2011年03月16日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




日本人という存在理由



最近は海外の記事の翻訳をしていませんが、海外でのニュースで重要なものはほとんど日本関係ですので、しばらくは自分の周囲の状況を伝えたり、あるいは書き切れなさそうですが、「日本人の意味」とか「人間と生命」などのことを書いてみたいと思います。

タイトルにした「われわれは日本人のようになれるのだろうか?」というのは、海外でいくつかのブログでそのような主旨のものを目にするからです。その多くは米国人だと思います。

それらの意味をまとめて文章にしてみました。
正確には翻訳ではありません。

モダンサバイバルブログなどより翻訳編集。




日本での災害発生からメディアを通じて、日本の光景を見続けていた。

恐ろしくて凄まじい災害の光景と共に、われわれが驚くのが日本人のふるまいだ。どの映像を見ても略奪も奪い合いもない。

人々は恐怖と疲労の頂点の中で冷静な判断で淡々と現状を見つめている。


私たちアメリカ人にこれができるのだろうか?

いや、できるかでできないかではなく、私たちはこれらの日本人の態度を学ばなければならない。

これは単なる同情や無意味な賛辞ではないのだ。
災害や大きなアクシデントの際に生き残りたいのなら、もっとも重要なことは、冷静な判断だ。これはとても重要なことだ。

多分、そのことをアメリカ人は忘れている。
ハリケーン・カトリーナの後にどんなひどい略奪や奪い合いが起きたかを思い出しても、今のアメリカ人に、この日本人たちのような態度を期待するのは難しい。

しかし、私たちは学ばなければならない。

アメリカもほぼ必ず同様の困難に見舞われる。

その際に、アメリカに「奇跡」が起きるとしたら、我々が今の日本人のように振る舞えることだけなのだ。


アメリカ人である私たち個人が今の日本人を救うことは難しい。
しかし、私たちはこの日本人の光景を見続ける必要がある。

そしてここから学ぶのだ。
私たちアメリカ人には想像もできないこの日本人の思考を学ぶのだ。







ここまでです。
実際にはこれほど理想的なままではないかもしれないですが、災害そのものよりも、日本人の態度にショックを受けている人たちは多いようです。


私たち日本人はこういう資質を本来は持っていると私は考えています。
その資質とは「言葉を使わずに人に考え方を伝える能力」です。
これは先日書いた「心と心の会話」と同じようなものです。


これからも何が起きるかはわからないですが、仮に、日本人が滅びても、日本人の存在(それが過去形になっても)は、地球の人類の精神的進化を前身させる役割の一部を担っているように感じます。

実はそのことを先日書きたいと思っていましたが、「日本人が地球の人類の精神的進化を担っている」なんてあまりにも日本人バンザイ思考で、書くのがイヤだったのですが、もうあまりそういうことを躊躇している時間はないようです。


そして、次のことも書いておきたいです。

いろいろな精神世界的な最近の話の中では、世界の思考シフトが西洋から東洋へと移行するというようなことが言われていました。そして、それは「中国」が代表になると。

しかし、それは中国ではなく「日本」だと思っています。これは精神的な代表という意味です。


ただし5日前まで(震災前)の経済や国際的立場を誇っていた日本人ではなく、何もいわずに(言葉を使わずに)人々を覚醒させられるという意味でです。

なので、日本人そのものが仮に滅亡しても、その精神的遺産は地球に永遠に残るということです。


そこらへんにどこにでもいるオジサンやオバサンの思考能力は、実は世界を助ける存在だと知って下さい。
もちろん、あなたや私の思考能力もです。


その意味だけでも、まだ日本人は全滅できません。


とりあえず、今はここまでにします。
あとで原発関係なども含めて、また書きます。


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2011年03月15日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





ふと目覚めました。
1年だか2年くらい前もよくあったのですが、最近また眠っている時も考えているようで、それで目覚めます。起きていても眠っていても、考えのほうは同じように続いているようです。

時間が早朝で、多分もうすぐ停電ですので、短く書きます。

先日書いた記事の最後の方に、「日本人の意味」というものについてふれて、その具体的なことについては、その全体について文字で書きようがないことだと思うのですが、表面的にあらわれていることのひとつに「日本語」というものがあると私は思っています。

私は日本語だけで育ってきて、他にネイティブで理解できる言語がないのですが、もしふたつ以上の言語をネイティブで理解できる方なら、「日本語の異常さ」というものには気付いてらっしゃると思います。

それは、会話における主語の欠落から始まって、場合によっては、目的語も何もかも欠落する言語。

レジのないような店で買い物をする時に、

「私にそのトマトを売って下さい」

という言い方をする人はあまりいないと思われます。

「これ下さい」

というようになると思います。

まあ、これくらいまでなら他の言語でも見られることですが、これが知り合い同士や日常に拡大すると、日本語は野放図になります。

たとえば、入院か何かしていて、そこに予想していたなかったような昔の知り合いかなんかがお見舞い品をもってやってくる。

そこで、

「私はあなたに会えて嬉しいし、こんなお見舞い品をもらったことに大変に感謝しています」

と「正確に気持ちを伝えて」は、むしろ冷たい感じがしてしまいます。
まあ、言い方に決まったものなどなくても、たとえば、私らのような中年の男性なら、


「あー!、来てくれたの? これはもうなんというか、いやいやいやいや」


というような極めて曖昧な言い方になると思いますが、相手に感情は伝わっていると思います。


このような感情の伝えかたをする言語というものは決して多くはないと考えています。

昔・・・、高校生の頃ですから本当に昔ですが、山本七平という作家の戦争体験の本(「私の中の日本軍」か「ある異常体験者の偏見」かどちらか)を読んだ時に、「日本語では戦争はできない」という記述がありました。戦争では、主語、目的語、時間等がきわめて厳密に伝達される必要がありますが普通の会話の日本語ではそれをなしえないために、「軍隊語」というものが使われるようになりました。

軍隊語というとアレですが、今でいうと、街頭での演説などがそうです。

「我々は ○○のために ○○に対して ○○をするのだ!」

と言うもの。
これが軍隊語です。
主語、目的語、対象などがすべて入っている。

しかし、おわかりのように、これは日本語ですが、本来の日本語ではありません。


よく口頭での日本語に出てくる「まあ、それはアレよね」とか、「まあ、それはなんつーか、アレなんじゃないかな」という言い方では戦争の作戦はもちろん、「左脳的に展開するすべてのことはできない」らしいのです。


それだけに、これだけで意志を疎通させて、社会を成り立たせることのできる能力に私たちは驚くべきだと思うのです。
自慢をするとか誇りに思うのではなく、改めて驚いて、そして、この曖昧な言い方を楽しめばいいのだと思うのです。


主語もない、目的語もない言葉でコミュニケーションが成り立っているということは、これは「超能力」以外のなにものでもない。

テレパシーという言葉がありますが、それは何だか大変な能力のように感じますが、私たちは言葉ですでにそれを達成している。

もちろん、地球上のすべての人類は目や表情でそれをおこなっています。
なので、全人類が持つ能力ではあるのですが、日本ではなぜか、言語の中に「言外のコミュニケーション」が介入した。

すごい。

まったくすごい。


ふたりのサラリーマンが昼休みに会社のビルの屋上にいます。

男A 「あー、なんかもうアレだよなあ」
男B 「いやほんとだよな。もうなんつーか本当にねえ」
男A 「まあ・・・しかし、そうでもない部分もあるんだろうなあ」
男B 「まあそういうところだけではないからね」
男A 「いろいろだわな」


俳句を他の言語で正確に現せないのと同じように、このふたりの会話も他の言語で正確に再現することは難しいのではないかと思います。

ふと、思って、 Google翻訳に上の日本語を入れたらこうなりました。

Man A "Oh, I wish arrays Anymore"
Man B "and I'm honestly. Hey, I really like steel ー anymore "
Man A "But I think there is some I wish I would not so much"
Man B "Well, just where I'm not such a"
Man A "trap that is different"




これはこれで何だか哲学的な言い回しですが、しかし、これでは多分、通じないでしょう。


このコミュニケーション能力だけでも、日本語には突出した「異常性」がありそうです。

宇宙人が上のふたりの会話の光景を見たら、「すごい能力だ」と感嘆するかもしれません。

言葉を発してはいても、このふたりのサラリーマンはすでに「心と心での会話」となっていて、驚くことに、毎日の瞬間瞬間に、日本の何千万人もの人々がこの「心と心の会話」を繰り広げている。


クリフ・ハイはかつてのウェブボットでこのように書いています。




非対称型言語傾向分析報告書「来るべき未来の形」0 巻2号要約
2009年9月15日配信 「世界の民衆」カテゴリーより抜粋

・日本では古代の日本文化のいわばルネッサンスのようなことが起こり、お身儀などの伝統的な風習に込められた深いニュアンスや、その象徴的な意味が再認識されるようになる。これは世界に広められる。

・ 「お辞儀」というキーワードは宇宙関連のカテゴリーでも出現する。それはエイリアンとのコンタクトが行われるとき、日本文化の礼儀作法を用いてコミュニケーションが行われるようになるからである。日本文化の礼儀作法を土台に、エイリアンとの間の相互理解が可能となる。これは2011年に起こる。

・ この日本式礼儀作法とその思想は、今後100世代、2000年にわたって異なった種の間でコミュニケーションが行われるための基本的な方法となる。エイリアンの未来のガイドブックには、地球に到着すると、最初に「日本シンボル大学」で教育を受けた人々の出迎えを受けると書かれることだろう。





エイリアンがどうだこうだの問題ではなく、「お身儀などの伝統的な風習に込められた深いニュアンスや、その象徴的な意味が再認識される」ということが「起きなくても」われわれは実際に日々使い、毎日「心と心で話している」。ここには「日本シンボル大学で教育を」というような表現がありますが、教育がなくても成立している。


今、日本は大変で、日本国家自体の存続にも懸念があるかもしれません。
でも、「心と心との会話の人たち」には国家という枠組みは二次的なもののようにも思います。

前回書いた「生との死の真意」はとりあえずわからなくても、すでに、「心と心との会話が成立している超能力」の中で生活している私たちは、本来は言葉では表現できないはずの「生と死の真意」に近づけるはずだと確信しています。


さて、そろそろ停電です。

タグ:日本語

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2011年03月14日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





最近のは文字通り、「書き殴っている」感じで、特に宇宙だののことを書いていることに関しては、あらかじめ何も考えないで、頭に浮かんでくることをただキーボードを打って、そこに文章があるというだけとなっているようです。怒濤の書き殴りで、よくわからない記述もあるかもしれないですが、ご了承下さい。


3月14日 午後の杉並区の光景

その前に、まず、今日のさきほどの記事をアップした後の街の様子ですが、あの後、午前中に街の中を見ましたら、昨日ともさらに変わっていました。

ついに、「店に何にもなくなりだした」のです。

コンビニはたまに弁当やおにぎりが入るのですが、缶詰やカップ麺といったものはすべて売り切れ。ドラッグストアやスーパーも同じです。

他に、電池、ロウソク、携帯カイロ、ティッシュ、トイレットペーパー、ジュース類などはほとんど消えていました。また、節電営業で、電気もあまりついておらず、薄暗い店内に何の食べ物もないという、以前見たジンバブエのハイパーインフレーション下のスーパーの写真とあまり大差のない状況が出現していました。


若い人は比較的簡単に順応しているように見えましたが、ご老人たちの多くは状況がまだ把握できていない方も多いらしく、つまり、今、あらゆる物資不足が自分たちの街、東京をも襲っていることを想像していなかったようです。

スーパーに入って何もない状況に唖然とする人、店員さんに「これじゃ困るのよ」と言ったりする人は皆さんご老人でした。そして、ついに聞いたのは男性の老人が店員さんに言っていた「戦時中みたいになってきたね」という言葉。


これが午前の状況で、その時には松屋とか吉野家、オリジン弁当などはやっていたのですが、午後2時頃にはオリジン弁当は「材料不足で閉店します」の張り紙、松屋などは「お持ち帰りは中止」、また、多くの持ち帰りの食べ物屋は午後は軒並みシャッターを閉めました。

その後、ホームセンターに行ったのですが、やはりめぼしいものは何もなく、なんとなく意味のないものを買って帰る途中、ペットショップの小鳥をボーッと見ていたら、私がホームセンターの袋を持っていたからでしょうが、犬を散歩させていた上品そうなご婦人が声をかけてきました。

ご婦人 「ホームピックに行かれたんですか?」
わたし 「はい」
ご婦人 「あの・・・まだカセットコンロなどは売ってましたでしょうか」
わたし 「全部売り切れでした。昨日の時点で、懐中電灯、カイロ、電池、カセットコンロ、ボンベなどは全部売り切れてます」
ご婦人 「あらあ、そうですか・・・」
わたし 「なんか大変なことになっちゃってますよ」
ご婦人 「ほんとにそうですわねえ」


と言って去りましたが、考えれば、最近の立派な家では、オール電化なんてのもありそうですし、停電時には炊事も難しいかもしれません。

それにしても、本当に「たった2日」で物資が見事に消えました。
震災後直後はまだ買い物には動いていなかったですので、昨日と今日で壊滅的な物資不足が出現したようです。

そういえば、途中のガソリンスタンドにも「レギュラー、ハイオク売り切れ」と手書きの紙が貼られており、いろいろと不足しているようです。




生命の意味

前回書いた「宇宙と対等である人類」という概念も、さらに拡大解釈すれば、当然、あらゆる人類とあらゆる人類同士も、そして宇宙とそれを取り囲むあらゆるパラレルな宇宙も対等でなければならないということになると思います。

しかし、では、現実に、たとえば、「あなたの恋人を殺した人物」の隣に配置されて、「あなたはこの人と平等を感じて生きてください」と言われて、それができるでしょうか。

できないはずです。
私もできません。
今の地球ではそれは基本的に誰もできません。

どうしてか?

それは「生命の意味の解釈」という大変に重いテーマに突きあたる問題です。

今回の地震の言葉にならない悲惨。
人命があれだけ無造作に消えていく無常。

このあからさまな悲劇を「悲劇と感じなくするような方法」というのはこの宇宙に存在するのか? ということがあります。

たとえば、今回のような壮絶な光景(消滅した文明という意味の)を伴っての大量の犠牲の痛ましさの向こうに、たとえば、毎年数万人が自殺している悲劇や、殺人や事故で亡くなっていく悲劇があります。

それは、すべてがわれわれの目や耳に情報として入るわけではないので、私たちは知らないことが多いですが、では、それは悲劇ではないのだろうか?

「恋人が自殺してしまった」

「子どもが殺されてしまった」


少なくとも当事者の個人には、これらの悲劇は世界のどんな悲劇とも、どんな事象とも比較できない最悪のできごとであるはずです。

しかし、起きている。

毎日毎日、しかも、この数千年に限っては、多分ずっと起き続けている。

他にも様々な「悲劇」はありますが、これら「人の命」という悲劇が最大に重いもの(に感じる)ことは確かであり、そして、今のままの私たち人類の生命の解釈では、今後も何百年も何千年も、いや、人類がいる限り、未来永劫にその「悲劇」が続いていくことになってしまう。

そして、人類が存在している限り、それ(死ぬこと)は必ず起きる。

「悲劇」という概念(もちろん他の様々な概念も)が、宇宙が人類に与えたものだとすると、私たち人類が宇宙との対等に近づくためには、その「真意」、その真意とは、つまり私たちは「生命の生きることと死ぬことの真意」を知らなければならないのだと思うのです。


人が死ぬことが悲劇ではなくなる」という響きは、一見、むしろ冷たく聞こえるかもしれないでしょうが、それは、私も含めて、その「真意」がわかっていないからなのではないかと考えるようになりました。真意というのは、「肉体の生と死は本来(宇宙の最初)はどういう意味だったのか」という真意です。

私が先日書いた宇宙に向かっての「殺せるものなら殺してみやがれ」という言葉の意味のひとつには、その真意を知りたいという表現が幼く表れたというような部分はあるかもしれません。

人はどうして死ぬのか? ということが言われることがありますが、それは生命の仕組みを見ると当たり前のことで、あらゆる多細胞生物はいつかは死にます。

しかし、たとえば、他の生き物では「死は不幸と結びついているのか」ということを思うのです。死の意味はそれとは違うところにあるのかもしれないと。


もし、私たち人類が、この「宇宙が人類に突きつけた生と死の真意」を知ること、あるいは気付くことができれば、この世の多くに覆い被さる「悲劇」というもののクリアに一歩近づく気もするのです。

まあ・・・実際ですね。
もうイヤなのです。
人が死んで悲しいというのは。

私は結構弱い人間なんで、人一倍、死のニュースにはメソメソするんですよ。


今日も、道を歩きながら、あまり意味はないんですが、途中で涙が止まらなくなって、うつむいて、あくびをするふりなどしていたのですが、最近はこういうことも多く、もう「そろそろ何とかならないのか」と思うこともあるのです。

今回の地震についても、こう書くだけでもう涙が止まらないのです。
昨日も書きましたが、それは悲しいということではないのです。

もうイヤなのですよ。


この宇宙が示す「生と死の真意」が私の時代や世代でわかるということが無理なのは仕方ない。

しかし、たとえば、私の子どもの世代。
それは下手をすると、今よりもさらに人の死を見て生きていく可能性がないと、どうして言えましょうか。

死体だらけの中から生き延びた子どもたちによる未来の再生の可能性だってある。

今の人類感情のままだと、それは幸せな精神的な未来世界にはならない気がするのです。


「生と死の真意」。

宇宙は知っている(知っているというか、そこに存在するものだから)のかもしれないですが、私たち人類はあくまで対等に近づくために、誰にも教えられずに、少なくとも自分の宇宙の仕組みくらいは自分で気付かなければならないのかもしれません。


とはいえ、どうしたらいいものやら・・・。

殴られた私は今はボーッとそれを考えるだけです。


タグ:生命の意味

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今日あたりから計画停電が始まるとか始まらないとかで、始まれば、私の地域は朝と晩の一日に6時間近く停電することになりそうです。なので、ブログの更新などもできるときにやっておかないと。

昨日書いた中の「圧倒」ということに関しては、同じように感じている人は多いようで、メールも頂きましたが、同じ表現ではなくとも、そのような雰囲気を頻繁に感じました。つまり、災害に対しての「形容がない」のです。言葉で何も表現できない。


昨日は街中をずいぶんと歩いて見て回りましたが、いろいろなところで、おばさんたちなどが「がんばりましょうね」と言っているのを耳にしました。

今朝はニュースで駅の混雑のことを言っており、午前9時頃、駅まで見に行ってみると、人だかりができており、入場制限がおこなわれていました。

まあしかし、予想できていたせいもあるのか、みんなそれほど深刻な感じではなく、隣に立っていた男性は苦笑しながら携帯の相手に、「ホームにも入れねーのに、会社になんか時間通りにつくわけないから、何とかさんに言っといて」と話していました。

反対側に立っていた2人組の女性は、「でもさ、池袋まで行っても、そこから電車動いてないみたいよ。どうしようか」とか話していて、「それは行かないほうがいいのでは」と思うような人たちもいましたが、なんとなく普通に諦めてる感じがありました。

話によると、隣町の吉祥寺駅は修羅場になっているとのことでしたが。


平等の理想形

昨日書いた宇宙へのことに関してですが、今日はあまり長く書けないですが、勘違いしていただきたくないのは、「宇宙を憎む」いうことではないということです。

最も大事なことは、

「私たち人類ひとりひとりは本来は宇宙と対等な立場だ」

ということを私たち人類も理解し、また宇宙にも理解してもらう。

私は実は最終的には、いわゆる「悪魔」と呼ばれるものにもこのことを理解してほしいと思っています。

悪魔のことを書いた時にも私は「憎む」という概念を書いたことはないですが、今回の不幸を経験して、さらに思いましたが、今、私の中で増大している意識は、「憎しみの対極にあるもの」であることを実感しています。

人類自身がそのことを理解し、そして、宇宙にも悪魔にもそのことを理解してもらえば、少し宇宙は進化すると思っています。


もちろん、それは私の中の宇宙の話で、他にもいろいろとあるのでしょうけれど、「ペアである自分」の中に書いた、「宇宙は自分の中にある」というのなら、そのペア(「自分」と「自分の中にある宇宙」のこと)が対等でなければ、バランスが悪いことになります。


今後・・・まあ、書ける時までですし、少しずつになるかもしれないですが、
宇宙と対等である人類のこと」や、そして、「本来、誰でも人類はきわめて優れた能力を持つ生き物であること」を書きたいと思っています。

それがいい悪いではなく、鳥や蟻から見れば、文字を書いたり、じゃんけんができたり、料理をしたり、そして顔で笑ったり泣いたりできる「人類」というのは、とんでもない高度な能力の持ち主のはずです。

それら多くの人々が持っている「単純な人間の特徴」こそが宇宙で最高に近い生命のひとつの姿だと私は最近思います。

それを越えた能力、つまり、様々な超能力や不思議な力、それは「個性」なのだと思います。

足の速い人やたくさん食べられる人がいるように、未来を見られたり、前世を見られたり、宇宙人と交信できる人たちがいる。

それらを優れているとして、ただ崇拝するのではなく、「キミは足が速くていいよね」というのと同じように、対等に平等に楽しく自分と同じ地平で生きて過ごすのがいちばん気楽だし、それは楽しい生き方のように思います。


そういうことを断片的に書いてみたいと思っています。
書ける時までですが。
インターネットだっていつまで繋がっているかわからないですし。


それにしても、停電が始まりそうですので、今日は電池を探しに行きたいですが、どこにあるやら。

タグ:ペアの宇宙

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2011年03月13日



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人生で二度目の決意


私もそこそこトシではありますし、国内も国外も含めて、これまで結構いろいろな災害の報道やニュースを見てきました。

しかし、今回ほどやたらと涙が止まらなくなることはなかったのです。

恥ずかしい話ですが、今は本当によく涙が出ます。子どもの前でも止まらなくなることがあります。

とはいえ、この涙が「悲しみの涙」ではないことは明らかです。
私はそんなに心温かい優しい人間ではありません。

理由・・・。
いろいろとあると思いますが、まずは「圧倒」があります。

あの津波の被災地の光景。

そこに人命があるとかないとかの生死の問題を越えて、その前にそこには文明があった。そして、生活の痕跡があった。


私は以前、「宇宙を憎むか憎まないか」で少し悩んだことがあります。それはもともと私がひねくれ者だからでしょうが、誰もかれも、この世に悪い者や悪いことはあるけど、「宇宙だけはいい」、「宇宙だけは絶対だ」と言う。

それがどうも気に入らなかった。

以前、ペアである自分の何回かめに書いたように、パニック障害で苦しんでいる時に、その苦しみの吐露をどこに向けていいのかわからなくなり、対象を宇宙全般にしたことがあります。

殺せるものなら殺してみやがれ」と書いた紙を壁に貼り、そのことで「宇宙に向かって暴言を吐き続けることを確認して」生きていたことがあります、
しかし、特にそれらしき報復はなかった。

「死ねや、宇宙が!」

と呟いても、少なくともその場でバチなどは当たらなかった。

さて、その過去はともかく、今回の災害だけではないですが、もともと私は「人類の苦しみや災難が何のために存在するのか」が理解できなかったということはあります。

私が若い頃にパニック障害等で苦しんでいた中で、「宗教にでも入ろうかな」と考えて、いくつかの教会に行ったり、聖典を読んだりしたものの、やはりすぐに「この役立たずのクズ聖典どもが!」と叩きつけることになったわけで、上の「人類の苦しみや災難が何のために存在するのか」の答えは少なくとも、私が知ろうとした宗教の中からは見いだせなかった。「それなら」と、22歳だったか23歳の私は思ったわけです。

「オレはオレだけでいいじゃないか」と。


その後、この「自分教」への信奉(何もしないことが信奉ですが)はますます強くなり、今を迎えています。


今回、東北の地震の「圧倒的な光景」を目にしている中で、また、その23歳の時と同じような気持ちが涙と共に出てくるわけですよ。


「貴様ら宇宙は何でもできる。調子にのりやがって!」

と思ったあの頃の気持ちがそのままとなりつつあります。
偉大な力を尊敬し崇拝する人々がいる一方で。私のように「偉大な力を持つものが好きではない」という人々も少なからずいます。



多分、今度はあっちの勝ちで私は殺されるでしょうが、昨日の今日の決意でもないし、これはもう仕方ない面はあります。


ちなみに、たとえば、こういう現実の災害の圧倒の前には、私たちは異常に現実的になる必要があると思っています。

すなわち、あらゆる宗教、あらゆる神様、あらゆるオカルト(ここでいうオカルトとは信憑性を多方面から実証できないもの)を排除しながら進む他はないように思います。


そして、現実の中から、こんなあからさまに悲惨な状況を軽々しく作ることのできる「宇宙の存在そのもの」を否定していく方向

宇宙がどのように生まれたのかは今はわかっていませんが、中世の神秘学などの言葉を借りると、順番としては、

・ことば
・存在
・認識


というように来たように思います。

今、私たちが「宇宙」とか「存在」と考えているものは、実は我々の「脳」が認識しているために存在しています。

これは難しい話ではないのですよ。

・見ないと見えない
・聞かないと聞こえない


というようにいくと、

・認識しないと存在しない


という流れにはなるように思います。

埴谷雄高さんが言っていた「存在の革命」という言葉を、私なりに究極的な革命として、書けば、

・認識の否定


というものがあると思います。

とても間違ったことであることはわかりますが、ただ単に「宇宙の圧倒」に我々がいつまでも引きずられているわけにはいかない。

前に書いたことがありますが、私はいろいろな意味で「23」という数字、つまり獣の数字に完全に支配されて生きてきたわけで、正確には私はオカルトの定義では人間ではありません

なるほど、昔から宇宙も神も悪魔もどれも怖くありませんでした。
(お化けは怖い)


前置きだったのに、何だか変なことを長々と書いてしまいましたが、もうそろそろ涙も尽きると思います。

ところで、今日のタイトルにした「決意の涙」の「決意」というのは、私のこの「変な決意」のことだけではありません。


ビギニング

私は今日(日曜日)、地元のいくつかのコンビニと、大手家電、100円ショップ、ホームセンター、そして、隣町の吉祥寺の大手家電、大手スーパーなどを回って歩きました。

実際に欲しいものもあったからだったのですが、最初に結論的なことを書いておきますと、以下のものはすべて売り切れており、「入荷未定」となっていました。

・単一電池
・単二電池
・災害用ラジオなど(ラジカセはまだありました)
・懐中電灯
・その他、安価な携帯用の照明のほとんど
・カセットコンロ、ボンベ


これらは一切なかったです。

電池は大手家電では単三が多少あったので買えましたが、コンビニや100円ショップでは電池がほぼない状態でした。

吉祥寺のヨドバシカメラで買い物をした時に、店員さんに聞いたのですが、「ラジオは昨日からものすごい売れて、今日はほとんど売り切れなんです」とのこと。これがまだ午前中の話でしたので、その後はさらにいろいろと棚から消えたのではないかと思います(日曜は午後から買い物に行く家族が多いでしょうから)。

食糧も、相変わらず枯渇気味の店が多く、カップラーメン以外がほぼない店も多かったです。


そして、ホームセンター。
ここはもう「戦争前夜」でした。

いつもそんなに混んでいるわけではない店なのですが、長蛇の列となっていて、みんないろいろと淡々と買っている。

店で携帯で話していた中年の女性の人が、「お父さん? ガスマスクはないって」と話していて、想定している状況も壮絶な人たちもいるようですが、まあ、原発などの報道からの連想なんでしょう。


大きな災害が起きると、かわいそうだとか、その人たちを助けようとか、そういうことや気持ちが起きるのは当然なのでしょうが、それに加えて、「次は自分たちだ」という意識が非常に見えます。

もはや、自然災害はどれひとつとっても他人事ではないという「決意」。

それでも、パッと見た光景は普通の買い物光景であり、淡々と買い物をしている。
ただし、いつもとは買うものが違う。

たった3日間ですが、「3日前とは違う世の中になった」という感じがうかがえます。

変わったのです。


準備する日本人

これらの一連の風景を見た時、以前のウェブボットのくだりを思い出しました。
2010年3月のもので、ここにはすでに過ぎた日付や「2012年」などの単語が出てきますが、それらを無視して読まれて下さい。




非対称型言語傾向分析報告書「来るべき未来の形」0 巻4号
2010年3月12日配信 「古代の復活 (日本に関して)」より抜粋

・ 日本における「革命」は、自分の国にプライドをもちたいという日本人の意識を背景に、経済的な混乱と将来への不安、そして食料価格の高騰と食糧不足、さらに2012年の情報のリークが重なって起こってくることだ。これらの重なりは、「革命」への絶好の機運を形成する。

・ また、2010年8月の終わりには、多くの日本人が2012年を恐怖し、突然と準備を開始する。2012年への準備は日本における「革命」の伏線を形成する。





「突然と準備を開始する」。

そのキッカケがあれだけひどい災害だというのは苦しいですが、しかし、私もそうですし、日本人だけの話ではないでしょうが、私たちは「殴られなければわからない状況」になっていたようにも思います。

今、私たちは「殴られた」のかもしれません。

私も含めて、多くの人々は先行き、どのくらい生き残っていけるのか不確かではありますし、私本人などは、そもそも生き残ろうという意志すら昨年あたりからはあまりありません。


しかし、私は最近、「日本人が地球に存在した意味」が(自分なりに)少しわかってきた気がしています。

さらりと書ける話でもないですので、書かないかもしれないですが(それにどうしても「日本人賛歌」的な匂いは漂いそうで、それは自分でもイヤですので)、地質的に巨大プレートの込み入ったすぐ横の、「通常なら文明など築いてはいけないような立地(文明が芽生えても地質的にすぐ滅びる宿命)」に国家が立ち上がり、それなりに存続し、それなりに(悪い面でも、良い面でも)周囲にそれなりの影響を与えてきた「日本」。

外国人たちから見れば、奇妙な習慣、奇妙な意志表示、奇妙な挨拶、そして、奇妙な食生活(キノコと海草を毎日のように食べる人々)に奇妙な言語(文法が基本的に孤立化している)に綾取られた日本人。

どうして、私たち日本人が、地球のこんな歴史に登場しなければならなかったのか。
これは今まで書いたこともあるような「人類の意味」ではなく、「日本人」とその文明の意味です。


今はそれがほんの少しわかるような気がします。
(間違っているのでしょうけれど)


これは、言葉として表現すること自体が違うような気もしますので、書かないで済むなら書かないで終わりたいです。


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2011年01月23日



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(管理人注) タイトルの3つには全然関連性はないですが、それぞれ、 In Deep の最近の記事を補足する資料として記しておきます。

聖書外典「ヨハネ行伝」は、

ペアである自分(資料編2)「死霊」 よりイエスと釈迦の弾劾 (2011年01月21日)

の資料として。




ナショナルジオグラフィックの「ガンマ線バースト」の解説は、

「2012年ベテルギウス超新星爆発の予測」に関しての大騒動 (2011年01月22日)

の補足資料です。




また、「マタイによる福音書 24章」は、最近起きている災害において、「 In Deep で取り上げるものとの関連性を感じる」と教えていただきまして、読むと、なんとなくそんな感じもいたしましたので、記しておきました。

マタイによる福音書は部分的には有名なフレーズも多いですが、ひとつの章を全部通して読んだのは初めてかも。


上記の資料については、どれもメールでお教えいただいたものですが、私など聖書外典「ヨハネ行伝」にある外典(がいてん)というものを知らなかったのですが、外典とは「ユダヤ教・キリスト教関係の文書の中で、聖書の正典に加えられなかった文書のこと」なのだそうです。

Wikipedia を見ても、大変な数の聖書外典があるようで・・・いやあ、どうにもすごいな、聖書の世界。


この中の「ヨハネ行伝」というものの中に、先日の埴谷雄高さんの「死霊」で、イエスが「自分で食べた魚から指弾される」場面について、「イエスはこのことを知っていた可能性がある」というご指摘でした。

いろいろな方にいろいろとお教えいただいていることを、この場をお借りしてお礼させていただきます。
どうしても返信させていただくのが遅れがちになりまして申し訳ないです。

--

[資料1]聖書外典「ヨハネ行伝」に見るイエスが感じていた食物連鎖への懸念

ヨハネ行伝 第95章より

(注)講談社文芸文庫の「新約聖書 外典」から抜粋したもののようで、全部ではないようです。

--

私は救われたい  そして救いたい

私は傷つけられたい  そして傷つけたい

私は生まれたい  そして生みたい

私は食べたい  そして食べられたい

私は笛を吹こう  君たち全ては踊れ

私には家がない  そして私には家々がある




そして、ここにはないですが、30節に、「そしてわたしの行うことを見終えたならわたしの秘儀については黙しなさい
という部分があるようです。

この悩みは、埴谷雄高さんの悩みであった「同一律の不快(AがAであることがイヤだ)」にも似た感じを受けます。「死霊」ではガラリヤ湖の魚に弾劾されたイエスですが、「その魚にイエスが食べられる」というひとつの概念も存在していたのかもしれないと感じたりいたします。

--

[資料2]ガンマ線バーストと地球の関係

(注) この2009年4月6日のナショナルジオグラフィックの記事の

新しいコンピューターモデルでシミュレーションしたところ、6500光年以内で発生したガンマ線バーストが地球に届けば、オゾン層を破壊して酸性雨を降らせ、地球寒冷化を引き起こす恐れがあることが示された。


を読んで軽くショックを受けたので、抜粋して転載することにしました。

昨日ご紹介したベテルギウスは、地球から 640光年程度の距離しかありません。HR8210 に至っては 150光年・・・。

ただ、ガンマ線バーストは、その発生原因もよくわかっておらず、超新星で生まれるガンマ線との関係も確定しているようなことはあまりないように思います。なので、過度に気にしても仕方ない思いますが、「全然気にしない」というのも個人的には無理っぽいです。


大量絶滅の原因はガンマ線バーストか
ナショナルジオグラフィック 2009.04.06

090403-gamma-ray-extinction_big.jpg

 最新の研究によると、まぶしい光を放つガンマ線バーストは4億4000万年前に地球で起きた大量絶滅の原因だった可能性があり、同様の天災に再び見舞われることもあり得るという。

 ガンマ線バーストのほとんどは、非常に質量が大きい星の核が崩壊したときに発生する高エネルギーの放射線と考えられている。

 新しいコンピューターモデルでシミュレーションしたところ、6500光年以内で発生したガンマ線バーストが地球に届けば、オゾン層を破壊して酸性雨を降らせ、地球寒冷化を引き起こす恐れがあることが示された。

 オルドビス紀(4億8800万〜4億4300万年前)の終盤、繁栄していた海洋生物の70%が大量絶滅したのはこういった天災が原因だったかもしれない。

「現在、いて座方向に8000光年の距離にある大質量星WR104が潜在的な脅威だ」とトーマス氏は指摘する。しかし、他の天体物理学者たちにこれといった動揺はない。「この研究は、近距離でガンマ線バーストが起きたらどうなるかを示しているわけだが、科学者はよくそのような考え方をするものだ」と、 NASAの天体物理学者デイビッド・トンプソン氏は言う。同氏はフェルミ・ガンマ線天文衛星のプロジェクト副責任者でもある。

 また同氏は、将来ガンマ線バーストが地球にもたらす危険を次のように例えている。「自宅の物置きでホッキョクグマと出くわすようなものだ。可能性がないわけではないが、限りなく小さいので心配しても意味がない」。


(略)

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2011年01月07日



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(訳者注) 昨年来の海外の、特に米国の BBS を見ていますと、明らかに「終末的なニュースには目をギラギラと輝かせる人たちがいる」ということがわかります。私も大差ない人間ですけれど。

で、今回の鳥と魚の大量死(その後も続いていて、今度は、WWF イタリア支部報告のファエンツァで大規模な鳩の大量死のニュースなども)でも、

「これってこの世の終わりでは?」

と、ギラギラとした書き込みが散見されます。
「絶望の中の希望」、あるいはその逆。
そういう意志がいろんなところに見え隠れします。

今回ご紹介するものはそういうもののひとつで、米国の BBS にあった「これは世界の終わりなのか?」というタイトルの投稿で、最近のニュースの羅列だけでも読む価値があります。


余談:終末と無常

ところで、「終末とは何か」という問題に関して、難しいことや論争はともかく、私のもっとも納得のいくひとつの「終末の真実」としては、現代のキリスト教神学においてもっとも偉大な神学者のひとりとして数えられるカール・バルトという人の 1919年頃に著作で示した「終末は既に神によってもたらされている」という認識です。聖書では「終末にキリストは現れない」し、そもそも触れられていない。遅延しているとすれば、それはキリストの再臨ではなく、

我々の覚醒が遅延している

と。

つまり、ひとつの神学では、私たち人類が覚醒した時が終末ということのようです。
人類が死ぬとか死なないとか地球や宇宙がどうなるとかは関係ありません。
覚醒した時がすなわち終末。
これがもっともわかりやすくて、好きな終末論のひとつです。
もっといえば、お釈迦様などは、

 > 時間に終わりがあるか、ないかという問いに対し、意味のない議論であるとして「答えない」という態度をとっている

のだそうで(Wikipediaによる)、さらなる大物ぶりを見せていたりもします。思えば、私の好きなパンスペルミア説研究の第一人者だった故フレッド・ホイル博士は晩年、お釈迦様の思想にずいぶんとはまっていました。
昔、ホイル博士の著作「生命はどこからきたか」から書き写したものがあります。


(ここから転載)

(「科学は、ユダヤ - キリスト教の世界観によって徹底的に曲げられ貶められてきた」として、続いての記述です。)


-- 「生命はどこからきたか」 第十五章の最終ページより --

 しかしながら現代の科学者はもはやキリスト教の独占状態ではない。われわれは非キリスト教的起源を持つ科学的、技術的文化の急速な出現を日本や東アジア地域に目の当たりにしている。

 これら新しい文化が影響力を持って広がり成長していくとき、何がそうさせるのかと思うだろう。日本では重要な文化的影響力を持つ仏教は寛大で比較的教義に拘束されない。ゴータマ・ブッダは真実を見いだすことの重要性を強調した。彼の弟子に対する教えが墓碑に刻まれている。

「自分に忠実に生きなさい。真実の光をともし続けよ。真実においてのみ拒否しなさい。あなたの隣の誰かのために拒否するのではない。今、この先、生きる人々が知を望むなら偉大な達成が得られるだろう」(「マハパリニッチ・スッタ」 No.16)

 これは現在でも将来有望な若い科学者への良い助言となる。紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

 ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)を宇宙的表現 -- 宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。

 古代の伝統的仏教は数多くの点でわれわれがこの本で議論した方向へのコペルニクス革命を発展させるのに適した考え方であると思われる。もしそうした考え方が広がれば、少なくとも中世の足かせから解放された科学となるだろう。


(転載ここまで)


あるいは、私たち日本人は、幼い頃に「方丈記」なんてのも習っています。しかも教師から「覚えろ」と言われたりした記憶があります。


行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


こんな概念を教わった民族が現在の世の終わりごときを恐れるのはおかしいようにも最近は思います。「行く川のながれ」には磁場も磁極も太陽系も銀河系も生命存在も含まれるでしょう。素晴らしい日本文学。

ずいぶんと前置きが長くなってしまって、申し訳ありません。
さて、本文です。
ちなみに、下の記事を書いた人はアメリカ人です。

文集のリンクは全部オリジナルのままですので、すべて英語記事ですが、すべての事件をリンクしてくれていますので、事件ファイルとして役に立ちそうです。

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2011年01月04日



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(管理人注) 今回はニュースの翻訳記事ではありません。

ヤスの備忘録「いよいよ第7の日に突入4」のコメント欄を見させていただいていましたら、私のブログの

・「悪魔の聖書」ギガス写本の調査が本格化している (2011年01月03日)

を参照していただいた投稿がありまして、投稿者は Ku_uu さんという方で、「クレアなひととき」というブログの時代にはコメント欄等でいろいろと教えていただいた智恵者の方でした。それはともかく、そのコメント欄にこうありました。

悪魔の聖書」がロバの皮膚から作られているとはオモチロイ!!

「ロバ」=「アリボロン先生」は、ヨーロッパ人にとって無知の象徴であり、ほぼ普遍的に、暗闇、さらには悪魔的傾向のエンブレムになっている。



うーむ・・・やはり、悪魔のバイブルが「ロバの革に書かれている」ことには意味がありそうです。

というのも、私は訳しながらも、「ロバの革に書かれてある」ということ自体が、ひどく馬鹿にされている気がしていて、「腹が立って仕方がない」(笑)という状態にはなったのですが、しかし、その理由がわからない。要するに、どうして馬鹿にされている気がする」のかがわからない。

もちろん、「ロバ」という語感自体、日本語でも英語でも何となく馬鹿にされている感じはあります。「王様の耳はロバの耳」などの話もあり、英語で Jack Ass とさえ表記される。 Jack Ass /ジャック・アスは、パンクなどでは「定例語」のひとつで、アホとかマヌケとか日本語で訳されることもありますが、パンクの世界の語感としては、「クソアホ」です。そこに漂う可愛らしさはなく、ひたすら「どうしようもない馬鹿でマヌケ」というような語感。

もっと、遡れば、私が5歳のころ毎日見ていた米国のテレビアニメ「トムとジェリー」の記憶に遡ります。そこに「よくロバが出てきた」のでした。

どういう理由だか知らないですが、昭和40年代の北海道のテレビ放送では、夕方5時半から毎日のようにトムとジェリーが再放映されていた時期があり、6歳くらいの時、まあ、当時、家にテレビはなかったのですが、私の隣の家のカラーテレビのある家には、私だけではなく近所の子どもがワラワラとその家に集い、みんなでトムとジェリーやら、チキチキチマシン猛レースやら、米国文化に染められていたのでありました。

さて、そんなわけで、トムとジェリーのエピソードは「ひとつで20回見ている」というようなものもあり鮮明に覚えています。その中から「ロバが出てくるシーン」をすぐに、今でも YouTube から探し出せます。(付記した年代は米国の初回放映年月。日本では、多分、1960年代からだと思います。)

・恋ははかなく 1946年
http://www.youtube.com/watch?v=ehcYJ9ehnkk
より。

jack-1.jpg

▲ トムの言いなりになっている自分に気づいた犬のスパイクがロバに変わるシーン。


・うそをついたら 1949年
http://www.youtube.com/watch?v=UxSDFpdzZJE
より。

jack-2.jpg

▲ ジェリーに騙されていることに気づいた瞬間の鏡に映ったトム。

これをすぐに YouTube から探し出せるのはスゴイと自分でも思いました。役に立たねー(笑)。


いずれにしても、こういう記憶が小さな頃から刻まれているので、「ロバ扱いされると、なんか腹が立つ」のですよ(笑)。
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タグ:悪魔

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2010年12月13日



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smile-sun.jpg


▲ 12月09日に黒点と磁気フィラメントによってできた「顔」。


tonatiuh_centro.jpg

▲ アステカ神話の太陽神トナティウ。神話では現在の太陽そのものの存在で、この神の舌(黒曜石のナイフ)が宇宙を形作る4つの要素と一致する時、現在の第5の太陽滅亡の日となるのだそう。その日はアステカ文明の暦では2011年12月24日。

--

(筆者注) 今回は訳記事ではないです。

12月09日に書きました記事「「太陽が笑った」: 目は黒点で口は磁気フィラメント」は、このタイトル通りに、黒点と磁気フィラメントによって太陽の表面に顔のようなものが出たという話でした。その時にはそれだけの話で、だからどうしたというような展開ではなかったです。

その後、記事を読まれた方からメールをいただきました。

あの顔はトナティウと似ている」と。

・・・トナティウ・・・。

うーむ、知らない。

最近だけじゃないですが、とにかく私は何も知らないので(実は極めて詳しく知っているジャンルを持ってはいるんですが、そのジャンルは一般にはまるで役に立たないものであります)、何でもかんでも初耳のことが多く、それだけに翻訳にしろ何にしろいろいろと知ることができるのは楽しいことです。昔書いたことがあるのですが、「無知の快感」というのがあって、知らないことを知っていく快感はかなりのもので、中毒性があります。

そういうわけで、今回、トナティウについて調べてみますと、これがなかなか印象深い話でしたので、少し書いておこうと思いました。簡単にいうと、トナティウというのはアステカ神話に出てくる太陽神のことで、「現在の太陽そのもの」なのだそう。

神精妖名辞典より抜粋。

トナティウ

メソアメリカ中央部における太陽神。

トナティウは生命の供給者であり、神話の中で五回変わった太陽のうち現在天上にある第五の太陽そのものであり、アステカの20ある暦日の19日目であるキアウィトル(雨)の守護神であり、さらにトナルテウクティン(夜の神々)の4番目でもある。

トラルテクートリやウィツィロポチトリと同様に人間の生贄を頻繁に要求する神であり、多くの心臓と血がこの神に捧げられた。

またトナティウ自身もテクシステカトルとナナウトツィンの犠牲によって生まれた神である。生まれたトナティウ=第五の太陽はそのままでは動かず、生贄の血を要求した。これをなだめるために神々はケツァルコアトルを呼び、彼の黒曜石のナイフで自分達の心臓を取り出させた。



アステカ文明などについて何か一気に分かるのはないのかなと、さらに探していたましたら、雑誌「ムー」の「アステカ・カレンダー」特集ページをそのままアップしてくれているページがありました。

アステカのカレンダーは中心に今回の話題の太陽神トナティウが描かれているもので、マヤカレンダーなどと同じように数十億年前の地球誕生から第7の時代が終わり、人類が進化するところまでが描かれているのだそう。

下の抜粋記事はムー NO.15 「総力特集=大洪水伝説と地球大異変の驚異」という刊からのもので、発行されたのは何と1982年2月。30年近く前です。

元記事はかなり長く、要点だけを抜粋して編集しましたので、全文をお読みになりたい方は下のリンクからお読み下さい。




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タグ:トナティウ

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2010年12月06日



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アデン湾上で 2000年に発生し、その後も拡大し続ける磁気の渦に関しての報道(真偽不明)

(関連記事リンク)

アデン湾で観測されている異常な群発地震 (2010年11月15日)
イランで何かが起きている?: 各地で「汚染」という名目で公共機関が閉鎖されている (2010年12月03日)
アデン湾からすべての商業船が消えている (2010年11月17日)

--
(参考資料) 東部アフリカ統合任務部隊とは。米国の対アフリカ戦略より。

「東部アフリカ統合任務部隊」(CJTF-HOA: Combined Joint Task Force-Horn of Africa) 米中央軍が 2002 年 10 月に創設した統合任務部隊で、約 1,500 人の米国の民軍要員で構成され、地域の軍隊の専門化を図りつつ、ケニア、ソマリア、スーダン、セーシェル、エチオピア、エリトリア、ジブチ、イエメンの領域および紅海、アデン湾、インド洋の沿岸水域において、テロ掃討作戦を展開している。さらに海上輸送ルートの維持、人道支援、自然災害救援活動などにも取り組んでいる。





Mysterious ‘Vortex’ Warned Is Creating Global Weather Catastrophe
Pakalert Press 2010.12.06

謎の「渦」が世界的な天候カタストロフ(大災害)を引き起こすと警告

gye1.jpg

ロシア北洋艦隊のマクシーモフ提督が、同国のプーチン首相に対して奇妙な報告をする準備をしている。

その報告によると、現在、アデン湾に「謎の磁気の渦」が存在しており、それが、ロシアと米国と中国との連携を阻んでいるのだという。さらに、その磁気の渦が何なのか、そして、どうしてそれが存在するのかということを確認することさえできない状態だという。

アデン湾(下の写真)は、アラビア半島のイエメンの南にあり、世界中の 船舶21,000台以上が、毎年その海域を通っている世界でもっとも交易活動の盛んな水路のひとつだ。

gye2-2.jpg

今回の報告によると、この「渦」が形成されたことに最初に気づいたのは、米国の科学者で、それは 2000年後半のことだった。その後、米国は、アフリカの角(ソマリア半島)のジブチ共和国の首都ジブチに作戦基地を設営した。米国で 911同時多発テロが起きた後、ジブチは、東部アフリカ統合任務部隊( CJTFHOA )の本部となった。

「渦」は、2000年11月に発見されてから、比較的そのままの状態で安定していたが、 2008年の後半になって、渦は「拡大」し始めた。米国はこの謎の現象について「通常ではない警告」を、各国に発令し、各国は海軍をこの地域に派遣した。

艦船を派遣した海軍は以下の通り。

オーストラリア海軍
ベルギー海軍
ブルガリア海軍
カナダ海軍
中国人民解放軍海軍
デンマーク王立海軍
フランス海軍
ドイツ海軍
ギリシャ海軍
インド海軍
イラン海軍
イタリア海軍
海上自衛隊(日本)
トルコ海軍
韓国海軍
マレーシア海軍
オランダ海軍
パキスタン海軍
ポルトガル海軍
サウジアラビア海軍
ロシア海軍
シンガポール海軍
スペイン海軍
スウェーデン海軍
タイ海軍
イギリス海軍
米国海軍

これらの海軍は「ソマリアの海賊退治」の名目で派遣された。

gye3.jpgかし、海賊といっても軽武装した若者たち相手に過ぎなかった。そして、海賊の若者たちも、この「渦」によって漁業で生活できなくなったグループに過ぎないと言われる。

ロシア北洋艦隊のマクシモフ提督の報告によると、このように、ロシアと米国が「未知のもの」に対して軍の連携を組んだというのは、人類史上初めてのことだという。しかし、これを多次元か相互-次元、あるいは地球外と関連する力ではないかという記述が報告にある。


先月( 2010年11月)には、アデン湾で、有史以来初めてとなる規模の地震活動があったが、その直後に、渦は「驚異的」な拡大を開始した。アデン湾では、40から60の地震が発生し、それぞれがマグニチュード 4.5から5.4までのものだったが、この規模と回数の地震がこの地域で記録されたのはこれが初めてのことだ。そして、奇妙なことに、その震源の深さは多くがジャスト 10キロで起きていた。

また、同時期に起こった、消えていた木星の赤道ベルトが再現するという奇妙な現象とも時期を一致させている。

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