2011年03月28日



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古い文明と新しい文明の堺で生きている



6歳児たちの「恋の奴隷」


私は 1963年に生まれているのですが、大体、私が生まれた数年後くらいから一般の家庭にもテレビが普及し始めます。今の若い人向けの流行ソングはほぼひとつも知らないですが、当時のものは今でもよく覚えていて、口ずさめます。

もちろん、当時も童謡や子ども向けの歌はたくさんあったと思うのですが、どう考えても、町のどこかで流れている流行歌のメロディのほうが頭に入ってくる。

また、当時のヒットソングの多くはきわめて「脳に刻み込まれる」ように頭に入ったメロディで、一度聴いただけで頭に入るという曲はたくさんありました。


その結果として、どういう現象が起きるかというと、幼稚園児たちが道で並んで、

「あなたがかんだ〜小指がいたい〜♪」

小指の思い出 - YouTube


とか歌いながら歩くというような光景が見られるようになるのでした。

意味はもちろん知らないわけですが、そのうち「フルで歌詞」などを覚えるようになり、遊びに疲れた5歳くらいの子どもたちが畑の横で、

「そっと唇 おしあてて あなたのことを偲んでみるの」

とかつぶやいているというような状況になっていくわけです。


しかし、ふと、「なんで小指を噛まれたのか?」というような疑問はもちろん湧くのですが、「ま、いいか」と、つまらないことは考えない子どもたちのたくましさが、辛うじて真意の追究から免れることとなっていたりしました。

この頃の1960年代後半から1970年代くらいまでの歌謡曲は子どもたちには一種、苛酷な世界で、「ものすごく覚えやすいメロディなのに、内容は完全に大人向け」だったんですよ。


私がいちばん口ずさんでいた歌は、森山加代子さんという人の「白い蝶のサンバ」という曲で、当時、「コンプリート」で歌えた記憶があります。




やっぱり、小学生が、


「恋は心も命もしばり 死んでいくのよ 蝶々のままで」


と、道で歌いながら歩く光景というのは、今にして思えば「変」なわけで、この1960年代の前半くらいに生まれた人たちが「どうもおしなべて頭がおかしい」と感じるのは、こういう幼少期の「異常体験」も関係しているかもしれません。まあ、本当に楽しかったですが。

童謡とか子どもの歌なんて馬鹿馬鹿しくて歌えなかったです。
それほど流行歌にはいい歌が揃っていました。

それにしても、森山加代子さんは今見るとかわいいですね。当時の私たちにとっては、こういう歌手の人たちは全部「大人の女の人」という括りだったので、こういう「かわいい」とかいう視点で見たことがなかったですね。なるほど、当時の青年やオヤジたちは、こういう別の視点でも見ていたわけか・・・。


さらに、小学生に入ったばかりだったか、「恋の奴隷」という曲もヒットして、やはり即覚える私たち。

畑で父親が栽培したトマトなんかをかじりながら、「あなたと遭ったその日から、恋の奴隷になりました」とか、暗い目をして呟いている。

6歳くらいの男の子にとって「恋の奴隷」という概念を理解するのはあまりにも厳しい(今でもよくわからないですが)。なのに、「歌詞は覚えちゃった」と。

多分、この頃はこういうような「知識に先行して」結構いろんなことを覚えてきたという経緯は多くの人にあったような気がします。


テレビなんかも、男の子は特撮ばかり見ていたわけですが、その後に知ったオカルト的な知識は関係なく、少なくとも、小学校に入る頃までは、

「人類は宇宙で私たちひとりではない」

と、多分、ほとんどみんな考えていたと思われます。



文明の崩壊を見ながら悲観しないために

そのあたりの様々な「洗礼」を受けた後、小学校や中学校から「教育」というものが始まるわけですが、「教育」の歴史というのは、否定的な言い方をしてしまえば、私たちからそれまでに学んだことや自由な発想を消す作業だったようにも思わないでもないです。

子どもたちから「恋の奴隷」を奪い去り、「メトロン星人」を奪い去る。


子どもは女の子の小指なんかを噛んじゃダメだ(そりゃまあそうだ)、宇宙からは宇宙人なんか来ない。

そういうのが「教育」というものだったわけですが、しかし、やはり1960年代前半の私たちの多くは「完全に気が狂った世界」で過ごし始める人は多かったように思います。

私もそうでした。


世界はまあ・・・6歳までの自分が知ったくらいのもんでいい」と。


なんとなく、今、ちゃんとした会社や企業の上のほうにいられるような人たちも、内心はそんな感じで生きている人は多そうな気がします。


さて、そこで、私たち日本人は、今回の文明の崩壊の兆しという現実に直面したわけです。

「文明の崩壊」という言葉は否定的に響くかもしれないですが、私はほとんど反対の意味として使わせていただいています。


第二次大戦後、日本は「復興した」というような言い方を私たちは教わってきたわけですが、しかし、そうではないことは何となくわかっていました。

この正体は、

物質文明が肥大しただけ

だと。

前回の記事にも書きましたように、「子ども」というのはその時代や状況のあらゆるものを娯楽にしてしまう才能を持っているわけで、私たち1960年代生まれあたりは、「物質的な繁栄の極限」を見てきました。

それは特に娯楽に見てきました。

スペースインベーダーに始まるアーケードゲームのブームは、私はずっとその渦中にいました。ワープロが一般の人に購入できる価格になった時には真っ先に買いました。ビデオ、パソコン、そして、インターネット。

どんどん肥大する。

娯楽といえば、北海道の田舎で「あなたがかんだ〜小指がいたい〜♪」くらいしかなかった時代から、たった20〜30年で、とんでもない速度で物質文明と、それに伴う情報文明は肥大していき、それらの多くを体験して利用してきました。

「どこまで進むんだろう」という思いの一方で、常に「限界なのではないか」という思いもありました。


そして、今回、その文明の一部分が崩壊しようとしています。


これは(最近は他のブログなどを見ないので)多くの人はどう言っているのかわからないですが、現在の「文明だと考えているもの」が、実際には資本主義の経済の中でないと機能しないものであり、娯楽もインフラまでも、現在の経済のサイクルが消滅した時には同時に消滅してしまうことが明かで、そして、「元の経済体制へと復興する」という可能性を考えるのが夢物語にも近いということは多くの方が感じているのではないでしょうか。

しかし、「元に戻ることができない」という退行思考ではなく、「次に進むチャンス」という考え方は当然あると思っています。もちろん、被災の状況が進行中である中でそれは口に出すべきことではないと思いますが。



次のジェネレーションへ

外で見る子どもや若者たちが、なんとなくウキウキしたように見えなくもないのは、無意識では現在の「システムの崩壊」に希望を抱いている部分もあるのではないかなあと思います。

私は、以前、ほんの少しの間やっていた仕事の関係で、現在の教育主義の中の子どもたちの置かれている極めて苛酷な心理状態の子どもたちの姿を知って、かなり絶望したことがあります。学校とは別に、週にいくつものも習い事をさせられる子どもたちというのは、今では特別ではなく、ありふれています。


「習い事なんてしたい子どもがひとりでもいるか?」

というのは、本当は大人も知っているはずです。

でも、動き始めてしまったこの狂ったシステムを止める方法も、大人たちも子ども本人たちもわからなかった。


今、「止まるかもしれない」という感じはあるのかもしれません。

もちろん、それは経済的な意味も含めて、苦痛を伴う可能性はありますが、今の子どもや教育の周辺に漂う「教育の狂ったシステム」が止まる可能性というのは、あるいは、本当に起こり得るかもしれません。



ここで時間切れとなってしまいました。

こんなに余計な話ばかり書き続けていては、散らばったテーマがまとまるのには、100年くらいかかりそうです(あ、放棄するつもりだ)。


それでも、やっと・・・本当にやっと時間がまた少し動いている気がします。
以前とは違う時間の進み方ではありそうですが、とりあえず動いているような気がします。
タグ:文明



  

2011年03月27日



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関東や東北では子どもたちの不満が高まっているんだろうなと思っていました。
すなわち、多くの地域で、

・家から出ないような感じの習慣
・節電や停電でほぼ営業が停止している娯楽施設


がおこっています。

そして、震災後しばらくは NHK教育を含む多くのチャンネルは非常時放送で、子ども番組もなかなか再開されませんでした。

情報から受ける精神的なダメージもあるだろうかと思っていました。

たとえば、今の多くの子どもたちにとっては、生まれた時からあり「日本にあって当たり前」だったディズニーランドも閉鎖され、少なくともかなり当分は開くことはない。動物園なども多くが休園しているというような「ダメージの多い情報」は多いです。私は遊園地が好きではないなので、ディズニーニーランドにも他の都内の遊園地にも行ったことはないですが、好きな子どもは多いと思います。

しかし、では、街の子どもたちの様子は暗いかと、それはまったくない。


震災の二日後だったか、私がホームセンターの様子を見るために歩いていた時に、交差点の信号のところで、自転車に乗った小学生の男の子三人が大声でこんなようなことを話していました。何か特定の商品を探しているようでした。


「サミットは全滅〜ッ。ガラクタばっかり」
「加藤たちは久我山のほう回ってみるって言ってた」
「どこで落ち合うか決めた?」
「西荻と青梅街道の交差点」
「今何時よ?」
「4時」
「ちー、あと1時間か。時間ない。じゃ、宮前のほうまわろーぜ」
「ひゃっほー!」



と叫びながら自転車で走り去りました。
嬉しそうでした。


この頃はまだ、とにかく騒然としていた頃で、大人たちで「ひゃっほー!」とか言っている人はいない頃でしたが、子どもたちは「生まれて初めて見るスーパーに何もない状態」に興奮していたらしく、とても高揚していた。

生まれて初めて見る様々な光景・・・。


もっとも、今回のことは、老人たちでも「初めての体験」。
しかし、うろたえる大人を尻目に子どもたちは強いというのが実感です。

そういえば、第二次大戦中の手記などを読んでも、戦争中でも娯楽を探し続ける少年少女の姿の記述を目にします。東海林さだおさんのエッセイの中に、戦闘機のガラスは「独特の匂いがした」ために、「においガラス」と呼んで、子どもたちは先を争って戦闘機の残骸をあさっていたというような記述があったと記憶しています。

子どもというのは、「そこがどんな地獄であろうと楽しくないとイヤだ」という面というか、そういう資質はありそうです。

なので、ディズニーランドがなくなり、節電や停電などで娯楽施設や、家でのゲームなども損なわれていき、これまでの物質的な楽しみがほとんど消えても、子どもたちは「絶対に」娯楽を見つけていくはずです。


昨日また井の頭公園にひとりで行ったのですが、若い人たちの表情から、私はそこに憑きものが落ちたような気配を感じていました。一応、今はまだ非常時なわけですが、力が抜けきった、非常にリラックスした人たちの姿がありました。

まあ、そういう人たちばかりが公園に来ていたということなんでしょうが。


ところで、井の頭公園は大変混み合っていましたが、地元の西荻窪の公園は、今日のような暖かい日中ならいつもは混み合う公園でも、どこもガラガラで、やはり基本的には外出は控えているという感じになっているようです。

「そんなの、もーいいや」という人たちの集団が昨日の井の頭公園にいた人たちなのかもしれません。

アベックたちが話している内容といえば、

鯉にエサをやっているふたりは、

「エサをね、こっちに投げようとしてフェイントかけて、逆のほうに投げたのよ。そうしたら、鯉がさ、先にそっち回ってんの。鯉ってさ・・・頭いいよね。」

とか話しており、その横のふたりは、

女 「ここの池にいる鳥ってアヒル?」
男 「アヒルじゃね?」
女 「飛ぶの? アヒルって」
男 「鳥だから飛ぶんじゃね?」
女 「ここであの鳥が飛んでんの見たことある?」
男 「あー・・・そういえば、ないなあ」


と真剣な顔で話しあっていたり、「脱力にも程があるだろ」というような人々が多かったのですが、それだけに私が安心できる場所になりつつあります。


ちなみに、ガイガーカウンター(放射能測定器)を持っている知人が言っておりましたが、東京都内の放射能値は、通常に比べると、数値的にはかなり高いです。これは厳然たる事実です。

でも、「じゃあこうしよう」という行動指針が存在しないのが今の私たち東京の人たちの毎日です。

何しろこれだけ広範囲の都市が「放射能に囲まれながら日常生活を送る」なんてのは、世界で初めてのことですしね。



見ていなかった自然の風景

今日は、子どもが「もう外に出たーい!」と言い始めたので、小一時間ほど奥さんと子どもと三人で散歩しました。

前述したように、公園にはあまり人はおらず、住宅街そのものにも人の姿があまりありません。


歩いている時に、わりと大きな敷地の家の門のところで、やや高齢の女性が、「じゃあ、ちょっと行ってきますね」と、外出するところで、その後ろに立っていた、多分ダンナさんと思われる高齢の男性が、

「放射能、気をつけて」

と声をかけているのを見て、私は自分の奥さんに苦笑気味にこう言いました。


「なんだか、モンティバイソンの世界だよなあ。まさか生きている間に、実際の生活の中で、『放射能に気をつけて』なんて声をかけながら生活することになるとはねえ。それに、言っていたあのオジイサンもわかっていると思うんだけど、『気をつけて』って言ってもどうにもならないことはみんな知ってんだよね。でも言う。風邪がはやっているから気をつけて、泥棒に気をつけて・・・。挨拶だよね。放射能という言葉が日本の挨拶に組み込まれた日だよなあ」。


ところで、そのオジイサンの姿を見たすぐ後に、住宅街の中に、ものすごく大きな木が立っているのが住宅の屋根越しに見えました。

私は指をさして、

「なんだあのでかい木は?」


すると、奥さんは、「何言ってんのよ。いつもここ来てるじゃない」と言いました。
木のところに行ってみると、そこは小さな公園で、その公園の面積よりも広いのではないかというくらいに上部で枝が周囲に大きく広がっているケヤキの木があるのでした。

奥さんによると、「ここは、この木を残すためにわざわざ公園にしたみたい」のことでしたが、しかし、住宅街の中にあるとは考えられない大きな木でした。


このあたりは私は今まで何年もの間、歩いていた場所です。


しかし、このでかい木を知らなかった。つまり、「認識していなかった」。

これは先日の記事の「黄色い付着物」と同様に、今まで「普通にそこにずっとあった光景」だったのに、私は「見て」いなかった。見ていると自分では思っているけど、実際には見ていないのと同じ。


最近書いているように、「宇宙や自然の法則はすでに死んでいて、人類の認識によって起動する」というようなことがあるのならば、私はこのケヤキの生と存在を「殺し続けていた」ということになり、何とも無念な気持ちになりました。


その後、善福寺公園というところを歩いたのですが、見れば自然の姿のなんということか! この「なんということか」というのは「美しくて」とか、そういう形容が入るものではないのですが、「なんということか!」と、見入っていました。


1998年のアメリカの戦争映画で「シンレッドライン」というのがあるのですが、アメリカの戦争大作ではベトナム戦争の映画などが多い中では珍しい太平洋戦争を題材にしたもので、ガダルカナルでの米軍と日本軍の戦いを描いています。

結構好きで何度か見ましたが、この中で、主人公が今日の私とほとんど同じ心境に陥るシーンがあります。YouTube を見てみたら、映画の予告の最初のシーンに入っていましたので貼っておきます。

この予告の最初の10秒くらいです。





日本人と戦う米軍の主人公がガダルカナルの自然の姿に「圧倒」され続けるシーンが映画の中で何度も描かれます。

上の動画には字幕等入っていないのですが、この森林のシーンでの主人公がつぶやくイメージ(台詞ではなく感じ)と、今日の善福寺公園で感じた心境とわりと似ている感じでした。


「好きな映画のワンシーンを体験できるとは」


とちょっとご満悦でした。


ところで、先日本棚を見ていましたら、大岡昇平の「野火」がありました。

奥さんのものだと思うのですが、この「野火」は中学だか高校だかの時に読んで、極めてショックを受けた小説で、震災後の In Deep での一連の記事を書いている時に、何度かこの小説のことを思い出していたのですが、私は大人になってからは「小説」というものをはほとんど読まなかった人で(ここ20年はほぼまったく読んでません)、「野火」も手元にはないと思っていて、わざわざ買い直すのもなあと思っていたところでした。それが奥さんの本棚から見つかったのでした。


「野火」は第二次大戦中に、フィリピンの戦場での殺人経験と人肉食いの光景(主人公は人肉を食べなかった)の中で発狂していく「私」の姿を描いた日本の戦争小説の代表作のひとつです。教科書などにも取り上げられていそうなものですが、後半は「あまりに狂った心象描写」が続くので、あるいは教科書にも載せづらいかもしれません。


後半の章である「狂人日記」や「人類」といった名前のつけられた章あたりからの展開は異常であり、若かった私にはむしろ「パンクな小説だねえ」とかっこよく思えたものでした。


たとえば、これは戦場でひとり戦場を彷徨う主人公が次第に「あらゆる草木が自分に語りかけてくることが始まる」シーンです。


(30章 「野のゆり」 より)

 万物が私を見ていた。

 草の間から一本の花が身をもたげた。直立した花梗の上に、硬く身をすぼめた花冠が、音楽のように、ゆるやかに開こうとしていた。その名も知らぬ熱帯の花は芍薬に似て、淡紅色の花弁の畳まれた奥は、色褪せ湿っていた。匂いはなかった。

「あたし、食べていいわよ」

と、突然その花がいった。私は飢えを意識した。その時、再び私の右手と左手が別々に動いた。

 手だけではなく、右半身と左半身の全体が、別もののように感じられた。飢えているのは、確かに私の右手を含む右半身であった。

 私の左半身は理解した。私はこれまで反省なく、草や木や動物を食べていたが、それ等は実は、死んだ人間よりも食べてはいけなかったのである。生きているからである。

 空からも花が降って来た。同じ形、同じ大きさの花が、後から後から、空の奥から湧くように夥しく現われて、光りながら落ちて来た。そして末は、その地上の一本の花に収斂された。

 その空間は広がって来た。花は燦々として私の上にも、落ちてきた。しかし私はそれが私の体に届かないのを知っていた。

 この垂れ下がった神の中に、私は含まれ得なかった。その巨大な体躯を大地の間で、私の体は軋んだ。

 私は祈ろうとしたが、祈りは口を突いて出なかった。私の体が二つの半身に別れていたからである。

 私の身が変わらなければならなかった。




その後、主人公の体は、「生命などの有機物を食べる」ということに対して、「右半身」と「左半身」がバラバラとなっていき、狂人と化したまま、捕虜となり、日本へ帰還した後もそれは続くというようなことになります。


興味深いのは、今から 70年前に書かれた小説に「右脳と左脳」という概念とほぼ同じような概念が描かれていることです。小説では、主人公は、「右脳と左脳の整合性が崩れることによって」発狂しました。


ヤスの備忘録のこちらの記事にコルマン博士の 2009年の論文の翻訳がありますが、コルマン博士は一貫して、新しい時代は右脳と左脳が統合することによって、人類に新しい価値観が生まれることを書いています。




大阪ショックを越えて

今はほぼ回復しましたが、「食べることの悩み」に関しては、ちょっと前に私も経験したことがあります。

それは、前回の記事でふれた、「大阪ショック」の翌日から肉が食べられなくなったのでした。あの記事を書いたのが、2009年の9月頃で、それから1年2カ月くらいの間、肉を噛むことができなくなったのでした。この心理的な経緯は複雑なのですが、まあ、起きた事実としては「肉が食べられなくなった」のでした。


これなんかは「右脳と左脳のバランスが崩れた」いい例でなのかもしれません。

そして、これは昨年の12月頃に、「ふと」回復しました。

回復したのは、「焼き鳥」のおかげでした。
行った飲み屋でメニューに「チレ」があり、「そういやチレ好きだったなあ」と注文してみたのです。

チレとは動物の脾臓です。そして、食べた時に、あまりのおいしさに感動して「そういえば、昔はこうやって焼き鳥をおいしく食べていたんだ」と思い直したのでした。脾臓というのは不思議な触感で、「モチ」みたいな食感なんです。ネッチリとしている。他の内臓のどこにもない食感で、置いてある店は少ないかもしれないですが、昔はメニューにあれば、ほぼ注文していました。

「久しぶりに食べた脾臓」によって、肉をまた噛めるようになりました。

とはいえ、1年以上も肉を食べない生活が続くと、普通の生活では肉は基本的に食べないような感じにはなってしまいましたが、食べた時にはおいしく感じます。


いずれにしても、これから出現する未来が本当に「右脳と左脳が統合した世界」で、そして、もしかすると、それを開始するのが「日本」と「日本人」である可能性があるとするならば、なるほど、今日の森林の風景も理解できるかも、と思ったりしたのでした。

それは、今まで「左脳で見ていた風景を右脳でも見始めた」気がしたからです。




  

2011年03月26日



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震災から2週間経っていることを知り、少し動き始めた気もしていた自分の中の時間は実はほとんど動いていないことを知りました。

テレビも映像もすでに見ていない現在では、当初の「災害の映像から受けた圧倒」からは解放されているはずで、それでもなお時間が止まり続けている意味には別の意味が、あるいは新しい意味があるのかもしれません。


ところで、震災後、あまりにも思っただけのことをその場で書き殴っていて、ほとんどの流れが支離滅裂になっています。

この2週間の中で、おおまかには、

・生と死とは何か
・宇宙における人類の位置
・日本人の意味
・食べるという行為の意味
・女性性である地球(あるいは宇宙)の中の男性性システムの意味
・男性性の消滅と人類の進化



などのことを断片的に書いていて、それぞれが自分の頭の中では展開し続けていることでも、実際に書く作業の時間(物理的な時間)は限られているわけで、バラバラになったままです。

ある程度はそれぞれに整合性を持たせたい気もするのですが、しかし、考えてみれば、これらの結末は「多分、言葉にならないもの」であるようにも思えて、つまりは、現在のバラバラの断片のまま進んで、ある時、突然終わるというようなものなのかもしれません。

いずれにしても、「思いついたままに書く」という方向性は変わらない(変えることができない)気もしますので、この「無秩序な断片化」というものが肥大する可能性もあります。

いまだに混乱した気持ちの中にいる方も多いかもしれない中、このような混乱した内容になっていることは申し訳ない気もしますが、あるいは、この、止まった時間の中での混乱こそが現在の状況というか心境というか、それそのままなのかもしれません。

ただ、基本的には現在、気持ちは平穏であり、ある意味では前向きとも言えるかも知れません。



放射能の意味

これはずいぶんと前から感じていて、原発の放射能問題に展望が見えないうちは書いていいものかどうかわからなかったのですが、しかし、どうやら、いろいろな意味で、そう簡単に解決するようなことではないという「良いも悪いもわからない展望」が見えている(しばらくはどうにもならない)ようにも思いますので、書いてみたいと思います。

今、私のいる東京も含めて、日本のかなりの広範囲が放射能の影響下にあると思われますが、これもまた前述した「止まったままの時間」と関係しているように思います。


これまで、日本でも世界でも、どんな大きな自然災害が起きても、それが自分たちの生活環境に影響を及ぼさない場合、そのショックは続いても数日、そして、あとは時間と共に「忘れて」いくのが普通でした。今回の東北の地震は日本全土を「呆然」とさせるほどのショックに叩き込みましたが、しかし、たとえば、私のいる東京が「もし」放射能などの影響がまったくなかった場合、今のように「私たちの意識が被災地の方向に向けて、これだけ強く留まり続けていたかのだろうか」ということはあると思うのです。


以前の記事に書きましたが、東京の若い人たちは震災後、数日後にはもうデートや行楽を楽しみ始めており、精神的なサバイバルを始めていました。今では街の様子も比較的落ち着いていて、人々は元へと戻ろうとしています。

これらは、「日常へ戻ることにより正気を保とうする精神的な生存本能」だと私には感じられ、大きなショックの後には必要なことだと思います。


しかし・・・。

日常に戻ろうとする私たちの周囲に「厳然」と存在する「見えない」放射能。

これにより、私たちは日常を送りながらも「今回のことが起きた方向」への意識が途切れることはありません。言い換えれば、困った代償といはいえ、「私たちは被災者たちと放射能でつながっている」と言えそうな気さえするのです。


ともすれば、日々勝手だった私たちは、これほどのショックを伴う災害でも「忘れてしまったかもしれない」宿命にあった可能性さえあります。しかし、放射能はそれを許してくれません。今回の出来事を忘れることを許してはくれない


今の状態が何ヶ月、何年続くのかよくわからないけれど、次第に頭の中に、東北のあのあたりの一帯の地図というのか概念というのかが、完全に頭の中に焼き付けられ続けていくような気がします。


そして、もしかすると、いつか私たちは「新しい私たちの人生はこのあたりと共に始まった」と思うようになるのかもしれません。


tohoku-2011.gif


新しい日本の意識的な中心地となった日本の東北(最初、「聖地」という言い方で書きましたが、この宗教じみた言い方は合わないので、「意識的な中心地」ということでいいと思います。意味は聖地と同じです)。

このことには意外感もありましたが、しかし、実はよく考えると、私が一昨年あたりからずっと抜けきれないでいた「大阪ショック」の答えが、「東北の人たち。すなわち東北の日本人の人たち」の中に見出せたのかもしれないと思います。

この「大阪ショック」というのがどういうものかは説明しづらいので、当時の記事をリンクしておきます。この後、何週間にもわたり、私はこの「大阪ショック」の意味を自問し続けていたのです。当時は自分でも下らないと思っていましたが、今振り返ると、意味のあるショックだったと思います。


大阪人はいかにして最強の宇宙兵器を倒したのか (2009年10月11日)


このことと「東北の人々」との関連は書ける時があれば書きたいと思いますが、要するに、大阪人が「なすがままに状況を受け流す方法として」使った言葉である「かめへん」。しかし、東北人はその「かめへん」さえ言わなかった。つまり、「なすがまま」を無言のうちに行っていた人たちだった。最強の人類の中の最強の「無言」の強さをそこに見出したということです。

ちょっとわかりにくい展開ですみません。

いつか、もっとわかりやすく書きたいです。



この時をどう過ごす

先日、災害関係の方からメールをいただきました。
災害関係の方からというと、さぞや緊迫したものかと思ったのですが、そこにはこのようにありました。

お仕事がら「人より情報が飛び交い、危機(の状況)はわかるのですが、なんとも静かで落ち着く街を感じます」とあり、そして、


この 「なんだかわからないけどせっかくの世界」を1日でも長く静かに見ていたいです。

最後の最後にすべてがうまくいくとは思っていますが、もしうまくいかないのであれば、「最後の日」に聞こうと思う音楽だけがまだ選べていません。



これが正しいのかどうかではなく、私本人は納得して読ませていただきました。

この2週間で見てきた「これまで経験したことのない世界」。

それはこの2週間で変化しています。
最初はそれがどうなるのか見当もつかなかったけれど、「どうもすべてが悪いという」だけでは済まない現在の方向があるようにも思わないでもない。


ちなみに、私は私自身に対しては「最後の最後にうまくはいかないだろう」とは思っていますけれど、でも、「うまくいかないことが人生で悪いことだったかどうか」もまたわからないとも思っています。

「最後にうまくいかないだろう」という考え方はネガティブに響くかもしれないですが、しかし、逆に、「最後の前に人生の途中でいろんなことをやっておこう」という生きる気力にも繋がることで、「やることやったんなら、もう最後がダメだろうが、宇宙から消滅しようがしったこっちゃない」という考え方は幼い時からあったようにも思います。


・・・うまく言えていないかも。

そんなわけで、今日はこれから外出ですが、あとでまた書けるかもしれません。
際限のない「テーマのぶつ切れ」は続きそうですが、お許し下さい。


ところで、昨日の記事で、震災当日の3月11日に吹いた「氷のような風」のことに少しふれたのですが、メールをいくつかいただき、あの時のことを覚えてらっしゃる人の多さを知りました。


そして、気温は相変わらず上がりません。
今日の東京の寒さはまた格段で、これは震災の頃の3月初旬よりも寒い感じがしており、普通なら「東京の3月の後半2週間」となると、日々春を感じていくような感じがしますが、その気配はまったくありません。


この「寒い気温」も、震災の日から時間が止まっていることを実感させてくれます。

そして、この異常な寒さが、すべてが悪い方向だけに作用しているわけではないことは、誰も口にはしないですが、なんとなく多くの人たちがわかっていることのように思います。
タグ:聖地



  

2011年03月24日



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昨日の記事の最後あたりに、

 > 海藻と納豆と梅干しあたりには何か役割がありそうな気がする。

というようなことを書いたのですが、いくつかメールをいただき、どうも、あながちそれも否定できない部分もあるような感じもしないではないというようなことも言えるのかもしれない(どっちだよ)ということを複数教えていただきました。

具体的な生理作用等を教えていただいた方もあったのですが、私が書いても仕組みを間違えるとご迷惑がかかるだけですので、概略だけでいえば、被曝というか、放射能に対して、

・納豆
・海藻
・天然塩


それと、味噌などの発酵食品などは良い、とする意見が昔から日本にはあるというようなことです。

上のどれもが現在、入手できにくくなっている地域も多いわけではありますが、仮に上のようなことがあるとすると、基本的には「昔ながらの普通の日本食の生活がいい」という感じにはなるのかもしれません。



放射能の歴史の中の日本と、その食文化

しかし、仮に本当にそういうようなことがあるとするのだと、どう書いていいのかよくわからないのですが、人類史上で最初に、そして今のところ唯一、核兵器による被害を受けた国である日本。そして、もしかすると、史上最悪の原発事故ともいえるのかもしれない渦中にある日本。

日本はそういう、放射能に関しての特殊な歴史に行き着いてしまった宿命の下に(現在)ある国民ではあるわけで、個々の理由はともかく「何度も放射能と対峙させられた国」として、世界でも希に見る国であることはある程度は事実のように思います。


そして、そこで何となく思うことは、そういう国で生まれた納豆だとか、あるいは日本人だけが消化酵素を持っている海藻(海藻を消化できる遺伝子を唯一持っている)だとか、あるいは他の国とは違った発展を見せた味噌や醤油の文化、そして、梅干しや塩辛の「異常にしょっぱい文化」という、食文化の流れに何となく感じるものはあるのですが、それが何かは今はよくわかりません。


今は違うでしょうが、北海道生まれの私が少年くらいの時(1970年代)は、朝ご飯は、ごはんとみそ汁と納豆と、そこに漬けものというのが普通で、シャケやニシンなどの焼き魚があることもありましたが(当時の塩鮭やニシンはものすごく塩辛かった)、要するに、食事、特に朝食というものは、

ごはん + 塩(漬けものなど) + 発酵食品(納豆やみそ汁など)

が基本で、これが毎日毎日、何百日、何千日と朝に繰り返されていたのが当時の食生活でした。

これはかなり貧しい家庭でも、ある程度は達成できた朝食だったと思います。うちは親は教師だったのに、理由はわからないですが、すげー貧乏でしたが、上の朝食には「貧乏感」というものがまったくありませんでした。というか、「当然であり必然」だった。

当時は案外、金持ちや貴族階級でも朝食は似たようなものだったんじゃないでしょうか。
そのくらい「日本人の朝食としての当然感覚」はあったものです。


あと、東北の方々もそうだと思うんですが、北海道は料理に塩の量が多いんです。
今はずいぶん変わりましたが、特に年寄りなんかは、いわゆる現在の健康的な基準となっている塩の量の数倍くらいはとっていたのではないでしょうか。
何もかも「しょっぱい」。

発酵食品は他の様々な国にありますが、日本では特に「塩っ辛いもの」の食文化が突出して多様化した感があります。



他で無価値とされた生命を「宝」にしてきた人たち

どの記事だったかわからないですが、「日本人は他の国の人々が食べ物とは認識しないものをコツコツと食べてていた」というようなことを書いたことがあります

また、変遷を信じてという記事の中で、


死んだ宇宙と死んだ生命の機械的で自動的な運営を、もう一度宇宙の中で「再起動」させるために人類が関わることができるチャンスに巡り会っている可能性



ということを書いたのですが、(本当にこの通りに「宇宙はすでに死んでいて、その運営が自動的なものに過ぎない」とした場合の話ですが)、海底に一見、無意味げに漂う海藻たちが、もし、どの人間からも注目の対象にも食べ物としても見られることがなければ、「海藻たちは宇宙の存在として永遠に死んでいた」ということになるのかもしれないです。


しかし、それを「おっ、この海のゴミみたいのって食えるじゃん」と認識して、実際に食べたりすることによって、海藻たちは「存在の再起動」を果たした。

それどころか、海藻はいつの間にか日本人の毎日の食事のローテーションに組まれていたりする。

わかめ、こんぶ、もずく、めかぶ、とろろこんぶ、と、いろんな名称でスーパーに並んで(それは決してマイナーな売り場面積ではないです)、お店で刺身、あるいは、海藻サラダなんてものを頼むと、何だか名前のわからない数々の色とりどりの海藻が魚の横に並び、それは全部食べられる。


そのうち、「海のゴミ」と呼ばれていたものが「海の宝石」とか呼ばれるようになっていく

kai-saw.jpg


その「見向かれないものの宝化」が完全な日常となったのが日本の日常食の風景だと思います。
ここ数十年は様々な食文化が入ってきましたが、それは「食文化が多彩になった」ことは意味しても、これまでの食文化の根底が揺らいだという意味でもない。

今回のような非常時などの時に「納豆がすぐ売り切れる状況」を見ても、どうにもそれら「本来の食べもの」への愛情というのか執着は強いように感じます。


今では、いろいろな日本料理が世界に紹介されていますが、実は、日本食文化の根幹ともいえる、これらの海藻や納豆や梅干しや塩辛や卵かけごはんなどというのは、今でも基本的には他の国の食文化には馴染まないものです。それは「茶碗を持って、ズズズと食べる」という食事の基本スタイルと相まって、どうにもならない面はあります。

多分、日本に来たことのない多くの外国人たちは、「日本にこういう料理がある」という概念すら想像できない食べ物と食文化がたくさんあります。先日書いた、「動物の内臓に個別の名前を与えて、ただ焼いて食べる」なんてのも(焼き鳥屋のモツ焼きなど)、想定外なのではないかと思います。


しかし、それらが本当の意味で私たちが毎日接してきた文化ではあるわけで、寿司だのスキヤキだのラーメンだの、海外に行く華やかな日本食文化は、それらの外壁の中にあるひとつで(それらはもちろん大事なものだけれど)「コア(中心)」ではない。なぜなら、「ハレとケ」という概念からだと、寿司やスキヤキは「ハレ」であり、毎日毎日食べるものでは(本来は)ないからです。



そして、「海」は特に、日本人の生活と共にいました。

前にも書かせていただきましたが、今回、もっとも甚大な被害に遭われた方の多くが、以下に書かせていただく「海の食べ物との奇跡的な共存」を日本でずっとおこなわれてきた方々です。




ロタ島で見た「ゴミの宝の山」

ずいぶん昔、ロタ島という海のきれいな島に行ったことがあります。
毎日、ロッジの近くの海岸でボーッと過ごしていたのですが、十数年前のロタ島には本当に人がおらず、広い海岸に観光客が数人いて、あとは遠浅の海と白い砂浜が広がっている。

しかし、どこまでも広がるその白い砂浜に、やはりどこまでも「何か黒いもの」が点々とあり、それは沖まで延々と続いている。


最初は「なんだ、あれは? ゴミ?」と思い、近づいてそれを拾うと、それはなんと「ナマコ」でした。私が毎日行っていたロタ島の海岸には、ものすごい量のナマコがいたのです。種類がわからないので、食べられるものかどうかはわからないのですが、見た目は日本で食べるナマコと同じ。


「これが食べられる種類なら宝の山だな・・・。こんなにたくさんのナマコを立って見渡せるという経験は人生でもうないだろうなあ」



と、思ったものでした。

生きているナマコはこんな感じです。

namako.jpg

日本以外の国の人たちで、この生きたナマコに「食としての宝」を感じる人は、そんなにはいないのではないでしょうか。

これを新鮮なうちに細かく切って(かたいので)、三杯酢などで食べるのが日本の食べ方(中国では干したものを煮ます)ですが、とりあえず、これらのナマコに対して、私は「宝だ」だと認識したわけで、「ロタ島のナマコの宇宙は」少し動いたかもしれません。


まあ、食べようとした場合、そのナマコは「死んじゃう」わけで、ナマコの生と死という問題はありますが、この「食べる」という行為全般への問題は、簡単に解決するようことではないと思っています。

最近、この問題は多少考えられるようになったとはいえ(人間の食べるという行為は宇宙と人間をつなぐ神聖な行為かもしれないという仮定)、「対象の生命を奪う」ということに対して、短絡的な結論は簡単には出なそうです。


まあ、それはともかく、たとえば、ウニなんかも今では高価なものですが、やはり海で見つけて、生きたウニを見つめて「宝よ」と思うのは日本人以外ではそんなにいないように思います。

uni.jpg


このウニの姿なんかを見ていると、普通は、「こら食えないわな」という判断が働くと思うのですが、日本人の祖先はどういうわけか、次から次へとこれらを「宝」にしていき、また、海だけではなく、山の非常に多くのものを「食べものと認識して、さらには、「これは宝だ」と、その出会いを喜びながら食べていた。(食べられるものだから仕方なく食べていたということではない、ということです)


「うひゃー、フキとワラビ発見!」と山の宝の発見にも喜んだ。


ノビルにワラビにゼンマイ、タラの芽、フキにセリにジュンサイ・・・ジュンサイ(苦笑)。

ジュンサイにまでいたると、池や沼からこれを抜粋してきて食べものと認識して食べたというのは苦笑にも値する驚異であって、こういうような「見る人から見ればゴミ」のような大地の植物を「宝」として扱って、そして食べた。

Junsai.jpg

▲ ジュンサイ収穫の風景。


キノコもいろいろと食べた。

マツタケみたく変な価値体系がついた食べものもありますが、でも、本当はみんな、マツタケなんかよりナメコとかシメジのほうが好きであって、「ズル、ズルルルルルル」とか音を立てて、ジュンサイやナメコを啜る・・・。


神秘学には「第8領域」という世界が存在するようで、クモやハエといったものがそれに該当して、それらは「次の宇宙からは消えてしまう」ものなのだそうです。

だから、「宇宙からの消滅」を恐れる人たちはそれらの存在を恐れるのだそうです。

キノコもその第8領域にいるのだそうです。
これらを恐れる人たちもいる。


「キノコに宇宙からの消滅に引きずられるかもしれない」と。


しかし、日本人たちは宇宙そのものをあまり怖がっていなかったせいか、食べる食べる。探せば、日本の山にも(本当は世界中の山にも)、キノコはいくらでもあって、食べる食べる。

キノコたちも嬉しかったと思うんですよ。

「消滅する運命を持ったものを嫌悪し、無視する」という恐怖の中にいたハエやクモやキノコたち。まあ、ハエやクモは食べませんが、キノコに関しては、これまで、おびただしい量が日本人の胃の中に入り、吸収されていったはずです。

しかも、「山の宝」と褒め讃えられながら


なので、日本人が次の宇宙から消滅しても、消滅した先の「別の宇宙」では、キノコたちと暮らせるので、食生活には何の問題もないように思います。


「行こうぜ、キノコ」


と言いたいですね。

(なんだか、もう自分でもよくわからない)



食べ物の話はキリがないのでいったんやめます。

しかし、日本において、どのように、そして「なぜ」このような特異な食文化への価値体系が発生したのかはわからないですが、この、他のどんな民族も食べ物としたなかったような食べ物を「宝」にして食べ続けたというのは、本当に驚くべきことで、このあたりの秘密がわかるだけで、「日本人の由来」についての多くが解ける気さえします。


今、日本からは多くの外国人が退避し続けており、「戦後もっとも日本人率の高い」状態に今の日本はなっていると考えられます。だからどうだという話ではないですが、東日本全域に漂う放射能の中で、今いろいろなことを考えたりしたいなとも逆に思うのです。



なお、昨日の水パニック話を書いた後に、いろいろな方からメールをいただき、いろいろと励ましや援助的な言葉をいただいて嬉しかったです(今のところは大丈夫です)。

相変わらず、ご返信がとんでもなく遅くなっていて。申し訳ありません。

タグ:ナマコ



  

2011年03月21日



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以前から私のブログを読んでいただいている方で、あるいは最近の私の書いていることの意味がよくわからないという場合はあるかと思います。

一部に関しては私自身もそうです。
そもそも、自分で書いたことの全体的な意味を自分で理解しているかどうかも危うい部分があります。
やはり、どうも書いている瞬間に関してはあんまり自分ではないです。

このことについて、少し書かせていただきます。


今日、地震後に初めて大がかりな整理というか、部屋の現状復帰をしていました(地震でメチャクチャになったというより、地震後にいろいろと引っ張り出してグチャグチャになっていました)。その際、段ボールの中から昔の公演(演劇のようなもの)のいくつかのチラシが出て来ましたて、それを見ていると、いろいろなキャッチや文章がチラシの裏に書かれていて、全部書いたのは私自身なんですが、全然覚えてないんです。

「へえ、カッコイイこと書くもんだ」と、いくつか眺めていました。


脚本自体もそうですが、昔から何かを書くときには何にも考えていない状態のほうが多かったのかもしれません。

そのチラシに書かれていた中にこんなものがあって、これは十年以上前の公演のチラシの裏に、公演とは関係のない「資料」として、提示したものです。「 15歳の殺人犯の少年が犯行前日に日記に書いたものより」とチラシにはありますが、もちろん実在などせず創作なんですが、このように書かれていました。


K君(15歳)の1963年8月7日の日記より

宇宙が生まれた瞬間に考えが至りました。ぼくにつきまとう輪廻をひとつひとつ遡っていくと、そんな大それたところに考えが至ったのです。まだ気体も鉱物の存在もあやふやな原始のその存在は、物質の胎児と呼ぶにも値しないものなのかもしれませんけれど、あるにはあったと仮定するとすれば、果たして数百億年後の今のぼくのこの世俗的な倦怠を予測していたのかどうか、ひどく気になるのです。宇宙の誕生をほんのちょっと前へ、まったくほんのわずかに歴史を後退させると、すべての存在自体はひとつのようなものだったと聞いたことがあります。

(中略)

この状況に対して、ぼくは従順であるべきか、あるいは、反逆するべきなのか。自分の推測や考えから導き出される、このとてつもない不快に従順であることは、たいへんにつらいことだと思っています。もう考えること自体にへとへとです。


こんなことを書いたことを忘れているのですが、しかし、十数年ぶりにこれを読んで私は苦笑しました。

どうしてかというと、これは、以前記事に書いた 23歳の時の「殺せるものなら殺してみやがれ」というのと、ほぼ同じ意味になっているからです。この公演は三十代になってからのものですので、20代、30代、そして、最近も「殺せるものなら殺してみやがれ」と書いてばかりで、ずっと同じだったことがわかります。

「進歩してねー」と。

今はそうでもないですが、昔は自分が書いたものを読み返したりすることはまったくなかったです。基本的に「自分が書いたものや発表したものを振り返ることが恥ずかしい」という思いが強く、消滅への希望が強く出てしまいます。


それにしても、他のチラシも見ると似たようなことばかり書いてある。

「俺たちはお前ら神の領域には踏み込まない。だから、お前ら神も絶対に来るな。俺たち人類の領域に」

とか(連続殺人者の台詞)、

「貴様がオレと同属である限り、絶対に貴様の中に完璧な地獄を作ってやる」

とか(牧師がお祈りの時に言った台詞)、そんなキャッチばかり書いてある。

ストーリー的には、ホモのロシア人聖職者の話とか、変態殺人兄弟の旅の記録とか、そんなばっかりで、別に上のような感じはないんですが、チラシにはそんなことばかり書き散らしていたようです。

だからまあ、これらの神とか人類とかは長い間の個人的なテーマではあったんでしょうね。

ここに来て、ようやく(個人的には)少し進み出しているのかもしれません。


もちろん、それは進行中の神話的ともいえる「今の日本人の方々」から気付かされたものです。被災者の方々だけではなく、それを見守る多くの日本人の方々によってもたらされてものだと確信しています。「人類」と言いたいですが、今はまだ「日本人」という言い方にしたいです。


相変わらず私は「完全に受動的」な中にいて、私自身は何ひとつ自分でも考えず、考えようともしていませんし、考える能力もありません。ひたすら何かが誰かが、それを具体的に伝えてくれているわけではないけれど、何だか結果として私はいろいろと書き殴ったりしている。


シンクロニシティというようなことなのかもしれないけれど、そうなのかどうかもよくわからないし、定義もあまり知らないですけれど、生まれて初めて、「じつは自分は(そして他の人々も)つながっている。あるいは、これまでもずっとつながっていた」ということに何となく気付いたような気がします。ありがたいと思います。


数十億の歴史

そういうこともあり、読まれている方にも、よくわからない、あるいは同意できない部分はたくさんあると思います。それらも、今の話が進行中であるということと、あるいは、「人によっての宇宙は様々である」ということなどをご理解いただけると幸いです。


今、「あらゆる今までの表記上の学問が消えつつある」ことを感じます。自分の考えというものが自分にとってすべてである時代が登場した可能性もあります。宇宙の誕生も歴史も生物の進化も物理の法則も、すべて「60億人それぞれのもの」という時代になっていく可能性さえあります。

つまり、「すべてのあなたのすべての考えは、あなたにとってすべて正しい」。
そうとしか言えない時代が来たのだと思います。



もはや、議論や討論や是非は消滅し、それぞれが自問しながら歴史の中を進んでいき、外面的に存在している「社会」の自動的な運営と共に生きていく。そして、死んだ宇宙と死んだ生命の機械的で自動的な運営を、もう一度宇宙の中で「再起動」させるために人類が関わることができるチャンスに巡り会っている可能性を感じます。

まあ、男性の絶滅とか、いくつか些細な変化は今後あるかもしれないですが、人類が進めるところまで進めるといいですね。



書きたいことはたくさんあるんですが

それにしても、いろいろと書きたいことは多いですが、時間が足りないです。そういえば、男性性について、メールで、


 > 良くわからない混沌(飽和)である女性性は、はっきりと”個”の区別、つまり名称(内臓を砂肝やレバーと名称付けて、尚かつ美味しく味わってくれる)という事をさらっとやってのけてしまう男性性を、女性性はとんでもない憧れの的として見るのかもしれない。


ということが書いてらっしゃったものがありました。
「確かにそういう面はあるかもしれないなあ」と思いました。
名前で生命の個別化を徹底して図るのは男性に多い傾向に思われます。

マニアとかコレクターとかも男性に多そう。

「これとこれのどこがどう違うんだい?」

と第三者には感じるものも、厳密に区別して、相手を尊重したい男性性(尊重していなければさすがにできない)。

植物の世界でも、日本での盆栽とか山野草とかの植物栽培での個の区別の徹底さなんかもものすごいですしね。

これらの、特に「日本人男性の個の特定への執着」ということも書きたいし、いろいろあるのですが、いくら頭の中で考えが肥大しても、物理的な時間はどうしようもないですねえ。

まあ、ただ、最終的には「言葉では表せないこと」に向かって進んでいるようにも思います。
タグ:人類の進化



  


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先日の人類が獲得した「予知できない」能力という記事で、シュタイナーについてのことを記したメールを下さった方の内容を載せさせていただいたことがありましたが、同じ方からメールをいただきまして、その文章の中に「ああ、そうか」と気付いた部分があったので、ご紹介したいと思います。

(ここから転載)

まず宇宙はすでに死んでいると。そして地球は今や種子のような状態にあるとのこと。その種子が新たな宇宙を生み出しているとのこと。19世紀の後半辺りからです。

なぜ19世紀からかと言うと人類の脳神経系がその頃から物理的にそれ以前とは違う具合になったからだそうです。人類が把握する世界はますます死んだ宇宙が対象となり、まさに死んだ素材であったおかげでぼくら一人ひとりの個性がそれまで見たこともないほどに開花できたとのこと。

人間は不思議な存在でその身体は完全に宇宙的でありながらも、個性は地球上の経験があるからこそ誕生できました。


(転載ここまで)


私は私が中学生くらいから聴き始めたアンダーグラウンドを含めた様々な音楽や、あるいは反抗文化やカルト文化を含めた様々な文化といったものが、どうして、「人類史のそんなに後から突然出てきたのか」がわかりませんでした。

それどころか、そもそも「大衆音楽」というものがこの世に芽生えてから、まだ 100年ちょっとくらいしか経っていないのです。

最初に世界中に広まった「民衆のための音楽」は、米国の黒人たちが歌い始めた「ブルース」でした。その黒人たちは、奴隷としてアフリカから白人に連れて来られた人たちの直接の祖先です。そして、その直後か同じくらいの頃、同じ米国の黒人によって、「ジャズ」というものが生み出される。

実はこの、

・ブルース
・ジャズ


というのが「すべての大衆音楽の基礎」だと私は認識しています。

ロックはブルースの延長として始まり、イージーリスニングなどを含む、あらゆるリラックス音楽はジャズの延長として始まりました。メロディのある大衆音楽の「最初」がここにありました。「文化の最初」としては、人類史の中でのずいぶんと遅い「最初」でした。

そして、やっと音楽は一般の人々のみんなで共有できるものとなっていきました。
楽譜を読めるものしか作ることを許されなかったクラシックという「階級と秩序」の中の音楽であったクラシックから音楽は解放されました。

この場合は、米国の黒人が「人類文明の救世主」となり、その後の100年は人種や民族とは関係なく、大衆音楽は壮絶を絶する発展を遂げています。


かなり長い人類史の中の「たった 100年」。


文明の「突然の発生」と、「無制御な拡大」。


この理由が私にはわからなかったのです。
楽器はそのずっと以前からあったし、先史の人々だって、音そのものは楽しんでいたに違いないのです。しかし、たとえば古代文明にしても、それらの遺跡にしても、「音楽やアンダーグラウンド文化を楽しんでいた形跡はない」ように見えるのです。

これは私にとっては、本当に不思議だったのです。

そして、多分、生きている間にこの理由がわかることはないだろうなと考えていました。この 100年の音楽や様々な文化の発展は本当に「あまりにも唐突で急速」だったのです。

しかし、上のメールでなんとなくわかりました。

宇宙はこの100年、「その死が加速し続けていた」ということのようです。

メールの中のこの部分

人類が把握する世界はますます死んだ宇宙が対象となり、まさに死んだ素材であったおかげでぼくら一人ひとりの個性がそれまで見たこともないほどに開花できた


宇宙が生きていて、人類が宇宙に依存して存在していた場合、今の地球にのあらゆる「生き生きとした文化と文明」は生まれなかった。


娯楽、セックス、グルメ、インテリア、ファッション、恋愛 ・・・


このどれもが今のように多様に発展しなかった。

好きなファッションが人それぞれ違うように、人の嗜好はひとりひとりまったく違いますが、宇宙に準拠している生命の場合、「わりと」それは似ていると感じることがあります。

すなわち、たとえば、鳥や昆虫や両生類、そして、植物や微生物たちの嗜好というのは人類ほど多様に発展してこなかったという感じがあります。彼らとそのことで話し合えるわけでもないし、このあたりは推測に過ぎないですが、人類は「多様な好み」を獲得して、それだけに「文化は異常に多様に発展した」という気がします。


古代や中世だって、素晴らしい人間文明はたくさんあったし、また、日本でも古代や中世にはいろいろな文化があった。ぞれぞれの文化自体は素晴らしかった。足りなかったのは「多様性」です。

たとえば、古代文化は「悪や負の文化」というものまでを内包できるほど多様化できなかった。

「悪や負の文化」というのは曖昧な言い方ですが、カルト、ドラッグ、異常性愛、殺人や犯罪表現(ミステリー小説などもそうです)、死や死体、暴力、残虐。

映画にしろ、テレビにしろ、小説にしろ、大衆文化で上のような要素が「ひとつも入っていない」ようなものは少ないです。

・人が死なないミステリー小説
・暴力描写のないバイオレンス映画
・人間が出ないポルノ


これでは禅問答となってしまって、現代では成立しないですが、古代文化はあるいはそういうものだったのかもしれません(私は古代文化のことをよく知らないですが)。


「人間の考えたものは全部文化に入れていい」


人類の文化が、ここに至ることができた理由が、上の「宇宙が死んでいる」というものだとすると、死に始めた宇宙が生き返らない限り、人類の文化はますます発展していくのかもしれません。そして、「人間はひとりひとりが違う好み」を持っているという事実こそが、「人類はひとりひとりすべてが神様と同義だ」ということの証しなのかもしれません。

だから変な趣味を持っていても、それはいいことなんですよ(自分に言ってる)。


ただ、懸念というか、宇宙が本当に死んでいるか、あるいは死に続けているのなら、宇宙に準拠している(宇宙サイドで生きている)あらゆる生命も死に始めることになるのかもしれません。

確かに、今、あらゆる地球の生物が消えています。



ふと思ったことを書きました。

書く書くといっていた「男性性システムの毒」に入れないです。
これは一昨日、昔の知り合いの水商売をしている女性と会った時に、それまで、ずっと疑問に思っていたことが晴れたのです。
でも、長くなりそうで、またにします。


今日もいろいろとやることがあって、奥さんのお姉さん一家が住む福島へ宅急便などの配達が始まったということで、準備をしています。福島では飲料水からも放射能が検出されたということですが、現在、井戸の水で命を繋いでいる人も多いらしく、なかなかどうにも難しいですが、とりあえず、配送が再開されたことで少し安心したと奥さんは言っておりました。


また、私の実家のある北海道は経済の根幹が観光なのですが、最近ではその観光収入の多くを、中国、韓国、台湾などからの外国人の観光客に頼っていました。しかし、そのほとんどがキャンセルされているということが連日報道されているそうで、重大な経済ダメージは免れないということのようです。


どこも大変です。
タグ:宇宙と人類



  

2011年03月20日



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地震直後あたりは夢も見ないような状態だったように記憶していますが、ここ2、3日はよく見ます。たまに変な夢も見ますが、のどかな夢が多いです。

昨日見た夢の中で、「目の前に大きな3の数字が並ぶ」というものがあり、「パチンコの確変か?」と思いましたが、そうではないようで、とても大きな「3」が並んでいます。夢では、その「3」を見つめる私の背後で、背の小さな男性が飛び上がって喜んで、そして、周囲に「3だ、3だ」と伝えています。

そこで目が覚めたのですが、「3ねえ・・・どんな意味だろう」と思い、気になる夢を見た時に参考にさせていただく、未弐の夢事典を見ると、こうありました。


… 三位一体。心・身体・精神の調和。2つの対立するものから生まれる統合。創造性。新しい可能性。対立の解消。誕生。男女から生まれる子供。性意識にとらわれない友情関係。男性器。攻撃性。父なるもの。霊的なメッセージ。



「おっ、よくわかんないけど、悪くないじゃん」と思いつつも、この中に「男女から生まれる子供」というのがあることに気付きました。子どもは男女から生まれるものだろうという「現状での当然」から考えると「男女から」という表現は不思議な感じがしました。

こういう選択があるということは、

・女から生まれる子供
・男から生まれる子供

という項目もこの世には存在するということなのかもしれません。

ところで、前回だったか、「女性性」というものについて書いていたと思うのですが、性別の意味での「女性」という存在は実は生物学的には永遠だということはご存じでしたでしょうか。

逆から見ると、「男性は滅亡する」ということがすでに生物学では確定しているのです。これは別に夢や幻のうわついた話ではなく、確定した厳然とした事実です。



消えるY染色体


あまりこのことを詳しく書く時間がないですので、そのことについて書かれているページなどをいくつかご紹介しておきます。

・ NHK で 2009年1月に放映された番組 NHKスペシャル 女と男〜最新科学が読み解く性〜 男が消える?人類も消える?


・ GIGAZINE の 2009年5月の記事 男は絶滅する運命?消えゆくY染色体は何を意味するのか

こちらは抜粋しておきます。

オーストラリア国立大学のジェニファー・グレイヴス教授は「Y染色体は消えつつあり、500万年以内に消滅してしまう可能性がある」とアイルランド王立外科医学院で行われた公開講義で医学生たちに語りました。

しかしこれは決して人類の滅亡を意味するわけではなく、将来的には「新人類」が誕生する可能性すらあるとのこと。Y染色体上の重要な遺伝子を持っていないにもかかわらず生殖できる齧歯類(げっしるい)と同じ道をたどるのではないか、と示唆されています。

「オスであるためにはY染色体を持たなければいけません。3億年前にはY染色体上には約1400個の遺伝子があったのですが、現在ではたったの45個。この勢いだと500万年ほどでY染色体上の遺伝子は無くなってしまうでしょう」とグレイヴス教授。

「Y染色体は消えつつあります。問題は、消えたあとに何が起きるのかということです」。



これはどういうことかというと、染色体というのは、

・XXなら女
・XYなら男


となっています。

つまり、「男性」が存在するためには「Y染色体」が絶対に必要ということです。

その「Y染色体」が時期は未定ながらも消えるということです。
その時には人類に男性は存在しません

消滅する時期に関しては、上の専門家は 500万年後とか言ってますが、いろいろな専門家の意見があって、「来年、Y染色体が消えても不思議ではない」という人も多いです。


Y染色体の消滅が人類の滅亡を意味するわけではないです。

上の記事の「将来的には新人類が誕生する可能性すらある」という記述のように、生体システムが変化するだけだと思われます。

ただ、男性が消えるというだけです。
それだけは現時点で「確定」しています。


そして、実は地球上の生物でこの「男性だけ滅亡する体内システム」を持っているのは人類を含む哺乳類だけなんですよ。

NHK スペシャルの番組記事からの抜粋です。

「遺伝子できちんとオス・メスを決め、両者がそろって初めて子孫をつくる」というのは、私たちほ乳類が独自に獲得した方法だ。ほかの生物はメスだけで子孫を残せる仕組みを持っている。そのほ乳類独自のシステムが長くほ乳類の繁栄を支えた一方、いよいよその寿命が尽きようとしているのだ。


この記述が目を引きます。

 > ほかの生物はメスだけで子孫を残せる仕組みを持っている。


私は実はこの「男性の絶滅」というイベントに小さな希望を見ています。
つまり、男性が現実的に絶滅すれば、どうやったって「女性性社会」に移行していくことは確実だからです。

今の社会全体を見ていても、精神的な意味で社会が男性性社会から女性性社会へと移行するかどうかは微妙だと思うのです。たとえば、今回、私たちが「殴られたように気付きだした」ことも、大震災という、ないほうがいい出来事でのことでした。


今回のことを振り返ってみると、「現実での何らかの変化がないと、社会の精神性変化も伴わないのではないか」というような感覚が少しあります。

それなら、次回の大きなイベントは Y染色体の消滅。すなわち、人類の男性の完ぺきな絶滅です。


先日も引用した、聖書の「ヨハネの黙示録」にある、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」というのも、これと関係あるのかもしれません。

Y染色体の遺伝子は、あと45個しか残っていません。
3億年前にはY染色体には約1400個の遺伝子があったそうです。

この急速な減り方と、そして、「時間は加速している」という事実を加味すると、今年あたりには男性の絶滅イベントが始まる可能性も感じます。

その後は、女性たちの体質や体内でも変化がおきるのだと思います。
哺乳類でも齧歯類(リス、ネズミ、ヤマアラシなど)の一部は、そのように「進化」しました。
彼らの中には Y染色体上の重要な遺伝子を持たないのに繁殖できる種類があります。


そんなわけで、今いる私たちが「地球最後の男性」だとして、この私たちが何らかの理由で消えれば、その後は「完全に男性は地球上から消えます」。これは科学では解決できませんし、神にも宇宙にも解決できません。


それにしても、まあ、宇宙というのは面白いシステムを作ったものです。もしかすると、人類が「宇宙の記憶から独立」したのは、実は将来の絶滅を知っていた「男性」だったのかもしれませんね。「滅びる前に男性性社会を作っちまえ!」と。
そんな気がしました。

でも、絶対にいなくなっちゃうもんねー(笑)。


実は、今回は、昨日飲みに行った時に気付いた「男性性システムが日本社会にもたらした毒」ということについてを書きたかったのですが、ちょっと用事ができましたので、あとで書きます。このことは絶対に書いておきたいというか、特に「女性に知ってもらいたいことがある」ことなので、今日書くと思います。

なぜ、「絶対に」かというと、それらを知ることで、女性同士の間での「不要な差別感覚」が消えると思うからです。

女性性社会の中では、女性同士に「階級や区別」があってはいけないと考えています。


女性は男性が消滅した後の社会の責任を担っています






  

2011年03月19日



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北海道に住む方から、「東京などにも地震の影響が続いていることを知って驚きました」というようなメールをいただきました。札幌あたりでは、被災地以外での物不足などについては報道されていないようです。

とはいえ、東京などは多少不便であるだけで、大したことにはなっていませんので、何かのお力等は被災地そのものの方に向けていただくと嬉しく思います。


また、九州など各地の方からいただいたメールでは、物不足のようなことは、西日本などでは起きていないようで、不足が発生しているのは、関東から東北エリアに限られているようです。


私も北海道で育ちましたので、何となくわかるのですが、北海道などで地震のことがそれほど報道されていないのは仕方ないかなという気もします。

北海道は娯楽などを含めて、かなり独立したメディア体系となっていて、報道内容は北海道の話題が圧倒的ですし、午後の番組も北海道単独の地方バラエティのようなものが主で、本州にいる私たちが思っている以上に、本州の情報は流れない傾向にあります。

私は今、東京に住んでいますが、たとえば「報道が東京の話題に偏る」というようなことはないので、この「地方独自の報道が主流の地域は多い」ということを忘れやすいです。



地震後1週間目の夜の街

子どもの幼稚園が終わり、春休みになったのですが、いつも長い休みには、うちの子どもは奥さんの実家にわりと長い期間遊びに行きます。今回はこんな状況ではありますけれど、本人が行きたいというので行かせることにしました。

実家といっても東京の東村山というところで、ここから近いのですが、しかし、うちの奥さんのほうが子どもと離ればなれになるのがイヤだと、一緒に行きました。地震の時に「一気に通信網が途絶える」ことを経験して、子どもと連絡がとれなくなるのがこわいということでした。

東京は地震直後は携帯も固定電話もずいぶん長い時間使えない状態でした。


そんなわけで、地震後、はじめて夜ひとりになりましたので、夜の町を見て回ろうかと思いました。寒い夜でした。

午後8時くらいに歩いていたのですが、西友などの24時間営業スーパーも今は午後7時くらいで閉める店が多く、街はかつてないほど照明的には暗い雰囲気が漂っています。

西友は午後に行くと、買い占めか流通の問題かわからないですが、やはり食べもの関係は相変わらずあまりなく、節電という理由以上に、店を開けていても意味がないという部分もありそうです。


飲食店関係はどこもほぼ普通に店を開けているように見えます。

たまに行く飲み屋に行ってみました。

カウンターの隣にはたまにこの店で会う二十代の女の子の常連客たちがいて、しばらく話していましたが、こういう時は「あんまりひとりで部屋にいたくないんですよ」ということでした。
みんな、今は知り合いと過ごしていたいということのようです。

他の店でも飲み屋は混んでいました。

雰囲気はとても明るく、いつも以上に楽しい雰囲気で、たまに地震の話は出ますが、どちらかというと、地震とは関係のない話が多いようです。

それでも、会社や仕事のことや、何となく崩壊寸前の雰囲気が漂う市場や金融システムなどのことを考えると、みなさん楽観的ということではないはずですが、それでも、今はそれよりも人と会って、「自分はその人と知り合いだった」ということを確かめたいという意識が強いようです。

これは私もわかります。
数日前まではそういう気持ちもなかったですが、今は人と会いたいです。


しかし、一般の人々が集まる飲み屋は盛況のようですが、やはり昔の知り合いで、水商売関係の女の人に電話をしてみると、接客業の営業状態は壊滅状態のようで、お客さんが来ないらしいです。
まあ・・・これもこれでわかります。

今は「うひょひょひょ」と夜の街に遊びに行く気分ではない気はします。

ただ、「知り合いといたい。知り合いが知り合いであることを確かめたい。そのために話をしたい」という気持ちでいろいろな場所で集まっているように思います。

日本の多くの飲み屋(どんなタイプの店でもお酒を出すところ)は、単にお酒を飲むところというより、そういうように、人たちが知り合う場所として、あるいは知り合いであることを確かめる場として機能している部分もありそうです。


ちなみに、そのカウンターの横にいた女の子がいつもと違って妙にワイルドな格好をしていたのですが、聞けば、節電で街が暗くなり始めた頃から「変な男の人たちがいろんなところでウロウロしているんですよ」ということですので、停電や節電の地域の皆さんはいろいろとお気をつけ下さい。

ふだんは、いかにも女の子らしいファッションの彼女も、今、夜歩く時は「基本的にひとりで歩かないことと、後ろから見ても女性に見えない格好にしている」とのことで、分厚いコートの下に軍用のズボンのようなものを履いて、素っ気ない帽子を被っていました。

ところで、その女の子たちにも先日書いた「人類は宇宙の記憶から独立した優れた生き物だ」ということを、難しい言葉を使わないで言ったりしていたのですが、それなりに興味深く聞いてくれました。

まあ言い方は、

「カラスとか鳥とかって、なんか未来とか予知できてるっぽいじゃん。地震の前に逃げる動物とか、ネズミとかさ。あれさ、便利に見えるけどつまんないんだよ。だって、人と出会ったり恋したりする時に、最初から全部わかってたらつまんないじゃん。ドキドキしないじゃん。人間のこれってすんげえことなんだよ」

みたいな感じで、向こうも「わけがわからないことを言う、しょーがない酔っ払いオジサン」として、適度にそのお相手をしてくれていたみたいですが。


ああ、また余談が長くなってしまいました。
「女性性と日本」ということについて昨日から(お酒飲みながらですけど)考えています。



地球の正体

前回書いた「女性 " 性 " 」というものについてなのですが、最近いただいたメールの中で、一種の神話的な観点からいろいろ書いてくださったものがあるのですが、その中にこういう部分がありました。


母なる大地は遠い過去に身体を八つ裂きにされ大地に撒かれたと言います。
永遠の女性である人間の魂はやっと母の記憶を鮮明に思い出したのかも知れません。




このようなものを読むと、「女性"性"」で考え込んでいた私の疑問は、疑問そのものがおかしなことだったということになります。

つまり、「地球の存在そのものが女性だ」ということになり、つまり、人類はその存在として基本的に女性だということになります。

しかし、この意味は大変に難しく、少なくとも「女性の立場」とか「女性中心の社会」とか「女性の地位がどうのこうの」といったような現代社会で言われるような言葉そのものが「無効」であることがわかります。「リードする」とか。

存在がひとつの場合、上の「中心」とか「リード」とかいったような「比較」の表現は出てこないはずです。

つまり、人類の存在が女性だけなら「女性への比較表現」というのはあり得ない。
また、これは、いわゆる性別(SEX)の男性、女性という意味でもないです。

(うーん、難しい)


しかしまあ・・・実はこのことを突き詰めていくと、私はひとつの懸念・・・というのか、つまり、これを書いている私は男性なわけで、私は「男性"性"」をかなり認識できています(好きではないですが)。

「男性"性"」の社会とは要するに今です。
この2000年くらいの世の中の中心的なシステムの全部です。
政治とか法律とか宗教とか市場とか学校などの存在する現在のシステム全部です。

つまり、「女性"性"」のもとではそれらは存在し得ない。

キリスト教の聖書というのもいかにも男性性な感じのするものですが、以前、ヨハネの黙示録という章を読んだ時に、こういう文言が出てきます。


「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」


これが「聖書のできた時代から新しくなる」とするなら、男性"性"から女性"性"への世界への移り変わりであることは伺えるわけですが、具体性に乏しいので、それがどういう世界か今ひとつわかりません。


それはともかく、この「男性"性"」が作り出した「現在での地球での違和感」を考えていくと、つまり・・・「そもそも地球においての男性とは何なのか」という、とんでもない問題に直面することになるのです。

「なんでオレはここにいるの ?」と。


これに関して、「生殖機能としての男女がいなければ、社会は成り立たない」というのはあまりここでは関係ないことです。人類の進化を見れば、そんなものはそぎ落とせたと考えるほうが妥当な感じがします。他の生命と違う進化(存在の誕生)をした人類なら、宇宙の歴史から独立した際に、「本来の存在」だけで、人類を構成することはできたはずです。


人類がそぎ落とした「無駄な機能」

以前の記事で、人類は「未来を予知できず、過去も見えない」という、生きることを楽しむための最大の偉大な進化能力を手にしたということを書いたのですが、人類が手にしたものはこのような能力だけではないと思われます。

すなわち、上の予知できない能力は、「宇宙の記憶の帯(アカシックレコードのようなもの)から独立した」ことによって獲得したのだと思いますが、しかし、さらにすごいのは、人類は「文明を発展させるための生命として、たくさんの機能をそぎ落としてきた」という面があるのだと最近思いました。

たとえば、地球にはこういう能力を持つ動物はたくさんいます。

・空を飛ぶ(鳥や昆虫など)
・速く走る
・土に潜る(モグラなど)
・闇夜で物を見る(コウモリなど)
・磁場で方向を見る(鳥など)
etc...

生き物の能力にはキリがないですが、上のような動物はそれぞれいます。
ここに微生物を含めれば、「真空で生きられる」、「高温で生きられる」、「低温で生きられる」などの能力を持つ生き物もたくさんいます。

人間にはそういう身体能力はないですが、そのお陰で、文明の発展という概念が登場する土台ができたと思われます。

すなわち、飛べない人間は飛行機やロケットを作り、速く走れない人間は車などの地上の移動手段を作り、低温や高温に耐えられない人類は住居と衣服を発展させてきた。今ある文明の多くがそうだと思います。

そして、「人類の宇宙への旅立ち」というのがその延長線上にあります。

「宇宙が何か」という問題は置いておいても、物理的な現在の宇宙への旅立ちには、飛行技術やエネルギー装置などのあらゆる文明の技術の集大成として辿り着いたものだと思います。


私は「人類が宇宙を目指して多少行くことができたり、観測できるようになった」というのは、「物理的な宇宙との決別の時期の前に必要なことだった」ように思います。

すなわち、物理的な宇宙はどこまでも広がっていて、物理的に人類が宇宙のどこまでも行ける可能性はないわけで、ある意味、無駄なことをしている。しかし、「自分の体内に宇宙がある」という考えが、もし正しければ、それがわかった時には、物理的な宇宙との接触自体の必要がなくなるのではないかと考えています。



男性性から女性性へのシフト

話がずれてきた感じもしたので、戻しますが、そんなわけで人類の進化の中では、本来の地球である「女性性だけの存在」で人類が始まっても構わなかったようにも思うのです。

しかし、性としての男性は存在し、それどころか「男性"性"」が今の世界観を支配している。


この違和感は・・・。

今書いていることの始まりはすべて、「人類は宇宙の中での最高に進化した生命だ」ということが前提となっているものですが、人類としてそれを伝えているのは、多分、女性"性" であり、それは性としても「女性」だと考えています。


では、男性"性" は何を伝えているのか?
その存在の意味は何なのか。


前回メールを紹介させていただいた被災地の 74歳の女性がまたメールをくださいまして、そこにこういうことが書かれてありました。

(ここから)


20世紀まで世界を引っ張ってきたのは男性性。
学問も、芸術も、国家も戦争も。
その毒が世界中に回ってしまった。
悪いことに、有能な女性たちがみんな男性性の価値観に侵されている。
古代、歴史以前はどうだったのでしょうか?

価値観というのは男性性
受容力というのが女性性


(ここまで)

男性性と女性性の違いを「価値観」と「受容性」と表現されていました。

それに加えて、私は最近気づいたのですが、「制御」と「無制御」ということもあるように感じています。

私はもうずーっと変な音楽、変な芸術、そういうものに囲まれて生きて、それ自身が人生だった感もあります。どうしてそんなものが好きになったのかはわからなくても、それらを貫き通す概念は「カオス(混沌)」でした。



この「カオス」と「無制御」は非常に近い場所にあると個人的には感じていますが、一見荒く見えるこの「カオス」と「無制御」という2つの概念は、実は「女性性」です。

その反対の男性性は、「制御」と「秩序」が大好きで、たとえば、「階級」というのも秩序から生まれており、金銭的なものを含む区別と差別というのも、秩序から生まれています。

そういう意味ではこの 2000年くらいの地球は「秩序」から作られていたことがわかります。

なんとなくいい響きのある「秩序で構成された世界」。
しかし、実際は今の世の中はどうだろうかという話ではあるのです。

「カオス」と「無制御」というのは、それらをすべて取り去る概念です。

階級、差別、無意味な価値観、法律、組織といったようなものはすべて「男性性」である秩序や制御から生まれていて、反対の「カオス」と「無制御」からこそ、その反対のものが生まれるものだと私は思っています。


「法律などなくても平安に過ごせる」というのが本来の人類の姿のはずですが、それがどうしてできていないのか。あるいは、いつかはそうなれるのか。



被災地に私たちが見ている「巨大な希望」

あまりにも理想的で楽観的なことを書くのもあれですが、今、被災地で被災されている方々の姿を見ていると、


「もしかしたら、私たち日本人にはいつかはそれ(法律など要らない人類の本来の生き方)ができるのではないか」


という、ものすごい希望をそこに見るのです。

これは本当にものすごい希望であり、私が現在のことを神話の1ページだ、新しい聖書の始まりだと書いているのは、気持ち的にはウソでも何でもなく、単なる激励の意味でもないのです。

本当に希望なのです。

それでも、いくら日本語をしゃべって、日本文化を持つ日本でも、今の男性"性" の文明のままでは上の希望を達成するのは難しいとは思います。


日本のこれまでの社会秩序が崩壊するかもしれないという今の時期に、私たちはもっともっと「女性性」というものを考えてもいいのだと思っています。

母なる大地の概念から言えば、地球と人類は存在そのものが女性なのですから。


とはいえ、やはり本当に難しい問題だと思います。
数千年続いた男性性システムの心理的支配はとても強いと感じます。

ちなみに、これらの日本人への賞賛的な記述は「愛国的」という概念とはまったく関係ないし、相容れません。なぜなら、この「愛国的」とか、そもそも「国家」という枠組みそのものが「男性"性"」のもので、本来の人類とは違う性質のものだからです。



コルマンインデックスの第5サイクル

コルマンインデックスというものがあります。私がきちんと説明できるようなものでもなく、ヤスの備忘録のこちらの記事などで詳しく解説されていますが、マヤカレンダーの研究者でもある人類学者のコルマン博士が提唱したマヤカレンダーの解釈です。


このことについて、ずっと以前に記事にして挫折した記述があります。

9つのサイクルと自分 - 164億年前から8億4000万年前まで (2009年08月26日)

という記事です。
2年くらい前のこの時は、まだ生命が宇宙から運ばれてきているということを知らなかったですし、また、ダーウィン的な進化論を普通に信じていたので、いろいろと違和感はありますが、記事は当時のままです。

何しろ、「人類の正体」に気付いたのが、先日の地震のあった後ですし、さらに今は感覚的な時間は地震から止まっていて、つまり「気付いたばかり」なのです。


それにしても、まだ時間は止まっている感じがしますね。


このコルマンインデックスというものでは、今の宇宙の歴史をいくつかのサイクルにわけていて、それぞれにテーマがあります。
その中の第5サイクルと第6サイクルはこうなっています。


第5サイクル
10万200年前から5116年前(9万5084年間) 文化の誕生

第6サイクル
5116年前から西暦1755年(4862年間) 国家の誕生



という部分があります。

すなわち、コルマン博士の言うところでは、国家の誕生を 5116年前としており、人類の男性性の社会の枠組みの一種の「完成」のようなところはこのあたりにあった可能性も考えられます。

加えて、何ともいえないのですが、私は、「文字」という存在そのものが男性性ではないかと考えることもあり、「男性性社会は文字の出現と共に現れた」という可能性も考えます。文字の出現は各国である程度は時期を推測できます。日本での文字の出現はかなり遅いです。


しかし、これら過去を考えることには限界があり、文字の出現前の日本がどんな社会だったかということがわかるわけもないですので(私たち人類は過去も未来もわからない特性を持っているので)、仮に、これから、私たちが、この「第5サイクル以前」に、つまり、国家の枠組みより前の時代に戻ることができたのなら、それは「女性 "性" の社会の復活」の一歩ではありそうです。



あと、「女性の美しさの変化」ということについて書きたいと思っていたのですが、さすがに長くなりましたので、後にします。

今まで(なんだか恥ずかしくて)一度も書いたことはないのですが、私は 2009年の11月頃から、突然、「女性の見え方」が変わったのです。それは、以前と「比較にならないほど美しく見える」ようになってきたのです。

最初の何ヶ月は感覚的なものだと思っていたのですが、昨年あたりからそうとも言っていられなくなり、ちょっと異常な状態です。

そして、昨日の記事に書いた吉祥寺の光景。
吉祥寺の公園の風景を見ていた私はそれがさらに進んだことを知りました。
昨日の井の頭公園で、私は天使だか天女だか女神だか表現はわからないですが、そういうものに囲まれている感覚がありました。

理由はわからないのですが、考えたいとずっと思っているのです。
もちろん悪い気分のわけはないのですが、不思議さは残るのですよ。
だから理由を知りたいと思っています。

どんな理由でもいいのです。
単に女好きが進んだというのならそれでいいのです(その可能性も高いです)。
でも、違うのかもしれないですし。



なんだか・・・読み返すと、異常に長いですね。
これはこれで申し訳ないです。
タグ:母なる地球



  

2011年03月18日



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時間の感覚が止まったままで、何日前とかがあまりわからないのですが、たしか一昨日前の黒い雲から始まった強風のあの地獄のような天気を考えると、今日はまだ寒いけれども、穏やかな天候でした。

午後になってから、隣町まで歩いてみることにしました。
五日市街道という比較的長く続く道路沿いを歩いていると、道沿いのガソリンスタンドに、「燃料 すべて売り切れ 入荷待ち」という張り紙が貼られてあり、無人になっていました。

ところが、そこから道路脇ににえんえんと車が並んでいて、どうやら「ガソリンの入荷」を待っているようなのですが、果たして情報があって並んでいるのか、そうではないのかわからないですが、車の中では横になって寝ている若い人もいて、かなり長いこと待っているようです。

東京でこれでは、他の場所でのガソリン不足もかなりのものかもしれません。



これが大変なことはわかりますし、お察ししながらも、ある別の面ではいろいろな感じ方もあるということを被災されている方からいただいたメールで知りました。

具体的な町名はともかく、今問題となっている原発に近い場所にある町でひとりで暮らされている 74歳の女性の方からのものです。最初、メールをいただき、短いご返信をさせていただいただけなのですが、また返事をいただきました。

(ここから抜粋です)


あわてて逃げなければ、74歳一人暮らしの
平安な日常があることに気づきました。

常磐線(すぐ下が線路)も車も通らないので、
嘘のように静か。

水はわき水を汲んで、持ってきてくださる方の
好意に感謝して大事に飲んでいます。

水も食料も、普段使っている量の何分の1かで足りることが
わかりました。犬たち猫たち(雑種犬2匹、猫5匹)も同じ。
嬉しくて、おしゃべりすぎたみたいで反省しながら。




(ここまで抜粋でした)


原発の放射能の問題や、他にも、それは確かに本当にいろいろとあるはずですが、こんなに読んだ私を安心させてくれるようなメールをいただいたことに感謝しました。

私が読んで本当に安心したので、ここでご紹介させていただきました。


ガソリン不足で不自由されている方がいることは事実ですが、それで初めて知ることができた「本当はここはとても静寂な空間だった」ということや、様々に初めて知ること。

私も今の東京の中で「生まれて初めて見る光景」をたくさん見ています。


このように考え方を良いほうに変えていける能力も人類だからのことだと思います。他の動物たちは動物たちで確かに様々な才能や能力がありますが、多様性や無限の思考の変化は難しいと思うのです。


私の奥さんのお姉さんが福島の郡山という街に住んでいて、昨日やっと家の電話が通じたようで、うちの奥さんは電話で震災後6日目に初めて話せました。

たまに笑い声も聞こえるような楽しそうな会話でしたが、当然、当地は楽しいわけがなく、こちら東京では放射能がどうだこうだと言っていますが、放射能より何より「水と食べものがない」ことが問題で、もっと言えば、「何にもない」のだそうです。
電話以外のインフラは厳しいようです。

放射能より餓死しちゃう可能性のほうが高いかも」と言って笑っていたそうですが、笑い事ではないし他人事でもないことは十分にわかります。

それを笑って話せるから人間なのだと思います。
あるいは、日本人なのだと思います。



井の頭公園の光

今日は吉祥寺の武蔵野八幡宮というところに歩いて行くつもりでした。

最近は、神社に入ろうとすると、鳩などに阻止されることが多いので(苦笑)、今日も何かに妨害されたら素直に入るのをやめようとしましたが、若干の妨害(なぜかニヤニヤと笑う中年男性たちが何度も何度も道を横切る)がありつつも到着し、いつも通りに、お祈りも祈願もせず、なんとなく「いろいろと、どうもありがとう」と境内で言って戻りました。

ちなみに、一昨年くらい前からだったか、私は神社に入る時は境内で狛犬の顔を見るようになりまして、それが怖く見えたら入らないようにしています(キチ・・)。今日はダラーッと弛緩した感じでしたので、まあいいかと。

この武蔵野八幡にも人はおらず、神社はどこも寂しい感じです。


その後、しばらく吉祥寺のいろいろな場所を歩いていたのですが、ふと、「そういや、ガイジンがいない」と気付きました。

海外では各国で「日本からの退避勧告」が出ているという報道もあり、外国人が少なくなっているのは当然なのかもしれないですが、こう見ないと不思議な感じがします。


taihi-2011.jpg

Yahoo! ニュースより。これでは外国人が消えるのも当然かもしれません。



吉祥寺は、住んでいる人も観光客もどちらの外国人も多い街で、外国人を見ないということはまずありません。
人種は西洋人、インド系、中国系、その他アジア系と多岐に渡ります。


外国人たちが最も多く見られる駅から井の頭公園というところまで伸びている通りに行ってみました。この井の頭公園というのは、このあたりでは最も大きな公園で、その周辺の道には若者向けの小さなショップがたくさん並び、周辺に住んでいると思われる西洋人やインド系の人たちと、観光客と思われる台湾や韓国の人々がいつもたくさんいます。

そして、今日。

いくら歩いても外国人の姿が見えませんでした。


「おー、吉祥寺が日本人だけになっとる!


と驚きにも似た感覚があり、そのまま井の頭公園に入ってみました。


そこには、もはや現在の大災害とはまるで関係のないような日常がありました。


数多くのアベックたちがデートをして、女子高生の集団がいろいろなところで笑いながら話しており、そして、今日はどこかの大学の卒業式だったのか、艶やかな卒業衣装の女性たちが随所にいます。

公園の池の水面は太陽の逆光で光り、その池ではたくさんの人たちがボートに乗って笑っている。


「・・・・・」


一瞬現実ではないような風景に見えましたが、現実なのです。

被災地の方には不謹慎かと思いますが、彼女たち彼らはすでに「楽しみはじめて」いたのです。


私は前回までいろいろギャーギャーと人類がどうだこうだと書いていましたが、結局、人類が地球の他の生き物と最大に違う点とというのは、

「楽しむことに突き進む」

という一点に集約されるのではないかと思うのです。

命をかけて楽しんで生きようとする。
そのためにはいいことも悪いことも起きる。


「楽しむ」という感覚は、少なくとも人類ほどそれを持っている生命は多分あまりないと思います。あるいは「人間以外に存在しない」かもしれない。

楽しむという「語感」は不謹慎にも思える時が確かにあるでしょうが、たとえば、今の被災者の人や、日本人全体にこそ必要なものだと思います。


それにしても、若い人はすごいなあと思います。

私などは何となく、今は心から楽しんだりしてはいけないのではないかと思ってしまいますが、井の頭公園で見た若い人たちは、特に女の子たちは、本当に笑って楽しんでいるように見える。そうやって「精神のサバイバル」を早くもしている。

それがまた異常に美しく見える。

パッと見れば、井の頭公園にいる女性誰もかれもが異常に美しい。


「女神・・・・・女の人の神様か・・・この言葉はアリだよなあ」


などと考えて、ついでに売店で缶チューハイを買って(また酒かよ)、井の頭公園の池の中央にある動物園の入り口の向かいのベンチに座って、いろいろな光景を眺めていました。

すぐ隣では、何かのリハーサルなのか、これが本番なのかはわからないですが、女の子二人組が、ひとりがアコースティックギターを弾き、ひとりが絵本を広げて、大きな声でそれを読んでいる。

その後ろでは赤ちゃんをつれた家族連れがごはんを食べている。

アベックがふたりで寄り添ってひっきりなしに歩いて行く。
みんな笑って歩いて行く。

女性はみんな死ぬほど美しい。
男はみんなひどい


立ち上がって池を見ると、池から太陽の逆光がスパークして移動していく(何の物理現象だ?)。


ああ、来てよかった。


そう思っていた時に、ここで初めて外国人の姿を目にしたのです。
ベンチに座って鳥を双眼鏡で見ている白人のふたりの中年男性でした。

鳥を見ているとはいえ、このふたりがいわゆる上品な人たちではないことは言葉ですぐわかりました。多分、彼らは周囲の人が英語は全然わからないと思って言っているのでしょうが、

「ファッキンは結構みんな知ってるぞ」

と言ってやろうかと思いました。
つまり、会話に「 Fuckin' 」をたくさん使っていた人たちでした。

テレビで見た災害の様子を言ったのでしょぅが、「Fucking mess !」と大声で言ったりしていました。これは適切な日本語だと、「クソひでー状態だぜ」というような感じでしょうか。

まあしかし、何となく「アメリカの私」というような感じもしないでもなく、「こういうような外国人たちは残るわけか」と感慨深く、その「ガイジン」を見ていました。


いずれにしても、初めて見た「日本人だけのこの街」というものを、いろいろな意味で興味深く思って、後にしました。


ところで、今日の美しい女性の風景を見て改めて感じたのですが、日本文化というか、「日本」そのものと「女性" 性 " 」というものは非常に関係があるように感じています。この「性」というのは性別の性ではなく、「属性」などの言葉に使う意味での「性」なんですが、うまく書けません。「女性的」という意味ではないです。


たとえば、「お米を一粒も残さないで食べなさい!」と叱るのは大抵はおっかさんで、お父っつぁんではなかったと思います。

「お米粒を一粒も残してはいけない」という宇宙の責任を担う人類としての言葉を伝えていたのは女性が主だったし、他にもことばの曖昧な言い回しなどを含めて、非常にそのことは感じるのですが、今は表現できる言葉を持ちません。

日本神話とか知っていれば、なんか出てきそうですけどね。
よく知らないのですよ、日本神話とか、古事記とか。まあ、このことは、書けることがわかる時があれば書ければいいなと思います。

この「日本的精神性」というのは、少なくとも、後々の歴史に出てくる「大和魂」というような概念とは最もかけ離れたものだったと感じます。そういう大和魂というような猛々しいものとは「まったく反対」のものだと確信しています。


さて、本当は、ごはん粒を残さない話の続きを書くつもりだったんですが、今から少し用事が出来まして、外出しなければなりません。


今日、外を歩いていると、マスクをしている人が多く、花粉症の季節というだけでは済まない比率でしたので、放射能を意識している方も多いのかも知れません。

私は子どものころからマスクが嫌いで、今でもつけられませんので何もしていませんが、留意される方は、屋内に留まりつつ、口に気持ち程度でも何か当てて、肌との空間を(できればテープなどで)塞ぐというような方法もあるかと思います。

とはいえ、福島のにいる私の奥さんのお姉さんによると、「水を汲むのもトイレも全部外出しなければならないし、両手も塞がるし、マスクなんてないし、毎回濡れタオルで口を塞げるわけないじゃない」ということでした。

タグ:井の頭公園



  


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震災から1週間経っていることに驚きます。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれないですが、どうやら、今、私たちにとっては「時間が止まって」います。もちろん、物理的な時間ではなく、感覚的な時間のほうで、どちらがカイノスやらクロノスやら忘れましたが、どちらかが止まっています。

以前、「時間は加速し続けており、最終的にはゼロになる」というような理論をきいたことがあります。そんなことあり得るのかなあと思っていたのですが、今、その「時間が停止した状態」を経験しているようです。時計は進んでいるものの、時間そのものが進んでいる感覚がまったくありません。


ところで、たくさんメールをいただいていて、とても嬉しく思います。震災後のものについては、どれひとつとしてまともにご返事を出せておらず、本当に申し訳ありません。

被災地の方からもいただいていて、読む度に涙が出ますが、それは書きましたように悲しみの涙とは違います。今はとにかくお礼と「がんばってください」の2つしか言えないのですが、本当にありがとうございます。

人生でこんなに人に感謝したことはありません。



そのことについても、いろいろと書きたいことはあるのですが、夜中にふと目覚めて書きたくなったことを書いておきます。今回も日本人についての話です。


海と山との隣人として

前回、お米の粒を残さず食べることを教えてきた日本人のことについて書きましたが、しかし、実は根本的な部分で、「日本人と食べもの」の関係は、世界でもほぼ唯一といっていい関係性の中にありました。

それは何か。

それは「食べる相手の個性を認識して尊重していた」という点です。


目の前に出た切り身の焼き魚を食べて、あるいは丸ごと焼かれた魚を見て、

「うまいサバだね」とか、「これはおいしそうなアジだ」と、同じような形をした多くの魚を区別して認識して食べている国民は他にほとんどいません。


魚河岸の方々や寿司職人などのプロではなくとも、誰だって、サバ、アジ、サンマ、サケ、ブリ、マグロなどは食べたり、あるいは見るだけでわかる。

切り刻まれた魚の死体の肉を見て、それが生前、誰だったかわかる。


こういうことは他の国ではあまり見られません。
中には、基本的に「魚」という区分しかしないようなところもあります。

そして、アサリやハマグリやシジミ、カキやサザエやホタテやツブ貝などの貝類さえ、日本人の多くは認識して、また子どもの頃から教えられて、その違いを覚えていく。

名称そのものが大事なわけではないですが、個別化するには便宜上、名称があるほうが便利だから名称も大事です。

そして、学術名以外での食べ物の分類の名前がこんなにある国はないはずです。


海だけではなく、山ではシメジ、シイタケなどの数多くのキノコを分類し、山菜でも、ノビルやゼンマイなど、外国の人から見れば、どこがどう違うのかわからない「草」までをも分類して認識して食べる。

そして海草も食べる。
ワカメとコンブを食べ分けて・・・というより、そもそも海苔以外の海草を食べる民族は日本人以外はほぼいない上に、海苔を含む海草そのものについて、胃で消化できる酵素を持っているのも日本人だけであることがわかっています。

これは 2010年04月08日の AFP 通信の「日本人がノリを消化できる理由を発見、仏研究」という記事からです。


日本人の腸が海草に含まれる多糖類を分解できるのは、分解酵素を作る遺伝子を腸内に住む細菌が海洋性の微生物から取り込んでいるためだとする論文が、8日の英科学誌ネイチャーに発表された。(略)このバクテリアはこれまで、日本人の排泄物からしか見つかっていない。


名称だけの問題ではなく、体質自体が違うようです。
他のあらゆる民族は消化することができないので、基本的には食べられないのです。みそ汁に毎日のように入っているワカメや、おにぎりなどで頻繁に食べる海苔。あれを私たちは消化して、栄養さえ取り入れられる。

最終的に地球に食べられるものが海草だけになっても生きることができる民族。

ゴボウ、ヤマイモ、サトイモなども食べているのは基本的には日本人だけで、古来から日本人たちは土の中や海の中の、他の人々は「食べ物として認識しなかったもの」を、本来は大事に食べていました(今は大事にしていないという意味もあります)。


もともと日本には肉食文化はなかったですが、日本の肉食文化の特異性を見るには焼き鳥屋さんに行くとわかります。動物の内臓を、レバーだハツだと名称で分類して直接食べている民族はやはりあまりないと思うのです。

ちなみに、豚と鳥が混ざっていますが、動物の内臓の焼き鳥屋での分類は大体次のようになっています。

ハツ 心臓
タン 舌
マメ 腎臓
ガツ 胃
チレ 脾臓
ヒモ 小腸
アブラ 背脂
レバー 肝臓
ナンコツ 軟骨
スナギモ 砂嚢

他に、ボンジリとかアカヒモなどいろいろとありますが、では、上の区分を分けることに意味があるのかというと、実際に焼き鳥屋にはその区分があるわけで、私たちにとっては意味がある。

そして、それを味で区分できるのかというと、少なくとも上の区分くらいは私もできるわけで、そして、多くの人は「内臓を下さい」というのではなく、「レバーをください」、「スナギモをください」というように、動物の死体のひとつひとつをできるだけ認識して食べている。

これはさりげなく、驚異的なことだと思います。

この驚異的なことを日本では毎晩、飲み屋でオッサンたちがみんなやっている。

「んー、レバーもう1本とナンコツ、塩とタレで」

とか言っている。

内臓ということに関しては、魚の利用はもっと多岐で、イカの塩辛はイカの身を内臓にまぶしたものだし、ウルカ(鮎)やメフン(鮭)や酒盗(カツオ)といったような、いろいろな魚の内臓は塩辛として利用して、内臓もあまり捨てなかった。

クジラの死体の利用に至っては、「動物を殺して食べる」という上での最大限の尊敬を込めて殺させてもらっていると考えても構わないほど、クジラの死体の各部位を利用し尽くしていた。

魚にしても、頭や骨をダシにつかう。
子どもの頃は、私の親は食べた後の魚の骨もストーブの上で焼いて食べていました。


日本酒や焼酎の作り方も、その多岐に渡る種類を見ても、酒を造っていた人々が、米や麦や芋に対して最大限の尊敬を持っていたことが伺えます。


しかし、いつの間にか、大量生産と大量消費の波の中で、人々は食べ物に対しての尊敬を忘れていってしまった。すなわち、「日本人ではなくなってしまった」。

日本人から「日本性」を消すために導入されたかのような大量消費と大量流通。


そんな中で、かろうじて、食べ物と日本人とのつながりを小さく支えていたのが、食べものに対しての日本語での数多くの名称だったと思います。


今、私たちは全国規模での食べ物の逼迫という状態を味わっていて、これはつらいことですが、しかし、その中で、昔の「日本人と食べ物の関係」のことを思い出して、今までのことを反省しようと私は思っています。

私はこの数十年はさんざん食べ物を粗末に食い散らかしてきました。

その傾向が突然変わるとも思えないですが、もう少し食べ物と向かい合って、彼らを意識して摂取したいと思います。


ずっと考えていた「食べることの意味」。
その全容はまだわからないですが、少しずつわかってきたような気もします。

すなわち、食べることとは「宇宙の意識と人類をつなぐための作業かもしれない」と思います。

人類はアカシックレコードのようなものから自立しましたが、他の生き物たちはそちら、つまり宇宙のほうにいるように感じます。だから、食べるという行為を通じて、宇宙の意識と人類の存在そのものを繋いでいると考えます。

そう考えると、「食べる」ということは極めて神聖な行為だと思われます。

そして、その神聖を保つためには私たちは特別なことをせず今までとおりでいいのだと思います。

ただ、今までよりもっともっと食べ物を大事にしながら。



今、冷え込んでいます。
東京でこれでは、被災地の寒さはひどいもののように思います。

被災された地域の多くの方々は上の食べ物との関係の中では、特に「海の食べ物との関係」が強い方々だと思います。どこの人たちよりも海と尊敬を交互に持たれている方々だと思います。

うまく言えないのですが、とにかくがんばってください。
そして、やはり心の底から感謝しています。
本当にありがとうございます。


そういえば、電池がいろいろな場所で手に入らないと思うのですが、先日、メールをいただいて、車のバッテリーから電源をとる方法が紹介されているページを教えていただきました。私は車を持っていないので、試せないのですが、そのリンクを貼っておきます。

バッテリーから電源を取る方法は?


もっとも、ガソリン自体が入手しにくい状態のようで、いろいろなことが難しいですけれど、とにかくお互いがんばりましょう。