【人類の覚醒と真実】 の記事一覧

2013年12月23日



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光で語り合う自分の細胞と他人の細胞。そして、人間は「生きているだけで永遠を体現している」ことをはじめて知った日



混乱した自分の精神の中、溢れまくる時事ネタを制御しきれずに、今日は単為生殖とシンクロニシティについて出会った本のことなどを書かせていただきます。


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▲ 単為生殖(パルテノゲネシス)という言葉の語源となったギリシャ神話の処女の女神パルテノース( Parthenos / あるいはアテナ )。パルテノゲネシスの「ゲネシス」( Genesis ) は、起源、発生、生成などを意味します。パルテノン神殿はこの女神のために建てられたのだそう。






 



個人的に、どうも「精神の不調」が続いています。

特に、土曜と日曜は神経症的に久しぶりなくらいに調子が悪い日でした。頭痛やめまいはともかく、思考の混乱などまで伴って、なかなか大変な1日でした。

これまでの経験ではこういう精神的な不調というのは、結構、「全体的(多くの人たち)にそういう傾向が出てくる時が多い」ので、まあ、メンタル的に弱い部分があると自負される方はお気をつけて下さいね。

そんなわけで、今朝もまだその余韻が続いているのか、思考が理路整然としていない時ですので、脈絡を考えずに自動筆記的に書き散らす可能性がありますが、ご容赦下さい。

今日か明日、最近溜まった時事ネタをまとめて書こうとも思っています。
何だか本当にいろんなことが起こり過ぎているのですが、今回の記事は時事ではないです。





単為生殖のシンクロニシティ、そして新しい DNA の発見

先日、

女性200人のうちの1人は「処女懐胎」しているという調査結果に思う進むY染色体の終末時計
 2013年12月19日

という記事を書きました。タイトルは「処女懐胎」としていますが、実際には「ヒトでの単為生殖(単独で種の再生産をおこなう)」についての記事だったのですが、これは記事を書いた後にも個人的に興味があり、何かそれについて書かれた本はないのかと探してみましたら、「ものすごく」いい本を見つけたのです。


ドイツ人のマリアンネ・ヴェックス( Marianne Wex )さんという女性の著者が 1992年に出版した『処女懐胎の秘密』という本で、ここでも処女懐胎という言葉が使われていますが、単為生殖の現実性を科学的な観点と、そして、社会的な面(女性の処女性についての男性社会での視点の歴史など)から描いたもので、日本語に訳されている単為生殖についての総合的な本としては(多分)唯一のものではないかと思います。

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▲ マリアンネ・ヴェックス著『処女懐胎の秘密』。 Amazon にあります。新刊は存在しないようで、 Amazon には古本しかないですが、ご興味のある方はどうぞ。


ちなみに、この著作はその根本にあるのはスビリチュアル的な概念で、著者は、45歳の時に免疫系の機能不全となり、動くこともできなくなりかかっていた時に一種の「覚醒」(本人はそう書いていませんが)を起こしたというタイプの方に見えます。前書きに以下のような箇所があります。


ひとり、隠者のようにひきこもった生活をしていた私に、さまざまな内面的体験がつぎつぎに押し寄せ、自然治癒と再生、つまり肉体的、感情的、精神的、霊的といったすべての次元における自分の存在の死と誕生が、しだいに私の関心の中枢をしめるようになりました。そのころから、奇妙なほど頻繁に人の話や書物をとおして、「単為生殖」というものに出会うようになったのです。



というもので、いわゆる「単為生殖に関してのシンクロニシティに巻き込まれる」とでも言うべき状態になっていったようです。しかし、この方のすごいのは、それをスピリチュアル的な思考だけでは考えず、徹底的に過去の科学データと社会データの中から、「単為生殖の現実」を調べ上げ、記しているものです。巻末に掲載されている、おびただしい参考文献の数と種類が、この本が「学術書」に匹敵するものであることを示しています。

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▲ この方がマリアンネ・ヴェックスさんだと思います。marianne-wex.de より。プロフィールを見ると、1937年のお生まれということです。単為生殖などの研究をする傍ら、長くヒーラーをしているそう。






光線によって他人の細胞に介入する細胞と DNA

この本の中でも、私にとっては、特に、構造的な可能性として言及しているくだりは圧巻で、有糸分裂という「真核生物の細胞分裂における核分裂が単為生殖と深い関係を持つ可能性の話」や、あるいは、さらに、非常に興味深い事例として、

「光による受精」

というセクションがあり、これは、アレクサンダー・グルヴィッチという研究者がおこなった実験の際に、「細胞から出ている光線は他者、つまり他人の細胞に細胞分裂をおこさせることができることがわかった」というようなことなど、興味深いことがいろいろと記述されています。


細胞や DNA から光が発せられていることことは 1960年代からわかっているそうで、それを測定できるようになったのはフリッツ・アルバート・ポップ博士というドイツの高名な生物物理学者が開発した機械によるものだそう。


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▲ こちらは人工的に作られた細胞ですが、レーザー光線を発する細胞の写真。 2011年6月13日の米国 Tech News より。2011年にアメリカの研究グループが作り出したものです。しかし、このようなレーザーが自然的に人間の細胞から発せられている可能性が上の記述と関係します。



この「光による《自分の細胞》と《他人の細胞》のあいだのコミュニケーション」ということに、私は大変に興味を持ちました。


私自身は、人間と「他の人間」の間には、細胞、あるいは DNA 単位で何らかの「物質的な」コミュニケーション手段が存在すると考えている部分があります。そして、光は物質ですので、それが正しいかもしれないという興奮にもつながります。


シンクロニシティ的なことにしても、夢や、あるいは知人などと「偶然」同じことを考えていた・・・などの「偶然」は生きているとあまりに数多くあるのですが、これを曖昧に「神秘的なこと」として捨て去るのは私はイヤでした。なので、その原因がわかるまでは、私は最近では、そのようなシンクロニシティを「単なる偶然」として片付け続けるつもりでした。

しかし、この「光」の話で、漠然としていたものがハッキリとしてきたような感じがあります。

ひとりの細胞と他人の細胞や DNA との間に光線でのコミュニケーションが常に存在しているというのなら、「シンクロニシティ」というものは、人間に普通に存在するごく通常の現象だということがわかります。






次第に明らかになる隠された DNA の本当の力

DNA といえば、「隠されていた DNA 内のコード」が新しく発見されたことがニュースとなっていました。

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▲ 12月12日の Yahoo ! UK より。


上の記事は、その後、日本語版 AFP に掲載されました。

新たな遺伝コードを発見、遺伝子制御に関与か 国際研究
 AFP 2013.12.13

記事の詳細は上のリンクからお読みいただけますが、その記事の出だしは、


米科学誌サイエンスで発表された研究論文によると、遺伝子の制御に関して指示を出していると考えられる新たなDNAコードが見つかったという。科学者らはこれまで、DNA は細胞にタンパク質の作り方を教えるものと長年信じてきた。



というものでした。「これまで知られていなかった DNA の遺伝子に対しての指令システム」が見つかったというようなことのようです。

ちなみに、上でご紹介した『処女懐胎の秘密』には DNA についての記述も何度も出てくるのですが、当時は(あるいは今も) DNA の 90パーセント以上の働きはわかっていなく、「それらは機能していない」というような意味のジャンク DNA などというような呼び方もされていたこともあるわけですが、次第に DNA の働きというものが明らかになってきている気がします。

過去記事で、「ジャンクDNA解明への挑戦」という記事をシリーズで記したことがあります。2年以上前の記事ですが、ロシアでの DNA 研究についての記事を翻訳したものした。その中の3回目は、

ジャンクDNA解明への挑戦(第3回):DNAは生物の直感力とテレパシーを支配している
 2011年06月13日

というタイトルのもので、そこにも「光と DNA 」の関係が出てきます。

抜粋いたしますと、


幻の DNA 効果

ロシアの科学者たちは、ハイパーコミュニケーションが起きる際の人間の DNA の状態を調べるために、レーザー光で DNA のサンプルを放射線に晒し、状態の変化を調べることに着手した。その結果、ハイパーコミュニケーションが発生する際には、人間の DNA と、人間そのものに特別な現象が観察されることがわかった。

DNA サンプルは、レーザー光のもとで典型的なウェーブパターンを作るが、研究者たちが DNA サンプルを「除去した後でも」、そのウェーブパターンは消えなかったのだ。そして、取り除かれた DNA サンプルのほうにもウェーブパターンがまだ発生していることを実験は示した。

これを研究者たちは、「幻の DNA 効果」と呼んでいる。



というようなことでした。

ところで、この細胞や DNA という存在自体が、「私たちは無限の存在であるということの目に見える現象のひとつである」ということを、『処女懐胎の秘密』のマリアンネ・ヴェックスさんの文章ではじめて私は自覚することができました。

それは以下のような下りでした。


「 DNA は生命情報を受け取り、担い、送り出す物質であり、これは単細胞体、植物、動物、人間のすべてにあてはまります。 DNA は自らを複製するのです。細胞分裂というプロセスをとおして DNA を伝えることによって、物質レベルで私たちの生命は実質的には無限なのです」


というものです。

この記述が科学的に完全に合っているかどうかはともかく、確かに私たちは生きている中で、毎秒毎秒、「無限の複製を自分の体内で繰り返している」ということを知ってはいるのに、それは「永遠そのものである」ということを忘れているような気がします。


これはつまり、


「人間は生きているだけで永遠を体現している」


という表現でも構わないと思います。

もちろん、他の多くの動物も細胞と DNA の複製が無限なのは同じですが、ここでは人間としての永遠性の話として書かせていただいています。


いずれにしても、このマリアンネさんの著作は、疑似科学に類したデータの羅列でなく、優れた「思想と科学の融合本」と考えていいかと思います。

そして、ここには「人類の未来」と関係するテーマが書かれていると私は思います。何しろ、私が思う人類の未来には「男女の肉体的生殖行為が存在しない」ということが重要な部分を占めています(恋愛がなくなるわけではない)。

このあたりは、ずいぶんむかしに、クレアの

人類の未来(5):神話が教えてくれる「女性」
 クレアなひととき 2011年07月02日

という記事で、下のように記したことがあります。


「女性は、今すでに、男性性システムの社会が作り上げた男女の在り方の理想像の矛盾と違和感に気づき始めている」


というようなことも書いています。


まあ、何はともあれ、今回はこの話だけとなってしまいましたが、次回の記事には、精神が復調すれば、溜まりはじめてパソコンの画面から外へ噴出しかかっている最近のいくつかの時事をご紹介したいと思っています。

今回の締めは、マリアンネ・ヴェックスさんが著作の中で「所信の表明」として記している部分を抜粋したいと思います。




『処女懐胎の秘密』(1992年)「はじめに」より
 マリアンネ・ヴェックス著/伊藤明子訳

私は自分を、輪廻転生を繰り返している個人的存在、さらには集合的存在と認識しています。さらに、あらゆる生命と −− 過去・現在・未来のあらゆる生命と −− ひとつになった存在と認識しています。

宇宙のあらゆるエネルギーは存在するすべてのものの姿をとり、したがって、私という姿もとりながら自己実現しているという認識をもって、私は生きています。つまり、決して自分を被害者とみなすこともなく、誰をも、何ものをも非難することなく、私の人生形成について、いかなる権威にもいかなる状況にも責任を転嫁しないということです。

私は、自分を囲む世界や自分の存在自体に、つまり私自身のもつ限界のなかに自らが反映されていることを認識しています。その自己の限界のなかで、私という存在およびあらゆる生命に対する無条件の愛を感じつつ、できるかぎり自覚的になり、できるかぎり自覚的に行動しようと務めているのです。



  

2013年12月19日



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▲ 英国インディペンデントより。






 


雌が単独で子を作る「単為生殖」はヒト(哺乳類)では起き得ないとする事実に入らないコンマ数パーセントの女性たち

今回の記事はタイトル通りのもので、アメリカで長期間にわたり、十代から二十代の若い女性たちに、性や妊娠、避妊方法についての知識、あるいは宗教的・民族的背景などに関する定期的なアンケートを継続した結果として、「処女懐胎」が存在するという推計値が浮かび上がったというものです。

調査期間は 14年間で、その結果、 7,870人の対象者のうち、その中の 0.5パーセントの 45人が「性交なしで妊娠した」と見なされたというものです。

これが、かなり多くのメディアで報道されている理由は、発表元の信頼性があるかと思います。

論文が掲載されたのは、英国のブリティッシュ・メディカル・ジャーナルという医学専門誌で、 1840年から発行されている代表的な医学専門誌だそうで、BMJ と呼称されます。 Wikipedia には下のようにあります。


BMJとはイギリス医師会雑誌( British Medical Journal ) の略称で、 1988年から BMJ が正式名称となっているイギリスの医学誌である。

国際的にも権威が高く、日本でも医師であれば必ず読んでおくべき雑誌と言われている。 世界五大医学雑誌などと呼ばれる代表的な医学専門誌の一つである。



ということで、つまり、「そんな話は、いい加減な調査か、対象者がウソをついているだけだ」というような話では済まされない期間と規模の正式な医学的調査なのでした。

もちろん、この調査の最初の目的は「処女懐胎」を調べるためではなく(そりゃそうだわな)、単に米国のティーンの女性の性や出産に関しての調査として始められたもので、その中で「浮かび上がってしまったデータ」ということになるようです。


そういうことなどもあり、いろいろと大きく報道されているようです。中には、下のインターナショナル・ビジネスタイムズのように、イエス・キリストなどの生誕の図などのイラストを使っているようなものもありました。もちろん、このイラストの概念は論文の内容とは関係ありません。

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IB Times (英国) より。


ただ、上のインターナショナル・ビジネスタイムスでは「処女懐胎の現象を証明」というタイトルとなっているのですが、インディペンデントなどの記事を読む限りは、調査した科学者たちもこの結果に対して、「懐疑的である」ことも見てとれます。

調査自体の信頼度は高く、記事にもありますが、


> この調査は米国の社会的背景や民族文化的背景をよく反映した信頼のできる調査だと見なされている。


とされ、調査自体に問題があるということではなくとも、参加した女性たちの宗教や信仰などが(本人に悪意はなくても)、間違った回答を導いているという可能性などについて記されています。

今回は最初に貼りましたインディペンデントの記事をご紹介したいと思います。イギリス医師会雑誌のオリジナルサイト(英語)は下にありますので、ご興味のある方はそちらも参考になさって下さい。

Like a virgin (mother): analysis of data from a longitudinal, US population representative sample survey
ライク・ア・ヴァージン(母):長期間データの分析からの米国人口の代表的サンプル調査
 BMJ 2013.12.17


なお、この論文のタイトル「ライク・ア・ヴァージン」は、今から 30年くらい前のマドンナのヒット曲である「ライク・ア・ヴァージン」(処女のように)と同じというあたり、なんとなく、論文を記述している本人が、この内容をやや「茶化している」ような感じも受けます(そうではないのかもしれないですが)。

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▲ マドンナの 1984年のメガヒット曲『ライク・ア・ヴァージン』のジャケット。曲は YouTube などにあります。



しかし、なぜ、このような「 200人に 1人が処女懐胎しているかもしれない」というショッキングな研究論文にやや茶化したイメージのタイトルをつけたのか? それは調査した科学者たち自体がその可能性をあまり信じていないからだと思われます。


これまでの科学で「男と女がいなければ人間は子孫を残せない」ということは確認されています。


あくまでも、「これまでは」ですが。






Y染色体の未来と「単為生殖」の現実性

生物の世界で、雌、つまり女性が単独で子を作る生殖の形態を「単為生殖」と呼びます。

これに関しては、単為生殖 - Wikipedia という項目を見てみます。
抜粋です。


単為生殖とは、一般には有性生殖する生物で雌が単独で子を作ることを指す。有性生殖の一形態に含まれる。

キリスト教の聖典である新約聖書によると、救世主イエス・キリストは聖母マリアから処女懐胎によって誕生したという。他の神話などでも、単為生殖を思わせる説話がある。(中略)

歴史的な事項としては、人類が単為生殖をしたと主張する例は多数あるが、ヒトを含む哺乳類にはゲノムインプリンティングがあるために雄ゲノムと雌ゲノムの両方が必要であり、どちらか片方のゲノムしかない単為生殖には否定的な実験結果が出ていた。


とあります。

ここに「ゲノムインプリンティング」などという非常に難しい言葉が出てきます。

これも Wikipedia をみてみます。


ゲノム刷り込みまたはゲノムインプリンティング は、遺伝子発現の制御の方法の一つである。一般に哺乳類は父親と母親から同じ遺伝子を二つ(性染色体の場合は一つ)受け継ぐが、いくつかの遺伝子については片方の親から受け継いだ遺伝子のみが発現することが知られている。


ということで、もちろん、これも私には意味さえよくわからないのですが、大事なのは、このように、一方の親から受け継いだ遺伝子だけが発現することは、結果として、

> 父親の遺伝子に欠陥があった場合に子どもが遺伝子疾患になってしまうことがある。

ということなのだそうです。

どうやら、この「ゲノムインプリンティング」というメカニズムが人間にあるために、人間は父親の遺伝子の欠陥を引き継いでしまう可能性があるということのようです。


そうなると「ゲノムインプリンティング」というものは、人間が子孫を増やしていく上では不利な、あるいは不要なもの」だという感じがしますが、実際、上の Wikipedia でも、「ゲノムインプリンティングはなぜ人間に必要なのか」ということが書かれているセクションに続きます。


ゲノム刷り込みの必要性

問題点があるにもかかわらず、なぜゲノム刷り込みが必要であるか(なぜ哺乳類に備わっているか)については、いくつかの仮説が唱えられている。

仮説の一つとして、「単為発生を防ぐため」というものがある。この仮説のように「これこれのため」という目的説の妥当性は別として、ゲノム刷り込みがあるせいで哺乳類では単為発生が起こらないことは事実である。


ここにある、

> 単為発生を防ぐため

というくだりはさりげなく、ものすごく重大なことに聞こえるわけです。

つまり、仮説ですが、ゲノムインプリンティングがあるために、哺乳類では単為発生が起こらないということのようなのです。


ここで、もし人間に「ゲノムインプリンティングというものがなければ、こうなるかもしれない」というふたつの可能性が出せるような気がします。


1. 女性が単独で受胎できる

2. 父親の遺伝子欠陥がこの世から消え去る



この「2」は、つまりは世代がいくつか経過すれば、「遺伝子欠陥の疾患(の一部)はこの世から消滅する」ということを意味するのかもしれません。

このあたりと関係することのひとつであるかもしれない「地球からの男性の消滅」ということに関しては、以前の In Deep やクレアなひとときではよく書いていました。






男性の消滅と人類の進化のマラソンの渦中で

数年前に「クレアなひととき」で「人類の未来」というシリーズを書いた時の最初の記事は、

人類の未来(0): Y染色体の挑戦
 クレアなひととき 2011年06月05日

というものでした。

その時、私は私個人が思う未来の予測として、下のように記しています。




時期はわからないですが、将来的に、人類は「新しい人類」に進化(あるいは変異)します。

そして、

それは男性に起きる

ということ。

そして、

その時には人類から生殖行為、つまりセックスが消えている





というようなことを書いていて、しかし、上の記事は非常に長い上に内容もカオス気味で、うまく抜粋できませんので、興味のおありの方はリンクからお読みいただけると幸いです。

男性の染色体が消滅に向かっているかもしれないことについては、 2009年のNHKスペシャルなどで取り上げられて以来、話題となったことがあります。


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性染色体がXXなら女、XYなら男。1億7千万年前に獲得したこの性システムのおかげで私たちは命を脈々と受け継いできた。ところが、この基本そのものであるシステムは、大きく揺らいでいる。じつは男をつくるY染色体は滅びつつあるのだ。専門家は「数百万年以内には消滅する」という。なかには、来週になって消えても不思議ではないとする意見さえある。

▲ 2009年1月18日のNHKスペシャル『女と男 最新科学が読み解く性』第3回「男が消える?人類も消える?」より。





また、今年の夏に書きました、

X染色体の地球 : 人類は滅亡を感じると女性を多く生き残らせようとする
 2013年08月06日

という記事に、私は、


「男性が何億人いても、ひとりの女性がいないと人類は存続しませんが、XとYの染色体を見ている限り、「その逆は有り得るかも」と思う私です」


というようなことも書いていて、そういうこともあり、今回の「処女懐胎」に関しての報道を見て、いろいろと思うところがあったのでした。


ちなみに、インディペンデントの記事などを読みますと、「処女懐胎をした」と主張したうちの多くは、キリスト教保守派的な信条や、強い思い込みの部分などが作用していると思われます。

7,870人のうち、性交なしで妊娠したと見なされた 45人のうちの3分の1は、キリスト教保守派だったと考えられ、そのあたりから推計していくと、どんどんと実際の「処女懐胎」の可能性のある数は少なくなっていくのですが・・・しかし、それでも「ほんのわずか」に、処女懐胎以外に考えることが難しいケースが存在していることは確かなようです。

起きる可能性があるとすれば、上のほうに書いたような遺伝子のメカニズムが「進化を起こした」ことによるもの意外は考えづらいですが、それはあって不思議ではないかなあとも思います。


何しろ、いつ男性(Y染色体)がこの世から消えるかわからないのですから。


では、ここからインディペンデントの記事です。




America's 'virgin births'? One in 200 mothers 'became pregnant without having sex'
インディペンデント (英国) 2013.12.18


米国での処女懐胎? 200人に1人の女性が「性行為なしで妊娠」


イギリスの医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル( British Medical Journal / BNJ )」に発表された長期的な研究による論文で、アメリカでは 200人に 1人の割合の女性がセックスなしで妊娠し、出産したと主張していたことが明らかになった。

この論文は、1995〜2009年にかけて行われた「思春期の若者の健康に関する全米での長期調査(National Longitudinal Study of Adolescent Health)」の一貫として調査がなされたものだ。

この長期調査に参加した女性は 7,870人に上り、対面式ではなく、ラップトップを通じて、性行為や妊娠や避妊についての知識、また、宗教的背景などに関する定期的なアンケートに答えた。

そして、その約 0.5パーセントに当たる 45人は、実際の性交渉の経験がないにもかかわらず妊娠したと答えた。また、その中に、体外受精(IVF)で妊娠したとという回答はなかった。

ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルの記事は、処女懐胎、つまり、学術的には単為生殖(メスが単独で子を作る有性生殖の一形態)と呼ばれる形態や、受精せずに胚が成長する無性生殖は、ヒトではない生物では起こりうることがあることを記している。

そして、処女懐胎は、たとえばイエス・キリストの誕生から、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』などに至るまで、大衆文化の中で幅広く支持されていると指摘している。

米国ノースカロライナ大学の研究者たちは、処女懐胎だという推定が浮かび上がる事例について、数千人の若い女性たちの長期間のデータの分析をおこなった。

その結果、受胎時にセックスをしなかったにもかかわらず妊娠したと主張する女性たちは、いくつかの共通の特徴を共有していることが分かった。

その調査によると、処女懐胎とされるグループのうちの3分の1に近い 31%は、「貞節の誓い」(結婚するまでは純血を守るという誓約)を立てていたことが分かった。性交による妊娠であることを認めたグループで貞節の誓いを立てた女性たちは 15%だった。また、「自分はバージンである」と答えた女性のうちの 21%が貞節の誓いを立てていた。

貞節の誓いは、婚前性交渉に反対している保守派キリスト教団体が推奨することが多い。

「処女懐胎した」と主張するグループが出産した時の平均年齢は 19.3歳で、そうでないグループの21.7歳に比べ2歳以上若かった。

調査に参加した女性たちの親にも性行為や避妊についてどの程度、自分の娘と会話をしていたかなどを尋ねたほか、女性たちが通った学校にも、授業での性教育の割合などを質問しており、この調査は米国の社会的背景や民族文化的背景をよく反映した信頼のできる調査だと見なされている。

今回の調査の論文のタイトルに『ライク・ア・ヴァージン(母)』というタイトルを施した著者は、「このような科学的に不可能な主張を研究する際には、研究者は、申告者の発言や振る舞いを解釈する際に注意する必要があります」と述べる。

そして、「あやふやな記憶や、個人それぞれが持つ信念や希望が、科学者に間違ったことを述べてしまう要因となるかもしれない可能性が存在します」と語った。




  

2013年12月16日



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▲ 科学誌ネイチャーの記事を引用した THP より。

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ロシアの声より。






 


長い歴史を持つ「宇宙は投影されているホログラフだ」という科学的理論の証明への挑戦の歴史

上の記事にある「宇宙はホログラフにすぎない」という学説は、文字だけを見ると単なる奇妙な学説のように響くと思うのですが、この理論そのものはかなり以前からあるものです。

しかし、特筆することは、「今回、それを理論的に証明しようとした論文を発表したのが日本人の研究チームだった」ということです。

この「宇宙はホログラフにすぎない」ということに関しては、ちょうど1年前ほど前の過去記事、

「私たち人類はコンピュータ・シミュレーションの中に創られた宇宙に住んでいる?」という仮説理論を検証する実験が開始される
 2012年12月12日

という記事で、米国のデイリーギャラクシーに掲載された記事をご紹介したことがあります。

それによりますと、古代まで辿れば、プラトンやデカルトなどの古代の哲学者たちの考えにまで遡り、彼らの「この世に見えている光景は邪悪な悪魔が作りだしたものだ」という思想と通じる部分があるようなのです。

そして、現代の学術的な意味での「宇宙ホログラム理論」は、英国オックスフォード大学の哲学教授のニック・ボストロム( Nick Bostrom )という人が 2003年に発表した論文の中で、「現在の人類が、コンピュータ・シミュレーションの中において生きている可能性」について言及したことが初期の頃のもののようです。

その後、2010年に、米国イリノイ州にある米フェルミ国立加速器研究所で研究が開始されることが報道されたりしていました。

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▲ 過去記事より。元の報道は 2010年11月4日の WIRED のものです。



ここで注目していただきたいのは、2003年に「宇宙はホログラフである」という論文を発表したオックスフォード大学の教授が「哲学」の教授だということです。物理学や宇宙学の専門家ではないというところに、この宇宙ホログラフ説の出発点の特異性があります。

そういうこともあり、そのオックスフォード大学の教授の論文の要旨は下のようなものでした。

「この3つの中のどれかが真実であるだろう」というものです。


1. 人類種は、未来の人類(ポストヒューマン)」のステージに達する前に絶滅しそうに見える。

2. しかし、どんなポストヒューマンの文明でも、非常に進化した文明のシミュレーションを数多く作り出せることはないように思える。つまり、私たちは、ほぼ間違いなくコンピュータシミュレーションの中に生きている。

3. 私たちが、現在シミュレーションの中で生きている場合に限り、ある日、「祖先の文明は間違っていた」と思えるポストヒューマンになる可能性がある。



まあ・・・実際、何がなんだかよくわからないんですが、しかし私は意味がわからなければわからないほど、その物事に惹かれるという性質があります。


しかし、それはともかくとしても、かつての科学者たちは、哲学者の思想からの着想で科学を発展させることを常としていた感じはあります。

過去記事の、

「宇宙は膨張していない」
 2013年08月16日

の中で、化学の世界で最も偉大な人物とされているアレニウスが、著作『宇宙の始まり - 史的に見たる科学的宇宙観の変遷』の中で、17世紀の哲学者であり神学者であったスピノザという人や、19世紀の哲学者だったハーバード・スペンサーなどの言葉を数多く引用して、宇宙物理を語っている光景はとても印象的なものでした。

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今では、「科学と哲学は別のもの」となってしまった感じがありますが、これらは再び融合しないと、理想的な未来の科学にはつながらないようにも思います。


話が逸れましたけれど、いずれにしても、「宇宙はホログラムである可能性」についての初期の提唱は科学サイドからではなかったのですが、その後、この検証にあたったのは、科学者たちでした。

そして、2012年に、ドイツのボン大学の物理学者シラス・ベアネ( Silas Beane )博士の研究チームが、このシミュレーション仮説をテストする方法を開発したというところにまで辿り着いたのでした。「格子ゲージ理論」だとかいう私には何だかわからない理論が基盤となっているようなんですが、しかし、科学者たちが導き出した理論には科学的矛盾が含まれていたそうで、過去の記事で翻訳してご紹介した文章の中では、

「(宇宙ホログラム論には)たとえば、アインシュタインの特殊相対性理論の法則に違反するなどのいくつかの法則レベルがある」

のだそうです。


アメリカの天文学者であり NASAにおける惑星探査の指導者的存在だったカール・セーガン博士は、新しい科学の主張について、「それまでにない驚くべき主張に対しては、やはりそれまでにない驚くべき証拠が必要なのだ」と言っていたことがありますが、逆にいえば、この宇宙ホログラム説という、よく考えてみれぱ「気の違った」かのような理論にも、「それまでにない驚くべき証拠」があれば、科学の真実としては認められる可能性があるということにもなりそうです。


そして、今回、海外で大きく報道されたことは、その「それまでにない驚くべき証拠」を見つけたのが日本人の科学者チームだったということなのかもしれません。

研究者チームは、京都大学の基礎物理学研究所の花田政範さんという方や、茨城大学理学部の准教授である百武慶文さんという方々を含む4名の日本人科学者のようです。「のようです」というのは変な書き方なのですが、発表論文が下のように表記が英語の上に、いくら探しても、日本語の報道は一番上に貼った「ロシアの声」日本語版だけで(多分、ロシア語報道からの直訳)、そこでは名前はカタカナ表記でした。

どうやら、日本の一般メディアはどこも報道していないようです。


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▲ アメリカのコーネル大学が運営する、物理学などの論文が保存・公開されているウェブサイト arXiv(アーカイヴ)にアップされたその論文。


上には4人の研究者の名前が英語で記されていますが、その最初のお二方の Masanori Hanada (マサノリ・ハナダ)さんと Yoshifumi Hyakutake (ヨシフミ・ヒャクタケ)さんという表記から検索して、そのおふたりの漢字での名前を記したのですが、もしそのおふたりでなかったらすみません。

間違いでなければ、下のリンクのウェブサイトを拝見する限り、准教授という地位ですが、比較的お若い科学者の方々のようです。

百武慶文 准教授の出ている茨城大学理学部のウェブサイト
花田政範 准教授の自己紹介ページのある京都大学白眉センターのウェブサイト

ちょっと笑ったのは、上の花田政範さんの自己紹介の冒頭でした。


サッカーや野球に向いていないのは物心ついた時から分かっていたので、はじめは歴史学者になろうと思っていましたが、やっぱり宇宙飛行士になって火星に行こうと思い、それもどうやら向いていないので数学へ、それも違うと分かって最終的に理論物理に落ち着きました。




「何でもできるのだなあ」と苦笑しましたが、いずれにしても、

サッカー > 歴史学者 > 宇宙飛行士 > 数学者

と進もうとしている中で行き着いた理論物理という学問の中で、「宇宙はホログラフ」という説の理論を証明するという偉業を成し遂げたようです。


大変に難解なことではありそうなんですが、最初に載せたロシアの声の記事は(正しいのかどうか不明ですが)下のようなものでした。適度に注釈を入れています。

こちらは比較的わかりやすく書かれていると思います。





日本発の学説:宇宙はホログラムに過ぎない
ロシアの声 2013.12.15

日本の宇宙学者らが、宇宙は巨大なホログラムに過ぎないという学説を発表した。理論物理学者フアン・マルダセナ(米国にあるプリンストン高等研究所の教授)の仮説を研究した末の結論であるという。

マルダセナの仮説によれば、重力は無限に細い、振動する弦から発生する。これら弦は別の宇宙から来るプロジェクション、ただのホログラムであるかも知れない。源・宇宙は次元がより少なく、そこには全く重力が働いていないのでなければならない。

茨城大学のヒャクタケ・ヨシフミ(百武慶文)氏率いる日本の研究チームがこの仮説の検証に乗り出した。すでに2本の論文が発表されている(量子ブラックホールモデルに関するもの、パラレル宇宙に関するもの)。

そのうちのひとつで百武氏は、ブラックホール内部のエネルギーを計算し、その「事象の地平面」の状態、そのエントロピーその他、弦理論が予定する多くの物象の特性を分析している。

またもう一方の論文では、ホログラムの源泉である低次元無重力宇宙の内部エネルギーが考えられている。どちらの研究もマルダセナ・モデルと理想的に合致し、かつ相互に照応する。






ああ・・・これは・・・。上で「こちらは比較的わかりやすく書かれていると思います」などと書いてすみません。少しもわかりません(笑)。


まあ・・・しかし、ですね。


わからないのですけれど、このように淡々と「宇宙はホログラムである」とか、あるいは、「この宇宙はパラレルユニバースである」とかを解いていったとしますね。そして、仮に、いつか実際に、この世は宇宙に投影されているホログラムだったと科学的に確定したということになったとします。


その時には、私たちはこの世をどのように考えればいいのだろうかと。


そして、どのように生きようとすればいいのだろうと。


それは思いますね。


この宇宙が、あるいは毎日の生活がホログラムであっても、スーパーで買い物をしたり、あるいは毎朝、会社に行く日々がなくなるというわけではないでしょうし、この世から病気が消えるわけでも、飢餓や戦争が消えるわけでもない。国家の債務も個人の借金も消えないたろうし、そして春が来て夏が来て秋が来て冬が来る。

この宇宙がホログラムでも恋もすれば失恋もする。


この宇宙がホログラムでも、トシをとれば、男性はあっちのほうも立たなくなったりする。


つまり多分、この宇宙がホログラムでも何も変わらない。


宇宙がホログラムだなんていうこんな劇的な思想でも、この世は同じ?



「いったいワシらはどうすりゃええんじゃろ」


と、テキヤだったお祖父ちゃんの故郷の高知(北緯 33度線上)の言葉などで呟きながら、考え込む 2015年の冬でした(タイムトラベラーかよ)。いや、 2013年の冬でした。



ところで、もうひとつ気になっている「中東情勢」について少し書かせていただきます。

中東情勢といっても、天候です。







洪水伝説のご当地で始まる黙示録的な洪水

gaza-apocalypse.gif

▲ 12月14日から15日にかけて、ガザ地区は壊滅的な洪水に見舞われました。 alriyadh より。


イスラエルをはじめとして、シリアやトルコ、エジプトなど中東の各国で大変な寒波と大雪が続いていることは、先日までの記事など、最近、いくつかの記事でふれていますが、寒波と大雪が起きているのが中東ですので、アラビア語のニュースを検索する際のために、せめてアラビア語で「雪」という単語だけでも覚えておこうと思ったのですが、アラビア語で「雪」は下の文字で、これひとつ覚えるのも相当時間がかかりそうです。

snow-arab.png


それはともかく、中東では、大雪と共に「大洪水」も起きています。

ガザ地区というところで、かつて経験のないような洪水が起きていまして、上に貼りました報道に多くの写真が出ています。

ap-02.jpg

alriyadh より。


それらのアラビア語のニュースで気になったのは、上に貼った報道の見出しもそうですが、多くの報道で「洪水」の文字に“”や 《 》 のような強調マークがついているのです。

洪水という単語には特に珍しさはないもので、しかも、文脈の前後から考えても、強調が入るのはどうも不自然な感じです。

「なんでだろうなあ」

と考えていましたところ、ふいに「ああ、そうか」と一休さん的に閃きました。


このあたりの地域は「洪水」という事象については特別な場所かもしれないのです。ノアの方舟 - Wikipedia の「大洪水について」というセクションによりますと、創世記などにある大洪水は、一般論としては、


古代の大洪水が、『創世記』やメソポタミア神話にあるように、世界規模で起こったとする者は少なく、「メソポタミア近辺での、周期的な自然災害」、あるいは「氷河が溶けた当初の記憶」などと見解の方が多く(中略)メソポタミア地方周辺の地質調査の結果、実際に洪水跡と推測される地層の存在が確認されている。


とのことで、洪水が世界規模だったかどうかは別としても、メソポタミア周辺で大きな洪水が起きていたことは事実のようです。

メソポタミアの位置は、私にとっては最もわかりやすく書かれていたサントリーの「キッズわくわく大百科」によりますと、下の位置です。

mesopotamia.gif

▲ サントリー水育・わくわく大百科「古代四大文明を育んだ大河」より。


上の青いところがメソポタミア文明ですが、現在洪水が起きているガザ地区というのは、まさにその中心的な場所でもあります。

過去記事の、

ガザ地区に打ち上げられた無数のマンタとエジプトに現れたイナゴの大群に思う第6の太陽の時代
 2013年03月02日

manta-002.jpg

という記事に、ガザ地区を示した地図があります。

map-egypt-gaza-2013-002.jpg


今年3月には、上の地図もありますように、いろいろなことが起きていたガザ地区ですが、今度は洪水です。

そして、多分、当地とその周辺の多くの人々、それはユダヤ教でもキリスト教でも、イスラム教でもどんな宗教の影響下にある人にも「洪水」という響きは、私たちの考える洪水とは違うものなのだと思います。

アラビア語のニュースのほとんどに洪水という単語に “ 洪水 “ とか 《洪水》のように強調を入れるのはそういう意味なのかもしれないと思った次第です。






この世がホログラムなら私たちはどう生きればいい?

それにしても、この世がホログラムであっても、そうでなくとも、上のような災害や悲劇や苦しみは存在しているわけで、それは言い方を置き換えれば、「この世が存在していても、存在していなくても」上のような災害や悲劇や苦しみは存在しているということなのでしょうか?


難しいです。


このあたりは、 大島弓子さんの 1980年代の漫画「ロングロングケーキ」でも読み返してみようかなと思ったりいたしました。この漫画は、「無数に存在する多次元宇宙と自分自身の存在との関係」を描いたものです。

このことはずいぶん前に、クレアの、

火星からこちらを覗く宇宙人の宇さんを見て思い出す「光る佛」
 2013年04月12日

というものに書いたことがあります。

今、その記事を読み返してみましたら、その記事の最後の1文は、

> 世界に馴染もうとしなければ、この世の中もいい世界だと思います。

でした。

この宇宙が実際に存在していようと、あるいは存在していまいと、自分という本質とそれを取り囲む存在は変わらないものなのかもしれませんけれど、そう簡単に「ああ、この世はホログラムでしたか」と納得していいものかどうか悩む 2015年の春でした(タイムトラベラーかよ)。 2013年の冬でした。



  

2013年12月12日



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aging-top-1.gif

IIAI より。






 


ドイツの研究機関が収集した膨大な生物種の老化と死亡率のカタログの中で見いだされる「人間の加齢の異常性」

大変に興味深い記事を見つけました。

今回はこの記事を翻訳してご紹介いたします。

ドイツの著名な科学機関であるマックスプランク研究所の中のふたつの部門がおこなった、「さまざまな生物種の老化と死亡率」についてのデータ収集の話です。

そして、そこから見えてきたことは、

これまでの「老化の科学的定義」は正しくないかもしれない

ということと、

人間は他の生物と比べて非常に特異な老化と死亡率の関係を持っている

ことがわかってきたということです。

どういうことかというと、「生物種によって、老化と寿命の道筋がバラバラ」なのです。

たとえば、人間の場合ですと、年をとると共に体が衰えたり、死亡率が上がるのが普通ですので、私たちは何となく「生物種全体」にそのような概念を考えることがありますが、今回の調査でわかったのは、「人間は奇妙である」という事実でした。


たとえば、記事に出てきた生命種のグループには、


・年を取るにつれて死亡率が上昇する
・年を取るにつれて死亡率が「下がる」
・死亡率が一生を通じて一定



などが出てきます。

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▲ 死亡率が一生を通じて一定の生物種のひとつ、ヤドカリ。写真はやどかり屋より。



red-gorgonian.jpg

▲ 年をとるほどに死亡率が減少する種のひとつ珊瑚のレッド・ゴルゴニアン種。 写真は Seasky より。



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▲ 年をとるほどに死亡率が減少する種のひとつ、サバクゴファーガメ。 写真は Wikipedia より。


そして、多くの生物群の中で、人間の加齢と死亡率の曲線の描き方は非常に奇妙なものであり、他の生物にはまったく見られないことなのだそうで、たとえば、人間は、100歳などになった時の死亡率が、生涯での死亡率の 20倍にも達するそうなのですが、他の種では、加齢と共にそのような急激な死亡率の上昇の曲線を描く生物はいないのだそう。


なお、いろいろな生物がいるのだから、いろいろな老化があってもいいだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれないですが、現在の生物の科学が「進化論」の上に成り立っている以上、このようなことは許されないのです。

なぜなら、進化論では今回のデータの現象を説明することができないからです。


個人的には、この難題に対して、科学者たちがどのように対応していくのかということにも興味があります。

何らかの理由を造り、むりやり進化論を守っていくのか、それとも進化論はついに「崩壊」に向かうのか。

それでは、ここから本題の記事です。




WHY DO WE AGE? SCIENCE HAS NO EXPLANATION
IIAI 2013.12.10


なぜ私たちは年をとるのか? 科学では何の説明もできない


高齢化という問題は最近のメディアでは最も注目される話題であるにも関わらず、科学者からはそれに対しての答えは出ない。

最新の人間と動物、そして植物の統計データは、老化プロセスにおける極端な多様性を明らかにした。しかし、既存の進化論ではこれらを説明することはできない。

寿命と死亡率は生命種によって大きく異なる。

死亡する確率が年齢と共に上昇するという事実は、人間には適用することができるが、それは全般として見れば、生物の真実ではない。

これは、ドイツのマックスプランク人口研究所( MPIDR )と、マックスプランク生物人口統計学センター( MAXO / Max-Planck Odense Center on the Biodemography of Aging )の科学者が率いるチームによる長期データ収集プロジェクトの結果であり、そこには 46の種の生物の死亡率や出生率がカタログ化されている。

そして、このデータが示す死亡率や出生率は、以前からの科学的説明では、生物が種により生きている時間に差が出ることを説明することはできないこともはっきりとしている。

たとえば、ショウジョウバエの人生は数日で、人間は数十年、ヒドラは数世紀に渡って生きる。



hydra001.jpg

▲ ヒドラは刺胞動物のうちヒドロ虫綱花クラゲ目ヒドラ科に属する淡水産の無脊椎動物の総称。
Wikipedia より。



それだけではなく、それらの死亡率の変動を説明することもできない。

一般的な理論では、たとえぱ人間のように、年齢の上昇と共に死亡率が上昇すると主張される。しかし、今回の研究のカタログには、実年齢の上昇と共に「死亡率が低下する」白マングローブや、砂漠のカメなどもグループ化されている。

また、いくつかの種では、生物の繁殖可能な期間と寿命についても、これまでの一般的な理論と同調しない結果となっている。

これまでの老化に対しての科学的説明の試みとしては、生物は、自分たちの種を再生させるために子孫を作る。子孫(子ども)ができるまでの間、自分の生命を保存するために生きる行動を取るとされてきた。

この推論に続いて、繁殖(妊娠)できない時期(年齢)に近づく時、生物はその肉体の衰えが始まるとされ、これが今までの「老化」として知られる状態の推論だった。

上の一般的な理論は、人間には一部真実でもある。科学誌ネイチャーの調査によると、現代の日本人女性の死亡率は、小児期の後に、一定に上昇し続ける。

しかし、人間においても上の一般的科学的推論と矛盾する部分がある。

それは、妊娠能力が可能である時期を過ぎた女性も男性たちも、その後に長く、しかも元気に生きているという事実だ。今日では、多くのお年寄りの男女が長く元気に暮らしているが、彼ら彼女らの生殖能力はずっと以前に消えている。

このこと自体がすでに一般的な進化論と矛盾していることなのだ。

そして、人間の場合は、加齢と共に急速に死亡率が上がる。例えば、100歳の日本人女性では、死亡率はそれまでの人生の平均の死亡率の 20倍以上に上がる。

私たちはこれが普通のことだと考えるかもしれないが、これは実は人間という生物が非常に奇妙な生き物であることを示す。

なぜなら、研究者たちのカタログには、他の生物種では人間のように、ある年齢で急激に上昇する死亡率の曲線を持つものはないのだ。他の哺乳動物の中では、ある年齢で死亡率が急激にあがる場合でも、せいぜい生涯全体の平均の5倍に達する程度だ。

なぜ、進化の中で、生物種のあいだにこのような大きな違いが作られたのかは生物学者たちにとっては謎となっている。

現在の理論から見れば、加齢の概念がまったく逆の意味となっているように見える二つの種のグループの存在が特に奇妙な構図を見せる。

一方では、その死亡率が一生を通じて一定のままの生き物が存在する。
例えば、ヒドラやヤドカリなどがそうだ。

彼らの体は一生の間に退化していないように見え、これはつまり、ヒドラやヤドカリなどには「老化が存在しない」と理解することができる。

そして、その一方では、成長するにつれて、死亡する確率が「減少」する種が存在する。

たとえば、レッド・ゴルゴニアン( red gorgonian /珊瑚の一種)や、ネットリーフ・オーク( netleaf oak / ブナ科の樹木)、あるいはサバクゴファーガメ( Desert tortoise )などがそうだ。

これらの種は、死亡するリスクがゼロになることはないが、年齢が増えるほど、次の誕生日まで生きられる確率が、彼らが若い時よりも上がっていく。

新しいデータカタログには、これまでの考えに対しての別の反証も存在する。それは、「生まれてから短い期間で死ぬ種は、彼らが早く年をとるからだ」という一般的な考え方に対しての反証だ。

これは彼らの死亡率がその生涯を通じて強く上昇することを意味する。しかし、時には、ツンドラハタネズミのような逆のケースもあるのだ。

ツンドラハタネズミは年をとると、生涯を通した死亡率の2倍の死亡率になるまで死亡率を緩やかに増加させる。それにもかかわらず、このハタネズミが1年を越えて生きることは滅多にない。


tundra-vole.jpg

▲ ツンドラハタネズミ。NHK クリエイティブ・ライブラリーより。


しかし、人間の場合は、年齢の増加と共に、死亡率が人生の生涯の死亡率の 20倍などにまで急騰するにも関わらず、時に、1世紀を越えて生きることがある。

今回のデータは、老化に関しての理論の統一への道を開くかもしれない。






ここまでです。

ところで、ドイツのマックスプランク研究所の発表をこのブログの記事にしたことは過去にかなりありまして、検索してみると、以下のような記事がありました。それぞれに大変、意味のある記事だったと思います。

2013年の夏に起きる「天の川銀河中心での大規模な衝突」は銀河系全体に何かをもたらすのか
 2013年02月03日

数百万年前に地球上で人類を拡散させたのは女性:古代原人の組成分析が示した行動パターンの事実
 2011年06月04日

抗生物質に代わる物質がドイツの機関で特定される(短鎖ペプチド)
 2011年06月09日

などです。

優れた研究は、純粋なまま進んでいけば、人間生活の発展に役立つはずだと思うのですが、あまりそうはいっていない面があるということに関しては、科学組織という存在全体の上に、「何らかの力」が覆い被さっているのかもしれません。

ビッグバン理論や進化論、あるいは人的要因による地球温暖化という理論がずっと主流であり続けることに見られるような、一種の何らかの人為的なメカニズムが存在しているのかもしれません。



  

2013年12月10日



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昨日の、

瞑想と思考が「 DNA と細胞の構造そのものを変化させている」ことが初めて明らかになった …… という報道を訳しきれずに時間切れとなり
 2013年12月09日

の続きです。瞑想による遺伝子の変化が身体へ具体的な影響を与えたことが実証されたということについての記事です。

それにしても、世界情勢というのも「軽いカオス」の渦中にありますねえ。昨日の朝、 Yahoo ! ニュースの国際のトピックスを見ると、下のようになっていて、何となく「混沌としてるなあ」と思った次第でした。

yahoo-2013-12-09.jpg


これはこれで今後のなりゆきに興味はありますので、少しふれてから本題に入りますね。






 




カオスな初冬

いつのまにか、ウクライナもいろいろ大変なことになっているようですが、そのレーニン像を破壊している様子は下の写真です。

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▲ 米国 NBC より。


ところが、先日の、

黙示録モードは継続 : ヨーロッパでは数十年来の暴風雨。アメリカも数十年来の寒波とクジラの大量死
 2013年12月08日

でもふれました欧州の寒波は、ウクライナにも影響を与えていまして、そのデモは下のように雪と寒波の中での非常に厳しい気象条件の中での行動となっているようです。

ukrane-2.gif

Gulf Times より。


上の記事は「数千人がキエフの独立広場で、暴風と豪雪が渦巻く中で立ち向かっている」というような記述で始まります。


そして、タイの混乱はずっと気になっていて、「やっぱり国王が直接国民に呼びかけないと収まらないかなあ」と思っていましたところ、 12月5日には、プミポン国王が国民に安定化を呼びかけました。

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▲ 英国テレグラフより。


下が、タイの首都バンコクの街頭に設置された大画面から語りかける国王。

thai-2.jpg

CP24 より。


ところが、国王の呼びかけの後もデモは収まらなかったのです。

昔のタイなら、国王が直接語りかけることで、何らかの進展はあったものですが、もはやそれが効かなくなっているような気配を感じます。

この12月5日はタイの国王の誕生日の頃でもあるのですが、 20年くらい前、国王誕生日の少し前の時期のタイに行ったことがあります。そのときのバンコクの街並みはそれはそれはスゴイものでした。あらゆる場所がイルミネーションで飾られて、文字通り「街自体が光輝いている」ということになっていたのです。

今年のバンコクも、あの時のようにイルミネーションは飾りつけられてはいるのでしょうけれど、そのイルミネーションの光が照らし出すのは国王の肖像よりはむしろ、デモと戦闘の様子となっているようです。



そして、南半球にあるオーストラリアは現在、本来は「夏」なのですが、大雪が降ったりしています。

au-summer-2013.gif

▲ 地球の記録より。




いろいろと混沌としている世界ですが、地球が変わっていくのなら、人間のほうも変わっていかなければならないということも感じます。

そういう意味では、今回ご紹介する記事にも多少の意味はあるのかもしれません。
というわけで、今回の本題に入ります。






瞑想とマインドフルネス

ところで、今回ご紹介する記事はよく読んでみると、前半だけが研究の実際の内容で、途中からは、「そこから肥大した話」となっていっています。

たとえば、途中から唐突にリプトン博士という人が出てきたりしますが、この人は今回の研究チームの人ではないと思うのですが、リプトン博士の話が1番長かったりするというようなこともあり、ややこちらも混沌とした内容の記事だったのですが、しかし、ややスピリチュアル的ではありますけれど、リプトン博士も悪いことを言っているというような感じではないです。


なお、記事の中には、「マインドフルネス」( mindfulness )という言葉が何度も出てきます。これは、辞書では、

「あなたの責任を意識している特質」

となっているのですが、これではあまりよくわからなくて、別の点から見ますと、下のようなところに行き着きました。サティ - Wikipedia の冒頭です。

mindfulness.gif

このページには以下のように書かれてあります。


サティは、仏教の瞑想の実践における重要な概念のひとつ。対象に価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、仏教における瞑想の主要な技術の一つである。

現在では通常、気づきと訳される。

英語では「気をつける」「注意する」という意味の"mindful"から派生した"mindfulness"が訳語に当てられている。


そして、この「マインドフルネス」という言葉は、今では日本語としても存在しているようなのですが、どうもその周辺は何となく魑魅魍魎の世界で、そのあたりには深入りしないようにしつつ、ここでは、原文の mindfulness には特別な訳を当てはめるのではなく、そのまま「マインドフルネス」と表記しました。

ただ、 Amazon で、たとえば、仏教カテゴリーにある20年以上前に米国で書かれたという「マインドフルネス」という本の書評を見たりしますと、非常にいい評価となったりしていて、その書評の中には「パニック障害だったのですが・・・(知ってよかった)」みたいな記述もありまして、個人的にやや興味を持っているような面もあります。

ただ、私は、学校教育時代に精神的にドロップアウトし続けて以来、他人(それがブッダやイエスやジャイナ教のマハーヴィーラなどの偉大な始祖であっても)が「こうしなさい」と言ったことを実践するのはどうも好きではないので、自分で何か見つけたいと思っています。

ダメならそれまで。


それでは、ここから本記事です。




Researchers Finally Show How Mindfulness and Your Thoughts Can Induce Specific Molecular Changes To Your Genes
Waking Times 2013.12.05


研究者たちは、ついにマインドフルネスと思考により本人の遺伝子に特異的な分子変化を誘導する方法を示した


dna-2013-12.jpg


精神のトレーニングや、あるいは意識の特定のモードを誘導することにより、有益な健康効果をもたらす可能性についての証拠が増え続けている中、科学者たちは、これらの精神のトレーニングや意識が身体にどのような物理的な影響を及ぼしているのかを理解しようとし続けている。

ウィスコンシン大学、そして、スペインとフランスの研究者たちによる新しい研究は、集中的なマインドフルネスの実践の後に体内で起きる特定の分子変化について、初めてその証拠を報告した。

研究では、集中的なマインドフルネスの実践をした瞑想の経験が豊富な被験者たちのグループと、瞑想的な訓練を受けていない被験者のグループを比較することでおこなわれた。

そして、マインドフルネスの実践の8時間後、瞑想者グループは、炎症誘発性遺伝子のレベルの低下を含めて、遺伝子調節機構のレベルの変化と遺伝子と分子の変化を示した。これらは、ストレスの多い状況からの早い物理的な回復と関係する。

ウィスコンシン大学の心理学と精神医学が専門であるウィリアム・デヴィッドソン( Richard J. Davidson )教授は「私たちの知る限り、今回の論文はマインドフルネス瞑想の実践と被験者内の遺伝子発現の急速な変化の関係を示した最初の研究論文です」と述べる。


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▲ ウィスコンシン大学のウィリアム・デヴィッドソン教授。アメリカの「心の健康調査センター」(Center for Investigating Healthy Minds)の創設者でもある。


また、スペインにあるバルセロナ・バイオメディカル研究所( Institute of Biomedical Research of Barcelona )のペルマ・カリマン( Perla Kaliman )氏は以下のように言う。

「この研究で最も興味深いことには、この遺伝子の変化が、現在使われている抗炎症性剤および鎮痛薬での作用対象となっている遺伝子において観察されたということです」


(訳者注)上の部分は、痛み止めなどの鎮痛消炎剤が遺伝子に作用する場合と同じ変化が瞑想の後の遺伝子に現れたということだと思います。平たく書くと、「瞑想と鎮痛剤が同じような効果を示した」ということのようです。



今回の研究は、学術誌『サイコニューロンドクリノロジー』( Journal Psychoneuroendocrinology / 精神神経内分泌)に掲載された。

マインドフルネスを基礎とした実践方法については、前臨床試験において、炎症性障害に有益な効果を示しており、炎症性障害の予防的介入としてアメリカ心臓協会( American Heart Association )が推奨している。

今回の新しい研究は、治療効果の可能性についての生物学的なメカニズムを提供することにもなる。


遺伝子の活性は知覚に応じて変更され得る

ブルース・リプトン( Bruce Lipton )博士によると、遺伝子の活性は、日常的に変化している可能性があるという。

これは、あなたの心の中の認識があなたの身体の化学的性質に反映されるということでもあり、あなたの神経系が、あなたの知覚を読み取って解釈し、細胞や血液の化学的性質を制御しているとした場合、あなたは文字通り、「自分の考えを変えることによって」あなた自身の細胞の運命を変えることができるはずだ。

実際、リプトン博士の研究は、人が認識を変更することで、その人の遺伝子の活性には変化が生じることを示している。そして、各遺伝子からは3万以上のバリエーションの遺伝子を作り出すことができることも示した。

リプトン博士は、遺伝子プログラムは細胞の核内に含まれていると述べており、遺伝子活性の変化が、その人の遺伝的プログラムを書き換えることができると考えている。

これは、ひどく単純なたとえとして書けば、あなたが病気を癒したいのであれば、あなたは考え方を変える必要があるということを意味する。


マインドフルネスの実践は具体的に身体の調節経路に影響する

デビッドソン教授の研究の結果は、炎症に関与する遺伝子の動きを低下させる機能調節を示した。

影響を受ける遺伝子には、炎症の痛みや熱の原因となる物質を作る炎症誘発性遺伝子 RIPK2 および COX2 ならびにいくつかのヒストンデアセチラーゼ( HDAC)遺伝子が挙げられる。しかも、その調節が発生する時間も早い。

また、今回の論文からは、マインドフルネスの実践がゲノムのエピジェネティックな変化につながる可能性があるという原理の証明を提供している。瞑想したグループでは、非瞑想グループでは見られなかった遺伝的変化を示している。


(訳者注)エピジェネティクスとは、こちらによると、「DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステムおよびその学術分野のこと」だそうです。



潜在意識の信念が鍵となる

非常に多くのいわゆる「ポジティブ・シンキング」の支持者たちは長い間、「良いことを考える」ことが良いという確約を持ってきたが、必ずしも、それがいつでも良い気分を生み出すわけではないことも、また彼らは知っている。

リプトン博士は、ポジティブ・シンキングのこの点に関しての議論はしない。

なぜなら、ポジティブな考えは、意識的な精神(顕在意識)から来るものだからだ。

博士はこのように言う。

「多くの人々は、意識的な信念や意識的行動を認識はしていますが、しかし、潜在的な信念や、潜在的な行動に気づいていません。しかし、潜在的な信念や行動は、意識されているものより何百万倍もパワフルなものであるかもしれないのです、私たちはふだんの生活の中で、自分たちの持つ意識や能力のうちの 90パーセント以上を使っていないのかもしれません」。








  

2013年12月09日



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Waking Times より。






 


「不滅ではない肉体」と「不滅の DNA」で作られている私たち人間

米国のウィスコンシン大学の科学者、そして、スペイン、フランスの国際研究者チームによって、タイトルにありますように、

「瞑想(あるいは思考)が遺伝子と、そして細胞の構造そのものを変えていく」

というメカニズムが明らかになったようです。

いろいろな意味で大きなニュースだとは思うのですが、まあ・・・(苦笑)・・・タイトルにありますように、時間が足りなかったのですね。

長い記事であることもあるのですが、専門用語と、あと訳した記事が、ややスピリチュアル系の息のかかったものらしく、「マインド・フルネス」などという、聞いたこともない単語が出てきたりと、いろいろと調べているうちに時間切れとなってしまいました。

途中までの状態でアップするのも抵抗がありますので、明日、調べたものなどと共に翻訳をアップしたいと思います。


この報道が、もしかすると、大きな意味を持つかもしれないというのは、たとえば、瞑想とか、あるいは「考え方」なんてものは、それはそれで「心」のほうの話として独立していることだというような考え方が 20世紀くらいの科学では支配的だったと思うのですね。

もちろん「心理的な影響が体調など身体面に影響を及ぼす」ということはわかっていても、私たち自身も「なんとなく」という感覚が強かったと思います。

しかし、実際に「人間は考えるたびにその DNA が変化していっている」ということが確実になってきましたようで、そうなりますと、まあ、昔の宗教的な偉人さんたちから、現代にいたるまでの瞑想的な概念を持つ様々な行動や思想は、無意味なことではないということにはなりそうです。


wisconsin.gif

▲ ウィスコンシン大学の12月4日のニュースリリース


上にある「遺伝子発現」というものの意味は、 Wikipedia では、



遺伝子発現とは、遺伝子の情報が細胞における構造および機能に変換される過程をいう。



とのことで、遺伝子の情報から細胞の構造や器官が変化することを言うようで、「なんとなく変化する」のではなく、具体的に肉体そのものが変化していくものとも言えるような感じです。


まあ、私自身は「私自身という生き方を実験している」をしているという部分もあり、今まで瞑想はしませんでしたので(言葉づかいと通常の思考形式だけで十分にその役割を果たせるように考えています)、これからもしませんが、瞑想を含めて、思考やマインドの部分が人間の身体を、その根本である DNA や遺伝子情報の部分から変化させていっているというのは大きなことだと思います。




言葉と思考が人間の存在を形作っている可能性

ずいぶん以前、「 DNA は言葉と振動の影響で頻繁に再プログラムされている」というロシアの研究について記事を載せたこみとがありました。

それらの過去記事は、

ジャンクDNA解明への挑戦(第1回): 記憶媒体として機能しているDNA
 2011年06月11日

から

ジャンクDNA解明への挑戦(第4回): 人間の遺伝子の変異を促すものは何か?
 2011年06月16日


にありますが、その4回目には以下のような部分があります。

人体というのは、それそのものが明らかに体温程度の常温での超伝導(物質の温度を摂氏マイナス273度付近まで冷却した時に、電気抵抗がゼロになる現象)を果たすことのできる有機体だということがいえる。一方、人工の超伝導体では、マイナス200度などのレベルに至るような非常に低い温度を要求する。

最近のロシアの研究では、すべての超伝導体は光や、あるいは情報といったものを格納することができることがわかっている。


これらの科学的な意味はともかく、人間(あるいは生物全般)の体は、それ自体が非常に興味深いものだといえるということです。通常の物質だと、マイナス273度などの低温でなければなし得ない超伝導と同じメカニズムを通常の温度で持っている。

そして、もっと面白いのは、人間はマイナス 273度などの温度に放り込まれれば、死んでしまうわけですが、 DNA は死にません。死なないというか、消滅はしないです。

そして、多分、そこに「記憶」と「情報」が永遠に存在し得る可能性が含まれている。

この何が面白いかというと、

不滅ではない肉体



永遠不滅の DNA

で私たちは構成されているということです。

DNA-ref.jpg


でも、 DNA が永遠不滅でいられるのは宇宙空間でだけだとは思いますけれど。

これについては、地球上での DNA の寿命の計測についての記事を書いたことがあります。

DNA は永遠不滅ではなかった : 研究により DNA の分子は 680万年程度で消滅することが判明
 2012年10月13日



そういえば、10日くらい前からずっと書きたくて、ついに書く時がなかったのですが、最近、日によって、「火球」がスゴイのです。

下のは、11月30日のものですが、36個の火球が地球の上空で交差しただけではなく、このうちの「 35個は何の流星群にも属さない孤立した火球」なのです。

fire-ball-2013-11-30-02.gif

Spaceweather より。


12月には、ふたご座流星群というものが観測できます。
下のは、昨年のふたご座流星群の様子を時間を短縮して GIF 動画にしたものです。

geminid-2013-001.gif


孤立した火球に加えて、流星群の火球も加わってきて、空もかなり賑やかになると思います。

そして、実際には日々、隕石が世界のいろいろなところに落下していることも報告されていますが、いずれにしても、

・寒い冬
・賑やかでやや危険な空
・カオスな世界情勢


は、2014年まで続いていくのだと思います。



それでは、明日、 DNA の記事をアップしたいと思います。








  

2013年11月26日



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現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人、そして「科学上知られていない謎の人類種」の4人類種間での性交配があった可能性が最新の DNA 解析で判明

dna-2013.gif

THP より。

今回は、最近興味を持った上の記事をご紹介したいと思います。

最近の研究で、私たちの祖先(かもしれない)古代人類と、ネアンデルタール人やデニソワ人といった複数の古代人類種たちが、いまだ知られていない謎の「未知の人類と交配していた」ことが、 DNA 解析によって明らかになったことが報道されていました。

つまり、私たちは何らかのハイブリッド種(交雑種)である可能性があるということにもなり、「正体のわからない遺伝子を引き継いでいる」という可能性もあるのかもしれません、

ところで、今回は最初に、本題とは本当にまったく関係ない余談を書かせていただきます。個人的な「いわゆる青春的」な思い出と関係する話です。






 



自然の最も奥深い謎のひとつは死んでいるものと生きているものの対立である

最近、「自分のこれまでの人生って自分にとって、どうだったんだろうなあ」というようなことを思うことがあります。良いとか悪いとかの価値判断をしたいのではなく、善悪の判断でも肯定でも否定でもない単なる「どうだったのかなあ」と。

そういうことを思っている時に、ふいに「山崎春美」が今年の夏に、新しい著作を出していたことを知りました。

まあ、山崎春美と書いても誰のことだかおわかりにならない方が多いでしょうけれど、私が 1980年代冒頭の頃の 16〜17歳の頃に決定的に人生の方向性を影響づけられた人物でした。春美という名前ですが、男性です。

彼の経歴などは 山崎春美 - Wikipedia に詳しく書かれてありますし、それを紹介するのがこの記事の目的ではないですので、多くは書きませんが、私の生き方はこの山崎春美の表現物(特に文章)に方向を形作られた部分がかなりあります。

その文章を知ったキッカケは異常なほど偶然で、高校1年くらいの頃に、当時存在した「自販機雑誌」というものの中で発見した JAM という雑誌を読んで面白くて仕方なかったことが、私がカウンターカルチャーに興味を持った最初でした。

山崎春美はその雑誌の編集者でした。

また、彼は前衛バンドの「ガセネタ」というバンドも結成していましたが、その音楽とパフォーマンスにも私は異常に感銘を受けたものです。その内容は気軽には書けないほど過激なものでした。

彼の活動は、まだガリ版印刷みたいな紙質だった時代の雑誌だった宝島などでもよく取り上げられていて、北海道の田舎の高校生だった私はその頃から、「東京に行こう」と思いが強くなっていました。

その山崎春美が 1976年から 2013年まで書いた文章の著作集としての書籍がこの夏に出版されていたことを知ったのは、なんと朝日新聞デジタルという超メジャー舞台の書評欄でした。

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▲ 朝日新聞デジタルの (書評)『天國のをりものが 山崎春美著作集1976―2013』 山崎春美〈著〉より。


この本の表紙に使われている写真は、私が東京に来てすぐに買った HEAVEN という雑誌の表紙そのもので、その意味でも個人的に懐かしい感じがするものです。 HEAVEN は、山崎春美や、今は精神科医の香山リカさん(香山さんの名付け親は山崎春美)などが歴代の編集長を務めた雑誌でした。

その『天國のをりものが 山崎春美著作集1976―2013』というタイトルの本を探すと、 Amazon にもあり、2500円とやや高い本なのですが、 購入しました。

パラパラとめくると、高校時代に雑誌などで読んだ文章がいくつか出てきて、漠然とですけれど、「存在自体の変革の夢」を夢想していた十代の頃を思い出して、不覚にも涙ぐんでしまった次第だったりしたのでした。

この本は基本的には過去の彼の書いたものをまとめたものですが、前書きだけ書き下ろしていて、その最初はこのような出だしでした。




罪を償う前に

「現代では生者と死者が対立している」というヘルマン・ワイルのことばを、松岡(正剛)さんから聞いた。もはや三十数年も前の昔話だ。その単なる数学者にとどまらない偉人の、あきらかにボクの聞き囓りでしかない一言は、実際には、「自然の最も奥深い謎のひとつは死んでいるものと生きているものの対立である」だという。

コトバは飛来し付着する。または旋回しウィルスみたいに伝染する。伝播し憑依し唾も飛ばすし口角も泡立つ。不本意に引用されては変形を余儀なくされ、すり減っては陳腐化する。やたら無駄遣いされたあげく、打っちゃられちゃったりもしよう。その、もともとの物理学や生物学とは無関係に、そして決して神秘学やオカルトにも日和らず与せず、上記のワイル先生の至言は、ボクの「原点」となった。





ここに出てくるヘルマン・ワイルという人を私は知らなかったので、 Wikipedia で調べてみますと、下のような大変に高名な数学者のようです。

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山崎春美は、この前書きの後半で、このヘルマン・ワイルという数学者が言ったという「死んでいるものと生きている者との対立」について、「生者と死者の対立の場は自分自身の中にある」ことに言及します。

「自分は幽霊だ」として、このように書きます。




その幽霊はボク自身だ。

ドッペルゲンガーでも「悪魔っ子」でもない。ボクの分身などではなく、いってみればボクの方法とか手段である。その一例が狂った磁石であり、いまだかつてないほどすり鉢状の底が深い蟻地獄で、その傾斜角度たるや直角だ。





ちなみに、ここで、山崎春美は自分のことを「ボク」という違和感のある一人称で書いていますが、あえてそうした理由も述べていますが、それはまあどうでもいいです。





ペアではないかもしれない自分

かつて、クレアなひとときで、

ペアである自分
 2011年01月28日

というタイトルの記事とそのシリーズを書いたことがあります。

これは「人間と宇宙との一体性」について書きたかったのですが、そのようには書けていないですけれど、このことは In Deep でも、

「宇宙は人間そのもの」という結論を夢想するとき
 2012年03月19日

という記事など、いくつかの記事で書くこともありますが、いつでも内容は断片的であって、しかも、統一性にも欠ける部分があります。

それでも、今回の山崎春美の著作の前書きを読んで(まだ前書きしか読んでいないのですが)、

「ペアの自分を考える必要はない」

という感じ方も芽生えつつあります。

それは、自分も他の物質も宇宙も含めて「すべてがひとつ」という考え方というような考えが芽生えたというような感覚と近いですが、上手な表現はできないです。


いずれにしても、山崎春美の文章や音楽を知ってから約 30年。

世の中はその頃と比べてみると、比較にならないほど悪くなりました。とても便利な世の中になりましたけれど、それでも「格段に悪くなった」という言い方以外のコトバを知りません。

しかし一方で、そのように、「悪くなった」と考えることができるというのは、比較として、

「良い記憶を持って生きている」

ということであることにも気づきます。

というわけで、 150歳にもなると(100多いぞ)いろいろと振り返ることも多くなるようで、あまり先を見なくなります。


意味のない前書きを失礼しました。

ここから本題ですが、ここまで長くなりましたので、科学誌ネイチャーで発表された内容についての報道記事の翻訳にすぐ入ろとうと思います。


なお、記事に出てくるネアンデルタール人とデニソワ人という、ふたつの古代人類の間に異種交配があったことは、2010年に初めてわかったことらしいですが、その時のナショナルジオグラフィックの記事を少し抜粋しておきます。



アジアでもデニソワ人と交雑の可能性
ナショナルジオグラフィック ニュース 2011.11.02

2010年、ヨーロッパの初期現生人類とネアンデルタール人の異種交配を示す研究が発表され、各界に衝撃が走った。さらに今回、東南アジア付近の現生人類もネアンデルタール人の姉妹グループである「デニソワ人」と交雑していた可能性が明らかになった。中国南部一帯に住む現代人の遺伝子構造の約1%はデニソワ人に由来するという。

デニソワ人は既に絶滅した化石人類の一種であり、大きな歯を持っていたとされるが、詳細の解明は進んでいない。まったく未知の人類と考えられていた時期もある。




これだけでも科学界は当時、異様な衝撃に包まれたようなのですが、さらに、ここに「現世人類」と「もうひとつの謎の人類種」も交配していたというショッキングな古代の話であります。

そして、その謎の人類種は「アジアからやってきた」ようです。

では、ここから記事です。




Ancient Humans Had Sex With Mystery Species, New DNA Study Shows
THP 2013.11.19


古代の人間は謎の種と性交をしていたことが、新しい DNA の研究によって示される


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▲ 骨から復元されたデニソワ人。


11月18日、異なるふたつの古代のゲノム(遺伝子全体)が、ロンドンの王立協会の会合で発表された。ひとつはネアンデルタール人、もうひとつは古代デニソワ人のものだ。

それらのゲノムが示したことは、30,000年以上前、アジアからヨーロッパに住んでいた古代の複数の人類間で異種交配が行われていたということだ。

そして、そこにはいまだ知られていないアジアからの謎の古代人類の種が含まれていることをも示した。

ロンドン大学の進化遺伝学者、マーク・トーマス( Mark Thomas )博士は、今回の研究について以下のように語る。

「これが示しているところは、私たちは古代の『ロード・オブ・ザ・リング』(「指輪物語」)の世界を見ているということです。つまり、古代の地球には非常に多様な人類種の社会グループがあったということです」。


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▲ 発掘中の研究チーム。


2010年に、ネアンデルタール人とデニソワ人が異種交配していたことが判明したことは、人類史の研究での革命的な発見だったが、それだけではなく、そこに生態学的な意味での現世人類も交配に加わっていたということで、現代の人類種の遺伝的多様性はそのためであることがわかってきていた。

そして、今回の解析チームのひとりであるハーバード大学医学部の進化遺伝学者デビッド・ライヒ( David Reich )博士は、驚くべき発表をした。

デニソワ人は「謎の人類種」と交配していたのだ。

この謎の人類種は 30,000年以上前にアジアに住んでいたすでに絶滅した古代人類種だが、現世人類でも、ネアンデルタール人でもない、まったく未知の種だ。

会合の場は、この新たな人類である可能性を持つ種についての予測で騒然とした。

ロンドン自然史博物館の古人類学者であるクリス・ストリンガー( Chris Stringer )氏は、「我々には皆目見当がつかないのです」と述べた。







  

2013年11月19日



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CNET より。




アメリカの理論物理学者が、死後の世界(あるいは来世)を科学的に証明できると確信していること、そして、「宇宙は我々の認識なくしては存在しない」ということを述べたことがアメリカのメディアで報道され、話題となっています。

今回はその記事をご紹介しようと思いますが、どうして、この記事をご紹介しようと思ったかたというと、部分的に、以前からこのブログで書いていました「私個人が想像する人間と宇宙の関係」と近いものがあるからです。

先に、そのことについて少し書かせていただきたいと思います。






中世の神秘学での「真実」に近づいていく科学

2011年3月11日の震災の直後から1ヶ月くらい、くるったように毎日、「人間について」のことを書き殴り続けた頃があります。

そんな中で、知り合いからもらったメールが、私をさらに駆り立てることになりました。

そのメールの内容は、震災6日後の、

人類が獲得した「予知できない」能力
 2011年03月17日

という記事に記していますが、今回また載せさせていただこうと思います。

かつての「クレアなひととき」の頃にはブログにコメント欄があり、無知だった私は、多くの方々からコメント欄を通して、いろいろなことを教えていただきました。

その頃にコメントを下さっていた方のひとりに、ルドルフ・シュタイナーの研究者であり、薔薇十字の修行者でもある、ねるさんという若い男性がいました。その方が送ってくれたものです。

rudolf-steiner.jpg

▲ ルドルフ・シュタイナー。19世紀から20世紀の初めにかけての有数の哲学者であり神秘思想家でした。


下の文章は、彼が、2011年の震災の直後に送ってくれたメールの内容の一部です。

ところで、今回の「死後の世界」の報道は、ロシアの声の日本語版にも短く報道されていて、そこには下のような部分がありました。

量子物理学 死後の世界があることを証明(ロシアの声)」より抜粋。

普段青いと思ってみている空でも、脳に作用することによって、赤とも緑とも認識することができるということで、それゆえ、宇宙というものは我々の認識なくしては存在しないのだという。


と書かれてありましたが、この中の「宇宙というものは我々の認識なくしては存在しない」という部分をご記憶いただいて、お読みいただくと幸いです。




現代人の知性とその可能性

人間の知性はいまや他の存在たちにとっての希望です。
自然のなかに生きていた神々はもういません。

自然は、もはや自動的に運行する機械に過ぎないのです。科学によって自然を観察しても生命は見つかりません。自分を探してのぞき込んでも、見つかるのはただの影にすぎません。

今や人類はそれ以前とは異なります。神々は人類に運命を委ねたからです。宇宙の知性は、ある時期から人間の側に移行しました。以前のように自然を探すことによって見いだせるのは死んでしまった法則だけです。

人間は、自分が宇宙の意志であるという事実を自覚するとき、やっと宇宙と自分自身の本当の姿を見つけます。それは神々が与えてくれるものではなく、人間の判断行為の中にのみ見いだされるものです。

宇宙は最終的な結論として人間を選びました。

この奇跡の只中にいる人間自身がこのことに気づいていません。空に輝く物質的な太陽とおなじ力が人間の内部にも働いているという事実をです。自分自身の知性がこれから大きく変容する可能性があることに人間は気づかなければなりません。宇宙の命運が掛かっていることを知らなくてはなりません。

過去の光は人間の内部に移行しました。自分の思考が宇宙の意志であることを自覚すると、想像をはるかに超えた数の存在たちが闇から救出されます。動物たちは大気圏の外から人類を見守ってくれます。植物たちはこの地上で人類を助けてくれます。鉱物たちは自らを思考の材料として提供してくれるはずです。

だから宇宙に生きる全ての存在たちのために、人間は、今、行動しなければなりません。





震災後数日ということもあったのでしょうが、私はこのメールを読んで、ボロボロと泣いていました。

私も彼の書いていたことと同じように「宇宙と人間の関係」を考えていました。そして、私が(自分の中で) 23歳から続けてきた「宇宙との戦争への終わり」がこのメールで見えてきたのです。

宇宙との戦争と書くと、何だかよくわからないですが、下のような話です。
震災2日目に書いた、

決意の涙: 東京 DAY3
 2011年03月13日

という記事に記しています。そこから一部抜粋します。


パニック障害で苦しんでいる時に、その苦しみの吐露をどこに向けていいのかわからなくなり、対象を宇宙全般にしたことがあります。

殺せるものなら殺してみやがれ」と大きく書いた紙を壁に釘で打ち付け、そのことで「宇宙に向かって暴言を吐き続けることを確認して」生きていたことがあります。

しかし、特にそれらしき報復はなかった。

「死ねや、宇宙が!」

と呟いても、少なくともその場でバチなどは当たらなかった。





その同じ記事に下のように書いていた部分がありました。


宇宙がどのように生まれたのかは今はわかっていませんが、中世の神秘学などの言葉を借りると、順番としては、

・ことば
・存在
・認識


というように来たように思います。

今、私たちが「宇宙」とか「存在」と考えているものは、実は我々が認識しているために存在しています。

これは難しい話ではないのですよ。

・見ないと見えない
・聞かないと聞こえない


というようにいくと、

・認識しないと存在しない

という流れにはなるように思います。





と書いていますが、つまり、宇宙と人間の関係は、


・宇宙は人間が認識しないと存在しない

・そして、人間も宇宙がないと存在しない



ということになることは現実の問題として事実だとも言えそうなことなのです。








世界は基本的に「ない」ものから構成されている

roze-03.jpg

▲ 「この世の無限」が描かれているものかもしれないと個人的には思っているエメラルド・タブレット。過去記事「エメラルド・タブレット 完全版」より。


そして、その人間の感覚機能のメカニズムの多くは今でもあまりわかっていません。

たとえば、「どうして赤は赤に見えるのか」といった当たり前のようなことも、その根本はわかっていません。わかるのは、光線の波長によって人間が感じる色が決まっているということだけで、光線そのものに色がついているわけではないです。

大ざっぱにいうと、波長の長さにより「赤から紫まで」が人間には見えています。
それは下のような分類です。

“images”


この波長に色がついているわけではなく、もっといえば「存在しないも同然」のものなんですが、それを私たちは「さまざまな色」として認識している。

その理由はまったくわかっていません。
科学より哲学に近いものです。


ちなみに、上の波長で「紫」より短い波長の光線が紫外線(紫の波長の外にあるから紫外線)で、これは人間には見えません。そして、赤より長い波長は赤外線で、これも見えません。

それらが色として見えない理由もわかりません。


これは他のあらゆる器官についても同じで、どうしてその音がそのように聞こえているのか(音波は振動で、そこに音など含まれません)、どうしてそのような肌触りを感じるのか、全部、その理由はわかっていません。

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▲ 音が聞こえる仕組み。 Wikipedia より。



なぜかはわからなくとも、それらの感覚を感じながら、人間はこの世界を経験している。


つまり、光線とか波長とか振動とかの、存在しないようなものを体験している中で私たちは生きているということはある程度の事実だと言えそうです。


私たちの周囲の実態はほとんど「ない」。


そして、この宇宙はその全体がその「ない」もので作られている。

あるのは「人間による認識だけ」というのが、シュタイナーら中世神秘学の人々の考えであり、また、過去の偉大な宗教、例えばキリスト教やイスラム教や仏教、そして神道などの教えとも全体として、あるいは一部が一致していると思われます。


私が過去記事などで繰り返して書いていました「宇宙に始まりはない」ということも関係します。

これに関しては長くなりますので、過去記事で、聖書「ヨハネによる福音書」にある言葉の「はじめに言葉ありき」と、ロシアでの「 DNA は言葉によって再構成されている」という研究を関連させて記しました過去記事の、

私たちは「言葉」である
 2011年06月13日

をリンクしておくに留めておきます。


というわけで、前置きが長くなりましたが、ここから本記事に入ります。


なお、記事の中に「二重スリット実験」という聞き慣れない言葉が出ます。

量子学の世界ではかなり有名なもののようなのですが、難解です。

double-slit-01.gif

Wikipedia によりますと「粒子と波動の二重性を典型的に示す実験」ということで、私には意味がわかりませんが、「観測が現実に影響する」とか、あるいは、「観測することにより結果が変わる」というような奇妙な現実を示すもののようです。

今回の記事に出てくる教授は、このことを「粒子が同時に2つの別々の実体として機能することができる」というような表現をしています。

つまり、「ひとつの実体はひとつの実体ではなく、ひとつの実体は複数の実体とも言える」というような禅問答のような書き方になりますが、そのようなことのようです。

それでは、ここから記事です。





Scientist: Quantum physics can prove there's an afterlife
CNET (米国) 2013.11.16


量子物理学は死後の世界があることを証明することができると語る科学者

ロバート・ランザ教授は、人間にはその死の縁を越えたところに何かがあることを確信している。教授は科学でそれを証明できると言う。


たとえば、「死後には来世の世界がある」という選択と、「死後にはまったく何もない」という選択があるとすれば、どちらを選ぶだろうか。私(記者)なら前者の来世のあるほうを選ぶような気がする。

しかし、この問題は私たちにちょっと異常な感覚ともいえる希望を与えている問題でもある。特にアメリカでは死後の世界に関しての話題はそのように捕らえられる。死後の世界をめぐる議論は、信条、あるいは信仰だけの問題とされる傾向があるのだ。

しかし、アメリカのひとりの科学者が、そのこと、すなわち「向こうの世界」について、確固たる証拠があるかもしれないことを示唆した。

バイオセントリズム( biocentrism )の支持者である米国ウェイクフォレスト大学再生医療研究所のロバート・ランザ教授( Robert Lanza )は、私たちが宇宙に対して持つ考え方を180度転換させる。

ランザ教授は、宇宙が生命を作り出したとは考えない。

教授は、宇宙は私たち人間が産みだした意識の産物だと言うのだ。

英国のインディペンデント紙が、私がランザ教授のウェブサイトの主張に向けている意識についての理解をさらに推し進めてくれた。教授の試みは、私たちに見えている生命や人生の方向、あるいは「そのすべて」を再プログラムすることだ。

例えば、「死」という現象を取り上げてみる。

これは「リアルな感覚の中に存在できるものではないのです」と教授は言う。死は、それを見たり考える時に恐ろしさを感じるものであるので、教授の「リアルではない」という言葉には救いがある。

しかし、いくら何でもこの話は複雑怪奇に聞こえないだろうか。

これに対して、レンザ教授はこう答える。

「人生というのは、一般的な直線としての考え方を遙かに超えた冒険です。私たちが死ぬ時、私たちはランダムなビリヤードボールの列( billiard-ball-matrix )の中にいるのではなく、避けることのできない人生の母体( inescapable-life-matrix )の中にいるのです」。

死は単に私たちが考えて見ているものに過ぎない。

しかし、実際のところ、死はすべてに思える。

ランザ教授の視点と考えは、

「空間と時間を物理的なものとして処理することによって、科学は世界を理解するための完全に間違った出発点を拾い上げてしまいました」

というものだ。

教授の学問の出発点は生物学だ。しかし、教授は量子力学で思考することを加え、量子力学を用いて現実主義の懐疑派の人たちに意見を渡す。

教授は「二重スリット実験( double-slit experiment )」を取り上げる。この実験では、粒子はそれがそのものとして認識されているただ一つの要素ではないことを示す。その代わりに、それらは同時に2つの別々の実体として機能することができるという結果を示すのだ。

要するに、これらの一連の話は、冗談好きな誰かが「私たちはみんなパラレルワールドに住んでいるのかもしれないよ」と言ったりすることがあるが、それは真実だということなのかもしれない。

私(記者)自身は、この世界についての解釈について、多くの一般的な科学者たちとは違うような考え方を好む傾向がある。たとえば、デジャヴ(既視感)などは、ランザ教授の言っていることとも関係するのではないだろうか。

少なくとも、教授は私たち人間という存在について、これまでと違った方法での考え方を得ようと試みている。

いずれにしても、私たちがこの宇宙で起きている真実を知られるとしたら、この世の中は非常に興味深いものとなるかもしれない。





(訳者注) ここまでです。

ところで、この記事を書いた記者は、アメリカ人か、アメリカ在住の人だと思うのですが、「多くの一般的な科学者たちとは違うような考え方」と書いています。これは西欧の科学のことを言っているのだと思いますが、20世紀初頭までの、たとえば、ロシア宇宙主義などの科学は、量子論のような難しい問題を引き合いに出さなくても、「人間と宇宙の関係」についての様々な見識を出していました。

過去記事の、

ロシア宇宙主義チジェフスキー博士の言葉でわかりかけてきたニルヴァーナの3つのALLの意味
 2013年04月01日

にロシア宇宙主義を書いた『ロシアの宇宙精神』という本からの抜粋があります。


ロシア宇宙主義の人間と世界を変革する夢は、空間と時間における人間の限界を克服することをめざした。

進化の意識的な統御、世界の霊化という最高の理想は、互いにつながりあう一連の課題として展開される。たとえば「隕石」などの現象、すなわち、宇宙現象の統御を解明すること。あるいは、自然の力の自然発生的で破壊的な動きは、人間の意識によって方向づけられた過程とすることを探る。

そして、人間が死を克服し、肉体的な自然性を変容させるべく研究し、宇宙のなかで不死の生命を永遠に作り出していくことがこれらの研究の目標なのである。



今の世界があまり希望の見えない世の中には感じても、まだほんの少し、世界の認識が変化する機会は残っているかもしれないとは思います。

そうなってくれれば、上の CNET の記者のように

この世の中は非常に興味深い

と思うことのできる世の中に生きることもできるのかもしれません。



  

2013年11月01日



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人間が「見る」ためには「目からの光」が絶対的条件ではなかった

先日の記事で不満げな最近の気分を書いてしまって、大人げないと思いつつも、かつてのさとう珠緒さんのような表現で、「現代宇宙モデルに ぷんぷん!」というような意見を表明すればいいのかというと、そういうことでもないわけで、ここ二日ほどはボーッと歩いたりして過ごしていたのですが、今朝、非常に面白い科学報道を記事を見て、少しだけシャキーンとしました。

その内容はこの数年のブログ記事に関しての記憶をかなり昔にまで引き戻すことのできるものでした。

それは米国ロチェスター大学が昨日発表した論文でした。

下がそのページです。

rochester-01.gif

ロチェスター大学 ニュースリリースより。


上の見だしだけではわかりにくいですが、この論文の内容をひとことで書きますと、


50パーセントの人間は完全に光のない状態の中で、自分の動きを目で追う能力を持っていることがわかった。そして、この能力は「学習」により、ほぼすべての人が習得できると結論づけられる。



というものなのです。


これはまあ・・・私個人としては非常に興奮しましてですね。

たとえば、これはもう「個人的な 2013年の10大ニュース」というようなものに入ることがほぽ確定したものとなっているんですが、どうしてこのニュースにそんなに興奮したかというと、過去に私のこの In Sheeple では(興奮して綴りを間違えてるぞ)いや、 In Deep では、「光と視覚と松果体」についてずいぶんと書いていた頃があったのです。


このアメリカのロチェスター大学というのは、Wikipediaによりますと、「アメリカで最も古い光学研究機関である光学研究所を持つ」のだそうで、つまり、「光の研究」の代表的な研究機関だそうです。

ちなみに、ニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受賞した日本の小柴昌俊さんは、このロチェスター大学の大学院で博士号を取得しているのだとか。


今回はロチェスター大学の論文の内容について翻訳してご紹介したいと思いますが、その前に少しだけこの数年の「光と視覚と松果体」についての過去記事から少し抜粋しておきたいと思います。






メキシコの「眼のない魚」の研究から始まった松果体との格闘


松果体というのは、人間では脳の下の図の位置にあるものです。

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医学的には、メラトニンというホルモンを作り出すことに関与していること以外の役割はほとんど不明ですが、これが哲学、あるいはスビリチュアルの世界となると、「第三の眼」というような表現にも見られるように「人間で最も大事な器官のひとつ」という言われ方をされてきたものでもあります。

17世紀の哲学者デカルトは、松果体は「この世界にある物質と精神という根本的に異なる二つの実体を相互作用させる器官」だと言っていました。

過去記事の、

あらゆる手段で「光」を求める生命: フンコロガシの行動、松果体の意味、そして「太陽神の目」の実体
 2013年01月29日

では、他にも、フランスの作家ジョルジュ・バタイユの小説『松果体の眼』というものについて書いたりもしていますが、そのあたりまで話を広げますと、収拾がつかなくなりそうですので、哲学や精神世界の話は上の過去記事などをご参照下されば幸いです。

ただ、バタイユが、


「松果体の役割は、太陽から火山を経て肛門へ受け渡されたエネルギーを、松果体を通して再び太陽へ回帰させること」


と書いていたことは特筆すべきことではあります(意味はよくわからないですけど)。


それよりも、私が最初に松果体に興味を持ったきっかけは、やはり今回ご紹介するものと同じような「アメリカの大学での研究論文」だったのです。

メリーランド大学のヨシザワ・マサト氏とウィリアム・ジェフリー氏の2名の科学者が、メキシコの洞窟に住む目の見えない魚を研究して、この目がないこの魚が光を感知していることに関して、「脳の松果体が直接光を感じとっている」と結論付けたという研究発表論文に大変興味を持ったことがきっかけでした。

上の実験では、目のある魚でも実験をおこなっていて、その結果、光を感知するための「目の役割は10パーセント程度」で、残りの90パーセントは松果体を通して光を感知しているということをも示唆するものでした。

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過去記事より。



この論文を紹介した記事は、クレアの2011年01月28日のペアである自分(2) 宇宙の場所という記事に全文訳があります。

また、「人間の光の感知」に関しての私の考えは、やはり、過去記事の、

日本人研究者が獲得した「暗闇での視覚」: 人類と光と植物
 2011年02月28日

というものに、自分の考えが書かれていることに気付きましたので、その部分を抜粋しておきます。




現実に「闇夜でクリアに見える技術」が開発されていて、少なくとも技術レベルでは「完全に光のない場所で物を見るということが)できている。ということは、宇宙の物理の仕組自体は、「本来は暗黒でも見える可能性がある」ということなのではないか、などと思った次第です。

この「光のない場所にあるものが普通に見える」概念や仕組が人体に隠された機能としてどこかにあれば、人間はいわゆる「目での光」だけに頼らなくても「見て」生きていくことができる。

もちろん、かなり遠い未来の話にしても、姿形は同じままで「新しい人間」というものは、遠い未来には存在していてほしいし、それには松果体や脳下垂体、あるいは今は軽んじられている脾臓や盲腸といったすべての器官までもが完全に機能する人間が存在してほしいと考えています。






ちょっとわかりにくい書き方ですけれど、要するに、「目でだけ光を感知する」というのは、多分、私たちの潜在意識も顕在意識も含めて、

「意識の上に薄いベールを張られている」

という状態なのだと思っています。

この「薄いベール」がとれていく過程が「進化」なのであり、人間の進化というのは姿や形が変化していったり、空を飛べたりするということではなく、意識的なレベルでの思い込みのベールがとれることだと思います。

そして、本当の意味の「自由な思考」を持てた時に、感覚そのものが自由になるという変化なのだと。

その時代を今の私たちが見られるかどうかはわからなくとも、人間の機能(松果体も)は何ひとつ退化していないということが、今回の実験でわかったことは大変に喜ばしいことだと思ったりするのです。


では、ここからロチェスター大学の記事の概要です。




Seeing in the Dark
ロチェスター大学 (米国) 2013.10.31

暗闇で見ること


完全な真っ暗闇の場所を探して、そこでゆっくりと自分の顔の前で手を左右に動かしてみる。あなたには何が見えるだろうか?

この答えは、これまでの考え方では「真っ暗闇では何も見えない」というイメージを持つのではないだろうか。

しかし、コンピュータで視線を追跡する装置(アイ・トラッキング・システム)を用いての最新の研究では、少なくとも全体の 50パーセントの人は、まったく完全な真っ暗闇の中で、自分の手のひらの動きを正確に眼球で追随できるということがわかったのだ。

今回の調査チームの主任者として実験を主導したロチェスター大学の脳と認知科学が専門のデュジェ・タディン( Duje Tadin )教授は、以下のように言う。

「完全な真っ暗闇の中で物が見える? そんなことはこれまでの視界に関する自然科学ではあり得ないことなんです。そんなことは起こらないことなのです」

「しかし、今回の研究では、私たち自身が自分の動きを察知することについて、光のシグナルが完全にない状態でも、自分の手の動きを通じ、脳内で実際の視覚認識を作り出すことができ、視覚信号を送信することを示したのです」



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今回の実験は5つの異なる実験を 129人の被験者を通しておこなわれた。

研究者たちはこの「完全な暗闇の中で見ることができる」という不気味ともいえる能力について、それが示しているものは、私たちの脳が自らの認識を生み出す際に、別の感覚からの情報を組み合わせているという可能性だと考えている。

この能力はまた、「私たちは視界というものを通常は目で認識していることと考えているが、それと非常によく似た機能が脳にあるということなのです」と、バンダービルト大学の心理学の専門家であるケビン・ディーター(Kevin Dieter)教授は述べる。

これまで、光のない洞窟の内部などを探検した人々が、光のない空間で自分の手の動きを見ることができたというようなことを主張する「スペランカーの錯覚」と呼ばれる体験談が伝えられることがあったが、これまでこれらは一般的に幻覚だと考えられていたが、今回の研究成果はこうした体験談は幻覚をみたものではなかったことを示すものとなるかもしれない。

ディーター教授は、この完全な暗闇で自分の動きを見ることができるという能力については、「ほとんどの人が学習できるものだと思われます」と結論づけている。




  

2013年10月30日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





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▲ アメリカのフェルミ国立研究所の物理学者デビッド・アンダーソン博士と、ワシントン大学の航空力学の専門家スコット・エバーハート博士が共著した『 UNDERSTANDING FLIGHT 』(飛行の理解)という本。この世界で最も航空力学に詳しい専門家たちの記述によると、「飛行機がなぜ飛ぶかは、いまだにわかっていない」のだそう。飛ぶ理由はわからなくとも、航空力学は存在し、そのシミュレーションも完ぺきにおこなえます。しかし、飛行理論の根本ともいえる「どうして飛行機が飛ぶのか」については、仮説以外は存在しないのだとか。






 


心の底から疲れ始めた2013年の秋ですけれど

最近、元気がないんですよね。

今日も記事を書こうとしたけれども、その途中で力が抜けてしまいました。

元気といっても、あっちの話ではなくて(誰がそんなこと思うか)、精神のほうの元気のほうですけど、一日に何度か「心が疲れ果ててしまう」というような瞬間に見舞われます。

若い時から神経や精神系の疾患をそれなりに数多く経験している私も、こういうのはあまり経験がなくて、いわゆる「ウツ」や抑鬱というのともなんか違うし・・・まあ、これはそういうメンタルな話だけでもなく、明確な理由が存在しているとも思います。


それで何だか日々摩耗していて、「この世に疲れちゃってきている」ということかもしれないと。

まあ、原因というのか、わからないでもないのですけれど。



・・・変わらないどころか悪化していっているようにしか見えない社会の精神性。


・・・そして、日に日に衰えていく科学的見識。



この先に生きて少しは素晴らしいビジョンが存在するのだろうかと私自身についても疑問に思わざるを得ないですが、私には子どももいまして、うちの子だけではなくとも、「この世の子どもたちの未来」なんてのは考えるだけで力が抜けるような日々です。

ちなみに、「日本の子どもたち」という小さな形容ではなく、「世界中の」という全体的な話でもあります。



科学といえば、昨年、子どもと一緒に図書館に行った時に、その「子どもコーナー」の棚で手にした「原子の発見」という田中実さんという方の書いた本を立ち読みして、「物質不滅の法則」(質量保存の法則)を知った時のことを書いたことがあります。

大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら「物質は永遠」という法則を子ども科学本で知った日
 2012年09月03日

細かいことはともかく、上の「原子の発見」という少年少女向けの本で私が初めて知った物理の絶対的な法則として、


宇宙全体の質量とエネルギーの総和はゼロ


ということや、


ものは消えてなくならない。ものが変化して、なくなったように見えても、じつは別のものがそのかわりにできている


ということがあるわけですけれど、その時点で、「科学者たちはこんな絶対的法則を知っている人たちなのに、なぜ『宇宙が生まれた』(物理の法則に矛盾)だとか、まして、ビッグバン(論外)だとかの考えを平気で主張できるんだろう」と、非常に不思議に思ったことがあります。


また、「原子の発見」の中には、著者の田中さんの言葉として、下のようなことが書かれてあります。




生きているとはどういうことか。人間も動物も、そして、植物も生きている。生きているものと、生きていないものとは、どこがちがうのか。生きているものが死ぬとは、どういうことなのか。

生命という現象には、まだたくさんの解ききれない秘密がある。しかしそれは自然科学の力によって、しだいに解決されてゆくはずである。どんな生物も物質から出来ているのだから『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない。






田中さんは何気なく書いたのかもしれないですが、この


 > 『物質不滅の法則』に外れるような現象は起こるはずがない


という記述もまた、「生命にはその起源というものは存在しない」という私の考えをサポートするものとなったりしました。


しかし、「起源がないってどういうことだ?」と自分でも思うわけです。


宇宙にも生命にも起源がないなら、「いったい、私たちの存在はどういうことなんだい?」と思ってしまうのですけれど、この「何でも理解できければいけない」という強迫観念そのものがいけないことだと最近気付きました。


事実、理解などしなくても、この世は成立している。


それを知ったのも、やはりまた、子どもと一緒に図書館に行った時の立ち読みによるものでした。






「近似」を許さない今の時代

先日、子どもと図書館に行ったときに、今度は子ども本コーナーではなかったのですが、竹内薫さんという人の『99.9%は仮説』というタイトルの本が目につき、それを立ち読みしていましたら、その本の冒頭に書いてあったのが、


> 飛行機がなぜ飛ぶのかはまだよく理解されていない。


だったのです。


「いくらなんでも、そんなわけねーだろ」と思い、家に帰って調べてみましたら、今回のトップに載せました、フェルミ国立研究所とワシントン大学の航空力学の専門家のふたりの記した本に行き着いたりして、この今の世の中で、「飛行機がなぜ飛ぶのか、わかっていない」ということが真実だったことを知るのです。


でも、飛ぶ理由はわからなくても、設計もシミュレーションもできて、飛行機は実際に飛んでいます。


飛行機が飛ぶ理由の仮説についてはこれまで、私はそれぞれ何の定理か知らないですが、ベルヌーイの定理というものや、渦動説だとかいうもので説明できると思われていたそうなのですが、これでは説明できないというのが真実だそう。

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▲ 飛行機が飛ぶ原理とされていた「ベルヌーイの定理」というもの。これについて、フェルミ国立研究所の物理学者デビッド・アンダーソン博士などは、そのような今まで説明されてきたことは「全部デタラメ」だと。真実は、「まだわかっていない」ということ。


この『99.9%は仮説』という本は、Amazon をはじめ、どこででも入手できると思います。


ところで、その本には、1965年にノーベル物理学賞を受賞しているアメリカの物理学者リチャード・ファインマンの、


「科学はすべて近似にすぎない」


という言葉も紹介されているのですけれど、なんかこう、子どもの頃から、今に至るまで、教師や科学者の口から、


「今教えている勉強はすべて近似(大体そんなもの)にすぎない」


と教えられた記憶がないです。

学校でも、あるいは「上から教える人」たちから、


「今教えているこれは絶対的なもの」


というように「学問はすでに 100パーセント決定しているもの」として教えられ、そして、私たちの下の世代の子どもたちや若い人たちもそのように教えられて育っていくのでしょう。


そして、これが地球を滅ぼします


学問の進歩は止まり、「わかってもいない、確定もしていない、あるいは、そもそもがねつ造されたものかもしれないような理論かもしれない数々」を「絶対」として頭の中に叩き込まれていく社会。


その結果として地球の文明は衰退して、私たちは滅びていく。


その責任は専門家の人たちだけではなく、私なども含めた一般の多くの大人にもあると思います。

なぜなら、「疑っていない人が多すぎる」からです。


たとえばですけれど、どなたかがノーベル賞をとったとする。
専門家の人たちはともかく、ニュースを見た多くの人々は、


「日本人がノーベル賞を取った! バンザーイ! バンザーイ!」


これで終わり。


その本質を疑うどころか、場合によっては、いったい何の業績で受賞したのかもわからない。


これからもずっとこんな「シープル的世界」な感じで世の中は続いていくのだろうなあと思うと、自分の子どもをこの世の中に生みだしてしまったことにも罪を感じたりして、落ち込みはひどいものですけれど、まあしかし(あまり期待していないですけれど)、ほんの少し、何か起きたり、何かが変わるかもしれない。


希望が完全に消えるまで(現在、約 80パーセント消滅中)は書きたいと思っています。


そういえば、上に「その結果として地球の文明は衰退して、滅びていく」と書いていますけれど、私の書き方ではまったく具体的に伝わらないですが、過去記事に、フレッド・ホイル博士の言葉を抜粋したことがあります。

ホイル博士は、誤った科学的見解について、


学会は誤った知識の領域を持つことになり、その損失はもとより、その周辺領域すべての進歩を阻害してしまう。このことが同時に、多方面に影響し、人間社会の衰退、そして最終的には破滅へと導くのである。



と書いています。

これは、過去記事の、

破局の回避という奇跡があるとすれば
 2013年03月09日


に記したものですけれど、再度、部分的に抜粋しておきます。




『生命はどこから来たか』(1995年)より
 フレッド・ホイル、チャンドラ・ウィクラマシンゲ共著


われわれは皆、許しを請うことなくこの未知の世界に生まれてくる。生まれて数ヶ月もすると、目も見え、自らの足で立つこともでき、やがて話し始め、ついには言語の壁をも突破する。初めは何の手がかりもないのに他人の話していることを理解し、自分自身でも話すようになるのである。

われわれは、これらすべてのことを自然のうちに学ぶのである。しかし、唯一残念なことは、この時期において子供たちは、周りの大人たちに世の中の状況の偽りのない真実を、流暢に語る手段を身につけていないことである。そのため、大人たちは適切な双方向の会話ができればやがて誤解に気づくだろうという幻想を抱いたまま生き続けることになる。

不幸にも、偏見のない見解を伝達することができるようになる頃には、教育という過程により偏見のなさを失ってしまうのである。

(中略)

先に述べたように、ある分野の科学的知識は確かなものである。確かな知識からまだ未解決課題へと進むと、事情は違ってくる。教条的な意見や教義が顔を出す。科学者は真の科学者であることをやめ、事実より教義を取り上げ、こうして創造主義者と同じ思考をとるようになる。

われわれの考えは、地球上の生命の起源と進化に関する進化論者の見解は、創造論者と同じくらい全く間違っている。創造論者の誤りは明白だが、進化論者の誤りはわかりにくく、特に学校で学ぶ子供たちの目から真実を隠していると思う。科学の進歩の方法は確実な知識を外へ押し広げていくことである。注意深い研究により、最前線が次第に広げられていくならこの方法はうまくいく。

しかし、突然大飛躍して科学が発展することもある。ニュートンの力学の飛躍的な進歩が、天体力学の発展、 19世紀の光と放射線の理論、そして現代の量子力学を導いてきた。

これらの進展に貢献した科学者各人の称賛に値する業績は偉大であり、その名は永く刻まれるようになっている。科学者たちが大進展の主役になりたいと野心を持つのは当然である。ある者はその才能により成功し、ある者は幸運に恵まれ、さらにある者はけしからんことに作り話で成功を収めた。そのやり方は、何もないのに大進展があったかのように振る舞うのである。

このようなニセの効果がうまくいくには、一人の孤立した科学者ではなく、科学者の陰謀団のほうがよい。声を揃えることで、陰謀団は各々の科学者の口を封じ、科学雑誌に発表される論文の内容に圧力を加え、ついには反対意見を一掃してしまうことができる。

こんなことは全くの作り話ではうまくいかない。初めには、ゲームでいうところの「ツキ」があったに違いない。すなわち初めには、事実は陰謀団の言う理屈に合っているかのように見える必要がある。

陰謀はのちにその理論に合わない事実がわかってきたときに現れ、科学雑誌を自由に操ることを通して慎重にこの事実を葬り去ってしまう。さらに陰謀団の理論が、教育課程に侵入し、常に難しい試験の連続に追い立てられ、自らを失っている数多くの生徒たちに教え込まれると教義は確立してくる。

学会は誤った知識の領域を持つことになり、その損失はもとより、その周辺領域すべての進歩を阻害してしまう。このことが同時に、多方面に影響し、人間社会の衰退、そして最終的には破滅へと導くのである。





ここまでです。

まあしかし、「近似を認めないこの世の破滅を見てから死んでやろうか」という凶暴な気持ちもややあります。

暗い元気の源ですが、それが確かに生きている理由にもなっているかもしれません。