2012年02月10日



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1178年に「二つに割れて炎を噴き出した月」の記録(2)



前回記事:1178年に「二つに割れて炎を噴き出した月」の記録(1)
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ジョルダーノ・ブルーノ・クレーターが示した「月のショッキングな真実」


(訳者注) 前回記事をお読みでない場合は、かなり続いた話ですので、前回記事をお読みいただけると嬉しいです。

なお、今回の翻訳記事にある「1178年の出来事」だけを書いておきます。


カンタベリー修道院の僧侶ガーベイス「年代記」より

この年(1178年)、聖ジョン祭の前の日曜日の日没後、月にむかって坐っていた5人以上の人が素晴らしい光景を目撃した。(中略)突然、月の弧の上半分が二つに分かれた。

分裂した中心から、たいまつのような炎が舞い上がり、火焔と火の粉とスパークが遠くまで飛び散った。

その間、月はその体をもだえさせ、ふるわせた。その後は月は元の状態に戻った。しかしこの現象は12回以上も繰り返して起こり、そしてその後平常に戻った。




それでは、翻訳はここからです。

後半の科学的解説が、私の科学的理解の不足のせいでどうもうまく訳せませんでしたが、最近の NASA の月の周回衛星からの詳細な画像や、日本の「かぐや」のデータにより、ジョルダーノ・ブルーノ・クレーターの年齢は少なくとも 100万歳というような数百万年規模の歴史を持っていて、 1178年の月での出来事とは関係がないということのようです。



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次記事:1178年に「二つに割れて炎を噴き出した月」の記録(2)
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ジョルダーノ・ブルーノ・クレーターが示唆する「ショッキングな月の真実」

(訳者注) 東映の『仁義なき戦い』シリーズという深作欣二監督の一連の映画があります。私は、このシリーズの中で、金子信雄さんの出ている作品(だけ)が大好きで、金子さん出演の5本は今まで何十回も見ていて、劇中の台詞もおおかたおぼえています。

その中のひとつ 1974年の『新 仁義なき戦い』という作品のラストは、金子信雄演じる組長が、菅原文太演じる部下を(敵対する相手を殺したことに対して)褒めちぎるシーンで終わります。そこでは、金子信雄さんが、


「ありがとう、ありがとう。ありがとうございました。ほんまにええことしなさったのお。お前は日本一の極道じゃ」



と菅原文太に言います。
下の場面です。

shin-jingi.jpg


私はこの同じ言葉を 16世紀の修道士ジョルダーノ・ブルーノにかけてあげたいと思います(なんちゅー前振りだ)。「ほんまにええことしなさったのお」と言いたいです。




▲ ジョルダーノ・ブルーノ(1548年 – 1600年2月17日)。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、1600年に火刑に処せられた。


まあ、ジョルダーノ・ブルーノは極道ではありませんが、教会から火あぶりになっていますので、当時として「キリスト教的極道」とは言えたかもしれません。今回はその「ジョルダーノ・ブルーノ」と「月」の話なんですが、引用や資料が多くなりそうで、長くなるかもしれません。


まず、タイトルにした「ジョルダーノ・ブルーノ・クレーター」というものなんですが、私はこういうものの存在を今朝のニュースを見るまで知らなかったですので、そこから入ることにします。

月にはたくさんのクレーターがありますが、その中に「ジョルダーノ・ブルーノの名前を冠したクレーター」があるそうなのです。そして、その周辺に漂っている話はものすごいものなのでした。


ちなみに、翻訳するニュース自体は、そのジョルダーノ・ブルーノ・クレーターというもののできた年が「現在考えられているより古いものと思われる」というものなのですが、どうして、この「現在考えられているより古いものと思われる」という響きが衝撃的なのかということになります。

あと、つい最近 NASA は「月の裏側の鮮明な画像」を撮影することにも成功していて、どうも、「月に関してのシンクロニシティ」というものが世界的に始まっているようです。


なお、ジョルダーノ・ブルーノという人がどういう人かについては、過去記事で取り上げたことがありますので、リンクしておきます。



ちなみに、私の宇宙に対しての考え方は、この人と大体同じような感じです。
つまり、


・宇宙の中心などどこにも存在せず(つまり、無限)
・地球も太陽も宇宙の一つの星にすぎなく
・神とは心の中に内在する存在であって、宇宙のどこかから地球を見ているものではない



というような彼の考え方です。

まあ、この1つめと3つめあたりで火刑になっちゃったと思いますけれど。


それでは、これから書くのですが、途中どのように進むのか見当がつきませんので、あまりにも長くなったらごめんなさい。

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2012年02月07日



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2週間くらい前に、「ポーランドの町で道路の地下水道から血が溢れ出て、道が血で赤く染まった」という出来事があったんですね。流れていたのは本物の血でした。


polish-blood.jpg

Polish town in shock as blood bubbles from drains
(地下から血が吹き出てショックを受けるポーランドの町)

(テレグラフ 2012.01.26)より。



原因はすぐにわかって、この通りの近くに食肉加工の工場があり、そこから流れた動物の血液が、配水管が詰まるか何かの問題によって道路に溢れ出てきたと。まあ、そういうことがわかったんです。

要するに、不気味な事件ではありながら、原因はわりとはっきりとしていて、その時は「ふーん」と思っただけだったんですが、ずっと何かこのことが頭の中に引っかかっていたんですね。



「私は視覚を持っていた」ということに気づかせてくれた動物の血

で、今朝、ニュースを読んでいる中で、以前、 In Deep の「カナダのテレビニュースでの謎の音についての報道 (2012年01月29日)」という記事のうしろでちょっとご紹介した英国に降った「ブルーの物体」についてのことが載っていて、「その原因がわかった」という科学者のコメントが出ている記事があったんですね。



▲ 英国に降ったブルーの物体。


「原因がわかった」という記事は、英国のガーディアンのもので、その青い物質は、「ポリアクリル酸ナトリウム」というものだったそうで、これはポリマーみたいなもので、いろいろな生活用品に使用されているものだそう。それが悪天候等の理由で降ってきたのだろうということでした。

まあ、その理由もどうでもいいんです。


問題はこれまで何度も読んだり聞いたりしてきた、この、

「〜の原因がわかった」

とか

「〜のミステリーの謎が解決した」

とかのフレーズ。

私自身も、そういうのを聞いて「ふーん、そうだったのか」と納得して、それで興味が終わってしまうことが多々ありました。


しかし、問題は・・・というか、つまり、もともと自分がそれらに興味を持ったのは、「ミステリーだからではなく、色や形に興味を持ったからだろう」と。そのことに気づいた次第です。


血で染まった赤い道路も、英国で空から降った青いゼリーも、説明がつくとかつかないとかが問題なのではなく、「見た目に興味を持った」ということが(自分にとっては)最も重要なことであって、理由や原因が重要なわけではないということに気づいたのです。

こんなことに気づいていなかったことに、つくづく、自分でも呆れて、


「何のために視覚を持って生きてんだ? オレは」


と自分に問いかけましたよ。

中には、「人類史でほとんど見られたことがないような現象」というものも、ここ数年はよく起き続けていました。

そして多くは科学者などによって理由が説明されてきました。しかし、理由がわかったからといっても現象自体への興味を失っているのでは、「せっかく起きているそれらの現象や物事」に何だか申しわけが立たない。


私たち人類は漫然とこの地球や、あるいは宇宙にいるのではないと最近は思います。多分ですけど。

そして、感覚がある人はその感覚を使うことに「意味」を求められている。

あるいは、もしかすると、今は確かに地球は変化しつつあって、だからこそ、それまでの歴史では見られなかった様々な「視覚」を私たちは見られているのかもしれないです。

宇宙の姿も非常にきれいになりました。
それは、「観測機器が進歩した」という確かな理由がありながら、考えてみれば、「その美しさが見えた感動そのもの」を忘れそうになっていたと。宇宙観測機器がナンバー1なのではなく、見える対象(宇宙の光景)がナンバー1だということを忘れそうになっている。

これは宇宙にも失礼だし、観測機材を作り出した人類に対しても失礼な感じがします。


そんなわけで、ふとそんなことを気づかせてくれたのは、ポーランドの食肉加工処理工場で死んでいった動物たちの大量の血液の色によってでしたが、今まで、 In Deep と、その前のブログなどで、「視覚に訴えてきた自然現象」の中で、人類史の中でそれまで起きた記録があまりないようなことの写真をここからピックアップしたいと思います。

それらの原因は、わかっているものもあれば、わかっていないものもあります。しかし、世界中の人々がそれをニュースにしたり、それを読んだりしたのは原因がわからないからではなく、「目に見える現象として心に訴えてきたから」であることは確かだと思います。

原因とか、あるいはフェイクだとか、そういうことは考えずに見てみると、「私たちの目はいろいろなものを見ていた」(映像だけでも)ということに気づきます。

すべてここ3年くらいの間のものです。
ここからです。



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タグ:地球の記録

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2012年01月25日



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synchronicity-energy.jpg


先日の記事「かつてない姿を見せ始めた『天地創造の柱』と呼ばれる星雲」での前振りの文章の中に「エネルギー」という言葉が出ています。

その「エネルギー」という言葉を考えていた時に、ふと、「シンクロニシティ」という言葉も同時に浮かびました。

そういえば、どちらもクリフ・ハイの好きなエッセイにあったなあ

と思い出したのでした。

クリフ・ハイという人はウェブボット・プロジェクトの代表的な人物です。

「シンクロニシティ」という意味の正確なところを私は知らないですが、そんなに難しい意味で考えなくとも、人との体験に関して「ああそれ、オレもオレも」とか、「またこの数かよ」とか、そういうような単純な話なんですが、ここ2、3年でなんとなくそういう共時的なことが増えていることは感じていましたが、最近は特に著しく感じます。

知り合いの人なんかとのメールでも、体験や感覚や、あるいは場所や数や日付けなどが妙な偶然を見せ続けるというようなことです。

私自身は、そのこと自体にあまり特別な意味を見いだそうとしないようにしていますが、それでも、そういう共時性というのか、シンクロというのか、そういうようなものの発生の度合いや、あるいはスピードが加速していることは感じられます。以前よりも多くのシンクロがいろいろなところで起きているのかもしれないと思ったりはします。

そんなわけで、私が「シンクロニシティ」と「エネルギー」という、それぞれの言葉から思い出したクリフ・ハイのエッセイを2つご紹介したいと思います。


どちらも 2009年はじめのもので、もう3年前のものですが、預言や予測といったものとは離れた「クリフ・ハイの理想」がよくあらわれていて好きなエッセイでした。そこからの抜粋です。翻訳はヤスの備忘録のヤスさんによります。


まずは、シンクロニシティについてふれているものからです。

(引用ここから)




Attention s'il vous plait!
ALTA (非対称型言語分析)レポート1309 パート1 巻末エッセイ
ウェブボット 2009年3月7日配信


宇宙はいくつかの層が折り重なって存在している。それぞれの層には独自な「現実」が存在しているので、その点からいえば宇宙は複数の現実の折り重なりとして存在しているといえる。

この事実に気づいている人たちの覚醒した意識からみるなら、このような多次元的な宇宙が、われわれが経験するすべての「偶然」を支配していることが見てとれるはずだ。 世界を新しい視点でとらえようとした作家のロバート・アントン・ウィルソンは以下のように比喩的に書いている。

「これは、まったくすべて元型の世界なのだ。宇宙の偶然をコントロールする中央司令部を担当している存在は、自らの存在に気づいたものに特に注目する」

これはどういうことかというと、あなたが複数の現実が折り重なる宇宙の多次元構造に一度気づいたのならば、 宇宙はシンクロニシティーという方法を介して、あなたに、さらに別な構造があることを意識させようとするということだ。そうして宇宙は自らの多次元構造を一歩一歩開示するのである。

これはなにを示しているかというと、一度ものごとのシンクロニシティーの存在に気づいたならば、さらに多くのシンクロニシティーが起こるということなのだ。そうした連綿と続くシンクロニシティーの経験の後に、われわれは宇宙の多次元的なフラクタル構造を発見するというわけだ。

シンクロニシティーは様々な形態で経験する。それは一連の数として与えられ、同じ数の組み合わせを何度も経験し、次第にその意味が分かるという場合もあれば、若い頃から一連の系列の出来事を何度も経験するということもある。

ただはっきりしていることは、どのような形態でシンクロニシティーを経験しようとも、宇宙のフラクタルな多次元構造に気づいた人間が増えるにしたがって、他の人間の覚醒がどんどん速くなるということなのだ。





(引用ここまでです)


この中の、「(シンクロニシティーは)一連の数として与えられ、同じ数の組み合わせを何度も経験し」という部分に関しては、昨年以来続いている「数」のこだわりとも関係あることなのですが、特に以前、クレアのほうで少しふれていた「4という数」という問題があります。

この「4」の現実社会での出現やパターンの繰り返しのシンクロが特に最近ものすごいことになっています。しばらく、「4」のことを書いていないですが、また、余裕ができたら「4」のことを考えてみたいと思っています。

ただ、私の数字の話は、いわゆる「数秘論」などと違って、本当に地味で退屈な話で、何だか他人様に読んでもらうのが申し訳ないほどつまらないものなので、記事としては多分もう書かないですが、自分自身で考えるには最適だし、(多分)自分にとって大事なことのようにも思います。


3-direction.jpg

▲ クレアなひとときの記事「十字架がこの世にできた理由」より。


一応、「4」に関して過去に書いたものをリンクしておきます。
すべて、「クレアなひととき」のほうで「日記」として書いたものです。




というわけで、少し話が逸脱しましたが、ここからクリフ・ハイのもうひとつのエッセイです。
内容としてはこちらも大好きで、時期的には上のエッセイよりさらに昔のものです。

エネルギー」という言葉が中心となっています。

(引用ここから)




Whirling Please
ALTA (非対称型言語分析)レポート1109 パート1 巻末エッセイ
ウェブボット 2009年1月31日配信


2009年の最初の月が終了した。(中略)変容の過程は今年では終わらない。それは2012年まで続くだろう。出来事が相互に結合した源泉から宇宙全体にあふれ出ているので、鋭い観察者には時間がフラクタルな構造をもっていることが分かるであろう。

こうした視点からみると、さまざまな人類が住む宇宙はエネルギーの渦が幾重にも重なる円環として見えることだろう。

当然、われわれの地球もこうした渦を巻くエネルギー場の一つである。そのエネルギー場は、生命のあるもの、またないものそれぞれの小さなエネルギーの渦が織りなす複雑な構造をなしている。

変容はこうした構造で起こる。それはエネルギー場のどれかに変化が起こり、それが他のエネルギー場に転するという美しい光景になるはずだ。

変容は人類が生存している宇宙全体で起こっていることだ。その視点からみると一つ一つの惑星は渦を巻くエネルギーの場であり、そこで変容が起こることは花弁が一つずつ分かれて分離するようなイメージでとらえることができる。それはまさにハスの花が開花するプロセスとそっくりなのだ。

こうした理由から、古来ハスの花の秘密を求めるものは「ロータスシーカーズ」と呼ばれてきたのだ。影の支配エリートに属する秘密組織は、この秘密をわがものにしようと努力してきたが、彼らは失敗した。彼らはそれにパワーポリティックスを持ち込み、本質をとらえることに失敗したのだ。

ところで、実際の変容の過程は、民衆がこれまでの社会の組織や権力に離反し反逆するという形で現われる。 変容がこのような形をとるのは、過去2000年続いたうお座の父権的な 組織の崩壊が迫られているからだ。

変容に抵抗する人々は多く存在する。次の時代はみずがめ座の時代である。この星座は水の星座である。したがって、どんなに抵抗する力が強くても、うお座の父権的な組織の崩壊は水と女性的なエネルギーを通して行われるはずだ。





(引用ここまでです)

夜中に突然目覚めて今回の記事を書きました。
タグ:Web Bot

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2012年01月19日



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(訳者注) 昨日、知り合いの女性の方からいだたいたメールの内容がとても印象深いもので、それは私がたまに書く「ものの形のこと」だとか、「〜のように見える」ようなことについてこだわっていることを、「エネルギー」という概念を含めて書いてくださっていたものでした。

そのことを前置きで少しだけ書きます。


「〜のように見えるもの」にこだわる理由

エネルギーというのは、つまり、神話や伝説などでにも出てくるそのような概念のことで、言い方や表し方はいろいろでしょうが、私は、以前から「〜のように見える」ということが、なぜかとても重要だと考えるようになっていて、このブログでも、頻繁にそういうくだりが出てくることがあります。

それらの記事は下らないと考えれば下らないものですが、たとえば、過去記事では、




・宇宙の玉姫様、あるいは雪の天使のように見えるもの

tama-02.jpg

▲ 記事「クリスマス・イヴのCMEは歓喜の爆発? それとも断末魔の叫び? 」(2011年12月25日)より。



・龍のように見える太陽の磁気フィラメント

filament_2011.jpg

▲ 記事「「太陽が笑った」: 目は黒点で口は磁気フィラメント 」(2010年12月09日)より。





のような「〜のように見える」ということだけを取り上げたものが、特に宇宙関係の過去記事にたくさんあります。

そういえば、 NASA の火星探査機が撮影した写真を拡大していて、「まことちゃん」のようなものが火星の表面に立っているのを見つけたことがあります(笑)。

下の写真です。



▲ 記事「ありがとう、スピリット: 火星の真実を自らのボディで示してくれた無人探査機の引退 」(2011年05月26日)より。

なお、上の「まことちゃん」を最初に記事にしたのは、2009年のクレアなひとときの記事でした。
一応リンクしておきます。

火星写真館 (2009年11月07日)

火星 Blur 写真館 - ナマコとその仲間たち (2009年11月08日)



どうして、これほど「〜のようなもの」にこだわっているのか、自分でも今ひとつわからなかった部分があるのですが、そのメールの内容を読ませていただいて、うっすらとそのあたりのイメージも芽生えてきたような感じも少しだけいたします。

まあしかし、そのあたりのことはおいおい書かせていただくとして、こんな話から始めたのは、今回の記事は、天文学者たちから『天地創造の柱』と呼ばれている星雲の話なのですが、これがまさに「〜のようなもの」の集大成のような感じのものなのでした。

それは、へび座というところにある「わし星雲」というものですが、観測によって、その星雲のこれまでには見られなかった「形」が鮮明に見えてきた、というものなのですが、とりあえず、その写真を載せます。


eagle-m16.jpg


このわし座の中心部に『天地創造の柱』と呼ばれている部分があるようです。

ところで・・・「火星の上にまことちゃんを発見した私」ですが、上の「わし星雲」を見た瞬間に「そう見えたもの」を一応書いておきますね。それは1966年の『サンダ対ガイラ』という日本映画でした。

これです。

sanda_gaira.jpg


わし星雲を見た瞬間にこの光景を思い出しましたので、自分にとってはかなり「〜のようなもの」だったようです。

ちなみに、この『サンダ対ガイラ』というのは日本のモンスター映画ですが、どういう映画かというと、 Wikipedia から抜粋させていただきますと、


作品の根底には日本古来の神話『海彦山彦』が敷かれ、「細胞分裂によって分身した“父と子でもなく、兄弟でもない”二体のフランケンシュタイン(いわばクローン)の争いが描かれた。



というものでした。

海彦山彦・・・クローン人間・・・どちらもいろいろと思うところのあるキーワードではあります。

ちなみに、私がこの映画を初めて見たのはテレビでの映画で、小学生の時でしたが、とても怖かった。その頃は、『サンダ対ガイラ』と聞くだけでどうしようもならなくなりました。

なので、今、わし星雲に見えている「戦っているサンダとガイラ」の姿にはやや恐怖も感じます。


さて、怪獣話はともかく(苦笑。でも、最近多いです)、本記事のご紹介です。

本記事のほうの写真は、上の写真の中央のあたりに様々な色の星が光っていたりしているものも写っていて、もう何だかすごいです。



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2012年01月16日



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前回の記事「「聖書は日本人のために書かれた」という奇妙な概念の存在」の続きのようなものです。

あんまりこの話だけを長引かせたくはないので、今回のでとりあえず終わりとしたいですが、その記事で一部引用させていただいた『聖書との対話』という福田定良さんという方の書かれた本を酒を飲みながら、いつものようにパラパラとテキトー読みをしていたんですが、その中にとても印象深い話が載っていたのでご紹介したいと思いました。

それは「(聖書での)神と人間の関係」についての話でした。


ちなみに、書いたものを読んでみるとものすごく長くて、途中が文字ばかりで何か味気ないですので(苦笑)、最初に昨日見た結構すごい写真を載せておきます。

昨日のスペースウェザーのトップにあったもので、スウェーデンのエステルスンドという町で撮影された極域成層圏雲( Polar Stratospheric Cloud )というものだそうです。

colored-cloud-2.jpg


マイナス80度などの超低温の層圏で発生するものだそう。
まあ、きれいといえば、きれいだし、見方によっては不安げでもあります。

そういえば、1月3日の記事に書いた神社で見た彩雲はこれのごく小規模な感じのものでした。


さて、それでは、ここから話に入ります。

ところで、この『聖書との対話』の著者である福田定良さんという人は、生い立ち自体もわりと印象的です。




『聖書との対話』著者が聖書にふれるまで

・戦前、幼少の時に寺にもらわれ、お寺が養家となる。

・将来の僧侶として育てられる。

・寺の近くの男性に「僧侶になるなら『聖書』という本も読まないとダメだ。お経だけ読んでいちゃ、いい僧侶にはならない」と言われる。

・大学の哲学科に進学し、学科の関係でも聖書を読む必要が出てくる。

・その後、第二次大戦が始まり、1944年にインドネシアのハルマヘラ島の野戦病院で看護士として派遣され、終戦までそこにいる。

・その野戦病院に戦闘で負傷して入院していた軍人から「はじめにことばあり。ことばは神とともにあり。ことばは神なりき」からはじまるヨハネ伝をすべて口ずさまれるという体験をする。

・その後、戦地で入院中のその軍人から聖書に関してのたくさんの講釈をきくことになる。その軍人は、聖書をほぼ暗記していた。

・その出会いから終戦に至るまで、様々な話や人との出会いが続く。






というものです。

要するに、この著者の福田さんという人は、生まれてから「どう転んでも、聖書のほうに引き寄せられる人生だった」といえるような感じがします。お寺に引き取られた話、大学、戦争。すべてがそこに向かっていた人生だったように見えます。

そして、この人は一度も「特定の宗教も信仰もなかった」という点も特筆です。キリスト教徒であったこともありません。

それは信心がないというより、「信奉する理屈がない」という感じがとてもいたしました。

このあたりは何となく私と似ています。


「どうして私たち人類は存在しているのか」だけを考え続けた 2011年3月11日以降

自分はそもそも生きていて、それでたまには幸せだったり幸せでなかったりを感じますが、生きていて存在しているのに「どうして神や宗教を持たなければならないのだろう」という「理屈」が今に至るまでわからないのです。

最近、それは「宇宙」であり、「存在そのものである」という方向に行ってはいますが、しかし、私は宇宙を信奉しているわけではない。なぜなら、シュタイナーなどの言う西洋神秘学の考えでは、「宇宙はすでに死んでいる」わけで、それを信奉するのは何かおかしい。

物理的な周期を法則の中で繰り返している宇宙はすでに生きていなく、それを生かすために「人類は誕生した」というのが、西洋神秘学の根幹だと思われます。

このあたりは私は完全な素人ですので、これ以上は書けないですが、2011年3月11日の震災後の数ヶ月、ずっとこのブログに書き続けた中にそのことに何度かふれていますので、該当する記事をリンクしておきます。


日記が多いですので、「このあたりにその記述があります」と書いておきます。

ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」
(2011年05月09日) ※ この記事は大体全部その関係です。

人類の現在 (2011年04月11日) ※最初のほうの「予言からの離脱」というセクションあたりから。


まあ、震災後の2ヶ月くらいは上のような記事ばかり書いていたので、どれも似たようなものですが、日本を襲ったあの災害の中で、「私たち人類はどうしてこの世に存在しているのだろう」と考えないほうが不自然で、毎日、いろいろなところを歩き回りながら、そのことばかり考えていました。

そして、このこと(私たちはどうしてこの世に存在しているのだろうということ)を考えるのをやめた時点で、「私たちは存在しないも同然かもしれない」ということにも薄々気づいてきました。しかし、その「どうして存在しているのか」ということについてはわかるわけもないし、今後も実際の部分はわからないと思います。

なぜなら、多分、「実際には何も存在しない」と思えて仕方ないからです。

しかし、存在しない中で、私たちはさらに考え続ける。
あるいは、「考えることだけ」が存在の意味なのかもしれません。


何だか、また話が逸れていますが、本題である『聖書との対話』の「とても印象深い話」というのをご紹介します。

これは、この本の作者の福田さんが、インドネシアの戦地で、多分、1944年だと思いますが、野戦病院にいた軍人の言葉として書かれています。

その軍人さんが病院にいる数週間の間、毎日毎日聞かされていた数々の話を覚えていたり、書き留めていたもののようです。なので、その人の「語り口調」で再現されています。膨大に長いもので、そのごく一部の抜粋です。

その中に出てくるいくつかの言葉が印象的でした。

ちなみに、ここに出てくる聖書の「ヨシュア記」とか「出エジプト記」いうものを私は読んだこともなく、その内容を知りませんので、書かれてある聖書の内容自体が正しいのかどうかはわかりません。

なので、下手な編集も出来ないので、その部分を、カッコなども含めて原文のまま抜粋しています。改行だけ適時しています。

このくだりは、「モーセが生まれたことを語った後」からのものです。

(ここからです)



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2012年01月10日



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(訳者注) 今回は何かのニュースではないのですが、最近、ふと気づくと、この

the entire Universe is One and that what we think of as "reality" is just an illusion
「すべて(の宇宙)はひとつであり、そして、私たちが『現実』と考えていることは幻影に過ぎない」



というようなフレーズをネットなどで目にします。

今回は、YouTube に誰かが作ってアップした動画に偶然行き当たりました。英語のものなんですが、内容を訳してご紹介するには、少し長く、しかも、あまりよくわからないものなのですが、いろいろな人たちの言葉、言動、行動などをまとめているもののようです。


ちなみに、私自身、上の「ような」意味、すなわち、


すべてはひとつであり、実際には現実(この世)は存在しない


という概念は、昨年の後半くらいからの私のグリグリの概念で、今では完全にそう考えています

しかし、それをそのまま言ったところで他の人に伝わるものでもないし、それに、何より自分でもよくわからないということがあります。


なので、私は「理屈」が欲しいんだと思います。


In Deep で、たまに取り上げる記事の中での存在論や物理論は、できれば、自分でもその「すべてはひとつであり、実際には現実は存在しない」ということをひとつひとつ「理屈」と重ねながら理解したいという意味なのかもしれません。



real-01.jpg

▲ その YouTube 動画より。「これらのひとつの輝く集団は、何兆光年もの範囲にわたっている」というような感じのことが書いてあります。


考えてみれば、このブログに、「 In Deep 」というタイトルをつけた時から、この「リアルとは何か」という命題と共存していくことになるような感じは予想されたような気もいたします。このブログのタイトルの元となった、しりあがり寿さんの『弥次喜多 In Deep 』という漫画の最終的なテーマは「この世は存在するのだろうか」でした。


登場人物たちは常に「リアルとは何か」と自らに、そして、他人に問い続けて、江戸の時代を生き続けます。


リアルとは何か?


そして、『弥次喜多 In Deep 』での結論は、「現実は存在しないからこそ、自分の足で前へ進んで現実を作っていく」というところで終わっています。つまり、「現実が存在しようがしまいが、私たちは日々、前や後ろに進んで、そして、感情を表して、物理的な動きと観念的な動きを提示し続ける」ということ。


それが「人間」だと。


私も今はそう思っていますが、しかし、現実の発表やニュースの中で、もっとそれを確かに知りたい気持ちもあって、今後もそういうニュースを見つけたいとは思います。

そんなわけで、その YouTube のビデオの説明文を翻訳しておきます。
この人は「宇宙そのものが意識」だと書いています。

なお、文中で言葉を引用されているニールス・ボーアという人は、1922年にノーベル物理学賞を受賞した科学者で、こちらによると、「量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した」という人のようです。


bohr.jpeg

▲ ニールス・ボーア。1920年代。

では、ここからです。




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タグ:意識 量子論

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2011年12月30日



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引越先だけではなく、もとの住居の整理や掃除などもまだ終わっておらず、東京と埼玉間のボーダーを毎日通過する生活を送っています。

東京の西の最果てには、三橋美智也や志村けんさんなどが歌っていた東村山音頭という音頭で有名な東村山市があり、そこから県境を経て埼玉県に至ります。そのボーダーにあるのが今の私の住む所沢市エリアです。そういう意味では、米国との国境沿いにあるメキシコのティファナのような感じでしょうか。銃撃戦こそあまりないものの、治安状況もティファナと似ています(やめろって)。


そんなわけで、まだ慌ただしいのですが、出先でメールを見ていましたら、九州に住む知り合いの女性の方から「太陽の写真を撮ったらふたつ写っていました」という内容のものをいただきました。その写真を見ているうちにいろいろと思うことがありましたので、 In Deep の過去記事などと共にご紹介したいと思います。



ふたつの太陽とその角度

その方は愛称 Pearl さんという方で、送っていただいた写真はこちらです。

1212-2.jpg


携帯のカメラで撮影したものだそう。

空の光学現象(幻日)や、レンズの光学作用などで説明されることもある「ふたつの太陽」ですが、合理的説明はさておいて、 In Deep でこれまで数々ご紹介してきた「ふたつの太陽」と今回の写真などについて、ずっと思っていた疑問・・・まあ、疑問というのとは違いますが、「なんとなく頭にひっかかっていたこと」のひとつと関係している概念が、上の写真を見てふとわかったんです。


何がわかったのかというと、角度が関係しているということです。

Pearl さんが送ってくれた写真のふたつの太陽の位置関係。これが正確に「何度」というのはわからないですが、斜めの位置同士で並んで出現しています。


そして、過去に In Deep でご紹介させていただいたいくつかの「ふたつの太陽」。





2-china-suns.jpg

▲ 共に、中国の不思議な「2つの太陽」 (2011年01月31日)より。


さらに・・・「人が想像上で描く」ふたつの太陽や惑星。




なぜ私はこのブログを書いているのか (2010年09月30日)より、地球と似た惑星であることがデータ上で確認されたグリーゼ581の想像図。


star-wars-suns.jpg

▲ 映画「スターウォーズ」(1977年)より、地平線に沈む2つの太陽。


何が言いたいかというと、実際の現象であれ、人間の想像上であれ、この世には、斜め上(下)に「親存在の幻」を配置するという性質があるのかもしれない、ということを確信したということです。

真上でもない、真横でもない。



どうしてこんなことに違和感を感じたのたというと、実際の太陽が複数見える光学現象である幻日現象は「斜めではない」からです。

幻日現象は、こちらのページにある写真説明を使わせていただきますと、このようになります。




つまり、見た感じとしては斜めというより「横」に配置される感じです。

これに関しては、Google で「幻日」の画像検索をされてみると、よくわかると思います。


sun-sun-sun.jpg

海外でも「ふたつの太陽」(あるいは3個以上の太陽)は、ほとんどすべて「幻日」として取り扱われますが、上のほうにたくさん挙げた「斜めの幻の太陽」は本当に幻日なのだろうかとはずっと思っていました。


幻日であろうとなんであろうと、「人間と宇宙の存在は直接リンクしている」という非常にオカルトな世界観を持つ私から見れば、ここにひとつの方向性が見えます。

まあ、具体的には今はうまく書けないですが。


ちなみに、3日前に今住んでいる集合住宅の正門の真前に夕方に出ていた「月と金星」。

私は写真を撮っていないので、スペースウェザーから、私が見た時と近かった角度の位置のものをお借りしました。


moon-jupiter.jpg


これも斜めの関係でした。



小さなシンクロニシティが次々と続いていく

今に始まったことではないですが、日々、とても小さなシンクロニシティというか、まあ、偶然の一致という言い方でもいいとは思いますが、その連続がとても強くなっています。

そういえば、一番上の写真を送ってくださった方は Pearl (パール)さんという方ですが、その日のスペースウェザーを見てみると、トップ記事のタイトルが「MOTHER OF PEARL」(マザーオブ・パール)というものでした。名前とタイトルがクロス。この程度の小さなシンクロニシティではありますが、毎日それが繰り返されています。

だからどうしたというものではないですが、様々なことで偶然の一致が続くと何となく楽しい気分にはなるものです。

上の記事は「真珠の母親みたいな雲」が出たというストーリーです。
非常に美しい雲ですので、写真を載せておきます。

dagmar_strip.jpg


ちなみに、この雲が出現した理由も「太陽」が関係しています

上記のスペースウェザーの記事によりますと、10月26日に発生した太陽からのCME(コロナ質量放出)が地球に到達したために発生したものだそうです・


慌ただしい中で更新しているので、内容がちゃんとしていない感じで、すみません。
お正月過ぎくらいまでに少し落ち着くといいのですけれど。


明日は大晦日ですね。

年度末と元旦を最大行事としている国民は実際には世界でもそんなに多くなくて、日本人はそれを最も大規模な祝日として祝う数少ない民族のひとつです。

私もなんとなく2012年を考えながら祝ってみたいと思います。
それでは、素晴らしい2011年末と2012年の始まりを。

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2011年12月04日



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チリの「鼻に傷をもつ」女性学生運動家、カミラ・バジェホさん


(訳者注) 最初に書いておくと、私自身はもともと、「社会革命」に興味がありません。

その理由は歴史上のすべての革命が「トップが変わるだけ」だったからです。

どんな素晴らしい主張を持っていようと、その人がどんなに素晴らしい人や、あるいは集団であろうと、「上下関係という存在」がダメで、ピラミッド構造が少しでもある存在がニガテなんです。

この「ニガテ」は私は小さなころから徹底していて、教師、先輩、上司、あるいは、親などもそうだし、あるいは、神様とか教祖とかもそうだし、「上にいるものは何もかもイヤ」であると同時に、「下という存在もすべてイヤ」でした。後輩だとか、部下だとか教え子だとか。

理想だけを言えば、「完全な平等」しか受け付けない部分があります(もちろん現時点では理想でしかないですが)。


これまで「上も下もどちらも嫌い」という完全な平等な気持ちを満たしてくれるような社会運動はなかった気がするし(大体、リーダーとかトップだとかがいますから)、そういう革命もなかったように思います。


なので、社会革命には基本的に興味ないのですが、それでも、2008年頃から読ませていただいていたウェブボットの中に出てくる「予言の中の革命戦士たち」の中で、私がもっとも心を奪われたのが、「女性の社会革命家」でした。

そして、そのウェブボットの女性の登場人物の中でも、特に魅力的な人物と関わるキーワードは「南アメリカ」でした。

その一部を抜粋してみます。

(ここから抜粋)



非対称型言語傾向分析報告書 1309 バート5
ウェブボット 2009年4月11日

・ 夏から秋にかけてある女性の象徴的なキャラクターが出現する。彼女は内部告発者との関連で出現するキャラクターである。

・ さらにこの人物は、覚醒を目標とするスピリチュアリティーとの関連が深い人物でもある。

・ 彼女は身体の一部を「傷跡」のように形に塗っているか、または実際に「傷痕」があるのが特徴だ。この 「傷跡」は、彼女が属する集団や拡大家族で彼女がどのように見られているのか表している。

・ この女性は、ある犠牲的な行い、ないしは「暴露」に向けて彼女の属するグループを扇動する役割を果たす人物である。

・ この女性は過去に影の支配勢力や悪の存在と関係のあった人物である。

・ この人物の存在が表に出てくることは、彼女の属するグループや家族、そして彼女自身にショックを与える。

・ この人物は次の段階の世界経済の危機が始まるちょうど一週間前に姿を表す。なぜ彼女の出現が重要なのかというと、彼女は次の全世界的な金融崩壊が発生する少し前から影響力をもつようになるからである。

・ またこの傷痕のある女性は、影の支配勢力が保有する膨大な情報のリークが発生するタイミングで現れる。

・ さらに、彼女の存在が公になるとほぼ同じ時期に、渡り鳥の災難、また紫外線にやられ「汗をかく」ようになったトウモロコシや米の問題、さらに新たな金融危機が発生する。





(抜粋ここまで)



私が、この2年前のウェブボットの記述を思い出すに至った、「現実」の人物の写真をまず貼っておきましょう。
この人です。

camila-1.jpg

チリ学生連合の議長のカミラ・バジェホさん。
23歳の女性です。

こちらに、日本語の記事があります。

そこにはこうあります。

彼女の目的は明確だ。政府に圧力をかけ、ピノチェト独裁時代から変わらない教育制度を改正させることである。


これを読む限り、イギリスやフランスなどでの学生抗議運動とさほど変わらないのですが、彼女の姿を見ていると、何というか、個人的に感極まるところがあるような、そんな気もしないでもないような・・・。


ウェブボットの「傷のある女性」という表現を、私は彼女の鼻ピアスから連想したのですが、チリの若者の感覚は多分、日本あたりと似た感覚で、つまり耳にピアスをしている人はいくらでもいるでしょうが、しかし、「耳以外」にピアスをする人の数は決して多くないと思います。


しかし、それにしても、こういうカミラさんのような社会革命の形をとっている時点で、それは今までの革命と何らかわりはない古いものだとは実際に思うのです。


それでも、私が男性だからなのかどうかわかりませんが、カミラさんの「女性運動家」としての姿に何とも感動をおぼえる部分があるのは確かです。

今回は、彼女の活動を詳しく伝えている、チリのスペイン語メディアの報道をご紹介します。9月のもので、少し古いものですが、今のところ、スペイン語ベースでの報道しかあまり見られないようです。



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2011年12月03日



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(訳者注) ニュースの見出しで知った記事で、イギリスのハル大学という大学の研究発表です。

翻訳したものを読み直すと、どうもわかりにくいですので、先に要約しますと、

・「存在しない色」を脳の中で自由に想定した人たちについて

の実験結果の話のようです。

実験は、白と黒のモノクロのパターンを用いて、そこに色が見えるかどうかというのを調査したというものでした。


最近(あるいは小さな頃から)、個人的に「人間の目からの視覚の実態は確実なものではないかもしれない」と思っていたのですが、今回の研究が示すところは、人間は「頭の中で視覚を再構成している可能性がある」ということなのかもしれません。

そして、それだけではなく、研究者は、

経験そのものを脳の中で変える力もあるかもしれない

ということを言っています。

視覚だけにとどまらず、痛みや怒りや感情などの「経験を頭の中で変えてしまえる能力」を人間は持っているかもしれないと。

今回の実験では「一部の人々」となっていますが、能力に差はあれど、多くの人間にはそのような力はあるのかもしれません。

ちなみに、私は知らなかったですが、英国ハル大学というのは比較的新しい大学ながら、科学分野などについて非常に優れた業績を残しているのだそう。漢字で書くと「春大学」ですかね(やわらかい)。




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