【人類の覚醒と真実】 の記事一覧

2014年08月31日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




世界各地で黙示録的な光景が日常となり、「イスラム国」が生物兵器を計画し、エボラウイルスが急速な突然変異をしながら拡大しているような「死」の時代に「死の意味」を考える


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▲ 2014年8月31日の英国 The Times より。この記事については後半に記します。写真は、イギリスでの生物兵器テロの訓練の様子。



死と共に始まるカオスと新しい宇宙の形成の準備

少し前の記事、

ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日
 2014年08月26日

の中で、ジョン・レノンが、結果として 528Hz のワンコード進行となった曲の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のことを書いたことがありますが、その「歌詞」について、 Wikipedia の記載では、

歌詞は、ティモシー・リアリーがチベットの『死者の書』を基にして書いた『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』に触発されたもの。

とありました。

その「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の歌詞の最初の部分の日本語訳は下のようなものです。

こころのスイッチを切って、
リラックスして
流れに任せなさい

死んでいくのではない
死んでいくのではない


とあり、

「これって、いわゆる、《人が死ぬ時》のことを書いているわけだよなあ」

ということに初めて気づきまして、そういう意味では、このジョン・レノンの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」という曲は「臨終の際の心構えの歌」だということを知ることになったわけです。

そのような曲が、偶然(意図的にやったのでは、あまりにもつまらないことですので)もっとも重要な周波数で構成されているということに興味を持ち、歌詞の意味も知りたくなりました。

そんなわけで、ジョン・レノンのこの曲の歌詞に影響を与えたティモシー・リアリーというハーバード大学の教授が 1964年に出版した『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』を古本で買ったんです。

ちなみに、私はオリジナルと言える『チベット死者の書』を読んだことがありません。

それを通り越して、いきなり「サイケデリック・バージョン」を読むことになったわけですが、この本には、チベット死者の書の解説というのか、そのことについて多く書かれていて、『チベット死者の書』を読んでいないこと自体にはあまり問題はないようです。

まだ適当にページを開いてパラパラ読んでいるだけなのですが、つくづく思うのは「読書のシンクロニシティ」とでもいうのか、最近読んでいた様々な系統の本、それは、たとえば、シュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』に書かれているような、

高次の世界への移行

という概念や、あるいは、そのようなスピリチュアルとはまったく無縁な、アメリカの最先端医療の現場で数十年にわたり、9千人もの患者の最期を看取ってきたヌーランド医師の『人間らしい死にかた―人生の最終章を考える』に数限りなく実例として綴られている、

現実世界の人間の最後の様子

なども含めて、あるいは、今回の『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』を(まだ少しですが)読むに至り、それぞれで意味は違っても、すべてに「共通して説明されている」ことは、

死という現象の解釈

であることに気づきます。

シュタイナーは著作の中で何度も「受肉」という言葉を使います。

これは、肉屋で買った肉を受け取る行為ではなく(そんな注釈要らんわ)、

「肉体を持つ人間としてこの世界に立つ」

ことを言うようです。

そして、シュタイナーは、我々のいるこの、肉体を持ち、物質が存在する人間社会を「感覚的な世界」というように言うのですね。

『いかにして高次の世界を認識するか』には下のような下りがあります。

かつて、あなたたち人間は全員、感覚的な世界から高次の世界のための力を取り出すという仕事をはたすために、感覚的な世界の中に降りなくてはなりませんでした。


この「感覚的な世界」の反対を、シュタイナーは「霊的な世界」と表現します。

しかし、この「霊」という言葉、現在の日本語では、私たち日本人には、どうも幽霊とか恐怖新聞とか稲川淳二とか、そういうイメージを伴うオカルト的な怪しい響きを持つ言葉ですが、いわゆる英語の「スピリッツ」というか、日本語の「魂」というか、そんなような意味での「霊的」というものだと思われます。

その「霊的な世界」というのは、

肉体だとか物質だとか、そういうものから成るものではない世界

ということになり、じゃあ、その世界には何があるのかというと、それは私にはシュタイナーの本だけではよく理解できませんでした。

ただ、このあたりは、たとえば、聖書「ヨハネによる福音書」 1章 1節の、

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

とか、その後の 1章 14節の

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

とか、そういう表現にあらわれている感じもしますが、『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』にある以下の感じが、もっとも私の持っていた感覚に使いものがありました。

たとえば、下のような記述。


このことを覚えておいてもらいたい。
休みない生命電気の向こうに、究極のリアリティ、空(くう)があることを。
形や色をもったものに形成されないあなた自身の意識は本質的に空なのだ。
最終的なリアリティ。
完全な善。
完全な平和。
光。      (中略)

この空(くう)は無ではない。
カオスであり、混沌なのだ。
カオスは始まりであると同時に終わりであり、絶え間なく変化しながら輝き、脈動し、至福をもたらす。



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・『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』表紙。




この世は存在「しない」という真実の意味

もともと、私がブログに In Deep というタイトルをつけた理由は、漫画家のしりあがり寿さんが、今年の春の受勲で、紫綬褒章を受賞した時に書きました、

30年目のエレキな春:精神圏へ移行する人類の覚醒後の姿を夢想させてくれた『弥次喜多 In Deep 』と作者への感謝
 2014年04月28日

という記事のタイトルが示している通り、しりあがり寿さんの長編漫画『弥次喜多 in DEEP』のテーマである(と私が勝手に思っているたけですが)以下の、

実際にはこの世は存在しない

という概念に興味と敬意を持っていたことでつけたものです。

しかし、「存在しない」というのは、「無という意味でもない」とも、また思っていました。

それがシュタイナーの言葉いう「霊的な世界」というものなのかどうかはともかく、「存在しない」のは肉体や物質のことであり、

「なんか」はあるのだろうけど

とは、ぼんやりと思っていたりしたわけですけれど、そして、上の『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』に、

この空(くう)は無ではない

とあり、何となく、「ああまあ、やっぱりそうだよなあ」と曖昧に納得しつつ、そしてまた、そこに続いて記載されている、

この空(くう)はカオスであり、混沌なのだ

という下りを見て、同時に、

世界のほとんどの「天地創造神話」が「混沌」から始まる

ということを思う中で、それまで、私が最も勘違いしていたことに気づいたのでした。

勘違いというか、つまり、私は今まで、

「ひとつの生命が生まれる時に新しい宇宙が生まれる」

と考えていたのですけれど、「新しいの準備段階」のことを考えたことがなかったのです。どんな神話でも、新しい宇宙が生まれる前には必ず「混沌」がある。それが新しい宇宙の準備段階なわけです。チベットの死者の書にあるように「死ぬ時にカオスとしての空(くう)がやってくる」のなら、

「ひとつの生命が消える時に新しいカオス(新しい宇宙が形成される準備段階)が産み出される」

ということに気づいたのです。

これは、「生と死」がワンセットであると同時に、ひとりの人間の死(あるいは他の生物の個体の死)と「宇宙の誕生と終わり」がシンクロして起きるということでもあると感じます。

こうなってくると、「ビッグバン」という言葉を使っても別に構わない気もしてきます。もちろん、「物理的な意味」でのビッグバンだけはどう解釈しても理解できるものではないですが、「感覚的な意味でのビッグバン」なら理解できます。

つまり、たとえば、70億人の人間の「死」があるのなら、「 70億回のビッグバンがある」という表現でも構わないからです。あるいは、地球の「他の生物の死」のすべての回数はそれこそ無限でしょう。

なので、

毎瞬間「無限の数の宇宙の始まり」が常に起きている

という認識が正しいのかとも思います。

ただし、「意識で宇宙を形成するのは人間だけ」だと私は思っていますけれど。

いずれにしても、私は「死から宇宙が形成される」ということを考えたことがなかったのでした。

実際に、ジョン・レノンの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の歌詞で、『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』に影響を受けた・・・というより、そのまま歌の出だしの歌詞にしている部分があり、それは以下のようなものです。


心のスイッチを切れ。
静かに見つめ、聞き耳を立て、メッセージを受け取るのだ。
宇宙の原初の形を体験するのだ。



これを読む限り、すべての人間は死ぬ際に「宇宙の原初の形を体験する」ということらしく、つまり「感覚的なビッグバンの直前」の状態を経験し、そして、次の新しい宇宙の誕生と共に、「再生」、あるいは「受肉」し、また感覚的な世界へと輪廻していくものなのかもしれません。

ただ、それが前世とか来世とか言われるものと関係しているかどうかはわかりません。

なぜかというと、宇宙の「ひとつのサイクル」は、数十億年以上などというスケールのものですから、そのようなサイクル間での「感覚的な世界」が、今の世界で理解できるような状態や形態かどうかはわからないからです。


ちなみに、チベット死者の書では、航海者(肉体的に死亡した後の人)が「再生」に至る際に、そこには「6つの世界に戻ってくる」とされているそう。これはつまり、

6つの段階の自我のうちのどれかに再生する

のだそうです。

6つのうち、2つは通常の人間より高く、3つは通常の人間より低いのだそう。
参考までに『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』より抜粋しておきます。第3レベルより上が高く、第3レベルより下は低いということのようです。



チベット死者の書にある再生のパーソナリティの6つのレベル

最高レベル 西洋人が聖者、賢者、神の教師と呼ぶレベル(ただし、絶えず循環する快楽と自由なエクスタシーを伴う)。

第2レベル 阿修羅。タイタンや英雄と呼ばれる。通常の人間以上の力とヴィジョンを持つ。(絶え間ない戦争を伴う)

第3レベル 最も普通の人間のレベル。ネットワークの中で葛藤し、たまに自由になる。(絶望と隷属を伴う)

第4レベル 動物的な再生のレベル。犬、雄鳥、豚、アリ、土を這う虫などのイメージ。(願望の苦しみを伴う)

第5レベル 永遠に満たされることのない欲求を追い求め続ける霊、神経症者のレベル。(極端な暑さと寒さ、快楽と苦痛が伴う)

第6レベル 最下段のレベル。地獄、あるいは精神疾患のイメージのレベル。





最高レベルには例として、ブッダ、老子、キリストなどが挙げられていますが、最高レベルと、そして、最低のレベルに再生する人間は1パーセントにも満たないと同書には記されていて、多くは、第3レベルに再生すると書かれていました。

まあ、第3レベルの、

「社会の中で葛藤し、たまに自由になる。そこには絶望と隷属が伴う」

という状態の人は、確かに今の社会で最も多い感じもします。

ちなみに、この表を見て、私は自分が今、位置している自我の世界を知ることになりました。

それは下から2番目の「第5レベル」です。

通常の人間のレベルよりかなり低いですが、ここに書かれてあることがほとんど当てはまるので、間違いないでしょう。一歩、間違うと、最下段の「第6レベルあたり」にも足を突っ込んでいるかもしれないですが、そこまで「地獄」的な世界にいる感じもないですので、第5レベルあたりで了承していただきたいということで(誰に語りかけてるんだよ)。

まあ、自我にしても肉体の機能そのものにしても、私は生まれた時から普通の人たちより劣っていることはずっと自覚し続けてきまして、そして、十数年前くらいからは、低いレベルの人間であることに順応して楽しく、あるいは充実して生きる術を手にしたわけですから、とても納得のいく「再生」の時かもしれません。

ある意味で、私はこれまでの人生をとても満足に思っています。

もちろん満足に思っていない部分も多く、その顕著なものはレベル5に書かれてある「永遠に満たされることのない欲求を追い求め続ける」部分を持ち続けていることと、生まれた時から持っているとしか思えない「魂の傷的な恐怖のトラウマ」です。

・・・というか、これらのことは前書きとしてちょっとだけ書くつもりだったのですが、何だか、もしかすると、ものすごく長くなっている?




「死」のイメージの足音。イナゴ、ペスト、そして進化

いずれにしても、このブログでは、災害にしても病気にしても、「結果としての死」について取り上げることが多く、まして、最近は、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ
 2014年04月06日

という記事などから書き始めている「来年9月まで続く(かもしれない)大量死の時代」ということも、最近の記事の方向性としてはあります。

ところで、上の記事の中で、「イスラエルでイナゴの大群が発生した」ことと聖書などの記載についてのことや、その関係のことを書きました。イスラエルではないですが、今、マダガスカルでの首都がイナゴの大群に荒らされているという事態が起きています。

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▲ 2014年8月30日の Design Trend より。


上の写真は、マダガスカルでの首都アンタナナリボの様子で、「黒い霧」のように見えるものがイナゴなんですけれど、これは動画で見たほうが、その迫力のようなものがよくわかるかと思います。




このマダガスカルのイナゴの大発生は今に始まったものではなく、2012年から恒常的に続いているものなのですが、それがピークに達してきているようです。

数は数百万匹とも数千万匹とも言われますが、農作物が徹底的に被害を受けていることに加えて、今度は「都市部」でさえも上の有り様となっています。

上の報道のタイトルに「聖書のような」とありますが、これは、記事に出てくる、マダガスカルの宣教師の以下の言葉から連想してつけられたようです。

「聖書の出エジプト記にある《十の災い》を思い出します」

おお、「出エジプト記の十の災い」……。

この「出エジプト記の十の災い」こそ、先にリンクいたしました過去記事「赤い月と黒い太陽……」や「大量死」とも繋がることでもあるのですが、それはふれると長くなりますので、過去記事の「聖書に記載されているユダヤ教の祭の直前にイスラエルへ向かった3000万のイナゴの大群」という記事に書きました聖書の「出エジプト記」の 10章 13-15節を抜粋したものを記しておきます


モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。

いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。



そして、この「十の災い」の十番目は、「すべての初子を撃つ」というものです。




「イスラム国」のペスト兵器計画と、「突然変異」し続けるエボラウイルス

冒頭に貼りました「腺ペストを広めるための計画が「イスラム国」のパソコンの中から発見される」というニュースは、昨日、英国を中心として、突如として広く報道されました。

デイリーメールなど読者数の多いメディアでも取り上げられていましたので、かなり大きく認知されたものとなっているはずです。

冒頭の記事の概要を記します。



ISIS plan to spread bubonic plague is found on laptop
Times 2014.08.31

腺ペストを広めるための計画が「イスラム国」のパソコンの中から発見される

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▲ シリアの街中を行進する「イスラム国」のメンバー。 Daily Mail より。


過激派「イスラム国」が生物兵器を手にしようとしていることが明らかになった。腺ペストを培養し、それによる民間人に対しての壊滅的な攻撃を計画しているという懸念が高まっている。

計画文書は、「イスラム国」に所属する戦闘員が持っていたノートパソコンの中から見つかった。このパソコンは、シリアの反政府グループにより、元「イスラム国家」のメンバーが隠れ家として使用していた建物で発見された。

それと共に「イスラム国」は、大量破壊兵器を獲得するための方策を検討していることもその計画文書では示されているように見える。かつて、アルカイダがそのような大量破壊兵器を獲得しようとしていたが、現在、世界で最も資金力の豊富なテロ組織である「イスラム国」がその計画を踏襲しようとしているようだ。





というものです。

正直に言えば、「ちょっと奇妙な感じをおぼえるニュース」ではあることはあります。

たとえば、「そんな重要な計画が入っているノートパソコン(持ち運べるからノートパソコンなのに)を、書類や起動時のパスワード制限などもかけずに置きっぱなしに?」という単純な理由もそうですが、あるいは、この報道の前日に、


英政府 テロ警戒レベル引き上げ
NHK 2014.08.30

イギリス政府は、イラクやシリアでイスラム過激派組織「イスラム国」が勢力を拡大している情勢などを踏まえ、イギリスでテロが起きる可能性があるとして、29日、テロへの警戒レベルを引き上げました。

イギリスのキャメロン首相は29日会見し、イギリス国内のテロへの警戒レベルを1段階引き上げ、5段階のうち上から2番目に見直したと発表しました。

キャメロン首相は会見で、イスラム過激派組織「イスラム国」について、「イラクやシリアの中にイスラム国家を作ろうとしており、イギリスの安全にとっても脅威になっている」と強い警戒感を示しました。


というようなこともこともありました。

つまり、今回の一連の「イスラム国」に関しての報道などに関しては、「イギリスが主導になって発信している」という共通の状況があるようなんですが、何しろ、イギリスといえば、過去記事、

イギリス政府の機密作戦の結果が教えてくれる「私たちのいる現実の世界」
 2014年02月28日

に書きました諜報機関「政府通信本部」(GCHQ)がありまして、この中の「合同脅威研究情報班」という部署は、

インターネットを使って情報と人々の感情をコントロールする

あるいは、

実際の出来事を現実世界とインターネットの世界での情報操作によって作り出す

という試みを続けていることが最近明らかになった機関であるわけです。

それらの「インターネット上での情報と扇動」に関しては、

パンドラの箱が開いてしまったかもしれない2014年
 2014年07月22日

という記事に記したことがありますが、今後もインターネットなどを介していろいろと「恐怖」に関しての報道もあるかもしれないです。

そのような時に大事なことは、事実だとかウソだとか自分で決めつけることではないです(真偽は私たちにはわからないことですので)。大事なことは、上の過去記事から抜粋しますと、


自分たちが扇動されないためには、自分たちが「扇動する側と同じ精神的状況でいること」が大事だと思われます。

扇動する側と同じ精神的状況とは、つまり、「」です。

冷静という意味での「静」です。

淡々と冷静に作り上げられる事柄には、同じく淡々と冷静な感情での対処しか方法がないように思われます。

怒り、憎しみ、あるいはすべての突発的な激情型の行動、などからは、むしろ悪い作用と結果しか発生しないはずです。



このことを念頭に情報に接していればいいのだと思います。

たとえば、何か残酷な報道(斬首だとか処刑など)に接しても、あまり感情を動かすことなく接していたほうがいいように思います。

ちなみに、最近気づいたのですが、この「感情を穏やかにさせる」のには、ソルフェジオ周波数のいくつかの音は確かにいいものです。423Hz や 528 Hz が自分にはいいですが、YouTube で検索してもいろいろとあります。

また、最近、エボラウイルスのゲノム解析がおこなわれ、そのウイルスは非常に数多くの「突然変異を繰り返している」ことがわかっています。

これは、

エボラウイルスのゲノムが判明。その遺伝子数は「たった7個」。そして現在、エボラウイルスは急速に「突然変異」を続けている
 2014年08月30日

という記事に書きましたので、よろしければ、そちらをお読み下さい。

ウイルスの突然変異の状況によっては、現在開発されていると言われるエボラウイルスへの「ワクチン」、あるいは「治療薬」などの効果に対しても様々な憶測が出そうです。つまり、「効かなくなる」というような意味での憶測です。


いずれにしても、大量死の時代はまだ続くかもしれません。

その中で私たちがすべきことは、「起きている実際のこと」に適切に対処することであり、それ以上に恐怖する必要もなければ、意味のない悪感情を抱く必要もないと思っています。

さらには、最初に書きました「死の実相」についての「意味」があります。

死は何なのか。
そんなに簡単に理解できることではないでしょうけれど、考えてみたいとは思っています。

もちろん、「死者の書」のように悟ることはもちろん今の私には(あるいは未来の私にも)できないですが、仮に今が大量死の時代ならば、「死」への恐怖をどのように軽減させながら生きていくのかが、今の私の課題でもありますし、あるいは今の世界全体に必要なことでもあるのかもしれません。

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2014年08月29日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




[追記 / 8月30日] アイスランドのバルガルブンガ山は、8月29日、地上にまで噴煙を出し始めたようです。下の動画は、アイスランドのメディア RUV に掲載された空中から撮影された動画です。



まだ、バルガルブンガ山の様子はウェブカメラで24時間、リアルタイムの映像を確認できます。サイトはこちらです。






チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の写真を同比率で「ロサンゼルスに置いてみた」合成写真


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▲ 欧州宇宙機関の彗星探査機「ロゼッタ」が撮影したチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の写真を同比率で「ロサンゼルスに置いてみた」写真です。このようにすると、「3キロメートルの天体」のすごさがわかります。 IFLScience より。


この数日、いろいろ用事というのか義務的行為というのか、そういうもので時間がとられてしまっていて、昨日は記事を更新する時間がありませんでした。

現在もわりと早朝なんですが、もうすぐ外出しなければならないという慌ただしい感じの夏の終わり・・・というか、夏は夏ですけれど、この数日のこちら(関東)あたりは今はむしろ「寒い」と思える時間帯の方が多くて、まあ、また気温が上がる時もあるのでしょうけれど、記憶にある中では、最近の8月の終わりとしてはもっとも涼しい数日なのではないでしょうか。

いずれにしても、きちんとまとまった内容の記事は書けないと思いますが、いくつかのことをやや支離滅裂気味に記させていただこうと思います。



寒い夏とアイスランドの今後

日本はともかく、ヨーロッパのほうでは、本当に非常に寒くなる可能性はありそうで、

前回の、

日本近郊の海域で記録された「謎の赤い爆発」と環太平洋火山帯の活発化の関係。そして「火山噴火の連鎖」が起きる兆しのあるアイスランドでは伝説のラガーフロットの龍が「存在する」と認定され
 2014年08月27日

という記事で、アイスランドで現在、氷河の下で噴火しているバルガルブンガ山が、アスキャ山という他の火山にマグマを送っていることが確認されたのですが、アイランドでの地震の範囲が、どんどんアスキャ山のほうにまで及んでいます。

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アイスランド気象庁


バルガルブンガ山からアスキャ山にかけてのかなり広い範囲で、大きな地震が、しかも、数を増やしながら発生し続けていることがわかります。現状では、「2つの火山が同時に噴火」ということも考えられないことではないということのよう。

そして、もしそのようなことになった場合、イギリスを始めとしたヨーロッパは、下の報道のように「史上最も寒い冬となる可能性がある」と、現地の科学者たちは考えているようです。

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▲ 2014年8月24日の英国 Express より。

これは、こちらの記事に書いたのですけれど、要するに、過去に、


・1783年のアイスランドのラキ火山の噴火の後、アメリカの頭部などで過去最低の気温を記録したこと

・1815年のインドネシアのタンボラ山の噴火(過去2世紀に世界で記録されたもののうち最大規模)の後には世界的に異常に低い気温に見舞われ、各地で農作に壊滅的な被害が出たこと

・1883年のインドネシアのクラカタウ火山の噴火の後、「全世界」が数ヶ月にわたり平年より低い気温に襲われたこと


などがあり、今回地上噴火するかもしれないふたつの火山もまた、それなりの大きさの噴火の規模を持つ火山でもあるようです。

なお、氷河の下での噴火(氷底噴火)に留まっているバルガルブンガ山は、ヴァトナヨークトル氷河という氷河の下にありますが、2日前、その氷河に「亀裂」が生じているのが発見されています。

vatnajokull.gif

▲ 2014年8月27日のアイスランド・レビューより。


このまま亀裂が拡大し、噴火の影響が地上へと出てくるのかどうかはまだわからないですが、地震が減るどころか増えている現状では、その可能性も高いのかもしれません。

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チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星を地球サイズで眺めてみると

7月の終わりに書きました、

賑やかになってきた天体と太陽
 2014年07月31日

という記事で、「チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星」というものについてご紹介したことがあります。その後、さらに近づいて撮影されたその彗星の光景は以下のようなものでした。

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AstroArts


欧州宇宙機関の観測衛星が、「10年5ヵ月の旅」を経て 8月 6日に彗星の軌道に入り、今年の 11月に着陸する予定だそうです。


探査機ロゼッタ、彗星軌道到達に成功 欧州宇宙機関
CNN 2014.08.07

欧州宇宙機関(ESA)は、彗星探査機「ロゼッタ」が6日、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の軌道に入ったと発表した。太陽を周回する彗星の軌道に探査機が到達するのは初めて

ESAのドーダン長官は「10年と5カ月4日間かけて目的地を目指し、太陽の周りを5回周回した末に、ついにここに到達した。ロゼッタが史上初めて彗星にランデブーした」と発表した。

ロゼッタはこれまで約50億キロもの距離を旅してきた。11月には彗星の表面に着陸機「フィラエ」を降ろす計画で、これも成功すれば史上初となる。



そんなことがあった後、数日前のスペースウェザーに下のようなニュースがあったのですね。

comet-67p-site.gif
Spaceweather


着陸の候補地の選定に関しての内容ですが、この彗星は3キロメートルくらいで、何だか写真で見る限り、こんなにたくさんの着陸地点の選定をするほど大きな彗星には見えなく、また、大きさを数字で表しても、あんまり実感のないものなのですが、「「地球の光景」と重ね合わせる」と、「3キロメートルの天体」のスゴさがわかります。

それが冒頭に貼りました、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星を「ロサンゼルスに置いてみた」合成写真です。

これを見て、小さく「わあ」と呟いていた私がいました。

数十億年前の地球の後期重爆撃期と呼ばれる時代などには、こんなのがバンバン地球に衝突し放題だった(とされている)わけですから、そういう状況のスゴさも想像できたりします。

そんなわけで、今日も、まとまったテーマでの記事は書けなかったのですけれど、締めとして、またも「ソルフェジオとロックの関係」など。




当時の「変容の促進」の象徴だったジミヘンの曲に

先日の、

ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日の少し前に「宇宙の周波数」と言われる 432Hz を示すクロップサークルが発見されていた
 2014年08月26日

という記事で、ビートルズのトゥモロー・ネバー・ノウズという曲が、ソルフェジオ周波数で重要な音である 528Hz で貫き通した曲だった( YouTube )というようなことを書いたのですけれど、その後、「他にもないかなあ」と、考えていたのですが、そもそも「ワンコード進行のメジャー曲」なんて、そうそう存在しないわけなんです。

そんな中で「そういえば、あれは大体ワンコードの進行だったよなあ……」と、ある曲を思い出しましたのですが、その曲をソルフェジオの下の周波数とひとつひとつ同時に聴いてみましたところ、ソルフェジオ周波数の、

・ 396 Hz・・・トラウマ・恐怖からの解放
・ 417 Hz・・・変容の促進
・ 528 Hz・・・DNA の修復
・ 741 Hz・・・表現力の向上
・ 852 Hz・・・直感力の覚醒
・ 963 Hz・・・高次元、宇宙意識とつながる


の中の、「 417 Hz 変容の促進」の「ほぼ」ワンコード進行(サビで1度コード進行が変わります)であることがわかったのでした。

その曲は、ジミ・ヘンドリックスの 1967年のデビューアルバムのラストの曲「アー・ユー・エクスペリエンスト?」( Are You Experienced? )という曲です。

この曲を初めて聴く方の場合だとわかりづらいかもしれないのですけれど、演奏の後ろで、最初からほぼ最後まで「タン、タン、タン、タン……」とピアノか何かの「同じ音の単音」が入り続けるのですが、これが 417Hz でした。下は 417Hz と曲の冒頭から少し流したものです。




細かい点はともかくとしても、

ジミヘンと変容の促進

なんてキーワードはまさにピッタリと言える感じのイメージで、なるほど、確かに私たちは色や音やいろいろな感覚的な存在に支配され続けていることを感じたりもします。

おお、では、そろそろ出かける時間です。
慌ただしいけど、幸い涼しいですので、わりと楽に過ごせています。

9月頃には雪もありですかね(おいおい)。

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2014年08月15日



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▲ 写真家アレハンドロ・チャスキエルベルグの作品を紹介している FENCE より。

大槌町 - Wikipedia より

大槌町(おおつちちょう)は、日本の岩手県上閉伊郡に所在する町。2011年3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大槌町も強い揺れに襲われた。 加えて、この地震が引き起こした大津波とそれによって発生した火災により、町は壊滅的被害を受けた。



先日、アルゼンチンの写真家による印象的な写真の作品群を見つけました。

それは、岩手で 2011年の津波で壊滅的な被害を受けた大槌町という町の「廃墟跡」で、そこにもともと住んでいた人と共に、その場で撮影したというものです。

上の写真もその1枚で、写真家の技量(あるいは心理的技量)のおかげなのか、悲劇よりも「人間の力強さ」を感じさせるもので、やや感動しましたので、いくつか載せたいと思います。

ところで、この最近の1週間ほどは、記事の更新も開くことが多かったんですけれど、ほぼ、とんぼ帰りで私の実家のある北海道へ帰省したりしていたり、他にも「老」と「死」の関係でいろいろとあったのですが、まあ、それらのゴタゴタで、肉体的というより、精神的にちょっと参っていた時期でした。

そんな時に「偶然」知った、太平洋戦争時の「ある戦場」についてのことを少し書きたいと思います。




はじめて知った「太平洋戦争時の狂気の戦場」の映像

上に書いたようなゴタゴタとしたことがやや一段落した、8月 13日、家族は奥さんの実家のほうに行き、夜は私1人で部屋でお酒を飲んだりしていたのですが、午後 10時前くらいに、

「あ、天気予報見よう」

と、消していたテレビをつけ、 NHK に回しました。しかし、もう 10時を少し過ぎており、天気予報は終わっていたのですが、始まっていたのが NHK スペシャルで、そのタイトルは、「狂気の戦場 ペリリュー 〜"忘れられた島"の記録〜」というものでした。


これがすごかった。


偶然見ることができて本当に良かった……という、「良かった」というのは何だか変な表現ですが、この戦場も戦闘も知らなかったので、知ることができて本当に驚きと同時に、 NHK スペシャルなんて、この数年見たこともなかったので、偶然に感謝したした次第です。

NHK の番組サイトの冒頭をご紹介します。

狂気の戦場 ペリリュー 〜"忘れられた島"の記録〜

今年、アメリカで日米の熾烈な戦いを記録した113本のフィルムの存在が明らかになった。撮影地はフィリピンの東800キロに位置するパラオ諸島の小島・ペリリュー。「地球最後の楽園」と呼ばれるサンゴ礁の美しい島だ。

70年前、日米両軍はここで死闘を繰り広げた。米海兵隊の最精鋭部隊と言われる第1海兵師団第1連隊の死傷率は、史上最も高い約60%。そのあまりの犠牲者の多さと過酷さから、ほとんど語られてこなかったため、「忘れられた戦場」と呼ばれている。

ペリリュー島は、太平洋戦争の中でも特異な戦場だった。日本軍はアッツ島以降続けてきた組織的な“玉砕”を初めて禁じ、持久戦を命令。米軍が当初「3日以内で終わる」と予想した戦闘は2カ月半に及んだ。



そうなんです。

今年になって、初めて「フィルム(しかも、ほとんどがカラー映像)」の存在が明らかになった戦場の記録を放映したのです。

しかも、太平洋戦争のアメリカ軍の連隊の死傷率として、史上最も高い約60%という死者をアメリカ軍は出したという戦闘だったのです。日本兵は山に穴を掘り、持久戦に持ち込み、接近戦で戦い続けました。それはゲリラ戦のようでもあり、ベトナム戦争のようでもありました。

この映像と、そして戦況などと共に、見ている途中で私は体が震えてくるほどの強烈な「未体験のはずなのに、体験したかのような感覚」を味わい続けていました。顔の表情も動かなくなりました。

途中からほとんど顔も体も不動で番組を見ていました。
なぜだかわかりません。


それはともかく、番組によると、ペリリュー島に派遣されたアメリカ軍の「第1海兵師団第1連隊」は、当時のアメリカの「最強の部隊」と言われていた部隊で、3000人から構成されていました。

ペリリュー島で迎え撃つ日本兵も、関東軍から選ばれた精鋭で、人数は何千人だったのかはわからないですが、最終的に生き残ったのは 120人だけ( 60人だったかも)だったのだそう。

img_02.jpg

▲ 戦闘末期にアメリカ軍が投入した火炎放射器搭載の装甲車。130メートル先までのすべての対象を焼き払います。


内容については、フィルムも証言も、その具体的な描写と語り口があまりにもすべてが衝撃的で、うまくまとめて説明することはできないですが、いつかまた再放送されると思いますので、そういう際にはぜひご覧になっていただきたいと思います。

どこからともなく現れて、部隊最後方を歩くアメリカ兵を刺殺して音もなく消え去る日本兵。戦闘の恐怖に耐えかねて発狂するアメリカ兵の姿や、日本兵同士での処刑の後の光景など、映像では、これまでちょっと見たことがないような光景が続きます。

処刑に関しては、どんな戦場でも「敵前逃亡」は前線では基本的に銃殺刑ですので、その点では普通のことなのでしょうが、その映像では、手足を縛られ、頭部も切断されたり、尋常ではない粛正の状態が示されていたので、日本兵の内部でも「狂気じみた何か」が起きていたのかもしれません。

そして番組には、現在も生きている当時の日本兵、そして、アメリカ兵、さらに、そのフィルムを撮影したアメリカ軍の従軍カメラマン(現在 91歳)なども出ていて、証言を行っています。

番組に出ていた元兵士たちは、最も年齢の若い人で、アメリカ人の 88歳。日本人の元兵士には 93歳の人もいましたが、この人たちの記憶の明確なこと・・・

93歳の元日本兵は、この戦いを比喩として、

「サソリとサソリをね、瓶の中に入れて、そして上から蓋をした状態。逃げられもしない。ひたすら殺し合うだけ」

というようなことを言っていました。

「サソリとサソリ」というのは、「双方とも当時のそれぞれの最強部隊だった」という意味だと思います。そして、「蓋」というのは、この戦いは、当時の戦略的な意味で、「日本兵もアメリカ兵もどちらも見捨てられたような形」となった戦場だったといえる部分があることから来ているようです。

88歳の元アメリカ兵は、仲間のアメリカ兵が木に縛り付けられて殺されている光景を見て、怒りに震えている直後、日本兵を発見した時のことを話します。

「最初に見つけた日本兵の頭を2発撃ち、その場にいた 17人を全部私が殺しました」

ということを「とても穏やかな顔つき」で話していました。

日本のテレビ番組とはいえ、もしかすると、孫などもいるであろう温厚そうなオジイサンの口から出る言葉としては、それだけでもショッキングなイメージがありましたが、でも、むしろその老人の表情が穏やかで私は何だか救われたという変な感覚に陥ってもいました。

ところで、これらの戦場の話は、今から 70年も前の話で、「そんな昔のことをちゃんと覚えているものなのだろうか」と思われる方もいらっしゃるかもしれないですが、第二次大戦で、フィリピンに兵士として派兵された作家の山本七平さんが 40年ほど前に書かれた『ある異常体験者の偏見』という著作の冒頭は以下のような文章で始まります。

山本七平『ある異常体験者の偏見』(1973年)冒頭より

ときどき「山本さんは戦争中のことをよく憶えていますね」といわれるが、こういうことは、形を変えてみれば、だれでも同じだということに気づかれるであろう。

たとえば航空機事故である。ニュースとしてこれを聞いた人はすぐ忘れるであろうが、本当に落ちて、全員死亡した中で奇跡的に助かったという人は、そのことを一生忘れ得ないのが普通である。

それは「思い出すだに身の毛がよだつ」という体験で、本人にとっては何とかして忘れたいことにすぎない。「戦争体験を忘れるな」という人がいるが、こう言える人は幸福な人、私などは逆で、何とかして忘れたい、ただただ忘れたいの一心であったし、今もそれは変わらない。



くしくも、それから 40年後の先の NHK ドキュメンタリーの中で、ペリリュー島の「地獄の光景」のフィルムを撮影した現在 91歳のアメリカ人の方も同じようなことを言っていました。番組のほうの最後のほうのシーンです。番組を見た記憶だけで、書きとめていたわけではないですので、台詞は適当ですが、

「あの記憶は忘れられるなら忘れたいですが、死ぬまであの光景が私の頭の中から消えることはないのだと思います」

というようなことをうつむいて語っていました。

山本七平さんは、1945年 1月 6日から終戦まで続いたルソン島の戦いで戦い、生き残った人です。この「ルソン島の戦い」は、日本兵 25万人のうち、21万7000人が死亡しています。兵士の9割弱が死亡した地獄の戦場でした。


そんなわけで、何だか余談というか、変に長い話となってしまいましたけれど、この時期になると、「霊」というものがこの世に存在しようがしまいが、毎年、私の中に刺激を与え続けるようで、

「死者」

というものへの思いが強くなるようです。

昨年の今頃も、

心地よい「死の園」からの帰還後に気付いたイルカの大量死と人間の大量死をつなぐ曖昧なライン
 2013年08月10日

というようなタイトルの記事を書いています。

ところで、この時期というと、戦争と共に、原爆のことが話題となりますが、広島はともかく、「長崎がどうして原爆投下の対象として選ばれたのか」というのは、人体実験な目的が最も大きかったということが今では公での通説になっていますが、ただ、上の昨年の記事に書きました下の部分にもやや着目してみる、ということの意味もあるのかなとも思います。

この 33度線が通る場所というのは、政治的混乱を象徴する場所が多く、33度線の代表的な国や場所として、

・トリポリ(リビア)
・ダマスカス(シリア)
・カシミール(インド)
・バグダッド(イラク)
・長崎(日本)
・ヨルダン川西域
・ベイルート
・エルサレム


などがあり、国家の中の複数の地域を通過する国としては、チベット、アフガニスタン、イランなどがあります。他にバミューダ海域や米国のソルトン湖も、この北緯33度上にあります。



ただ、原爆投下の問題は今でもセンシティブな問題で、私が気軽に書けるようなことではないと思っています。

それにしても、上の 33度線の地域のうちで、リビアとかシリアとイラクとか、あるいはガザの周辺などは、昨年よりも今年になってからのほうが、さらに状況が厳しくなっていることにも気づきます。

イスラム国( IS )の台頭、リビアの内戦、ガザへの侵攻。

いずれにしても、戦争はどうやら拡大を続けていて、2014年 8月 7日の時点で「戦争状態」にある国は、以下の赤い部分の 10カ国だそうです。

war-2014-87.jpg
What Countries Are Currently At War? A Complete List


そんなわけで、いろいろと「死」を思う時期の中で見つけたアルゼンチンの写真家が作成した「生を感じる」写真をご紹介します。




白くぼやけた「写真の記憶」にショックを受けて

Alejandro-Chaskielberg.jpg
・写真家アレハンドロ・チャスキエルベルグさん(1977年生)。


mem-1.jpg

▲ アレハンドロ・チャスキエルベルグさんの写真の1枚。Slate より。以下、すべて同じです。


アルゼンチンの若き写真家、アレハンドロ・チャスキエルベルグ( Alejandro Chaskielberg )さん。

彼は、 2011年 3月 11日の地震後に被災地を訪れ、その後、何度か現地に足を運ぶうちに、現地の人々や市民団体、学生さんたちとの交流を深めていった時期に、チャスキエルベルグさんは、被災地で「あるもの」を見つけて、それにショックを受けたのでした。それが彼を今回の作品を創作する熱意に突き動かしたもののようです。

その彼が「ショックを受けたもの」は下のものです。

album-01.jpg


何かよくわからないかもしれないですが、これは、水没して、部分的に「白くぼやけた家族の写真アルバム」なのです。どこの家族のものかはわかりません。

ほとんど写真としての原型は留めていませんが、下段の右から2枚目などを拡大してみますと、家族か親戚などでの集合写真のようなものであることがわかります。

album-02.jpg


その「写真の記憶」が白くぼやけている光景と、そして、現実に目の前に広がる「廃墟」の光景との組み合わせに大変に衝撃を受けたチャスキエルベルグさんは、

「この廃墟で、もともと住んでいた人たちの写真を撮りたい」

と思うようになり、付き合いのあった地元の人たちの協力により、「元の自分のたちの家の廃墟」の中で写真の撮影が続けられたのでした。

memories-top.jpg


写真を見ると、おわかりかと思うのですが、写真の中に「白い部分」と「カラーの部分」が入り交じっていることに気づかれるかと思います。

そして、

「人々、そして活動している街には色がついている」

ということもおわかりかと思います。

memories-part-1.jpg


チャスキエルベルグさんは、「廃墟となった部分を白く加工する写真処理」をすることによって、破壊された記憶から色を消し去り、命のある部分に色を残すという作品を作り上げたのでした。

mem-5.jpg


大部分が廃墟となってしまった町の中から「生きているすべてを浮き上がらせる」という試みともいえます。


考えてみれば、この方々は、戦争ではなく、自然災害の被害者ですが、先のあげた戦争体験者の人々の、

「あの記憶は忘れられるなら忘れたいですが、死ぬまであの光景が私の頭の中から消えることはないのだと思います」

という言葉と同じ思いを持っているかもしれません。

なお、上の写真は縮小していて、今ひとつその迫力と美しさが伝わりませんので、非常に大きなサイズで掲載されている、Slate というサイトの、

Devastatingly Beautiful Photos of Japanese Tsunami Victims in the Ruins of Their Homes
(自分たちの住んでいた家の廃墟の中の日本人津波被災者の圧倒的に美しい写真 )

をご覧下さるとよろしいかと思います。

これが被災者ご本人たちの復興につながるものかどうかはわからないですが、しかし少なくとも見ている私たちの「何か」には結びつくように思います。いずれしても、この作品によって、私は大槌町という、ともすれば今まで知りもしなかった町の存在を一生忘れることはないはずです。

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2014年07月26日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





exorcist-association-top.gif

▲ 2014年7月3日のカナダ CBC ニュースより。




エクソシストから辿り着いたのは日月神示の冒頭だった

先日の記事、

世に溢れるアナグラム : ツェッペリンの天国への階段の逆回転での「悪魔と666」。リーガンが語る逆回転のサタンの言葉。そして、セウォル号オーナーの「鏡像」遺書
 2014年07月23日

という、読み直すと何ともとりとめのない長い記事ですが、その後半で、1973年の映画『エクソシスト』についてふれている場所があります。

その内容そのものは記事を読んでいただければ幸いですが、映画のシーンの中の言語研究所のセットの中に、下のように「 TASUKETE (たすけて)」と書かれた看板か横断幕のようなものがあることに気づきました。

tasukete-1.gif


このような描写は原作にはなく、そもそも映画は日本とか日本語などはまったく関係しないものですので、何となく興味を抱き、これはローマ字ではなく、「もしかすると、英語に TASUKETE という単語があったりして」と思って辞書を引いたのですね。

英語辞書 Weblio で TASUKETE と引いてみたのです。当然、該当する英語はなく(笑)、ただ、

「TASUKETE を含む例文一覧」


というものがあり、そこに下のような例文が載せられていたのです。

tasukete-2.gif
Weblio TASUKETE


「・・・なんじゃね、これは・・・」

と思わず呟いたほど訳のわからない英語と、そして日本語訳でした。

日本語の部分は、

「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」


と書かれてあるのですが、どう考えても普通の日本語ではないものです。
そもそも読み方がわからない。

そうしましたら、その後、お知り合いがメールをくださいまして、

「あの日本語は日月神示です。しかも、冒頭の第01巻 上つ巻 第一帖 (一)です」

と教えられたのです。

「日月神示?」

しかし、たとえば、ひふみ神示データー ひふみ神示 第01巻  上つ巻などで確認しますと、その部分は下のように書かれてあります。


「仏もキリストも何も彼もはっきりたすけて七六かしいご苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。」



では、最初の訳のわからない日本語は何かと申しますと、メールを下さった方によりますと、


> 岡本天明氏が自動書記で書かれたもの、つまり原文を忠実に文字起こしたもの


だそうです。

まあ、それだけの話なんですが、何ともいえない「奇妙さ」を感じたのは事実です。

そもそも、ネットの英語辞書で「 TASUKETE 」なんて検索する人がいるとは思えないわけで、つまり、上のような奇妙な例文に出会うこと自体があり得ないようなできごとではあるわけで、いずれにしても、映画『エクソシスト』の中で、「ふと気づいた美術セットの文字」から、まさか、日月神示の冒頭部分が浮かび上がってくるとは・・・と思った次第です。

このような、

「何かの存在が、自分を偶然に何かの存在へと導いていく」


ということを「実際に感じる」ことは実は多いことでもあり、そして、これは多くの方がそのように自覚的に気づくことも多いのではないかと思われます。

それらは一般的には「偶然」という言葉で語られるわけですけれど、この「偶然」という現象には「大きな(物理学としての意味ではない)力学が存在している」ということと共に、それらの背後にあるものは、

「すべてを意味する意味での《ひとつのもの》かもしれない」


と考えることもあります。

死ぬまでに何度の「偶然」を繰り返して生きていくのかはわからないですが、それらは確実に「過去と未来を結ぶ線」であり、そして線というのは、そこから時間軸を取り払えば、「単なる点」となります。

小さな何もないようなところに自分の人生のすべてが集約される。多分そのあたりが「人生」というものだと思うのですが、変な形而上的なことを書きたいわけではないですので、この話はこのあたりにしておきます。




「悪魔は昔から神さまのコマーシャルなんですわ」と口にしたリーガンの母親

ところで、上の記事「世に溢れるアナグラム…」には、


何しろ、私が小説『エクソシスト』を初めて買ったのが、映画が話題となった後の中学2年の時(1977年)ですので、現在、購入後 37年目になりますが、まだ完読していないという有り様。



と書いていますが、実は上の記事を書いた夜、お酒を飲みながらパラパラめくっているうちに、結局、全部読んでしまいました。

映画のほうのエクソシストでは、カトリック教会から正式に派遣された老神父であるメリン神父という人の悪魔払いの様子が、ひとつの映画のメインとしても描かれますが、小説ではメリン神父が登場するのは、この全ページが文庫本で約 550ページもある長編小説の中の、なんと 470ページ目なのです。

そして、528ページ目には死んでしまう。
わりとほんのちょっとの登場なのです。

しかし、やはり映画同様、小説でもすべての登場人物を圧倒する存在感と「理性と尊厳」を備えた人物であることがわかります。

melin.jpg

▲ 映画『エクソシスト』で、悪魔払いのため聖書を朗読するメリン神父。


ストーリーの最初の方から登場しているカラス神父が、このメリン神父に、

「(悪魔が)人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょう

と訊く場面があります。

それに対してのメリン神父の答えは以下のようなものでした。


それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。

そしてまた、こうも考えられる。やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある。

やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている。




悪魔、あるいは悪霊は、「人間が『自分たちは堕落した無価値な存在』と自覚させるため」に、憑依などをおこなうと言っているくだりは、私にとって、過去2千年くらいの間の、

人間の価値を低く考えさせようとしてきた人類(の教育)の歴史


と重なります。

しかし、この話をすると、また長く余談となるので、話を進めます。

さらにメリン神父は後半でこのような言葉も口にします。


「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」



この言葉は、大変に印象に残ったのですが、その心境をうまく表現することができません。

ところで、さらに、印象深かったのは、小説の最後のほうの部分。悪魔に憑依された女の子リーガンから悪魔が出て行き、悪魔払いの儀式が終わって(カラス神父とメリン神父は共に悪魔払い中に死亡)から数日後のエピローグとしての場面の中で、リーガンの母親は死亡したカラス神父の友人のダイアー神父という人にこのように言います。

ちなみに、リーガンの母親は信仰を持たない無神論者です。


あなたがた神父さんたちは、祭壇の前にぬかずいて、神さまの実在を考えなければならない立場ですわね。だからこそ、神さまは毎夜、百万年の眠りを眠ってらっしゃるんですわ。

そうでなかったら、神さま自身がいらいらなさって、ついには怒りださずにはいられなくなるはずです。わたしのいっていること、判っていただけるかしら?

神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝の役をつとめます。悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。




この

> 悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。

という台詞は 1970年代のアメリカでは禁忌に近そうな言葉に感じますが、実際、映画のほうにはこのやりとりのそのものが出てきません。

悪魔は神さまの宣伝をしている」という響きは信仰をもたれている方にとっては怒りを感じる言葉かもしれないですが、しかし、ここで、冒頭にはりました、「ローマ教皇庁が正式に悪魔払い師の団体を認めた」というような最近の記事をみまして、少なくとも、このこと自体は、

「神の存在のほうからパチカンを知らしめている」

のではなく、

「悪魔の存在のほうからバチカンを知らしめている」

ということにはなります。

短い報道ですので、ご紹介します。

バチカンが承認した悪魔払い団体の名称は、「インターナショナル・アソシエーション・オブ・エクソシスツ( International Association of Exorcists )」ですので、日本語では「国際エクソシスト協会」というような感じでしょうか。




Vatican formally recognizes exorcist association
CBC News 2014.07.03

バチカンは正式にエクソシストの協会を認めた

悪魔払いは 「苦しむ人々に利益をもたらす慈善の形だ」と協会のトップは述べる

エクソシスト(悪魔払い師)たちは今、自分たちで自由に活動できる法的権限を持った。バチカンが、30カ国の 250人からなる、悪魔払いをおこなう司祭たちの協会「ザ・インターナショナル・アソシエーション・オブ・エクソシスツ」を承認したのだ。

最新のバチカンの新聞によると、バチカンの組織のひとつ「聖職者省」( Congregation for the Clergy )は、このエクソシストたちの組織を承認する法令を出し、教会法の下にこの組織を認めることを報告した。

現在のフランシスコ法王は、前任者(ベネディクト16世)よりも、悪魔についてよく話す。そして、昨年は「4人の悪魔に取り憑かれている」とされた男の頭の上に手を載せ、悪魔払いをしたことが認められている。





ということなんですが、記事の「フランシスコ法王が悪魔払いをした」というようなフレーズは、当時多く報じられまして、2013年5月22日の AFP 「法王が悪魔払い?ローマ法王庁が否定」という記事の冒頭は以下のようなものです。


イタリア司教協議会のテレビ局TV 2000が、フランシスコ ローマ法王が車椅子の少年に悪魔払いを行ったと報じたことについて、ローマ法王庁は21日、これを否定した。

テレビ局が撮影した映像には、ペンテコステ(聖霊降臨祭)の式典が行われた19日に、法王が車椅子の少年の頭に少しの間両手を載せる姿が映っている。少年は数秒間体を震わせ、叫ぶかのように口を開けている様子を見せた。

バチカンの広報局長は、「病人や苦難を抱える人に面会した法王がよくされるように、ただその人のために祈るという意図があったにすぎない」と語った。




ところで、冒頭の「エクソシスト協会を承認」の報道の写真を見て、ちょっと「うん?」と思ったのは、そのフランシスコ法王の「顔つき」なんです。

フランシスコ法王というのは、いかにも「いい人そうな顔つき」のような写真が就任時から多いです。

Pope-Francis-waves-to-cro.jpg
Guardian


しかし、上でご紹介しました報道の写真は、6月29日に撮影されたものなんですが、単に厳粛な顔をしているだけなのでしょうけれど、何となく「ちょっと違うイメージになってきてないか?」と思ったりした次第です。

下はちょっと拡大してみたんですけど・・・左の方がフランシスコ法王です。

pope-stn-01.jpg


暑かったか、あるいは強面路線に変更ですかね。
あるいは・・・。


昨年の記事、

最後の法王と呼ばれ続けたベネディクト16世(1): 聖マラキの予言とコナン・ドイルの未来感の時間軸
 2013年02月13日

に書いたことで、「偽書」とされてはいますけれど、12世紀の聖マラキという聖職者の預言では、ベネディクト16世が「最後の法王」ということになっています。


ですので、本来は現在はもはや法王のいない時代のはずなんです。


まあ、奇妙な実在論はともかく、フランシスコ法王になってから起きている様々なこと。
これは過去記事、

「悪魔 vs キリスト教」の戦いが世界中でエスカレートしている
 2014年01月29日

にも書きましたけれど、「受難的」なことが続いているといえないでもない。

2014年1月27日

pope-hato.jpg


2013年2月13日(ベネディクト16世が退位を発表した日)

2012-02-13-thunder.gif



2014年1月16日

rio-03.jpg

▲ ブラジルのリオデジャネイロの「コルコバードの丘のキリスト像」に雷が直撃し、像の指が欠けました。


と、いろいろと続いています。

もちろん、これらも先に書きましたような意味での「偶然の連続」ではあるのでしょう。

そして、ここにきて、バチカンは正式に「エクソシスト協会」を発足させたわけで、小説『エクソシスト』の中の母親の言葉「悪魔は昔から神さまの……」を思い出したりした次第です。

ところで、エクソシストのオープニングシーンとして登場する「イラク北部」では、キリスト教の聖地である「預言者ヨナの墓」が、過激化組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)によって破壊されたという出来事がありました。

クリスチャン・トゥディに短くわかりやすい報道が出ていますので、抜粋しておきたいと思います。


イスラム過激派組織ISIS、預言者ヨナの墓を破壊
クリスチャン・トゥディ 2014.07.22

イスラム過激派組織「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)がイラク北部ニーナワー県で、聖書に登場する予言者ヨナの墓を破壊した、と語った。

ISISはこのところ教会、墓、神殿などの破壊を進めており、イスラム教の聖地メッカまで遠征して、毎年巡礼数百万人が参拝に訪れるカーバ神殿を破壊する計画もあるという。




こちらが預言者ヨナの墓です。

j-d-1.jpg


そして、下の写真が「爆破」された瞬間です。

j-d-2.jpg
YouTube


なんとなく、私たちは、現実の出来事を含めて、「本当に神と悪魔の戦いの渦中にいる」(象徴的な意味でも構いません)のかもしれないとも思います。もっとも、これは結構前から感じていることではありますけれど、もっと顕著になっていくのかもしれません。

何しろ、 聖マラキの予言という、それは確かに「偽書」に書かれてあることとはいえ、本来は、現在は「もはや法王は存在していない世界」なのですから。

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2014年07月19日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





imf-magic-7.gif

YouTube より。





きな臭い現場の周辺に飛び回る「7」という数字

Yahoo! のニュースか何かで見出しのリンクをクリックしていましたら、「「反日」前のめりの習近平の狙いは何か(ウェッジ 2014.07.15 )」というタイトルの記事が表示されました。

記事の内容は書きたいことと関係ないですので、興味のある方は上のリンクからお読み下さい。

この記事のサブタイトルは、「利用される対象」としての日本 「盧溝橋」77年記念式典の「異例さ」というものでした。

いろいろな年数の区切りの記念式典があるでしょうが、

77年?

と違和感を覚えました。
パチンコ関係の式典でもない限り、このような中途半端な数の式典というのは珍しいです。

あるいは、西洋なら、もしかすると「7絡み」という記念日はあるのかもしれないですけれど、アジアの概念で「 77周年」というのは特別な記念日になるものだとは思えません。記事を読みますと、

日中全面戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から77年を迎えた記念式典が7月7日、北京市郊外の盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館で開かれたのを受け


とあり、また、

77年という中途半端な年に最高指導者の習近平が出席した「異例さ」を安倍政権と中国国内の2方面に訴える意味があったのだ。


とありまして、やはり、77年というのは中途半端という認識でいいようですが、それにしても、盧溝橋事件というのは、「7月7日」に起きたものだったことを知りました。

それで、少し中国の記事を探してみましたら、下のような見出しを見つけました。

rokoukyou-7777.gif
news.takungpao


上のも記事の内容はともかく、中国では、盧溝橋事件を「七七事変」と呼ぶこともあるのだということを知り、それなら「 77周年」という記念式典も理解できないではないなと思った次第です。

「それにしても、77年と7月7日・・・7777・・・か」

と、そのことに目が留まった記事でした。


なぜ「7」に目が留まったか。


先日、マレーシア機がウクライナで撃墜されましたけれど、あの事件に「数秘術の概念」を持ち込んだような投稿が海外で結構ありまして、それを見ていた後だったせいで、「7」という数字に反応したのかもしれません。

たとえば、撃墜されたマレーシア機の特徴には「7」がたくさん含まれます。


・機体のタイプはボーイング777

・フライトナンバーは 17便

・墜落したのは 2014年 7月 17日。一般的な英語表記では「 7/17/14 」となり、この中の 14は「 7 + 7 」。

・この機体の初フライトは 1997年 7月 17日( 7/17/97 )。 97は一桁まで足していけば、「 9 + 7= 16」→「 1 + 6 = 7」と 7 になる。

・この機体の飛行期間は「 1997 年 7月 17日から 2014年 7月 17日」までのジャスト 17年間




というように「 7 と 17 」に溢れています。
数の遊びといわれればそれまでですが、数秘術の計算とは概してこのようなものです。




個人的な関係の「7」の意味

この「 7 」と「 17 」という数字の羅列を無視できないのは、「個人的なこと」にも関係していて、それで印象深いということがあるのかもしれません。

実は、私の子供(男子/9歳)の誕生日が、この「 7 」と「 17 」に囲まれているのです。

子供の誕生日は、

西暦 2005年 7月 7日
平成 17年 7月 7日


西暦の 2005 から 0 をとると、「 2 」と「 5 」になり、「 2 + 5 = 7 」となり、結局、すべてが 7 と 17 なのですね。つまり、うちの子供は今回、撃墜されたマレーシア機と同じ数( 7 と 17 )に支配されているというように見えてしまう、ということも気になった部分でした。

このように一桁になるまで数を足すというのは、数秘術といわれるものの中ではよくあることのようで、私は数秘術のことはほとんど知らないですが、「数秘術」というページには、

num.gif


とあり、すべての数や文字を1から9までの一桁の数字にあてはめます。

「文字」というのは何かというと、アルファベットでは、すべての文字に数字が割り当てられていて、上のサイトによりますと、

7-alphabet.gif
数秘術とは

となるようで、たとえば「7」なら、GとPとYが7の意味を持つということになるようです。

これは例えば、名前なら、その数字と対応するアルファベットの意味する数を、1桁になるまで足すということのようです。

たとえば、 OKA なら、上の表で当てはめれば、

O → 6
K → 2
A → 1


となり、 6 + 2 + 1= 9 というわけで「9」という数字が導かれるというようなことです。

そして、上のサイトを読み進めますと、すべての人には、「核となる4つの数字(コアナンバー)」があるようです。4つのコア・ナンバーについてというページから抜粋します。

ライフ・パス・ナンバー
自分自身が人生をどのような道を通って歩んでいくかを表すとされています。

ディスティニー・ナンバー
今生での自分の人生にはどんな目的があり、自分は生まれながらにどんな使命を与えられているのかといったことを表すとされています。これはさきほど書いた名前をアルファベットに変換して足したもの。

ソウル・ナンバー
「魂の数」。内なる自己を表す数。

パーソナリティー・ナンバー
「人格の数」。「外なる自己」を表す数。



ということになっているのだそう。

掲載するのを忘れていましたが、1から9までの数字の持つ意味は下のようになるそうです。

number.gif
数秘術とは


上のサイトには、下のようにそれぞれのコアナンバーを「自動計算」してくれる機能もありました。下のは私の誕生日です。私のライフ・パス・ナンバーというものは「7」となるようです。

1963-08-07.gif


しかし、個人的なことはどうでもいいとして、さらに「7」と「数」の関係の話を進めます。






IMF専務理事が語る 2014年と数字「7」の深い関係

そして、このあたりまで書いたところで、「7」絡みの話として、冒頭に貼りました今年 1月 15日の国際通貨基金( IMF )専務理事のクリスティーヌ・ラガルドさんのスピーチを思い出したのでした。

専務理事というのは、「 IMF のトップ」です。

その IMF のトップの方が、冒頭に貼りましたように、スピーチの最初のほうで、集まった報道陣を前に、

「私は、魔法の数字「7」についてどのように考えているかを質問することで、あなたがたの数秘術のスキルをテストするつもりです」


というようなことを言っているのですね。

UMP_regional_elections_IlM_2010-02-18_n07.jpg

▲ クリスティーヌ・ラガルド IMF 専務理事。


ちなみに、クリスティーヌ・ラガルドさんという方は、 Wikipedia によりますと下のような経歴の方です。


クリスティーヌ・ラガルド(Christine Lagarde 1956年1月1日 - )は、フランスの政治家、弁護士。現在、国際通貨基金(IMF)専務理事。国民運動連合所属。

2006年には、アメリカの経済誌フォーブスが取り上げた世界最強の女性30に選出されている。反トラスト法、労働法専門の弁護士としても著名であり、ベーカー&マッケンジーの所長に女性で初めて就任した。

2011年6月28日、IMFの理事会にて専務理事に全会一致で選出された。女性として初のトップ就任である。




もう、完ぺきなエリートそのものであるわけですが、その彼女が、IMF のトップとしての年頭の演説で、「数秘術( numerology )」という単語を使っているということに違和感を覚えたのでした。

YouTube のページは、

Occult Message in Speech by Christine Lagarde of IMF
( IMF 専務理事クリスティーヌ・ラガルドの演説の中のオカルト・メッセージ)

です。

YouTube のそのページでは、アップした人が、演説の中で「気になるフレーズが何分何秒のところに出てくるか」ということを書いてくれているので、とてもわかりやすいです。

彼女がどんなことを言っているかを見ると、彼女は「数秘術」という言葉を口にしただけではなく、上のほうに書いたような実際の数秘術の方法を用いて、物事を説明していることがわかります。

いくつかの言葉をビデオから抜き出して日本語にします。
かなり訳しにくい部分も多かったのですが、雰囲気として、ということでご了承下さい。




クリスティーヌ・ラガルドさんの 2014年 1月 15日のナショナル・プレスクラブでの会見より

1分22秒位 - 「私は、魔法の数字「7」についてどのように考えているかを質問することで、あなたがたの数秘術のスキルをテストするつもりです」

1分34秒位 - 「あなたがたのほとんどは7が特別な数であることを知っているでしょう 」

2分24秒位 - 「 2014 という数から 0 をおとすと 14 になる。これは 7 の 2 倍です」

2-24-zero.gif


4分08秒位 - 「今年はブレトンウッズ会議で国際通貨基金( IMF )が設立されて実に 70 周年です。 70 から 0 をとると 7 です」

4分22秒位 - 「そして、今年はベルリンの壁の崩壊から 25 周年になるでしょう」

(注)上のは唐突な感じですが、数秘術の方法から見ますと「 25 周年」の 25 は「 2 + 5 = 7 」というような意味での引き合いのようです。つまり、「7」であると。ちなみに、ベルリンの壁崩壊は 1989年。


4分38秒位 - 「今年は世界金融危機 ( 2007年 ) から7年目を迎えます」

5分08秒位 - 「その後の悲惨な7年間は、弱く脆いものでした」

5分14秒位 - 「私たちは強い7の数々を持っています」

5分43秒位 - 「もし、G7がそれと共に何かを持っているのだとしたら、それは私にはわかりません」

(注)これも何だか訳文自体が意味がわからないですが、「G」というのは、数秘術では下のように「7」をあらわしますので、G7自体が「77」ということを言いたいのではないかと。


7-alphabet-2.gif




そして、ビデオの投稿者は、クリスティーヌ・ラガルドさんがスピーチの中で、「 7月 20日に起きる何かを示唆している」というようなことを示しているようなのですが、その理由は私にはわかりません。

それにしても、先日のマレーシア機の撃墜というのは、事件が起きた時に感じたことよりもはるかに重大なニュースであることが後になってから少しずつ感じられてきます。

今回は、数から思ったことを書き殴るように連ねてしまい、何のまとまりもないものとなってしまいましたが、自分の子供の数ともいえる「7」が動機となって導かれてしまったものとしてお許し下さい。

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2014年07月14日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





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▲ 今回は写真がほとんどないですので、本文とは関係ないですけど、絵の一枚でもと思いまして。Kanayo Ede の Old Barn という作品です。



昨日今日と、少し考え込むことが多く、今回は雑談めいた記事となります。

ここ数日、須原一秀さんという哲学者の書かれた『自死という生き方』という本を、私としてはそれなりに真剣に読んでいました。

須原一秀さんという方に関しては、この本を読むまで私は知らなかったのですが、Wikipedia から抜粋しますと、次のような方です。


須原一秀(1940年 - 2006年)は、日本の哲学者・社会思想研究家。元立命館大学非常勤講師。元龍谷大学非常勤講師。

現代を肯定的に捉え、哲学的思索に裏打ちされた社会思想研究を行う哲学者であったが、本人の遺著『自死という生き方』によれば“一つの哲学的プロジェクトとして”、2006年4月、自宅近くの神社にて自死した。享年67。




つまり、上の『自死という生き方』という本は、本は本として存在しますが、本だけでテーマが完結するのではなく、「自分の死」によって完結するというプロジェクトでした。

そして、 Wikipedia に書かれてある通り、須原さんは本を書き上げた後、自分で決めていた日に自死します。

本人が亡くなったわけですので、この本の編集や加筆を学者仲間などがおこない、内容を補填・編集して出版されたものです。

ところで、この「自死」という言葉はあまり聞き慣れない言葉かもしれないですが、今の日本で使われる「自殺」という言葉のイメージがあまりにも暗いものとして固定されてしまっているので、最近では、

・自死
・自決
・自殺


のそれぞれの言葉を「それぞれ違う意味の単語」として使ってはどうか、という意見はそれなりにあります。須原さんもそれを主張しています。

ところで、どうして上みたいな本を知ったかというと、私は東海林さだおさんのエッセイが十代の終わりの頃から大好きなんですが、そこで知ったのです。

東海林さんのイメージとは違うように思われるかもしれないですが、実は、東海林さだおさんという人は、

「最後は自決で人生を終えようと考えている」

という人なんです。
多分それなりに本気だと思います。

最近、文庫本で出版された、その東海林さだおさんの『花がないのに花見かな』の中に、廃墟愛好家だという栗原亨(とおる)さんという方との対談があり、そのタイトルは「樹海で死ねたら」というものでした。

栗原さんという方は、これまで調査のために 70回以上も樹海の中に入っている方なのだそう。

上の対談も非常に興味深いですけれど、その対談の内容はともかく、その中に、東海林さんが、『自死という生き方』という本を読んでいろいろと思うところがあった……というようなことを書かれているんです。それを読んで、私もすぐに Amazon で探して買ったという次第だったんですね。

それを読んでいるうちに、薄々と最近思っていたことや、「自分の未来」も含めて、昨日から考え込んでしまっている部分があります。





単に放っておいても高齢化で滅びる日本という国

これは上の『自死という生き方』の内容とは関係のないことですが、私の周辺もそうですが、今では多くの人々が、自分が直接介護などに関わったり、あるいは周囲で介護やそれに準じた状態というのを様々に見たり聞いたりしているのではないかと思います。

というより、最近では、この「高齢化社会」というのは、単なる日本の社会問題であるということを越えて、どういったらいいのか、宿痾とでもいうのか、要するに、このままだと、この「高齢化社会の進行で日本自体が滅びるのでは?」とさえ真面目に思うことがよくあります。

経済的な破綻とか、戦争がどうのこうのとか、あるいは天地がひっくり返るような自然災害とか、そんなことがどちらに転ぼうと、単に「放っておけば、そのうち日本は自滅する」というのが明らかであるというようにしか見えないのです。

しかも、それは私の生きているかもしれない間の、ほんの 10年先とか 20年先に起こりうることだと思っています。

いやいや。

そんな小難しい話をしなくとも、たとえば、今、介護をされている方は、

「将来の私もこの人(自分が介護しているお相手)のようになりたい」と思うかどうか

というような話でもいいですし、そうは考えなくともいいのですけれど、2年くらい前の記事で、日本だけではないですが、現在の「普通の」価値観として、


長生きすることは無条件に素晴らしい。(場合によっては健康であろうがなかろうが)



という概念があるというようなことを記したことがありました。

そして、それは社会的に絶対的な思考であり、つまり、


その「長生きすることは素晴らしい」ということに対しての、いかなる反対意見の存在も許されない



という社会であることの事実。

「介護に疲れた人」でも、それを言ってはいけない。

そして、あちこちで現に起きている「共倒れ」(老老介護でどちらも立ちゆかなくなる)。そのうち、子供なども関係してきて、そちらも参加することで三重の共倒れ(仕事をやめたりしての介護で収入の問題が出て来る)なども起きる。

それでも、

「長生きしてくれているから・・・それだけで・・・」

と他人の前では呟かなくてはならない。

今の日本の高齢者がいる家庭で、「高齢者の病気の問題や、介護とは無縁」の家は、むしろ少ないのではないでしょうか。

うちの母方の祖母は、もうかなり昔の話ですが、10年間寝たきりでしたが、うちの母の妹さんが長く介護していました。しかし、介護を続けるうちに、もともと上品で穏やかだった母の妹さん、つまり私の叔母さんの顔の様相が年々やつれ果てていくのを見るのはつらいものでした。

最後の何年間かは、介護を受けているお婆さんご本人は、すでに自分の娘の顔というか、その存在自体を忘れているのです。

下の世話から何から何まで介護する娘さん(私からすれば叔母さん)に対して、

「あなたはどなたですか?」

と言うのです。

こんなような同じ例は今現在おびただしくこの世に存在しているはずです。

そして、今のままだと、こういう事例はどんどん増えていくしかないはずです(減る道理がないので)。
中途半端な健康知識や健康番組などのせいで、体の寿命だけは伸びていく。

私は最近は特に漠然と、「これはもう本当にダメなのではないだろうか」と感じることがあります。そして、これから老境に入っていく私たちのような五十代くらいの人間というのは、「本気で生き方の考え方を変えるべき世代なのではないか」というようには思うようになっていました。

いずれにしても、今の社会が漫然と進行していけば、あと・・・それこそ 30年もすれば、日本は何も機能していない実質的な廃墟となっている可能性さえ感じます。

えーと・・・何だか変な展開となりましたが、今回はその須原一秀さんの『自死という生き方』の中に、キューブラー・ロスという女性の話が長く書かれていまして、そこに何ともいえない感覚を覚えまして、「命」あるいは「死」というものを考える上で、ちょっと書いておきたいと思ったのです。

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聖女キューブラー・ロスが「神を呪った」とき

キューブラー・ロスという方は、終末医療の先駆者であり、40年間以上の中で、数千人の「最期」を看取ってきた人であり、また敬虔なキリスト教徒でもあり、私財を投じて死に向う患者のための施設を作ったりしていた、まさに聖女と呼ばれるにふさわしい人でした。

辞書的な説明は、Wikipedia から抜粋しますと、下のような女性です。


エリザベス・キューブラー・ロス(1926年 - 2004年)は、精神科医。その中で彼女は初めて今日、「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」を提唱している。まさに死の間際にある患者とのかかわりや悲哀の考察や悲哀の仕事についての先駆的な業績で知られる。



Kubler-Ross.jpg

▲ キューブラー・ロスさん。


また、 Wikipedia には、


彼女は死への過程のみならず、死後の世界に関心を向けるようになった。幽体離脱を体験し、霊的存在との交流したことなどを著書や講演で語った。



という記述もあり、彼女は「優秀な精神分析医」という冠だけではなく、敬虔なクリスチャンとしての「聖女」としても人々の尊敬を受けるようになっていきます。


人間の最期を真剣に見つめ続け、そして神の愛に生き、魂の再生を信じていた「間違いない聖女だった」彼女の最期はどのようなものだったのか

死の受容のプロセスの「受容」に行き着いたのか。

そのあたりのことが『自死という生き方』にかなり長く書かれています。

ちなみに、 Wikipedia の彼女の説明にあった「死の受容のプロセス」とは、彼女の最も有名な『死ぬ瞬間』という著作に書かれてあるもので、死の受容のプロセスとは、死に近づく患者たちの段階として、



否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。

取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
何かにすがろうという心理状態である。

抑うつ
なにもできなくなる段階である。

受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。




という段階で亡くなっていくとしたものです。

その理論を確立したキューブラー・ロスさんの最期について『自死という生き方』から抜粋します。


『自死という生き方』 8章 - キューブラー・ロス − キリスト教徒の苦悩 より


『死ぬ瞬間』などの著書で世界的に有名な精神科医、キューブラー・ロスは、ターミナルケア(終末医療)の先駆者として、四十数年にわたり数千人の人々の最期を看取ってきた。彼女は死に行く人を励まし、愛の言葉で力づけてきた功績で、聖女とも呼ばれていたのである。

しかしその彼女は、晩年脳梗塞に倒れ、豹変してしまうのである。その様子を伝えるビデオを見た(『最後のレッスン − キューブラー・ロス 死のまぎわの真実』 NHK制作)。

彼女自身あれだけ他人の最期に真剣に接してきたにもかかわらず、そして二十世紀にホスピスに関してあれだけの業績を達成したにもかかわらず、自らの「自然死」の受け入れに関しては、やはり難しいことを表す内容であった。

と言うのも、彼女は死んで天国に召されることをはっきりと望んでおり、その瞬間を楽しげに待ちわびる言動がはっきりと見られたが、しかしその「お迎え」があまりにも遅いことにいらだって、最後には神様を呪いだしてしまったのである。

インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を実践してきたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、「精神分析は時間と金の無駄であった」と、にべもない返答がかえってくる。




ということになってしまうのです。

彼女は 1995年に脳梗塞で倒れて、2004年に亡くなりますが、その下りは Wikipedia には、

1995年に脳梗塞に見舞われ左半身麻痺になった。2004年にアリゾナ州のスコットデールの自宅で亡くなった。


とだけ書かれているのですが、実際には、以上のように「神を呪う」という状態にまで陥り、そして、最後の頃には、


「もうこんな生活はたくさん。愛なんてもう、うんざりよ」
「神様はヒトラーだ」
「聖人? よしてよ、ヘドが出る」


などと言い出すようになるのです。

これは、すべて、その NHK のドキュメンタリーに収録されているのだそう。

それでも、1995年に脳梗塞で倒れてから2年後に彼女が書いた手記『人生は廻る輪のように 』には、まだ「神」も「愛」も「魂」も彼女の中にあったことがわかります。

部分部分抜粋します。


キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』より

学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業がゆるされる・・・・・究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある・・・・・
自然に死ぬまで生きなければならない・・・・・

どうかもっと多くの人に、もっと多くの愛を与えようとこころがけてほしい。それがわたしの願いだ。
永遠に生きるのは愛だけなのだから。




そして、それから数年後には前述した、

「愛なんてもう、うんざりよ」
「聖人? よしてよ、ヘドが出る」

という言葉が彼女の口から発せられるようになってしまうのです。

彼女は自分の最後に死の受容のプロセスの「受容」に行き着いたのか。
それはわからないです。

しかし、これは彼女に対して否定的な意味で書いているのでははなく、キューブラー・ロスという方があまりにも愛と信仰(神)に真摯であり続けたからだというようにも思います。

ただ、彼女が分析し続けた「臨終の理想」は、現実には「自分の死の場合」はその理論と噛み合わなかった、というだけで・・・。






真剣に「未来への何らかの存続」を考えてみたり

考えてみれば、毎日毎日、世界中で誰かが亡くなっています。
理由や原因はあまりにも様々です。

その中には生前、あるいは活動期に非常に立派だった方もいらっしゃるでしょうし、そうではない人もいるでしょうけれど、さきほど書いた、「高齢化に殺される日本という国」の問題なども含めて、たとえば、私は今、50代になりましたけど、こういう世代の人間は、これから先どのように考えていけばいいのか。

この『自死という生き方』を数日前から少しずつ読んでいて、私は自分がどのようにして生きていけばいいのかわからなくなってきています。

毎朝、やや「鬱」っぽい気分で目覚めることが多いです。
そして、朝起きて、すぐお酒を飲むこともあります。



皆さんは日本はどうなると思われますか?・・・このままの現状で時代が進むと。

あるいは、ご自身はどうなると思われますか?・・・今のままの価値観で進んでいくと。

そこにあるのはどんな未来・・・?

ただ、これらの問題は、本来は「地球最後のニュース」と銘打っている In Deep に多く書くのは適切なことではないと思いますので、今後は書くことはないと思います。

いずれにしても、今回は変な話となってしまいましたが、明日は「地球の磁場の反転が今すぐに起きてもおかしくない」とした欧州宇宙機関( ESA )の報告について書こうと思います。

先日の、

地球の磁場が弱くなっていることを欧州宇宙機関の地磁気観測衛星(SWARM)が確認
 2014年06月30日

と関係する話ですが、さらに「先の話」があったのです。
そのことについて書ければ書こうと思います。

何しろ、私には小さな子どもがいて、今は「自死」など考える余裕もないです。
考えたり書いたりすることが唯一の「擬似死体験」かもしれません。

ま・・・今は。

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2014年07月11日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





twins-top.gif

▲ 2014年7月10日の Mysterious Universe より。



昨日、上の記事で、インドのケララ州にあるコディンヒ村( Kodinhi )という場所のことを知りました。

簡単に言ってしまえば、「双子の出生率が考えられないほど多い村」として有名な場所なのだそうです。上の記事によると、以下のような特徴を持ちます。


・村の人口 2000人のうち、約200組(400人)が双子。

・この現象は60年くらい前から始まり、年々、双子の出生率は上昇している。

・この理由について長く研究が続けられているが、原因は完全に不明。

・遺伝学、生物分子学、気候要因からも原因はわからず。

・双子たちはすべて健康で、土地からは汚染物質の類は検出されていない。


というようなものです。

kodinhi-map.gif

▲ インド・ケララ州コディンヒ村の場所。


twins-02.jpg


このコディンヒ村は英語版の Wikipedia の項目に存在します。
その中の双子に関しての部分の中から抜粋します。


Kodinhi

コディンヒ村

このコディンヒ村が国際的に脚光を浴びたのは、村での異常なほど双子の出生率の多さが判明したことからだった。最初の調査では、 2000人の住民の中で、204組(408人)が双子だった。

地元の医師の中には、原因はコディンヒ村の水に含まれている化学物質だと述べる者もいるが、しかし、実際には多くの調査と研究にも関わらず、この現象の正確な原因は突き止められていない。

また、コディンヒ村出身の女性は、結婚して村から遠い場所に嫁いでいっても、その地で双子を産むことでも知られている。

他にも双子の出生率が多い場所はある。たとえば、ナイジェリアのイボ・オラ( Igbo-Ora )という町も双子の出生率が多いことで知られるが、ラゴス大学の研究により、イボ・オラの場合は、現地で広く食用とされている塊茎(イモ類)に含まれる化学物質が双子の出生率と関係していることが突き止められている。

しかし、コディンヒ村の場合、食生活はインドの他の地域との差はほぼなく、双子の出生率に関係するような原因物質や環境的な要素は見出されていない。




というようなものです。

この調査について、冒頭の記事からもう少し詳しく書きますと、


コディンヒ村を調査し続けている医学博士のクリシュナン・スリビジュ氏は、村人たちが食べたり飲んだりしているものの中からは原因となりうる物質は何も発見されなかったと語る。また、この村の食事そのものがケララ州の他の地域と何の差もないのだ。

博士は、今後、より詳細な生化学分析装置を用いて、コディンヒ村の研究を継続していくつもりだが、現在までの状況は「双子の出生率の多さは原因不明のままだ」と述べている。




group-shot.jpg

▲ コディンヒ村の双子のきょうだいたち。





双子は「偶然」の産物

ちなみに、一般的に双子というのはどのくらいの割合で生まれるものなのかということについては、双生児 - Wikipedia によりますと、

古来より人種に関わりなく、1000組に4組の割合で一卵性双生児が誕生する。


ということです。

ここから考えると、コディンヒ村の割合は相当なものです。

ところで、上の双子に関しての Wikipedia を読んでいた時に、「当たり前といえば、当たり前」のことではあるのかもしれないですが、何となくショックを受けた単語がありました。

そして、ここからが Wikipedia からの抜粋です。


一卵性双生児

受精卵の多胚化による一卵性双胎(多胎)妊娠は偶然の産物であり、一卵性双生児の出生は遺伝やホルモン分泌量などの外的要因に影響をほとんど受けない。




太字は Wikipedia でも太字となっています。
双子は「偶然の産物」のようです。

なぜ、「偶然」という言葉にショックを受けたかというと現在の科学では、「偶然」の言葉で片付けられることも多いんです。しかし、「偶然」という言葉を不用意に科学に浸透させてしまったために、困惑している科学者たちも多いように思います。

たとえば、今から4年以上前のクレアなひとときの「進化の仮説 - すべての細胞核が持つ元型」という記事では、お茶の水女子大理学部の太田次郎教授の1987年の著作『細胞工場―生命の神秘はここまで解けた』というものから抜粋させていただいていますが、この著作の中で、太田教授は、通常に語られる進化論(地球で偶然生命が生まれ、それが進化したとする説)を書いた後に、「ただ、ひとつ気になることは・・・」として、次のように書かれています。


太田次郎『細胞工場』より

偶然の試行錯誤の考え方をとるとすると、考えにくい点があります。

アミノ酸や塩基の配列のぜんぶの可能性を網羅しつくすためには、宇宙にある物質すべてをアミノ酸にしたり、核酸の塩基にしたりしても、不足してしまうのです。

いいかえれば、アミノ酸や塩基がでたらめにつくられ、それらの対応関係が偶然生じたと考えるのは、機械的に過ぎて、実際にはありえないと思われるのです。

原始地球の化学進化の途上で、何らかの必然的要素が働いたと考えるほうが、現在の生物についての知見からは考えやすい感じがします。

しかし、その必然の内容については、まだなにもわかっていません。この考え方をへたに進めれば、創造説と同じ道へ入っていってしまうおそれもあります。

このように、生命や細胞の起源を探るときに、素材の点からはじめても、わからないことだらけなのです。




ここで、

> この考え方をへたに進めれば、創造説と同じ道へ入っていってしまうおそれもあります。

という太田教授は書かれていますが、その意味は、曖昧にはされていますが、生物学を極めれば極めるほど、

「生命の誕生には、何らかの《意志》が働いたようにしか見えない」

というような考え方の方向にどうしても向いてしまうということは、よく見られます。

例えば、フレッド・ホイル博士は、最晩年の著作『生命(DNA)は宇宙を流れる』の本文のラストに以下のように書いています。

すでにパンスペルミア説を越えて、到達したホイル博士の思想は、科学と哲学のリンクを鮮明に感じさせてくれるものでした。


フレッド・ホイル著『生命( DNA )は宇宙を流れる』
第11章 コズミック・インテリジェンス より


興味深いことに、われわれが到達した結論、すなわち宇宙に知性があることをロジカルに要請することは、世界の主だった宗教の教義と整合性がある。

世界中のさまざまな文化の中で、「創造主」は独自のすがた形をとる。エホバ、ブラフマー、アラー、天の父、神……宗教の数だけ呼び名もある。

けれども、その根底に横たわる概念は、どれも一緒だ。それは、宇宙は −− 特に生命の世界は −− 創造もつかないほど強力な人間型の知性を持つ「存在」によって創造されたということだ。

地球に暮らしたことのある人間の圧倒的多数が、この概念を完全に、無条件に、本能的に受け入れていたことを忘れてはいけない。

生物にこんな意識を持たせるのは、遺伝子のはたらきである。ひょっとすると、その「存在」がわれわれの部品を創造することにあたって、自らの起源についての真実を本能的に悟るように、遺伝子に細工しておいたのかもしれない。




これが、ホイル博士の最晩年の頃に到達した概念だったようです。

上の記述にある「(生命は)人間型の知性を持つ存在によって創造された」という考え方はオカルトでしかないですが、しかし、このオカルト的発言の重みは、ホイル博士は、世界で最も天文物理学と宇宙生物学を研究し尽くした人物の一人であり、その人の最後の考えがこうだったというところに、似たような通常の発言とは違う「重み」があります。

何だか、最初のインドの双子の村の話からそれてきていますが、あまり考えずに、このまま進めます。





生命の誕生には謎が多い

少し前になりますが、下の英国インディペンデントの記事を知って以来、「人の単為生殖」(女性単独で妊娠すること)というものに興味を持ったことがあります。

virgin_birth-01.gif


上の記事をご紹介した記事は、

米国女性200人のうちの1人は「処女懐胎」しているという調査結果に思う「進むY染色体の終末時計」
 2013年12月19日

というものでした。

しかし、調べてみると、基本的には、人間を含む哺乳類は、「ゲノムインプリンティング」という、遺伝子発現の制御の方法を持ち、この難しいメカニズムの具体的なところはともかくと、このゲノムインプリンティングが存在する限りは単位生殖は不可能に近いことであるということがわかった程度でした。

つまり、

人間が「処女懐胎」するには機能的に進化する必要がある

ということで、これは逆の書き方をすると「進化すれば人間は処女懐胎できる」という意味でもあります。

その後に、ドイツ人女性のマリアンネ・ヴェックスさんという方が書いた『処女懐胎の秘密』という本を手にする機会があり、それを読んだ後に書かせていただきました記事、

光で語り合う自分の細胞と他人の細胞。そして、人間は「生きているだけで永遠を体現している」ことをはじめて知った日
 2013年12月23日

の中で、

「光による受精」

というセクションがあることを記しました。

ここには、アレクサンダー・グルヴィッチという研究者がおこなった実験の際に、


細胞から出ている光線は他者、つまり他人の細胞に細胞分裂をおこさせることができることがわかった。



というようなことなどが書かれてあり、

ひとりの細胞と他人の細胞や DNA との間には光線でのコミュニケーションが常に存在している可能性


というような意味にもとれることが示されています。

そして、その時、私は、


自分と他人の DNA の間に光でのコミュニケーションが存在しているというのなら、「シンクロニシティ」というものを含めて、人間同士のあらゆるハイパー・コミュニケーションは現実として常に存在しているかもしれない。



のようなことも感じたのですけれど、これらのことは、もしかすると「生命の誕生(妊娠)」ということに関しても何らかの関係を持つものなのかもしれないと・・・まあ、思ったり・・・あるいは、理性的に考えれば、やはり関係性を考えるのは無理っぽいと思ったり、考えはまとまりませんが。

それにしても、インドの村の話からなんでこんな話を始めたかというと、

・異常な双子の発生率

・単為生殖


はどちらも出生に関しての「あり得ないできごと」であるわけで、何となく関連性を感じてしまったりしている次第です。ちなみに、マリアンネ・ヴェックスの『処女懐胎の秘密』の前書きは以下のようなもので、「人間の存在とその誕生」というものに関しての、マリアンネさんの考えがわかります。


マリアンネ・ヴェックス著『処女懐胎の秘密』「はじめに」より

私は自分を、輪廻転生を繰り返している個人的存在、さらには集合的存在と認識しています。さらに、あらゆる生命と −− 過去・現在・未来のあらゆる生命と −− ひとつになった存在と認識しています。

宇宙のあらゆるエネルギーは存在するすべてのものの姿をとり、したがって、私という姿もとりながら自己実現しているという認識をもって、私は生きています。

つまり、決して自分を被害者とみなすこともなく、誰をも、何ものをも非難することなく、私の人生形成について、いかなる権威にもいかなる状況にも責任を転嫁しないということです。




ずっと上のほうにリンクしました、クレアなひとときの記事では、私は、今後、生命が進化するとした場合、それは、


・DNA の塩基配列の外部的刺激による変異

・地上のすべての受精卵への影響

・細胞核にある全生物を通して持つ物質による社会行動コントロール



というようなことになるのではないか、と書いていますが、それらが実現するかどうかは別としても、これらは最終的には「単為生殖」に向かう道であり、また、最初のインドの双子の村のように、妊娠に関しての出来事が「変化していく」ということのも関係することだと思います。

いろいろと節操のない展開になってしまいまして申し訳ありませんでした。

関係ないですが、最近、あるキッカケで知った『自死という生き方』という、哲学者の須原一秀さんが書かれた本を読んでいまして、「死」というものを考えている時でした。「死」を考えると、「生」のことも考えるわけですけれど、そういう中で、知ったインドの村の話であり、そして、そこから思い出した「単為生殖の未来」の概念なのでした。

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2014年07月09日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





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▲ 京都の鴨川沿いの「遊歩道」を歩いているところを発見されたオオサンショウウオ。2014年7月6日の Epoch Times より。




ただの古都ではない「京都」で起きていること

kyoto-map-1.gif


先日の記事で、アメリカの「トラベル+レジャー」という旅行専門誌が発表した 2014年の人気観光地ランキングで、京都が1位となったことにふれたことがあります。

travel-kyoto.gif
・7月3日の産経新聞より。


このことはいろいろなメディアなどでも取り上げられまして、下のように、「“ただの古都ではない”と評されるその理由とは?」という特集を組んでいるサイトもありました。

kyoto-reason-1.jpg
・7月5日のニュースフィアより。


その理由はいろいろとあるでしょうけれど、それにプラスして、現在の京都は別の意味で、「ただの古都ではない」のです。

上のアメリカの旅行誌で京都が「アメリカ人に1位に選ばれた頃」から、京都の一部の人々は下のような事態で困惑し始めているのでした。

下は、今朝の京都新聞です。

kyoto-bug-01.gif

▲ 2014年7月9日の京都新聞「小型ハエ、大発生に困惑 京都市」より。


このことに関しては、同じ京都新聞で1週間ほど前にも報じられていたのですが、今回の報道と合わせますと、以下の状態のようです。


・大量発生しているのはクロバネキノコバエ科という科のハエと思われる
・体長1〜2ミリで網戸もすり抜ける
・急に増えている理由は不明


というものなのですが、実は、私がこのことを知ったのは、報道からではなく、京都方面にお住まいのお知り合いの方に知らせていただいたからなのでした。つまり、「実際に被害に遭われている方」からの話をうかがったのです。

京都新聞のこちらの記事には、南丹市園部町の和菓子屋「くりや」の店主の話が載せられていまして、それは以下のようなものです。


特に午前9時ごろから急に姿を現すといい、「店内に入ってきて大変。ほうきで掃くと黒い塊になって気持ちが悪い。店では殺虫剤も使えないし、常に掃除するしかない」と嘆く。



と書かれてあり、多少その困惑や惨状もわかるのですが、私がお知り合いからいただいたメールに書かれてある内容のほうが臨場感がありまして、それをご紹介します。

京都の一部地域では以下のような状態だそうです。


・飲食店では出した食物に店内に侵入していた虫がくっついてしまう。

・コンビニも弁当などを販売しているので店内に虫が入り困惑している。

・あちこちの店舗の入り口に、工場や農作業で使う大きな扇風機が置いてあり、現時点ではその扇風機の強い風で虫を吹き飛ばすしか方法がない。(飲食店だと殺虫剤は使えないため)

・そのお知り合いの家でも玄関灯の下にいつも数百匹死んでいる。その虫の死骸を掃除用のコロコロテープで取り除いている。

・救急診療に行った病院でも、救急室に入り込んだ虫がカルテの上に落ちてきたのを見た。




などだそうです。

救急室などは、比較的密閉されている場所ですので、「どこから入ってくるのかわからない」と、看護士さんたちがぼやいているそうです。

京都市によると、「大量発生の理由はわからない」としていますが、一般的には、それまで大量発生していない虫などが大量発生する理由のひとつとして、

天敵が少なくなる

ということがあります。





天敵が消えた時

天敵がいなくなるとどうなるか」という中の最も顕著な例としては、中国初代国家主席・毛沢東の政権下の中国で 1958年からおこなわれた「大躍進政策」いう中での「あるひとつの試み」を思い出します。

大躍進政策というのは Wikipedia の説明をお借りすれば、


大躍進政策(1958年 - 1960年)は、中華人民共和国が施行した農業・工業の大増産政策である。毛沢東は数年間で経済的にアメリカ合衆国・イギリスを追い越すことを夢見て実施した。結果は推計2,000万人から5,000万人の餓死者を出す大失敗に終わり、毛沢東は国家主席の座を追われた。



というものです。

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▲ 大躍進政策を喧伝する当時のポスター。中国語版 Wikipedia より。


この大躍進政策の中に、1958年から始められた「四害駆除運動」というものがあります。四害、つまり「4つの害」とは、伝染病を媒介するハエ、蚊、ネズミ、そして、特に力を入れたのが、農作物を食い荒らすスズメの「根絶大作戦」でした。

その運動と、その結果を Wikipedia から抜粋します。


四害駆除運動

1958年2月から、四害(伝染病を媒介するハエ、カ、ネズミと、農作物を食い荒らすスズメ)の大量捕獲作戦が展開された。

特に、スズメを大量に駆除した(北京市だけでも300万人が動員され、3日間で40万羽のスズメを駆除した)。しかし、スズメの駆除は、かえってハエ、カ、イナゴ、ウンカなどの害虫の大量発生を招き、農業生産は大打撃を被った。

スズメは、農作物を食べると同時に害虫となる昆虫類も食べ、特に繁殖期には雛の餌として大量の昆虫を消費している。このような生態系のバランスを無視した結果だったのである。




このようなものも含めて、中国の「大躍進政策」は、伝統的な農法も科学的知識に基づく近代農法もまったく無視した政策が実行に移された結果、農業などに大きなダメージを与えることとなり、結果として、出現したのが「おびただしい餓死者」でした。

1958年から1960年まで続いた大躍進政策での餓死者の数は正確にはわかっていませんが、アメリカに本部を置く中国語専門テレビ局の新唐人電視台は 2010年 9月のニュースで、当時の報道や専門家たちの意見として、

「最低でも 4500万人が餓死した」

と結論付けています。

daiyakushin.gif

▲ 2010年9月9日の新唐人電視台より。このニュースは、日本語吹き替えで、 YouTube でも見られます。


何だか話が変な方向にそれましたが、今回の京都のハエが天敵がいなくなったことによるものかどうかはわからないのですけれど、感覚的には、トンボやカエルなどの数が明らかに少ないとお知り合いは言っていました。


あと、現在の虫の大量発生といえば、「カメムシ」があります。

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・7月5日のライブドアニュースより。


群馬、埼玉、三重などでは県が注意報を発令していますが、それ以外の場所でも、今年は多いようです。

まあ、上のライブドアニュースのタイトルの「エルニーニョで恐怖の大発生」というのは、ちょっと意味がよくわからない面もありますが、記事によりますと、ある夕刊紙記者の話として、


「カメムシが大量発生した年の冬は、大雪に見舞われると言われています。ここ数年はさまざまな異常気象が続いていますから、今年は日本中が大雪に埋もれるかもしれません」



と述べていたとようなことから、このタイトルがついたようです。

もう異常気象にも慣れてきた感じもありますが、まだまだ予測不能の出来事もありそうですしね。





全世界で一斉に報じられた「京都のオオサンショウウオ」

ところで、冒頭に載せました「オオサンショウウオ」の報道。

これは京都の鴨川沿いでの出来事にも関わらず、日本では、いわゆるニュースとしては、ほとんど報じられなかったのですが、海外では、これが、

「巨大オオサンショウウオが陸地に出現した!」

と、結構様々な国で報道されていたのでした。

オオサンショウウオという存在自体が珍しいのかもしれないですが、その大きさもすごかったようです。

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Twitter より。


このオオサンショウウオについては、J-Castニュースが、京都市役所の文化財保護課に問い合わせたところ、現在の鴨川の水質はかなりきれいで、エサも豊富なので、オオサンショウウオが棲みつく場合もあるということだそう。

鴨川に定住したオオサンショウウオが陸地を散歩でもしていたということのようです。


日月神示に「わけのわからん虫わいてくるぞ」という記述がありますけれど、先ほどの中国の「天敵」のエピソードのように、生態系の「一方が死に絶えると、一方では大量に発生するものが出てくる」という図式から考えると、天候の異変にしても、あるいは何らかの人為的な問題であったににしても、現在の状況はこの、

「わけのわからん虫わいてくるぞ」という状況がとても起こりやすい

とも思います。

天候や自然災害や、あるいはその他のことで、まだいろいろと混沌としたいろいろなことが日本でも起きると思いますけれど、まあ、淡々と、そして、(自分で思うところでの)健全に進んでいくしかないです。

今の世の中の状況に「対抗」したり、「立ち向かったり」、あるいは「必要以上に嫌悪したり恐怖したり」というような態度はあまり得策ではなない気がします。それよりも、シュタイナーの言葉の受け売りですが、「いっさいの外部の出来事に影響されない自分を作ること」が今の時代には重要なことなのかもしれません。

これは私自身でも難しいことで、毎日そのことをよく考えます。

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2014年06月22日



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▲ 2014年6月20日のロシアのプラウダより。


今回は、ロシアのプラウダに上のようにとても興味深い記事を見つけまして、それをご紹介したいと思います。

ところで、最近の、

ポールシフトに関する最近の緊迫(1) : 磁場の反転時には「地球から大量の酸素が消滅する」とする科学論文の発表。そして、日本で西之島が「新しいアトランティス」となる時
 2014年06月16日

という記事で、中国科学院の科学者たちを中心とした研究身グループが、磁場のポールシフト、つまり、地球の磁場が反転する時に、「酸素が地球から外へと流出していく」というシミュレーションの研究発表をしたことを書きました。

上の記事に翻訳がありますので、細かいところはそちらを読まれていただければ幸いですが、大ざっぱに書きますと、


・地磁気の逆転は、実質的に地球の大気の保護を弱める。

・地球の磁場が弱くなると、酸素イオンが太陽風により地球外に流出する。

・過去の大量絶滅時の大気レベルの低下の原因もこれで説明できる可能性がある。




という感じのことでした。

現実的な話として、現在はリアルタイムで、すでに磁場の大幅な移動が起きているわけで、それがさらに進行している可能性について、上の続きの記事でもある「ポールシフトに関する最近の緊迫(2)」に書きました。


過去約 420年間の磁場の移動距離(単位はキロメートル)の変化
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まあ、中国科学院の論文はひとつの推測として「そういうものもある」という認識でいいと思いますが、最近、知人の方に「日月神示にそのようなことが書いてある部分がある」ということを教えていただきました。

日月神示の五十黙示録 / 第07巻 / 五葉の巻にある「第十五帖」に下のように記されているそうです。


今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。



息ができなくなる時が来て、それで、人々は一度「仮死」のような状態になると。
そして、とにもかくにも、大地も天体も「変転」すると。

そのようなことが書かれてある下りでした。

何となく「なるほどねえ」と思いましたので、ご紹介しておきました。

ちなみに、上の日月神示の中に「今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ」とありますが、今回はそっち方面の話となります。





消えた「初期宇宙の重力波の証拠」

「宇宙のインフレーション理論」というものがあるそうで、インフレーションというのは、「膨張」という意味ですが、 Wikipedia の記述によりますと、


宇宙のインフレーションとは、初期の宇宙が指数関数的な急膨張を引き起こしたという、初期宇宙の進化モデルである。ビッグバン理論のいくつかの問題を一挙に解決するとされる。



とあります。

ここの、

> ビッグバン理論のいくつかの問題を一挙に解決する

とあるところに注目していただきたいのですが、ここを読むだけで、ビッグバン理論には「いくつかの問題」があるということが、まずわかります。

そして、その「いくつかの問題」に関しては、この宇宙のインフレーション理論を完全に証明させれば、ビッグバン理論にある多くの矛盾や問題が一気になくなる可能性があるということです。

逆にいうと、これらが証明されない限りは、あるいは「この理論が崩壊すれば」、ビッグバン理論そのものの存在が危ういということにもなりかねないようです。

今回ご紹介するプラウダの翻訳記事で報道の内容そのものは大体わかると思うのですが、「出来事の経緯」について少し補足として記しておきたいと思います。





米国の天体物理学者たちの「大発見」の真偽

今年3月に、アメリカのハーバード・スミソニアン天体物理学センターなどの研究グループが非常に大きな発見をし、それは世界中のメディアで報道されました。

下は日経サイエンスの当時の記事からのものです。


実は存在、ビッグバン以前 宇宙誕生の痕跡を初観測
日経サイエンス 2014.04.26

宇宙誕生直後に起こった現象として「ビッグバン」はよく知られている。このビッグバン以前に、極小だった宇宙全体が一瞬で急膨張する「インフレーション」現象が起きていたとする説が、宇宙誕生の謎を説明する理論として有力視されている。

米ハーバード・スミソニアン天体物理学センターなどの研究グループは3月、このインフレーションが起きていたことを示す証拠を発見したと発表、世界的な大ニュースとなった。そのインパクトは昨年のノーベル物理学賞の受賞テーマであるヒッグス粒子の発見を上回るともいわれる。




しかし、3ヶ月経った現在、この研究グループの科学者たちの大発見は、「間違っていた可能性」が極めて大きくなっていて、ロシアのプラウダは「意図的にも近い作り話」であるような、やや悪意のあるニュアンスで記しています。


それにしても、今回の問題だけではないですが、科学の世界で、なぜこういうようなこと、つまり、「間違い、あるいはものによっては、ねつ造だとすぐにわかってしまうような科学発表がなされるのか」ということに関しては、上の日経の記事にありますように、初期宇宙の重力波の発見という「偉業」がなされた場合、


「そのインパクトは昨年のノーベル物理学賞の受賞テーマであるヒッグス粒子の発見を上回る」


のだそうで、そして、プラウダの記事にあります、


「専門家たちは、重力波に関しての発見者は、ノーベル賞の重要な候補となるとされている」


というようなことを踏まえて考えるとわかりやすいかと思います。「名誉」、あるいは「野心」といったものと関係していることは想像に難くなく、さらに、過去記事の、

ビッグバン理論での宇宙の誕生より古い「 145億年前の星」が観測された報道を見た日に(2): 破局の回避という奇跡があるとすれば
 2013年03月09日

に、フレッド・ホイル博士が、『生命はどこからきたか』(1995年)という著作において、「科学者たちが歴史に残るような大きな業績を残したい」と考えることについての「意味」について書いています。

たとえば、ニュートンによる力学の飛躍的な進歩がその後の天体力学の発展や現代の量子力学を導いてきたように、ある科学者の偉大な発見により、その後の科学が大きく変わることがあるという事実を記した後に、みんなそのような科学者となりたいと願うのは当然であるとして、しかし、フレッド・ホイル博士は以下のように記しています。


これらの進展に貢献した科学者各人の称賛に値する業績は偉大であり、その名は永く刻まれるようになっている。科学者たちが大進展の主役になりたいと野心を持つのは当然である。ある者はその才能により成功し、ある者は幸運に恵まれ、さらにある者はけしからんことに作り話で成功を収めた。そのやり方は、何もないのに大進展があったかのように振る舞うのである。



この「けしからんことに作り話で成功を収めた」というのは、ここではビッグバン理論のことを言っているのですけれど、いずれにしても、

名誉

もっと具体的にいえば、

ノーベル賞を筆頭とした様々な賞

のために、世界中の科学者たちが奮闘していて、中にはほんの一部ではあろうとも、そのために「科学者としての本質を逸脱する人もないではない」というようなことを書いています。

さらに、最近では日本の何とか細胞などの話も含めて、科学の世界では「論文のねつ造」だとかコピペだとか、あるいは発見の偽り申告などが常に存在しますが、それは上に述べた名誉や「賞」や「名誉」だけではなく、さらに切実な問題が内在していることは、過去記事の、

「暗黒物質は存在しないかもしれない」 : 王立天文学会の総会で発表された科学界にとっては衝撃的な新学説
 2014年02月13日

の最後に「現代科学の何が問題なのか」というセクションに記したことがあります。

そこでは、英国のノンフィクション作家のピート・デイヴィスという人が、1918年のスペイン風邪について書いたノンフィクション『四千万人を殺したインフルエンザ』の中の以下の部分を抜粋しています。


科学者たち --- ことに、どんどん財源が縮小されつつある公的資金に頼っている人々 --- は、熾烈な競争の中で活動している。そこにはたらくシステムを一言でいえば、「発表するか、消えるか」である。研究助成金を獲得するためには、自分の勤勉さ、意欲、創意を示すことになる論文の数を増やしていかなければならない。



多くの科学者が科学者として生き残るためには研究助成金が必要で、そのために「より多くの論文を発表すること」(内容の探求よりも、論文の数が必要)が科学者の情熱の中心となっていることを問題だとしています。

名誉

資金

の争奪戦の中で科学の世界は進行していて、もちろん、その競争が良い方向に向くことも多いでしょうけれど、間違いも多々起きてしまいます。

ビッグバンのような過誤も。





初期宇宙に「すでに物理の法則が存在していた」理由

しかし、そのような科学の世界の問題はともかくとして、「宇宙のはじまり」という概念について、何よりも私たちが考えなければならないのは、次のことのように思います。

それは、最近の記事の、

「なぜ何かがあるのか」の考えに今日一日私を取り憑かせた悪感情の余韻から改めて知るアレニウスたち19世紀の「賢者」たちの高み
 2014年06月17日

の中に、初期宇宙のインフレーション理論を提唱した人物として知られるアメリカのアラン・グースという宇宙物理学者が記した『なぜビッグバンは起こったのか ― インフレーション理論が解明した宇宙の起源』という本に以下の文章があることを記したことがありますが、それ自体が「この世の最大の謎」だと思います。

それは、


宇宙の創造が量子過程で記述できれば、一つの深い謎が残る。何が物理法則を決定したのか。



という部分です。

上のほうに抜粋いたしました日経サイエンスには、宇宙のインフレーション理論というのは、


このビッグバン以前に、極小だった宇宙全体が一瞬で急膨張する「インフレーション」現象が起きていたとする説



という記述があります。

もう一度抜粋しますけれど、「ビッグバン以前に」です。

ということは、 ビッグバンというものがあったと仮定した場合、


・ ビッグバン以前に

・ 量子過程で記述できる物理法則が存在していた



ということになってしまう。

つまり、「まだ宇宙はなかったのに、現在に通用する物理法則が存在していた」ということになってしまうと解釈せざるを得なくなるのです。

これは多分、科学では解決しようのない謎というのか、「宇宙が生まれたという概念そのものを否定せざるを得ないような現実」があったことになります。

いずれにしても、余談が長くなりすぎました。
ここからプラウダの記事です。




Big Bang theory goes up in smoke
プラウダ 2014.06.20

煙と消えゆくビッグバン理論


picep2.jpg

▲ 南極点での宇宙観測の拠点BICEP2望遠鏡。


ビックバンによって宇宙に初期重力波が生成されたことを証明する証拠を持っていたと、かつて述べたアメリカの天文物理学者たちは、今以下のように述べている。

「私たちはそのような証拠の発見をしていない」。

もし、彼らがその理論の過ちを証明した場合、現在のビッグバン理論での重力波の出現の問題は無期限に延期されることになる。

そして、30年以上前にこの重力波についての論文でノーベル賞を受賞したロシア人科学者も、彼がその理論を確認することができない場合、ノーベル賞受賞に適格ではないように思える。

話は、今年3月に世界中のメディアで報道された「大発見」にさかのぼる。

それは、米国ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの専門家たちが、南極に設置された BICEP2 (宇宙観測望遠鏡)により「インフレーション(宇宙の急膨張)理論での初期重力波の証拠を発見した」ことを発表したのだ。

この出来事は、「ビッグバン理論とインフレーション理論の完全な証明である」として、世界中のメディアで報道され、多くの喝采と議論を巻き起こした。

しかし、最近、事態は新たな方向に動き出した。

重力波の証拠を発見した南極の望遠鏡 BICEP2 の観測基地の科学者たちが、彼らの研究結果を、科学誌『フィジカル・リサーチ・レターズ( Physical Research Letters )』に論文を発表した。この論文は「センセーション(大事件)」と呼ばれた、記事には、この研究の中に死角が存在することが指摘されている。

米国ミネソタ大学の教授であり、 BICEP2 の代表的な物理学者の一人であるクレム・プライケ( Clem Pryke )博士は、ロンドンでの講演の中で、「状況が変わったことを認識している」と述べた。

ビッグバン理論では、巨大な爆発が起きた後、急激な宇宙の膨張と、宇宙の連続的な急拡大が起きたとされている。この段階の存在の証拠は 2006年に発見された。

ロシア人科学者を含め、世界の多くの科学者たちが「巨大な重力波がこの段階に登場し、宇宙の膨張を可能とした」と説明する。この理論によると、重力波により、原子レベルの小さな変動は、銀河を形成した巨大な騒乱の種へと変化する。

アメリカの科学者たちは3月に、CMB (宇宙マイクロ波背景放射)地図上に、重力波の痕跡を発見したと発表した。

彼らが発見したと「されるもの」は、BICEP(Background Imaging of Cosmic Extragalactic Polarization / 銀河系外の偏光背景画像) という望遠鏡によって、なされた。この望遠鏡の目的は、「宇宙が生まれた時」の宇宙マイクロ波背景放射の偏光を測定することにある。

その数ヶ月後、この研究に対して調査をしていた研究家が、このアメリカの科学者たちが発見した「偏光の変化」は、むしろ、初期の重力波ではなく、他の原因によって観測される可能性があると述べた。

そして、プランク望遠鏡(宇宙背景放射を観測するための人工衛星に搭載されている高機能の望遠鏡)から受信されたデータが公表された後、このアメリカ人科学者たちの「発見」に対しての批判は大幅に増加した。

量子物理学の創始者であるマックス・プランクにちなんで名付けられたこのプランク望遠鏡は、放射線自体の温度に関する独自の情報を入手することができ、そのデータは非常に信用できるものとされている。

このプランク望遠鏡の最新データと BICEP2 のデータが異なっていたのだ。

欧州の科学者たちは 2014年中にプランク望遠鏡のさらなるデータを開示することを約束した。

いずれにせよ、3月にアメリカの科学者たちが、初期の重力波の存在の証拠を見つけたという報告は、実際には作り話といってもいいことだったのかもしれない。

以前から専門家たちは、このような重力波に関しての発見者は、ノーベル賞の重要な候補となることを示唆していた。

インフレーション理論は、 1979年にソビエト時代の若き科学者アレクセイ・スタロビンスキ( Alexei Starobinsky )によって表明された。そして、1981年にアメリカのアラン・グース(Alan Guth)が「インフレーション理論」という用語としてこの理論を提唱した。





(訳者注)ここまですが、記事の中にちょっと皮肉に思えた部分がありました。

上のほうでご紹介しました、「宇宙のインフレーション- Wikipedia 」のページの最後の1行は下のような文章で終わっています。


今後は、プランク衛星や南極点衛星などによって、更なる精密探査が行われる事によって、この未解決の問題についての一定の見解が得られるのではないか?と期待がもたれている。



皮肉にも、冒頭に貼ったプラウダの記事は、ここに出てくる、

・プランク衛星
・南極点衛星 BICEP2


の、それぞれのデータの矛盾によって、アメリカの科学者たちによって発表された、「大きな発見」が間違い(ブラウダの書き方では「ホラ話 ( hoax ) 」)だった、ということが明らかになってしまったことが書かれています。

皮肉は皮肉ですが、しかし、これにより「現実」があぶり出されたわけで、これらのふたつの存在は重要なものだったのかもしれなかったとも思います。

それにしても、どうやらビッグバン理論の崩壊(最初は「修正」)の時期はもうすぐのようです。

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2014年06月13日



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sun-perfect.jpg

▲ 2012年8月18日の記事より。


まだ、 Seesaa ブログのメンテナンスは続いておりまして、昨日は投稿ができない状態でした。しかし、表示の速度は改善されたようです。

今回は全体として余談めいたものとなっていますが、投稿できない2日間に内容が付け加えられていって、なんだか「秩序なく肥大した雑談記事」となってしまった感じがありますが、ご容赦下さい。




最近思う「健全に生きる」という意味

最近は以前にもまして、「人間の健康」ということについて、よく考えます。

健康というより、「健全」という意味かもしれません。

今年は、自分のことや、あるいは人の付き添いのようなもので行ったものもを含めまして何度か病院に行くことがあり、その度にその治療の方法や考え方に・・・まあ、疑問や批判的な考え、といったことではないのですけれど、「強烈な違和感」を感じ始めるようになりました。

それと共に、何科を問わず、そこで見る何時間も心療を待ち続ける「膨大な数のご老人たち」のお姿。いろいろな科がありますし、「高齢者」という年齢の区切りは難しいですけれど、眼科や整形外科などでは「ほぼ9割が高齢者」という例は私の住むあたりの地域では珍しくありません。

病院そのものの数はとても多いにも関わらずです。

ちなみに、私自身は現代の西洋医学を否定するつもりはまったくありませんが、現代の日本の社会と日本人が「人間としての体の健全を失いつつある集団」と化しているのではないかと感じることはあります。

このまま何の線引きもせずに「来る者は拒まず」の場あたり的な医療がずっと続いていくのなら、今後の高齢化の状況を考えると、早晩、医療そのものが崩壊、あるいは実質的に機能しなくなるとしても不思議ではないと、つくづく感じます。

今回の記事は単なる個人的な「健康余談」で、内容そのものは軽いものですけれど、無理なく「健全」を獲得するにはどうすればいいのかなあとか、そもそも、「人間の体と心の健全とは何なのか」というようなことは最近よく考えます。





磁気ネックレス

最近、朝起きた時など気持ち良く感じることも多いんですが、メンタルのほうの話は別として、「肩こりがあまりなくなった」というのがあるんです。自分は肩こりはない方だったのですが、よる年波というものなのか、冬頃から肩こりと頭痛の自覚が激しくなっていった時期がありました。

その頃、ふと、かつて、記事で何度かご紹介させていただいている京都大学の名誉教授だった前田坦(ひろし)さんが書かれた著作『生物は磁気を感じるか ― 磁気生物学への招待』の中に、「磁気バンド」の効果がはじめて見出された「実験」の時の状況が書かれてあることを思い出したのでした。

それは 1950年代後半(昭和 20年代後半)と、わりと昔のことです。

抜粋いたします。


『生物は磁気を感じるか』 4章「生物の機能は磁場で変わる」より抜粋


局所的な強い磁場が病人に及ぼす影響は、1950年代の終わり頃からわが国において熱心に研究されている。

1958年に、いすゞ病院の中川恭一博士らのグループは、数百ガウスの磁石(フェライト)六個をNS極が交互になるように配列した「磁気バンド」を作り、患者の上肢または下肢に常時つけさせて、種々の病気に対する効果を調べているうちに、肩こり症状がこのような磁気バンド着用によって軽快する傾向を見出した。

この場合、効果の有無は患者の自覚症状に頼るしかなく、心理的な暗示の影響もかなり大きいので、磁気バンドと同じ形をした磁気のないダミーバンド(にせのバンド)をつけた患者との比較によって、効果の有意性を認めている。その後も感心のある人々によって実験が繰り返され、肩こりの場合には、患者の数十パーセントが 7〜10日で効果を認めているようである。




とのことで、具体的な数値として、久留米大学の木村登さんという教授のグループの調査では、


・1809人を調査。1163人に磁気バンドを使用。646人にダミー(にせ)バンドを使用

・磁気バンドを着用した 1163人中、肩こりに有効だった人の数は 476人(約 41パーセント)

・ダミーバンド着用した 646人中、肩こりに有効だった人の数は 41人(約 6パーセント)


となったそうで、その有用性がかなり確かめれたようです。

そして、その後、1973年に、心理的な効果を除いても、「磁気バンドは肩こりに有効」と、正式に結論づけられたとのこと。

というわけで、私なんかは、これを読むまでは、磁気ネックレスだとか、ああいうものは、なんだか「いかがわしい系」の商品だと思いこんでいたのですが、50パーセント以下の人への効果とはいえ、肩こりに有効だという 1950年代の実験のことを思い出したのです。

とはいえ、『生物は磁気を感じるか』の中では、前田博士は続けて、ご自身の体験として次のように書かれています。


私もよく肩こりがおこるので、実験的に試してみたが、五ヵ月ほど着用しても効果が現れなかった。磁気バンドの効かない人は、いくら続けても効果はなさそうである。



とあり、効くかどうかは試してみないとわからないようなんですが、いずれにしても、この記述を思い出しまして、2ヶ月くらい前だったか、ネットで磁気ネックレスを購入してみたのです。

高価なものから安いものまでいろいろとありますけれど、つまりは、磁気バンドや磁気ネックレスとしての機能があればいいわけで、それだと安いものですと数百円からあります。

それで磁気ネックレスをひとつ買ってみましたら・・・どうもラッキーなことに、私は効果があるタイプだったようで、それ以来、肩こりを感じないのでした。以前は頭痛まで感じるような肩こりになることもあったのですが、着用して、わりとすぐ消えました。

1950年代の実験では、ネックレスではなく、「磁気バンド」とありまして、つまり、腕につけての実験でしたので、バンド(ブレスレット)でもネックレスでも同じようです。本には、1958年に、いすゞ病院の中川恭一博士が作成した磁気バンドの実物の写真も出ていまして、下のようなものだったそう。

mag-band.jpg

▲ 中川博士が作成した磁気バンド。時計のバンドに6つの磁石をつけたような感じの作りです。


私が購入したものは、全体がヘタマイトだとかいう磁石で作られていて、その間にパワーストーンみたいなものが入れられているものですが、全体が磁石なので、「腕にも巻ける」ということに気づきまして、次は「一気に3個買う」という大人買い(苦笑)を決行してしまいました。

それ以来、毎日、寝る時もずっとつけています。

まあ、肩こりのある人にはオススメしたいです・・・とはやはり言えない部分はあります。というのも、先の実験の通り、有効性がある人が約 40パーセントだという(有効な人のほうが少ない)ことで、上の前田博士のように、「五ヵ月ほど着用しても効果が現れなかった」というようなケースもありますので、オススメはしないですけれど、私のように効果のある場合もあるということでした。

磁気ネックレスはネットで探すと、いくらでもありますが、高いものを購入して効果がないともったいないですので、まず安いものでお試しになられるといいと思います。それで効くタイプだとわかったのなら、お洒落とか高価なものとかを購入されるのでもいいでしょうし。

ちなみに、私が大人買いしたのは、楽天のこちらのヘタマイト・ネックレスで、3本買うと1本あたり800円くらいでした。

下のような感じのものです。

mag-band-02.jpg


しかし、1950年代の実験などでも、結果として「磁気バンド」が、体のこりに有効であることはわかっても、その原理はわからないままで、現在にいたるまでも、それはよくわかっていないことだと思われます。

そこに、最近得た「人間のカラダは粒子」というひとつの考え方が関係してきたりするのでした。





人間のカラダは粒子の集合としての自然からの力の影響を常に受けている

最近、『三軸修正法 ― 自然法則が身体を変える』という本を読んでいたのですが、これが実に開眼させられるものがありました。

というのも、この本は「書かれてあることをちょっとやってみる」だけで、

「え?」

と「自分の体に対しての認識が瞬間的に変わる」ことが多いものだからなのでした。

たとえば、痛みのある場所が瞬間的に修正されたりするのが自分でわかるんです。
それも「ほとんど何もしていないのに」。

著者の方は、

私たちのカラダは小さな粒子の集合体であり、周囲の微粒子と相互に影響し合っている

というようなことを書いていますが、この「微粒子」というのは、原子とか素粒子とか、そういう現代物理で定義しているものを想定しているのではなく、昔の科学での言い方の「エーテル」とでもいう概念が近いように思います(そんなことが三軸修正法の本に書かれてあるわけではないです)。

そして、この本にいくつか載っていることをおこなってみると、「自分のカラダは、常に自分の周囲にあるエーテルを露骨に感じとっている」ことがわかるのです。

『三軸修正法』に関しては、ブログの Walk in the Spirits さんの記事にもよく出てきますが、たとえば、「体は粒子、鉛直ラインに反応する」という記事など読むと、「そんな馬鹿な」と思うかもしれないですが、どういうことかというと、からだにふれるでもなく、動くでもなく、

糸に重りをつけて鉛直にぶら下げる

あるいは、持って、

その近くにいるだけ

で、体の不調や痛みが、少なくともその時には「消えたりする」のです(決して治っているわけではないと思います)。

omoshi.gif


あるいは、


「カラダの近くでモノ(どんな物でもいい)が動くと、それにつれてカラダに規則的な変化(柔軟性など)が起きる」


というようなことも書かれているのですが、これも実験してすぐわかりました。

私は腰の1箇所に痛みがあるのですが、その近くで、「何でもいい」ので動かすだけで、瞬間的に痛みが引くことにも気づきました(永続的には消えない)。動かすものは何でもいいのです、そのへんにあるものを適当に掴んで動かすだけでいい。

ちなみに、腰の痛みはついに今日ほぼ完全に消えました。1日 10秒くらいの動作をおこなっていただけで。

それにしても、これらの現象を体感していることは事実であっても、


「なぜ?」


と思います。それに関して、著者の池上六朗さんは「あとがき」で、「なぜそうなるのかという質問が多く寄せられますが」として、次のように書かれています。


この質問に答えるのは、私にとって、いちばん厄介なコトなのです。

なんとかお茶を濁すことはできても、本当のところは、今の私には答えるコトはできません。今のところ、いままでにこの本で記したようなコトを、誰も研究した形跡は見当たりませんから、なぜ、カラダの近くでモノが動くと、それにつれてカラダに規則的な変化がもたらされるのか? という問いに対しては、後の研究者の研究結果に期待するしか仕方ありません。




と記してらっしゃいます。

ただ、科学的な意味ではなく、本文中で著者の池上さんが、「人間のカラダとはこのようなものではないか」と「仮説」として規定しているくだりが本文中に何度も出てきます。

ちなみに、それは、16世紀にジョルダーノ・ブルーノが『無限、宇宙および諸世界について』という著作の中で描いていた「人間」と「宇宙」の構図と、非常によく似たものであることに気づき、そこにも非常に興味があります。

『三軸修正法』から抜粋してみます。


・カラダは、小さな粒子がたくさん集まってできている。

・その粒子は、生物であるという秩序を保ちながらも、物理的な拘束も受けていて、その法則にも敏感に従うモノである。

・その粒子は、あるときは単体で、あるときは房や群れになって機能し、カラダの内外からの微弱な作用に対し、まず、物理的に順応して、その刺激を生理的な反応から緩和して、生理的な適応の先駆けとなる。




ここから、まだまだ延々と「人間のカラダとその反応」についての池上さんなりの「規定」の記述は続くのですが、要するに、私の解釈は違うかもしれないですが、

骨とか筋肉とか内臓とかの働きは、その働きとして持ちつつ

そのいっぽうで、

粒子の集合体としてのカラダは、重力などをはじめとした、すべての「力」に対して、粒子の集合としての物理的な影響を受け続けている

というようなことなのではないかと思います。

body-particles.jpg

▲ 関係のないですが、イメージとしてなんとなく適合する「人間の動きを粒子として抽出」した映像。adafruit Your body becomes a swarm of colorful particles より。





いろいろな「奇跡の連続」を知り続けたこの数年

粒子という言葉が出てきましたが、その「粒子」たちの中で最小に近いもののひとつは原子ということになるようで、子ども向けの科学サイト「原子とは?」というページには、


この宇宙にあるすべてのものは、原子という小さな粒からできています。全部で100種類ほどの原子がさまざまに組み合わされて、この宇宙のすべての物質がつくられています。



と書かれてあります。

この原子の中に、さらに小さな電子とか原子核とかがあるわけですが、そんな小さな「電子」のことで忘れられない過去記事として、

電子は「宇宙に存在するものの中でもっとも丸い存在」だった
 2011年05月27日

というものがあります。

2011年 5月に、英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンの研究者たちが、「 10年」にわたり、電子の形について、これまででもっとも正確な計測を施したことについての報道で、その結果、電子の球形に関して、


その粒子が 0.000000000000000000000000001センチメートル未満の、ほぼ完全な丸であることが確認された。



というものです。

これは、


> 電子を「太陽のサイズ」にまで拡大したとしても、その円形の誤差の範囲は髪の毛一本の中に収まる程度


という、電子は完ぺきな球形を持つ小さな粒子だったのです。

このことを知った時、「これが奇跡でなくて、何が奇跡か」と思ったものですが、その理由は、


「太陽もほぼ完ぺきな円形」


だからです。

これはトップに貼った記事、

私たちの太陽が宇宙の中で最も完全な球体であったことが判明してショックを受ける科学者たち
 2012年8月18日

に記したことがあります。

自分たちの周囲の最も大きなもの(太陽)と、最も小さなもののひとつ(電子)が共に「共に他にはあり得ないほどの完全な球体だった」というのを「偶然」と言える勇気は私にはなく、やはり、これは奇跡だと思います。

しかし、その後、たとえば、

2004年の金星に現れたアークは再び現れるのか。そして、私たちは太陽系システムの奇跡にそろそろ気づかなければならない
 2012年06月05日

というような記事の「日食という現象そのものが奇跡」であることに気づいたり、他にも、私たちは「常に日常的な奇跡に囲まれている」ことに気づいたりしていきました。

そして、そういう奇跡の多くを知っていく中で、

人間の健康や健全にも「奇跡が内在している」のではないのだろうか

という考え方が最近あります。


現在の西洋医学は、「解剖学的な見地」と「物質(クスリなど)で人間の体をコントロールする」ことが基本ですので、「人間そのもののにあるかもしれない奇跡」を排除してきたという歴史があります。しかし、三軸修正法の本などを読み、実際に自分の体でいろいろと試せることを確認すると、「地球の力と、宇宙の力と、粒子としての自分が影響し合っていることが否定しづらくなる」ことは事実です。


なお、くどいようですが、私は西洋医学をまったく否定しません。

「それ(西洋医学的見地)が優位にありすぎる」ということが問題のように思うだけです。

・人間自体の持つ奇跡(あるいは自己治癒力)
・西洋(東洋)医学


を適度に組み合わせれば、もっとよい治療環境ができるのではないかなと思うだけです。

いずれにしましても、ここに来て、「人間の健全、あるいは人間の命とは何か」ということの「掴み」のようなものが、このあたりからわかるのかもしれないというような感じもしないでもないです。





これらの考え方からのメンタルヘルスの治療的考察

そして、何よりも個人的には重大だったのが、最近確認しながら、独創的にいくつかのことをおこなっていて、ほぼ間違いないと考えているのですが、この『三軸修正法』にある「人間のカラダの規定」(人間のカラダは粒子の集まりであり、地球や宇宙の物理的法則に影響を受ける)を考えてみると、

神経や精神の問題にも適用できるはず

ということでした。

もちろん、そんなことは『三軸修正法』にはまったく書かれていませんが、過去にエーテルと言われていたような「微細な粒子から人間と、そして宇宙全体が構成されている」という考え方は、必ずメンタルヘルスに効果的に作用させる方法となりうるはずです。

もちろん、全部ではないでしょうけれど、精神や神経の病気の中でも、「神経などの中の器質的な、あるいは構造的な病変」がわかっているものには有効に違いないと私は思っています。たとえば、パニック障害などを含めた神経症の一種などには、かなりの効果がある可能性を感じます。

まあ、今、自分でいろいろと実験しているのですけど。

何かありましたら、書いてみたいとも思いますが、ただし、これらは結局は「それぞれの各自が自分なりの方法を創造していくもの」ではあります。そもそも、実は『三軸修正法』という本には、具体的な実践方法はあまり書かれていないわけで、著者の池上さん自身が、この本の中で「これらを、あなたの三軸修正法を創造するためのご参考にして下さい」と書いているくらいです。

そして、

「他人が他人を治すことはできない」

とも書かれています。

私も、「自分に対して奇跡をおこせるのは基本的には自分」だと考えます。

ただ、突然、西洋医学やクスリを全否定するとか、そういう方向は危険だと思います。どんなことでも、まずは「調和」とか、そのようなキーワードが当てはまるような、無理のない過程の中で考えを変更させていくことがよいはずです。

それでも、うまくいけば、この世の中の「病気」あるいは「いくつかの神経症などのメンタル系の疾患」は消滅させられる可能性があるかもしれないと、かなり真剣に考えるようになっています。

そして、それでも、肉体は最終的には滅びるわけで、そのこそを「悟る」ことが何よりも重要なことだとも思います。

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