2013年12月10日



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私たちは考え方を変化させることと「潜在意識を知覚する」ことにより今より何百万倍もパワフルな生命存在になることができるかもしれない



昨日の、

瞑想と思考が「 DNA と細胞の構造そのものを変化させている」ことが初めて明らかになった …… という報道を訳しきれずに時間切れとなり
 2013年12月09日

の続きです。瞑想による遺伝子の変化が身体へ具体的な影響を与えたことが実証されたということについての記事です。

それにしても、世界情勢というのも「軽いカオス」の渦中にありますねえ。昨日の朝、 Yahoo ! ニュースの国際のトピックスを見ると、下のようになっていて、何となく「混沌としてるなあ」と思った次第でした。

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これはこれで今後のなりゆきに興味はありますので、少しふれてから本題に入りますね。






 




カオスな初冬

いつのまにか、ウクライナもいろいろ大変なことになっているようですが、そのレーニン像を破壊している様子は下の写真です。

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▲ 米国 NBC より。


ところが、先日の、

黙示録モードは継続 : ヨーロッパでは数十年来の暴風雨。アメリカも数十年来の寒波とクジラの大量死
 2013年12月08日

でもふれました欧州の寒波は、ウクライナにも影響を与えていまして、そのデモは下のように雪と寒波の中での非常に厳しい気象条件の中での行動となっているようです。

ukrane-2.gif

Gulf Times より。


上の記事は「数千人がキエフの独立広場で、暴風と豪雪が渦巻く中で立ち向かっている」というような記述で始まります。


そして、タイの混乱はずっと気になっていて、「やっぱり国王が直接国民に呼びかけないと収まらないかなあ」と思っていましたところ、 12月5日には、プミポン国王が国民に安定化を呼びかけました。

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▲ 英国テレグラフより。


下が、タイの首都バンコクの街頭に設置された大画面から語りかける国王。

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CP24 より。


ところが、国王の呼びかけの後もデモは収まらなかったのです。

昔のタイなら、国王が直接語りかけることで、何らかの進展はあったものですが、もはやそれが効かなくなっているような気配を感じます。

この12月5日はタイの国王の誕生日の頃でもあるのですが、 20年くらい前、国王誕生日の少し前の時期のタイに行ったことがあります。そのときのバンコクの街並みはそれはそれはスゴイものでした。あらゆる場所がイルミネーションで飾られて、文字通り「街自体が光輝いている」ということになっていたのです。

今年のバンコクも、あの時のようにイルミネーションは飾りつけられてはいるのでしょうけれど、そのイルミネーションの光が照らし出すのは国王の肖像よりはむしろ、デモと戦闘の様子となっているようです。



そして、南半球にあるオーストラリアは現在、本来は「夏」なのですが、大雪が降ったりしています。

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▲ 地球の記録より。




いろいろと混沌としている世界ですが、地球が変わっていくのなら、人間のほうも変わっていかなければならないということも感じます。

そういう意味では、今回ご紹介する記事にも多少の意味はあるのかもしれません。
というわけで、今回の本題に入ります。






瞑想とマインドフルネス

ところで、今回ご紹介する記事はよく読んでみると、前半だけが研究の実際の内容で、途中からは、「そこから肥大した話」となっていっています。

たとえば、途中から唐突にリプトン博士という人が出てきたりしますが、この人は今回の研究チームの人ではないと思うのですが、リプトン博士の話が1番長かったりするというようなこともあり、ややこちらも混沌とした内容の記事だったのですが、しかし、ややスピリチュアル的ではありますけれど、リプトン博士も悪いことを言っているというような感じではないです。


なお、記事の中には、「マインドフルネス」( mindfulness )という言葉が何度も出てきます。これは、辞書では、

「あなたの責任を意識している特質」

となっているのですが、これではあまりよくわからなくて、別の点から見ますと、下のようなところに行き着きました。サティ - Wikipedia の冒頭です。

mindfulness.gif

このページには以下のように書かれてあります。


サティは、仏教の瞑想の実践における重要な概念のひとつ。対象に価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、仏教における瞑想の主要な技術の一つである。

現在では通常、気づきと訳される。

英語では「気をつける」「注意する」という意味の"mindful"から派生した"mindfulness"が訳語に当てられている。


そして、この「マインドフルネス」という言葉は、今では日本語としても存在しているようなのですが、どうもその周辺は何となく魑魅魍魎の世界で、そのあたりには深入りしないようにしつつ、ここでは、原文の mindfulness には特別な訳を当てはめるのではなく、そのまま「マインドフルネス」と表記しました。

ただ、 Amazon で、たとえば、仏教カテゴリーにある20年以上前に米国で書かれたという「マインドフルネス」という本の書評を見たりしますと、非常にいい評価となったりしていて、その書評の中には「パニック障害だったのですが・・・(知ってよかった)」みたいな記述もありまして、個人的にやや興味を持っているような面もあります。

ただ、私は、学校教育時代に精神的にドロップアウトし続けて以来、他人(それがブッダやイエスやジャイナ教のマハーヴィーラなどの偉大な始祖であっても)が「こうしなさい」と言ったことを実践するのはどうも好きではないので、自分で何か見つけたいと思っています。

ダメならそれまで。


それでは、ここから本記事です。




Researchers Finally Show How Mindfulness and Your Thoughts Can Induce Specific Molecular Changes To Your Genes
Waking Times 2013.12.05


研究者たちは、ついにマインドフルネスと思考により本人の遺伝子に特異的な分子変化を誘導する方法を示した


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精神のトレーニングや、あるいは意識の特定のモードを誘導することにより、有益な健康効果をもたらす可能性についての証拠が増え続けている中、科学者たちは、これらの精神のトレーニングや意識が身体にどのような物理的な影響を及ぼしているのかを理解しようとし続けている。

ウィスコンシン大学、そして、スペインとフランスの研究者たちによる新しい研究は、集中的なマインドフルネスの実践の後に体内で起きる特定の分子変化について、初めてその証拠を報告した。

研究では、集中的なマインドフルネスの実践をした瞑想の経験が豊富な被験者たちのグループと、瞑想的な訓練を受けていない被験者のグループを比較することでおこなわれた。

そして、マインドフルネスの実践の8時間後、瞑想者グループは、炎症誘発性遺伝子のレベルの低下を含めて、遺伝子調節機構のレベルの変化と遺伝子と分子の変化を示した。これらは、ストレスの多い状況からの早い物理的な回復と関係する。

ウィスコンシン大学の心理学と精神医学が専門であるウィリアム・デヴィッドソン( Richard J. Davidson )教授は「私たちの知る限り、今回の論文はマインドフルネス瞑想の実践と被験者内の遺伝子発現の急速な変化の関係を示した最初の研究論文です」と述べる。


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▲ ウィスコンシン大学のウィリアム・デヴィッドソン教授。アメリカの「心の健康調査センター」(Center for Investigating Healthy Minds)の創設者でもある。


また、スペインにあるバルセロナ・バイオメディカル研究所( Institute of Biomedical Research of Barcelona )のペルマ・カリマン( Perla Kaliman )氏は以下のように言う。

「この研究で最も興味深いことには、この遺伝子の変化が、現在使われている抗炎症性剤および鎮痛薬での作用対象となっている遺伝子において観察されたということです」


(訳者注)上の部分は、痛み止めなどの鎮痛消炎剤が遺伝子に作用する場合と同じ変化が瞑想の後の遺伝子に現れたということだと思います。平たく書くと、「瞑想と鎮痛剤が同じような効果を示した」ということのようです。



今回の研究は、学術誌『サイコニューロンドクリノロジー』( Journal Psychoneuroendocrinology / 精神神経内分泌)に掲載された。

マインドフルネスを基礎とした実践方法については、前臨床試験において、炎症性障害に有益な効果を示しており、炎症性障害の予防的介入としてアメリカ心臓協会( American Heart Association )が推奨している。

今回の新しい研究は、治療効果の可能性についての生物学的なメカニズムを提供することにもなる。


遺伝子の活性は知覚に応じて変更され得る

ブルース・リプトン( Bruce Lipton )博士によると、遺伝子の活性は、日常的に変化している可能性があるという。

これは、あなたの心の中の認識があなたの身体の化学的性質に反映されるということでもあり、あなたの神経系が、あなたの知覚を読み取って解釈し、細胞や血液の化学的性質を制御しているとした場合、あなたは文字通り、「自分の考えを変えることによって」あなた自身の細胞の運命を変えることができるはずだ。

実際、リプトン博士の研究は、人が認識を変更することで、その人の遺伝子の活性には変化が生じることを示している。そして、各遺伝子からは3万以上のバリエーションの遺伝子を作り出すことができることも示した。

リプトン博士は、遺伝子プログラムは細胞の核内に含まれていると述べており、遺伝子活性の変化が、その人の遺伝的プログラムを書き換えることができると考えている。

これは、ひどく単純なたとえとして書けば、あなたが病気を癒したいのであれば、あなたは考え方を変える必要があるということを意味する。


マインドフルネスの実践は具体的に身体の調節経路に影響する

デビッドソン教授の研究の結果は、炎症に関与する遺伝子の動きを低下させる機能調節を示した。

影響を受ける遺伝子には、炎症の痛みや熱の原因となる物質を作る炎症誘発性遺伝子 RIPK2 および COX2 ならびにいくつかのヒストンデアセチラーゼ( HDAC)遺伝子が挙げられる。しかも、その調節が発生する時間も早い。

また、今回の論文からは、マインドフルネスの実践がゲノムのエピジェネティックな変化につながる可能性があるという原理の証明を提供している。瞑想したグループでは、非瞑想グループでは見られなかった遺伝的変化を示している。


(訳者注)エピジェネティクスとは、こちらによると、「DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステムおよびその学術分野のこと」だそうです。



潜在意識の信念が鍵となる

非常に多くのいわゆる「ポジティブ・シンキング」の支持者たちは長い間、「良いことを考える」ことが良いという確約を持ってきたが、必ずしも、それがいつでも良い気分を生み出すわけではないことも、また彼らは知っている。

リプトン博士は、ポジティブ・シンキングのこの点に関しての議論はしない。

なぜなら、ポジティブな考えは、意識的な精神(顕在意識)から来るものだからだ。

博士はこのように言う。

「多くの人々は、意識的な信念や意識的行動を認識はしていますが、しかし、潜在的な信念や、潜在的な行動に気づいていません。しかし、潜在的な信念や行動は、意識されているものより何百万倍もパワフルなものであるかもしれないのです、私たちはふだんの生活の中で、自分たちの持つ意識や能力のうちの 90パーセント以上を使っていないのかもしれません」。








  

2013年12月09日



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Waking Times より。






 


「不滅ではない肉体」と「不滅の DNA」で作られている私たち人間

米国のウィスコンシン大学の科学者、そして、スペイン、フランスの国際研究者チームによって、タイトルにありますように、

「瞑想(あるいは思考)が遺伝子と、そして細胞の構造そのものを変えていく」

というメカニズムが明らかになったようです。

いろいろな意味で大きなニュースだとは思うのですが、まあ・・・(苦笑)・・・タイトルにありますように、時間が足りなかったのですね。

長い記事であることもあるのですが、専門用語と、あと訳した記事が、ややスピリチュアル系の息のかかったものらしく、「マインド・フルネス」などという、聞いたこともない単語が出てきたりと、いろいろと調べているうちに時間切れとなってしまいました。

途中までの状態でアップするのも抵抗がありますので、明日、調べたものなどと共に翻訳をアップしたいと思います。


この報道が、もしかすると、大きな意味を持つかもしれないというのは、たとえば、瞑想とか、あるいは「考え方」なんてものは、それはそれで「心」のほうの話として独立していることだというような考え方が 20世紀くらいの科学では支配的だったと思うのですね。

もちろん「心理的な影響が体調など身体面に影響を及ぼす」ということはわかっていても、私たち自身も「なんとなく」という感覚が強かったと思います。

しかし、実際に「人間は考えるたびにその DNA が変化していっている」ということが確実になってきましたようで、そうなりますと、まあ、昔の宗教的な偉人さんたちから、現代にいたるまでの瞑想的な概念を持つ様々な行動や思想は、無意味なことではないということにはなりそうです。


wisconsin.gif

▲ ウィスコンシン大学の12月4日のニュースリリース


上にある「遺伝子発現」というものの意味は、 Wikipedia では、



遺伝子発現とは、遺伝子の情報が細胞における構造および機能に変換される過程をいう。



とのことで、遺伝子の情報から細胞の構造や器官が変化することを言うようで、「なんとなく変化する」のではなく、具体的に肉体そのものが変化していくものとも言えるような感じです。


まあ、私自身は「私自身という生き方を実験している」をしているという部分もあり、今まで瞑想はしませんでしたので(言葉づかいと通常の思考形式だけで十分にその役割を果たせるように考えています)、これからもしませんが、瞑想を含めて、思考やマインドの部分が人間の身体を、その根本である DNA や遺伝子情報の部分から変化させていっているというのは大きなことだと思います。




言葉と思考が人間の存在を形作っている可能性

ずいぶん以前、「 DNA は言葉と振動の影響で頻繁に再プログラムされている」というロシアの研究について記事を載せたこみとがありました。

それらの過去記事は、

ジャンクDNA解明への挑戦(第1回): 記憶媒体として機能しているDNA
 2011年06月11日

から

ジャンクDNA解明への挑戦(第4回): 人間の遺伝子の変異を促すものは何か?
 2011年06月16日


にありますが、その4回目には以下のような部分があります。

人体というのは、それそのものが明らかに体温程度の常温での超伝導(物質の温度を摂氏マイナス273度付近まで冷却した時に、電気抵抗がゼロになる現象)を果たすことのできる有機体だということがいえる。一方、人工の超伝導体では、マイナス200度などのレベルに至るような非常に低い温度を要求する。

最近のロシアの研究では、すべての超伝導体は光や、あるいは情報といったものを格納することができることがわかっている。


これらの科学的な意味はともかく、人間(あるいは生物全般)の体は、それ自体が非常に興味深いものだといえるということです。通常の物質だと、マイナス273度などの低温でなければなし得ない超伝導と同じメカニズムを通常の温度で持っている。

そして、もっと面白いのは、人間はマイナス 273度などの温度に放り込まれれば、死んでしまうわけですが、 DNA は死にません。死なないというか、消滅はしないです。

そして、多分、そこに「記憶」と「情報」が永遠に存在し得る可能性が含まれている。

この何が面白いかというと、

不滅ではない肉体



永遠不滅の DNA

で私たちは構成されているということです。

DNA-ref.jpg


でも、 DNA が永遠不滅でいられるのは宇宙空間でだけだとは思いますけれど。

これについては、地球上での DNA の寿命の計測についての記事を書いたことがあります。

DNA は永遠不滅ではなかった : 研究により DNA の分子は 680万年程度で消滅することが判明
 2012年10月13日



そういえば、10日くらい前からずっと書きたくて、ついに書く時がなかったのですが、最近、日によって、「火球」がスゴイのです。

下のは、11月30日のものですが、36個の火球が地球の上空で交差しただけではなく、このうちの「 35個は何の流星群にも属さない孤立した火球」なのです。

fire-ball-2013-11-30-02.gif

Spaceweather より。


12月には、ふたご座流星群というものが観測できます。
下のは、昨年のふたご座流星群の様子を時間を短縮して GIF 動画にしたものです。

geminid-2013-001.gif


孤立した火球に加えて、流星群の火球も加わってきて、空もかなり賑やかになると思います。

そして、実際には日々、隕石が世界のいろいろなところに落下していることも報告されていますが、いずれにしても、

・寒い冬
・賑やかでやや危険な空
・カオスな世界情勢


は、2014年まで続いていくのだと思います。



それでは、明日、 DNA の記事をアップしたいと思います。








  

2013年11月26日



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現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人、そして「科学上知られていない謎の人類種」の4人類種間での性交配があった可能性が最新の DNA 解析で判明

dna-2013.gif

THP より。

今回は、最近興味を持った上の記事をご紹介したいと思います。

最近の研究で、私たちの祖先(かもしれない)古代人類と、ネアンデルタール人やデニソワ人といった複数の古代人類種たちが、いまだ知られていない謎の「未知の人類と交配していた」ことが、 DNA 解析によって明らかになったことが報道されていました。

つまり、私たちは何らかのハイブリッド種(交雑種)である可能性があるということにもなり、「正体のわからない遺伝子を引き継いでいる」という可能性もあるのかもしれません、

ところで、今回は最初に、本題とは本当にまったく関係ない余談を書かせていただきます。個人的な「いわゆる青春的」な思い出と関係する話です。






 



自然の最も奥深い謎のひとつは死んでいるものと生きているものの対立である

最近、「自分のこれまでの人生って自分にとって、どうだったんだろうなあ」というようなことを思うことがあります。良いとか悪いとかの価値判断をしたいのではなく、善悪の判断でも肯定でも否定でもない単なる「どうだったのかなあ」と。

そういうことを思っている時に、ふいに「山崎春美」が今年の夏に、新しい著作を出していたことを知りました。

まあ、山崎春美と書いても誰のことだかおわかりにならない方が多いでしょうけれど、私が 1980年代冒頭の頃の 16〜17歳の頃に決定的に人生の方向性を影響づけられた人物でした。春美という名前ですが、男性です。

彼の経歴などは 山崎春美 - Wikipedia に詳しく書かれてありますし、それを紹介するのがこの記事の目的ではないですので、多くは書きませんが、私の生き方はこの山崎春美の表現物(特に文章)に方向を形作られた部分がかなりあります。

その文章を知ったキッカケは異常なほど偶然で、高校1年くらいの頃に、当時存在した「自販機雑誌」というものの中で発見した JAM という雑誌を読んで面白くて仕方なかったことが、私がカウンターカルチャーに興味を持った最初でした。

山崎春美はその雑誌の編集者でした。

また、彼は前衛バンドの「ガセネタ」というバンドも結成していましたが、その音楽とパフォーマンスにも私は異常に感銘を受けたものです。その内容は気軽には書けないほど過激なものでした。

彼の活動は、まだガリ版印刷みたいな紙質だった時代の雑誌だった宝島などでもよく取り上げられていて、北海道の田舎の高校生だった私はその頃から、「東京に行こう」と思いが強くなっていました。

その山崎春美が 1976年から 2013年まで書いた文章の著作集としての書籍がこの夏に出版されていたことを知ったのは、なんと朝日新聞デジタルという超メジャー舞台の書評欄でした。

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▲ 朝日新聞デジタルの (書評)『天國のをりものが 山崎春美著作集1976―2013』 山崎春美〈著〉より。


この本の表紙に使われている写真は、私が東京に来てすぐに買った HEAVEN という雑誌の表紙そのもので、その意味でも個人的に懐かしい感じがするものです。 HEAVEN は、山崎春美や、今は精神科医の香山リカさん(香山さんの名付け親は山崎春美)などが歴代の編集長を務めた雑誌でした。

その『天國のをりものが 山崎春美著作集1976―2013』というタイトルの本を探すと、 Amazon にもあり、2500円とやや高い本なのですが、 購入しました。

パラパラとめくると、高校時代に雑誌などで読んだ文章がいくつか出てきて、漠然とですけれど、「存在自体の変革の夢」を夢想していた十代の頃を思い出して、不覚にも涙ぐんでしまった次第だったりしたのでした。

この本は基本的には過去の彼の書いたものをまとめたものですが、前書きだけ書き下ろしていて、その最初はこのような出だしでした。




罪を償う前に

「現代では生者と死者が対立している」というヘルマン・ワイルのことばを、松岡(正剛)さんから聞いた。もはや三十数年も前の昔話だ。その単なる数学者にとどまらない偉人の、あきらかにボクの聞き囓りでしかない一言は、実際には、「自然の最も奥深い謎のひとつは死んでいるものと生きているものの対立である」だという。

コトバは飛来し付着する。または旋回しウィルスみたいに伝染する。伝播し憑依し唾も飛ばすし口角も泡立つ。不本意に引用されては変形を余儀なくされ、すり減っては陳腐化する。やたら無駄遣いされたあげく、打っちゃられちゃったりもしよう。その、もともとの物理学や生物学とは無関係に、そして決して神秘学やオカルトにも日和らず与せず、上記のワイル先生の至言は、ボクの「原点」となった。





ここに出てくるヘルマン・ワイルという人を私は知らなかったので、 Wikipedia で調べてみますと、下のような大変に高名な数学者のようです。

hermann.gif



山崎春美は、この前書きの後半で、このヘルマン・ワイルという数学者が言ったという「死んでいるものと生きている者との対立」について、「生者と死者の対立の場は自分自身の中にある」ことに言及します。

「自分は幽霊だ」として、このように書きます。




その幽霊はボク自身だ。

ドッペルゲンガーでも「悪魔っ子」でもない。ボクの分身などではなく、いってみればボクの方法とか手段である。その一例が狂った磁石であり、いまだかつてないほどすり鉢状の底が深い蟻地獄で、その傾斜角度たるや直角だ。





ちなみに、ここで、山崎春美は自分のことを「ボク」という違和感のある一人称で書いていますが、あえてそうした理由も述べていますが、それはまあどうでもいいです。





ペアではないかもしれない自分

かつて、クレアなひとときで、

ペアである自分
 2011年01月28日

というタイトルの記事とそのシリーズを書いたことがあります。

これは「人間と宇宙との一体性」について書きたかったのですが、そのようには書けていないですけれど、このことは In Deep でも、

「宇宙は人間そのもの」という結論を夢想するとき
 2012年03月19日

という記事など、いくつかの記事で書くこともありますが、いつでも内容は断片的であって、しかも、統一性にも欠ける部分があります。

それでも、今回の山崎春美の著作の前書きを読んで(まだ前書きしか読んでいないのですが)、

「ペアの自分を考える必要はない」

という感じ方も芽生えつつあります。

それは、自分も他の物質も宇宙も含めて「すべてがひとつ」という考え方というような考えが芽生えたというような感覚と近いですが、上手な表現はできないです。


いずれにしても、山崎春美の文章や音楽を知ってから約 30年。

世の中はその頃と比べてみると、比較にならないほど悪くなりました。とても便利な世の中になりましたけれど、それでも「格段に悪くなった」という言い方以外のコトバを知りません。

しかし一方で、そのように、「悪くなった」と考えることができるというのは、比較として、

「良い記憶を持って生きている」

ということであることにも気づきます。

というわけで、 150歳にもなると(100多いぞ)いろいろと振り返ることも多くなるようで、あまり先を見なくなります。


意味のない前書きを失礼しました。

ここから本題ですが、ここまで長くなりましたので、科学誌ネイチャーで発表された内容についての報道記事の翻訳にすぐ入ろとうと思います。


なお、記事に出てくるネアンデルタール人とデニソワ人という、ふたつの古代人類の間に異種交配があったことは、2010年に初めてわかったことらしいですが、その時のナショナルジオグラフィックの記事を少し抜粋しておきます。



アジアでもデニソワ人と交雑の可能性
ナショナルジオグラフィック ニュース 2011.11.02

2010年、ヨーロッパの初期現生人類とネアンデルタール人の異種交配を示す研究が発表され、各界に衝撃が走った。さらに今回、東南アジア付近の現生人類もネアンデルタール人の姉妹グループである「デニソワ人」と交雑していた可能性が明らかになった。中国南部一帯に住む現代人の遺伝子構造の約1%はデニソワ人に由来するという。

デニソワ人は既に絶滅した化石人類の一種であり、大きな歯を持っていたとされるが、詳細の解明は進んでいない。まったく未知の人類と考えられていた時期もある。




これだけでも科学界は当時、異様な衝撃に包まれたようなのですが、さらに、ここに「現世人類」と「もうひとつの謎の人類種」も交配していたというショッキングな古代の話であります。

そして、その謎の人類種は「アジアからやってきた」ようです。

では、ここから記事です。




Ancient Humans Had Sex With Mystery Species, New DNA Study Shows
THP 2013.11.19


古代の人間は謎の種と性交をしていたことが、新しい DNA の研究によって示される


nature-01.jpg

▲ 骨から復元されたデニソワ人。


11月18日、異なるふたつの古代のゲノム(遺伝子全体)が、ロンドンの王立協会の会合で発表された。ひとつはネアンデルタール人、もうひとつは古代デニソワ人のものだ。

それらのゲノムが示したことは、30,000年以上前、アジアからヨーロッパに住んでいた古代の複数の人類間で異種交配が行われていたということだ。

そして、そこにはいまだ知られていないアジアからの謎の古代人類の種が含まれていることをも示した。

ロンドン大学の進化遺伝学者、マーク・トーマス( Mark Thomas )博士は、今回の研究について以下のように語る。

「これが示しているところは、私たちは古代の『ロード・オブ・ザ・リング』(「指輪物語」)の世界を見ているということです。つまり、古代の地球には非常に多様な人類種の社会グループがあったということです」。


nature-02.jpg

▲ 発掘中の研究チーム。


2010年に、ネアンデルタール人とデニソワ人が異種交配していたことが判明したことは、人類史の研究での革命的な発見だったが、それだけではなく、そこに生態学的な意味での現世人類も交配に加わっていたということで、現代の人類種の遺伝的多様性はそのためであることがわかってきていた。

そして、今回の解析チームのひとりであるハーバード大学医学部の進化遺伝学者デビッド・ライヒ( David Reich )博士は、驚くべき発表をした。

デニソワ人は「謎の人類種」と交配していたのだ。

この謎の人類種は 30,000年以上前にアジアに住んでいたすでに絶滅した古代人類種だが、現世人類でも、ネアンデルタール人でもない、まったく未知の種だ。

会合の場は、この新たな人類である可能性を持つ種についての予測で騒然とした。

ロンドン自然史博物館の古人類学者であるクリス・ストリンガー( Chris Stringer )氏は、「我々には皆目見当がつかないのです」と述べた。







  

2013年11月01日



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人間が「見る」ためには「目からの光」が絶対的条件ではなかった

先日の記事で不満げな最近の気分を書いてしまって、大人げないと思いつつも、かつてのさとう珠緒さんのような表現で、「現代宇宙モデルに ぷんぷん!」というような意見を表明すればいいのかというと、そういうことでもないわけで、ここ二日ほどはボーッと歩いたりして過ごしていたのですが、今朝、非常に面白い科学報道を記事を見て、少しだけシャキーンとしました。

その内容はこの数年のブログ記事に関しての記憶をかなり昔にまで引き戻すことのできるものでした。

それは米国ロチェスター大学が昨日発表した論文でした。

下がそのページです。

rochester-01.gif

ロチェスター大学 ニュースリリースより。


上の見だしだけではわかりにくいですが、この論文の内容をひとことで書きますと、


50パーセントの人間は完全に光のない状態の中で、自分の動きを目で追う能力を持っていることがわかった。そして、この能力は「学習」により、ほぼすべての人が習得できると結論づけられる。



というものなのです。


これはまあ・・・私個人としては非常に興奮しましてですね。

たとえば、これはもう「個人的な 2013年の10大ニュース」というようなものに入ることがほぽ確定したものとなっているんですが、どうしてこのニュースにそんなに興奮したかというと、過去に私のこの In Sheeple では(興奮して綴りを間違えてるぞ)いや、 In Deep では、「光と視覚と松果体」についてずいぶんと書いていた頃があったのです。


このアメリカのロチェスター大学というのは、Wikipediaによりますと、「アメリカで最も古い光学研究機関である光学研究所を持つ」のだそうで、つまり、「光の研究」の代表的な研究機関だそうです。

ちなみに、ニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受賞した日本の小柴昌俊さんは、このロチェスター大学の大学院で博士号を取得しているのだとか。


今回はロチェスター大学の論文の内容について翻訳してご紹介したいと思いますが、その前に少しだけこの数年の「光と視覚と松果体」についての過去記事から少し抜粋しておきたいと思います。






メキシコの「眼のない魚」の研究から始まった松果体との格闘


松果体というのは、人間では脳の下の図の位置にあるものです。

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医学的には、メラトニンというホルモンを作り出すことに関与していること以外の役割はほとんど不明ですが、これが哲学、あるいはスビリチュアルの世界となると、「第三の眼」というような表現にも見られるように「人間で最も大事な器官のひとつ」という言われ方をされてきたものでもあります。

17世紀の哲学者デカルトは、松果体は「この世界にある物質と精神という根本的に異なる二つの実体を相互作用させる器官」だと言っていました。

過去記事の、

あらゆる手段で「光」を求める生命: フンコロガシの行動、松果体の意味、そして「太陽神の目」の実体
 2013年01月29日

では、他にも、フランスの作家ジョルジュ・バタイユの小説『松果体の眼』というものについて書いたりもしていますが、そのあたりまで話を広げますと、収拾がつかなくなりそうですので、哲学や精神世界の話は上の過去記事などをご参照下されば幸いです。

ただ、バタイユが、


「松果体の役割は、太陽から火山を経て肛門へ受け渡されたエネルギーを、松果体を通して再び太陽へ回帰させること」


と書いていたことは特筆すべきことではあります(意味はよくわからないですけど)。


それよりも、私が最初に松果体に興味を持ったきっかけは、やはり今回ご紹介するものと同じような「アメリカの大学での研究論文」だったのです。

メリーランド大学のヨシザワ・マサト氏とウィリアム・ジェフリー氏の2名の科学者が、メキシコの洞窟に住む目の見えない魚を研究して、この目がないこの魚が光を感知していることに関して、「脳の松果体が直接光を感じとっている」と結論付けたという研究発表論文に大変興味を持ったことがきっかけでした。

上の実験では、目のある魚でも実験をおこなっていて、その結果、光を感知するための「目の役割は10パーセント程度」で、残りの90パーセントは松果体を通して光を感知しているということをも示唆するものでした。

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過去記事より。



この論文を紹介した記事は、クレアの2011年01月28日のペアである自分(2) 宇宙の場所という記事に全文訳があります。

また、「人間の光の感知」に関しての私の考えは、やはり、過去記事の、

日本人研究者が獲得した「暗闇での視覚」: 人類と光と植物
 2011年02月28日

というものに、自分の考えが書かれていることに気付きましたので、その部分を抜粋しておきます。




現実に「闇夜でクリアに見える技術」が開発されていて、少なくとも技術レベルでは「完全に光のない場所で物を見るということが)できている。ということは、宇宙の物理の仕組自体は、「本来は暗黒でも見える可能性がある」ということなのではないか、などと思った次第です。

この「光のない場所にあるものが普通に見える」概念や仕組が人体に隠された機能としてどこかにあれば、人間はいわゆる「目での光」だけに頼らなくても「見て」生きていくことができる。

もちろん、かなり遠い未来の話にしても、姿形は同じままで「新しい人間」というものは、遠い未来には存在していてほしいし、それには松果体や脳下垂体、あるいは今は軽んじられている脾臓や盲腸といったすべての器官までもが完全に機能する人間が存在してほしいと考えています。






ちょっとわかりにくい書き方ですけれど、要するに、「目でだけ光を感知する」というのは、多分、私たちの潜在意識も顕在意識も含めて、

「意識の上に薄いベールを張られている」

という状態なのだと思っています。

この「薄いベール」がとれていく過程が「進化」なのであり、人間の進化というのは姿や形が変化していったり、空を飛べたりするということではなく、意識的なレベルでの思い込みのベールがとれることだと思います。

そして、本当の意味の「自由な思考」を持てた時に、感覚そのものが自由になるという変化なのだと。

その時代を今の私たちが見られるかどうかはわからなくとも、人間の機能(松果体も)は何ひとつ退化していないということが、今回の実験でわかったことは大変に喜ばしいことだと思ったりするのです。


では、ここからロチェスター大学の記事の概要です。




Seeing in the Dark
ロチェスター大学 (米国) 2013.10.31

暗闇で見ること


完全な真っ暗闇の場所を探して、そこでゆっくりと自分の顔の前で手を左右に動かしてみる。あなたには何が見えるだろうか?

この答えは、これまでの考え方では「真っ暗闇では何も見えない」というイメージを持つのではないだろうか。

しかし、コンピュータで視線を追跡する装置(アイ・トラッキング・システム)を用いての最新の研究では、少なくとも全体の 50パーセントの人は、まったく完全な真っ暗闇の中で、自分の手のひらの動きを正確に眼球で追随できるということがわかったのだ。

今回の調査チームの主任者として実験を主導したロチェスター大学の脳と認知科学が専門のデュジェ・タディン( Duje Tadin )教授は、以下のように言う。

「完全な真っ暗闇の中で物が見える? そんなことはこれまでの視界に関する自然科学ではあり得ないことなんです。そんなことは起こらないことなのです」

「しかし、今回の研究では、私たち自身が自分の動きを察知することについて、光のシグナルが完全にない状態でも、自分の手の動きを通じ、脳内で実際の視覚認識を作り出すことができ、視覚信号を送信することを示したのです」



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今回の実験は5つの異なる実験を 129人の被験者を通しておこなわれた。

研究者たちはこの「完全な暗闇の中で見ることができる」という不気味ともいえる能力について、それが示しているものは、私たちの脳が自らの認識を生み出す際に、別の感覚からの情報を組み合わせているという可能性だと考えている。

この能力はまた、「私たちは視界というものを通常は目で認識していることと考えているが、それと非常によく似た機能が脳にあるということなのです」と、バンダービルト大学の心理学の専門家であるケビン・ディーター(Kevin Dieter)教授は述べる。

これまで、光のない洞窟の内部などを探検した人々が、光のない空間で自分の手の動きを見ることができたというようなことを主張する「スペランカーの錯覚」と呼ばれる体験談が伝えられることがあったが、これまでこれらは一般的に幻覚だと考えられていたが、今回の研究成果はこうした体験談は幻覚をみたものではなかったことを示すものとなるかもしれない。

ディーター教授は、この完全な暗闇で自分の動きを見ることができるという能力については、「ほとんどの人が学習できるものだと思われます」と結論づけている。




  

2013年10月30日



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▲ アメリカのフェルミ国立研究所の物理学者デビッド・アンダーソン博士と、ワシントン大学の航空力学の専門家スコット・エバーハート博士が共著した『 UNDERSTANDING FLIGHT 』(飛行の理解)という本。この世界で最も航空力学に詳しい専門家たちの記述によると、「飛行機がなぜ飛ぶかは、いまだにわかっていない」のだそう。飛ぶ理由はわからなくとも、航空力学は存在し、そのシミュレーションも完ぺきにおこなえます。しかし、飛行理論の根本ともいえる「どうして飛行機が飛ぶのか」については、仮説以外は存在しないのだとか。






 


心の底から疲れ始めた2013年の秋ですけれど

最近、元気がないんですよね。

今日も記事を書こうとしたけれども、その途中で力が抜けてしまいました。

元気といっても、あっちの話ではなくて(誰がそんなこと思うか)、精神のほうの元気のほうですけど、一日に何度か「心が疲れ果ててしまう」というような瞬間に見舞われます。

若い時から神経や精神系の疾患をそれなりに数多く経験している私も、こういうのはあまり経験がなくて、いわゆる「ウツ」や抑鬱というのともなんか違うし・・・まあ、これはそういうメンタルな話だけでもなく、明確な理由が存在しているとも思います。


それで何だか日々摩耗していて、「この世に疲れちゃってきている」ということかもしれないと。

まあ、原因というのか、わからないでもないのですけれど。



・・・変わらないどころか悪化していっているようにしか見えない社会の精神性。


・・・そして、日に日に衰えていく科学的見識。



この先に生きて少しは素晴らしいビジョンが存在するのだろうかと私自身についても疑問に思わざるを得ないですが、私には子どももいまして、うちの子だけではなくとも、「この世の子どもたちの未来」なんてのは考えるだけで力が抜けるような日々です。

ちなみに、「日本の子どもたち」という小さな形容ではなく、「世界中の」という全体的な話でもあります。



科学といえば、昨年、子どもと一緒に図書館に行った時に、その「子どもコーナー」の棚で手にした「原子の発見」という田中実さんという方の書いた本を立ち読みして、「物質不滅の法則」(質量保存の法則)を知った時のことを書いたことがあります。

大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら「物質は永遠」という法則を子ども科学本で知った日
 2012年09月03日

細かいことはともかく、上の「原子の発見」という少年少女向けの本で私が初めて知った物理の絶対的な法則として、


宇宙全体の質量とエネルギーの総和はゼロ


ということや、


ものは消えてなくならない。ものが変化して、なくなったように見えても、じつは別のものがそのかわりにできている


ということがあるわけですけれど、その時点で、「科学者たちはこんな絶対的法則を知っている人たちなのに、なぜ『宇宙が生まれた』(物理の法則に矛盾)だとか、まして、ビッグバン(論外)だとかの考えを平気で主張できるんだろう」と、非常に不思議に思ったことがあります。


また、「原子の発見」の中には、著者の田中さんの言葉として、下のようなことが書かれてあります。




生きているとはどういうことか。人間も動物も、そして、植物も生きている。生きているものと、生きていないものとは、どこがちがうのか。生きているものが死ぬとは、どういうことなのか。

生命という現象には、まだたくさんの解ききれない秘密がある。しかしそれは自然科学の力によって、しだいに解決されてゆくはずである。どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない。






田中さんは何気なく書いたのかもしれないですが、この


 > 『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない


という記述もまた、「生命にはその起源というものは存在しない」という私の考えをサポートするものとなったりしました。


しかし、「起源がないってどういうことだ?」と自分でも思うわけです。


宇宙にも生命にも起源がないなら、「いったい、私たちの存在はどういうことなんだい?」と思ってしまうのですけれど、この「何でも理解できければいけない」という強迫観念そのものがいけないことだと最近気付きました。


事実、理解などしなくても、この世は成立している。


それを知ったのも、やはりまた、子どもと一緒に図書館に行った時の立ち読みによるものでした。






「近似」を許さない今の時代

先日、子どもと図書館に行ったときに、今度は子ども本コーナーではなかったのですが、竹内薫さんという人の『99.9%は仮説』というタイトルの本が目につき、それを立ち読みしていましたら、その本の冒頭に書いてあったのが、


> 飛行機がなぜ飛ぶのかはまだよく理解されていない。


だったのです。


「いくらなんでも、そんなわけねーだろ」と思い、家に帰って調べてみましたら、今回のトップに載せました、フェルミ国立研究所とワシントン大学の航空力学の専門家のふたりの記した本に行き着いたりして、この今の世の中で、「飛行機がなぜ飛ぶのか、わかっていない」ということが真実だったことを知るのです。


でも、飛ぶ理由はわからなくても、設計もシミュレーションもできて、飛行機は実際に飛んでいます。


飛行機が飛ぶ理由の仮説についてはこれまで、私はそれぞれ何の定理か知らないですが、ベルヌーイの定理というものや、渦動説だとかいうもので説明できると思われていたそうなのですが、これでは説明できないというのが真実だそう。

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▲ 飛行機が飛ぶ原理とされていた「ベルヌーイの定理」というもの。これについて、フェルミ国立研究所の物理学者デビッド・アンダーソン博士などは、そのような今まで説明されてきたことは「全部デタラメ」だと。真実は、「まだわかっていない」ということ。


この『99.9%は仮説』という本は、Amazon をはじめ、どこででも入手できると思います。


ところで、その本には、1965年にノーベル物理学賞を受賞しているアメリカの物理学者リチャード・ファインマンの、


「科学はすべて近似にすぎない」


という言葉も紹介されているのですけれど、なんかこう、子どもの頃から、今に至るまで、教師や科学者の口から、


「今教えている勉強はすべて近似(大体そんなもの)にすぎない」


と教えられた記憶がないです。

学校でも、あるいは「上から教える人」たちから、


「今教えているこれは絶対的なもの」


というように「学問はすでに 100パーセント決定しているもの」として教えられ、そして、私たちの下の世代の子どもたちや若い人たちもそのように教えられて育っていくのでしょう。


そして、これが地球を滅ぼします


学問の進歩は止まり、「わかってもいない、確定もしていない、あるいは、そもそもがねつ造されたものかもしれないような理論かもしれない数々」を「絶対」として頭の中に叩き込まれていく社会。


その結果として地球の文明は衰退して、私たちは滅びていく。


その責任は専門家の人たちだけではなく、私なども含めた一般の多くの大人にもあると思います。

なぜなら、「疑っていない人が多すぎる」からです。


たとえばですけれど、どなたかがノーベル賞をとったとする。
専門家の人たちはともかく、ニュースを見た多くの人々は、


「日本人がノーベル賞を取った! バンザーイ! バンザーイ!」


これで終わり。


その本質を疑うどころか、場合によっては、いったい何の業績で受賞したのかもわからない。


これからもずっとこんな「シープル的世界」な感じで世の中は続いていくのだろうなあと思うと、自分の子どもをこの世の中に生みだしてしまったことにも罪を感じたりして、落ち込みはひどいものですけれど、まあしかし(あまり期待していないですけれど)、ほんの少し、何か起きたり、何かが変わるかもしれない。


希望が完全に消えるまで(現在、約 80パーセント消滅中)は書きたいと思っています。


そういえば、上に「その結果として地球の文明は衰退して、滅びていく」と書いていますけれど、私の書き方ではまったく具体的に伝わらないですが、過去記事に、フレッド・ホイル博士の言葉を抜粋したことがあります。

ホイル博士は、誤った科学的見解について、


学会は誤った知識の領域を持つことになり、その損失はもとより、その周辺領域すべての進歩を阻害してしまう。このことが同時に、多方面に影響し、人間社会の衰退、そして最終的には破滅へと導くのである。



と書いています。

これは、過去記事の、

破局の回避という奇跡があるとすれば
 2013年03月09日


に記したものですけれど、再度、部分的に抜粋しておきます。




『生命はどこから来たか』(1995年)より
 フレッド・ホイル、チャンドラ・ウィクラマシンゲ共著


われわれは皆、許しを請うことなくこの未知の世界に生まれてくる。生まれて数ヶ月もすると、目も見え、自らの足で立つこともでき、やがて話し始め、ついには言語の壁をも突破する。初めは何の手がかりもないのに他人の話していることを理解し、自分自身でも話すようになるのである。

われわれは、これらすべてのことを自然のうちに学ぶのである。しかし、唯一残念なことは、この時期において子供たちは、周りの大人たちに世の中の状況の偽りのない真実を、流暢に語る手段を身につけていないことである。そのため、大人たちは適切な双方向の会話ができればやがて誤解に気づくだろうという幻想を抱いたまま生き続けることになる。

不幸にも、偏見のない見解を伝達することができるようになる頃には、教育という過程により偏見のなさを失ってしまうのである。

(中略)

先に述べたように、ある分野の科学的知識は確かなものである。確かな知識からまだ未解決課題へと進むと、事情は違ってくる。教条的な意見や教義が顔を出す。科学者は真の科学者であることをやめ、事実より教義を取り上げ、こうして創造主義者と同じ思考をとるようになる。

われわれの考えは、地球上の生命の起源と進化に関する進化論者の見解は、創造論者と同じくらい全く間違っている。創造論者の誤りは明白だが、進化論者の誤りはわかりにくく、特に学校で学ぶ子供たちの目から真実を隠していると思う。科学の進歩の方法は確実な知識を外へ押し広げていくことである。注意深い研究により、最前線が次第に広げられていくならこの方法はうまくいく。

しかし、突然大飛躍して科学が発展することもある。ニュートンの力学の飛躍的な進歩が、天体力学の発展、 19世紀の光と放射線の理論、そして現代の量子力学を導いてきた。

これらの進展に貢献した科学者各人の称賛に値する業績は偉大であり、その名は永く刻まれるようになっている。科学者たちが大進展の主役になりたいと野心を持つのは当然である。ある者はその才能により成功し、ある者は幸運に恵まれ、さらにある者はけしからんことに作り話で成功を収めた。そのやり方は、何もないのに大進展があったかのように振る舞うのである。

このようなニセの効果がうまくいくには、一人の孤立した科学者ではなく、科学者の陰謀団のほうがよい。声を揃えることで、陰謀団は各々の科学者の口を封じ、科学雑誌に発表される論文の内容に圧力を加え、ついには反対意見を一掃してしまうことができる。

こんなことは全くの作り話ではうまくいかない。初めには、ゲームでいうところの「ツキ」があったに違いない。すなわち初めには、事実は陰謀団の言う理屈に合っているかのように見える必要がある。

陰謀はのちにその理論に合わない事実がわかってきたときに現れ、科学雑誌を自由に操ることを通して慎重にこの事実を葬り去ってしまう。さらに陰謀団の理論が、教育課程に侵入し、常に難しい試験の連続に追い立てられ、自らを失っている数多くの生徒たちに教え込まれると教義は確立してくる。

学会は誤った知識の領域を持つことになり、その損失はもとより、その周辺領域すべての進歩を阻害してしまう。このことが同時に、多方面に影響し、人間社会の衰退、そして最終的には破滅へと導くのである。





ここまでです。

まあしかし、「近似を認めないこの世の破滅を見てから死んでやろうか」という凶暴な気持ちもややあります。

暗い元気の源ですが、それが確かに生きている理由にもなっているかもしれません。



  

2013年10月10日



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▲ クロアチアの Jutarnji の記事より。
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[参考用語]メジュゴリエの聖母


Wikipedia より

メジュゴリエの聖母は、1981年6月24日から現在に至るまで毎日、聖母マリアが出現していると数名の幻視者が主張するボスニア・ヘルツェゴビナ南部ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県、メジュゴリエにおける聖母出現である。この現象は目下のところ公認されてはいないが、カトリック教会によって研究が進められている。




先日の記事、

米国モンタナで人々が「空が落ちてきた」と口にした日、宇宙では彗星アイソンが崩壊を始めているという懸念が台頭
 2013年10月03日

の最初で、太陽からの CME (コロナ質量放出)などによる地磁気の影響で、米国ではかつて見られたことのないような見事な色彩のオーロラが出ていることに少しふれました。


このオーロラがですね、何というか、さらにすごくなっていて、こう・・・いわゆる「神々しい」というような形容をしても構わないのではないかというレベルのオーロラが出現し続けています。


selfoss-iceland-2013-10-08.jpg

▲ 10月 8日にアイスランドのセルフォスで撮影されたオーロラ。 Realtime Aurora Photo Galleryより。




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▲ 10月 9日にノルウェイのトゥロムスで撮影されたオーロラ。Realtime Aurora Photo Galleryより。



2つめのノルウェイのオーロラなどは、4年ほど前のアップルのパソコンの OS である Mac OS X スノーレパード( Snow Leopard )のデフォルトの壁紙などを思い出させてくれます。


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▲ 2009年頃のアップルの Mac の広告より。


アップルといえば、今はスマホとタブレットの代名詞となってしまいましたが、アップル社の方々は、パソコンのほうも忘れないでくださいね・・・と、18年来の Mac ユーザー( Windows は 20年使ってますけれど)としては言いたくなる時もあります。

私はパソコン部門以外のアップルにはあまり興味がなく、今後もスマホは使うつもりがないですし、タブレットにもあまり興味がないです。


Mac OS の思い出に関しては、スティーブ・ジョブスさんが亡くなった 2011年の10月頃に、「夢にまで見たような OS - Mac OS X をありがとう」という記事を書いたことがあります。



話が変な方向に逸れましたが、本題は上の神々しいオーロラを見て、最近、ボスニアやその周辺の国で話題となっている「光るマリア像」のことを思い出したのです。






涙が定番だったマリア様が光り出した


マリア像やキリスト像というと、話題となりやすいのは、「木や壁にその姿が出現した」というものや、あるいは「血のようなものを流した」というようなものが多いように思います。 In Deep の昨年の7月の記事にも、

世界中に出現する「血を流す聖母マリア」:インドでは血の涙。米国ではこめかみから流血
 2012年07月23日

というものを記したことがあります。



▲ インドのカトリック司教協議会が伝えた 2012年7月14日に目から赤い液体を流し始めたマリア像。





▲ 2012年7月に、こめかみ部分から赤い液体を流しはじめた米国ルイジアナ州にある聖母マリア像。



そして、今、ボスニアの周辺で話題となっているマリア像は「光り始めた」というものです。

それだけならともかく、その話を聞いたバチカンの司祭たちが、そのマリア像の調査のためにボスニア・ヘルツェゴビナの現地をチームで訪れ、現在、鑑定を続けているというニュースなのです。


下のマリア像がそれです。
左が光った様子だというのですが・・・。

marry-01.jpg

24 SATA より。


なぜ、このような話に対して、バチカンから司祭たちがやってきているかというと、このボスニアのメジュゴリエという場所と関係しているようです。ここは、一番上に載せました「メジュゴリエの聖母マリア像」という話の存在する、キリスト教徒たちにとっては、一種の「超常的な意味での神聖な場所」のようなのです。

実際、今回の「光るマリア像」の話は、ボスニアとその周辺国の新聞やメディアはほとんどが取り上げるほどの「大ニュース」となっているようで、日本で例えれば、「奈良の大仏が歩き出した」というようなインパクトのあるニュースのようなのです(なんか例えが違うな)。

上で「周辺国のメディア」と書きましたが、このボスニア・ヘルツェゴビナの周辺というのは、日本人には地理的にあまり馴染みのない場所ですので、地図を載せておきます。

下の地図の「A」の場所が、光る聖母マリア像のあるメジュゴリエです。

bosnia-marry-map-01.jpg


さらに、このマリア像が教会にあるものではなく、一般家庭にあるマリア像だということが混乱を招いています。

というのも、多くの人々が「光るマリア様」をひとめ見ようと、この家に押しかけているのです。

教会なら、もともと人が集う場所ですので、いくら人が集まっても何の問題もないのですけれど、一般の家だとそうはいかない。

下はその混乱ぶりを伝える地元の報道です。

faith2013.jpg
Index HR より。

なんだか、敬虔なクリスチャンというより、愚連隊っぽい雰囲気を醸し出している黒づくめの若者たちも多く見受けられるのが気になりますが、そういう理由からではないでしょうけれど、マリア像の持ち主である家の人たちは、バチカンの司祭たちが現地に到着した際には、下の写真のようにマリア像に白い布を被せて完全に覆い、集まる人々から逃げるようにマリア像をキリスト教区の事務所に運んだようです。






 

1-lead-statue.jpg

2-lead-statue.jpg

▲ メジュゴリエの現地メディア Medjugorje Today より。




報道の内容そのものに関しては、現在のところは「バチカンの調査団が到着した」というところまでのことですので、何らかの結論が出たということでもなく、特に詳しくご紹介するような部分はないのですが、何かわかれば、またお伝えしたいと思います。


しかしまあ、真実がどうであれ、今のこのご時世というは、マリア様あたりに出現してほしいと願う人々の多い時であることも事実であるような気はします。

世界はこう・・・なんというのか、いろいろな時計の針が「同時に一気に急ピッチで動き始めた」感じになってきているようにも感じます。

壊れていたはずの時計までもが動き始めてしまった気がする。



  

2013年09月28日



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9月24日にパキスタンでのマグニチュード 7.7の地震と共に浮上した「地震島」について、「パキスタンでのクリスチャン追放活動の渦中で発生した大地震と共に海底から浮上した新たな島」という記事で記しましたが、今日になって、その島を「宇宙から見た光景」の写真を見ました。

NASA の地球観測衛星1号( EO-1 )という地表を高解像度で観測する衛星によって撮影されたものが下の写真です。海の中に丸く写っているのが浮上した島。

pakisatn-earthquakw-island.jpg

▲ NASA 地球観測衛星1号による撮影。Universe Today より。






 



島の周囲の海域が白くなっているので、そのあたりを含めて、隆起した海底の面積は島の何倍かあるように見えます。


そして、この島の全体的な形状もパキスタンの国立海洋研究所の航空撮影により明らかになりました。

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▲ パキスタン国立海洋研究所による撮影。Universe Today より。


高さは20メートル程度。大きさは記事によりまちまちですが、上のやや楕円形の長い部分は、200メートルと報道しているものもありますし、80メートルと報道しているメディアもありますが、右上のほうにボートのようなものがたくさんうつっていて、そのあたりからの比較で、大体の大きさはわかるように思います。

今回のポルトガルの島のように「浮上するもの」がある一方で、過去には水没していった数々の大地があり、中には文明圏だったと考えられる場所も数多くあります。




大西洋の海底で発見されたピラミッド


前回の記事、

パキスタンの新しい島を見て、最近の「海底の異変」の場所を思い返してみました
 2013年09月26日

の中では、最近、海で起きたいろいろな現象のことを記しまして、下の地図を載せました。

2010年〜2013年までに In Deep で取り上げた海底に関係する異変の場所




上の地図の左下に「 2013年2月に失われた大陸と発表された場所」という海域を示しています。こういうものは、アトランティス大陸とか、そういうような伝説上の話と結びつきやすいのですが、しかし、伝説との関係はともかくとしても、「海底の文明跡らしきもの」が存在する海域は非常に多くあります。

今回は、大西洋のアゾレフ諸島というポルトガル領の海底で、ピラミッド形状の構造物が発見されたという報道をご紹介します。

下の写真は現地の報道からのもので、GPS によって映し出された、そのピラミッドのような構造物と思しきものの形状です。

acores-ptramid.jpg

Terra より。


そして、こういうものが見つかると、すぐに下のような報道タイトルの記事が並びます。西洋の人々はアトランティス伝説がとにかく好きなようです。

atlantica.jpg

▲ 海底ピラミッドの想像図。ポルトガルのメディア DN より。


この建物のようなものの規模は GPS やソナーなどでの解析では、わりと大きなもので、高さは約 60メートル、全体の面積は 8,000平方メートルにのぼるものだそう。


アゾレス諸島というのは、下の赤い星の位置にあり、9つの島々でなっています。

acores.jpg


この中で、海底でピラミッドのようなものが見つかったのは、テルセイラ島とサンミゲル島というふたつの島の中間あたりです。

pyramid-undersea.png



今回は、アメリカに住むポルトガル人の人たちのための報道メディア「ポルトギース・アメリカン・ジャーナル」からその記事をご紹介しようと思います。ところで、今回ご紹介する記事を見た時に、コメント欄の一番最初に下のようなものがありました。

comment.png


海面下 40メートル!建設は氷河期の間に行われたのだと思います。 26000年前から 41000年前、あるいはもっと以前のサイクルに。しかし、誰によって? そして、もうひとつが日本の海にもあります。私たちはこの地球の最初の文明人ではないのです。



というようなことが書かれてあるのですが、まあ、いろいろな主張はともかく、この中に「もうひとつが日本の海にもあります」という響きが気になり、調べてみましたら、検索で行き着いたのは In Deep の過去記事でした。自分ではその記事を忘れておりました。






与那国島にある海底ピラミッドとされるもの


その記事は、3年以上前のもので、

紀元前数千年前のものとされる与那国島にある海底ピラミッド
 2010年06月26日

というものですが、 2008年に放映されたヒストリー・チャンネルというテレビ番組の内容を紹介した記事を掲載したものです。



▲ 上の記事より。


これは、ピラミッドだとか、あるいは古代の遺跡であると確定しているものではないのですが、琉球大学の木村政昭教授などを中心に人工物だとしての研究を進めているもののようです。

yonaguni-undersea-structure.gif

▲ 与那国島の場所。海洋政策研究財団より。


この場所は「与那国島海底地形(よなぐにじま・かいていちけい)」と名づけられていて、Wikipedia から抜粋しますと、下のようなものです。


与那国島海底地形は、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形である。人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、海底遺跡と考える説もあり、この立場からは与那国海底遺跡、与那国島海底遺跡とも呼ばれる。



とあり、上のページでは、現在ある説として、

・遺跡説
・古代文明遺跡説
・石切り場説
・中世遺跡説
・自然地形説
・侵食説


があるそう。

このうちの「遺跡説」に関しては、海洋政策研究財団の2004年のニュースレターに木村教授の与那国島海底遺跡の現状、保護のあり方というページがあります。

yonaguni-pyranid-1.jpg

▲ 上のページにある海丘の断面図。


上の図で「海底ピラミッド」と明記していることが目を引きます。

そんなわけで、確定されていないものが多いわけではありますけれど、世界中に、海底の文明かもしれないものがあるということは事実で、その中には、ピラミッドのようなものも多々あります。


上のコメントの人じゃないですけれど、私たち現世人類の十数万年前歴史の間、あるいはそれ以前には知られていない多くの文明が確かにあったということはあるのかもしれません。


そして、多くは海に沈んでいく。


そういうサイクルが存在するのなら、今の私たちの文明社会も、そのうち水没していくのだという気もします。

それも、何万年とか何億年の時間の話ではなく、パキスタンの地震島が「数時間で出現した」ように、あっとい間に消えていくのかもしれないです。パキスタンの地震島はそのことを改めて教えてくれました。

つまり、「地球の変化は一瞬にして起きる」ということを。


というわけで、ここから大西洋の海底でピラミッドかもしれない形状が発見されたという記事です。





Terceira: Subaquatic pyramidal shaped structure found – Azores
Portuguese American Journal 2013.09.19


アゾレス諸島の水面下でピラミッド形の構造物が発見された

acores-03.jpg


アゾレス諸島にあるテルセイラ島の沖の海底 40メートルの深さで、水中のピラミッド構造物が確認された。この構造物は完全な形の四角状をしている。アゾレス諸島の群島は 1427年頃にポルトガル人によって発見された無人島だ。

最初に発見したのは、プライベートヨットの持ち主であるディオクレシアーノ・シルヴァ氏だ。

この構造物は約 60メートルの高さであることが推定され、この謎の構造物は、 GPS と、デジタル技術によって記録された。


pyramid-silva.jpg

▲ GPS による画像が集められている。


最近、ポルトガル考古学研究協会( APIA )の学者たちが、ポルトガル本土に人類が文明を築く以前からアゾレス諸島で人々は何千年も生活をしていたことをピコ島の検証での考古学的証拠によって同定していた。

その証拠とは、島にある古代のピラミッド形状の石の建造物群だ。それらの中には 13メートルの高さのあるものもある。それらの建造物は、夏至に太陽と平行になるように建築されているため、方向を示すために建設された可能性がある。

さらに昨年、考古学者たちは、アゾレス諸島のテルセイラ島で、数千年前のものと考えられるロックアートを発見したと述べた。

過去3年の間に、アゾレス諸島の9つのすべての島々に古代の考古学的遺跡の数々が確認されている。それらには、ローマ時代の碑文、カルタゴの神殿、洞窟芸術、そして巨石な建造物が含まれている。




  

2013年09月18日



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tataouine-meteo-01.jpg

▲ 9月16日にチュニジアのタタウイヌという場所に隕石が落下したニュースです。今回の記事とは直接関係ないですが、アラビア語と隕石の記事の組み合わせがなんとなく興味深かったので貼っておきます。被害はなく、目撃されたというだけの内容です。写真はもちろんイメージ図だと思います。チュニジアのメディア Alikhbaria より。






 


幻想の自由


昨日の「真っ赤な空の中の真っ黒の富士山を見た日に太陽活動はほぼ止まった」という記事で、途中、コリン・ウィルソンやら、妙な話の展開となっていった部分がありまして、そこに「その著作の前書きからショックを受けた」と書いているのですけれど、「何にショックを受けたのか?」という根幹が書かれていないことに気付きました。

それは一言で書くと「実は私たちは自由ではないし、そもそも自由の意味がわからなくなっている」ということなんです。

どうしてかというと、今の文明社会において「価値」がどういうふうに作られているというと、それは「比較」だけです。

他者との
他の国との
他の考え方との


あるいは、


物質的な
精神的な


比較。

資産の格差でも立場の格差でも男女の差でも、イデオロギーの違いでも、人種の違いでも何でもいいんですけど、「価値」はすべて「他との比較だけ」というのが現実で、「絶対的な価値」というものが存在しない。

せめて神様の世界だけでも、と思ってもダメで、「こっちの神様のほうがエライ」というような話ばかりで、戦争にさえなる。

スビリチュアルの世界の話でも、たとえば、高い次元とか低い次元とか、あるいは、どこそこの宇宙の存在は人間より優れているとか劣っているとか、比較でなければ語ることのできない存在にまで堕ちている(比較できる対象を持つものは絶対存在ではありません)。


「純粋、あるいは絶対の存在」がこの今の社会ではもう見えないのです。


つまり、前回の記事で書いたそのコリン・ウィルソンの『殺人百科』の前書きを 30年前に読んだ時に、その時にはじめて、「世の中に絶対的な価値が存在しない」という事実に気付いたということなのでした。

それでまあ、愕然としたわけです。

まあ、知るのが遅いといえば遅いんですけど、ショックはショックでした。

それから若い時は暴力的な演劇のようなものや、あるいは存在を消した無為な生活を送り続けることなどで、この「価値のない自分」と「価値の存在しない世界」を考えたりしていました。


それにしても、以前からこのブログでは、ジョルダーノ・ブルーノだとか、フレッド・ホイル博士だとか、あるいは、ロシア宇宙主義のアレクサンドル・チジェフスキー博士などの話を書いたりすることがあります。

その人たちのことを知ったのはつい最近で、具体的にはこの3年くらいの間のことですが、この人たちの主張は、私が若い時にやっていた暴力演劇の根源にある問題を非常によく(私自身の心に対して)サポートしてくれることにいつも驚いていました。

ブルーノやフレッド・ホイル博士の言う「宇宙は無限」ということ、チジェフスキー博士たちの言う「人間と宇宙の末端は繋がっている(同一である)」ということ。

これらの意味を突き詰めると、第一段階として、


・宇宙は無限 → 無限という観念は裏返せば「存在しない」と同義


というものがあり、そして、


・人間と宇宙は同一である


ということを照らし合わせると、どうも宇宙か人間のどちらかが存在していないという疑惑が出てくる。


宇宙だけか、人間だけか、どちらかということになりそうな気がする。


これは、今の科学の概念では「とにもかくにも宇宙は存在している」と、当然のように語られます。その理由は、人類が地球に誕生する前から宇宙はあったという一種の「科学的推定」に基づいていますが、しかし、それが本当かどうかは今ひとつよくわからないとも言えます。

なぜなら、科学以外では、はじまりは宇宙からではないから。

聖書やコーランなどのメジャーな聖典を含めて、宇宙は「人のことばや人の行動から作られた」というような感じの記述ばかり。

もし、これらの記述通り、仮に「最初の存在が人間」なら、逆にそこに化学の基本的理論である「質量保存の法則」を当てはめれば、人間がエネルギーとして姿を変えたものしかこの宇宙には存在しないことになってしまいます。しかし、実際には宇宙には人間からは生産されない物質や人間には含まれない物質がたくさんある。


「じゃあ、自分たちの周りに存在しているこれらの物質やら色や匂いや感覚や空気は何なんだ?」と、たまに気がおかしくなりそうになることもあります。


こう書いていても、何だかもう全然わからなくて、ほぼ「狂気の逸脱」を見せているわけですけれど、いずれにしても、絶対的な価値というものは、比較する対象がない場合にはじめて言えることです。

どうにも、現世にはその「価値」が存在していないようにしか見えない。


こんな訳の分からない余談はここまでにしておきましょう。



さて、この地球の歴史は「周期的に劇的な変化」を繰り返しています。その中のひとつには「天体の地球への干渉」があります。これは簡単にいうと、彗星などが地球に衝突して、地球の様相を一変させるという意味です。


聖書「ヨハネの黙示録」 21章5節に


「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」


というくだりがあります。この「わたし」という主語が誰だかはわからないですが、彗星には地球を完全に新たにする力があります。

というわけで、今回の本題に入ります。






天体は地球を変えてくれるだろうか?


今回は、久しぶりにパンスペルミア説(地球の生命は宇宙に由来するという考え方)とも関係する話ですが、最近、「彗星が地球に生命をもたらした」という意見が科学界のメジャーフィールドでかなり大きな支持を集めはじめていて、そういう中の最近の報道のひとつをご紹介したいと思います。

今回の記事には米国のローレンス・リバモア国立研究所という名前が出てきますが、この名前は、ちょうど3年前の記事、


[彗星が地球に生命の素材を持ってきた]米国ローレンス・リバモア国立研究所でも地球の生命が宇宙から来たアミノ酸だという研究発表
 2010年09月16日


とというものにも出てきますが、その研究がさらに進んでいるようです。

上の記事にはフレッド・ホイル博士のよき共同研究者として、パンスペルミア説を補強する研究を続けた英国カーディフ大学のチャンドラ・ウィクラマシンゲ博士の話も引用されています。



▲ チャンドラ・ウィクラマシンゲ博士。記事「「私たちはひとりではない」と語り続けるチャンドラ博士が隕石から見つけたエイリアンの化石」より。


ウィクラマシンゲ博士の考え方は上の記事での彼の下の語りに凝縮されています。


「最近の驚くべき彗星の役割についての発見は、パンスペルミア説に対しての理論を補強している。我々は、次第に、それ(宇宙から生命が地球にやってくること)がどのようにして起きるのかというメカニズムも解明しつつある。土、有機分子、水、など生命に必要な要素がすべてそこにはある。長い時間と、膨大な量の彗星たちは確実に地球の生命に関与している」




また、今回の記事には「アラニン」というアミノ酸の名前が出てきますが、私がこのアラニンという言葉を知ったのは、国立天文台が「地球のアミノ酸が宇宙に由来している」という可能性が極めて高いことを発見した 2010年の報道の時でした。下のは、当時の読売新聞の記事の一部です。


生命の起源、宇宙から飛来か…国立天文台など
読売新聞 2010.04.06

国立天文台などの国際研究チームは、地球上の生命の素材となるアミノ酸が宇宙から飛来したとする説を裏付ける有力な証拠を発見したと発表した。

アミノ酸には「右型」と「左型」があるが、人類を含む地球の生物は左型のアミノ酸でできている。しかし、通常の化学反応では左右ほぼ等量ずつできるため、なぜ地球の生物にアミノ酸の偏りがあるのかは大きな謎となっていた。

研究チームは、南アフリカにある近赤外線望遠鏡を使って、地球から1500光年離れたオリオン大星雲の中心部を観測。アミノ酸をどちらか一方に偏らせてしまう「円偏光(えんへんこう)」という特殊な光が、太陽系の400倍という広大な範囲を照らしていることを初めて突き止めた。




上に出てくるアミノ酸の一種のアラニンというものの図が下のものです。


amino-alanin.png

▲ 国立天文台の生命をかたちづくるアミノ酸の謎より。


そして、この記事の中の記述である、


> 地球の生物は左型のアミノ酸でできている。


と、さりげなく書かれてある部分が「この地球上の生命の最大の謎のひとつ」だったのです。

これはあまりにも謎すぎるので「なかったこと」にして、科学の世界は進んできたらしいのですが、国立天文台が 2010年にこの謎に大きく迫ったという歴史的な出来事でした。

正直に書けば、この国立天文台の発見の時点で「地球の生命が地球で生まれた」という説の可能性がほぼゼロになったということも発表すべきだったと思います。

なぜなら、仮に地球の原始スープから生命が発生したのなら、その後の進化の中で、「左型のアミノ酸だけの生命で地球が満たされた」ということはありえないからです。


そして、現在の地球上の生命におけるアミノ酸も、ほぼすべて左型だという事実があります。


これは過去から現在に至るまで、すべての地球の生命の素材が宇宙から訪れ「続けて」いるという、かなり大きな証拠といえるのではないでしょうか。

国立天文台の当時のニュースリリースは、「宇宙の特殊な光から地球上の生命の起源に新知見」というページに残っていますので、興味のある方はご覧いただければ幸いです。人類の価値観に大転換を与える可能性のある発見を日本の国立天文台が今から3年以上前になしえていたのです。


ということで、国立天文台の発見に続き、英国と米国の研究チームも、地球型アミノ酸(左型)の発生源を宇宙空間(彗星)に確認したというニュースです。






Cosmic Factory For Making Building Blocks Of Life Discovered
IIAI 2013.09.13

生命のブロックを形作る「宇宙の生命の工場」を発見


科学者たちは、生命のビルディングブロックともいえるアミノ酸を製造している「宇宙の工場」を発見したことを科学誌「ネイチャー・ジオサイエンス」において発表した。

英国インペリアル・カレッジ・ロンドンと、英国ケント大学、そして、米国のローレンス・リバモア国立研究所のチームは、氷の彗星が地球に衝突する際にアミノ酸が生成されることを発見した。

これは、隕石や彗星が地球上に衝突した場合、同時に、生命の本質的な要素であるビルディング・ブロックも生産されているということだ。

研究者たちは、このプロセスは、地球に彗星や隕石の衝突が相次いでいた「後期重爆撃時代」と呼ばれる 45億年前から 38億年の後に、地球上で生命が登場した謎に迫るものだと考えている。

インペリアル・カレッジ・ロンドンの科学者ジータ・マーティンス( Zita Martins, )博士は、

「今回の研究は、生命の基本的なビルディングブロックは、太陽系の中のどこでも組成されていたことを示す。あるいは、太陽系を越えた場所でもそうなのかもしれない。しかし、これらの生命の素材は適切な環境がなければ繁盛していくことはできない。これは、太陽系の中でどのように生命のルートが築かれたというパズルをとくひとつの鍵となる」

と語る。



jets_in_the_southern_hemisphere_of_Enceladus.jpg

▲ 土星の第2衛星エンケラドスから噴き出す氷の蒸気。


土星と木星をそれぞれ周回する衛星であるエンケラドスやエウロパの表面には氷が豊富であることがわかっているが、これらの氷の存在が隕石が衝突した際にアミノ酸の生産に最適な環境を提供することができると研究者たちは考えている。そのため、研究者たちは、エンケラドスやエウロパでの生命を探索するために、これらの衛星への将来の宇宙ミッションの重要性を強調している。

また、研究者たちは、地球上での彗星の衝突が衝撃波を作り出していたことを発見し、その衝撃波がアミノ酸を構成する分子を生成することをも発見した。

彗星と似た組成を有する氷の混合物のターゲットに毎秒 7.15キロの速度で発射する大型高速銃装置で得られた衝撃は、グリシン、D - アラニン、および L - アラニンなどのアミノ酸を作り出した。





(訳者注) 参考までに上に出てくる土星の衛星エンケラドスの他の写真を、過去記事の、

土星の衛星エンケラドスに降り続ける「微生物の雪」
 2012年03月29日

に載せたことがあります。



▲ 無人土星探査機カッシーニが 2009年11月21日に撮影した噴射する水。





▲ 2012年3月27日に、土星探査機カッシーニがエンケラドスの南極からわずか 73キロメートルの場所を通過した際の写真。エンケラドスの南極からは気流が噴出され続けています。



  

2013年08月16日



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宇宙の始まりと終わりについての「結論戦争」はまだ始まってもいない


科学誌『ネイチャー』のサイトで、下の記事を見たのは1ヶ月ほど前のことでした。

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ネイチャーより。






 


この宇宙学者は、ドイツのハイデルベルグ大学の物理学者のことなのですが、記事の内容は「赤方偏移と宇宙の膨張の関係を否定した」というもので、とても私には理解できるものではなく、この時はスルーしていたんですが、しかし、その後、

太陽の北極を覆い尽くす「超巨大な穴」を横目で見ながら、アレニウスの「宇宙は無限」の言葉を噛みしめる
 2013年07月22日

という記事のタイトルに出ていますように、スヴァンテ・アレニウスという、いわゆる物理化学の創始者の1人といえる大科学者が今から100年以上前に書いた『宇宙の始まり』という本を読んだりしていたのですね。

arrhenius-05.jpg


アレニウスは 1927年に亡くなっていますけれど、それまでの科学の世界には、当然ながら、ビッグバン宇宙論というような科学の基本から考えて「珍妙」な学説は存在しませんでした。

なぜ、ビッグバン理論が科学の点から見て「珍妙」かということは、それこそ、『宇宙の始まり』から引用させてもらってもいいかと思います。

このアレニウスの『宇宙の始まり』を断片的に読んでいて、当時の科学者たちの視野の広さを感じるのは、引用が科学者の言葉や実験からだけではないところにも現れています。

特に、哲学者の言葉や著作からの引用がとても多い。

今回抜粋する部分に出てくる人名も、スピノザという人と、ハーバード・スペンサーの言葉であり、ふたりとも哲学者といっていいと思います。下の説明は、それぞれ Wikipedia からです。


バールーフ・デ・スピノザ( 1632年 - 1677年)

spinoza-01.jpgオランダの哲学者、神学者。デカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、ドイツ観念論やフランス現代思想へ強大な影響を与えた。




ハーバート・スペンサー( 1820年 - 1903年)

spencer-01.jpgイギリスの哲学者、社会学者、倫理学者。

1843年には当時も今と変わらず重要な経済誌である『エコノミスト』誌の副編集長となった。しかし、1853年以後、死ぬまでの50年間公職に就くことはなく在野の研究者として、秘書を相手に著述に専念した。著作が広く読まれるにつれ、名声を博した。

1880〜90年代の明治期日本では、スペンサーの著作が数多く翻訳され、「スペンサーの時代」と呼ばれるほどであった。




ちょっと人物紹介が長くなってしまいましたが、アレニウスは他にも、このような哲学者たちの言葉を多く引用し、そこに科学の真実との融合を考えていた様子がうかがえます。科学が今ほど近視的ではなかった時代では、他の科学者たちにもこういう視点はあったのかもしれません。

さて、そして、アレニウスの死後に登場する「ビッグバン理論」ですが、アレニウスは「そのような考えが出現してしまうのではないか」ということについて、懸念を持っていたようです。

その部分を抜粋してみます。

なお、このセクションのタイトルが『開闢論における無限の観念』というものでこの中に「開闢」という非常に難しい言葉が出てきます。「」は「門」の中に「辟」がある漢字で、私は読めませんでした。

それで調べてみましたら、この開闢というのは「かいびゃく」と読むようで、意味は、辞書によれば、「天と地が初めてできた時。世界の始まりの時」ということです。

つまり、開闢論というのは、「天地創造論」と同じような意味だと考えていいかと思います。

なお、カッコの赤い字は、私のほうで入れた注釈です。前後を省略していてわかりにくいこともあり、いくつかそれを入れさせていただいています。




『開闢論における無限の観念』より抜粋

物質はその全量を不変に保存しながら徐々に進化を経たものであるという主導的観念はあらゆる開闢論的叙説(天地創造論的な話)に共通である。

それ(宇宙とそこにある物質のこと)が突然に存在を開始したという過程には奇妙な矛盾が含まれている。一体宇宙に関する諸問題をすべてただ一人の力で解決しようというのは無理な話である。(中略)

明白な縄張り(科学の基礎中の基礎のこと)を守ることを忘れて、超自然的な解説を敢えてした人も少なくない。そういう人々は自然法則の不変という明白なスピノザの規準を見捨ててしまっているのである。ハーバード・スペンサーもこの点についてははっきりしていて『この可視世界に始まりと終わりがあるとはどうしても考えることはできない』と言っている。





このハーバード・スペンサーの言葉、

『この可視世界に始まりと終わりがあるとはどうしても考えることはできない』

という言葉は哲学者の感覚的な言葉のように響きますが、この言葉は、スペンサーの著書『生物学原理』というものに書かれてあることを、アレニウスが引用しているものです。その部分も抜粋します。


スペンサー『生物学原理』より抜粋


恐らく多くの人々は虚無からある新しい有機物が創造されると信じているであろう。

もしそういうことがあるとすれば、それは物質の創造を仮定することで、これは全く考え難いことである。この仮定は結局、虚無とある実在物との間にある関係が考えられるということを前提するもので、関係を考えようというその二つの部分の一方が欠如しているのである。

エネルギーの創造ということも物質の創造と同様にまた全く考え難いことである。生物が創造されたという信仰は最も暗黒な時代の人類の間に成り立った考えである



難しい書き方ですが、スペンサーはどういうことを言いたいのかということを考えてみますと、

・「無」と「実在」の間には何の関係もない

ということが大前提ということになっています。

その両者に関係性はないということです。

つまり、「何もない」ところから「何かが生まれる」ということはない、と。

ビッグバンというのは「何もない」ところから、宇宙という「存在が生まれた」という理論ですが、これはアレニウスが「そういう人々は自然法則の不変という明白な規準を見捨ててしまっているのである」と書いているように、科学の基本である質量保存の法則などにも通じる「この世の不変性」というものを完全に無視しているところに問題があると思っています。


何しろ、「何もないところから存在が生まれた」と言っているわけです。
ビッグバンというのは。


いくら観測上でそれを裏付けができている(とされている)現代であっても、「どうしてこの世の最初がこの世の法則を無視して作られたのか」というあまりにも大きな疑問が私にはあります。

まあ、私自身が科学については詳しくないですので、これ以上どうにも理論的なことは書けなく、このあたりで余談的な解説はやめておきますが、私個人としてはここまであげた抜粋の中で、最も自分の考えに近い言葉としては哲学者であるスペンサーの、

『この可視世界に始まりと終わりがあるとはどうしても考えることはできない』

というものです。

もっと短く表現しますと、


宇宙に始まりはない。

そして、宇宙には終わりはない。



これがすべてだと思います。

これ以上のどのような考えも私には馴染まないのです。

なお、ブログに出て来る書籍の入手について訊かれたことがあるのですが、ほとんどは私は Amazon の古本で買っているものが多く、中古が枯渇していなければ、 Amazon にすべてあるはずです。アレニウスの『宇宙の始まり』もこちらにあります。



というわけで、「宇宙は膨張していない」という最近の学説について、その後、少しわかりやすい報道記事なども出てきましたので、その中からひとつご紹介したいと思います。

英語圏の記事より、西側の文化にわりと批判的なスタンスのものが多いロシアのメディアでこのことを紹介しているものがありましたので、その記事をご紹介します。

なお、補足として、現代宇宙論で、この「宇宙の膨張」などについてどのように説明されているか、 Wikipedia などから抜粋しておきます。


宇宙の膨張

現在、宇宙は膨張をしている、と見なされている。だが、20世紀初頭、人々は宇宙は静的で定常であると見なしていた。

(中略)1929年にエドウィン・ハッブルが遠方の銀河の後退速度を観測し、距離が遠い銀河ほど大きな速度で地球から遠ざかっていることを発見した。つまり、ハッブルによって実際に宇宙の膨張が観測され、それにより《膨張する宇宙》という概念が定着したのである。



そして、もうひとつは今回の記事の重要な概念である「赤方偏移」というものについても抜粋しておきます。


赤方偏移

赤方偏移(せきほうへんい)とは、主に天文学において、観測対象からの光のスペクトルが長波長側(可視光で言うと赤に近い方)にずれる現象を指す。

天文学者エドウィン・ハッブルは様々な銀河までの距離とその銀河のスペクトルを調べ、ほとんど全ての銀河のスペクトルに赤方偏移が見られること、赤方偏移の量は遠方の銀河ほど大きいことを経験を生かして発見した。

この事象は、銀河を出た光が地球に届くまでの間に空間自体が伸びて波長が引き伸ばされるためであると解釈でき、宇宙が膨張していることを示すと考えられている。



上の中の、

> この事象は、銀河を出た光が地球に届くまでの間に空間自体が伸びて波長が引き伸ばされるためであると解釈でき、宇宙が膨張していることを示す


ことについて、今回、「それは違う」という学説が出たという話です。

とはいえ、私にはこの記事に書かれている意味自体はよくわかりませんので、翻訳記事が本記事ではありますけれど、参考程度にお読み下さい。

ここからです。





ex-top-01.png
19rus.inf 2013.07.16


宇宙は膨張していない可能性


ほとんどの現代の学者によって支持されている「宇宙の膨張」に関しての有名な理論について、最近それに対して反駁することができる意見が出た。

ドイツのハイデルベルク大学の物理学者クリストフ・ヴェッテリヒ博士(Christof Wetterich)が、宇宙が膨張している証のひとつとして知られる「赤方偏移」と呼ばれる現象についての理論を発表したのだ。

赤方偏移とは、観測対象からのすべての波長の電磁波を含む光のスペクトルが、可視光で言うと赤に近い方の長波長側にずれる現象を指す。遠方の銀河ほど大きいため、銀河を出た光が地球に届くまでの間に空間自体が伸びて波長が引き伸ばされるためであると天文学者たちに解釈されてきた。

この現象はアメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが1920年に発見した「天体が我々から遠ざかる速さとその距離が正比例すること」を表すハッブルの法則として後に定式化され、これにより宇宙が膨張しているとことが事実とされた。

しかし、今となって、ヴェッテリヒ博士は、原子から放出される光は、それらの成分、電子の質量に依存していると述べた。そして原子が重量を失う場合に赤方偏移があるという。

つまり、赤方偏移は単に原子が量のなかで減少した結果だという。

仮にこの仮定が正しければ、宇宙は膨張していないということになる。

ヴェッテリヒ博士の研究結果は、科学誌ネイチャーの7月号に発表された。

しかし、ヴェッテリヒ博士の理論は、明確な答えを与えるものではない。むしろ、新しい疑問を作り出したと言えるかもいれない。宇宙が膨張しているという伝統的な考え方によれば銀河間の距離は成長している。

いずれにしても、今回のヴェッテリヒ博士の研究結果は研究者たちにとっては考えるべき重要な難題となったといえるかもしれない。




  

2013年08月06日



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2011年の震災後の日本での出産調査に出た男女の出産比率の偏り

かなりの熱を出しながら飛行機に乗ったりしたりしていて、何が何だかわからない数日を過ごしていましたが、夏風邪は地域を問わず、わりとはやっているみたいです。そのうち記事にしたいですけれど「世界を覆う病気の渦」というキーワードもなかなか肥大しているように感じます。

熱もあったりしますので、今回はすぐ本題に入ります。






 


人類は女性がいる限り滅びはしないという「絶対」の中で

今回はタイトルのつけ方に迷ったのですが、アメリカの大学の研究調査により、2011年の震災後9カ月以降、「男の子の赤ちゃんの出生比率が大きく下がった」という調査結果についての記事が、米国のニューサイエンティストの記事にあり、興味深かったのでご紹介します。

震災も含めて、このような「巨大な社会的ストレス時」には同じように、男の子の比率が減ることが過去にも記録されているのだそう。

これは「女の子の出産数が増える」ということではなく、「男の子の出産数が減る」ということで、結果として女の子の比率が上がるということになるようです。

出産するのは女性ですので、タイトルの冒頭の「人類は」という部分は「女性は」でもよいのかもしれないのですが、結局、理由はよくわかっていないようで、男性ホルモンの一種のテストステロンというものも関係している可能性も書かれてあり、穏便に「人類は」としました。


そして、この巨大なストレスがさらに巨大になった場合、「女性が極端に多く産まれてくる」という世界になる可能性(男性が生まれてこないことにより、結果的にそうなるということ)もあるのかもしれません。


男性が何億人いても、ひとりの女性がいないと人類は存続しませんが、XとYの染色体を見ている限り、「その逆は有り得るかも」と思う私です。


記事中に出てくる専門用語の説明も記しておきます。


ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン

性腺の分化成熟や、生殖過程の調節を行うホルモンのひとつで、子宮絨毛から分泌され黄体からプロゲステロンを分泌させて妊娠状態を保つ。





テストステロン

ステロイドホルモンで、男性ホルモンの一種。
胎生期、妊娠6週目から24週目にかけて大量のテストステロンが分泌される時期があり、これに曝されることによって、脳は女性的特徴を失う。




それでは、ここから記事です。





More girls born in Japan after quake skews sex ratio
New Scientist 2013.08.04


震災後に日本ではより多くの女の子が生まれ、男性と女性の人口比率を偏らせた


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巨大地震が2011年3月に日本を襲った後、男の子が生まれた数は、女の子が生まれた数より少なかったことがわかった。

米国カリフォルニア大学のラルフ・カタラーノ (Ralph Catalano )博士と、その研究チームは、2006年から2011年末までの間、日本においての病院での出生の記録を精査した。

地震後、震源地に最も近い地域で出産された赤ちゃんの性別は女の子であることが多かったことがわかったが、震源地から遠い地域では出生の性別の偏りは見られなかった。

科学誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・ヒューマン・バイオロジー (American Journal of Human Biology)」 に発表された数値によると、震災で最も大きな被害を受けた地域の数々では、男の子が生まれた割合は予測より 2.2%少なかった。

このような偏りが示されたのはこれが初めてのことではない。例えば、2008年の米国の株式市場の暴落(いわゆるリーマンショック)の後にも、男の子の出生比率が少なくなったことが記録されている。

カタラーノ博士は、その理由について、「これは進化なのかもしれない」と述べる。

男の子は女の子と比べて、早産となる可能性が高く、また、男の子のほうが女の子より出生時の低体重に関連する問題に苦しむことが多い。震災や経済危機のようなストレス時には、女の子を出産するほうが、母親の出産の負荷に関して有益である可能性がある。

しかし、なぜ、ストレスが多くの男の子の流産を引き起こしてしまうのかについての理由は不明だ。

日本の震災後の調査では、震災後、9カ月目に男の子の出産率が女の子より落ちた。

研究チームはこれらの理由となる証拠を発見したが、カタラーノ氏は、これらには複数のメカニズムが働いている可能性があると語る。

胎児は、母親の免疫システムから「ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン」と呼ばれるホルモンを作り出す。弱いオスの胎児はこのホルモンをあまり作り出さない。したがって、より大きなリスクにさらされる可能性がある。

英国ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのウィリアム・ジェームズ博士は、父親のテストステロンのレベルがストレス時の男女比の偏りに影響していると考えている。

博士によると、ストレスが大きな期間、男性はテストステロンを多く作らない。そして、テストステロンのレベルが下がると、Y性染色体を運ぶ 「男性となる精子」の数が減り、質も落ちている可能性があるという。