2011年05月02日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




緑の意味



久々に更新が開いています。今回の更新も、その言い訳というのか、その理由がなんとも情けない話なんですが、「植物がきれいすぎて、植物から離れられなくなってる」という超キチ理由で、申し開きがつかないのですが、ほとんどパソコンの前にもいないのです。


最近のパターンとして、

・天候がムチャクチャ荒れる

・次の日から景色がさらにきれいになる


という繰り返し(だと自分は思い込んでいる)風景がありまして、3日くらい前だったか、東京の天候は大荒れだったんですよ。で、次の日がやはり異常に穏やか。これは震災後、比較的続いているサイクルで、「荒れてから穏やかに」というのを繰り返しています。


緑の意味

実は今日、パソコンの前にむかった理由なんですが、ここ数日ずっと考えていた「植物はどうして緑を選んだのだろう」(あるいは与えられたのだろう)という疑問を調べようと思って、パソコンの前に座ったんです。光合成で緑を選ぶ必要性はあまり意味のないことです。

ところが、検索して最初に見たページで「それはもういいや」と思ったんです。

社団法人 日本技術士会の北陸支部のページのコラムに、「35年間もの間、植物と付き合っている方」の書いたものがあり、それを読んで満足したのです。

つまり、「そんなこと(植物が緑である理由)がわかるはずがない」と。

その文章を少しだけ抜粋させていただきますが、要は、

・植物の葉が緑である理由は、「葉が緑色の光を反射あるいは透過し、他の色の光を吸収している」という理由による

のにも関わらず、

・地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがあるらしい。


ということで、どういうことかというと、植物が太陽の光を最も効率よく吸収するためには本当は緑色ではないほうがいいのです


ダーウィンのような進化論から考えると、これは「進化論への反逆」であるはずです。
なぜなら、現在の進化論のように植物が進化すると、太陽光のあまり届かない場所にある植物の多くは「緑以外の色の植物となっていたはず」です。黒や紫などでしょうか。

そういう葉の植物はあることはありますが、それらは決して「太陽光の弱い場所のもの」ではないですし、種としての実数も極端に少なく、「どこでも植物はだいたい緑」ということは言えそうに思います。


植物は緑色でなければ、もっともっと太陽光を効率的に吸収できたはずです。
なのに、「植物は緑色で存在」している。


これはもうものすごいことです。
植物というのは「最も太陽光を吸収するために最も効率の悪い色で地球に存在している」のですよ。
もうね。この世の中はスゴすぎますね。


その「日本技術士会 北陸支部」のページからの抜粋です。

 植物の葉が緑なのは、「葉が緑色の光を反射あるいは透過し、他の色の光を吸収している」という理由による。つまり、葉は緑色の光をあまり必要としないということである。光のエネルギーを取り入れて糖を生産(光合成)するのに、緑色の波長領域のエネルギーを捨てた・・・ことを意味している。

 ところが・‥である。(私の記憶に間違いが無ければ、ここが重要!!)
 地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがあるらしい。最強の緑色光を使えば、例え曇天の日でも光合成が可能となるんじゃないか? その方が明らかに効率的ではないか。光のエネルギーを利用して光合成を行う植物が、最も強い光を吸収しないで捨てる。そういうメカニズムになっている植物達って、一体なんでやねん!?!
 なんでそんな非効率的で訳のわからん選択をする のだろう? 単に、神様の御戯れかな???

 数億年も前に植物が誕生してから、ずっとずっと緑で来たのだろう。だから、緑であることが何か非常に重要な合理性を持っているはず。
 そして植物達が選択して来たその合理性は、強いエネルギーの光を捨てて相対的に低いエネルギー利用を選択することの意味を納得させるだけの説得力を持っているはずである。




そして、書いた方は最後にこう書かれています。


> 彼らが緑である理由はいまだに解りませんが、自分の無知さ加減は身にしみて解りました。願わくば、「なあ〜るほど!!!」と納得してから神に召されたいと思います。



私も本当に最近はこの方の感想と似た思いを日々感じます。

「自分は何も知らない」。

でも、最近はむしろそれも快感で、「わかることなどひとつもないのだ」と。

植物が緑という非効率的な色を選択し、そして、人間などの生命は「赤い血」というものもやはり選択したりしていて、色と光と現実的な用途の間にはそれぞれ大変な乖離があるままですが、でも、「現実的な用途」なんて本当はこの世にはないのかもしれないと。

実は「すべては理想だけ」という世界である可能性もあるのかもしれません。


ところで、私は最近、「植物に根がある理由」というものがなんとなく想像できていますが、さらに、「植物と人間と微生物の三者間の位置関係」というものにも何となく考えるところがあります。

とても、短く書けるものではないですが、書ける時があれば書いてみたいと思います。
これは、人間(他の動物も)は植物が地上にないと生きられないが、微生物は「人間だけがいれば(寄生や宿主として)生きられるものもいる」というあたりにポイントがありそうです。

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2011年04月25日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





(※)タイトルに「地震」の文字が入っていますが、また余計なことをいろいろと書きすぎてしまいました。最後のほうに地震の話題があります。
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「認識され過ぎ」の世界の虫たち

最近、「生き物を含めて、いろんなものが出てきている」というようなことを書いたのですが、場所によっては「出過ぎている」ようで、まあ、これが「春だから」なのか、そうではないのかよくわからないですが、大量発生のニュースをよく目にします。日本語の記事にもなっているものが多いので、リンクなども。

毛虫が大量発生=バリ島で観光に悪影響も(インドネシア) 時事通信 2011年04月16日

メコン川沿いで羽虫大発生(タイ) newsclip.be 2011年04月25日

どちらも短い記事ですが、タイの「虫の大発生」は、タイの新聞やテレビでも連日報道されていて、その写真がすごい。

たとえば、これはビルの屋上で、パッと見ると何だかよくわからないのですが、床の白いのがすべて羽虫。

tahi-hamshi-1.jpg


これを拡大すると・・・。

kakudai.jpg


ひぃぃ・・・。


タイ語ですが、こちらの報道では、街を清掃する人々の様子が出ています。


thai-hamushi-2.jpg

左のチェ・ゲバラのTシャツを着ているぼっちゃん(笑)が指さしてている地面は広大な面積の一面が死んだ羽虫で覆われています。隣の黒い服のぼっちゃんが嬉しそうに虫の死骸をすくっています。

この羽虫の大発生が何と 4月18日から23日までの1週間近く連日続いたというのだからすごい。

虫の大量発生自体はどこでもよくあることですが、今回のタイのものは報道の多さを考えると、相当なものだったようです。
インドネシアの毛虫もかなりの規模らしい。


まあ・・・こういうこと・・・。

なんというか、こう、最近の自分のまわりでの生き物なんかを見ていると、「このまま調子に乗らせると、こいつら大量に出てくるんじゃないだろうな」という感じは実は少しあります。

スズメだって蝶々だって、いて嬉しくはあるけれど、大量発生したらそれはそれで大変。
まして、クモだのハエだのに大量発生されたら・・・(苦笑)。

とはいえ、この地球の過渡期。
なんでも起きちゃうということはあるのかもしれません。


関係ないですが、さきほど夢でずいぶん前に死んだ父方のおじいちゃんのことが出てきました。



仁義なき

私の父親は小学校の教師でした。まあ、誰から見ても、また実際の周囲の評価も「あの真面目なお父さん」というような人でした。

その父は9人兄弟(うち男8人)という中の末っ子で、戦前とはいえ、当時でも9人兄弟は多いほうだったと思います。普通、それだけ兄弟の数が多いと、学歴など含めていい加減だったことが多い時代でしたが、うちの父親は末っ子であるにも関わらず、大学まで行き、それで教師になっています。

他の兄弟たちもほとんど同じように高等教育を受けて、そして、また、その父の兄弟のほぼ全員が教師か公務員関係という、「よくぞこんなに堅苦しい兄弟があったものだ」というほど真面目な兄弟でした。

現在は父の兄弟はほとんど亡くなっていて、年齢順に、末っ子である父とそのすぐ上の父の兄が生きています。


さて、昭和の初期に自分の9人の子どもたちすべてにほぼ平等に教育を受けさせた父の父、すなわち私のおじいちゃんはどんな人だったかというと、ヤクザの親分だったのです。

正確には、お祭りなどをつかさどる、いわゆる「テキヤ」というジャンルにあたるのですが、北海道の小さな町の地元の親分でした。

そのおじいちゃんは、私が幼稚園の頃に亡くなったので、私が祖父がテキヤの親分だったということを聞いたのはずいぶんと後のことでした。私の印象は「やさしいけど、体の弱いおじいちゃん」という印象でした。私が物心のついた頃には、入退院を繰り返していて、会いに行くのはほとんど病院の入院病棟だったからです。

祖父は二十代の後半にすでに地元の若い衆を統括して親分の立場となっていたという、いわゆる実力派だったそうで、何しろ、当時の北海道は「多くが内地からの流れ者 (内地とは北海道以外の日本のことすべて)」で、祖父は四国から北海道にやってきました。もちろん、目的は他の多くの流れ者同様に「開拓地で一発当ててやるけん」というものだったと思います。


「湯のまち」

私の生まれた町は北海道の岩見沢という小さな町でした。しかし、小さいながらも、北海道で最初に「国鉄の路線の基点の駅」となったという、北海道の中では、札幌と並んで北海道開拓の要所となった町でした。

どうして、岩見沢のような小さな町が要所となったのか。

そもそも、私のおじいちゃんのように「北海道で一発当ててやるけん」の中の「一発当てる」は何を対象にしているのか。

その中心となるものは「炭鉱」だったんです。

全国から北海道に集まった炭鉱夫たち。そして、炭鉱に関わる利権そのもの、そして、さらにはそれにより住宅、娯楽などが増加して、不動産価格も上昇する。

「炭鉱」の周囲にありとあらゆる「利権」がうずまいていたらしいのです。

そして、この岩見沢という町の周囲には当時、数多くの炭鉱があり、そして「湯を浴びる町だった」。

岩見沢は「いわみざわ」と読みますが、アイヌ語を日本語に変換した地名が多い北海道の地名の中で、岩見沢は純粋な日本語で、「ゆあみさわ(湯浴沢)」という俗名がそのまま地名となったようです。

その「湯」は何か。
これは温泉どと関係する言葉ではありません。

この「湯」は東京の吉原などのイメージを想像してもらうといいのでしょうが、「遊弋」というほうに関係する「湯」でした。

つまり、戦前から多分、戦後もそうだったのかもしれないですが、私の生まれ町である岩見沢は「一大遊郭地帯」だったのです。

炭鉱夫たちが稼いだお金を握りしめてどんどんと遊びに来る。そして、そこに必ず発生するのが、賭場であり、あるいは「縄張り」であったようです。

うちのおじいちゃんは戦前、その中の抗争で勝ち上がり、親分になったということのようでした。

私が生まれた頃には、遊郭街はすでになく、また、炭鉱自体が次々と消えていき、今では岩見沢という町は老齢化した寂しい町となっていますが、戦前、あるいは明治時代なども、ここは欲望が渦巻く場所だったということのようです。

下の動画は 1973年の日本映画の金字塔「仁義なき戦い」の第一作目のオープニングで、これは場所が広島ですが、北海道などでも、おおむね戦後は良い意味でも悪い意味でもギラギラとしていたのかもしれません。




ギラギラした様子は私の生まれた頃には、少なくとも周囲にはなく、特に私の生まれたあたりには「他の町では見られないような虚脱感」が漂っていて、それはわりといい雰囲気だったのですが、その理由は「文明が滅びた後の町だから」ということがあったのかもと今は思います。

今は本当に「何もない」です。

岐阜の金津園とか、神戸の福原とか、かつて遊楽街だった場所は現在でも多少はその面影を残したりしているのが普通ですが、そういう面影が見受けられません。


ヤクザのおじいちゃんから生まれた9人の子どもたちは全員真面目な人生を送りましたが、孫であるその子どもたちの中には、たとえば私のように「おじいちゃんの血を引き継いだ不真面目な人間」も散見されますので、「隔世遺伝」というものはあるのかもなあと思います。



「地震がこわいので帰ります」

昨日の記事に書いた、変なモノを見てしまった友人のジローさんですが(笑)、そこの記事にも出ていた「ネットカフェ」は、韓国人のオーナーの経営の店です。

私は知らなかったのですが、東京の西日暮里というあたりには、韓国人の留学生向けの日本語学校などがたくさんあるのだそうです。そして、その留学生を相手にしたネットカフェや飲食店などの商売がたくさんあるのだそう。

上のネットカフェも韓国人留学生を相手に経営している店のひとつだったようで、置いているパソコンも、日本語環境と韓国語環境のデュアルブート仕様。ジローさんは「家が近い」という理由だけでよく行っていたそうなのですが、頻繁に行くうちにこの韓国人の若いオーナーと仲良くなっていたようです。

で、このネットカフェは今年の6月で「閉店」ということになったのだそうで、理由は「お客さんが減った」からなんですが、その実情を聞くと、本当に現在、日本から次々と外国人たちが逃げ出している様子がとてもわかります。

そのネットカフェに来るお客さんのうちで、もっとも多かったのは、向かいのビルにある日本語学校の生徒さんたちだったのだそうですが、3月13日の震災前には、その日本語学校には 100人程度の韓国人の生徒さんがいたのだそうです。

それが今。

その数は「全部で 11人」というところにまで減ったそうです。

震災直後から時間が経つにつれて、日本から出て行く留学生の数は増えていっているようで、しかも、「その後、ほとんど誰も日本に戻って来ない」そうです。

留学生がいなくなると、その人たちを相手にしていた商売も成り立たなくなり、順番として、

・留学生がいなくなる
・留学生を相手にしていた商売もやめせざるをえなくなる
・その国の人たちの多くがいなくなる


という順番で、町から韓国人の人たちが消えていっているのが現状のようです。

これは韓国人の話ですが、ある程度のコミュニティを持っている様々な外国人の人たちの間で、多分似たようなことが起きているのではないかと推測されます。

要するに、「完全に帰国するには準備などで時間がかかるが、震災から1カ月経ち、次第にそういう外国人も帰国する時期となってきた」と。近所に住む白人夫婦も最近になって引っ越しました。ダンナさんがこっちで働いていたので、「完全に帰国する段取りをつけるまで」ちょうど今くらいまでかかったということのようです。


ジローさんはそのオーナーに、「やっぱり、みんな放射能とかがコワイのかね?」ときくと、

違いますね。地震。地震そのものがコワイ。韓国ゆれない

と言ったといいます。

そう。

実は韓国という国は地震がほとんどまったくないのです。
これは韓国だけではなく、近隣アジアでも「地震などほとんどない国」のほうが圧倒的であり、そういう意味でも、日本というのは極めて特殊です。

下の図は、1963年から1998年までの35年間に「世界で起きたすべての地震」の分布図を示したものです。回数にして、約 36万回分という数の地震の分布が記録されている貴重な図です。その後もほとんど分布は同じで、「世界の地震はこのように起きている」ということがわかると思います。

earthqake-1963-1998.gif

日本はあまりにも真っ黒で場所さえわからないかと思いましたので、赤で丸く囲みました。


この分布図からわかることは、人口が多い地区で地震がよく起きるのは、

・日本の全域
・アメリカ西海岸
・南米の太平洋側
・ギリシャからイタリアの地中海沿岸
・インドネシアの中心部全域


などとなっていて、「国家ひとつがまるごとすべて震源域」である国としては、日本とチリは世界で最大の地震国です。


そして、その「日本」をさらに詳しく見てみると、こんな感じです。
最近の1、2カ月だと大地震後で少しイレギュラーかもしれないですので、パソコンに保存してあった過去の地震の分布。

これは 2009年7月7日から8月6日までの「1カ月」の間に発生した日本のすべての地震の記録です。たった1カ月の間です。

eq2009-0707.jpg


今回のような大地震がなくとも、日本列島というのは常にこのように揺れ続けています。あるいは、常に揺れ続けているからこそ、ある程度の「軋みの解消」の連続ともなっているとも言える部分もあるかもしれません。

いずれにしても、これだけ「地震から逃げ場のない国」は他にはありません。

そして、上の図で地震が発生している場所は、実際に地震が起きているという以上は、すべての地点で大地震が発生しても「不思議ではない」断層と言えます。


何を言いたいかというと、そういうところに私たちは住んでいて、今後も住み続けるということです。

何をどう予測しても、地震は、それはあるいは大地震かもしれないですが、いつかは必ず日本では起こります。そして、地震は日本では「毎日常に 100パーセント起きる」と言えるものです。

なので、このことを本当に恐怖に思うのなら、地震のない場所(きわめて起こりづらい場所)というものが上の世界地図でも見当がつくかと思いますので、そういうところで暮らすという方法はあると思います。西洋ならアメリカの北東部やイギリスなどでは基本的に大地震はありません。近隣諸国なら、韓国や中国の大都市部でも大地震は基本的に起きたことがありません。


しかし、少なくとも、日本にはそういう場所(地震の影響を受ける可能性がほとんどない場所)がどこにもありません。

もし日本に留まるのならば、地震のための準備をして(物質的にも精神的にも)、あとは普通に毎日過ごすという「今までどおりの日本での生活」をする以外には何もないと思います。


この地震の分布図を見ると、あらためて日本という国家が数千年(年数はよくわからないですが)存在していたことがどれだけ奇跡か、よくおわかりかと思います。個人的には「いつまでも続く奇跡もないかなあ」とも思いますが、一方で、その奇跡が終わるにしても「奇跡の最期と一緒にいられるならそれはそれでカッコイイ」という気持ちもあります。


ところで、ここ1カ月(2011年3月26日から4月25日)の地震の分布図も参考までに。
壮絶ですよ。

EQ2011-0326.gif



タグ:地震大国

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2011年04月14日



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さきほど書いた記事で「帯状疱疹で痛いので、ちょっと休みます」と書きましたけど、お酒を飲まずにベッドに入り目をつぶると、


ジンジンジン・・・・・。


「痛いっつーの!」

というわけで、お酒も禁じられているし、そもそも眠くならないということがあって、日記でも書こうと思いました。


痛み止めにボルタレンという薬を処方されてるんですが、じつは以前これで死ぬ目にあったことがあるので、ちょっと敬遠しています。これらの痛み止めは、非ステロイド系消炎鎮痛薬、別名NSAIDs (エヌセッド)と呼ばれているもので、ロキソニン、ボルタレン、ポンタールなど、非常に広範囲に処方されている一般的な消炎と痛み止めの薬なんですが、「一般的だから安全か」というと、そういうわけではないというのが現状なんです。

もちろん、一般論としては安全ということでいいのでしょうけれど、私、これで以前、胃に「4つの穴が同時に開いた」ことがあり、ちょっと前に記事に大出血の話を書いたんですが(生きている意味: DNA に蓄積されていく人類の体験)、それはこのボルタレンが原因だったんですよ。

胃に4つも同時に穴が開くと、それはそれはひどい出血で、体の血液の何分の1が流出したようで、その血が口からドバッとシャワーのように(苦笑)。何リットル出たのかわからないですが、その直接的原因が上の鎮痛剤でした。

これらの危険性は海外でも調べられていて、たとえば、ウィキペディアの非ステロイド性抗炎症薬というページには、

NSAIDsの胃腸障害作用は用量依存性であり、多くの場合致命的となる胃穿孔や、上部消化管出血を起こす。

おおむね NSAIDsを処方された患者の10〜20%に消化器症状が現れ、アメリカでは年間に10万人以上が入院し、1万6千500人が死亡している。



要するに、上の非ステロイド性抗炎症薬を処方された患者の1割から2割が、何らかの胃の不調を訴えて、アメリカでは、大体年間で1万人から2万人が死亡しているということです。


ピロリ菌という胃潰瘍や胃がんの原因となる胃の中の菌があるのですが、日本人の、特に四十代以上はこのピロリ菌の含有率が世界の中でもずば抜けて高く、上のアメリカの場合より問題が出る可能性は多いようにも思います。

しかし、じゃあ、なぜこれらが病院で多用されているかというと、「他にない」のです。痛みを止める薬となると、これらに勝るものはないと。

なのでまあ、これらは単なる風邪などでも処方されますので、処方された場合は、

・胃の調子はふだんから良いか、悪いか
・食後の服用を必ず守る。あるいは胃薬も同時に処方してもらう


といったことを気にしてもよく、もっと言えば、

・多少の痛みは我慢して、なるべく服用しない

というのも大事だと思います。


私も様々な「痛み」の疾患を経験してきており、痛みのつらさはそこそこわかります。なので、耐えられないほどの痛みを耐える必要はないと思いますが、「処方されたから漫然と飲む」のは、この系統の薬ばかりはやめたほうがいいです。

なお、処方された薬が非ステロイド性抗炎症薬かどうかは、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)一覧というページにすべて載っていますので、調べるといいと思います。

ちなみに、大体、下のようなものが一般的です。

病院で処方される主なNSAIDs

・アスピリン
・ロキソプロフェン(ロキソニンなど)
・ジクロフェナク(ボルタレンなど)
・インドメタシン(インダシンなど)
・メフェナム酸(ポンタールなど)
・スルピリン(メチロンなど)
・アセトアミノフェン


市販薬の主なNSAIDs

・アスピリン(バファリンAなど)
・イブプロフェン(イブなど)
・エテンザミド(ノーシン,新セデスなど)
・イソプロピルアンチピリン(セデス・ハイなど)
・アセトアミノフェン(タイレノール、小児用バファリンなど多くの市販薬)



これを見ておわかりだと思いますが、「痛み止めのほとんど」なんですよ。
だからまあ・・・難しい問題です。



当面の日本人が直面する主な問題はストレスとPTSD

そういや、さきほど、知り合いの女性で医療関係に勤めている人に言われたのですが、震災後、ストレス原因の病気で来院する患者さんが数が驚くほど多くなっているとのこと。

私の帯状疱疹も、基本的にはストレス原因とされている病気のひとつですが、自分では感じていないストレスが高まっていた、あるいは溜まったまま時間が過ぎていたということはあるのかもしれません。


考えてみれば、震災後の「時間感覚を失っていた」時の1週間前後に受けたストレスというのか、精神のアンバランスが心身に何らかの影響を与えないわけないですもんねえ。なにしろ、私はパニック障害や PTSD歴があることでもおわかりかと思いますが、基本的にストレスに大変弱いです。


しかし、大した被害もない東京に住む私がこういう一種のストレス障害に属するものが出てしまっているということは、被災地に近い方になればなるほど、この問題は今後大きくなると思います。

以前にも書いたことがあるような気がしますが、PTSD とストレス障害の問題が大きくなるのは、一般的には「事件直後」ではないのです。


たとえば、インフラや生活などが多少、元に戻り、不便ながらもやや平穏な日々が戻りつつある・・・という時がもっとも厳しいと私は考えます。

厄介な話なんですが、「心の余裕が出てきた時に、はじめてストレス障害のたぐいが頭をもたげてくる」ということがあるのです(もちろん、基本的にはストレス障害にならない人の方が多いです)。必死で対応している時は、心理的な葛藤が飛び出してくる余裕がないのですが、一息つける頃にむしろ問題となりやすいように感じます。


なので、被災地の方だけではなく、今しばらくの間、多くの日本人の心配のひとつは、放射能や余震といったもの以上に、「心の中」ということがとても大事になってくると思います。

震災直後から、「精神のサバイバル」のような書き方をしていたのは、やはり、なるべく、できる範囲で、精神的に現状復帰できる人はしてほしいと思います。被災地の方々はまだまだ難しいでしょうが、被災地の人ではない人でも、もし、今、極度の不安などに見舞われている人がいるなら、「震災があったことを忘れてしまう」くらいのつもりで、精神を戻すのもいいと思うほどです。

結果的に、被災地以外の周囲の人たちから精神的に立ち直ったほうが、何だかいろいろとうまく行くような気がするのです。

それには、たとえば、確かに今、新たな地震とか放射能とか、あるいは火山のこととかいろいろと不安はあるかもしれないですけれど、何度も何度も書いていますように、それらは予知できません。

なので、不安が先行していても仕方ないことで、そこそこの準備をしたあとは、それこそ笑っていたほうがいいように思います。

あるいはどうしても不安が払拭できないのなら、移動されてもいいでしょう。

「不安と不安の積み重ね」が人々の間に新たな不安の輪廻を呼ぶと、「本来存在しなかった不吉」が台頭してくるのが世の中ですので、それはあまり建設的ではないと思います。




不安の輪廻の例

以前、闇を覗き込む性質という記事を書いた時に、「不安の輪廻」ということを書いたのですが、その記事を書いた3月の終わり頃に、この現実を私はネットで見ています。

ブログには載せなかったのですが、ずいぶん日が経ったので、載せてみます。

ニュースサイトのロイターには、毎日、トップニュースのランキングというものが掲載されます。その日に最もアクセスがあった記事をベスト 20位まで載せています。たいていは、その日から前日くらいのニュースで占められます。

たとえば、今日(4月13日)のはこんな感じでした(関係ないですが、3位のメキシコのニュースの見だしすごいですね)。

4-13.gif



次に、これは先月の3月30日のロイターのトップニュースのランキングです。
ちょうど、東京あたりの飲料水から放射能が検出されたことが報道されていた頃です。


3-30.gif


1位のニュースが「中国のボトル入り飲料水、飲ませたニワトリが死亡」。飲料水問題に揺れるその時期としてはショッキングな見だしです。記事はこちらののもので、こういうような記事です。

中国の海南省で、ボトル入り飲料水の安全性に疑念を抱いた家族が中身をニワトリに飲ませたところ、そのニワトリが1分もたたずに死んでいたことが分かった。10日付の新京報が地元紙の報道を基に伝えた。


私は上のトップニュースを見た途端、「ああ、みんな闇ばかりを探している」という事実を知りました。

なぜ、このことだけで「みんなが闇ばかりを追いかけている」と言えるのか。

ランキングの下の日付を見ていただきたいのですが、他のニュースがほとんどその日か前日のニュースなのに対して、この「中国のボトル入り飲料水、飲ませたニワトリが死亡」の日付は 2007年 09月 10日とあります。

4年前のニュースなのです。

ロイターのランキング1位になるには、かなりのアクセスが必要で、多分、誰かがこのニュースを探し出して、いろいろな媒体に貼り付けて、多くの人がクリックしたか、あるいは意図的に集中的なアクセスをした可能性もありますが、どういう理由であれ、「ほとんど何の意味もない4年前の外国のニュースが1位になった」という事実は十分に残念な話で、飲料水パニックの中とはいえ何となく、冷静さの欠如はあったのかなあと思います。


しかし、ロイターはまだ日付があるからいいです。

日付、根拠などが何もないニュースたくさんあるわけで、そういう場合、非常にはっきりしているのは、

・不安な気持ちでニュースを探して、不安な記事にたどりつけばさらに不安になる

という事実のように思います。


ある程度の大人の人たちならば、今までの人生で自分の考え方や価値観といったものがある程度は確立されているでしょうし、非常時には、むしろその「自分」を基準にして考えることのほうが大事に思います。


もし、不安な気持ちが先行しそうな時は、「他は無視する。見ない。聞かない」という方法もあるようにも思います(今の私)。


これは単に心情的な、あるいは心理的な問題ではなく、「非常事態に冷静に行動するためには、普段以上に平静である必要がある」ということは言えるのです。不安だったり怖かったりしていてはダメなんですよ。

これは、かつて米軍の特殊部隊で要人暗殺の指導をしていた元軍人の人が書いていたエピソードがあって・・・まあ、話としては脱線しすぎるので、ふれないですが、憎しみとか不安などのネガティブな感情は、何をやるにしても、もっとも不要な要素だと書いています。




通常では人は希望のほうに向く

私は、最近は何だかよくわからないことばかり書き続けていますが、もともとは異常なほどの現実主義者です。

もともと、世の中は「現実と現実が連綿と続いて、次の現実を作り出している」とだけ思っているわけで、その上で、最近になって自分なりに分かってきた「人は未来を予知できない」とい概念があります。

しかし、そのおかげで、私たちは「現実の中に夢や希望を抱ける」わけで、ここで気付くのは、

・予知や予測が生み出すものは希望ではないほうが多い

ということのようにも感じています。

どういうことかというと、先が何もわからない場合、「その時の気分が普通」なら、多分、気持ちは「希望の方向」に向きます。


たとえば、何の予定もない旅行に行って、そこで素晴らしい光景と出会う。その中で思うことは、

(まだ何も起きてはいないけれど)「すてきな女性(男性)と知り合うかもしれない。それがなくとも、地元の人たちと楽しい交流が何かあるかも。美味しいものも食べられるかも。財布も拾っちゃったりして。そこに入ってた宝くじが一等だったりして。うっひゃっひゃ」

まあ、財布は届けたほうが良さそうですが、「何もなければ」大体こういうように、漠然と希望に気持ちが向くのが人間だと思います。


特に不安も怖れもないのに、

「ああ、この旅行中に、きっとオレは病気になり、留守中に会社は倒産し、白頭山と富士山が噴火して、小惑星も衝突して、その前にオレは電車にひかれてしまって、しかし、身元もわからず、地元の砂浜に埋められて、その骨も波で洗われて、オレの存在はこの世から消えてしまうのだ」


と考える人はあまりいないのでは。

しかし、この冗談のような心理に「根拠なく」なるとしたら、それは「不安」によるものだけのように思います。

「社会性のウツ」、あるいは「情報性のウツ状態」というような感じともいえるかもしないですが、今、現実に、上の「不安の例」のような考え方の繰り返しに陥っている人もいるのではないかと思うのです。

確かに、現実、自然現象にしろ、社会的にしろ、何があっても不思議ではないとは思います。しかし、それだけに「起きた現実に対処する」という方法のほうがいいかなと。

「起きたことに対処して前に進む」ということです。

私のように、すでにストレスで発病している弱々しい人もいるわけで、やっぱり人はそれほど強いものではないです。だからこそ、私のように弱い人は不安を排除して生きないと、災害や放射能の前に、自分の精神に殺されてしまうのですよ。



山本七平さんの「私の中の日本軍」という著作に、「第二次大戦中のフィリピンのジャングルにいた前線の兵士たちが最も欲していたもの」に関しての記述があり、もちろん次々と餓死していく中では、食べものが最も欲しいものであることは確かにしても、食べものというものは手に入らないもので、それは別として、兵士たちがとにかく日々望んでいたのがありました。

それは「笑い」だったと言います。

つらい状況の中で、夜、兵士たち同士で冗談を言って笑うことが、たった唯一の生きている意味だったといいます。だから、人を笑わせることのできる兵士の命はものすごく大事にされたといいます。

私たちは、当時の日本軍の兵士たちのように苦しくはないにしても、私もできるだけ最期まで笑っていたいとは思っています。稀代の殺人鬼ペーター・キュルテンは、ギロチンで首を切り落とされる瞬間にも愉快そうに笑っていたそうですし(それは意味が違うだろ)。


ただ、今は帯状疱疹が痛くて笑えねえです。

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2011年04月13日



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数日前から、右の頭皮から右目の下あたりにかけて、皮膚の表面がかなり痛かったんですが、今朝になって目の上あたりに腫れが。

「ああ、これは・・・」と、なじみの病院に行ったら、帯状疱疹でした。

顔の目の上あたりから頬あたりまでを三叉神経というのですが、このあたりの神経に沿ってのものみたいです。
で、治療を始めると共に、まあ痛いのはともかく(私は意外と痛さには強いのです)、「お酒はしばらくダメ」とか言われて、そうなると、何かを書く気力も失せてしまい、前回くらいまでの続きの内容での更新は少し開くかもしれません。


ちなみに、昨日くらいに途中まで書いていたものがあって、それは仮題が「夢は未来を予測しない」というタイトルでした。それは途中までとなっていて、書き上げましたら、アップしたいと思います。

「夢は未来を予測しない」という響きは何だか本当に夢のない話っぽくて、そう思われるのもアレですので、途中まで書いたその文章の中に最初に「結論じみた」ことを書いていますので、その部分だけ抜粋しておきます。

「人類の宇宙の記憶からの決別」はあらゆる活動と現象に及び、夢も例外ではないのかもしれません。つまり、一般的に言われるように、夢は宇宙の記憶に触れるという現象「ではない」可能性があります。

夢も「宇宙の記憶とは関係のない人類の単独の現象」だという言い方にもなるかもしれません。

なので、夢は基本的に社会全体の未来を予知しないと思われます。

夢の正体は、その人の DNA が何十億年(期間は様々)の間に蓄積され、その本人の DNA の中に保存され続けてきた「その人(その人のもつ DNA )だけの過去のあらゆる歴史」に触れていることだと思われます。なので、その個人の宇宙の中の人生で経験した、あらゆることに毎晩ふれているといってもいいのかもしれないです。

たとえば、未来のような風景に見えても、それは過去なのだと思われます。

「過去の現実の経験の記憶の中を毎晩、旅している」というような感じでしょうか。


そして、夢を見る意味は、過去の自分を知ることでのキュア(治療)であると同時に、自分が経てきた何億年、何百億年のすべての人生の学習でもあり、それを見ることで、自分の人生に「自分の価値観」を反映させることができる。

地球の人類文化の中にあるあらゆる価値体系(嗜好、趣味、音楽、文学、芸術など様々なもの)は、夢と現実を DNA の中を相互に行き来する行為の中で確認されて、そして、現実の中で芸術や、あるいは「個性」として花開くということなのかもしれません。

つまり、夢での学習がないと、人類の文化はこれほど多様に展開しなかった可能性を感じます。





と、その途中までの文章に書かれてあります。

相変わらずわかりにくいし、このことをちゃんと説明できる続きが書けるかどうかわからないですが、「夢って何なのだろう」ということは十代の頃からずっと考え続けていたことでした。ある意味、何よりも長く考えていたことかもしれません。

その夢というものに対して、正しいとか正しくないという意味ではなく、自分なりに結論的なところに行き着き始めたのは良かったと思います。


ちなみに、今日行ったお医者さんは若い時からわりと長い付き合いなんですが、「帯状疱疹は疲労かストレスがキッカケのことが多いから、気付かないうちに疲れてるんじゃないの?」と言われました。

自分としては、ストレスとかは感じてないのですけど、ここで顔が痛み出したのも、なんかの意味があるのでしょうかね。
痛みが取れるくらいまで少し休みます。
タグ:帯状疱疹

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2011年03月31日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





今週の初め頃だったと思うんですが、「雲」の様相が変わりました。
変わったというか、戻りつつあるように見えます。


震災後の2週間くらいは、東京の雲はそれまでには見たことのないような形や色や動きの雲が次々と出ており、そして、「突然気温が低下する」ということも(これは今日もあった)続いています。


空に関しては、3年くらい前から何となく毎日見るようになっていて、ヒマなせいもあって、ベランダから見る以外にも、外を歩いている時にも空を見上げて、そのままボケーッと立っていることもあります(あぶねー)。

そんなこともあり、雲の名前などはよくわからないままに空の色とか雲の形なんかはわりと見てきたのですが、3月11日からの2週間くらいの間は、そういう過去に見てきたものをすべて否定するような雲が多かったです。

震災当日にも、暗雲と気温の急激な低下はあったのですが、その3日後くらいから空の様子はむしろひどくなっていき、こちらの記事の日(3月16日頃)に現れた「とぐろを巻くような黒い雲」を見た時には本当に「ああ、これはだめかも」と思いました。

その上の記事には、

「まあ・・・お前みたいな黒い雲も、ずっと不吉だ不吉だと言われてきて、まあ、オレなんかもそう思っていたわけだけど、そのへんはお互いの考え違いという面もありそうだわな。まあ、お互いあんまりトゲのない程度に行こうぜ」。



と書いてありますが、基本的には、その後の日々でイヤな感じの雲を見た時には同じように思って過ごすようにしていました。

そして、数日前、確か4日前だと思いますが、やっと以前と同じような雲に戻ってきたような気がしました。東京ではその翌日から、それまで異常に低かった気温も、また普通くらいの温暖な感じに戻りつつあります(一時的かもしれないですが)。



この数日の間、自宅以外も含めて室内での用事が続いて、ほとんど散歩ができない日が続いていました。それで、昨日の夜あたりに、震災後としては、初めて「イライラが非常につのって」ちょっと危ない感じでした。


ちょうど、今日から数日の間、子どもが奥さんの実家のおばあちゃんのところに遊びに行くことになって、今日は久しぶりに数時間歩き回っていました。

やっぱり、今の私は外を見て歩かないと精神衛生上良くないようです。
また井の頭公園にも行ってきました。



春の池と瓶ビール

散歩を始めたのはまだ午前中で、井の頭公園にも午前 11時くらいに着いたのですが、平日なのに混んでいる。「なんで?」と思ったのですが、春休みということがあるのかもしれないです。


今日は暖かいこともあり、ボートもたくさん池に出ていて、アベック、子ども連れがたくさん来ています。

公園の入り口から池の中央に向かって渡る橋があって、最近はいつもそこで池を眺めるのですが、何十年もここには来ているのに、その池の周辺の風景といったものを気にしたことがなかったので、見ていると、こちらの記事にも書いたような、「自然というのはなんということか」というような感動もありました。

まだ葉のない木のほうが多い時期で、つまり、「茶色のもの」が多い。
それだけに緑のあるもの、花のあるものが目立つのですね。これが春が過ぎ、全部緑になっていくと、「いきいきしすぎて、つまんね」というようなことになりそうな気がします(わがままだな、おい)。


歩き出した時に、ふと思って、木に向かって、

「お前がそのまま緑を出さずに永遠に枯れてしまえば、このまま永遠にいいコントラストでいられるのにな」

とひどい言葉をかけながら進みます。

でも、途中で、「でも枯れちゃったら朽ちてなくなっちゃうか。ハハハハ」と笑いながら(キチ・・・)進みます。

最近、歩きながら笑うことが多いんですよ。


ino-1.jpg

▲ 携帯で撮影した橋からの風景。古い携帯なので色が実際とは全然違います。右のほうの柳みたいなのがきれいでした。


橋を渡ると、小さな動物園とボート乗り場があります。
動物園は震災以後は休園となっていましたが、張り紙があり、「4月1日から再開します」とのことでした。

動物園の入り口の周辺にはベンチなどの座れる場所がたくさんあります。
子ども連れやアベックが多い中に、男数人組で午前中なのにビールを飲んでいる人たちがいる。しかも、よく見るとごっつい男たちが「瓶ビール」を呷っている。


「瓶ビール売ってんの? つーか、家族連れの横で瓶のままで酒飲むなよ。愚連隊かよ」


と思って見てみると、そのうちの男のひとりが赤ちゃんを抱いており、さらによく見ると、それらは複数の家族グループなのでした。


それを見て、売店のほうへ行って見てみると、やはり瓶ビールなどなく、あの人たちは持参したようです。午前中とはいえ、結構ビールを飲んでいる人は多く、私も缶ビールを買って、池を見てみました。ボートがたくさん出ています。

ボート・・・。
この公園のボートには、普通の手で漕ぐボートと、足でペダルみたいなのを踏んで進むボートと、スワンボートがあります。スワンボートが圧倒的に多いのですが、中にはやはり手こぎの人もいる。

「経済的な問題なのかな」と、料金表を見てみると、手こぎは600円で、スワンボートは 700円とあり、料金の差は 100円。金銭的な問題ではなく、「手こぎがいい」として乗っているようです。


昔、「世界が水没した時にはスワンボートなんていいかも」と思っていた時がありました。
それがなくても、スワンボートは今でも欲しいものひとつですね。
2台くらいあれば家族で水上で暮らせそう。



公園を出ようとした頃、空には青空も見えているのに、ボツボツと雨が。わりと雨に敏感に反応する人は多く「あ、雨だ」とは言うものの、私もそうですが、こんな天気の日に傘など持っている人などおらず、言うだけです。

「私たち放射能のことも忘れないでね」

と、雨がさりげなく言っているかのように、本当に少しだけ雨が降り、しかも、雲が消えて青空になったのに、まだ少し水滴が落ちてくる。恋人とふたりでソフトクリームを食べながら歩いていたアベックの男のほうが空を見て、「なんで雲がないのに雨がまた少し降るんだよ」と言っています。


まあ、前述したように雲とか気候とかは最近は基本的にコントロールを失った感じはしますので、適度にやり過ごすのがいいようです。

井の頭公園にいた全員に多少のいろんな物質を振りまきながら、雨は去りました。



こどもたちの遊びに対しての無秩序な希求

そういえば、今日ではないのですが、先日、吉祥寺を歩いていた時、ヨドバシカメラの裏側に細い道がたくさんある場所があって、そこで、若いお父さんと5歳くらいの男の子が自転車に乗ってゆっくりと私の横を通りました。

子どもは、大きな声で、


「パワー全開! おとーさんに、放射能ビーーーーーム! ビビビビビ!」



と言って、お父さんの横を走っていき、その若いお父さんも、


「ああ、やられたあああ!」


とか言ってました(笑)。

テレビなどをつけているのなら、子どももニュースでいろんな言葉覚えるでしょうしね。


それを見て、そういえば、小さい頃に自分たちで作り出していたいろいろな遊びを思い出しました。


1番印象深いのは「自主的な生き埋め遊び」でした。

今は家の構造が変わったので、北海道でも屋根から雪はそんなにドサドサと落ちないかもしれないですが、30年前40年前は、とにかく、屋根の雪下ろしをしないと、すぐに屋根に雪が積もり、そして、それは少し暖かい日などに下に落ちます。

この「雪が屋根から落ちる物理的な力」というのはものすごいもので、まず音がすごい。

「ドドド・・・ドドドドドドドドドドド・・・・・ドッカーン!」

という本当に冗談でもなく、爆撃を受けたようなものすごい音で落ちます。
稀に、この屋根から落ちた雪に当たって、怪我をしたり、生き埋めになる人たちが出ます。


私も、小学2年か3年くらいの時に、友だちの家でその友だちと屋根の近くで遊んでいた時に、落雪の直撃を受けたことがあります。

怪我は大したことはなかったのですが、ふたりとも雪と氷中に閉じ込められ、少しして気付いた家の人たちに救出されたのですが、結構な時間、雪と氷に閉じ込められた中にいました。

その時に「初めて知ったこと」がたくさんありました。
これは圧縮されて、氷に近いものに密閉された状態で、いわゆる新雪の中などとは違うのですが、すなわち、

・雪の中は暖かい
・雪の中は音が聞こえない


ということでした。
もちろん、光りはほとんど入らないので、ほぼ真っ暗です。
そして、外部の音がしないので、自分の鼓動だけが聞こえるのです。


救出された後、しばらくして、一緒に埋まった友だちと、「静かだったね」とか、いろいろと話していたのですが、しばらくして、

「あれをもう一回経験したい」

と思ったのです。


そして、学校に行った時に友だちに話して、何人かで「あの状況を再現する」という遊びを作り出したのでした。これは小学生が行う行為としては、実は非常に危険なものだったのですが、手順として、

・雪に深く穴を掘る
・その中に下向きか横向きで横たわる
・空気穴のバイブを上に出す
・上から雪をかけて、上にいる全員で踏み固める
・いよいよ苦しくなったら、パイプを動かして救出を求める
・上にいる子どもたちが救出する

というものでした。
密閉するくらいに強く踏み固めないと、無音にも暖かくもならないということがあって、「本人が自力では脱出できないほどの厚さまで」みんなどドンドンと踏み固めます。


最初は私が自分であの体験を再現したくて、中に入って、そして出てきたのですが、他の子たちもやりたがって、結局、全員で交代でこれをやりました。


この遊びはなんというか・・・本当に快感だったのですよ。

その時はそういう言葉は知らなかったですが、「胎内」というようなニュアンスもあったのかもしれません。みんながまたやりたくなる遊びでした。


ある日、学校で、「雪の中に埋め合ったりするような遊びが最近あるようなんだが、危険だから絶対にやめるように」と教師がクラスで言いました。私たちは「なんで広まったの?」と言い合いましたが、誰かが他の誰かに教えたのか、あるいは、同時多発的に(屋根からの落雪で埋もれる子は多かったので)発生したものだったのかもしれません。


小学生の時は本当にみんな遊びを作り出すことが得意で、私も得意でしたが、しかし、男の子の考え出す遊びには「命の危険」がつきまとうものが多かったです、これは乱暴とかアクティブとかという意味だけではなく、そうでない遊びもそうなってしまう。

ただの雪合戦でさえ、気付くと、誰かがそこに「石」を入れ始めた時から、流血になり戦争状態になり、「戦略」が必要となってくる。あるいは、最初は単なる水鉄砲遊びだったのに、理科の実験室から誰かが塩酸を盗み出して、それを入れるやつが出てくる。

上の水鉄砲は中学生の時ですが、当時の田舎の中学生なんて子どもそのもので、中三でも学校で水鉄砲で鬼ごっこやってたわけです。「かけられたら負け」という感じで。

ある時、水鉄砲遊びの時に廊下の奥から、

「えんさーん、えんさーん!」

という叫び声が聞こえてきて、逃げてくる生徒たちがいる。

「どうしたの?」
「一部のやつらが塩酸を詰め始めた! 服焼かれたやつがいる」


ということで、これも本気でみんな隠れて相手を探し出そうとする。
なんでもかんでも戦争じみる。


そのまま男性性社会のシステムを体現するかようですが、でも、私たち全世代はそんな「ただの遊びが殺伐として」どう感じるかというと、嬉しくてたまらなかったんです(笑)。

そして、無傷で遊びを切り抜けられた時は子ども同士で喜びを分かち合う。

遊びの戦争が終わった後にはみんなで学校を出て、家で「今日も生き残れてありがたい」と、みんなそれぞれに眠って夢を見る。
うーん・・・・・。今考えても、わかるようなわからないような。



七夕の因果

そういえば、私は 1963年生まれなんですが、メールなどをいただく方にもこの周辺の年齢の方も多く、変なこと書いて下さる人が多いですね(笑)。


ちなみに、誕生日は 8月 7日なんですが、これは本州では何の意味もない、この 8月 7日というのは、北海道では当時は七夕の日だったんですよ。気候の問題でそうなったんでしょうが、本州とは1カ月違ったんです。

なので、子どもの時は「七夕に生まれた子なんて、めでたいねえ」などと言われていたのですが、本州に来てから何の意味もない日だと知りました。

鼻の日?

とか言われる始末。
実際にそうらしいですが。


そういう「七夕への因縁」というか、そういうものを持っていたんですが、その 42年後に生まれたうちの子どもの誕生日は 7月 7日で、こっちは正真正銘の七夕に生まれました。「さすが東京生まれの子だねえ」と感心したものです(よくわかんないが)。

そんなわけで、長い逡巡だった「実は七夕と無縁だった私」という問題も、子どもに救われたという話でした。


今回は特に支離滅裂ですみません。
ちょっと用事となってしまいました。


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2011年03月30日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





なるべく毎日書きたかったのですが、昨日はどうしても時間がとれず、今日も基本的に何だか慌ただしいのですが、ただ、うちの奥さんの震災後の行動など見て気付いたのですが、「それまでインターネットで積極的に情報やニュースをあまり探すというようなことをしていなかった人たち」の中で、震災後からネットで情報を得ようとしている方もいらっしゃるかと思います。


その場合、本人も気付かない状況に陥ることがありますので、簡単に書いておきたいと思いました。

これはふだんからネットで情報を大量に見ることに慣れている人にはあまり関係のない話です。



不安の輪廻

インターネットの閲覧には、「ハイパーリンクの持つ自己洗脳性」というような若干の危険性がもともとあって、ハイパーリンクというのは、ここではネット上にある「リンクすべて」を指していますが、それは一般論としての前提として、

まず、


・「どうして普段は一晩中ネットで情報なんて探らないのに今は、それをやっているのか」


というと、それは、



・「何か不安か心配があるから」



であることが多いと思います。

そうすると、たとえば、ニュースでもブログでも何でもいいのですが、



・「まず、不安なリンクタイトルに目が行く。そして、そちらを選んでクリックする」



ことになります。
その後、どうなるかというと、「不安なリンクからさらに不安なリンクへとたどる」ということになり、最初はリンクの候補は、楽しいものや不安なものも含めて、いくつかの感情のあったサイトやブログからスタートしても、最終的に行き着く雰囲気は、


・すでに不安と恐怖の文字列しかないような場所



であることが多くなり、知らない間に、「不安と恐怖の項目しかない中から情報を選んでいる」ということになることが多いです。


そして、この場合の問題は、どういう経緯であれ、「自分でリンクをクリックしていった」という事実があります。

つまり、

・「これは自分で選択した情報なのだから正しいはずだ」という錯覚に陥りやすい


ということです。

これが結局は、「不安心理から自動的にリンクを辿っていっただけの行為」が、いつの間にか、その正誤を判断する前に自分にとっての「真実の情報」となっていく仕組みです。つまり、言い方としては適切ではないにしても、自分で自分を洗脳に追い込んでしまうというようなことになってしまうようです。

歴史では、いろいろな団体などが、様々な勧誘の方法などを考えてきましたが、実は最も効率的なのが、「自分で考えた結果だ」と思わせることだというのが確定した技術かと思われます。

これはそんなに難しく考えることではなく、様々な局面や著作などの中でおこなわれています。

つまり、

「これは○○である!」

という言い方を人にしないで、

「これは○○でしょうか? それとも△△でしょうか? お考え下さい」

という言い方です。
もちろん、この前提として、ずっと言外に「○○がいい。○○が正しい」というニュアンスを伝え続けているわけです。

その最終形として、「これは○○でしょうか? それとも△△でしょうか?」と訊かれた場合、訊かれた人々の多くは、


「それは○○だ」


と自分で結論に至ります。

これは一見自分で考えて出した結論のように思えるので、実に強固な意志となっていきます。

この方法はこれまであらゆるジャンルで使われてきたと思います。
商品の CM なども含みます。


もちろん、これがいいとか悪いとかでなく、インターネットの場合、自分自身の手によってこの状態に陥っていく可能性があるということを書きたかったのでした。


まあ・・・ハイパーリンクは本当に便利なんですけどね。

私が初めてインターネットに接続した頃は、ダイヤルアップという方式の、しかも、最初は 12800bps という速度で、これは最近の一般家庭のインターネットの、もう・・・何十分の一から何百分の1という速さで、たとえば、ハガキ大くらいの写真が全部表示されるのに、コンビニで買い物をして帰ってきても、まだ表示が終わっていないというようなことはよくありました。

当時は、「インターネットをすることがそのまま電話代」となり、大変な料金がかかったもので、多くの人が、「テレホーダイ」という夜中に NTT の電話代が固定化されるものを使っていたのですが、その夜中の時間全部を使っても、得られる情報などそれほどではなかったのです。


今のほうが、環境も内容もコンテンツも充実していて、信憑性が感じられるものも多い。
しかし、それだけに、「どんな情報も正しそうだ」ということを思いやすいです。

前にも書いたように、実際に現在ネットにある「どんな情報も正しい」のだと思います。
見方や考え方を変えれば、それぞれの主張や意見すべてが正しいかもしれないです。

しかし、今のこの時期に、まして、まだ被災地ではほとんど何も手つかずの状態というような中では、「不安」というような要素は私たちの一部にはあまり必要ないのではないかとも思います。



精神の自己防衛は必要


誰も予測しない中で今回の大災害が起きたように、基本的に私たちには未来が予測できないのなら、少なくとも今は不安を排除するということをした場合がいいということはあるのかもしれません。


私自身は他の情報を今ではあまり見ていないですが、いろいろな見地からいろいろな先行きを予測されている方々がいらっしゃるとは思いますので、そのようなものから情報を得ることは大変に有意義なことだと思います。ただし、そこから「ハイパーリンクの不安の輪廻」に陥らないように、長い時間、関連項目を見ないなどの「自己防衛」は必要かと思います。


最近ちらほらと Yahoo! などのニュースの見だしで見るようになりましたが、以前記事にも書きました PTSD (事故や出来事などの精神的ストレスが後になって肥大化すること。病名や言い方は様々でも、多くがひとつのもの)が本格化するのはこれからです。一般的には、事件後、数週間から数年で顕著になっていきます。

私の経験(私は PTSD から最終的に不安神経症とパニック障害に陥りました)だと、「最初は事件そのものへの恐怖だったものが、恐怖の対象が変化してきて、生活そのものが恐怖に変わってくる」までに数ヶ月を要しています。


この PTSD というのは本当に軽く見てはいけない。

今回は出来事も大きいですし、被災地以外のあらゆる人が PTSD に陥る可能性があるように思います。そして、これは本当に長く本人を苦しめるものです。

そういう意味でも、今の時期だけでも「不安は最小限」にして生活されたほうがいいというように感じます。どちらかというと、震災後に見てきた、たくさんの子どもや若い人たちのような「ゆるい思考」のもとで、精神の現状復帰を目指し、 PTSD を極限まで避けるようにしたほうがいいように感じます。

今回の出来事はそれくらい大きなものです。


未来を予測できない人類には「人生を楽しむ」という性質の一方で、「闇を覗き込みたがる」という性質もあるように思います。そして、覗かない時には覗かないほうがいい時もあるように思います。


タグ:PTSD

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2011年03月25日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





あるテーマで途中まで書いている時に、用事ができまして、いくら何でも中途半端なので、そちらのほうは後にします。
その「テーマ」には微生物のことにもふれ始めています。


昨日眠っている時だったか酔っている時だったか、「認識しての生命の再起動はいいけど、じゃあ、微生物とかどうする。天然痘とかペストなんかも、人間が感染して再起動させんのかよ」と寝ている時に自分で気付きました。


「あーあ、ついに微生物との最後の対決の時が来たか・・・」

ということを感じます。

以前のブログでは「微生物との対峙」というあたりで、混乱して終わっています。その頃、「人間と植物と微生物」という三者の関係を考えることがとても楽しかったのですが、震災以降は忘れていました。

しかし、人間がこの後の生活や人生を送る上で、あるいは社会システムや経済などの混乱があったとした場合、そこで「病気と医療」というのはかなり大きな問題となってくると思います。


微生物と人類は最終的にどのような関係でいるのが理想なのか。


そのことを書きたいと思いますが、今日は時間が足りませんでした。


phage-1.jpg

▲ 私の永遠のライバルである微生物。写真はバクテリオファージ


ところで、関係ない話ですが、気になったことがあったので書いておきます。

最近はテレビもつけず、インターネットでもニュースは Yahoo! のトップの見だしくらいしか見なく、基本的には情報を遮断している傾向にはあるのですが、いろいろと考えさせられる報道を見ました。


黄色い付着物

同様の報道は他にもたくさんあると思いますが、花粉による「黄色い雨」で気象庁に問い合わせ殺到という、つまり「黄色い物質が雨と共に大量に降ってきた」ことを「放射能じゃないか」と思っている人たちがいるという報道でした。

これの正体がなんであれ、東京に関しては、「この黄色いものは震災前の2月ころから継続的に降り続けて」います。つまり、少なくとも「震災後に始まった」ものではないです。

もし、これが放射能関係のものだったら、東京には震災前から放射性物質が降り続けていたことになります。

なにしろ毎日のように、私が廊下やベランダを拭き掃除していました。
ずっと、それが何だかわからず、今日の報道でスギの花粉だと知りました。


2月頃から、ベランダにたまに見たことのない鳥が柵にとまっていたので、「鳥のフンかな」とか思っていたのですが、「黄色い鳥のフンってのも変だな」とは思っていたので、スギの花粉と知り、今年の花粉の飛散量の多さを知りました。
花粉症の方は今年は花粉でも大変なんでしょうね。


これは都内の路上のありとあらやるところに付着していて、多くの人はそれまでの毎日の生活でこの黄色いのを見ていたはずなんで、やはり、これまでの都会での生活は忙しすぎたということなのかもしれません。

道路に付着した黄色いものを眺めて「なんだろうなあ」と考えられる時間というのは、確かにあまりとれないのかもしれないです。私は毎日眺めて「ここにも黄色いフンか」と悩んでおり、実は夢にまで見ていたのです(笑)。

それは、ベランダに鳩が3羽止まり、それらが黄色いフンをする夢でした。


まあ、これからはこういう「自然で起きるわりと退屈な日常の風景をちゃんと見る」ということは大事なようにも思います。


地震以来、気象的に変化したと個人的に感じられるのが、


・気温
・風
・雲の形


なんですが、気温に関しては、3月11日の最初の地震発生後、確か 30分後くらいに「突然気温が下がった瞬間」がありました。

その時、空が暗くなり、氷のように冷たい風が吹き始めました。

私は空を見上げて、「なんだこりゃ・・・」と声を出して言ったことを覚えてますので、感覚的な話ではないと思います。


しかし最近、それとは別に「街や人の全体の感覚的な様子が変わってきている」ことも感じます。


今なお被災されている方々が厳しい状態の中では、その様子が良くなっているとか悪くなっているとかは書けないですが、何かが変わったことは感じるような感じを日々受けます。


それが何かはわからないのですが、まあ・・・何だろう。


正直よくわからないのですが、仮に何もかもダメになったとしても、「今の時をたくさん見ておきたい」という欲求が今は強いです。


なんかぶつ切れになってしまいましたが、今から用事です。
ごめんなさい。


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2011年03月22日



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昨日は、部屋の整理と共に、換気扇などを塞ぐなどの作業もしました。
前にこちらの記事も書きましたが、本州の東日本に位置する原発なら、福島でなくとも、どこの原発に事故が起きても、結局は偏西風で日本に戻ってきて、それは放射能が拡散するか減衰するまで何度も循環は続くのだと思います。

これはその時の記事に記した地図です。
毎日コースは違いますが、大まかでこのように偏西風は世界を回ります。




なので、偏西風上に住んでいる限り、ある程度の影響は仕方ないということにはなりそうです。
また、世界を巡る風の循環は偏西風だけではなく、海流とも似ていて、世界のいろいろな場所を巡るようです。

放射能そのものは、室内では影響はかなり弱くなりますが、まあ、隙間風があまり入らないようにするとか、不要な換気扇や郵便受けなどを封鎖するということも気休め程度にやるのもいいのかもしれません。


狂った話ですが、私自身は、昨年、核攻撃の場合のために部屋の隙間風対策は、それなりに行っていました。隣町の吉祥寺は核攻撃のターゲットとして選ばれやすいと考えていたからですが、核攻撃の場合は攻撃が確定してから、すき間を閉めても間に合わないので、先にやっていました。

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タグ:放射線 3.11

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2011年03月20日



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さきほど書いた記事で、「男性性システムが日本社会にもたらした毒」ということについて、「今日中に書く」と書いたのですが、子どもと奥さんが実家のほうから突如帰ってきまして、子どもは騒ぐし、奥さんは「佐川急便が福島への営業所止めだけの発送を開始したっていうんだけど、調べてくれない?」というようなこともあり、ちょっと更新が難しくなりました。

奥さんのお姉さんと旦那さんの一族はまだ福島の郡山にいます


なお、メールをいただいていてありがたいです。そして、ご返信がなかなかできていません。
最近は「女性性と男性性」ついて、本当に参考になる内容のものをたくさんいただきます。

すぐご返信したいと思うのですが、今の時間の流れを有効に使えていないようで、済ませられる用事の数がとても少なくなっています。なかなかご返信できません。どうもすみません。


ところで、メールをいただいた方の中のメールで、ご自身のブログのリンクがあるものがあったのですが、そのリンク先のブログにあるイラストを見て、ちょっと驚きまして、ご紹介したいと思いました。

いつだったか、「子どものかみさま」という記事を書きましたが、そこに自分の子どもが書き続けていたイラストを携帯で撮ったものを載せたのですが、メールをくれた方のブログのトップページのデザインのイラストが同じだったのです。

こちらがそのブログのこちらのページにあるイラストの一部です。

uni-1.jpg


こちらが上の記事に載せたイラストです。

kamisama2.jpg


他のイラストには、もっと上のブログの方のイラストにそっくりなものもあります。
さすがに、「へえ、不思議なもんだねえ」と思い、掲載の許可をいただきまして、載せさせていただきました。

ただ、何百枚も書いていたこれらの同じようなデザインのイラストも、地震の少し前に書くのをやめて、それ以来、書いていません。


あと、実は地震の2日くらい前に、うちの子どもは、はじめて救急車で搬送されるということになっていました。

体の右の下腹部から胸あたりにかけて激痛が走り続けたようなのですが、うちの子どもはわりと痛みに強いのですが、それだけにすごい状態で、泣き叫び続け、言葉も出ないほどの激痛だったようです。

さすがに慌てて、深夜だったのですが、救急相談センターに電話をすると、「すぐ救急車を呼んで下さい」と言われ、深夜に搬送されました。

痛みはすぐに消え、翌日、超音波検査などを含むいくつかの精密検査が行われましたが、原因はわかりませんでした。たまに出る熱と同じで(風邪も何も引いていないのに高熱を出す)、原因のわからない激痛のようでした。

震災の時に、自分の子どもの病気の話を書いても仕方ないので書きませんでしたが、どれだけ検査しても異常はないし、本人もすぐに元気になったので、まあ大丈夫のようです。
タグ:親子

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2011年03月15日



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東京の品不足状況はそろそろ究極的になっており、このことに関しては夜にでもまた書こうと思います。多分、この後、午後3時くらいから停電になると思いますので、昔書いていたブログの2年ほど前の記事に、わりと参考になる図を掲載していたことを思い出しましたので、転載しておきます。

ただ、これは当時、「戦争で原発がピンポイントで攻撃された場合」を想定して書いたもので、また、私が東京に住んでいるので、東海方面のの原発を想定しています。まさか、マグニチュード9などという非現実的な地震で、このことを思い出すことになるとは思いませんでした。

いろいろなことは今晩か、明日に書ければ書きたいと思います。
なんだか、生と死の真意を「死んで確かめる」という状況も近くなってきたみたいで、書けるだけ書きますね。

多少ストレスを感じていますが、それはみんな同じですので。

昨日、子どもが、「地震はね、地球が生きているから起きるんだよ」と言いました。

「ああ、そんなことを思っているとはすごいなあ」と感じました。私は「宇宙全体が生き物だ」と考えていますので、親子でわりと似たようなこと考えていたのだと思うと、それはちょっと嬉しかったですね。

では、ここから過去記事の抜粋です。
笑い系の表現も多く、どうしようかなと思ったんですが、編集している時間がないですので、そのまま転載いたします。

(ここから転載)



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タグ:原発 3.11

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