【人類の覚醒と真実】 の記事一覧

2015年02月07日



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ソルフェジオ周波数 528Hz に石灰化した松果体を正常に戻す可能性がある? あるいはそこから導かれる「隠されたマルコによる福音書」の記述にも励まされ



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▲ ジョン・レノンが 1968年6月6日に BBC のインタビューで「この社会は、狂った目的を実現するために、狂った人間たちによって動かされている」(原文:Our society is run by insane people for insane objectives)と語った場面。上の訳文つきの動画は、YouTube にあります。






 


近頃の社会を見て思い出すジョン・レノンの言葉

最近は、何だか「健康シリーズ」のような感じの記事が続いていて、あまり時事にふれていないのですが、どうも最近のニュースは陰惨というか、暗澹とした気分になるものが多く、ややどよんとした気分に陥りつつある昨今ではあります。

基本的に命への想像力が足りない感じの出来事の数々…。

あるいは、犯罪を起こした当人はもちろんですが、それを責める側にも想像力が足りないような…。
責めるべき本質が違う気がしたり。

何だかこう、「人類全体の知性」が衰えてきているのではないかという雰囲気さえ感じてしまうのは、あるいは、最近書いていたような、汚染による脳や身体の衰退ということと関係しているのではないか、と思ったりもします。

上に唐突に、47年前のジョン・レノンのインタビューなどを載せたくなったのも、そのあたりと関係しているかもしれません。

仮にその時にジョン・レノンが言っていたことが本当ならば、その「狂った目的」というのが何かはわからないですが、そんな世の中になってきているかもしれないなあ、と、やや思わざるを得ない面もあります。

上のインタビューでは、ジョン・レノンは下のようなことも言っていて、残念ながら、非常に近い結果となっています。

john-lennon-002.jpg


さて、これらのことと関係するわけではないですが、ちょっと興味深い体験(?)を聞きまして、そのことを書いてみたいと思います。少しでも希望を感じる話になればと思っています。

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528Hzで石灰化が改善?

先日の、

私たちを含む多くの人類の松果体はフッ素による石灰化により、すでに「永遠の機能停止」に陥っているかもしれない
 2015年02月03日

では、原因との関係は明確ではないながらも、現代の多くの人々の松果体が加齢と共に石灰化していて、たとえば、アメリカでは過去 17年間で 40%の人たちの松果体が石灰化している推計があるこことなどを書きました(出典は英語版の松果体に関しての Wikipedia の Pineal gland )。

pineal-gland-calcification.jpg

▲ 松果体が石灰化、あるいは石化した状況。これは十代の若者。 World Poblic Unon より。


松果体というのは、カルシウム、リン、フッ素化合物などを蓄積しやすい場所のようで、自然の状況でも、加齢と共に蓄積量が増えて石灰化していくものではあるようです。ですので、ある程度の年齢の人々の場合、程度に差はあれ、松果体の石灰化が進んでいる可能性もあります。

人間の器官で、石灰化が言われる代表的な部位は「血管」ですが、これは1度石灰化すると、元には戻らない、あるいは元に戻すことは非常に難しいとされています。

松果体も多分同じで、1度石灰化すると戻らないものだと思っていました。

そして、アメリカ人の 40%が松果体が石灰化しているなんてのを聞くと、ちょっと「あきらめ」的な感じもあったのですが、松果体の記事を書いた後、お知り合いの方からメールをいただきました。

その方は、ソルフェジオに詳しい方です。

ソルフェジオというのは、過去記事、

ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日の少し前に…
 2014年08月26日

などでふれたことがありますが、「音の周波数」による人の心身への影響や効果によって、治癒のような状態を作り出すと言われていることです。

それでまあ、上にリンクしました記事のタイトルにある 528Hz という周波数は、ソルフェジオでは、

528 Hz・・・DNA の修復

となっていまして、他にも「奇蹟の周波数」とか「変容と無限の可能性」とか、いろいろなことが言われているものです。

それで、そのお知り合いのメールの内容は、うまく説明できないかもしれないですので、そのまま抜粋させていただきます。女性の方です。


おととし夏の職場の検診で、心臓の弓状動脈だか静脈だかが「石灰化」している、との結果が出まして、「治療はできないので何もしなくて良い」とのコメントが、検診結果の報告書に書かれていたのです。

胸の真ん中が締め付けられるような嫌な感じの痛みがあるなとは思っていました。

病院に行ってもダメよ、ということなら、528Hzでやってみようと、音叉をポーンと1回当ててから夜寝るようにしていたんです。

そして去年の検診結果には何も書かれていませんでした。

そういえば、胸の辺りの嫌な感じもなくなっていました。



つまり、1年くらいで、心臓の血管の石灰化が「消えたかもしれない」というものでした。

これを読んで、私は「うーむ」と唸りました。

まあ、石灰化が解消されたことが完全に確認されたかどうかはわからなくとも、1年後の検査で指摘はされなかったということは、解消されていた可能性が高い気がします。

一般的には、体のどの部位でも石灰化した器官を元に戻すということは大変に難しいことで(多分ほとんどの場合では不可能だと思います)、俄には信じがたい面もないではないのですが、しかし、あるいは「 DNA そのものが活躍してくれるのならば、それもまたあり得るのでは……」と思えるような感覚もあります。

そして、ふと思ったのは、

「ソルフェジオで松果体の石灰化も戻せたりする?」

ということでした。

さて、私はどのような行動に出たか。

528Hz の音叉を買っちゃったんですね(笑)。

これまで、ソルフェジオは、音楽としては聴いていましたが、音叉は持っていなかったのです。

ソルフェジオの音叉は、探してみますと、Amazon でも楽天でも「周波数+音叉」のキーワードで検索すると、たくさん表示されました。

たとえば、528Hz の音叉でしたら「528Hz 音叉」で検索しますと、数多く出てきます。ちなみに、私の購入したのは、こちらです。

まだ届いていないですが、届きましたら、さっそく 528Hz の音叉で自分の眉間を強打する(それじゃダメだろ)…まあ、どうするかは決めてないですが、

「もしかしたら、血管の石灰化が 528Hzの周波数で改善した可能性がある」

というのは何だかビッグな出来事のように思えましたので。

それにまあ、リスクがあまりないですからね。

ただ、ソルフェジオのいろいろな周波数を聴いて思ったのは、その時の体調や心理状態によっては、音の周波数の種類によって気分が悪くなったりしたこともありました。そういう場合は「聴くのをやめる」というだけですので、それ以上のリスクはないとは思います。

それにしても、ジョン・レノンが言うように、「この社会はすべて狂った人間たちによって動かされている」というのならば、私たちの方も「逆の方向に狂う」というのもありかな、と。たとえば、「背中にスピーカーを背負って、 528Hz の周波数を大音量で流しながら街を走る」とかもいいかもしれませんね(そうか?)

こんなに松果体にこだわっているのは、まあ、多分、思い込みにしか過ぎないとは思いますが、先日、「松果体が目と連動して動いている感じ」に気づいたということもあるかもしれません。

いずれにしても、物質が蓄積されやすい松果体は、この化学物質に晒されやすい現代社会での生活の中では、確実にその機能は衰えていってしまっていると思っています。

あるいは、現実に多くの人の松果体が石灰化しているという現実があったり、あるいは、アルツハイマー病の人の多くの松果体が石灰化しているというデータ( Wikipedia )も存在していると、スピリチュアルを越えて、実際の生活や、これからの人生にも関わることのようにも思えるのです。

しかし、これまで私は、「衰退する松果体の状態を正すのは無理」と思っていましたが、あるいは、「単なる音」にその可能性があるのならば、それはそれで希望ではあります。





ビートルズ「マルコによる福音書1」から知ったこと

ところで、 528Hz に興味を持った理由のひとつには、上の方にもリンクしましたが、ジョン・レノンのビートルズ時代の曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」があったりするわけですが、このトゥモロー・ネバー・ノウズ( Tomorrow never knows / 明日は決して知らない )は、当初のタイトルは、原題で Mark I というものでした。

これは、つまり、

「マルコによる福音書1」

という意味で、当初はこのタイトルの曲になるはずだったということが、 トゥモロー・ネバー・ノウズ - Wikipedia に書かれています。ですから、当初のタイトルのままだった場合、「マルコによる福音書1 - ビートルズ」という曲として、世に出ていたことになります。

最近の Walk in the Spirits さんの記事で、この新約聖書の「マルコによる福音書」の中に、

カッコで括られた場所がある

ことを知りました。

カッコとは、つまり、〔 〕のことで、つまり、その部分は、

聖書の中に「神の言葉かもしれないし、そうではないかもしれない」というようになっている

という曖昧な部分があることを知りました。

正確には、マルコによる福音書の 16章 9節 - 20節の部分です。
日本聖書協会の訳文を例にすれば、下のようにカッコがついています。

mark-16-09.gif


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このことに関しては、「地の果てまで福音」というブログの「どうしてマルコ16章9~20節はカッコでくくられているの?この箇所って本当に神の御言葉と思っていいの?」という記事に詳しく書かれていますが、そこには、


考えてみれば、これはかなり大ごとだと思うのです。ある聖書の箇所がカッコでくくられ、下の方の註欄に、「*異本 9−20節を欠くものがある」と書いてある。ということは、この箇所は、本物の神の言葉かもしれないし、そうじゃないかもしれないということになります。


とあり、この方は徹底的に調べまして、その結果、このマルコによる福音書 16章 9 - 20節は、


導き出される結論として、この箇所は、聖霊によって霊感を受けた御言葉として、マルコの福音書元来の本文中に存在していた


という結論となりました(執念ともいえる、ものすごい量の資料が記されています)。

ということは、この部分は、「聖書から消されようとしていた」という可能性に通じます。とすると、この部分は、「神」と敵対する側からすると、「この部分は特に後に残ってほしくない部分」であったと思われます。

それなら、わりと重要なことが書かれている箇所なのではないかなと思った次第でもあります。

マルコによる福音書16章の 17-18節には下のようにあります。


信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。



聖書は、キリスト教の聖典ですが、私のような無信仰者はもう少し拡大して考えることを許していただいて、単に「神」と考えさせていただきますと、「神の存在を信じれば」上のようなしるしが伴うと。

蛇はともかくとして、私たちが現代社会で直面しているのは、まさしく、

「毒(汚染物質)と病気」

でありまして、これらが無害化するというのなら、それは確かに素晴らしいことですが。

ただ神を信じるだけで、それが起きるかどうかは何ともわからないですが、今回のことは、


・528Hzでの回復
 ↓
・ジョン・レノン
 ↓
・トゥモーロー・ネバー・ノウズの当初のタイトルは「マルコによる福音書1」
 ↓
・隠されたマルコによる福音書の箇所
 ↓
・毒と病気
 ↓
・528Hzに戻る



というようなループに近い輪廻の中で見出したもののようにも思います。

ソルフェジオに関しては、お医者さんとか、あるいは医療資格を持つ方で、医学的に調査してみる気になる人が出てくるといいと思います。

感覚的なままでは、どこまでも曖昧に進行していって、広がりを見せないままのオカルトで終わる可能性がありますし。

松果体の石灰化や、ガンの増加が止まらないほうは、感覚の問題ではなく、事実ですので、その事実に「対抗し得る事実」があれば、仮に、現代の社会が冒頭のジョン・レノンの言葉のような世界であったとしても、何とかやっていけるのではないでしょうかね。

神は神として、とりあえず私たち人間には自主的に考えることができる脳があります。しかし、仮に、脳が退化し続けたとした場合……いくら立派な計算ができたとしても、感情や想像力や創造力のない脳を持つものは、人間ではなく、それはロボットのようなものです。

この社会が、そんな「ロボット人間」ばかりになったとすれば、それは狂った社会ではあります。
すでに、ややそんな感じがして仕方ないのですけれど。



  

2015年02月05日



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▲ 2015年01月30日の米国 Epoch Times より。






 


老いも若きも病気の時代に

最近は、

日本の未来 : 子どもに関しての、そして、高齢者に関しての統計データから受けた衝撃
 2015年01月28日

から始まり、下のような、環境と心身の関係についての記事を多く書いていました。

・「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないかと」と思わせる日本をめぐる様々な統計グラフや、それと同じ曲線を描くいくつかの統計

胎内で200種類以上の汚染物質に包まれながら成長して生まれてくる赤ちゃんたちのサバイバル。そして、生まれてからはフッ素で松果体を破壊される子どもたちのサバイバル

私たちを含む多くの人類の松果体はフッ素による石灰化により、すでに「永遠の機能停止」に陥っているかもしれない

先天性の異常を含めた様々な疾患や問題を抱えて生まれてくる赤ちゃんの数が急激に増えていることや、あるいは、この数十年間で、ガンやアルツハイマーといった「かつてはなかったか、ほとんどなかった」ような病気が異常とも言える速度で増加してきたことなどの周囲にあることを考えたりしていました。

日本においては、出生数が減り続ける中、日本は長寿社会ではあるかもしれないけれど、「心身が健康のまま」年老いていく人の率は減っていて、その傾向は今後も拡大していく可能性が高いという、曖昧でもない絶望感。

これらの記事を書いてから、さらにいろいろな統計を見たり、あるいは、医学サイトなどを見たりしていたのですが、どうもこう日本はすでに「バランスの悪い社会」になっている感じも受けたりします。

バランスというのは、いろいろな面においてですが、何より年齢構造です。

日本は、年齢の中央値、つまり、「その国家の構成人員の平均年齢」が、世界で最も高い国となっていますが、現状(少子高齢化)を考えると、この先の日本の平均年齢はさらにどんどんと高くなっていくはずです。

age-japan2.gif
WHO 子供(15歳以下)高齢者(60歳以上)の人口の割合ランキング・国別順位

このまま進みますと、「その数値では国家として機能しにくい局面」、あるいは「国家としての滅亡レベル」にまで突き進む気配も感じますけれど、この平均年齢の数値を下げていくのは今の日本では簡単ではなく、もはや、何か「異常なほど効果的な特効策」がなければ無理だとも思います。

そういうことを考えれば考えるほど、子どもの将来住む社会を想像して、やや憂鬱になったりもしますが、こうなったのも、一種の国民の総意ではあるわけで、そのように進むのなら、それはそれで仕方ないのかもしれないとも思います。国家の勃興や衰退の形式には歴史上いろいろなものがありましたが、今の日本のような状態でのそれは歴史的にも珍しいかもしれません。

まあ、国家云々の話はともかくとして、過去 50年くらいの間に生まれた人々は、今にもまして、病気の懸念を持ち続けなければいけないというのは、例えば、下のグラフなどでもわかります。

誕生年ごとのガン発生リスク(単位は%)
cancer-risk.gif
Daily Mail

たとえば、私は 1960年代生まれですが、上のグラフでは、その世代の男性のガン発生リスクは 52%となっていて、文字通り、「2人に1人はガンになる」世代だといえそうです。

グラフでは、誕生年が進めば進むほど、リスクが上がっていますので、私たちより若い世代、すなわち、現在、30代とか、その下の方々が私たちのような 40代、50代になる時には、「3人に2人はガンに」とか、あるいは、もっと凄い数となるかもしれません。

過去数十年のあらゆるグラフが、ガンをはじめとした様々な病気の増加が止まっていない事を示しています。

日本の死因別の死亡率の推移
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がん統計

なお、ガンについては様々な原因が言われますけれど、現実としては、今言われているものとはまた違うような気もするという部分はあるのですね。酒やたばこや食生活も、それは確かに関係はするかもしれないですが、酒もタバコも、日本の歴史のずいぶんと古くからあったものです。

食生活は、先日の記事で、「肉食との関係性が多少見られそう」な感じはしますが、この場合、突きつめていえば、肉食そのものの原因があったとしても、それ以上に、「飼育の時点で投与されている何か」のほうがアレかな、とは思います。

日本人は古来は肉を食べませんでしたけど、外国人の多くは古代から肉食で、それでも、ガンなんてのはそんなに存在していなかったはずで、1950年代くらいという、ごく最近で一気に増えているのは、単純な「肉食化」というものともまた違うもののようにも思います。



肺ガンと喫煙率

私はタバコは吸いませんが、タバコを吸う人に悪い感情を持っているわけでもないです。そして、タバコが、あまりにもガンなどと関係されていることについては、ちょっと強調されすぎかな、と思うことがあります。

下は、厚生労働省の「人口動態統計」から、男女の喫煙率と肺ガンの推移を示したグラフです。

jt-cancer.gif
SPA! 受動喫煙=がん発症」は証明されていない!?

上のグラフでは、

「タバコを吸う人が減れば減るほど、肺ガンが増加している」

という不思議な関係がわかります。

まあ、タバコについての議論はいろいろと感情的なものが多いですので、上のような統計がある、ということに留めたいと思います。




減塩と死亡率

統計や資料を見ていて出会った「不思議な研究結果」といえば、世界で最もよく知られている医学雑誌に『ランセット』がありますが、そこに下のような研究報告がありました。

現在の健康常識から見ると不思議とも思えるデータといえるものです。

dieary-sodium.gif

▲ 1998年3月14日のランセットに掲載された論文 Dietary sodium intake and mortality: the National Health and Nutrition Examination Survey (食物ナトリウム摂取と死亡率:国民健康栄養調査)より。


ナトリウムは、「塩分」のことで、この研究は、アメリカでの食塩摂取率と死亡率の関係を調査したものです。27歳から 75歳までの 20万7729人に対しての栄養調査と医学的調査という、かなりの大規模な調査でした。

概要としては、食塩の摂取量に応じて、4つのグループに分けました。

グループ1が、食塩摂取量が「平均 2.64グラム(男性)、1.70グラム(女性)」と、最も食塩摂取の少ないグループで、以下、グループ2、グループ3と食塩摂取量が多いグループとなり、グループ4は、食塩摂取量が「 11.52グラム(男性)、7.89グラム(女性)」と、最も食塩を取る量が「多い」グルーブです。

要するに、

・グループ1が減塩グループ
・グループ4が塩分取り過ぎグループ


として、下のグラフをご覧いただければよろしいかと思います。
この4つのグループの死亡率を比較したグラフが下です。

さて、もっとも死亡率の高かったのはどのグループでしょうか。

sodium-us.gif
・Lancet

左の「1」は、最も摂取塩分量が低いグループで、いわゆる「減塩生活」のような食生活をしている人たちですが、この最も摂取塩分量が低いグループが、全グループの中で「死亡率が最も高い」ということになっています。

そして、「4」は、最も摂取塩分量が「多い」グループで、つまり「塩分取り放題」グループですが、このグループの死亡率が最も「低い」ことが示されます。

グラフには、黒い棒と白い棒がありますが、黒い方は「全死亡率」、白い方は、「心臓・血管系が原因の死亡率」で、どちらにおいても、「塩分取り過ぎグループが、他のすべてのグループより死亡率が低い」のです。

うーん……。

私なんかは、やや高血圧気味で、何かを読んだりしますと、念仏のように「塩分を控えましょう。そして、さらに塩分を控えましょう」と出てくるのですが、上の調査を見る限り、

「過度な減塩は、ある種の病気を防ぐかもしれないけど、総合的に見ると、死にやすくなる」

としか言えない研究結果となっています。

調査数も 20万以上となると、データ的な信憑性は高いはずです。

ただし、この論文には、「この観察結果は、特定の栄養に関しての勧告を正当化しない」とあり、これはつまり、「塩分摂取が良いとか悪いとかの結論は出さない」として締められています。なので、もしかすると、この大規模調査は「いかに塩分摂取は有害か」ということを確かめるためにおこなったら、「結果は逆だった」ということになったものなのかもしれません。




麻疹とワクチンの歴史的関係

ところで、この医学誌ランセットの Wikipedia には下のような記述があります。


『ランセット』は、1998年に、MMRワクチンと自閉症との関係を示唆する内容の文書を刊行したとき、厳しい批評を受けた。



この「 MMR ワクチン」というのは、麻疹(はしか)、流行性耳下腺炎(おたふく風邪)、風疹の三種混合ワクチンのことですが、麻疹ワクチンについて、アメリカで議論が沸き起こっています。

これは要するに、上の内容のうち、

> MMRワクチンと自閉症との関係を示唆する内容の文書

という部分と関係するのですが、2010年まで問題は続きました。
下は AFP の記事です。


英医学誌、自閉症と新三種混合ワクチンの関係示した論文を撤回
AFP 2010.02.03

英医学誌ランセットは2日、はしか、おたふくかぜ、風疹を予防する新三種混合(MMR)ワクチンの接種と自閉症の間に関係がある可能性を指摘した1998年の論文を完全に撤回すると発表した。

1998年の論文は誤りだと指摘する研究者もいたが、子どもにこのワクチンを接種させない親が相次ぎ、英国をはじめ米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドで接種が激減した。ワクチン接種率は現在でも完全には回復しておらず、はしかにかかる子どもが増えているという。



というようなことがあったのですけれど、現在、アメリカで麻疹が大きな流行を見せていまして、そして、その中で再びこの「ワクチンの問題」が、アメリカのメディアで取り上げられています。

当局は、「予防接種を受けていれば安全」だとしていますが、これについて、アメリカの民主党と共和党が対立しといて、たとえば、ヒラリー・クリントン国務長官などは、演説で、ワクチンの効能を説いたりしてる一方で、共和党は「任意接種にすべきだ」と述べていたりします。

この背景として、アメリカ人だけではなく、ワクチンの副次的作用については、かなり悪い面を考える人たちが多いようで、アメリカやヨーロッパ、オーストラリアなどでは、麻疹のワクチン摂取を子どもに受けさせない親が多くなっているようです。

そのことと、最近のアメリカの麻疹の流行がどこまで関係あるのかはわからないのですが、しかし、麻疹という病気そのものが、とても怖い症状の可能性を含む病気であることもまた事実です。

麻疹 - Wikipedia によりますと、下のような記述があり、かつては、今よりはるかに死者数の多い恐怖の伝染病だったことがわかります。

江戸時代には13回の大流行が記録されており、1862年の流行では江戸だけで、約24万人の死者が記録されている。


あるいは、麻疹の発症者の約30%が合併症を併発するのだそうですが、麻疹の発生が多いベトナムでは、視覚障害者 60万人のうち、その多くが麻疹が原因となっているのだそうです。

そのように、なかなかおそろしい病気なわけで、この世から麻疹が減ったことがワクチンによるものだったとするならば、麻疹ワクチンは賞賛されるべきものとなりますが、そのあたりはどうだったのか?

歴史上での時間軸を見ますと、微妙な点もないではないのです。

たとえば、「過去の麻疹の麻疹死亡者の数と、ワクチン接種との相関関係は見られるか」という点からは、次のようになります。日本での例です。

Measles-Outbreak-50.gif
国立感染症研究所 麻疹の現状と今後の麻疹対策について

日本で、麻疹のワクチンが導入されたのが 1966年で、定期接種が開始されたのが 1977年なんですが、上のグラフを見ますと、日本で麻疹ワクチンの定期接種が開始された 1977年には、すでに麻疹患者そのものが減っていたようです。

1947年には約2万人の患者がいましたが、ワクチン定期接種の開始前の 1975年には、232人まで減っていますが、この 1950年代から 1970年代にかけての減少は、ワクチンとは関係のない「自然減」ということになりそうです。

ですので、この数の推移からだけでは、麻疹の減少とワクチンの作用との相関関係を見ることはできないです。

とはいっても、最近はまた麻疹は増加する時もあるようで、日本でも

・2001年 約 28万人の大流行
・2006年 186人
・2007年 10歳から29歳の世代で 1600人以上の患者発生
・2008年 約6,000人
・2012年 5人
・2014年 2008年以来の患者数


などとなっています。

ただ、医療が向上したためだと思いますが、推定で 28万人が麻疹を発症したとされる 2008年の大流行でも、死者は 21人でした。致死率でいえば、0.01%以下というような感じでしょうか。

ただ、私のような素人の立場で、まして麻疹のような、場合によっては重篤な病気のワクチンの功罪に言及することはできないです。それでも、過去のデータを見る限りは、過去の麻疹の死者数の減少とワクチンの普及は、それほど関係ないように見えることは事実です。

まあ、こういうワクチンとかの問題は最近はやはり感情論になりやすいですが、こういう問題こそ、感覚的、あるいは感情的にとらえても、あまり意味がないですので、淡々と統計を眺めるくらいしかできないです。

そんなわけで、本題が何かわからなくなっていますが、いろいろと子どもの心身の病気が世界中で拡大している中で、最近、気になっているのが、冒頭の記事の病気です。




アメリカで 100人以上の身体的麻痺を起こしているかもしれないウイルス

冒頭の病気は、昨年の、

アメリカ中西部の子どもに広がる「過去最悪」のエンテロウイルス(EV-D68)感染症の異常事態
 2014年09月08日

という記事で取り上げたことがありますが、昨年の夏、アメリカの子どもたちを EV-D68 というウイルスによる感染症が襲いました。

その記事でご紹介した CNN の報道は下のように始まります。


Respiratory virus suspected in Midwest children's hospitalizations

米中西部で入院している子どもたちに呼吸器系ウイルスの疑い
CNN 2014.09.07

呼吸器系のウイルスによる疾患により、ミズーリ州を含む、おそらくアメリカ中西部の全域の病院で数百人の子どもたちが入院している。現在の入院患者数が異常に高いため、アメリカ疾病予防管理センター( CDC )の専門家は、「重症患者は氷山の一角に過ぎない可能性がある」と述べる。

ミズーリ州のカンザスシティでは、毎日毎日 30人程度の子どもが病院に搬送されており、そのうちの 15%の子どもたちは集中治療室へと運ばれる。カンザスシティのマーシー病院では、これまで 450人の子どもたちが治療を受け、そのうち、60人が集中治療を受けている。

同病院のメアリーアン・ジャクソン医師は、「私は小児科で 30年間治療に当たっていますが、重症化した子どもたちの数がこれほどまでに多いのは今までになかったことです」と述べる。



アメリカで昨年、こういうことがあったのですが、このウイルスの問題が今も引きずっているのです。

それは冒頭の「アメリカで 100人以上の子どもたちが謎の身体麻痺に陥っている」ということにつながるのですが、この麻痺と昨年の夏のエンテロウイルス EV-D68 が関係ありそうだ、ということになってきています。

それだけが原因かどうかはわからないですが、ともかく、現在のアメリカには、原因不明の麻痺、あるいは神経症状に見舞われ、今も回復していない子どもたちがたくさんいるのです。それはすべてこの数ヶ月の間に起きています。

今はアメリカ(とカナダの一部)だけの話だとはいえ、今の時代では、そんなに遠い話とも思えない面もありまして、この「子どもだけを狙う病気」の登場は何となく脅威です。

先日の記事「松果体が石灰化により機能していないかもしれない」人たちが多くなってきているようなことも含めて、何となく、地球の人類はとんでもなく不健康なステップを踏みだそうとしているような気もします。

米国 Epoch Times の報道をご紹介します。




Over the Past 5 Months More Than 100 US Children Have Become Mysteriously Paralyzed
Epoch Times 2015.01.29


過去5ヶ月、アメリカで 100人以上の子どもたちが謎の身体麻痺に陥っている


昨年8月からアメリカの 100人以上の子どもたちに麻痺を引き起こしている原因として、医学誌ランセットで 2015年1月28日に発表された研究では、それらの麻痺とエンテロウイルス EV-D68 とに関係がある証拠が提示された。

以前の研究で、身体が麻痺した 41人の患者のうち 8人の鼻腔から EV-D65 が検出され、麻痺の原因となっている可能性が強くなっていた。

新しい研究では、コロラド州デンバーで、麻痺を経験している子どもたちのグループに焦点を当てた。このグルーブでは、8人のうち、5人の鼻腔から EV-D68 が検出され、ウイルスとの関係がより強く示された。

このウイルスが脳脊髄液中に見出された場合、麻痺のような状態の原因となる可能性がある強い証拠がとなる。しかし、今のところ、脳脊髄液からは検出されていない。

エンテロウイルス EV-D68は 1962年にカリフォルニアで初めて発見された。症状は、鼻水、咳、発熱、筋肉痛などで、普通の風邪と似た症状を起こすが、このウイルスは特に呼吸器系に影響を与える。

そして、これは身体に麻痺を引き起こしてしまう可能性を持つ。しかし、感染した中の誰が麻痺に陥るのかは、時が経たないとわからない。

これまで麻痺から回復した子どもは、ほんのわずかだ。

EV-D68の感染を防ぐワクチンや、具体的な治療法はない。また、EV-D68を検出できる病院や診療所はそれほど多くはない。

EV-D68 は、夏から秋にかけて感染の可能性が高まり、2014年は、10月の時点で、アメリカで 1,000人以上の感染例が報告された。患者は、主に子どもや免疫系の弱い人たちだ。麻痺や筋力低下は、カナダでも起きているが、アメリカとカナダ以外では報告はない。

ランセットは、その論文の中で、アメリカとカナダの病院では、呼吸器疾患の後に現れた神経症状に対応し続けているとしつつ、しかし、同時にランセットには、

「患者たちは物理療法で治療しているが、長期での予後の判断はできない状態だ。なぜなら、ほとんどの子どもたちが、これまでに改善の傾向を示していない」

と記されている。

アメリカ疾病予防管理センター( CDC )は、この事態を受けて、「子どもたちをエンテロウイルス D68から守り、拡散を防ぐための啓蒙キャンペーン」をおこなっている。


ev68-infographic.gif


・病気の人に近づかない
・咳と鼻水を覆う
・石鹸と水で頻繁に手を洗う
・清掃と消毒
・顔を洗っていない手でさわらない
・発病したら外出を避ける

などを奨励し、病気に対する認識を持ってもらおうと務めている。




  

2015年02月03日



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▲ 1976年のアメリカの連邦議会の議事録より。アメリカ国立がん研究所の所長を務めた後、生涯を通して水道水フッ素化への反対を主張し続けたアメリカのディーン・バーク博士( Dr. Dean Burk )の証言より。議事録の引用は、アメリカがん協会( American Cancer Society )記事へのコメントより。

クレムナの予言 ミタール・タラビッチより

悪人は悪行を平気で行う。たとえば、空気や水、そして河川や土地を汚染し、このため人々はさまざまな病気で死ぬようになる。

時はすでに遅い。悪意をもつものたちが全世界を荒らし回っており、膨大な数の人々が死に始めるからである。







 


世界に広がるフッ素化水道水

先日の、

胎内で200種類以上の汚染物質に包まれながら成長して生まれてくる赤ちゃんたちのサバイバル。そして、生まれてからはフッ素で松果体を破壊される子どもたちのサバイバル
 2015年02月01日

という記事では、後半、「フッ素」について書かせていただきました。

その記事にも書いたのですが、私は、人から教えられるまで、フッ素なんてものについて考えたことはありませんでした。

しかし、上の記事を書いている中で、フッ素の単離の研究の中で次々と研究者たちが毒死をしているというような猛毒が、なぜ、水道水に加えられたり(日本では水道水には添加されていません)、あるいは、今ではほぼすべての歯磨き粉に入れられている、ということには興味をおぼえました。

何しろ、「水道水」とか「歯磨き粉」というものは、口に入れるものとしては、日常的に避けられないものだからです。

そして、上の記事にも書きましたが、英国での研究で、フッ素は松果体に高濃度で蓄積され続けるということも知り、ますます懸念というのか、疑念というのか、そのようなものが消えないのです。

どのくらいの国で、水道水にフッ素添加をしているかというのは、下の地図にあります。これは英語版 Wikipedia の Water fluoridation (水道水フッ化物添加)というページにあるものです。

世界の水道水へのフッ素の添加の現況
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Water fluoridation - Wikipedia


上の地図で、特に多くの地域で水道水にフッ素添加されている赤で示される国は、アメリカ、ブラジル、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、そして、イスラエルとなっていて、これらの国では 60〜80%の地域で水道水がフッ素化されているようです。

調べますと、アイルランドでは、フッ素化に対して激しい反対運動が起きた記録が残っています。

アイルランドのダブリンで行われた反フッ素デモ(年月不明)
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Irish Health

このような大規模な反対運動があったアイルランドですが、Fluoridation by country(国別のフッ素化状況)を読みますと、皮肉なことに、2014年時点で、アイルランドは、「ほぼ全域がフッ素化水道水」となった唯一の国ということになっています。

上のような国が積極的に水道水をフッ素化している一方で、「ほぼ完全にフッ素化していない国」も、少数ですが、あります。

地図では「白」で示される「水道水にフッ素を添加していない国」は、日本、ドイツ、ナイジェリア、ベネズエラ、ウルグアイとなっています。

この推移のグラフを見ていますと、例えば下はアメリカの例ですが、2つのグラフを並べたくなったりします。

アメリカでフッ素添加された水道水を供給されている人口の1992年から2008年までの推移
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tuberose


アルツハイマー病などでの神経性疾患での死亡者数の国際比較(1960年-2009年)
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アルツハイマー病

ところで、上のグラフは「実数」ですので、必然的に人口の多い国が多く示されるわけで、上の国のなかで最も人口の多いアメリカが上位になるのは当然といえば当然ですので、これを数ではなく「率」で示しますと、実態と近いものがわかるかと思います。

率は下のようになります。

アルツハイマー病などの神経系疾患の死亡率の推移と国際比較(男性)
alz-c1.gif
アルツハイマー病

「率」でも、アメリカは2009年時点で1位ですね。

以下、

・フランス
・カナダ
・スイス
・スペイン
・英国
・オーストラリア
・スウェーデン
・ドイツ
・日本


となっていて、アルツハイマーなどの神経疾患の死亡率は、日本はこれらの国の中ではダントツに低いことがわかります。日本もアルツハイマー病などは増える一方だと思っていましたが、実際には国際比較では、率としてかなり低いようです。

上のグラフは男性の比較ですが、女性でも、ほとんど同じ順位となっていて、日本は、アメリカやフランスの4分の1程度です。

日本のアルツハイマーの率がこれだけ低い理由はちょっとわからないですけれど、他の主要国のほうが、アルツハイマー等については、ずっと深刻な状況が伺えます。

気づくと、フッ素の話から唐突にアルツハイマーの話になりましたが、もちろん、これらとフッ素の関係云々を書いているわけではないです。




子どもの松果体が仮に破壊されているとしたら、それは悲しい

今回は、調べている時に偶然知った、冒頭のアメリカ国立がん研究所の所長だったディーン・バーク博士が、アメリカ連邦議会で発言したとされる、


「事実として、フッ素の添加は、他のいかなる化学物質より早く、より多くのガンによる死者を生み出す原因となる」

"In point of fact, fluoride causes more human cancer death, and causes it faster than any other chemical."


という言葉を見かけまして、そのあたりはどうなんだろうな、と調べていた時に見かけました、いくつかの海外の資料をご紹介します。

ここからの資料の内容などの成否のご判断は読まれている方々にお任せしますが、先日の記事でも書きました、「フッ素が松果体の機能を萎縮させる可能性がある」ということについては、特に、

日本を含めた各国で、虫歯予防として、児童生徒への積極的なフッ素塗布や投与が奨められている

ことは気になるわけです。

あと、赤ちゃんを粉ミルクなどで育てている人の場合も、フッ素入りの水道水はどのように作用するのか(小さな子ほど物質の曝露の影響を受けやすい)……とか、また、アメリカでは下のように、「フッ素配合の赤ちゃん用飲料水」というような商品もあるようなのがどうも気になるのです。

infant-water.jpg
Scientists Discover New Method To Remove Fluoride From Drinking Water


あくまで個人的な考えですが、赤ちゃんから幼児期の時代というのは、人の一生のうちで最も松果体の影響を強く受けている時期かもしれない、と私は思っています。

左脳的な感覚で行動を始める以前の子どもたちは、まだ、

「何がこれ」
「何があれ」


というような記号的な認識で世界と接していない時代(感覚的な世界)の中に生きているわけで、「世界の形を自由に受け入れている」時であると思います。

その場合、目から入る光景よりも、(メキシコの眼のない魚のように)松果体でこの世界を見ているような気もして、それだけに、

小さな子になればなるほど、「世界を仮象ではなく、実相として見ている」

というような感じは持っています。

先月の、

動物の大量死のリンクから思う現在の「異常の真実」から改めて松果体の意味を考えている時に、55億光年の宇宙の彼方から謎の電波信号が地球に届く
 2015年01月21日

に、ルドルフ・シュタイナーの主張として、


アトランティス時代に、エーテル体頭部にあった知覚の中心点が、今では松果腺であり、これが発展すると人類は霊視力を取り戻す(幼児の頭の柔らかい部分が、その名残である)。

松果腺は、心臓から流れてくる精妙なエーテルの流れに取り巻かれており、脳に認識の可能性を与えている。



というような部分を取り上げたことがありますが、簡単にいえば、「赤ちゃんには霊視力がある」ともとれそうなものですが、仮にそういうようなことがあったとしても、それは「松果体が機能していればこそ」ということも言えるような気がするのです。

私たちのような老人はまだしも、幼児期の子どもの松果体に影響を与えるものがあるとするなら、「少しでも悪影響の可能性のあるもの」は、極力排除したいと思うのは自然な気がします。

私たち大人に関しては、いろいろな物質からの汚染の歴史が長すぎて、もう何だかどうにもならない気もしますが、子どもには努力してもいいと思います。私のような 1960年代生まれの人々などというのは、「チクロ」だとか、「六価クロム」だとか、「赤色3号」だとか、そういうものたちに幼少時代を華麗に綾取られた昭和を経ていますので、ずいぶんと以前から「手遅れ感」が強いです。




松果体の石灰化

日本語版の松果体 - Wikipedia もありますが、英語版の Wikipedia は、松果体についての記述がとても長く、また、日本語版にはない記述として、「石灰化 ( Calcification )」という項目があります。

まずは、その部分をご紹介します。


Pineal gland - Calcification

石灰化

松果体の石灰化は(特に高齢者で)多くの場合、頭蓋のX線で見られる。

この松果体の石灰化は成人では典型的なものだが、2歳児などの年齢の低い児童たちで観察されることがある。

石灰化の比率は、国により大きく異なるが、加齢と共に増加していく。アメリカでは、過去 17年間で約 40%の人々に石灰化が発生したと推測される。

松果体の石灰化は、主に脳砂と関連している。

石灰化により、松果体の内部分泌物が生殖腺の発達を阻害すると思われる。なぜなら、小児で松果体に深刻なダメージを受けた場合、その結果として、性器官や骨格の発育が加速する。

動物では、松果体は、性的発達、冬眠、新陳代謝、季節繁殖に大きな役割を果たしていると思われる。

最近のいくつかの研究では、アルツハイマー病や他の認知症において、松果体の石灰化の程度が非常に高いことを示した。松果体の石灰化はまた、アルツハイマー病の病因に寄与し得る、結晶化阻害剤の非存在とも関連していることを示す。

松果体中のカルシウム、リン、フッ化物の堆積物は、脳の年齢と比して、より多くの堆積物を集めることを示し、加齢と相関している。



とあります。

これを読みますと、松果体の石灰化とアルツハイマーに関係性が見られるようで、先ほど書きましたような、「フッ素とアルツハイマー」の関係も存在している可能性があるかもしれないですね。

この「石灰化」という現象は、文字通り「石のように硬くなること」で、体の他の部位でいえば、たとえば、動脈硬化が極限まで進むと「血管の石灰化」となり、これはかなり悪い状態ですが、どの器官であっても、一般的には、

石灰化した組織は元の状態には戻らない

と考えていいと思いますので、松果体に関しても、「石灰化した松果体は元には戻らない」と考えられると思います。

そして、上の英語版 Wikipedia の文章。

> 2歳児などの年齢の低い児童たちにも観察されることがある

こんな、まだ赤ちゃんにも近い年齢で松果体が石灰化してしまったら、(今の世の中では)子どもの時だけ体験することのできる「松果体で見る世界」が「見えない」まま時間が過ぎていき、そして、石灰化した組織は戻らないとすれば、

その子どもたちの松果体は事実上、人体から消滅した

といえるのかもしれません。

多分、松果体でもどこでも、一度石灰化した器官を元に戻すことは、ほとんど不可能だと思われます。つまり、どの年齢であっても、松果体が石灰化してしまった場合、その人は「一生松果体を持たない人間として生きていく」ということになるのかもしれません。

今回のタイトルに「松果体の永遠の機能停止」と入れたのは、このためです。

水道水にはフッ素が入れられていない日本ですが、頻繁に歯への塗布などをおこなっている場合や、子どもなどの場合では塗布剤や歯磨き粉を飲んでしまう場合も多く、人によっては日本人でも相当量のフッ素が、松果体や、あるいは骨に蓄積されている可能性があります。

フッ素が組織の石灰化を促す学理作用については、2001年に、群馬県歯科医学会雑誌に掲載された村上徹医師による「フッ化物による脳機能障害について」の「紹介論文10」に、1995年の実験についての論文が要約されていますので、ご参考いただければと思います。




「虫歯治療の革命」はどうなったのか?

ちなみに、フッ素は、現状で虫歯予防などの目的で使われているわけですが、まあしかし。

この「虫歯治療」というと、過去記事を思い出すのですよ。

2011年の記事ですので、もうずいぶんと昔のものになりますけれど、

虫歯治療の革命: 歯の自発的な再生を手助けする虫歯治療法が英国で開発される
 2011年08月24日

という記事で、虫歯の新しい治療法として、歯に穴も開けず、化学的薬品も使わない方法が、イギリスのリーズ大学の研究者たちが発見したことを書きました。

その方法は、いわゆる「ペプチド技術」というものと関係していますが、化学物質ではなく、タンパク質の一種を歯に塗るだけで、歯が自主的に再生していくというものでした。

まさに歯科医学の一大革命ではあるのですが……いまだに実用化の話を聞きません

この研究チームのポール・ブラントン博士という人は、

「今後2〜3年のうちに、この技術が歯科医の日常となっていく可能性があると思います」

と語っていましたが……。

「全然、歯科医の日常になってないじゃん!」

と言いたい面はあります。

なぜ、この技術はそのままあまり陽の目を見ないままなのかと。

このあたりはいろいろと複雑な事情もありそうですが(この治療法が広がると困るのは……)、虫歯の根本的治療がこの世に存在するのに、いまだに虫歯予防の話が出ること自体がおかしいと思ったりもいたします。


ちなみに、私は子どもの頃から二十代くらいまで虫歯が多い人でした。

虫歯が多いということは、歯磨きが嫌いだったということですが、なので、あまり歯磨き粉とか使わない習慣が普通だったので、大人になってさすがに毎日歯を磨いてはいても、歯磨き粉は使わないです。旅行に行った時など、ホテルに歯磨き粉が備品としてあると「なんか勿体ない」と思い使う程度ですので、歯磨き粉を使うのは、数年に一度とかでしょうか。

今思えば、これはちょっと幸いだったかもと。

何だか内容が混沌としてきましたが、冒頭のディーン・バーク博士の連邦議会での証言が記されているページの内容をご紹介して、今回の記事は締めさせていただきます。しかし、このことについては、また後日書くことがあると思います。

何しろ、問題の根本が「松果体を持つ人類の存続」という、わりと大きな概念につながっていくことでもありますし。

では、ここからです。
バーク博士が、水道水のフッ素添加になぜ多大な懸念を持ち、反対していたかが少しわかります。

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「フッ素化は大量殺人のひとつの形態である」- ディーン・バーク(1977年)




"60 Minutes" And The Cancer Cure
American Cancer Society - Dr. Len's Cancer Blog 2008.11.04

「60分、そしてガン治療」のコメントより(抜粋)

まず、私たちは、すべてのガンは、ひとつの細胞内の DNA から始まるということを知らなければならない。DNA の研究から、フッ素は明らかに発ガン物質であるメカニズムを持つことが判明している。

オーストリアと日本の研究者たちは、共に、濃度 1ppm のフッ素が DNA 自身の修復能力を上回るレベルの身体能力の破壊を引き起こすことを突き止めた。これはアメリカの標準的な都市の水道水のフッ素レベルだ。

細胞が持つ基本的な修復機能がない状態では、ガンの発生が促進され、腫瘍の成長が促進される。

イァモウイァニス博士( Dr. Yiamouyiannis )の著作では、世界 19のメジャー研究施設での研究の驚くべきチャートが示され、それらはフッ化物が遺伝子損傷を引き起こすことに疑いの余地がないことを証明している。

また、植物や昆虫の遺伝子変化のリストも載せられている。

アメリカ国立がん研究所( National Cancer Institute )の所長だったディーン・バーク博士は、連邦議会の前で以下の声明を出した。

「事実として、フッ素の添加は、他のいかなる化学物質より早く、より多くのガンによる死者を生み出す原因となる」 - 連邦議会議事録 1976年7月21日

博士の解釈が間違っている可能性があると思われるだろうか。

バーク博士とイァモウイァニス博士は、1940年から 1970年まで「水道水がフッ素化された10都市」と、「フッ素化されていない 10都市」のガンでの死亡者数を比較するという、記念碑的な研究プロジェクトを行い、1977年にプロジェクトは完了した。

最初の 10年間( 1940 - 1950 年)は、どちらの 10都市もフッ素化されていなかった。そして、紛れもない事実は、どちらもフッ素化されていなかったその期間はどちらの 10都市もガンでの死亡率は同じだったということだ。

しかし、1950年代以降、水道水フッ素化が始まった年より、フッ素化された都市では、ガンによる死者数が大きな上昇を見せた。一方、フッ素化されていない都市では、非常に低いガン死亡者レベルのままだった。

「毎年、3万人から5万人が、フッ素化を要因としての死とつながっていると考えられる。この中には1万人から2万人の、フッ素化に起因するガン患者を含む」

これらの知見は、驚くべくことに、これらのデータが最初に確認されたアメリカ国立がん研究所自身によって拒否された。

その後、この研究は、ペンシルベニア州とイリノイ州での州裁判所での法廷で有効性が認められた。科学的な研究であるのに、なぜ、その有効性が法廷が争われているのか? 有効な研究がビッグマネーを脅かす時の常套手段だ。

ニュージャージー州の保健局による研究では、フッ素化により、若い年代での骨のガンが 50%増加したことを発見した。これについて、アメリカ合衆国環境保護庁( EPA )の、ウィリアム・ハーズィ博士( Dr. William Hirzy )は、「フッ素化合物は広域スペクトルの変異原であるといえる。これは、植物と動物の両方の細胞内で遺伝子損傷を引き起こす可能性がある」と述べている。





このディーン・バーク博士は、英語版 Wikipedia によりますと、アメリカ農務省所属の科学者を経て、1939年からアメリカ国立がん研究所に所属し、後に所長となった人物です。

しかし、上のような「フッ素とガンの関係」について、国立がん研究所と意見の相違などもあった中、1974年に国立がん研究所から離れ、その後の生涯は「水道水へのフッ素添加の反対運動」に携わっていたという方のようです。

バーク博士は、

「水道水のフッ素化は大量殺人の一形態である」

という発言までしていたのだそう。

そこまで大げさなものかどうかはまだ分からないですけど、今回書かせていただきました内容のうちの、いくつかでも、つまり、フッ素が松果体を石灰化させることや、非常に微量のフッ素が DNA の修復機能を破壊する、ことなどが真実ならば、バーク博士の主張も、あながち間違いではないかもしれません。

なぜなら、松果体を破壊され、 DNA の修復機能を失ったモノは、それは「本来的な意味での人間」とは呼べないとも考えられるからです。そして、もしかすると、現在はそのような、人間ではない人間が増えているということなのかもしれません。



  

2015年01月22日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





Shiva.jpg
Wikipedia






 


「額の目で見る」という意味

今回は昨日の記事、

動物の大量死のリンクから思う現在の「異常の真実」から改めて松果体の意味を考えている時に…
 2015年01月21日

の補足的なものとなりそうなんですが、上の記事で、ルドルフ・シュタイナーが「松果体」について、どのような考えを持っていたかを『シュタイナー用語辞典』という著作から抜粋として記しました。

それによりますと、シュタイナーは、松果体について、

地上の人間の最初の感覚器官。レムリア時代には、熱を知覚する器官であり、受精器官であった。レムリア時代には照明器官でもあり、一眼巨人の伝説の元にもなった。

アトランティス時代に、エーテル体頭部にあった知覚の中心点が、今では松果腺であり、これが発展すると人類は霊視力を取り戻す。

松果腺は目の平行器官として発達し、目が作るイメージに現実性を与える。

と考えていて、「目と松果体は平行器官」、つまり、目も松果体もどちらも「見る」器官ではあるけれども、「実体」を見ているのは目ではなく、松果体だと解釈できるようなことを書いています。

その後、お知り合いから、日月神示の中にも、何度も何度も繰り返し、「額の目」という言葉が出て来ることを教えていただきました。

たとえば、「黄金の巻 第七十三帖」には、

もの見るのは額で見なされ、ピンと来るぞ。
額の判断間違いなし、額の目に誤りなし。

という表現があったり、「夏の巻 第十九帖」には、

額に先ず気集めて、ハラでものごと処理せねばならんぞ。
形ある世界では形の信仰もあるぞ。
偶像崇拝じゃと一方的に偏してはマコトは分からんぞ。

だとか、何度か出てくるようです。

きわめつけは、「地震の巻 第06帖」で、この部分自体かなり長いもので、そこからの抜粋ですが、

各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。

と、ここには、

> 目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れる

とあり、さらに、「目に見え、目にうつるものは、第一義的真理ではない」として、日月神示においては、「真理を見るのは目ではなく額」となっていて、これは、シュタイナーの言う、

「松果体が発展すると人類は霊視力を取り戻す」

「松果体は目の平行器官として発達し、目が作るイメージに現実性を与える」


というあたりと非常に概念としては似ているものです。

松果体の位置は下の図が示すように「額と平行で、かつ脳の最も奥深い場所」にあります。

pineal-glands-map.jpg
Nikon | 光と人の物語 | 第3の眼の進化




細胞から見ると、松果体は「眼」になるはずの器官だった

ところで、上の図を拝借したのは、カメラで有名なニコンのサイトなのですが、ニコンのサイトの中には、企業ページだけではなく、「光と人の物語」というコーナーがあり、その中に「第3の眼の進化」というページがあります。

その中に以下のような記述があります。

脳の中の「眼」

カマキリなど昆虫の一部やトカゲの仲間であるカナヘビには、「頭頂眼」と呼ばれる第3の眼を持つものがいる。頭頂眼は他の二つの眼と同じように水晶体や網膜を持つ。像をとらえる機能はないが、光を感じて体温の調整やホルモンバランスの調整を行っていると考えられている。

驚くことに、私たちの遠い祖先も第3の眼を持っていた。

その痕跡は今も私たちの脳の中にある。その器官、「松果体」は脳の中にありながら、細胞レベルでは驚くほど眼、特に網膜の細胞と構造が似ている。

松果体になる細胞がごく若い胚の時期には、レンズ、色素上皮、網膜ニューロンなど、眼をつくる細胞になる可能性(分化能)を持っている。

つまり松果体は眼になる可能性を持ちながら、眼とはまったく別の器官に発達しているのだ。

なんと!

私は今回初めて知りましたが、上にありますように、

松果体は、細胞レベルでは網膜の細胞と構造が非常によく似ている

わけですが、しかし、「松果体は眼になる可能性を持ちながら、眼とはまったく別の器官に発達した」ということで、脳の中の別の器官になったということのようです。

つまり、松果体は、細胞レベルで「基本的には、目と同じもの」だといえるようなのです。

どうして、松果体が眼にならなかったかということがわかってきたのは最近のことのようで、上のニコンのページには、奈良女子大学教授の荒木正介さんという方が、「眼と松果体は、発生の初期には同じ可能性を持ちながら、なぜこれほどまでに異なった形に変化するのか」ということを追求するため、 20年にも及ぶ実験を繰り返したことなども書かれています。

その結果としては、「脳の中という特殊な環境が、眼になることもできる細胞を、眼ではなく松果体にする」ことを明らかにしたとのことです。

また、上の記述で、これも初めて知ったのですが、カマキリなどにある第3の目である「頭頂部」の説明の、

> 頭頂眼は他の二つの眼と同じように水晶体や網膜を持つ

というように、カマキリなどの第3の目は、水晶体や網膜などを持つ「目そのもの」であるようです。

mantis-5.jpg

▲ カマキリの「第3の眼」の頭頂眼は触角の間にあります。


カマキリなどの第3の眼には「像をとらえる機能はない」とありますが、

> 光を感じて体温の調整やホルモンバランスの調整を行っている

というのは、第3の目が、メキシコの眼のない魚の松果体同様に「光を見ている」ことを示している上に、シュタイナーが述べていた「松果体は、レムリア時代には、熱を知覚する器官であった」という部分ともリンクしそうで、昆虫たちも、第3の眼で「光のナビ」を見ているのかもしれません。

この眼と松果体の細胞についての生物学的な特徴がわかったのは最近のことで、少なくとも、シュタイナー(1861年-1925年)が多くの著述をしていた今から 100年ほど前とか、あるいは、岡本天明氏(1897年-1963年)が、日月神示を自動書記したとされる 1944年頃とかに、松果体の細胞の生物学的な見識が彼らにあったとは思えず、この

松果体と目は、ほぼ同一の細胞構成

であることが生物学的にも言えるということは、いわゆるスピリチュアリズムや、神秘学の上でいわれる第3のビール……じゃねえや、「第3の目」の概念にも、かなりの信頼性が出て来るのではないかという気もしないでもないです。

ニコンのページには、以下のような下りがあります。

最近では、ヒトは眼や皮膚だけではなく、多くの種類の細胞で光を感じることがわかってきた。細胞を培養すると、それらは独自にリズムを刻む。それらをまとめて統括するのが松果体や視床下部の役割で、いわば生物時計の司令塔ということができる。第3の眼は、私たちの行動をコントロールしているのだ。

何と私たちは「行動を松果体にコントロールされている」ようです。

そのような「第3の目」について、日月神示では、「額の目」として、

もの見るのは額で見なされ
額の判断間違いなし、額の目に誤りなし。


のように述べていることになるわけですね。

とはいえ、「額の目で見よ」と言われても、具体的にどうすればよいのやら。

そのあたりのことはわからないのですが、松果体の役割を生物学的な意味でも合理性を持つ表現をしたシュタイナーが「高次の世界を認識する具体的な方法論」として記した著『いかにして高次の世界を認識するか』について、過去記事の、

人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
 2014年05月12日

の中で、高次の世界を認識するための、その本に記されているいくつかの条件や特性を書きました。

これらはシュタイナーの言うところでは、世界を「霊的に見る」ことにつながっているとのことですから、「第3の眼」、つまり「額」で見るということと関係することかもしれないですので、記しておきます。

実際に著作を読むと、一朝一夕で何が変わるというものではなく、何年も何十年も、場合によっては「何世代も(転生が存在すると仮定した場合)」続いていくような実践ではあるようで、簡単なことではありません。




神秘学の学徒になるための条件

第一の条件

「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」

第二の条件

「自分自身を生命全体の一部分と感じること」

第三の条件

「私の行動だけではなく、私の思考と感情も、同様に世界に対して重要な意味をもっている」と考えることができる境地にまで上昇しなくてはならない」

第四の条件

「人間の真の本質は外見にではなく、内面にある」

第五の条件

「一度自分で決めたことは、確固とした態度で守り通す」

第六の条件

「自分に与えられるすべてのものに対する感謝の感情を育てる」

第七の条件

「つねにこれらの条件が求められるとおりに、人生を理解する」



霊学において高次の認識に上昇するために身につけなければならない四つの特性

第一の特性

「思考において真実と仮象のものを、真理と単なる意見を区別すること」

第二の特性

「仮象のものと向き合ったときに、真に実在するものを正しく評価すること」

第三の特性

「思考の制御、行動の制御、ねばり強さ、寛大さ、信じること、冷静さを実践すること」

第四の特性

「内面的な自由に対する愛」




などです。

どれも、箇条書きにしただけではわかりにくいですが、私に詳しい解説ができる能力があるわけでもなく、そのあたりはシュタイナーの著作をお読みいただければ幸いです。

ただ、お読みいただければおわかりかとも思いますが、神秘学の訓練というのは、おどろおどろしい修行のようなものではなく、

この世の真実とは何かを常に理論的に考え、それに基づき、世の中の真偽を見極め、また自分を見極め、その上で日常生活を大事にして冷静に生活していく日々の考え方と生活の仕方。

というもののようです。

たとえば、「瞑想」という言葉がありますが、眼をつぶって「頭を空」、あるいは「無念無想」したような行為は、シュタイナーに言わせると瞑想ではないようです。

瞑想とは、「論理的に突きつめて真剣に考えること」だと、私は解釈しています。

そういう意味では、「無念無想」というよりは、むしろ、アニメの一休さんのように、「問題の対処を考え続ける」姿が真実の瞑想かもしれません。

まあ、一休さんのモデルなった「本物の一休さん」である一休宗純(いっきゅうそうじゅん)さんは下のような顔だったようですが。

実際の一休さん
ikkyu.jpg
・Wikipedia

しかし、一休さんの Wikipedia のページを初めて読みましたが、漫画とは違って、むしろ「破戒僧」で、「超奇人」の側面の強い人だったようですね。

本物の一休さんが悟りを得たのはこのような感じだったようです。

応永27年(1420年)、ある夜にカラスの鳴き声を聞いて、にわかに大悟する。華叟(師匠)は印可状を与えようとするが、一休は辞退した。華叟は、ばか者と笑いながら送り出したという。以後は詩、狂歌、書画と風狂の生活を送った。

そして、奇行もかなりのものだったようで、

正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。

など、いろいろなことをしていた模様。

しかも、僧なのに、

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
(釈迦といういたずら者が世に出でて、多くの人を迷わすかな)

という詩や、

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

というようなアヴァンギャルドな詩を残しているようです。

ちなみに、一休さんの享年は 88歳と長寿でした。

しかも、死因はマラリアだったそうで、この病気にかからなければ、まだまだ生きたのかもしれません。むしろ「怪僧」というおもむきさえある人物だったようです。




なぜ今、「額で見る」ことが必要なのか

話が変な方向に来てしまいましたが、いずれにしましても、こんな時代だからこそ、現代社会では「当然と考えられている様々なこと」について、考え直す時であるようには思うのです。

上にシュタイナーのことを書いていますが、シュタイナーの『我が人生の歩み』という自伝には、以下のような記述があります。

自然科学の時代は、人間および民族の生命に及ぶ影響において凋落を意味している。人類がこれから先も発展していくためには、精神的な側面からのまったく新しい価値観が必要とされるだろう。

これは今から 90年くらい前に書かれたもので、その後の 90年の時代も、この「自然科学の時代」は続いていて、さらに肥大しています。

「自然科学の時代」という書き方ではわかりにくい面もありますが、要は「現在は精神的な時代ではない」ということです。

以前、

最後の法王と呼ばれ続けたベネディクト16世: 聖マラキの予言とコナン・ドイルの未来感の時間軸
 2013年02月13日

という記事に、コナン・ドイルの予言といわれる文章をご紹介したことがあります。

doyle-02.jpg

▲ アーサー・コナン・ドイル(1859年 - 1930年)。


非常に激しい将来を予言したものですが、実際にこの地球がそんな極端なことになるかどうかはともかくとしても、確かに今後いろいろな面において、厳しい状況が出現する可能性は高いと思われます。

そして、そのコナン・ドイルの文章は、

「人類は、自らの精神的な存在に戻ることによってのみ、生き残ることができる」

で締められています。

だからこそ、「真実と真実ではないもの」を見極めることができる第3のビール、じゃない(その間違いはいいかげんにせえ)第3の目、すなわち、額で見るという概念はとても重要になってくる時代だと思います。

アーサー・コナン・ドイルのその文章を再度、掲載しておきます。




A period of natural convulsions during which a large portion of the human race will perish - Sir Arthur Conan Doyle

人類の大部分が滅びる間の自然の激動の期間

人類の大部分が滅びる間の自然の激動の期間。
ひどい規模の巨大地震、そして巨大な津波が発生すると思われる。
戦争はその期間の初期の段階でのみ現れるが、これが危機の信号となるように思われる。
危機は瞬間的に訪れるだろう。
文明生活の破壊と転位は信じられないほどのものとなる。
多少の復興が続く中、短い混沌の期間があるだろう。
この激動の合計期間は概ね3年となる。
激動の中心地は地中海の東部沿岸となるだろう。
少なくとも、5つ以上の国家が完全に消滅してしまうだろう。
また、大西洋上に巨大な大陸が浮上し、アメリカとアイルランド、そして西ヨーロッパの沿岸に大きな災害を招くだろう。この際、イギリスの低地はすべて波に飲み込まれると思われる。
南太平洋でも非常に大きな変動があり、日本に近い太平洋でも大きな変動がある。
人類は、自らの精神的な存在に戻ることによってのみ、生き残ることができる。





(訳者注)ちなみに、「南太平洋でも非常に大きな変動があり」とありますが、南太平洋のトンガ沖にある海底火山フンガ・トンガ=フンガ・ハーパイの噴火域に「新しい島」が出現しています。

tonga-hunga-island.gif

▲ 2015年1月17日のきたるべき地球の形 トンガの海底火山「フンガ・ハーパイ」の噴火によって「新しい島」が形成されていることが判明 より。


詳しくは上の記事をご参照いただくと幸いですが、日本の西之島も拡大を続けていて、ちょっと近年見られていないような「海と噴火が連動しての大変動」が続いていて、こちらも多少気になります。



  

2015年01月21日



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alien-radio-signal.gif

▲ 2015年1月20日の英国テレグラフより。発生源は「55億光年先」と推測されるものの、それが何かは不明のままです。






 


ふたたび大量死の世界的なリンクが発生しそうな予感の中

最近、私の住むあたりでは、「カラスの大量死」なんてのが起きているんですね。

天変地異の前触れなのか 埼玉カラス大量死の不気味
日刊ゲンダイ 2015.01.10

埼玉県で昨年12月30日から今月6日までにカラス111羽の死骸が見つかり、騒ぎになっている。カラスの死骸が見つかったのは入間市、狭山市、所沢市にまたがる半径3キロ内と熊谷市。

県でも「今までにこれほどの数の死骸が見つかったことはなく、何が原因か分からない」(略)

奇妙なのが、カラスの胃の中が空だったことだ。

ここにあります「入間市、狭山市、所沢市」というのは、完全に私の生活圏でして、「身近な大量死の現場」にいるという形となっています。

もっとも、この大量死については、それほどミステリアスな出来事ではないようで、専門家によれば、カラスはそのイメージとは違い、寒さにとても弱い鳥なのだそうで、越冬できないカラスがとても多いのだそう。

とはいえ、気になったのが、

> カラスの胃の中が空だった

の部分です。

つまり、「餓死」だった可能性があるということです。

この何が気になったかといいますと、埼玉のカラスの大量死があったのと同じ頃、アメリカからカナダにかけての北米大陸の西海岸全域で、数万羽のウミドリが、やはり「餓死」が原因の大量死を起こしています。

westcoast-birds.gif

▲ 2015年1月9日のカナダのメディア Global Research より。


これに関しては、

米国オレゴン州の海岸でウミドリが謎の「餓死」での大量死。推定では「数万羽」が死亡
 来たるべき地球のかたち 2015年01月09日

という記事で、科学メディア、パーフェクト・サイエンスの報道をご紹介したことがあります。

そのパーフェクト・サイエンスの記事から部分的に抜粋しますと、以下のようなものでした。

1,200羽の海鳥が海岸に打ち上げられる

現在、カリフォルニア州北部の沿岸からワシントン州北部の沿岸に至る広い範囲で、何千もの死んだ海鳥が打ち上げられている。専門家たちはその原因がわからず困惑している。専門家たちは、この 1,200という数は氷山の一角に過ぎないとし、実際の死亡数は、数万以上に上ると考えているという。

打ち上げられている海鳥の多くは、アメリカウミスズメという小型の海鳥だ。オレゴン州魚類野生生物局の生物学者の報告では、これらのアメリカウミスズメはの大半は「飢餓」が原因で死亡していることがわかっている。

科学者たちは、原因を見出そうとしているが、現在のところは明確な理由はわかっていない。

原因はわからないながらも、これらのウミドリも、ほとんどすべてが「胃が空」の状態で死亡していて、埼玉のカラスと同様に「餓死」なんですね。

しかし、海には普通にエビやプランクトンなどのエサはあり、また、このアメリカウミスズメ以外では大量死は見られないわけで、「この種だけに何かが起きた」と考えられます。

この大量にエサがある海の上での大量の「餓死」というのは、確かに現象だけ見ればミステリーではありますけれど、「鳥という生き物が何によって行動しているか」ということを考えると、それほど謎でもない可能性もあります。

そのことは後に書くとしまして、最近はとにかく「大量死の時代」が続いています。In Deep の過去記事でも、「大量死」というキーワードで検索しますと、多数の記事が表示されます。

その中でも印象深い記事は、昨年6月の、

海で何が起きているのか : 5月から始まった全世界での数百万匹規模の海洋生物の大量死の理由は誰にも説明できない
 2014年06月02日

で記した一連の出来事で、2014年の 4月から 5月にかけての約2ヶ月間に、

アメリカ(カリフォルニア州、ケンタッキー州、ミネソタ州、ニュージャージー州、バーモント州)を始めとして、シンガポール、中国、ギリシャ、アルメニア、インド、カナダ、オーストラリア、北イングランド、イギリス、コロンビア、コスタリカ、ブルガリア、ホンジュラス、アルゼンチン、デンマーク、ブラジル、パナマ、イラン、アイルランド、スリランカ

などの国で魚の大量死が発生しました。

不思議なのは、「その後、大量死は拡大しなかった」ということです。

通常、魚の大量死は、藻などが繁殖することでの海水中の酸素が減少しやすい夏を中心とした頃に多発するものですが、上の「地獄の2ヶ月間」の後は、正確な数はわからないですが、平年と同様の魚の大量死の状況だったように思います。

上の時期だけ、まるで、「世界で大量死がリンクした」かのように、「唐突に世界中で魚が死んだ」ということになります。

魚の大量死といえば、東京の臨海水族園でマグロの大量死が起きていますが、こちらは「全滅」の方向に進んでいるようです。

葛西臨海水族園での大量死、マグロはあと6匹に
TBS 2015.01.19

東京・江戸川区の「都立葛西臨海水族園」で展示しているマグロなどが大量死している問題で、またクロマグロが死に、残るはあと6匹になりました。今月中に全滅する可能性があります。

葛西臨海水族園をめぐってはドーナツ型水槽で展示していたクロマグロのほか、カツオの仲間のスマやハガツオを展示していましたが、去年11月1日時点であわせて159匹だったのが10匹に減少しました。

これらのマグロの一部からウイルスが検出されたそうですが、ウイルスの種類は特定できていないという以上に、そもそも、これまで起きたことがない事態であるわけで、もしかすると、今もまた「世界的な大量死のリンクの始まり」の時期でもあるのかもしれません。




動物たちの「生きるためのナビ」に異変が起きている

鳥にしろ、魚にしろ、「大量死の原因」は不明なままであることも多いですが、イルカやクジラが行き先を誤って座礁してしまったり、渡り鳥が方向性を失って大量死を起こしたり、あるいは、すぐ下の海にエサがあるのに、ウミドリたちが「餓死」を起こしてしまうというあたりには、

通常、彼らの行動のナビとなっている「何か」に異変が起きている

ということが関係しているかもしれません。

最近では、鳥には「磁場を見る」器官があることがわかり、鳥に飛ぶ方向を与えているもののひとつが磁場であることが示唆されています。

2011年2月3日の WIRED の「鳥は量子もつれで磁場を見る」:数学モデルで検証という記事には、

鳥類に限らず、一部の哺乳類や魚類、爬虫類、さらには甲殻類や昆虫も含む多くの生物は、地球の磁場の方向を感知して移動の手がかりとしている。

という記述がありますが、特に、鳥には、クリプトクロムという視覚細胞が存在していることがわかり、これで「磁場を見ている」と考えられるのだそう。

磁場を感じるのではなく「磁場を見ている」。

こういう器官に異変が起きているのか、あるいは磁場のほうに異変が起きているか、そのどちらかはわかりませんが、磁場でナビされている数多くの生き物たちの「奇妙な行動」が増えていることは事実のように思います。

そして、この「見る」ということに関しては「光を見る器官」についての話もあります。




器官としての「松果体」の本当の役割

これは、ずいぶん以前の記事になりますが、クレアなひとときの、

ペアである自分(2) 宇宙の場所
 2011年01月28日

の中で、「メキシコの眼を持たない魚が松果体で光を見ている」という米国メリーランド大学での実験の報道記事を訳したことがあります。

pene-mexico-fish3.jpg
Epoch Times


これは、眼のある魚と、眼を持たない魚を比較研究したもので、結論として、

光を感知するための「目の役割は 10パーセント程度」しかなく、残りの 90パーセントは、「松果体を通して光を感知している」

ことがわかったという論文でした。

光は目を通して見るものだという認識が一般的ですが、少なくとも、このメキシコの魚に関しては、「光の 90パーセントを松果体で見ている」のでした。

これらは「魚」の話ですが、しかし、上の実験とは関係ないですが、その後、米国ロチェスター大学がおこなった実験は「衝撃的な推測」をもたらします。その推測とは、「私たち人間が持つ脳にも目からの光以外の空間認識能力がある」ということです。

端的にいえば、「人間は完全な真っ暗闇でも見えている」ことが実験で示されたのでした。

詳しくは、過去記事の、

ほぼすべての人間が「完全な真っ暗闇の中で物を見ることができる」という米国の大学が突き止めた驚異の事実
 2013年11月01日

で、ニュースリリースを訳していますので、ご参照下されば幸いです。

この実験の結果で、「人間は自らの認識を生み出す際に、別の感覚からの情報を組み合わせている」という可能性が示されたのですが、この「別の感覚」が何なのかはわからないとしても、それでも、私などは、松果体「的」なイメージを持ちます。

私自身は、人間の松果体は、「現在は、松果体を活性化させる能力を失っているだけ」だと考えています。同時に、訓練や、何らかの方法で、松果体を再び活性化させることができるとも考えています。

現在の人間も松果体で光を感じている状態であるのに、その機能が「何かの理由でオフになっている」のだとも考えています。

たとえば、松果体 - Wikipedia には、器官としての松果体の役割と共に、哲学やスピリチュアル思想との関連についても記されています。

それによれば、近世哲学の祖である 17世紀のフランスの哲学者デカルトは、

この世界には物質と精神という根本的に異なる二つの実体があるとし、その両者が松果体を通じて相互作用するとした。デカルトは松果体の研究に時間を費やし、そこを「魂のありか」と呼んだ。

としたり、あるいは、松果体は、

ヨーガにおける6番目のチャクラ、または7番目のチャクラと結び付けられることもある。松果体は眠っている器官であり、目覚めるとテレパシーが使えるようになると信じる人もいる。

という記述もあります。

「チャクラ」という言葉は、サンスクリット語で「光の輪」を意味するという以外、私はよく理解していませんが、上にある6番目のチャクラと7番目のチャクラは下の部分に該当するそうです。

chakra-6-7.gif
中庸からだ研究室

6番目のチャクラは眉間にあり、元素は「光」

7番目のチャクラは頭頂部にあり、元素は「宇宙のエネルギー」

だそう。

6番目のチャクラである眉間は、ヒンドゥー教徒の女性が、眉間にビンディーと呼ばれる装飾を施す場所だったり、あるいは、日本の仏像や大仏には、多くが眉間に何かありますね。昔は千昌夫も(それはまあいい)。

眉間にビンディを施しているインド人女性
bindu.jpg
itimes

鎌倉の大仏
kamakura-daibutsu.jpg
treep.jp

確かに、松果体は、この6番目のチャクラの「眉間」の位置と、7番目のチャクラである「頭頂部」を結んだあたりにあります。

松果体の位置
pineal-glands-map.jpg
Nikon | 光と人の物語 | 第3の眼の進化

ところで、シュタイナーは松果体について、どのように考えていたかというと、シュタイナーの松果腺というページに、『シュタイナー用語辞典』からの抜粋が記されています。

少し長くなりますが、抜粋させていただきます。

(松果体は)地上の人間の最初の感覚器官。レムリア時代には、熱を知覚する器官であり、受精器官であった。レムリア時代には照明器官でもあり、一眼巨人の伝説の元にもなった。

太陽の力に刺激された器官で、月が地球から分離したころは、寒暖を知覚する感覚器官であった。

アトランティス時代に、エーテル体頭部にあった知覚の中心点が、今では松果腺であり、これが発展すると人類は霊視力を取り戻す(幼児の頭の柔らかい部分が、その名残である)。

松果腺は、心臓から流れてくる精妙なエーテルの流れに取り巻かれており、脳に認識の可能性を与えている。松果腺という回り道をして、エーテル化された血液は脳に作用するのである。

松果腺は目の平行器官として発達し、目が作るイメージに現実性を与える(熱器官である松果腺が退化したことによって、目が発達できた)。将来、松果腺は使用された血液を新鮮な血液に変える内的器官になる。死後、心臓は松果腺に変わる。

と記されているのだそうで、これがシュタイナーの松果体に対しての考え方だったようです。

レムリア時代とかアトランティス時代とか、そのあたりのことはちんちんかるがるですが、あ、違った、ちんぷんかんぷんですが、シュタイナーは、松果体の本来の機能について、

・地上の人間の最初の感覚器官
・寒暖を感知する器官
・受精器官
・照明器官(?)
・脳に認識の可能性を与えている
・松果体が発達すると霊能力が高まる
・目が作るイメージに現実性を与える


というようなことを考えていたようです。

「照明器官」というのは意味がよくわからないですが、昔の人類は「自分から光って」いたのでしょうかね。

また、「霊視力」という記述があり、これは何だか大仰な響きですが、そこに同時に「幼児の頭の柔らかい部分が、その名残である」と書いてあります。これは自分の子どもが、まだ幼児期までの頃を思い出すと実感できます。

確かに、子どもは幼児期までは非常に不思議な感覚を持っていることを常に感じていました。

そして、赤ちゃん時代まで遡りますと、「私たち大人と同じ空間にいるけれど、赤ちゃんたちは私たちとはまるで別のものを見ている」という気にさえさせることが多かったことなどを思い出します。

そして、非常に興味深い記述が、松果体の役割として、シュタイナーが述べていたとされる、

「目が作るイメージに現実性を与える」

という表現です。

「目で見えるイメージ」

ではなく、

「目が作るイメージ」

としている。

この表現だと、私たちは現実を見ているわけではなく、自分の目が作り出した何かが「松果体によって現実性を与えられているもの」を見ているというニュアンスにも感じます。

ちょっと人間の松果体の概念について長くなってしまいましたが、昨今の社会の混乱を見ていますと、人間は「本質的」に変化する必要があると、どなたでも感じているのではないでしょうか。

松果体だけではないですが、人間の隠された機能や能力が発露することで、人間はかなり変わることができるように思うのです。

もちろん、ただボーッとしてしているだけで本質的な変化など起きるわけもなく、人間が変化(シュタイナーの言うところの「高次の世界に進む」こと)するためには、生半端ではない思想と生活行動の変化が必要のようではあります。そのために、シュタイナーは、著作で「人間が本質的に変化する方法論」を述べていたのだと思いますが、著作などを読む限り、その方法は決して楽なものではありませんし、危険も伴います。

なので、私などは何となく諦め気味となっていますが、しかし、「いつまでも諦めていていいものか」とも、また思ったりもすることがあります。




そして、地球は大きく動き始め、遠い宇宙からは「謎の電波」が届く

さて、動物の大量死から、何だか変な話に逸れましたが、次回あたりから、また少し「現在の地球の激変状況」について書きたいと思っています。そして、それを見ていると、世界の様々な場所で、「本格的に地球の地下が動き始めている」ことを感じます。

同時に、この地球の変化は「地球が人間に本質的な変化を促している」ようにも感じます。

確かに、この世の中はいろいろなものが連動しています。それは自分と他者、あるいは、地球と人間、あるいは宇宙と人間の連動も含まれているかもしれません。

そして、冒頭に貼りましたように、最近、地球では「宇宙の未知の発生源」からの強力な電波信号が検出されるということが起きています。

テレグラフの記事によりますと、この「未知の電波信号」は、2007年頃からデータ上で存在が確認されていたのですが、はじめて「リアルタイム」で電波を検出したのだそう。

その電波信号は、55億光年先という途方もない遠くから地球に向かってきたものですが、科学者たちも発生源については、見当がつかないとしています。

アメリカのカーネギー天文台のジョン・マルチェイ( John Mulchaey )氏が、この出来事は宇宙で最大の謎だと述べているほど、この現象は天文学者たちにとって不可思議なもののようです。

しかしまあ、何はともあれ、地球も宇宙も大きく変化していく中で、実は最も早急に変化しなければならないのは、私たち人間なのかもしれないと、つくづく思います。

でなければ、世界中で「ナビを失って死んでいく動物たち」のように、私たち人間も、「ナビを失って」次々と死んでいく・・・ということもないとは言えない感じもいたします。

今ほど変化が求められ、自分でも変化への希求が強い時はあまり経験がない気がします。



  

2014年12月28日



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友人の命日を前に

今日も昨日の記事に引き続いて、時事ネタではなく、雑談のような、日記のような曖昧な記事となってしまいました。体調ではなく、メンタル的にボーッとした感じから抜けきれません。

まあその・・・今年の始めの記事、

地球サイズの黒点を眺めながら「必ず今年終わるこの世」を神(のようなもの)に誓って
 2014年01月09日

の中に少し書かせてもらったことがありますが、私が人生の中で、最もお世話になった友人の田中くんという人が昨年の暮れに 48歳で亡くなったんです。私にとっては、本当の意味で緊密だった人(ほんの数人)の中での、初めての死でした。

そして、明日(12月29日)が田中くんの命日なんですよね。

田中くんは下の写真のスタンリー・キューブリック監督とよく似た顔立ちと体型の人でした。

cp-2014.jpg

▲ 2014年02月23日の過去記事「スタンリー・キューブリックとT氏のふたりの亡霊に私はまたも月の世界へ引き戻される」より。






 



明日、一周忌のお墓参りに行くのですが、ここ数日、何だかいろいろと考えることが多いです。

ところで上の記事に、私は以下のようなことを書いていました。

「個人的な宇宙の部分的な崩壊」という意味では、今年 2014年という年は異常なほど鮮明に記憶される年であることが確定して、そして、第5宇宙だか第6宇宙だか忘れましたけれど、ホピ族のいう「現在の宇宙の終わり」であり、あるいはアステカの人々が、現在の太陽神トナティウの時代が終わる時とした「その年」にいる自分を感じます。

sun-god-2014b.jpg

▲ 過去記事「アステカ神話の過去4つの世界と太陽。そして、現在の太陽トナティウの時代の終わりは」より、アステカ文明の暦に刻まれる過去の4つの太陽の時代。

・第1の太陽アトルは、水の太陽。
・第2の太陽オセロトルは、ジャガーの太陽。
・第3の太陽キアウトルは雨の太陽。
・第4の太陽エヘカトルは風の太陽。
・第5の太陽(現在の太陽)オリン(トナティウ)は地震の太陽。

と書いていまして、そういえば、「 2014年で現在の太陽(第5の太陽)の世界は終わる」というようなことを、かつて書いていたことを思い出しました。

スピリチュアル系の話に過ぎないと言われればそれまでなんですが、ここらあたりの概念からは、

2015年は、まったく新しい世界へ突入する最初の年となる可能性がある

ということなのかもしれません。

序盤は荒れて始まる時代のような気もしますけれど。




言葉が宇宙を突き進んでいく

昨日からうちの子どもが奥さんのほうの実家に遊びに行っていまして、そういう日は、奥さんと飲みに行くか、部屋で映画を見たりすることが多いんですが、昨日、

「こんなのテレビでやってたんで録画したんだけど」

と、奥さんはテレビで放映されていたという映画を再生し始めました。それは『ジョン・レノン, ニューヨーク』(原題: Lennon NYC)という、2010年のドキュメント映画でした。

1971年から 1980年に殺されるまでの9年間、ジョン・レノンが過ごしたニューヨークでの生活を周囲の人々の証言や残された映像を元に構成したものでした。

映画自体は面白かったですが、オノ・ヨーコさんがいろいろ語る度に「カチン」と頭の中で小さく弾けるものがありまして、まあ別に、ビートルズが解散した原因がヨーコさんにあるというわけではないんでしょうけれども、私はビートルズ時代のジョン・レノンは神がかっていたと思っていますが、ソロ以降はどうもあの「後光的ともいえる音楽性」がやや見出しにくくなっていたことがあります。

ビートルズ時代のジョン・レノンの曲は、たとえば、過去記事の、

ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていた…
 2014年08月26日

で取り上げました、ジョン・レノンが、『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』という書に触発されて書き上げた 528Hz ワンコード進行の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」とか、基本はメロウなポップスなのに、そこに実験的な要素を詰め込みまくった「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などの「神がかり性」は、ちょっと異常なほどだったと思いますが、しかし、これらをなし得たのも、ジョン・レノンひとりの力ではなく、ビートルズの他のメンバーとその演奏があったからこそのものだとも思います。

そして、今回のタイトルに入れました、

我らが導師(グル)、神に勝利あれ

というのも、ビートルズ時代のジョン・レノンの「アクロス・ザ・ユニヴァース - Wikipedia」 ( Across the Universe )という曲の中の一節なんです。

この曲は英語の歌詞ですが、その中で、繰り返し出てくる、

Jai Guru Deva Om(ジャイ・グル・デイヴァ・オム)

というフレーズだけは「サンスクリット語」で、その意味が「我らが導師、神に勝利あれ」を意味するのだそうです。

この曲に対して、ジョン・レノンは、

「本当に良い歌は、メロディーがなくても歌詞だけでその価値を見出せる歌であり、それに該当する曲こそが、『アクロス・ザ・ユニヴァース』である」

と述べたということが Wikipedia に書かれています。

jai-guru-deva.jpg

▲ アクロス・ザ・ユニヴァースのプロモのようなもの(下に動画があります)より、ビートルズのメンバーのが「 JAI GURU DEV 」と書かれた服を着ている光景より。


歌詞の最初の方は以下のようなものです。


アクロス・ザ・ユニヴァース(1969年)

終わりのない雨が紙コップに降り注ぐように
言葉が飛び出してくる
宇宙を横切り、言葉は滑るように進んでいく
喜びが波のように私の開いた心を漂う
私を捕らえて私を優しく包み込む

Jai Guru Deva Om(我らが導師、神に勝利あれ)

何も私の世界を変えようとはしていない
何も私の世界を変えようとはしていない





ちなみに、ドキュメント映画での当時のスタッフの証言では、ジョン・レノンはこれらの歌詞をあらかじめ書くということはなかったようです。

スタジオのセッションの中で、「自然とこれらの歌詞が口から出てくる」のだそう。

ビートルズ時代の後記のジョン・レノンの多くの曲はそんなものだったようです。

音楽版の自動書記みたいなもののようで、確かに彼は「何か」に取り憑かれていたのか、あるいは好かれていたのかもしれません。

そして、この曲の歌詞のこの部分だけ見ますと、「存在」が宇宙を突き進んでいくのではなく、「言葉」が進んでいくというような概念を語っているようで、言葉から宇宙が始まったという聖書の記述などを連想させるものでもあります。

ヨハネによる福音書 1章 1-3節

初めに言があった。言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

こういう神がかった曲を作ったジョン・レノンですが、しかし、私がこのドキュメント映画『ジョン・レノン、ニューヨーク』で、もっとも印象的だったのは、「ジョン・レノンが、専業主夫として子育てに専念していた数年間があった」ということでした。

それが冒頭の写真です。




オムツ替えの中で謙虚さを取り戻す男性たち

ジョン・レノンは、息子のショーン・レノンが下の写真くらいになるまで、というより、1980年に射殺されるまで主夫として子育てを続けたのですね。

john-lennon-1980.jpg


その当時の数々の写真やフィルムなどが残っているのですが、ミルクをあげ、おんぶして、多分おむつの世話もしていたのだと思います(オノ・ヨーコさんが育児している写真はありません。笑)。

私も育児は小さな頃から奥さんと交代でおこなってきましたが、男の人は子育てをやると結構「傲慢さが消えていったりして」なかかないいものだと思いますよ。

どんなに偉ぶっても、「あかちゃんの泣き声とうんちには勝てない」ということで、最初から赤ちゃんに対して勝てないことがわかりますので、「この世には自分の力ではどうにもならないことがある」というような瞑想の境地さえ獲得することができる人もいるかもしれません。

まず、おむつを替えるあたりで、自分の自尊心が一皮剝けていきますからね。

「どうやっても、俺が赤ちゃんのうんちから逃げられる日はない」

と思いつつ、気づけば、そういう時代もいつのまにか過ぎていたりする。

それに、赤ちゃんの頃から緊密に接して育てていると(人によるでしょうけれど)、子どもの言うことにわりと真面目に耳を傾けることが多くなるような気がします。

先日の、

フランシスコ・シリーズ:神学上でも啓示学上でも難解な「動物の魂と動物の死後の問題」に気軽に介入した法王の発言で巻き起る議論
 2014年12月19日

の中に、ルドルフ・シュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』の中の以下の下りを書いたことがあります。

子どもが話す言葉に耳を傾けるのは、すべての人に有益な結果をもたらします。すぐれた賢者ですら、子どもたちから計り知れないほど多くのことを学ぶことができるのです。

「子どもの話を謙虚に聞きなさい」ということのようですが、そういえば、経営の神様とも言われた、パナソニック創業者の松下幸之助さんも同じ考えを持っていたことを最近知りました。

私のお知り合いが、若い頃、松下幸之助さんの会社にいたそうなのですが、新人研修中に松下さんご本人が新人たちの前に直接やってきて会話をしたのだそうですが、その中で、松下さんは、

「小さい子供の言う事をよく聞くんやで。子供やからと適当に相手にしてたらあかん。小さい子供は時々、なるほどなあと思うような勉強になる事や、仕事の参考になる事を言うからな」

とおっしゃっていたのだそうです。

経営の神様は、子どもの言うことに真摯に向きあっていたようです。

そういえば、先日、子どもと一緒に散らかったものを片付けていた時に、「ややさびしい夏の思い出」が出てきました。

夏休みに知人から立派なメロンを頂いたのですね。

下の写真は適当なものですが、こういう感じに切って食べていました。

melon.jpg
kitanogurume

食べ終わった時に、子どもが、「これ・・・」と呟いて、メロンの皮をじっと見続けています。何事かを考えているようです。

そして、

「これ、船のかたちだよね」

と言いました。

さらに、

「乾かしたら・・・水に浮くかな?」

と訊いてきます。

「うーん、どうだろう」と私は答えるだけで、何しろ、確かに食べ終えたメロンの皮など干したことがないので、どうなるのかよくわかりません。

しかし、どうやら子どもの頭の中には、下のようなイメージが広がっているらしい。

melon-dream.jpg
Writing Your Destiny


「まあ、実際に乾かしてみないとわからないから、乾かしてみよう。今は太陽の光がすごいから、あっという間にカラカラに乾燥するよ」

というように私は言いまして、ベランダで乾かすことにしました。

食べた後のメロンの皮は果肉が残されている部分がわりとあるせいか、強力な太陽の下でも、1日では完全には乾燥せず、2〜3日放置していました。

そして、何日後かに乾燥した、食べた後のメロンの皮。

上の美しいボートのイメージのようになったかどうかというと。

melon-after.jpg

(笑)

あからさまに彼の想像とは違ったものになってしまったようで、「乾いたよ」と見せにいくと、この奇妙なものを見た途端に興味を失ったようです。

しかし興味は失ったとはいえ、紙には「すてないでね」と書いてあり、これは今でもそのままですので、勝手に捨てるわけにもいかず、今でも「夢のメロン船」は、何となく部屋に置かれたままになっています。彼も数ヶ月に一度ほど、これを手に取り、感慨深げに何事かを考えたりしています。

もしかすると、「若気の至りよのう」などと考えているのかもしれません。


今日も雑談で申し訳ありませんでした。

明日は午後からお墓参りですが、行き先は東京の田町で、天気予報では、どうやら明日の東京は天候が大荒れとなる模様です。



  

2014年12月02日



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jingi.jpg

▲ 『仁義なき戦い』(1973年)で、菅原文太さんが復員兵で最初に登場するシーン。広島抗争の中心人物の一人である美能幸三という実在の人物を演じました。話も実際にあったことです。






 


今年 50回以上は見た文太さんが残した偉大な娯楽作品

昨年までそんなことはなかったのですが、なぜか今年のはじめから『仁義なき戦い』シリーズ(深作欣二監督・菅原文太主演の初期5部作のみ)が見たくて仕方なくなり、 DVD やビデオを立ち続けに購入して、夜にお酒を飲みながら何度も何度も見ていました。

若い時もレンタルビデオで見ていたことはありますが、こんなに何度も繰り返して見たのは、今年がはじめてのことだったと思います。

それだけに、今年は菅原文太さんに対しての思い入れはわりと強かった中で、昨日亡くなったニュースを知りました。その夜はテレビニュースも見たんですが、 20日ほど前に亡くなった高倉健さんより明らかに扱いが小さく、「そんなもんなのかなあ」と思いました。

ところで、ニュースなどでは『仁義なき戦い』や『トラック野郎』ばかり取り上げられていましたが、実は文太さんは日本映画史上で歴史に残る名作に出演しています。

それは、1979年の長谷川和彦監督による『太陽を盗んだ男』という映画です。

このストーリーは、

「東海村からプルトニウムを盗んで原爆を作り、日本政府を脅す」

という当時でもギリギリのストーリーの映画で、教師役を当時人気絶頂だった沢田研二が演じ、犯人を追う警部を菅原文太が務めた映画でした。ダブル主演といっていいと思います。

taiyo-7.jpg

▲ 『太陽を盗んだ男』より。沢田研二は中学の教師役。


この映画はですねえ……。

見たのが若かった時だったということもあるのでしょうけれど、感想としては、 Amazon の『太陽を盗んだ男』 DVD ページにあるレビューの下のコメントの人と同じような感じだったと思います。

シャレにならないくらい秀逸な無軌道性

友人に薦められて観た。

あまり期待しないで観たが、観終えた時、脳がヒリヒリして、1000本に1本の秀作と出会ってしまった時の、あの放心状態を久々に味わうことができた。

職務に全く無気力な中学教師の学校での世捨てぶりと、プルトニウムを手に入れ、自室で原爆を造る段階の恐ろしい集中の度合いとの対比が、たまらなく面白い。

湧き上がる衝動で原爆を完成させ、政府に要求を突きつけるまでの完璧なシナリオを実現できたにも関わらず、自分の要求自体が曖昧で、逆に「何をしたいのか分からない」という自分への問いを投げかけられる主人公。

主人公には「思想も目的」も無い。「衝動」だけがある。

それは「この街はとっくに死んでいる」と自ら見切りをつけた「神」からの、孤独で息苦しい「罰」でもある。

このレビューの最後のほうの、

> 主人公には「思想も目的」も無い。「衝動」だけがある。

この「衝動だけがある」というのが、当時の時期の社会全体の雰囲気だったように思います。

その上にある、「何をしたいのか分からない」という自分への問いを投げかけられるというのも、私を含めた当時の若者の多くが経験していたことのように思います。

この『太陽を盗んだ男』の中に、教師役のジュリーがラジオ局に電話して、

「原爆を持ってるけど、これで何をしたいかが分からない」

と DJ に問いかける言葉がこの映画のすべてを象徴していました。

「何も欲しくないし、要求もないけれど、衝動だけある」

何しろ映画では、原爆が完成したものの、主人公の教師は「政府に何を要求すればいいのかまでは考えていなかった」のです(笑)。

それで結局、ジュリーが日本政府に「原爆を爆発させない条件」として要求したのは、

・1番目の要求 「プロ野球のナイターを試合の最後まで中継すること」
・2番目の要求 「ローリング・ストーンズ日本公演」
・3番目の要求 「現金5億円を渋谷のビルの上からばら撒く」


でした。

当時、プロ野球中継は9時ちょうどで終わっていたので、それを「試合終了まで放映しろ」と。政府は要求を飲んで、巨人対大洋戦は試合終了までテレビ放映されたのでした(笑)。

taiyo3.jpg

▲ 『太陽を盗んだ男』より。現実の世界で、ローリング・ストーンズが日本に初来日したのは、映画の 11年後の 1990年です。


下の動画は予告編です。

「太陽を盗んだ男」予告編



どうでもいいことですが、この 1979年という時期は第 21太陽活動周期(サイクル21)の活動最大期でもありました。それだけに、この頃(1978年〜1980年頃)の音楽の世界ではパンクが台頭し、映画の世界でも数々の無軌道な作品が世界中で登場した本当に刺激的な時代でした。

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▲ In Deep 過去記事「 5月17日に地球の周囲で何が起きていたのか?」より。


もはや、この『太陽を盗んだ男』のような映画が作られることはないと思います。

この映画は、かなりの数の俳優や表現家たちに相当な刺激を与えた作品でもありました。太陽を盗んだ男 - Wikipedia の中に「後世への影響」というセクションがあり、そこに、この映画が好き、あるいはこの映画に影響を受けた俳優や有名人たちの名前が列挙されていますが、一般の人々でもこの映画に影響を受けた人は大変に多かったと思います。

この映画の主役に沢田研二を選んだのは、菅原文太さんその人でした。

ちなみに、この『太陽を盗んだ男』は、キネマ旬報が 2009年に選出した「オールタイムベスト映画遺産 200 日本映画篇」において7位に選出されていますが、上位 10作品のうち 1960年代以降の映画は3作品しかなく、その中の2本が菅原文太さん主演です。

オールタイムベスト映画遺産 200 日本映画篇 上位10作品

第1位 東京物語 (1953年)
第2位 七人の侍 (1954年)
第3位 浮雲 (1955年)
第4位 幕末太陽傳 (1957年)
第5位 仁義なき戦い (1973年)
第6位 二十四の瞳 (1954年)
第7位 羅生門 (1950年)
第7位 丹下左膳餘話 百萬兩の壷 (1935年)
第7位 太陽を盗んだ男 (1979年)
第7位 家族ゲーム (1983年)


1960年代以降の映画は、仁義なき戦いと、太陽を盗んだ男、家族ゲームだけで、そのうちの、仁義なき戦いと太陽を盗んだ男に文太さんが絡んでいるというだけでも、この菅原文太という人物が、現代の日本映画に大変な影響を与えた人、あるいは与える宿命にあった人であることがおわかりかと思います。

それにしても、この「映画遺産 200 日本映画編」の上位は古い映画が多いですね。

第1位の小津安二郎『東京物語』に特に異議はないですけれど、この映画でさえも、昭和 28年ということは、私の生まれる10年前の映画。・・・ということは、『東京物語』を公開時に映画館で見ていた人の現在の年齢は、80代以上くらいですかね。

しかしそれだけに、このランキングに『仁義なき戦い』と『太陽を盗んだ男』という現代作品2本が入っているというのは、それだけ映画が社会や心理に与えた影響の大きさを感じます。

ちなみに、『太陽を盗んだ男』はヒットしませんでした

後から少しずつ評価が高まった映画だと思います。

この「後から少しずつ評価が高まる」というのは、1999年のアメリカ映画『ファイト・クラブ』なんかと似たようなもんですかね。

映画『ファイト・クラブ』は、日々の生きがいを見失っていた男が、「殴り合いをすること」で、初めて生きる実感を感じていき、そのような人々が次々と彼のもとに集まり、最終的にその組織は、

「アメリカ金融街ビルをすべて爆破し、この世から消滅させる」

という計画の実行にまで至るストーリーで、太陽を盗んだ男の「生きる目的を見失った青年教師が原爆で日本政府を脅すことにより生きている実感を取り戻す」というあたりとやや似ている感じもなくもないです。



いつのまにか消えていた「自由」という概念

上の方に「太陽を盗んだ男のような映画はもう作られることはないと思います」と書きましたけれど、これは、うまくは説明できないんですけれど、規模だとかストーリーとかのことではないんです。

私たちの今の社会(あるいは世界の多くの社会)は、「表現の自由」というような言葉を平気で使って、何となく、そういうものが存在しているように感じている場合もあるかもしれないですが、実際には、そんなものは今はないです。

こうなった理由は、明文化されている表現規制のせいではなく、

「人々から他人に対する寛容性が消えていったため」

だと私は思っています。

あるいは、「自分と違う価値観は認めない」という人が増えたことも関係あるのかもしれません。

インターネット上などでも、有名人あるいは普通の人に対して、少しでも社会的感覚から逸脱したようなことを書いたりすると、いっせいに袋だたきに遭うのが普通の光景となっています。

専門用語で「炎上」とか「フルボッコ」というやつですね(専門用語なのかよ)。

表現の世界でも今ではそれは同じだと思います。

自分が正しいと思う社会的通念から外れたものに対して、「自分は好きではなくても、そういう考えも生き方もあるだろうね」というのではなく、それを叩いて叩いて、そして消滅させる

こういう風潮が当たり前のようになっています。

じゃあ昔は自由があったのかと言われますと、何とも言えないですが、自分自身の十代から三十代くらいまでの社会の「空気」を思い出しますと、あくまでも個人的な見解としてですが、「当時はあった」といえます。

そういえば、先日、日本経済新聞のコラム記事に、小島慶子さんという方の文章がありました。
小島さんという方がどんな方かは私は知りませんが、そのコラムは、

「勉強しないとああなるわよ」は最低だ
 日本経済新聞 2014.12.01

というタイトルの記事で、3ページにわたるわりと長いものですので、全文は上のリンクからお読みいただくとして、その中に、

> どうしてこうなったのだろう。なぜこんなに不寛容で偏狭な意見が大きな顔でまかり通る世の中なのだろう。

という下りがあります。

この小島さんという方の文章の内容全体について賛同するというわけではないにしても、このフレーズには非常に「そうだよなあ」というように思います。

ちなみに、その文章の中に、

以前、こんな母親がいた。転勤先のニューヨークの街角で清掃をする黒人を指差して、小学生の子どもにこう言ったそうだ。「見なさい、勉強しないとああなっちゃうのよ」(略)

人が嫌がる仕事をするしか生きる方法のない人がいるのはなぜなのかと考えようとしないのだろうか。彼と自分の違いが何であるかではなく、なぜそんな違いが生まれるのかを問い、その理不尽な現実に対して、自分にできることがあるのだろうか? と問うたことはあるのだろうか。

という下りがあります。

ちなみに、「見なさい、勉強しないとああなっちゃうのよ」というのは、アメリカ在住の日本人の言葉です。

この「他人と自分」というものについて、「それはまったく関係のないもの」として考える人が多いのは事実だろうと思います。

理想的な考え方のひとつとされる場合もある、「人間全体をひとつのものとして考える」という状況とは「まったく反対の考え方が普通」の世の中で、そりゃまあ、夢のようなパラダイスな社会が実現するわけもないわけで。

ちなみに、上の小島さんという方の言葉は、部分的に、ルドルフ・シュタイナーの著作『いかにして高次の世界を認識するか』の中に神秘学の訓練として出てくる「例え」とも、やや似ています。

「神秘学の訓練のための条件」という章に、神秘学の学徒になるための7つの条件が記されています。その中の第2の条件は、

「自分自身を生命全体の1部分と感じること」

というものです。
抜粋します。

シュタイナー著『いかにして高次の世界を認識するか』

神秘学の訓練のための条件より

たとえば、このような考え方をすることによって、私たちは、いままでとはまったく異なった方法で犯罪者に目を向けることができるようになります。私たちは、自分自身の判断を差し控えて、次のように考えます。

「私も、この人と同じような1人の人間に過ぎない。もしかすると、ただ環境が与えてくれた教育のおかげで、私はこの人のような運命に陥らないですんだのかもしれない」。

私たちは「この人から奪われたものが、私には与えられた。私がよいものをもっているのは、それはこの人から奪われたおかげである」と考えます。すると、私たちは、「私は全人類の1部分である。私は、生じるすべての事柄に関して、全人類とともに責任を負っている」という考えに近づきます。

ここに、

> 「生じるすべての事柄に関して、全人類とともに責任を負っている」という考え

とありますが、同時に、シュタイナーは「他人、あるいは他人の思考や行動に対して、その善悪の判断をしない」ことを教えています。

これは先日の記事、

西洋版コックリさん「ウィジャボード」が英米の若者たちの間で爆発的に流行している背景と「悪魔の増加」の関係
 2014年11月30日

などでも書いた、「悪も善も根源は同じなのだから、悪を憎んではいけない」というようなこととも似ている気がします。

まあ、私自身が「善悪の判断の価値観がずいぶんと他の人と違う」部分はあって、それだけに、自分で、たとえば事件などに対して「善悪の判断」はしません。というか、できません。

法律を破った犯罪に対しても、「法律と、個人の善悪」は比例しないのですから、「捕まったから悪い人間」というようにはどうも考えることが難しいのです。

それはともかく、先の小島さんの文章は、全体としては「寛容性のない人を糾弾する姿勢」が、わりと見られまして、この「糾弾」というようなことに関しては、シュタイナーが「してはいけないこと」としていることですので、小島さんという方の今回の文章は、ひとつの内容の中に「シュタイナーの記述と沿った内容」と「真逆の内容」がひとつになっているという点では興味深いです。

その「真逆の内容」は、先のシュタイナーの文章の続きとなっていて、以下のようになります。

『いかにして高次の世界を認識するか』より(先ほどの続きの部分)

ここで述べられているような考え方に関して、人類全体に普遍的な要求をつきつけても、何の成果も得られません。人間はどうあるべきか、ということについて判断を下すのは容易ですが、神秘学の学徒は、このような表面的な部分においてではなく、もっと深い部分において活動しなくてはならないのです。

ですから、ここで神秘学の学徒に求められている事柄を、何らかのうわべだけの政治的な要求と結びつけるならば(このような態度は神秘学徒とは無関係です)、私たちは間違ったことをしていることになります。

要するに、他人や人類全体に対して、

「あなたたちはこのようにするべきだ」

というような要求や意見といったものは高次の世界の意識を獲得するためには「してはいけないこと」のようです。

何だかもう話の展開がぐちゃぐちゃになってきましたが、現在のような「人々の寛容性の薄れた社会」では、あらゆる表現において、本当の意味での自由は生まれにくいということを書こうとしているうちに文脈が破綻してしまったとお考え下されば幸いです。

仮に今、『太陽を盗んだ男』がリメイクされたとしても、ハリウッド映画や韓国アクション映画のごとき大層な映像作品としては作ることができても、

「見た後に脳がクラクラするような虚脱感を伴う快感」

を与える映画なんて、もう絶対に作られることはないような気がします。

あるいは、さきほどの「オールタイムベスト映画遺産 200 日本映画篇」の上位 10位の年代だけを見ますと、

第1位 1953年 昭和28年
第2位 1954年 昭和29年
第3位 1955年 昭和30年
第4位 1957年 昭和32年
第5位 1973年 昭和48年(仁義なき戦い)
第6位 1954年 昭和29年
第7位 1950年 昭和25年
第7位 1935年 昭和10年
第7位 1979年 昭和54年(太陽を盗んだ男)
第7位 1983年 昭和58年



というようなことになっていて、興行収入とかそういうものとは関係なく、日本の映画はずいぶんと前から死んでしまっていたものなのかもしれないですけれど。

ちなみに、『太陽を盗んだ男』と同時上映されたのは、 2009年に亡くなった山田辰夫さんが主演の『狂い咲きサンダーロード』でした。

なんかこう……思い出を美化しているというのも含まれているかもしれないですが、いい時代に十代を過ごせたと思います。ちょっと遅れて生まれていたら、こういうようなすべての「自由」を知らずに過ごしていたかもしれません。

そんな意味では、今の世の中は自分にとって娯楽になるものが少なくて厳しいものがありますけれど、これは天からの「もう娯楽は不要」というメッセージなのかもしれません。


ところで、『太陽を盗んだ男』のラスト・・・。
菅原文太さん演じた山下警部は、中学教師が作った原爆から東京を救えたのでしょうか?

書くとネタバレなので書きませんが、「ドーン」(書いてるだろ)。

それにしても、高倉健さんと菅原文太さんがほぼ同時期に亡くなるなんて、日本の終わりの徴(しるし)のような感じもしますね。



  

2014年11月05日



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Parallel-Worlds-Top.gif

▲ 2014年11月3日の英国インターナショナル・ビジネス・タイムズより。






 



今回は、昨日の記事「私たちの宇宙から「時間」が徐々に消えている?」でも少しふれたのですが、「パラレルワールドは存在する」とオーストラリアの物理学者たちが明言したことが様々なメディアで報じられているので、ご紹介したいと思います。

実際には、パラレルワールドの存在も含めて、この世の中の真実なんてことは結局わかりようがないわけなんですが、真実はともかくとしても「この世のことを他の人々はどのように考えているのだろう」ということについて、興味深い記事がありました。

やや余談となってしまいますが、ご紹介したいと思います。


アメリカ人が信じるもの

それは、米国ワシントンポストの、

Study: Americans are as likely to believe in Bigfoot as in the big bang theory
(研究:アメリカ人たちは、ビッグバンを信じる人たちとビッグフットを信じる人の割合が同じ程度のようだ)

という10月 24日の記事でした。

カリフォルニア州にあるチャップマン大学による調査で、全米 2500人の成人男女の「いろいろな超常現象を信じる割合」というものを調査したものでした。

ワシントンポストの記事には、その詳細なグラフが載せられているのですが、そのグラフを日本語にしたものが以下のものです。

us-belief.gif
Washingtonp Post


水色()と紫()の色分けは、

・水色が現代の科学などで「真実」とされていること
・紫は「確認されていないか、あるいは事実ではないとされること」


を表しているとのことです。

つまり、上の図を文字にしますと、アメリカの人々は、おおむね以下のように考えているという傾向があるということになりそうです。

約 70パーセントの人が「ポジティブな思考を通じて物理的な世界に影響を与えることができる」と信じている。

約 63パーセントの人が「かつて、アトランティスのような文明が存在した」ことを信じている。

約 58パーセントの人が「夢が未来を予言できること」を信じている。

約 52パーセントの人が「家や部屋が幽霊に取り憑かれること」を信じている。

約 52パーセントの人は「ワクチンは安全かつ効果的である」と確信している。

約 47パーセントの人が「この世の悪の原因はサタンにある」と信じている。

この次あたりからは、信じているほうが少なくなっていきます。

約 40パーセントの人が「UFOは宇宙船だ」と信じている。( 60パーセントは信じていないということ

約 32パーセントの人が「人為的な活動が地球温暖化の原因」だと確信している。( 68パーセントの人たちはそれを信じていないということ

約 30パーセントの人が「地球の生命は自然選択を通して進化してきた」と確信している。( 70パーセントの人は進化論を信じていないということ

約 26パーセントの人が「地球の年齢は45億年だ」と確信している。( 74パーセントの人はそれを信じていないということ

約 20パーセントの人が「宇宙はビッグバンによって始まった」と確信している。( 80パーセントの人はビッグバンを信じていないということ

約 20パーセントの人は「ビッグフットは実際にいる生物」だとは信じている。( 80パーセントはビッグフットの生物としての存在を信じているということ

約 17パーセントの人は「占い師が未来を予見することができる」と信じている。( 83パーセントは占い師による未来の予見を信じているということ

約 12パーセントの人は「占星術は真実」だと信じている。( 88パーセントは占星術を信じているということ

となっています。

ワシントンポストの記事のタイトルの「アメリカ人たちは、ビッグバンを信じる人たちとビッグフットを信じる人の割合が同じ」の意味は、

・ビッグバンを信じる人が約 20パーセント
・ビッグフットを信じる人も約 20パーセント


ということで、アメリカ人にとっては、昔はいわゆる「雪男」などと言われていた未確認生物のビッグフットも、宇宙物理学の基本とされるビッグバン仮説を信じる人も「どちらも少ない」ということを、多少揶揄してのもののようです。

それにしても、

「夢は未来を予言できると信じる人」が 60パーセント近くいるのに、「占星術を信じる人」は 12パーセントくらいしかいないというあたりは不思議な感じもいたします。

ともかく、多くのアメリカ人がアトランティスのような古代文明を信じている一方で、

・進化論を信じていない
・地球の年齢 45億年を信じていない
・ビッグバンを信じていない


という傾向が顕著にあるようです。

そういえば、上の質問の項目に

神の存在

に関しての質問が含まれていないことに気づきました。

「神の存在」を超常現象といっては怒られるということもあるのでしょうけれど、アメリカ人の「神への信仰度」も知りたい気がします。

先日の記事、

人類は宇宙へは行けないし、異星人たちも地球には来られないことを悟る中、人々から「神の存在が消えていっている」ことも知る
 2014年10月29日

では、イギリスでおこなわれた調査を載せました。

alien-uk-02.gif
The Herald


成人 1,500 人と、子ども 500 人を対象としてイギリスで行われた「信じている超自然的存在」に関する調査の詳細な内訳は成人と子どもでそれぞれ下のような結果となりました。

英国の成人が信じる超自然的な存在トップ5

1位 幽霊( 55 %)
2位 エイリアン( 51 %)
3位 UFO( 42 %)
4位 天使( 27 %)
5位 神( 25 %)

英国の子どもが信じる超自然的な存在トップ5

1位 エイリアン( 64 %)
2位 幽霊( 64 %)
3位 UFO( 50 %)
4位 神( 33 %)
5位 天使( 27 %)

のように「神」の存在が日々薄れていっているようなのですが、そういえば、このイギリスの調査では「天使」は出ていても、「悪魔」はトップ5にはないですね。

アメリカの調査では、45パーセント近くの人が「悪い出来事は悪魔の存在によって引き起こされていることを信じている」となっていて、超常現象では「悪魔」は幽霊に次いで5位にあります。アメリカの結果も英国と同じようにまとめてみますと、

アメリカの成人が信じる超常現象のトップ5

1位 ポジティブな思考が現実を変える( 67 %)
2位 アトランティス( 62 %)
3位 夢は未来を予言する( 57 %)
4位 幽霊( 52 %)
5位 悪魔( 45 %)

このようになります。


というわけで、これらは今回の話とは関係ないながらも、この調査には「パラレルワールド」というものは出てきていませんが、最近、この説が大きく報道で取り上げられています。

それをご紹介したいと思います。

パラレルワールドの簡単な説明としては、パラレルワールド - Wikipedia から抜粋しますと、

パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。

「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。

とのことで、

パラレルワールドは異次元や4次元の世界とは違う

と記されています。

ところが、昨日の記事「私たちの宇宙から「時間」が徐々に消えている?」では、4次元という概念が語られているわけで、つまり、

・「同一の次元」にある複数の宇宙としてのパラレルワールド

・「異次元」、あるいは4次元にある複数の宇宙としてのパラレルワールド


というふたつのパラレルワールドの概念が噴出してきたようで、何が何やら、よくわからないですが、しかし、アメリカでは、ビッグバンで宇宙が始まったと信じている人は 20パーセントしかいないわけで、宇宙の在り方も人の考え方と同じほどあるような感じさえします。

それでは、ここからインターナショナル・ビジネス・タイムズの記事です。

なお、記事に「エヴェレットの多世界解釈」という言葉が出ますが、これは Wikipedia によれば、

量子力学の観測問題における解釈の一つである。 プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレット3世が1957年に提唱した定式を元に、ブライス・デウィットによって提唱された。

というもので、内容は難解でよくわからないですが、このような、パラレルワールドの先駆け的な理論があるのだそうです。




Parallel Worlds 'Exist and Interact' and Help Explain 'Weird Phenomena' of Universe
IBT 2014.11.03


パラレルワールドは「存在し、相互に作用」する。そして、これは宇宙の「奇妙な現象」を説明するのに役立つ


パラレルユニバース(平行宇宙)は、存在するだけではなく、それらは互いに相互作用を与えていると物理学者のグループは述べている。

オーストラリアのグリフィス大学の研究者たちは、我々が存在する宇宙は「数限りなく存在している無数ともいえる数の宇宙」の中のひとつの宇宙であるに過ぎないと言う。その中には、私たちと似た宇宙もあり、また、非常に違う宇宙もある。

パラレルユニバースの考えは、50年以上にわたって存在している。

たとえば、他のパラレル・ワールドの理論「エヴェレットの多世界解釈( Many-Worlds Interpretation )」は、理論を実現させる可能性のあるあらゆるシナリオが出された。

しかし、グリフィス大学の研究者たちの新たな理論の「相互多世界( Many Interacting Worlds )」 は、すべてのパラレルワールドがお互いに相互作用しているとする。そして、それらのパラレルワールドの存在をテストすることが可能なのだだと言う。

最近発表された論文では、科学者たちは、パラレルユニバースはそれぞれが独自に進化し、近くの他の宇宙との反発力によって、お互いに影響を与えると述べられている。

科学者たちは彼らの理論が量子力学を説明するのに役立つと考えている。

グリフィス大学の量子ダイナミクス・センターのハワード・ワイズマン( Howard Wiseman )博士は、「量子力学におけるパラレルユニバースの考えは 1957年以来続いています」と述べる。

量子論は、どのように宇宙が微視的なスケールの働きを持つかを説明するのに必要とされている。しかし、原因と結果の法則を満たさないと、原因と結果の法則に従わない奇妙な現象を示し、それを理解することは極めて難しい。

理論物理学者のリチャード・ファインマン( Richard Feynman )はかつて、こう言った: 「誰も量子力学を理解できないと言えると私は考えます」 。

ワイズマン博士たちが唱えるパラレルワールドは、「無数の宇宙が存在する」ことを示唆すると共に、私の宇宙と似た宇宙とそうではない宇宙があることをも示している。

それらの宇宙はすべて「現実」( real )であり、時間を通して存在する。そして、すべの量子現象は、近くの宇宙の普遍的な反発力よりもたらされる。

共同研究者のマイケル・ホール( Michael Hall )博士は「ただひとつの宇宙の存在の場合は、ニュートン力学に帰着しますが、莫大な数の宇宙の存在は、量子力学を再生させるものなのです。その合間に、ニュートンの理論でもなく量子論でもない、新しい何かの予測があります」と語った。





(訳者注) この「膨大な数の宇宙」という概念は、量子論が出るより 2600年位前に言われていたことでもあります。

おっしゃっていたのは、お釈迦様ですね。

何度か抜粋したことがありますが、過去記事「「宇宙は人間そのもの」という結論を夢想するとき」という記事に載せましたフレッド・ホイル博士の『生命はどこからきたか』 の記述を掲載しておきます。

『生命はどこからきたか』 より
フレッド・ホイル 1995年

紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識が宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。

とあり、ブッダは、今回のオーストラリアの大学の科学者たちと同様に、

「この宇宙は、われわれの惑星系と似た数十億の小さな宇宙から成り立っている」と述べていた

ようです。

このようなブッダあたりの話が現代科学の結末とシンクロしてきた……というあたりにも、何となく概念的に「この世の最終段階」という想いを持ちます。

もちろん、これは悪い方の意味での「最終段階」ではないです。



  

2014年11月04日



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▲ 2014年11月3日の Daily Galaxy より。






 


「時間の絶対性の崩壊」が招くかもしれない現代宇宙モデルの終わりの時

宇宙関係の大御所サイトのデイリーギャラクシーで上のような「宇宙から時間が消えているという新しい学説」を紹介している興味深い記事を見ました。

ちょっと読んでみましたら……長い長い。

その上に、異常なほどの専門用語の飛び交う大変難解な記事だったのですが、今回はその中から自分である程度わかる部分を翻訳しました。

それにしても「どうしてこんなに長い記事となったのか」と考えますと、過去のデイリーギャラクシーの記事の例では、「現代宇宙論やビックバン仮説の崩壊につながりかねない理論については長い記事になる」という傾向があります。

たとえば、今年2月の記事、

「暗黒物質は存在しないかもしれない」 : 王立天文学会の総会で発表された科学界にとっては衝撃的な新学説
 2014年02月13日

では「暗黒物質の存在の否定」に関してのデイリーギャラクシーの記事をご紹介したのですが、この時もあまりにも長い記事の上に極めて難解であり、その時には記事の翻訳そのものを諦めました。

この暗黒物質という仮想上の物質にについては、後の方でも少し書きます。

しかし、今回は暗黒物質の否定よりも、さらに過激といえば過激な、

時間の絶対性の否定

ということがテーマとなっていて、これはもう、物理学の基本中の基本に「時間の流れは不変」という大前提がありまして、この「時間」というものの絶対性が崩れますと、つまり、時間が変幻自在なものであった場合、すべての物理法則は「崩壊」します。

もちろん、宇宙論もです。ビッグバン仮説から「宇宙の膨張と終焉」、あるいは「星や銀河の成り立ち」の理論に至るまで宇宙論「すべて」崩壊しかねないほどのインパクトを持っていると思われます。

ちなみに、この「絶対的時間」を確立したのは、近代物理学の祖であるニュートンでした。

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▲ ニュートンが絶対的時間なども含めたニュートン力学体系を記した著作『自然哲学の数学的諸原理』(1687年)の英語版の扉。


なお、ニュートンは敬虔なクリスチャンでもあったのですが、「イエスの教えと絶対的時間の関係」について、アイザック・ニュートン -Wikipedia の「キリスト教徒として」というセクションに以下のような記述があります。

絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『自然哲学の数学的諸原理』にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている。

というようなことなんですが、今回のデイリー・ギャラクシーの記事には、2011年にスロベニア科学研究センターというところの科学者たちが、ニュートンの「絶対的時間」は「間違っている」とした研究発表をおこなったことなどにもふれられています。

しかし、「時間が絶対的ではない」となった場合はどうなるのかというと、時空を4次元的にとらえるしかないわけで、どうやら現在の最先端物理学は「4次元の世界」への理論へと少しずつ変化しているようです。

そういえば、アメリカの科学系メディア PHYS.ORG の10月 30日の記事にも下のようなものがありました。

para-universes.gif
PHYS.ORG


パラレルワールドとは「複数の宇宙が存在する」というようなことなのでしょうけれど、どうやら最先端物理学の世界ではそれらの存在を認めることと、それらの「様々な宇宙」の相互の作用を研究するという機運が高まってきているようです。

4次元の世界とか、パラレルワールドなどの響きは、かつては映画やコミックだけの幻想の世界だったような概念ですが、現実の科学がそちらに向かって進んでいっているという時代になったようです。

実際、今回のデイリーギャラクシーの記事は「時空連続体」( space-time continuum )という少なくとも私は聞いたことのない言葉から始まります。

これは、時空連続体 - Wikipedia によりますと、

時空連続体とは、時空を4次元多様体としてとらえることを指す。連続体という考え方は古典的であるので、時空の量子論を論じる際には多様体という幾何学的物体を量子化して考えなければならない。

とのことですが…………この説明では、何だかさっぱりわかりません。

そうしましたら、 Yahoo! 知恵袋に「時空連続体ってなんですか?過去・現在・未来はすでに存在しているって事ですか?」という質問があり、そのベストアンサーは下のようなものでした。

通常私たちが存在する世界(空間)は3次元とされています。

しかし、この「縦」「横」「高さ」の概念だけでは状態の変化を説明する事ができないため、4番目の次元である「時間」と3次元空間をひとまとめにしたものが時空連続体です。

つまりは「時間と3次元空間をミックスさせたもの」ということでいいのですかね。

そして、デイリーギャラクシーの記事には、「暗黒物質」のことも出てきます。
というより、「暗黒物質の存在の否定」が主要なテーマとなっているのです。




暗黒物質の存在は風前の灯火

この「暗黒エネルギー」とか「暗黒物質」というものが何かといいますと、ダークエネルギー(暗黒エネルギー) - Wikipedia の説明では、

宇宙論および天文学において、宇宙全体に浸透し、宇宙の拡張を加速していると考えられる仮説上のエネルギーである。

2013年までに発表された観測結果からは、宇宙の質量とエネルギーに占める割合は、原子等の通常の物質が4.9%、ダークマターが26.8%、ダークエネルギーが68.3%と算定されている。

というものです。

なお、 Wikipedia の「暗黒物質」の説明は以下のようなものです。

暗黒物質とは、宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせずかつ色電荷を持たない、光学的には観測できないとされる仮説上の物質である。そもそも本当に存在するのか、もし存在するとしたらどのような正体なのか、何で出来ているか、未だに確認されておらず、不明のままである。

ちなみに、私は、

「暗黒物質や暗黒エネルギーというものの存在への疑念」

をずっと持っていまして、記事もよく書いていました。

上のほうにもリンクしました「暗黒物質は存在しないかもしれない…」 という記事に載せました現在の物理学での考えでの宇宙の分布図は以下のようになっています。

dark-energy-03.gif

この図が示す意味は、

現代の宇宙論では「この世の中で、人間が存在を認識できる物質は4パーセントしかない」

ということになります。

つまり、この宇宙……というか「この世」は「人間に見えもしない、存在を確認することもできない物質に 96パーセントも占められている、というのが現代物理学の考え方なんですね。

なぜ、そんな訳のわからない理論を打ち立てなければならななかったかというと、

「こうしないと現代の宇宙論モデルの計算のつじつまが合わなくなる」

からです。

こういうもの(暗黒物質など)で計算上の矛盾を補足しておかないと、宇宙の急速な膨張だとかビッグバン仮説さえも崩壊してしまい「現代宇宙論が窮地に陥る」からだというのが最も妥当な説明だと私は思っています。

しかし、だからといって、「この世の 96パーセントが認識できないモノで作られている」なんてのは、やはり納得できるものではないような気がするのです。

上の表では、「通常の物質」、つまり人間が認識できる物質はこの世界にたった 4パーセントしかないということになっているのですが、私の頭の中の宇宙論は下のようになっています。

my-uchu-01.gif


人間はこの世に存在するすべての物質を認識できると私は確信していますし、何より、「この世は計算で作られている訳じゃない」と思うのです。

まあしかし、実際、そんなに強く主張せずとも、この暗黒物質や暗黒エネルギーといったものの存在は、「否定に向かって一直線」の傾向を見せています。

2012年 4月の、

「そこに暗黒物質は存在しなかった」:従来の宇宙論を否定する観測結果を欧州南天天文台が発表
 2012年04月20日

という記事では、宇宙の観測結果が現代宇宙論に反する観測結果を出したことを取り上げていて、この頃から多くの科学者たちの間に、

「暗黒物質とか暗黒エネルギーって本当はないんじゃね?」

という雰囲気が漂って、現在に至っています。

そんなように、いろいろと急激に変化していくかもしれない物理学や宇宙論なわけですが、ここからデイリーギャラクシーの記事をご紹介します。




"Time is Slowly Disappearing from Our Universe" (Or, is It Timeless?)
Daily Galaxy 2014.11.03


「時間がゆっくりと我々の宇宙から消えている」(それとも、それは永遠?)


もし、時空連続体の数式から「時間の部分」が尽きた場合はどうなるのだろうか。

おそらく時間はゆっくりと消滅し続けており、そして、いつか、時間は完全に消え去ることを現在の科学的証拠は示している……という長年、科学者たちを悩ませて続けているラディカルな理論がある。

かつて、科学者たちは、宇宙が加速度的に拡大していることを示すために、宇宙の遠い場所にある爆発した星(超新星)からの光を測定した。 科学者たちは、これらの超新星が宇宙の年齢のように、より速く広がっていくと仮定した。

また、物理学者たちは、反重力のような力が離れた銀河を駆動させていなければならないと仮定し、この正体不明の力を「暗黒エネルギー」と呼ぶようになった。

そんな中、宇宙の急速な膨張や暗黒エネルギーの存在を確認する方向ではなく、「時間そのものが何十億年の中でその存在がなくなる」という考え方が提唱されたのだ。

この理論は 2009年にスペイン・サラマンカ大学のホセ・セノブィラ( José Senovilla )教授により提唱された。時間が消えると、すべてのものは完全に停止するまで粉砕する。

この「時間そのものの終焉」という推論は暗黒エネルギーの代替えの説明ともなりうる。神秘的な反重力の力の宇宙現象であるとの示唆をされている、この暗黒エネルギーについては、多くの科学者たち頭を悩ませてきた。

しかし、今日に至っても、実際に暗黒エネルギーが何であるかを知る者はいないのが現実で、あるいは存在するとしたら、それはどこから来たのかも誰も知らない。

セノブィラ教授と彼の同僚たちは、それに対して驚くべき代案を提示した。教授らは、暗黒エネルギーというようなものは一切存在しないとし、時間がゆっくりとしたペースで遅くなっているという理論を提唱したのだ。

教授の主張は、私たちは「宇宙の膨張の加速」に関しての考え方に騙されていたわけで、実際には時間そのものが遅くなっているというものだ。

日常の日々のレベルでは、その変化を私たちが知覚することはない。しかし、数十億年にわたる宇宙の進路を追跡しての宇宙規模の測定から、このことは明らかになるだろう。

この変化は、人間の視点からでは無限に近くゆっくりとした変化だろうが、宇宙論での視点の観点からは、数十億前に地球を照らした太陽からの古代の光の研究によって、それを簡単に測定することができる可能性がある。

セノブィラ教授は、「私たちは、宇宙の膨張そのもののが幻想だとは言ってはいません。私たちが言っていることは、膨張が加速しているということが幻想だという可能性についてです」と言う。

現在、天文学者たちは、いわゆる「赤方偏移」(観測対象からの光のスペクトルが、可視光で言うと赤に近い方にずれる現象)の技術を用いることで、宇宙の膨張速度を識別することができる。

しかし、これらの測定の精度は「宇宙の時間が絶対的であること」に依存している。もし、セノブィラ教授たちの新しい理論のように、時間が減速していっているとした場合、私たちの独立した時間は新しい空間次元に入っていくことになる。

2011年には、スロベニア科学研究センターの科学者たちは、ニュートンが提唱した「絶対的時間」は間違っているとの理論を発表した。

このスロベニアの科学者たちは、時間は4次元の時空にあるという考え方に基づいている。これまでの時間というものに対しての視点を置き換えることにより、物理の世界は、事物により正確に対応させることができると彼らは主張する。





このあたりまでとしておきます。

オリジナルは、本当にとてつもなく長い記事なのですが、その長い記事の1番最後の文章は、

What is time?

すなわち、「時間とは何なのか?」という文章で締めくくられていました。

ちなみに、科学的な事柄とは関係ないですが、未来予測プロジェクトのウェブボットの代表のクリフ・ハイが、2008年のエッセイで、「変容する時間」について記していたことを思い出しました。

こちらは上の記事のように「時間が遅くなる」のではなく、「時間が加速する」ことを書いています。

今回の記事とは関係ないながら、一部抜粋して記事を締めたいと思います。

ALTA レポート 909 パート5
ウェブボット 2008年12月7日

E=MC2、これはアインシュタインの周知の公式だが、時間という概念はこの公式にあるほど客観的な存在ではないと私は考える。時間というものは人間の感じ方によって、加速したり減速したりスピードが変化するものなのだと思う。

どのような状況でも変化することのない尺度としての客観的な時間のような概念というものは見いだしにくい。

時間の速度はあくまで人間の主観的な実感が決定している。そうした意味で、多くの人間の時間感覚は根本的に変化するとのデータが強く出ている。時間感覚が一気に加速するのである。

われわれのデータでは、時間が加速している実感は、まず個人のレベルで起こることを示している。多くの普通の人達が、説明のつかない奇妙な出来事や気分を体験するというのだ。

もちろん、こうした変化は誰でも体験するというわけではない。
こうした体験を一切しない人々もいる。

しかし、時間の新しい実感をもつ人間の数は一気に増えてゆく。それら個々人の体験や意識変化は、人類全体の集合意識に次第に浸透する。そして最終的には人間の意識を根本から変えてゆく。

このようにクリフ・ハイは書いていましたが、どうなることなのでしょうね。

今の私の個人的な感覚でいえば、時間は加速しているように感じます。



  

2014年10月10日



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▲ 2014年10月7日のインターナショナル・ビジネス・タイムスの記事を引用したイギリス Yahoo! ニュースより。






 



心停止後の意識は生前と変わらず継続している可能性

イギリスにサウサンプトン大学という国立大学があります。その大学から最近発表された研究結果が、人間の「死後」に対してのひとつの方向を示すものかもしれないとして、英国のメディアを中心に大きく報じられました。

というのも、臨死体験(英語で Near Death Experience )という言葉そのものは、かなりの人びとが知っていても、それに関しての科学的、臨床的な大規模調査というのはこれまで行われたことがなかったのです。

そんな中で、サウサンプトン大学の研究者グループは数年かけ、英国、オーストリア、米国の病院で、2,060人の「心停止」、つまり「臨床的に死亡した」と判定された人たちを対象に調査を行うという初の試みをおこなったのです。

そして、その中から「蘇生した人たち」の「心停止後の意識」(死亡を宣告された後の記憶を覚えているかどうか)についての聞き取り調査を行い続けました。これは、2008年からおこなわれている長い研究の中の一環のようです。

これだけの人数を対象にした規模で、臨死に関しての調査研究がおこなわれたことは過去にはなく、それだけ調査結果に注目が寄せられたということのようですが、結果を先に書きますと、

死後も人の意識は続いているという可能性が高い

という結果となっています。

今回はその記事をご紹介します。

ちなみに、上の英国 Yahoo! ニュースの記事で使われているイラストは、小さくてわかりにくいと思いますが、下のイラストです。

near-death-experience.jpg


いかにも世で言われる臨死体験を現しているような絵ですが、今回の研究で調査したのは、

このような「暗いトンネルを通る」という方の話では「ない」

です。

「心停止の直後」、つまり、死亡した直後の病室の状況、聞こえた音、病室などにいた人などの記憶の方の調査です。

というのも、科学的に検証できる部分はそこしかないからだと思われます。

暗いトンネルや、体外離脱などの経験を語られても、それは「比較検証」できないものですが、患者の死の直後の様子を記録しておけば、蘇生した人からの聞き取りと、実際の状況に合致する点(つまり、記憶と現実が一致するかどうか)を調べられるからです。

しかしまあ、科学的には画期的な調査とはいえ、なんと言うか「イマイチな部分」が生じるのは仕方のないところもあります。




死後の意識の研究の限界とは

その「イマイチ」の意味ですが、その前に、まず、今回の英国サウサンプトン大学の「死後の意識」についての調査が、なぜ重要なのかというと、脳は心停止の 20 〜 30 分後には停止するもののようですので、つまり、今回の調査は「脳死の後の意識」とある意味では同義ともいえます。

ですので、学問的な重要性としては、

脳死の後の意識の有無

ということに関係しそうです。

なぜなら、「脳がその人の意識や記憶をつかさどっている」というのが現代の科学であり、死んだ後も意識や記憶があるとなると、この部分に微妙な摩擦が生じるためです。つまり、

「意識や記憶に脳は必要ないかもしれない」

という、科学的・医学的には受け入れがたい概念が認められてしまう可能性があるからです。


また、もう一方では、スビリチュアル的に、

肉体と意識は別のもの

という考え方を立証させられる可能性があるという意味での重要性もあるかもしれません。

「意識と肉体が別だなんて当たり前のことでは?」のように思われるスピリチュアル系の方もいらっしゃるかもしれないですが、「そうは考えていない人を納得させる」ことこそ一般科学の重要な役割だと思っています。

私が、現代科学のことをたまに記事にするのも、そこに意図があります。

もっといえば、

現代科学が、現代科学自体の矛盾を自ら明らかにしていくこと

こそが現代科学のこれからの使命だとさえ考えます。


いずれにしても、この「肉体が滅びても、意識はそのまま永遠に残る」ということの証明は、現在の科学と「非科学」を線引きするかもしれない最も強烈なテーマでもあります。

実際、今回の調査を最初に報道した英国テレグラフの記事の冒頭は以下のような出だしで始まります。

時の経過に従って、人類はより多くの発明や発見を行い、そして、同時に、答えが出る以上に多くの疑問が噴出してきた。

なかには、強力な疑問もある。

それは、太古の昔から哲学者や科学者たちを悩ませ続けてきた疑問 − 死後の世界はあるかどうか − という疑問だ。


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▲ 2014年10月7日のテレグラフより。



臨死体験研究の歴史

そして、今回、「死後の世界」ではなく、「死後の意識」が存在する可能性についての研究が発表されたわけですが、この「臨死体験」の学術的な歴史というのは、臨死体験 - Wikipedia によりますと、1800年代の終わりからあったことはあったようのですが、事実的にこの研究が進んだのは、1975年にキューブラー・ロス医師が『死ぬ瞬間―死とその過程について』という著作に、約 200人の臨死患者から聞き取りしたものをまとめたことから始まります。

まあ……このキューブラー・ロスという女性に関しては、今年の夏前に書きました、

聖女キューブラー・ロスが「神を呪った」とき : 寿命は長いけれど命そのものが粗末な感じがする今の時代に読んだ聖女の「最期」
 2014年07月14日

という記事で、この聖女と呼ばれたキューブラー・ロス医師が最期に豹変していく描写などを読みまして、「自然死の受容の難しさ」を書いたことがありますが、このキューブラー・ロス医師が、臨死体験の学問的発展の先駆者であったとは知りませんでした。

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▲ キューブラー・ロス医師(1926 - 2004年)。


今回の冒頭に貼った英国 Yahoo! の記事のイラストは、「トンネルのようなところを渡っている人のような感じ」が描かれていますが、臨死体験のパターンというものは、おおむね定型化されているもののようで、 冒頭のイラストはその中の一部をイメージしたものだと思われます。

上記 Wikipedia の「臨死体験のパターンと経験者の変化」というコーナーから抜粋しますと、次のようになります。そのページでは、

> 臨死体験には個人差がある。ただ、そこに一定のパターンがあることは否定できない。

と注記した後に、以下のように書かれてあります。




臨死体験のパターン

1. 死の宣告が聞こえる

心臓の停止を医師が宣告したことが聞こえる。この段階では既に、病室を正確に描写できるなど意識が覚醒していることが多い


2. 心の安らぎと静けさ

言いようのない心の安堵感がする


3. 耳障りな音

ブーンというような音がする


4. 暗いトンネル

トンネルのような筒状の中を通る


5. 物理的肉体を離れる

体外離脱をする


6. 他者との出会い

死んだ親族やその他の人物に出会う


7. 光の生命

光の生命に出会う。神や自然光など。
自分の過去の人生が走馬灯のように見える。人生回顧(ライフレビュー)の体験。


8. 境界あるいは限界

死後の世界との境目を見る


9. 蘇生


生き返る




となっています。

冒頭のイラストは「4」の「トンネルのような筒状の中を通る」のイメージだと思われます。

そして、重要なのは、ここでは

9. 蘇生

生き返る


までありますが、ここに至らない「8」で終わった人、つまり

「蘇生しなかった人の話の聞き取り調査は出来ない」

という事実があります。



約3分の後の「意識」はどのように

いずれにしても、今回の英国の大学の調査では、少なくとも蘇生するまでの「心停止(直後に脳死)の間の数分の記憶を持つ人が多い」ということと、その記憶と現実の光景の一致の状況などから、

「脳死後も意識は継続している」

ということが推測されるということになったわけですが、しかし、やはり、この調査には「限界」があります。

その限界は先にも書きましたように、心停止から蘇生した人の調査しかできない。

つまり、「死者からの聞き取り調査はできない」という、当たり前といわれればそれまでの話なのですが、これは決して笑い話として書いているのではなく、やはり、「死んでしまった人のその後の意識はわからない」ということの「壁」は大きいと思います。

ここは結構重要なことで、どうしてかというと、今回の調査の結論として、研究者たちは、

「心停止(脳死)後3分間程度、意識が続いているようだ」

という主旨に至りましたが、この「3分間」というのは、多分、大体の「心停止から蘇生に至るまで」くらいの時間なのではないかと思うのです。

要するに、心停止、あるいは脳死後、時間が経てば経つほど蘇生する可能性が低くなりますので、調査対象となった蘇生した人たちは、

「死んでいる時間が短かった人たち」

だったはずです。

ちなみに、調査対象の 2060人のうち、蘇生した人は 330人です。

そういうこともあり、今回の研究では、永続的な「死後の意識」というものについてはわからないままです。


突然かもしれないですが、今の世の中は、非常に大ざっぱに分類すれば、「死後」、あるいは「肉体と意識」について次のように考えている人たちに分類できるように思います。

A 意識は脳の中にある(つまり、肉体が死ぬとすべての意識が消滅する)

B 意識と肉体とは別のもの(肉体は容器であり、意識は永続的に続く)

C 死後は違う存在となって「死後の世界」に行く

細かくわければキリがありませんが、非常に大ざっぱに上のような感じではないでしょうか。

これを別の言い方で書くと、

A 意識と肉体はひとつのもの(現代の西洋科学)

B 輪廻転生、あるいは、意識が肉体を授かる、という概念

C 天国や地獄や幽霊の世界の概念


というような感じでしょうか。

「A」はともかくとして、「B」と「C」は似ているようで違うところは、

B 意識という観点からは生前と死後の区別はない

C 生前と死後では違う存在となる

というあたりでしょうか。

どの考え方の方々が一番多いのかはわからないですが、たとえば昔の日本では「C」だったような気もするし、それが「A」へと「教育」されてきたという感じでしょうけれど、今では、「B」、つまり、

永久に続く意識としての存在

として人間を見る立場の人も多いようにも思います。


私自身の考え方としては……まあ……多少は「B」に近いと思いますけれど、完全にそうではないのも確かで、なぜなら、病気や災害に会う度に、自分の、そして家族の「死を恐れ」、そして、報道でも「死」を特別に見ている。

最近の In Deep のテーマのひとつの「大量死」に関してもそうです。

これは、私が「死を特殊なこととして見ていて、自分でも大変に恐れている」ことを意味します。心の底から「意識は永遠に滅びないので、肉体の死など関係ない」と思っているのならば、こんな考え方にはならないはずです。

やはり、「永遠の意識」を心底では信じ切れていないのかもしれません。

死を恐れるのは、ほぼすべての人間の、そして動物たちの本能ですけれど、人間が違うのは、上の





のように、「死」に対して多様な考え方を持つことができるところです。

他の動物でも……まあ、そのことを考えている動物たちもいるのかしれないですけれど、それは彼らの世界の中のこととして、とりあえず、人間から見れば、こんなに一生懸命に「死と意識と肉体の存在」のことを考えるのは、やはり人間の特性であるのだろうなあと思います。



父の昔の話

ところで、私が初めて「臨死体験」というものに興味を持ったのは、今から 40年くらい前の小学生の時だったと思いますが、教師だった真面目な父親が、夕食時、お酒を飲みながら、自分の幼い時に体験したことを語った時でした。

冗談や嘘を言うことのない父親でしたので、多分本当に体験したんでしょうけれど、父が子どもの頃、高い木の上から落ちて、仮死状態となって病院に運ばれた時のことを語っていました。

「病院の天井の間上から自分を見ているんだよ。オレは目を閉じていて、母さんと兄弟がベッドを取り囲んでいてさ。その後、暗いところを通ってどこかに行って、明るいところに出た時に、後ろのほうから母さんの気が狂ったかのような叫び声が聞こえたんだ。オレの名前を叫んでるんだよ。それで振り返ったら、誰かに手首を引っ張られて。そうしたら、ベッドの上で目が覚めた。その間、オレはずっと息が止まっていたらしい」

そして、

「でも不思議とその間は気持ちよかったんだよ。『もっとここにいたい』と思ってた。だから、母さんの叫び声だけでは戻らなかったと思う。手首を引っ張られなければ」

とも言っていました。

多分、話の感じとしては、下のようなところで、父の「母さん」が、多分、息子が仮死状態の中、絶叫して父の名前を呼んだのでしょうけれど、それで振り返ると同時に手首を引っ張られて「ご生還」と相成ったようです。

father-retuen.jpg
examiner


この時、父親が亡くなっていたら、今の私もいないわけで(いや、いたかも)、手首を引っ張ってくれた人に感謝したほうがいいのか、そうでもないのかさえわからない 50代の晩秋なのでした。

いずれにしても、「意識は永遠に継続する」に一票、ということで前振りが長くなってしまいましたが、冒頭の記事の翻訳です。




Life After Death: 'Near-Death Experience' Study Shows Awareness Continues After Brain Shutdown
Yahoo ! News (英国) 2014.10.07

死後の世界:「臨死体験」の研究は脳死の後も意識が継続していることを示した

臨死体験についての史上最大規模の研究によって、脳活動の停止後も意識が継続していることが発見され、そして、私たちが死ぬ時に何が起きるのかということについての詳細が明らかになってきた。

サウサンプトン大学の科学者たちは、英国、オーストリア、米国各地の 15の病院において、心停止に陥った 2,000人以上を調査した。 これは臨死体験に関しての調査規模としては過去最大規模だ。

心肺停止から蘇生した人たちの約 40%の人たちは、臨床的に死亡してから、心臓が活動を再開するまでの間に「意識」があったことについて説明した。

その描写は正確で、たとえば、ある人は、心肺停止中の治療マシンの音とノイズを覚えており、どの医師がその間の治療に当たっていたかを記述した。

研究を率いたサム・パルニア( Sam Parnia )博士は、英国紙にこう述べた。

「私たちは心臓が活動を停止した際に、脳が機能しないことを知っています。そして、心臓が停止すると、その 20〜 30秒後には脳活動が停止するのが通常であるにも関わらず、今回の研究では、心停止の後、最大で3分間、明確な意識が続いていたような例があります。」

ある男性は、心停止の間に、治療器から流れる2種類の電子音を正確に説明した。そして、その間に病室で起きたことをすべて正確に説明したのだ。

今回の研究のために、科学者たちは 2,060人の心停止患者を調査した。心停止から生き帰ったのは、そのうちの 330人で、さらにその中の 140人が、蘇生する前の心停止中の経験を説明して、「意識があった」ことを述べた。

意識があったと答えた中の5人に1人は、彼らが、その間、平和な感覚を感じたと答えた。

何人かは明るい光を見たと言い、何人かは、時間が高速化していくことを感じた。また、他の何人かは時間が遅くなる感覚を持った。他には、深い海に沈んでいくような感覚を持つ人もいた。

パルニア博士は、今回の調査で、より多くの人が、死に際して同じような経験を持っていることが示されたとする一方で、蘇生の際に使われる薬の種類によっては、その心停止中の意識と記憶が阻害される可能性があると語った。

博士は以下のように言う。

「これまで、何百万人もの人びとが臨死に対しての鮮烈な経験を持っていたが、科学的には曖昧な証拠しか示せませんでした。あるいは、これらの体験が幻想や幻覚であると想定されてきた面もあります。しかし、今回の調査は、心停止中の彼らの体験は実際に起きたことを認識していたようにとらえられるのです」

さらに、

「しかし、心停止の原因が脳損傷の場合や、蘇生の際に記憶経路への鎮静剤を使った患者たちの場合、心停止の間のことを覚えていません」

と付け加え、さらなる研究が必要だと語った。

ベルニア博士は、心停止中の脳の酸素送達の測定をおこない、蘇生の意識について調査する 2008年に成立された「蘇生中の意識」( Awareness during Resuscitation )の主任研究員を務めている。