2012年06月13日



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私たち人類も他のあらゆる生命たちも「宇宙線にコントロールされている可能性」を感じて



今日は下のニュースを目にしたところからいろいろと調べていくうちに一種の迷宮に入り込んでしまい、結局、何の結論もない記事となりましたことを最初に書いておきます。そのキッカケとなったニュースとは、今朝の「京都新聞」です。






 



抜粋いたします。


宇宙アサガオ、異常早咲き 京産大付属高の3世代目
京都新聞 2012年06月13日

asag-02.jpg


宇宙空間を旅した種子から育った、京都産業大付属高の「宇宙アサガオ」が、通常は夏至以降とされる開花時期より大幅に早く、10日に咲き始めたことが、12日に分かった。帰還2世代目は異常に多くの花をつけたことが確認されており、開花したのは3世代目にあたるアサガオ。同高は、宇宙放射線の影響を裏付ける事象だとみて、さらに研究を進める。

同高生物部は、2010年にスペースシャトルに搭載した種子の3世代目、同じスペースシャトルに載せた、船橋市総合教育センターの種子の3世代目と市販種の3種類を、通常より約3カ月早い3月中旬にまいた。

今月10日から2日間、同高と船橋市の種子から育った計5株に一つずつ花が咲いた。市販種は12日現在、花芽すらついていない。

昨年夏、2世代目は1株当たり300個以上の花をつける突然変異が確認された。生物部顧問の米澤信道教諭は、DNAの塩基配列が変わった可能性があると分析した。

夏至前に開花した直接的な要因として、米澤教諭は、花芽をつくる植物ホルモン「フロリゲン」の異常が疑われるとみている。その上で、「宇宙放射線の影響があったと、より明確にできた」と話している。



この記事を読んで、昨年の読売新聞の「宇宙桜」の記事を思い出した方がいるとしたら、かなりの「宇宙線マニア」だと思います。私も、今回の京都新聞の見出しを見た瞬間に「同じだ!」と思い、それで今回、上の記事をご紹介しました。

昨年の読売新聞の記事はオリジナルはすでにウェブ上にないですが、昨年の In Deep の記事「放射線の中で生き返った植物 (2011年04月22日)

というものの中でご紹介しことがあります。

この頃は、まだ震災後1ヶ月少しで、「放射線の中で生き返った植物」というような、放射能に対して肯定的なニュアンスを含むタイトルをつけるのもどうかなと思ったのですが、当時、「放射能の悪影響を示した正確なデータ」というものを一度も見たことがないという事実が(今でも)あり、どうして放射能が有害なのかがどうしてもわからない面が今でもあります。

まあ、しかし今は放射能についての論議はどうでもいいです。「宇宙に行った植物の超成長」というものについてを記したいだけです。 放射能に関しては、チェルノブイリ後の調査結果について二つの論文の概要を訳して記事にしたことがありますので、ご興味のある方はどうぞ。




話を戻します。

その時に転載した「読売新聞の記事」を再度掲載しておきます。記事そのものは2011年2月のもので、震災前のものです。



宇宙帰りのサクラ異変…なぜか発芽・急成長
読売新聞 2011年02月21日

sakura-1.jpg

地上350キロメートルの国際宇宙ステーション(ISS)で2008年11月から8か月半、保管した桜の種を、地上へ持ち帰って植えたところ、発芽しないはずの種が芽を出すなど、異変が相次いでいることがわかった。

原因は不明だが、無重力で放射線の強い宇宙環境で、遺伝子の突然変異や、細胞が活性化したなどの見方もある。

宇宙を旅した桜の種は、北海道から沖縄まで13地域の子供たちが集めた名木14種類。このうち岐阜市の中将姫(ちゅうじょうひめ)誓願桜(せいがんざくら)は、樹齢1200年と言われるヤマザクラの一種で、米粒ほどの小さな種は、地元の保存会などがまいても発芽せず、接ぎ木でしか増やせなかった。


sakura-2.jpg


保存会が種265粒を宇宙に送り、248粒をまいたところ、昨年春に2粒が発芽した。このうち、10センチの苗木に成長した1本は、葉の遺伝子の簡易鑑定で「他の桜の種が混入したのではなく、誓願桜の可能性が高い」と判定された。

岡山県では、通常は1年に50センチ程度しか伸びない真庭市の醍醐桜(だいござくら)10本が、昨年春に発芽して、今は90センチ以上。うち1本は160センチを超えた。高知県佐川町では、1年に約30センチしか伸びないはずの稚木桜(わかきのさくら)が、約1年で最高135センチに成長した。



要するに、今朝の京都新聞のニュースは、

・宇宙空間を旅したアサガオの種が異常に早く咲いた

というもので、
昨年の桜の話は、

・宇宙空間を旅した「発芽しないはずの桜の種」が芽を出した

というものです。


今朝の京都新聞の記事では、京都産業大付属高の米澤教諭は、以下のふたつのことを記事で述べています。・

・DNAの塩基配列が変わった可能性がある
・宇宙放射線の影響があった可能性



さて、この「宇宙線」。 In Deep でも何度も何度も何度も何度も何度も何度も(もうええわ)出てくるものなんですが、多くは、私たち人類などが「地球にいて受ける宇宙線」の話でした。


先日の「地球文明を破壊する威力を持つウイルス「フレーム」が歩き始めた」という記事の余談で、06月04日の日本経済新聞にあった、「775年、地球に大量の宇宙線 屋久杉から解明」という記事をご紹介しました。

> 名古屋大学の増田公明准教授らは、775年に宇宙から大量の宇宙線が地球に降り注いだことを、屋久杉の年輪の 分析から突き止めた。


というものですが、これも「地球で受ける宇宙線」の話でした。


そして、それらのものと今回の冒頭で紹介したようなアサガオや桜のような「宇宙空間で受ける宇宙線」というのは実は「別物」なのです。

かなり面倒な話になりますが、引用して記しておきます。






 


アサガオや桜が受けたのは「一次宇宙線」。775年の屋久杉や地球の私たち人類が受けるのは「二次宇宙線」

宇宙線というと、宇宙からずーっとやってきて、そのまま地球のあらゆるものを通過して、そのまま通り過ぎていくイメージがありますが、実際には、宇宙からきた宇宙線は、地球の大気に飛び込んだ際に、「核反応」をおこして、変化するようです。

下の説明は、東京大学の東大宇宙線研究所のページから抜粋したものです。


宇宙線は地球に到達して大気中に飛び込み、空気中の酸素や窒素の原子核と核反応を起こします。地球大気に飛び込む前の宇宙線を「一次宇宙線」とよび、大気に飛び込んで変化し新たに生まれた宇宙線を 「二次宇宙線」とよびます。

二次宇宙線は、ミューオン、ニュートリノ、電子、ガンマ線、中性子が主要な成分です。このうち電子やガンマ線は大気中で吸収されて減り、地中まで来るのはミューオンとニュートリノがほとんどです。



とのことで、私たちが地球上で受ける宇宙線、あるいは、775年に屋久杉が大量に受けた宇宙線は、

ミューオン
ニュートリノ
電子
ガンマ線
中性子


などが主なもののようです。

これらは要するに「放射線」で、つまり、私たちは生まれてから死ぬまでずーっと連続して、これらの放射線を浴び続けて生きているわけです。

まあ、ともかく、地球で私たちが受ける宇宙線がこれら「二次宇宙線」といわれるものがメインとなっているようです。「ようです」というのは、まだそれほど宇宙線のことが解明されているわけではないからです。


一方で、今回の冒頭でご紹介したアサガオや、あるいは昨年の「桜」は実際に宇宙空間に行っており、宇宙空間の中で浴びた宇宙線ということで、地球のものとは違う可能性が高いです。

下の図は、京都女子大学の水野ゼミのページにあった図から抜粋したものです。

cos-kyoto.jpg


宇宙からやってくる非常に高エネルギーの陽子などが、地球の大気中の原子などと核反応を起こすことにより、二次宇宙線が発生するようです。そして、地球の生物は常時、被爆しています。

そして、上のアサガオや桜が受けたのは、それとは違う「宇宙の第一次宇宙線が主だった」といえ、この例を見る限り、

宇宙空間の宇宙線は、生物の DNA に対して、地球で受ける宇宙線の影響とは違う影響を与える可能性があるのかもしれない

ということが言えるのかもしれません。

人類もそうかもしれません。とはいえ、これはなかなか確かめられないことだとは思います。

宇宙空間にはこれまで多くの「人類」も宇宙飛行士として赴いているわけですが、その人たちに何か巨大な変化があったのかどうかというとそれは何とも言えない部分があります。

宇宙飛行士の方々に対して、宇宙に行く前と帰還後の「 DNA の比較」などはおこなっていないでしょうし、それはわからないですが、もしかすると、宇宙に行った人々いうのは、目に見えるものではなくとも、何らかの変化を「少なくともご自分などで」経験している方もいるのかもしれないですね。


ところで、ここからはもう話が上の話とまったくつながらなくて、もうグチャグチャですが、宇宙線ということで調べているうちにちょっと面白いことがわかってきたんです。蛇足的な記事ですが、書かせていただきます。

もしかすると、人類はその精神構造を宇宙線にコントロールされているかもしれないというような話です。オカルトですが、そんなにオカルトでもないことはデータでちょっとわかります。



宇宙線の観測値が高い時に荒れる地球の人々

下の図は、モスクワ宇宙線(中性子)観測モニターの 1957年頃から2005年頃までの宇宙線の観測数値のグラフです。

mos-01.jpg


そして、下の図はそこにこちらで日本語などの注釈などを入れたものです。

months.png


この大体50年間くらいで、最も宇宙線の観測数値が高かったのが、グラフでは 1965年ということがわかります。この年は、グラフを見る限りは 1965年の1年間くらいの間、ずっと宇宙線の数値が高かったようです。

そして、最も低かったのが 1992年で、しかも、夏のあたりのほんの短い期間に急速に最低値をつけています。

これを見て、「この頃、地球はどんなんだったんだ?」と思って、年表などを見てみました。

まず、最も宇宙線の観測数値が高かったのが、グラフでは 1965年の1年。

これがすごい。

事件や項目があまりにも多いので、特に大きな事件だと思われるものを抜粋していますが、できれば、下のリンクをご自分で確かめてみられるといいと思います。



1965年に起きた主なこと

Wikipedia より。


・2月7日 - アメリカ軍による北ベトナム爆撃(北爆)開始。
・2月21日 - 米、黒人運動指導者マルコムXが暗殺される。
・3月28日 - チリで大地震発生。
・8月3日 - 長野県松代町で地震、約5年間続く松代群発地震の始まり。
・9月1日 - インドとパキスタン軍がカシミールで衝突(第二次印パ戦争勃発)。
・11月10日 - 中国で文化大革命が始まる。
・11月19日 - 戦後初の「赤字国債」発行が閣議で決定。



北爆開始に第二次印パ戦争に文化大革命・・・。他にもいろいろとあり、1965年という年はまさに「激動の年」だったことがわかります。

さて、それでは、最も宇宙線の観測数値が「低かった」 1992年の夏はどんな感じだったのか。


1992年に起きた主なこと

Wikipedia より・・・・・と抜粋しようと思ったのですが、「ほとんど何もない」のです。



上の Wikipedia のリンクを実際に見ていただきたいと思いますが、本当に大きな事件が何もない。夏から少し遡ると、

4月7日 - ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争始まる。
4月29日 - アメリカのロサンゼルスでロス暴動発生。

というのがありますが、戦争、暴動のたぐいはこれくらい。
北爆や文化大革命と比べるようなものではないということは、少なくとも規模や死者の数からも、おわかりかと思います。

あとまあ、

11月23日 - 風船おじさんがアメリカ大陸を目指して旅立つも、消息不明に。

というのがありますが・・・・・。


以前から、「太陽活動と人間の精神活動」というものがリンクするということは何度も取り上げてきたことがありますが、「宇宙線」という点から考えても、どうやら何かありそうです。

たとえば、下の図は、過去記事「最近のカオスな太陽データから考えるいろいろなこと」というものに載せた、1920年代にロシアで発表された「太陽黒点と戦争や社会暴動の推移の変化の一致」を現したグラフです。




下の太い線のほうが太陽の黒点数で、上の細い線は世界で起きた軍事と政治暴動の数。ほぼ完全な一致を見せています


しかし、どうやら、ここに「宇宙線も関係している」気がします。
私たち人類は宇宙線に何らかを牛耳られているのかもしれないです。


そして、地球での宇宙線の観測値と、太陽活動は「逆相関」でリンクしています。

下の図は即席で作ったものですが、上のモスクワ中性子検出モニタの1960年前後から2005年くらいまでの「太陽黒点数」のグラフです。赤い線が太陽黒点数の増減を現していて、11年周期で黒点は増えたり減ったりします。

ss-1650-2000.png


上の図でも、この50年くらいで宇宙線が最も高かった 1965年には、

黒点はほとんどゼロだった」ことと、宇宙線が最も低かった 1992年には

太陽活動が活発だった

ということがわかります。

これまでの歴史では、

・太陽活動が「弱い」 → 宇宙線の量が「増える」

・太陽活動が「強い」 →宇宙線の量が「減る」


ということになっています。

そして、太陽活動は今、弱くなっていると考えられます。となると、今までの流れで考えると、 宇宙線の量が「増える」ということになっていくと思われます。


そして、上の1965年のデータを見る限り、

・宇宙線の量が増えた時には世界は荒れる


という時代が、少なくとも 1965年に関してはそうでした。


さて、


グチャグチャな展開になりましたが、つまり、これからの世の中は、1965年のように戦争や暴動が吹き荒れ、人心がすさむグチャグチャなことになっていってしまうのか。

それとも、過去のマウンダー極小期のように、「閉鎖的な革命(鎖国、生類憐れみの令など)」が進んでいくのか。

どうなるのでしょうね。

ところで、先日の大阪の通り魔の事件や、渋谷での刺殺事件は大きく報道されましたが、実はこの1ヶ月、「刺殺事件」は報道ベースだけで、10件以上あります。

日本って、こんなに刺殺事件が多い国でしたっけかね。

参考までにリンクしておきます。
「殺人」ではなく、「刺殺事件」だけです。
なので、殺人全体としてはさらに多いはすです。

大阪と渋谷の事件は除いています。
また、すごいと感じたのは、金銭目的や「強盗」は一件くらいしかないことです。




2012年 5月中旬から6月13日までの報道に出た「刺殺」事件

6月13日

女性店員刺され死亡、刺した男は飛び降り重体 (読売新聞)
20代男性刺され死亡=アパート隣室の男逮捕−名古屋 (時事通信)

6月9日

広島市の路上で70歳男性が包丁で胸など刺され死亡 69歳男逮捕 (テレビ新広島)

6月2日

同居していた男性の腹を刺した女逮捕 男性は重傷‎ (テレビ朝日)

5月29日

5歳男児が刺され死亡、母は重体 無理心中の可能性/相模原 (神奈川ニュース)

5月28日

一人暮らしの70歳男性殺される 食事中、背後から刺される? (時事通信)
長男刺され死亡 父親を逮捕 東御市 (信濃毎日新聞) ※東御市は長野県

5月27日

殺人:男性刺され死亡 同居の女を容疑で逮捕 −松山/愛媛 (毎日新聞)

5月23日

男性従業員刺されけが 水戸の中古車店、男が逃走 (産経ニュース)

5月21日

客同士のトラブルか、渋谷駅で男性刺され重体 メトロ副都心線 (産経ニュース)

5月17日

72歳刺され死亡 部屋に物色の跡、複数の刺し傷 (スポニチ)




本当にとりとめのない記事になってしまいましたが、最近の自分の「なんとなくカオスな」心理的な動きや、世の中の感じ。

これらもあるいは宇宙線と関係しているのかもしれないと感じた日でした。



  

2012年06月05日



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明日6月6日に金星の太陽面の通過というイベントが直前となっていますが、前回の2004年の金星の太陽面通過の際に「金星の表面に現れた現象」の話をご紹介します。






 


2004年に金星が太陽を通過した際、金星の周囲に光のアーク(弧)が観測されました。

下の写真のものです。

Robitschek1.jpg

これが今回も見られるかもしれないという米国の科学報道です。


その前に、以前からどうしても書いておきたいとことがあったので、そのことにふれておきます。それは日食と地球と月と太陽の関係の話です。

これは昨年以来ずっと気になっていたことなんですが、しかし、うまく説明することができないまま今日に至っています。



私たちは毎日の朝と夜の奇跡の中で生活している

どの部分がどう奇跡なのかというと、たとえば、私の言葉よりも、日食に関して詳しく書かれている「月と太陽の偉大な一致」という科学サイトのページをご覧いただきたいと思いますが、その中にある次のフレーズなどでもその一端はおわかりになると思います。

まず、前提として、

太陽の直径 1,392,000キロメートル
月の直径 3,476キロメートル


ということ(月は太陽の約 400分の1の直径)

太陽の地球からの距離 149,598,000キロメートル
月の地球からの距離 384,400キロメートル


ということ(距離の差は約 400倍)。

このふたつの数値を念頭に抜粋部分をお読みいただきたいと思います。


月と太陽の概要より

月の直径は太陽の1/400で、月の平均距離は太陽の1/389です。そこで、月と太陽は地球上から見ると同じ大きさに見えます。もし月の直径が273kmも小さかったり、もう少し地球から遠かったら、我々は皆既日食を決して見ることができなかったのです。

月の大きさも地球の衛星としては異常な大きさです。普通、木星ほどの巨大惑星が月ほどの大きさの衛星を従えているものです。

こうして惑星レベルで比較すると、皆既日食が起こること自体が非常に驚異的で珍しい現象なのです。



とあります。

文字ではその実感がおわかりになりにくいかもしれないですので、適当に図を作ってみました。

まず、「太陽」と「月」の直径の差

moon-02.png

太陽の直径が約140万キロメートル。
月の直径は約 3,500キロメートル。

その大きさの差は 約 400倍


そして、地球からの「月」と「太陽」の距離の図
横に描くのは長さ的に無理でしたので、縦にしました。

sun-moon-earth.png

地球から月までの距離は約 38万キロメートル。
地球から太陽までの距離は約 1億5000万キロメートル。

その距離の差は 約400倍


つまり、この共に「400倍」という差が存在するからこそ、皆既日食や金環日食のような現象を私たちは地球から見ることができるのです。

さらに、この差というのはもっともっと日常的な大きなことも含んでいます。

In Deep の今年の過去記事で、

地球と太陽の組成はまったく違うものというオーストラリア国立大学の研究発表
 In Deep 2012年04月06日

というものを書いたことがあります。その前振りで私は日記のようなものを書いていますが、その日、私は、自分の目で初めて「太陽と月が見た目には同じ大きさである」ことを気づいたのですが、実際に同じなのです

その理由が、上の「距離と大きさの400倍の差」によるものです。





▲ 上記の記事で載せた私の部屋から見えた夜の月と、昼の太陽。これを見て、私はアイヌ語における月と太陽の意味。つまり、太陽は「昼の太陽」で、月は「夜の太陽」とアイヌが表現していた意味を知るのでした。


しかし、私はどうして、こんなことを「奇跡」とまで言うのか

それは私たちが教わってきた「宇宙の成り立ちが正しいのなら」まさしくその偶然は奇跡なんです。奇跡すぎるわけです。

つまり、宇宙はある日適当にできて、適当な物理の法則で適当にガスや宇宙塵などが集まって、適当に銀河ができて、適当に恒星(太陽)が作られ、そして、そこに適当に惑星が作られて、そこに適当に月など衛星ができていくという現在の宇宙論。すべては偶然でしかないという現在の科学。

そんな中で私たちが明らかに目にする日食や「月と太陽が同じ大きさ」だというような奇跡。


この「奇跡」に対しての科学的答えは極めて簡単です。

「うーん、不思議に思えても、それは全部偶然だから」。

だけで答えが終わってしまいます。


そうでしょうか?

ホントーにそうなんでしょうか。

ホントーに単なる偶然でここまでの様々な「目に見える状況」が存在しているのでしょうか。



・・・という話ですね。


しかし、だからといって、「これは偶然ではない」となった場合も、今の世の中ではややこしいんですよ。

神様が出て来たり、宇宙の計画だとか、多次元宇宙とか、いろいろと「その人々の立場に応じたオカルトが登場したりする」のです。

宇宙の存在が偶然などではない、ということは私も思います。

しかし、最近私は、じゃあ、宇宙とは何なのか・・・ということに関しては、「私たち人類は一生わからなくていい」と強く考えるようになりました。


私たちは「偶然などひとつも存在しない世界に生きている」ということだけを思っていれば、それであとは日々普通にメシ喰ってクソして寝ればそれでいいのだと思います。


正直、ビッグバンだの進化論というような言葉はもう見たくもないですが、一方で、様々な神々しいスピリチュアルな立派な言葉も同じくらい聞きたくありません。

それは私がパンクスである以上、「キレイな言葉が嫌いだから」ということと、そしてそれ以上に、科学もオカルトもどちらも「宇宙の存在を小さくしている」ように思えるからです。

この世で最も大きな存在。それは「わからないこと」だと最近思います。

そして、出来うるなら「わからないまま死んでいきたい」。

最近そう思います。

というわけで、前置きが長くなりましたが、金星の話題です。
これもなかなかおもしろいですよ。






 


The Mysterious Arc Of Venus


金星の神秘的なアーク


下は 2004年の金星の太陽面通過の際、フランスのトゥールーズで、アマチュア天文家によって撮影された金星からの丸いアーク(弧)の写真だ。


venus-arc.jpg


米国ウィリアムズ大学で天文学を教えるジェイ・パソコフ教授は、その時のことを思い出してこのように言う。

「2004年の金星の太陽面通過の時、はじめてアークを見た時には驚きました。それは、金星が太陽へ移動し始めたすぐ後に、明るい縁が金星の淵の周辺に現れはじめたのです。」


今では、研究者たちは当時、何が起きたかについて理解している。

太陽によってバックライトで照らされた金星の大気が、金星の雲の最上部より上の大気の層を通過し、屈折し、それが望遠鏡と観測衛星からアークが見られた原因となった。

しかし、一方で、このアークの観測は、太陽系第二の惑星である金星の最も謎の部分にも触れることになった。

「私たちの地球の姉妹惑星といえる金星の大気がどうして、地球とは異なって進化したかについて、私たち科学者はまだ理解していません」と、パリ天文台のトーマス・ワイドマン氏は述べる。

地球と金星は、共に太陽から同程度の距離で、惑星の素材も同じ材質で作られており、サイズに関しては、ほとんど双子といっていい惑星だ。それなのに、地球と金星は非常に違う大気の構成に包まれている。

金星の大気は、地球のほぼ 100倍あり、主に、二酸化炭素から構成されている。220マイル時ほどの速度で金星の周囲をめぐり、それらの温室ガス効果によって、金星表面は、高さ20キロメートルほどまで摂氏 480度ほどの高温だ。

人間が金星に降り立った場合、窒息した後に干上がって、そして燃えるだろう。

どうして金星がこのようになったのか、まだまったくわかっていない。



2004-vt-trace.jpg

▲ 2004年の金星のアーク。周辺の輝きは、この弧の温度と大気の状態を示してくれる。


2004年の金星の太陽面通過の際は、急速に出現して変化していくアークに対応しきれなかったが、今回は、すべてにおいて観測の準備は整っている。

2012年6月5日から6日の金星の太陽面通過の観測に関しての世界的な観測ネットワークが組織されており、この現象は世界で一斉にモニターされる。

また、日本の観測衛星「ひので」と NASA の観測衛星ソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリー( SDO )も宇宙からデータを収集する。

金星の太陽面通過への観測の準備は完成している。




  

2012年05月08日



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3歳まで「声」を持たなかった私の子どものこと。
そして、幼児発達学で確立している幼児の成長のこと。

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下のような見出しを先日、Yahoo! ニュースか何かのトップで見かけました。

大阪維新の会 市民団体に陳謝 発達障害めぐる表記

それはこんな感じの内容でした。


発達障害がある子の親らでつくる市民団体は、大阪維新の会が議会提出する方針の家庭教育支援条例案について提出中止を求める要望書を同会市議団に市役所で手渡した。

これに先立ち維新の会代表の橋下徹大阪市長は条例案について記者団に「発達障害の子どもを抱えるお母さんに対し愛情欠如だと宣言するのはちょっと違うのではないか」と苦言を呈した。

条例案の原案は「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」などと明記。発達障害がある子どもの親らから反発が強まっていた。



問題は、下の部分なんですが、

 
> 条例案の原案は「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」などと明記


「乳幼児期の愛着形成の不足」が発達障害の原因だと、この人たちは言いたかったようです。

私は政治に興味がないので、大阪維新の会というものをよく知らないですが、少なくともこの発言ひとつだけとっても、とても不勉強な人たちが集まっていると思わざるを得ません。


しかし、この人たちに文句を言いたいのではなく、今回のことで、多くの親御さんたちが悲しんだり、あるいは、科学的根拠のない偏見を受けるとしたらそれは耐えがたいことです。なので、今回のことは、その何とかの会というグループに対しての反論としてではなく、様々な方に「発達障害」というものについて理解してもらうために書きたいと思います。

ひとつは、私の経験から、あとは各種のデータから書いてみたいと思います。

長くなるかもしれませんが、ここからです。

続きを読む



  

2012年04月16日



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「福島の放射能も野生動物の抗酸化防御システムに悪影響は与えていないだろう」: 英国ポーツマス大学 ジム・スミス教授(国際原子力機関チェルノブイリ・フォーラム元委員)
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(訳者注) ロンドン王立協会は、1660年設立の現存する最も古い科学学会で、イギリスにおける科学者の団体の頂点であり、また、歴史的にも世界で最も権威のある科学団体です。

数日前、その王立協会の発行する学会誌に英国ポーツマス大学の教授の長年の調査による研究結果が発表されるという報道がありました。

その研究結果の内容は、

「チェルノブイリ事故後、現地の野生生物は放射線の影響での損傷や個体数の減少はなかった。むしろ、個体数は増大した」


というものでした。

チェルノブイリの鳥の個体数の長期間の研究で、チェルノブイリの放射能は少なくとも長期的な面からは、野生動物の個体数には影響を与えなかったということが判明したという論文です。

さらに、この研究は「生物が放射線に対抗するメカニズムを解く鍵」も与えてくれるものとなっています。生物にはアンチオキシダント防御メカニズム(抗酸化防御のシステム)というものがあり、これまでの科学者の考え方では、放射能によりこの抗酸化防御のシステムが損傷を受けることによって、生物が死傷したり、個体数が減るという考えだったのですが、「それがなかった」という結論です。

つまり、放射能は生物の生体メカニズムに損傷を与えないという新しい研究発表ということになります。


そして、この論文を書いた教授は「福島の現在の放射能の例にも当てはめられるだろう」と語っています。

つまり、福島とその周辺の野生生物は事故前と変わらずに生体システムに損傷を負うことなく健全に成長し続けるだろうと述べているということになります。


ちなみに、調査を行ったのは、チェルノブイリの事故を 20年間にわたって現地で調査し続けているジム・スミスという科学者で、英国ポーツマス大学の教授であると共に、国際原子力機関チェルノブイリ・フォーラムの委員であった人です。

smith.jpg

▲ チェルノブイリ事故後 20年に渡り続けてきた調査結果を発表したジム・スミス教授。
チェルノブイリ事故調査の第一人者。



チェルノブイリ事故との関わりの深さでは世界の科学者の中でも特に深い関係を持つ科学者の一人だけに、その論文には重みがあります。

なので、早速、翻訳記事に入りたいのですが、記事に入る前に、今回はこのようなわりと正式な研究報告が出たということで、この際、(あくまで私の考えとしてですが)、放射能について書いておきたいことがあります。



東北の神話を信じている私には「そろそろ科学的な方向性の転換」があってもいいと思う最近

先月くらいに、

セシウムは14歳以下の子どもの甲状腺ガンと「関係ない」ことが示される WHO の2006年調査論文
 In Deep 2012年03月06日

という記事を書いたことがあります。

その中で、私自身は昨年以来、放射能の悪影響を気にしたことが一度もないことを書きましたが、しかし、放射能を気にされている方もたくさんいるのも事実なので、「自分からそのこと(放射能は長期的には人体に無害だと思われること)を口にすることは基本的にないと思います」と書きました。

しかし、もう震災から1年を大きく過ぎているわけで、ある程度の「科学的な方向性」はあってもいいように思うのです。今現在、日本(あるいは世界)に存在している放射線に関しての方向性は、科学の方向ではなく、


・心情的な方向性
・イデオロギーとしての方向性
・政治的な利用価値


が主流のような気がするのです。

しかし、大事なことは「事実」だと私は考えています。

その「事実」というのは今回のような例では「調査や研究結果のデータ」ということになりますが、現在、存在するデータ等からの科学の方向性だけで言わせてもらえば、放射能は長期的には無害というデータだけが浮かび上がるとしか思えないのです。


とはいえ、私のモットーは「人はそれぞれ自分の考えたいように考えればいい」ということです。なので、この考えを人に押しつけるつもりはないです。「放射能は害がある」という考えの人の考えを否定するものではないです。


ところで、昨年、 In Deep の「わたしの神話はずっと続いている」という記事の中で、『日月神示』の中矢さんのサイトの「 日月神示にもとづく「10のFACT」(2011年10月24日)」という今日の一言に書かれてあったとこを抜粋したことがありました。

そこにはこのようにありました。

・この世は顕(うつ)し世、実相は「あの世」にある
・一切の事象は必然である
・過去に起きた結果はすべて最善として受け容れる
・絶対の「善」はなく、絶対の「悪」もない
・すべては良くなるための仕組み
・善いこと言えば善くなるし、悪いこと思えば悪くなる
・実践するまでは何も身にはつかない
・日本は潰れたようになるが再生し、世界の親国として甦る
・日本は世界の雛型であり、先駆けて良くなる使命がある
・北(東北)が良くなる、北が光る、北が一番に良くなる



上の10個のうちの最後に、


・北(東北)が良くなる、北が光る、北が一番に良くなる


とあります。

私は、昨年3月の震災以降、東北こそが日本の新しい聖地と思って過ごしてきました。この「東北が良くなる」という光景が現れることを夢にまで見て生きてきましたが、なかなかその徴候は現れませんでした。

しかし、今回の発表は、「福島とその周辺は、今後これまで以上に自然環境が繁栄し、豊かな野生環境と、健全な野生生物の個体数の増加の可能性が期待できる」ことを示します。


ところで、最近、中矢さんの発行されている『玉響』に文章を書かせてもらっていますが、いろいろと思うところがあって、私は自分の名前や自分自身が人前に出てはいけないと今は思っていて、それで玉響でも匿名で書かせてもらっていますが、このブログを読まれている方ならどの記事かすぐわかると思います(このブログのタイトルを自分の名前にしちゃったんで・・・)。

ちなみに、もう私は人前に出ることは今後ないように思います。

集まりですとか、あるいは、演劇などの自分が出るタイプの表現活動も昨年が最後だったかもしれません。

そのことについても今度書かせていただくかもしれませんが、これもまた変な話ですが、昨日、夢に「ヘビ」が出てきて、そのヘビと対話したんです。そして、そのヘビに「お前はいつだって存在していないじゃないか」と、その具体的な証拠と共に告げられて「ハッ」と気づいたことがあったんです。

でも、今回は放射能の大事な話がありますので、このことは今度書きます。

それでは、ここから翻訳記事です。
丁寧に訳したつもりですが、専門用語等で間違いがある場合はありますので、そのあたりはご容赦下さい。



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2012年04月12日



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(訳者注) 上のタイトル通りのもので、人間の DNA の中に地球外生命のメッセージコードが存在するかもしれないということを言っている教授の話です。これを言っているのは、オーストラリアのマッコーリー大学という大学のポール・ダヴィースという教授です。

マッコーリー大学というのはマッコリみたいな名称ですが、極めて著名な大学で、エンジニアリング、テクノロジー、化学の分野でオーストラリアで最高峰の研究機関大学です。


ちなみに、このポール・ダヴィース博士の言うことはほとんど私もその通りのように思っています。真実かどうかはあまり関係なくて、(時の流れを別として)私の考えとほとんど同じと感じました。そういうこともあり、ご紹介します。それこそ、この博士と一緒にマッコリでも飲んで語り明かしたいです。


ところで、記事の最後に、毎回「1年前の In Deep 」というリンクを載せていますが、1年前の記事を見ると、その時にも今日とほとんど同じようなことを考えていたことがわかりました。

2011年04月13日の「ちょっと小休止」という記事ですが、その前日、つまり1年前の4月12日に書いたことにふれていました。

その部分を少し抜粋しておきます。
今回の考えにも通じるような感じです。


夢は未来を予測しない

「人類の宇宙の記憶からの決別」はあらゆる活動と現象に及び、夢も例外ではないのかもしれません。つまり、一般的に言われるように、夢は宇宙の記憶に触れるという現象「ではない」可能性があります。夢も「宇宙の記憶とは関係のない人類の単独の現象」だという言い方にもなるかもしれません。

なので、夢は基本的に社会全体の未来を予知しないと思われます。

夢の正体は、その人の DNA が何十億年(期間は様々)の間に蓄積され保存され続けてきた「その人のもつ DNA だけの過去のあらゆる歴史」に触れていることだと思われます。なので、その個人の宇宙の中の人生で経験したあらゆることに毎晩ふれているといってもいいのかもしれないです。

たとえば、未来のような風景に見えてもそれは過去なのだと思われます。

そして、夢を見る意味は、過去の自分を知ることでのキュア(治療)であると同時に、自分が経てきた何億年、何百億年のすべての人生の学習でもあり、それを見ることで、自分の人生に「自分の価値観」を反映させることができる。

地球の人類文化の中にあるあらゆる価値体系(嗜好、趣味、音楽、文学、芸術など様々なもの)は、夢と現実を DNA の中を相互に行き来する行為の中で確認されて、そして、現実の中で芸術や、あるいは「個性」として花開くということなのかもしれません。

つまり、夢での学習がないと、人類の文化はこれほど多様に展開しなかった可能性を感じます。




へえ・・・。
こんなこと書いたのかあ・・・。

まあ、今も結局同じ考えということで、私は相変わらず何の進歩もないようです。

ただ、最近は上のうちの「過去とか未来」という時間軸も存在しないかもと考えるようになっています。

というわけで、ここから本記事です。
結構おもしろい記事ですので、お読みいただけると嬉しいです。



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2012年03月01日



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今回は翻訳記事ではないです。

前日書きました「米国の火星ミッションが事実上終了へ」という記事を読み直しているうちに、やはり書いておきたいことがあることに気づきました。「どうしてこのようなことになってしまったのか」という根本的な理由に関して、記事では私の考えを書かなかったからですが、やはり書いておきたいと思います。

それはこのブログの存在意義とも直結する大事な話だからです。


ところで、このような宇宙計画の予算の削減に関しては、報道では大体「国家予算の削減の中で」という言葉が併せて使われるために、それを最初に読んでしまうと、「確かにアメリカの予算も大変だしなあ。宇宙どころではないし」と最初に思いこんでしまう部分があります。まあ、予算が大変なのは事実だとしても、それは、今回の NASA の失敗の根本的な理由とは関係ないことです。

米国の宇宙開発の歴史は、その時間も内容も濃いもので、それなのに、オバマ政権下で、(どんな形であれ、大気と生命が生存している星として、火星は人類が最初に訪問できた可能性の高い惑星であるにも関わらず)火星計画が中止となったということは、「NASA のミス」であり、「科学界全体のコペルニクス的転換を促す出来事」なのだとも思います。

そのことを書きたいと思います。

私は米国の政権の事情も、NASA の内幕も知りませんので、内容が合っているとか間違っているということは別としても、これは現在の「全世界の科学的組織が持っている問題と同義だ」と考えていただいてもいいかと思います。

つまり、米国だけでの問題ではなく、日本の国立天文台やJAXAや東大の宇宙研究機構や宇宙線研究所など日本や世界のあらゆる科学機関も「同じ問題を抱えている」(のではないか)と。

なお、世の中には陰謀論がたくさんあり、米国は宇宙の秘密を隠しているとか、 NASA も宇宙の真実を隠している、などの話はたくさんありますが、それに関しては私は知りませんので、「そういうことはない、あるいは関係ない」ということで話を進めます。



科学者集団としての苦悩

米国政府と NASA の関係は、トップのほうの立場にいる人はともかく、政府と NASA それぞれの2つの中にいる人々は「基本的に人種が違う」ということをまず考える必要があります。

つまり、政府という集団が「政治家とその関係者の集団」であるのに対して、 NASA は基本的には「科学者の集団」であるということがあります。この2つの間の溝というのは基本的に深いと思います。

そして、きれいごとを抜きにして、このどちらの集団の人たちも「名誉や名声」、あるいは、「人々からの賞賛」、または「財産」(あるいは研究資金)などを望んでいるとします。

その場合、

・政治家たち

の「名誉と名声」を得る方法と、

・科学者たち

が「名誉と名声」を得る方法はそれぞれ違うということに気づかなければならないと思います。

政治家がどのように名誉を得るのかのほうは私はよく知りませんので、そちらはどうでもいいです。


問題は後者の「科学者が名声を得る」手段。これは政治家のように街頭に立って、研究の内容をマイク演説でいくら繰り返しても得られません。

科学者の名声というのは、

・研究の成果
・実験の成果


が目に見える形で発表され、それが「評価」されないと得ることができないのが通常です。

要するに、ものすごく頭のいい将来有望な科学者でも、「私は将来ものすごい発見と発明をすることが確定しているので、先にノーベル賞の賞金くれない?」と申し述べても、それはもらえません。


どんな科学の賞でも、賞が伴わなくても賞賛や、あるいは「科学史に名前が残る」といった行為には実際の「論文」などが必要です。

その論文の内容自体は理論でもいいし、実験結果でもいいのですが、それが提出され、他の科学者たちの目にふれ、「素晴らしい」と判断された時にはじめて、その科学者は「名誉や名声」を得ることができます。あるいは、研究継続のための「資金」が国や財団などから提供されたりします。その資金がなければ誰も研究を継続できません。

では、その研究の「是非の判断は誰がするのか」。


ここがまずひとつのポイントです。

これを判断するのは、私の家の裏にある焼き鳥屋のオヤジではありません。

「科学界」が判断します。

まず、それぞれの分野の小さなグループや学会などが存在すると思うのですが、詳しいことは知らないですが、いずれにしても、「科学的に認められている学会」が、物理にも化学にもそれぞれのジャンルにあり、そして、上のほうには世界的な権威が存在します。たとえばですが、科学なら米国のアメリカ化学界とか、天文学ならイギリスの王立天文学会とか、そういうものが頂点にあって、

それらから完全に無視されるような研究や人物が世界的な名声を得ることは非常に難しい

ということは、多分言えると思います。

そして、 NASA 。

トップの人たちや職員の中には政治家寄りの人たちも多くいるでしょうけれど、NASA で実際に多く研究や観測や開発をおこなう NASA スタッフの多くは「科学者」だと思われます。

つまり、彼らが名声を得る方法は政治家とは違い、上のように、科学的に認められる。あるいは科学的に驚くべき研究や発見を行わなければ、科学的な名声を得ることは難しいはずです。


さて。


その「科学界」というものに現在、根本的に横たわっている基本的概念が、現在の多くの科学の進展を阻害し、そして、今回の NASA の火星開発の中止のような、一種、無駄な研究の挫折というようなことを生んでしまっています。

その「現在の科学界の基本的な概念」というのが何かというと、いろいろとあるのでしょうが、大きく次のふたつです。

・進化論(あるいは自然選択説)

・宇宙有限論(あるいはビッグバン理論)


です。

そして、現在はすでに、このふたつの科学の基本的理論がすでに機能していなくなっていることを一番知っているのは「科学者たち本人」だと思います。2008年くらいまでなら上の理論のほころびを何とか覆い隠せる程度の発見で済んでいたのですが、もう無理です。

2010年頃からの宇宙での発見や、あるいは極限環境微生物などをはじめとする地球上での新しい生物の発見の数々は上の2つの理論をとどめておくことに限界が生じていることを示しています。

私は素人ですので、理屈からのその理由は書けません。

ただ、ブログで海外の報道や研究論文を翻訳しているうちに、やはり上の2つの理論は「そろそろ真面目に考え直さなければならないのではないか」という思いは以前より強くなっています。


それでも、上に書きました理由のように、現状では「科学界では反逆者やアウトローは生き残れない」という事実があります。科学界のアウトローがどうなるのかを実例を示します。

命か名誉か、どちらかを失った例です。



科学の世界のアウトローたち

西暦 1600年にイタリアの科学者であり修道士のジョルダーノ・ブルーノは「宇宙は無限で、そこに神はいない」と主張して、教会から焼き殺されましたが、今のままではまた同じことが起きてしまう可能性があります。

もちろん、「命」そのものではなく、立場的に焼かれてしまうということですが、それでも、「話すことのできない科学者」は命があるとは言えません。


あるいは、私が、「クレアなひととき」を含めて、ブログを継続して書いている動機となっているもののひとつに、ふと古本で100円で買った英国のフレッド・ホイル博士という人の著作があります。パンスペルミアという概念を知ったのはその著作によります。

フレッド・ホイル博士は、当時、最もノーベル賞に近かったひとりでしたが、博士はノーベル賞を受賞できませんでした。そのくだりは Wikipedia にこのようにあります。


フレッド・ホイルの共同研究者であるウィリアム・ファウラーは1983年にノーベル物理学賞を受賞したが、ホイルの元々の貢献は何らかの理由で見落とされた。ホイルのような著名な天文学者の業績が受賞の対象とならなかったことに対して多くの人々が驚いた。



「ホイルの元々の貢献は何らかの理由で見落とされた」とあります。「何らかの理由」。

これは、フレッド・ホイル博士が、ジョルダーノ・ブルーノと同じで、「その時の科学界の意見に従わなかった」からです。

ホイル博士は一生を通じて、

・ビッグバンの存在の否定
・進化論を否定


というふたつの意見を持ち続けました。

そして、その結果、博士は天文学と元素合成に著しい功績を残しながら、上のような科学界での扱いを受けました。「その貢献は何らかの理由で見落とされ続けた」のです。フレッド・ホイル博士が 17世紀に生きていてたら、ブルーノと同じ運命だったかもしれません。


17世紀には、ジョルダーノ・ブルーノの火刑で見せしめをして、科学界の意見は落ち着きました

20世紀も、フレッド・ホイル博士がノーベル賞を取れなかったという、「立場の焼き殺し」の見せしめによって、やはり科学界は落ち着きました。

その証拠として、今でも多分、学校の教科書には、

・進化論
・ビッグバン

このどちらも掲載されているのではないでしょうか。

そして、これは NASA が火星の発表について慎重になった理由とも直結します。それは前回も書いた「火星へ送った探査機に付着した地球上のバクテリア」の問題とも関係あります。


しかし、まだまだ長くなりそうですので、この話は何回かにわけます。

ニュースの翻訳などもありますので、続けて書くというのではなく、その合間に適度に書きたい時に続けます。


進化論とビッグバン理論のせいで、「発見したものに適切な説明をつけることができない」という事象は世に溢れているはずで、そのタガを外せば、科学は一気に進むと思うのです。

ブルーノが亡くなって 400年経っても世の中の「権威に従え」という基本的な構造はあまり変わっていない。

そのことがどうにも残念です。

今回、ジョルダーノ・ブルーノが自著『無限、宇宙および諸世界について』の最後のくだりで、ブルーノ自身に対して語りかける役割の男性の台詞を書いておこうと思います。
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2012年02月10日



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前回記事:1178年に「二つに割れて炎を噴き出した月」の記録(1)
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ジョルダーノ・ブルーノ・クレーターが示した「月のショッキングな真実」


前回記事をお読みでない場合は、かなり続いた話ですので、前回記事をお読みいただけると嬉しいです。

なお、今回の翻訳記事にある「1178年の出来事」だけを書いておきます。


カンタベリー修道院の僧侶ガーベイス「年代記」より

この年(1178年)、聖ジョン祭の前の日曜日の日没後、月にむかって坐っていた5人以上の人が素晴らしい光景を目撃した。(中略)突然、月の弧の上半分が二つに分かれた。

分裂した中心から、たいまつのような炎が舞い上がり、火焔と火の粉とスパークが遠くまで飛び散った。

その間、月はその体をもだえさせ、ふるわせた。その後は月は元の状態に戻った。しかしこの現象は12回以上も繰り返して起こり、そしてその後平常に戻った。




それでは、翻訳はここからです。

後半の科学的解説が、私の科学的理解の不足のせいでどうもうまく訳せませんでしたが、最近の NASA の月の周回衛星からの詳細な画像や、日本の「かぐや」のデータにより、ジョルダーノ・ブルーノ・クレーターの年齢は少なくとも 100万歳というような数百万年規模の歴史を持っていて、 1178年の月での出来事とは関係がないということのようです。




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次記事:1178年に「二つに割れて炎を噴き出した月」の記録(2)
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ジョルダーノ・ブルーノ・クレーターが示唆する「ショッキングな月の真実」

東映の『仁義なき戦い』シリーズという深作欣二監督の一連の映画があります。私は、このシリーズの中で、金子信雄さんの出ている作品が大好きで、金子さん出演の5本は今まで何十回も見ていて、劇中の台詞もおおかたおぼえています。

その中のひとつ 1974年の『新 仁義なき戦い』という作品のラストは、金子信雄さん演じる組長が、菅原文太さん演じる部下を(敵対する相手を殺したことに対して)褒めちぎるシーンで終わります。そこでは、金子信雄さんが、


「ありがとう、ありがとう。ありがとうございました。ほんまにええことしなさったのお。お前は日本一の極道じゃ」



と菅原文太さんに言います。
下の場面です。

shin-jingi.jpg


私はこの同じ言葉を 16世紀の修道士ジョルダーノ・ブルーノにかけてあげたいと思います(なんちゅー前振りだ)。「ほんまにええことしなさったのお」と言いたいです。




▲ ジョルダーノ・ブルーノ(1548年 – 1600年2月17日)。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、1600年に火刑に処せられた。


まあ、ジョルダーノ・ブルーノは極道ではありませんが、教会から火あぶりになっていますので、当時として「キリスト教的極道」とは言えたかもしれません。今回はその「ジョルダーノ・ブルーノ」と「月」の話なんですが、引用や資料が多くなりそうで、長くなるかもしれません。


まず、タイトルにした「ジョルダーノ・ブルーノ・クレーター」というものなんですが、私はこういうものの存在を今朝のニュースを見るまで知らなかったですので、そこから入ることにします。

月にはたくさんのクレーターがありますが、その中に「ジョルダーノ・ブルーノの名前を冠したクレーター」があるそうなのです。そして、その周辺に漂っている話はものすごいものなのでした。


ちなみに、翻訳するニュース自体は、そのジョルダーノ・ブルーノ・クレーターというもののできた年が「現在考えられているより古いものと思われる」というものなのですが、どうして、この「現在考えられているより古いものと思われる」という響きが衝撃的なのかということになります。

あと、つい最近 NASA は「月の裏側の鮮明な画像」を撮影することにも成功していて、どうも、「月に関してのシンクロニシティ」というものが世界的に始まっているようです。


なお、ジョルダーノ・ブルーノという人がどういう人かについては、過去記事で取り上げたことがありますので、リンクしておきます。



ちなみに、私の宇宙に対しての考え方は、この人と大体同じような感じです。
つまり、


・宇宙の中心などどこにも存在せず(つまり、無限)
・地球も太陽も宇宙の一つの星にすぎなく
・神とは心の中に内在する存在であって、宇宙のどこかから地球を見ているものではない



というような彼の考え方です。

まあ、この1つめと3つめあたりで火刑になっちゃったと思いますけれど。


それでは、これから書くのですが、途中どのように進むのか見当がつきませんので、あまりにも長くなったらごめんなさい。

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2012年01月16日



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前回の記事「「聖書は日本人のために書かれた」という奇妙な概念の存在」の続きのようなものです。

あんまりこの話だけを長引かせたくはないので、今回のでとりあえず終わりとしたいですが、その記事で一部引用させていただいた『聖書との対話』という福田定良さんという方の書かれた本を酒を飲みながら、いつものようにパラパラとテキトー読みをしていたんですが、その中にとても印象深い話が載っていたのでご紹介したいと思いました。

それは「(聖書での)神と人間の関係」についての話でした。


ちなみに、書いたものを読んでみるとものすごく長くて、途中が文字ばかりで何か味気ないですので(苦笑)、最初に昨日見た結構すごい写真を載せておきます。

昨日のスペースウェザーのトップにあったもので、スウェーデンのエステルスンドという町で撮影された極域成層圏雲( Polar Stratospheric Cloud )というものだそうです。

colored-cloud-2.jpg


マイナス80度などの超低温の層圏で発生するものだそう。
まあ、きれいといえば、きれいだし、見方によっては不安げでもあります。

そういえば、1月3日の記事に書いた神社で見た彩雲はこれのごく小規模な感じのものでした。


さて、それでは、ここから話に入ります。

ところで、この『聖書との対話』の著者である福田定良さんという人は、生い立ち自体もわりと印象的です。




『聖書との対話』著者が聖書にふれるまで

・戦前、幼少の時に寺にもらわれ、お寺が養家となる。

・将来の僧侶として育てられる。

・寺の近くの男性に「僧侶になるなら『聖書』という本も読まないとダメだ。お経だけ読んでいちゃ、いい僧侶にはならない」と言われる。

・大学の哲学科に進学し、学科の関係でも聖書を読む必要が出てくる。

・その後、第二次大戦が始まり、1944年にインドネシアのハルマヘラ島の野戦病院で看護士として派遣され、終戦までそこにいる。

・その野戦病院に戦闘で負傷して入院していた軍人から「はじめにことばあり。ことばは神とともにあり。ことばは神なりき」からはじまるヨハネ伝をすべて口ずさまれるという体験をする。

・その後、戦地で入院中のその軍人から聖書に関してのたくさんの講釈をきくことになる。その軍人は、聖書をほぼ暗記していた。

・その出会いから終戦に至るまで、様々な話や人との出会いが続く。






というものです。

要するに、この著者の福田さんという人は、生まれてから「どう転んでも、聖書のほうに引き寄せられる人生だった」といえるような感じがします。お寺に引き取られた話、大学、戦争。すべてがそこに向かっていた人生だったように見えます。

そして、この人は一度も「特定の宗教も信仰もなかった」という点も特筆です。キリスト教徒であったこともありません。

それは信心がないというより、「信奉する理屈がない」という感じがとてもいたしました。

このあたりは何となく私と似ています。


「どうして私たち人類は存在しているのか」だけを考え続けた 2011年3月11日以降

自分はそもそも生きていて、それでたまには幸せだったり幸せでなかったりを感じますが、生きていて存在しているのに「どうして神や宗教を持たなければならないのだろう」という「理屈」が今に至るまでわからないのです。

最近、それは「宇宙」であり、「存在そのものである」という方向に行ってはいますが、しかし、私は宇宙を信奉しているわけではない。なぜなら、シュタイナーなどの言う西洋神秘学の考えでは、「宇宙はすでに死んでいる」わけで、それを信奉するのは何かおかしい。

物理的な周期を法則の中で繰り返している宇宙はすでに生きていなく、それを生かすために「人類は誕生した」というのが、西洋神秘学の根幹だと思われます。

このあたりは私は完全な素人ですので、これ以上は書けないですが、2011年3月11日の震災後の数ヶ月、ずっとこのブログに書き続けた中にそのことに何度かふれていますので、該当する記事をリンクしておきます。


日記が多いですので、「このあたりにその記述があります」と書いておきます。

ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」
(2011年05月09日) ※ この記事は大体全部その関係です。

人類の現在 (2011年04月11日) ※最初のほうの「予言からの離脱」というセクションあたりから。


まあ、震災後の2ヶ月くらいは上のような記事ばかり書いていたので、どれも似たようなものですが、日本を襲ったあの災害の中で、「私たち人類はどうしてこの世に存在しているのだろう」と考えないほうが不自然で、毎日、いろいろなところを歩き回りながら、そのことばかり考えていました。

そして、このこと(私たちはどうしてこの世に存在しているのだろうということ)を考えるのをやめた時点で、「私たちは存在しないも同然かもしれない」ということにも薄々気づいてきました。しかし、その「どうして存在しているのか」ということについてはわかるわけもないし、今後も実際の部分はわからないと思います。

なぜなら、多分、「実際には何も存在しない」と思えて仕方ないからです。

しかし、存在しない中で、私たちはさらに考え続ける。
あるいは、「考えることだけ」が存在の意味なのかもしれません。


何だか、また話が逸れていますが、本題である『聖書との対話』の「とても印象深い話」というのをご紹介します。

これは、この本の作者の福田さんが、インドネシアの戦地で、多分、1944年だと思いますが、野戦病院にいた軍人の言葉として書かれています。

その軍人さんが病院にいる数週間の間、毎日毎日聞かされていた数々の話を覚えていたり、書き留めていたもののようです。なので、その人の「語り口調」で再現されています。膨大に長いもので、そのごく一部の抜粋です。

その中に出てくるいくつかの言葉が印象的でした。

ちなみに、ここに出てくる聖書の「ヨシュア記」とか「出エジプト記」いうものを私は読んだこともなく、その内容を知りませんので、書かれてある聖書の内容自体が正しいのかどうかはわかりません。

なので、下手な編集も出来ないので、その部分を、カッコなども含めて原文のまま抜粋しています。改行だけ適時しています。

このくだりは、「モーセが生まれたことを語った後」からのものです。

(ここからです)



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2012年01月10日



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(訳者注) 今回は何かのニュースではないのですが、最近、ふと気づくと、この

the entire Universe is One and that what we think of as "reality" is just an illusion
「すべて(の宇宙)はひとつであり、そして、私たちが『現実』と考えていることは幻影に過ぎない」



というようなフレーズをネットなどで目にします。

今回は、YouTube に誰かが作ってアップした動画に偶然行き当たりました。英語のものなんですが、内容を訳してご紹介するには、少し長く、しかも、あまりよくわからないものなのですが、いろいろな人たちの言葉、言動、行動などをまとめているもののようです。


ちなみに、私自身、上の「ような」意味、すなわち、


すべてはひとつであり、実際には現実(この世)は存在しない


という概念は、昨年の後半くらいからの私のグリグリの概念で、今では完全にそう考えています

しかし、それをそのまま言ったところで他の人に伝わるものでもないし、それに、何より自分でもよくわからないということがあります。


なので、私は「理屈」が欲しいんだと思います。


In Deep で、たまに取り上げる記事の中での存在論や物理論は、できれば、自分でもその「すべてはひとつであり、実際には現実は存在しない」ということをひとつひとつ「理屈」と重ねながら理解したいという意味なのかもしれません。



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▲ その YouTube 動画より。「これらのひとつの輝く集団は、何兆光年もの範囲にわたっている」というような感じのことが書いてあります。


考えてみれば、このブログに、「 In Deep 」というタイトルをつけた時から、この「リアルとは何か」という命題と共存していくことになるような感じは予想されたような気もいたします。このブログのタイトルの元となった、しりあがり寿さんの『弥次喜多 In Deep 』という漫画の最終的なテーマは「この世は存在するのだろうか」でした。


登場人物たちは常に「リアルとは何か」と自らに、そして、他人に問い続けて、江戸の時代を生き続けます。


リアルとは何か?


そして、『弥次喜多 In Deep 』での結論は、「現実は存在しないからこそ、自分の足で前へ進んで現実を作っていく」というところで終わっています。つまり、「現実が存在しようがしまいが、私たちは日々、前や後ろに進んで、そして、感情を表して、物理的な動きと観念的な動きを提示し続ける」ということ。


それが「人間」だと。


私も今はそう思っていますが、しかし、現実の発表やニュースの中で、もっとそれを確かに知りたい気持ちもあって、今後もそういうニュースを見つけたいとは思います。

そんなわけで、その YouTube のビデオの説明文を翻訳しておきます。
この人は「宇宙そのものが意識」だと書いています。

なお、文中で言葉を引用されているニールス・ボーアという人は、1922年にノーベル物理学賞を受賞した科学者で、こちらによると、「量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した」という人のようです。


bohr.jpeg

▲ ニールス・ボーア。1920年代。

では、ここからです。




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タグ:意識 量子論