2011年03月07日



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無限の「11」



「無数」の正確さ

昨日、ビリー・マイヤーさんの言う宇宙の歴史のことを記事にしました、そこでは 40兆にのぼる人種の数などの大きな数字が出ています。宇宙の最初には「40兆 3536億 700万」の人種が作られたと。

最初はこの数に驚いていたのですが、冷静に考えると、最近はずっと「巨大な数字の無意味さ」に気付いていた部分はあって、つまり、このように何十兆とか何千兆のような膨大な数を具体的に挙げる考え方そのものが「西洋的」なのだと感じています。まあ、ビリー・マイヤーさんは西洋人でしょうから、その意味では当然なのかもしれないですが。

「西洋的」というのは、要するに「無意味に近いことを具体的に表さないといけない」という強迫概念的な発表行為のことです。

たとえば、同じような数多くの宇宙や人種の存在の概念について、お釈迦さんが言っていた言葉があります(ビリー・マイヤーも「さん」付けにしていますので、お釈迦さんも「さん」付けにしています)。


oshakasama.jpg

故フレッド・ホイル博士の著作「生命はどこからきたか」からの抜粋です。



ブッダは宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)は宇宙の構造に全体として結びついており、別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。





のようにお釈迦さんは「無数」という表現を使っています。

ここに出てくるジャムブディパスとかアパラゴヤナスとかは、人がたくさんいるような場所を想定して入れ替えるとわかりやすいかもしれません。つまり、「無数の新宿、無数のムンバイ、無数の北新地」というようなほうがわかりいいかもしれません。

そして、この「無数」のほうが多い感じはするのですが、そのお釈迦さんの言葉を引用した西洋人のホイル博士自身は、やはり「数十億」という一種具体的な単位を使っています。


このように「少しでも具体性を持たせる」ことは西洋的科学のひとつの使命のようで、つい先日の 2月26日に NASA が「我々の銀河系には少なくとも 500億の惑星があり、そのうち 5億に生命が存在しうる」というような発表を行ったという報道がありました。

nasa-50billion.jpg

この記事には「科学者は従来、天の川銀河には 1000億の惑星があると考えていたが、最近、3000億に近いと考えるようになった。また、宇宙全体に銀河は 1000億あると見積もられている」とあるのですが、現実的に考えると、ここでの「 1000億ではなく 3000億」という響きにはほとんど意味がないはずなのに、そこに具体性を持たせて(しかも仮説)、それが大々的に報道されることの意味が今ひとつわかりません。


理由のひとつとして、これが「無数の」とした表記ではプレスリリースにならないという理由はあるかと思います。また、それでは報道にも向かない。現在のメディア体制が西洋主体で始まって存続している影響で、「お釈迦さんスタイル」の表現はいい報道とはされていないはずです。

たとえば、ニュースをYahoo! から適当に拾ってみますが、

学生524人行方不明=政権、トリポリで弾圧強化―リビア人権団体
時事通信 3月6日(日)2時32分配信

 【ジュネーブ時事】ジュネーブに本部を置く人権団体「リビア人権連盟」のスリマン・ブッシュウェガル事務局長(65)は4日、インタビューに応じ、カダフィ政権に反対する民衆のデモが起きた後、学生524人が行方不明になっていると証言した。



これがこのような報道だったらどう感じられるでしょうか。

誰かがたくさん行方不明とかそうじゃないとか=どこそこだかで弾圧強化―何とか団体
どこかの通信だかなんだか 3月6日(日)あたりかあるいはそうじゃない月日

 【どこかの時事】どこかの誰かの団体「何たらかんたら」の何とかさん(5歳から120歳くらいの間とかなんとか)は、過去かだか未来だかに、何か言ったとか何とか。どこかの誰かに対する何かが起きたとか起きないとかの後、たくさんだか一人だかの誰それが行方不明になっているとかいないとか、と証言したとかしないとか。



こういう報道はあまり見ないと思います。
しかし、これはふざけているというよりは、「確認されていない、わからない部分を曖昧に書いた」という、ある意味では実は正確な書き方だと思います(お釈迦さんの「無数」という言い方が正確であるように)。「ほとんど伝聞」の報道である場合、むしろ下のほうが正しいという考え方もあります。

しかし、これでは報道にならないと思いますし、報道メディアも読む方も「不正確だろうが何だろうが、具体性のあるほうを好む」という宿命があって、そのために、報道というのは前者だけになっているのかもしれません。


まあ、これは批判的なことを言いたいわけではなく、むしろ「無数」という一見曖昧に見えるような概念を正しいと認識されてくれたお釈迦さんの偉大さのほうを褒めたいというか、そうじゃないというか(こっちも曖昧かよ)。


ちなみに、この「数字」の観念については子どもに気付かされた部分が多く、先日、子どもの話を少し書いたので、また少しだけ書いて見ます。タイトルにつけた「無限の11」というのはこちらの話と関係いたします。



数は「1と2と5だけから成り立っている」

今ではそうでもないのですが、1年くらい前までは、うちの子どもにとって、数というのは3種類の表現で間に合うものでした。

すなわち、



そして、その1がふたつある状態の



そして、

それ以上

の3種類です。

最初、子どもが数を認識したのは、「じゃんけんのチョキと数の2が同じことを示している」ことを気付いた時で、そして、「パーも数を示すことのできるもの」だと気付いた時でした。


janken1.png


チョキは「2」のことであって、これはわかりやすいのですが、半年くらい前までは、「2を数える単位はすべてチョキ」で表現していました。

すなわち、「ふたつ」は「チョキ個」、「ふたり」は「チョキ人」、「2回」は「チョキ回」となるわけです。

極端に書きますと、「昨日、おかあさんとチョキ人でお店に言って、パンをチョキ個食べた」と(笑)。
家ではともかく、外でどこまで通じていたのかはわからないですが、動作の「チョキ」が伴うとわかるので、問題はなかったようです。


「2がチョキ」はわかりやすいことでしたが、しかし「パーの意味」は違いました。

バーは指が5本なので、「5」を指しているかというと、そうでなく、「2では表しきれない単位はすべてパー」でした。

なので、まあ大体、「3以上がパー」だと。
これは現実的に単位として計ることができないものにも使っていました。

すなわち、「昨日、公園でたくさん遊んで、すごく楽しかった」ということの場合、

昨日、公園でパー遊んで、パー楽しかった」というようなニュアンスになっていました。
上記のお釈迦さんでの「無数」に当たります。

彼が 5歳になる前くらいまでの数の単位は上記ですべて足りました。

1 と 2 それ以上。

そして、最近は上の言い方はしなくなり、また、数の認識も増えているのですが、以前も書いたように私は数や文字を自分からは教えませんので、いろいろと自分で数えたり研究したりしているようなんですが、やはり独力で数えることの基本となるのは「手の指」ということになるようで、つまり、右手と左手の指を合わせた数までが「彼の有限」だというようなことのようです。

つまり、以前の「1と2」とそれ以上という範囲が少し変わって、

・1

・2

・それ以上で5まで

・それ以上で10まで

・それ以上


という区分のようです。

なので、今の彼にとって「11以上は無限」ということになりそうですし、「ゼロ」というのも、ゼロは概念の外ですので「それ以上」に入ると思われます。数学的にそれでいいのかどうかはよくわからないですが。


また、実際には、体感できる数値というのは大人でもこんなものだと思います。

たとえば、目の前に人が立っている。

ひとりひとりを数えないで「パッ」と正確な数を認識できるのは何人くらいか。

1人と2人は数えなくても一瞬でわかると思います。
3人、4人だと少し間が開くかもしれないですが、まあ、大丈夫。

しかし、これが8人だとすると、多分、「数える」という行為になっていくのではないでしょうか。
さらにこれが 18人とか35人とかが目の前に立っていても、瞬時には数を判別するのは普通の人だと無理だと思います。

人間の数の現実での認識はそのくらいのもののようで、ということは、「その程度の認識でいい」のだと思われます。
それでも私たち人類は生きて生活していますから。

1〜5くらいまでがあって、あとは無限」で実は問題がないような感じさえいたしますが、しかし、それだと現実生活だとそれでは大変ですが。

お会計は無限です」とか、「うちの会社には無限の人がいます」とか言われても困りますしね。


そういう意味では数の具体性というのは「生活上でのツール」という意味もあるのかもしれません。



アルゴン星の物価

数字の巨大さが極端になると、「それ自体がお笑いになる」ことは、英国のお笑い集団モンティパイソンが 1972年のコント「アルゴン1」で示しています。
数をたくさん掲げること自体が笑いになるということに彼らは気付いていました。

射手座の銀河にあるアルゴン星という星の「物価高」を実況中継しているコントです。


algon1-1.jpg


algon1-2.jpg


algon1-3.jpg

▲ 下のは、やかんの金額。


手元に字幕入りのがありますので、アップしてみます。




ちなみに、私が初めてモンティパイソンを見たのは、レンタルビデオというものが一般化した頃のことで、1980年代の終わり頃で、すでにモンティバイソンの初回オリジナル放映から 20年近く経っていたのですが、初めて見た時の衝撃は大きく、その後、全部見て、今ではパソコン上でスケッチごとに分類して、保存しています。どんなに気分が落ち込んだ時でも、モンティパイソンを見れば大丈夫でした。

いろいろな意味で(あくまで個人的に)モンティパイソン・フライングサーカスは文明史の宝物だとは思います。


何だか、また話が飛びましたが、これからは、具体的な数字が重視されるのはいいとしてもその一方で、「無数」や「無限」というほうも同じ程度に重視する考え方が大事にされるというのもいいのかもしれないなあと思った次第でした。「右脳数字」と「左脳数字」みたいな感覚の話かもしれないです。

古代ギリシャの時間の観念には、クロノスとカイノスと2つあったそうで、このことはつい最近まで私は知らなかったんですけど、いい概念だと思います。
数の単位全体に広げてもいけそうに感じます。

タグ:ブッダ

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2011年03月04日



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2日ほど前から、うちの奥様の用事みたいなのが立て込んでいて、子どもの面倒をほとんど見なければならなくなっておりまして、どうにもあまり更新できません。面倒といっても、幼稚園に迎えに入ったりとか、ご飯作ったりですが、一日が過ぎるのが早いままで、ほとんど何もできないで終わっていく感じです。

子どものことに関しては、「ペアである自分」が途中で止まったのも、子どものことにふれるかどうかで迷ってしまった部分は確かにあります。自分のことならどんなことでも書けても、人のこととか、まして自分の子どものこととなるとどうも躊躇します。

まあ、普通の幼稚園児の男の子(5歳)ではあるんですけど、うちではいろいろと言ったり書いたりして、どこまで書いていいものかわからない部分はありますし。


うわごとで口ずさむパンスペルミア説

ただ、彼から気付かされることも多く、昨年のクリスマス前くらいに子どもが熱で寝込んだことがあったのですが、その時、熱でうなされている途中で子どもが「パッ」と上半身起こして、こんなことを呟いたことがあります。


幼稚園では神様は空の雲の上にいるっていうけどね・・・それは違うんだよ。神様は透明で、どこにでもいるの。あそこにもそこにもいるの。雲の上にもいるけど、他にもどこにでもいるの。木にセミみたいに止まっていることもあるの。でも、透明だから誰にも見えない。でも、透明でもそこにいるの。全部の空も砂も木も全部すべて神様なの」。


ちなみに、うちの子どもは言葉が遅かったせいか、舌の発達が発語に追いついていないみたいで、今でも「さしすせそ」が「しゃししゅしぇしょ」なんです。サザエさんのタラちゃん語(笑)。だから実際には「神様」は「神しゃま」(笑)。

いずれにしても、その時、私と奥さんは一瞬ビビって、「はあ、そう・・・なんですか?」と思わず敬語に。

「そうなんだよ」

と言って、子どもはそのまま寝てしまいました。
朝には言った本人が忘れてましたけど。


神しゃま語(笑)

あと、最近は、寝る前に「勉強する」と言って、ノートに何か書き留めるんですが、「勉強」というのは、うちの子は座って紙とかノートに絵とか図とか字のようなものとかいろいろなものを書くことをすべて「勉強」と言っていまして、それを寝る前におこなう習慣があります。

字を書くといっても、うちの子は文字は書けませんから、まさに、「字みたいなもの」です。

私は文字とか数字を親から子どもに教えるのはイヤなので、奥さんにもそれだけは絶対にしないで下さいと言っています。文字と数字はとても大事なものだからこそ、自分で覚えたくなってから自分で全部覚えるのが1番だと思っています。それが何歳になろうと。

さて、そんなわけで、彼は日本語を書けないですが、それでも毎日何かを書き留めてから寝ている。

「何書いているの?」と以前訊いた時には、「まだ見せない」とのことでした。

最近になって、ノートを見せてくれたんですが、それはもう圧巻で、ノートのほとんどすべてのページに大きな三重丸が描かれていて、そのうちの何ページかには、その三重の丸を囲むようにびっしりと文字みたいなのが書き込まれている。
1ページにそれこそ何百文字も書かれている。

私 「うーん、すごいねえ。これは字?」
子 「字だよ」
私 「なんの字?」
子 「神様語(かみしゃまご)だよ」
私 「神様語・・・。おとうさんには読めない」
子 「おとーさんに神様語よめるわけないじゃん」


訊けば、丸だけを書いているページにも今後、順次、文字みたいなものが書き込まれていくのだそうです。

これがノートのページの一部。

kamisama2.jpg

携帯で撮ったのでわかりにくいですが、まあ、上のようなことが書いてあると。
右下の黒いのはカーテンかなんかの影です。

そして、今回、私にノートを見せてくれたのは、そこに書き込んでほしいものがあったそうで、

子 「おとーさん、ここに、なな(7)書いて、なな」
私 「数字の7?」
子 「そう、ここに」

ということで、そこに「7」と書くと、満足して、ノートをしまっていました。

まあ、私もそうでしたが、子どもの時には規則性とかが好きだったので、そういう流れかとは思いますが、いろいろやっています。

そういえば、つい先日も散歩している時、上空に飛行機雲があって、「ほら、あの線みたいなの。あれは飛行機が飛んだ後ろにできる雲なんだよ」と説明すると、

子 「ユーフォーだとあれはできないんだよ」
親 「え?」

私が「え?」と思ったのは、うちは今は基本的に子どもにテレビは見せていないし、そういう話もしないので、彼が UFO という言葉を知っているのが意外でした。幼稚園などで子どもたちの間から話題として出るのだと思いますが。

私が、「UFO もあんなふうに飛行機みたく飛んでるかもしれないよ」というと、

子 「いや、おとーさん、あれは雲の下でしょ? ユーフォーは雲の上のね、もっとずーっと上のほうにいるから見えないんだよ」
親 「宇宙のほう?」
子 「うちゅうって何?」
親 「空のずっと上のほうは宇宙っていうんだよ」
子 「そうなの? じゃあ、そこかもしれないけど、ずーっと上なの。こっちには来ないんだよ」
親 「へえ、そうなんですか」



とはいえ、そんな彼の目下の最大の悩みは同級生の何とかちゃんという女の子と仲良くなりたいということのようですが。


そんなわけで、明日くらいまでニュースなどに目を通す時間がないですが、再開した時にはまたよろしくお願いいたします。

タグ:神様

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2011年02月21日



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2月の中頃から、あまりにもいろいろな出来事が世界中に同時に起こりすぎていて、ずっと混乱気味ではあったんですが、2日前の金曜あたりに「左脳の限界」がいったん来たみたいで、ニュースなどの情報収容能力がほとんどパンクしたような感じになりまして、土日は一切ニュースを見ないで過ごしていました。

途中まで編集していた「こちらの資料」をアップして、他はいわゆるニュースというものを拒絶していました。


ny-r.jpg

▲ 訳そうとは思っていますが、どこを訳していいのかわからない、話題となっている米国ニューヨーク市が出した公式の「終末マニュアル」。このマニュアル自体は誰でもダウンロードできますので、ダウンロードリンクを載せておきます。102ページの膨大な書類で、私もちょっとしか読んでいませんが、米国在住の方は読まれることをお勧めします 夜間外出禁止令とか、令状なしの捜索動物の殺処分、等いろいろあるので)

PUBLIC HEALTH LEGAL MANUAL *** A GUIDE for JUDGES, ATTORNEYS and PUBLIC HEALTH PROFESSIONALS(英語)


それにしても、これだけニュースが混沌としていると世間ではどんなことが報道されているのか・・・。
昨年あたりからほとんど見なくなっていたテレビは今年に入って、テレビは完全に目にすることはなくなってしまい、世の中での話題のニュースはあまりわかりません(人ともあまり会わないので)。

しかし、Yahoo! のトップニュースあたりを見ていると、エジプトは現在の中東の暴動に関してはやたらと報道しているのが気になります。私はわりと暴動ウォッチャーですので、ここ数年の世界のいろんな暴動をウォッチしてきましたが、その中で少なくとも、ここ2、3年に関しては、日本のメジャーマスコミは、世界で起きているあらゆる暴動を無視か軽視していて、ほとんど扱ってこなかった記憶があります。

今回は死者が多いとはいえ、これだけ毎日毎日報道し続けているということを見ると、やはり、メディアには、

・報道したい暴動がある
・報道したくない暴動がある


というのはあるのでしょうね。
理由はわかんないですが。

私は「暴動だけは全部見ていこう」と考えていたのですが、昨年あたりにそれに疲れてしまって興味も失せ、「もう暴動はいいや」と最近考えていた時なので、最近の中東の暴動に関してはよくわからないですが、何度かここで名前を挙げさせていただいた埴谷雄高さんも若い時(1930年代くらい)に共産党活動をしていて、その流れの中で、「社会革命はダメだ」となり「存在の革命じゃなきゃダメだ」という方向性でいったわけで、社会革命には意味はないけど、通過儀礼的には人類が通らないといけない道、だとも感じます。割礼という言葉を思い出します。

しかし、近年、よく「民主化、民主化」って言われますけど、これは「民主化という状態が好きな人から見ている状態」というだけのことで、例えばアメリカでも日本でもいいですけど、その「民主化」という言葉で綾取られている国がそんなに幸せなのかどうかというのは、もうそれはアジャパーなわけではあります。

でも、こういう時に、

「でも、幸福な人の割合が多い」

というような論調が、先進国による統計などでよく出てくるわけですが、仮に、100万人の人口の「とても幸せな国」に、私が住んでいたとして、しかし、私はとても「不幸な感じを持っていた」とします。

でも、国勢調査をしてみると、

・幸せと感じる国民の数・・・99万9999人

・幸せだと感じない国民の数・・・1人


だとすると、もうこの国はものすごい幸せなわけですよ。国際的には。
99.9999999%(単位は適当)の人が幸せを感じている。

「100万人の中のたった1人なんかどうでもいいじゃないか」と。

まあそうでしょう。

しかし、残念なことにその一人が自分だったと。
さあ、どうする。

なーんて、私はこういう時には「静かに消えればいい」と考える人なんで、自分から消えて問題はないですが、そう考えない人が「幸せだと感じない国民の数・・・1人」だった場合、0.0000001%の戦いをするか消えるかという話です。

で、民主主義というのは、

・迎合するか、さもなくば消えろ


と。

どこに迎合するかというと、「多くの人が良いとすることに」と。
数の理論。

これには人生で疲れたこともありましたが、そのお陰で人生では常に「静かに消える」という選択をすることになったのは悪いことではないと思っています。数の理論で数から弾かれた人が、「迎合しないで反発する」と、数の多いほうに迷惑がかかってしまいます。


閑話なんとか。


話を戻すと、

・報道したい暴動がある
・報道したくない暴動がある


というのだとして、ちょっと前ですが、まだ訳していないこの海外のブログのタイトルが気になります。

CIA Coup-College
( CIA の革命学校)

小見だしに「使い回される革命の小道具」とあります。


fistOtporWall.jpg

▲ この拳のマークが複数の革命シーンに出てくることが指摘されます。


s-FistOtporMob.jpg

▲ セルビア。両脇の旗のマーク。


fistEgypt.jpg

▲ エジプト。旗のマーク。


記事にある「革命は米国が準備したもの」というのが本当かどうかはわからないですが、まあしかし、実際に上のような「報道したい暴動、報道したくない暴動」などがあるとして、今回は、日本でもたくさん報道されている現状・・・。

最近はこういう「仕組みはよくわからないけど、いろいろな汚なそうなこと」は何だかもう本当にイヤに感じます。
離れていたい。


それにしても、混乱してばっかりでもいけないので、週明けから、またニュースを見てみようかなと思いますが、主に、

・火山
・病気
・太陽(系)

は複雑なことになっています。



まあ・・・・・こんなことを書くのはナンですが、私は、2008年頃にはもう「長くないのだろうな」(自分個人)と漠然と感じていたので、自分が 2011年を迎えている意味がわかっていないのかもしれません。それが混乱している理由なのかも。

生きているけど、何をすればいいのか?

やりたいことは(精神的なだけでも)なるべく瞬時にやってきているので、自分自身の夢は、すでに存在しないのですよ。すべて人生で昇華されてる。「生き残りたい」とかもゼロ。

じゃあなんで今いるのか。

・・・ということを考えたり、考えなかったり。


ワンダーランドで立ち止まる

そういえば、ヤスの備忘録の最新記事に記載がありますが、ウェブボットの最新号が出ていて読んだのですが、これがもう非常に「ワンダーランド」で、感動の質が混沌としていてうまく言えないですが、とにかく何とも感動いたしました。

ウェブボッドをどういうものと捉えるかは人によって違うでしょうけれど、小説などでも人によって感じ方が違うように、ウェブボットも違っていいのだと思います。少なくとも私にとっては、「ワンダーランドのイメージ館」みたいな部分はあります。

たとえば、近年では「もっとも混沌としたウェブボッド」であった 2010年10月のものより、一節を転載します。

***
非対称型言語傾向分析報告書「来るべき未来の形」0巻8号要約
ウェブボッド 2010年10月20日配信 より

ノーシンのウィンク!

・ 「ノーシン」というキーワードが高い感情値をもつ。「ノーシン」とは、この物質世界とはほとんど関係をもっていない人間のことである。

・ 彼らは、多くの知識を共有している。彼らの多くのものは、過去に殺人を犯した犯罪歴の持ち主だ。

・ だが「ノーシン」はインディゴチルドレンのような存在ではない。彼らはどちらかというと、聖人に近い人々である。

・ 2011年の秋の終わりになると、「ノーシン」の能力を見ることができるデモンストレーションが行われる。このデモンストレーションには「生きている石」が使われる。この石は生物と交信することができる。


***



後半の方のほんの一部分ですが、読んだ時に、「な・・・何?」となりました。
まあ、日本に「ノーシン」という頭痛薬がありますが、それは置いといて(笑)、そのキーワードを別にしても、意味がわからない。


> 物質世界とはほとんど関係をもっていない人

> このデモンストレーションには「生きている石」が使われる



「・・・?」


何だろう。
この「な・・・何?」というのは過去のウェブボッドでもよく出た感想でもありました。
そして、どんなことを暗示しているんだろう・・・、これはどんなことになるんだろう、と何だかワクワクするわけです。

これが私にとってのウェブボッドでした。

ここにある「生きている石」みたいな不思議なキーワードは過去にも夥しいほど出てきていて、それが何かに結びつくこともあるし、結びついていないこともあります。この「結びついていないもの」が魅力的です。


だから、ウェブボッドの世界が存在していくなら、世の中にはまだまだ楽しみを期待できる部分はあるのです。まさに「ワンダーランド」(私にとって)。

なお、現実的な話としては、最近特に気になる「過去の」ウェブボッドのキーワードとしては、「双子の地震」があります。最近、米国アーカンソーでは群発地震が続いており、イエローストーンの周辺には既報のとおりの怪しさが存在します。

arkansas-2011.jpg

USGS より。金曜日の時点では、収まらないアーカンソー( ARKANSAS )の群発地震について、米国中の BBS で話題となっていました。


さて、そんな感じで、情報拒絶の土日でしたが、実は最近、「やること」のひとつとして、音楽と悪魔の関係を思い立ち、もともと私は音楽人間であったわけで、ふと、ずーっと更新していなかった、昔やっていた音楽サイトの更新を何となくしたりしています(参考URL)。


音楽はどうしてこの世に存在するのか」ということは、それは考えるに十分に一生を捧げられることですが、最近は「悪魔との戦いのツールのひとつ」だと考えられるようになっています。


たとえば、鼻歌や、歌を口ずさむ行為。
あるいは頭の中で好きな歌をリフレインする。

あれらは人間の左脳と右脳の仲介の中で、左脳に奪取された芸術性と人間の魂を取り返すための非常に些細だけれど、日常的な「戦闘ツール」だと気付きました。左脳と右脳どちらがいい悪いではなく、「分担の是非」の問題です。音楽に左脳が介入した歴史を糺す必要はあるようには思います。

だから、好きな歌をどんどん口ずさみましょう(笑)。


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2011年02月04日



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(注)今後、翻訳や報道記事ではないコラムみたいなものには、タイトルの前にすべて「(日記)」と付けることにしました。




さきほど、非常に怖い夢を見まして・・・目が覚めて、そのまま起きています。
意外と怖い夢というのは見そうで見ないもので、私はほとんどないです。
しかも、今回は「2ストーリー連続」での怖い夢でしたので、余韻もなかなか。

松果体なんかを気にし出している最近は、以前よりも夢の内容が気になるようにはなっているんですが、しかし、実際のところはどうにもわからなくて、たとえば、場所は移してしまいましたが、「ペアである自分」という中で、「睡眠中の夢も現実かもしれない」というようなことを書いたんですが、でも、仮に「どこかの宇宙での現実」であっても、今生きているこの次元のこの生活の中での現実ではないわけで・・・。

・・・と考えつつも、実は「松果体」という問題を考えると、単に見えていないだけで、現実の今の生活とリンクして平行で進んでいるのかもしれない・・・というようなことを考えてもラチがあかない・・・。


まあ、その程度の考えで終わっていくわけですが、今回見た2本立てのストーリーのうちの2本目の怖い夢なんぞ、なんだか「安っぽいSF映画などに出てくる悪夢」そのもので、妙な少年が立っていて、「あなたの心の中の怪物をどうぞ・・・」とかいうと、その後ろから内臓の塊に目玉が一個くっついたような生き物がフラフラと宙に浮いて出てくるわけです。

でも、普段の私ならこういうグロテスクな生き物はどちらかというと、興味のある方なので、夢でも話しかけたり友だちになったりする方なんですけど、今日はひたすら怖がっている・・・というあたり・・・たとえば、解釈として、

1. 心理的な問題だとする方向

2. 現実の恐怖と直面している可能性の方向

3. 隣に本当に怪物がいた方向(苦笑)


とあったとすると、普通なら心理分析的というのか、つまり「1」が妥当なわけですが、最近だと「2」も「3」もありかなあと感じることもあるわけです。

ふと、ネットの「夢判断」だと、どういうもんなのかなと、検索してみると、未弐の夢事典というサイトに「怖い夢」という項目がありました。


【怖い】 未弐の夢事典より。

【怖い】・【怖いと感じること】・【恐れ】…真実を避けている状態。洞察を得ていないこと。未知の自分に対する恐怖。自己の側面(悪魔的な考えや罪悪感・心的外傷等)に対する恐怖。人に偽りの自分を見せている状態。人に嘘をつかざるを得ない状況。抵抗。精神的疲労。現実の世界の中で、一体何が怖いのかを見極めると良い。理由がハッキリすれば、恐怖心も消え去る筈。本当は怖いものなど、この世に存在しない。自分の心が「恐怖」を作り出していることを知るべき。
(以下略)



うーむ、「本当は怖いものなどこの世に存在しない。自分の心が恐怖を作り出していることを知るべき」。

名言ですなあ。
夢判断というより、人生指南のように感じます。
このページの「他の夢の関連」のリンクに、【存在とは】という項目があり、見てみると、


【存在とは】 未弐の夢事典より。

【存在とは】世の中や宇宙には様々なものが《存在》している。森羅万象がそこにある。空を見上げた時にみえる無数の星や、地球のどこかの国、顔も知らない隣人など、確かにそこに存在している。しかし、あなたが興味の無い事、無視していること、気にならないこと、忘れてしまったこと等は、あなたにとって《存在していない》のも同じことなのだ。神が居ると信じている人にとって神は存在するし、悪霊など居ないと思っている人にとっては、悪霊は存在しない。
(以下略)



うーむ・・・。

ここに書かれてあることはまさに最近、私が思っていること・・・。
最近の夢占いサイトってすごいこと書いてあるんですね。

・存在

・存在していない


たったこれだけの違いと・・・。
・・・うーむ。


まあただ、今日見た夢で、いつかは書こうと思っていたことの内容が修正できたことは確かです。
それは何かというと・・・。イヤな話ですが、洗脳の話です。


洗脳のヒント

書こうか書くまいか迷っていたことではあるんですが、「現代的」で「悪魔的」な試みのひとつが「洗脳」だと思っています。もちろん、今に始まったことではないですが、遺伝子工学や量子力学などが進んだこともあり、以前よりもはるかに巧妙に正確におこなえると思っています。

ここで、「それを人間の誰がやっている」というようなことに言及すると陰謀論者的でもあり、それはあまり好きなことではないので、誰が・・・ではなく、その方法論なんですが、以前1度記事にした HAARP というものがあります(記事)。

現在あれが拡大している面積と、発信している周波数(数Hzという超低周波)から計算してみると、「もうすぐ文明圏内をほとんど網羅できそう」な感じなんですね。低周波は基本的に拡がりの範囲が大きいですから、そんなに細かくカバーできなくても世界全体をカバーできるはずです。

昔は、「数ヘルツなどの超低周波なんて何の役にも立たないだろう」と私はずっと思っていたんですが、先日、ある人が「母なる大地の声って10ヘルツに乗ってくるんだって」と言ったんです。これは、地球の地磁気的な話のうちの「オカルト」に関しての話で、実際の観測される地球の地磁気の数値とは違うようですが、いずれにしても、これは HAARP の発信している周波数とかなりリンクしており、

「あー、そういうことなのかもなあ」と。

つまり、その周波数に乗って発信される情報や声は、それがどんな偽りの間違ったものでも、人間は「それが地球の声、神の声」だと自分で勝手に思い込んでしまうということなのかもしれません(今でも)。

低周波からは逃れようがありませんので(スピーカーから出る音のうちで、超低音は遠くまで響いて遮断しにくいのと同じです)、防ぎようはないですが、だから、なおのこと、「自分」が確立されていないとダメかなあと。

「ペアである自分」というシリーズは今、途中で止まっていますが、最終的には、「ペアである相手の自分を尊敬して好きになる」ことで、自分と相手の間にある宇宙空間の流れを良いものにできたらいいな、というオカルトに行き着くような気がします。

まあ、それで世の中全体がよくなるとも思いませんが、少なくとも、「自分はよくなる」かもしれない。一人が良くなって、それが2人、3人と...となるなら、それはいいことかもしれないと。あるいは、徹底的な個人主義の人を作り出すだけかもしれないですが、洗脳に染まるよりはいいのかなと。それに、自分を好きじゃない人は他の人にも優しくできない気はしますしね。


なお、「洗脳」と書きましたが、こういうことは「今日から始まりますよ」と、ドラマティックに始まるわけがないので、もうずっと続いているかもしれません。

たとえば、日常生活の中にあるこの低い周波数に気づきたければ、「しばらくテレビを完全につけない生活」をしてみると、1週間くらいで気付くと思います。その後、またテレビをつけっぱなしにしてみて下さい。

テレビ(のほとんどすべての番組)の中に常に一種の、ノイズのような(低いので聞こえないけど体でポワーンと感じるかも)低周波が含まれていて、それを常に体が受けていることに気づきます。まあ・・・これは、私の体が低音に敏感なだけということかもしれません。あらゆる電化製品からはある程度の低周波は出ているはずですので。


まあ、洗脳の話などやめましょう。
どうしても否定的な話になりがちでよくないです。
少なくとも怖い夢を見た直後の今は。


テレビに関しての歌

テレビといえば、最近のロックなどの事情はよくわからないですが、昔は「テレビの批判」の歌が結構ありました。ちょっと思い出して、今、2曲アップしてみたんですが、実はどちらも好きな曲ではないですが、自分の iTunes の中にあったので。どちらも30年以上前の日本で発売されたロックです。リザードというバンドとSEX(すごい名前)というバンドです。

どちらも私が高校の頃でしたかね。
前者はそれこそ「テレビで」ライブを見ました(苦笑)。
--

リザード - TVマジック (日本/1978年)



(歌詞の一部)

モラルを作るのは私だ
時代を作るのも私だ

Viva TV! Viva TV!

チャンネルを回すのだ
すべてを見せるから
疑ってはいけない
私が真実だ

T.V. Magic


--

SEX - TVイージー (日本/1979年)



(歌詞の一部)

テレビは誰もが簡単に
幸福になれると言うけど
そんなもの 
実際
どこにもありゃしない

気がつかないうちに
お前の中に忍び込み
俺たちの不満や怒りは
すっかりもみ消されるのさ

TVイージー
ごまかしは沢山さ


--


それにしても、最近は少しナーバスになっているところはあります。

それはなんというか、たとえば、世界的には本当の「革命」、すなわち、埴谷雄高さんの言っていたような「存在の革命」なんて起こる可能性も感じなかったりするところにもあるかもしれません。(戦う革命は存在の革命じゃない)

しかし、個人的には、「繋がっているリンクを解き明かしている」作業は続いていて、今日またひとつ「解かなければならない長年のリンク」が現れました。

具体的には人が関わるので書かないですが、その過去のリンクのキーワードに、

・蜘蛛
・夢
・十字架


があります。
蜘蛛という生き物は、オカルトに詳しい人によると、(いい意味ではなく)特別な存在らしいです。ハエやキノコと同様だとか。


怖い夢で目覚めただけが長くなりました。
それでは、また寝てみます。

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2011年01月01日



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(訳者注) 米国のモダンサバイバルブログに新年らしいテーマの記事がアップされていたので、「なんとなくお正月っぽい記事もほしいところだな」と考えていたところでしたので、ご紹介させていただきます。特に目新しいことが書いてあるわけではなく、年の節目に気持ちも新たに、というお話です。

記事中、過去記事を参照している部分に関しては注記させていただいています。




Prepper’s New Years Resolutions
Modern Survival Blog 2011.01.01

準備者の新年の決意

msb-holiday-wreath.jpg

2011年のお正月を迎えた。

年の最初の日には「この1年の決心」を書き出したりすることが多い。多くの人がいろいろな約束や決意を並べ上げるが、その多くは実行されないまま1年が終わってしまったりするのもまた普通だ。

「今年は私はダイエットに成功する・・・今年はもっとたくさん運動をする・・・今年はもっと健康的な食生活をしよう・・・今年は時間通りに仕事をするようにしよう・・・etc」と。普通はなかなかうまくいかない。

しかし、それはそれでいいとして、今年はその「決心」の中に下のような項目を入れてみるというのはいかがだろうか。下のリストは、これから未来への準備を始めようとするビギナーの方にとっても、素晴らしいリストでもある。

この中で、「決心の #4」が難しいかもしれないが、しかし、これは重要だ。
他は容易ではないだろうか。


#1  災害/非常事態バインダー(手帳)を完成させる。

以前アップした記事「災害準備バインダー」というタイトルの記事で、家庭内のすべての家族が参照することができる「災害時の手引き書」の重要性を論じたことがある。特に、あなたの家に、災害時の対応を完全に覚えることは難しい鍵っ子などがいる場合にはこの手引き書のバインダーは文字通りのライフセーバーとなり得る。

このバインダーは、段階的に、自分の家のガス、水道、電気の元栓をシャットダウンする方法が記載されている必要がある。これにより、二次的な災害を防ぐことができる。

あなたが家族と共に避難しなければならないような状況の場合、保健や緊急の医者など、緊急時に接触が必要となるリストも付記しておくこと。


(訳者注) 記事中の以前の記事に写真として出ていたその災害バインダーの表紙。

disaster-preparedness-binder.jpg

上の表紙に書かれてあるリストは上から、

・ガスの元栓をどう止めるか
・電源をどこで切るか
・水道の元栓をどう止めるか
・持ち出し品リスト
・コンタクト・インフォメーション

となっています。
それぞれのお宅に子どもがいらっしゃる場合は、その人たちも理解できる書き方である必要があると思われます。

--

#2  自宅のすべての車両に72時間非常用キットを用意する。

以前の記事、「72時間キット」で、車両に72時間非常用キットを積んでおくことの重要性を議論した。

いつどこで車に乗ったまま足止めを食うようなことになるかは誰にもわからない。私の通勤の間にこれらのキットで即席の夕食をとったことも2、3度ある。食べ物だけではなく、あなたが普段使うものも入れておくこと。


(訳者注) その前記事によりますと、72時間キットの中身は、食料は、チョコレートバー、各種缶詰、ピーナツバター等いろいろ挙げられていますが、これはアメリカの例ですので、要するに

・日持ちして、カロリーが高く、食べて満足するもの

なら何でもいいようです。

72hour-kit.jpg

上の写真はモダンサバイバルブログの過去記事にあった 72時間キットの中身の写真です。他に、トイレットぺーバー、毛布、帽子、スプーン、地図など。

毛布は重い普通の毛布より、日本でなら安く買えるマイクロファイバーの毛布が軽くて気持ちよく、最適だと思います。私はサバイバル用ではなく、自宅用で(苦笑)使っています。値段も今だとネットだと1000円前後等で購入できます(こちらは楽天で送料無料で1680円)。

続きを読む
タグ:サバイバル

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2010年09月30日



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今回は、翻訳記事ではなく、宇宙関係の過去記事の整理と、珍しく少し自分のことを書いてみたいと思います。以前「クレアなひととき」というブログをやっていたのですが、それをやめて以来、一度も自分の思っていること等を書いたことがなかったのですが、今回だけ少し書きます。

というのも、今朝の「ついに地球と似た環境の惑星の存在が確定」の記事に至ったことで、「お隣の宇宙の姿の観念」というもの自体が(イマジネーション的に)多くの人々の中で大きな変化が起きるような感じがいたしまして、あと、このブログは今はほとんど翻訳サイトになっていますが、そのキッカケです。


春の朝、突然、英語が読めるようになり

以前やっていた「クレアな〜」というブログを読まれたことがある方なら、私が英語が全然できない人だったことはご存じかと思います、読者の皆様に「これを翻訳してくだせい」と、よく頼んだりしてご迷惑おかけしておりました(苦笑)。

今年の春くらいまではそのままでした。

別に英語が必要な生活をしていないので、勉強もしたことないですし(だから、今でも単語は全然わかりません。 Web 辞書で調べっぱなしです)、そのままで別によかったんですが、確か今年の5月くらいだったと思うんですが、ある日、朝起きたら、突然、英語が読めるようになっていたんです。

突然でした。

まあ、カフカのような世界で、不思議といえば不思議なんですが、別に困ることでもないし、それで、興味のある記事とかを翻訳しだしたような感じです。最近は何となくですが、英語を聞けるようにもなりました(実は読むのも聞くのもほとんど感覚的なんです)。

でまあ、最近の、特にこの2、3カ月の急速な宇宙的な発見の現場というか、そのオリジナル記事を読むことができたりしていることに気づいて、「ああ、なんかこれはありがたい」と今になって思っています。まあ、オカルト的に言っちゃえば、私に宇宙のこと読ませてくれるために、ある朝、英語が読めるようになったのかもしれないと思ったりしてみたり・・・。まあ、それはどうでもいいや。オカルト書くとまた怒られちまう。

それにしても、クレアの頃の読者の方々には今でも本当に感謝しております。当時まったく英語が読めなくて、「これの内容が知りたいよお」(苦笑)と、翻訳をお願いすると、読者の方でメールで送ってくださったりした方もいらして、今でも感謝しております。もし、このブログを読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、そのせつは本当にありがとうございました。


そんなわけで、まあ、英語に関しては、意味も理由もわかりませんが、ある日突然そういうようなことになりまして、それからまだ3、4カ月くらいなんですが、この間の宇宙と微生物関係のニュースはもう本当にスゴかったです。

毎日ニュースを見ては、 ((((((((( @_@))))))))))))) うおおおおおおお、すげええええええええと感動したりしていました。

その宇宙関連と微生物関連の記事なんですが、系統づけて再度リンクしておきたいと思いますが、何をすごく感じたかというと、次のようなことがポイントです。

--

・地球の極限環境微生物が宇宙空間でも生きのびることが明らかとなり、生命空間という定義に変化が起きている。つまり、この宇宙は基本的に生命のいない環境は少ない(暗黒物質エリアを除く)。

・地球型の惑星、つまり人類のような生き物が生存できる可能性のある惑星というのが、地球から観測できる範囲だけでも夥しくあることがわかってきた。

・パンスペルミア説(生命が隕石などで胞子として宇宙全体にばらまかれている)からいくと、宇宙の姿はえんえんとどこまでも似ている可能性が高いことが科学的に明らかになりつつある。


--


という流れがこの半年ほどで恐ろしいほど急速なスピードで進んだのです。

あと、以前、こちらの記事で翻訳しましたが、地球の生物でも、数億年の寿命を持つ微生物が結構いるというような発見も頼もしい話でした。

new_exoplanet_0929.jpg

▲ 地球と似た惑星であることがデータ上で確認されたグリーゼ581の想像図。


地球も地球の人類も孤独ではないことがわかりつつある

私本人は最近では何か珍しいことが地球というか、少なくとも私自身に起きるとは思っていないですし、他の方はともかく、私は非常につまらない人生をこのまま適度にどこかで終わる、つまりそのうち適当に死んで人生が終わると思っていますが、その前にこういうことを知り得たということは本当に素晴らしいことだと思います。まさに言葉通りにもう何も思い残すことはない感じです。

いつ死んでもいいというのは、パンクスの本望でありまして、まさに至福と見つけたり(なーんて、かっこつけてみました)。

今後の宇宙の発見はこれらの科学的発見に尾ひれがついて、具体化していく段階に入るでしょうが、根本は上に書いた3つだと思います。つまり、「我々は永遠に続く似たような宇宙空間の中の、宇宙にはどこにもありふれた人類という存在の一人」だと。

パンスペルミアと非ダーウィン進化論的な観点を持つ私から見れば、他の惑星でも人類や他の動物の姿はさほど変わらないと思います。たとえば、居住環境の温度や大気に生き物の姿が左右されるというような考え方ではなく(地球でも、アラスカに住んでいる人とマレーシアに住んでいる人の姿の差はそんなにないように)、宇宙にばらまかれた胞子が「そこで生存できるか否か」がすべてだと思います。

まあつまり・・・私たちは(観念的に)宇宙では孤独ではないことが確定し始めた最近の科学的発見だったのだと思います。

まあ、こんなことは個人個人の考えです。
つまり私の考えです。
今はもう他人にどうだこうだと自分の考えを語るつもりはまったくないです。

ただ、今回は何だか気分も嬉しかったので、私の考えというのを書いてみました。
そう考えない方はそれで全然OKですよ(好きな異性のタイプが人それぞれ違うように)。


それでは私の過去ニュースのリンクです。
記事は上から新しい順になっています。
上に書いたようなことにご興味があって、下の記事でお読みになられていないものがあれば、ぜひお読み下さることをお勧めします、下の記事はどれも、注釈以外は私の私感は一切入っていない客観記事ですので、読みやすいと思います。

それにしても、下のようなニュースがほとんど7月、8月、9月の3カ月に出てきたというのはちょっと信じられないです。今までなら100年に1度というような括り方でも構わないような大発見です。


宇宙関係




生命関係




パンスペルミア




fbd1453d_240.jpg

▲ 私がクレアをやめるキッカケともなった最強の多細胞生物クマムシの近影。今はネット上でも大人気ですね。


もう今回みたいなのはしばらく書くことはないですので、今回だけです。
明日からはまた単なる翻訳に戻りまーす。
それではどうもすみませんでした。

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