと記憶しています。
この時には頭痛が付随します。

寝れば夢にジーサンが出て来て妙なことを呟き、眠らないと眠らないで頭の中が上のようなこと(雨と宇宙線と微生物の関係のようなこと)で埋め尽くされて発狂寸前になります。



ところで、この「雨」なんですけど、昨日半分眠った状態で、「ああ、そうか」と気づいたことがあります。実は雨に当たるだけで私たちは「おびただしい数の生命の洗礼を受けている」ということについてです。ちょっと書かせてください。




ほんの数秒、雨に当たるだけで、私たちは数億個とか数兆個の単位の「生命」を体に浴びている


まず「雨」というのは「そのたった一粒でさえも大量の生命(死骸や各種の有機物も含めて)」と考えるのが妥当みたいなんです。

まあ、「雨は生き物の死骸の塊である」とかを書くと何ともオカルトな感じなんですが、しかし、これは多分かなり事実で、その流れとして、まず「雨」というものがどうしてできるかという一般的な科学ですが、「晴れ,曇り,雨の日の違いは何?」というページから引用させていただくと、


雨雲になるための条件は?

雨は雲粒が成長して重力で落下してくる現象です。雲粒がどれだけ成長して雨滴になるのか。代表的な大きさで比べると、雲粒は10μmで、雨滴は1000μmですから、100倍の違いです。したがって、1個の雨粒は100万個の雲粒が集まって形成される計算になります。



ということで、雨は「雲粒」という、まあ水滴とか氷結とかチリみたいなものが、何百万個も集まって「一粒の雨粒」が作られるんですが、その場合に雨粒の中心となる「核(コア)」が必要のようなんですね。

要するに、いくら「粒」が集まっても、その中心となるものがないと雨にはならないのです。

その「中心となる物質が存在して」はじめて雨が作られはじめます。この中心となる物質は「氷晶核」というような言い方をされているみたいですが、上の「100万個」などの粒の中心となるものです。


ice-m01.jpg

雨の成因より。



しかし、この中心となり得る物質は何でもいいわけではないのです。

人工降雨などでは、ヨウ化銀という非常に特殊なものを使いますが、この中心となり得る物質については非常に興味深い事実があります

それは、たとえば、上の図を拝借した雨の成因というページの「雨粒への成長」というセクションにもサラリと書かれていますが、


高い空にはあまり氷晶核となるような物質はない。



という事実があるのです。

つまり、「地上に降る雨ができる高い空には、本来は雨の中心(氷晶核)となり得るような物質があまりないと考えられている」わけです。

でも、実際に雨は降る。

ということは・・・やはり、氷晶核となる物質はあるわけです。

それがないと雨は降らない。

つまり、「高い空にはあまり氷晶核となるような物質はない」のではなく、「わかっていない」というほうが妥当かと思われます。

これは「雲ができる仕組み」がいまだに現代の科学では明確には解明されていないのと同様に、雨についても非常にわかっていないということもあります。




さて・・・さてさてさて(うるせー)、しかし、この雨の中心となる「氷晶核」を最も効率よく作る物質は本当は知られているのです。

それは「有機物」です。

これは、フレッド・ホイル博士の著作『DNA は宇宙を流れる』の解説で、東京大学理学部物理学科卒の翻訳家でジャーナリストの小沢元彦さんという方が、注釈として以下の説明を書かれていますので、抜粋します。


一般には、風にのって運ばれた土壌および鉱物塵粒子などが氷晶核となると言われている。しかし、ほとんどの鉱物は氷晶核としては不活性であり(氷晶核として働かないということ)、例外的に、粘土類のケイ酸塩鉱物がマイナス18℃の大気中で氷晶を作ることが研究によって明らかになっている。なお、人工氷晶核として利用されるヨウ化銀はマイナス4℃でも活性を示す。

氷晶核として最も有効な形状は六万晶系の結晶であるが、表面構造の方がさらに重要であり、結晶構造は核の細かい表面構造を決める部分的要因であるにすぎないと言われている。ある種の複雑な有機物が高い温度で氷晶核として活性化する(たとえばステロイド化合物の場合、マイナス1℃)という事実は、人工降雨研究者の間ではよく知られている。



難しい言い回しなんですが、極めてぶっちゃけて要約すると、「無機物よりもバクテリアのような有機物のほうが氷晶核として有用である可能性がある」ということが言えそうなのです。


しかし、雨が作られるような高層の高い上空に有機物や、ましてバクテリアなどいるのか、というと「いるんです」。これはもう、フレッド・ホイル博士の著作からの受け売りで、抜粋ではなく箇条書きにしますが、


1982年、ケルフ・ジャヤウェーラ博士とパトリック・フラナガン博士というふたりの著名な科学者が、南極海上空7キロで、10種類のバクテリアと31種類の菌類の胞子を発見した。


ということに始まって、その後も高層大気の生物の研究は続いています。

In Deep の過去記事でも、

宇宙のバクテリアを用いての強力な発電実験に成功した英国の研究チーム
 In Deep 2012年02月29日

というニューカッスル大学の研究チームがアメリカ化学会の会報に発表した論文についての報道を紹介したことがありますが、これなど、

「上空 30キロメートルの成層圏で発見されるバクテリアが、生物電池に極めて適していることを発見した

というもので、上空 30キロというと、これはもはや地上から微生物が上昇できる高さではないと考える方が妥当な感じがします。なぜなら、その場所は「成層圏」と呼ばれる場所で、すでに「対流圏」という大気の流れの上にある場所なのです。



▲ 成層圏の位置。


対流圏を越えて、物質や微生物が「上に」上がっていくということは極めて難しいと思うのですが、でも、その高層大気には「たくさんの微生物」がいます。

それらの生物がどこから来たのかということに関しては、現在の科学界では「それは考えないようにしよう」という流れとなっていますので、まあ、どこから来たものでもいいです。宇宙からでも、他の次元でも、とりあえず何でもいいです。

でも、いる。


いずれにしても、雨の降ってくる高い上空には、「雨の核となるような無機物などの物質はほとんどない」けれども、「雨の核となり得る有機物やバクテリアで満ちている」と考えることにはあまり無理がないはずです。

ということは、つまり、

雨は何もかも生物で作られている

という可能性があります。

一粒の雨粒に100万単位での「チリ」(有機物か微生物)が集まっている雨に、「ちょっとでも濡れるだけで、私たちは何千億、何兆もの有機物で体を洗われている」という意味が、これで通じるのではないかと思います。

あと、少し上の話とは違うものですが、過去記事で、

インドの大学の研究で多種の微生物が雨と共に空から降っていることが判明
 In Deep 2010年10月31日

というものもありました。

いずれにしても、オカルトに見えるような話でも、道筋をつけて考えてみると、それはまったくオカルトではないことがわかることが多いです。

私はいわゆるオカルトには最近はほとんど何の興味もないですが、目に見えている現象の真実は、ますます「奇蹟」に見えています。


というわけで、また話が逸れましたけれど、今回の「水星」。

これは In Deep というより、私が「宇宙と人間の存在」というものを勉強する歴史の中での中枢に位置し続けたのが水星でした。これまでどんな感じで「水星」を取り上げたのかを少しご紹介してから、今回の翻訳に入ろうと思います。




この世は「水星」によって存在しているという中世神秘学の理論


最初は昨年の、

突如スポットを浴び始めた「水星」
 In Deep 2011年10月01日

という記事に遡りますが、エメラルド・タブレットと呼ばれる中世神秘学とアルケミーの「奥義」とされるものが描かれている図版には、

「太陽と月の仕事を完成させるのが水星」

という図式の絵が描かれています。
エメラルド・タブレットの下の部分です。



ここは説明としては、


2つの手の上には、7つの惑星が描かれている。

そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。

その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。
水星は男性と女性の両方の性質を持つのだ。
これも、別の方向としての、「逆にあるもの同士を結びつける」ことをあらわす。

太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステムだ。



というような説明となっています。

しかし、そんなオカルティズムだけでは、「だからどうした」と私も思っていたのですけれど、 NASA の探査機メッセンジャーの調査で、「水星は特別な惑星だ」ということがわかってきているのです。

それは「 水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない(2)」という記事にありますが、水星はそれまで、科学者たちから「死んだ惑星」と考えられていたのですが、そんなことはないことがわかってきたのでした。

しかも、水星には下の写真のように「色」がある。



▲ NASA の水星探査機メッセンジャーが送信してきた水星の写真。右のカラー写真は11種類の波長の違うフィルターから NASA が構築した「真実に近い色」の水星の疑似カラー写真。

そして、今回の記事は、アメリカの財団法人であるカーネギー研究所の科学者が、メッセンジャーのデータ解析の中で、「水星の組成は地球や月と全然違う」ということを示していたことを明らかにしています。

2012年という年は、人類科学史の中で、水星が動き始めた年だということは言えそうです。


ちなみに、前回の水星の記事の中でご紹介した、水星のデータ解析を発表したマサチューセッツ工科大学のマリア・ズベール博士も、今回のカーネギー研究所のシャショーナ・ウィーダー博士も共に「女性」なんです。だからどうしたというわけではないのですが、水星の真実に近づいた人物が「女性だった」ということには何となく思うところがあります。


本来なら今は水瓶座の時代のはずで、「女性性の世界」へ突入していく段階にあるはずなのに、それがまったく見えない男性性の様相ばかりの現在。


だからこそ「この世の存在の真実を知る水星」に世界で最初に迫ったふたりが女性だったということは、やはり意味があると私は思います。

kindo.png

(もういいって)


では、ここから記事です。
米国 CNN の報道です。






 



Mercury probe points to different origin for 1st planet
CNN (米国) 2012.09.18


水星探査機は、水星が他の惑星とは違う起源であることを示した


mercury-messenger-2012.jpg


NASA の水星探査機メッセンジャーから送られたX線データは、水星の表面のマグネシウムと硫黄のレベルを調査している。そして、そのデータからは、水星が他の惑星とまったく違った組成であることを示すと科学者たちは言う。

探査機メッセンジャーは、この1年6ヶ月のあいだ、水星からデータを送信し続けてきている。

そのX線のデータからは、水星の表面は、水星の北部にある火山噴火での岩の噴出を通し、地球や月などとは違った組成の平野であることを示す。

米国ワシントンにある財団法人カーネギー研究所のシャショーナ・ウィーダー博士は以下のように述べる。

「探査機メッセンジャーによる水星探査のミッションの前までは、科学者たちは、水星は月などと同じような惑星であるだろうと予測していました。しかし、水星の表面の低いレベルのカルシウムの量は、軽い素材が融解してできた月の表面とは、水星で起きたことは違うことを示します」。

「このデータは、酸素が極度に少ない水星のような環境で、水星に固着した前駆体としての物質の手がかりを私たちに与えてくれるものです」。

水星表面の硫黄濃度は、地球のおよそ 10倍におよぶと博士は言う。

そして、巨大な惑星を作るための鉄のコアが、水星の表面ではごくわずかしか見つからないという。

水星北部は火山が多い平野で、その地域は他の場所とは異なっている。そのクレーターからの年代分析は、現在の水星表面は10億年以上の年月があるという。

この研究成果は、科学専門誌「地球物理研究ジャーナル /Journal of Geophysical Research 」の最新号に掲載された。


水星の大きさは地球の約5パーセントで、太陽の周囲を 88日周期で回っている。

そして、その自転は非常にゆったくりとしていて、一周するのに地球での 58日分の時間がかかる。NASA によると、水星の表面気温は摂氏 425度に達する。




  

2012年09月12日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





昨日の記事「中国の次期最高指導者に身の上に起きたこと」で、山本七平さんの1973年の著作『ある異常体験者の偏見』の中の「フィリピン軍事法廷とシェークスピア劇に共に見られる扇動」の部分について抜粋すると書きましたので、その部分を抜粋いたします。

ところで、その前あたりの記事、

「ニセの化石」に占拠されつつある中国の博物館と古生物学会
 In Deep 2012年09月08日

の最初のほうに「富士山、クラカタウ火山、そして地球の人類史を牛耳る火山噴火」という見出しで火山のことについて少し書きました。

volcano-2012-01.jpg

▲ インドネシアのクラカタウ火山。最近、インドネシア当局は、警報レベルを上から2番目に引き上げました。日本語の報道もあります。






 


そのことに関して、読んでみたかった『西暦535年の大噴火』という本が昨日届きまして、いつものように適当に開いたところに目を通していましたら、535年のクラカタウ火山の噴火と関連して、当時の「日本」についても興味深い記述がたくさんありました。

詳しいことは、次に火山のことを書くときにご紹介しようと思いますが、イギリス人ジャーナリストのデヴィット・キースさんという人が書いたこの本は全部で 400ページ近くあり、その中で日本に関して書かれているのは十数ページなのですが(ヨーロッパ史に多くを費やしている)、その「東洋の悲劇」というセクションの冒頭はこのようなものでした。


「西暦535年の大噴火」デヴィット・キース著より。

「食は天下の本(もと)である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」(『日本書紀』)

日本の代表的な年代記『日本書紀』によると、宣化天皇は536年の詔の中にこのような言葉を残された。『日本書記』は全十二万語に及ぶ大著だが、このような記載はほかに一カ所もない。しかもこの文章が、ちょうど同じ時期に世界中に広まっていた天候異変とまったく同一の現象を記していることは、決して偶然ではない。

日本が国家として出現したのは、世界中の多くの国々と同様に、530年代の気象異変をきっかけとして各方面に変化が生じた六世紀のことだった。

アジア東部の異常気象は、いったいどのような政治・宗教的な大変化となって日本に現れたのだろうか。



と始まり、その時期に、中国、朝鮮半島、日本のすべてを同時に襲った歴史的な飢餓状態と、日本でその後に大流行した致死率の高い伝染病(症状から著者は「天然痘」の可能性が高いと指摘)の後に、中国からの仏教の伝来があり、日本の国家形成に大きな影響を与えたとしています。

私は中学高校とまったく勉強をしなかった(というより意識的に自分から勉強を排除していた)ので、その頃の日本の歴史もよく知らないですが、この「西暦535年の大噴火」には、下の表が出ていました。

j-535-01.jpg


この535年の出来事がどんな自然現象だったのかというのは、実は現在でも確定しているわけではないのですが、「とにかく大きな自然個現象があった」ことは事実のようです。そしてそれはインドネシアのクラカタウ火山の噴火である可能性が高いようです。クラカタウ - Wikipedai には、535年のクラカタウの大規模についてこのようにあります。



535年の大規模な噴火はインドネシアの文明に歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらした。その痕跡は樹木の年輪や極地の火山灰の堆積のような物的なものから歴史文書に至るまで広範囲に亘っている。



とあり、次第に物的証拠も固まってきているようです。


ところで、上の表の一番下にある「日本の中国化」という文字を見た時、昨日のボイスオブロシアの日本語版の記事をふと思い出しました。

下はその記事の最後の部分。
元々の記事はロシア語のもので、書いたのもロシア人記者です。


中国共産党大会を前に日本は中国を助けた
VOR 2012.09.11

諸島付近の状況緊張化と新たな反日行動は、第18回中国共産党大会を目前に控えた現在、政治的観点からいって中国政府には非常に都合のいいものとなっている。

愛国主義的なうねりは社会をひとつにたばね、薄 熙来(はく きらい)とその妻に関するスキャンダルやそのほかの高官と子息のスキャンダルからは視線が逸れるだろう。

上手にプロパガンダを行なえば、愛国主義は大きな政治スキャンダルも中国の経済状況の悪化に関して今後起こりうる反政府行動も大して重要ではない現象になりえる。この意味で日本の尖閣諸島3島国有化は中国の利に働いたといえる。



そんなわけで、6世紀の頃から日本と中国の関係はあまり変わっていないようですが、ここから、山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』からの抜粋です。今の世の中で、繰り広げられる様々が「あるいは扇動かもしれない」ことがなんとなくおわかりかとも思います。

違うのかもしれません。
もちろん、どのように思うかは各人の判断ではあります。




『ある異常体験者の偏見』 アントニーの詐術  山本七平 1973年より。


原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。ということは、まず集団ヒステリーを起こす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。

この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私が説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが、……実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起きるのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁となったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果のもつ扇動=軍人的断言法の話法に進みたい。

まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。

市民の一人 名前は? 正直に言え!
シナ    シナだ。本名だ。
市民の一人 ブチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。
シナ    私は詩人のシナだ、別人だ。
市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、ヘボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ    ちがう。私はあの徒党のシナじゃない。
市民の一人 どうだっていい、名前がシナだ・・・やっちまえ、やっちまえ・・・


こんなことは芝居の世界でしか起こらないと人は思うかも知れない。……しかし、「お前は日本の軍人だな、ヤマモト! ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」、「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです! 憲兵ではありません」、「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起こったのである。

これについては後で後述するが、これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。新聞を見ると、形は変わっても、今でも全く同じ型のことが行われているように私は思う。

一体、どうやるとこういう現象が起こせるのか。扇動というと人は「ヤッチマエー」、「ヤッツケロー」、「タタキノメセー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは、「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の理論」ではない。

すなわち、結果であって原因ではないのである。ここまでくれば、もう先導者の任務は終わったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。というのは、扇動された者はあくまでも自分の意志で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気が一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。(中略)

従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。





そして、しばらく後にこのように続きます。

(ここから抜粋)




事実、事実、事実、事実とつなぎ、その間にたえず、「……でしょうか? ……でありましょうか? ……このことを考えてみましょう! ……たとえそう見えたとしても……ではないでしょうか?」ということばでつなぐ。

これをやっていくうちにしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨海地に達し、連鎖反応を起こして爆発する。……ヤッチマエー、ぶら下げろ−、土下座させろー、絞首台へひったてろー、……から、ツツコメ、ワーまで。






(抜粋ここまで)


私は上にあるシェークスピアの芝居の中にある「どうだっていい、同じ〇〇だ、やっちまえ」という台詞をこの10年くらいだけでも何度見てきたことか、と思います。

その人がいいとか悪いとかではなく、「どうだっていい、同じ〇〇だ」という事例。

同時多発テロのあとの西欧社会のイスラム教徒、領土問題などで利用される際の反〇〇運動(日本、中国、韓国など)、原発問題のあとの電力会社の社員に対して・・・ etc 。

世界中で無限に今も続く「どうだっていい、同じ〇〇だ」 のループ。

そして、上の七平さんの書いてる通りに、


扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。



確かに扇動された者の騒がしいこと!
扇動する側の見えないこと!

今まで何度も何度も繰り返されてきた同じような歴史は今の状態を見ている限りは今後も続きそうで、まあ、それが人間の歴史ということなんでしょうかねえ。

最近の私に漂う一種の絶望感も「生きている中で、何度この光景を見続けるのだろう」というようなことに疲れているということもありそうです。扇動されている人はそれに気づいていないので、仮に指摘をしても「むしろ怒って気勢が上がるだけ」ですので、指摘は意味をなさないです。

場合によって、「何十年も気づかない」。

この素地を植え付けるのが小学校から始まっていると思います。
あるいは、運動などの大会。

「なんで運動でも勉強でも争わないと(比較しないと)いけないのですか?」
「それが決まりだ」

という繰り返しを小さな頃から何千回も言われれば、そういう人間ができます。その先生もそういう教育を受けてきたので「気づいていない」だけで、悪気などはないはずですけれど。


それにしても、私はまったく本を読まない十代だったんですが、タイミングよく何冊かのいい本に当時出会ったと思います。小学生だったか中学生のときだったかに「あること」があって以来、私は本を読まなくなりました。なので、高校を出るまでに読んだ「まともな活字の本」で、全部を読破したものは記憶では5冊だけだと思います。

しかも、それらの本はすべて、レコードでいえばジャケ買い、つまり、本屋でタイトルとジャケットが気に入って、立ち読みしたら面白くて買ったものだけで、出会いはすべて偶然でした。

山本七平さんの著作では『私の中の日本軍』にも大変に感銘を受けました。


これらの本はその後の私に、

「それを自分で考えたか?」
「自分で計算したか?」


ということを考えさせる方向に向けさせてくれました。



  

2012年09月03日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





solar_f-2012-0831.jpg

▲ 何かが破裂したかのような動きを見せた 8月31日の太陽フレア。下に動画があります。






 



今回の記事をすべて書き終わった後に、この冒頭を書き直しているのですが、後半ものすごく長くなってしまいました。なので、太陽フレアの話題を先に持ってきました。


さて、昨日、ブラックホールに関しての下の記事を書きました。

発見された「 130億年前のブラックホール」が放つ矛盾
 In Deep 2012年09月02日

昨日は日曜日で、上の記事を書いた後、子どもとどこかに行こうと思ったのですが、昨日は久々の雨でした。それで図書館に行くことにしました。

歩いて10分くらいのところに市の図書館があり、結構広く、子どもの本もかなりあります。

その図書館の「小中学生向け科学コーナー」にあった本である科学的事実を知り、それなりの衝撃を受けたというか、「子どもの頃にそんなことを習うんだなあ」と、改めて勉強しなかった自分を認識したりした次第ですが、これは昨日の記事に対しての余談ですので、タイトルの「大出血のような太陽フレア」のほうを先に書きます。

ここからです。



大出血のような太陽の破裂


数日前の 8月31日に、太陽で久しぶりにある程度の大きさの太陽フレアが発生しました。何しろ、最近の太陽は、スペースウェザーで「 QUIET SUN (静かな太陽)」という記事が書かれるほど何にも起きない太陽活動最大期ということになっていて、8月31日のMクラスのフレアは久々のものでした。

NASA の太陽観測衛星ソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリー(SDO)が撮影したその際の写真が上に載せたものですが、この「色」は、本当の色ではなく、NASA の太陽観測衛星 はいろいろな波長で太陽を撮影していて、その中でのフレアの動きの見やすいものだと思われます。

NASA の太陽観測衛星の太陽の画像は、たとえば過去記事(「太陽が笑った」 より)のものですが、そのすべてを並べると、下のようにいろいろな色で表示されます。

smiley-face-on-the-sun-02.jpg

▲ 見える光の波長の部分が違うので、それぞれ微妙に違う表面の形となって見えます。


さて、その 8月31日の太陽フレアの姿を、スペースウェザーは「美しさ」の点を強調して書いていましたが、私は、何だか、太陽内の「不要物」を外に吐き出しているような、嘔吐や大出血のような姿に見えてしまい、それでご紹介しようと思った次第です。

その時の動画はスペースウェザーに公開されていますが、オリジナルは数秒で、爆発も「一瞬」ですので、こちらでスローモーションにした動画を貼っておきます。





これが紹介されていたスペースウェザーの記事の文章もご紹介しておきます。
タイトルは「壮麗な太陽フレア」というようなものでした。


MAGNIFICENT ERUPTION
Space Weather 2012.09.02

壮麗な太陽フレア


太陽の南東に巻き付いている磁気フィラメントから 8月31日に大きな太陽フレアが噴出した。このフレアは CME (太陽コロナの大規模な噴出)を伴った。

NASA のソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリーは、これまで撮影されたフレアの中でも、最も美しいもののひとつに数えられることができると思われるその太陽フレアの記録を撮影した。

このフレアは同時に CME を噴出させ、秒速 500キロメートルの速さで宇宙空間を進んでいる。 CME の発生の様子は下の GIF 動画にある。




この CME の雲は直接地球には向かっていないが、多少、地球に磁場での影響があると見られる。

アメリカ海洋大気庁(NOAA)の宇宙天気予報官によると 9月3日(日本時間9月2日)に磁気嵐が発生する確率は約 40パーセントだという。



ということで、この記事の「日本時間の 9月2日に磁場の影響が地球にある」という部分を読んでいて、ふと思ったことがあります。

私の家はベランダから富士山が見えるのですが、昨日の夜、「富士山の上空とその周辺が真っ赤」だったんですよ。

奥さんと子どもにいうと、「あ、ホントだ」と言ってしばらく見ていたので、私だけの錯覚というわけでもないようです。時間は夜の9時近くで、夕焼けとは関係ないし、もともとその方向で町の灯などで空が赤く光ることを見たことがないので、不思議に思っていました。

ちなみに、「何となく赤い」のではなく真っ赤。

大きな火事、花火大会、戦争、急に大都市ができた(こわいわ)、富士山の噴火、など何か理由はあるとは思うのですけど、今朝、ニュースを検索しても別に該当するようなものもなく、どういう現象だったのかなあと。

CME の磁場とか・・・やっぱり関係ないよなあ。

まあ、いずれにしても、そのような「太陽の大爆発」の様子でした。


ここから冒頭に書きました「物質は永遠」についての件です。



250年前に決着がついていた「この世の永遠性」


昨日、図書館に行き、子どもは子どもで自分で本を探していて、私も子どもコーナーの本などを見て歩いていると、「科学 かがく」と書かれたコーナーがありました。

その中に、

「原子の発見」 田中実 著

という本がありました。
「ちくま少年図書43 科学の本」とありますので、こども向けのもののようです。


「子どもコーナーだろ? 原子だと?」と思いつつも何となく手にし、目次を見た時に「うっ」と思いました。
そこには私が知りたいと思ったことがわかりやすく書かれている。

パッと開いたページのセクションのタイトルは、「分子の研究 - 生命は物質から作られる」で、そこを読んでみると、このようにありました(結局、子どもの本に紛れ込ませて借りてきたので、今、手元にあります





「ちくま少年図書 原子の発見」 131ページより。

生きているとはどういうことか。人間も動物も、そして、植物も生きている。生きているものと、生きていないものとは、どこがちがうのか。生きているものが死ぬとは、どういうことなのか。

生命という現象には、まだたくさんの解ききれない秘密がある。しかしそれは自然科学の力によって、しだいに解決されてゆくはずである。どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない。





「どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない」。

上ではじまる章は、そこに前後して、紀元前4世紀に、アリストテレスとデモクリトスが論争をしつつ、ふたりとも共通して、

ものは消えてなくならない。ものが変化して、なくなったように見えても、じつは別のものがそのかわりにできている

という認識を持っていることが長く書かれ、そして、「ラヴォアジエ」という人が登場します。このラヴォアジエという人の登場がひとつのクライマックスといえる感じなんですが・・・私はこの名前を知らなかったのであります。


「それにしても」

と立ち読みしながら思いました。

「これは最近の本ではないな。いつの本だろう」

と思って、奥付を見ると、発行は1979年と書かれてありましたが、しかし、著者の前書きを見ると、この本が最初に発行されたのは 1957年なのだそう。

つまり、50年以上前に「少年本」として発行されたもののようです。
1957年だと私はまだ生まれていない。

どうして、「最近の本ではないな」と思ったかというと、たとえば、上に抜粋したくだりの中も「生命という現象」という表現が出てくるのですが、生命存在に対して、今はこういう表現をする人はいないのではないでしょうか。

「生命の中の現象」とか「生命で起きる現象」だとか、そういうような書き方はあるかもしれないですが、「生命という現象」という書き方は「生命という存在自体を現象としてとらえている」ということだと思われます。

つまり、生命はその存在自体が、他の無機物などの科学現象などと比較できる「物質としての現象である」というニュアンスです。

今の時代だと(少なくとも子ども向けの本などでは)「生命は生命。物質は物質」というような区分に自然となるような感じがするのですが、しかし、50年前の科学界での「空気」のようなものは違ったのかもしれません。そして、この「生命という現象」という言い方は、そのまま、エメラルド・タブレットなど西洋神秘学からアルケミー(錬金術)などの中に漂う、

「万物は一者の適合により一者より来る」

ということに通じる概念だと私は思います。

中世の神秘主義などの根幹には、「生命はすべての宇宙に通じる現象と同じ現象」であり、つまり、人間を含めた生物の中で起きているすべての現象は科学での法則とすべて一致するはず、ということがあったと思います。

これは生命を軽視しているのではなく、真逆で、「生命と宇宙が同一である」ということのひとつの道筋となることだと思います。

つまり、私たち人間も宇宙と差は「まったく」ないということです。


ちなみに、著者の田中実さんという人は、この本が出る前の 1978年に亡くなっていて、現在は、ネット上にも同一人物の記述はないようで詳しいことはわからないですが、奥付からだと東京工業大学の教授だった人のようです。




「不滅」の物質は「生まれない」はずだという確信に至った子ども図書コーナーの午後


さて、ところで上の本で最も感銘したこととは何なのか、ということですが、それは、この世には『物質不滅の法則』というものがあるということでした。現在は「質量保存の法則」という名前になっているようですが、55年前のこの本には「物質不滅の法則」とあります。

その法則とは、Wikipedia の質量保存の法則によれば、


質量保存の法則は、「化学反応の前後で、それに関与する元素の種類と各々の物質量は変わらない」という自然科学における保存則である。



というもので、そして、このアリストテレスの時代から「ものは消えない」と考えられ続けてきたことを実験で証明したのが 18世紀の科学者ラヴォアジエという人だそう。

どうして「ものは消えない」ことに感銘を受けたというと、感覚的な話として、これは、

「宇宙の誕生は存在しなかった」ということに結びつく

からです。
なぜ、感覚的にそう思うか。

たとえば、ここで私の書いている意味とは違うとはいえ、Wikipedia の質量保存の法則の説明ページの最後は次の文章で締めくくられます。


なお、この宇宙全体の質量とエネルギーの総和はゼロである(位置エネルギーは重力ゼロの状態を基準点とするため、マイナスの値を取る)。



この「位置エネルギーは重力ゼロの状態〜」の部分は何のことかわからないですが、宇宙全体の質量の総和がゼロということは、

「宇宙では何も生まれてもいないし消えてもいない」

という概念に結びつき、

「宇宙では常に同じ物質群が形を変えて輪廻しているだけ」

という考え方もできます。

一定量の「輪廻」の中で、この世はまわっているという概念。

つまり、物質は永遠であると。

(※ このようなことが著作「原子の発見」に書かれているわけではなく、あくまで、その本の上のページを読んで私が思った概念です。つまり、このあたりからは科学の話ではなく、この先は「娯楽」の範疇です)


話を戻しますと、永遠というものは文字通り永遠なわけで「終わりがない」という意味だと思います。そして、そこから冷静に考えてみれば、消えないもの、つまり「永遠のもの」というものが「生まれる」? 終わりがないのに始まりだけがある? 

それは変なのではないかと。
終わりがあるものに対して始まりを考えるならともかく、「終わりがない」のなら「始まりもない」のでは? と。

この疑問は以前、 「DNA の寿命がほぼ永遠」ということを知って以来あったものでしたが、今回の物質不滅の法則(質量保存の法則)を知って、この考えはさらに強固になった気がします。

すなわち、やはり私は、


「宇宙はいまだかつて一度も誕生したことがない」


と確信します。

137億年前のビッグバンが正しいとか正しくないとか、そもそも、ビッグバンそのものについてとか、そういうことではないです。「宇宙は生まれたことがない」ということですので、ビッグバン理論がどうだこうだという話ではないです。

しかし、「宇宙は生まれていない」のに、現に確かに存在している。そして、存在しているから、科学の世界では「存在しているものには始まりがあったはずだ」という前提のもとに、始まりを探しはじめる。

2年くらい前に、

超弦理論学者から発表された「宇宙は永遠のサイクル」論
 In Deep 2010年11月29日

という報道をご紹介したことがありましたが、これにしても、「現在の宇宙は何兆年も前に二つの宇宙が衝突したことによって作られた」という話で、やはり始まりを探っている。

なんでも「最初」を探ろうとする。
このあたりは進化論も同じだと思います。
起源を探す。


しかし、実際には「起源」はあらゆる存在には「存在しない」ことなのだと最近は思います。この世に存在するのは「状態」だけだと思います。

つまり、今の人間でいえば、今の人間とその歴史の状態。
宇宙でいえば、今と宇宙の状態。

そして、「宇宙は成長もしないし、終わりもしない」。
何しろ始まりがないのですから終わらない。
「始まりがない」ことの証拠は終わりがないから。

循環、あるいは輪廻を繰り返すだけ。


「生まれもしない宇宙がどうして存在しているんだ?」


といわれると、そんなことは誰にもわからないのだと思います。

でも、「在る」。

それは過去記事から、旧約聖書やコーランの言葉を振り返っても何となくわかる気がします。コーランに至っては神(とされるもの)は「生みはしないし、生まれもしない」と明記されています。

そこを少し遡ってみます。




旧約聖書 出エジプト記 3章14節を思い出してみる


今年のはじめころ、こちらの過去記事を書く中で、旧約聖書の「出エジプト記」というものを知りました。

そこに「有って在るもの」という表現が出てきます。

これはモーセという人が「神」というような感じの存在から語られるシーンです。

ここは日本聖書協会の口語訳では以下のようになっています。


出エジプト記 / 3章 14節

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。


これはですね、はっきり言って「日本語として崩壊している」のですが、しかし、この「出エジプト記 / 3章 14節」というのは、日本語だけではなく、あらゆる言語で訳すのが難しい章だということを今回、調べ直して知りました。

「牧師の書斎」というサイトの出エジプト記3章14節についてというページを見ると、原語であるヘブル語(ヘブライ語)の時点で奇妙なのだそうです。

ehyeh.gif


とヘブル語で書くこの部分はこの牧師の方によると「この出エジプト3:14はまことに不思議なことばです。その一つに発音表記のことがあります」とあり、私にはよくわからないですが、不思議な文字か表現をしているようです。

そして、この部分は「旧約聖書中最も多く論じられてきた箇所のひとつです」ということだそうで、サイトによると、日本語と英語だけでも訳と出版元によって次のように違うようです。

i-am-i-am-a.jpg


フランシスコ会訳の「わたしはある(エーイェ)ものである」あたりは、焼き鳥屋で泥酔して絶叫しているオヤジたちのようで、ヤバゲですが、これはどうしてこんなことになっちゃったのかと考えますと、最初に旧訳聖書を書いた人が意地悪だったというわけではなく、「もともと存在する存在である存在」という概念をうまく表現できなかったのではないですかね。

要するに上に書いた「永遠不滅のこの世」のことです。

「はじまりも終わりもないし、存在でもないもの」からの言葉を神の言葉として書きたかったのだけれど、どうしてもうまく表現できなくて、何だかわからない表現になってしまった・・・けど、「もういいや」と旧約聖書の作者たちが表現を放棄した姿のようにも見えます。


また、イスラム教のコーランにもマッカ啓示 4節 第112章「純正章」に、


言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。アッラーは、自存され、御産みなさらないし、御産れになられたのではない、かれに比べ得る、何ものもない。」



とあり、かれ(アッラー)は、「御産みなさらないし、御産れになられたのではない」と、生まれてもいないし、生みもしないことが明記されています。


そして、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭のセクションのフレーズには、


いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。



とあり、どうやら、神は誰も見たことも(今後見えることも)なさそうで、しかも「父のふところにいる独り子である神」が「神を示された」という非常に難解な表現となっていて、どうやら存在自体が危ういことにも気づきます。

話がどんどん逸れてきましたが、過去記事などで書いたことと、昨日、図書館の子どもコーナーで見つけた「物質不滅の法則」には、明らかに相関した関係があると感じます。

そんなわけで、ここまででも結構長くなっている気もするのですが、ラヴォアジエが 1774年に語った言葉が本に掲載されていますので、そこを抜粋して今回の記事をしめたいと思います。




ラヴォアジエ師が教えてくれる腐敗と燃焼と発酵の意味


ちなみに、ラヴォアジエという人はこういう人です。


アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipediaより。

200px-Antoine_lavoisier.jpg

アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(1743年 - 1794年)はフランス、パリ出身の化学者である。「酸素の発見者」「近代化学の父」。

1774年、精密な定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという質量保存の法則を発見した。



ちなみに、彼はフランス革命で革命側に「処刑」されています。
その下りは、


フランス革命勃発後の1793年に徴税吏であること、徴税請負人の娘と結婚していたことなどを理由に投獄された。1794年5月8日の革命裁判所の審判で「水と有害物質をタバコに混入した」との(架空の)罪で死刑とされ、その日のうちに断頭台で処刑された。



とのこと。
断頭台とはつまりギロチンです。


以下は、そのラヴォアジエが 1774年に、物質不滅の法則(質量保存の法則)について記述したくだりです。途中のカッコは著者の田中実さんの補足です。

なお、少年向けということがあり、原文はひらがなが多いのですが、漢字にしたほうがわかりやすい単語などは漢字にしました。




「原子の世界」 132ページより ラヴォアジエの言葉

植物は空気・水・その他の生命のない世界から、有機物質をつくりあげるのに必要な物質をとりいれる。

動物は植物を食べて、じぶんのからだをつくる。またこのように、植物を食べてそだった動物を食べて、からだをつくる動物もある。動物のからだを形づくる物質は、もとをたどっていくと、空気と鉱物の世界からとりいれられたものである。

発酵・腐敗・燃焼は、動物や植物が、空気や鉱物の世界からかりてきたものを、もとにかえすことである。


(発酵と腐敗が、微生物のはたらきでおこることは、ラヴォアジエの時代にはまだわかっていなかった。しかし、かれのかんがえたことは正しい。もし動物の死骸、枯れた植物が、くさる【腐敗】ということがなかったら、地球は生物の死骸でうずまってしまう)


動物・植物・鉱物(空気もふくめて)の三つの世界のあいだで起こる、このように見事な物質の循環を、自分はどんなやりかたで起こさせているのだろうか。燃焼したり、発酵したり、腐敗したりする有機物質が、燃焼や発酵や腐敗をしない無機物質を材料として、自然界でつくられるのだろうか。これはいまのところ、深入りして研究できない問題だ。

しかし、生物が無機物質から作った有機物質は、燃えてもとの無機物質になり、また有機物は腐敗して無機物質となるのだから、生物のからだのなかで、無機物質から有機物質がつくられるのは、燃焼や腐敗とは逆のはたらきなのだろう。





この部分、特に「発酵・腐敗・燃焼は、動物や植物が、空気や鉱物の世界からかりてきたものを、もとにかえすことである」を読んで、私は図書館で、

ikkyu.jpg


という表情で突っ立っていましたら、横にいた小学生の女の子たちから不思議な顔で見られてしまう(子どもコーナーの本を読んで目を大きくしている不審な中年という構図)という失態をしでかしてしまいました。

今回はここまでです。
なんだか前後の結びつきがムチャクチャで、しかも長くなってすみません。



  

2012年09月02日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。







▲ 過去記事「 宗教的科学信念の崩壊に向けて: 「宇宙最初」の「最初」の起点とは」より 130億年前の銀河団 CLG J02182-05102。いわゆるビッグバンの直後時期の銀河は現在までに多数見つかっていますが、今回見つかったのはブラックホールで「銀河と同時に成長を続けるブラックホールの存在」の発見の話です。






 



この夏は、宇宙でいろいろなものが観測されました。

その中で格別の感があるのが「 130億年前のブラックホール」です。

ところで、そもそもブラックホール(と呼ばれているもの)とは何なのか

報道(新聞やテレビでさえも)などでも「ブラックホール」という言葉は完全に定着していて、あたかも「確定した現象であり存在」として報道されたりしています。

今回の記事に興味を持ったのは、そこに私と同じような疑問のコメントがあったからです。その130億光年の場所のブラックホールの報道記事のコメントに下のようなものがありました。


「今の宇宙モデルでは、ブラックホールは、惑星や銀河より先に形成されるのですか? 誰か教えて下さい」


確かに、ビッグバンとされる130数億年前の「直後」にブラックホールがあるということは、このブラックホールは「他の惑星や銀河より先にできた」ということが考えられます。

(@_@) ?


さて、そもそもブラックホールとは何なのか。
私も実際には知りません。


私たちがブラックホールと呼んでいるものの正体は何なのか


Wikipedia から抜粋してみますが、気になる部分を赤字にしてあります。


ブラックホール - Wikipedia より。(赤字は私によるものです)

ブラックホール

ブラックホールとは、きわめて高密度で大質量で、きわめて強い重力のために物質だけでなく光さえも脱出できない天体のこと。きわめて強い重力のために光さえも抜け出せなくなった時空の領域、とされている

21世紀初頭現在、ブラック・ホールは仮説的存在であり、ブラックホール自体を直接観測することにはまだ成功していない。だが、宇宙の特定のエリアにおいて、ブラックホールが存在すると想定すれば、理論的に予想される物質の運動に相当する宇宙ジェットや、降着円盤やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すと理論的に予想されるX線は観測されていることから、ブラックホールが実際に存在することはほぼ確実だろうと多くの科学者から見なされている。



全編を通して、「仮定の表現」が使われていることを知ります。
この状況というのは、下の過去記事で取り上げた報道の表現と似ていることに気づきます。

科学者たちの「神」の意味
 In Deep 2012年07月05日

上の記事に、科学者たちがどうして現在の宇宙論にこれだけ固執するのかの推察を書いていますが、その理由は「科学者たちにとっての新しい神様」と関係することなのだと思います。その新しい神様は「計算」です。

そして、その計算ができるものだけが神の死者になることができる。
すなわち、「科学者こそ神の使いである」と。

有名な車椅子の博士もそのようなことを言っています。

神なんか出てこなくても計算だけで宇宙なんか描ける

と。


では、簡単な計算から今回の発見について考えてみようと思います。


まず、ブラックホール(と呼ばれているもの)は現在の理論では、どのように生まれるのか。

これも実際には、そもそもブラックホールの定義そのものがまだ確立していないですので、いろいろな意見があるようですが、Wikipedia からお借りしますと、次のようになります。


想定される誕生ブラックホール - Wikipedia より)

質量が太陽の約 30倍以上ある星の場合には、自己重力が中性子の核の縮退圧を凌駕するため、超新星爆発の後も核が重力崩壊を続ける。この段階ではもはや星の収縮を押しとどめるものは何も無いため、重力崩壊はどこまでも進む。こうしてシュバルツシルト面より小さく収縮した天体がブラックホールである。



つまり、「大きな星がその歴史を終えた最後のほうになる状態」がブラックホールということのようです。ちなみに、上に「質量が太陽の約 30倍以上ある星の場合」とありますが、私たちの太陽程度の大きさでは、上のような崩壊はないようですので、もっともっと大きな星でないとブラックホールにはなれません。

そして、その小さな星である私たちの太陽の歴史は少なくとも40億年以上とされていいます。

ところで、私たちの太陽は「どのようにしてできたと考えられているのか」というと、下のようなことになるようです。ここにも赤字を入れました。


太陽 - Wikipedia の「太陽の歴史と未来」より

太陽は過去の超新星の残骸である星間物質から作られた種族の星であり、太陽は超新星爆発で散らばった星間物質がふたたび集まって形成されたと考えられている。

その後、太陽は白色矮星となり、何十億年にもわたってゆっくりと冷えていき、123億年後には収縮も止まる。このシナリオは質量の小さな恒星の典型的な一生であり、恒星としての太陽は非常にありふれた星であると言える。



ということで、太陽は小さいので、超新星→ブラックホールとはならないものの、太陽でも、「その寿命を終えるには123億年かかる」とされているようです。ちなみに、宇宙の年齢は 137億年とされています。


では、超新星とは何か。
あるいは、「どんなものだとされている」のか。


超新星 - Wikipedia より。

超新星は、大質量の恒星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象である。



太陽が作られるための超新星というのは、前提として「大質量の恒星」というものが存在しなければならないことがわかりました。「大質量の恒星」というのは太陽などよりも大きな星のことだと思いますが、ではその「大きな星」はどのくらいの年齢とされているのか。

「星の寿命とされる時間を終えないと、ブラックホールはできない」と思われるからです。

また、赤字は私によります。


恒星の進化過程 - 恒星の寿命 より。

太陽では約100億年、太陽質量の半分の星では約2000億年、太陽質量の0.08倍の星ではなんと数兆年もの寿命があり、逆に太陽質量の2倍の星では20億年、10倍の星では3000〜4000万年、そして現在発見されている太陽質量の200倍の星では100万年程度となり、星の質量が重ければ重い程寿命が短く、つまり中心核が質量が重ければ重い程その重圧に対抗する為にエネルギーを使い果たしてしまうのです。



ということで、現在の宇宙モデルでは「大きな星ほど寿命が短い」ということになるようです。


では、「どうして星は大きくなるのか」。


宇宙の年表 - 宇宙の大規模構造の形成 - Wikipedia より。

ビッグバン理論における構造形成は階層的に、つまり小さい構造が作られてから大きい構造が作られる、というように進んでいる。



となり、「小さなものから大きなものになる」のがビッグバン理論のようです。
しかし一方で、「大きな星ほど寿命が短い」という。

このあたりで、何が何だかよくわかりませんが、しかしわからないまま進めます。

さて、ここまでをまとめますと、


・ブラックホールに至るまでには太陽より大きな星の存在が必要

・そのような星が作られてから崩壊するまでには「(数十〜数千)億年」が必要

・宇宙の年齢は137億歳とされている中で、「巨大なブラックホール」は、その宇宙の誕生のたった7億年後に見つかっている


という一連の流れは、物理を知らない私にとってはやはり矛盾に見えます。


何となくおかしいとは思うけれど、もし「本当におかしい」と、科学者たちの神様が消えてしまう。だから、「おかしい部分はあってはいけない」というところが今回ご紹介する記事の内容でもあります。



「この世は有限なのだから、無限の夢などあきらめなさい」と教わる人の一生はまだまだ続く


ちなみに、宇宙の年齢が 137億年と「決定」されたのは意外と最近で、2003年のことです。10年ほど前。NASA によるマイクロ波というものの観測によって確定したものです。

当時のニュースは、国立天文台・天文ニュースの文献が、アストロアーツに残っています。

» 宇宙年齢:「137億歳」とNASA研究グループが発表
国立天文台・天文ニュース 2003年2月28日

上の記事にはこのようにあります。


観測結果を理論計算をもとに解釈すると、宇宙は「普通」の物質が4パーセント、23パーセントが正体不明のダークマター(暗黒物質)、残り73パーセントがダークエナジー(暗黒エネルギー)によって構成されていることがわかりました。



ここにある「この世の 96パーセントは正体不明のものでできている」というのが現在の宇宙論で、その正体不明のものの正体は、実際には「計算という名の神様」です。





ビッグバン理論というのは細かいことを別にすれば「この世は限りがある」という理論。
つまり、「この世は無限ではない」というお話ではあります。

宇宙は有限である、と。

「はじまりと終わりがある」となっていて、そして、人の一生も有限、つまり「人は一度死ねばそれで終わり(繰り返したりはしない)」という「現行の価値観」に結びつきます。


「この世には無限のものなどないんだよ」と大人に教わりながら子どもたちは成長していき、子どもは早いうちからこの世の永遠の希望に見切りをつけて、永遠の失望の中に生きていく。

さらに、「持つ夢も有限じゃないといけません」という意味のことを常に言われます。

有限の夢とは、目的がハッキリしている夢という意味です。
曖昧ではなく、お金とか、地位とか、職業とか、そういうものです。

逆に「目的がハッキリしていない夢」というのは、今の世の中では嫌われがちです。「目的がハッキリしていない夢」というのは、たとえば、昨日のプッシーライオットの記事の途中などに書きましたような、「宇宙みたいに生きたい」とか、そのたぐい。

あるいは「無限の夢」というのもこの世にとっては邪魔なもの。

「無限の夢とは何か」というのは難しいですが、たとえば、「生きていること(あるいは存在していること)そのものに意味を見いだす」ことなどは無限の夢の根幹とはいえます。

しかし、ご承知のように今の世の中、「自分が存在していることだけに意味を見いだす」という考え方はあまり評価されません。


先生 「A君は何に興味がありますか?」
A君 「ぼくが存在していること」
先生 「では、A君の夢はなんですか」
A君 「存在し続けること」


これでは、あまり大人に好かれません。
(実際、かわいくない。笑)

無限の夢を持つ者は生きる価値なしという世の中。
少なくとも、私の生きてきた四十数年はそういう世の中でした。
そして、それはまだ続きそうです。



ちなみに、どうして科学者は「無限を嫌う」のか?

それは、無限は計算できないから、です。

無限には「0」という概念も「1」という概念も存在しないので、計算できません。




長くなりましたが、ブラックホールの記事はここからです。
デイリーギャラクシーの記事です。






 



Origins of Supermassive Black Holes --Formed 13 Billion Years Ago
Daily Galaxy 2012.09.01


130億年前に作られた超巨大ブラックホール


130billion-black-hole.jpg


この宇宙で最初の超巨大なブラックホールは「ビックバン」のすぐ後に形成されたようだ。

これは、2011年にチューリッヒ大学のルーチョ・マイヤー教授によっておこなわれた国際的な研究チームによる発表によれば、この超巨大なブラックホールは、130億年前に銀河の衝突の中で形成された。

今回の新しい調査結果は、重力と宇宙の起源の構造に関しての理論を理解するために重要なものとなるだろう。

チューリッヒ大学で理論物理学を教えるルーチョ・マイヤー教授と彼の研究チームは、130億年のものと見られる超巨大なブラックホールを発見した。

この130億年前という時期は宇宙開始のごく初期の段階だ。

科学専門誌『ネイチャー』に記述された記事で、研究チームは「ビッグバン」後の最初の10億年で、どのように銀河とブラックホールの形成がなされたのかをコンピュータ・シミュレーションによって説明している。

現在での宇宙理論では、宇宙の年齢は約 140億年とされている。

そして、この研究チームは、「銀河の形成」が当初から思われていたよりもずっと早くにできるということを発見した。

そして、それらの初期の段階の銀河がお互いに衝突して結合した時に、この宇宙で一番最初のブラックホールが生まれたことを研究チームのコンピュータ・シミュレーションは示した。

これまで 20年間以上にわたり、科学の世界では、銀河は段階的に成長すると仮定していた。すなわち、まず最初に重力によって引き合わうことにより小さな構造が形成され、その後、より大きな構造が作られていくという理論だ。

しかし、チューリッヒ大学の研究チームは、その理論を180度回転させたのだ。

「私たちの観測は、銀河や巨大なブラックホールのような巨大な構造が、宇宙の歴史の初期段階においても作られていたことを示します」と、マイヤー教授は言う。

さらに教授は、

「一見すると、この結果は、標準の宇宙モデルの『冷たい暗黒物質(cold dark mater)が銀河を形成する』という理論を否定するようにも見えます」。

と述べる。

しかし、教授によれば、この一見すると矛盾に思われるパラドックスは説明できるものだという。

「宇宙の材料が密集した地域の目に見える部分で、巨大な銀河が形成されるよりも、さらに速いスピードで重力崩壊が起こり、通常より早くブラックホールが作られたのだと考えられます。これで、銀河の形成過程から考えると段階的にはみえないブラックホールの形成を可能とします」。


巨大な銀河と巨大なブラックホールは早く形成される。そして、最も小さな銀河は、よりゆっくりと形成される。たとえば、マイヤー教授が発見した130億年前の銀河は、私たちの天の川銀河の 100倍の大きさがある。

NASA のハッブル宇宙望遠鏡での観測データでは、宇宙の年齢が 8億歳〜9億5000万年歳の時に、その時代に 200個のブラックホールがあることを確認した。


ハワイ大学の天文学の専門家であるエゼケル・トライスター博士はこう言う。

「これまで、初期の宇宙(130億年前など)の銀河にあるブラックホールがどのようなものか、まったくわからなかったのです。それどころか、そのようなものが存在しているのかどうかもわかりませんでした。しかし今、私たち科学者は、その時代にブラックホールが存在しているということを知ったのです」。


銀河とブラックホールが並行的に成長していくことは最近の観測でわかっているが、この関係が、初期の宇宙ですでに始まっていたことを示す。

ブラックホールを研究している物理学者たちは、最初の超巨大なブラックホールがどのように作られたのかをさらに探ろうとしている。





(訳者注) 訳していた初めて知ったのですが、現在の宇宙理論では「小さな銀河より大きな銀河のほうが早くできる」ことは説明できるのですね(苦笑)。

それなら、理論的に何の問題もなさそうです。
(銀河が)多い日も安心。

ところで、このオリジナル記事は上の倍くらい理論的な話と計算の説明が入るのですが、私には訳せない専門知識と計算方法ですので、興味のある方で専門知識のある方は原文の方をお読み下さることをおすすめいたします。



  

2012年08月27日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





jesus-001.jpg







 



数日前に、「世界最悪の修復」というようなタイトルでいろいろなところで報道されたスペインでのニュースはご存じの方が多いと思います。

下のようなものです。


【善意が生んだ悲劇】80代の女性が勝手にキリスト壁画の修復を試みる → 絵が下手すぎて顔が別人に
Livedoor News 2012.08.23

スペインのSanctuary of Mercy Churchという教会には、画家Elias Garcia Martinezが約100年以上前に描いた「Ecce Homo(この人物を見よ)」というイエス・キリストのフレスコ壁画があった。

しかしその壁画は湿気のせいで、18カ月前からぼろぼろ崩れ始め、徐々に元の姿を失いつつあった。地元に住む80代の一人の女性は、それを見て、あることを決心したそうだ。
 
壁画の劣化を、ただじっと見ているだけなんてできない。修復しよう!
 
すると彼女は、塗料と筆を手に、自らキリスト壁画修復作業を開始。教会の運営者の許可もないまま、彼女だけによる修復は着々と進められていった。そして彼女の修復がついに完了した時、それを見た人々は凍りついたという。

なぜなら彼女の絵が、恐ろしく下手だったから! 修復後の壁画には、元のイエス・キリストの姿はどこにもなく、そこにはまるで猿のような生き物が描かれていたとその壁画を見た人は言う。この修復を行った本人も、さすがに「これはダメだ!」と気づいたようで、文化事業を担当している市会議員に連絡をとった。


その「ビフォーアフター」が下です。

new-jesus-01.jpg

▲ 報道より、キリストの宗教画の修復前(左)と修復後。


これに対して「史上最悪の修復」とまで書いているメディアも多数ありました。

上のニュースを私は女性の友人に教えられたのですが、私は即座に、

これ、修復後のほうがいいじゃん。いい顔の人になってる

と思い、そして、「修復前の含みのある左脳顔から毒気が落ちて、まさに無垢そのもののキリスト像!」と私は絶賛しました。

しかし、私がどう思おうと、「このおばあさん、この地で死ぬまで白い目で見られるのかなあ」と思うと、暗澹とした気分になったものでした。

しかし!

事態は報道の翌日から意外な方向に発展していきます。

そして、最終的に、たった2日間で、世界に「下の写真のような世界」がいたるところに出現し始めたのです。


new-world.jpg


今回はその話です。

暗い話題が多い中、「新しいマリア様と新しいキリストがこの世に生まれた」ともいえる話題です。新しいマリア様は 80代ということで、ややヨボヨボなマリア様ですが、キリストをこの世に生んだという意味では、かつてのマリア様と遜色ないです。

今回の経過を報道から順を追って書きます。

上の写真の様々な「修正後」の写真は、今朝の英国のデイリーメールに数多く掲載されていましたので、それも翻訳してご紹介します。

まず、最初の報道の直後に何が起きたか?からです。




新しい神様を歓迎した世界


まず、下の現象が起きました。
AFP の報道から抜粋します。


「世界最悪」の修復キリスト画が大人気、訪問者が急増
AFP 2012年08月26日

「世界最悪の修復」でサルさながらに変貌してしまった102年前のキリストの肖像画を見ようと、スペイン北東部ボルハを訪れる人々が数百人規模に急増している。

この肖像画はスペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネスが1910年に描いたもので、ボルハ市内の教会の柱に直接描かれている。傷みが目立ち始めたため、年齢が 80代とされるセシリア・ヒメネスさんが善意で修復を試みたところ、オリジナルと似ても似つかないとして地元住民から苦情が殺到。静かな町だったボルハに、世界中のメディアの注目が一気に集まった。一部メディアはこれを史上最悪の修復と伝えた。

(中略)

8月25日には教会の外に、興味津々の訪問者の行列ができた。公共テレビ放送のインタビューに応じたある女性は、「以前の絵も大変素晴らしかったけれど、わたしは本当にこれ(修復後の肖像画)が気に入っています」と語った。

ボルハ市に原画を復元する計画を思いとどまるよう求めるオンライン嘆願書には、既に1万8000人もの署名が集まっている。




ということになりました。
要するに、すぐに、

・人々がこの絵を見るために教会に殺到し
・この絵を直さないでほしいという嘆願書が多数集まっている


とという流れとなりました。


new-02.jpg

▲ ボルハ市のその教会。奥にある絵がその現物です。写っている人はさっそく見に来た観光客。このように人々がこの教会に殺到し始め、あっという間に、「世界でも有数のキリスト教関係人気スポット」へと変貌しました。フランスのメディアより。


そして、それと同時にインターネットの世界では、様々な芸術作品に対しての「修復」が始まりました。

キリスト様の顔も修復されたのだから、古典芸術だってキリスト様を見習わなきゃ!とばかりに次々と、世界中の「修復家たち」、つまり第2第3のセシリア・ヒメネスさんが続々と今日も修復を続けています。

このことと、修復作品を英国のデイリーメールの記事からご紹介します。






 



After fresco is destroyed by old lady's restoration attempt, masterpieces of the art world are given an internet makeover
Daily Mail (英国) 2012.08.26


スペインのキリスト画が老婦人の修復によってダメにされた後、インターネットで次々と芸術上の傑作が変えられる


スペインの教会にある19世紀のフラスコ画が老婦人の修復によって、まったく「別の絵」と変わってしまったこと(下の写真)が報道された後、インターネット上ではジョーカーたちにより、次々と手を加えられた歴史的に有名な芸術作品がアップされている。

article-j-01.jpg


80歳のセシリア・ヒメネスさんによる上の「修復画」がインターネットの報道で取り上げられたその晩から、世界中で、様々な芸術作品を「修復」した作品が出現し始めた。


mona-01.jpg

▲ 「修復」されたモナリザ像。


そして、今や、モナリザからアンディ・ウォホールのマリリン・モンロー、そして、ムンクの「叫び」に至るまで、「修復」された作品がインターネット上に並べられている。


scream.jpg

▲ 「修復」されたムンクの「叫び」。


ついには、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作である「最後の晩餐」もご覧の通りに。

last-01.jpg


さらには、1490年から1491年にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた「聖母マリアの最も古い型」としての絵画といわれる「リッタの聖母」までも。

new-mary-jesus.jpg

▲ 「修復」されたリッタの聖母。


古典だけではなく、モダンアートの傑作とされるアンディ・ウォホールの有名なポップアート作品「マリリン・モンロー」は以下のように修復された。

monroe.jpg


普通なら、今回のスペインで起きたような「修復事件」は、町の外では何の注目も集めないはずの出来事のはずだが、しかし、現実にはインターネットでこの出来事が取り上げられるや否や、この教会のドアの前には毎日たくさんの人が並び、絵を見る順番を待っている。

そして、ツィッター上に「フレスコのイエス」( Fresco Jesus )のアカウント名で始められた投稿者にはすでに 4000人のフォロワーがいる。






(訳者注) 上の中でも「最後の晩餐」は本当に楽しそうな最後の晩餐ですねえ(笑)。


この「フレスコ・イエス」の顔を見ていて、ふと、過去記事の、

夢で見た「3つめの太陽」と「笑う黒点」
 In Deep 2012年06月18日

に載せた今年6月17日の太陽の黒点群の写真を思い出しました。




いずれにしても、「誰が描いても八頭身でイケメンで長髪の白人のキリスト像」という、ほとんど信憑性のない中で伝わり続ける偶像のほうだけを重視するより、「楽しいほうが楽しい」とは思います。

ちなみに、「[地球の内なる太陽] Vol.1 - その意味」という過去記事に載せた、中世神秘学の象徴のひとつであるエメラルド・タブレットにあるラテン語の意味は上から、


1 言葉
2 思案
3 運動
4 視力
5 聴力
6 行動
7 性交
8 嗅覚
9 睡眠
10 怒り
11 味覚
12 笑い


となるとのことで、「言葉で始まり笑いで終わるのがこの世の真実」というのが、少なくとも、中世神秘学の価値観のひとつだったようです。




映画『薔薇の名前』のように、14世紀のカトリック修道院で「笑いを禁じていた」というような物語も何となくわかる気がします。

宇宙は「笑い」を人間の実態に必要なものとしていたからこそ、キリスト教はそれを排除しようとしたと。



消えていく「従来のキリスト」

最近、カナダのメディアで、「2005年以降、世界中で急速な勢いで減り続ける宗教信仰者(英語)」という記事がありました。

記事そのものは、タイトル通りで、カナダをはじめとして、世界中で宗教信仰者の数が減り続けているというものでした。宗教の種類は関係なく、ほぼすべての地域と宗教に於いて減っているというものです。

それ自体はまあ、そんなもんだろうなあと思うのですが、面白かったはのこの記事にあったコメントで、ほとんど全員が肯定的なコメントだったこことです。コメント欄は多分、英語圏のキリスト教などの人が多い感じなのですが、代表的なコメントを2つ挙げてみます。


「ゆっくりとだけど、私たちはいい方向に向かっているという気がする。そして、これによって(神と宗教の消失によって)この地球の多くの問題は消えると思う」。


「そのうち「キリストって誰よ?」って時代になるんじゃないの」


これらのコメントの意見が正しいとか正しくないではなく、既成の宗教が消えていくということに関して、(みんなではないでしょうけれど)多くの人々はごく普通にその流れの中にあるのかもと思ったりした次第でした。

まあ、少なくとも、今回のフレスコ・イエスには「変な権威」がない分、かなりの数の人々から純粋に愛されていることは事実だと思います。

宗教を越えて愛されるキリストが生まれた瞬間かも。